• 検索結果がありません。

第14回社会学世界会議(1998年)・参加報告

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "第14回社会学世界会議(1998年)・参加報告"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

No.19

明星大学社会学研究紀要

March 1999

《学会報告》

第14回社会学世界会議(1998年)・参加報告

「国際社会学会」(ISA)カナダ・モントリオール大会

樋 口 辰 雄

前史

 今回、カナダ東部、モントリオールで開催さ

れた世界会議(14、,World Congress of Soci−

010gy・7月26日〜8月1日)に出席する機会 を得たので、「私とカナダ」という因縁も込め

て、簡単ながら事後報告をさせていただきたい。

カナダ観光局が発行する案内書によれば、アメ リカ合衆国の北部に位置する広大な国、カナダ は、北は北極海、南は北緯50度(但し、モント リオールは、北緯45度より少々北で、日本の稚 内とほぼ同位置)の間にあり、その而積は、日 本の約27倍。首都をオタワとする連邦国家の人

口は、約2,700万人。「人種のモザイク」、豊か

な自然、国立公園、野性動物、バイリンガル

(英語とフランス語)の国などとして、わが国

に親しまれている。

 カナダは、私にとって遠い国であった。大学 院時代に、交換講座としてトロント大学から赴

     1

..、 t、      1

      ぜ      ぷぐ

      98−7モントリオール市

任して来られた教授の、「カナダの政治と経済」

という講義を聴講した程度のものである。その 後一時期、「カナダ学会」に所属していたこと があった。多分、それは当時、明治期における

プロテスタンティズム(カナダ・メソディズム)

の影響を調べていたためであろう。その関連で、

関西学院大学で開かれた同学会に出向いたこと もあった。井口喜源治、相馬愛蔵・黒光(中村 屋)を知るため、長野県・大糸線にある穂高へ 行ったのも、丁度その頃であろう。しかし、も

っと根底にあったのは、カナダの出身で日本を

深く研究していた、E. H.ノーマンの学問と関

係があった。カナダ人宣教師を父に持ったノー

マンは、軽井沢に生まれ、後にコミュニストの 嫌疑を掛けられ、1957年、エジプトのカイロで

自らの命を絶った悲劇の外交官であり、異色の

研究者であった(『ハーバート・ノーマン全集」

岩波書店、「丸山眞男集』第7巻、同)。「全集』

の訳者である大窪想二という優れたサポーター

が介在していたにしても、日本人ではない人間

が、封建制下の日本を鋭く分析したり、安藤昌

益にいち早く着目しえたのは、一体どのような

事情によるのか(もっとも、「忘れられた思想

家一安藤昌益」の第一発見者は、夏目漱石の友

人、狩野亨吉らしい。青野舜二郎 「狩野亨吉

の生涯』)、こうした歴史感覚と学者的品位を兼

備した人を生み出すカナダとは、そもそもどの

ような国なのだろうか。

(2)

102一

初めてカナダに渡る

明星大学社会学研究紀要

 7月25日、久しぶりの成田空港である。出張 旅費を貰うため、煩項な書類を約10枚程作成、

複写したりしたものの、経理課から突っ返され る等で、いささかウンザリしていただけに、そ れだけ一層気持ちが晴々としている。お役所仕 事とは違い、今回世話になったッアー会社は、

こちらから申し出た頻繁な旅行計画の変更にも、

テキパキと対応していただいたので、どのよう な係の人だろうと、お会いするのが楽しみだっ

た。16時10分成田発→14時50分デトロイト着、

16時55分同地発→18時35分モントリオール着、

これが旅のスケデュールである。出発まで少し 余裕があるので、第一ターミナル・南ウイング 内を歩いてみる。時期が時期だけに、フロアー を行き交う旅行客で一杯だ。それにしても、こ の発着施設は、狭いだけではなしに、なんて古

くて汚いのだろう。チューリヒ空港やオランダ・

アムステルダム郊外あるスキポール空港と比べ ると、二流のスペースだ、でも、ローマのそれ よりもまだましかな、などと思いながら、集合 場所へ行くと、既に同行者の方々が円く先陣を 組んでいた。予め旅行会社から貰ったリストに

