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「清貧の書」と「小区」:林芙美子覚書(5)

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「清貧の書」と「小区」:林芙美子覚書(5)

著者 森 英一

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 15

ページ 6‑10

発行年 1986‑01‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/7124

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『放浪記』正統の刊行は林芙美子を新進作家として登録した作品 であったが、同作は詩人・芙美子の素質と魅力が存分に発揮された ものであったp従って、小説家・芙美子の力量は次なる作品によっ て評価されることになる。詩人よりも小説家として認められるため には『放浪記』に続く小説が大切である、このことは誰よりも彼女 自身が知っていた。初めての新聞連載「春浅譜」が『朝日新聞』に 発表された時、芙美子はそれを十分念頭に置いていたはずである。 しかし、自ら告白するようにこれは失敗に終わった。カフェ女給の 塩子を中心に仲間のス討二愛人の秋尾や須藤-彼らの姿が躍動し ていない、塩子の自立心が浮いて見えるなどの欠陥に加えて、新聞 小説の性格を呑込んでいないための欠点も目立った。回と回との繋 がりが不自然であったり、回によって作品の濃淡がはっきりし過ぎ たりするのである。連載後まもなく「風琴と魚の町」を発表し、好 評であったが、おそらく「春浅譜」の失敗に懲りた芙美子は安全牌 を出す気持ちでこれを執筆した。尾道時代に素材を得るこれは明ら かに『放浪記』のヴァリエーションである。しかし、一度や二度の 失敗を恐れて安全牌ばかり出していたのではいけない、このように 考える芙美子は「清貧の書」(昭6.巴を執筆した。執筆後、直 「清貧の書」と「小区」

林芙美子覚書⑤

ちに渡欧した彼女は翌七年六月まで日本を離れていた。滞欧中は主 に紀行文風のものを発表し、その続篇とみられる「小区」は七年十 一月号の『中央公論』に掲載された。さらに、この二作と同傾向の 「魚の序文」(昭8.4)も発表され、以下、「鷲」(昭8.6) 「牝鶏」(昭、・5)と続く。これら諸作の中で、特に「清貧の書」 に芙美子は愛着を示した。たとえば、二冊目の短篇集のタイトルに これを採用しているし、〈自分の仕事としては『放浪記』につぐ、 初めての出発であり、この『清貧の書』は、私にとって非常になつ かしいものなのです〉(『昭和名作選集・清貧の書』昭u・5)と 語る。 「清貧の書」の主人公は〈私〉。二十一一一歳で、一一一人目の夫・小松 与一は画家である。〈私〉こと加奈代は〈根気のない淋しがりや〉 の女で、郷里には醤油だけをかけた弁当を持って働きに出かける義 父と母がいる。貧乏な生活を送る両親は同様な境遇にあるく私〉に 無心の手紙を送ってよこしたりする。〈私〉は以前、カフェーの女 給をしていたが、与一と一緒になってからは辞めた。与一は〈平凡 で誇張のない男〉であった。結婚当初は二階借りの家にいたく私〉 達は一軒家へ引越しをする。荷物といってもビール箱で作った茶碗 森英

