日本仏 教 と平和 主 義 の諸 問題(35)
日本仏教 と平 和主義 の諸 問題
宮 田 幸 一
1は じ め に
本 論 文 は2003年8月 にガ ンジ ー記 念 館 にお い て 開催 され た東 洋 哲 学 研 究 所 と 国 立 ガ ン ジー 博 物 館 と の 共 催 に よ る 共 同 シ ン ポ ジ ウ ム 「Contemp・rary ThoughtOnGandhiismandBuddhism」 で の 英 文 発 表 「Nonviolenceand JapaneseBuddhism」 を敷 術 した もの で あ る(注1)。 筆 者 の 立 場 は一 定 の 条 件 の 下 で の暴 力 の使 用 を認 め る条 件付 きの平 和 主 義 の立 場 で あ り,ガ ンジ ー の立 場 で あ る とされ る非 暴 力 を貫 徹 す る絶 対 的平 和 主 義 の立 場 とは異 な る。 筆 者 は仏 教 が平 和 主 義 を唱 え る宗 教 で あ る と考 え る こ とに は,日 本 仏 教 史 に関す る意 図 的 な 無視 が あ り,ま た そ の こ とが 仏 教 を建 前 だ け の宗 教 に し,行 為 の規 範 と し て現 実 的 に有 用 な もの にす る こ と を阻害 してい る と考 え て い る。 仏 教 の 中 に は 相 互 に矛 盾 す る諸 思 想 が 混 在 してい る の で あ って,そ の 中 で どの思 想 を支 持 し,
どの思 想 を拒 否 す るの か とい うこ とを,自 覚 的 に選 択 しな い 限 り,仏 教 の名 の 下 で 正反 対 の諸 行 為 が 正 当 化 され る で あ ろ う。
まず 非 暴 力 の教 え と 日本仏 教 との 関係 を論 じる に あ た っ て,非 暴 力 の い くつ か の レベ ル を区 別 す る必 要 が あ る。 仏教 にお い て は不 殺 生 が 出家 者,在 家 者 に 共 通 な五 戒 の一 つ と して定 め られ て お り,い か な る殺 人 行 為,さ らに は動 物 の 屠 殺 行 為 や 害 虫 の駆 除 す ら もこの戒 に よ り是認 され ない 行 為 とな る。個 人 的次 元 で は,僧 尼 な どの よ う に暴 力 を使 用 せ ず,不 殺 生 戒 を守 る こ とが で き る人 も い る。 しか し肉食 が 普 及 した現 在 で は,食 用 の動 物 を殺 さ なけ れ ば な ら ない職
業 の 人 々が存 在 し,彼 らは不殺 生 戒 を守 る こ とはで きな い。 あ るい は普 通 の 人 で さ え も蚊 や蝿 な どの害 虫 を殺 す こ とは あ るだ ろ う(注2)。人 間以 外 の動 物 を殺 生 す る こ とば か りで な く,場 合 に よ って は人 間 を も殺 す こ と を現 代 社 会 は あ る 程 度 認 め て い る 。 国 内次 元 で は,市 民 を守 り,治 安 維 持 の た め に警 察 官 が 犯 罪 者 に対 して暴 力 を使 用 し,ま た裁 判 の結 果,社 会 に対 して重 大 な悪 影 響 を与 え る場 合 に は,死 刑 もや む をえ ない とす る 国家 もあ る程 度 存 在 す る。 さ らに国際 的 次 元 で は,外 国 か らの攻 撃 に対 して 国家 を守 るた め に軍 人 が 暴 力 を使 用 す る こ とは,国 家 の 正 当 防衛 権 と して 国際 法 で も認 め られ て い る。
極 端 な平 和 主 義 者 は絶 対 的非 暴 力 を主 張 し,い か な る次 元 で の暴 力 に も反 対 す る(注3)。 しか し 日本 にお け る多 くの平 和 主 義 者 は条件 付 きの 平 和 主 義 者 で あ り,い くつ か の次 元 で暴 力 の使 用 を容 認 して い る と筆 者 は思 う。 ロバ.一 ト ・キ サ ラが 日本 の新 宗 教 にお け る平 和 主 義 を論 じて い るProphetsofPeace:Pacif‑
asmandC鉱 伽7α1廻eη距置ッ加 」αpαη、1VeωIRe1∫gfoπsの中 で指 摘 して い る よ う に, 仏 教 が あ くまで も不 殺 生 戒 に固 執 す る な ら,場 合 に よ って は殺 人 も正 当 化 され
る とい う信 念 を持 って い る大 多 数 の人 々 に は受 け入 れ る こ との 出来 ない 少 数 者 の宗 教 と して存 続 す る しか なか っ た で あ ろ う。(キ サ ラp・9,(注4))
フ ラ ンス の仏 教 研 究 者 ポ ール ・ ドミエ ヴ ィル は1957年 「仏 教 と戦 争一 殺 生 戒 の 根 本 問題 」(注5)の中で,大 乗 仏 教 徒 が,い か に して不 殺 生 戒 を無 効 に
して,殺 人 を正 当化 す る論 理 を形 成 したか(ド ミエ ヴィルP.58‑59),ま たい か に して 実 際 に仏 教 徒 た ちが特 殊 な仏 教思 想 の 下 で積 極 的 に戦 闘行 為 を行 っ た か を 概 説 して い る。彼 が指 摘 した事 例 に は,中 国 や 日本 にお け る下層 民 の 宗 教 的反 乱 も含 まれ て い る。(同p・63‑64,p・74)
絶 対 的平 和 主 義 の立 場 か ら,こ れ らの暴 力 的反 乱 を,殺 生 禁 断 とい う観 点 で 非 難 す る こ とは容 易 な こ とで あ ろ う。 しか し不 殺 生 戒 を第 一義 的 な遵 守 規 定 と 見 な し,抑 圧 され た 人 々 が 自己 の現 世 的救 済 を求 め て仏 教 的思 想 の下 で 戦 闘行 為 をす る こ とを一 概 に否 定 す る な らば,仏 教 は結 果 的 に体 制 側 の暴 力 を容 認 し 続 け る体 制 擁 護 の宗 教 で しか な い と社 会 的 政治 的脈 絡 の 中 で判 断 され て しま う だ ろ う。不 殺 生 戒 は抑 圧 か らの解 放,自 由 の獲 得 よ り優 先 され るべ き価 値 なの
日本仏 教 と平和 主義 の諸 問題(37) だ ろ うか。 仏 教 は社 会 的経 済 的格 差,差 別 を,解 消 す る た め にな ん らか の方 法 を提 案 で き る宗 教 な の か,そ れ と もそれ らは迷 い の世 界 の 出来 事 で あ る と して 放 置 し,結 果 的 に格 差,差 別 を容 認 す る宗 教 なの だ ろ うか 。 この 問題 は仏 教 を 信 奉 して い る人 々 が,自 分 た ち が信 仰 してい る仏 教 とは どの よ う な宗教 で あ る と自己 理 解 して い る の か とい う問題 で もあ る。 当然 宗 派 に よ り,ま た 同 じ宗 派 内 で も人 に よっ て 自己理 解 の相 違 は あ り,さ ま ざ ま な考 えが あ るが,そ の相 違 を明 らか にす る こ と も重 要 な こ とで あ る と思 わ れ る。
本論 文 に おい て,最 初 に,筆 者 は非暴 力 の教 え と 日本仏 教 との歴 史 的 関係 を 考 察 す る。 つ い で,日 本 仏 教 が非 暴 力 を促 進 す る ため に解 決 しな けれ ば な らな
い い くつ か の間 題 を指 摘 した い。
2聖 徳 太 子 の和 の思 想
日本 に仏 教 を本格 的 に導 入 す る に あた って,聖 徳 太 子 の果 た した役 割 は非 常 に大 きい 。太 子 が 出現 す る前 に は,仏 は異 国 の新 しい神 と見 な され,日 本 の氏 神 と同様 に,自 然 的災 害 を防 ぎ,氏 族 の 繁 栄,病 気 の平 癒 な どの現 世利 益 を も
た らす 威 力 を もっ た神 と考 え られ た。経 典 の読 訥 や仏 像 の安 置 な どはす ぐれ た 効 果 を もた らす 呪術 と信 じられ た。僧 尼 は仏 陀 の教 える新 しい生 き方 を説 く教 師 と して で は な く,仏 とい う新 しい神 の威 力 を呼 び起 こす シ ャー マ ン と見 な さ れ た 。