よれば、総勢17名とある。殆どお会いしたこと

のない方々ばかり故、ここに、備忘録の意味で、

転記させていただく(敬称略;蓮見音彦一和洋

女子大、飯島伸子一都立大、大山七穂一東海大、

平川幸雄・愛、登石文夫・知子一富山国際大、

若林敬子一東京農工大、小川葉子一九州大大学 院、矢澤澄子・美穂子一東京女子大、三木英・

美也子一英和大、樋口晟子一東北福祉大、宮島

 喬一立教大、太郎丸博一光華女子大)。

 添乗員兼現地コンダクターとして、いろいろ 世話をしていただく、辻 伸廣さんに挨拶をす る。電話を介してやり取りした時は、頭の回転 の速いビジネスライクな方との印象だけだった

No.19 が、実際にお会いしてみると、私と同年齢位の、

人間的な温かみが感じられるベテランなので、

ホットする。後は、お遍路さんよろしく、年齢、

男女、それぞれ千差万別な姿で、長身の辻さん

の後を追いかけるように、デトロイトで乗換え、

同日の夕刻、モントリオール空港に無事到着。

私たちが泊まる宿舎は、エコノミー・クラスの

「ホリデイ・イン」ホテルが割り当てられるが、

部屋に入ると、見知らぬ旅行バッグが届けられ ている。一体誰のものだろうと、名札を覗き込

むと、そこには、「樋口晟子」と書いてある。

この方は、もしかしたらマックス・ヴェーバー と関連がある、R・ミヘルス『現代民主主義に おける政党の社会学』(Zur Soziologie des

Parteiwesens in der modernen Demokratie.)

の共訳者の一人では、と思いながら、フロント へ電話をいれる。まもなく、樋日さんが行方不 明になったバッグを取りに来られ、「ヒグチさ んの階へ行こうしても、エレベーターが通過し

てしまって止らないのよ。何度も往復したわ。」

どうなっているのだろう、このホテルは。私も、

当初は戸惑ってしまった。実は、自分の部屋の カードをエレベーター内にある差込み口に挿入 しないと、その階を通過するシステムになって

いるのだ。

 本当は「同姓」の部屋まで届けてあげたかっ たのだが、女性の部屋であること、更に、旅の

疲れからか、食べた機内食を吐いてしまって、

余力がなかったのだ。

 7月26日朝10時、このホテルを常宿としてい る参加者たちは、また辻さんの指示に従い、大

会が開かれる会場(Convention Center)まで、

地下鉄を乗り継ぎながら行ってみる。正式な名

称は、パレ・デェ・コングレ・デュ・モントリ

ヤルと言い、この大きな建築物は、周囲がガラ

ス張りで出来ており、正面が斜めに切り落とさ

れているので、外から明るい光が入るように設

(3)

March 1999 第14回社会学世界会議(1998年)・参加報告

計されている。入口の外には、適度な公共空間

が確保され、会場利用者や市民たちがゆったり 寛げるよう、座る場所が設けられている。日本 の夏のような蒸し暑さが全くない、乾燥しきっ た気候だが、それだけ一層ギラギラした太陽に 満ちている。そのせいか、植え込まれた色とり

どりの花々が鮮やかで、実に美しい。

 夕方から、1週間続く大会に備え、既に日本 から振り込んである登録料を確認に行く。会場 内での説明役の為に、モントリオール市内の各 大学から多数の大学生がやって来て、ヴォラン ティア活動をしている。市内には、ケベック大

学、マッギル大学、そしてモントリオール大学、

の3っがある。世界中からやって来た人々でに ぎあう受付で、電話帳程ぶ厚く製本したものを 2冊(1冊は、発表題名、会場などが書かれた もの、もう1冊は、その発表要旨)、大会歓迎 状、入場カード等を受け取る。情報化社会と言 われるように、インターネットの網が世界中に 張りめぐらされているから、各発表者と簡単に 連絡が取れるように、電話・ファックス番号以

外に、e−rnail記号が付されている。その意味で、

やはり国際的コミュニケーションの手段として、

「英語」がなによりも必須な道具であることを、

思い知らされる。

 夕方まで時間があるので、会場の外に出ると、

三木さんという若いご夫婦に出会った。お二人

は、関西国際空港から直接、こちらに来られた、

との由。お互いに自己紹介をすませた後、三人 で、ノートルダム聖堂、考古学歴史博物館を見 学し、一緒に昼食をとる。レストランとパソコ ン屋が同居した風変わりな店で、サンドイッチ 類、飲み物などを注文しながら話をする。この 大会の終り頃に発表の準備をしている同氏は、