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入れと腰の高いテーブルと蒲団と風呂敷包みに絵の道具だけである。 一軒家というものの、柱はグラグラ、天井から砂挨の落ちる荒屋同 然の家だがP樹木が豊富で、自然環境には恵まれている。 生活は一升の米を買うのにも貯金箱をはたかねばならぬ程の状態 で、赤いメリンスの帯や靴も屑屋に売り払い、飢え同然の日が続く。 そんなある日、与一は召集を受けて三週間の兵隊生活に出かける。 〈私〉は留守番生活の心細さに打ちひしがれそうになるが、あれこ れと留守中のことを気配りしてくれる与一に対して肉親のような愛 情を感じる。それまでの二人の夫に感じなかったものだ。与一は葉 書を頻繁に寄こす。それらを読んだ〈私〉は〈長い間、孤独のま、 にひねくれてゐた〉ことに気付き、与一の大きい愛情と思いやりに 涙ぐむ。J〈私】は女給は絶対反対という与一の忠告通り、屑市場へ 働きに行くことにした。与一の帰宅を待つ〈私〉はかってない楽し さで勤めに出かける。 「清貧の書」は文字通りの清く、貧しい生活を送る新婚夫婦の話 だ。一一一度目の夫を迎える〈私〉が〈ボロカス女〆〉と言って打榔さ れることもなく、むしろ〈あらゆるものへ絶望を感じてゐる〉状態 から引きあげられて、生きる希望を与えられるようになる。その経 過を装飾豊かな文章で綴った物語である。ここでは与一は〈私〉に とって善なるものの代表とみなされ、〈私〉を救ってくれる絶対者 に創造されている。しかし、読者にとって彼の一言一句が鼻持ちな らない気障な言い回しに映らないのはなぜだろう。それは作品が〈私〉 の視点で進行することと無関係ではない。〈私〉のかっての二人の 夫と正反対な存在が与一である。当初〈私〉は〈また、此男も私か ら逃げて行くのだらうか〉と思っていた。なぜなら、別れた二人の 男は〈金があると埒もなく自分だけで浪費してしまって食へなくな ると、そのウップンを私の体を打榔する事で胡麻化してゐた〉から。 しかし、与一は違っていた。金の有効な使い方を身をもって示し、 暴力をふるう前に言葉で理解させようとする。そういう与一の一挙 一動が〈私〉の頑なな態度を和らげて行く。従って、少なくとも作 中で与一に対する否定的な見方を〈私〉がしていない以上、〈私〉に 同化する読者は同様に与一に対して否定的にはなりえない。作品は 二人の出会いがどうであったとか、その時の二人は互にどう思って いたかとか精しい説明は一切省いてある。とは言え、そのことが作 品の完成度を低めてはいない。むしろ、この程度の分量では省いた 方が構成上、バランスを保つことになろう。 読者が〈私〉に同化して読み進むと言ったが、〈私〉の設定もま たその同化を容易ならしめるように工夫されている。〈私はもう長 い間、一人で住みたいと云ふ事を願って暮らした。古里も、古里の 家族達の事も忘れ果て、今なほ私の戸籍の上は、真白いま、で遠い 肉親の記憶の中から薄れかけようとしてゐる〉との冒頭部分を読み 了えた読者は、そこに正常ならざる〈私〉の存在を知り、興味を抱 く。さらに、その女が四年の間に三人の男の妻となったことを知り、 これからどん底の新婚生活を開始しようとしていることを知る。こ れだけの設定でも読者は頁を繰る糸口を与えられてしまう。まして や、故郷を離れたく私〉がただ一人母親と連絡を取り合い、手紙や 物品の交換をする。〈おとうさんも、ほんのこて、しんほうしなは って、このごろは、めしのうゑに、しょおゆうかけた、べんたうだ けもって、かいへいだんに、せきたんはこびにいっておんなはる。 五円なおくれんけん、二円ばいれとく、しんぼうしなはい。てがみ かくのも、いちんちが遥りで、あたまがいたうなる。かへろうごと あったら.二人でもどんなはい・はは〉l引用書れろ母のこんな

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手紙が読者と〈私〉との同化にどれほどの効果をあげているか、言 うまでもない。 なお、特高の連中が人違いで与一を連行しようとしたあと、〈小 さい頃、私の義父さんも、路傍に店を出して、よく××にピンタ殴 られてゐたけれどI全くこれより以上私達にどうLろって云ふ のン?〉と述べる箇所や、与一の応召直前の〈召集されて随分難儀 な家もあるんでせうね〉くあ、百姓なんか収穫時だ、実際困るだら う〉という言い方などにみられる社会的視野の拡がりも〈私〉の人 間性の一面を示す。しかし、この点に関しては過大評価するのは危 険で、小説のメインはあくまでも与一夫婦の清く貧しい新婚生活を 描くことにあった。〈私〉がいかに理想の夫を得、そのことによっ て自身の成長がどれほどみられたか、〈私〉から観た夫婦愛の誕生 とその讃歌、それが「清貧の書」である。 「小区〈まち)」は画家の与一と妻の〈私〉(ちよ)の夫婦を中 心に展開する。六年前、窪地の川添いの家に住んでいた頃は貧しい 世帯であったが、〈私〉は一年振りに外国から帰って来るという具 合に羽振りがいい。名前が与一で職業が画家、貧しい世帯から出発、 与一が予備で入隊、という共通点を持つことから「小区」を「清貧 の書」の続篇と先に述べたのだが、内容的にも夫婦愛を描く点で共 通する。作品は〈その朝は長いこと二人で云ひ争った後であったせ ゐか、今なほ息切れのするやうな疲れかたで、私は窓に免れてゐた〉 という書き出しで、以下、〈私〉と夫がどんな経過で仲直りをする のか、否、〈私〉がいかに高ぶった感情を鎮静して行くかが焦点に

