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『宗教研究』第4年第14号(*14号)

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(1)

――目次―― 1,宗教的伝統の性質,G.P.アダムス,pp.1-38. 2,仏教史上より観たる日鮮の関係,手島文倉,Humikura TEJIMA,pp.39-76. 3,奈良朝の写経と仏教の社会的影響,津田敬武,Noritake TSUDA,pp.77-113. 4,新刊紹介及批評,pp.114-120. 5,学界彙報,pp.120-122. Posted in 1921(大正10)年

(2)

盟 性 の 綻 停 的 教 義

ジ・ピ・ア ダ ム ス

本解ほ、アダム スが壷懲主覇と現代文化﹂¢一帝でぁろ。先づ現代文別¢特色㍗る民本立 我と彊韓措勤と¢性質み捌かにし、其気風ほ小郡敦や理想主鶏の節税倍放に対して、活動赴取 にちる一せ請じ、そ=で宗放と現代文化と対立する=と一㊥見て、何かもそれが人出に封する意 味と必婁とを見る岱に、宗数的停紋の性質を教務する¢が本㍑¢趣意でわろ。﹁鎚怒主諒と 現代文化﹂全椚⋮ほ、近い中に僕の論評な如へて、出防二?うが、比良に比¢一事わ先づ公にする︶ 著猫アダム スほ僕と同傾向の血愁み有†ろ友人で、現代の蟹澤‡乾に戊封し、粟准箭額た一山 ぺ サーとアダムスと伐と三人で論談した︰ともわる.先づ手始に此り l描にょって、比C 友人み‖二本の思想界に紹介すろ。妨略正治

宗教的停統の性質

ー J −・・−・

(3)

醗四十節 年四新 党研数式ミ 宗教として知られて居る賢術的輿映や庄活の態度を、哲撃的に組立てたものが即ち理想主義 である。然るに民本主毛と経済上の理性主義とが、現代敢脅の構成数カとして、宗教の上に塵 迫を加へて凍た。然らば、一鰹、宗致の興味とは何物であるか、浣敦的悼統の本醍はどこにみ るか。宗教の本性をどうにか定めうとするには、杵々の無闇のある事は前以て承知の射で、宗 致を定轟するといふのは出来る串であるか、又出凍るとしても、それがどれだけ役に立つかと いふのも問題になる。そこで考へるに、宗教には把癒して二つの特色がある。鋸Jりその一は、 元凍一切包括わ性貿で、その璃に震数は和々の興味の況とh与り、それ、㍗ら他の者が分化し、各 各自己の定まつた性質で独立する様になる串、その二は、㌫数が現軋以上に封する應封として 濁ら自ら高しとする拳、此二の悦男がある盈、宗教の性製を定め得るや疑問にハ与る。 そこで、こゝでは諸宗故に典通の分子を抽き出して、それを一定の式に鳩める如き考Jで抱く のではない。此の如き一枚に典滝の性質を取わ〓しわ∵﹂しても、それは必定不定決然の新に過 ぎす、叉歴史上に現はれた嘉致の一つに封しても、其の内容を現はすに足qh住い。他方又嘉致 の発生に測ら、原始の宗故には、宗教の本質が最も明白に現はれて居ると見る革も山水ない。 人類尋常は原始人軒が自らの為に宗教を組立てうとして、どつしりと、然し叉無意識に本漁の ∵ し) 一

(4)

質 性 ¢ 洗 侍 約 数宗 企てをするのを研究するが、それは、アリストートルも既に知って新た独り、時間的に生存し て居る者の本性は、その教生の初期には現はれないといふ消息を忘れる射になり易い。物事は 成長して向ふ方にその性質を示す着で、歴史や人軌撃、考宥撃の材料を観察し記述するに瞥っ て、我々は現に観察して屠る勢力や革質について、又その低位運命等について、何かの租念を 作わ、何かの観測を下し、それを心に浮べるが館である。研究老自らは意識しないで居ても、 研究事項に必要だと思はれる革質の方面を撰澤するには、或る観測興が、常に輯きになつて居 る。されば、宗致の本性を発見するといふのは、どれだけかは規範哲立てる仕事であつて、其 の食めには、人類畢や心理撃と北ハに、暫費や形而上諭の改助を必要とするじそこで宗教的陸続 の本鰹を尋ねる虜に提出すべき鮎澤は、歴史や人跡壁上の材料か・.り出て氷る串柄のみでなく、 此から討議を進めるにつれて段々に出て凍ペき或る観念、或る見地が兆して骨を得て居るや否 やといふ事で、解繹の蕾否をも定める輩にならう。 人粕の宗教的俺耗の中には、二つ区別し得る要熱がJのるが、而かもその二は、宗教的俸故に とつて、親密に又離れ得ない楼に互に闘脾して屠る。宗数的停兢の此の二方面をどう卦折して 見るペきかといふ串を明にする食めに、允づ取ら上げて見るべき見地がある。例へばキクスト ー β −

(5)

鎌田十夢.年四筋 究研故嘉 ヽ一■−ノヽ一、ノヽ−−一{−−ノ、一岬一、一{一、−一一−−■−一{−∼一−・一、一・岬一一一一■、■−一一一一′■一−、←、■−一−・一一一・・・一−■−一一▲−ノー−√・一 一】−ヽ一ヽ_−,.■ 敢の如・き、歴史ある宗教は、世界の思想が全く自然主義凪にh号1蝕⋮締約で、又一見して宗敢

反封の様な世の中にも、その食に少しも傍けられす、影攣ぜ受けないで城ん㌢︺な製菓を有し

て撃?しいふ事、此ぺ付人ち哀激辛乞でわらう。勿論、苧で誓〓∵い比り撃墾か、独り慢泊拝

察の為に少しも抗しないといふのではないが、而かもどれだけ損失窒父けたとして、ら、そのな

くなつた分と残る卦との悶には、放純ながらにも、結び目■りっいて足る事を混めぎるを得ない。

ギュイヤクは﹁勝家の非宗教﹂について論じ、苅しい㍍敗は、非紳膵的で又全く自軍玉虫凪であ

らうとし、例へば家族を崇卸すること、純溜に現患を愛する串、乳母特命といふ放妙へ与板悌、

利客を離れた科撃的精神、美を創由繭に禦む事などが、それだとして㍍

る。

﹃私議や文撃巾の新個人主肇宗教的若くは殆んど紳秘的精細で、此の佃人主義の方法な應庸

し、天地自然や人間の性格の中に慰座しっ∼ある者、甜多で混沌、又偵始的の或るもわに、之

を應用すること﹄此がデュイの哲学に決意を求め化黙であるじ此の如くにして、軸の存在、意志

の自由、霊魂の不況、此等を文字泊りに見る事は、衰滅に執して居る迷信の倉ひ言葉に過ぎな

いとしても、さて共後には、道徳、忠盛、想像的攣川、人勘の労楠や同情は、どれだけか投打

し、而して此等が倍挽や言訟に現れる昨、きしには付か丹姦たる性措が附肴して残らないであ

 ̄・− ̄一 ̄ } ▼

(6)

質 性 の 統 停 約 数 琵 らうか。総て縁遠いもの、超越的の事を離れて、此等のみが攣り、それが人間の軍心無雅の信 服を受ける様になれば、それだけ此等は食い者とならないであらうか。 人生は何れの方面でも盲目の運命に縛られ、無慈悲の現賃、綾域的の必至に閉㌢︺められ、 又は賂凍、知識が撥見するや否やは卦らない何物かゞあるとして、そこで、醐でにい何者かに 支配せられるといふ如き思想の行はれる耽界に於ても、梢ほ存在し叉胸に貯へらるゝ何物かヾ あり、それを歴史上の宗数が示してくれる。此の様な熱が、前に述べた加古考の中に現はれて 凍る。此の方面で、想像や信念や揖群のカで、長政が言ひ衷はし、又婁を示してくれるものは 入関が何よりも大切に思ひ、胸に貯へるもの、自分の経験が供給して災れる惜絶や理想であろ 人間の開閉が此等の理想に細腰しても、しないでも、叉此等の思想はそれ自らの反映の外、他 界には何等の貸賃がないとしても、人間は硝ほ債権理想に忠誠を轟すべきといふ串、此を㌫数 が示してくれる。此の方南では、浣数は、人間の慾繋と願望、興味と日蓮とを代表し、此等の 人間的で叉賓在の革質を、恕低で未はLてくれるじかくて、此が各紙の眞準じあるとすれば、 サンヤクナと同じく、﹃浣敢といふ現象各階は、発覚、人間の粒駿を人間の想像で解繹したもの じゃないか﹄と閉ふ外ない。而して、﹃文型復興の人道的鱗向が、障聾h号く進歩して屠たなら. 。 − 5 _

