奈良教育大学学術リポジトリNEAR
律令国家の災異に対する宗教的対応について
著者 笹 恵子
雑誌名 高円史学
巻 14
ページ 17‑39
発行年 1998‑10‑01
その他のタイトル Religious Responses of the Ritsuryo State to Disasters and Accidents
URL http://hdl.handle.net/10105/8744
律令国家の災異に対する宗教的対応について
は じめ に
恵 子
︵1︶奈良時代の正史﹃続日本紀﹄︵以下﹃続紀﹄︶には︑疫病・地震・怪異事件などの災異が数多く出てくる︒これらの災異に
対して︑政府は︑賑他・賑給等の対応を行い︑それと同時に様々な宗教的対応を数多く行っている︒
︵ 2
︶
災異に対する宗教的対応は大別すれば神祇祭祀によるものと︑仏教経典によるものがあり︑それらの個々については多く
︵ 3
︶
の研究が行われている︒しかし︑宗教的対応全体の関連性を明らかにしたような研究は︑管見の限りでは見当たらない︒そ
こで本稿では︑宗教的対応についての全貌を︑実施時期による違い︑その背景などに注目して明らかにし︑それを踏まえて
当時の政府の災異に対する認識についても触れていきたい︒
−17−
一神祇祭祀等による対応
︵こ 大 祓
災異に対する神祇祭祀による宗教的対応として比較的多く実施されているものが大祓である︒
大祓は︑﹁神を中心に形成された秩序を損なうような﹃積﹄に対して︑神が怒り︑その結果としてもたらされるであろう
﹃災い﹄を防ぐために︑そうした﹃穂﹄を生じさせた人間の行為=﹃罪﹄を謝罪し︑神との関係を確認︑あるいは再確立す
︵ 1
︶
ることによって国土全体の安全と自然の循環を確保するため﹂に行われるものとされる︒大祓には︑毎年六月・十二月晦日
︵ 5
︶
に実施された恒例のものと災異発生・大嘗祭などの時に実施された臨時のものがあるが︑本稿では災異に対する政府の宗教
的対応を明らかにすることを意図しているので︑災異発生を理由として行われた臨時大祓のみをとりあげて検討を加えるこ
とにする︒以下︑本稿で大祓というのはすべて臨時大祓である︒
表一は︑﹃続紀﹄のなかの大祓記事について︑実施日・実施理由・実施場所等を一覧にしたものである︒災異に対して実
施された大祓は文武朝が一例︑聖武朝が一例︑光仁朝が六例である︒ここから︑災異に対する大祓の実施が奈良時代前半に
少なく︑光仁朝に集中しているという特徴を指摘することができる︒前者の理由については第三章で述べることとし︑後者
について︑実施状況をさらに検討してみると︑光仁朝の大祓は︑文武朝︑聖武朝の場合と比べて異なった特徴をもっている
ことが明らかとなる︒それは︑光仁朝に実施された大祓の内五例が︑大祓と共に他の宗教的対応を︑複数で︑同時あるいは︑
大祓の前後にともなっていることである︒︵表一の﹁◎﹂は︑大祓が他の宗教的対応と共に同時︑あるいは前後に実施され
た例
を示
す︒
︶
ー18−
︽衷 一︾ 大 祓
桓 武 光 仁 淳
仁聖武 71こ
正 文 武
延暦 九
延麿 九
延垣延
暦 七
延暦宝
亀九 玉亀 八
宝亀 七 六
宝亀
七
宝亀
六 宝亀 六
宝亀
九 宝字 五 八
宝軍天
平神
革養
老五 要 四
大軍大
軍文
革 十 七
実施 年月 日
国 壬 壬 − − 五 十 八 八
土 十八
圭 七 士
ノヽ
王
十 十元 一 四 十
辛六 六 九 十 七 九八 五 十 九 ノ\ 元 幸
除 除 天 諸 百 皇 害 祈
雨災 風
申 地震
伊 撃 斎 大 嘗祭
長屋 王 変の
要 忌
恒 疫 境 野
