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グプタ碑文に見る
土地施与について(承前)
中イ
澤 浩 祐
第3章 施与文書の内容の検討
第一節 村落の施与を記す文書
村落の施与を記す文書の中、まず複数の村落を施与しているものをみると、上に見たように、
四ヶ村を施与するもの1点、二ヶ村を施与するもの3点であるが、その内容をみると、
:1]四ヶ村を施与している文書は、GE.246年の日付をもつGuhasenaが、 Dudda創建の大 僧院 (mahavihara)に 「諸方より来住せる18部に属する釈種聖比丘僧伽.
(nAn5digabhyfigata−A$tadaga−nik亘y−Abhyantara−§亘kyaryyA−bhikSu−samgha)に対し、
Samipattavataka村とMandali地区にあるNaddiya村とSahgamanaka村、そして DetakAharaにあるChossari村を施与したもの1表2、 III−9]で、衣・食・坐具・臥 具・医薬品等の供養のたあに施与したことを記している。
[2:二ヶ村を施与している文書3点は、
1)GE214年の日付をもつSarvanathaによるもの[表2,1−13]と、
2)GE.269年の日f寸をもつDharasena nによるもの[表2, ll−11]、そして 3)日付不詳のSiladit}・a 1によるもの[表2, ll−16]
である。
第一のSarvanatha発行のものは、王がPlindabhataの懇請により、 Vyaghrapallika 村とKAcarapallika村を施与しことを記す。これは、 MEnapuraの町に建てられること になった寺院の女神Pi$tapurikadeviへの礼拝と破損されたものの修理のために施与され たものであるが、 フリート (J.F, Fleet)によれば11、 Manapuraは中インド・
Baghelkhand県にあった1日Nagaud(Nagad)藩王国の領域内にある首都Uchahar5か ら南東の方向に約75.6km、 Kalitalaiの南東約132kmにあるSon河の近くのMAnpurに比 定している。
第二のDharasena H発行のものは、 Valabhiに軌範師・大徳Sthiramatiによって創建 されたSri−Bappapada僧院に「諸方より来住せる聖比丘僧伽」に対して、両親の宗教的 功徳と自らの今世と来世における幸福を得ることを願って、Hastavapra県内の MaheSvaradasenaka村とDharakheta−sthali(地区)内のDevabhadripallika↑寸を施与
28
法華文化研究(第27号)したことを記す。静谷氏の脚注によれば12、Hastavapraは、今のHathabであり、
Mahegvaradasenakaは、 Hathabの南西にあるMahadevapraであろうという。
また第三のSiladitya 1発行のものは、王自身が建立したVam§akata僧院に対して、
[Aksa]saraka県のVyaghradinn5naka村と同じ地区にある他の村(損傷のため判読で きない)を施与したものである。恐らく両親の宗教的功徳を増すことを願って施与された ものと推定されるが、[…puny−apyaya]を判読しうるのみである1 1。
〔3]一村落を施与する文書についてみると、
1)バラモンに対するもの 7点[表2,1−4,5、6,8,15,16,
V−2]
2)仏教僧伽あるいは僧院(vihfira)に対するもの
13点[表2,1−1,H−3,5,6,12,
17, 18, 20, 21, 22, 24, 25, 26,
皿一2]
3)ヒンドゥー寺院にたいするもの 2点[表2、1−9、10]
4)施与対象不明のもの 1点[表2,1−2]
となっているが、まず1)バラモンに対するものについて、その施与者によって分類する
と
a)Samdraguptaによるもの b)Hastinによるもの c)Jayanathaによるもの d)Si15dityaVIIによるもの となる。そこで内容を分析すると、
1点[表2,1−16]]
4点[表2,1−4,5,6,V−2]
1点[表2,1−8]
1点[表2,1−15]
a)のグプタ王SamdraguptaによるGE9年発行の文書は、 Bengal州Gaya県の主都 ガヤーで、カニンハムによって発見された。これはバラモンGopasvaminに対して、
ガヤーにあるRevatika村を施与したことを記している。
b)のパリブラージャカ王Hastinによるものは、①中インドのUchaharaの南西5km に位置するKhoh村で発見された文書が2点と、②同じくUchaharaの南西約4.8km にあるMajhgawamで発見されたもの1点である。③そしてもう1点は、
Madhyaprade§a州に位地していたNagaud藩王国内に比定されるNavagramaで発 見されたもので、いずれもバラモンに対するアグラハーラ(agrahara)として施与 されたことを記す。
①のGE.156年に発行されたものは、 Gopasvamin、 Bhavasvamin、 Samdhayapu=
tra、 Divakaradatta、 BhAskaradatta、 SUryadattaの6人のバラモンに対して、
グプタ碑文に見る土地施与について(承前)(中澤) 29
VasuntaraSandika村を施与することを記している。またGE.163年発行のものは、
バラモン・Devasvamin、 Sarvasvamin、 Gprisvaminら20人の学生に対して KOrparika村を施与することを記している。
2のGE.191年発行のものは、バラモン・Govindasvamin、 Gomikasvamin、
Devasvaminの3人の学生に対してVfilugarta村を施与することを記している。
3:.のGE.199年発行のものは、 Bhattα t ajriadhyasvAmin、 Gopayajfiasvamin、
Bhaζζa Sambhuyajfiasvfimin、 Bhaζζa Eganayajfiasvaminと某svaminら5人のバ ラモンに対して、Navagrama村を施与したことを記している。
c)のウッチャカルパの王Jayanathaによるものの内、
④GE.174年発行のものは、 Madhyaprade§a州Jabalpur地方にある主都 Mudwaraの北東約37㎞に位地する村Kalitaraiで発見されたもので、この村のヴィ シュヌ神殿の廃娃にあった小さな容器の中から発見された。これは、K菰va−gotra のバラモン・Mitrasvaminに対して、「自らの宗教的功徳を増すこと(sva−punya−
abhirvrddhaye)を願い」Candapallika村を施与したことを記している。
d)マイトラカ王SiladityaVIIによるGE447年発行のものは、 Bombay省Gujarstの Kaira県のNadi5d地区の主都ナディアードの北東約22.5kmに位地するAlma村で発 見された。 これは、Bhaqa Akhandalamitraに対して、 Khetaka一励haraの Uppalaheta−Pathaka道?にあるMahilabali村を施与したことを記している。
Akhandalamitraは、 Anandapraの住人であり、Bhalto Vi$nuの子であり、4ヴェー ダに通暁し、Sarkarak§i−gotraでBahvyca派の学生であった。この施与は「両親の 宗教的功徳を増し、王自身の今世と来世における果報を願って一(ma[t:apitror−