(7)

説四十鈴 年四夢 先軒数京 宗故に封する此の如き解樺が、貿際世を支配したであらう﹄と云ひたい。﹃人間の修養にも、又 無智にも、温塊のある醐秘的光輪を加へるもの﹄、此が浣致の作用を乱したもので、宗致とは、 その本鰹に於て、﹃想像の仕上げたもの、道徳的賓在を衷象的に表はしたもの﹄と写bう。人生 に常任な慾望と人生の慣倍とを表はし、人生の事賓上の周囲を離れて、抽象に考へると云ふ宗 致の此の方南が、帥ち宗数的停統の経験的、現性的、即ち内布的内容であると見てよからう。 然るに、宗数的精銅が懸念した所は、現世の耗駿以上、現貨以外りもS・、人間の常住に起す 慾望を想像で豊いて見るといふよゎ/以上のものであつた。餌ち原始の宗教から、進んで粍史上 の宗故に亙って、宇棺的に逼迫の内容ある或る者を観得せうLいふ要求であつて、人間の生命 や綬凝の環境について、何か断定し得る権能があるとし、賓在が人間の心に封して或る手ごた へを捕へ得るといふ主張にある。宗敦の主張は、心と理性の生活に覗はれて凍る興味に副ふも の、叉之に適するものを有するといふにある。釦ち、経験や人間社食の範岡内に作用を有する だけでなく、賓在世界の存在や性能空不し現はすもの哲要求する。あらゆる興味の巾で、宗教 は、最も頑張に形而上的で、又貸在に固着する。貸用的の裁可力を説き、その利用む重んじ、 それを威情や戚動つ表象であると見、又は珪存の鰯の奮偶にそれが必要だといふ様に説明して ニ∴ /7 −_−−−

(8)

質 牲 ¢ 掟 停 的 政 宗

も、若し票数には今述べた如き他の方面があるといふ串を看過せば、宗教の心髄を輔へたとは云

へない。此の特質は宗教の要素であるが、之に反して、宗教の内存的︵即ち賓用的︶方向や構造

ともいふペき組織や観念を代表する方面のみを取って之を宗数といふ虜に、柿々の誤解や瞭昧

ヽヽヽ

が件ふ串と息はれる。即ちその他の作用は、宗教の認識的作用といふペきものであつて、此ほ

茸在︵駁数でも複離でも︶についての或る観念又は知見に関していふ串、詮じっめて云はゞ、

経験の中に内存して居る努力や横倍とは、自ら別の方面を有する事である。

但し宗教停統、又は宗教的態度に此の如き二万面ある事については、荷ほ進んで観察を施す

要がある。形而上的又は認識上に妥督だと云ふ主張ある観念は、轟く宗教的だといふ謬でなく

叉その反動に、倍令ひ租底から出た慾望でも、必需の戚でも、申.りに宗教的ではないと同じで

ある。即ちこの二面の要素が密切に融合して居るのが宗致の特質でぁつて、一両、人間が債植

あるものとして、それに向つて努力する方の系統と、他面、自分が生晴の環境とする方南と、

此の二つが互に適合する様になる串が肝要である。二者がぴつたり通ふして、そこで人間の生

活を占窮する興味に封して、賓在世界が直接に確定的の應答をしてノ′iれる様になる。但し二面

の適合は、︼厨視競に犠れたもので、むき出し光るを要しない。

岬 7 −

(9)

班瞥十終 年担窮 死軒数琉

要するに、宗教的観念の﹁内面的﹂と﹁外面的﹂といふ二つの意妹の閏に、叉、意識と展ぬ郡鹿

との範囲で、既に領得したものと.その背景にり環境たるものとの閏に、又、内布紅顔の方面

と、知識としての交絆ある方面との閃に、何かの交渉、何か相室裾酎があればよいのでぁる。

例へば、忠誠の恕が、撼の中で最も意義ム∵り、小心的な道徳的憤伯レJあるものとすれば、忠誠

が即ち嘉数的態度又は意義をも鑓じ得る。但し、その内赤道徳約、若くは云はゞ恕用的憤伯に

加へて、訟識的、形而上的交渉があるを要し、そこで宇笛的圃醍とか、又は超越的倍伐といふ

様な、人間以上な付物かヾ賓存して屑るといふ方に向ひ、叉その意味を合憲して居る桔にすべ

きである。要するに、震数的倖既に要する朗は、竹二に、人間にとつて敢も骨埜仏慾裂、希彗

又雛厳を由見し、叉表現するにあつて、此が︷加数的怒比の内存的方面でぁら、野一には、誠に

異質だと信せられ、従って粒膳の環境について知見を輿へるべき或る純忠を聾し、此は餌与で

の認識的方面であり、堅こには、以上二つの作用には何か結合がム∵り、粕互に親密の聯紡があ

るとするにある。

浣敢や宗教的興味について、今まで述べた串は、他の興味や態比についても云ひ杓る嬰じ、

それだけでほ宗教に特別の黙が一つも撃がつて居ないとも論じ得る。終局まで分析しっめて見

β .岬

(10)

質 性 の 統 件 的 敦 琉 れば、如何なる観念でも、その租は、何かの活動、何かの需粟、何か勒的で本能的な慾製にあ り、綴付ひ隠れ又は緻かでも、何か繋在の物に封する何等かの関係を来する.と云ふ恨冗を棄 てる串が出家ようか。例へば、感覚械闘が、有機経と環境との境界となつて揺るが如く﹂此は 最も明白に又根本的の例であるが︶、此の如くに二つの方南に向ひ、作用が二誼に㍍つて居ると いふ考へを棄て∼しまふ挙が出家やうか。然し、撤頭紋尾、此の二面の融合を示すものは、宗 教であつて、直接算用的に生活に関する方と、外の方の客観的蟹在と、二つの融合交錯が嘉致 には能く衷はれて居る。宗教の生命を尋ねて、その槌に下れば、本折的、本能的の方面、城惜. 衝動、慾望の領域に入ら、それと共に、結局包括的な客観的の秩序を人に見せ知らせうとする。 生活の他の技術にも、多少とも作用の両面性はあるが、浣敢ほどにはなく、内面人間の方か、 又ほ外界鴛宛わ方か、二つの中何れかの一つに偏した方向智ポ丁。詩や膏攣㍑、・での本作とし て、粗忽、気分、若くは心に伍持したものを茨現し、一般に美摘と捕するものも、此と同餓で わ盈や慾望や忠志の境界で、組楕を典へる川を勤めれば足りるので、整締と ある。遺徳でも、 道徳とは、その方法は連ふが、人向的で、内存的のものである、それ等に﹁異埋﹂があると云ふ 場合には、それが人間の息ふ併、想像する所を、忠驚に表はすといふ串であるが、之に反して _ β −−−

(11)

数四十妨 年四夢 先軒数桑

科畢ほ全く認識である。此の様に分けて見るのは、此等の事に関する骨識判断であつて、深遠

の見でもなく、精確の云ひ方でもないが、兎に角、此等の興味に比べて見れば、宗教は一骨本

源的で、叉他の興味の如く分化を許さない。宗教にとつては、﹁内在﹂LJ﹁認識﹂とが、まだ分れ

て居ないのである。

且︰

そこで、宗教的意識にほ此の如き二要素が右∵り、叉それ自らで自足するといふ串を眼前に措

いて見て、麗に一つ、人相聾や宗致史の研究者に肝要であるのみならす、心理学や形而上諭の

根本問題に関係深い論難が出て凍る。宗教的樽統を理解するに潜って、此の二方南の何れを揖

駿勲とするか、叉その何れが先で、何れが後だとしてその発達方向を見るか、その見地の立て

方で、非常の違ひが出て凍る。

そこで、少し方向を特じて見て、哲孝一般に関する問題の或る者にも、此と同様の難があら。

宗数の俊源を理解せうとする場合に出て凍ると同じ撃仏諭熊が、韮要だと云ふ畢を示して見や

ぅ。天然や他人︵帥ち我れ以外︶について有する知識に関して、二つの方向のどれを取るか、即

ち意識といふ生括の内に内存する方から出礫して、それから外に向ひ、殻映の方向を収り、断

ー・−−一 ノウ −

(12)