新 大嘗
祭実
施理 由
(
内容
) 服 服 詰 国
ヽ官
ヽ太
子中
で 窒壷口
異
勢衰 内
現 例
本病 殿
竣
紙に
奉幣 国内 を祓 たっ 後 素服 脱を ぐ
素服 着用
這 些 病気
怪異
事件
濱等 で風 雨 の災 望
七日
除服 王が 伊勢 に向 や つ
寸 がlク 弁官 任に
ぜら
れる
とき
戚 刀を
奉る
戒 に 武文 官百 の撃 娘彿 妹 の参 加
によ 垂
編汝
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央中中
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央諸
国中
央諸
国中
央中
央中
央諸
国中
央諸
国中
央 諸
国中
央宝
商
う群
1
諸匡l実
施 場 所 臨
時 臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時
臨 時 臨 時
臨 時
臨 時
恒 例
臨 時
臨 時
◎ ◎ 同
時
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 前
後
註※1 同時に畿内七道の諸社に奉幣されていることから諸国大祓も実施されたと考えられる︒ ◎は︑複数の宗教的対応を実施した例
例えば︑宝亀七年︵七七六︶五月乙卯︵二十
九日
︶の
乙卯︑大祓︒以二災変厘見元︒
は災 害や 変異 に対 して のも ので あっ たが
︑
翌日の丙辰︵三十日︶に
丙辰
︑屈 二僧 六百 一︑ 読二 大般 若経 於宮
中及朝堂二
と︑﹁大祓1大般若経の読経﹂の流れで複
数の 宗教 的対 応が 実施 され てい る︒
他にも︑宝亀六年︵七七五︶十月甲申
︵二 十四 日︶ の大 祓は
︑風 雨や 地震 が起 こっ
たために﹁大般若経読経︵己卯十九日︶I
大祓1奉幣︵乙酉二十五日︶﹂の流れで宗
ー19−
教的対応が実施されたと考えられる︒
宝亀七年六月甲成︵十八日︶の早のために実施された大祓では︑同時に丹生川上社に黒毛馬の奉納がなされている︒
宝亀八年︵七七七︶三月辛未︵十九日︶の宮中で頻繁に起こった怪異事件に対して実施された大祓は︑﹁大祓1大般若経
転読︵突酉二十一日︶﹂という流れで複数の宗教的対応が実施されている︒
そして︑宝亀九年︵七七九︶三月奨酉︵二十七日︶の皇太子︵桓武︶の病気平癒のために実施された大祓は︑﹁奉幣︵八
年十二月壬寅二十五日︶←詞経︵九年三月丙寅二十日︶1天下に大赦・得度︵庚午二十四日︶1大祓・奉幣・疫神祭﹂と
いった流れで複数の宗教的対応が実施されている︒以上のように光仁朝の大祓は︑様々な宗教的対応と共に実施されている
が︑とりわけ大般若経読詞と共に行われた例が三例あるというのは︑注目すべき点だと思われる︒
このように大祓が他の宗教的対応と同時︑あるいは前後に実施されている事例として︑律令国家形成期︵=大祓成立時期︶
である天武朝の﹃日本書紀﹄朱鳥元年︵六八六︶七月辛丑︵三日︶の大祓が一例ある︒それは︑天武天皇柄気平癒に際して︑
︵ 6
︶
﹁悔過︵己亥朔康子二日︶1大解除︵大祓︶1奉幣︵突卯四日︶1金光明経の読経︵丙午八日︶﹂を実施したものである︒
しかし︑律令国家体制が整って以降︑文武︑聖武朝にも大祓は実施されているにもかかわらず︑両朝では単独で実施されて
いる︒それが︑光仁朝に入ると︑他の宗教的対応と共に実施される例が再び現れるのである︒
災異というのが︑光仁朝だけ︑他の時期に比べて飛び抜けて多く起こっているというわけでもなく︑また︑次節以降でも