日本 人 が持 っ てい た呪術 的 宗 教 観 を超 えて,仏 教 の普 遍 的思 想 に着 目 した 人 が 聖 徳 太 子 で あ っ た。 太 子 は有 力 氏 族 の連 合 政 権 で あ っ た 日本 を,中 国 の 階帝 国 を モ デ ル に して,天 皇 を 中心 と した 中央 集 権 的 国家 に再 編 しよ う と した。 太 子 は氏 族 的 信 仰 を超 えた 普 遍 的宗 教 と して の仏 教 に注 目 し,官 吏 の守 るべ き規 則 と して十 七 条 憲法 を制 定 した。 日本 の仏 教 学 者 中村 元 は太 子 をイ ン ドの ア シ ョー カ王,チ ベ ッ トの ソ ンツ ェ ンガ ンボ王,階 の文 帝 な ど と同様 に,仏 教 の普 遍 的 理 念 を実 現 しよ う と した帝王 の 一人 と して考 察 して い る。(中 村4P.75)
聖 徳 太 子 の仏 教 理 解 は,十 七 条 憲法 と 『三 経 義 疏』 に よっ て知 る こ とが 出来
る。 十 七 条 憲 法 で最 も強 調 され て い るの は 「和 」 で あ った 。 第1条 で,党 派 性 を克 服 して,共 同体 内部 の和 合 ・協 調 を力説 して い る。 そ して第10条 で,人 間 は誤 りを犯 しや す い 凡夫 で あ るか ら,意 見 の違 う相 手 に対 す る怒 りを捨 て て, 平 静 に和 の精 神 で議 論す る こ とを強 調す る。 そ して 第2条 で仏 教 が 人 間 の邪 悪
な心 を正 す 普 遍 的 な教 えで あ る こ とを強調 し,和 の 実現 の た め には仏 教 が必 要 で あ る こ とを述 べ て い る。 以 上 の よ う に,聖 徳 太 子 は共 同体 内部 の平 和 を実現 す る ため に,仏 教 に よ る人格 形 成 を強調 した の で あ る。
.しか し他 方 で は 第3条 で天 皇 の命 令 には絶 対 服 従 す べ きこ と を主 張 し,第12 条 で 国 に二 人 の君 主 が い な い こ とや役 人 は君 主 の家 臣 で あ る こ と を強 調 す るな
ど,天 皇 専 制 政 治へ の方 向性 も示 し,天 皇 が不 徳 で あ る場 合 の革 命 思 想 な どは 完 全 に排 除 して い る こ と も忘 れ て はな らな い(注6)。
太 子 は 『法 華 経 』 な どの在 家 主 義 的 な大 乗 仏 教 を選 択 した が,大 乗 仏 教 にお い て も五 戒 の一 つ で あ る不 殺 生 戒 は強 調 され て い る。 しか し出家 者 は軍 務 な ど の 世 俗 的 義 務 を放 棄 してい る た め,不 殺 生 戒 を守 る こ とは可 能 で あ るが,社 会 的 義 務 を負 わ され て い る在 家 者 に は その 戒 を守 る こ とは 困難 で あ っ た。 太 子 も 個 人 倫 理 と して は不 殺 生 戒 を守 る こ とを 当然 と考 え てい た と思 わ れ るが,太 子 自身 の事 跡 を考 察 す る限 り,共 同体 の平和,あ るい は仏 法 守 護 の た め には,場 合 に よっ て は暴 力 も必 要 で あ る と考 え て い た よ うだ。 崇 仏 派 の蘇 我 氏 と排 仏 派 の物 部氏 が 武 力対 決 を した と きに,太 子 は蘇 我氏 の勝 利 を四 天 王 に祈 り,そ の 戦 勝 へ の加 護 を感 謝 して,四 天 王 寺 を建 立 した とい う。 後期 大乗 経典 の0つ で あ る 『金光 明 経』 に は国 王 が 正 法 を護持 す る と,四 天 王 が仏 敵 を滅 ぼす とい う こ とが述 べ て あ り,太 子 は仏 敵 を滅 ぼす ため に は不 殺 生 戒 を破 る こ とはや む を えな い と考 えて い た よ うだ(注7)。
3護 国仏 教 の諸 問題
聖 徳 太 子 が 目指 した 中央 集 権 的 国家 は,大 化 改 新 に よ り蘇 我 氏 を滅 ぼ した 中 大 兄 皇 子(天 智天 皇〉や,壬 申 の乱 を勝 利 した 天 武 天 皇 に よ っ て形 成 され た。
日本仏教 と平 和 主義 の諸 問題(39) 公 地公 民 制 に よ り,出 家 得 度 の権 限 は国 家 が持 ち,律 令 制 の整 備 とと もに,出 家教 団 を管 理 す る た めの 僧 尼令 が 制定 され た。 この 法 は,出 家教 団 を僧 侶 に よ
る 自立 的 な管 理 に任 せ るの で は な く,国 家 が僧 尼 に律 令 官 人 的 身分 特 権 を保 証 す る と と もに,僧 尼 の 宗 教 生活 を規 定 す る もの で あ っ た。僧 尼 令 の 第22条 で は 私 度 を禁 止 し,出 家 とい う宗教 行 為 を国 家 が 管 理 す る こ とを明確 に して い る。
第5条,第23条 で僧 侶 の 自 由な布 教 活 動 を禁止 し,第27条 で は 『法華 経 』 な ど に説 か れ た焼 身供 養,捨 身供 養 の修 行 を禁止 し,第13条 で は山林 修 行 も許 可 制 に制 限 した 。
寺 院 は潜 在 的 な軍 事 拠 点 で もあ り,寺 院 に所 属 す る奴 蝉 が武 器 を所 有 し,時 に は僧 侶 も加 わ って 軍事 行 動 を起 こ した こ ともあ った 。 そ れ を防 止 す る た め第
1条 で は僧 侶 が 人 を殺 す こ とや兵 書 を習 読 す る こ とを禁止 し,ま た第26条 で奴 姫,兵 器 を布 施 と して 寺 院 に寄 付 す る こ とや,寺 院 が そ れ らを安 易 に受 け取 る こ と を禁 止 して い る 。 これ らの禁 止 には殺 生 禁 断 とい う仏 法 の 戒律 を尊 重 す る とい う意 味 もあ った けれ ども,寺 院 の軍 事 拠 点 化 の 防止 とい う世俗 的意 味,さ らに は律 令 国家 が僧 侶 に清 浄 な シ ャ ーマ ン と して鎮 護 国家 を祈 らせ る とい う宗 教 的 意 味 もあ っ た。(速 水p.15)
律 令 政 府 は僧 尼 令 に よ って僧 尼 の行 動 を規 制 し,国 分 寺,国 分 尼 寺 を建 立 し, 僧 尼 に 『仁 王 経』 『金 光 明経 』 『法 華 経 』 の護 国 三部 経 を定 期 的 に読 論 す る こ と
を命 じた。 この よ うな仏 教 の統 制 的 保 護 に対 して,仏 教 者 の側 か ら仏 教 思想 に 基 づ い て 自発 的 な活 動 を した事 例 は行 基 の活 動 な どに見 られ る もの の,多 くの 場 合,国 家 に よ る仏 教 統 制 を当然 と僧 侶 側 もみ な して い た 。平 安 仏 教 の創 始者 最 澄,空 海 もそ れ ぞ れ天 台 宗,真 言 宗 が護 国宗 教 と して十 分 な機 能 を果 たす こ とを強 調 した。 この よ うな護 国 仏 教 の 立 場 で は,国 家 は直 ち に天 皇 中心 の朝 廷 を指 して い た か ら,『 仁 王経 』 や 『金 光 明経 』 の思 想 に よ り,朝 廷 に対 す る反 乱 を武 力 で鎮 圧 す る こ と も,諸 外 国 か らの侵 略 を武 力 で 撃 退 す る こ と も当然 と 考 え られ て い た 。僧 侶 自身 は不 殺 生 戒 を守 る こ とを義務 付 け られ てい たが,僧 侶 は在 家信 者 で あ る兵士 た ちが朝 廷 権 力 を守 るた め に殺 生 を犯 す こ とを禁 止 も
しな か った し,か え って そ の勝 利 を祈 る とい う こ とが義 務 付 け られ て い た の で
あ る 。
4荘 園 制度 と僧 兵