質 性 の 洗 停 的 欽 余

片を段々に収ち縛めて進めば、外部よらも内面、全鰹よりも局部、違いものよりも置描のガが

確かだとなる。若しくは、その反封に、内面、人間、主観の方を、揮一、客親の中にあると見、

此の洋一鼻腔は、人間の既に筒得し又どうにか知って居るものとし、そこで全惜かち局部に進

み、外商貸在の構造を先きにして、その中に我々自らを撥見する椋にすべきか。デカルトが始

めた方法で、我々の意識のみが直接確質だとし、その他は総て之を疑うてかゝるのは、心自ら

に直接に現はれるもの、知覚に上るものから出発して、外に向つて貨在に進む外にー方法はな

いといふ串を汲宜して居るわけである。このやり方は、方向が一つで、通常、考へるといふの

は、此の仕方を指し、怒誠に関する問題は、背此の式で扱はれて凍た。一濃、認識に肌する問

題があるといふのは、此の意味でのみの事である。

そこで問題ほ斯うなる。餌ち格別に孤立した観念から出韓して、それが賓在の客糾に進み、

叉観念がどうしてその客観を知ら得るかと問はh仏ければならぬ。心理撃で云はゞ、問題は、分

別と聯絡と、二つの通行の相互関係といふ斯になる。即ち、その中に局部を分別して見るペき

搾一争倍を餞解する串と、或る貪柁を組み立てる鶉に断片む組み介せる満と、此の二つの祁互

関係如何といふ串になる。論理畢では、蹄納と演繹との関係、倫理嬰では、戚じに上る興味と

ー ノブ _

(13)

劉四十妨 年四夢 先軒数㌫三 客観的低位との関係、此の如き閉迫にぢる。投映といふ観念は、此等の何れにも臆川し得るも ので、婁するに蟹在とは、人間の方から投瞑しハ﹂ものに過ぎ㍍いといムー紺の聖説に仁=′、揮 一、遍通といふ知識は、特殊なもの∼放映に外ならす、僧侶といひ、‡といふのは、戚傭と輿 妹との乾映に外ならや、他人の心とは、自分の心の段峡に過ぎ卜しいといふことになる。此は、 釦ち名目諭、人間主義の撃説、投映癒である。 そこで、霧散の基礎と起源とに関しての生気詭︵≡−ニーこに⋮︶も、此粗の投疇説であつて、銃先説 が㌫数の根源を解許するに足るや否やといふ閉篭は、他の方面にも亙って、哲学全癒に通する 問題の一面で一のる。此の如く、︰端数的意識か執る方向は、内面で根絶と興旺とに向ふのと、外 に客観的宇宙的の方に向ふのと、二つあるとして見れば、宗教は賓に、此の二方南の相互密着 を麦はすものとなる。但し、諭聖上にも、時間の上でも、二つの巾、どJリらが先に立つか。人 間が兜づ自分の中、即ちその魂又は意志S巾に撥見し、後に之を世界に投映したもの、それを 意識して宗数が起ったのか、又は客枇的叉包粥的のある薪を意識し、又之に蓼摂する折から宗 教が起り、後に分配し分所して見て、之を己り中に発見したのか。此の分れ日で、生鼠軌が果し て宗教的俸統の始を説明し、叉之を理解するに足るや否やといふ諭勤仙が決する。釦ち、生気扱 一一 JO・・−・・−

(14)

宗 教 樽 綻 の 性 質

は意披から天上へ掟映するといふ事、円から外に向ふといふ説明であるが、此わ説明では足り

huいとして、それに不満があるが、此の不浦の位て凍る繊沈は、方向がその反封に、外から内

へ、︰全提から局部へ、琴祉から意識へ両ふりだといふ信念にぁる。此り反封の方の考へには一

≡i=−已⋮芸 定わ名はなく、或はトテム親ともいひ、クークは之密生命親2s叫ロといひ、マレソトは クワッドは天然観11旨l㌢n−と呼むで居る。

弘く見た諭出⋮に立って、公気親には三つの特徴がぁるが、先づ之を叙して、それから進むで

生気机の不足諺捕ふべき提訟の或るらのを述べて見やう。生気親は、内から外へ投射するとい

ふ考へで、大いに知力本位の説であ・リ、大腿に於エバ故を以て逮珊㌃ら揖た人間形態机上する

ものである。

人間の自覚とその撥蓬とについて知れて居る事から見れば、は始時代の人間は内省的の心に

乏しく、又自分自らの意志や魂のあるに嵐臨いたとは云へない。別の方涌から云はゞ、原始人

の覚醒は、自分の蹟活、餌ち自分の属する糊㍑、赦付的貴通に始まやらしい。ハリソン女如か

ギリシャ榊話の研究に闊僻して、此の串について述べて屈る黙止、そり他の方南、考H援や人

魚寧に関するハリソンの特別の観察や捉詭が果して蕾つて居るや再やーこいふ轟一と帰して見るヾ

岬一 −

(15)

読四十弗 年四夢 先軒数完ミ

き事で、此度では、兎に角、此勲に関する訟を壁げよう。

﹃節一、以始人は自分の反應や活動に没頭して居て、自分の反挺する客観と分けて切に自分を

主観として見ない。それ故に又、自分だけ別の魂があるといふ意識に乏しく、従って自分を生

気のある天然に投映して見るカはない。生命を意識し、マナ︵重力︶を悲誠はするが、何人的粍

塞を意識しない。︰⋮︰・節二に、他の人格と別のものとして、自分を一人精とは威せす、︼

開腹の中で熟を得て興奮する︼中心として自ら威するのみである。式討に未はれ望孟⋮から見

れば、原始人の抱いて屠る﹁魂﹂といふ観念は、鑑圃的の魂であハソ、仙人の幽藍に先立って囲陪

的霊泉︵︷l芦i−蔓一︶があり、︵ギリシャの︶オリンブの耐々よりも先に震嵐といふ信仰がある㌔

如ち要黙は、人が自分自らの意識を殴見するに先立って、どつしりした各位といふ意識があ

ら、生命と力との枇界、何か全然客観的のもの一望息誠する。栽に自分以外のものがあり、その

背嚢の上に、自弁の心の内容、自分の我と云ふ串を威する。鎧に﹁自分以外﹂といふのは、出雄

上ったものとしての客観的天然とは同じものではなく、錆命と北ハに鼓動し、自分の威動、本能

的慾望や活動がつけ纏ひつ∼あるもので、智力的観念に聯給したものではない。此の如き思想

は封人的でもなければ非封人的でもなく、云ほゞ﹁敢曾的﹂である。但し敵曾的といふのに付き

ーー ▼り −

(16)

質 性 の 放 停 約 数 袋 経って屠る他の秤々の意妹を於いての串である。﹃人間の■自覚を何か原始的で又自立のものと し而して敵曾的意識を、何か自覚と別に、仲間の者との交際で撃び得たものゝ如くして、此の二 つを封立させるのは、通常の俗見でもめり、叉哲聾でも此桜の考を見るが、此の如きは人間の 天性に背いた見解である﹄。ワイスは此く云って㍍るが、此と今述べた事とは一つで、原始人の 間で自分を意識するのは、遠心放射的であ∵り、外部客観的のものを本能的に意識して、それか ら出撥し、その基礎の上に意識を築き上げるが豆で、分離し孤立したものゝ上に築き上げるの ではない。 マレットや、ハリソンや、叉デュ ルケイムとその一派など、人跡撃新は、此の方面の串貨を 示すべき貿例に韮いて此鮎⋮を明かにして凍た。然し人頻壁上の材料のみで此の問題を決する評 には行かない。又此の問題は、只時間上前後の事でなく、即ち客硯的に貸在なる者を意識する のと、質発とも経れ、糊鰻とも彫れて、人間の心の中に観念を得る事と、此の二つの何れが前 何れは後といふだけの革ではない。此間題を解繹す畠盈の材料串貨は、生気親、ト⊥7ム説、何 れでゞも説明の出家る事で、生気説を批評する側の材料は中々尤もらしく、且つ根因には見え るが、それだけでは足わす、結局︼暦弘い哲学的の概念と分折とを待たなければ琴bぬ。 ー J5 −一一

(17)