詳しく述べることにするが︑他の宗教的対応は︑文武朝︑聖武朝でも光仁朝の大祓の例のように他のものと複数で実施され
ている︒このような点からしても︑奈良時代の大祓が︑はじめ単独で実施され︑光仁朝に入ると実施数が増加するばかりで
なく︑他の宗教的対応と複数で実施される例が現れるというのは注目すべきところである︒この理由に関しては︑第三章で
改めて詳しく触れることにする︒
ー20−
︵二︶その他神祇祭祀等による対応
大祓以外の神祇祭祀等による宗教的対応には︑奉幣や疫神祭などといったものがある︒表二及び三は奉幣及びその他神祇
祭祀による宗教的対応の実施日・実施理由・実施内容等についての一覧表である︒
奉幣は︑表二からわかるように主に祈︵止︶雨・天皇等の病気平癒・疫病・地震などに際して実施されている︒
奉幣の特徴を挙げておくと︑
①文武〜元正朝にかけて祈雨に対するものが中心である︒
②聖武朝以降は︑病気平癒など祈雨以外の目的のものが目立つようになる︒特に︑病気平癒のための奉幣は︑聖武・孝謙
︵称徳︶朝にかけて集中しているという点において延命祈願の大赦と同様の傾向を表している︒この大赦について︑佐竹
︵ 7
︶
昭氏は大赦の対象者が政治的に重要な位置にあり︑実質的な皇権保持者であるということから︑嫡子相承主義への固執と︑
それを保護する皇権保持者生存の強い期待の結果であったと指摘されている︒奉幣にも同様の意図が込められていたと推
察してよいであろう︒
③他の宗教的対応との複数実施は︑主に聖武・光仁朝に行われているが︑前者の場合は仏教的なもの︑後者の場合は神祇的
なものとの組み合わせが中心である︒光仁朝の例は︑大般若経などの経典や大祓などと共に用いられている︒
奉幣以外のその他の神祇祭祀による宗教的対応には︑表三に挙げたように祈祷・馬の奉納・疫神祭・道饗祭などといった
もの
があ
る︒
︵
8 ︶
奉幣以外のその他神祇祭祀の特徴は︑光仁朝以降実施数が多く︑疫神祭のように光仁朝に成立したと考えられるものがあ
る︑というもので︑これらのことからも光仁朝がそれ以前に比して神祇祭祀を重視しようとしていた姿勢を窺うことができ
る︒
−21−
胱汁憎濃て漕潤覧ノ門田
世窃 鵠畿㊦失踪 遥+ ・> ・十 蘭
弊
毒廿鴫に剖鶉 認聾i [・什 ・+
◎ 書的:牙醸 丑憬 旨‖ ・帥 ・旨頭隔
◎ 掛根掴『 凍 (十日・け+・椅伽 )
#ヨ甜 ・澄田 恕京釜車 )日い )ト・声
諸
口
ヽ
◎ ◎ 薯琳1 汁l ・津守 訃報鵬糾廟旭 正目 ・= ぺ声 1 認建酎 掛軸掴糾潮棚 針目 ・=+ ・> J
◎ 津守 壮知命達・識囲 帥= ・+ ・)ト
◎ #ト三岡 ・雲檻蛸 芸原・ 一十lい 旨 ・)ト
◎ 鞘軸 馴別離 瑚 蚤繋 出目 ・封 ・)卜
害幾回覚 咄落ノ′ノ丸秘 正 ・Ⅲ ・)ト 岸里ハ 寺噛姻戚㊦洋聖卜 酎 ・)い 軌
書聖玉津 丑繋 L ・帥 ・遥
者望苫醸 主賓 H H ・淡 ・川
劉癖撮銅抱鴫媚 掛根凋禍 櫻 = ・> ・l
賞 辞
◎ 津守 掛裾抑沸甜 [・> ・[紗袖
書聖:牙賭 謝賀 J =い 出・=岨軸
朝紐酎 梢忙 随 王事 什+ ・帥 ・=淋毒
撞屯 租空き±覇苫粘醜 出+ ・旨 ・> 拙 老独語姥 遜l賀 )ト÷・遥 ・> T「
◎ 書望王座三 認潔 >lい 帥 ・【十」心岨
◎
臆窃 跡4 個泊m 矧増 l い 帥 ・>
」触 覚 魂> 熟せ抑瀞瓢憎 旨l い 頂 ・>
蝉屯 跡・儲抑蔀只槽 出[い 耳 ・>
津守 掛玉髄はⅢ割増 = ・l一十・汁
◎ 師僻 軋酌駆 動 啓1台抑沸艶僧 l ll ・+ ・正純潔
◎ (辞:封)E 的 認賀 (正 ・正 ・旨+) ノ
