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長崎大学附属図書館医学分館「近代医学史料展示室」 志波原智美*

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長崎大学附属図書館医学分館「近代医学史料展示室」

志波原智美*

長崎大学学術情報部学術情報サービス課

Ⅰ.はじめに

長崎大学附属図書館医学分館(以下,当館)の2階の 一角に,貴重資料室がある。60 m2の展示室と 40 m2 書庫からなる小さな施設である。展示室は「近代医学史 料展示室」と称している。概ね17世紀から20世紀まで の医学史・科学史と,長崎大学医学部の歴史に関わる資 料を展示している。書庫には,医学書を中心とした和漢 書,洋書など約3,000冊を収蔵している(図1,写真1・2)。

当館の職員が図書館業務の一環として管理している小 さな施設であるが,キャンパス内の部局から資料費をい ただいたり,卒業生から資料を寄贈していただいたりし て内容の充実をめざしている。本稿では,この展示室の 資料や活動について紹介させていただく。

Ⅱ.長崎大学附属図書館医学分館について

当館は,国立大学法人長崎大学の附属図書館の分館で あり,医療関連分野の部局が集中する坂本キャンパスに 建っている。サービス対象部局は,医学部,歯学部,薬 学部の一部,医歯薬学総合研究科,熱帯医学・グローバ ルヘルス研究科,熱帯医学研究所,原爆後障害医療研究 所,先導生命科学研究支援センター,そして病院である。

分館建物は,2013(平成25)年から耐震のための全面改 修工事を行い,2014(平成26)年5月28日にリニューアル オープンした。延べ床面積は書庫等を入れて2,696 m2であ る。一部3階建てであるが閲覧室は2階まで,閲覧席は307 席,蔵書冊数(製本雑誌を含む)は約15万冊である(写真3)。

分館長は,キャンパス内に所属する教授が務める。事 務職員は,夜間・休日勤務のパート職員を除くと,定員 2,パート3の5名である。2年前と比べると,パート職 員 2 名の減となっている。貴重資料の管理,展示換え,

案内などの業務は,主として定員職員が行っている。

*Tomomi SHIBAHARA:〒852-8523 長崎県長崎市坂本1-12-4.

Tel.095-819-7013 Fax.095-819-7016 [email protected]

(2015年12月28日 受理)

図1.医学分館2階平面図

写真1.展示室入口

写真2.展示室内部

(2)

た前野良沢はその一人であり,耕牛は吉雄永章の名で解 体新書の序を書いている。

シーボルト以後,しばらく間を置いて赴任したモーニッ ケ(1814-1887)は,多くの有益な医療技術を日本にもた らした。当館には,モーニッケがヨーロッパから持って来た,

レンネック型の最初期の聴診器「聴胸器」が保存されている。

彼の日本に於けるもっとも大きな功績といえるのが種 痘の普及である。モーニッケが取寄せて長崎で日本の子 供に接種した牛痘の痘苗は,日本人医師たちの力で長崎 から日本中に広がっていった。

実は,海を隔てて大陸に近く,多数の外国船が入港し た長崎は,医学の入口であると同時に,感染症の入口で もあった。天然痘やコレラの世界的流行の度にそれらの 病気と闘い続けた歴史がある。ポンペの弟子で長崎医学 校の頭取(現代の校長に当る)をも務めた長与専斎は,

後に日本の初代衛生局長となり,感染症対策に力を注い だ。当館は,彼が種痘普及の成功を喜ぶ気持ちを詠んで 書いた,「詠牛痘」という漢詩の掛軸を所蔵している。

Ⅳ.医学教育の歴史

長崎大学医学部は,1857(安政 4)年 11 月 12 日,ポ ンペ・ファン・メールデルフォールトが長崎奉行所西役 所に医学伝習所を開き,講義を開始したことを起源とす る。この日は日本に於ける西洋医学教育の始まりの日で もある。それ以前の,シーボルトらによる医術の伝来と 相違するのは,医学伝習所の教育がカリキュラムによっ て系統的に行われたことである。

1861(文久元)年には,長崎港を見下ろす高台に西洋 式の病院である養生所が建てられ,医学教育の場である 医学所も開設された。以来,精得館,長崎府医学校,第 五高等中学校医学部,長崎医学専門学校,長崎医科大学 等々,名前も設置主体も変遷を重ねたが,病院を併設す る医学教育機関として150年以上存在し続け,現在に至る。

初期の医学教育を支えた外国人教師,ポンペ,ボード

Ⅲ.長崎医学の歴史

古来,長崎は,東洋,西洋の双方からやってくる人々 から,知識や文化や技術を受け入れてきた。特に江戸時 代には,出島を通じ,日本人と西洋文化との唯一の接点 として重要な地であった。

