昭和六年二月十七日北海道浦河の地震報告
北
田
道
男
昭和六年二月十七日未明、北海道浦河附還を震央として起った地震は、其異の脱税震勢力の大小は別と して、内陸地方に可な b の範固に亙 A Y 強度の震度を奥へた黙に於て、北海道としては近年稀に見る強震 で あ っ た 。 北海道の南乃至南東方の海底は日本外側地震帯に含まれる地帯である魚、過去に於ても相官に大規模 な地震が殺生してゐる。例へば近くは、(ご昭和四年十月六日の落石岬南方沖の地震・(二)昭和五年一 月六日千島色丹島南東沖の地震がその主なものである。叉日本海方面では事会一)昭和六年二月二十日の 日本海北部の地震が起ってゐる。併し是等の地震の震央は、内陸から迄かに離れた海底にあったため (例の一、二)或は深層地震であったため、(例の一二)陸地に汲しい震動を停へなかった。尤も、内陸地方 にも強震程度と報告 3 れた地震も起つてはゐる。例へば昭和三年四月二十一日の旭川附近の地震或は昭 和五年八月十七日雨龍川の地震等であるが之等は小規模な局畿地震に過ぎ-なかった。然るに首題の地震 は、震央が内陸に在ら而も殺震勢力が著大であったため弦に此の地震に就3
調査すべき債佐は充分ある 事 と 思 ふ 。一
一一一 一一一
一三四 浦河附涯の地形等。 路々菱形を形成してゐる北海道本島の南北の頂黙を蓮ねる地域は 1 大雪山、十勝岳、幌尻岳、紳威岳 等の俊峯を含む一連の高山地帯であって、 一般には、脊梁山脈或は中央山脈と呼ばれてゐる。浦河地方 は乙の脊梁山脈が襟裳岬に於て終に南に終らんとしてゐる西側の太卒洋沿岸地方であって、海を隔てて 青森脇と相濁してゐる。海岸卒野は極めて狭く、特に襟裳岬に至るに従って著しい。辻村氏は、其著 E 地形墜に於て乙の附近の海岸を封置海岸の一種と指摘 3 れてゐる。脊梁山脈に殺し海岸卒野を流れて海 に注戸、河川は根めて多く浦河測候所管内即ち佐留太山以南だけでも三十七を数へる(六十寓分の一北海 道詳闘に依る)併し何れも短小であって、間早調に南西方に平行して流れてゐる。 中央山阪の基底は花商岩を以て形成され、その西側は古生屠及び白直系の岩石から成'夕、沿岸地方は 吐い積層並に第三系の岩石が主要部分を・なしてゐると稽 3 れる。叉渡瀬正三郎氏は、北海道に六本の地裂 線を仮定
3
れ事中央地裂線として、北見の北部から南下して浦河地方に終ってゐる線、及び、札幌地裂 線の名の下に、札幌から苫小牧を経て浦河の南西沖を通る線を一不されてゐる。 震 度 分 布 震度分布は,昭和六年二月競気象要覧に依れば次の如くである。強震観測一地、 (浦河管内)幌泉。荻伏。門別。ハ帯康管内)大津。民尾。(室蘭管内﹀苫小牧。徳舜瞥。 強震(弱き方) 浦河。(浦河管内﹀様似。三石。静内。新冠 o F 帯債管内)士幌。清水。(札幌管内)千歳。長沼。(脊森管内)五戸。七戸。法奥深。田 子。野港地 0 ・ 弱 震 。 帯庚。札幌。室蘭。国館。青森。盛岡。(浦向管内)右左府。(室蘭管内)早束。按別。洞爺。(旭川管内)富良野。(札幌管内)美唄。 夕張。古卒。湾益。(函館管内﹀江差。八雲。森。(釧路管内﹀昔辛。(根室管内﹀津別 o F 毒都管内)県内。如何事都。利別。倶知安。(青 森管内)五所川原。大奥。黒石。三戸。木建。小泊。撲。(盛岡管内)蹄向。葛巻。瀧民。雫石。日詰。(石巻管内﹀亘理。(編島管内﹀ 石 川 。 C 圏 5引す打v阿o常 岡Ro:柑耐l'r5ふ恥0'守事 図トM附7作od必e悶f令 図 S引f併t仁e 石
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,l 震度分布固 弱 震 ( 弱 き 方 ) 0 旭川。官古 0 ・水津。石巻。(釧路管内﹀足寄。標茶。(盛岡管 内﹀湯問。湯口。千厩。(石巻管内﹀古川。 微 震 o AM 日津。小名潰。根室。秋田。水戸。筑波山。(困館管内)臼 尻 。 以上の如く弱震(弱3