律 令 国家 にお い て は僧 尼 令 に よ り僧侶 の武 装 や殺 生 は禁 止 され て い た が,奈 良 時代 にお い て 寺 院 に住 む奴蝉 が 武 器 を所 有 してい た こ とはい くつ か の文 献 資 料 に記 載 され て い る。 武 装 の理 由 は主 に寺 院 財 産 を盗 賊 な どか ら防衛 す るた め で あ った と考 え られ て い る。(日 置p.59)律 令 制 度 が 次 第 に形 骸 化 し,寺 院 の経 済 的基 盤 が,国 家 か らの給 付 に依存 で きな くな り,墾 田 開発 な どを基礎 と す る荘 園 の 獲得 に変 化 す る と,荘 園 の 維持 管 理 を寺 院が 自力 で行 う必 要 が生 じ, 寺 院 の下 級 の使 用 人 で あ る堂 衆 や,荘 園 の下 級 管 理 者 が 武 装 して荘 園 を守 る よ
うに な った こ とが,僧 兵 の 出現 理 由 と考 え られ て い る。(日 置P.67)
10世 紀 後 半 に天 台 座 主 に就任 して,天 台 宗 を再 建 した 良源 は 『二十 六 箇 条 の 制 式 』 の 中 で寺 院 内 での 武 装 の 禁 止 を命 じてい る。 良源 は天 台 宗 を再 建 した が,
そ の と き に 自分 が所 属 す る 円仁 門 流 を重 用 し,そ れ まで 主 流 で あ った 円珍 門流 を弾 圧 した の で,天 台 宗 内 部 で 両 派 の対 立 が 激 し くな っ た。 円珍 門流 の拠 点 で あ っ た 園城 寺 を円仁 門流 の 拠 点 で あ る延 暦 寺 の 衆徒 が 襲 い,焼 き討 ちす る とい う事 件 が11世 紀 に生 じた。 後 に良 源 が 愚 鈍 な僧侶 を武 装 させ た とい う伝 説 が生 じ,経 巻 は智 恵 の徳 であ り,文 殊 の 利 剣 は利 智 の 用 で あ り,末 法 にお い て は仏 法 を守 る た め に は武 力 も必 要 で あ る と述 べ た と され てい る(注8)。 これ は良 源 自
身 の考 えで は な い にせ よ,下 級 僧 侶 が 武装 し,殺 生 を犯 す こ とへ の正 当化 の論 理 と して仏 法 護 持 の ため に は殺 生 を容 認 す る思想 が 主 張 され てい た こ とを示 し
て い る。
天 台 宗 ば か りで な く,興 福 寺 や 東 大 寺 な どの奈 良 の大 寺 院や真 言宗 の 高 野 山 も武 装 し,主 に荘 園 の獲 得 とい う経 済 的 要 求 を掲 げ て,朝 廷 に武 力 を背 景 に し た強 訴 を繰 り返 した 。 寺 院 側 は,仏 法 が 栄 え る こ とは王 法 が 栄 え る こ との 条件 で あ り,盛 大 な仏 事 を執 行 し,豪 華 な伽 藍 を建 築 す る ため の 寄付 を国 家 の 当然 の義 務 で あ る と主 張 した。 皇族,貴 族 た ち は一 方 にお い て護 国仏 教 を信 じて い
日本 仏教 と平 和 主義 の諸 問題(41)
た の で寺 院 の要 求 を しば しば 聞 き入 れ たが,他 方 で は護 国 を祈 るべ き仏 教 教 団 が 武 装 して朝 廷 に強 訴 す る姿 を見 て,仏 法 の威 力 が衰 え,世 の 中が 乱 れ る末法 の 時 代 が 到 来 した こ とを嘆 くの み で,有 効 な対 抗 手 段 を とる こ とが 出 来 なか っ
た。 寺 院側 は末 法 の到 来 が仏 法 守 護 の た め に武 力 を必 要 とす る とい う理 論 を主 張 し,不 殺 生 戒 を守 ろ う とは しな か った。
5鎌 倉 新仏 教 と宗 教0揆
僧 兵 とは異 な っ た形 態 で 出現 した宗 教 的武 装 の も う一 つ の事例 は宗 教 一揆 で あ る。
平 安 末 期 に 出現 した法 然 は 『選 択 本 願 念 仏 集 』 を著 し,末 法 時代 に は既 存 の 仏 教 の救 済 力 が な くな る と主 張 し,そ の時 代 にお け る唯 一 の救 済 方 法 と して称 名念 仏 を主 張 した。 こ の専 修 思想 は,中 国,日 本 仏 教 にお け る伝 統 的 な兼 修 思 想 を否 定 した異 端 的 な思 想 で あ っ た た め,既 成 教 団 か ら厳 しい非 難 を受 け,朝 廷 に よ りそ の 宗 教 活 動 を禁 止 され た。 法 然 滅 後 の浄 土 宗 は弾 圧 を避 け る た め兼 修 思 想 に戻 るが,親 鶯 の浄 土 真 宗 は地 方 に活 動 拠 点 を持 ち,専 修 思 想 を維 持 し た 。 また専 修 思 想 は浄 土 系 仏 教 を超 え て,道 元 の曹 洞 宗 や 日蓮 の法 華 宗 で も維 持 され,鎌 倉 新 仏 教 の一 つ の特 徴 とな って い る。
15世 紀 に は,浄 土 真 宗 は主 に地 方 の農 民,下 級 武 士 に広 ま り,日 蓮 法 華 宗 は 都 市 の 商 工 業 者 に支 持 され た。 応 仁 の乱 以 後,政 治 体 制 が 混 乱 し,し ば しば農 民 一 揆 が発 生 し,そ れ が 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 の信 者 と重 な っ た場 合 に は,一 向 一 揆 と よば れ た。 京 都 に お い て も商 工 業 者 に法 華 宗 の信 者 が 多 か っ た ため,町 の 自警 組 織 が宗 教 組 織 と重 な り,法 華 一揆 と呼 ば れ る軍 事 組 織 が 形 成 され,一 向 一揆 や他 の大 名 か ら京 都 を守 る た め に闘 っ た(注9)。 これ らの宗 教 一揆 は,自 分 た ちの宗 教 王 国 を作 る ため に暴 力 を使 用 した。
鎌 倉新 仏 教 の 創 始 者 達 は概 ね既 成 教 団 や 国家 権 力 に よ り迫 害 を受 けて い るが, そ の 中で最 も国 家権 力 か ら迫 害 を受 けた の は 日蓮 で あ っ たが,そ の 日蓮 が理 想 の仏 国土 建設 の ため とはい え,国 家権 力 に よる宗 教 統 制 を最 も明 白 に正 当化 し
て い る の は歴 史 の 皮 肉 で あ る。 日蓮 の 初 期 の 思 想 を体 系 的 に示 して い る 『守 護 国 家 論 』 で は,諦 法 禁 断 と い う思 想 が 強 調 さ れ て い る 。 そ こ で は 鳩 摩 羅 什 訳
『仏 説 仁 王 般 若 波 羅 蜜 経 』 を引 用 し て(ii.b),仏 法 を仏 弟 子 で は な く,権 力 を持 つ 国 王 ・大 臣 に付 属 して い る こ と が 主 張 され て い る 。(創P.59,定P.115) ま た 大 乗 の 『大 般 浬 葉 経 』 の 「正 法 を護 持 す る 者 は 五 戒 を受 け ず 威 儀 を修 せ ず
して,ま さ に 刀 剣 ・弓 箭 ・鉾 塑 を 持 つ べ し」(12.383b)を 引 用 して(創P.59,定 P.115),不 殺 生 戒 を 無 視 す る こ と を 容 認 し,「 弓 箭 ・刀 杖 を 帯 し て 悪 法 の 比 丘
を 治 し正 法 の 比 丘 を守 護 す る 者 は,必 ず 無 上 道 を証 明 す る だ ろ う」 と,仏 法 守 護 の た め に 武 力 を使 用 す る こ と を積 極 的 に 容 認 して い る 。(創p.59,定P.115)
さ ら に釈 尊 過 去 世 の 姿 で あ る 仙 予 国 王 が,大 乗 誹 諺 の 婆 羅 門 の 命 根 を 断 っ た 功 徳 で 地 獄 に 堕 ち る こ と が な く な っ た と い う 『大 般 浬 葉 経 』(12.434c)の 因 縁 話 を 挙 げ る 。(創p.62,定p.118)そ して 『大 般 浬 藥 経 』 の 「も し善 比 丘 が,法 を 壊 る 者 を見 て 呵 責 し駈 遣 し挙 処 しな け れ ば,ま さ に こ の 人 は仏 法 の 中 の 怨 で あ る と知 る べ きで あ る 。 も し駈 遣 し呵 責 し挙 処 す る こ とが で きれ ば こ の 人 は 私 の 弟 子 で あ り真 の 声 聞 で あ る 」(12.381a)を 引 用 し て,諦 法 禁 断 を 強 く国 王 に 要 求 した 。(創p.62‑‑63,定p.119)