出島に駐在するオランダ軍医は当時の最新の科学と医 学を日本にもたらした。ケンペル,ツュンベリー,シー ボルトらは有名である。彼らと話し,彼らの知識や技術 を見聞し吸収することができたオランダ通詞(通訳を担 当する日本の役人)は,一級の知識人となり,医学にも 通じることとなった。そして,師としてその知識を日本 人の弟子に伝えたので,長崎は西洋の知識を求める人が 集う「遊学の地」となった。

当館にも,海外から得た知識を日本人のものとしていっ た当時の歴史を物語る史料がある。「紅夷外科宗伝」(写 本)(写真4)は通詞の楢林鎮山(1649-1711)がまとめ たものとされ,パレの外科書やスクルテタスの「外科の武 器庫」から挿絵を写して彩色し,日本語で説明がつけられ ている。楢林流外科の教科書として用いられたと思われる。

「吉雄耕牛肖像」は,若くして通詞の最高官である大 通詞となって活躍した吉雄耕牛(1724-1800)を描い た掛軸である。彼は吉雄流外科の祖でもあり,600人の 門人がいたという。「解体新書」の翻訳に大きく貢献し

写真4.紅夷外科宗伝(写本)

写真3.医学分館外観

(3)

イン,マンスフェルトらがオランダ語で行った講義を,松 本良順以下,日本人の弟子や学生は日本語の講義録とし て書き留めていった。それらの手書きの講義録,それら を元に刊行された教科書なども,当館の貴重な資料である。

2010(平成 22)年には当館に「佐藤方朔文庫」が寄 贈された。佐藤方朔(1854-1886)は,長崎医学校に 学び,京都療病院,大阪医学校でマンスフェルトの訳官

(通訳兼助手)を務めた。彼の実家に伝わり,ご子孫に より当館に寄贈された約600冊の書籍は,彼が翻訳・出 版したマンスフェルトの講義録を始め,物理学や植物学 など,当時の長崎医学校で行われていた教育の内容がわ かる貴重なコレクションとなっている。

少し時代が下り,「五高医学部」時代(1888(明治20)

年~1901(明治34)年)の講義録も100冊程度所蔵しており,

医学教育の内容の変遷を研究することができる資料である。

Ⅴ.原爆と長崎医科大学

幕末から現代までの間には,国政の変化や数度の戦争 により,いくつもの学校存続の危機があった。中でも大 きな傷跡を残したのは,1945(昭和20)年8月9日に長 崎に投下された原子爆弾である。

爆心地から長崎医科大学(現長崎大学医学部)の基礎 医学キャンパスまでの距離は,わずか550メートルであ り,木造の校舎は瞬時に倒壊,炎上した。基礎キャンパ スにいた医学部のほとんどの教官,学生は即死,または 1 ヶ月以内に急性原爆症のために死亡した。図書館の事 務室・閲覧室は全焼,資料の大部分は焼失し,館内の図 書館職員も全員死亡した。

原爆投下の約3 ヶ月前,当時の貴重資料など約130点が 佐賀県鹿島町に疎開しており,焼失を免れた。この中に は,楢林鎮山の『紅夷外科宗伝』写本などが含まれていた。

原爆で被災した資料の中にも,かろうじてその存在を 留めたものがあった。1860(万延元)年,ポンペがフラン スから取寄せた紙製人体模型=キュンストレーキ(写真5)

である。頭部と両腕,体内に収められていた臓器などは 失われているが,胴体のほぼ4分の1と片脚と台座部分が 残っていて,今も自立している。表面には焦げ跡があり,

よく見ると小さなガラスの欠片も2つほど埋まっている。

被爆当時,キュンストレーキは,基礎キャンパスでは 数少ないコンクリート製の建物であった図書館の書庫に 入れられていた。コンクリート製の建物といえども,爆風 と熱線により窓は破られ,書架は倒壊し,ほとんどの資 料が灰燼に帰したのであるから,紙製のキュンストレーキ が一部とはいえ焼け残ったのは奇跡としか言い様がない。

現在,このキュンストレーキは,展示室のドアを開け た正面に,ガラスケースに入れて展示している。日本に 現存する同時代のキュンストレーキ4体の内,もっとも損 傷が激しいものではあるが,これは,医学史のみならず 原爆被害のモニュメントとしても重要なものなのである。

そのほか,原爆に関連する資料として,焼け跡から掘 り出された長崎医学専門学校と長崎醫科大學の校印や,

本学の放射線科医師だった永井隆博士の著作などがある。

さらに,改修工事後に展示に加えたものに,背の部分に 鋭い傷が無数についた20冊ほどの図書がある(写真6)。 病院は基礎キャンパスより200メートルほど爆心地から遠 く,建物もコンクリート製であったため,倒壊しなかった が,ほとんどの医局等では火災が発生した。燃え残った 図書は回収され,以後70年間,通常の図書館の蔵書とし て書庫に並んでいた。一度は,古くなって利用のないそ れらの図書の処分を考えたのであるが,その傷が,爆風 により飛び散ったガラスが棚に並んだ図書の背をずたず たに切り裂いた跡であることに気付き,改めて史料とし て展示したのである。