放四十終 年四筋 究酢欽芳: 生免税に対する批評の第二は、それが或る範疇を作ってか∼ら、又窄カの方面に偏して物を

考へるといふ鮎⋮にあるっ生気観の学説によ■れば、幽遠の捺㍍ものに封、する信仰があつて、それ

を天然に投映して見、をれで快眠や小⋮少、生や死に閲す争不思議を説明与る︶此が︰加数の由つて

起る所以だとする。そこで此の撃誠に封して最鑑に批評を加へる新でも、原始人がその周囲に

常に起って寒る不思議打〝由貌、、で説明せ1エ空わ事、音波等か細繍■で揺する事、此等早㍍定寸ム

人はなからう。然るに、恕カから出る此の好奇心を説明する必婁はあるが、それが原始人の超

天然に対する唯一又は主婁の掠泉だとするのとは、−Hら別の問題に誓0。此の如き説明には大

切わ仏事を見逃して罵る封がぁる。而してその既も韮苧与のは、純忠は何かの仕方で動作と㍍闇

して居るといふ明な革質にある。賓行は理論に克ち、無意識元本鹿的の動作は、親牟ピ抱いて

の有意の動作に克ち、踵典ほ嘉致や智的信仰に光って現はれる。ワイスは此の崗寧三皿甑的に

述べて日く、﹃理性は、智能の何れの状態とも同じく、或る行動の仕方が意識に現れるに外字b

ぬ﹄。果して然りとすれば、生気組の出凍る前に、何か動作、又は本鶴の性墳を帯びたものがふ

るべきで、少くとも、人㈹の震故に現はれる最も幼稚の観箪亨丁妙に難解するには、それに先

立つ活動と聯給して鬼なければ異相一ぜ得ない。此等の親念が一旦凍生し托以上は、それほ又新

、−−JJ・−

(18)

質 性 の 統 停 的 改 宗 作用を螢むで、その教法である本能的動作に反鷹甘るのみならす、前に進むで、質羅なる客祖 を求めやうとする事もあらう。然しそれにしても、此等の税念は、やはり源泉から出て森た遺 停を菓てないと見るペきであらう。先に述べた如︿、威饗場閥は、有機性とその環境との境界 に立って、有機餞生活の必要について世界に求める所哲示す。其れと同様に、観念は過去と未 米との境界に立って、過ぎ去つ花動作と北ハに、前から出て衆る理想的意味一軍示すものと云ふべ きでなからうか。観念や信念一ぜ以て、罵に本能的動作から投映したものとするのは、その全部 を鼓したものではない。但し縫輿ほ﹃醐々として知られたるもの、即ち我々自らの行動や慾望 が出来上らないもの﹄を作り出す材料でぁることを忘れてはならぬ。此の大切な凱⋮を見れは、 通常云ふ産気税やそれに似た設に射しては担吏を輿へざるを行ない。 生鼠批には智力偏重の傾がぁるが、それから出て凍る伺ほ一つの因舵は、デュ ルケームが之 を指摘して居る。生命の不思議な現象を説明し、解辞せうとする衝動からして、原始人撒か二 婁魂、生簸といふ観念哲得たとしても、それだけでは、此の観念に紳望といふ性質が加はり、 紳盤といふ戚備の嗣子がつくといふ串は、明にhサらない。耀に智力上の必要から生じた観念に 此の性質がつく筈ほない。翻垂といふ税念は、宗教に重要の事、又その構成概念になつて居る ー Jニー ー

(19)

戟四十弟 年四夢 先軒数宗 が、それが生じて凍るには、威動や慾望の深い底から湧き出すものがあるに違いない。 荷ほ之に加へて、生気観の学説には第三の含蓄の意味があり、それが最も蚤要の軌⋮になる。 人間の心が不思議を説明して、それで不思議を消さうとする衝動が、宗致の主要な根源だとし、 叉幽窒とか二重魂とかいふ事で説明する幽蛋などいふ老が迷想に過ぎないとすれば︵又さうに 述ひないから︶、その結果は明白で、宗教は科撃の一杯、而かも説まつた科撃に外ならぬとい ふ串になる。然し、宗教は生活輿嫉の鼻腔構成の中に密着に結びついて尻て、それが迷に過ぎ ないとは 、どうも考へられない。 そこで、此の難に踊して、デュ ルケイムの判断が重要になつて死るので、辟に彼の説は、フ ランス賓謹皇義の立場から宗致を研究したものだといふ事を併せ考へて見れば、宗教を述だと しさうな人が、他の万両を求めた事に特別の意味哲認めざるを得ない。その言に臼く、﹃宗教は 人間歴史の中で重大な位崖を占め、又何れの時代にも、人間がその生活をする清めに必須とし たカを素数から受けたので、此の如き観念の系統が迷の組立で出家上って居るとは、どうして も容せない事である。法律も道徳も、科挙思想すらも、宗教から生まれ出、長い間宗致と一緒 に捏アリ、叉宗教の持前に浸されて居たと云ふ事は、今日の研究で段々明かになつて衆た。熱ら ー一 山ぎ ー岬−

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資・性 の 統 伴 約 数 宗 ば、あだ㍍峯怒が、人間の意識を此くまで強く又特結して作ら上げたといふ事が、どうしてあ ち得やう﹄。 生魚観の概念と、それを原始人の式敷に他用して見る事とを批評したが、それと非に理性や 智能を登隠として不信用にし、又は排斥すると云ふ考を抱′∼のではない。叉原始人の考へ方に 宣魂と云ふ概念が事賓存する串や、それが重安である事一宮否むものでもない。只云はんと欲す る朗は、生嵐睨と云ふ聾詭は、内と外と、即ち宗数的膝枕の原始状態にある内布方南と組織方南 との関係を明にするには不足でぁる串.並に此の和銅を訟桝するのが肝要だといふにある。 通常今までの見方では、人数の原始宗教を以て迷から出た人間形態凱の産物ト﹂し、それが韓 納的の考へ方から凍たとし、若くはヤクス⋮、†∴プーの所謂る﹁言語の病﹂だとするにあるが、此の 如き説明ではいけないといふ事は、近頃の㌫致研究で段々現になつて雄花。今大惜に於て断定 し得る桝は、下の迫りである。即ち原始宗教が他の方面では、何であつたにしても、生命や天 然の不忠溝、陣駅や夢や妃L土石ふ現象を説明†る鶉∴作・り上けた釣︸⋮⋮㌫結ぃ仏者の信仰に過ぎ㍍ かったと云ふ㌧りも以上の薪、又以外の者がある一.ト︰小数は素朴ぢ生気租よらも丑にあつたが、 又その消滅の後にも生き残って凍た。然らば、その中心心臨ほどこにあつたか。今までと泣つ −_プク ー

(21)

親日十節 年四葬 究研詠ま た解繹に路一で開いたのは、ロメトソン。で、、スの票沓﹃セム民族の宗致≒じおつて、その中に、八 代の宗敦は〒有責由l琵たる恵曾︵り軍事三 ︺∵、誓ん、†ニー/、、工学薫ヰ︵■、:王手こ﹂詰ふ三バ∵土いも 事一子刀菱Lて曇る。草嘗輯諾′J?一∵一で∴ ∴﹂こ三さ∵︸二三㌢∵二二、一′一1.≒三二:べ云∴∵i∵て 的の栄一㍗一の一ハ∵巾∴ そり代表的文言要へケ去り㌍ごい・に、ニ︰ハrに、∵㌣三∵∵ユノハ∵.∴: 二,二∵−∵∴、・∴.こ− 串々も一揚と㍗与つて、置一の貪を貪ご、同lウ三舎を克つム∴でJ∴る。迂巨ご∴J−つ∵デ・二〝J イム一派は、此のスミスの見方をも、鍔ほまだ個人的で生気税の風を帯びるこし㍍。即ち・八と 紳との別が始からあつ侵のでなく、あつた者は、能骨張囲で、基基因の神岡入わをするから止 する閣性的戚動と現識とであつたとする。 今デュ ルケイムの此の主張を膜発して、基内容を分けて見ると、そこに二つ特に注意すべき 革があ・Q。即ち筋一は、捜て宗数的親念や纏奥の要素は、その観念や純血ハが表はし、又は包含 して居る匿別に和するので、打ち紳聖と卑俗との匿別にある。﹃lは総て神聖な者む含み、一つ は卑俗な者を総括して、他界を此の二つの匿域に分けて見るのが、宗教思.想の特色であ つて、 信念、輌話、嘉詫、倖記事は、紳望な物の性質を表はす現識又はその系統でJ弟わ、徳−こカとが その展性でふ∵り、基歴史は御堂な物舶亙の閤係を語わヽ叉醐聖と卑俗との閤係を語る㌔﹃醜此ハ ー __

(22)