方)並に微震の観測地が比較 的少ないのは,礎震時刻が巌冬中の四時前であっ た た め 、 一般の人々の熟睡を覚ま 3 なかったから 曹 と も ・ 思 は れ る 。 今 之 れ を 周 一 示 す るε
第一国の如く 殺 る 。 一 三 五一
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....L. / 、 印ち北海道本島の殆んど全部,東北地方の大部分、関東地方の北東に亘って人身戚質があb
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乙の範 国は関東地方の方向に最も援がb
震央からの有戚受範国の距離は約七百粁に及んで居る。 震度分布聞に依って明らかな如く‘奥山肌震域と稽へる程のものはないが、北海道の根室に於℃は肢に 微 震 、 網 走 、 m m 幌に於ては会然無戚受であったに拘らず南方遠︿水戸、筑波に於て人身に戚受があったの、 は注目に債する 0 . 併し乙の現象は、今同に特有なものではなく、北海道の南海岸を震央として起る地震 には乙の種の震度分布が伶ふのであっ℃・例へば昭和六年一月六日の新冠川上流の地震では‘震央附一辺 では強震、札幌‘帯庚,室蘭等では弱震を戚じ、水戸、柿岡、筑波山で微震を戚じてゐるに拘らず、北 海道の網走 . m m 幌、害都では全然人身には戚じ・なかった。震波が海底を進む場合は内陸を進む場合よb
勢力の吸牧が少ないとして説明されるのか、或は特異な地質構造に依るものか、或は岩石の物狸皐的朕 態に関係するものか、何れにし℃も乙の現象は、之の地方の地震に特有なものと思はれる。 地震計に依る観測。 各地の地震計の観測の結果を気象要賢から,遁営な個所を撰んで再録すると次の如くなる。但し北海 道の分は、道内各測候所長の御好意に依って記象紙を奔借し、筆者自身が験測した債である。第一表 青 札 il!t ,主-- 国 劉I 牙4 帯 浦 血ま 森 幌 )11 蘭 館 Eき Iþ;~ 民 河 名 設 一一一 一一一 一一一 一一一 一一一 一一一 一一一 ー一一ー 三 時 四 四 四 R可 四 四 rq 四 四 震 ブL ブL ブL ブL 大A j‘,i /i、 A 八 分 一 O O O O 五 II. 玉: 問 時 一 四 一一一 一 O 一 一 一 一 一、 、 、 、
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、 一一 四 O 、 、 O 一一一 一一一 七 以上の如く憂南の地震計にも記録 3 れた程であって、地震勢力の著大であった事を立詮してゐる。命北 道海内の地震計の記象国若干を口絵として掲げである。 震央、震源の深さ。 気象要覧誌上に、 乙の地震の震央は、北緯四十二度三、束経百四十二度六郎ち浦河を去る北西方約十 五粁の地鈷と接表され℃ゐる。 今北海道内で観測3
れた初期微動舷績時間 ( p l S ) 並に初動方向を地国上に記入し、 等 P S 線を描 けば左国の如くなる。ー 、、-1担 P-SLilJe. 。-.Stotion x-..Ef;c~ ,. tTe 〆ωI,;t,,'門・j刊, ( ,/,.I.SoqoooJ ー} 観測網が精粗であるため、等 P S 線は可な
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の範固で 自由に引き得るが、北西l
南東方向に長軸を持った固に 示す採な楕国となる様である。従って其の中心部ち震央 は要覧指示の位置に求められる c 震源の深さを正確に求める事は、奥へられた材料では 些一か不充分と思はれる。楕国等 P S 線 が 一 不 す 如 く 震 波 の 停播速度は方向に依って可なb
の程度に還ってゐるから 佐一サ方性を仮定する方法を採れば、誤差が常に大主くなる。 又震央の南方乃至南東方の観測の得られない事が命一一層 困難の度を加へる。併し.大躍の見 AV 回は次の方法に依つ て得られるであらう。 札幌の観測はグヰ1
へ Y ト微動計に依って得られたものであb
.
