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経済発展と資金供給

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経済発展と資金供給

その他のタイトル The Role of Finance in Economic Development

著者 森川 太郎

雑誌名 關西大學經済論集

巻 9

号 6

ページ 534‑556

発行年 1960‑03‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15572

(2)

534 

ら︑恐らく巨額を要するであろう開発の資金が如何にして金融され得るか︒現実問題としては外資の導入︑先進国

の援助等も考えられ得るが︑それだけで問題が解決せられ得るか否かが問題であり︑現にこれ等の点をめぐつて種

種の論議が行なわれている︒当面の問題はおのずからこのような問題にも関連するが︑今はこれを問題としない︒

なおここでいう資金とは︑勿論︑貨幣の形態をとる資金の意であり︑実物的な投資資源の意味ではない︒

従来の金融理論に従えば︑ る ︒

このような資金の供給源泉は何よりも先ず貯蓄である︒すなわち貯蓄によって消費的 一般に低開発国においては所得の水準が低く︑従ってこれからなされる貯蓄の高も小であろう︒その貯蓄か 経済の発展には新らしい投資が伴なわなければならない︒その新らしい投資のための資金は︑如何なる源泉から

供給せられるのであるか︒ここに金融理論と動態理論にかかわる︱つの問題があるように思われる︒この問題はこ

れを今日の現実問題に引例していうと︑例えば低開発国もしくは後進国の経済開発に要する資金の供給の問題であ

経 済 発 展 と 資 金 供 給

JI I 

(3)

ち︑新実物資本の形成または資本蓄積が生ずることになる︒この時貯蓄せられただけの資金が投資に用いられる 財生産から解放せられた生産要因が︑資本財生産のために再雇用せられ︑そこに追加的な資本財の生産︑すなわ それが投資支出に充てられると︑先に消費 作用する資金の供給源泉からは︑ 支出を差控えられた貨幣が︑新らしい投資の資金として供給せられる︒勿論ここにいう貯蓄には賃銀その他貨幣所得の受領者においてなされる個人的貯蓄の外に︑企業自体の利潤留保による企業貯蓄︑政府等によって行なわれる財政上の貯蓄も含まれる︒資金源泉の第二は旧投資から回収せられる資金である︒固定設備償却のために積立てられる資金は勿論︑商品の販売︑売掛金の回収によって得られる資金も︑企業にとつては一応自由に投資し得る資金である︒けれども旧投資の回収から浮かび上る資金は︑資本設備の規模が一定に保たれるためには当然再投資されることが予想せられるのであり︑いわゆる資本維持

( ca p i ta l

,  main

te

na

nc

e)

を前提とする理論構成においては︑蓄積

の増加を結果する新らしい投資の資金とは認められ難い︒よって旧投資の回収から得られる資金は︑経済の発展に

( 1 )  

一応これを除外して考えるのが通例である︒資金源泉の第三として銀行ないし銀

行組織が造出して供給する資金がまた挙げられる︒しかしこの銀行による資金の造出は︑従来︑副次的もしくは一

時的な資金供給の源泉と見られ︑主要なまたは経常的な資金源泉として取扱われなかった︒むしろ造出資金による

( 2 )  

新投資はインフレ的禍害を生ずる虞れのある危険な要因と考えられたのである︒

かくて従来資金供給源泉の解明は︑貯蓄を中心としてなされるのが通例であるが︑確かにこの方法は貨幣的側面

における資金の供給と︑実物的側面における新資本形成の過程とを︑平行的に説明し得る便宜がある︒すなわち貨

幣的側面における貯蓄は︑それだけ消費財需要の減少となって︑労佑︑資本等の生産要因を消費財生産から解放す

る︒貨幣的貯蓄によって生じた資金が︵直接または間接に︶投資せられ︑

(4)

536 

(S

=I )

