日本語教授法の現状と将来について
著者 澤田 田津子
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 39
号 1
ページ 189‑202
発行年 1990‑11‑26
その他のタイトル A Proposal to Improve the Japanese Language Teaching Method
URL http://hdl.handle.net/10105/1964
日本語教授法の現状と将来について
津 田 田津子
(奈良教育大学言語文化教室) (平成2年4月27日受理)
1.は じ め に
日本語教授法に関してこの2‑3年に何冊かの本が出版されたし、また日本語教育能力検定試 験などにもこの分野からの出題が必ずある。したがって日本語教授法という「方法」がすでに確 立されているのだろうと大方は予想するのだが、これがそうではない。外国語教授法の分野にお いてそうであるように、 「日本語教授法」についての考え方にも様々なものがあり、なかなか意 見の一致をみない。しかし、例えば英語教授法などと比較してみると、日本語教授法についての 議論はまだいかにも少ない感じがする。筆者は日頃日本語教育に携わる者の一人として、このこ とを痛感しているし、現場で「教授法」に関する議論が充分されないままに、いわゆる旧態依然 とした教育が行なわれていることが多いのを残念にも思っている。日本語教育は最近になってよ うやく学問的な関心の向けられてきた分野であるので、文法論についても語乗、表記、発音、ど れをとってみても議論は十分とはいえないが、本稿では「教授法」といういわばソフトの分野に 関して概観し、筆者が日頃考えていることを検討する。
2.現在までの日本語教育
日本語を第一言語としない人に対して日本語教育を行なった歴史は、古くは16世紀のポルトガ ル人宣教師に対する日本語教育などについての資料や文献が残されている。しかし、これらの文 献は当時の日本語の姿や、外国人による日本語の分析などについて意義深いものではあるものの、
「教授法」の観点からはあまり参考になるものがないように思われる。それ以後明治初頭に至る までは、まだ教授法という考え方もなかった時代なので、主に国内において組織的な日本語教育 のはじめられたのは、 1900年代に入ってからといえよう。
1960年代頃までの日本語教育については、すでにいくつかの文献で詳しく説明されているので 割愛する(1)。本稿では主に現在実際に行なわれている日本語教育について考えたいので、現在
まで大きな影響を及ぼしている教授法についてのみ、簡単に以下でふれておく。
2. 1 パーマーの教授法
パーマーはイギリスから文部省の英語教育顕問として1922年(大正11年)来日した。彼の教授 法はOral Methodとも呼ばれている。
日本での英語教育でも初級の段階でこの教授法をとりいれたところもあったが、やがて英語教 育では廃止されるところとなってしまう。しかし、パ‑マ‑の協力者であった長沼直見がこの考 えかたに穀く影響を受け、やがて長沼が携わることになった日本語教育の分野に取り入れられた。
パーマーの教授法は、以下のようにまとめられる(2)。
189
① 母語を仲介せずに口頭練習を重視する直接法に近い教え方。
(参 入門期の3‑6週間は口頭練習のみ。ドリルも多い。
③ レベルが進むにつれていろいろの方法や各種の教科書を使う。
④ 読み書きの技術は第二義的なものである。
長沼はパーマーの影響の下に『標準日本語読本』全8巻を作成した。これは長沼が1941年の米 国大使館閉鎖まで、米軍語学将校に日本語を教えた時に使用したものである。この教材は次のよ うな「改良直接法」による教授法を想定しているといわれる。この教授法は次のように要約され る(3)。
(り 最初の期間は発音指導を含む音声のみによる教授を行なう。パーマーはその期間を中等学 校の授業で約6週間としたが、長沼は180時間とした。
② 英語による単語の訳と、必要な文法説明や漢字の指導は英文の付属教材で与え、授業では 英語をつかねないですむようにした。
③ 授業では解説よりもドリル的問答に重点を直くO
この「改良直接法」は学習者の母語による付属教材を用意することによって、教室内での直接法 の厳守を可能にしている。この方法は現在も東京日本語学校において実践され、さらに研究が続 けられている。そして、この方法こそ現在までの日本語教育において主流となっているやり方な のである。現在においてまで「直接法」を最良と考える人の多い外国語教育の分野は、いまや国 内の日本語教育ぐらいのようだが、もともとこのやり方を普及させたのは長沼式教え方と言える だろう。
2. 2 Audio Lingual法
1930年頃から1960年頃までアメリカの言語学の主流となっていた構造主義言語学に基づいた教 授法。 (以下AL法と呼ぶ)アメリカ・ミシガン大学の教授フリーズ(Fries, C. 1887‑1967)が 戦後すぐに提唱した方法なので、ミシガン・メソッド、フリーズ・メソッドとも言われる。現在の 日本語教授法に使われている多くの練習方法はもともとこのAL法からきている。 AL方式では、
学習者の母語と習得すべき言語を比較研究し、両者の共通点と相違点を知り、これを基にして教 材を選び、注意深く配列する。口頭練習、文型練習重視。読むことに目標がある場合でも、まず
「話す」ことによらねばならないという考えに基づいている。具体的な練習方法を大雑把にまと めると次の通り(4)。
① 文の暗記と模倣(Mimicry Memorization)
② 文型練習(Pattern Practice)
③ 会話練習
しかし、 AL法による指導を受けても、効果のあがらないものがでてきたことにより、この教 授法に対しては批判も徐々にでてくるようになる。その主なものは以下の通りである(5)。