大阪大学人間科学部を出られ、ヴェーバー宗教 社会学から影響を受けて、現在は、生駒山山麓

に残るミニ・カリスマ宗教を調査中とのこと。

とても魅力的なテーマだった。

会長・ウォーラーステインの演説

103一

 7月26日]6時30分、オープニング・セレモニ

が開かれる。一階の会場には、既に、多くの 椅子(数千人)、壇上テーブルが準備され、そ

してアンサンブルも待機している。演奏後、開 会が宣告され、挨拶が始まる。ISA第50回記 念大会を祝して、会長のウォーラーステイン

(lmmanuel Wallersteil1)、 カル ドーソ

(Fernando Cardoso),アーシャー (Margaret

Archer)など各氏の挨拶が行われ、日本から

も、綿貫譲治教授が祝辞を述べられた。

 今大会を期に会長を辞するウォーラーステイ

ン教授は、『史的システムとしての資本主義』、

「近代世界システム』、「近代世界システム1600−

1750』、「脱=社会科学」、「社会科学をひらく」

等の著書で、世界的に知られている研究者であ る。ニューヨーク市立大学教授とフェルナン・

ブローデル・センター所長を兼任している。

 モントリオール大会の基調理念は、「社会認

識:遺産・]兆戦・視座」 (SOCIAL KNOWLE−

DGE:HERITAGE, CHALLENGES, PERS−

PECTIVES)である。

 会長は、この理念に基づき、概ね次のような

演説を行った。

i

l

       f

一_一;{ 一

         .  ノ 1

 〆        1  

  )    )

    ヘ   ト

/ ㌧ . fl . \.・t一 98−7 |SA大会、開会挨拶

 ウォーラーステイン教授

(4)

1e4一

明星大学社会学研究紀要

  「ISAは、世紀と千年の転換期に相応し い、そして当組織が50周年を迎えたという事

実に相応しいテーマを選び取った。それは、

過去と未来の双方を見やるテーマである。わ

れわれは、過去の遺産を振り返っているが、

その遺産とは何なのか。どれ程の間、われわ れのものだったのか。それは何から作られて いるのか。それが今も我々の心を捉えている

とすれば、それは何なのか。

 われわれは、現代における様々な挑戦を目 にしている。何に対する挑戦か。遺産への挑 戦である。それらは、過去20年の間、恐るべ

きものと化している。挑戦とは、必ずしも拒 否を意味していない。われわれの遺産の底流 にある、様々な前提に対する執拗なる異議申

し立てである。どちらの挑戦を真摯に取り上 げるべきか。………それらは、われらが立脚

している土台を危うくしてしまうのか。

 われわれは、われわれが擁している観点、

立脚点に期待している。ただ問題なのは、ど ちらの観点かだけでなく、それが誰のものな

のか、という点である。社会学という学問は、

知的にも制度的にも、ほんの近年に創造され たものなのである。この学問の境界領域、社 会学という名称それ自体、来る50年後も、不 動のままなのであろうか。われわれの遺産と

この遺産に対する様々な挑戦、この両者をき ちんと評価することで、われわれは、以上の

ような問題に取り組むことが出来るのである。

 この地で開催される会議において、単に長 期間、とことん、かかる問題が論じられると いうことだけでなく、そこでの議論が十分実 のあるものとなり、数年後の将来、われわれ の次の後継者たちが、われわれの知的な歴史

の重要な場としてのこうした討論に対して、

振り返るにふさわしいものになるよう、わた

しは期待している」と。

シンポジウムおよび研究会

No.19

 こうして、翌7月27日から31日まで、午前中 は、シンポジウム、午後は、各テーマ別に分か

れて、報告と活発な質疑が展開された(29日は、

休息に充てられ、多様なッアーが企画された)。

 以下、参考までに、午前中のシンポシウムの

表題だけでも、英語で列記しておこう。

  ・CHANGING IDENTITIES AND SOCIAL

  ORDER

  ・WORK AND TECHNOLOGY

  ・THE QuALITY OF MODERN I、IFE:

  ASSETS AND LIABILITIES

 ・uNEQuAL DEvELOPMENT:CAuSES

  AND CONsEQUENCES

 ・NATURAL PARAMETERS OF SOCIAL   EXISTENCE

 ・SOCIAL SCIENCE AND POWER:

  KNOWLEDGE FOR WHAT?