質 性 のあた 一博 的 故 完ミ

は、八開が紳望に翳してなすべき動作を規定する行状規則である﹄。

此く見れば、㌫致は其の放からして、どうしてち除き得ない二元む有して居る。帥Jり油常一

般の者と、不思議や紳染に充ちて居る者と、この二つの閏に割日のあるのを、人削が轄見して

それを浣故に現はす。然し、此だけでほ開場を廻輯して屠るので、それをつめて言は\人間

が此の宇宙を二に割らざるを得ないやうにするのは、どうした粒懐から凍るか。糾聖といふ親

念、共著は一倍どこから出て凍るか。デュユルヶイムの郎答では、政曾的紅塵のみが榊製とい

ふ戚を惹き起すといふ。餌ち佃人でも基囲生活の一ぶとしては、⋮叫に自分を自分として成せす

自分の用わに生じて凍る︵但し自分の中に︶一層弘い威動を戚じ、その威動に生き、此の胱曾 的経版があるから、通常一般以上で神聖な性撃霊Wびに生存の域に進入する。此り如き軋脅的

経歯が、個人の威惜を強め、且つ録易するといふ事は、何人も識って屠る事である。﹃人榊の力

は同伴の鶉に塘進する。その法則は十分別棟ではないが、何かの紅顔が、他人のい矩同を得て貧

に驚くほどに基偵櫓を推して練る事は、何人も慶ば結膜する串∵′−㌫侶∵Jむ放せすにに隼㌧れ ない串である﹄。此の如く、敢骨的経鹿の′弟に、個人の威階.か増反するのを見て、カーラノ∴ルは

敢骨を稀して﹃人間生存の常任の不思議、超自然の誠の法敵﹄だといひ、その中で﹃人附は人

−−−・エリ ー

(23)

猿田十葬 年四妨 究軒改宗 閥と相合し、魂は魂と相反鷹し.そこに不可測な紳秘の冥合が成ら立ち、生命は其のあらゆる

要素に於て増長し、又神聖になる﹄。

デュユルケイムは此穐の粒愈で人の能く識って捕る朗を、翻垂といふ観念の起原に應用しだ

のである。原始人の丑活には、交替の律動があり、通常一般堅調の生活をする時の放散と、敢

骨的に興奮し、按鰯で戚情の犯さや贋さが増し、霊威を加へ、榊盤の戚を生する集中と、此の

二つの交替がある。此が個人の組版する二つの他界で、経済や物質的活動が立となる戚覚的経

験の世界と、就骨的経靡、雄図意識で、弘く又別の他界に直接に蓼輿して、徹宵的効験の場合

に威する世界と、二つが文字通りに別になる。此の祉骨的綬脇の牡界は、性質から見ても、新

な経靡であ㌔叉特に張烈に且つ蔽ひきさつて凍る経験である。この場合、原始人の宗教を解

辞するについて注意すべき顕著な革質が二つある。その一は紳翌な者、通常とかけ離れた者、

人間の親而にとつて収本的に大切な者についての観察、否寧ろ戚動、釦ち﹁集圃的現識﹂で、此は

生気軌よりも先に出る超自然、客観的又は人格的な醐々に先つ宗教であ卑。雛二は、一切宗致

の原形質、本母たる紳翌といふ現識は、集閥的戚情、徹骨的経験の成果である。﹃翻は思想や

敢曾状態道徳などを反映するといふだけでなしに、その起用空相ねて見れば、紳の本隠は、特

リー +

(24)

質 性 の 洗 停 約 数 余 別な赴曾状態から出て凍る此等の想像や威動を現諭し、強め又表現した者に外ならぬといふ事 がわかる﹄。 原始宗教に関する此の二つの叔本的革質から出て凍る事柄を少し叙して見やう。其源泉で、 宗教は個人が集陶意識に蓼興する戚じであり、此の意識は個人以上であるが、叉個人意識と連 続して居る。此は、コーンフォードの言を用ふれば、言はゞ一の貯水池で、個人がそれに近づく には経典により、そこで集国威動を麦はすと共に、叉之を混める。此の鶴岡感動の宿る所、画 聖で又超自然な者の源泉、又その原料は、人格的の紳や重でなくて、非人格的なマナ又はブコ ソダといふ者、それを種々に言ひ換ふれば、﹁同威の聯結﹂、﹁原始の先払園﹂、﹁紳を離れての紳望 系統﹂、﹁紳塵に接して震動して居る敢曾カ﹂などゝ云ひ得る。狩猟や遠征、結婚や親族関係と いふ敵骨関係、誕生、死亡、葬式に関する行儀、先払や技術、此等は原始人が行ひ又考へる事 でぁるが、それ等ほ、皆此のマナ︵霊力︶といふカ、どこにも行き亙ら叉連結して居る力がその 上に加はゎ、其カで活気を得、畏敬を惹く者になる。その勢力はどこにも撞から、原始人の住 む世界は、その食に畏怖轟敬の種となる。此の勢力は、積極的に、敢曾勢力に伴ってカを輿へ、 その方面が宗教的濾典や威備になるが、其消極的の恐ろしい方面は、光臨や忌み物といふ暗面 − 2g −

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手蔓十事 年四夢 先桁数芽三 の行儀になり、造ろしいカは集囲威動の正式掌恥骨的支配を脱した常に守り0

但し、祉骨的といふ串を現代の意味に見たゞけならば、原始の宗教は、人的の軋曾的紅塵む

衷はすといふだけでは足りない。生命やカの聯結に糾する成じが、神々を作ち上げる原料でJい

ゎ、又宝陀といふべき者の況泉でぁるが、此の聯絡は、通常の粟国生活で仝﹂人とむ聖レつけ

る繋ぎたるに止まらす、蔽骨張囲重野貰ハ然萬有に結むで、人−美然とを竺北ハ油の丑ヤ遠

興せしめる聯放である。勿論、人間と敢骨とがどこまでゞ、それから光は天然保有と云ふ意強

が始まるといふ境目はつけられない。トテムで手こ三つた集閣は、人と天然環境とを境目ない

;に結びつけ、人間と天然とは共通の年命に威應して、だ之に奉興する。生命と天苧しは

その堅卜㌫霞望与て三∵∵曽、︶這∴J‡−長芋責ヨt誓莞︰

一つの全学ニ㌻、

宍㌧宰芸事言草二・三孟ニ、三モへこ幸三三二等一、′ニ︰−−二■二三トニ

軍書⋮=≡=言=三三警一言三喜子′1き、エ∵二−二三三1I、号室テ妻

苧−至芸三吉らで、空丁ら買に,に、亭に一三苧−撃≡三‡⋮ニ・、苧言.ミ■、て一−ご一 物で、薪に雪見た蔑見は、孟ま∼で空軍蔓で圭、、トば、チ、?子二、・−;ご︰.㍍1り賢札 に依って﹃物事は.同時に自分でもあれば他の物でもあ皇、経巌を解繹するには、此の警石 − β.i−

(26)

質 仕 り 統 体 約 数 宗 光で見ての拳である。此が釦ち論理前︹P乙倉吉丘の状態に於ける人間の考へ方であるが、此 が論理的に進み、分析的思想になるまでは、参輿の法則も亦﹁綴励には現はれない﹂。此の如く にして人間の敢骨約経験、その集闇約戚軌や現識は放から人間だけの意味の着でなく、その範 固に於ても内容に於ても、宇宙的又形而上的である。 デュールケイム︼派の撃者は古小ポ故について、梢一つ薫婁な革質を指摘して、それは手に入 ゎ得た材料から出て凍る正常の推論だとして居る。それによれば人間の敢脅的髭駿は、迷想で ないのであるから、宗致も基の本性に於て述想でない或る著として見る事が出水る。﹃粘革言ひ 得る串は下の如くで、帥ち偶人が宗教的に動く場合、自らを委託し得べき道徳力、それから引 き揖して自分を一層大きな者に同化し得る追穂カが存在する︸二云ふ串を信するのは、自ら欺く 者ではない。其カは敢骨として現に存在する者、例へば、オーストラリア士人が、自分の小に 生命の泉が湧いて凍るのを威じ、且つその椙い力に自らも鱒きつ㌧、自分以上の蕉清に捗る場 その撥揚は串貨であト、且つそれを生する力は、革質個人以外で 合、その心理は追想でなく、 叉以上である﹄。 此がデュールケイム汲聾者の原始浣敢や、紳醍醐壷の起鯨に闘する説であるが、ハリソン女史 一 夕J・−−