5tmanaSca punya−yasobhir vrddhaye dhik−amusmika−phalavapty−artham)なさ れ、またバリ(bali)、チャル(caru)など五大供犠のためになされたことを記して
いる。
つぎに2)仏教僧伽(sarngha)あるいは僧院(vihara)に対するものについて、その施与 者によって分類すると
e)Candragupta Hによるもの f)Mahasivaguptaによるもの g)Dhurvasena Iによるもの h)DhUrvasenaHによるもの i)DhUrvasenalnによるもの j)Dharasena nによるもの
1点[表2,
1点[表2,
1点[表2,
2点[表2,
1点表2,
2 ノ烹 :表 2 ,
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30 法華文化研究(第27号)
k)Si恒ditya lによるもの 2点[表2, H−17,18]
1)Siladitya皿1によるもの 2点[表2, ll−24,26]
m)A§arptikaによるもの 1点[表2, H−3]
となる。
e)のグプタ王Candragupta HによるGE93年発行のものは、中インドBhopal州 Diwanganj地区の首都ディワーンガンジの北東約19.3㎞に位地するSaficiで発見され た石柱である。これは、Kakanadabota−srl−mahavihara(大僧院)に、「四方来住の最 高の沙門の聖僧伽」(catur−ddig−abhyagataya−9ramapa−pungav−avasathay−aryya−
sahghaya)に対して、 ISvaravasaka村と25dlnarasを施与したことを記しているが、
特に寄付金25dinArasから得る利子の半分ずつをもって,それぞれ5人の比丘への施食 と宝殿(Ratna−grha)における灯明に資することを記している。
f)のMahasivaguptaによるものは、日付が不詳であるが、 Bilaspur県のMallarで発 見された。これは、静谷氏によれば14、「村と城塞の中間にある一寺院祉から発見され たもので、三個の銅板からなる」という。またMahasivagupta王は、七世紀前半に帰 せられると推定している。この銘文は、(Har§adeva)王の子であり、熱心なシヴァ神 信奉者であったMahasivagupta王が、母方の叔父Bhaskaravarmanのすすめにより、
Koradevaの妻AlakaがTaradam§akaに建立した「小僧院に住する四方の聖比丘僧伽」
に対して、TaradamSaka−bhoga内にあるKailasapura村を施与したことを記してい るという。
以下g)−1)まで、マイトラカ王によるものが6点あるが、
g)のDhurvasena IによるGE.216年発行のものは、「王の妹の娘Duddaが、 Valabhi に創建した僧院内の聖僧伽」に対して、「僧院の破損の修理と乳香、灯明の油、華、衣 食、医薬品の購入に資するのため」に、Pippalarunkari村を施与したことを記してい る。
h)のDhurvasena HによるGE310年発行のものは、 Pudda−vihara(僧院)の境内に含 まれる「Gohaka創建の僧院に止住する聖比丘僧伽」に対して、「諸仏世尊に華・香・
灯明等を供給し、僧伽に衣食・医薬品を具備せしめるため」に、Kalaka−Pa(haにある Bhasanta村を施与したことを記している。また、
i)のDhurvasena mによるGE.217年発行のものは、 Dudda−vihAraに対して、
Raksasaka村を施与したことを記している。さらに
j)のDharasena Hによるもの3点は、いずれもWa悟で発見されたもので、1点は発 行された日付が明らかであるが、他の2点は不明である。
①明らかなものは、GE.270年の日付をもつもので、 Duddfi−viharaに対して、「仏陀の
グプタ碑文に見る土地施与について(承前)(中澤) 31 礼拝と僧院の修理、比丘への衣食医薬品の供給のため」、Sudattabhaptanakaの近くに あるUttapalaka村を施与したことを記している。また日付不明のもののうち、
②前者は、Dudda−viharaの境内に含まれる「商人Kakka創建の僧院に対して、施与 が行われたことを記すが、詳細は不詳である。
③後者は、「四方来住の比丘僧伽」に対して、「仏陀の礼拝と僧伽の宿泊所や寄宿所など 僧院の修理のため」に、Hariyanaka村?を施与したことを記すが、施与の対象となっ た僧院の名は破損されているため不明である。
k)のSiltiditya 1によるGE.286年発行のものは、「僧院の修理と比丘への衣食医薬品等 の供給のため」に、Dudda−viharaに対して、 Pandarakupika?村を施与したことを記 している。
1)のSilAditya皿によるGE.343年発行のものは、 Dudda−vihAraのはずれにある「軌範 師Sthiramati僧院内に設けられたVimalagupta僧院に」対して、 BavaSanaka−sthali (地区)に含まれるSihanaka村を施与したことを記している。
m)のASamtika王によるものは、西インドのKarnataka州北Kanara県のHire Gitti で発見された。日付は不明であるが、ボージャ(Bhojas)人であるASamtika王が、
Kottipeggiliの要請によって、「聖僧伽」に対して、 Dipaka県のSundarika村を施与 したことを記す。
また3)のヒンドゥー寺院に対するものの内
n)JayanAthaによるGE.177年発行のものは、上に述べたように、中インドの UchaharAの南西5kmに位置するKhoh村で発見されたもので、 Sasataneya−gotraの 書記官(Divira)Sarva幅dha、彼の子ヴィシュヌの信奉者であるGarigaと彼の二人の 子RankabotaとAjagarud亘saの4人に対して、 DhavaSandika村を施与したことを記 している。そしてこの施与が、「自らの宗教的功徳を増すこと (sva−punya−−
abhirvyddhaya)」を願い、「バガバット(Bhagavat)の名の下にあるヴィシュヌ寺院 の修復とバリ、チャル、サットラ(sattra)等の五大供犠の維持のために」行ったこと を記す。
o)またSarvanathaによるGE.193年の日付をもつもので、 Tamasa河の北岸にある Asramaka村を4人に施与したことを記している。つまり、施与した土地の内、半分 をVi§ロunandinに、四分の一をSvaminagaの子である商人Saktinagaに、残りの四 分の一をKumaranagaとSkandanagaの2人に施与しており、この施与が、「ヴィシュ ヌ神殿と太陽神殿の修繕と、バリ、チャル、サットラ、薫香、華香、灯明の維持のため」
になされたことを記している。
さらに4)の施与対象不明のものは、
32
法華文化研究(第27号)p)Bengal州Patna県のBihalr地区の主都ビハールで発見された。日付は不明であるが、
グプタ王Skandaguptaの発行によるもので、 Skandaguptabataのある配分地とその 名が失われている村を施与したことを記している。
[4コ村落の半分等の施与を記す文書についてみると、
