学校体育に於ける身体活動について
(指導要領批判)
花
田大 四 郎
序 文
白と去ろ身体は食物によって生命を維持する基庁舎身体であるのみならず言語によって思想 や感情等を表現する表現的身体であり,又それによって人と人とを結ぶ社会的身体である。
(傍点原著のま9
佐々木秀一著「体育の哲学的序章」80ページ
以上は氏の体育の哲学的序章の附録「身体の社会的性格」の章に於いて人間の身体をロによ って代表せられて述べられている一節である。
学校体育が「身体を通じての教育である」と云われ或は「身体の教育である」と云われると しても何れにしても体育である以上身体というものから離れると云うことは不可能であろう。
とすれば体育を考える場合当然基礎的身体と表現的身体という二面の働きを考えなければなら ないことは又当然であろう。
私はこの観点に立つことにより現在まで及び現在の学校体育の在り方について考えて見たい と思うわけである。
現在迄の学校体育がこの基礎としての身体と表現としての身体についてどの様に見,或は考 えて来たかについて考察を考えると共に,将来どの様に考えて進むべきであろうか学校体育に 於いて其の進むべき方向に一考察を加え現在の指導要領に批判を加えたいと考えるわけであ
る。
学校体育の史的考察
現在の学校体育が何如なる経過を通って行われて来たか,主として今村嘉雄氏の「日本体育 史」によってその変遷を振り返って体育の二面性所謂基礎的身体と表現的身体との関係を先ず 考えて見ること\する。学校とし)っても小学校,中学校或は戦後に於ける高等学校大学と種々の 学校体育があるわけであるが,ここではその代表として小学校の体育について考察し戦後の中 学校を付加えることによりその時代の代表的体育観或は義務教育としての学校体育について考 えることとする。
明治五年 学制
我国の学校体育が制度化されたのはその学制によってである。勿論これより以前に於いても 各藩校に於いて行われていたであろうことは事実であるが全国的義務教育として制度化されて いない為に以前のものは学校体育としてはここでは取上げないこととする。
一38一
体術体操
「三級に体操を置き一日一,二時間を以って足れりとし……」樹中体操図によ.て行う様指 示されている。(今村嘉雄著「日本体育史」63ページ)
明治6年5月改正の東京師範学校附属小学校の「下等小学教則」には
「体操体操図によって授く」更に「時間定まりなしと錐も五,六分宛一日両三度すべし,も らとも巌飾ゐ意た任ナ」 (今村嘉雄著「日本体育史」65ぺ=ジ)
以上学制公布当時の体操について定められた範囲について挙げて見たわけであるが傍点の如 く学校教育として学校は一応義務として発足したわけであるがその中に於いての体育は未だ「
教師の意に任す」,と云う範囲であり体育が義務として子供にその履行を迫るまでには至ってい ないと見るべきが正しいであろう。
又単に「一日両三度すべし」と云う様にその方法のみが規定せられているわけであって直接 体操によって教育に貢献する所の目的と云ったものは明確にされていない。勿論体操を行うこ とにより教育的な何等かの効果を認めたが為に教科として学校教育の中に入れられたことは確 かであろうが積極的に体操自身の目的等規定することなく発足して行ったと見るべきである。
明治二十三年 小学校令 二十四年 小学校教則大綱
体操は身体の成長を均斉にして健康ならしめ精神を快活にして剛毅ならしめ兼て規律を守る の習慣を養うを以って要旨とす。 (今村嘉雄著「日本体育史」163〜164ページ)
初めて不完全ながら(今村氏の言によれば)体操科の身体的目標と性格的目標とをうたっ
た。
此所に初めて制度どしての学校体育が王式に規定として発足しその性格を同様に明確に打出 したわけである。
今村氏は不完全ながらと注を加えておられるめであるが少くともこの発足に当っての体育の 性格目的と云うのは其後終に我国が戦争に依って打ち破られるまで連めんとして続いた所の考 え方の根本となるわけである。
