政策終了理論に関する考察
その他のタイトル Policy termination re‑examined
著者 岡本 哲和
雑誌名 情報研究 : 関西大学総合情報学部紀要
巻 5
ページ 17‑40
発行年 1996‑07‑10
URL http://hdl.handle.net/10112/1119
関西大学総合情報学部紀要「情報研究」第
5
号,1 9 9 6
政策終了理論に関する考察
岡 本 哲 和
P o l i c y t e r m i n a t i o n re‑examined.
T e t s u k a z u OKAMOTO
A b s t r a c t
P o l i c y t e r m i n a t i o n h a s g e n e r a l l y been n e g l e c t e d by p o l i c y r e s e a r c h e r s s i n c e a p r o l i f i c p e r i o d o f s t u d y i n t h e l a t e 1 9 7 0 s b e c a u s e o f r e s e a r c h d i f f i c u l t i e s a n d p e r v a s i v e r e c o g n i t i o n t h a t termina —
t i o n s a r e t h e r e s u l t s o f l u c k and c o n s e q u e n t l y u n p r o d u c t i v e f o r s c i e n t i f i c i n v e s t i g a t i o n . T o d a y , h o w e v e r , t h e r e i s a w i d e s p r e a d a g r e e m e n t on t h e n e c e s s i t y o f government c u t b a c k s and t e r m i ‑ n a t i n g o b s o l e t e p o l i c i e s due t o d e c l i n i n g r e s o u r c e b a s e s . T h u s t e r m i n a t i o n w a r r a n t s more a t t e n ‑ t i o n .
I d e f i n e what i s meant by p o l i c y t e r m i n a t i o n a n d a r g u e t h a t i t i s p o s s i b l e t o f i n d m e a n i n g f u l p a t t e r n s o f t e r m i n a t i o n . T h e f a c t o r s which may l e a d t o t e r m i n a t i o n c a n be c l a s s i f i e d i n t o ( 1 ) r a ‑ t i o n a l , (2) p o l i t i c a l , ( 3 ) e n v i r o n m e n t a l , ( 4 ) s e l f ‑ d e s t r u c t i v e . I s u g g e s t t h a t t h e " s e l f ‑ d e s t r u c t i o n mod‑
e l "
canp r o v i d e a good b a s i s f o r c o n t i n u i n g p o l i c y t e r m i n a t i o n r e s e a r c h .
1 はじめに
一つの政策はなぜ、そしてどのように終焉を迎えるのか。この問いに対し、従来の政治学は 充分な回答を与えてきたとは言い難い。周知のように、これまでの政治学者の基本的な関心は 専ら政策の決定に向けられてきた。その後、アジェンダセッティングや政策施行、さらに政策 評価などのかつての未踏地にも人跡が記され、それらの領域においては多くの優れた研究が蓄 積されてきている。
その一方で、政策過程の最終ステージである政策の終了についてはこれまで充分な関心が払 われてきたとは言えないし、それを説明するための分析枠組も未構築の状態にある。しかしな がら、先進国において共通に見られる財政状況の深刻化の中で、既存の政策をいかに打ち切る
(1)
O s b o r n e . D a v i d . a n d Ted G a e b l e r , R e i n v e
血gG o v e r n m e n t . ・ H o w t h e E n t r e p r e n e u r i a l S p r i t i s T r a n s f o r m
切gt h e P u b l i c S e c t o r . P l u m e B o o k , 1 9 9 3 , p p . 1 1 4 ‑ 1 1 7 .
‑17‑
かは重大な関心の一つとなってきている(')。我が国においても、行政改革委員会における議論
の中でサンセット法の積極的な導入が検討されたりもしている。このような現在の状況は、政 策終了を研究対象として取り上げることの意義をより一層高めていると言えるだろう。
本稿の目的は、政策終了を考察するための分析枠組の構築は可能かという問題関心に基づき、
従来の政策終了研究を整理し、再検討することにある。第1章においては政策終了の概念につ いての再検討が行なわれ、続く第2章においてはそれを研究対象として取り上げることの意義 が論じられる。そして第3章においては政策終了の要因を扱った従来のモデルについての検討 が行なわれ、それらに代わる新たなモデルの構築の可能性が論じられる。
我々が最終的に目指すものは、そこで得られた知見を再構成することによって、政策終了を 語るための独自の言語を獲得することである。それゆえ、本稿は政策終了理論を構築しそれを 事例研究へと応用するための予備的作業として位置付けられている。
2政策終了概念の再検討
従来の研究において、政策終了の概念について明確な定義付けが行なわれていることは実は ほとんどなかった。多くの研究は、終了した、あるいは終了させるべき政策とは何を指してい るのか、 もしくは終了とは具体的にどのような事象を意味するのかといった事柄を、ほとんど 自明のものとして取り扱ってきた。だが、我々はこの問題に無自覚的であってはならない。な ぜなら、後述するように政策終了を分析する上では、政策あるいは終了の概念をどのように捉 えるかがきわめて重要な意味を持ってくるからである。ただ、以下の記述からも明らかなよう に、政策終了に明確な定義を与えることはきわめて困難である。それゆえ、以下においては政 策終了の存在構造自体の厳密な定義付けよりも、今後の実証的分析のための操作的定義を与え ることに重点をおいて議論を行なうことにする。
(1)政策の概念
まず重要なのは、政策の概念をどう捉えるかである。政策終了を分析する上では、政策決定 やアジェンダ・セッティングを扱う場合以上に、政策自体をどう捉えるかがきわめて重要な意 味を持ってくる。なぜなら、研究対象たる政策終了が実際に生じているかどうかは、政策の捉
え方に密接に関わってくるからである。
実際のところ、政策に明確な定義を与えるのはきわめて困難な作業である。それゆえ、 これ まで政策に与えられてきた定義もきわめて多様であった。だが、それらの多くの定義は次の二
つに分類可能であろう(2)。第一は「主意主義的アプローチ」である。これは、政府が実際にと
った行動だけでなく、政府の目的や意図をも含めて政策と捉える見方である。その代表的なも
(2)様々な政策の定義については山川雄巳「政策研究の課題と方法」日本政治学会編年報政治学 1983『政策科学と政治学』岩波書店1984年, 5‑7ページ。
のとしては、ラズウェルとカプランによる「目標、価値及び実践についての企画されたプログ
ラム」との定義があげられる(3)。第二は「客観主義的アプローチ」である。このアプローチは
目標概念を政策の要素に含めることに反対し、実際の政府行動に焦点を合わせる。その代表例 としてはD・イーストンによる「ある社会のために選択される権威的な政策」、またT・ダイ
による「政府の選択する作為及び不作為のすべてのこと」などの定義が上げられる(4)。
政策終了を分析する上で、これらのアプローチのどちらを我々は採用すべきか。政策研究者 の間においても政策の定義についての共通了解が確立しているわけではないが、現在において
は政府がとった具体的行動のみでなく、政府の指針や目標をも政策の構成要素に含める考え方 が優勢のようである(5)。政策研究あるいは政策分析全般において、 このような捉え方が有効で
あることは確かに認めざるを得ない。しかしながら、我々にとって関心があるのはこれら二つ のアプローチのどちらが優れているか、 という問題だけではなく、政策終了についての分析を 行なうにあたってどちらが操作性に優れているかということである。この点について、実証的 政策研究に必要な操作的概念規定としては、客観主義的アプローチによる定義、すなわち、実 際に行なわれた観察可能な政府行動を政策と捉える定義の方を採用せざるを得ないであろう。
なぜなら、政府の指針や目標などをも考盧した場合、それらが実際に消滅したかどうかを見極 めることはきわめて困難になるからである。それゆえに、政策終了についての実証研究の蓄積
と理論構築のためには、定義付け自体の厳密性あるいは正確性を多少制限することを許容した
上で、出来うる限り観察可能な終了のケースに焦点を絞り込む必要があると考えられる。次に問題となるのは、観察可能な対象としての政府行動の範囲をどのように画定し、 さらに どのレベルでの終了を対象として取り上げるかということである。これについて参考となるの は、 P・デレオンによる以下の政策終了の定義、すなわち「特定の政府の機能、プログラム、
政策、あるいは組織の意図的な(deliberate)終結もしくは停止」である(6)。ここでは定義の前
半部分に注目し、政策終了に関して注目すべき要素として、機能、組織、プログラムの三つを
取り上げる(7)。以下、順次検討してみよう。
(a)機能
デレオンは機能を「政府によって市民に提供される業務」と定義している(8)。機能は、 目的
に対する貢献という観点からみたシステムの諸部分の作用として一般的に理解されているがゆ
jjjj 3456 1Iく
Lasswen,HaroldD.,andAKaplan,〃"eγα"dMcj",Kegan&Paul,1952,p.71.山川・前掲論文、 5−6ページ。
同上、 7ページ。
delfon, $4PublicPolicyT℃rmination:AnEndandaBeginmng,"ん"CyA"αWs,VOl.4,No.3,1978, p.370.