日蓮 は 大 乗 の 「大 般 浬 桑 経 』 を根 拠 に して,彼 が 信 奉 す る正 法,す な わ ち法 華 経 に,反 す る仏 教 宗 派 を 誇 法 と断 罪 して,国 家 権 力 に よ っ て 弾 圧 す る こ と を 主 張 した こ と は 明 らか で あ る 。 な お 『立 正 安 国 論 』 で は,P法 禁 断 に 関 して,
「全 く仏 子 を禁 め る 趣 旨 で は な い 。 た だ ひ と え に 誇 法 を悪 む か ら で あ る 。 釈 迦 以 前 の 仏 教 で は 斬 罪 で あ っ た け れ ど も,釈 尊 以 後 の 経 説 は布 施 を停 止 す る の で あ る 」(創P.30,定P.224)と 述 べ て,P法 の 者 へ の 布 施 の 禁 止 とい う経 済 的 手 段 に よ り誘 法 禁 断 を 実 現 す る とい う柔 軟 な 手 段 を提 案 して い る 。 しか し晩 年 の
『撰 時 抄 』 で は 再 び 「建 長 寺 ・寿 福 寺 ・極 楽 寺 ・大 仏 ・長 楽 寺 等 の 一 切 の 念 仏 者 ・禅 僧 等 の 寺 塔 を 焼 き払 っ て,彼 等 の 頚 を 由 比 ケ 浜 で 切 ら な け れ ば,日 本 国 は 必 ず 滅 ぶ だ ろ う と 申 しあ げ た 」(創p.287,定p.1053)と 再 び 武 力 に よ る 諦 法 禁 断 を 主 張 して い る 。
日蓮 が 諦 法 禁 断 を主 張 し た の は,諺 法 を 放 置 して お く と 「ま も な く 自界 反 逆
日本仏 教 と平 和主 義 の諸 問題(43) 難 とい う同士 討 ちが 生 じ,他 国侵 逼難 とい う この 国 の 人 人が他 国 に打 ち殺 され る の み な らず,多 くの 人 が 生 け捕 りに され る だ ろ う」(同)と い う国 内 の 戦 乱, 外 国 か らの侵 略 が 生 じる とい う護 国経 典 の思 想 を継 承 した危 機 意 識 か らで もあ るが,そ れ は また逆 に,正 法=法 華 経 を国家 全 体 が 信 じれ ば,平 和 な仏 国土 が 建 設 で きる とか れが 信 じて い た こ とに も よ る。 日蓮 は 「日蓮 は 日本 国 の棟 梁 な り,予 を失 う こ とは 日本 国 の柱 橦 を倒 す こ とで あ る」(同)と い う使 命 感 を持 ち,鎌 倉 幕 府 に よる弾圧 を覚悟 して い た 。理 想 の仏 国土 実 現 とい う 目的 の た め に は,武 力 に よる誇 法 禁 断 も正 当化 で き る とい うの が 日蓮 の思 想 で あ った 。 こ の 日蓮 の 正 法 守 護 の ため に武 力 を使 用 す る こ とを容 認 す る思 想 が 法 華 一揆 の精 神 的 支 柱 に な っ た こ とを,今 谷 明 は,近 世 に編 纂 され た 『天 文 法 華 松 本 問 答 記 』 を利 用 して示 してい る。(今 谷p・190‑194)
16世 紀 後 半 に は,僧 兵 組織 宗 教 一揆 は織 田信 長,豊 臣秀 吉 とい う武 士 に よ って徹 底 的 に弾 圧 され,日 蓮 の 『立 正安 国論 』 の諺 法 禁 断 の思 想 も日蓮 教 団 で は軽 視 され,江 戸 幕 府 の 宗教 的統 制 の下 で は,僧 侶 が武 装 す る こ とは な くな っ た が,幕 府 が 宗 門人 別 帳,寺 請 制 度 に よ り寺 院 を統 治機 構 の0部 に した た め, 僧 侶 が幕 府 の 管 理 機構 の0員 と して,人 々 を抑 圧 す る よ う にな っ た。
6日 本 帝 国主 義 と 日本仏 教
明 治政 府 は神 道 を 国教 と し,江 戸 幕 府 の仏 教 優 遇 政 策 を放 棄 した。 僧 籍 の廃 止 に よ り,僧 侶 は身 分 で は な く職 業 と して扱 わ れ,僧 侶 に も他 の平 民 と同様 の 徴 兵 義 務 を課 した。(当 初 の徴 兵令 では,官 吏 ・官立学校生徒 ・洋行修行者,戸 主 ・ 相続者 ・家の継承者,代 人料270円(現 在 の金 額で数百万円)を 支払 う者 などが兵役免 除者 とな っていた。 しか し僧侶 は免除者ではなかった。)僧 兵 とい う例 外 は あ った が, 僧 侶 の武 装 は 禁止 され て い た た め,こ れ まで は僧 侶 は不 殺 生 戒 を守 る こ と もで
きた が,徴 兵 制度 が 実施 され,僧 侶 で あ って も兵 士 と して前 線 で敵 兵 を殺 害 し な くて は な らない事 態 が生 じた(注10)。と ころ が仏 教 教 団 は 明治 政 府 に よ る反 仏 教 的政 策 に怯 え,政 府 の政 策 遂 行 に協 力 す る こ とで,教 団 の維 持 を図 って い た。
そ れ ゆ え不 殺 生 戒 を強 調 して,教 団所 属 の僧 侶 兵 士 に兵役 拒 否 す る こ とを指 導 す る な ど とい うこ とはせ ず,む しろ積極 的 に政 府 の 戦争 政 策 に支 持 を与 えた 。 戦 争 にお い て は多 くの仏 教 教 団 は軍 資 献 納 や 慰 問 品 寄贈 な どの物 質 的支 援 の 他 に,教 団 の訓 示 と して,義 戦 で あ る こ と を強 調 し,真 俗 二 諦論,王 法 為 本 な どの教 義 を根 拠 に して,軍 務 の遂 行 が 仏 教徒 の 義 務 で あ る こ とを強調 した 。不 殺 生 戒 は 国 の た め に敵 を殺 す こ とを制 止 してい ない とい う見 解 を示 し,戦 死 者 は宗 教 的 義 務 を果 た した者 と して 往 生 を認 め られ た 。(木 場P.252)敵 国死 者 の 追悼 が 怨 親 平 等 とい う仏 教 的理 念 の 発揚 と して行 われ たが,戦 争 自体 を非 難 す
る こ とは無 か っ た。
伝 統 的 な仏 教 教 団 は,教 団の 政 府 へ の 協 力 姿 勢 を見 せ る ため に,政 府 の 戦 争 遂行 政 策 に支 持 を与 え る とい う受 動 的 な態 度 で あ っ たが,積 極 的 に戦 争遂 行 政 策 を主 張 す る新 仏 教 教 団 も出現 した。 還 俗僧 田 中智 学 は1880年 蓮華 会 を結 成 し, 1885年 立 正 安 国会,1914年 国柱 会 と名 称 変 更 し,教 団改 革 を主張 し,在 家 主 義
を唱 え た。 西 山茂 の 「日蓮 主 義 の 展 開 と 日本 国体 論一 日本 の 近 ・現 代 にお け る法 華 的 国体信 仰 の 軌 跡 」 に よれ ば,日 蓮 の立 正 安 国論 は個 人 的悟 りや彼 岸 的 救 済 とは 異 な る,現 世 に仏 国 土 を建 設 す る こ と を 目的 と した もの で あ っ た。
(西山p・167)田 中 智 学 は,日 蓮 の 宗 教 は仏 法 の み で は な く,世 法,王 法 も含 め た立 正 安 国 の理 論 と実践 で あ る と解 釈 し,社 会 変 革 をめ ざす 宗教 的 な価 値 志 向 運 動 を展 開 した。 そ の 中で 田 中 は,国 体 を天皇 中心 の 日本 国 家 の理 想 的 本 質 と 見 な し,日 蓮 主 義 の 立場 か ら 日本 国体 の使 命 を明 らか に しよ う と した 。