写真5.キュンストレーキ

写真6.原爆被災図書

(4)

Ⅵ.展示室の見学について

展示室は,通常は施錠しており,見学希望者の要望に より開錠する。個人的な見学は,開館・閉館の準備作業 中を除き開館中は常時可能で,土・日・祝日も受け入れ る。また,入学式や卒業式など,行事により来訪者が見 込まれる日は,施錠せずに開放している。

改修の際,古い展示ケースの更新やキュンストレーキ用 の大型ガラスケースの製作ができたことにより,資料の破 損や事故の恐れがなくなり,見学者には自由に室内を見 ていただけるようになった。それにより,職員が手薄な夜 間・休日などの見学も可能になったのである。特に職員の 案内を希望される場合や,団体での見学については,平 日の定員職員が対応可能なときに限らせていただいている。

見学者数は,2014(平成26)年度(5月28日~ 3月)

が409人,2015(平成27)年度(4月~ 11月)が676人 であり,2014(平成26)年のリニューアルオープン以来,

増加傾向にある(図2)。団体での見学は,本学の新入 生オリエンテーションのほか,福岡県の小学校や愛知県 の高等学校の修学旅行など年に数件である。大学への来 賓や教員の案内で来られる来客等を除けば,訪れる見学 者は,1 ヶ月に数組と決して多くない。見学時間はまち まちで,10分程度の人もいれば1時間以上の人もいる。

展示室は,閲覧室の中を通らずに行けるようになって いて,試験期等の学生の混雑時に来館者があっても,ほ とんど影響がない。改修時にエレベーターを設置するこ とができ,年配の方などが階段の上り下りに苦労されるこ ともなくなった。古医書などの閲覧・調査については,展 示室内のキャレルか分館長室を利用していただいている。

Ⅶ.展示会について

2014(平成26)年3月15日から6月15日まで,国立科学 博物館で開催された特別展「医は仁術」には,「紅夷外科 宗伝」,「和蘭全躯内外分合図及び験号」など5点を出展した。

特別展「医は仁術」は,その後巡回展として2014(平 成 26)年 12 月 23 日~ 2015(平成 27)年 2 月 11 日まで 長崎市内の長崎歴史文化博物館で開催された。その際に は,長崎関係のコーナーが設けられ,当館からさらに多 数の展示品を出品した。

同時に,当館でも常設展示を変更して,「医は仁術」

のサテライト展示を行った。キュンストレーキなど,資 料保存の面から貸出が不可能な資料も見ていただくため である。また,長崎歴史文化博物館の展示を見て医学史 に興味を持った市民の人々に,当館の展示室が開放され ていることを宣伝したいという狙いがあった。同期間の 学外からの見学者は38名であったが,その後の1 ~ 2 ヶ 月,口コミで見学に訪れる人があり,例年はほとんど見 学者がいない1 ~ 3月に計115人の見学者数があったこ とは,特別展の効果と考えられる。

2015(平成 27)年度には,大分県立先哲史料館で開 催された『おおいたの「医」 幕末・近代の医療と医学 の物語』に「吉雄耕牛肖像」や「正骨原」,楢林宗建の「牛 痘小考」など9点を出品した。

また,先に紹介した長崎歴史文化博物館で2015(平成 27)年12月12日から2016(平成28)年1月24日に開催した「幕 末長崎古写真館~ボードインコレクションから~」にもボー ドインの講義録などを出品した。ボードインコレクション は,長崎大学附属図書館が所蔵する7,000点を超える古写

図2.展示室利用状況(2010年度~ 2015年度)

260人 325人

257人 332人 409人 676

0 100人 200人 300人 400 500人 600人 700人 800

4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月

年度別展示室見学者数(累計)

2010年度~2015年度

2010 2011 2012 2013 2014 2015

(5)

真コレクションの一部である。長崎大学の古写真は,第二 次世界大戦以前の長崎の懐かしい風景を伝えるものとして 市民に愛されており,たびたび展示会を開催している。

Ⅷ.市民と大学図書館

長崎大学附属図書館は,古写真コレクションの収集を 始めて以来,最初のころは市内のデパート,近年では長 崎歴史文化博物館や長崎市立図書館と共催で古写真展を 開催することで,市民に親しまれている。また,『幕末・

