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激動のヨーロッパと一年間の在外研究

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Academic year: 2021

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海外レポート

激動のヨーロッパと一年間の在外研究

商学部准教授 松 永 達

2009年8月から一年間、本学の長期在外研究員と して、イギリスで研究に専念する機会を頂いた。研 究先のロンドン・サウスバンク大学は、ロンドン中 心部、テムズ川南岸のウォータールー駅近くにある。

あたりはビクトリア時代から活気溢れる庶民的な地 区で、現在はカリブ海地域やアフリカを始めとして 世界各地の出身の人々が多く、今のイギリスの多文 化主義を体現しているような所であった。滞在中は EU研究のBrian Ardy教授にお世話になり、充実し た研究環境を得ることができた。

この一年間に在外研究の機会が得られたことは、

EUにおける経済通貨統合の展開を研究する者とし て、またとない幸運であった。2007年にアメリカで 金融危機が勃発したのを契機として、世界中に経済 危機が波及するなか、この一年間は特にヨーロッパ で危機が深刻化し、そして新たな様相を帯びていっ た。2010年5月には、欧州中央銀行(ECB)のトリ シェ総裁が、「欧州は第二次世界大戦以来、最大の 危機に直面している」と公言するほどであった。対 策強化を進めるための政治的発言だったとはいえ、

金融秩序に対する人心の安定に努める立場にある中 央銀行総裁としては、異例の表現であった。多くの 国で金融危機が深刻化し、ギリシャを始めとして、

そうした危機に対処すべき国家自身が、資本市場と 対峙して無惨に敗北し、国家財政破綻の危機に陥っ た。EU本体や、他の加盟国の支援も迷走し、加盟 国間の意見も激しく対立した。

しかしながら、こうした意見の対立の果てに一定 の合意が導き出されて、新たな制度や機関が形成さ れていくのも目の当たりにした。日本なら、対立の 回避に努めつつ早めに合意を形成するいっぽうで、

いったん対立が激しくなると前進に時間がかかりが ちだが、このあたりの政治文化の違いを肌で感じた。

当然ながら学界でも実に議論が活発で、経済危機

に関する研究会、セミナー、シンポジウム、会議に たびたび出席することができた。ロンドンでは、特 にLSEが積極的にこうした場を主催していた。学 界・政界・官界から次々と著名人が招かれて、危機 の実態や今後の展望、さらには危機の要因を看過し ていた主流の経済学の理論や方法論の問題点が、実 に率直に議論されていた。

また、EU内外の新旧の首相や大臣がたびたび招 かれて流暢なイギリス英語で率直に意見を述べるの に接して、イギリスの大学が持つネットワークの深 さに驚きを禁じ得なかった。招かれた人々は、大学 のOBが少なくなかった。イギリスの著名大学を核 として、イギリス内外の学界・政界・財界・官界が 相当のパイプを持ち、知識を共有しているような印 象を受けた。シティ関係者・内外の金融当局者や政 治家の誰が知り合い同士なのか、少なからぬ人々に とって周知のことのようだった。各界の人事交流も 盛んだった。これには、大学が直接間接に役割を果 たし、それを起点としてネットワークが拡大してい るようだった。官界の人々の報告も、驚くほど学問 的だった。そして、こうした集まりが催される立派 なホールの多くは、内外からの寄付者の名を冠して いた。

このような大学では、研究の発展、内外の優秀な 教員や学生の確保、内外の各界人士とのネットワー ク、人々からの寄付による財政基盤強化が、有機的 に結びついていた。日本の大学も同様の取り組みを 求められるようになって久しいが、イギリスでは、

個々の大学の努力が開花する場が確立しているよう に感じた。

出席した数々のシンポジウムの中でも、圧巻は、

ギリシャの元財務相が二名招かれた時だった。一人 は、ギリシャが2001年にユーロを導入した際の中道 左派政権の閣僚だった。もう一人は、2004年の政権

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交代で誕生した中道右派政権の閣僚で、就任後、前 政権下の財政を精査して、ユーロ導入時の財政赤字 額は、公表された数字よりもずっと多く、ユーロ参 加基準を満たしていなかったと発表した人物だった。

