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卿と二人の修道女との面会を願い、さらに可能ならば

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シスター江角ヤスとマルムティエの聖心会修道院

       森中 房枝  今から3年前の2009年、長崎純心聖母会は創立75周年を迎え、プロジェクトチーム を中心に創立者早坂久之助司教が神から受けた独自の霊性を明確にするための研究が 重ねられ、長崎純心聖母会第11回定期総会で結論を得たが、同時に本会創立の強力な 協力者であられたシスター江角ヤスについても研究がすすめられた。

 シスター江角の修道生活の基礎を築いたのは、フランスでの修練期四年間の養成で あったと言って過言ではないように思う。シスター江角の「霊性・精神」を探る上で重 要な鍵を握るものであるが、残念ながら、シスター江角は当時の事を多くは語らず、

記録や資料はわずかしか残っていない。

 私事になるが、今から18年前の1994年に1年間の休暇をいただいて、フランス料 理研修の為に渡仏した。研修を修了した12月末、渡仏当初からの念願が叶って、シス ター江角ヤスとシスター大泉かつみが修練の為に4年間を過ごされたトゥール市マル ムティエの聖心会修道院を訪ねることができた。その時からすでに時が経過しており、

記憶もだいぶ薄れてきていて紹介することが憚られたが、早坂司教やシスター江角が 記した資料と筆者が訪問当時撮った写真が合致するところもあるので、マルムティエ の様子を少し紹介し、あわせてシスター江角の事をより多くの方々に知っていただく ために、江角ヤスの生い立ちからキリスト教との出会い、純心の創立に関わられた背 景なども記すこととした。

 

 長崎純心聖母会創立の片腕的存在であり、純心女子学園の創立者シスター江角ヤス は島根県出雲の出身で1899年(明治32年)に生を受けられた。江角家は代々熱心な真 宗の門徒で幼少のころからその家風の中で育った。向学心に燃えていたヤスは1916 年島根女子師範学校を卒業後、東京女子高等師範学校理科(現在のお茶の水女子大学)

に進学。卒業後1923年には女子学生に唯一門戸が開かれていた東北帝国大学理学部

数学科に進学。在学中、友人に借りた「キリストに倣いて」という1冊の本との出会い

が彼女の人生観を完全に覆すこととなる。下宿先の東京女子師範学校の先輩、岡はじ

めに「カトリック教会に連れて行ってほしい」と頼み角五郎町教会でキリスト教と出会

うことになる。主任司祭はパリミッション会のマトン神父である。教会にあった「日

本26聖人殉教者」のステンドグラスに衝撃を受け、さらにマトン神父の著書「ルルドの

姫君」再版の校正を依頼されたことにより、 「私は聖母マリアの虜となった」と言わせる

ほど、聖母マリアに夢中になった。1924年6月8日仙台市畳屋町教会主任のモンタグ

神父(写真15中央)より25歳でカトリックの洗礼を受けた。1926年東北帝国大学理学

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部数学科教室を卒業して理学士の称号を受け、その後3年間、京都府立第一高等女学 校の数学教師として教鞭をとっている。

 受洗後、修道会入会を希望し召命の道を探していた頃、友人の大泉かつみの紹介で、

長崎教区長・早坂久之助司教から長崎で邦人女子修道会創立の為、協力要請の手紙を 受けた。1929年京都府立第一高等女学校を辞職し東京雙葉高等女学校に転任する。

 同年4月長崎を訪問し、早坂久之助司教から修道会創立の詳細を聞き、協力要請を 承諾した。その理由に①日本26聖人殉教地長崎であること、②邦人女子修道会である こと、③日本の女子教育事業を目的としていることとしている。 (山田幸子(2008)福 祉に生きる 55江角ヤス 45)

 修道会創立の為には既存の修道会で修練を受けることが教会法で定められており、

早坂司教はフランスの聖心会に依頼された。それは、1930年1月文部省の委託を受 け「欧米における女子の中等教育視察」の研究も合せた留学でもあった。

 早坂司教は邦人女子修道会創立に当たり、布教聖省長官ファン・ロッスム枢機卿宛 に次のような報告をしている。

 「枢機卿様の熱心なご希望と懸命な助言に従って、私は邦人女子修道会の創立のた めに動き始めました。私の努力と神の恵みにより、日本の他教区からでも修道女にな りたいという希望を示してくれる女性が数多くいます。この女性の中から、私は修練 を始めるためにフランスの聖心会に送るために、二人の素晴らしい女性を選びまし た。・・・」(バチカン福音宣教省文書館所蔵1930年10月10日付『定期年間報告書』、原 文イタリア語) 

