選択思想の形成と展開
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実
︵行信教校︶ 法然上人は﹁選択集﹂の第一二門章において、道梓の聖浄二門判によって浄土宗の独立を宣言し、第二二行章では 善導の就行立信釈によって、正雑二行、正助二業の分判をおこない、独立浄土教の行業は正定業たる念仏の一行であ ることを確定せられた。 そして第三一本願章には、称名が正定業である所以を如来選択の本願によって根拠づけられたのであるが、それが善 導の﹁順彼仏願故﹂といわれたのをうけて展開されたものであることは周知の通りである。 も と も と 善 導 は 、 ﹁観経﹂の付属の経意によって、釈迦の廃立を中心に凡夫入報の一教学体系をたてられていた。す 属の文意によって廃立する、 なわち弥陀が一切善悪の凡夫を救うために第十八願に誓願された念仏と、釈尊の開説された定散二善を﹁観経﹂の付 ① いはゆる要弘廃立の立場がその教学の基本型態であった。 然るに法然は、この菩導の立場をさらに一歩すすめられた。すなはち釈迦の廃立が弥陀の本願の意に順じてなされ 選択思想の形成と展開選 択 思 想 の 形 成 と 展 開 五
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たのならば、本願それ自体のなかで定散諸行と念仏の聞に廃立がなされていなければならぬと考え、その弥陀の廃立 を選択本願とよばれたのであった。ここに法然独自の選択本願念仏論が展開してゆくのである。 選 択 と は 、 かくて法然教学の中核をなす概念だったことがわかる。 ところで法然教学が、善導教学を継承し、 また源信教学など日本浄土教の影響をうけながら形成されたとしても、 それが古代から中世えの変貌期のはげしい混乱の時代のなかで樹立されたものであることを忘れてはならない。 選択は久遠のむかしに法蔵がなされたことではある。しかしそのなかに現実に生きる人間の姿を見出さなかったら 空論に過ぎない。法然の選択思想には、律令体制の崩壊にともなって、政治的にも宗教的にも古代的なものが指導力 を失い、現世にも当来にも依り処を失った民衆の苦悩が反映せしめられていた。 すなはち﹁選択集﹂本願章︵真聖全一、制︶に選択の願心をあらわすにあたって、若し造像起塔や智慧高才や多聞多 見や持戒持律等の行を往生行と定めたら、現実の多くの貧窮困乏の類、愚鈍下智の者、少聞少見の輩、破戒無戒の人 は往生の望みを絶たれねばならぬ。それでは万人を平等に救わんとする大悲の願心は満たされないから、余行を捨て て念仏一行を選択されたのであると云はれている。 そこには造像起絡をもって現当二世の安隠を祈ってきた平安時代の貴族仏教から疎外されてしまっていた、貧窮困 乏の大衆の救いが求められており、新しい庶民の宗教の成立がつげられている。 また智慧高才を誇り、多聞広学を事とする聖道仏教からは、愚鈍無知な大衆は疎外されて絶望しかあり得ない。し かし智慧すぐれた法然は、逆に生死の巌頭に立てばいかなる人も愚鈍下智に還ってしまう人間の内奥を知悉されてい た。そこに智慧門に立つ聖道仏教から疎外された人聞の救いを、慈悲門に立つ浄土教のなかに仰いでゆかれたのであ② る。いはゆる﹁浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる﹂といはれる所以である。 戒律にしても末法濁乱の今の世には、無戒名字の比丘のみであって、如実の持戒者はなく、従って釈迦の教法はあ ③ れども、行証が失はれてしまったという現実を見つめてゆかれた。自身が円頓戒の如法な実践者であっただけに、内 面的にはたえず破戒の危機にさらされている凡夫の実態がよくわかっていたのだろう。 ま た ﹁ 大 経 釈 ﹂ ︵ 漢 語 灯 ・ 真 聖 全 四 −
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﹀にはより具体的に聖道諸宗との対決の相が説かれている。 真言宗や仏心宗、法華宗、華厳宗、無相宗、有相宗、四分律宗、党網戒等の八宗の法門に立脚して選択されたなら ば、各宗の祖師は往生できようが、他はすべて捨てられねばならぬ。それゆえ万機を普益せんとする平等の大悲は、 八宗の法門を捨てて念仏を選択し、これによって逆に八宗のすべての行人を救う道を聞かれたのであるといはれてい る このような説明からも明らかに窺はれるように、選択思想は南都、北嶺の聖道諸宗と鋭く対決された実践的な理論 であった。そしてその対決の仕方は、 つねに聖道仏教から疎外された濁乱の時代に生きる自力不堪の庶民大衆に焦点 をしぼりながら、それら一切を包摂しうる新しい救済体系の確立を目ざされているのであった。 ﹁ 選 新しい救済法としての浄土教の独立宣言書だったのである。一