① 文の構造は同じでも、意味、用法の異なる句や文の説明が困難である。
② 教師主導で、学習者に機械的な練習を多量に教室内でさせるのは、学習者の飽きを誘い、
学習意欲を失わせる。
③ 動物の条件反射の理論を応用するのには、無理があるのではないか。
④ 文型や語嚢が必ずしも実際のコミュニケーションに直結しないので、コミュニケーション 能力がっかない。
特に④の批判がその後の教授法改革のきっかけとなるものである。
2. 3 その後
いわゆる「外国語教育」の分野においては、 ‑日本ではそれは「英語教育」という形で導入 されてくるのだが‑AI.法以後、上記のような批判のもとに様々な新しい教授法が提唱されて いる。たとえば、サイレント・ウェイやトータル・フィジカル・レスポンス(TPR)やコミュ ニカテイブ・アプローチ(またはFINアプローチ、ナチュラル・アプローチと呼ばれることも ある。 )などである。
これらの教授法の詳細については本稿の主目的とはずれるので割愛する(6)。このうちT PR およびコミュニカテイブ・アプローチについては現在の日本語教育の分野にかなりの影響を与え つつあるが、その他の新しい教授法については現在のところ日本語教育に直接大きな影響を与え ているとは言えない。現在実際に日本語教育の現場で行なわれている教授法と、新しい教授法に ついて次章でみていこう。
3.現行の日本語教育はどのように行なわれているか
現在日本語教育がどのような教授法のもとで実行されているかを概観するにあたり、今回は主 に日本国内の日本語教育にかぎって概観する。
さて、では現在国内でどのような日本語教育の現場が想定できるだろう。組織だった日本語教 育を大雑把にわけると、大学、日本語学校(就学生対象) 、公的日本語教育検閲(ビジネスマン、
研修生) 、中国帰国者対象日本語教育機関、インドシナ難民対象日本語教育棟閑、日本語学校 (ビジネスマン、前述のジャンルに入らない在日外国人) 、などに区分けすることができる。筆 者はこのすべての日本語教育後閑の実際の教育法を実地に見聞したわけではないので、あるいは 誤解による間違いもあるだろうが、各教育機関発行の教科書や、日本語教育学会の検閲誌、また その他の日本語教育関連雑誌などから、また同じ教師仲間からの情報などから総合して、だいた い次のような教育が実施されているようだ。
3. 1 大学の留学生
大学で留学生として日本語を学ぶものの中には、まったくの初級から日本語を学び、修了と同 時にある程度の日本語の運用能力を身につけることを目標にしているものと、日本人学生と同じ 授業に出席するための高度の日本語能力を身につけたいものとの二種類存在しているのが、一般 的であるようだ。初級レベルから学習しようという学生の場合、留学のその他の科目については 日本語を必要としないことがほとんどで、従って英語が大体の場合共通語となっている。英語が できない学生の場合はほとんどの場合、母国で日本語の基礎は学習してくるようであるO こういっ た初級レベルの学生に対していちばんよく採用されているのは、 AL法による日本語の授業のよ うだ。ただしE]本の場合、教師がそのままインフォーマントになれるので、一つのクラスに一人 の教師が普通のようであるが‑‑‑‑0 AL法が広く採用されている理由については次のような理 由が考えられる。
(a)英語が授業の共通語として使えるので、直接法によらなくても良い。
(b)英語で書かれた日本語教科書は今までのところ多くがAL法的教授酷を前提としており
練習問題なども典型的A L法である。
(C)大学生を対象として書かれている日本語教科書は構造シラバスによる構成で、それに英 語の説明文つきといったものがほとんどである。
一方、大学で日本語を学ぶもう一つのタイプの留学生の場合、ほとんどは以前に組経的日本語 教育を受けてきているので、だいたいはその延長上で学習のスタイルがきまるようである。ただ しこのタイプの留学生の場合、上級レベルがほとんどで、しかも学習すべき能力は書き言葉の能 力育成であることが多い。
3. 2 日本語学校の就学生
日本語学校で学ぶ学習者の多くは就学生と呼ばれる人々である。彼らの国籍はその多くが東ア ジアの国々、中国、台湾、韓国、であり、一つのクラスで共通の媒介言語がない場合がほとんど だ。従って教授法にもそのことが影響してこざるをえない。きわめて少数の学校においてはサイ レント・ウェイや理解優先法などの教授法がとられていると聞くが、筆者の知っているかぎり、
また報告書などを見るかぎり、最も一般的なのは「直接法」による教授法である。直接法という のは媒介言語を使わないというだけの制限であるので、教授法としてはやはりパーマ‑の教授法 を改良した「長沼式」に最も近いような形が多いのではないだろうか。就学生の教育に長くかか わっている国際学友会の教科書(7)をみると以下の点が指摘できる。
(a)新しい文法事項は簡単な会話文の中に新しい文型をもりこむ形で導入。
(b)課の進行に伴って文法事項も複雑になる。易から難への配列。
(C)練習はAL法的な、口頭による反復・置き換えが主。それと同程度に書くことによる練 習も重視されている。
以上を考えてみると、この教科書は構造的シラバスにのっとっており、文法の正確さを身につ けることにきわめて重点をおいた構成になっているといえよう。また、どちらかといえば「話し ことば」より、 「書きことば」に重点をおいているようだ。文法的正確さの重視はAL法にも共 通の点だが、 AL法の場合は「書きことば」に重点は置かない。また、導入のための文型の提示
は会話形式になってはいるが、よく読んでみるとおよそ実際の会話とはほどとおい擬似的会話文 だということに誰でも気づくはずだ。就学生対象の日本語教育がこのように「文法重点主義」お よび「書く」練習の多さに偏っているのには次の二つの理由があろう。