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読四十多 年四妨 究耶致読 然るに、宗教的停統の中には、叉蓼奥の宗教や神秘主義の宗教に現はれるのと別の動機や態 度がある。原始時代には、人間の敢骨集拘と其圏境たる天然とを融合するが、北就態は永摸し ない。生きた聯絡の一腰中で結合し、それに教典する反封に、紳々と人間との躇離が彫れ、紳 紳は神々だけで其生活を螢む者になゎ・、人間は自分の戚備にあ又基層結合の意識にも、紳々と 生活を共にしない単になーる。此の如き宗教的態度に重要なのは、何か明らかな観念や思想が、 はそれをつゞあて云って屠る。 ﹃トテム信仰は、特別の放骨組綴よりも、撃っ認識論の一階梯であゎ/、宇宙について考へる事 或ほ之を威する事に於て、最も原始的な仕方を反映した着。此の成じを試みに粒贋するのほ原 始浣致を理解する要件である。トテム信仰は、或る無智な野攣人がやら出した特別の失策或は 混乱ではなく、人間の心が一度は泊過すべき集圃的に考へる斬の一両、又は山階梯である。そ の租底は姓閣の統一にあり、合同、頼性、同戚∵共通な集閤生活の成克といふべ′\此の如き 典通生命の威畳、その統二その蓼輿は、人間でない世界にも暗がゎ、それは現代の偶人自覚 ある理性、現前の差別を重んする理性には殆んど考へられない事である.笥 . 1

(28)

質 性 の 競 停 約 数 朱

威じに代る事である。宗数的俸統の中に此の如き二稀の動概があるが、其封照を佃ほ具膿的に

明にする焉に、ギリシアで紳秘密俵の紳々と、オリンブ系統の神々との森閑について、ハリソ

ソ女史の述べた黙を用ひて見やう。女史の著﹁セミ2の中、宗教の教連中に衷はれて凍る、人

間の稀々の動機とその交渉とに関する黙は、此度に重姿である。此の書に用ひた考ホ撃や人娠

畢の材料が確賓だか、どうかと疑ふ人もあらうが、この書の中心問題は、オジンブ系統の神々

が、其の前からあつた神秘密儀の神々から礫達して衣た跡を尋ねるにあつて、基論黙は何れも

結局心理畢の問題でぁる事を記憶すべきである。此の見地から見れば、﹃石に柳るに従って、共

通聯絡の特質が多く現はれ、その中には差別粕はまだ潜むで居るL田といふ仝醍の主義が基礎に

なゎ′、その方から立論を護す得るのである。

そこでオブンブ系統の神々が密俵の細々と注ふ黙を、手短かに観察しやう。但しそれは、磐

奥の動機と沈思静観の動機との差を詭明する焉である。ハリソン女史の﹁セミス﹂に述べてある

此の黙を紹介するのは、荷他の得がある。餌ち著者は、密俵の神々がオnノンブの紳々に発達し

たのは、その宗教的債値の上では、損失だとして屑、蓼輿や醐秘史蒸に強く賞する人であるか

ら、此の如き見地の始発、宗教を解繹するについて、常に出て凍る或稀の問題が、一隊明かに

− 27 _

(29)

貌四十薪 年四解 党軒数読 その中に現はれ居る。 第一にオリンブ神々が現れて凍た仇は、天批首榊竪とし帥小芋ししない校になろ結基である。 即ちまだ紳々が外部に市花せすに、原始のトテムが主になつて居る問、散骨基悌と天然の物と が同戚聯絡して居る。それが破れ、そこで紳蛋は近くにある者でにく、掃った者になり、人間 を囲む直接の天然囲境は、紳秘と生命とに満ちた着でハ与くへ与り、科挙的に・分折し、又貨利に川 ふペき者、通常物象の境となる。ハリソン女ぬの言七云はゞ、竿汀リンブS紳々が小物又は動物 の形を解する﹄様になるのは、その直接のしるしである。釦ち帥か皿は、漸次天妖⋮の紳から人間 性の紳に㍗アり、芦然の中に、叉それと一とつヾきに∴捗る敢骨製図の中に生き且つ戚勤して居る 性質を究ふ。此の如きは、宗教的併任から見て、どうしても〓損失であつて、オリンブの人間 的紳蛋は、主として消極的性貿を群び.今までの密依耐蛋が人間に綾し、意妹と憤位とに充摘 して層た活き元性質は、分析と宥接との褒めに段々になくなる。之に反して、絨位紳蛋は、ど こまでも、異様な菜を傑存し、人心を引きつけ又魅する力が一のり、﹃トテムの古川凧励を捨てす、小 物や動物の形を菜てない、之はその崇拝が密儀でわはれる演であつて、その折裁たる生物の生 きた血で活きて居る﹄。 − だ∂ −

(30)

的 倦 紋 の 性 質 第二に、オブソブの紳々は集園姦魂の衷象又は技映でなくハ仏わ、又その本硯の一要素たる図 絵嚇絡、即ち苧訂夏を疲れ、一り中にある多でた㌻∼、躍れ潰れの佃㍑となつて居る。ハ リソン 女史の著富﹁セミス﹂︹±−e≡i且と云ふネは、﹁クレア三ネ⋮︵諺⊥の摘歌﹂から出て居るが、基の 歌で、ゼウスの若い緒、クロス︹−ハ享・ニュと云ふ名で呼ばれ、彼が北露者ダイキン等の頭として凍 るのを祝福してある。釦ちゼウ云も曾ては闇捜骨格ェ︻㌻書即ちそり従者たる基閥を作って屠托 のである。妖言にゼクスが父となつてこ1㌻s〇Sを失ひ、いつも視りで歩いて居るが、此ニーi琶ひの 意味と、それとゼウスとの関係を捕へて見れば・.ギリシャ神話の繚鐘な理解するに足る﹄。而し て此一派単著がt≡買︶Sに見て屠る意味と云ふのは、その根本学説であつて、完数を離療するの は、全く人間の祀曾的経験を本にすべしといふにJのる。批年の紳、クロスといふのは、多数の クレタスの投映で、デォエソスはそのthi誌︺Sの人格的になつた者に外ならす、クレアスとは 密儀を受けるペき青年の︼悶で、彼等は共に興奮した身振りの踊を踊り、一緒にへ仏つて、成じ を表はし、悦びをも恐れぉも、又慾望をも舞踏に現はす。此の如く、﹃集糊的戚動であるから、 必然に偶人の樫愈より以上の者、外部から増を支配する鶉として成する。︰︰︰︰即Jリ脚人は その個性を没し、︰︰戚動で一に行7り、只細入の集まつた着でなく、異に圃結となる。その成 一 望ク ー

(31)

獣四十解 年四解 党群数宗 する所は基圃としての戚軌であゎ■、個人威勤より以上の者を外部に提映する。そこに紳嘉の原 料がある。原始の醐々は、大部分集囲既約熱情を表はし、その形式を整へる着である﹄。 此の紳々の囲捜聯絡と糾との結合が、そのまゝに存する限り、之を崇拝、する者は、自らもそ の集圃と親しく関係するを戚じ、その紳が誠に醐、餌ち密俵の紳たる限り、糾と人とは、同一の 生命を享有し、同一の本給に蓼興する。然るに糾の圃性と崇非的の赦骨張糊とが、北ハに紳の庄 命に蓼興しなくなれば、納ほ独尊の個性と写り、班巌又超絶ではあるが、人間の最も洗い威勤 や願望を表現する着でなくなる。此の如くにしてオリンブの紳々が出水る。釦ち﹃tニi妄−Sは全 く 外面に投影した着と行アり、理性主義、個人思想の鹿物となら、紳々は基元命存在の源泉たる t−−i琵OSの威動と縦線して、枯潟し衰亡する。デォニソスがその≡賢一Sと一緒である問は、荷ほ CO−2払であ♭元凍の囲陛的恍惚の光輩が其の尾につゞいて屠る.﹄。 第三に、オブンブの糾々はその始をなす師宣の作用を蕾ま左い標に行†り、〓ハ、館米h与新とし て尊ばれ、奉仕を受ける事を要求する。密俵の紳に近い太古の紳々には、一々の聾稲もなく、 何時でも動物や椀物に化して、其の螢む作用や活動の表象となり、人間 とも又天然とも、生命 をも勢力をも共にする。然るに︵オブンブの紳々は、此等の働きを捨てゝ﹃自らが密俵たる代 − βク ー・