そして、このシンポジウムの開催の半年前に政権が 交代して中道左派政権が復活すると、さらに驚くべ き事実が発覚した。前の中道右派政権下でも財政赤 字額が粉飾されていて、ユーロ導入国が遵守すべき 水準を大幅に上回っていたと、新しい中道左派政権 が意趣返しのように発表したのである。

中道右派の前政権の元財務相は、以前から毀誉褒 貶相半ばする人物だった。就任中、富裕層への減税 と低所得層への課税強化や各種自由化を推進し、経 済は活況を呈していたが、左派の反発は激しく、2 年前のロンドンのシンポジウムで、ギリシャ人活動 家から生卵を投げつけられたことがあった。私が出 席したシンポジウムの開催は、ちょうどギリシャの 財政危機が特に深刻になっていた時であった。警備 は厳重で、ホールの入口では空港のような手荷物検 査があり、会場内では屈強なガードマンが警備する という物々しい雰囲気だった。会場には在英ギリ シャ人が多数集まっており、質疑応答の際はかなり 激しい言葉が飛び交った。基調報告から質疑応答ま で、壮絶なドラマを見ているかのようだった。

ついでながら、ギリシャ経済危機の展開自体も劇 的であった。舞台が舞台だけに、イギリスの高級紙 や経済新聞、評論誌は、しばしば事態の展開をギリ シャ悲劇になぞらえていた。確かに、現実の展開は、

好況期の慢心、粉飾決算の謀略、事実の暴露とそれ への報復、運命の逆転、身の破滅、怒った民衆の激 情、混乱の後の法と正義の探求と、様々な主題が満 ちあふれていた。あまりにもいろんなことが起き過 ぎて滑稽にさえ見える時もあったので、喜劇にたと えられていたときもあったのかも知れない。いずれ にせよ、古典に基づいてヨーロッパが共有してきた 知の伝統は、まだ保持されているように感じられた。

東アジアでは、もともと希薄か、あるいは失われて しまった側面であった。

このほか、EUが主宰する大規模なシンポジウム に参加する機会にも恵まれた。バローゾ欧州委員会 委員長やファン・ロンパウ欧州理事会議長(通称は EU大統領)といったEUのトップから、EUや加盟

国を中心とした官僚、研究者、ジャーナリスト、金 融界の関係者などが、ベルギーのブリュッセルの会 場に一堂に会してテーマごとに討議が行われた。

アメリカからもパネリストが招かれており、そし てEUや加盟国のパネリストも、過去にアメリカで 活動していた経験のある人が少なくなく、大西洋を 越えた人的交流は、依然として盛んのように見受け られた。会議には、ヨーロッパ各国の人々が集まっ ていたが、ほとんどの報告と質疑応答が英語で行わ れた。会場のEUの施設には立派な同時通訳の設備 が整っていたが、利用している参加者はほとんどい なかった。イギリスのEC加盟はだいぶ遅れたため、

ECの主要言語はフランス語だった時期が長かった のだが、もはやその面影はなかった。

さて、経済危機に関する議論は一般の人々の間で も活発だった。このあたりも、議論や討論の文化の 違いを感じた。イギリスに到着後、ロンドン西郊の 新居に入居した時のことである。私の専門を知った 大家が、部屋の説明もそこそこに、今後の欧州経済 の動向について尋ね始め、結局、大家の新居の説明 よりも、質問と私の見解の開陳が長くなるほどで あった。

この後も、一般の人から意見を求められることが ときどきあった。イギリスの人々も、日本がバブル 崩壊後、長らく経済が停滞していることをよく知っ ていた。いっぽうで、車、家電、カメラからゲーム 機器まで、依然として日本企業の製品は浸透してい た。経済が停滞している割には企業のプレゼンスが 大きいという状況も手伝ってか、日本の経験や見解 は、思った以上に一般の人々にも関心を持たれてい ると感じた。