 別の手紙でも次のような記録が残されている。

「布教聖省長官枢機卿様(フマゾーニ・ビオンディ枢機卿)

 私が1927年に司教叙階のためにローマにいた時、ファン・ロッスム枢機卿様は私に 何度も、布教国においては聖職者に加えて、その国で創立された女子修道会を創立す ることが非常に必要であることを忠告しておられました。・・・長崎に戻り、私は適切 な人たちを探しておりましたが、幸いにも見つけることができました。四年前に私は 三人の女性を修練の為にフランスのマルムティエにある聖心会の修練院に送っていま した。今そのうちの二人、シスターマリア江角ヤスとシスターマリア大泉かつみが、

復活祭の後すぐにフランスを発ち、長崎に向かっています。聖心会の修練長様から彼 女たちは帰国の途にあり、ローマに何日か滞在してその後ナポリから船に乗る予定だ ということを伺いました。・・・・ (バチカン福音宣教省文書館所蔵1934年3月7日付、

原文英語)」

 この手紙の続きで早坂司教は枢機卿と二人の修道女との面会を願い、さらに可能な

らば枢機卿の取り次ぎによって教皇ピオ11世との特別謁見がかなうよう依頼してい

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る。

 シスター江角とシスター大泉かつみが渡欧した4年間を“年表―早坂久之助司教と 長崎純心聖母会の創立期”から年代を追って抜き出して記してみる。 (長崎純心聖母会

(2009)「創立者ヤヌワリオ早坂久之助司教の『使命』と長崎純心聖母会の『創立のカリ スマ』」203-204)

 

1930年(昭和5)5月25日 江角ヤスと大泉かつみ渡仏(写真1)。この日は聖心会創      立者聖ソフィア・バラの祝日にあたる。フランス国郵船「ゼネラル・メッチン ゲル号」で、神戸港を出港、文部省の嘱託の任務と新修道会創立準備の為に、

マルムティエに向かう

1931年(昭和6)3月17日 江角ヤスと大泉かつみ着衣。マルムティエの聖心会聖堂      に於いて、フランスに帰国中のモンタグ神父(江角ヤスに洗礼を授けた)の司

式による

     (昭和6)9月21日 志願者広瀬栄がマルムティエへ(写真19)

1933年(昭和8)9月24日 江角ヤスと大泉かつみ、初誓願宣立。 (会憲がないので貞     潔の誓願のみ)

     (昭和8)10月8日 早坂司教脳溢血で倒れる。フランスで修練中の3人に早坂 司教の事が知らされる。 (修道会創立が危ぶまれ、広瀬栄は聖心会に転会を決 意)

     (昭和8)11月 江角ヤス、大泉かつみはフランスのルルドに巡礼

1934年(昭和9)1月 江角ヤス、大泉かつみはイギリスにわたりロンドンの聖心会に      逗留。プロテスタントの国でカトリックがどのような手段と方法で活動する

かを視察

     ( 昭和9)4月 江角ヤス、大泉かつみイタリアに入る。ローマにて教皇ピオ 11世に特別謁見

     ( 昭和9)4月29日 江角ヤス、大泉かつみ日本郵船「香取丸」にて帰路につく。

上海で日華連絡船長崎丸に乗りかえる。

     (昭和9)6月1日 午後1時30分長崎に到着

 前置きが大変長くなったが、本題に戻り、フランスのトゥール市マルムティエの聖 心会修道院の紹介に移ることとする。

 トゥール市はフランス中部に位置し、街並みには中世の名残が残っており歴史の重

みを感じるところであった。ロワール河畔の静かな佇まいの中に中世風の修道院が見

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えてきた。正門には向かって右側に、現在の聖心会の中等・高等学校名が記され、左 にはサン・マルタン司教(316 ~ 397)が創設したという歴史的建造物でマルムティエ の大修道院(サン・マルタン修道院)と記された表札が掲げられていた。 (写真3・5)

