北 海 道 西 海 岸 に お け る漁 業 地 域 の 変 貌
寺 沢 則 雄
Ⅰ
は じめ
に歴史的にみて開拓の新 しい北海道漁業にあって、明治 ・大正期にかけての錬漁業の繁栄は著 しい ものが あ ったo しか し、妹の漁獲高に激 しい戒少傾向を見み始め、昭和期 に突入 して皆無的状態 に T iで陥 D、ついには錬漁業が北海道、特 に この西海岸地域か ら姿を消す ように患 ったQ戦後、漁業
‑ の資本主義化に よb沿岸漁業か ら沖合漁業‑の動 きが顕著にあ らわれ始めてきた.著者は、 この 西海岸地域が錬漁場か らの衰退以降、 どの様 に発展、拡大の動 きに対処 し、変化 して現在に至 って いるのか も考 えてみる ことに した。対象地域 とす る西海岸地域 を、梅山 ・後志 ・石狩 ・留萌 の
4支 庁 と規定す ることに した。 この中で樺山か ら江差町、後志か ら′ 」 \ 樟市、石狩か ら浜益村、留萌か ら 留萌市 を抽 出 した。
Ⅱ
錬漁場 としての西海岸地域の変遷
1)錬漁場の北方移動 と衰退
明治時代 における西海岸地域 の練の漁獲高は著 しい ものが あった. 明治 ・大正時代 を通 して、錬 漁獲高の推移 か ら考えて
4期に区別す ることができる。それは、明治
20‑ 29年を初期好漁期、
明治
5 ロー 5占年を好漁期、 明治
5 7年〜大正
9年を中漁期、大正
1 0年以降を不漁期 とす るもの ヽ
で、好漁期にあっては、櫓山 ・後志 ・石狩 ・留萌の各地域 の廉漁獲高は
100万石を常に保 ってい た。 申漁期に入 る頃か ら減少傾 向が この西海岸地域 に及んできた。そ して、 この傾向が本地 蚊 に同 じように見 られるので浸 く、南の櫓山地域か ら始ま 9、漸次北 の留萌地域‑ と進んでい ったのであ った. こうした廉漁業の重心の移動が本地域 内において、漁業変貌 を考察す る
1つ のカギとなるも のである.三 昧が なぜ この西海岸地域か ら姿を消 したのか。次に掲げ る要因が現在、最 も有力で確実 性が ある もの として考え られてい るo暖流に よる影響 (海水温慶の上昇 )、濫獲に よる棲息数量の 減 少、個人経営漁家の乱立 に よる漁獲経営の無統制.水産加工業の未発達 な どの流通機構の不完全 性 な どとす る ものが ある。
2)昭和 における錬業 と漁業経営構造
明治 ・大正 時代 と異 なb昭和拓入 ってか らは妹が総漁獲量の中に占める割合は、比
故にた らたい のは、今まで記 してきた事か ら、わかろ うが、微 々た る ものではあるが、 ある程度の漁獲高を見せ ていた。 だが、昭和 に入 って も残存性を見せていた練が西海岸地域か ら完 全に消滅 したのは、昭和
55年を境 としてであったQ この ように錬 漁業の衰退 に伴 って、経営構造 も当然変化 を余儀 な くさ れたO定置網階層 と刺網階層が、 どの ように変 つ七い ったのか.漁夫労働力を基礎 とす る利潤企業
‑22‑
階層 である定置網階層は、雑貨商 ・運輸 ・加=仲 買商 な どの兼業 を重視す る経営 に移 bつつ も、転 換 はJ r R調 には行 なわれ なか った. 反 して、′ 」 \ 規模 を無動力船 を所有 しての個^経営 であ った刺網階 層 は、変化 に慣応的 であ れ 延縄漁業や沖合刺網 漁業‑ と転化 してい った
o以上 の様 に錬漁業 の衰 退 は、待横 型漁法す なわ ち封建的生産様式の崩湊 を もた らしたので ある (第
1図 ) (第
1表 )0
第
1図逮
州 沿
(第
1表 )
戦 後 春 に し ん 漁 獲 高 洋
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ー∨オホ ーツク
海
莱
年右ー \き庁 梅 山 後 志 石 狩
留萌 1
昭和 20 l 52.557 25,214 157,264
〝 21 46,985 14,400 117,012
〝 22 51,455 1D,505 占5,477
t25 5,670 占,244 82,972
〝 24 516 18,244 82,021
′ 25 8,512 25,299 dD,002
d 28 25,056 20.895 70,182
〝 27 5,577 18,45ロ 117,245
〝 28 180 29,051 124,571
〝 29 17,051 15.558 57,425
戦 後か ら現在 までの漁業地域の変化
4
支庁か ら成 i ) 立つ本地域 をそれぞれ に変貌 を見 ると、各地域の特徴が ある.