とすると︑総需要︵消費財需要プラス新資本財需要︶の高は不変であり︑同時に総産出高も貯蓄の行なわれる

前の水準と同様である。従って経済の均衡状態から出発すると、貯蓄•投資の後においても均衡は維持せられ、た

だ貯蓄•投資の高だけ消費財需要が減じて資本財需要が増し、

およそこのような分析ーー—いわば資本蓄積過程に関する古典的分析が、それはそれとして―つの自己完了的意味

をもつことは︑ それに対応して前者の産出減︑後者の産出増がある

これを否定し得ないであろう︒しかし資本蓄積の問題は︑いうまでもなく経済の発展過程に関連し

て本来的な意味をもつ問題である︒よって進んでこの観点から︑右のような資本蓄菰過程の分析を見ると︑それが

理論的に如何なる意味をもつことになるかを考えよう︒なるほど貯蓄せられた貨幣がすべて投資せられると︑上に

見た如く総需要と総産出高とは共に不変であり︑経済の均衡は維持せられ得る︒しかし︑それは問題とせられてい

る経済の一循環︑もしくは一期間についていい得るだけのことである︒仮りに期間分析的な観点に立つて次の期間

における循環を考えると︑行幣量における総需要の高は不変であるのに︑新資本財の附加によって総産出量は増加

することになるであろう︵消費財においてか︑資本財においてか︑あるいはその両者においてか︶︒すると物価が一定水準

に維持せられるとすれば産出高の一部が売れ残り︑産出高がすべて販売されるとすれば物価が下落しなければなら

ない︒均衡は援され︑経済発展の進行に攪乱的要因が佑らくことになる︒

これを逆にいえば︑新投資のための資金が専ら貯蓄の源泉から供給せられることを仮設する理論においては︑経

済発展の過程が完全に説明せられ得ない︒貯蓄せられた貨幣がすべて新投資に用いられるとして︑総需要は不変︑

経済は貯蓄前の活動水準を持続するだけであり︑ だけが︑.従前と異なることになる︒

それ以上の活動水準に発展することが考えられ得ない︒もし何等

・・‑‑‑‑・. ̲ ̲  ̲: ̲ ̲ ' ‑ ‑ ‑ ・  

(5)

考えられることは︑極めて自然であろう︒ かの理由によって︑貯蓄せられた貨幣の一部︵または全部︶が投資せられず︑退蔵または循環外に吸収せられることになるならば︑総需要の高は貯蓄前の水準より低下し︑従って活動水準もまた低下するであろう︒低い活動水準はより少ない貨幣所得を生む︒その貨幣所得から貯蓄が行なわれ︑貯蓄せられた貨幣がまた一部分投資に用いられな

( 3 )  

いとすると︑総需要と活動水準︵従って産出高︶は更に低下するであろう︒すなわち新投資に対する資金の供給源泉

を貯蓄に限る場合︑経済は最高の条件

(S

=I )

において貯蓄前の活動水準を維持し得るのみであり︑

れた資金が一部分投資せられないとすれば

(s

>I

)︑経済は縮小再生産の過程を辿ることになる︒

な仮説からは︑経験的事実としての経済の発展︵趨勢的傾向としての産出高水準の上昇だけでなく︑景気循環過程における

不況局面から上昇局面への発展さえも︶が説明せられ得ないであろう︒

資本の蓄積過程に関する古典的理論において︑貯蓄が資金供給の典型的な源泉と見られるのは︑何よりもその理

論の基本的性格ならびに思考方法に基ずくと思われる︒すなわち先ず古典的理論は︑屈々いわれる如く静態理論で

ある︒いわば一定条件の下における経済の均衡関係を︑終局的な関連として規定しようとするのであって︑ある状

態から他の状態への移行の関連を明確にしようとしない︒故に貯蓄と投資の均等によって経済の均衡する関係が明

らかにせられたならば︑ もし貯蓄せら

従ってこのよう

その均衡が爾後の経済過程に如何なる関係をもつかには︑多く関心を払わないのである︒

次にケインズの指摘するように︑古典的理論は暗黙の前提として︑常に完全雇用の経済を仮設している︒完全麗用

の経済においては先ず貯蓄が行なわれなければ︑新資本財生産のための生産資源の余裕が生じない︒すなわち貯蓄

があって始めて投資が可能となる︒その意味において投資のための資金が︑専ら貯蓄を源泉として供給せられると

(6)

538 

更に古典的理論の特徴として貨幣ヴェール観がある︒経済理論の構想において貨幣をヴェールとして捨象ずるこ

とは︑勿論現実における貨幣の流通を無視することではないが︑考察の便宜のために貨幣の価値を常に一定と仮設

することを意味する︒従ってこの立場においては︑貨幣側の諸事情︵例えば貨幣数薩︶は︑貨幣価値を一定に保つよ

うに︑実物的側面の変化に応じて自由に変化し得ることが暗黙の裡に前提される︒このことは産出高水準の変化に

応じて︑貨幣単位によって表現された総需要の高がおのずから変化することを意味するであろう︒このような考え

方が︑静態理論的思考ならびに完全雇用の仮設と相侯つて︑経済の循環過程において貨幣または資金の面から作用

する制約ないし攪乱の要因を無視せしめ︑実物的分析の線に沿うて︑投資資金の源泉を専ら貯蓄に見るに至らしめ

たのであると思われる︒しかし経済の発展過程を考える上からは︑このような思考方法に少ならぬ問題の存するこ

とは︑上述によっても既におのずから予見され得るところであろう︒

( 1 )

旧投資から収回せられた資金は︑物理的に異なる形態の資本財の形成に投ぜられ得る︒従って技術革新に基ずく発展の 過程を考える場合には︑このような再投資も適当に注意せられる要があるであろう︒しかし今は経済の拡大を問題とする 観点から実物資本の増加︑資本の新らしい蓄腋を問題としている︒