 訪問当時は、聖心会の中等・高等学校として使用されており、7~8名のシスター 方が使徒職に従事されていた(写真2)。一見ご高齢の方もいらしたが愉快でとても温 かい雰囲気の修道院で、シスター江角の取りなしを感じた。

 日本語教師をしていらした日本人シスターもいらっしゃり、大変心強かった。以 前、修道院だったところに手を加えて、校舎として使用しており、教室の間取りなど から見てもかつて修道院だった様子が手にとるようにわかった。校内を案内していた だきながら「シスター江角はこの建物で暮らし(写真9,10)、この廊下や階段を通られ た(写真13,14)」とか「この食堂で食事をなさり、このチャペルで(写真12)お祈りをさ れていたのね」などと当時の生活の場を丁寧に説明し案内をして下さった。土手の方 にはサン・マルタン時代の隠遁生活をした場所が遺跡としてそのまま保存されており、

トゥール市の管轄で発掘調査中であった(写真11)。シスター方のお話によると聖心会 は1920年~ 1940年までシスター養成の場(修練院)をポアティエからマルムティエ

写真1 渡仏の船上で、前列右端江角ヤス 写真2 聖心会のシスター方と

写真3 聖心会修道院玄関前 写真4 敷地内からの玄関の様子

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に移している。シスター江角達がいらしたのが1930年~ 1934年であったので、実 際に修練者として過ごされた場所であったことが確認できた。またシスター江角やシ スター大泉の修練時代の写真を出して下さり、写真の裏には説明を加えて、コピーし て頂き貴重な資料として持ち帰ることができた。写っている背後の風景からもこのマ ルムティエの場所であることがわかる。これは後で改めて紹介することとする。シス ター江角の修道会ということで大変手厚いもてなしを受け、心より感謝している。玄 関前の道路を挟んで朝日を浴びたロワール川が悠然と流れていたのが印象に残ってい る(写真6)。

右の表札  マルムティエ

学院―中学校―高校 と記されている  歴史的建造物

 マルムティエの大修道院  サン・マルタンの隠遁所

写真6 朝明けのロワール川 写真5

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写真7 道路側から見た元修道院

写真12 チャペル 

シスター江角達の祈りの場所であった。

写真11 マルムティエ大修道院跡 トゥール市直轄の遺跡発掘調査地

写真10 写真8の正面から 写真9 修練院として使用されていた建物、

シスター江角達の修練院

写真8 中庭からの様子

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 シスター江角はトゥールのマルムティエに滞在しておられた時の記録をあまり残し ていない。1974年(昭和49年)10月発行長崎純心聖母会「会報」第4・5号に記載された 特集「創立のこと」と、最期に近い1980年6月3日に純心聖母会の若い修練者に創立当 初の話をなさった回想録から抜き出したことばと合わせながら、シスター江角、シス ター大泉とシスター広瀬の当時の写真を紹介することとする。この写真は先にも述べ たが、マルムティエを訪問した際にコピーしていただいたもので、写真裏にその説明

(原文はフランス語)を加えて下さったものを使用した。

 シスター江角ヤスは“特集 「創立のこと」”の中で次のように述べている。 「新しい会 を作るには、既存の会で志願者が一年間修練を受けることが聖会法で定められていま すので、どこに修練を頼もうかと司教様は考えられ、その結果、外国の本場でした方 が良いからとフランスの聖心会にお願いになりました。1930年5月25日、聖心会の創 立者 聖ソフィア・バラの祝日に神戸を発ち、大泉かつみ姉と私は、二人でシャンボ ン東京大司教様に連れられて(写真1)、フランスに行き、マルムティエの聖心修道会 のノビシアに入りました。少し遅れて広瀬栄姉が志願者としてマルムティエへ来られ ました。」

 「1931年3月17日、日本の聖母の祝日に私たちは私の洗礼の霊父モンターグ神父様

(写真16)の司式のもとに着衣致しました。 (写真17,18,20)  

