︿翻訳﹀
ア メ リ カ に お け る 死 刑 事 件 の 誤 判 ⇔
ヒューゴー・アダム・ベドー1ーマイケル・L・ラドゥレット
池田秀彦(訳)
一 〇 九 八 七 六 五 四 三 ニ ー
目次
序論
方法論
﹁死刑に処せられる可能性のある事件﹂の概念(以上前号)
誤判の概念
誤判の証拠(以上本号)
誤判の原因(以下次号)
誤判の発見
無実の者の処刑
誤判と死刑の廃止
誤判の危険
改善策
31
32
四誤判の概念
﹁誤判﹂という概念は︑種々の定義付けと使用が可能である︒だがこれには︑いかなる基準も望ましい用法もない
ので︑この論文におけるその概念の定義と用法をできるだけ正確に説明する必要がある︒
e犯罪意思
数年前︑チャールズ・ブラック(○げ餌同一①ωしU一90評)は︑死刑は︑その実際の運用がいかなるものであれ︑本質的に
ヨ適用の上で誤りの可能性に直面すると論じた︒彼は﹁死刑を再開するならば﹂実際に︑その後我が国で行なわ
ハわ れたのであるが﹁誤って人を殺すことになるであろう⁝﹂と指摘した︒ブラックが述べたように﹁潜在的な
れ ﹃誤り﹄の範囲は︑[一般に考えられている]よりもずっと広い﹂︒彼は︑誤りを三種類に︑即ち法に関する誤り
(巳︒︒蜜ぎOhミミ)と二種類の事実に関する誤り(巳ωひ欝①Oh誉ら︑)に区別した︒ブラックは︑後者のカテゴリー
をさらに﹁純然たる物理的事実﹂(σq容ωω暮ヒ旨ミ39ω)の誤りと﹁心理的事実﹂(喜醤§ご喩§︑審9ω)の誤り
ハお と彼が呼ぶものに細分した︒この論文で誤判という用語を用いるときには︑ブラックのいう﹁法に関する誤り﹂
と﹁心理的﹂誤りの意味では用いていない︒これは︑極めて↓般的な基準を採用することによって︑次の場合のよう
に︑考えようによっては誤判事件といえなくもない事件を除外するためである︒即ち︑AがB殺害のかどで有罪となっ
た場合に︑実際に︑AがBを殺していたなら︑たとえAが正気でなかったり︑正当防衛による行動であったり︑また
は他の法律上有効な免責事由または正当化事由があったとしても︑Aは︑誤判の被害者ではない︒
この見地から次の事件を考えてみよう︒一九〇七年︑ネバタ州のとあるレストランの外のピケラインでプレストン
ア メ リカに お け る死 刑事 件 の 誤判 33
( ウ ﹄ ○ 塊 弓 一① 一内 ● ]〜 円 Φ Qα け O b .) は ︑ 拳 銃 を 所 持 し て 近 付 い て き た レ ス ト ラ ン の 所 有 者 を 射 殺 し た ︒ プ レ ス ト ン は ︑ 第 二 級 謀
殺 で 有 罪 と な り ︑ 二 五 年 の 自 由 刑 を 宣 告 さ れ た ︒ し か し ︑ 七 年 後 ︑ 仮 釈 放 委 員 会 (b 舘 ○ 一Φ び 0 9・ 巳 ) は ︑ 重 要 証 人 の
お 証言が偽証であり︑プレストンの行動は︑正当防衛であったとして彼を釈放した︒仮釈放委員会の決定の基礎にある
判断を正しいと認めるなら︑プレストンを有罪とした先の裁判の誤りには︑ブラックが﹁心理的事実﹂と呼ぶものが
含まれていた︒その有罪判決は︑被告人が有していなかったある﹁心理的﹂状態即ち︑他人を殺す意思︑つま
り謀殺の犯意(ミ§q・︑§)1の存在を認める判断の上に成り立っていた︒死刑事件における誤判というテーマに
関する広範な論議は︑理論上︑そうした誤りについての考察を含むけれども︑そのような誤り全てを除外することに
決めた︒その理由の一つは︑我々の限定された資料では︑系統的調査が必須となるこの種の多くの事件を調べあげる
ことなど到底できないからである︒別の︑より根本的な理由は﹁デュー・プロセス﹂の基準に関連しており︑これに
ついては︑以下︑説明する︒