(2 ) 投資資金の供給源として︑時に退蔵貨幣の放出が挙げられることがある︒しかし退蔵貨幣が字義通りの意味をもつの は︑主として金屈貨幣が流通する経済においてである︒代表的貨幣が銀行券と当座預金から成立つ経済においては︑退蔵 貨幣の存在はおよそこれを無視することができる︒退蔵貨幣に当るものは︑諸種の貯菩的預金︑証券等のいわゆる金融資

産として存在するであろう︒

(3 ) このような︑いわば過大貯蓄

(o

ve

r , s

av

in

g)

の結果が︑限りなき縮小再生産の進行となるであろうことは︑ケインズ が︑消費財としてバナナだけが生産せられている社会を仮想して︑説話的に説いているところである

( Co n f .

J,

M.

Ke

yn

es

, 

T re a t is e   o n  M

on

ey

,  V o l.  

I,

 p

p,

│ 邦訳︑鬼頭仁三郎︑ケインズ貨幣論︑第二分冊︑七三ー六頁参照︶︒176 8;  

(7)

I‑S  l

+ n において︑銀行による通貨の造出を明瞭に認めている︵ただしその論点は一般のいわゆる信用創造論とは異なるものがある(

1 )  

が︶︒そしてその前提に立つて論を進めるから︑時に貯蓄の高を超える投資が行なわれることは︑

て決して異とするに当らない︒けれどもケインズはその貯蓄の高を超える投資が︑資金の造出によって行なわれる

ことを特に述べていない。そこに貯蓄•投資の関係についてのケインズ的思考の特徴があると見られるが、先ず貯

蓄を超える投資が行なわれ得る関係を︑彼の物価に関する基本方程式について見よう︒知られるように﹃貨幣論﹄に

( 2 )  

おける一般物価の基本方程式は次の如くである︒

いうまでもなく

は所得である︒ただしこの揚合の所得は企業者の正常I I は一般物価水準︑は産出高であり︑E0 ケインズはかの貨幣論において その意味において投資資金の供給源泉には︑貯蓄の外に銀行にによる投資資金の供給として行なわれるのであり︑ 近代的金融組織の下においては︑銀行は貸出によって通貨を造出し得る︵信用創造の論理︶︒

よる資金の造出があることになる︒ところがこのような銀行ないし銀行組織による通貨の造出は︑従来多く貨幣数

量の変化に関して問題とせられ︑経済発展との関連における投資資源の問題としては︑充分の注意が払われなかつ

たように思われる。この点をケインズの貯蓄•投資理論によって簡単に省察しよう。

﹃銀行貨幣の﹁造出﹂

(T

he

^ ^  

Cr

ea

ti

on

"

 o f

 B

an

k  , M

on

ey

)﹄なる一節を設け︑ 貯蓄•投資の均等と不均等

ケインズにおい この通貨造出は銀行

(8)

,40 

報酬を含むが︑利潤︵偶発利潤

w in d

f al l

s

o r 

w in d

f al l

  p r o

f i t s

)

を含まない︒従ってEは産出高に対する生産費総高に

I

Sは貯蓄の高をそれぞれあらわす︒よって注解すればE

I O  

l=Sである場合には方程式の右辺第二項の値は0

しくなる︒またもしI>Sである場合には産出高についてISだけの利潤︵偶発利潤︶が生ずることになり︑逆

I^Sとなる時にはS‑Jに相当する担失を生ずることになる︒すなわちQを産出高についての利潤とすれば︑

I

s   ISはプラスまたはマイナスの利潤︵総高︶をあらわす(I

S 1 1

Q)。従って|—ーは産出物単位当りの利潤(プ

一般物価水準が産出物単位当り生産費プラス利潤方程式は結局︑

( 3 )  

︵またはマイナス損失︶に等しいことを示すのである︒

基本方程式の意味はおよそ上の如くであるが︑ここでの問題は︑先にも記した如く︑方程式において投資と貯蓄

とが不均等であり得る点︑従って時に貯蓄を超える投資が行なわれることがあり︑

ことが示されている点である︒すなわちここでの視角からは︑仮りに貯蓄高以上の投資が行なわれるとすると︑そ

の時貯蓄高を超える投資のための資金は︑貯蓄以外の源泉から供給せられねばならず︑

による資金の造出に侯たざるを得ないことになるであろう︒かく考えるとケインズの基本方程式は︑明らかに銀行

の通貨造出による投資を含んで定立せられていると見られざるを得ない︒ ラスまたはマイナスの︶をあらわすことになり︑

その投資の超過高が利潤となる

その源泉はおのずから銀行

ところがケインズはこの場合︑特に通貨造出による投資を明示していない︒これは恐らくこの際における利潤の行

衛に関連するためと思われるが︑ここにまた﹃貨幣論﹄におけるケインズ理論の静態理論的性格が看取せられ得るで

( 4 )  