まず村落の半分の施与を記すもの2点は、Parivrajaka王によるものである。一つは SamkSobhaによるGE.209年発行のもので、中インドのKhoh村で発見された。この文 書は、女神Pi$tapuriの寺院に対して、 Manin2ga−PethaのOpani村の半分を施与したこ とを記している。そしてこの施与は「Chodugaminが建立したPi§Lapuri寺院の修繕と バリ、チャル、サットラの維持のため」であり、両親と自らの宗教的功徳を増し、天国へ の梯子を昇れるように願ってなされたことを記す。他の一つは、Sarvanatha i三発行のも ので、日付は不明である。これもKhoh村で発見された文書であるが、 Chodugomikaに 対して、VoLaに属するDhavaSandika村の半分を施与したことを記している。そしてこ の施与が「聖なる女神PiStapurikadeviの寺院の修繕とバリ,チャル,サットラの維持の ため」になされたことを記す。ところで女神Pi$Lapuriと女神Pi§tapurikadeviと二つの 女神の名が見られるが、フリートは15、「Pi§tapur1は、 PiStapuraのあるより有名な原始
神の地方名であり、明らかにヴィシュヌの妻Lak$miの地方形であり」、また 「Pi§tapurikadeviもヴィシュヌの妻LakSmiである」という。
つぎに村の半分と他の村の四分の一を施与する文書が]点あるが、この文書は、1905年 3月、Hira Lalによって、 MadhyapradeSa州Betul地方の主都ベトルで発見された。
Samk§obhaによるGE.199年発行のもので、バラモンBh頭us幅minに対して、
Prastaravataka村の半分とDvaravatika村の四分の一を施与することを記している。
第2節 土地の一部等の施与を記す文書
まず、土地の一部を施与しているもの]6点について、施与の対象と施与者によってみると、
[1]バラモンに対するもの a)Dhurvasena lによるもの b)Dharasena Hによるもの c)Siladitya Iによるもの d)Dhurvasena Hによるもの e)Silfiditya皿によるもの
[2]仏教僧伽に対するもの f)Candravarrnar1によるもの
占川
8
占川
7
2点[表2,皿一1,rv −1]
1点[表2,1−14]
1点[表2,m−3]
2点[表2,皿一4,IV−2]
2点[表2,IV−3,4]
1点[表2,II−1]
グフタ碑文に見る上地施与について(承前)(中澤)
g)Vainyaguptaによるもの h)Siladitya Iによるもの i)DharasenalVによるもの j)Srl−Dharanarataによるもの k)Varahadasaによるもの
[3]ヒンドゥー寺院に対するもの 1)Skandaguptaによるもの
占E
1
1点[表2,II−2]
2点[表2,ll 一 14,15]
1点[表2,H−23]
1点[表2,H−4]
1点[表2,H−19]
1点[表2,1−3]
33
となる。そこで、順にその内容について検討を加えていこう。
[1]バラモンに対するもの
a)Dhurvasena Iによるもの2点は、どちらもValabh1で発見された。 GE210年と226年 の日付をもち、前者はHastavapraの住人で、 Rg−Vedaに通暁せるGuhabhattiに対し て、「BhadrenikA村の南東の境界とNattakaputra村の境界と連結する200pada−t・artasの 七地」を施与したことを記している。また後者は、施与対象者の名が失われており、単に 「Anattapuraに住むバラモン」とのみ知られるが、「Sopokendramandaliの土地の数
padai,αrtas」を施与したことを記す。
b)Dharasena nによるものは、 K副hiawad半島にあるJunagadhの西約37kmに位地する M亘liya地区の主都マーリヤーで発見された。 GE.252年の日付をもち、 Unnataの住人で あるバラモンRudrabhatiに対して、「両親の宗教的功徳を増し、自らの今世と来世にお ける報いを得ることを願い」、そして5大供犠を維持するために,: Z/AntaratrA村の Sivakapadrakaという共有地におけるVirasenadantikaの所有地として知られる十地の 100padaz,artasas(未開墾の村に近接した土地)、そして西の境界にあるSkanbhasenaの 所有として知られる120padat,artasasとその東の境界の10padat、artasas,②東の境界にあ るDombhigrAma村のVarddhakiの所有として知られる9epadavartαsas,③西の境界に あるVαjragritmo村の最高級の場であるIOOpndava・rtasαsと長老 (Mahattara)
Vikidinnnaの所有として知られる2Spadavartasasの面積を持つ灌厩井戸と Bhumbhusapadrakaという共有地にあり、耕作者Botakaの所有として知られる100
ρ∂4伽αγ∫αsos及び灌洩井戸」を施与したことを記す。
c)Slladitya Iによるものは、 AnarttapuraからやってきてValabhiに住んでいる Bhattaguhaの子であるバラモンBhattiに対して、 r t北東地区にある女王Janika所有 のKalasamaka村のSihadattaが所有する120pa−daz・artasa∫,2北西地区にある同名の Sihadatta所有の土地の16pa.dat,artasasのエリアをカバーするMocanikaと呼ばれる灌 瀧井戸」を施与したことを記す。
d)Dhurvasena Hによるもの2点は、 Valabhiで発見されたものである。 GE.312年と313
34 法華文fヒ研究(第27号)
年の日付をもち、前者は、Girinagaraを去ってからKhetakaに住していたSkandavasu の子であるバラモンMatrakalaに対して、「Sfirasakedaraという開墾地」を施与したこ とを記す。この土地は、「①Girnar Hillの麓の町であり、KathiawadのJunagadhの北 東にある町Girinagaraと、②KairaとMehmedabad管区のKairaと同一視されるKheV aka,③Kaira県の一地区Konaka−pathakaと確定できないHastika−pallika村」によっ て境されている。また後者は、Velapadraから移住してGorakeSaに住していた2人のバ ラモン、すなわちSarmmanの子であるDevakulaと彼の甥でDattilaの子であるBhada に対して、「30スラーシュトラのVatapallika地区にあるBahumUla村の三区画と100 padavαrtαsasの土地、そして②同じBahumUla村の西地区の三区画と100pada−vartasas の上地」を施与したことを記す。
e)Siladitya皿によるもの2点は、ともにValabhlで発見され、ともにGE.346年の日付を もつ。前者は、Anandapuraを去って、当時Valabhiに住し、 Sridharadattaの子であ り、四ヴェーダに通暁していたYajfiadattaに対して、両親の宗教的功徳を増すことを願 い、「二つの階段付き井戸をもった二つの土地」を施与したことを記す。また後者は、3 人のバラモンに対して、両親の宗教的功徳を増すことを願い、施与したことを記す。すな わち、KuSahradaからやってきたDattulikaの子であるSomaと、 Girinagaraからやっ てきてSimghapuraに住している、 Bhatti Hariの子であるPittaleSvaraと彼の子Naga に対して、「二つの階段付き井戸をもった二開墾地」を施与したことを記す。