正当防衛により人を殺すことは︑謀殺の狙意のない殺人の亜範疇(豊びop8σqO曼)の一つに過ぎないことは勿論で
ゆ ある︒第一審裁判所が被告人には︑犯意の形成が不可能であったという判断を下したとしても︑実際のところ︑その
判断が誤っていたという場合があろう︒例えば︑一九七六年のアリゾナ州のモラーレイス(qO①○○蜜ζ○冨ま)事
件では︑被告人は︑第一級謀殺で有罪となり︑死刑の言渡を受けた︒上訴審では︑有罪判決が破棄されたが︑それは︑
第一審の裁判官が陪審に対して被告人の犯意形成能力に与えた酩酊の影響を考慮しないように説示するという間違い
を犯したことを理由と麺︒馨理(尋笙で︑モラ占イスは・無罪を宣告さ托浬・最初の有罪判決は・明らか
に誤判である︒しかながら︑この種の事件は含めなかった︒
除外した事件の中には︑事案の著しく複雑なものがある︒その一つは︑一九二一年にワシントン州のセントレイリ
ア(08訂巴冨)で起こった︑地元の世界産業労働者組合(Hを≦︑)組合員と行進中のアメリカ在郷軍人会会員
34
む (b日巴oきピ①σqδ暮巴お︒︒)との間の銃撃事件である︒一九二九年には︑幾分似た銃撃事件がノース・カロライナ州
ハお のガストウニア(Ω餌ω8巳餌)という工場街でスト中の労働者と警察との間で起こった︒どちらの事件においても被
害者を射殺した者が誰であるか特定できなかった︒にもかかわらず︑警察は︑数人の労働者を逮捕し︑陪審は︑彼ら
を謀殺で有罪とした(ガストゥニア事件では︑数人が死刑の言渡を受けた)︒しかし︑その後︑被告人らの汚名は︑
そそがれた︒両事件でのデュー・︒フロセス違反の程度は︑はなはだしく︑疑いのないものであった︒しかし︑致命傷
となる弾丸を発砲したのが被告人らと一緒にいた者達ではなく︑被告人らであるのかどうか判明しなかった︒さらに︑
おそらく発砲行為は︑当局の挑発的で生命を脅かしかねない行動に直面して正当防衛のためになされたのではないか
と思われる︒これが︑事件の正しい解釈ならば︑我々の目録からこうした事件を除外したのは︑妥当である︒
さらに︑一九七六年のネブラスカ州のシマンツ( 国円ぐく一口ω一日餌昌σω)事件について考察しよう︒彼は︑六個の第一級
謀殺の訴因につき有罪となり︑死刑を宣告された︒上訴審で有罪判決は破棄されたが︑その理由は︑保安官が不当に
ハお も︑隔離された陪審員を訪れたという技術的問題に関するものであった︒しかし︑再審理で︑シマンツは︑精神異常
を理由に無罪となった︒シマンツの有罪は死刑事件での一つの誤判であったのは疑いないが︑我々の関心のある類型
のものではなかった︒
最後に︑同じく除外した︑一九七五年のメリーランド州のモリス(ω≦<①曾霞ζ〇三︒︒)事件について考察しよう︒
モリスは︑第一級謀殺で有罪となり︑終身刑の言渡をうけた︒モリスは︑州裁判所での上訴に失敗した後︑連邦のヘ
イビアス・コーパス(冨ぴ$︒・oo愚器)を求めたところ︑再審理が認められたが︑それは︑裁判官が陪審に対して
(モリスの主張したような)偶発的な殺人であることを立証する責任は被告人にある︑と不適当な教示をしたためで
ゐ あった︒再審理において︑州側で偶発的な殺人ではないことを︑事実審裁判所に確信させることができなかったため︑
ハ モリスは︑釈放された︒
ア メ リカ にお け る死 刑事 件 の誤判 35
上記の諸事件は︑上訴審が認定のうえ是正した数種類の重大な誤りを例証している︒誰が被害者を殺したかに関す
る﹁純然たる物理的事実﹂については︑前述のいずれの場合においても争われていない︒プレストン︑モラーレイス︑
シマンツおよびモリスは︑無罪の答弁をした︒そして︑我々の知る限りでの事実に基づけば︑誰れも起訴事実につい