なる。 仲直りを申し出、機嫌を取ろうとする夫と妥協しない〈私〉はし ばらく二階にとじこもった後、夜の街を散策する。途中、飼犬にエ サをやるため一膳飯屋に居る夫を見かける。帰宅してから、今度は 〈私〉が犬を連れて出かける。道すがら、骨董店で夫の欲しがって いた鏑を買う。翌朝、少しは元に戻りかけた夫婦だが、夫が外出す るというので〈私〉の気持ちはまた勘ねる。そもそも喧嘩の原因は、 夫が六年も住んだからこの家も引越そうか、と言った言葉に変に〈私〉 がこだわり、言い返したからであった。〈板につくと云ふ事は恐ろ しいぜ〉という言い方が、それまで常識人とばかり思っていた夫の ものだけに驚いたのであった。たったそれだけの事なのに二日に持 ちこした感情のもつれを、さすが〈私〉も無視するわけに行かず、 展覧会に落選した夫の仕事を助けるためにも居を移そうかと考える。 折から突然の大雨があり、辺りは一時停電する。夫は小区の外へ夕 食の魚を買いに出かける。たったカレイ三尾のために嬉々として帰 宅する夫を見て〈私〉はいよいよ引越しの決心を固める。 わずか二日間のいわゆる夫婦喧嘩の経緯を〈私〉の立場から叙述 したのが「小区」である。ちょっとした言葉の行違いと相手への甘 えから喧嘩となり、しまいに意地を張って謝ろうとはしない極く日 常的な光景がこの小説にはみられる。しかし、この種の他愛もない 喧嘩をくり返しては一人前の夫婦が仕上がって行くものならば、今 の場合も夫婦愛を変型ながらも描いていると言えよう。まして「小 区」を「清貧の書」の続篇とみなすと、ここには一組の夫婦の歴史 が刻まれてある。夫を絶対的存在だと思っていた妻が次第にその欠 点をみつけ出し、あるいは、夫の前で張っていた虚勢が失なわれて 行く、それらと共にくっきりと鮮やかになる二人の人間の生の姿が 浮き彫りになっている。「清貧の書」に一組の新婚夫婦が描かれ、「 小区」にその後の一人前の夫婦が描かれているのである。 両作の発表にはちょうど一年のインターバルがある。連作とは言

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え、この間の林芙美子の飛躍はめざましい。『放浪記』の亜流から 抜け出して自分なりの小説を書こうとの意欲の跡が十分にうかがい 知れる。そのことは両作を比較してみても納得できる。先に指摘し たように「清貧の書」が社会的視野の拡がりを示す言辞を若千含ん でいたにせよ、〈私〉の関心は殆んど夫と郷里にいる母に限られる。 逆にそのことが新婚夫婦の愛情の醸成に際して爽雑物を排除する結 果となるのだが。一方、「小区」の方はどうか。これは逆に夫婦以 外を貧欲に視野に収めることによって成功しているのだ。 夫婦の住む家を囲んで様々な職業の人間が住む。いわば窪地でそ