 ノビスの途中で、司教様が脳溢血の大病でお倒れになったという知らせを受けまし た。 「あなた方が帰っても会はできない」と言われ、とうとう広瀬姉(写真19)は聖心会 に転会することに決められました。広瀬姉が仲間からさられました時は、心がほんと うに痛みました。・・・・中略

写真13 チャペルに続いてい る階段(シスター江角、シスター 大泉もこの階段を使用していた と思われる)

写真14 かつて修練院のシス ター方が生活していたお部屋 は、現在改造されて、教室とし て使用されていた。

(8)

写真15 

シスター江角(左)とシスター大泉(右)

志願期の間 日本の風習に従う

和装はやや簡略化され欧風化している。

袴を着けている

写真17の説明

  シスター江角(右)とシスター大泉(左)の修道会入会の日   1931年3月17日  日本の聖母祝祭日

  シスターたちは大きな白百合を織り込んで〔実際は友禅染〕飾られ   た、水色の絹の着物を着用。帯は大変きらびやかに刺しゅうされ、

  数メートルの長さがある。

写真16 洗礼を授けて 下さったモンタグ神父 様と江角先生 

(追慕の記 純心女子学 園 昭和56口絵より)

写真17 写真18

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 私がノビシア時代にしたことは、主にお掃除とつづくりでした。・・中略

 4年間ノビシアにいて一度も会則を見せていただきませんでした。会のすべてを最 初からしなければならないものにとっては犠牲が大きかったのです。そんな時「いや いや、会則の勉強をするより、己を捨てることがずーっと上だ」と考えました。・・・中 略 

 御苦難の黙想と聖母に対する信頼は私の力でした。ノビシアの間、御苦難の黙想を しっかりしていたから、その後、たくさんの苦難に耐えてこられたのだと思います。

 1933年9月24日に初誓願をたて(まだ会憲ができないので貞潔の誓願でした)、翌 年春4年間のノビシア生活を終え、いよいよ帰国することになりました。2ヵ月余り、

ロンドンの聖心会に留まり、4月ローマに参り、ピオ11世教皇様に特別謁見を賜り、

祝福をいただきました。

 1934年4月29日、ナポリから4年ぶりに日本の船に乗り込みました。丁度天長節 で日本に帰る喜びはひとしおで、日本人が日本を愛さなくて誰が日本を愛するか、と 愛国心はたぎっておりました。1934年6月1日日本に帰ってきました。その年は、

6月9日が聖母のみ心の祝日で、日本はマリア様のみ心に捧げられていました。それ で新修道会を聖母の潔きみ心に奉献しようと司教様が申され、1934年6月9日、大 浦のサンタ・マリアのご像の前で純心聖母会と名付け、純心を創立されました。」 (特集

「創立のこと」)

同じようなことが(回想の記録 1980)には次のように記されている。

 「そこで2人が先にフランスの修練院に行きました。行く時はシャンボン司教様方 と大変喜んで一緒に行ったわけなんです。今のベトナム(サイゴン)では、邦人修道会 に連れて行っていただいたりして、楽しい旅でした。はかまを履いて日本の着物を着 ながら行ったのです(写真1)。

 フランスの聖心会のあるところは大きなベネディクト会の修道院がつぶれた後なん ですね。この修道会の起伏というものは、全部お金や力が関係しています。修道会と 貧しさというのは修道会のバロメーターみたいなものです。私たちのノビシア(写真9・

10)ですごく立派なところでしたけれど、そこは大きなベネディクト会のつぶれた後 を聖心会が買ったのです(写真11)。・・中略)

 私はノビシアに入りました時、正直31歳だったんですよ。それで私はやっているこ とが理解できなかった。文学的にぺらぺら言えないわけなんですね。理屈っぽいこと ばかりしか言えないのですね。言葉で深いことは言えないでしょう。日常のあいさつ 程度はできても、心の深いことはそう言えるものでもないしまたわからないですよね。

日本人の心なんて、東洋人の心なんてそう分かるものじゃないでしょう。しかも私の

場合は大人になっているでしょう。しかも仏教で育っていますから。それでしかも会

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写真21 右から シスター江角 広瀬栄 シスター大泉

写真22 シスターマルト・

       ド・シェイエス

マルムティエの修練長(1920 ~ 1940年)