デレオンが挙げる四つの構成要素のうち、 「政策」を取り上げることはトートロジーに陥る危険 性をもたらす。それゆえ、 ここでの議論からは排除した。
deleon,op.cit.,p.375.
(7)
(8)
−19−
えに、政府による業務が何らかの目的のために行なわれるとの前提を設ければ、ほとんどのケ ースにおいてデレオンの定義を受け入れることは基本的には可能である。だが、この定義をそ のまま採用すれば、機能と個々のプログラムとの区別が困難になることに留意せねばならない。
一般的に、機能は個別の施策を越えるものであり、 より包括的な概念である。それゆえ、両者 の間には区分が設けられる必要がある。ここでは機能を、政府が特定の目的の達成のために行 なうあらゆる施策からなる体系と考えることにしよう。通常は、複数のプログラム、 さらに複 数の組織によって一つの機能が担われている。たとえば、科学技術の振興という単一の機能は、
通産省や科学技術庁、そして文部省といった複数の省庁が実施する数多くの諸領域にわたる 個々のプログラムによって担われているのである。
ここで問題になるのは、このように捉えられた機能の終了を政策終了の分析のための基本的 単位として用いることが適切かどうかということである。これに対しては次の問題点が指摘さ れよう。それは、機能の終了自体がきわめて稀なことである。このことは研究上の困難をもた らす可能性がある。一つの、 もしくは複数のプログラムが打ちきりになっても、機能自体は残 りのプログラムの実施によって一時にはそれらの再編成によって−担われる。また、一つの組 織が廃止されたとしても、大抵の場合は他の組織が異なった方法を用いて機能の維持にあたる
(9)。特定の公的部門の民営化あるいは公的業務の民間委託はしばし政策終了の1ケースと見な
されるが、これらにしても政府がより効率的なやり方で機能の維持を図るための施策の一つと
見なされうる('0)。
デレオンはこのように機能の終了が稀である理由として、政府が果たす機能は公共財の提供 に代表きれるように民間によって代替不可能なものに関わっていること、そして政府の機能の 大半は市民からの要求への対応であり、その打ち切りはきわめて強い反溌を生じさせることの 二つを挙げる。この説明に対しては、公共財の提供が必ずしも政府によって行なわれるわけで
はないこと等を例に挙げて批判を加えることも可能ではあるが(11)、いずれにせよ機能は個別の
プログラム及び組織よりも永続性が高いのが普通である。完全な機能の終了は、植民地政策の 打ち切りなどのきわめて特殊なケースにおいてしか見られないだろう。それゆえ、複数のプロ グラム及び組織の廃止を時には伴う機能の終了に研究対象を限定することは、分析を行なうた めの利用可能なケース数を大きく制限し、一般的なモデルの構築を困難にする可能性がある。
(b)組織
従来の政策終了を扱った研究の多くは、特定の政策を実施している組織の廃止に焦点を当て
(9)CfDamels,MarkR, @4OrganizadonalT℃rminationandPoMcyContinuation:ClosingtheOklahoma PubHcTrainingSchools,"ん"CyMjg"ces,Vol.28,N0.5,1995.
(10)Cf.Johnson,GeraldW.,andJohnG.Heilman, @@Metapolicy'1iansitionandPolicylmplementation :NewFederalismandPrivatization,""McAd""航γα伽〃Re"ie",Vol、47,N0.6,November/
December,1987.
(ll)西尾勝『行政の活動』 (放送大学教育振興会、 1992年)、45‑46ページ。
る傾向があった。すなわち、特定の組織の廃止をもって、それが実施していた政策が終了した
と見なす傾向があったのである(i2)。組織は特定の政策やプログラムを象徴するものと一般的に 考えられている('3)。それは同時に可視性が高く、その廃止は容易な観察対象となりうる。
だが、組織の廃止「のみ」を政策終了のケースとして取り上げることは問題を含んでいる。
P・デレオンはその理由として、公的組織の廃止自体が滅多に生じないケースであることを指 摘する。アメリカにおいては、レーガンの試みにも関わらずエネルギー省と教育省の廃止が実
現されることはなかった('4)。さらに我が国の中央省庁の例を挙げれば、 1952年から1992年まで
の40年間において、国家行政組織法に定められた府・省・委員会・庁の数は40から44へと微増
している。組織数の減少につながるケースもこの期間においては三つしか見られない('5)。この
ように、組織の廃止が滅多に生じないとすれば、分析すべきケース数は大きな制限を受ける。
利用できるケースは少数の「例外的」なものに限られ、そこから一般的結論を導き出すことは 困難な作業となる('6)。
このように、デレオンは分析作業を進める上での便宜的な理由から、組織の廃止のみに焦点 を合わせることに反対する。だが、それとともに我々はそのことがもたらす理論的問題点にも 着目せねばならない。ある組織が廃止されたということは、その組織が担っていた機能の消滅、
あるいは実施していた作業の中止をそのまま示しているわけではない。それらの機能あるいは 作業は、他の組織によって代替されることがある。また、統合あるいは分割という形で一つの 組織が消滅した場合には、新たな組織が旧組織の機能及びプログラムをそのまま引き継ぐケー スもあり得る。上に挙げた日本の中央省庁における組織廃止の例も、政策終了につながるもの というより機能の統合と見なされうる。
これらのケースをそのまま政策終了として受け入れることは困難であろう。組織の改廃はそ れ自体重要な研究対象となりうるが、それをそのまま政策終了のケースとして取り上げること には以上のような問題が含まれている。
(c)プログラム
プログラムとは、目標を達成するための具体的施策であると考えられる。たとえば、産業振 興のための税制優遇措置、あるいは特定の疾病の廃絶を目標とした医療研究活動などの個別の
(12)DeLeon,Peter., "PoHcyT℃nninationasaPoliticalPhenomenon," inDennisPalumbo(ed.),7We 励伽とsqf"咽畑"@Ezノα!"α伽",Sage,1987,p.173.
(13)Dely,David.〃り"e"@Def"j加〃加吻"CyA"αlysis,UniversityPressofKansas,1984,p.94.