田 中 は1903年 の 「皇 国 の 建 国 と本化 の 大教 」 にお い て,日 本建 国 の3つ の 道 義 理 念(積 慶 ・重暉 ・養正 の建 国三綱)=日 本 の天 職 で あ る こ と を示 し,1922年 の 『日本 国体 の研 究』 にお い て,建 国 三 綱 と 日蓮 三大 秘 法 の 関係 を示 し,本 国 土 と して の 日本 の役 割 や,天 皇=金 輪 聖 王 と して の宗 教 的意 義 を明 らか に した 。 田 中 は,日 本 が 建 国 の と きか ら,世 界 の統 一 に よ り,理 想 の道 義 的世 界 を作 る 使 命 が あ る こ とを強 調 し,日 蓮 はそ れ を法 華 経 の観 点 か ら解 明 した の で あ り, 広 宣 流 布 とい う宗 教 的 目的 が,日 本 の世 界統 一 とい う政 治 目的 と一体 に な って い る こ とを主張 した 。大 正 期 の 日蓮主 義 の黄 金 時代 は,当 時 の民 族 主 義 的 な 国
日本仏教 と平 和 主義 の諸 問題(45) 民 心 理 と合致 した もの で,日 本 の世 界 史 的役 割 を説 明 した か らで あ る と西 山 は 分 析 して い る。(同p.179)
田 中 の影 響 を受 け た軍 人石 原 莞 爾 は,「 撰 時抄 」 の最 終 戦争 へ の 予 言 を信 じ, そ の後 に賢 王=天 皇 に よ る世 界 統0が 達 成 され る と解 釈 した。 石原 は1931年 の 満 州 事 変 を指 導 し,翌 年 満 州 国建 国 を達 成 し,五 族 協 和,王 道 楽土,東 亜 大 同 を提 唱 した 。 関東 軍 副 参 謀 長 時代 に参 謀 長 の東 条 英 機 に対 して,満 州 国 で の 日 本 軍 の支 配 を批 判 して五 族 協和 を主 張 し,左 遷 され た。 石 原 は世 界統 一 の ユ ー トピア思 想 と して,日 蓮 主 義 を解 釈 し,金 輪 聖 王 と して の天 皇 の役 割 を強 調 し たが,侵 略 戦 争 に は 反対 した。(西 山P.183‑185)こ の 日蓮 主 義 運 動 は,日 蓮 の 思想 に は戦 争 を積極 的 に肯 定 す る危 険 性 が 潜 む こ と を示 してい る。
7戦 後 の平 和 運 動 と仏教
第 二次 世 界 大 戦 で 壊 滅 的 な打 撃 を受 け た 日本 は,ア メ リカの 要 求 に従 って 戦 争 放 棄 を謳 った 日本 国 憲 法 を制 定 し,軍 事 的 な野 心 を持 たず,安 全 保 障 は ア メ リカ に依 存 し,経 済 再 建 に専 念 す る国 家 政 策(0国 平和 主義)を 採 用 した。 敗 戦 後 の 悲惨 な生 活体 験 か ら,戦 争 政 策 に協 力 して きた伝 統 教 団 も平 和 を唱 え る よ う に な り,ま た戦 後 の 憲 法 で認 め られ た信 教 の 自由 に よ り,自 由 な活 動 を保 証 され た仏 教 系 新教 団 も平和 運 動 を大 きな活動 の柱 と して きた 。 そ の 中 で特 に
注 目 され た の は,出 家 者 を 中心 とす る 日本 山妙 法 寺 の 反 戦 活動 と,立 正 佼 成 会 の 世界 宗 教 者 平 和 会議 の 活動 と,創 価学 会 の 反 戦 出版 や 反核 展 な どの運 動 で あ った 。
日本 山妙 法 寺 は藤 井 日達(zss5‐zgs5)に よ っ て 設 立 され た 出 家 教 団 で 団扇 太 鼓 を叩 き なが ら,南 無 妙 法 蓮 華 経 を唱 えて,平 和 行 進 を し,世 界 各 地 に平 和 塔 を建 立 す るな どの 活動 を して い る 。藤 井 日達 は ガ ンデ ィー の影 響 を受 け,戦 後 は絶 対 平 和 主 義 を唱 え て,活 発 な行 動 を展 開 して きた が,そ の教 団 は比 較 的 小 規 模 な ま ま に と どま って い る。 藤 井 は 日蓮 の立 正 安 国 の思 想 を非 暴 力 に基 づ く仏 教 精 神 に よ り国土,世 界 の平 和 の実 現 を願 っ た もの で あ る と解 釈 し,日 蓮
の 誘 法 断 罪 をそ れ ほ ど重 要 視 して い な い(注11)。
立 正 佼成 会 は霊 友 会 か ら派生 した在 家 仏 教 教 団 で あ るが,庭 野 日敬 に よ り日 蓮 で は な く,法 華 三部 経 を根 本 とす る仏 教 教 団 と して編 成 され,世 界 平 和 の た め の 宗教 間対 話,宗 教 協 力 を積 極 的 に推 進 し,世 界 宗 教 者 平 和 会 議 の主 要 メ ン バ ー とな り,ア ジ ア宗 教 者 平 和 会 議 の設 立 な ど に関 わ って きた。 国 内 にお い て も 日本 宗 教 連 盟 や新 日本 宗 教 団 体 連 合 会 の 主 要 メ ンバ ー と して大 きな影 響 力 を 持 っ て い る。 立 正 佼 成 会 の平和 活 動 と して は,他 の教 団 と と もに,世 界 宗 教 者 会 議 日本 委 員 会 と して平 和 問題 に 関す る ア ピー ル を提 言 し,ま た毎 週 一 回 の断 食 を伴 う一 食 を捧 げ る運 動 を通 じて,ア フ リカ の貧 困諸 国へ 資 金 提 供 な どを し て い る。 立 正佼 成 会 は法 華 経 を根 本 経 典 と して い るが,日 蓮 を重 視 して い ない ので,か れ の諺 法 禁 断 論 と も無 縁 で あ り,諸 宗 教 との対 話,協 力 を積 極 的 に展 開で きる利 点 が あ る。
創価 学 会 は,そ の 前 身 で あ る創 価 教 育 学 会 の 創 立 者 牧 口常 三 郎 が,王 法 為 本 の 立 場 を とっ て軍 部 政権 の伊 勢神 宮 の神 札 の 強 制 奉 祀 に 同調 した 日蓮 正 宗 を批 判 し,あ くまで仏 法 為 本 の立 場 に よ って,神 札 奉 祀 を拒 否 した こ とに よ り,治 安 維 持 法 違 反 な どで,弾 圧 され獄 死 した とい う反 軍 国主 義 の歴 史 遺 産 を持 って
い た 。 そ の ため,第2次 大 戦 以後 の仏 教 界,宗 教 界 が 戦 前 の戦 争協 力 とい う負 い 目 を もち なが らの平 和 運 動 を展 開 して い た こ と対 して,比 較 的 に優 位 な立場 を持 って い た。 戸 田城 聖 の原 水 爆 禁 止 宣 言 や,池 田 大作 の積 極 的 な平 和 講演 な どを背 景 に,創 価 学 会青 年 部,婦 人部 に よ る反 戦 出版 や 平和 展,難 民 支援 活動 な ど熱 心 に平 和 活 動 を展 開 した。
しか し戦 後 の冷 戦 構 造 の厳 しさの 中 で,ア メ リ カが 日本 の再 軍備 を要 求 し, 自民 党 政 権 は 自衛 隊 を創 設 し,さ ら には ア メ リ カが 日本 の 一 国平 和 主 義 とい う 戦 後 の 中心 的 な政 策 を無 視 して,湾 岸 戦 争 や イ ラ ク戦 争 な どで は 自衛 隊 の海 外 派 遣 を要 請 す る とい う状 況 の 変化 が 生 じた。 日本 の政 治 の主 流 は,軍 事 的負 担 を避 けて,0国 平和 主 義 と経 済 的 繁 栄 を維 持 した い とい うのが 本 音 で あ っ たが, 日本 の 防 衛 を ア メ リカの 軍事 力 に頼 る とい う依 存 関係 が あ る た め に,あ る程 度 ア メ リカの 要 求 に従 わ ざ る を え なか った 。 多 くの 宗教 教 団 は平和 主 義 を唱 え,
日本仏 教 と平和 主義 の諸 問題(47) 政府 の 自衛 隊 海外 派 遣 に反 対 してい るが,こ の 状 況 の 中で 非常 に苦 しい立 場 に 置 か れ て い るの が創 価 学 会 で あ る。 創価 学 会 は平 和 志 向 が 強 い教 団で あ るが, そ の 支持 政 党 の公 明党 が 連 立 与 党 の一 員 と して イ ラ ク戦 争 に賛 成 す る とい うね
じれ現 象 が 生 じて お り,創 価 学 会 員 で この 問題 で 悩 ん でい る人 も多 い 。 一 部 に は平 和 主 義 を守 り,連 立 政 権 か ら離 脱 す べ き とい う意 見 もあ っ た よ うで あ るが, 結 果 的 に は創 価 学 会 本 部 と して は黙 認 してい る。 一 方 で は,相 変 わ らず 機 関紙 聖 教 新 聞 で は,創 価 学 会 は,平 和 主 義,ガ ンジ ー主 義礼 賛 を繰 り返 して い るが, 他 方 で は,そ の支 持 政 党 で あ る公 明 党 が イ ラ クへ の 自衛 隊 派 遣 を支持 して い る