[2]仏教僧院あるいは僧伽に対するもの
f)Maurya王Candravarmanによるものは、 Goaで発見され、王の治世2年の施与を記 すが、書体上5世紀と考えられる。北Konkan出身のマウリヤ家は「lndorの近くの Omkar MandhataのKalacuri王朝の藩侯であり、次第に南Konkanへ拡大し、5−6 世紀にはGoaの北を支配していた」16という。これは、 Sivapra(現在のCandorの北 Shiroda)に位地する大僧院(Mahavihara)に対して、「Madasatrakaと名づける囲い 地(園)」を施与したことを記す。そしてこの上地は「北がNirkranthaの土地の休息所、
東は池の堤防の壊れた虎の石〈彫〉を境界として接する土地、南と西は山の滝」を境界と することを記している㌦
g)Vainyaguptaによるものは、東BengalのTippera県にあるGunaighar村の貯水池の 泥中より発見されたという。GE.188年の日付をもち、 Vainyagupta王が、大臣 Rudradattaのすすめで王自身と両親の宗教的功徳を増すことを願い、「聖観自在学問寺 (Aryya−avalokiteSvara−aSrama−vih5ra)」 の所領として、 r Uttara M頭dala内の Kantedadaka村の11paζαkaの未開墾地」を施与したことを記す。またこの施与が、「①仏
クプタ碑文に見る土地施与について(承前)〔中澤) 35 世尊に対し日に三度、香華・灯明・香煙を絶やさず、②比丘僧伽に対して衣食・臥具・医 薬品などを供し、③僧院の破損の修理のために」なされたことを記すが、施与の対象となっ た「聖観自在学問寺」は「大乗の不退転者の比丘僧伽(mahayanika−avaivarttika−
bhik$usamghanam−parigrahe)」であり、大乗者である釈種比丘・軌範師SAntideva (mahayanika−SakhyabhikSv−acaryya−)が創建したことを記している。
h)Siladitya 1によるものは、 Valabhiで発見され、 GE286年の日付をもつ。 両親の宗教 的功徳を増すこと二を願い、Vam§akata村内にあったVam§akata−viharaに対して、
「Ka正apaka−Pathakaに位地すると思われる上地」を施与したことを記すが、破損してい るため詳細は不明である。
i)DharasenaIVによるものは、 Valabhiで発見され、 GE.348年の日付をもつ。これは、
「両親の宗教的功徳を増すこと」を願い、熱心な仏教徒であったと思われる彼の大臣 Skandabhataによって建立された僧院に1ヒ住する「四方来住の大乗の聖比丘僧伽 (catur−digabhyagat−Arya−bhik$u−samgha)」 に対して、 [スラーシュトラの HestavapraharaにあるYodhavaka村の4区分一を施与したことを記す,そしてこの施 与が、「↑衣食・臥具・坐具・医薬品を供給し、2諸仏の礼拝、すなわち芳香剤、華香・
灯明を供給し、③僧院の修理のために」なされたことを記す。
j)Samatata(三摩理rUI屯)国の王Sri−Dharanarata王によるものは、東Bengalの Tipperah県Kailanで発見され、王の治世8年の日付をもつ。静谷氏によれば、サルカー ル(D.C. Sircar)は、書体一ヒ7世紀後半という。これは、平和と戦争を司る大臣 (mahasandhivigrahika)Jayan亘thaの要請によって、聖僧伽と複数のバラモンに対して、
「25palak aの土地」を施与したことを記す。そしてこの施与が、「L).仏陀への礼拝、仏典
の読請・書写、2聖僧伽への衣食・臥具等の供給、ぎバラモン達の五大供犠 (paficamahayajfia)のために!なされたことを記すが、仏教の僧伽とバラモンの両者へ の施与を記しており、静谷氏も指摘しているように|H、仏教とバラモン教とが習合してい ることがあったことを示している。
k)Garulaka王 VarahadAsaによるものは、 Wa恒で発見され、 GE.230年の日付をもつ。
塚本博士よれば、この王家は、「マイトラカ王家ドゥルヴァセーナ1の治下、samanta (藩侯)であり、Pahkaprasravanaを首都としていた」という1 。これは、商人Ajita創 建の僧院に住する比丘尼に対して、「Bhattipadra村の100pada」i・ aratanaL c の土地」を施与 したこと。そしてこの施与が「工比丘尼の衣食等の供給、2.仏陀世尊への香・灯明を具備 せしめるために」なされたことを記す,
[3]ヒンドゥー寺院に対するもの
1)Skandaguptaによるものは、北西州Gazipur県のSaidpurの主都サイドプルの北東約
36
法華文化研究(第27号)8㎞にある村Bhitariで発見された石柱である。日付は不明であるが、王の父の宗教的功 徳を増すことを願い、rSarngaという名のヴィシュヌ神像の造立とその像に対して、あ
る村(その名が失われている)の配分地」を施与したことを記す。
第3節 施与内容が不詳の文書
ここに取り上げる文書は8点であるが、施与対象によってみると、三つに分けられる。すな わち第一は、バラモンに対するもので、GE.381年の日付をもつ。 SilAdit.yalVが、 Anandapura からやってきてValabhlに住しているバラモンBaladitya?に対して、「両親の宗教的功徳を 増すことを願って」施与を行ったことを記すが、施与内容は損傷により不明である。[表2,
皿一9]、
第二は、GE.197年の日付をもつSarvanathaによるもので、コー村で発見されたが、第一 のプレートは失われており、施与の対象は不明であ。[表2,1−12]、
第三は、仏教僧院あるいは僧伽への施与を記すもので、6点ある。これらを施与者によって 分けると
〔1) Dhurvasena 1によるもの 1点[表2, ll−7]、
(2) Guhasenaによるもの 1点[表2, H−8,10]、
(3)Dharasena Hによるもの 1点[表2, H−13]
{4 ) Si IAditya皿によるもの 1点1表2, H−25,27]、
となる。
( 1 ) Dhurvasena lによるものは、 GE.217年の日付をもち、 Dhurvasenaの妹の娘Dudda創 建の僧院内にある、軌範師・大徳Buddhadasa創建の僧院に対して施与を行ったことを記す。
筆者未見。
{2}Guhasenaによるものは、 GE.240年の日付をもち、「DuddA創建の僧院に住する聖比丘 僧伽」に対して、ある村(名は失われている)を施与したことを記す。そしてこの施与が「工 僧院の修理、②比丘の衣食供給、③仏陀礼拝のための諸献供物調達、④正法の典籍獲得
(saddharmasya pustakopakra……)のため」であることを記すが、 BUIerは、ヴァラビーの 僧院が図書館を持っていたことを示すものとして注目している。またGE248年の口付をもち
「(Bhatarka創建の僧院に)Mimm五創建のAbhyantarika僧院に住する「諸方より来住する 18部に属する聖比丘僧伽」に対して、Bahumttla村に居住する農夫SyamaOeraと牧人Chedd vaka、漁夫Astraの3人の所得を施与したことを記す。そしてこの施与が「食物、衣食、医 薬等の確保のため」であることを記す.