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真 性 の 統 停 的 敦浣

りに、自ら紳供を受ける串を要求する﹄。此に於て、紳秘の中に人間と紳々とが北ハに同一の生命

と事功とに蓼輿するといふ、固有の民本東風はなくなつて、告尖を受ける紳々と、之を捲ぐる

人間との間は、仰が割れて、貴族気風の分酷が之に代る。親妹と合一との戚じの代りに、紳供

外面の行儀が黍要と捏7り、北ハ同蓼輿は嫁が遠くなる。此の如く見れば、人の戚倍を動かす動横

は、何れもオリソブの紳々に反封で、彼等は生命のない、賓の乏しい者となる。﹃威情と停兢の

力で紳供の風習は結かうが、崇拝者が眞にその心情と生命とを抽げる紳々は、オリンブに住む

紳々でなくて、自ら生き自ら働く紳々である﹄。

第四に、密俵の紳が、その信者の虜にする仕事の巾で、一つ虫も韮妥なのは、信者の承に活

き且つ働くのみならす、その点には死ぬといふ串である。之に反して、オジンブの刺々は不死

であつて、此が人間と異に、又人間に縁遠い主要の黙であり、此が此の﹃新しい輔親の秋野、

無能の間断⋮である。﹄

オブンブの紳には死はなく、不担で、それが生命だとなつて罵るが、此の生命は外見だけの

不汝である。即ち生とは星他の事であるから、不淡.といふのは生の否定である﹄。此に問ほ一厨

のパラドクスがあゎ、オブンブの所々は勒縫物の形を棄て、天然と結線して、全く人間的にな

ー β∼ −

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戟闇十弟 年四第 光軒数ニ;・: ゎ、人間でないもの、天然の者に離れてしまつた。然るに、此の如く人間的となりわ仏がら、建 化生死といふ人生の最大持賢を宍ひ、此に放て、オリ/ノブの榊は人で叉紳であるので﹂lぺな︿、 択に紳塵になつた。それには特有の菜や園痛があつて、人閏は之を仰ぎ減るとしてヰい、人間の 芙や園溝はなく、人間の苦労に同情し、又之に索卸する革はしない。そこで、オり/ンノ以外に 立った後代の密偵宗致は人心を若き、深くその必隻と戒構tに麒じたS′であろ。それに現はれ く、 た﹃不滅の信仰は、苔芳や苦痛や死を知らないオリンブの榊々に封すろもいでな此等の絆 僚に参加し、死に捗って砦h仏生を得る醐々に封する新でみト∴此等榊々の勝利は、死に勝ち得 るしるしであつて、榊々の質例は、此の如き不滅の追一軍不す者であつ・ツけ。﹄ 要するに、此等の別は、参輿と沈思と.威情と組念と、翻確立義と雄性主義との対照∵rあつ た。然るに、此の差別や間際のあるに拘はらす、参輿と沈思との二態庇は、北ハに小ポ敢の力、浣 致の停統の中に数ふべき着である。こゝで、高等な形での㌫致の巧命に、第三の婁素のある事 を併せ考ふべきで、宗教の綬食も存在も、此の蓼輿と沈思と、直接と絶遠い者との閃に巾⋮て凍 る緊張に依るものである▲。之を稗して、善を知見する事と善に信放する事といひ朽る。此の如 ー ∫2 −・一・

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質 性 ¢ 兢 体 約 数 競 き、道徳的情熱ほ、宗教的停統の中で、蓼輿と沈思とに副ふて正富の位遣む婁求すべき着であ る。即ち、人間は長い間かゝつて、段々に、己れに近く、直接なものと、堤想として仰ぐ己れ が運命の目途と、此の二つを憧別するに従って、直接に蒙由するといふ串が少く汀㌣り、沈思の 中で入関と紳霞との距離を必然に知る桔にハ与る。オリ′ンブの神々が人間を離、れ、沈思にのみ硯 はれる様になるのは、此の道徳的成毎に件ふ結果であつて、又其の戊行を刺放する力でぁる。 而して道徳の進行といふのは、此事に外ならぬ。 道徳的意識が発生し、人生に活動する様になるのは、嬰輿車重とする本掠の和施主諒が破、れ て、何かの類の沈思が生するによる。恐らく比後、成る程比に達すれば、磐真の能小出が、一騎 高い方面で再現する損■もあるべく、その小には沈思や道徳的意識から撃び得た者を包含して一 層高い者にh仏らう。されば、オ”ノンブ停就の教遭は只損失でなく、﹃智力上の溜わ水﹄でなく、 何か積極的偵臆を疲らすべき宗致の袈部であるのであらう。此の笛別は、天然景教と倫理的宗 教との大切な別であつて、人間の生活が合一の成じで天然と融合し、原始宗敢のトテム崇拝王 見る如く、赦曾的で且っ天然的な榊秘主義の行はれる間は、人枇バ最鯖や気位といふ非望鮭制 限を超絶した理想普を餞得し、又は成し遂げ・1といふ様な串は、夢想だにしない。人間が葦で

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旗門十終 年四弟 発軒数読 ある紳震を求めたり撥見するに発って、敢曾集圃や、それと聯給する天然とに射する不満が生 する必要がある。 オリソブの紳々が段々に道徳的理想を代表し、且つ之を裁可する椋になつた事は、疑ふペく もない。此等の神々が想像の玩弄であら、塾術の判象でふ∵り、抽象的な増力概念でもぁつたと しても、叉そこには道徳的理想があつたので、そ■れだけでも、オリンブの紳々には眞面目な性 質、宗教的性質の有た串寧ポす。その設擾には、斬、りや紳伏に川ひた祀典の公種を桝究しても 解る。帥ちオジンブの重要な神々の作用について、敢曾的、政治的、倫理的言ひ表はしのつい て居るのは繹山あつて、それ等が大部分であると云っても差支ない位である。此の如き倫理的 意義ある蔭典公約で祭られる時に、オリンブの刺々は、n‖隼に塾術の封象でなく、沈思の日常で ぁつた。而して、遠く隔たつた人格又は物象を沈思するのは、必ゃしも⋮隼に莫的想像の遊戯で なく︵但しさうなる串もあり村るが︶、そこには或る理想的園蒲に封する道徳的展望がふ∵り、之 に蓼興するのではなくて、遠くから之を沈思し、沈思に伴って、その意味も、之に封する熱心 も加はる。 その上、沈思は人間の深い経験について、その怒識上の、債低や意味を知らせ、その通路とな − βJ−

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質 性 の 総 体 的 故 京 ト且つ人生を岡む環境が渾lに現在するといふ詮人とにる。︰ポ数的体拭から全く沈思む除き去 るのは、威じに止った経験の直接現前は、それ自らで足りる者、人生のあらゆる偵植を維持し保 詮するに足りるとする事に打了り、叉此の様にして兢得し且つ蓼興せらる∼以外の一着、知見や沈 思にのみ入るペき者は、皆、影の薄い者、無力又如⋮敦だとする串になる。此の如き考が眞か低 かといふ串は暫く別として、歴史上の宗故に現はれた法敵的意識がその考に一致するとは、ど ぅしても受けとれない。宗教的意識を検査し、又デュ ルヶイム︼操の聾者が示した様にして、 ト一7ム制の状態にある宗教の起源に翻って見れば、そこには、入関の集糊も天然の或る方甫も 共に︼つになつて居るといふ戚じが動いて居る。コーンフォドは、之を人間の淵、天然の淵と 耕して屠るが、二つの淵は、その始に於て︼と続きでふ∵り、︼つ囲結をして屠るといふ戚じが 事賓存托して居る。即ち何物も、どれかの基囲に威して之を威じ、同一の﹃同戚違約﹄中の着で あるから、何れの集団の何れの方面も、他の方面と連続して居る。 されば、この境に在ては二元はなく、外部の者とてはなく、又沈思もじいじそれでも後に人 間の世界として特鼓すペき者は、合一の中にも環境を存し、背景を有し、此の鹿境には、何か 物事が洋一鰹を作って居るといふ意識があつて、人間の敢曾的連轟に加へて㌫数的の内容を輿 ._− βJ −