(14)政府の官僚機構の「消滅率」が低い理由に関しては、アンソニー・ダウンズ著/渡辺保男訳『官 僚制の解剖』 (サイマル出版会、 1975年)、 28‑30ページ参照。また、Cf.Behn,RobertD.,
!lClosingAGovemmentFacinty,''"McAd""is加吻"他"je",VOl.38,No.4July/August,1978.
(15)総務庁編『平成5年度総務庁年次報告書一行政の管理と総合調整』 (大蔵省印刷局、 1993年)、
134‑135ページ。
(16)DeLeon,Peter., "PohcyT℃、血ationasaPoliticalPhenomenon,"p、174.
‑21‑
施策がその具体例として挙げられよう。ここまでの記述から明らかなように、プログラムは機 能に包括される。
プログラムを政策の一構成要素と見るか、あるいは単に政策のための一手段として考えるか
については、論者により意見が分かれる。先述の主意主義的アプローチに従えば、プログラム は指針としての政策を実施するための下位手段として位置づけられる。一方、客観的アプローチに従うならば、プログラムそのものを政策とする見方も可能となる('7)。これらのうちどちら が「優れた」見方であるかは一義的には決めがたいが、操作的定義の面からすれば、我々はプ ログラムを政策の構成要素と捉えて、その打ち切りを政策終了と見なすことが適切であると考 える。なぜなら、一般的にプログラムの終了は、機能の終了さらには組織の廃止よりも頻繁に 起こりうるからである。しかも、プログラムは機能以上に可視性が高く、直接的な観察が容易 となる。それゆえ、プログラムに焦点を合わせることがもたらす利用可能なケース数の増大は、
ケースごとの比較研究とそこからの政策終了についての一般的理論の導出をより容易にする可 能性がある。これまでの政策終了についての実証研究も、プログラムレベルでの終了を扱った
ものが多くなっている('8)。
このように、政策終了の分析にあたっては政策の概念をどのように捉えるか、また、政策の 構成要素のうちのどのレベルに焦点を合わせるかが重要な意味を持つ。政府の指針や機能と言 った高次のレベルへの視点の設定は研究上の厳密性の維持を可能とするが、それは同時に利用 可能なケースを制限するし、あるいは終了を判断する上での困難さをももたらすおそれがある。
その一方で、操作性の面では組織やプログラムの廃止などの具体的なレベルに焦点を合わせる ことが有効ではあるが、それは時として一般的に理解されている政策の概念との乖離につなが りかねない。ここに政策終了分析のアポリアが存在する。どのレベルでの終了を対象とするか は、最終的には観察者の選択に委ねられていると言わざるを得ない。
(2)終了の概念
政策の概念と比較して、終了(termination)の概念自体は一見明確である。たとえばThe
OxfordEnglishDictionaly(2nd.ed.)によれば、 tenninationは"theactionoftenninatingorfact ofbeingdetermined(invarioussenses)"、そしてterminateは$@tobring(something)toa
stop,sothatitextendsnomrther;toputalimitorlimitsto"と定義付けされている。だが、政策 終了について考察する場合には、我々はいくつかの終了のバリエーションを考慮せねばならない。
第一に挙げられるのは、終了の状態についてのバリエーションである。終了の状態は、一回
限りのアクションとして生じるケースと (bang)、段階的に生じるケース(whimper)の二つ
(17) (18)
(19)
宮川公男『政策科学入門』 (東洋経済新報社、 1995年)、 80‑81ページ。
Deleon,Peter., "PoHcyT℃rminationasaPonticalPhenomenon,"p.188.andp.194.
Bardach, "PoHcy'I℃、血ationasaPoMcalProcess,''ん"CyScie"ces,VOl.7,No.2,1976,p、125
に分類されうる('9)。前者は通常、単一の決定の結果として生じる。当然のごとく、政策終了に
対する反発ないし抵抗が弱い場合、あるいは決定者がきわめて強い権限を有している場合には
前者のタイプの終了が起こりやすい(20)。それに対して後者は、段階的な予算及び人員の削減・
縮小の結果として生起する。それゆえ、終了に至るまでには複数の決定を経なければならない のが普通である。科学技術政策の専門家として著名なH・ラムブライトとH・サポルスキーは、
このタイプの終了を「減分主義(decrementalism)」と呼ぶ。減分主義は、反発及び抵抗が強 大な状況において、政策終了を容易に遂行するための戦術としてしばし用いられる。最終的な 終了へと至るまでのタイムスパンは反対者に状況に対処する余裕を与え、反対動員を抑制する 効果を持ちうる。また、段階的な終結は潜在的な反対者の事態に対する認知を遅らせることに
もつながる(21)。、
第二は、終了の範囲のバリエーションである。それは、政策の全体が終了するケースと、そ の一部が終了するケースとに大きく分類されうる。後者は政策終了の研究者達により、 「部分
的終了(partialtermination)」と呼ばれることがある(魂)。
ここでまず問題となるのは、部分的終了の概念である。一部の研究者のように、プログラム 予算の削減や組織人員の削減をも部分的終了に含めるとするならば、政策の終了と「削減
(retl℃nchment)」との峻別は困難になる(羽)。この場合、あえて終了を分析対象として俎上に載
せることの意義は減ぜられる°
また、部分的終了が全体的終了へ向けての一つのステップとして戦術的に実行されるケース
も考えられる(劃)。さらに、当初は全体的終了を目的として実施された部分的終了が、何らかの
要因によって最終的に挫折する−全体的終了へと至らない−ケースも想定されよう。このよう な場合、終了がどちらの形態をとつたかの判断は分析者が対象を捉えるタイムスパンにも依存 することになるし、そもそも部分的あるいは全体的といった単純な二分法によって終了を分類 すること自体がきわめて困難となる。
上に関連して、終了が全体として生じているのか、それとも部分的に生じているかの判断が、
(20)CfShulsIW,AbramN., "AbolishingtheDistrictofColumbiaMotorcycleSquad,"ん"qySc""ces, V01.7,N0.2,June,1976.
(21) Iambright,WHenⅣ.,andHarveyM.Sapolsky, "T℃rminatingFederalResearchandDevelopment Program,''ん"CyScie"ces,V01.7,No.2,June,1976,p.203andpp.212‑213.ただし、減分主義は反対者か らの「巻き返し」をも容易にすることがある。これに関し、CfHood,Christopher.,andMaurice Wright, "FromDecrementalismtoQuanmmCut3,inHood,Christopher.,andMauriceWright (eds.),B"Go2ノe"、加e"〃"H"畑万"@8s,MartinRobertson,1981.HoodandWright(eds.),pp、206‑207.
(22)deLeon, "PubHcPolicyT℃rmination:AnEndandaBeginning,''p.371.
(23)deLeon,Peter., "PoncyEvaluationandProgramT℃nnination,''ん"CyScie"ces,Vol.2,No.4,May, 1983,p.641.
(24)Bothun,Douglas.,andJohnC.Comer, @!ThePoliticsofT℃rmination:ConceptsandProcess,,,
〃"CyS畑"油ノり"〃αノ,V01.7,No.3,Spring,1979,p、543.