て法律上有罪ではなかった︒しかし︑謀殺につき有罪とされた上記の被告人全員が被害者を殺害したことについては︑
ほとんど疑いない︒しかしながら︑これらの事件および同種の他の多くの事件は︑我々の誤判の目録から除外した︒
理由は︑それらの事件は︑犯人でない者を有罪とする根本的誤りに関するというよりも︑主に︑いわゆる﹁デュー・
プロセス﹂上の誤りに関するものだからである︒
⇔犯罪行為
これまでの論議に照らすと︑誤判という用語が本論文において用いられる際には︑犯んで癖い巻が有罪どざ托だ勝合
だけを意味し︑裁判に公正さの点で問題があったときの有罪だけが省かれるように思われるかもしれない︒しかし︑
これは︑必ずしも正しくない︒というのは︑誰かが当該犯罪につき有罪であるとの前提を否定することが︑必要な場
合もあるからである︒有罪と判断された犯罪行為が決レで行われ凝かかだ場合にも常に誤判が生ずる・
カリフォルニア州のリーベイラー(﹀暮○巳o切ぞΦ冨)とウォルポール(ζ興す乏巴bO一Φ)の事件は︑これを例証
している︒一九七四年に︑彼らは︑サン・バーナディーノゥ(のきしQΦ3碧島昌○)で自分たちの幼い娘を殺したかど
で有罪となった︒しかし︑有罪判決のほぼ二年後に︑この少女は︑サン・フランシスコで生存しているのが分かった︒
彼女の両親は︑貧しく︑病身の子供の世話をすることができなかったため錯乱し︑一九六五年に︑その地で彼女を遺
ハ 棄した︒この事件では︑幼児の遺棄という犯罪があったとしても︑殺人行為はなかった︒リーベイラーとウォルポー
ルは︑犯人が他にいるのに︑殺人で有罪となったわけではない︒即ち︑殺人は行なわれなかったのであるから︑誰も
殺人について有罪とされるべきではなかった︒したがって︑我々の目的からすれば︑誤判が生じたことを立証するた
めには︑そのような犯罪が実際には起きなかったにもかかわらず死刑に処せられる可能性のある犯罪につき有罪となっ
た者がいることを証明すれば十分である︒
⇔共犯者
さらに︑我々は︑殺人事件において致命傷を与える銃弾を発砲したのは被告人ではなく︑共同被告人(OOI創①h①口創餌口け)
であったことを被告人が証明できるからといって彼が無実であるとは考えない︒例えば︑一九四一年に︑カーナン
(﹂国α♂︿P円侮囚一①同bΦ口)は︑脱獄の際に共犯者(霧8日三一8)がシン・シン刑務所の看守と警察官を殺害したことに関
連して第一級謀殺で有罪となった︒彼に対する有罪判決は︑彼の自白が強要によるものであることを理由に一九⊥企
年に破棄された︒法廷に提出された証拠によると︑殺人の時点でカーナンは︑刑務所の塀の外に出ており︑脱獄囚の
お 逃走を手助けするため車を待機させていた︒カーナンが人を殺したとか︑殺そうとしたとか︑殺す意思があったとか
いう証拠はなく︑死因とか場所に関して争いはないので︑彼が殺人につき有罪と考えられるべきでないと主張するこ
ともできる︒しかし︑彼が殺し屋でなかったからといって︑法律上力ーナンの責任はゼロにならないので︑彼を無実
としては扱わない︒
より特異な別の例は︑一九四七年のペンシルベニア州のアルメイダ(∪9<一侮L♪一旨O一創P)事件である︒アルメイダ
と共同被告人は︑スーパーマーケットで武装強盗を働いた︒一人の警察官が彼らを逮捕しようとした際に殺された︒
後に︑証拠により判明したところでは︑致命傷を与える弾丸を発砲したのは︑アルメイダではなく︑また共犯者でも
なく︑別の警察官であった︒しかしながら︑アルメイダは︑殺人で有罪となり︑死刑の言渡をうけた︒上訴審で︑有
罪判決は破棄された︒彼に対する有罪判決は︑間違っていたけれども︑我々の採用した基準との関係で彼が無実であ