即ち「体操は一…ヨと云う其の体操の内容の変遷は種々であろうが其の様に身体活動を行わ せることにより身体の成長或は精神の発達をねらったと考えられるであろう。即ち身体の活動 により基礎的身体の成長を促すと云う考え方に帰一するわけである。
此様に身体(或は身心)を基礎的身体と見る考え方は其後小学校指導要項等色々の変遷を経 て行く場合に於いても終に其の根本に於ては変化することなく戦争に入るわけである。
昭和十六年 国民学校令及同施行規則
体練科に於いては身体を鍛錬し精神を錬磨して澗達剛健なる心身を育成し献身奉公の実践力 に培い皇国民として必要なる基礎的能力の錬磨育成に力むべし(指導要項) (今村嘉雄著「日 本体育史」348ページ)
日本が極端な全体主義軍国主義に走った国民学校令に於ける学校体育の指導原理,指導目的 一39一
を示したものである。この内容を研嘱して見ても所謂明治二十三年当時に於ける学校体育の発 足当時に於いての根本的な原則に於いては大差はないと見てよいのではないであろうか。即ち 身体活動を行わせることにより基礎的身体の育成をねらうと云う根本に於いて言葉の端に於い ては育成が極端に鍛錬等と云う様に変化していることは事実であるが,根本的には学校体育に 於いては「身体活動によって基礎的身体の育成を期す」と云う考え方,目的は変化することな
く連続した考え方であると思うわけである。
猶次いで忘れてならないのは夫々の指導要項に於ける所の後.半である。
即ち明治二十三年発足に当っての目的に於いて前半個人的な子供の身体発達育成を挙げるの であるが「…兼ねて規律を守るの習慣を養う…」と云う当時としては新しい考え方であったと 思われる社会性の原理が附加せられていることである。敢て「附加せられている」と書いたわ
けであるが当時の体育の原理としては体操を行わせることによって
一義的には子供個人の身体の発達,精神の発達を目的として居り猶其の上に
二義的には「兼ね」 「同時に」規律を守ると云った様な社会人としての基礎を併せて養成し ょうとしていたことがうかがえる。
即ち体操を行わせると云う方法によって,先ず第一義的に子供個人の身心の発達を目的とし ていたわけであることは明らかであると云える。其の上に「兼ねて」と附加えることにより「
規律を守る」と云う社会性を養成する様に考えられるわけであろう。
此の様に身体活動を手段視して身体発達を第一義的な目的と見た考え方が我国が昭和十二年 頃より非常な勢を持って軍国主義に走るに及んで何時の間にかこの第一義的な目的と第二義的 な社会性への目的が混合され或は逆転して考えられる様になっている。
即ち昭和十六年の国民学校令に依る所の「潤達剛健なる心身を育成し献身奉公の実践力に培 ひ皇国民として必要なる基礎的能力の錬磨育成に力むべし」先ず個人の「身心の育成」が第一 の目的であるのであるか「皇国民としての基礎的な能力」が根本的な第一要素であるのか,此 の短文では混合して考えられると思うのであるが,当時の軍国調全体主義時代観より見れば個 人としての「身心の育成」も先ず全体,即ち「皇国民としての基礎的能力」の鍛錬と云う目的 に奉仕する所の手段と考えられていたことは容易に想像せられ得ることであろう。
以上の如く考えて見ると明治の初めに学校体育が発足した場合に於ける所の所謂体操を行わ せることにより先ず個人の身体の発達を主眼とし「兼ねて」と第二義的に社会性を考えた。こ の様な主旨に反し,昭和十六年の国民学校令に至れば,体操を行わせることを手段とし個人の 身心の発達を促すことも同時に手段であるに変りなく,根本的には皇国民としての基礎的能力 の育成をはかる……最後の社会性と云うものが第一義的な目的となって逆転して考えられてい ることはよくわかると思うのである。
以上学校体育の発足により戦前までの学校体育の性格或は目的観について田各述したわけであ るが次に我国未曽有の敗戦と云う転機を境として如何なる変化を見せたであろうか。
一40一
敗戦後の学校体育
昭和二十二年 学校体育指導要綱
「健全で有能な身体を育成し人生に於ける身体活動の価値を認識させ社会生活に於ける各自 の責任を自覚させることを目的とする」
