マイクロティーチングにおける役割について
著者 太田 静樹
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 29
号 1
ページ 147‑157
発行年 1980‑11‑25
その他のタイトル The Role of Teacher and Pupil in Microteaching
URL http://hdl.handle.net/10105/2429
奈良教育大学紀要 第29巻 第1号(人文・社会)昭和55年 Bull. Nara Uniy. Educ,Vol.29,No.1 (cult. & soc. ), 1980
マイクロティーチングにおける役割について
太 田 静 樹 (教育学教室) (昭和55年5月1日受藻)
T 問 題 点
マイクロティーチング(MT)法の研究が最近高まってきているのは一部には批判もあるけれ ども、(1)主に教授技術の訓練法として、叉教育実習の方法として従来の方法の盲点をついたもの であったからであろう。方法論的教育研究の場で子どもがその対象とされる場合、日々発達する 子どもを授業時間を省略してまで実験的に使用するには研究者及び現場において、ちゅうよ、抵 抗があった。故に教師教育のためには独自の訓練やその場が必要祝されながら、それが出来なか った。それを目的としている教育実習においてはどうであろうか。教育実習における普通の訓練 課程は次のようである。まず指導教官の示範授業を何回か教生に観察させる。次にははや平常の 授業の一部としての1時間の授業を担当させる.漸次担当の時間、範囲を広げ、その集約として 誰かが研究授業を行ない数週間の実習を終る。そこにおいてはどのような能力、技能、理解をど の程度習得出来たかの客観的な基準はない。各組、各教科の指導教師は主観的に評価することに なる。教師自身の永年の指導経験はそれなりに貴重であり、生かされねばならないが、客観的デ ータとして集積され汎用されるには難しい。とにかく教生が1時間の授業を何とか展開でき、な にほどかの目標達成が得られれば指導教師も教生も充分ではないが満足するということになる。
その際不成功の面がどのようにあっても、その授業のやり直しは出来ないのが授業の宿命である。
精々次の授業において前の不備を訂正、補充しながら進むより他ない。ここにおいて授業をより 成功的に導くために授業の観察期間から授業実践に進むその中問に訓練期間が設けられれば望ま しい。子どもの見方、考え方、反応のし方等の受けとめ方、その指導のし方などを本番の授業の 前に、少人数の子どもを対象に訓練できれば効果的であろうと察せられる。そこにマイクロティ
ーチング法利用の狙いがある。経験による習得も必要であるが試行錯誤的で労力を費やすことが 多大で、いわゆる経験主義の弊といわれるものである。戦前の教育実習は長期間、見習い的訓練 が行われていた。時間的に余裕の少ない、こんにちの実習においては事前の基礎的訓練によって 効率を図らねばならない。事前とは実習の第1段階としての上述のような本番授業に入る前を意 味する場合と教育実習に入る以前を意味する。後者の場合、大学の講義例えば教科教育、教職教 育などにおいて事前に教育実習に関する知識は与えることは出来ても、訓練することについては 軽視せられてきたといってよい。その実践は教育実習でと理論と実践を役割分担的に分離して考 えていて、そのことが実は理論が実践に余りかみ合わない結果を来たしていた。それが学生及び 現場側からは教科及び教職の講義は余り実習に役立っていないという発言になる。ここにおいて も大学の講義に例えば授業分析や教授法の訓練としてマイクロティーチング法の利用を考えるこ とが出来る。
rcサ
マイクロティーチング法が学級、時間、内容等を縮小し単純化して授業行動、学習行動を分析