叉固版として示した如く其の記象も 可な λ リ明瞭に記3
れてゐるからそれだけ其観測値に重みが加は石。叉浦河の観測は震央に近接した観測 であると云ふ意味で重用してよい。そして都合の好い事には,札幌、震央、浦河を結ぶ線は殆ど直線で ある。それで乙の直線の方向では、震波の停播速度が一様であると仮定すれば、震源の深3
は次の関係 四四 式から筒翠に求められる。 ふ¥ l F 凶十 h M 1 1 大 ",M"Iぜ
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弦 に , h は震源の深さ,・4
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は夫々浦河、札幌の震央距離、 t 包~ L は 一 同 地 の P S の 債 で あ る 。t
-ts は 夫々六 O 秒 、 一九・八秒0
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は夫々一五粁, 一四一粁であるから 一 戸 品 一 戸 凶 × 合 ・ 0 凶 ・ 1iH 匂 凶 × 回 。 ・ ∞ 凶 1 1 ーl
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・ ∞ 凶 │ 。 - O L 即ち乙の方法に依れば震源の深さは四二粁O
と計算される。 叉、別に浦河の P S と d 、並に大森常数、だけで計算して見ると、r
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ゅ l h であるから k を七・四ごとする} 戸
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14 ・ 品 問 × 。 ・ 915 凶 H 合 ・ 。 低 利 印ち E 四了九粁となって数字の上では前の債と0
・一粁だけしか遣ってゐない。併し誤差の範悶を考 へると一位の桁も疑しくなるから,震源の深志は約四十粁と見るのが至蛍であらう。然しながら新の如3
方法で求めた震源の深当は)深すぎる乙とは一般に認められてゐる G 又該地震の初期微動時間は徐 b明瞭でない。命叉震度の烈しい所が局部的で.徐震を多く伴った事等は浅い震源の特性を備へてゐる。 然れば走時曲線の取扱ひょ b 震源の深 8 を決定するが得策かも知れ泊。 又、震源の批判震時を中旬、浦河、札幌の夫等を夫々 T U B -とし、九 t u を夫々浦河‘札幌の p l S の値と すれば次の関係式が成立つ 叶 h l 吋 。 吋 E │ 吋 。 p y h 吋 1 1 吋 =Fl 同 ,
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-V I 1 -H t 吋 日 酔 ] ‘ . 弓 吋 初 日 。 品 ・ 吋 ぉ であるから 品 ︼ ・ 。 ×3
・ ∞ 124 × 。 ・ 0 吋 l l i l i -i l i H ∞ 同 ・ 令5
・ ∞ i 。 ・ 0 卸ち之の方法で計算した震源の後震時刻は‘ 一七日三時四八分三一@六秒である。 初 動 分 布 各地で観測遣れた初動を地国上に記入すると第三国の如くなる。 一 四 三一 四 四 間中 .AB が轄向園、 C D が断層線の如 く思はれるが‘此の地震の初動は一一般に極 国 めて小
3
く(口総参照),従って震源の運動 機構等も決定し難い。 銭 震 第 殺震後二月中に起った訟震同教を表示す ると次の如くなる。但し強震があって後四 時迄に三同の有戚畳地震.七同の無戚受地 震が記録3
れ℃ゐるが、逸出した針の修問、共の他の調節等宇一行ってゐる聞に、数同の有戚畳及び無威 費地震があったやうに思はれるから、四時以後の介、だけを採る事にする。 無 感 開設 19 12 4 3 ~ 4 3 14 63 第二表 有感 同教 24 ‘) . . . O O 4 <) ムd ‘ム品1・ 13 4。
- 3 8-11 12-15 , 16-19 白 日 'l9 A、司J司-"""t.' 4-7 8-11 12-15 時 時 4-7 18日 2月17日 U 2 O 1 3 O ‘.B . . 3 O z、.