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読四十茹 中田節 究軒数宕三

へる。此の様な原始的戚備の中には宗教的要素があつて、それは特に八開としてり基鳳と練れ

ない闘係を有する。釦ちトラム用が宗教的たる所以は、りでの中に産じて凍る成情が、⋮単に放じ

たるに止萎・りLV、認識的婁素がそい中にあって、某り背n⋮揖畳境を示すからである。そこで、オ

リンブの細々は、蓼輿よりも沈思と云ふ動撃ぜ表はす紳登り常卜しして、宗敢に放ける知識の方

面を活かす作用を有し、只此鹿で現前に鐙廃し琴叩するだけでない物苧で背黒として、それと

離れない。言はゞ追方にある紳の都の表象でやり、プラトー的組念の境界を未はし、それを想

像するだけでも、それに闘する考は、それ自らで安定し、自らで意城のあるも誓∫のる。之を

大袈裟に云はゞ、オリンブの耐叩々は、﹃無骨不安の他界に現はれる久遠寂静の表象である.笥

人間の紆僚の中に現はれる最も探遠の横倍に攣仏り、且つ叉賞托であるものを碓鬼し、承認

し、認識するーこいふ革の興味は、即ち宗数的停統の心髄を作わ上げる新、而して宗教と兇由★

の相関に参照して見れば、此黙を椛めるペき常がある。宗教も発注も、共に現世以上の或る薪

に組係し、紳望といふ城を輿へる或る物事の系統を取扱ふが、基り由つて起る所の態比と興味

とに於では、二つは別の署である。入関が、柳生な者を白山に取故ひ、之を左右して自分の需

要を充たさうとする。此が先払の由つて起る朗以の興味で−わ・n、こ∼では仲里な者は、慾望を −− JJ/−

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宗 数 的 修 改 り 性 質 充たす演に用ふペき方便道具である。宗教的態度は之と違ひ、記法と異ふ方面から生じて来る。 即ち世界には、人間に用ゐちれ左右せられるといふ串以外の横位みる者が存し、人間が之む承 認し、叉想像と観念とで之を領得し、且つ踵絆する所に債権がある者がある。此を礫見するの が宗教の起掠である。釦ち欝用約制御と非算用的沈思と二っの態度があるが、入関の発達中に 此の二つが浄化し始める時、即ち見抜と鹿王るカとして宗数が生まれる時である。 マレソトは、フレーザーに反射して、先払を以て人と人とり間の行動、意志と意志との一問の應 接として居る。宗教に於ける斬りと違って、兇払の光文は、一つの意志が他り意志に働きかけ る﹃精紳的投弾﹄でかる。フレーザーの詭では、先払は科撃と契りある者で、二者共に非人格 的事態に閲し、﹃その何れに於ても、事件の連出は、不担の法則で定まつて、全く規則正しく叉 椎茸であり、その運用は前以て知り得、正統に測り得る﹄−こ云ふ根本で、二者は一致して捕る といふ。然し、先決的闊聯は、非人格的事態にも、人格的事態にも先じ得るのでは㍍からうか。 又その何れになるかは、全く光絃を用ふるに雷ての人間S由⋮比と興味とに伐って定まる事で、 それが用ゐられる事態の紆狐に依るこーこでないと見たい。勿論、今立でにも㌫敢と捕する者が その前々を利用し左右せうとする場合ほ浮山ある。然し利用、左右、道具なといふ言糞は、軌 −−■ lヽ● L・l ■■■■ ̄■■■ ̄■■■■ ̄

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娩凹十妨 年四番 先師政桑

分種々に用ゐられて居て、例へば、甲が乙の考を知る為に乙と話しをする場合にも、甲が乙を

﹁利用﹂して居ると旦一日ひ得るし、叉甲自らの利審の為に、手段として乙を﹃利用﹄するとも言ひ

得る。然しそれでも、リューバが嘉致を定義し望口の如きは、蕾を得ないもムで、彼の定義では

﹃人間が自ら或る心的勢力︵借則としては人格的勢力と︶開腰オノる鱗を恵じて、之を利用するに

督つて、人間の得る経戯﹄が宗教だといふ。此の如き態度と興味とは、明に算用的、功利的の

着であるから、此の如きは、浣放でなくて先決である。宗致の態度は此の如き着でh仏い。人間

が自分で作り上げたの一でもなく、又左右し得ないで、只之を承認し、架み、愛し、縛拝すべ、き

構批通を、感情又はその他人例の力で領得し又之に蓼典せうとする典兢、之が︰ポ放である。

そこで此の如き構造が串貨存するか、若くは又、人間の興妹は繁用的の外に少しも存しない

か。此に封する震数的態度の答は何れの場合にも、明であつて、㌫数的倖統は、元凍、人間が

孤立濁存の者として自分の中に威する者を外に投映するから生するのでh仏く、自らが生き且つ

動いて居る世界、自分の周陶に見る者を領得する鰯に生するのである。客税的に意義ある構造

がある。それを人間が受領し.又之に蓼興するといふ興味並に悪疫、此を表はしたのが浣致で

ある。人間が之に参輿すると信じて居る事の性質も、叉之を受領する仕方も、北ハに不担ではな

いが、此の態舷と輿塊とは、どこまでも措く濱で、此が埋桃の生活、人間の天分をいつまでも

衷はして摂るのである。

ーーー 上㍑.−・−−・

(40)

保持¢鮮日るナ:取り エ上失敬沸 一■一一一−−−一一−ノ

手 島

文 倉

第一序 論

沸教の生鮮R二︼薗樽柿−朝鮮彿敦史料−高旬辟の冊数!官済の彿敦−新羅の彿致 −新羅競︼時代偶数の全 盛 − 駕洛圃の彿敦i高度の彿敦 − 李朝の彿致 −現今の諸共故∼膵致南京の巾衆。 第二 高句麗係数と日本との関係。 音便!穀慈 − 偲陳、隼偲 − 大輿王−−最後、法牢−悪龍T−壷還†!⊥誓轡−−葱輔 − 行羊。 第三 首臍俳敢と日本との関係。 彿法倦衆の事情.異記 − 放光樺像−−最古、泣釈 − 経論官エの輸入 − ‖鍾T−⊥豊閥 − 尊信尼−−沈水春木像−1 禁漁− 鞋勒 − 信厄統計 −葱蒲、迫欣− 芝膏腕呂.味陛之 − 官洒寺−1班別氾・‡哉兇、多葡11道串、骨輝 法歳 − 造蔵 − 問診、敢為。

彿教史上より観たる日鮮の閲係

・−・−・・・βク ー

(41)

戟四十節 年四第 先軒数読 第四 薪牒偶数と日本との関係。 繹迦保安献十‡金銅俳像玄人!悌倣、舎利等歌人、慧済、豊兜i!慧陪.整≡椚琴1・ふ£㌔無品丁皇通行1⊥甲雪 空取毒心、智隆−瑚陀三尊像歌人、明聴、軌智、望P、智山裾、栽徳.絆願l−智鳳、智讐智堆茎持建−−語群圭血珍、 新採卵紳、款待1−三園時代及び新羅疲一時代の彿数的遺物に裁てっ 筋五 高麗彿放と我国との闊係。 南朝沙門の往来、其の他仁一倭兎と悌数的漬物。 第六 李朝係数と我絶との踊係。 足利時代大歳紋の静水−拾阪衡i文政慶長の役と彿数1各㌫邪教使波鮮︸ 第七 結 論

第−序 論

︵一︶僻致は元、韓を印度に発し西域を繹、支那に入って花を聞ぇ、正本に伶人して軍ピ結ん ﹃蕃紀﹄!‖本譜紀U ﹃竹何倍倦﹄−本朝缶幣博。 ﹃搾藩﹄‡元事神津。﹃放免﹄手放集客記。 冒一国彿法﹄ − 三国俳法博通簸超。 ヽ■一−−ーニ 叫 ネロ・−

(42)

係匪の鮮日るナ:群リエ上皮致併 だ形であるが、其の俸播流入の年代を考へて見ると、後決別酔の永牛十禁固、六七年︶の頃に 西域地方から支郷に停はり、其の後、三好六年を経て朝鮮の北部に流入し、︵西、三七二年︶爾 来百八十年を過ぎて、欽明暗の十三年︵西、五五二年︶の頃我邦に停播した着である。我国の彿

敢は、箕に朝鮮から停播した着であるから、傭敢が我が文化史土、如何に位大な役目を演じて

居るかを練る者は、其の直接最初の恩人たる朝鮮の係数を看過してはならぬこと琴吉む待たぬ。

然るに支郷偶数の研究盛んなるに反し、牛島係数の軍今を考査せんとする人の極めて希なるは、

特に日鮮の現欺関係から推すも最も退城誓−とと云はねばならぬ。牛島に初めて怖致有ってよ

ら、今日まで千五百四十九年を経過して居るが、其の間、各時代に於ける餓致の擾造は如何で

あつたか。最も盛典の時代もあゎ、最も衰兢の時期もあゎ、之が直接間接我邦に影響し凍って、

或は宵尼の社家と㍑㌻ワ、或は係数と倶に各和の文化を抽入することゝト号つた。此等諸般の事項

を精査するは、重婁な串であるけれども、ぬ料に乏しき今日、寡聞h仏る苔人の能く十全な期す

るは到底望まれぬ串である。総じて諭すれば、覇鮮偶数の最初、二三百年の問は政治と粕並ん

で係数史上の関係交渉も、最も我邦と密接であつ化様に思はるゝが、三国時代末、新羅統一の

時期に入っては、支部降唐の文明が直接、我国と交渉するに至ら、黄金時代に在る彼の地の彿

−・・・・・・・−− ●■J − ∫†

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平 成十年 度(第二 十一回 ) ・剣舞の部幼年の部 深谷俊文(愛知)少年の部 天野由希子(愛知)青年の部 林 季永子(茨城) ○

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