こ とに対 して は沈 黙 して,総 選 挙 で 公 明 党 支持 を会 員 に訴 え てい る こ とに対 し て,疑 問 を感 じて い る会 員 が 筆 者 を含 め て 少 なか らず い る。
8非 暴 力 への 日本 仏 教 の課 題
現 代 の仏 教 徒 の 中 に は,釈 迦族 が,因 果 の 理 法 の上 で は,殺 す よ りは殺 され る ほ うが よ い と して,滅 ぼ され た故 事 を引 用 して(中 村3p.439‑440),絶 対 的 な非 暴 力,平 和 主 義 を主 張 す る もの もい る。 あ る い は修 行 僧 の守 るべ き規 定 の 中 に は,「 杖 や 刀 や 武 器 を手 に して い る者 に法 を説 い て は な らな い」 とい う こ とが あ る。(中 村3p.432)し か し この故 事 や 規 定 は小 乗 仏 典 に含 まれ て お り, 中 国仏 教,日 本 仏 教 は大 乗 仏 教 を受 け入 れ,小 乗 仏 教 を排 斥 した 。い くつ か の 大 乗 仏 教 経 典 は治 安 の維 持 や仏 法 守 護 の ため に不 殺 生 戒 を捨 て る こ と を許 して い る。 歴 史 的 に見 て,日 本 仏 教 は不 殺 生 戒 を無 視 して きた。 も し平和 主 義 の仏 教 徒 が 絶 対 的非 暴 力 を主 張 す る な ら,い くつ かの 大 乗 仏 教 の教 え を捨 て な け れ ば な らな い と筆 者 は考 え てい る。 多 分 建 前 と して絶 対 的 非 暴 力 主 義 を主 張 す る 仏 教 徒 は多 い のか も しれ ない が,現 実 に は,自 分 や 家 族 の命 を守 る ため に,暴 力 を使 用 す る人 が 多 い の で は ない か と考 えて い る。 この よ うな人 は絶 対 的非 暴 力 主 義 とい う呪 縛 を断 ち切 って,い か な る場 合 に暴 力 の使 用 が 正 当化 され る の か とい う こ とを明確 に した条件 付 きの平 和 主義 を 自覚 的 に採 用 すべ きで あ る と 筆 者 は考 え て い る。(キ サ ラは日本 山妙法寺 の絶対的平和主義 に共感 しなが ら,正 当
防衛の考 えを捨て きれないアメリカ人のシンパ について言及 している。 キサ ラp.73) 実 際 に は多 くの仏 教 徒 は条件 付 きの平 和 主 義 を主 張 す る と思 わ れ る。 か れ ら は,治 安 維 持 の た め の 警 察 や軍 隊 とい う暴 力 組 織 や,他 人 か らの暴 力 に対 して 自分 を守 るた め に暴 力 を使 用 す る正 当 防衛 を容 認 す る。 また場 合 に よっ て は仏 教 徒 で あ って も,強 圧 的 な独 裁 者 を人 々 が暴 力 に よ って打倒 す る 国民 の 抵 抗 権 を も容 認 す るか も しれ ない 。 か れ らは国民 の よ り少 ない暴 力 は独 裁 者 の よ り多 くの暴 力 よ りは ま しだ と考 え るだ ろ う。
しか しこれ らの場 合 にお い て,治 安 維 持 の た め に暴 力 を使 用 す る ため の仏 教 の 経 典 に よ る教 義 的正 当化 に関 して は,仏 法 守 護 とい う条 件 しか な い の で あ る。
こ の こ とは皮 肉 に も,仏 法 守 護 の た め には,よ り多 くの暴 力 も正 当化 され る と い うこ と を意 味 して い る。 この論 理 は僧 兵 や宗 教 的一一揆 にお い て使 用 され た。
筆 者 は条 件 付 きの平 和 主 義 的仏 教 徒 が,暴 力 の使 用 に関 して どの よ う に教 義 的 正 当化 を あ た え る こ とが で きる の か疑 問 に思 っ て い る。
も し三 世 に わ た る生 命 の輪 廻 を認 め る な らば,こ の世 にお け る命 は必 ず しも 絶対 的 な価 値 を持 た ない。 来 世 に お け る宗 教 的 に よ り高 い価 値 を持 つ 生 命 の た め に,今 世 の生 命 を犠 牲 にす る殉 教 とい う行 為 を賞 賛 しない 宗教 は ない だ ろ う (注12)。宗 教 的 悪 人 は宗 教 的 善 人 に殺 され る こ とに よっ て,救 いの 道 を歩 む こ と が で きる とい う教 義 が 宗 教 の 中 に な いの で あ ろ うか。 大 乗 の 大般 浬 葉 経 に は仏 法 守 護 の ため に,仏 敵 を殺 す 在 家 の 王 が,釈 尊 の前 世 の 姿 で あ る と して 描 写 さ
れ て い る。
筆 者 は 自分 が仏 教 徒 で あ る と思 っ てい るが,条 件 付 きの平 和主 義 が仏 典 に よ っ て正 当化 され る必 要 は必 ず し もない と考 えて い る。 正 当 防衛 の 思想 は現 世 の 生 命 の 尊重 に限 定 した議 論 で あ るか ら,仏 教 が 三 世 の生 命 を前提 に して い る と 解 釈 す る な ら,基 本 的 に正 当 防衛 を仏 教 に よって 正 当化 す る こ とに は困 難 が あ る。 中村 元 は,毒 矢 の讐 え を挙 げ なが ら,釈 尊 の仏 教,原 始仏 教 で は来 世 につ い て議 論 す る こ と を禁 じて い る と解 釈 して い るが(中 村2P.203‑214),こ の こ とは三 世 の 生命 を前 提 と しない仏 教 もあ りう る とい う こ とを示 唆 して い る と筆 者 は考 えて い る。生 命 は今 世 限 りの もの で あ るか も しれ ない が ゆ え に,尊 重 さ
日本仏 教 と平 和 主義 の諸 問題(49) れ な けれ ば な ら ない とい う プ ラ グマ テ ィ ックな仏 教 が あ って もい いの で は ない だ ろ うか。 そ うす れ ば正 当 防衛 に関 して も,そ れ な りの正 当化 の理 論 が 可 能 に な るで あ ろ う。
さ らに ドミエ ヴ ィ ルが 指 摘 して い る こ とで あ る が,竜 樹 に仮 託 され て い る
「大 智 度 論 』 の 中 に は,殺 人 の 極 端 な正 当化 が 含 まれ て い る。 そ こで は,全 て の存 在 は空 で あ る か ら,不 変 の実 体 と して の衆 生 は存 在 せ ず,た とえ衆 生 を殺 して も,実 際 には な に もの も殺 して はい ない の で あ り,そ れ ゆ え殺 人 は生 じて い な い とい う議 論 が あ る。(注13)もし空 の 思 想 が 仏 教 の 重 要 な教 義 の一 つ で あ る と信 じる な らば,ど の よ う に して殺 生 を非 難 で き るの か疑 わ しい と私 は思 って い る。
も し仏 教 徒 が 平 和 と非 暴 力 を促 進 しよ う と思 うな ら,こ れ らの問 題 を解 決 す る必 要 が あ る だ ろ う。 この こ とは平 和 主 義 と両 立 しな い い くつ か の仏 教 的教 説 を明 確 に否 定 す る こ と を意 味 す る こ とに な るが,こ の理 論 的作 業 が ま じめ に行 われ てい る か ど うか は,私 には よ く分 か らな い 。
(注1)こ の発 表 原 稿 の 日本 語 訳 は 『東 洋 学術 研 究 第42巻 第2号 』 に,英 語版 は本 論文 の付 録 と して掲載 され てい る。