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O . . .. 1 1 16-19 20-23。
- 3 1~-15 19日 4-7 8-11 U部;感 同 数 有感 同数 3 8 9 1 8 5 6
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5 6 O O o d。
O O O 1 1 O 1 2月19日 時 時 16-19 20-23日 20日 !:!4日 E7日 28日 21日 2~ 日 23日 25日 26日 v。
v F v 9 即ち二月十七日の四時l
七時の四時間に有戚は二四向、無戚は六三向、計八七同の多さに淫してゐる が、その次の四時間では、有威一三同、無戚一九向、計三二同に激減してゐる d 叉下旬に入ってからは 設 震 有戚受は僅に三同礎生してゐるだけである。叉同数の減衰曲線も割合に鼠調である。 の 地 震 品 別 北海道の太平洋沖並に沿岸地帯を震央として起った有戚受地震を昭和五年一月分から各月別に一不すと 左の如くなる(気象要覧に依る V。 昭和五年一月 期 著 地 震 一 同 小区域地震二同 貝 殻 地 震 七 同 一 一 月 総 額 若 地 震 一 向 根室南東仲(六日) 尻屋崎東方沖バ一二日)襟裳岬南方沖二二日) 画 館 ( 十 日 、 = 一 同 ) 津 轄 海 峡 ( 一 五 、 一 六 日 ) 函 館 ︿ / 一 九 日 J 落石岬(ご九日﹀ 尻犀崎北東沖 一 四 五小区域地震二同 局 設 地 震 三 岡 三 月 小直域地震二同 局 後 地 震 三 間 四月 小区域地震ニ同 局 愛 地 震 八 同 八日)五月 精頴著地震一同 局 後 地 震 間 同 六月 粕頴著地震一同 小直域地震一同 局 設 地 震 一 同 七月 額 著 地 震 一 向 精頴若地震二同 局 畿 地 震 四 同 入月 期 著 地 震 一 向 精頴著地震三同 局 設 地 震 六 同 一 四 六 穣裳岬西方沖(二日﹀落石岬南方沖ハ二三日) 浦 河 こ 一 二 日 ﹀ 納 沙 布 沖 ( 二 一 一 一 日 ) 襟 裳 賀 、 方 沖 ( 二 三 日 ﹀ 尻居東南東沖(八日)色丹島東方沖(同) 釧路沖︿二日)納沙布沖こ二日)釧路沖(一二日) -納 沙 布 南 東 沖 ︿ 九 日 ) 同 ( 一 五 日 ﹀ 襟裳南東沖︿九日)納沙布南東沖(九日)大津川(一五日﹀津軽海峡(同)闘館二九日)同(二二日)同(二七日﹀同(二 襟裳南東沖(二七日) 画 館 ( 四 日 ) 釧 路 ( セ 日 ) 同 ( 一 九 日 ﹀ 清 水 円 二 四 日 ﹀ 納沙布南東沖(一八日) 襟裳南東沖(一九日) 揮捉島南東沖(ニ五日) 捧捉島南東沖ハ二三日﹀ 釧路南東沖(ニ O 日)襟裳南西沖(同) 民尾(四日﹀苫小牧(一六日﹀玄関(一八日﹀襟裳南東沖(二九日) 間後水遺(三 O 日) 襟裳南方沖(一二日)納沙布南々東沖(二三日)襟裳東方沖合一六日) 浦河(八日﹀根室沖二九日)落石沖(一二一日﹀襟裳東南東沖(二五日)浦河(二五日)同(一二ハ日)