あろう︒すなわち投資が貯蓄を超過する場合その差額として生ずる利潤の行衛である︵便宜のために

I V

S

一般物価水準は産出物単位当り生産費の水準に等 は産出物単位当り生産費であり︑も

(9)

潤がプラスの値をとる湯合として考える︶が︑ケインズにおいてはこの利潤はすべて投資に用いられると想定せられる︒

ところがその投資に用いられるという怠味は︑次期の投資に用いられるということではなく︑問題とせられる当の

期間の投資に用いられるという意味である︵あたかも当期の貯菩が当期の投資に用いられると仮設せられると同様に︶︒す

ると貯蓄高以上の投資は利潤から行なわれることになり︑投資の全額は貯蓄と利潤から過不足なく金融せられ得る

ことになる

(I

11

s+

Q)

︒従って利潤からの投資を予想すれば︑特に造出通貨による投資を考えるには及ばない︒

本方程式に関して︑ケインズが特に造出通貨による投資を挙示しないのは恐らくこの故であろう︒

しかし投資のための資金源泉を問題とする立場からは︑ここに︱つの疑問が起こる︒すなわち先ず貯蓄を超える

投資があって利潤が生ずる︒かく考えられた投資資金は明らかに銀行の通貨造出によって供給せられる︒基本方程

式は明示的にこのことを示している︒ところがケインズが内含的に規定しているところでは︑その利潤から投資が

行なわれる︒この点からいえば投資の資源は利潤ということになるであろう︒貯蓄を超える投資の資源は造出通貨 であるのか︑利潤であるのか︒ケインズの所論ではこの点が必ずしも明瞭ではない︒私見によれば造出通貨による

投資によって利潤が生ずる関係は︑

があるようであり︑ いわば因果論的または事前的規定である︒生じた利潤から先の投資が金融され

る関係は︑結果論的または事後的規定である︒ケインズの基本方程式にはこの因果論的規定と結果論的規定の混用

この点は﹃貨幣論﹄公刊当時既に明敏な論者によって批判せられたところである︒

﹃貨幣論﹄に対する批判を顧慮してケインズは︑﹃一般理論﹄においては所得と貯蓄の定義を変更し︑貯蓄と投資の

均等(S=l)

︑あるいはむしろ貯蓄と投資の恒等

(S 11 1I )

を規定した︒すなわち所得の中に利潤を含め︑従って﹃一

般理論﹄における貯蓄は︑﹃貨幣論﹄における貯蓄と利潤を含むことにしたのである︒

(10)

542 

費せられずに残された高が︑ に用いられるのであったから︶︒故にこの定義の変更はむしろ形式的のものであり︑実質的な概念規定の変化を伴なっていない︒﹃一般理論﹄における所得Yは︑﹃貨幣論﹄における

E +

Qであり︑従って前者における貯蓄Sは後者にお

けるS+Qである︒よって﹃貨幣論﹄における

I1

1s

+Q

が︑﹃一般理綸﹄においてはI=Sと書き換えれたので

ある。ケインズにおける貯蓄•投資の不均等から両者の均等への規定の変更は、

( 5 )  

質的変化を意味しない︒

この限りにおいては概念規定の実

けれども先に指摘したように、投資の資金源泉を問う視角からは、貯蓄•投資の均等(I=S)と不均等(IS11Q) 

その含意において差異のあることを注訟する要がある︒'けだしl=Sは︑投資のための資金がすべて貯蓄か

ら供給せられることを暗示し︑投資資金の供給に関する古典的想定に著しく接近する︒しかしそれは上記の推理に

よっても知り得る如く︑むしろ結果論的もしくは事後的規定なる意味をもつ︒これに対しJ‑S

11

Q

は因果論的ま

たは事前的規定たる性格をもち︑貯蓄を超える投資の可能性と︑銀行による通貨の造出とを示唆するであろう︒こ

の忍味において『一般理論』におけるケインズの貯蓄•投資分析は、『貨幣論」におけるそれよりも、更に一歩事後

的規定たる性格を強めたものということができる︒

更に﹃一般理論﹄におけるケインズの定義によると︑所得は一定期間における産出物の価額

(t

he

va

lu

e 

o f 

ou

tp

ut

) 

であり︑貯蓄はそのうち消費せられなかった部分︑投資は資本財への附加部分である︒別言すれば産出物のうち消

一面それだけ節約が行なわれたとの意味において貯蓄と呼ばれ︑他面それだけ資本財

への附加があったとの意味において投資と呼ばれるのである︒この意味において貯蓄と投資は同一事物の異なる両

( 6 )  

面であり︑従ってl=Sは自明の理となる︒と同時にこのような解釈においては︑貯蓄と投資はいずれも経済の実

(11)

物的側面に即して規定せられているのであり︑貨幣または資金の側面において捉えられているのではないとも見ら れ得る︒するとケインズ﹃一般理論﹄におけるl=Sは︑貸幣の側面を離れた概念規走であり︑従って投資資金の

供給またはその供給源泉については︑何事を語るものでもないということになるであろう︒

(1 )

Ke

yn

es

̀  

T re a t is e V o ,  

l . 