(注2)日 蓮 の伊 豆 流 罪 中 の著作 と され る 『顕 誇 法抄 』 に は,「 命 を絶 つ者 は この地 獄(筆 者注 等 活 地獄)に 堕 ちる。蝿 蟻蚊 な どの小 虫 を殺 した者 も俄悔 しな け れば,必 ず この 地獄 に堕 ちる。 … それ ゆ え現 在 の 日本 国の人 は上 一 人 よ り 下 万民 にい た る まで,こ の地 獄 を免 れ る人 は一 人 もな いだ ろ う。」(創p.443, 定P.248)と あ り,不 殺 生 戒 を犯 さ ざる を えな い生活 の現状 を指摘 してい る。
しか しその後 の議 論 の展 開 にお い て,日 蓮 は法華 信仰 に よ り,こ の罪 が消 える と主張 して い る。 この ような議 論 は,筆 者 の プ ラグマ テ ィズ ム的解 釈 にお い て は,法 華信 仰 を勧 め る ため の,理 論的 装置 と して不殺 生戒 を利 用す る とい う議 論 で あ り,何 らかの条件 をつ け て不 殺 生戒 を守 ろ うとす る議 論 とは まっ た く性 格 が異 なる。筆 者 は,不 殺 生戒 の 罪 を宗教 的 に解 消 させ るの では な く,人 が 守 るべ き倫 理 と して条件付 きの不 殺 生戒 をそ れな りに提案 で きるか どうかが,仏 教 に問 われ てい る と考 えてい る。殺 す こ とは,宗 教 的 の み な らず,社 会 的 に も 罪 な の だか ら,両 者 の次元 を関係 づ け る こ とが必 要 に なる。
(注3)例 え ば,平 和 運動 に熱心 な仏 教教 団 と して知 られ る立 正佼 成 会 のホ ームペ ー ジに掲 載 され て い る 「仏 教 の平和 観 『不 殺 生』 『非暴 力』 を第一 義 に」 とい
う立 正佼 成 会 会長 庭 野 日鑛 の論 文 で は,「 仏教 で は この不 殺 生 とい うこ とを一 番 の重 要 な戒律 と してい ます。 い の ちの尊 さ,尊 厳 を,教 えの根 本 に据 えて い るか らこそ,殺 し合い をや め て,尊 重 し合 ってい く大切 さを説 くのです 。 そ し て復 讐 的態 度,暴 力的態 度 を強 くい さめ ます。 国 際的 な緊張 が高 まってい る現 在 ほ ど,こ の不 殺 生,非 暴 力 とい う精神 を第0義 と した問題 解 決 の道筋 が求 め られ てい る ときはあ りませ ん。 … 私 は,昨 年 の米 国 同時多発 テ ロ事 件以 降,
『ま こ とに,怨 み は怨 み に よ って消 ゆ る こ とな し。怨 み は怨 み な きに よ って の み消 ゆ る もの な り』 とい う法 句経 の言葉 を,お 互 い さま,肝 に銘 じて学 んで ま い りたい と申 し上 げて きま した。 この こ とこそが,ま さ に私 た ちの 目指 す宗 教 的態 度 だ と信 ず るか らです。」 とあ り,テ ロ防止 の ため の軍 事 的行 動 さえ も否 定 し,絶 対 的平 和 主義 を主張 して い る と思 われ る。
あ るい は創 価 学 会 の ホ0ム ペ ー ジ に掲 載 され て い る 「不 戦 世 界 を 目指 して ガ ンジ ー主 義 と現代 」とい う池 田名 誉 会 長 の 講演 論 文 に は,「 短 い スパ ン (間隔)で 見 れ ば,ナ チ スへ の非暴 力抵 抗 の勧 め な ど,ガ ンジー の主 張 が あ ま りに も現実 離 れ した理想 論 に見 えた と きもあ ったで あ りま し ょう。 しか し,長 いスパ ンで戦後 の歩み を振 り返 ってみ れ ば,戦 火 の なか,自 由 と民 主 主義 は非 暴 力 に よっ ての み救 われ る とい う荒野 の叫 び を,倦 む こ とな く叫 び続 け てい た, ガ ンジ ー的 課題 を我 々が乗 り越 えた な どとは,と うてい言 え ませ ん。 む しろ, 世紀 末 を覆 う人 間不 信 のペ シ ミズ ム(悲 観 主 義)は,人 間へ の信 頼 を誇 らか に 謳 い上 げた ガ ンジー の透徹 した楽 観主 義 を肝 要 の課題 と して浮 か び上 が らせ て いる ように思 えてな りませ ん。 … アイ ンシュ タイ ンは 『われ わ れの時代 に おけ る最大 の政 治 的天 才』 とガ ンジー を称 えて お ります が,私 は,そ の 『われ われ の時代 』 を 『人類 史上』 と置 き換 えて も,決 して ほめす ぎに はな らない と 思 う一 人 で あ ります。」 とあ り,絶 対 的 非暴 力 を主張 してい るか の よ うで ある。
しか し他 方 で は2003年1月26日 の 「SGIの 日記念 提言 」 で は,全 体 的論 調 と して は ア メ リカの軍事 力優 先 主義 に対 して批 判 を加 えてい るけ れ ども,「 テ ロ行 為 は絶 対 に是認 され るべ き もので はな い。 それ と戦 うため に は,あ る場 合 に は武 力 を伴 った緊急対 応 も必 要 とされ るか も しれ ない 。 また そ う した毅 然 た る姿 勢 が テ ロへ の抑 止効 果 を もた らす とい う側 面 を全 く否 定 す るつ も りはあ り
ませ ん。 … 軍事 力 を全 否定 す る とい う ことは,一 個 の 人間 の 『心 情倫 理』
と して な らまだ し も,政 治 の場 で の オ プ シ ョン と して は,必 ず し も現 実的 とは い え ない で し ょう。」 と述べ て,ガ ン ジー主 義 の非暴 力 路線 とは整合 しない条 件 付 きの 平 和 主 義 を主 張 して い る 。
筆 者 は絶 対 的非暴 力 主義 者 で は ない か ら,後 者 の発 言 を支持 して い るが,前 者 の発 言 との整 合性 の欠如 には問題 が あ る と考 えて い る。仏教 は多 くの 人が実 際 には採用 しない絶対 的平 和主 義 へ の未練 を断 ち切 り,暴 力 の使 用条 件 を明確 にす る こ とに よ り,暴 力 の使 用 を制限 す る条件 付 きの平 和 主義 へ と転換 すべ き
日本 仏教 と平 和 主義 の諸 問題(51) であ る と筆 者 は考 えてい る。 なお 池 田名 誉 会長 は武 力行使 の ため の さ まざ まな 条 件 を挙 げ てお り,今 回 の ア メ リカの イ ラク攻撃 がそ の条件 を満 た さない こ と は明確 で あ る と筆 者 は考 え る。 したが って創価 学 会が 戦争 を容認 した公 明党 を 支 持 す る こ とには,平 和 主 義 とい う点 か らは,問 題 が 多い と筆者 は考 えて い る。
(注4)キ サ ラ は 「厳 格 な平 和 主 義 は,出 家教 団 や,共 同 体 的 集 団,あ るい は ドロ シー ・デイ(ア メ リカの第1次 世 界大 戦へ の参 加 に反対 して投獄 され た カ トリ ッ ク系 の社 会 運 動 家)の よう な傑 出 した個 人 に限 定 され る理想 と思 われ る。
ロー ラ ン ド ・ベ イ ン トンが 指摘 してい る ように,い わゆ る平 和 主義 的 キ リス ト 教 会,例 え ば再 洗 礼派,ク エ イ カー派,ブ レス レン派(兄 弟 団〉 な ども,社 会 の主流 派 の一部 とな る につ れ て,そ の平 和 主義 を妥 協 的 な もの に して い った」
(キサ ラP.9)と 述べ て いる。
(注5)ド ミエ ヴ ィル の この論 文 は1986年 に林 信 明 に よ って 『禅学 研 究第65号 』 にお い て翻訳 された。残 念 なが ら原典 が入手 で きなか っ たので,こ の翻 訳 を利用 す る。
注6中 村 元 は,聖 徳 太子 が仏 教 の 中 に,儒 教 的 な身分 倫 理 を持 ち込 ん だ例 をい くつ か 挙 げ て い る。 『勝 髪経 義 疏』 の 「尊 長」 とい う語 につ い て,吉 蔵 は 「尊長=
師,父,兄 姉」 とい う解 釈 を して い たの に対 して,聖 徳 太子 は 「尊 長=君,師, 父,兄 姉 」 とい う解 釈 を して い る。 「君」 の挿 入 に よ り身分 制 を重視 した聖 徳 太 子 独 自 の 解 釈 で あ る と し て 中 村 元 は 批 判 を 加 え て い る。(中 村1p.