増
発
◎ ◎ 再:弔 藤一餓弧蔀邦糟 十[い旨 ・什十 l
◎ 討旭 ・和露 添」急抑沸艶憎 旨+ ・旨 ・什+ J
◎ 漂抽頴 単組蕃 [一十・出 ・正す
#鎚 薗潔 > ・如 ・汁+
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◎ 柚抑矧腑打倒
湖桐酬 紬倒蘭 訂お い+ > 旨 l
◎ 宵蹴如旧甜併 苛欄汁 漂怖 旨+ ・Ⅱ ・旨 ノ
◎ 蘇択増班別餅 苛堀井 薪将 ト+ ・> ・什
◎ ◎ ∋忙酢牒粛拙 乱雲 討 ・r十・五
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◎ 評鎚㊦古畑 浄・骨郡部 (隣)1 汁睡 ‥H l ・> ・軌
◎ 渉か腑 ・湘絹蹟 覿機知涙試釦 一十(い 什 ・出
◎ #鋸 州・楊潮圃 正+ ・什 ・川砂老
◎ (副封胱)#封 敦賀 (正 ・汁 ・)ト柚椒)缶 釦
◎ #討 語頭 川+ ・)[・lお鍋 釦
(三井E 蔚)醇踪 謡賀 日日l・)ナ・【十 超
(≡>E 餉)拝観 訝l賀 [.H ・遥 ・出藍吾
◎ 宵鎚 賊 酎 船 。臆 的 担・捕 旨い ・頂 ・頂
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洋山前 叫裂賀 L lいり十・l
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(三ゝE 水)#課 喜専 帥+ ・遥 ・ト舶羽−
◎ だ鎚 春雪 ;・軌 ・‖風柚
麻至 ニ三 掃こ 讃 ・搬 嚇 二五 ・ 臣 描 ロ コ甘謬捕
讃 灘《日掛≫
ー22−
脱汁憎遺骨盟崇豊紆覧ノ門糾
◎ 喜繋 (謀ト三拝遁)卦舶 咄儲 お 目 ・)ト 一十 布 製
◎ 蚤繋 :五経出 = い けい 旨
乱雲 (討什富強)毒か [い 帥 ・汁 、 認潔 蕩潔 .「現業睡頴 )ト十 ・頂 ・什 l 認駕 (#ト≡脾苫)卦削 咄切 + ・頂 ・什 「
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◎ ◎ 浄一馳 掴 縮 刷 畑 滞老 蹄 正1 い Ilい 声
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◎ 認潔 (#汀≡仲通)慧載 紳如 >・+ ・)ト・正
◎ 遥情 ・ (#卜三踪道)君側 脚皿 + ll・旨 ・)ト
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◎ 劃潔 (#ト≡脾達)卦削 咄切 出 [い )ト・)ト
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(固艶1 洲)沸毒漸 + ・【十 ・五 署l潔 (#ト三蹄運)彗儲 紳蜘 日 日 ・瑠 ・遥 謝賀 (#h ≡腸運)整備 鮒知 出+ ・いl・頂 謝賀 (#ト≡蹄遁)聾・軌函 正 目 ・= ・=
喜繋 (#汁三梅迦)封鮎 咄切 ヰ ・)ト・ll
(T 頴1)う併者油 譲 ・山 ・=
◎ 敷・超抑沸諸事 (輝旬)卦振紺喘慣
(市棚 ・都臓 冊 )細部開 [・> ・ l 字
(貰∑煉 .遍瑠8 知l)海書満 ==い )い l砂場 音
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◎ 暮雪 3 落勘 計十 ・)ト・旨+
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l 艶 認賀 年端:∑建 [・正 ・>一十 遜1雪i #:鋸 出 ・正 ・正+