(a)教科書の執筆者が外国語を学んだときの方法‑文法訳読法およびAL法的方法にとらわ れている。
(b)就学生が目標としている日本語能力検定試験は文法的正確さを身につけていなければ合 格できない。しかもこの試験では「書きことば」を正確に覚えておく必要がある。
就学生対象の日本語教育においては、最近議論のまとになっている日本国内での中学、高校の 英語教育における問題点とよく似た問額が浮かび上がってくるようである。すなわち、
(a)読んで理解させる教育、および正確に書かせる教育をするだけでは、話せるようにする 教育にはならない。
(b)文法的正確さほどこまで必要か。またその正確さは最初から要求すべきものかどうか。
一方、学習する就学生の側からすれば、全員が必ずしも大学に進学したいわけでもなく、まず 会話中心の実用的日本語を勉鼓したがっている人も多いのである。さらに、大学に進学した学生
の中からも、うまく口頭表現ができないものが現われたりして、問題になることもある。
3. 3 ビジネスマン、家庭婦人など
このグループの人たちの場合、到達目標が多岐にわたっているので、一概には言えないが、だ いたいにおいて、日本語の運用能力の育成に重点を置く人が多い。したがってこの人たちのため に書かれた教科書(8)をいくつか見てみると、以下のような特徴がある。
(a)媒介言語による説明がっく。
(ち)導入は会話文で、会話の場面も比較的よく考慮してあり、自然な表現がでてくる。
(C)練習問題は口頭中心である。書く練習はあるとしても自由作文的なものが普通。
(d)文法的にはあまり細かい説明や練習を強要しない。
(e)表記については、ほとんど無視、または参考程度のものが多い。
こういったテキストは日本語の教科書としては新しいものが多く、従って想定された教授法に も外国語教育の新しい成果が時には伺える。しかしこのタイプのテキストは、どちらかといえば 従来「場面シラバス」によるものが多く、応用力がっかないと考えられてきた。またどのテキス
トも導入段階のものしかまだ発表されていないことが多い。
3. 4 中国からの帰国者、インドシナ難民
この人々に教える場合は学習者の母語が統一されているので、検閲によっては媒介言語を使っ て、場面シラバスにもとづき、緊急度の高いものから順に教えているところがある。実際、中国 帰国者専用に書かれた初級(入門)テキストは、 「場面シラバス」によっている(9)。またある 機関ではサイレント・ウェイを導入しているとも聞いている。しかし大部分の機関での教授法は 就学生に対する教授法に似ている。つまり直接法により文型・文法を教えるというものだが、学 習のスピードはきわめて遅く、また文法説明などは少ない。このタイプの学習者は必ずしも全員 学習意欲が高いとは言えないので、棟械的なAL法的文型練習が全く功を奏さないことが多く、
動擦づけをいかに行なうかが苦労されるところである。
3. 1‑3. 4をまとめると、日本語教育では、大雑把に言ってAL法と改良直接汰(前述パー マーの教授法の改良したもの)との二つの教授法が主として行なわれていると言えるだろう。こ の二つの教授法ともに共通しているのは以下の点である。
(a)代表的な文の暗記と理解。
(b)いわゆる構造シラバスにそった導入。
(C)文法的正確さの重視。
たとえ3. 3や3. 4の学習者に対してであっても「文法」は必要なものであったし、まだそ の傾向にある。そして、こういった「画一的」な教え方に対して、今反省が求められているのだ
といえよう。
4.現行の教授法に対しての批判
このような現在の日本語教育に対しては当然批判も多い。その批判は例えば畠(1989‑1990) に代表される次のようなものである(10)。
(a)現行の教授法(主として構造シラバスに基づくAL法や改良直接法を指す)は文法的内 容にとらわれすぎている。
(b)その結果、学生は教室内で「しゃべる機械」化してしまっている。
(C)教室が学生の自由な発想と発言の場にならない。
(d)学生は文法的正確さにとらわれるので、なかなか話そうとしない。
(e)実際の場面で使えない練習ばかり強制するので、コミュニケーション能力がっかない。
それではどうすればいいのか、というと、
(a)文を談話型としてとらえ、その文法的意味よりも棟能的側面からとらえる。
(b)教室を実際の会話の場面にできるだけ近付けて、学習者に意欲を与える。
(C)文法的正確さはすぐには獲得できないものと考えており、まずコミュニケーション能力 をつけること、つまり「なめらかさ」の練習に重点をおく01)。
(d)教室内での練習はすべて学習者にとって意味のあるものにしなければならない。そうす ることによって学習者の自主的発話意欲をもりたてる。
このような指摘はどれも常識的でもっともだが、現場で問題となるのは、こういった指摘をど のようにして実際の教育に生かすことができるのか、ということだろう。現場の教師は「どうす ればもっと学習者に適した、よい教育ができるのか。 」について日夜考えており、そのためには 新しい教授法をもどしどし取り入れる用意があるはずである。そして最近になって、少しずつで はあるが、上述のような反省点を考慮した教育を行なっているところもあるようだ。その代表的 なのは1988年から1989年にかけて放映されたNHK衛星放送の「日本語」だと思われる。ここで は徹底的に媒介言語による助けを得て言語機能の側面からシラバスをたて、タスク練習、ストラ テジーの獲得、などに重点をおいている。このような教授法はどんな形で大学、日本語学校など にとりいれていけるだろうか。
5.コミュニカティプ・アプローチの実際的適用
最近の日本語教育関連雑誌にはコミュニカテイブ・アプロ‑チ(以下C. A.と略す)の取り 入れ方についての案がときどきみられる。そのほとんどは従来の教科書を使いながら部分的にC.