下の目的より更に具体的目標を導き 第一に身体の健全なる発達 第二に精神の健全なる発達 第三に社会的性格の育成
以上の如くなっている。(今村嘉雄著「日本体育史」377ページ)
我国が未曽有の敗戦を経験することに依り戦前の軍国時代,全体主義時代を永遠に捨て去り 平和国家,民主主義国家として新たに誕生したことは今更言をまたない所である。
教育の性格も国家形態に依り大きく変化させられたことは又当然の話であろう。と云うこと は学校教育が一大転換を見たことであり同時にその学校教育の一教科である所の学校体育も当 然大きな変化を見なければならなかったいわゆる我国の根本性格其物が一大転換を来たしたの である。
成程今度の指導要綱を見れば軍国調或は全体主義調と云う所謂昭和十六年国民学校令に代表 せられた様な個人の身体発達までも国家目的の手段即するが如き考え方は一応払拭せられてい ると見るべきであろう。又当時の我国の国家的価値観念の逆転と云う一大混乱の時代に討て一 応全体主義を払拭した形に於て学校体育が存続したことの必要性も当然と云えば止むを得ざる 所であったと考えられる。
而し其後一応敗戦の混乱の中にあっても,此の指導要綱を整理して次の落着いた形に於いて 改正する時期を迎えたわけである。
昭和二十八年改訂版
小学校学習指導要項体育科編 体育科はどんな役割をもつか 「体育科の位置」として
(1)児童の身体活動についての生理的な必要を社会的に望ましい形で満たす。
(2)身体活動を通じて現在及び将来の社会の構成員として必要な民主的生活態度を育る。
(3)レクリェーションとして身体活動を正しく活用出来るようにする。(傍点筆者)
「体育指導の中心点を児童におく」
「…児童の自主的な学習を方向づけるようにしなければならなくなる。」
「そこで教材を教師の立場で完結した体系として与えるよりも……云々」
「すなはち身体活動の能力をもつことが終局の目標ではなく其の能力をどの様に使うか,ど の様に役立たせるかと云うことが大切なのである。」
以上例を挙げた様に説明されて
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「したがって身体活動についての考え方が何よりも重要であってこの学習指導要項では児童 の身体活動に対する必要性や児童たちを取りまく地域社会の必要性を無視して教材,または身 体活動のみを教える立場を否定しょうとするのである」 (文部省発行小学校学校指導要項体育 科斗1ページ)
以上少し永過ぎたと思われる様に引用したのは結局体育の指導目標を立てるに当ってどの様 な立場で立てられたかということの説明として重要であると思うのである。
以上の立場より立てられた体育科の目標 (1)身体の正常な発達を助け活動力を高める。
(2)身体活動を通して民主的生活態度を育てる。
(3)各種の身体活動をレクリェーションとして正しく活用することができるようにする。
三項目の一般目標を挙げているわけである。
前述した如く敗戦によって軍国調全体主義調が払拭せられる事は当然である。而しそれのみ でよいのであろうか。即ち戦前の教育其物の在り方と戦後の教育の在り方とは単に軍国主義全 体主義を払い除くだけで充分なのであろうか。不幸にして戦時中の体育が個人の身体的成長ま でも全体的目的の為に手段回したが為に一応全体的目的を取り除くことに依り如何にも体育の 在り方が変化したかの如く錯覚を来しているのではないだろうか。
即ち「身体活動によって個人的な身体つ成長を促進しょう」と云う学校体育の性格は少くと も明治二十三年置は明治五年学校体育が制度として発足した時期以来連続した考え方であった のである。唯戦争と云う非常時に促して其の上に国家目的と云う物が何時とはなく覆いかぶさ り終にはむしろその方が第一重要目的であるかの如く考えられたに過ぎないのであり,学校体 育の根本観念としての身体活動を何かの手段として見る考え方は寸毫も変化しているわけでは なかったのである。