・評価・再計画する集中的な訓練方法として有効であることは、現在は米国においてよりも、む しろ英国などにおいて検証されつつある.(3‑特に教育工学的手法を利用することによって授業分 析がより客観的となり、分析の技法も進んできてマイクロティーチング法の可能性を広げつつあ る。但しそれをわれわれの現場にすぐ通用できるかどうかは問題である。何故なら教育観、教育 体制の相異がその方法の実施に影響してくるからである。例えばマイクロティーチング法実施の ためにすぐ子どもを自由に使えるかといえば非常に困難である。外国の文献をみてもそのことが 全く問題になっていないのは子どもを容易に使えるからであろう。われわれはこの問題を無視し て進むわけにはいかない。各大学の研究ではやむをえず学生を子ども役に使っている。即ちロー ル・プレイングしているわけである。これがどの程度、どのように有効であるのか、わが国の研 究においても余り追求されていない。故に本稿においてはマイクロティーチング法における学生 の果す役割について、特に子ども役の問題について考察したものである。
この問題について東京学芸大学の調査によると、教育実習中にマイクロティーチング法を取入 れてやった結果が学生へのアンケ‑トから次のようにまとめられている。学生の意見によるマイ クロティーチング法改善のための問題点として、学生が子ども役をすることについて疑問をもっ ている者が他の頃日に比して2番目に多い。それに対するコメントとしては、教生が子どもを理 解してから子ども役をやった方が有効であるとの立場から、今回は子どもを使わなかった。即ち 子どものことがよく分らないのに学生が子ども役をやることに疑問を示している(3)
。また岡山大
学の実践例によれば、子ども役の学生は教師役の学生による発問に応答したり、質問したりして授 業の臨場感を高めている。また何回か試みていくと子ども役の学生の授業に対する弁別能力が次 第に高くなる傾向がみられる、と報告している。(4)これは東京学芸大学とは反対に学生の子ども 役のメリットを評価しているが、問題点の所在については言及していない。否定、肯定いずれに してもこの問題はもっと考察されねばならない。スタンフォード大学の場合、高校生を対象にし、
公募して充分に集まり何ら問題はないといっている。その上集めた高校生に対してマイクロティ ーチング法を受ける指導をし報酬さえ与えている(6)
。われわれが要求しているのはそのような意
図的に教育された高校生でなくして学級の中から、いきなり連れてこられた小・中学生であって、
それが必要な時に必要な人数、得られないのが悩みである。これは恐らく全国的な実情であろう。
欧米においては小・中学生でも、わが国ほど無理ではないようである。それは教育が開放的で上 からの統制もなく、教育の機能を広く解しており、また教育を個人適応的に考える傾向などによ って子どもがマイクロティーチング法の授業を受けることに寛場は抵抗を感じないのであろうと 察する。もっとも欧米の例においてもマイクロティーチング法で学生を子ども役に使う例もあ る(6)。それはマイクロティ‑チングの指導案計画の段階において指導案の事前検討のために行な うものである。この場合はわれわれの教育実習にもすぐ通用されるであろう。問題は子ども役を 指導案計画の段階でなくして次の授業実践の段階において学生が役割としてする場合である。必 然的に子ども役には子どもを必要とするならば、その可能性を検討し、効果について実施してい かねばならないが、もしそれを学生が役割行動としてそれをするならばやはりその有効性が問題 となるであろう。
今回の研究の試みは学生相互に約10回のマイクロティーチング法を試みてその問題点を提示し ようとしたものである。その際いくつかの大学のマイクロティーチング授業(録画による)を観 察し参考にした(7)
。
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Ⅱ方法
この研究における参加学生は教育学専攻の学生10名でいずれもマイクロティーチング法は今回 始めての経験である。その中、2名は3回生で教育実習の経験があり、あとの8名は2回生でそ の経験はない。
1.事前(昭和54年秋の教育実習中)に録画された付中、付小の授業(授業者は付属学校の教 官及び教生)を再生視聴する。(教科は算数、理科、社会科地理)それについて討論する。