九月 柏瀬著地震一同 局 畿 地 震 五 同 十月 柏瀬著地震一同 小区域地震一同 局 後 地 震 同 同 十一月 局 畿 地 震 七 同 ,十二月 頴 著 地 震 二 同 納額者地震ニ同 小直域地震一同 局 後 地 震 問 問 昭和六年一月 頴著地震コ一向 精頴著地震一同 局 設 地 震 五 同 襟裳東方沖(二九日) 釧 路 ( 二 日 ︺ 同 ︿ 一 一 九 日 ﹀ 標 津 川 ( ニ O 日﹀室蘭南方沖(ニニ日﹀標津川(ニ六日﹀ 襟裳西方沖(ニ九日) 裏山岬北東沖 舌一宇(三日)落石南方沖(二七日)門別沖合二日ニ同) 帯庚(五日)尻屋岬北東沖二八日)別海(同)襟裳西方沖へ二七日ゾ根室(二九日﹀恵山岬北東沖(同﹀浦河沖へ同﹀ 新冠川河口附近二三日﹀襟裳東方沖(ニ四日) 襟裳東方沖(ニ日﹀翠山岬東方沖(六日) 襟裳闘方沖︿一二日﹀ 根室西方沖(八日ノ大津(九日)釧路南東沖(同)庚尾︿同﹀ 新冠川上流(六日)襟裳沖(一八日)落石南々東沖こ二日) 新冠川上流︿九日) 納 沙 布 沖 ( 一 O 日 二 同 ﹀ 落 石 沖 ( 一 O 日)根室沖こ六日﹀新冠川河口沖(三 O 日) 今根室、釧路附近を区域 A とし‘襟裳岬附廷を区域 B とし.富山山岬附近を区域 C とし‘各区域別の日 別地震同教を一不すと左の如くなる。 但し、表中ーは頴著地震、日は稲田線著地震、
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は小区域地震、Wは普通有戚受地震である。 一 四 七I ~ Alー 相 1 B r 五 c'月 年 一 四 人 1 ~ A,一昭 一 二 Bl 和 1 -1 C J月プ之 年 一二月 A B C E l l 一 一 l l i 一 l l 一 一
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, i 一 一 一 一 l 一 l 一 二 i l 1 一 ー 町 一 l 六 一 四 l l 三 l l 一 一 一 五 三 ー 一 一 l a -一 二 一 一 一 間 l 問!一一一一 l 二 三 二 三 一 1 四 一 l 計 二 一 七 二 五 一 四 O 一 四 一 五 一 二 一 一 一 一 一 O 二 四 一 四 六 O 四 一 一 一 一 一 一 一 一 一 三 二 三 五 一 五 問 。 次に、普通有戚費地震の重みをーとし.小匝域地震を 2 とし、和顕著地震K3
とし,額著地震を 4 と し‘各同教に夫々の重みを掛けたものの会計を求めて‘各区域毎に月別表を作れば左の如く衣る。 五 年 表 三 第 表 四 第 表 五 第 A B 言十 ,c A B C ~l 二 cJ月 五 八 二 五 月 三 月 六 一 一 一 一 一 一 月 口 H H 二 五 二 二 五 O五 月 二 七 三 八 O二 月 四 月 、 h E E ﹃ h炉 t E a J A B C セご二 O五 月 一・ 四 二 五 一 六 月 五 月 一 一 一 ヒ 手fl 一 四 四 五 四 三 三 月 A¥B L 五 cJ月 O三 七 月2
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六 ci月 六 Oニ 四 月 一 一 A¥七一
1 B ~ c'月 一~ Al八 二 1 B r c'月 九 月 、l ' t 、p l E , , A B C 九 八 一 三 四 月 一 三 五 九 三 八 O 月 A\~ BtO cJ月 O 八 二 四 二 月 一 一 月 一 一 一 一 一 七 A 、-B t~c
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月 一 二 月 一 一 一 一 四 一 一 一 二 O 一 七 一 二t 五 O五 月 六 年 一 月、
J 一 一 一。