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さて﹁本願章﹂の私釈によれば、選択という言葉は﹁大阿弥陀経﹂からとったもので﹁取捨義也﹂とあるように選 捨、選取の意味である。それは広く四十八願に通ずるにせよ、別して第十八願の念仏の意義を顕はすために用いられ た用語であることはいうまでもない。 選択思想の形成と展開選 択 思 想 の 形 成 と 展 開 五 ところで﹁選択集﹂の終に弥陀、釈迦、諸仏に約して八選択があげられているから、選択という概念は、三仏があ らゆる行業の中から自力の諸行を捨てて、他力の念仏一行を選び取られたという廃立義を顕はしていることがわか る。それはまた﹁付属章﹂ ︵ 真 聖 全 一 ・ 鰍 ︶ に ﹁ 随 他 之 前 、 暫 雄 v開 − 一 定 散 門 一 、 随 自 之 後 、 還 閉 ニ 定 散 門 一 、 一 間 以 後 永 不 v問者、唯是念仏一門、弥陀本願、釈尊付 属、意在 ν 斯 失 ﹂ といはれたように、暫有還廃の随他意の法円である諸行と、 一開永不閉の随自意真実の法円である念仏とを分判する のが選択という概念だったといえよう。 ことに本願における選択は、釈迦、諸仏等の選択廃立の根本所依となる弥陀の随白意を釈顕しようとされたもので ある。従って選択は究ぃ菟の法門を表はす言葉としなければならない。よく﹁選択は称名の相に始って名号信心の体に ④ 版し、選択に始まって無選択に終る﹂といはれるが、それでは選択が末究克の法義であるかのように受取られるから 妥当でないと考えられる。 それについて﹁本願章﹂の選択の説明が、二百一十億の諸仏土中にあった﹁専称仏号﹂を選取されたというふうに なっていることがよく問題にされる。しかし活仏土中に弥陀念仏があったのでも、 また万行中の一行として存在して いた雑行に過、ぎない諸仏念仏が選取されたのでもないことは云う迄もない。 然るに活仏土中にあったものを取ったようにいはれるのは﹁専称其国仏名﹂という通途の念仏の所へ弥陀念仏を寄 顕 し て 諸 行 と の 一 相 対 を 成 じ 、 かくてあらゆる行業のなかから他の一切が選拾され、弥陀念仏のみが如米によって選ば れたものであるということを顕示して、だから念仏こそ万行に超過した弥陀随白意の法であると釈顕しようとされた の で あ る と 考 へ ら れ る 。
かくて選取された念仏は、弥陀の随自意として、選択の願心の表現されたものであった。 ﹁本願章﹂にはその選択 の願心を﹁普ねく一切を摂せんとする、平等の慈悲である﹂といはれている。 かかる願心を﹁大経釈﹂ ︵ 湾 当 山 灯 一 ・ 真 聖 全 四 −
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︶ に は ﹁ 如 下 一 月 浮 − 一 万 水 一 、 無 上 V 嫌 − 1水 浅 深 一 、 如 下 不 在 、 選 ニ 地 高 低 一 ﹂ と 愉 え ら れ て い る 。 その月日とは、生死の迷妥を越えた不住生死の智慧をあらわし、月が水の浅深を嫌はず平等に宿り、 を選ばずに照すということは、大智を全うじて一切を無碍に救はんとする不住浬柴の慈悲をあらわしている。即ち弥 陀は、大智を以て地上的な一切を超越するが故に、 よく地上的な差別を超えて一切を平等に摂しうるのである。選択 の願心とはかかる超越的絶対者である弥陀の、大智を全うじた大悲の働く相であった。 ところで万機を普益しようとする大悲が実現する為には、平等の救いを否定し、善悪、賢愚をわけへだてする自力 諸行の路がきびしく一合定されねばならない。ここに願心の表現として選択廃立の必然性があるのである。 選択や廃立は、決して偏狭な排他性を意味するものと受け取ってはならない。それはむしろ善悪、賢愚をわけへだ てすることによって偏狭な法門となっている自力諸行の小路を越えて、万人が平等に包摂される絶対普遍の大道を開 一 不 す る こ と を 意 味 し て い る の で あ る 。 