(3) Dharasena llによるものは、 H付不詳であるが、「Dudda創建の僧院に属するNlankil種 姓のvanija(商人)Kakka創建の僧院に対して、若干の村を施与しことを記す。
グフタ碑文に見る土地施与について(承前)C中澤) 37 〔4 ) Siladitya Mによるものも日付不詳であるが、「Dudda創建の僧院に四方より来住の聖比 丘f曽{加 (Duddakarita−]⊇uddavihara−nivasi [vihara−nivasi] −caturddiS員bhyagat−aryya−
bhiksu−sathghaya)tiに対して、「工住僧の臥具・坐具・衣食・医薬品等の供給、2.仏陀の供養 のための香・華・灯明等を供給するため」に施与したことを記す。またのGE.343年の日付を もつものは、「軌範師Sthiramati創建のSthiralnati僧院に対して施与したことが知られるが、
その内容については不詳である。
第4章小結
k地の施与を記した銅板文書が頻繁に見られるようになったのは4世紀以降であるというが、
グプタ期に施与文書における記載事項が定式化、画一化されるようになったという。つまり施 与文書は、前文、主文、後文の3部分からなる.前文には、祈願、発令地、施与者、施与する 村落・十地の官吏・村民などへの施与の告知が記され、主文には、施与する村落・土地、被施
与者、施与の目的と動機、被施与者の特権、そして後文には、命令の遵守、未来の支配者への 要請、施与の功徳と命令を破ることの罪悪、発令の日付、文書作成にかかわった者の名と文書 の確認が記されているという㌔
さて、文書には、施与者を記すに当たって、施与者の祖先について、彼らの事蹟や行為など をも記しているので施与者の系譜を知ることができる、本稿で検討を加えた文書は、上に見た ように、6点を除いて、Gupta正、中インドのParivrajaka王とUcぐhakalpa王、そして西 インドに栄えたValabhi王の発令によるものであるが、ここではこれらの王家の系譜を記す
ことは省きたいL,lt。
まず、被施与者についてであるが、二1コバラモン、:2]仏教僧伽或は僧院、13]ヒンドゥー 寺院の三つに大別された。:1]バラモンに対するものは18点、そのうち村落の施与を記すも の9点、土地の施与を記すもの8点、施与内容が不詳のもの1点である。彼らは、種姓
(gotra)とヴェーダの所属学派(sakhas)、或はそのいずれか、父の名、さらには彼らのもと の居住地と現在の居住地を記している。施与の対象となったバラモンの名が明瞭に知りうる者 は延べ56名である。このうち、gotraとヴェーダの所属学派が明記されているものは15あり、
gotraのみが記されているものが2ある。そしてgotraについては、 Kautsa、 Bh亘radvaja、
V五sula、 Anupamanyava、 Kanva、 S亘sataneya、 Vatsa、 SArkarakSi、 Parasara、
Bharggava、 G副gyaの11種姓(gotra)が知られる。また、ヴェーダ学派については、
Vajasaneya−Madhyarユdina (Vajasaneya)、 Katha、 Candoga−Kauthuma、 Valasaneya−
Kanva、 Bahvl℃a、 Kauthuma、 Candogyaの7種が知られる。さらにgotraのみを記してい るもの2つの内、一つはGE.177年の日付をもつJayanathaの文書に、施与の対象として吾
記Z)fz,〃o Sarvav烈dhaと彼の3人の了すなわちB/zδgω・耐o Gaiiga、 Rahkabota、 Ajagard治a
38 法華文化研究(第27号)
が記されているが、ここにgotraとしてSasataneyaが見られる。後者については、 GE.210 年の日付をもつDhurvasena lの文書に、バラモンGuhabadattaのgotraとして、
Bharggavaが見られる。なお、年代が降るにつれて、被施与者に関する記述は詳しく、多人 数のバラモンに施与されたときは、名とgotra、或は名だけが記される傾向がみられるといわ れるがL 1、これを踏まえれば、本文書の被施与者に対する記述は、どちらかというとその初期 に属するものといえよう。
さらに旋与の対象となったバラモンの居住地を記した文書が10点見られる。すなわち
<1>Anandapraの住人であるAkhandalamitra
<2>Hastavpraの住人であり、Rg−vedaに通暁せるGuhabatti
<3>AnattaPraの住人であるバラモン(失名)
〈4>Unnataの住人であるRudrabhUti
〈5>AnaruttapraからやってきてValabhiに住しているBhatti
〈6>Girinagaraを去ってKheLakaに住していたMatrfikala
[表2, 1−15]
[表2,IV−1]
[表2,皿一1]
[表2,1−14]
[表2, III−3]
[表2,IV−2]
/7>AnandapraからやってきてValabhiに住しているバラモンBal亘ditya?
[表2,IV−5コ <8>Velapadrakaから移住してGorake§aに住していたDevakulaとBhada
[表2,皿一4]
〈9>Anandapraを去ってValabhiに住し、四ヴェータに通暁していたYajfiadatta [表2,IV−3]
(10>Ku§ahradaからやってきたSomaとGirinagaraからやってきてSimghapuraに住 しているPittaleSvaraとその子Naga [表2, IV−4]
と。これらから言えることは、以前の居住地を示すと思われる記述が6例あり、さらに「Rg−
vedaに通暁せる」「四ヴェーダに通暁していた」とある記述からすれば、旋与対象となったバ ラモンたちはヴェーダに通じた者でもあったが、まず居住地を得て生活の安定を得たものと思 われる。そしてバラモンたちを王国の領域内に住まわせることの意義については、「一般的に いえば、バラモン王朝の領域支配の一翼を担わせ、地域社会における法と秩序の維持にあたら しめることにあったのであろう。」という㌔
つぎに[2]仏教僧院あるいは僧伽に対するものは29点、そのうち村落の施与を記すもの18 点、k地の施与を記すもの7点、施与内容が不詳のもの4点である。これら施与の対象は、
(一)僧院(vihara)に対するもの 15点 (二)僧伽(sangha)に対するもの 14点
に大別されるが、僧院については16の名が知られ、四つのグループに類別される。すなわち 1)Dudda僧院内にあった僧院
グブタ碑文に見る圭弛施与について(承前)(中澤) 39 Dudda、 Abhyantarika、 Kakka、 Gohaka, Buddhadasa、 Battarkaの各僧院 2)Sthiramati僧院内にあった僧院
(acarya)Sthiramati、 Vimalaguptaの各僧院 3)YaksasUra尼僧院内にあった僧院
YaksasUra、 PUrnabhattaの各僧院 4)その他の僧院
Skandabhatta、 Ajita、 VamSakata、 (acarya, bhadanta) SthiramatiL 、 Sri−
Bappapada、 Sivapra、 Alakaの各僧院