明治期日本古写真メタデータ・データベース』などの古 写真データベースをWeb上に公開することにより「古写 真といえば長崎大学附属図書館」と認知されるに至った。

しかし,「近代医学史料展示室」を訪れる人は,医学 史に特別な興味を持つ人だけである。実は,長崎大学坂 本キャンパスは「長崎さるく」という町歩きのコースと なっていることもあり,多数の旅行者や修学旅行生,校 外学習の子供たちが当館の横を通ってゆく。彼らは,平 和公園,長崎原爆資料館を中心に,原爆・平和関係の遺 構・施設を見学している。「長崎さるく」の案内人である ボランティアの人たちに「近代医学史料展示室」を紹介 し,見学場所に加えてもらいたいのだが,「平和」と「医 学」のイメージの違いからか,未だ軌道に乗っていない。

当館は2004(平成16)年にWebで『近代医学史関係資 料「医学は長崎から」』を公開している。制作から10年以上 経過しているが,今でも月に200件程度の閲覧がある。Web サイトのリニューアルなどによりPR効果を高めることができ れば,県外からの旅行者にも立ち寄ってもらえるようになり,

市民や本学学生の関心を得ることにも役立つかもしれない。

Ⅸ.資料の収集と保存

一部を疎開させていたとはいえ,原爆で壊滅的な打撃 を受けた当館において,貴重資料の大部分は原爆後の収 集品である。

古書等の購入費は,医学部・病院を中心とするキャ ンパス内の部局から拠出された予算の中から捻出してい る。昨年度は,モーニッケがもたらした医学の内容が多 く解説されている「済生備考」を購入することができた。

1冊ずつでも関連資料が整うと,展示も充実するのである が,来年度はその予算も雑誌購入費に当てざるを得ない。

購入以上に重要なのは,元教員や卒業生,またはその 縁者の方からの寄贈である。法医学者の浅田一旧蔵書の

「浅田文庫」(一部は購入),古医書のコレクションである

「東文庫」,先に紹介した「佐藤方朔文庫」などは貴重書 庫内の蔵書の中核を形成している。また,1年に数回程

度,戦前の卒業アルバムや講義録など,医科大学関係資 料の寄贈の申し出をいただく。失われた史料が少しずつ 充実していくのはありがたいことである。先達の母校へ の想いも一緒に保存させていただいていると感じている。

一方,保存・修復も重要である。資料は日に日に劣化 していき,修復には多額な予算を必要とする場合が多 い。掛軸などは,痛みが激しく展示できないものもあっ たが,幸いにして「吉雄耕牛肖像」「正骨原」などの資 料を修復し,常設展示や館外への展示会出品に耐える状 態にできたことは,資料の運用上,重要であった。

保存については,改修後,貴重書庫内の整理が未だ十 分ではない。文書,書類の類もあるので,文書箱等を活 用し,配列を工夫して,1点1点の資料に優しく,捜し やすく,人が扱いやすい保管方法を検討していきたい。

Ⅹ.未来へ

当館の展示は,洋書や古書が多く,あまり子供向けの 展示ではないと思う。しかし,小学生や女子高校生がず いぶん真剣に見て行ってくれる。例年同じ学校から訪問 があると,昨年の評判は悪くなかったのかと嬉しくなる。

そして,毎年,何人かは食い入るように展示を見て,

質問していく生徒がいる。彼らが見ているものは,過去 ではなく,過去から続く未来なのだろうと思う。彼らが 目指すものが医療であろうと,別の何かであろうと,そ の心に先人の志の一端を触れさせることは,たいへん価 値があることではないだろうか。

国立大学法人の予算は厳しく,コストパフォーマンス が見込めない図書館内の展示室などは,明日の存続も危 うい。しかし,長崎医学の精神を伝えるためにも,この 展示室を維持していきたい。

参考文献

1 ) 青木義勇. 長崎医科大学歴史散歩. 青木義勇編. 長崎医 大昭和六年卒業生の思い出. 長崎:青木義勇;1981.p.178-85.

2 ) 相川忠臣. 出島の医学. 長崎 : 長崎文献社 ;2012.

3 ) 長崎大学医学部編. 長崎医学百年史. 長崎 : 長崎大学医 学部;1961.

4 ) 松村悠子. 原爆投下以前の官立長崎医科大学附属図書館.

会議発表資料;2012. [internet]. http://hdl.handle.net/10069/

29696 [accessed 2015-12-28]

5 ) 特別展「医は仁術」 [internet]. http://ihajin.jp/ [accessed 2015-12-28]

6 ) 大分県立先哲史料館 [internet]. http://kyouiku.oita-ed.jp/

sentetusiryokan-b/ [accessed 2015-12-28]

7 ) 近代医学史関係資料「医学は長崎から」[internet]. http://

www.lb.nagasaki-u.ac.jp/search/ecolle/igakushi/index2.

html [accessed 2015-12-28]

参照

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