2.m学生1人が教師役をやり、他の9人は子ども役をする。以下役割を交代して行なう。
(2)教師(学生)は視聴した授業の中から適当な教科を選び、その一部分を取上げて短時 間(10分〜20分間)の修正授業指導案を作り、教材を工夫する。(その際他の学生が協 力することがある。)
(3)マイクロティーチング授業の実践。スタジオ(教育工学センター)内で行ない録画と りをする。
3.授業後、録画を再生視聴し討議する。評価表で評価する(8)
。
4.次回は他の学生が教師役として上述の授業を行なう。
以上のような(完全ではないが)マイクロティーチングを10人で10回行ない最終回には全学生 にマイクロティーチングについての意見を記述(自由に)せしめた。各学生は1回教師役をや り、9回子ども役を経験したことになる.(但し時々欠席した学生はあった。)実施時期は昭和54 年11月〜55年2月にかけてである。
実施したマイクロティーチングの教科教材は次の通りである。
小学校低学年算数3つの数の和(5回)(授業内容は学生によって異なる。以下同様)
〝〝理科やじろべえ(3回) 中学校社会科南欧の自然(2回)
Ⅱ 結果と考察
以下学生のマイクロティーチング法の経験についての意見を中心にまとめた結果とその考察で ある。
1.教師役の経験
(1)あがるということ‑‑・学生のほとんど(教育実習経験者も含めて)が短時間の授業でも 教師役としてやることには異常に緊張してあがることを訴えている。それは狭いスタジオ 内で強いライトの下に正面にビデオカメラをすえられているという環境のためもあるが、
同僚に改まって始めて教えるという経験のためであろう。そのために 1)思うように話が出来ない。
2)話し方が早くなる。
3)何を話ししてよいか分らなくなる。
4)視線が定まらない。
などのことを訴えている。
(2)てれること‑・‑何故ならば
1)教える相手が同僚であって分りきったことを子ども向きの易しい言葉で説明しなけ ればならない。
2)余り幼稚なことを言って笑われないか、バカにされないかと気になる0 故に
3)子ども役の学生に質問しにくい。相互に苦笑しなから行ない授業がしらけてしまう。
(3)子どもの反応がえられない.・‑‑相手が同僚では実際の子どもに接している矧こなれない し、実際の子どもの反応もえられない。お互い同志の馴れ合いになる。
(3)教師の一人芝居になる・・‑・
1)教師中心の授業になる
2)学生同志の対話となり内容も自然と程度の高いものとなる。
(5)教えることの難しさを経験する。
以上についていえば「あがる」、 「てれる」経験は教育実習の本番の授業の場においても始終 あることであろうが相手が多人数の子どもだけに、マイクロティーチング法におけるよりもも
っと強く感受するかもしれない。とすればマイクロティーチング法においてこのような経験を することは事前の準備になるかもしれない。しかし「子どものナマの反応がえられない」こと についてはどうしようもない。また「教師ひとりよがりの授業」は実際の学級の授業では子ど もからすぐに見放されてしまうということによって教師はショックを受け、その授業に歯止め をかけられるということを考えれば教える相手が子どもであることの存在意義は大きいといわ ねばならない。
2.教材・方法について (1)教材について
1)子ども(学生)には分りきっている内容を教えることになり教えにくい。
2)子どもの状況が分らないので子どもの立場に立って教材が考えにくい0
3)説明中心の教材になり程度も高くなり子どもの生活に密着したものを考えにくい。
4)授業の進行も早く15分間でも子どもには1時間くらいの内容量を教える。
5)教材についての工夫が各人によって異なるので比較検討し易い。
(2)方法・技術について
1)説明のし方が一本調子になり要点をつかんでうまく話せない0 2)質問のし方、対応のし方がとっさに判断できにくい。
3)板書に頼りがちになる。板書のし方が拙い。
4)教えることについて独創性を出すのは難しい。
以上からみると子ども役が学生であることに起因する不満足がほとんどであるとはいえ、方 法に関しては反省的思考を学生に種々与えており、この点ではマイクロティ・‑チング法は有効 であったといえそうであるO この分野についての学生の意見が最も多かったO