二 O 六 年 一 月 四 O 六 0 0 第五表は、第四表の債を.百分率で・誉主代へたものである。之を更に国一不すると次の如くなる。 一 月 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 玉三 四 五 四 二 八 O 月 七 月 七 一 四 八 月 ' U 4 ノ一
0 0 一 九 五 四 五 七 七 三 O 月 五 四 八 O三 七 月 3手一
O 月 二 五 五 O 一 一 五 一 一 月 二 九 四 三 二 九第四闘に依って明かな如く、区域 A と区域 H とは互に相反の後 化とな
b
二・刀の上昇は他方の降下に相封してゐる。而して会憶の 傾向としては A は漸減 B は漸増の走向を辿って昭和六年二月に入 っ て ゐ る 。c
は一見他とは無関係の如く現はれてゐる。結果から Figo 4 云へば、区域 B 即ち襟裳岬附近の地震帯、が.昭和五年の中頃から 漸次活動勢力を高め其最高潮に於℃, 乙の地震を起したものであ あと云へる。但し、弦に描いたグラフは.筆者が有戚受地震の程 度に陪応じて勝手な重みを附して作ったものであるから、地震帯のB
CA
を其僅 A 口計したものよb
幾分畳一に近いものと云へる。 活動の程度を正しく一広ひ表はしてゐるかは疑問である。併し同数 浦河町及び其附近に於ける情況 後震が四時前であったので‘人々は未だ熟睡の最中であった。突如として念激な震動が襲って来たた め等しく多を破られ,大部分の人は屋外へ飛び出した。中には飛び出3
うとしたが徐 b に激しく揺れる ため歩︿事が出来なかったと一去ふ人もあった。筆者は直に測候所備付の地震計,晴雨計、其他器械類k r
一 通b
結検して見たが,動さ得る器械の総ては其の位置を媛へ℃ゐたが 1 幸に大破したものもなく、又 四 ブL一 五 O 附近に倒潰家屋も見蛍らず火災も起らなかったので、地震計の針の調節、憂の方向の調節等を行った後 記象紙を一積取夕、中央気象蚕並に隣接各測候所へ接電した。 一方夜の明けるを待って筆者は所員佐々木技手と共に賓地踏査に出掛けた。浦河町の東部鱗別方面の 積雲道路面に庭々小亀裂の出来てゐるのが先づ眼に付いた。良く調べて見ると割れてゐるのは、積雪屠 だけで土地には何等異肢がないやうに見受けられた。依って、人‘馬、車、等の通行に依って固められ た上、気温が低かったため(宮司の最低気温は)氷結下一一度五分)高硬度の積雪が震動のため小さく 割れたものと判定した。例潰家屋は一一棟もなかったが、今少し震動が強ければ誇なく倒れたと思はれる のが二三棟見受けられた。棚上の器物は‘棚の方向に拘らず,殆んど会部顛落し、瀬戸、精子製の器具 の損害は各戸毎に蒙ったやラである。叉前記鱗別方面では.箪笥の倒れ-なかったものは一つも一なかった
3
うである。公共建造物中最も被害の大3
かったのは‘町立浦河病院の建物であった。元の沼を埋立て て敷地とした由であるから地盤が著しく軟弱、だったのであらう。壁は殆んど会部脱落し‘器具類は倒れ 窓硝子は破れ、玄闘のコンク η ノ1
トは縦横に亀裂が生じ℃ゐた。踏査に行った筆者等は会く足の踏み揚 もない程であった。 浦河町では以上の如く、家屋の破壊‘地割れ等の大被害はなかったが、壁の亀裂、或は脱落‘柱鴨居、 の狂ひ、襖、障子の破損等の少被害を多少なb
とも蒙らない家は・なかった。浦河町の競察を移って筆者等二入は、更に海岸体ひに西方に向。た。併し西するに従ぴ震度が漸次減 少する様子が見受けられた。浦河町から約八粁を距てた荻伏村では、積み上げた暖房用の薪の崩れたの を見受け・なかった(浦河では全部崩る)。更に静田村役場に至