ヨーロッパの激動を追いかけているうちに、一年 間はあっという間に過ぎていった。この貴重な機会 を与えて頂いた本学の多数の関係者と、ロンドン・

サウスバンク大学のBrian Ardy教授に、この場を借 りて改めて厚くお御礼申し上げたい。

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スタンフォードでの生活

経済学部准教授 玉 田 桂 子

2009年8月末から2010年8月末までの1年間、ス タンフォード大学経済学部の客員研究員としてスタ ンフォードに滞在した。

スタンフォード大学はサンフランシスコから車で 30分程度のPalo Alto市に属している。人口約6万 人程度と小規模の都市ではあるが、所得のメディア ン が$132,903(2006年、CNNMoney.comよ り)と、

高額所得者が多く、物価が高いことでも有名である。

その代わり非常に治安が良く、アパートがオート ロックになっており、見知らぬ人がアパート内に入 ろうとして建物のドアの近くに立っていると、ドア を開けてアパート内にいれてくれる。オートロック の意味がないような気がするのだが、スタンフォー ドでは入れない人がいたらドアを開けるのがルール のようである。

スタンフォード大学について

スタンフォード大学はシリコンバレーに優秀な人 材を多く輩出したことで有名である。学内にはWil- liam Gates,Hewlett,Packerdの名を冠した建物を見 つけることが出来るし、近辺には、Apple本社、Hewl- ett Packerd本社、google本社があり、今年四月に発 売されたiPadに関するニュースでも、Palo Alto市

内のApple storeの写真が用いられていた。ちなみ

に、google本社のあるMountain View市では、市内 のほぼ全域でgoogle社が提供するwifiをフリーで 楽しむことが出来る。

スタンフォードの学生、スタッフに共通している のは、研究能力のみならずコミュニケーション能力 が高く、スポーツもこなすマルチプレーヤーである ということである。特に学部生は成績のみで選抜さ れるわけではないため、ほとんどの人が何らかの リーダーシップをとっており、ボランティアをして おり、何がしかのスポーツ経験がある。大学院生は

成績のみで合否が判断されるが、出身大学がスタン フォード大学同様全人格的試験を課す大学を卒業し ている割合が多いので、ほとんどの人がniceで、kind であり、関心の幅も広い。毎週のhappy hour、学期 末のBBQなどでは、研究の話というよりは、週末 にどこに行ったか、どんな映画を見たかなどが話題 に上る。研究しかしておらず、話についていけない 場合には、容赦なくそっぽを向かれる。スタンフォー ド滞在中は半ば脅迫観念にとらわれながら週末の予 定を組んでいた。滞在中車を運転しなかったため、

移動範囲に制約を受けながら予定を組むのはなかな か大変であった。

経済学部、研究環境について

受け入れ先の経済学部は、他学部の建物と比べる とかなりコンパクトな建物であるが(隣りのビジネ ススクールは学費が高いこともあり、非常に立派で ある。)、スタッフの充実度は非常に高い。ノーベル 賞受賞者のKenneth Arrow氏を筆頭に、日本人ノー ベル賞受賞候補者として必ず名前が挙がる雨宮健氏、

将来ノーベル賞を受賞するのではないかとスタン フォード大学では目されているJohn Taylor氏など、

枚挙に暇がない。ただし、そもそも学生に対して cubeと呼ばれるワークスペースが足りていないた め、客員研究員といえども自動的に研究室が割り当 てられることはない。個人的に交渉するか、図書館 で研究するか、自宅で研究するかになる。これがス タンフォードで唯一残念に思った点である。しかし、