マイクロティ‑チングにおける役割について 151
3.子ども役の経験
(1)子どもになりきれない‑‑・子どものことがよく分らないので(子どもがそのことについ てどれくらい知っているものか、またどのように反応するものなのか)、子どもに代れな いのは当然である。例えば学生に小学校低学年児になったつもりで反応し応答しろといっ もて無理である。中学生になることすら無理であることが報告されている(9)
。
(2)教えられることに興味がもてないし積極的に反応もしにくい。一一教材内容はよく分っ ているが故であり新鮮さを感じないからである。唯教え方に関心をもち易いことになる。
(3)子ども役であるが観察的、評価的態度で教師に対する。
(4)教えられる立場になって教師の指導の拙さがよく分る。教師の説明が分りにくいとすぐ 退屈になり、嫌になる。
(5)実際の子どもを対象にやってみたい。生きた授業をやってみたい。‑‑これは上述の意 見の結果からであろうが、ほとんど全員が要望しているのも、もっともである。マイクロ ティーチング法においてはいくら教師が力んでも、ナマの子どもとしての反応が返ってこ ないしヾ子どもらしい集団の雰囲気も得られない。
(6)その他に要望として現実の子どもの状況(考え方、個人差など)を知りたい。
(7)授業をしても子どもとしての反応が分らないので次の授業改善策が立てにくい。
上述の中で特に学習集団としての雰囲気についていえば、マイクロティーチング法にそれを 期待することには問題はあろうが、小学校低学年の授業とマイクロティーチングの授業との質 的差を学生たちは痛感している。同じ教材を使用していても雰囲気が全然異なるのに対してマ イクロティーチングのクラスの組織をどうするかにかかわってくる問題ともなってくる。
4.マイクロティーチング法全体について
(11マイクロティ‑チング法は楽しい経験であり、もっと紘続してやってみたい。‑・・・この 意見が多かった。
(2)他人の授業をみて参考になる。
(3)授業内容の分析がし易い。
(4)あとでの録画視聴は非常に有効である。自己及び他人の授業内容や進め方について具体 的に再考できる。(10)自分の話し方、顔の表情、身ぶり等の癖が始めて分る。
(5)マイクロティーチング法の授業は短時間で断片的な授業しか出来ないので長時間の授業 も試みたい。
以上はマイクロティーチング法を経験した上での評価的意見であるが、マイクロティーチング 法を肯定的に受け止める者がほとんどであって否定的な意見はなかった。特にビデオによるフ ィードバックの効果が顕著であることがよく分る.(なくてもよいという意見もあるけれども)
今回はマイクロティーチング法を始めて経験した学生の意見をまとめたもので人数も少なく自 由記述であるため量的なまとめは出来なかったが、自由記述であるだけに予想以上に多様な意見 が細かく出され学生のマイクロティーチング法における役割行動に対する問題が浮き彫りにされ たことは貴重である。教師役、教材・方法、子ども役等の分野から学生の意見を総合してみて、
やはり一貫して学生が子ども役をすることから起因する問題がウエイトを占めていることは明ら かであるo以下この問題について検討してみたいO
Ⅳ 子とも役について
マイクロティーチング法の授業がとかく教師中心の一方的授業となり授業そのものがしらけた り、馴れ合いになったりするのは、
学生は子ども役になりきれないのに教師は子どもとして教えねばならない。
教師が学生を子どもとして教えても学生は教師を観察者、批評者の立場からみている。
教材内容を子ども(学生)は既に知っているのに、教師は子ども向きになお易しく教えねば ならない、からである。
これらの矛盾した状況を作り出している原因は、学生が子ども役であるために、ナマの子ども の反応がえられないことにある。これはマイクロティーチング法の致命的欠陥であるといってよ い.何故ならマイクロティーチング法の本質は小規模クラスのL一計画一実践‑評価‑l即ち teach‑reteachの循環システムをもつことにあるのに、ナマの子どもの反応がえられないことは、