I,  p p

23.  

30

;邦訳︑第一分冊︑二八ー三八頁︒

(2

) 

Ke

yn

es

̀  

o p.   cit••

V ol .  

I,

 p .  

13 7;

 邦訳︑第二分冊︑ニニ頁︒

(3

) 本文に引用の基本方程式は一般物価水準に対するそれであるが︑知られるようにケインズは︑消徴財物価水準を貨幣価

E I

︑ ー

S

O R 値測定のより適当な概準であるとなし︑これに対する基本方程式を︑一般物価に対する方程式よりも先に

p1

1ー+│ーー

として示している

(K

ey

ne

s,

o p .  

c i t . ,   V ol .  I .  

p .  

13 5;

 邦訳︑第二分冊︑二

0

頁︶ケインズが想定している資金循現の図式 は︑この消費財物価の基本方程式によって解明すると一層明瞭となるのであるが︑ここでは煩を避けてこれを試みない︒

これ等の点ならびに本文の記述についてはConf•

Ke

yn

es

,  o

p .  

c i t . ,   V ol .

  I

, 

Ch

s.

  9 , 

10; 

邦訳︑第二分冊︑第九

10

章参 照 ︒ (4 ) ケインズ自身︑後の﹃一般理論﹄において︑﹃貨幣論﹄における﹃基本方程式﹄は産出高を一定としての瞬間的描写であ

ったと述べている

(K

ey

ne

s,

Ge

ne

ra

l  T

he

or

y,

r   P

ef

ac

e  p

p . 

v i ‑ v

i i ;   邦訳︑塩野谷九十九︑原著者序文︑八頁︶︒

(5 )  Conf•

Ke

yn

es

,  G

en

er

al

  Theory

,  p

p . 

601;

邦訳︑七

OI七一頁参照︒

(6

) 

Ke

yn

es

,  o

p .  

c i t . ,   p p.  

63 15

74

;邦訳︑七三ー五︑八八頁︒

投資資金の供給源泉に関連してI=Sまたは

I

* S

の意味を明らかならしめるために︑

︵通貨造出︶による資本形成の過程を簡説する要があるであろう︒

ただしこの場合一応不完全雇用の前提から出発す ここで銀行の信用創造

10

 

(12)

544 

ることが便である︒すなわち先にも述べた如く経済が完全雇用の状態にある場合には︑貯蓄によって始めて追加資

本財生産のための生産資源の余裕が生ずるのであり︑その場合には貯蓄からの資金供給によって資本の形成を説く

古典派的想定が︑そのまま当てはまるだけである︒ところが不完全雇用の場合には貯蓄を侯たずして生産資源に余

裕が存するのであるから︑造出通貨による投資によってそれ等の余裕資源を追加資本財生産に動員し︑これによっ

て資本の形成を実現せしめることができる︒すなわち信用創造による投資の直接的結果は︑先ずそれだけ資本財に

対する需要を増加せしめ︑その需要増加を通じて遊休の生産資源を資本財の生産に雇用することである︒

ところが信用創造による投資によって増加する需要は︑単にこれだけに止まらない︒雇用の増加によって所得が

増加し︑その所得増加からまた消費財に対する需要が増加して︑更に雇用と所得を増加せしめる︒すなわち周知の

乗数効果が作用し︑はじめの投資高の乗数倍に当る雇用と所得の増加が生ずることになる

( J

Y11E4I)

︒と同時に所

得の増加から貯蓄の増加が生じ︑結局においてはじめの投資高に等しい貯蓄がもたらされるであろう

(l

=S

)︒かく

て生産資源に充分の余裕があり︑生産拡張に何等のボトルネックも存在しないとするならば︑増加する投資需要︑

消費需要に対してそれぞれ対応する資本財︑消費財が生産せられる︒雇用および所得の水準は高まり︑投資増加の

高が適度であるならば完全雇用が実現せられるであろう︒そして消費財は消費者の手に入って消喪せられるが︑資

本財は企業の手に実物資本として蓄積せられる︒この蓄積される実物資本の一面は先に述べた意味において貯蓄を

あらわし、他の一面は投資をあらわす。乗数理論の系論としての貯蓄•投資の均等は、先ずこのような実物的意味

( 1 )  