−23−
分析者による対象の選択に大きく依存していることにも留意せねばならない。政策の構成要素 である一つの機能はより上位の機能に包括されていることがあるし、先述のようにそれが同時 に下位の機能ないしはプログラムを包含することもあり得る。また、 もう一つの政策構成要素 であるプログラムも、複数の下位プログラムを包括していることがある。要するに、政策の各 構成要素は重層的構造を成していると考えられ、下位の機能及びプログラムはより上位のそれ を具体化したものであると位置付けられる。このように考えれば、たとえば特定のプログラム の廃止はそれ自体とすれば全体的な終了であると見なされるが、 より上位のプラグラムに視点 を据えれば、それは部分的終結であるとも見なされよう。
この点について、大河原伸夫はきわめて興味深い議論を展開している。大河原はG・アリソ ンによる1962年のキューバ危機の分析を取り上げ、ソ連によるキューバへのミサイル配備は政 府内政治モデルで説明できるが、 ミサイル配備を具体化した「不等辺三角形のパターンに沿っ
た地対空ミサイルの建設」や、 「タンク及び対タンク用ミサイルの持ち込み」などは組織過程 モデルによってのみ説明可能であることに注意を促している。すなわち、政府行動を記述する
際の抽象度の高低が、行動説明の方法を規定するのである(25)。
我々の議論においては、 より上位の機能から下位のプログラムへと視点を移行させるにつれ て、政策を考察する際の抽象度は低くなっていく。政策を捉える抽象度と、分析の対象たる事 象としての終了が生じたレベルとの乖離は、その終了を全体的なものと見なすかあるいは部分 的なものと見なすかの判断をかなりの程度規定することになる。たとえば、あらかじめ高い抽 象度で対象としての政策を規定し、そこに据えられた視点から下位のプログラムの終了を分析 しようとする場合、その終了は部分的であると見なきれやすい。一方、政策を規定する抽象度 と分析対象のレベルが近接しているケースでは、それは全体的終了と捉えられる可能性が高く なるのである。抽象度と分析対象の選択は結局のところ観察者の選択に委ねられるだろうし、
それはまたコンテキストに依存する。政策終了の分析者は自らの視点の設定が引き起こすこの 問題に関して、絶えず意識的であらねばならない。
このように、政策終了の概念を画定することは多くの問題を伴う作業である。政策そのもの あるいは終了という概念をどう捉えるか、分析に際しどのような視座を設定するか、そしてど のケースを分析対象として選択するかによってその概念は容易に形を変える。分析者の視座の 選択は時として、実際に政策の終了が生じたのかどうかという研究上の根幹に触れる問題をも 惹起する可能性がある。成果としての政策の存在を前提として、そこからいわば演鐸的にその 形成へと至る過程やそれに影響を与えた諸要因について叙述することが可能である政策決定研 究と比較した場合、この点において政策終了研究の困難が存在する。
(25)大河原伸夫「政府行動と政策一行動指針の抽象度をめく、って」『創文」323号、 1991年7月、参照。
及び、西尾勝『行政学』 (有斐閣、 1993年)、233‑234ページ参照。
政策終了の概念をどう捉えるかについては、結局のところ、分析対象の性質や研究目的等に 鑑みて分析者自らが判断せねばならないだろう。だが、分析者は自らの視座がどこに設定され ているかに対して、そして上に述べた意味での分析対象のレベルに対して絶えず意識的であら ねばならない。複数のケースを比較分析して、そこからより一般的な政策終了についてのモデ ルを導出しようと試みる場合には、各ケースを捉える視点にある程度の整合性が保たれている 必要がある。さもなければ、分析から導き出される各ケースの同質性と特異性についての議論 はまったく説得力を欠くものとなってしまうし、 ましてやそこから一般的な議論を展開するこ とは不可能となる。とりわけ実証分析の蓄積が政策終了研究にとっての喫緊の課題の一つに留 まっている現在の状況においては、 このことは分析者によって明確に意識される必要がある。
3政策終結研究の今日的意義
(1)政策終了に対する従来の関心の欠如
先述のように、従来の政策研究において政策終了に向けられてきた関心は、決定や施行に向 けられたそれと比較してかなり乏しかったと言わざるを得ない。多くの政治学者及び行政学者
からそれまで「無視」されてきた領域の一つとして、〃"CyScie"cesが政策終了の問題を特集
として取り上げたのは1976年のことであるが、それ以降もこの分野において目覚ましい理論的 発展が生じたとは言えないし、あるいは事例研究の蓄積も充分になされてきたとは言い難いだ ろう。それでは、このような政策終了に対する関心の不足はどのように説明されるのか。これに対 する回答の一つとしてまず用意されるのは、既述のように政策終了の概念そのものがきわめて 捉え難いことである。
それとともにわれわれは、 これまで多くの研究者によって政策の終了自体が滅多に起こり得
ないケースと見なされていたことにも注目せねばならない(26)。たとえばG・ピーターズは、 レ
ーガン政権が当初から教育省と中小企業庁の廃止を緊要な課題と見なしていたにもかかわら ず、それが結局実現されなかった事実をあげて、政策の終了がいかに困難であるかを説明して
いる(27)o
それでは、なぜ政策終了の生起が稀なのか。以下、 この問題について論じることにしよう。
(26)Bardach,op.cit.,p.123.
(27)Peters,B.Guy.,A"@"cα〃伽b"c〃"〃:月り伽jseα"。〃純""α"ce(Thirded.),ChathamHouse,1993, P,161.
(28)Hogwood,BrianW.,andB、GuyPeters, "TheDynamicsofPolicyChange:PolicySuccession,"
んノ"Sc""ces,Vol、14.No.3,1982.
−25−
政策過程における評価の段階の後に生じるケースとして、B・ホグウッドとG・ピーターズ
は以下の三つを挙げる(羽)。第一は「政策維持(Policymaintenance)」である。これは、既存の 政策がそのままの形で、同じ目的を達成するために継続されることを意味する(29)。第二は「政 策継受(policysuccession)」である。政策継受とは、以前の政策の目的あるいは顧客をそのま
ま引き継ぐ形で政策に何らかの修正が加えられて実施されることを意味する。そして第三のケ
ースとして挙げられるのが「政策終了(policytennmation)」である )。
ホグウッドとピーターズはこのうち、西側先進諸国の実際の政策過程においてもっとも頻繁
に生じるのは政策継受のケースであるとし、それに対して政策終了が実際に生じることはきわ めて稀であると主張する。その主たる理由として彼らが挙げるのは、現在の政策空間、 とりわけ先進国におけるそれがきわめて稠密になっていることである(3')。政府業務の拡大に伴い、公
共政策の対象領域は広がっていく傾向にある。政策形成者にとって、 もはや未開拓地としての 政策領域を発見することは困難となる。このような状況においては、新たに生み出された政策
が全くの「革新(innovation)」であることはほとんどない(32)。その大半は既存の政策に何らか
の修正を加えた政策継受の形を取ることになり、政策終了は単に政策継受の極端なケースの一 つとして分類されてしまうことになる。
さらに、政策空間の稠密性に関してホグウッドとピーターズの議論に付け加えるならば、上 述のことを前提とした場合、仮に一つの政策が終了することがあったとしてもその対象領域が 政策真空として留まり続けることは稀なケースとなる。一時的に生じた政策真空も、即座に新 たな政策の決定と実施によって埋められてしまうからである。特に、旧来の政策の終了と新た な政策の決定・執行との間のタイムラグがきわめて短い場合には、そして旧来の政策の目的及 び顧客と新たな政策のそれとの差異が一見して明白でない場合には、そのようなケースは政策 継受として受け取られてしまう可能性が高くなる。
ところで、ホグウッドとピーターズの議論の問題点は、政策継受こそが「通常の」状態であ るとの前提を置いた上で、そこからの帰結として政策終了が例外的であるとの結論を導いてい るところにある。彼らの主張が一定の正当性を有することは認めざるを得ないが、これに対し
(29)政策維持が生じるケースとしては以下のものが考えられる。第一は「惰性(inertia)」によるも のである。これは、既存の政策に対して十分な評価が行なわれない、あるいはその政策に異議を 唱えるものが存在しないときに起こるケースである。第二は、熟慮の結果として、当政策の正統 性及び有効性が認識されるケースである。第三は、政策終了及び政策継受の試みが失敗に終わっ たゆえに生じるケースである。これに関し、 ibid.,pp.228‑229.