この循環システムの機能を著しく妨げているからである。もっとも学生が子ども役であっても、
メリットがないわけではない。例えば子ども役としては授業の拙さによる嫌な経験を痛感させ、
教材・方法の比較検討を容易ならしめるなどである。しかしそれでもってマイクロティーチング 法をそのまま肯定したり、問題をあいまいにしておくわけにはいかない。
マイクロティーチング法においていかに準備をよくした授業を行なってもナマの子どもの反応 が得られなければ、その授業の評価も仮説的なものにならざるをえない。故にマイクロティ‑チ ング法の実の評価を得るためには、さらにいえば授業において子どもにどう反応させたか、どう 反応したかの観点でみるには、または授業における子どもの心理をみようとするには、子ども役 にはあくまで子どもでなければならないだろう。戦前の教育実習において「カラ授業」と称して教 生が指導案を立てれば、指導教師の前でその授業をやってみたという。この場合指導教師は子ど も役になっている。子ども役としてほ唯一人であるけれども教師は子どもの状況をよく知ってい るが故にそれに応じた反応を示すことが出来、現実に即しているといえる。上述のように子ども のことを知らない学生がいくら多くても子ども役に近接することは困難である。しかし教育実習 を経験してその学年の子どもの状況を理解できたならば、実習後においてのマイクロティーチン グ法では学生が子ども役をやれば実習未経験の場合より、かなり現実的になり得るであろう。
(どの程度それが可能かは今後の実験によらねばならないが)
もう1つの可能な方法は教育実習の場合ほど出来ないけれども、マイクロティーチング法実施 の前に対象とする子どもをその学級において観察しある程度理解した段階においてならば前例ほ
どでないにしても子どもに近い行動をとることが出来るであろう。故にマイクロティーチング法 の授業をすぐに実施するのでなくしてその前段階として子ども観察のコースを設けることが是非 必要である。
しかしこれらの3つの場合はいずれも子どもを得られない場合であってマイクロティーチング 法の本質からはやはりあくまで子どもを使えることである。
1.その根拠は教授・学習を学習者の行動変化に重点をおいてみる論である。マイクロティー チングにおいて簡単に子どもの行動を意図的に変化さすことは難かしいかもしれないが教授によ
マイクロティーチングにおける役割について 153
る刺激に対して子どもの反応は微細であっても行動、表情、態度等の内外面においてあるはずで あって(子どもの沈黙も1つの重要な反応行動とみなしうる)、それを中心に授業過程をとらえ ようとするならば学生が子ども役をすることは不通であり、あくまで子ども役は子どもでなくて はならない。たとえ教授技術の訓練のためであってもその評価の観点は子どもの反応からみるこ とになる。教育実習課程の一部としても、または実習のための一方法としてもマイクロティーチ ングのこの性格は重要なものとなる。
2.これに対して教授・学習を教師の主体性、指導性に重点をおいてみるならば、例えば授業 計画における指導内容構成、授業の展開方法(その技術も含めて)の訓練が必要となる。この場 合既にみてきたように学生が子ども役でも却って鋭い観察・評価者としての役割を果すことにな m
大学の教科教育法、教材研究等の講義においてこのような性格のマイクロティーチング法の利 用は可能であり、授業分析の一方法ともなりうるものである。もちろん子どもを使うことも可能 であるが。
いままでマイクロティーチング法の実践においてその根拠をあいまいにしていたために混乱を きたしていたといえる。Ⅳの始めに述べた矛盾を修正して考えることも出来るのである。教授者 と学習者の行動のいずれに主体性を認めるかによってマイクロティーチング法の性格が異なり、
その利用法も変ってくる。またそれに伴ってマイクロティーチング法のクラス(マイクロクラス) の組織についても考慮しなければなら.なくなるのは当然である。
Ⅴマイクロクラスの組織