此の昭和二十八年の改訂版によって初めて以上の「身体活動の手段視」を改訂しょうという 考え方に立つわけである。
即ち明らかに
「身体活動についての考え方が何よりも重要であって…云々」
と指導要項作成に当っての性格付ける重要ポイントと考えているわけである。
即ち明治以来「身体活動」を手段として
「個人として基礎的身体の成長を促す」と云う考え方が学校体育を支配していた点を指摘し ているわけであって,学校体育其物の在り方として敗戦を境として基礎的身体観其物より脱却
して「児童の必要を満たす」と云う様にP「表現としての身体活動」この変化を考えていたわけ であることが非常に大切な点であると思うのである。
以上の如く此の改訂版に当っての最も重要な改正要点を其の「体育科の位置」であるとか,
「体育指導の中心点を児童に置く」等と指導要項の改訂版に性格付けて置きながら何故か其の 目標第一条に於て相不変「身体の正常な発達」を持って来てしまっている。
一42一
切角児童の表現としての身体活動…序文にも書いている様に思想感情の出口としての口∴と 云う物を「身体活動についての考え方が何よりも重要であって」と自ら其の重要性に気付き而
も性格として述べて置きながら,しかも猶目標としては単に「基礎的な身体の発達」と云う従 来の考え方をそのま\通用させてしまったのであろうか。
私はここに文部省学習指導要項其物の自己矛盾を見出す。即ち目標目的と云う指導のポイン トを立てるに当っての体育科の性格付けに於ては表現的身体活動を考え定義付けて置きながら 其の定義付けにより生れて来た所の目標と云う物は門々似ても似つかぬ身体…。従来通りの身 体教育に過ぎない。
以上の如く最:も重要なる「身体活動」に対する考え方の自己矛盾を含んだま\の指導要項に 依って体育が考えられ,指導せられなければならないとすれば当然非常な混乱が予想されるこ
とは容易であろう。
昭和三十三年改訂版として改訂されるわけであるがその前に其の混乱を一寸考えて見ること としょう。
文部省学習指導要項委員であり同時に東京教育大学教授である本間茂雄氏の言によれば,
「今回の(三十三年版)指導要項が現行のものと(二十八年版)非常に違った点は今迄のも のが参考にすぎなかったものが必修の最低線を示したということである。現在のわが国教育の 行き方としては指導者が自主的に責任を持って最善の教材を選んで教育をしていくのが立前で あるが,過去十年の体育実績を全国的にながめてみると結局何をいかに指導すべきかというこ と自体に迷っている指導者が圧倒的に多く現場の声としても何らかの指示を国家的立場に於て 出して欲しいと要望されているので文部省としても思い切って体育上望ましいと思われる最低 の線を示し……云々」 (小学校学習指導要項の展開体育科編)
以上の如く書かれているのである。
氏の言葉の要旨を見て見る場合,其の言の中に多くの問題が存在すると思われるのである
が,
「何をいかに指導すべきかということ自体に迷っている指導者が圧倒的に多く」
圧倒的多数の学校体育指導者が何をいかに指導するかに迷っている状態を書いて居られるの であるが一体何故に其様な状態を現出したのであろうか。氏の言によれば如何にも指導者自身 の自主性の欠三思は不勉強の故であるかの如き印象を受けるのであるが果して不勉強の故であ ろうか。指導要項の如き指導に当っての具体的な要項が参考資料として示されていない場合に 於ては或は迷うことがあるかも知れないし又混乱することも充分考えられるであろう。恐し其 所に指導の手引きとしての指導要項が示されて居りながら猶「圧倒的多数の者が迷う」と云う 場合当然指導要項其物に何か迷うだけの原因があるのではないか。指導への手引き書の方にこ そ何等かの欠点があるために迷うのであろうとは考えられないであろうか。氏は其様には考え られていない様であるが,そして如何にも現場の指導者の不勉強の故であるかの如く考えられ るのであるが。
一43一