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,松浦助役の談に依れば.同地方の震動 は近恭氏加盟⋮い強いものであったが,棚上の器物は落下しなかった由である c 叉静内際長小野寺氏に依れ ば銭道路線其他には被害が・なかった 3 ラ で あ る 。 浦河町の東方へは賃地踏査に出掛け・なかったが、電話で照合し‘叉旅行者の談を綜合した結果.襟裳 岬近傍.幌泉附近は?時計の止ったのがあるが、棚の上の器物は安全だった程度、叉浦河から八粁の様 似では、略浦河井同程度の震度と推定ヨれた。向管内各役場へ左の貼に就いて照合そ殺した。 一、震度。(中央気象牽制定の震度表を付す) 一 一 、 震 動 時 間 。 二地鳴の有無。 四‘物胞の倒れた方向。 五、其他の異肢現象。 之に封する同怨口を左に列記すると, 一 五幌 様 荻 静 平 来万 r~ 右 左 府 村 ・ 五 震 度 総震勤時間 韓倒方向 地 鳴 泉 j寸 四時間 有 不同 設 似 村 セ?客ー・ 刊 一 分 間 盈E 強(弱キ方) 伏 村 道路面に数ケ所亀裂あ
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たる由 二十秒間 北 西 5~ '主正石
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強 ( m m キ方) 十秒間 不同 生畳 内 村-張 ( m m キ方) 二分間 狙E 北 西 ¥ 取 村 五分間 金正 不 無 詳' 不明 冠 村 二分間 4匝 強 ( m m キ方) ];1] 村 五分間 4n:f 主匝5
長 右の如く大部分ば強震或は強震 ( m m キ方)と報告当れ℃ゐるがぷ田時の朕況から推定して様似が強震 ( m m 易惑 一 分 間 有 無 キ方)他は弱震を採るのが趨蛍のやうに思はれる o 地鳴を開いたのは幌泉と右左府のニケ所、だけである。 叉測侯所備付の器械,器具類の移動朕態を調べて見ると)何れも反時計の向3
に同縛した跡が見られ る。ダインス自記風塵計並に地震計(大森式筒車微動計、重錘五O
砥)の牽の移動を園示すると.第五闘 の A.B と な る 。 叉墓地の石碑を黙放したが完全に倒れたもの二三あ
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、倒れかかってゐるもの多数を見受けた。而も 其の方向は北或は南に限られてゐた。その代表的なものを国一不すると第五国 C Lし な る 。 .1" -一ー一円 '; ( j
一一一一一~ 叩 門 戸c.'.' 下i;J-5 C 「 α、 ¥¥---,. • A。
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B間中安線は本来の位置 知線は移動 した位置を示す。A黙の小国三個はダインス 風 摩 一 計 の 三 脚 を 示 す 。 異常現象 浦河町曾議員小田氏の談に依れば、震動の 最中に浦河の西方の海上積低い個所代数同に 豆って電光、が閃めいた由である。筆者は営時 地震計室内に在ったため.不幸にして賃見す る事が出来・なかったが、大地震のあった時電 豆地震に伶った電光に就いては.和建氏、其他二三の詳細な報告がある。叉大正十三年一月十五日未明 光の件ふ事は稀友現象ではなく、近くは北伊 の丹津山地震の際は.三保の松原の松の葉が明瞭に認められた程の著しい電光のあった事が停へられて 一五三一 五 四 ゐ る G 小田氏の外に同時刻同方向に電光を賞見したと云ふ大も二三あった。 叉、新冠村村長林氏の報告に依れば、地震の翌々日部ち二月十九日の靭に至