マイクロクラスをどう組織するかはマイクロティーチング法利用の目的によって異なってく る(12)
。マイクロクラスはマイクロティ‑チング法による学習のいわばモデルの問題であるともい える。ハンデユラはモデリングを論じて範例は人間行動に決定的影響を与えるとして適切なモデ ルを与えることによって学習効果の著るしいことを証しているCll)マイクロティーチング法にお いてはどういうタイプのマイクロクラスを学級についてのモデルとして構成するかということ共 に、マイクロティーチング法の実践そのものをモデルに授業として行なうことが出来る。ここで は前者については論ずるのであるが、後者については例えば熟練教師が示範授業をやる例などで あるo
1.マイクロティーチング法において子どもを用いるということは教授・学習における子ども のナマの反応を得たいためである。もっといえば学級授業におけると同じような反応がえられれ ば望ましいが、数十名の学級集団と5‑10名前後の小集団では雰囲気が全然異なってくる。しか しそれに近づけようとすればマイクロクラスの組織を学級の縮小版として考えることである。例 えば人数も5名よりかは10名にすれば母集団により類似するであろう。その構成メンバーも多様 な性格、能力の者を含むことが出来る.スタンフォード大学の例では4人のナマの生徒にそれぞ れ典型的な役割をさせている例がある(13)
。それは教師の指導に熱心に反応する子、何も理解でき
ないのろい子、何でも分っている子、無関心で反抗する子である。これはあくまで生徒にわざと 役割演技させるわけで不自然である(学生がやるより真実味があるが)。教授訓練のためならば よいとしても、ナマの子どもの反応を得るためにはふさわしくない。やはり前述のように人数を 多少ふやしても、学級における反応に近いものが得られる状況にしておけば、学生は本番の学級
指導によりスムースに取組めるようになるであろう.またマイクロティーチング法の目的によっ て、それにふさわしい代表的な子どもを少数ながら選ぶこともあろう。スタンフォ‑ド大学のよ うに子どもを用いてそれに役割演技させるよりかは本性そのまま出させた方がよい。
2.実験研究する場合、出来るだけその条件を単純化することは結果、関連を明瞭ならしめる のに便である。学級の授業の複雑さをそのままにして訓練の場にすることは、この論の初めにも 論じたように、授業そのものはあくまで正規の授業として尊重し展開しなくてはならないだけに、
訓練の場にふさわしくないし、実践者もあいまいな立場に立たざるをえない。
マイクロティーチング授業のクラスならば訓練のための組織であるから安心して実践できる。
その目的が指導案の計画立て、授業展開の分析、形式的な教授技術の訓練(例えば教師の質問技 術や反応の受けとめ方‑‑どこでどう発問するか、どう板書するかなど)等であれば1の場合の ように必ずしも子どもを必要としない。学生を子ども役にする方が手っ取り早く出来、しかも即 刻に子ども役になった同僚の批評を受けながら共同研究として進める利点がある。もちろん子ど もを容易に用いられるならば、それも可であって学生では出来ない反応を示せるが、直接的なフ ィードバックが弱いことは否めない。この場合のマイクロクラスの組織は必ずしも学級の縮小版 でなくても訓練、研究に通した、いわば単純版であってよい。従って人数も5名前後でもよく、
どのような子どもを選ぶかも自由であるO
問題になるのはそのような訓練的なマイクロティーチング法を用いた場合、教師役としていわ ゆる熟練教師を用いるか(これは比較研究、指導の場合)、教生を用いるかによって子ども役を どういうモデルにするかである。あえて教材を熟知している学生を子ども役にして熟練教師がそ れに挑戦するか(例えば知っているようで案外無視している具体から抽象への思考段階を改めて 学生に認識させる教材指導など)、またはやはり熟練教師がナマのどんな子どもに対して学習活 動をどう展開さしていくか、など特に教師役になる教師は示範的だけに重要である。故に教師だ けでもまたモデルとして論ぜられるのである。