さ き に も 一 一 一 一 目 し た ﹁ 大 経 釈 ﹂ に 八 宗 の 法 門 を 捨 て る こ と に よ っ て 宗の行人を漏らさずに摂すると云はれた所以である。 かくて選択本願念仏とは、大知刊を全うじた大悲が、諸行を廃捨することによって、念仏往生という万機普益の法門 を建立されたということをあらわしているのである。すなはち念仏は、凡夫の行ではなくて、如来の大悲の顕現した 大悲行であり、本願の行であったのである。選択本願の念仏といはれる所以である。 選択思想の形成と展開選 択 思 想 の 形 成 と 展 開 五 四 ﹁本願章﹂に念仏選択の意義をのべるにあたって、勝劣、難易の二義をあげて念仏と諸行の価値批判をなされたこ と は 有 名 で あ る 。 その勝劣の義というのは、法に約して廃立されたものである。即ち名号には如来の内証外用等の一切の功徳が摂在 していて、これを領受して称へる称名は、声々が大利無上功徳であり最勝の行である。それに対して諸行は、 一 々 を 行じて仏果の一分を荘厳するものであるから、仏法中の一隅を守る小利有上功徳の劣行である。それゆえ諸行と念仏 が取捨されたといたノのであるが、ここに諸行に超過した念仏の価値の絶対性が釈顕されてい旬。 所 で ﹁ 約 対 雑 善 章 ﹂ ︵ 真 聖 全 一 ・ 当 ω ︶ の 意 に よ れ ば 、 極善最上の法が選択されたということは、 極悪最下の機を救 うて報土に往生せしめる為であったといわれている。かくて念仏が最勝の行であるということのなかに、凡夫を入報 せしめようとする大悲が表現されているといはねばならぬ。 次に難易の義というのは、機に約して廃立されたものである。即ち諸行は難行であるから機を摂すること狭く、念 仏は如何なる下機にも可能な易行であるから、万機を漏らさず救うことができる。それ故一切を平等に摂せんとする 願心は、諸行を捨てて念仏を選取せねばならなかったというのである。 かくて難行とは、その救済が特定の善機に局限された偏狭な自力の法門のことであり、易行とは、単に能称の易を 意味するだけではなくて、むしろ他力救済の普遍性をあらわしている。即ち難易廃立とは、万人を平等に救はんとす る 普 遍 の 大 悲 が 、 たもち易く称え易き念仏という易行の相で具現したことを意味しているのである。 かくて極悪最下の機までも報土に往生せしめる為には、法が万徳円備の無上功徳でなければならず、法の無上功徳
によって放はれるのならば、機の方からは加へるべき何物もない。即ち称名の数の多少にも、能称者の善悪、賢愚に もかかわらず、法のかたより往因が成ぜしめられるからこそ至械の易行なのである。 きれば勝易の二徳は、別々のものではなくて、願心の顕現した念仏を、法のがわからいえば法体全頗の最勝行であ り、機のがわからいえば能称無功の至極の易行であるということを釈顕されたのである。 このように選択という概念をもって念仏の意義が明らかにされることによって、浄土教独立の論理的根拠が確立し た の で あ る 。 聖道門や、その方便法として存在していた寓宗的な浄土教にあっては、六度等の行は難行ではあるが勝行であり、 劣機の称える称名は易行ではあるが劣行であると考えられていた。それ故凡夫入報ということは決して許されなかっ たのである。蓋し自力断証の道理成仏の法門に立っかぎり当然といはねばならぬ。 然るに法然は、その価値観を逆転して、諸行は難劣であり、念仏は勝易具足の仏随自意真実の法であると釈顕され たのである。それは一切衆生を平等に入報せしめんとする大悲の願心に立脚し、本願他力の実現したものとして念仏 を見られたからであった。かくて勝易具足の本願念仏の釈顕によって、凡夫入報の道理が明了になったのである。 こうして自力自摂の立場に立つ聖道門や寓宗的浄土教と、本願他力に根拠する浄土門とは法門理論を具にしている ことが明確になり、浄土宗が独立しなければならぬ必然性が、 いよいよ明らかになったのである。