 実際は、これらのシンポジウムの下に、更に、

3〜4のセッションに分かれている。従って、

参加者の研究分野、関心などに応じて、じっく

りと発表、討論を聞くこともあれば、発表者、

そのテーマ、日時、場所(コンベンション・セ ンターとケベック大学の二っ)などを、事前に

t 」 __,一_.一 一一一1

    98−7−30 AD HOC 13

  Room:UQA−2760

  Ferderieo D Agostirlo

 f s

ζ㌧

(5)

March 1999 第14回社会学世界会議(1998年)・参加報告 計画を立て、忙しく行き来する場合がある。

 勿論のことながら、全てに出席する事は不可 能かっ不必要であるが、シンポジウムの中で最

も印象的、精力的だったのは、 Alain

Touraine, Piotr Sztompka(Poland), Jeffrey

C.Alexander(United States)などの発言で

あった。順序は逆になるが、日本からの発信で は、シンポジウム4、セッシヨン4、庄司興吉 教授(東京大学)が組織され、ここで「環境の 劣化と地球的不平等」との大テーマのもと、飯 島伸子教授(都立大)が発表されたものを、中 途から聴く。教授は、産業開発、開発プログラ ムと人権、とりわけ少数民族(日本のアイヌ民 族とオーストラリアの原住民・アボリジニー)

の人権= 環境的不平等 の問題を取り上げ、

現地の実情にっいて、スライドを駆使しながら 説明された。支配言語から疎外されがちなこう

した少数民族の問題は、同一民族でありながら、

社会の底辺の人々に大量の患者を発生させた、

水俣病のケースを思い起こさせた。

 理論研究の部門では、ケベック大学のモダン

な教室で開かれたセッションに参加する。

 大テーマは、THEORY IN SOCIOLOGY:

SOCIOLOGICAL THEORY IN A NEW KEY.

ここでは、「ポストモダン状況というテーマを めぐって」という報告を発表された石塚省二教 授(東京情報大学)が、豊かな国際経験を生か

して、司会をリードされた。イタリア・サレル

ノ大学、ダゴスチーノ、カリフォルニア大学、

エミリー・ピックス両教授に混じって、丸山智 恵子さん(お茶の水大院)という20代の若い研 究者が、堂々と英語で発表されたこと(題名:

Elnotion and the Postmodern Situation) は、

なにやら将来の発表手段の方向を暗示するよう で、頼もしく感じられた。それと同時に、この ケベック大学の各演習室のデザイン、椅子、黒 板などの全体を体験すると、戦後日本の各大学

105一

のそれが、いかに討論向きに設計されていない か、むしろ戦後の高度成長を急ぐあまり、大量 の学卒を生み出すべく、儒教的、一方通行的

「注入授業」に固執し続けたかが、痛切に感じ られる(私立大学の大教室空間や寺子屋式演習 室は、速やかに改善されることが、求められて

いる)。

 このセッションが終わった後、いっの間にか 降り始めた雨の中を、みんなと一緒にレストラ

ンまで同行し、夕食をする。楽しい貴重なひと ときであった。アメリカ、イタリア、ポーラン ド、イスラエル、日本と、様々な出身地ではあ れ、グローバル時代に生と運命を共にする人々 が、たとえ不自由な英語でも、これを使う意思 と情熱さえ示せば、何処ででも、プラトン的シ ンポジウムが可能となり、世界の人々と意見の 交換ができるということを、改めて痛感させら

れた。

 7月31日午前、シンポジウム5 セッション 4、BIOIDENTITIES AND SOCIAL INTER−

ACTIONSと題する発表会に出るため、早めに 宿舎を出る。この日が、実質的に最終日に当た り、頭も体も大分疲れていたが、是非とも挨拶 したい人が、発表者の一人に名を連ねていたか

らである。夕一ナー(B.S. Turner)教授であ

る。ところで、この共通の題名は、「生物同一 性と社会的相互行為(相互作用)」と訳すれば

良いのであろうか。教授の関心は、広範に及び、

ヴェーバー、ニーチェ、最近では身体論につい て論考を発表しており、その業績は、同じイギ

リスのA.ギデンズのそれに隠れがちであるが、

私は若いころ、教授の著書を二冊ほど訳させて いただいた事情から、一度お会いしたかったわ

けである。しかし、当日、欠席された模様で、

実現されなかった。司会者が一人、発表者が一

人という寂しい会となった。こういう事情から、

先に触れた、飯島教授の発表の方に中途から参

(6)