A.を採用するというものである。
例えば、鶴尾(1988) では、海外技術者研修協会において、学習者が多様化してきたことに 伴い、日本語の運用力の育成が求められているとし、そのための対策として以下のようなことを あげている。
① 文型を重視している教科書( 『にはんごのきそ』 (13)蝣)を使いながら、ロールプレイ等の いわゆる代表的C. A.の練習法を同時に採用することによってコミュニケーション能力を 育成する。
② 改訂中のテキストでは、文型を重んじ、文型練習の効果を損なわず、かつ会話の実際的な 運用能力が向上するような練習や増やす、ことを主な改善点としている。
また、従来典型的AL方式指導で知られた米国国務省日本語研修所においても高見揮(1987)' によれば、最近以下のような改善策がとられているという。
① 機械的な反復練習を排して、理解に基づいた意味ある練習を望ましいものとする。
② 代入練習をやめて、応答練習が推奨される。
③ 学習目的や学習目標文型などを明示して、目的意識をもたせる0
④ 心理学的アプローチ(学習者の精神を安定させる)を採用して学習効率をあげる。
国際協力事業団沖縄国際センターにおいては(15)、テキストに『技術研修のための日本語1‑
6』を使い、このテキストを使いながら練習にC. A.でよく使われる練習法‑タスク・リス ニンク、ストラテジック・リーディングなど‑を用いて、 C. A.の有効利用をしているとい う。
このように、従来の教授法にC. A.的手法(主にタスク練習などの練習法)を取り入れてい く、というのが、現在よく行われているパターンであり、教師側の主張にもそういった声がよく 聞かれる。嘗作(1986) は、従来は棟城的ドリルにかたよりすぎていたとし、教室内ではコミュ ニカテイブドリルをもっと加えるべきだ、といっている。しかしここで強調されているのは、ど ちらのドリルも必要なのに、現時点では、コミュニカテイブドリルが少ない、ということなので ある。
C. A.ではないが、新しい教授法を取り入れるという観点では、旧来の教授法にTPRやC LLなどの技法を一部取り入れる、という試みもときどき耳にする。竹田(1987) <17)の報告に よると、早稲田大学語学教育研究所では、実験的にT PRを利用した初級日本語授業を行なって 効果をあげたという。しかし、ここでもあくまで主流はAL方式の教授法であり、そのテキスト である。 TPRは補助的な手段としてしか考えられていない TPRは国際日本語普及協会での インドシナ難民対象日本語教育においても取り入れられていることが、宮崎・岩見(1988) で 報告されている。それによると、全コース572時間の内、 TPRによる導入と、生活・習慣紹介 ビデオで3(氾時間を使い、残る272時間を後半として、そこで文法のまとめと確認を『にはんごの きそ』を使って行なうのだという。ここにもやはり主流は伝統的な、文法・文型重視の教授法で あることが現われている。また、筆者の身近にいる日本語教師の人々と話していても、 C. A.
については、その意図するところに反対することはないが、どうも本音は「文型頼み重ね式」の 教授法をより支持している場合が多い。ただしやはりその欠点についてはよくわかっていて、
「どうしたらより話せる日本語」を身に付けさせられるか、という問いに対しては部分的にC.