学級(の複雑性)の単純化は子どもに限らず、教材についても、指導方法、過程についても考 えられるのであってそれらを含めての単純化としてマイクロティーチング法を利用することが必 要である。
以上主としてマイクロクラスの組織について関連事頃を2つの面から論じたが、次には今後の 研究課題として子どもがマイクロティーチング法にいかに用いられるか、われわれにおける可能 性について考察しておきたい。
Ⅵまとめ
マイクロティーチングのマイクロクラスを学級の縮小版としてか、単純版として考えるかはマ イクロティーチング法利用の目的によって異なってくるし、それが子ども役として子ども、また は学生を用いることにも関係してくることを、いままであいまいにしていたことがマイクロティ ーチング法における役割の研究を不成熟にしていたとみるのである。子ども役に子どもを用いる ことはこの方法の本命であって学生によってすべて代用しうるものでないことは上述した通りで ある(14)
。然らばわれわれの研究において子どもを用いることの可能性はどうであるか、付属学校 または協力学校を近くにもっていない場合は致命的であるが、もし協力して貰える学校が近接し てあるならば、大学との研究協力体制が密にあれば実現は難しくないであろう。その場合協力学
マイクロティ‑チングにおける役割について 155
校(以下付属学校も含めていう)から子どもをつれてくるより大学から学生が出かけることがよ り容易であり、その際ビデオカメラ、テープレコーダー等記録用機器を持参する。
1・学級の授業の1時間を借用してマイクロティーチングを行なう場合・・・‑出来るだけ学級授 業で進行中の内容、教材を取上げてマイクロティ‑チング法を行なう。学級を3グル‑プ(1グ ループ約10人前後)に分け教室のコーナ‑を利用して各グループ同時にマイクロティ‑チングを 行なうO但し声が競合するのでヘッドホーンを教師も子ども利用するのが望ましい(IB)
。各グルー
プとも約1時間の問に2‑3回継続して(学生教師は交代する)教材内容は出来るだけ連続的に 行なう。記録した資料による分析、評価、指導は事後に行なう。
2.放課後、学級の子どもの少人数を、短時間残して行なう場合‑‑正常の授業を侵さない利 点があるが放課後であるから時間的に制約される。方法は1の要領と同じで随時くり返して資料 を集める。
以上を効果的に行なうためには協力学校のその学級の教師の協力とともに、教師のマイクロテ ィーチング法についての指導力の具備が必要である。それには大学の指導教師と協力学校の教師 との共同研究、作業を重ねていくことによって可能である。外国の大学においては大学院生をマ イクロティ‑チング法の指導者として養成し利用しているが、直接子どもを動員しうる協力学校 の教師をその指導者にすることがより効果的である。
今後の研究課題として残されていることは
1.マイクロティーチング法に通している教授技術、教材内容は何か、教科の特性によって異 なってくるであろうから、それを教科別に分析抽出する必要がある。それによってその教科に通 したマイクロティーチング法の実践形態が作り出されてくるであろう0
2.そのようなマイクロティーチング法の効果を実証せねばならない。本番の授業にどの程度 効果的に転用しうるものかを明らかにすることである。
3.教育実習課程に関していえば、その改善方法としてマイクロティーチングをどの時期に どのように行なうべきか明らかにする。その事前、事中、事後によって実施方法は異なってく る。
4.それをさらに現職教育の方法論に発展さす。
5.モデリングについてもマイクロティーチング法においてはまだ未知的であって究明を要す る。
以上のような諸点を今後の継続課題として其同研究で進めていきたい。今回の研究は限られた 教科内容について限られた時間内に実験的に行ない、その資料も量的質的に不充分であるので今 後より客観しうる資料を付属学校の協力のもとに得たいoその際特にマイクロティーチング法実 施後の評価を重要視している。
注
(1) Perlberg, A., Microteaching‑Present and Future Directions, Educational Media, 1978 No. 2, pp.