106一 たわけである。

明星大学社会学研究紀要

モントリオール市内、そしてボストン

 最後に、会議出席の余話として、以上二都市 についての見聞録を記しておきたい。モントリ

オール市は、17世紀、フランスの植民地として、

オンタリオ湖に端を発するセントローレンス川

沿いに発展した、魅力あるモザイク都市である。

かってのフランスは、1712年頃まで、大体、現 合衆国の東部を北東から南西に貫くアパラチア 山脈の西にある、広大な地域を植民地化してい たが、例のイギリスとの七年戦争に敗れ、1763

年パリ条約で、多くを失った。そのイギリスが、

今度は、アメリカ独立戦争で、同じ運命を辿っ

たことは、高校の世界史で学んだことがある。

それ故に、この都市には、イギリスとフランス

の文化的複合が濃厚に残されているわけだ。

 モントリオールは、地形的に、神戸をやや縮 小した構造に似ている。南(正確には南東)を 川、北にモン・ロワイヤル公園という丘陵を配

し、両者の間を挟んで緩やかに傾斜する大地の 上に発展した。近代的高層ビルが林立する一方 で、冬の厳しさを反映してか、各所に、広い地 下街がはりめぐらされている。タイヤをはめた

電車が走る地下鉄の駅は全て、構造、デサイン、

色彩が異なっているから、利用していて、気持

ちがいい。合間を見計らって、私は、しばしば、

スーパーで簡単な食料を調達した後、市民の憩 いの丘となっている、モン・ロワイヤル公園に 登って行った。230mの頂上まで歩いて約40分。

頂上から南を見下ろすと、セントローレンス川 がゆったりと流れている。植生的に何という樹 木か調べなかったが、やや疎と感じられる森林 の中を、ジョギングする人たちに混じって、実

No.19

に多くのリスが、ムシャムシャと木の実を食べ ながら、動き回っている。気持ち悪い程多くい

る。この丘陵地の遙か北側に、斜面を利用したモ ントリオール大学が、キャンパスを持っている。

 1週間、過ごしたモントリオールに別れを告 げ、市の西方約20キロにあるドルヴァル空港か ら、エア・カナダの航空機に乗って、ボストン に行く。急遽中止となった研究会に出るためだ った。上空から、釣針の形をしたケイプ・コッ ドの半島を見おろしっっ、ボストン空港に無事

着陸する。初めてのアメリカのため、空港で、

モタモタしていたら、黒人のバス運転手が、こ の空車に乗れと言う。おのぼりさんに一々説明 するのが面倒だと思ったのであろう。遂に、バ

ス代を受け取らなかった。

 ボストン・コモンという公園の近くの、前も

って予約しておいた中級ホテルに転がり込む。

狭い部屋のうえ、前後左右の床が、30センチ程 傾いていた。更に、不運な事に、旅の疲れから か、出発の折りチップの金額を間違えて、二十 倍も払ってしまった。ボストン美術館で印象派

の絵画を満喫してから、地下鉄を乗り継ぎ、ハー バード大学とマサチューセッッ工科大学へ行く。

 工科大学は、何やら工場の雰囲気を漂わせる 無粋なキャンパスではあったが、それでも、校 舎の多くに、個人による巨額な寄付金で建った

旨が刻印してある。日本では、巨額の遺産を家

族に残して他界する者が通例だが、この地では、

かのピュウリタニズムの良き伝統が今もなお生 き、妥当的「科学(学問)」の進歩に対する倫 理的責任として、市民社会の精神の中に脈動し

ているのであろう。

(ひぐち たっお、本学科助教授)

参照

関連したドキュメント

学素子の実現に道が開かれたと思う。

こうしたアーカイブ化の背景として,その土地の歴

CoV8 実行委員長の Muhammad Hendrasto 氏,IAVCEI 会長の Raymond Cas 氏,地質庁長官の Surono 氏の順で開 会の挨拶があった.なお,Cas 氏から IAVCEI

一般発表の部では各フロアーの 1 / 5

会議の中日, 3 日目の午後はエクスカーションで あった.開催国にもよるが, ISAE

ICDM は IEEE が主催するデータマイニング業界の なかで比較的権威のある国際会議である [中島 02,比戸

Session 11: SPECIALIZED CULTURE COLLECTIONS FOR INDUSTRY & BIOTECHNOLOGY Session 12: ROLE OF SPECIALIZED CULTURE COLLECTIONS IN FUTURE BIODISCOVERIES.. 国際学会報告 ─

2021 年開催予定の次々回学術集会の日本への招致