において適切に理解せられ得るのである︒

ところがこの造出通貨による投資の結果に関連して更に問題となるのは︑上記乗数理論におけるl=Sが︑通貨

(13)

︵事前的には︶造出通貨によつて行なわれた投資が︑ 各種の貯蓄的預金に転換せられることになり︑貨幣面においてもI=Sの関係が成立する︒

はじめ そこでもし乗数理論におけるl=Sの関係をそのまま貨 または貨幣の側面において如何なる事態の発生を意味するかである︒いうまでもなく銀行の信用創造によって投資が行なわれることは︑銀行が企業のために貸出によって当座預金を設定し︑企業がこの当座預金を種々の投資支出に充当することを意味する︒資金または通貨たる当座預金はかくて産業的流通の過程に流れ入り︑やがて賃銀その他の貨幣所得に分解せられる︒その貨幣所得は消費と貯蓄に用いられ︑消費支出に用いられた部分は企業の売上金に回収せられて引続き産業的流通の過程を流通するが︑貯蓄に当てられた部分は一応各種の貯蓄的預金となって銀行に還流すると考えられる︒乗数理論によって投資に等しい貯蓄が生ずるものとすれば︑造出せられた通貨の大部分が貯蓄的預金となって銀行に還流すると見得るであろう︒勿論貯蓄は必ずしも貯蓄的預金の預入れの形でなされるとは限らない︒証券の買入れその他の形においても行なわれ得るが︑それ等の複雑化を考慮に加えても右の理論

的帰結に著しい差異を生じないであろう︒また企業の投資支出が貨幣所得に分解するに従って︑当座預金が現金で

引出されることも考えられよう︒しかしその現金はまた貯蓄がなされるに伴ない貯蓄的預金の預入れを通じて銀行

に還流することになる︒よって造出通貨による投資の惹き起す一連の継起が帰着するところは︑結局造出された当

座預金が各種の貯蓄的預金に転換せられるということである︒この現象はケインズの用語例に従つて︑

( 2 )  

の拡散

(d if fu si on of d  ep os it s)

と呼んでよいのであろう︒ これを預金

幣面に移して︑投資された資金はすべて貯蓄せられるという関係を想定するならば︑造出された当座預金はすべて

後には︵事後的には︶貯蓄資金によって金融されたことになる

(14)

546 

J i l )

ここで勿論預金拡散の形を規定する諸事情が問題となる︒

そしてこの問題を全面的に取扱かうためには︑利子

その残部が貯蓄的預金に転換せられる形となる︒よって貯蓄的預金の増加高だけを貯蓄と解する見方においては︑

貯蓄の高は投資の高︵当初の貸出高︶よりも小

(I

SV

)

となる傾向が強いであろう︒

率︑流動性選好等の諸条件をも考慮に取入れなければならないであろう︒しかし当面の問題点に関する限り︑いわ ゆる貨幣数量を規定する要因の問題として考えることができ︑造出された通貨は︑流通過程に必要な貨幣数彙に吸 収される部分を除いて︑貯蓄的預金に還流すると見ることができる︒流通に必要な貨幣数量は︑

いうまでもなく物

価︑取引量︑貨幣の流通速度等との相関において定まるが︑なかんずく物価の動きによって強く影磐せられる︒故 の形としていえば︑ 残り︵造出されただけの通貨が貯菩を通じて引揚げられるのであるから︶︑

ところがこのように貨幣面において

I=S

の関係が成立することは︑産業的流通過程に在る貨幣の数量が不変に

通貨造出の結果はただそれだけ貯蓄的預金を増 加せしめることを意味する︒通貨造出による投資が貨幣面におよぼす影磐として︑

も勿論可能である︒この場合には

I=Sの関係が︑実物面と貨幣面との双方において︑

なるであろう︒

増加するであろう︵物価水準不変としても︶ことを思えば︑むしろIVS

通過程に残留して貨幣数量の増加となり︑ このような状態を想定すること

正に対応的に生ずることに

けれども貨幣面においてこのような投資と貯蓄の均等が成立する関係は︑実物面におけるそれのように自明的で もなければ必然的でもない︒新投資に基ずく雇用と所得の増加によって︑産業的流通を支えるに必要な貨幣数量が

その残りが貯蓄的預金の増加となる蓋然性が大である︒これを預金拡散

造出された当座預金は一部分当座預金として残り︵同様に流通現金の数豆も増加するであるう︶︑

造出された通貨の一部は産業的流

(15)