(30)政策終了について、ホグウッドとピーターズは、代替物が用意されることなく、既存の政策、プ ログラム、あるいは組織が廃止されることと規定する。 ibid.,p.229.
(31)この点に関しては、 『組織と政策(2)−行政体系の編成と管理一」行政管理研究センター、 1987年、
22‑23ページ参照。
(32)Hogwood.,BrianW.,andLewisAGunn,p.241.
ては、政策終了自体に焦点を合わせた説明によって補完が図られる必要があるだろう。このよ うな視座からすれば、政策終了の生起を阻害する要因としてこれまでに指摘されてきたものは、
以下のように要約される(調)。
第一の理由として挙げられるのは、政策専門家の抵抗である。ここでいう政策専門家とは、
官僚、議会スタッフ、あるいは政府の政策形成に密接に関わるシンクタンクの研究員などを指
す(鋤)。彼らは自らが作成に関わった政策が欠点を有していたこと、 もしくはそれがもはや有効
でないことを認めたがらない。官僚制特有の自己防衛本能はこのような傾向を助長するであろ う。さらに、政策専門家が政治家とは異なって選挙の洗礼を受けないことも政策の持続性を助 長させる一つの要素と考えられる。
第二は政治的誘因の欠如である。政策専門家のみでなく、政治家の側にも過去の失敗を認め
たがらない傾向がある(35)。また、政策終了が政治家にとっての有力な顧客の利益の損失につな
がる場合、そして政策終了の受益者が拡散して存在している場合には、それへの誘因は一層低 下することになる。
第三は制度の永続性である。新制度論者が強調するように、政策施行のために一旦作り上げ
られた法令ないし組織は一定程度の安定性を持つようになる( 。その安定性を保証する一つの
要因は組織の適応行動であろう。与えられた任務の完了が、そのまま組織の廃止につながるこ とは少ない。組織は自己の存続をはかるために、新たな問題・課題の探索を開始する。その一 方で、それがたとえ組織に与えられた資源の不足や能力の欠如に起因するものであったとして
も、問題解決が順調に進まないことは、組織存続のための大義名分ともなりうる(37)。
それに加え、法律上の手続きの問題が法令及び組織の安定性を保証する要因になることもあ る。大半の組織及び政策プログラムは法律に根拠を持つ。一つの法律を廃止するためには、 き わめて大きな努力が必要とされることは言うまでもない。デュープロセスの遵守は法令及び組 織の改廃を遅延きせ、効果的な政策変更・終了を時には妨げる効果を及ぼしうる。
第四は、政策終了反対連合(antiFtenninationcoalitions)の影響力である。これに関し、G・
ピーターズは次のような指摘を行なっている。すなわち、 「いったん開始されたプログラムは 独自の生命を有するようになる。それらは組織を発展させ、それらの組織が人を雇い入れる。
プログラムはまた顧客を生み出し、その顧客は特定のサービスのためのプログラムに依存する
(33) これについて、 P・デレオンによる議論に多くを依拠している。delaon, "PubHcPoHcyT℃r、血ation AnEndandaBeginning,"p.379‑386.
Meltzner,ArnoldJ. ん"CyA"α な』"幼eB"〃α""Cy,UmversityofCalifOrniaPress,1976.
Bardach,op・cit.,p.129.
CfHall,Peter.,Go"eγ"j"g伽及0"ow@y,PoMtyPress,1986.
デレオンはこのような作用をdynamicconservatismと呼んでいる。deLeon, "PublicPolicy '1℃rmination:AnEndandaBeginning,'' p.382‑383.また、CfHogwoodandGunn,op.cit.,p.247.
Peters,0p,cit.,p.161.
(34)
(35)
(36)
(37)
(38)
−27−
ようになる(詔)。」政策終了に向けての何らかのアクションが起こされた場合、これらの組織の
メンバーや政策の受益者達は連合を形成してそれへの反対行動を繰り広げる。彼らの抵抗の強 さと戦略の成功はしばし政策終了の失敗をもたらすことになるだろう。
ただ、この点については以下のことに注目する必要がある。政策終了に向けてなんらかのア クションが起こされる時には、当然のごとくそれを推進する一定の勢力が存在すると考えられ る。上述のように、いかなる種類のものであれ政策終了自体が稀であるとの前提を置いたなら ば、政策の領域や性質の差異にも関わらず、推進勢力は反対連合よりも大抵の場合「弱くなる」
傾向がある、との結論が必然的に導かれる。とすれば、一体このようなことがなぜ生じるのか○
ここに、一つのパズルが生まれる。これに対して、 E・バーダックは以下のような説明を加え ている。特定の政策からすでに利益を享受している者たちの連合は、政策終了によって将来利 益を享受する者のそれよりも凝集性が高くなりやすく、多くの資源を動員することも容易にな る。それゆえ、彼らはより大きな政治的影響力を発揮することが可能となる。それに加え、ア メリカ人をはじめとして大半の人々は、多くの人々が生活及び職業の点で依拠している諸施策 が廃止されることに対しては生来的に道徳的反擢を覚える。それは時として政府機関に対する 激しい怒りを呼び起こす。このような感情もまた政策終了反対連合の勢力を支える一つの要因
ともなりうるとバーダツクは述べている(39)o
第五は、サンクコストの問題である。政策の実施費用の中には、たとえその政策を終結させ たとしても取り戻すことの出来ない費用が存在する。その費用がサンクコストである。それゆ え、政策の実施についての決定と終了についての決定は非対称的となる。たとえ特定の政策が 効果をもたらすことがなくなったとしても、過去に費やしたコストを考盧すれば、その政策を
打ち切るよりもそのまま維持する方が損失が少ないというケースが生じる(40)。このようにして、
政策の継続が正当化されることになる。
以上のような五つの要因は、決して網羅的なものではない。また、それら諸要因の影響力を 認めることから、政策終了の生起自体が稀であるとの結論が直接的に導出きれるわけでもない。
なぜなら、政策終了が生起したかどうかの判断は、既述のようにどのような抽象度で政策を捉 えるか、あるいは政策のどのレベルに焦点を合わせるかにかなりの程度依存するからである。
ここで重要なのはむしろ、上に挙げた諸要因の働き等が政策終了の発生を阻害しているとの認 識を多くの研究者が共有し、そのことによって政策終了が研究対象とされる機会が制限されて
きたという事実を確認しておくことである。
それでは、現在において政策終了を敢えて一つの独立した研究領域として取り上げる意義は 存在するのか。この点に関しては、規範的意義及び理論的意義の二つを指摘しておきたい。以
(39)
(40)
Bardach,op.cit,p.128.