苓磁施蘭 渦 溶 旨十 ・日王頭・川十
◎ コ1話部将 肺 (いい ・什 ・旨)l
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◎ コ1茅部油 薄絹払 け+ ・> ・【十
◎ 暮雪 渦潮鮮 > = ・封 ・唱
畜憬 富強酎 日日 ・帥 ・遥柏洲
ヨ引潔 :罫妹 正+ ・Ⅲ ・ l軸 琳 ノ日 掛 喜専 五兆 )ト+ ・)ト Il登苫 溺 呂l
コ1罫沸油 痩払 一都細 ・い
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) 兄 認慣 三汁E 飾雑穀 頂 ・)ト・いl コ1茅部滞t 暮雪 詰老 + い ・ い いl
諸寄 詳説 旨 ・什 ・ 用錦紗
(亜片E 音詩)遥1潔 ≡汁E 氷 汁十 ・汁 ・=
溺1賀 二五確遥 譜 = ・ン ・ i帖 丼
◎
溺1潔 (昔鎚)彗磯加 > = ・ン ・ll 畜(潔 三井三部日掛狛 帥 ・頴 ・=
敦賀 (劃 酢 蛸 柚 )誉倣函 旨 い ・瑠 ・日払対 麻蟄 貫三 貯 蔵 朋 城 苫 Ⅲ五一隋詳細
鼻 等〈出鮒〉
−23−
二 仏教経典等による対応
︵こ 大般 若経
災異発生に対する仏教経典等による対応として最も多く行われたものが大般若経読講である︒表四は︑大般若経について︑
その実施日・実施内容・実施理由・実施場所を一覧にしたものである︒
この表からは︑まず︑大般若経読請は︑聖武朝︑光仁朝に集中して実施されているという特徴を指摘できる︒しかも︑南
朝においては︑他の宗教的対応と共に実施されているのである︒そこで︑聖武朝と光仁朝の大般若経による宗教的対応につ
いて︑例を挙げながら詳しくみていくことにする︒
まず︑聖武朝であるが︑天平九年︵七三七︶四月王子︵八日︶・五月甲成朔・八月丙辰︵十五日︶の一連の事例について
︵ 9
︶
みていく︒これは︑天平七年︵七三五︶以降︑全国的に流行した疫病に際して実施された一連の宗教的対応のひとつである︒
まず︑天平九年︵七三七︶四月王子︵八日︶に
王子︑律師道慈言︑道慈︑奉二天勅﹁任二此大安寺海道以来︑於二此伽藍∴恐レ有二災専ら私請二浄福等﹁毎レ年︑
令レ 転二 大般 若経 一部 六石 巻一
︒因 レ此
︑錐 レ有 二雷 声一
︑無 レ所 二災 害二
︵中 略︶ 清二 僧百 五十 人一
︑令 レ転 二此 経一
︒伏 願︑
護寺鎮国︑平㍉安聖朝﹁以二此功徳﹁永為二恒例二勅許レ之︒
と︑大安寺での大般若経の転読の実施を恒例化させたいという道慈の言上を許可している︒これは︑大安寺大般若会の恒例
化についての記事であるが︑これを行うことで大安寺は災害を免れているとある︒そして︑このような効果のある大安寺で
の大般若経の転読の恒例化を国家が許可したのは︑その背景に深刻な疫病流行があったからであろう︒また︑このことは︑
−24−
︽表 四︾ 大般 若経 読詞
桓
武 光 仁 称 徳
淳
仁 聖 武 延暦
八 八 七 六
宝亀且曇宝 字
四 十 十 十 十 十 九 九 九 九 天平 七
神革
閏 十 七
実 圭 五 十 七 十 閏
四 七 七 九 九
七 五
六 六八 五 四 五 施 年 月 幸 十九 十
五 四 手十 十 五
十 四
十五 八
※2 森
1
西 日
読 沙転 講 読 露 転 転
.写
.読 経転 転
.転 写 転 読 経 僧
内 容 経
七 間日
′、要吉
十三羞要一寅経 僧
経 経 語 三畠経 僧
そこ12 鳶 百 ・如し
人僧 t 僧
EE 僧
. 僧
.