金増加高と貯蓄的預金増加高との合計︵総預金の増加高︶は︑

投資︵貸出︶の増加高とおのずから相等しく︑その意 ないであろう︒ 一部分は当座 源の余裕が乏しく物価が急速に騰貴する場合には︑貨幣数量も増加し︑

に生産資源に充分の余裕があり︑新投資に基ずく需要増加に応じて産出高が増加し︑物価が殆んど騰貴しない場合

には︑貨幣数量もそれ程増加せず︑造出された当座預金は大部分貯蓄的預金に転換せられるであろう︒逆に生産資

貯蓄的預金への転換は少なくなるであろ

( 3 )  

う︒急激なインフレーションに際しては︑貯蓄的預金への転換が殆んど0に近くなることも考えられる︒

しかし現実には上記二つの場合の中間的な場合が多いであろう︒すなわち産出高の増加︑物価の騰貴傾向に伴な

つて貨幣数量も若干増加し︑造出された当座預金はその多くの部分が貯蓄的預金に転換せられるが︑

預金の増加︵貨幣数澁の増加︶となって残る︒すると貯蓄的預金の増加高は当初の投資高より幾分小となり︑貯蓄預

金の増加高だけを貯蓄と解するとすれば︑明らかにl>Sとなって︑貧幣面においては貯蓄と投資の均等は成立し

ところがこの場合においてもある見方をすれば、貨幣面における貯蓄•投資の均等が矢張り成立すると見ること

ができる︒すなわち流通貨幣たる産座預金の増加を︑同時に貯蓄の増加をあらわすと見るのである︒すると当座預

味においては貨幣面においてもl=Sとなると見られ得るからである︒そしてこの場合当座預金の増加︑

いつて貨幣数量の増加は︑同時にそれだけの貯蓄を含意すると見てよい理由をもっている︒けだし全体としての貨

幣数量の増加は各経済主体における貨幣保有高の増加を意味し︑それはまた各主体の貨幣所得が消費支出よりも大

( 4 )  

であった結果であると考えられ得るからである︒またこのように考えられた貨幣面におけるl=Sは︑おのずから 実物面におけるl=Sに対応し︑かつ貯蓄︵預金︶から投資︵貸出︶の資金が金融せられたような観を呈するであろ

(16)

う︒しかしこのような関係は︑

投資に伴なっておのずから生ずることになる︒﹃一般 いずれにしても事後的に成立する関係であることを注意しなければならない︒

(1

)

ここでは

l=S

の関係を実物的に解釈した︒同様に

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Y1

1: AI の関係も︑これを実物的に解釈することができるである う︒そしてこれを実物的に解釈することが︑却つて乗数の論理的意味を一層容易に理解し得る所以となると思われる︒こ の点については拙著︑ケインズ経済学の基線︑七四ー五頁参照︒

(2

) 

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, pp. 

265

9;

邦訳︑第三分冊︑三ニー六頁︒

(3

) インフレーツョンを惹き起こす諸種の要因︑ならびにインフレーンョンの諸形態については︑ここで触れる必要がない

であろう︒

(4

) 貨幣数量の増加が︑同時に貯菩増加の意味を含むことは︑場合を分つて更に詳説することができる︒

れ以上立入.つて述ぺることを省略する︒

上来の考察において︑経済のある状態においては︑銀行の信用創造︵通貨造出︶によって投資が有効に行なわれ得

ること︑ならびに先行的な投資によって︑それに対応する貯蓄が惹き起こされる因果的関係が明らかにせられた︒

かくて今や投資のための資金は︑貯蓄からの供給に限定せられるを要しない︒投資のための資金は通貨造出によっ

て任意に供給せられ得る︒実物資本の形成に必要な貯蓄は︑

理論﹄におけるl=Sは︑表見的にはただ貯蓄と投資の必然的な均等を表示するだけであるが︑

含意せしめている一層重要な意味は︑およそ投資はそれに等しい貯蓄を必然的に呼び起こすという因果関係であろ

う︒そのことは乗数理論の構造によっても︑ ケインズがこれに

よくこれを推知し得る︒かくて近来ケインズ的思考に従がう経済理論

しかしここではこ

(17)

資金の供給はおのずからこれに伴なう傾向がある︵資金の供給については︑事前的意味において貯蓄による制約が存しない︶

( 1 )  