サンクコストと退出の問題については、 J.E.ステイグリッツ著/藪下史郎他訳『ミクロ経済学」
(東洋経済新報社、 1995年) 268‑271ページ参照。
下、順次検討していくことにしよう。
(2)規範的意義
1970年代以降の低成長の持続により、多くの先進国は恒常的な税収の停滞に見舞われること となった。さらに、 1978年のカリフォルニア州における提案13号に象徴される納税者の反乱の
発生は、各国の政府が税収の不足を増税で補填することを困難にした(41)。赤字国債の発行のみ
に依存することは将来における財政問題を引き起こす可能性がある。それゆえ、政策主体にと って利用可能な資源ベースが縮小するという事態が生じてくることになった。 このような事 態に対し、各国の政府は既存の政策の縮小やプログラムのカット等をも用いて対処しようと試
みた(42)。ここに、政策終了の必要性が政策形成者によって強く認識されることになる。
このような動きは、各国で見られた行政改革の潮流へと結びついていく。それはさらに、 レ ーガン、サッチャーに代表される1980年代の新自由主義的改革へともつながっていく。行政改 革の潮流について語る場合にはイデオロギーの果たした役割を見逃すことは出来ないだろう が、いずれにせよ財政面での縮小の要請が政策終了の必要性をより一層高めたことには留意せ ねばならない。
さらに、政策終了の必要性は逼迫した財政状況だけから導かれるわけではない。政策が決定 された時点で、政策形成者は当政策が対象とする問題領域が将来どのように変化するかを予測 することは困難である。ここでいう問題領域の変化とは、問題自体の性質の変化、問題の解決 手法の変化、動員可能な資源の変化、そして、社会の側における政策への需要の変化などを含
む(43)。政策決定者の合理性の限界、情報の不足、そして社会環境の変化速度の増加などの諸要
因はこの問題を一層深刻化させるだろう。とりわけこれらの変化が急激である場合には、既存 の政策を微調整して適応を図っていくといったインクリメンタルな解決法に頼ることは有効で なくなる。そこにおいては、抜本的な対処が必要となる。すなわち、既存の政策をいったん終 了させて、それに代えて全く新しい政策パラダイムに基づいて作成された政策を施行すること が求められるのである。
だが、現実において政策打ち切りの試みは、多くの場合困難に直面することとなった。なぜ なら、上述のようにいったん決定されて施行された政策を打ち切ることは、新たな政策をつけ 加えることよりもはるかに困難である場合が多かったからである。この点について、公共政策 の終了を市場的解決に完全に委ねてしまうことは困難であろう。経済の世界とは異なり、政 治・行政の世界においては政策コストの上昇あるいは特定の政策に対する需要の減少が必ずし も一つの政策の淘汰へとつながるわけではない。なぜなら、特定の政策への資源配分は政治過
(41)Heidenhener,AmoldJ.,HughHeclo,CarolynT℃ichAdams,CW"""""eRoMcHJ岬伽e〃""csqf SocM"0加吻EbWPe"""A"@e"ca(2nd.ed.),St.MartinIsPress,1983,pp.191‑193.
(42)CfWright,Maurice., $@BigGovernmentinHard'IYmes:TheRestraintofPubMcExpenditure,'' in HoodandWiight(eds.),op・cit.
(43)この点に関し、CfHogwoodandGunn,op・cit.,pp.250254.
−29−
程にも大きく依存しているからである。
それゆえ、政策の有効性に対して見直しを行ない、場合によってはそれを速やかに終了させ
ることを目的とした、特別の手法の開発が必要とされるようになった(4'1)。その代表的な例とし
ては、サンセット法やゼロベース・バジェット等が挙げられる。前者は有効期限があらかじめ 設定され、再び歳出権限が付与されない場合には失効することが義務づけられた規制及びプロ
グラムである(45)o後者は、増分主義的な査定にとらわれずに、既定の経費額やシェアをいった
んゼロに戻して行政内容や機構の全面的な見直しを行なうための予算編成手法である。この手
法は、ジミー・カーターがジョージア州知事時代に導入を試みたことでも有名である"6)。
しかしながら、そのような様々な手法が開発されてきたにもかかわらず、 また、既述のよう に特定の政策を打ち切る必要性が高まりつつあり、そのことに対する政策形成者の認識が高ま ってきたにもかかわらず、依然として既存の政策を終了させることは困難な作業にとどまって いる。たとえば、アメリカにおけるゼロベース・バジェットの導入はさしたる成果を上げ得な
かったし(47)、我が国においてのそれは検討の段階を脱し得なかった。また、既述のようにレー
ガン政権でさえも政策の打ち切りに関して、所期の目的を充分に達成できたとは言えないので
ある(48)。
現在においても、速やかな政策終了の必要性は高まりこそすれ低下してはいない。我が国を 含めた多くの先進国の行政改革プランにおいて、有効性を失った政策をいかに打ち切るかは大
きな課題の一つにとどまっている(イ9)。高齢化に代表される財政支出拡大要因の顕在化と低成長
の持続、そして社会環境の変化速度の増大など多くの先進国に共通して見られる諸要因は、政 策終了の重要性を今後においても高めていくであろう。
それと同時に、政策をスムースに終了させるための効果的な処方菱が求められるようになっ てくる。政策終了を多面的に分析することは終了を阻害する要因を浮き彫りにすることを容易
(44)OsborneandGaebler,op.cit.,pp.114‑117.
(45)Cf.Brewer,GarryD., "T℃rmination:HardChoices‑HarderQuestions,""McAd""航畑加〃
肋"je@",Vol.38,No.4July/August,1978,pp.342‑343.
(46) Ibid.,pp.341‑342.及び、立田清士『計画と行政一地方団体の場合』 (良書普及会、 1982年) 121 126ページ参照。
(47)Sharkansky,Ira.,RJMcAd""is抑"0":"g"cies,ん"cies,""dん""cs,W、H.RQeemanandCompany, 1982,pp.163‑165.)
(48)たとえば、福祉プログラムのカットにおけるレーガン政権の「失敗」に関して、CfGottschalk, Barbara.,andPeterGottschalk,$4TheReaganRetrenchmentinHistoricalContext,''inBrown,Michael K(ed.)此沈α〃蝿娩gWe脆沌Sm花:"舵"c""@e"M"dSoc"ノ〃"剛加A加e河 α"dE""'g,T℃mple UniversityPress,1988,pp.59‑72.
(49)アメリカの例については、Cf.Kettl,DonaldF.,andJohnJ.Dilulio(eds.),"side"eRgj"09""0〃
M"C〃"e:A"misi"gGo"e"@"@e"畑ノR""f@JIY1eBrookingslnstimtion,1995.
にし、速やかな終了を実現するようないっそう優れた方策の開発に寄与する可能性を有するで あろう。従来の政策終了研究の中には、明らかにそのような志向性を有しているものも見られ
る(50)。このように政策終了研究は規範的な意義、すなわち、どのように政策を終了させるべき
かを明らかにする上での意義を持ちうるのである。
(3)理論的意義
ロバート ・ビラーの表現を借りれば、政策終了はこれまでの政策研究においてのawrongly underattendedissueであった(51)。研究上の未踏地をいち早く発見し、そこを探索して結果を世
に出したいとする研究者の本能からすれば確かに政策終了研究は魅力ある研究対象の一つであ り、ほとんど手垢の付けられていない研究対象を見いだしたという点だけで見ても、それは研 究上一定の意義を持つだろう。
もちろん、このように純粋な研究者の好奇心を満たすということだけではなく、政策終了の 分析は従来の政策研究における欠落点を埋め、 さらにそれを補完するといった理論的な意義を
も有すると考えられる。
これに関して指摘されるべき点は、政策終了と政策評価との接合の必要性である。通常の政
策過程モデルにおいては、政策終了は政策評価の後の段階に置かれている(艶)。どのように政策
が終了したか、あるいは政策終了を阻害する要因は何かを分析することは、政策終了の前段階 にあたる政策評価の在り方の見直しにつながる可能性があるだろう。すなわち、政策終了がイ シューとして取り上げられた時点で、政策評価の結果がどのような役割を果たしたのかが重要 となる。特定の政策の継続に対し否定的な評価がなされ、その結果として政策終了の決定がな された場合、あるいは政策が充分な成果を上げているとの評価がなされて政策が継続される場 合には新たな問題はさほど生じ得ない。評価の結果が生かされて、それに基づいた判断がなさ
れていると考えられるからである。このように政策評価に基づいた決定がなされているとの前
提を置けば、今度はその評価が客観的な基準によるものか、あるいはそれが正確かつ合理的な 方法を用いてなされたものかどうかに焦点が移行せざるを得ない。要するに、その場合に問わ れるべきは政策評価の内容になる。政策評価の基準ないし方法がそれ自体きわめて重要な研究 対象であることについては付言を要しないが、政策評価を捉えるための新たな視座の獲得はそ こからは困難となる。(50)そのような例として、 Behn,RobertD., "HowtoT℃nnmateaPublicPolicy:ADozenHintsfOrthe WouldebeT℃rminator,''んJjCyA"αlysis,Vol.4,No.3,Summer,1978,pp.393‑413.また、いくつかの優れ た政策終了研究を発表しているP・デレオンの論文にもそのような志向が伺える。たとえば、
CfDeleon, !!PublicPoHcyT℃nnination:AnEndandaBeginning,"pp.391‑392.