僧
. 僧
.
僧 況 ° lUL 七EI
六百六 百看 を、
1ニつ 七
六百 六 百
言云 七百六
百 六
百 人 人 人 人 間 人日 人 人 人 人 人 等
高 宮 災 風 除 皇 聖 聖 地 天 疫 除 五 除 除 災理
由 野新
慧病 中 怪の 異
望口 変 両 地
災 太 后病 1気
武病 気
武病 気
震 芸
平 病声 イ了
災 穀成 熟
災 気平
癒 事件
カ 異
カ震
カ 平
癒カ 平 癒カ
平 癒カ
匡l土 安寧
カ 天 真 平 畿 宮 宮 臼 諸 京 大 宮 平 京 平 難
些紫 宮 宮 大 諸 雲 宮 中 場
所 等 七内
導
中 中 蓑 国 内 大極
殿中 城 宮師 城
害 番 楽中
十五 中 安
寺国 大安 朝 朝 坐 中 琶 呂
東宮 準
諸
寺 望 望 弓ニ 宮 国 西 楼殿 大安 殿
ヶ所 フ事壷1ニ■
◎ ! [◎ 同
時
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 前
後 註 ※1 天平十三年三月二四日の内容※2 大安寺大般若全について◎は︑複数の宗教的対応を実施した例 国家が仏教の呪力に期待していることを示し
てい
る︒
続いて︑四月突亥︵十九日︶に
契亥︑大宰府管内諸国︑疫蒼時行︑百
姓多死︒詔︑奉二幣於部内諸社一以祈
祷焉
︒
と︑大宰府の疫病流行に際して管内の諸社
に奉幣が行われている︒この記事には︑大
宰府の人民が疫病により︑数多く死亡して
いることも挙げられている︒
五月
甲成
朔に
は︑
五月
甲戌
朔︑
︵中
略︶
請二
僧六
百人
・︑
.千二宮中一︑令レ読二大般若経元︒
と︑宮中で僧六百人が大般若経の転読を行っ
ー25−
てい
る︒
五月壬辰︵十九日︶には︑
壬辰︑詔日︑四月以来︑疫早並行︑田苗樵萎︒由レ是︑祈一﹁祷山川一︑真一﹁祭神祇一︑未レ得二効験l︒至レ今猶苦︒︵中
略︶
大一
﹁赦
天下
一︒
と︑四月以来の疫病と早のため山川に祈祷を行っていたが︑効果があがらなかったので天下に大赦を実施している︒
また︑七月乙未︵二十三日︶にも
乙未︑メ﹁赦天下一︒詔日︑此来︑縁レ有二疫気多発一︑祈一﹁祭神祇一︑猶東レ得レ可︒而今︑右大臣︑身体有レ労︒寝膳
不レ
穏︒
朕以
側隠
︒可
下大
一﹁
赦天
下一
︑救
中此
病苦
上︒
と︑疫病に際し神祇へ祈祷を行ったが改善されず︑そのうえ︑右大臣藤原武智麻呂の病状の悪化もあり︑再び天下に大赦が
行わ
れて
いる
︒
八月
奨卯
︵二
日︶
には
︑
突卯︑令二四畿内二監及七道諸国︑僧尼清浄沐浴一︒二月之内二三度︑令レ読二最勝王経㌦又月六斎日︑禁一﹁断殺生二
と︑四畿内及び二監及び七道諸国で︵金光明︶最勝王経を読謂し︑殺生の禁断を行っている︒八月甲寅︵十三日︶には︑
甲寅
︑詔
日︑
︵中
略︶
又自
レ春
巳来
︑災
気遽
発︑
︵中
略︶
其在
二諸
国一
︑能
起二
風雨
一︑
為二
国家
一有
レ験
神︑
東レ
預二
幣吊
一
者︑
悉入