A.的練習を取り入れれば良いのではないか、と考えているのである。
畠(1989) は、 C. A.に対する誤解があるとしたうえで、 C. A.を段階的に受け入れる のは、ほぼ完全に間違いだ、と述べている C. A.の効果はそれではまったくあがらない、と いうのである。筆者は以前はこの「段階的な」 C. A.の導入に同意の意見であったが、最近や はりこれは良くないのではないか、と考え始めている。理由は次のようである。
C. A.はその練習方法のいくつかが特徴的な方法であるために、 C. A.といえば、いくつ かの特徴的な練習法を取り入れればそれで良い、というような誤解がある。しかし、 C. A.と いうのは、むしろ方法としては規則のあまりないものである。練習法よりもむしろその根本的考 え方にC. A.と文法・構文重視型教授法との違いがあるのに、そのことは忘れられがちのよう だ。このように、根本的に教授法に対する姿勢の違う二つの教授法を、途中でこちらからあちら へ乗り換える、というようには変えられるものではない。同様な理由で「部分的に」 C. A.で よく行なわれる練習法だけを取り入れる、というのも、本来のC. A.の目的を達成しないと思 う。
K.ジョンソン/K.モロウ(1984) は「指導法の原則」として
① 学習者は自分が何をしているかを知ること。
② 全体は部分の集合体だけではない。コンテクスト全体としてとらえる能力を指導すること。
③ 伝達過程も言語形式と同じように重要である。
④ 学ぶために学習者はまずやってみること。
⑤ 誤りは必ずしも誤りではない。
以上のような点をあげている。
ここで挙げられていることはどれもAL法、および改良直接法とは相容れない考え方のようで ある。とりわけ「文型」ということを最重要視する現行の大方の日本語教育においては、 ②の項 目は特にあてはまらない。 C. A.とは筆者の理解では、とにかく学習者に「伝達能力」を教え る教授法であって、それにいたる手段、方法は特に決まったものはないはずである。タスク練習 にしても、インフォメーション・ギャップによる練習にしても、それはたまたま「伝達能力」の 養成のために効果的であろう、という理由で考えだされた多くの方法の内のひとつにすぎない。
したがってC. A.のためにはまだまだいろいろな練習方法が考えられることが予想される。こ のことはAL法のように必ず文型練習が義務付けられていた教授法に慣れていた我々にとっては、
わかっているようで忘れがちなことのようだ。つまり練習法と教授法をワンセットにして考えて しまいがちなのだ。そこで前述のように、従来の教授法にC. A.的練習を加えれば、あるいは、
中、上級になるにつれて徐々にそういう練習を取り入れていけばC. A.の利点も、 AL法の利 点も生かせるので理想的になる、と考えるのである。教授法というものにはその根底にある種の 理念が一本通っているものだが、それがAL法や改良直接法とC. A.では基本的に異なってい
るように思うのである。したがって筆者の考えはC. A.で教えるのなら、学習の一番はじめか らその方法で一貫して教えるべきだというものである。付け加えるなら、 AL法の授業、あるい は改良直接法の授業でタスク練習やロ‑ルプレイをしても無意味だと言っているのではない。た
とえそういう「コミュ二カテイブなドリル」をAL法に取り入れても、それは教授法としてはC.
A.の変化形と呼ぶには適当ではなく、 AL法を変化させたものになるにすぎない。もちろん従 来のAIJ法の欠点を少しでもカバーするためには、 「コミュニカテイブなドリル」の採用が効果 をあげることもあるだろう。しかし果たして本当に「伝達能力」がっくのかどうか疑問である。
筆者は以前、 AI。法による授業が主体のクラスで、ある時間にコミュニカテイブ・ドリルを試み たことがある。しかし学生はどうしても文法の細部にこだわったり、正確さにこだわったりして、
なかなかスムーズにいかなかったO 同じような経験をした話を日本語教師仲間から聞いたことも ある。
もうひとつ、 C. A.に対してよく聞かれる意見は、初級には C. A.は不向き、という考 えである。この考えは日本語教師の中に広く見受けられる考えのようだ(21)。これはたまたま今 まで出版された日本語教育関係の文献の中でC. A.を取り扱う場合、具体的な練習例が中級・
上級のものがほとんどであったことと無関係ではなかろう。しかし、例えば、機能シラバスで書 かれた初級教科書『Basic Functional血panese』 (22)を見ると、最初からC. A.で教えること もできるということがわかるはずである。そして、 C. A.で初級から教える場合、やはり文法 も教えなければいけないし、形式的ドリルもある程度は必要なのだということがわかる。ただし そこで教える文法は、その観点がAL法の場合とは違うし、ドリルにしても例えば置き換えドリ ルのようなものでも「機械的ドリル」ではなく「有意味なドリル」しか行なわれていないことに 気がっく。 「機能シラバス」は「場面シラバス」に近いもののように考えられることがあるが、
文法の配列や扱い方、練習の仕方などから「場面シラバス」とは大きく異なっていることがわか る。 AL法が言語を構造としてとらえるという、いわば「科学的」教授法であることを売り物に
していただけに、 C. A.はややもすると言語の主観的側面に重点をおいた「非科学的」教授法
のように誤解される。そしてC. A.に対しては、場面シラバスに対する批判と同じような批判、
「応用力がっかない教授法」というものもあるようだ。しかしC. A.を成功させるためにはむ しろAL法以上の精密な分析が必要なのである。つまりAL法は外形による分析が主体であるが、
C. A.のためには「意味」や「コンテクストの中での機能」にも考慮した分析をしたうえでシ ラバスを決定しなければいけないからである C. A.においてはシラバスの決定が教師の最も 重要な仕事となっている(23)のもこのためであろう。
以上現状の日本語教育について見てみたが、現在のところ、教授法については、各教師・各機 関とも模索中であることがわかる。それでは今後日本語教育の教授法はどうなっていくか、そし てどうなることが望ましいかについて次章で考えよう。
6.これからの日本語教授法