13‑20参周。
(2) ICEM, Educational Media, 1976 N0.2でマイクロティーチングが特集されている。
(3)小金井正巳他、マイクロティ‑テングによる教育実習の改善研究(その2)、 1979 東京学芸大学 pp.
310‑312
(4)近藤 勲他、教授スキル習得のための教育プログラム(その1)、 1979 岡山大学教育学部研究集録 No.
51 p.80
(5) Allen, D. and Ryan, K., Microteaching, 1969, p.49
(6) Brown, G., Microteaching, a programme of teaching skills, 1975, pp. 21‑33
(7)岡山大学および長崎大学のそれぞれの教育工学センターのご好意でマイクロティーチングまたは模擬授業 のビデオテープを複写した。
(8)太田静樹、マイクロティ‑チングの方法論的研究、 「マイクロティーチング的手法による教育実習指導法 の改善研究」 1980、 PP. 3‑11参照。
(9)佐藤秀志、英語科授業の分析と指導、 「マイクロティ‑チング的手法による教育実習指導法の改善研究」
1980、 PP. 25‑32
仕0)菊地一郎・佐藤 優、ビデオテープによる社会科の授業分析、 「マイクロティーチング的手法による教育 実習指導法の改善研究」 1980、 pp. 17‑24にも同様の意見が述べられている.
A.ハンデュラ編、原野・福島共訳、モデリングの心理学一観察学習の理論と方法一、 1975、 pp. 4‑
u2)ここでいうマイクロクラスとはスタンフォード大学例のそれでなくしてマイクロティーチングのための小 規模クラスを意味している。
Allen, D., and Ryan, K, ibid, p. ll
Griffiths, R., The Preparation of Models for Use in Microteaching Programmes, Educational Media, 1976 No. 1, p. 28にも同様の意見が述べられている。
w 長崎大学教育工学センタ‑の実践では好結果を得ている報告を出している。
本稿は文部省昭和54年度大学教育方法等改善経費による研究「マイクロティ‑テング的手法による教育実習 指導法の改善研究」 (共同研究)における筆者分担関係のものを個人的にまとめたものである.本研究にあた り岡山大学教育工学センタ‑ (近藤氏)、長崎大学教育工学センター(八田氏、西岡氏)の御協力に謝意を表 する。
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The Role of Teacher and Pupil in Microteaching
Shizuki Ota
Department of Education, Nara University of Education, Nara, Japan (Received April 30, 1980)
In this report I have pointed out the problems of college students behaviour in the roles of teacher and pupil in microteaching. Ten students took part in this research and played the role of teacher and pupil ten tims respectively.
1. It was particularly noticeable that they got very nervous and shy when they played the role of teacher. They could not ask suitable questions, nor did they get any real responses of pupils, which resulted in a selトconceited lesson.
2. When the students played the role of pupil they could not become ̀pupils' since they were ignorant of what pupils were like. They had little interest in learning because they were being taught what they already knew well.
Therefore it is very natural that they almost desired to use real pupils in micro‑
teaching and to get real responses from pupils. Microteaching has to use real pupils if it is to be based on the theory of giving prominence to the learners' behaviour changes in lesson. In this case the organization of microteaching class is desiable to be in a similar situation to a normal class. If training of student teacher's skills is taken more seriously, the students as pupil will be quite all right and that will be effective for student teacher in its planning and evaluation stages. And in that case microteaching class need to be so organized as to simplify the complexities of normal classroom teaching.
Close contact with cooperative schools is especially necessary in order to use real pupils in microteaching. The possibilities in our study are in that the student teams keep a class pupil while one lesson or they use a few pupils who are requested to stay after school. In both cases classroom teachers must have talent as supervisor of microteaching and receive a proper training for it.