シスター江角の修練期時代の指導者 写真19

シスター広瀬 栄

写真20 シスター江角(左)

     シスター大泉(右)

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が違うわけでしょう。それで持ってきて、早坂司教様が脳溢血で再起不能だという連 絡なんですね。そういうことで修練長様(写真22)にとっては三人預かったけれども帰 したって会ができるかどうかわからない。だから3人を落ち着かせようとしたわけな んですね。どうせ帰っても会はできないと決めてしまって。それで広瀬さんは聖心会 に入ってしまった・・・・・中略

 私は生涯の涙をノビシアで流したような気がするほど泣きました。よくも神経衰弱 にならずに帰ってきたと思うほど苦しんだのです。その苦しみを受けたために、日本 に帰ってきてから、いろいろな苦しみがありましたけれどもたいてい乗り越えまし た。」

 サンタマリアの3月17日の祝日にして着衣をして、その時は丁度洗礼を受けた神父 様(モンタグ師) (写真16)がパリの神学校の校長様になっていらしたので、司式して下 さいました。・・・中略

 以上特集 「創立のこと」と回想の記録(1980)から抜き出したことばを紹介したが、

その中には、シスター江角の心の内が、吐露されている。

 筆者が初期修練期時代(1975 ~ 1977)シスター江角は修練院のお隣の離れにお住 まいであった。純心女子短期大学が浦上から現在の三ッ山へキャンパスを移転した時 期でもあり、修練者たちは折あるごとに「江角組(私たちの愛称)」の一員として作業の 手ほどきを受け、運動場に芝を植えたり、土手に紫陽花を植えたりした。また修道生 活のお手本を身近に見せていただき、純心聖母会の創立のことなども間近に聞く機会 を得た。その中で、マルムティエでの修練期時代の話を記憶している。

 シスター江角の信仰と修道生活の礎がマルムティエでの修練の4年間に培われ、創 立初期の厳しい状況の中で、すべてを良きに計らって下さる神様に信頼することがで きたのであろうと考える。

 シスター江角の合い言葉「神を愛する者には、万事ともに働きて益あらざるはなし」

(ローマ書8章28節)

 最後になったが、この旅行の道中、ある出会いがあった。

 ポアティエ町の中心にある教会に入った時、聖心会のシスター(写真23)に呼び止

められた。 「あなたはどこから来たのか、何処の修道会か」と尋ねられた。 「私は日本人

で、長崎純心聖母会のシスターだ」と答えたところ、なんと「私は、シスター江角を

知っている」とおっしゃる。話を伺ってみるとかつてご一緒に生活しておられた共同

体の院長様が、シスター江角と修練期時代を共に過ごされたとのことで、シスター江

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角のことをよく聞いておられたご様子であった。この予期せぬ突然の出会いによって、

トゥールのマルムティエ聖心会修道院訪問を容易にしてくれた。シスター江角が引き 合わせて下さったようで、感謝の気持ちでいっぱいであった。

 マルムティエ修道院からいただいた写真裏の説明の訳は国際人間学部久木田英史准 教授の協力を得た。心より感謝申し上げる。

引用文献

1.山田幸子(2008) シリーズ福祉に生きる 55 「江角ヤス」 45 大空社 2.長崎純心聖母会(2009) 「創立者ヤヌワリオ早坂久之助司教の『使命』と長崎純心   聖母会の『創立のカリスマ』」106、108-109、129-131、169-172、

  202-204

参考文献

1.山田幸子(2008) シリーズ福祉に生きる 55 「江角ヤス」 大空社

2.長崎純心聖母会(2009) 「創立者ヤヌワリオ早坂久之助司教の『使命』と長崎純心   聖母会の『創立のカリスマ』」 

3.純心女子学園(1981) 「江角ヤス学園長先生 追慕の記」 

4.長崎純心聖母会(2000) 「初代会長シスター江角の霊性に学ぶ」 生誕100年記念 5.長崎純心聖母会(1981) 「深い祈りで マダレナ江角初代会長様追悼集」

写 真23  ポ ア テ ィ エ の 教 会 で 出 会った聖心会のシスター(左)と旅 行の同行者パリ在住の李さん(右)

李さんはフランス滞在中、大変お世 話になった方である。

参照

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