玄ち

れらが小区を形成している。古道具屋に下駄の歯入れ、按摩、駄菓 子屋が本職の紙芝居、風呂屋と下宿を兼業にする地主、瀬戸物屋等 々。これらの人々がひっそりとしかし助け合うように生きている。 都会の片隅にどこにでもありそうな新開のこの街はちょうど徳田秋 声の「新世帯」(明虹)を連想させる。隣りの家だけでなく、この 小区のどこに何が起こったかがすぐさま波動してしまう。〈私〉の 前の竹中氏の家では二階を夜店商人の老人夫婦が間借りするが、障 子を開けて荷造りをしているような風が〈私〉に見える。一ヶ月以 上も電気を切られ、一文の間代も入れず、一枚の着物を夜、洗濯し て朝着るのだというこの老夫婦は小さいリヤカーで去って行く。彼 らが出たあと、〈私〉と与一は〈片隅の生活者が、何故暮しむきが、 幸にゆかぬものかと〉話し合う。また、夜の散歩中に竹中氏の隣り 角の家、行商八百屋の松村氏の夫婦喧嘩を目撃する。子供が六人い て、汲々の生活を送っているくせに一合八銭の酒をひっかけて来る のが悪いと妻が言えば、〈おめい、たった一合だぞ、持って行った 冬爪がみんな売れたンで、八銭ふんぱつして酒食らったンぢやない かよ〉と夫がやり返す。物を投げつけるなど次第にエスカレートす る様子をみた〈私〉達はそれぞれ胸に応えるのである。 その松村の上さんが翌朝、別れの挨拶に来た。実家に戻るのだと 言う。〈私〉は五十銭玉を渡す。しかし、その夜、上さんは家にい た。後日もその金は帰って来ない。 こんな風に「小区」は〈私〉達夫婦以外の人間を冷静に観察する 〈私〉の眼が隅々にまで行き届いている。「清貧の書」と比較すれ ば格段の差がある。〈私〉は彼ら窪地の住人の言動を観察するだけ でなく、彼らから学んでもいる。学ぶことを通じて自身が成長する。 〈私〉の成長とは即ち作者林芙美子の成長である。『放浪記』にお いて女給仲間への愛情と理解をみせていた芙美子だが、全体として はやはり詩情が勝っていた。主人公のユニークさが突出していた。 しかし、今の場合は異なる。〈私〉の存在は窪地の住人達と切り離 しては考えられない。また、ことさら視点を一人称に設定しなくと も、三人称の小説にも十分なりうる出来栄えである。「清貧の書」 よりはるかに文飾が押さえられた文体になってもいる。発表当時、 室生犀星が〈彼女の文章はじみで少しも新しがらうとせずに、気質 のままに動いてゐる。それでゐて大して古くはない〉〈詩人になら なくてよかったと思うた。こんな文章では詩をかいたって録な詩が かけないからである。小説をかくやうに生れてゐる文章だからであ る〉(「文芸時評」昭7.m『新潮』)と批評したように「牡蠣」 (昭n.9)に向かって確かな一歩を踏み出した小説がここに誕生 したのである。 補注1「清貧の書」が第二短篇集『清貧の書』(昭8.5改造社) のタイトルになったことは本文中に述べた。同書は十四篇を 所収するが、発行年月に関係なく配列してあり、トップに「漬

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貧の書」を置き、ラストを「小区」「魚の序文」でしめくく る。こういう編集の意図にも明白なように、この三作に対す る芙美子の思い入れの程は相当である。 2「清貧の書」の成立に関して『林芙美子文庫・清貧の書』 (昭配)や『林芙美子文庫・風琴と魚の町』(昭皿)の「あ とがき」を参照すると、プーシキン作『オネーギン』に影響 を受けたことがわかる。この点について板垣直子『林芙美子 の生涯』(昭如・2大和書房)は入営した与一が妻あてに手 紙を送ることや、清く美しく温みのある全体の感じなどを類 似点として指摘する。しかし、私見によれば『林芙美子文庫』 本「あとがき」で〈小説と云ふものに、もしも、|つのスタ イルがあるとするならば、私の清書の書は最もそのスタイル を破ったものだと云へる。私は長い間詩を書いてゐたので、 小一説を書くと云ふ事は一種の苦痛をともなった〉と述べるよ うに、十四行を一詩節とする『オネーギン』のスタイルを第 一に芙美子は借用したのではないか。1からmまでから成り、 かつそれらを行分けしてあるというスタイルは短篇集『清貧 の書』の諸作をも初出のスタイルを変更して、それに倣わせ たほどである。第二に詩を書いていた彼女にとって『オネー ギン』の気障な言い方はさほど気にならなかったであろう。 「清貧の書」もかなり装飾豊かな文章で満ちている。なお、 この文章に関して一一一一口えば森田草平が〈出たら目を文章の中に 時々光った所も出てくるY(昭6.n.1『東京朝日新聞』) と批評していた。さて、板垣が言う〈清く美しく温みのある 気持〉は「清貧の書」の場合ならいざ知らず、『オネーギン』 に該当するかどうか。「『オネーギン』は勝利者であったオネ 1ギンが最後にみごとにタチヤーナによって敗北させられる 無残な物語と読みとるべきでないだろうか。そんな気持ちは 感じられないのである。 3本文中では一切ふれなかったが、「清貧の書」や「小区」 は林芙美子の実生活がモデルになっており、その意味では私 小説とみてもよい。しかし、作品と年譜とを照合してみると、 かなりの点で潤色が施されており、作品から逆に生活上の事 実を発見しようとする場合かなりの注意を要する。

(金沢大学助教授)

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