前述の如く私は前指導要項(二十八年版)にはそれ自身の中に自己矛盾がある。即ち性格に 於ては新教育の線にそって表現としての身体活動を取挙げ,目標内容等に至っては従来通り基 礎としての身体活動に止まっている所の指導要項中の最も大切な重要な身体活動其物に対する 考え方の矛盾,ここにこそ其後の現場の混乱或は迷いの原因があると考える次第である。故に 不勉強の故に迷うのではなくて,むしろ此の指導要項に従して勉強すればする程それ自身の矛 盾により迷うのが当然であるわけであろう。
次に「迷っている指導者」と如何にも迷ってはいなけい様な印象を受けるわけであるが本質 的に云って「迷う」ことは悪いのであろうか。勿論「何を何回に指導してよいかわからない」
と迷って「何もしない」ならば悪いにきまっているであろうし文部省としても困るであろう。
回し「迷いに迷いつ》も」自己の進むべき方向を見出すべく努力をして勉強していることこ そ本当の自主性であり,それこそ我国教育の立前であるべきではないであろうか。氏も立派に
「立前である」と前言に明確に書いてある様に,氏はこ\で如何にも「迷う」こと自体が悪い こと困ったことであるかの如く書いているのであるが。
勿論「迷う」ことにより「何もしない」と云う結果を招いた指導者も存在したであろう。多 くの人間を考えるわけであるから一人も存在しなかったとは考えられない。
而し同時に「迷う」ことにより「如何なるが自己の道であるか」と種々勉強に勉強を重ねて 自己の道の発見に最大の努力を積み重ねて努力している指導者も同時に存在していた筈であ
る。
その上に結論的に云えば二十八年の指導要項は一応理論的には新しい教育としての学校体育 の発芽であったのであるが,まことに残念ながら明治以来の旧体育即ち基礎としての身体教育 の殻を完全には脱皮し得ず……此様な指導要項の如く衆智を集めて成立させられる様なものに は止むを得ない姿であるかも知れないが……旧時代の殻を持ったま\世に出されていまった。
新しい芽が旧い殻をかぶったま㌧出て来たと云う矛盾を持ったま\出された所に新しい体育の 在り方と旧来の体育の行き方とが「迷い」「混乱」を招来した最大の原因であったと見るべき であろうと考えるのである。
指導要項自身でさえも完全に脱皮し得なかったと云う言葉は敗戦を旧いとしての旧い教育(
教師中心)を脱皮して新しい教育(子供中心)への転換の発芽であったわけである。学校体育 に於ても同様に旧来の児童の身体活動を以って基礎としての身体発達の為の手段と見た所の教 師中心の体育の在り方を大きく変換して児童の身体活動を以って児童の思想或は感情の表現で あると見る。所謂表現としての身体活動其物の教育へと変る繭芽を含んでいたわけで其様な大 転換の時期に於いて大いに迷うと云うことは当然と云えるのである。
云わば指導要項自体が「迷って」いたのである。
此様に指導要項其自身「迷いつ刈変化しつ\あった「迷い」を以って氏の言を借りるなら ば,第一に迷うこと自体を否認した態度,立場より,
「文部省としても思い切って……云々」
一44山
と云う様に現場の指導者が迷わない様に示したのが次の三十三年改訂版として出されたわけ である。
三十三年改正 目標第一条
←う各種の運動を適切に行わせることによって基礎的運動能力を養い心身の健全な発達を促 し活動力を高める。
(文部省発行学習指導要項小学校210ページ)
目標は第一項のみに止めるがその目標の依って以って立てられたであろう体育の性格と云っ た前指導要項に示されていた点は省略せられ終に「児童の必要を満たす」とか或は「体育指導 の中心点を児童に置く」等と云う所謂「表現としての身体」教育である考え方は,其の片隣…も 姿を見せず完全に打消されているのである。
そして目標第一項に代表した通り完全な型に於て身体活動を手段視して基礎的身体の育成と 云うこと一本に縛られているのである。
「各種の運動を適切に行わせることによって」と,完く「運動をやらせる」ことを手段視 し,それによって「身心の発達」を促進すると云う完全な形に於て明治以来の学校体育の考え 方に帰一してしまっているわけである。