であるが、就中、尼僧Mimm百によって創建されたAbhyantarikaとSiladitya Iによって創 建されたVarn§akataとYaksasUra、 そしてDhurvasena llによって創建された P亘rnabhattaと商人Ajitaによって創建されたAjitaの各僧院は尼僧院であったことが知ら
れる。
つぎに、僧伽については、次のような記述が認められるが、煩をいとわず列記しよう。
(U「四方より来住の最高の沙門の住する聖僧伽」 [表2,1−1]
〔2)大乗者たる釈種比丘・軌範師Santideva(mahayanika−Sakya−bhiksu Santideva)が 樹立せる 「大乗の不退転者の比丘僧伽(mahaysnika一くla>vaivarttika−bhik$u−
sahgha)」 [表2, ll−2]
〔3)「聖僧伽(員ryya−sahgha)」 [表2, III−3,4,]
〔4) AlakaがTaradamSakaに創建した「小僧院に住する四方の聖僧伽(nivEsi−caturdiSa−
aryya−bhikSu−safigha)」 [表2, H−5]
〔5)「聖比.丘僧伽(aryya−bhikSu−samgha)」 [表2, ll−6]
〔6)pudda創建の僧院に止住する「比丘僧伽(bhik§u−samgha)」 [表2, H−8]
〔7)「諸方より来住の十八部に属する釈種比丘僧伽(nsnadigamyagata−a§tadaSa−nikAya−
abhyantara−9五kya−aryya−bhikSu−sarngha)」 [表2, 1−9]
(8)「諸方より来住の十八部に属する聖比丘僧伽(nanadigabhyagata−aStada§a−nikAya−
abhyantara−aryya−bhikSu−samgha)」 [表2, H−10]
(91Pudda僧院に属する某僧院に(Pudd亘viharasya abhyantare……lakarita−vihare)……
r四方より来住の聖比丘僧伽(caturddigabh}・agata−aryya−bhiksu−samgha)」
1表2,H−12,15]
CIO) Yaksasura創建の僧院に住する「比丘尼僧伽」 [表2, n−17]
⑪Yaksasura創建の比丘尼僧院に「四方より来住の比丘尼」 [表2, ll−18]
aZ Gohaka創建の僧院に止住する「聖比.丘僧伽」 [表2、 H−20]
03 divirapati Skandabhatta創建の僧院に「四方より来住せる大乗の僧伽(……karita一
40 法華文化研究(第27号)
vihara−nivfisi−gabhyagata−aryya−bhikSi−samgha)」 〔表2, H−23]
これによって見ると、
①聖僧伽、2聖比丘僧伽、③比丘僧伽、④比丘尼僧伽、⑤四方の聖僧伽、
⑥四方より来住の聖僧伽、⑦四方より来住の聖比丘僧伽、⑧.四方より来住の比丘尼*、
⑨諸方より来住の十八部に属する釈種比丘僧伽 ⑩諸方より来住の十八部に属する聖比丘僧伽 ⑪四方より来住せる大乗の僧伽
⑫大乗の不退転者の比丘僧伽
と12種の表現にまとめられるが、さらに集約すると、
a.聖僧伽、b.聖比丘僧伽、 c.比丘僧伽、 d.比丘尼僧伽、
e.釈種比丘僧伽、f.大乗の僧伽、
の6種となる。このことから、当時の僧伽は、比丘と比丘尼の僧伽に分かれており、また部派 の僧伽と大乗の僧伽が存在していたことが知られる。
また[3]ヒンドゥー寺院に対するものは6点であり、そのうち村落の施与を記すもの5点、
土地の施与を記すもの1点であった。これらは上に見たように、Pistapurlまた PiStapurikfidevi寺院への施与を記すもの3点であり、Chodugaminの懇請によって、或は Chodugamikaの懇請によって寺院へ、またPlindabhaLaからKumarasvAminそして寺院へ、
という経路をたどって譲渡されたことが記されており、しかも施与者の懇請を受けて王が発令 する形態をとっている。他の3点は、GE17年の日付をもつJayanatha発行の文書に、
Bhagavat−pada と記されているようにヴィシュヌ(lv「i$rpu)神の寺院のため、或は太陽神
(Aditya)の神殿や神像造立のために旋与したことを記している。
ところで、村落の旋与とil地の旋与との内容にはどのような相違があったのであろうか。こ れら村落あるいは土地の旋与は上に見たように、バラモン、仏教僧院あるいは僧伽、ヒンドゥー 寺院に対するものであり、王の長寿や名声、現世と来世における宗教的功徳を増すためや僧院・
寺院への華香燈明の供給また修理のためなどの宗教的日的をもってなされているが、後に述べ るように、この旋与によって租税を免除するなどの特権をあたえており、一般にアグラハーラ
(agrahara)とよばれた。またバラモンに旋与された村落やtl地をブラフマデーヤ
(brahmadeya)あるいはブラフマダーヤ(brahmadaya)と呼び、ヒンドゥー寺院に旋与さ れた村落や土地をデーヴァデーヤ(devadeya)あるいはデーヴァダーヤ(devadaya)とよん でいる㌔
また旋与は王自身によるものが殆どであるが、村落・十地の旋与が懇請される形をもってな されたことを記す文書が6点見られる。すなわち、
「1」GE.214年Jayanatha発行のもので、 Plindabhataの願い(prasadikl・)により、
グプタ碑文に見る1弛施与について(承前}1中澤) 41
Kumarasvaminに対して [表2、1−13]
「2」GE.191年Hastin発行のもので、 Hastin王の妃であるMahadevidevaの懇請 (Vijfiapti)により、3人のバラモンに対して [表2、 H−6]
ご3.日付不詳であるがASarptika発行のもので、 KotLipeggiliの懇請(abhyartthya)に より、一個の僧院(svavih5ra)に対して [表2、 ll−3]
「4」日付不詳であるがSarvanatha発行のもので、 Chodugomika要請(abhyartthya)
により、聖なるPiStapurikadevi寺院に対して [表2、 n−ll]
−51GE.188年Vainyagupta発行のもので、大臣Rudradattaの要請(Vijiapya)によ り、大乗の釈種比丘・軌範師(mah員yanika−SakyabhikSu−acArya)Santidevaのた めに、聖観自在菩薩学問寺(aryya−avalokiteSvarasrama−vihara)に対して :表2、H−2]
「6」治世8年の日付をもつSri−Dhfirananatha発行のもので平和と戦争を司る大臣 (mahasandhivigrahika)Jayanathaの要請により、聖僧伽と複数のバラモンに対 して、 [表2、H−4]
と、懇請者の願いを王が受け入れ、王の名の下に発令されていることを記している。これによっ てみると、懇請者の内訳は、発行者であるfの妃であるもの1点、王のおじである者1点と、
いわゆる親族であり、また大臣である者2点、その他2点であるが、旋与が王族や官吏などの 懇請によって行われたことを示している i±。