セミナー・授業に出席するのは自由、スタンフォー ドで開催されるコンファレンスに参加するのは自由 となっている。全米経済研究所(NBER)のinvited onlyのコンファレンスに飛び込みで出席できたの は非常に有益であった。

興味深いのは、UC Berkleyとの棲み分けである。

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そ も そ も ス タ ン フ ォ ー ド が 保 守 的 で あ り、UC

Berkleyがリベラルとは良く言われるが、イデオロ

ギーのみならず、分野においても両校は異なってい る。スタンフォードは例えば公共経済学、教育の経 済学が強く、セミナーにおいてもこれらの分野の報 告が多く、メジャーな分野と思われる労働経済学の 報告は非常に少ない。一方、Barkleyでは労働経済 学のみを対象としたセミナーが毎週開催されている。

とはいえ、両者は敵対している訳ではなく、研究、

研究以外の交流は活発である。敵対するのはスポー ツ、特にアメリカンフットボールの試合の時である。

セミナーはほぼ毎日開催されており、報告者はほ ぼ一流誌に掲載経験のある人々ばかりである。議論 の焦点は、問題設定となる。パワーポイントのスラ イドが“Introduction”で止まったまま30分議論が続く といったことは珍しいことではない。また、当然の ことではあるが、妥協は一切しない。データに情報 が不足していれば何らかの方法で改善すべきと言わ れるし、マクロのtheoryではシミュレーションな ど最後に数値計算をつけていないとほとんど相手に されない。

日本ではそもそもデータを入手することが困難で あることから、データが情報不足でもその論文の限 界として許容されることがある。許容されてしまっ ていることが日本に住む研究者の実証研究が一流誌 に掲載されない理由であろう。さらに日本人研究者 にとって悲しい事実は、日本は経済学者に(も)関 心を持たれていないということである。日本につい ての研究の話をすると興味なさそうな顔をされるこ とが多いが、中国、ブラジル、インドの話になると 急に身を乗り出す。景気が良かったころの日本であ ればもう少し関心を持ってもらえたのではないかと 思うと、早く経済の立て直しをしないとビジネスの 世界のみならず、経済学の世界でも日本が置いてい かれることになるだろう。

1年間を終えて

経済学を専攻している身としては、経済学の中心 とも言えるアメリカに滞在できたのは非常に貴重な 経験であった。特にデータを扱った研究を行ってい るため、数字だけでは分からない異国の状況を体感 したことは今後の研究に大きな影響を与えるだろう。

特に、社会保障を専門としているため、他国の社会 保障制度を実体験してみることは必要であるがなか なかそのような機会がなかった。当然医療保険をか けていったのだが、既往症があるために無保険医療 を体験せざるを得なかった。医療保険改革のまった だ中に無保険医療を受けて、制度からこぼれ落ちる ことがどういうことかをより身をもって考えさせら れた。

さらに、トップスクールのセミナーに数多く出席 したことで、自分の研究に足りなかったところが明 らかになった。ただ、自分の研究の不十分なところ が気になって100%納得いくものにしようとすると、

途端に研究の進みが遅くなってしまった。オリジナ リティーの少ない論文を量産するのも考えものだが、

大作を狙いすぎて成果がいつまでも出ないというの も問題である。このバランスについては今後の課題 である。

最後にどうしても付け加えておかねばならないこ とは、スタンフォードのスタッフが研究に専念でき るのは、事務方の強力なサポートがあり、「雑務」

をほとんど行う必要がないということである。ス タッフ全員に秘書がつき、教授会も2カ月に1回、

短時間で済むそうである。例え日本の大学のスタッ

写真1 スタンフォード大学の象徴、フー バータワー

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フが全員優秀であったとしても、研究に割ける時間 の違いから、同じパフォーマンスをあげることは極 めて困難と思われる。日本の大学のレベルアップを 図るためには、雑務の減少が大きな課題となるので はないだろうか。

写真2 スタンフォード大学経済学部 写真3 スタンフォード大学内のメモリアルチャーチ

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参照

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