以上明治以来今日迄の学校体育の性格について史的に論じて挙げて見たわけであるが第一に 問題として上げるのは,
児童の身体活動其物についての考え方である。其他本間氏の言葉に代表されている様な今回
(三十三年)改訂に当っての考え方等にも種々問題は存在するとしても一応其等は別に譲ると して,前要領(二十八年版)で「身体活動についての考え方が何より重要で」と言っている様 に児童の身体活動其物について考えて見ることとする。
敗戦を境として現在の教育は唯単に戦前の全体主義,軍国主義的目的を除いただけの教育な のであろうか。即ち子供の身体活動によって子供の身心を鍛錬し……子供の身心を鍛錬するこ とによって国家目的に奉仕せしめると云う所謂国家主義,軍国主義的身体教育より,唯単に国 家目的を取除いただけの体育であって良いのであろうか。即ち国家目的の部分のみを取除いて 結局「身体活動によって,身心の健全なる発達を期する」迄に止めることでよろしいのであろ
うか。体育其物は戦前戦後を通じて何等変化していないと見てよろしいのであろうか。
子供自身の慾求を考えないで,唯子供を囲む社会の必要性のみを強調した体育のあり方のま
、で戦後の体育があってよろしいのであろうか。
前にも述べた様に前指導要領(二十八年)に於て述べられて、)る或は繭芽であると云った所の 「体育指導の中心点を児童におく」
という新しい体育の行き方,在り方は嘘であったのであろうか。子供の要求,慾求を先ず満 足せしめる体育は一体どこに行ったのであろうか。
教育学を云々する迄もなく,当然新しい体育の行き方として「児童中心の考え方」で行かな ければならない筈である。
一45一
勿論成人が未成人に対して行う所の学校体育である以上,成人の要求を完全に無視してよい と言うわけには行かないのは当然である。即ち子供の基礎としての身体の発達と云うことも当 然学校体育に出て充分考え,当然期待しなければならないのである。而しだからと言って子供 自身の燕岳,要求を考えなければ,従来の教育体育と何等変ることはないと言わざるを得ない のではないであろうか。
此の「子供自身の慾求」を中心とすることが即ち戦後の体育の最も重要な点であると考え る。其故,大人の或は社会国家の要求は当然第二義的に副次的に入って来るであろう。丸しあ
くまでも第一義的に重要な目的は何と云っても子供自身の要求であり慾求であらなければ考え られないわけであろう。
即ち学校体育と云う物の性格としては最も重要な目標と云うか目的として,
「子供自身の要求」としての身体活動を取上げることに依り先ず第一に,「子供の身体活動」
を表現として見る。
序文にも述べた様に佐々木秀一氏の言葉を借りれば表現的身体を第一に教育する働きが学校 体育の重要目的であり目標でなければならない。
「児童の運動意慾を満足せしめる」体育であらねばなちない。
次に勿論第二義的には「子供の運動に対する意慾要求」を社会的に指導しなければ,学校教 育であるとは云えないであろう。
社会の要求としては「子供の身心の健全な発達であるとか或は技能の上達であるとか活動力」
と云った様なものを取り上げなければならないであろう。
即ち「基礎的身体」を考えなければならないであろう。
以上述べて来た所により現行(昭和三十三年版)学習指導要領の目標第一の
「各種め運動を適切に行わせることによって基礎的運動能力を養い心身の健全なる発達を促 し活動力を高める」と云う様な所謂「各種の運動を行わせる」と云う「子供の身体活動」を以 って先ず基礎的身体のための手段とのみ見ている考え方を排して,
「子供の運動意慾要求を満足させ発展させる」ことを第一目標として考えなければならな い。その後に現在の第一目標である所の身体的目標を上げて行く様に考えられなくてはならな いと結論する次第である。
佐々木秀一 今村 嘉雄
本間茂雄 文部 省 文部 省
引 用 文 献 体育の哲学的序章
日本体育史
小学校学習指導要領の展開 小学校学習体育科編(昭和28年)
学習指導要領小学校(昭和33年)
一37.7.14受付一
一46・一
(37.7.M完了)