ことを述べている︒

貯蓄と投資のこの因果関係は︑殊に経済の発展過程を理解する上に重要な意味をもつであろう︒すなわち先にも

見た如く︑投資の資金が専ら貯蓄の源から供給せられるという古典派的理解に基ずいては︑経済の発展過程が適切

に説明せられ得ない︒別言すれば貯蓄資金から投資が行なわれる限りでは︑最大限︑貯蓄によって減少する雇用と

所得が︑貯蓄前の水準に回復せられるだけであり︑それ以上への生産の拡大が生じ得ないことになる︵静態理論的仮

説︶︒ところが造出通貨によって投資が行なわれ︑それが資本形成過程において投資に対応する貯蓄を生むという理

解においては︑投資は経済の規模︑または雇用と所得の水準を︑出発点において仮定せられた規模ないし水準以上

に上昇せしめる作用をもち得る︒例えば不完全雇用水準から完全雇用水準に上昇せしめ︑あるいは人口の増加︑需

要の増加を含む拡大的な完全雇用の持続を可能ならしめる︒

︵動態理論的理解︶においては︑どうしても造出通貨による投資という要因を取入れなければならないであろう︒

近代社会において通貨または資金の造出に任ずるものは︑

の通貨造出機能は︑

従って経済の発展過程を解明しようとする経済理論

いうまでもなく銀行ないし銀行組織である︒銀行組織

いわゆる銀行の信用創造機能として既に広く認容せられるところであり︑今日管理通貨制度の

下において︑代表的な通貨が銀行組織の造出にかかる通貨であることもまた︑多言を要しないところである︒しか

し勿論銀行組織の通貨造出機能は︑管理通貨制度の下にはじまるものではない︒端的にいえば金本位制度の下にお

いても金準備高以上に発行せられた銀行券は︑中央銀行の造出にかかるのであり︑また銀行の当座預金もその現金 ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑においては︑古典的理論とは逆に︑貯蓄は投資に随伴すると見る傾向が強い︒

ロビンソンも企業の向かうところ︑

(18)

550 

かくて技術革新に起発するにせよ︑従って経済の発展があるためには︑貨幣的側面におい

( 2 )  

準備の高を超える部分は︑銀行の造出した預金通貨である︒すなわち銀行ないし銀行組織の通貨造出機能は︑夙に

管理通貨制度以前から機能していたのであって︑過去における経済発展の過程についても︑その役割を果たして来

経済の発展過程に関連して銀行の信用創造による投資が佑く役割を重視し︑これを経済発展の重要な契機と見る

論者の卓越した例はシュンペーターである︒知られるようにシュンペーターは︑経済を発展に向かわしめる主たる

動因が技術革新による新結合

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にあることを強調したが︑ 

( 3 )  

資金が︑銀行の信用創造によって供給せられるものであることを力説した︒技術的革新が︑設備の転換または新設

のために大規模の新投資を必要ならしめ︑.新投資による雇用と所得の増加から︑経済を発展の軌道に推進する契機

となることは︑実物的側面の関連としておのずからこれを理解し得る︒ところが資本主義経済においては︑貨幣的

側面における資金が実物的側面の必要に応じて供給せられなければ︑新投資は実現せられ得ず︑従って経済の発展

が起動せられることもない︒また仮りに新建設のための投資が行なわれるにしても︑その資金が貯蓄の源から供給

される範囲に止まるとするならば︑既に述べた理由により︑新投資はただ経済の静態的均衡を回復するに作用する

だけであって︑それ以上への拡大を生ずることにならないであろう︒新投資によって形成せられる実物資本は︑従

前のそれと質的に異なるかも知れないが︑量的には資本の維持となるだけである︒

雇用と所得の増加︑

て︑新投資が造出通貨によって金融せられることが必要であり︑更にこれによって生ずる貨幣所得の増加︑消費需

要の増加はまた︑技術革新によって生ずる産出高増加に対し︑その市場の拡大が相伴ない得ることを説明するであ 同時にその技術革新に基ずく投資の たものと見られなければならない︒

(19)

しかし︑経済のある条件の下においてであ ろう(貯蓄•投資の静態的理論は、その期の需給の均等を説明するが、投資による実物資本増加の結果、産出高の増加する次期の需経済の発展過程に関連してもつ重要な意義は︑近年の動態理論における均衡成長率の定式化に見ても明瞭である︒そして近代社会における通貨または資金の造出は︑殆んど専ら銀行ないし銀行組織の信用創造機能にかかると見られる︒この意味において︑銀行の信用創造が経済の発展過程に対して佑らく役割は極めて重要である︒シュンペーターが経済発展の起動的要因として︑技術革新と相並んで銀行の信用創造を挙示しているのは︑確かに深い洞察を

( 1 )

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 1 95 2,  pp. 

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(2 ) 企業は自己の信用によってもまた商品その他を購入し︑投資活動に進むことができる︒その意味においては︑銀行信用 の外に一般的な商業信用も資金の役割を果すと見られるかも知れない︒しかし資金を通貨と同等なるものとして一定の範 囲に限定する上からは︑これを銀行信用の範囲に限定することが適当であると思われる︒

(3 ) Vgl. 

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銀行の信用創造による投資が確実に実物資本形成に作用するのは︑

る︒すなわち先にも一言した如く︑生産資源に充分の余裕があり︑産出高拡大にボトルネックが存在しない場合に 含むものといわなければならない︒ 給の均衡については語ることがない︶︒新投資による産出高の増加と︑

消費需要を含む総需要の増加との対応関係が︑

参照

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