169‑170}
(注7)現 代 の 日本 の仏教 者 が,聖 徳太 子 の和 の 思想 を仏 教 の平和 主義 の一 つ のあ り 方 で あ る と主張 してい る こ とは,筆 者 に は説得 力 が ない と思 われ る。 た とえば 立正 佼 成会 の ホ ームペ ー ジ に掲載 され てい る庭野 会長 の 「イラ ク問題 の早期 終 結 をめ ざ して 緊急 談 話」 の 中で,「 私 は今年 の方 針 の 中で,聖 徳 太子 が十 七 条憲 法 の 第一条 に掲 げ られ た 『和 を以 て貴 しと為 す』 とい う言葉 を紹介 させ て 頂 きま した。 『和』 の実 現 が,い まほ ど求 め られ てい る と きはあ りませ ん」 と 述べ てい る。
この 和 の精 神 に対 して,袴 谷 憲 昭 は 『批 判 仏 教 』 の 中で,「 これ(筆 者 注 第0条 の和 の精 神)は,宗 教 的信 条 を高 く掲 げた もの で は断 じて ない どころか, 銘 銘 の信 条 をか な ぐり捨 て て,い かに も長 い もの に捲 か れ て和気 蕩 々 と徒党 を
組 む か とい う結 束 主 義(syncretism)を 謳 い あ げ た もの な の で あ る」(袴 谷 P.285)と 批 判 してい る よ うに,和 の精神 の強 調 は,国 家 の行 う戦争 政 策 へ の 協 力 の正 当化 に もつなが り,結 果 的 に国家 政 策 に異論 を唱 えて反 対 す る こ とを で きな くさせ る とい う効 果が あ っ た。聖徳 太子 は議 論 を尽 くせ ば,お 互 い に理 解 しあ うこ とが で き,和 が実 現で きる と考 えて い た ようで あ るが,議 論 の結 果, 見 解 が最 終 的 に対 立 した場 合 は,ど うすべ きか,と い う,ロ ー ル ズが 『正義 論 』 で 論 じた 市 民 的 不 服 従 や 宗 教 的 信 念 に よる 良 心 的(兵 役)拒 否 の 問 題
(ロー ル ズp.281‑302)が 提 起 され て い る現代 にお い て,単 純 に聖 徳太 子 の和 の精 神 を強 調す る こ とは,あ ま りに も日本仏教 の平和 主義 の安 直 さを示 す もの で あ ろ う。
(注8)日 置英 剛 『僧 兵 の歴 史』 には,15世 紀 に作 成 され た 『慈 恵大 僧 正伝』 を引 用 して,「 文 殊菩 薩 の 円証 の本誓 を標 識 す る ものは,一 に利剣,二 に経 巻 で ある。
利 剣 は利 智 の用 をあ らわ し,経 巻 は智 恵 の徳 をあ らわす。 われ ら僧 徒 の学 ぶ経 文 は 中道 の 徳 これ に利 剣 の用 を加 える。 か くて こそ活文 殊 とい うべ し」 とい
う見 解が 慈 恵大 師 の言葉 で あ る と され る伝 説 を説 明 して い る。(日 置P.49‑50) (注9)今 谷 明 は,『 天 文法 華 の乱』 にお い て,法 華 一揆 が京 都 防衛,室 町幕 府 の細
川晴元 政権 へ の加担,一 向 一揆 との対 決,京 都 町衆 の 自治 権拡 大,税 金減免 闘 争 な どが 複雑 に絡 み合 った運動 で あ り,結 果 的 に は法 華宗 の 自治 権拡大,反 税 闘争 を嫌 った細 川政権 が,延 暦寺 の僧 兵 や一 向一揆 と手 を結 び,法 華 一揆 を裏 切 って弾 圧 した と して い る。(今 谷p.222)今 谷 は,法 華 一揆 は細 川 政権 の道 具 と して ピエ ロ的役割 を果 た した側 面 は否定 で きないが,早 熟 な宗教 的市民 運 動,革 命 運 動 と して の側 面 を も持 つ と して い る。(同P.246)ま た 「あ とが き」
で は天文法 華 の乱 は,ほ ぼ同時期 に フ ランスのパ リで生 じたセ ン ト=バ ー ソ ロ ミュー の大 虐 殺 と同様 に,新 教 に対 す る旧教,し か も権 力者側 か らの弾 圧 で あ る こ とを指 摘 し,そ の歴 史 的意義 を強調 してい る。(同P.259)
(注10)石 山力 石 は 「禅 僧 の社 会意 識 につい て」 の 中で,曹 洞宗 の著 名 な僧侶 とな っ た沢 木 興 道 が 日露 戦 争 にお い て,い か に敵 兵 を殺 繊 した か を記 述 してい る。
(石山P.176‑178)
(注11)こ の藤 井 の 日蓮解釈 に対 して,戸 頃重基 は 日蓮 が非暴 力 主義 者 で はな か った と して厳 し く批 判 を加 えて い る。 この論争 につ いて渡 辺宝 陽 は 「『立 正安 国論』
と和平 の希 求」 の 中で,戸 頃 の議 論 を容認 しつ つ も,立 正 安 国論 の趣 旨は,地 上 の和 平 の希 求 とい う こ とにあ った と して,日 蓮 な らび に藤井 を弁護 してい る。
(渡辺p.11)
(注12)日 蓮 は種 々御 振 舞御 書 の 中で,殉 教 を称 えて,「 各 各私 の弟 子 と名 乗 ろ う と す る人 々は,一 人 も臆 して はい け ない。 親 や妻 子 や所 領 を心配 して はい け ない。
無 量劫 の昔 よ り,親 子 のた め,所 領 の ため に命 をす てた こ とは大地 の微 塵 よ り も多 か った。 しか し法 華経 の ため にはい まだ一度 も捨 て てい ない 。法華 経 を多 少 は 修 行 し て も,こ の よ う な こ と が 出 現 す れ ば,退 転 し て し ま っ て い る。 … 各各 思 い切 りな さい。 この身 を法華経 に ささげ る こ とは,石 を金 に 代 え,糞 を 米 に代 え る よ う な もの で あ る。」(創p.910,定p.961‑962)と 述 べ て,殉 教 が成仏 に とっ て どの よ うな重 要性 が あ るか を述 べ て い る。 この殉教 へ の賞賛 は,自 爆 テ ロを聖戦 と して賞賛 す る イス ラム聖職 者 の発 言 と同様 な機 能 を持 って い る。
(注13)『 大 智 度 論』 に は 「菩 薩 は諸 法 が 不 生不 滅 で あ り,そ の本性 が み な空 で あ る