土地の旋与は、Maliya、 Gupaighar, Wala出土の碑文等1表1−14、 n−2、W−21に みられるように、旋与する土地と境を接する村との境界を記している,ここでは、まず Maliyaで発見されたGE.252年の日付をもつDharasenaが発令した文書に記載されている例 を挙げると、Unnataの住人であるバラモンRudrabhUtiに対して、 Alltaratra村内の次のよ うな土地を旋与したことを記している。すなわち、
Sivakapadraka共有地内の
a.Virasemadantikaの所有である未墾地の村に近接した土地の10epitdavartasasとこ
の西側にある15Pc−tdai,artasas
b.西の境界にあるSkanbhasena所有地の120padat・artasasとその東の境界にある10
Pa−.davartasas
c.東の境界にあるPombhigramaのVadhakiの所有地90餌d∂t,αrταsαs
d.西の境界にあるVajragramaの最高級の場所である100padnvartosasと長老
Vikadinna所有地内の28ρOdαz,αr/αsα∫の面積をもつ灌概井戸
Bhumbhusapadraka共有地内の
e.耕作者Bota所有の土地IOOpadぼi・artαsas
42 法華文化研究(第27号)
とある。つぎにGun司gharで発見されたGE.188の日付をもつVainyaguptaが発令した文書 に記載されている例を挙げると、大乗の釈種比丘・軌範師(mahayanika−Sakyabhik$u−
acarya)Sfintidevaのために、「大乗の不退転者の比丘僧伽(mahfiyanika−〈a>vaivarttika−
bhik$u−sangha)」聖観自在菩薩学問寺(aryya−avalokiteSvarasrama−vihara)に対して、
Uttara Mandala内のKantedadaka村における11paζakasの未墾地を旋与したことを記して いるが、その旋与地について、それぞれの区画の境界を東西南北にわたって記している。すな わち
a.第一区画 7patαkasと9droηavaPαsの広さ
東は、Gunikagrahara村および大工Vi§nu所有地の境界 南は、Miduvilala(?)の土地および王立仏寺所属地、
西は、Surinasirampumnekaの上地
北は、Dosi−bhogaの貯水池と……vampiyakaおよびAdityabandhuの(?)土地 b.第二区画 28dronavaPas
東は、GurpikAgrahfira村の境界 南は、Pakkavilala(?)村の土地 西は、R♂javiharaの土地 北は、Vaidyaの所有地に接する c.第三区画 23drorpavapas d.第四区画 30droηavapαs
e、第五区画 1と4分の3pa takasの広さ
f.第六区画 聖観自在学問寺に属する「低い土地」の境界線 東は、CudAmaniおよびNagarasrlにある船着場を結ぷ水路 南は、GaneSavaraの貯水池に続く水路、
西は、PradyarpneSvaraの神殿所有地の端、
北は、Pradamara港に続く水路
g.第七区画 精舎の入り口右にある湿地と不毛地の境界標識 東は、Pradyumnegvara神殿所有地の境界
南は、釈種比丘・軌範師Jitasenaの精舎に属する土地の休息所 西は、Hacatta川
北は、Daodaの貯水池
と、どちらも詳細に旋与する土地の広さを記し、また後者のf、gに見られるように境界の標 識となる場所を記している。これらから王が自ら所有したt地のみならず、王の土地ではない 土地、つまり前者d.の「長老(mahαttαrα)」、「耕作者」とあることよりすれば村民の所有
グプタ碑文に見る上地施与について(承前日中澤) 13 であった土地をも旋与したことが窺え、さらには灌概井戸をも含んで旋与したことが知られる。
また後者の記述に未墾地[表n−2]とあり、GE.312年と346年の日付をもつDhurvasena H とSiladitya皿発行の文書に開墾地[表IV−2,3:とある記述よりすれば、旋与した土地は未 墾地と開墾地さらには花園などであったことが知られる。未墾地について山崎氏は「これはも
ともと村民の権利が不明確な土地であったか、王朝の権力の浸透にともなって一Eの所有に帰し たところか、あるいは征服や開拓によって王が領有していたところであったと思われる」とい
う㌔
つぎに村落旋与の実態について、山崎氏によれば「四世紀以後においては、}三朝の手によっ て開拓された村落を与えたというより一般的には普通の村落を与えたのであり、村落旋与は主
として村落から徴収される租税を与えることを内容としたものであった.のであり、そのこと は銅板文書に見られる事例から知られるという。つまり、
1) 村落の半分あるいは一定分を旋与したというのは、村落から徴収される租税の半分あ るいは一定分を与えた事を意味する。
2) また複数のバラモンに旋与した例が多く見られるが、これらのバラモンー人一人が租 税から享受する分が記されているが、土地旋与の場合には、享受する分についての記載 を見出すことはできない。
3) 五・六世紀オリッサの文書では、旋与村落は、租税をすべて免除してヒ級の行政区画 から離してアグラハーラの所轄に移したことを記しているが、十地旋与の場合には、旋 与された±地は同じ一群の他の」二地から離すことが記されている。
4) 村落あるいは}二地旋与を記す文書には、以前にバラモンやヒンドゥー寺院に旋与した 土地を除外するという慣用句が記されているが、除外の理由は、前者の場合はすでに被 旋与者が租税免除の特権をもっており、重ねて徴税できないことによるのであり、後者 の場合は以前の旋与の権利を没収するか、新しい旋与を無効にするかどちらかにしなけ ればならない。したがって後者の場合には、この語句は意味をもたない。
と4項を挙げて、村落旋与は上地旋与と区別されるべきものであることを述べている(要
約) /1
さて村落・土地の旋与文書には、その特権と共に権利譲渡が記されている。すなわち譲渡し た権利は、王の子孫や他の支配者たちや被旋与者の子孫たちにも保持され享受されるべきこと、
そしてk地やその裂け目も含んで旋与地からあがるすべての収入・租税を譲与することを述べ ているが、これらは次のような特権によって保証されていた。具体的にはl
A.その土地からあがる個定税(udrahga)、小税(uparikara)、地税(bhaga)、人頭 税(karairanya)、金(hiranya)・穀物(dhanya)などの賦課金等々すべての税を 譲与すること
44
を明示している。
屠殺者と同様の罪を負い、
如上に見てきたように、土地の旋与は旋与する土地の境界を記してその土地の所有権を与え、
村落の旋与はその村落から得られる収入つまり徴収される租税を与えていることが知られるが、
いずれにしても、被旋与者であるバラモンや比丘たちはこれらの特権と権利の譲与によって生 計を保証されていたのであり、またヒンドゥー寺院や仏教僧院の場合には、バリ(1〕ali)、チャ ル(caru)などの五大供犠や祭式、僧院・寺院などの修繕に供していたことが知られるので
ある。
最後に旋与の目的・願文、旋与者について検討すべきであるが、別の機会に稿をゆずりたい。
法華文化研究(第27号)