最近日本語教育でも「コースデザイン」ということがよく言われる。これはとりも直さず日本 語学習者が多様化している結果にはかならない.つまり色々なタイプのE]本語学習者のそれぞれ に、できる限り効果的な教育を行なうために「コースデザイン」の必要性があるからであるo コ‑
スデザインにおいて、教授法の決定はシラバスの決定とともに最も重要なものである。学習者の 多様化はつまりは教授法の多様化を余儀なくするだろう。これからは複数の教授法が一つの教育 機関において同時に採用されている、という事態がおこってこよう。言いかえれば、コースの数
だけ教授法もある、ということだ。
教授法が多様化していくと、例えば一つのコースで文法は構造シラバスに基づいたAL法で、
会話や聴解をC. A.による指導で、というような複数の教授法の同時採用が行なわれるかもし れない。実際、日本語教育学会編(1990) では「教師は一つの教授法にしぼられる必要はなく、
学習効果を考えて複数の教授法を折衷的に用いて良い。例えばAL方式で導入し、練習はコミュ ニカテイブ・アプローチで行なうといった具合にである。 」とある。しかし一つのコースでの当 面の基本方針はやはり一つに絞った方が良いと筆者は考えている。例えばAというコースでは
「伝達能力の養成」 、 Bというコースでは「正確な文法知識の定着」というように、とりあえず 目標を設定する。そうすれば、そのコースの教授法はおのずと限られてくるはずである。過去か ら現在にいたるまでに発表され、使われてきた教授法は、それぞれに長所もあり、欠点もある。
しかし、基本的には「文法を詳細に教える教授法」か「文法より擦能重視の教授法」か、に二大 別できる。あるいは「書きことば重視の教授法」か「話しことば重視の教授法」かにも分けられ る(25)。 C. A.の場合は「正確さ」は「なめらかさ」の後に身につけられていく、という考え 方であるし、 AL法では「正確さ」をはじめから身につけなければ後になってからでは遅い、と いう考え方である。こういう真っ向から対立するような教授法を一つのコースで、しかも同時期 に採用する、というのは適当ではあるまい。もちろん今までの教授法をいくつか組合せることに よって、新しい一つの教授法がうまれるかもしれない。しかしある教授法の長所ばかり見て、安 易に複数組合せるというのも無謀であろう。
さて、今後も当分は日本語学習者の中で最も数が多いのは就学生だろう。就学生に対しては前 述のように、伝統的な日本語教授法(改良直接法)が普通採用されてきた。しかし、これからは 学生の進路に応じて、随時C. A.によるコースも設けられるべきである。また、あまり時間的 余裕のない学生のいることも考慮して、直接法だけに頼っていた今までの教育を早急に改めるベ
きだと思う。教師と学習者の間に媒介言語がない場合、すくなくとも学習者の母語、または理解 言語で書かれた解説書、語棄表の用意はしておきたいものである。
次にビジネスマン、一般学習者などに対しては、もちろん一人一人事情が違うだろうが、基本 的には機能シラバスによってC. A.を採用してみるとよいのではないか。機能シラバスによる ということは、現行の構造シラバスを最初から見なおすことになるわけで、おそらくまだすぐに は実現できないだろうが、英語の教科書なども参考にして日本語の機能シラバスモデルのような ものを作る必要がある。
結局筆者の考えは、かなりの集中教育でないかぎり、今後は積極的に機能シラバスに基づいた C. A.を取り入れていってはどうか、というものである。そしてC. A.の採用というのは
「C. A.的練習」を、既成のシラバス(多くは構造シラバス)に取り入れるだけでは実現しな い、と考える。それではそのためには、教師、教材はどうあるべきだろうか。
6. 1 教師の役割について
C. A.では教師は教室の主導者ではなく助言者だとされている。しかし助言者のはうが主導 者よりも難しい役割なのである。助言者は学習者のあらゆる疑問、質問に適切に助言できなけれ ばいけないし、時には学習者自身が気づいていない疑問をうまく引き出す役割もしなければなら ない。教室に入ってから決定される事項が多いので、かなりの知識と経験が必要となろう。伝統 的に直接法で教えるのもかなりの熟練を要するが、 C. A.の教師もまた違った意味での熟練が 求められる。学習者を的確にとらえる洞察力と、種々の場面に対応できる広い知識と応用力、自 在性が要求される。また、 C. A.の基本的考え方をよく理解していないと、この教授法は効果 的に働かない。したがって、今後、 C. A.のより深い理解のための研修会等の参加がもとめら れるだろう。 C. A.のみならず他の教授法との比較検討ができるように、日本語教育に関連の ある教授法について、その欠点と長所をよくのみこんでおかなければならない。従来日本語を教 える立場にあるものに対しては、日本語そのものに対する知識の重要性が強調されることが多かっ たが、それに加えてこれからは是非教授法の知識もたくわえてほしいものである。従来の教え方 の枠組みの中で多少改良を加えてみても、根本的な解決にならないことが多いoそんな時いろい
ろな種類の教授法に通じた教師同士が議論することによって、そのコースに最も適した教授法が 考えられることもあるだろう。
それから、日本語教師の外国語能力についてであるが、これは今まで「英語能力のある老」の 数が圧倒的であった。しかし日本語を教えていると、英語が全く媒介言語として通用しない場合 がかなりあることがすぐわかる。従って将来の日本語教師はできれば中国語・タイ語・韓国語の
どれかもできることが望まれる。そうすれば「仕方なく」直接法で教える、という無理も少なく なるだろうから。
6. 2 教材について
今までの日本語の初級教材は構造シラバスによるものが最も多く、その中でAL法の教授法を 前提としたものと、改良直接法を前提としたものとにわかれるようである。どちらの教材にも比 較的多くの練習問題がついており、教師の便宜をはかっている。一般に教師うけのするテキスト
というのは、文法の配列がわかりやすく、説明が簡潔に書いてあり、内容も楽しく、そして練習 問題が豊富に載せてある、というものである。これは今までの日本語教師が必ずしも専門家に限