(51)Biller, "RobertP.,On'IbleramgPoMcyandOrgan伽nonTbmlination:SomeDesignConsiderations,'' んノ勿馳je"ces,VOl.7,No.2,June,1976.
(52)ここでいう通常の政策過程モデルとは、 (1)課題設定(2)政策の定式化(3)政策決定(4)政策施行(5) 政策評価(6)政策終了の各段階によって構成されるものである。
‑31‑
その一方で、終了が妥当であるとの評価が下されているにもかかわらず政策の終了が行なわ れなかったケース、 もしくは肯定的な評価が下されている政策が廃止されてしまうといったケ ースが存在する。たとえば、A・シユルスキーはワシントン,.Cにおける1974年の白バイ隊 廃止の例を取り上げて、そこにおいては政策分析者による評価一コストや予想交通事故増加数
などについての一はほとんど役割を果たさなかったと指摘している(弱)。このようなケースは政
策評価に対して新たな問題を提示し得る。そこにおいては、どのような要因の働きによって評 価の結果が決定に反映されなかったのかが明らかにされねばならないだろう。これに対しては 事例毎に様々な要因の抽出が可能であろうし、各要因の相対的な影響力も異なると考えられる。
評価方法等の信頼性が乏しくて評価の内容自体に問題が含まれており、その結果として評価が 政策の実行者によって無視されるといったケースも想定されるが、政策終了との関連から明確 に浮き彫りにきれる可能性があるのは、政策評価の提供(communication)の問題である。政 策専門家から政策実行者に対して適切かつ有効に評価の結果が提供されなければ、評価の内容 自体がいくら優れたものであったとしてもそれが実際の政策に反映される可能性はきわめて低 くなる。政策専門家がこのような認識を持つことの重要性は、一部の政策研究においても強調
されている(別)。それゆえ、政策専門家は政策実行者との間にある程度オープンで建設的な関係
を築くよう努力せねばならないし、評価結果を提出するタイミングとその対象、そして評価結
果のプレゼンテーシヨンの方法をも考慮せねばならない(弱)。また、評価結果に基づいた施策が
実施されるためには、時には政策専門家自身が政治過程に一アクターとして参加し、他のアク ターとの政治的相互作用の中で一定の影響力を行使する必要も生じてくる。この意味において、
政策評価はきわめて政治的な性格をも有している(弱)。この場合には、政策専門家が採る政治的
な戦術のみでなく、政策評価機関の制度的な位置もまた問題となってくるだろう。
これらの点に関してどこに問題点が含まれているのか、あるいはどのような提供の方法が望 ましいのかといった事柄は、評価の方法自体に焦点を当てるだけでは充分に浮き彫りにされな い。それは、政策終了についての事例の中で、評価がどのような役割を果たしたかを分析する ことによって初めて具体的な問題として現われうる。デレオンも指摘するように、元来政策評
(53)
(54)
(55)
Shulsky,op.cit,p・196.
Majchrzak,Ann.,""ods允γルノjCyRes""",Sage,1984,pp.91‑102.
もちろん、両者の関係が余りにも緊密になりすぎると、評価にバイアスがかかる危険性がある。
この問題については留意せねばならない。
Palumbo,DennisJ., !@PoliticsandEvaluation,'' inPalumbo(ed.),op.cit.,pp.12‑46.
delfon,Peter., "PolicyEvaluationandProgram'I℃rmination,''ん"CySt"djBsRe"ie",Vol.2,No.4, May,1983,pp.641‑642.この点に加え、政策終了はアジェンダ・セッティングとも密接な関係を有 している。政策の終了の仕方、あるいは終了自体が新たな問題を生みだし、それがアジェンダヘ ともつながるからである。CfBrewer,op.cit.,pp.338‑339.anddeIfon, "PubHcPoKcyT℃nnination:
AnEndandaBeginnmg,"p.371.
(56)
(57)
価の問題と政策終了とは切り離しては考えられないのである(57)。
4政策終了の要因
政策が終了する場合、そこに何らかの規則性あるいはパターンは存在するのであろうか。そ
れとも政策終了においては各ケースが特異性を持ち(idiosyncratic)、それについての一般的モ
デルを構築することは困難であると考えられるのだろうか。この問題は長らく政策終了を巡る議論の中心的な位置を占めてきた(58)oたとえばH・カウフマンはこの問いに関して、後者の立
場に与する。カウフマンは公的組織を例にとり、政府機関などの公的組織が廃止きれるかどう かはかなりの程度タイミングと偶然の作用に依存すると論じる。そこからは、政策終了につい
ての一般的モデルの構築は困難であるとの結論が導かれる(591。
他方、政策終了においても、一定のパターンないしは規則性を見い出すことが可能であると
する意見が存在する。その代表者の一人はJ ・フランツであろう。彼女はまず、デレオンが指
摘した政策終了を阻害する六つの要因、すなわち、 (1)終了に対する心理的跨跨、(2)制度の永続 性、(3)ダイナミックな保守主義、(4)反終了連合の存在、(5)法的な障壁、(6)高いスタートアップコスト、に焦点を当てる(")。これらの内容に関しては、政策終了の阻害要因として前章におい
てすでに触れたので詳述しない。ただ、ここで重要なのは、これらの要因が政策の領域もしく は性質を問わず、ほとんどの政策終了のケースにおいて共通して存在する可能性があるとデレ オンによって示唆されていることである。さらなる事例研究を通じてこれらの諸要因の抽出が 可能であれば、そしてそれらについての詳細な分析を行えば、政策終了においても一定のパタ ーンを見出すことが可能であるとフランツは主張する。このような考えに基づいて、フランツ はアメリカにおけるハンセン病対策の分析を行っている。ハンセン病の感染性がきわめて低い ことは、すでに専門家によって明らかにされている。しかもそれは完全治癒が可能である。そ うであるにもかかわらず、アメリカにおいては1917年の立法以来、ハンセン病患者を社会から
隔離する政策が長い間とられてきた(6')。なぜこのように根拠が薄弱で有効性を失ったと考えら
(58)Frantz,JanetE., "RevivingandRevisingaTerminationModel,"ん" Scie"ces,Vol.25,No.2, May,1995,p、175.
(59)Kauhnan,Herbert.,7YWIe,C〃α"Ce,α"dO'g""如吻"s,ChathamHouse,1985,p、67.また、R・antz,op.cit,p.176.