B.盗人を除いて地方の警備を職務とする下級官吏33(cata−bhata)の村落・土地への立 ち入りを許さないこと。
C.小作人に課せられるべき労働に賃金を支払わない権利とともに、一切の行政税が執行 されないこと、つまり無償の強制労働など賦役を免除すること
D.村落の通行税や果実などの的的な税、風など(自然現象に託されること)から生ずる 収入を譲与すること
E.十悪業を罰し、科料を課する権利を認めたこと
しかもこの文書を没収し、また没収する行為を認めたものは、f万頭の牛の 6万年の問地獄に堕ちることを法典の規定によって示している。
注
11 See J. F. Fleet,0/).(ゴτ.,p.113,n.2.
12 See 静谷目録177, n.2.
13 See IB、BRAS一八iS.,pp.32ff.
14 See 静谷目録86,
15 See J. F, Fleet, op.cit.、p、113.n.2,
16 See 塚本啓祥著「インド仏教碑銘の研究1』平楽寺書店、1996,p.396。
17 See ibild.,p.397.
18 See 静谷71&塚本啓祥、前掲書p.176.
19 See 塚本、前掲書p.529.
20 塚本、同上p.529.n.2おいて、 GadreがRaiBahadurの説明を引用していることを紹介し ている。
それによれば、「Pa davαrtαnaはKathiawar出土の一ド付証書に一般的に用いられる古い土 地測量の単位で、hundred padavratαsは一辺百フィート平方の広さの土地を意味する二と いう。
なおGadre:Buddhist lnfluence in Gujarat and Kathiawad JGRS vo1.1.no.4、1939を参照。
グプタ碑文に見る1二地施与について(承前)(中澤) 45 21塚本、同上p.542による。
22See山崎利男「インド銅板文書の形式とそのはじまりについて」(「東洋文化研究所紀要」
第73冊、昭和52年)、pp.189ff.
23See拙稿「ヴァラビーの仏教について」⊂法華文化研究』昭和52年)創刊号.pp.111ff.;
「中インド発見のグブタ碑文について」(「山梨学院大学一般教育部論集』、昭和54年)第2号、
PP,13ff.
24See 山崎]vg一十二世紀北インドの村落・−f二地の施与」p.58.
25See l11崎、同ヒ論文、 p.60.山崎氏は「バラモンの性格から考えて、このような旋与の意 義は、バラモン文化が十分に扶植されていない未開な地域においては、バラモンをして、か れらの宗教社会秩序の理念とを持って住民を教化し、未墾地の開拓をはじめとして地域の開 発にあたらしめることにあったと思われる。」と述べている。
26 See 塚本、前掲書p.527.℃E.343、356の日付をもつ文書に見られるSthiramativihara の建立者Sthiramatiと、 GE.269の日付をもつ文書に見られるSri−Bappa恒daの建立者 Sthiramatiとは別人であるという。」なお静谷177では このSthiramatiは楡伽派の学匠 安慧かもしれないという。」
27 See 山崎、前掲論文、 pp.44ff,
アグラハーラの語は3世紀以前の資料には見られないが、ブラフマデーヤの語は3世紀以前 の著作にも見出され、グプタ朝以後の碑文にもよく記されているという、さらにこのような 旋与が始まったのはガンジス中流域において土地私有制が成立した頃から始まったと推測し、
2世紀前半のマハーラーシュトラの仏教石窟のサンガに旋与したことを刻したサータヴァー ハナ朝の碑文の記載形式が整い、譲与した特権の記載がほぼ一定していることから、このと きすでに村落や土地の旋与が制度化されていたことを示しているという。
28 同上論文、p.60.旋与者、「懇請者」はどのような者であり、「懇請者」は自ら領有してい た村落や土地を旋与したのか、あるいは王に対して金銭を払って懇請したと考えるべきか、
検討する余地のあることを述べている。
29 同上論文、p.51,
30 同ヒ論文、p.52f、
31 いくつかの文例を挙げておく。
a GIJ.P.118、 no.26
sodrangah soparikarah a−c五ta−bhata−prave§yah cora−vajjitto−−tiSrStas−一 (田各) 一一asya samucita−bhagabhoga−karapratyAy−opana}raip kakaU§yatha Ajfia−§ravarpa−vidheyza§一一 ca bhavisyatha[]
11drahgaとuparikaraと共に、盗人が入ることを除いてcataとbha!aが入ることを許さ
46 法華文化研究(第27号)
ない。汝らはこの通常の地税、果実などの定期的な税、人頭税、租税を獲得し、無知な聴 衆(人々)に従われるであろう。
b GII『.P.122、 no.27
−−e§am samucita−Sulka−bhagabhoga−kara−hirarpyadi−pratyay−opanayam kari§yath−ajfiA−
6rava口a−vidhey亘S−ca bhavi$yatha [ ]
汝らにこの通常の通行税、地税、果実などの的的な税、人頭税、金等の租税を獲得せしめ、
無知な聴衆に従われるであろう。
c 静谷175、
soddrahgarn soparikarp sav亘tabhuta−dhanyahirarpyaadeyarp sotpadyamArpaviStkamp sarvarajakiyahasta−prak§paniyarp bh亘micchidranyayena
〔下付土地は〕固定税、小税、嵐〔等の自然現象の管理から〕生じる〔収入〕、穀物・金 に対する賦課金、借地の労働に賃金を支払わない権利と共に、一切の行政の税は執行を受 けないと定められるべきであり、土地開墾者に対する地代免除の原則によって(塚本訳
p.532.)
d 静谷176、
kutumbi−SyAmatpera−gopaka−Che口davaka−dasakAstr亘yas sodrahga soparikar亘s sabhatavatapratyayah sarvadhanyahira口y五deya sotpadyamanavistikab rajasthaniya 農夫Syamarpera、牧人Chendavaka、漁夫Astraによって〔支払われるべき〕収入を、
固定税、小税、嵐〔等の自然現象の管理から〕生じる〔収入〕、穀物・金に対する賦課金、
借地の労働に賃金を支払わない権利と共に、(塚本訳p.533.)
32 See J. F. Fleet, op.cit.,p.97、n.6.
フリートは、Dr.ビューラーによってuddhara, udgraha(IA .N ol.12,p.189,n.41)と説明 されていることを示し、「通常王のために集められた生産物の分け前」意味するように思わ れるという。またuparikaraについては、意味は明瞭ではないが、最初の構成要素はプラー クリット語のupariかupariで、「その土地に何らの所有権を持たない耕作者に対して課さ れる税を示すと思われる」という。
また、塚本、前掲書、p.531参照。
塚本博士はD.C.Sircarのlndian EpigrαphicaS GIossary(Delhi、1966)p.406によって、
udrahgaを「固定税」、 uparikaraを「小税」として訳している。また上記注33の⑧、④に 示した「嵐〔等の自然現象の管理から〕生じる〔収入〕」の訳も同様であるが、私は「自然 現象に託されることから生じる収入」と訳しておく。さらに「借地の労働に賃金を支払わな い権利」とは、「無償の強制労働を課す権利」を意味するものと考えている。