られていなかったという事情から止むを得ないことであったともいえる。各教師に練習問題の作 成を委ねていたなら質の低下は防げないとも考えられたのだろう。しかし、事情は徐々に変わり つつある。日本語教育能力検定試験の実施、日本語教師養成機関の充実などにより、日本語教師 として専門的に知識を得た人々が教壇にたっようになってきているし、今後はさらにその傾向が 穀まるだろう。こういう専門家にとっては、あまり「親切なテキスト」はかえって使いにくいこ とが多い。教師の独創性が生かしにくいからである。また前述のように学習者が多様化している 現状も「親切なテキスト」を使いにくくする原因となる。練習問題の語嚢まで規定されると応用 がききにくくなり、限定された学習者にしかあてはまらないことになる。反対に、できるだけ多 くの学習者に向くようにと考えられて作られた練習問額はきわめて退屈である場合が多い.日本 語教育学会編(1990) では、 「学習者主導型の教育にするには、テキストは教師が自ら作成 するべきだ。 」と書かれている。しかし現実問題として毎回一つ一つ作成していくのは大変なの
で、よりどころとなる既成のテキストが一冊あっても良い。その一冊のテキストというのは、筆 者の考えでは以下の要件を備えたものである。
① どういう考え方のシラバスかが明確にわかるもの。
② 構造シラバスによる教材の場合は、基本的に会話文による導入は不適当であると考えてい るので、短文による文型導入の形がよい(那)0
③ 機能シラバスによる教材の場合は、まだ実際にあまり出版されていないので、まず、どう いう「棟能」を教えようとしているのかが明確になっているものがよい。
④ 榛能シラバスによる場合、一課あたりの文法事項が多くなりすぎないように配慮し、かつ 言語使用の状況を実際のコミュニケーションに近付けて想定することが必要だが、これに はまだかなり時間がかかるだろう(28)。
⑤ どのようなシラバスに基づくテキストでも、練習問題はサンプル程度で十分である。練習 問題は全くなくても、シラバスが明確であれば、それで良いと考える。
⑥ 教師用指導参考書のようなものがよく付属して出版されるが、そこに指導手順や練習方法 まで書く必要はない。テキスト作成者の意図するところを詳細に説明するにとどめる。
以上であるが、これではずいぶん「不親切なテキスト」であるという印象をもたれるだろう。
もちろん上述のテキストは教室で教師とともに使用されることが前提であって、自習・独学用に は不向きである。しかし、もし教師とともに学習する場合は、できるだけシンプルなテキストの はうが、教師にとっては使いやすいはずだと思う。そしてこのようなテキストであれば、適宜学 習者のニーズに応じてシラバスの割愛や追加も行いやすく、いわゆる「学習者中心の教育」に一 歩近づくのではないだろうか。
7.お わ リ に
日本語教育における教授法の概観と現状についてまとめ、若干の私見を述べてきたが、今後は 教授法についてさらに議論が深まることが予想される。今まではコースデザインや教授法につい ての知識というのは、教育の現場で指導的立場にある人だけが考えるものと思われてきた。しか し、これからは現場の日本語教師一人一人が教授法について正しい知識とそれに対する見識をも たなければ、今後の学習者の多様化に即応していけないのではないか。さらに教授法の研究にと もなって、最近の日本語学習者のニーズの調査、教授法と学習効果との関連性などについてもデー
タがそろえられていく必要があろう。筆者は構造シラバスに基づいたAL法や伝統的日本語教授 法を全面的に否定しているわけではないが、現状の画一的ともいえる状態に疑問をもっているも のである。今後は日本語の幾能シラバスについての具体的な叩き台がいくつか出てくれば、教授 法の議論も一気に前進するように思われる。筆者としても将来なんらかの形でその叩き台の一つ を提案できれば、と考えている。
漢
(1) 石田敏子(1988) 『日本語教授法』大修館書店,木村宗男(1986) 「山口喜一郎‑人物日本 語教育史」 『日本語教育』 60号日本語教育学会,木村宗男・阪田雪子・窪田富男・川本喬編(19 89) 『日本語教授法』桜楓社 等を参照のこと。
(2) 石田敏子ibid. P.18による。
(3) 木村宗男(1988) 『教師用日本語教育ハンドブック(訂「教授法入門」 』国際交流基金 P.129 による。
(4) 石田敏子ibid. PP.20‑21による。
(5) 石田敏子ibid. P.21,田中望(1988) 『日本語教育の方法』大修館書店 PP.108‑112等 を参照。
(6) 石田敏子ibid. PP.24‑28,田中望ibid. PP.120‑127,高見滞猛(1989) 『新しい外国 語教授法と日本語教育』アルク PP.40‑80, Richards, J. C. & Rogers, T. S. (1986)
"Approaches and Methods in Language Teaching" cambridge University Press PP.87‑142などに詳しい解説がある。
(7) 国際学友会日本語学校編(1977) 『日本語I』 ,
(8) 国際日本語普及協会編(1984) "JAPANESE FOR BUSY PEOPLE"講談社インタ‑ナショ ナル、日産自動車練編(1984) "BUSINESS JAPANESE 凡人社、 Ken Butler (1987) "血PANESE FOR INTERNATIONAL BUSINESSMEN"ァルク、等がこのタイプの教科書である。
(9) 文化庁文化部国語課編(1983) , (1985) 『中国からの帰国者のための生活日本語I, IT』
(10) 畠 弘巳(1989‑1990) 「コミュニケーションのための日本語教育1‑12回」 『日本語学』19 89年2月 ‑1990年1月 明治書院
(ll) クラッシェン/テレル 藤森和子訳(1986) 『ナチュラル・アプローチのすすめ』大修館書店 では、文法の正確さを身につけることを「学習」といい、伝達能力を身につけることを「習得」
と呼んで区別した。そして「習得」に重点をおけば、統語法や形態構造の学習はおのずと達成さ れるとしている。
(12) 鶴尾能子(1988) 「学習者の多様性の実態と対応」 『日本語教育』 66号 日本語教育学会 (13) 海外技術者研修協会編(1972) , (1981) 『にはんごのきそI, II』
(14) 高見滞猛(1987) 「あb‑oriented Training」 『日本語教育』 61号 日本語教育学会 (15) 『日本語教育学会ニュース』 47号(1989年9月)による。