もっとも、政策終了を説明する上で、ある程度の偶然性を組み込んで一般的モデルを構築すること は不可能ではないだろう。これに関して手がかりとなるのは、たとえばマーチとオルセンのゴミ缶 モデル(garbagecanmodel)を応用してアジェンダ・セッティングについての理論を構築しようと
したJ ・キングダンの試みである。CfKingdonJohnW〆"膠"血s,Aノ彪加α物es,aM"b此ルノ允燃,ume Brown,1984.このことについては今後の課題である。
(60) deLeon,Peter.,"ATheolyofPoMcyT℃nnination,''inMay,JudithV.,andAaron'Mldavsky(eds.),TWe
〃"Cyq雁彫,Sage,1978,pp.286‑293.
(61)R・antz,op.cit.,pp.177‑178.
−33−
れる政策が、長期間廃止されずに継続されてきたのか。フランツはその原因をデレオンの挙げ た六つの要因に求めている。すなわち、アメリカのハンセン病対策においてもそれらの要因が
抽出され、その作用が政策の終了を阻害してきたとされる(62)。それゆえ、フランツはデレオン
の理論が政策終了の分析において一定の有効性を持ち得ると論じ、そこから政策終了のパター
ンを見出すことが可能であると主張している(団)。
同様の主張は、オクラホマ州における公立の児童矯正訓練校の廃止問題を分析したM・ダニ
エルズによってもなされている(")。だが、ここで問題となるのは、デレオンの理論、そしてそ
れに基づいたフランツやダニエルズの研究が、結果的に政策の終了というよりもむしろ政策の 継続性を強調する結果に終わってしまっていることである。それらの研究の方向性自体が有意 性を持つこと、そしてそれらが政策終了の分析に対して一定の寄与を成し得るであろうことは 確かに認めざるを得ない。しかしながら、我々にとってより重要なのは、どのような要因が政 策の終了を導くかであろう。そこで、この点に注目した分析枠組みとして、 まず合理的モデル
と政治的要因モデルの2つを取り上げることにする。以下、順次検討していこう。
合理的モデルは、G・アリソンがキューバ危機の分析において提示した合理的行為者モデル
を応用したものである(65)。アリソンのモデルと同様に、そこにおいては単一の行為体としての
政策実行者が想定される。政策実行者が問題に直面した場合には、採られ得るあらゆる選択肢 が考盧され、それらについての評価が行われた上で最善の選択肢が採用される。もう少し敷桁 してみよう。まず、政策が実施され、そのアウトプットないしはアウトカムに対して評価が行
われる(")。その評価を受けた政策実行者は当該政策について次のいずれかの決断を下さねばな
らない。すなわち、前章で取り上げたホグウッドとピーターズによる政策維持、政策継受、そ
して政策終了のいずれかを選択せねばならない(671。合理的モデルによれば、各選択肢がもたら
す影響は事前に評価される。評価においては様々な方法が用いられるが、基本的には各選択肢 がもたらす費用と便益が算定され、便益・費用差ないしは便益・費用比が重視されることにな る。その結果として、現行の政策の維持がきわめて非効率的であって打ち切りが適切であると
(62) ちなみに、我が国においても、 1907年に制定され1953年に新法となって施行され続けてきた「ら い予防法」が、 1996年3月27日にようやく廃止されることになった。そこに至る過程においても デレオンの挙げる要因が抽出されるかどうかについては、今後検討を要する。岡部伊都子「ハン セン病の語り部伊奈教勝さんを悼む」『朝日新聞』夕刊、 1996年2月17日。また、 「日本経済新聞』
1996年3月27日。
Frantz,op・cit.,p.187.
Daniels,op・cit.
グレアム・T・アリソン著/宮里政玄訳『決定の本質一キューバ・ ミサイル危機の分析』 (中央 公論社、 1977年)。
outputとは短期的な影響、 outcomeとは中長期的な影響を指している。
もちろん、この場合の選択肢はこれら3つのみに留まる訳ではない。政策継受においてはどのよ うに政策を修正するかが重要となり、修正案の数だけ選択肢の幅は広がる。ただし、ここでは議 (63)
(64)
(65)
(66)
(67)
評価された場合、 さらに現行の政策がどのように修正されたとしても非効率性の改善が困難で あると評価された場合には政策終了が選択される。さらに、既存の政策が目覚ましい効果を上 げて所期の目的が充分に達成され、その政策がもはや不必要であると判断された場合にも政策 の終了が採択されることがある。合理的モデルによれば、このように政策終了が最善の策であ ると判断されれば、それは速やかに政策実行者の手によって実施され、最終的に政策が打ち切
られる(68)。
また、財政状況がきわめて逼迫している時には、政策実行者は上述の選択肢のみでなく、
どの政策を終了させるかという問題にいきなり直面することも有り得るだろう(69)。このよう
なケースにおいても、各政策がもたらす費用と便益が推計され、便益・費用差ないしは便 益・費用比の観点からもっとも非効率的であると見なされるもの−政策を一つだけ終了させ る場合には、純便益ないし便益・費用比がもっとも低いもの−がスムースに打ち切られるこ
とになる(70)。
ところで、以上のような合理的モデルが実際の政策終了を表現するためには、次のような条
件が必要となる(71)。すなわち、(1)政策終了の判断を行う権限を有するものが情報を把握してお
り、あらゆる選択肢がもたらす帰結について熟知していること、(2)政府内に合意が調達されて いること、(3)政府が社会に対して自らの意図を貫徹できるほど強力であること、すなわち、新
制度論者達のいう意味において「強い」 (strong)国家が存在していること(だ)。第二と第三の
条件は、いずれもコンフリクトなしに政策終了が実施されうると見なしている点で共通の部分 を有している。
ここで問題となるのは、実際においてこれらの条件が成り立ち得るかどうかである。第一の 条件に対しては、サイモンらによる限定的合理性を強調する立場から、あるいはリンドブロム らによるインクリメンタリズムに与する立場から合理性に対して向けられた批判を、そのまま
適用することが可能であろう(73)。ただし、 この合理性をめ〈、る問題に関してはすでに多くの議
論がなされているがゆえに、敢えて踏み込まない。むしろ重視したいのは、仮に第一の条件が
(68)合理的モデルによる分析の例としては、たとえば、Nathan,RichardP.,andFredC・Doolittle,
"FederalGrants:GMngand'IhkingAway,"ん"" ノ"jg""Q"α地力,VOl.100,No.1,1985.pp.53‑74.
(69)deLeon,Peter., "PolicyEvaluationandProgramT℃、血adon,''p.634.
(70)CfRay"Anandarup.,CりsたBe"猟A"αlysiS:lSs"esα"dMe"odoノ岬es,TheJohnsHopkinsUniversity
Press,1985.
(71)山本吉宣「政策過程とその分析」堀江湛・花井等編「政治学の方法とそのアプローチ」 (学陽書 房、 1984年)、 156ページ。
(72)CfKrasner,Stephen.,D唯"伽"g"eMz伽"αJ肋彪γEst,PrincetonUniversityPress,1978.
(73)たとえば、代表的なものとして以下の文献を参照のこと。ハーバート ・サイモン著/松田武彦・
高柳暁・二村敏子訳『経営行動』 (ダイヤモンド社、 1965年。)March,JamesG.,APγ伽gγ0〃
Dec"0"""〃"grH0〃Dec"""sHtWe"flYleFreePress,1994.Lindblom,CharlesE., "TheScienceof Muddlmg'IY1rough,''剛〃たAM"ぶれ"0"Re""",VOl.19,No.2,Spring,1959,pp.79‑88.