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このような法然の選択本願の教学は、その資親驚によってさらに深められつつ展開せしめられていったのであった。 選択思想の形成と展開 五選 択 思 想 の 形 成 と 展 開 五 六 付、先づ第一に選択本願の念仏は、万行中の一行でなくて、絶対不二の大行であり、 れ て い っ た 。 一乗法であることが鮮明にさ 即ち勝劣の義を仔細に窺うと諸行が単なる従因向果の一行であるのに対して、念仏は仏の果徳を全うじて、衆生の 因行となった全果成因の行であることがわかる。親矯の所調﹁因行果徳対﹂というのはこれに依られたのであろう。 かくて仏果の万徳を全うじた念仏は、無上の功徳を具して、 一切衆生を無上仏果に至らしめる無二亦無三の一乗法で あり、他にならぶものなき絶対不二の大行であるといはねばならない。 親 鷲 が ﹁ 行 巻 ﹂ ︵ 真 聖 全 二 − H むの一一東海釈において念仏諸善を比校対論して四十八対を出し﹁絶対不二之教也﹂と い は れ た の は 、 かかる選択本願念仏の行徳をたたえられたのである。 こうして万機普益の願心の実現したものが本願念仏ならば、明らかに自力の行ではなくて不回向の行であり、称名 することは万人を包摂する広大な選択の願海に阪入し、如来にはからわれて成仏道を歩ましめられている相に外なら な い 。 親 鷲 が ﹁ 行 巻 ﹂ ︵ 真 聖 全 二 ・ お ︶ に ﹁ 選 択 集 ﹂ を 引 証 し て 釈 成 し ﹁ 明 知 是 非 同 九 聖 自 力 之 行 一 、 故 名 ニ 不 回 向 之 行 一 也 、 大 小 聖 人 、 重 軽 悪 人 、 皆 同 斉 応 下 版 ニ 選 択 大 宝 海 − 、 念 仏 成 仏 と といはれた所以である。 口、次に法然の選択論は、親驚の本願力回向論への方向を指示していたと考へられる。 そもそも救済の成立には機教が相応しなければならない。機を離れた教法は空論に過ぎないし、法を離れた機には 絶望しかあり得ないからである。 ところがその機教相応のあり方が、聖道門では戒定慧の三学の実践によって、機を教に相応させようとする。自力 ① 法といはれる所以である。しかし末法における愚鈍の身は﹁すでに戒定慧の三学のうつは物にあらず﹂とすれば、聖
道仏教の救済範囲からはみ出た存在であるといはねばならぬ。 そして浄土教はそこから出発するのである。即ち聖道自力の教法から除外された悲しむべき愚鈍の下機を大悲した ま う 選 択 の 願 心 は 、 機にあわせて法を選ばねばならなかったのであった。 動 け ぬ 機 に 向 っ て 、 如米の方から動いて 包摂しようとする活動相を、その因位のところで表現したのが選択であり、果上であらわしたのが摂取不拾であっ た。かくて選択思想は新しい救済原理の樹立を意味していたのである。 コ ニ 経 釈 ﹂ ︵ 和 語 灯 一 ・ 真 聖 全 四 −
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には衆生に対する如来からの働きかけを ﹁弥陀如来は因位の時、もはらわが名号を念ぜんものをむかへんとちかひ給ひて、兆載永劫の修行を衆生に同向し 給ふ。濁世のわれらが依伯、末代の衆生の出離、これにあらずば、なにをか期せんや﹂ といはれている。ここには因位に約してではあるけれども、衆生の阪依処としての如来同向がいはれており、本願力 回向論への転回契機がうかがわれるのである。 また﹁二行章﹂の五番の得失の第四回向不同向対によれば、正行は本来往生行であるから別して回向しなくても白 品川に往因を成ずるといはれている。しかしそこには善導の六字釈が引証されるから、 不回向の徳義は前三后一の助業 にはなくて本願行たる念仏にあることがわかる。 そして念仏が回向心を用いなくても自然に往因を成ずるのは、如来選択の本願行だからであるとすれば、念仏にお ける発願回向の義は行者の方にはなくて、念仏を与えて救はんと思し召し立った如来選択の願心の上に見なければな ③ らぬ。かくて不回向という所に自づから如来回向が暗示されていたのである。 親 驚 は 、 かかる法然教学を継承しながら、 一面また曇驚教学を相承されたのである。 すなはち﹁論詰﹂の不虚作功徳釈︿真聖全一・8
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における本願力の釈や、要求其本釈︵真聖全一・ ω品 選択思想の形成と展開 五選 択 思 想 の 形 成 と 展 開 五 八 利々他釈、三願的証等の教学をうけて、法然の選択本願の行信因果の相をつまびらかにし、 いはゆる二回向四法とい う独自の教学体系に展開されたのであった。 すなはち﹁教行証文類﹂は法然の選択本願論を﹁論註﹂教学を以て釈顕されたものであるといえるであろう。 f「 以 上 ︶ 註 ① ﹁ 玄 義 分 ﹂ 序 題 門 ︵ 真 壁 全 一 ・