二供
幣之
例一
︒
と︑諸国で風雨を起こすことができ︑国家のために効験ある神々で︑まだ奉幣の対象となっていないものをその対象に入れ
た︒
続いて︑八月丙辰︵十五日︶には︑
丙辰︑為二天下太平︑国土安寧一︑於二宮中一十五処一︑請二僧七百人一︑令レ転二大般若経.最勝王経㌦度四百人︒四畿
内七道諸国五百七十八人︒
ー26−
と︑天下太平︑国家安寧を祈願して宮中の十五箇所で僧七百人を招いて大般若経︑︵金光明︶最勝王経を転読させ︑中央で
は僧四百人︑四畿内七道諸国では五八七人を得度させた︒
そして︑十月丙寅︵二十六日︶には︑
丙寅︑講二金光明最勝王経干太極殿一︒朝庭之儀︑二同一元日二
と︑大極殿で金光明最勝王経の講読が行われている︒これは︑朝架の儀と同様であったということからも︑非常に大規模な
ものであったのだろう︒
以上︑天平九年の一連の宗教的対応を実施順に挙げてきた︒先に述べたように︑この一連の宗教的対応の背景には︑天平
︵ 1
0 ︶
七年以降︑大宰府から全国的に広がっていった疫病流行があった︒とりわけ︑天平九年の疫病の被害は︑藤四子の死亡︑朝︵11︶ ︵12︶廷行事の廃止等に至る深刻なものであった︒また︑国分寺建立の詔からも明らかなように︑後の国分寺・国分尼寺建立にこ
の疫病流行が大きな影響を与えた︒
疫病流行がもたらした影響と一連の宗教的対応の流れは︑﹁大安寺大般若会の恒例化1藤原房前死去1奉幣︵大宰府管
内諸社︶1大般若経転読1祈祷・大赦1朝廷行事の廃止1藤原麻呂死去←祈祷・大赦1藤原武智麻呂死去1金光明最
勝王経読経・殺生禁断1藤原宇合死去1奉幣−大般若経転読・金光明最勝王経転読・得度1金光明最勝王経講義﹂といっ
たものである︒このように疫病流行がもたらした被害が深刻で︑中央政府にも及んでいたことから大般若経をはじめとする
様々な宗教的対応が実施されたのである︒
次に取り上げる天平十七年︵七四五︶五月丁卯︵十日︶の事例では︑この年の五月から九月にかけて相次いで十七回も起
こった地震に対して﹁地震︵五月戊午朔・己巳二日︶1金光明最勝王経転読︵己巳二日︶I地震︵五月庚申三日・辛酉四
一27−
日・壬戌五日・発亥六日・甲子七日・乙丑八日︶1大集経読経︵乙丑八日︶1地震︵五月丙寅九日・丁卯︶1大般若経読
経1奉幣︵戊辰十一日︶1地震︵五月発酉十六日・乙亥十八日︶1地震︵七月壬申十七・契酉十八日︶I無遮大会︵八
月庚子十五日︶1地震︵己酉二四日・甲寅二九日・九月丙辰二日︶﹂と一連の宗教的対応が実施されている︒
同年の九月甲成︵二十日︶︑丁丑︵二十三日︶の例は︑聖武天皇の病気平癒のために﹁殺生禁断︵己巳十五日︶1大赦
︵辛未十七日︶1薬師悔過・奉幣・放生・得度︵美酉十九日︶1大般若経書写・奉幣・薬師経書写1大般若経読経﹂とい
うように一連の宗教的対応が実施されている︒
次に光仁朝の場合の大般若経についてであるが︑三度の実施はすでに第一章で述べたようにいずれもそれぞれ大祓や奉幣