(16) 嘗作靖彦(1986) 「初級教科書のドリルの問題点」 『日本語教育』 60号 日本語教育学会 (17) 竹田恵子(1987) ITPRを利用した初級日本語教育」 『日本語教育』 63号 日本語教育学会 (18) 宮崎茂子・岩見宮子(1988) 「TPRを利用した初級日本語授業‑多様な学習者に対するカ
リキュラム作成の留意点と実例」 『日本語教育』 66号 日本語教育学会
(19) 畠 弘巳ibid.のうち、第7回「常識としてのコミュ二カティプ・アプローチ」による.
(20) K.ジョンソン/K.モロウ 小笠原八重訳(1984) 『コミュニカティプ・アプロ‑チと英語 教育』桐原書店 PP.59 ‑68.
(21) K.ジョンソン/K.モロウibid. PP.22‑28 所収のL.アレクサンダーの論文には(莱 語教育においてだが) 「C. A.での最も困難な間層は入門段階の編成だった。 」と書かれてい
る。しかし彼は「主題別型」にシラバスを配列し、初級文法もうまくC. A.によって教えられ る教科書を作ったと書いている。
(22) ペガサスランゲージサービス編(1987) 『Basic Functional血panese 』ジャパンタイムズ出 版部
23) 注(19)に同じ。
(24) 日本語教育学会編(1990) 『日本語教育ハンドブック』大修館書店 P.56.
(25) ウィルガ. M.リヴァ‑ス 天満美智子/田近裕子訳(1987) 『外国語習得のスキル‑その 教え方』第二版 研究社出版 P.27には、語学教授法を大きく二大別した説明があるO
(26) 日本語教育学会編ibid. P.54.
(27) Y. YOSHIDA ‑ N. KURATANI ‑ S. OKUNISHI (1976) 『血PANESE FOR BEGINNERS』
Gakken Co. Ltd.はこのタイプのテキストとして代表的なものといえる。
(28) ペガサスランゲ‑ジサービス編ibid.をみると、一課あたりの新出文法事項は、構造シラバ スの教材に比べてかなり少ない。その反面、語乗はかなりこなれたものも、どんどんはじめから 提出されている。
A Proposal to Improve the血panese Language Teaching Method
Tazuko Sawada
(De如rtment of Language and Culture, Nora University of Education, Nara, 630 Japan) (Received April 27, 1990)
In血panese Language Teaching, the communicative approach is increasingly
adopted.
This paper showed some examples of this adoption. In all of the examples, only communicative drills were used in the traditional structural syllabus. I don t think it's a good way. If a teacher wants to give communicative competence to his students, he should change the syllabus from the structural one to the functional
one.
Until now, there havn t been enough discussions about the血panese language teaching method. Most teachers were therefore apt to use only some typical communicative drills without changing the syllabus or the text. And they thought it was the best way, because both grammatical and communicative skill could be taught. But there are some basic differences between the structural syllabus and the functional syllabus.
So adopting only communicative drills, is not an efficient way to give communicative competence.
Since the types of the students will be diversified in future, a course design will be much more important. In the process of a course design, deciding a syllabus is the most important thing. A syllabus should correspond to the method. According to my opinion, the traditional structural syllabus doesn t correspond to the communicative approach. If one wants to teach effectively by the communicative approach, he has to make the血panese functional syllabus first of all. And this type of syllabus is the most expected syllabus in血panese Language Teaching now.
In order to find the best method for a course, all the teachers have to study not
only血panese grammar, but also various kind of theaching method.