と共に実施されており︑その実施理由は怪異事件︑皇太子の病気平癒︑風雨︑地震であった︒
以上︑大般若経が他の宗教的対応と複数で実施された例についてみてきたが︑聖武朝の天平七・九年は全国的な疫病流γぺ
︵ 1
3 ︶
天平十七年の例は︑地震や︑相次ぐ遷都への不満のあらわれとみられる火災の頻発や社会不安に加え︑聖武天皇の不予が︑
その実施理由であった︒光仁朝の場合は︑背景に宝亀三・六〜八年にかけて発生した相次ぐ怪異現象といったものがあった︒
このような社会的に混沌とした時に︑大般若経読詞は他の宗教的対応と複数で行われたと考えられる︒
ところで︑光仁朝の大般若経の実施場所からは︑興味深いことが窺える︒先に挙げた宝亀七年の例や︑宝亀六年の大般若
経の実施場所の例は︑前者が﹁宮中と朝堂﹂︑後者が﹁内裏と朝堂﹂で実施されている︒
︵1
4︶
︵
15
︶
一二宅和朗氏は︑平安時代において建礼門前で実施する大祓が成立する要因に天皇及び内裏に対して税を忌避する意識が増
幅したことを挙げている︒そしてその意識の増幅は︑桓武朝の長岡京︑平安京の造営に際し︑内裏空間が独立したことが前
提となっているとしている︒
一28−
しかしながら︑長岡京造営以前の光仁朝で大祓と共に行われた大般若経読請の実施場所が内裏と朝堂︑あるいは︑宮中と
朝堂と重複して行われていることからすれば︑平安時代において建礼門前の大祓が成立するきっかけとなった積意識の増幅
というものが長岡京造営以前の光仁朝にすでに存在していたとは考えられないであろうか︒むしろ︑そのことが︑長岡京以
後の内裏と朝堂院をそれぞれ独立させていく要因の一つとなったと考えられるのである︒
最後に︑本節で明らかにしたことをまとめておく︒
①大般若経読詞は︑深刻な社会不安の時︑他の宗教的対応と複数で行われた︒
②光仁朝での大般若経読請の実施場所の重層性からは︑桓武朝以降にみられる積を忌避する意識の増幅がすでにこの段階で
存在していた可能性が看取でき︑そのことが長岡京以後の内裏と朝堂院分離の一要因となったと推察できる︒
︵二︶その他仏教経典等による対応
大般若経以外での仏教経典等による宗教的対応について表五〜十五に挙げておく︒
大般若経以外の仏教経典読詞で比較的多く用いられているのが金光明経・金光明最勝王経︑仁王経・仁王会といった大般
若経と同じ護国経典である︒金光明経・金光明最勝王経は︑いうまでもなく鎮護国家のための経典である︒これら経典は︑
文武・聖武朝に金光明経が用いられ︑聖武朝以降は金光明最勝王経が用いられるようになっている︒そして︑すでに挙げた
ように大般若経読詞などの宗教的対応と共に複数で用いられる場合もある︒また︑実施理由は国家平安とされている場合が
多く︑対応しようとした災異の具体層は様々である︒
仁王経読詞・仁王会も聖武朝以降に実施されている︒仁王経読詞は︑大赦や斎会を同時に実施している︒仁王会は︑すべ
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