1
)後志支庁地域
■
この地域は、錬漁業か らの転換策が西海岸地域 の中では最 も早 く行 表われた。 多獲性大衆漁であ るスケ ソウダ ラ漁業へ の転換が 浸され、中型 (沖合 )機船底曳網漁業 t ,い う沖合性の強い ものを基 幹 とした。戦後、スケ ソウダ ラは延縄 ・刺網 とい う トン数の小さい漁船に よって、低位 階層が主
に操業 していたo昭和
55年頃か ら沿岸漁場か ら沖合準場‑ の拡大 に伴い、機船底曳細 葉 とい う形態に移 って きた.漁船の変動 も漁業の変遷 に平行 Lをが ら、大型化 の方向へ進展 し、 トン数は本地域 咋於 いては、着実 にのびている.近年、北 転船の開発が浸され、スケ ソウダラ生産 の増大が著 しい
くこの様 に主導権が大型階層 にあるとい って も、沿岸漁家層の比重は大 き く、所得 において も格差が 顕著 である. しか し、本地域の中にあ っては、沿岸漁家屑の所得は高 くを ってい るo漁業生産 につ ぎ こむ投下労働量 も、上位階層ほ ど多い ことは、 この地域 の漁業主体が中小企業経営者 にあるため に、稽 山 ・石狩 の ようを低生産階層が偏重 してない ことか ら考kL られる。漁業就業者、漁業世帯数 は、戦後か ら連続的を減 少を示 して きている
.他産業ぺわ 転化や個人経営か ら漁業被傭 形態へ とい う低階層の脱漁家現象が 多 く見 られ る。特に、′ 」 、 椿港は漁業基地 として重要を位置 にあるといえる
。2)稽 山支庁地域
この地域 は、 イカ的 b漁業 に進路 を兄いだ した。 この稽 山支庁地域が巌 漁業か らす ぐにイカ釣 9 漁業‑ と変化 したわけで浸 く、昭和
2ロ年代後半までは、漁獲高にあ って、ホッケ、スケ ソウダラ が大 きな存在を夜 していた。結局、 これ は、当 時の漁民達ゑイカ業 に依存す るか どうか とい う暗中 模 索期であ ったためである. イカの好漁場 に恵まれた こと、比敏 的′ J 、 塾漁船での操業が可能で あ っ た ことを どが、 この地域 の漁業をイ カ漁業へ と変えた。昭和
5D年代初めまで、1‑5t漁船の生 産 が中心であ ったが、 イカ回遊路 の移動 による漁場の変化が
5‑ 10t漁船‑ と中心をかえた。漁 業 の主体が
5‑てOt 階層 とい う沿岸漁家層 にあるため、所得 もこの階層内にあ っては高所得 を夜
している し、投下労働 量 も当然高い ものが あるo就業状況に於V? て、若年層が構成上 多いのは、近
くに方働 力を吸収する産業が未発達をためである.
5)
留萌支庁地域
石狩支庁地域 と同 じく、錬漁業か らの転換が遅れた地域である。 夜ぜ な らば、錬漁場 の北方移動 に よるため、当時にあ って蘇がまだ重要 を資源であ った。昭和 28年時の漁獲 生産高をみ ると後志 支 庁地域を しのいでいた。鋲 とい う多獲性漁である特徴を如実 に表わ している
.そ して、昭
粛]5 1年 の凶漁か らす ぐにス ケ ソウダラ漁業へ と移行姿勢を とった. このスケ ソウダ ラ漁業 も中型機船底 曳網業が中心 と浸 ってい る。 中小企業階層が多い ことは、後志 と似相を呈 してい るが、沿岸 漁家層 の偏重を認め られる点が異 浸る。生産高が櫓 山支庁地域 を抜いてい るのは、沖合 (中型 )底曳業
に‑24‑
よる生産 力の増大 か らである
.留萌 港 では西海岸 においては、小棒港 と共 に漁業基地 と して双壁 を ほ こってい る
。4
)石狩支庁地域
この地域 は、西海岸地
院にあ って は、漁業地域 としての性格 を推 持で き に くい地域 である
oここ
も、留萌 支庁地域 と同 じ く錬 漁業か らぬけだすのが遅れた所 で ある。 沿岸漁家層 を主体 とす る採草 漁業 に と方 向をかえた。 こめ 漁業 に依 存 しなければ な らなか った要因 を考 え る と、 せず第
1に漁業 経 営 体の大部分が 二
1‑
‑ 10t未満 の階層 であるため、大 きを資本や労働 力を要す る漁業 に進む こと が で き浸か ったため と、海唇 の地 質に岩礁が 多い ことが昆布 の繁殖 に適す る とい う生息条件 を満 た してい る とい うような ことが らか らで ある
.所得は、
1t未満階層が最 も高い. こ うした採 草地域 で あるため、老 年層が就業構 成の上 においては、他の支庁地域 よ bも多ho 専業 と してはや ってい け をh L、 少 しの労力でまか なえ るため、余剰労働 力の他産業‑ の流 出は激 しいo
(
穿 2図 )
ー(第3凶 )
(第2表 )
第
2図支庁 地域 別各階層経 営 体数の構成比率
(昭和5 8年 )
0 50
占0
70 809
0 10口車
10t
未満階層
10‑50t階層
‑ 25‑
i ・
550=芸 冨
昭和
4 2年か ら昭和
4 7年の 占ヶ年の平均漁獲高は宗谷支庁の
4 8万屯が最高である.釧路 支庁
52万屯、根室
2 1万屯、網走
1 8万屯 と道東 ・道北地域は共
に 1t ]万屯を越 しているの忙対 し、本地 城 は後志が
1占万屯で他の留萌 ・櫓 山 ・石狩は
5万屯を満たない漁獲高であ
去 o道北 ・道東の漁獲 高は道漁獲高の
72帝を占め、本地域は12帝とい う大差が見 られ る. 叉、マグロ、サケ、マス、
サ ンTr な どの高額魚を対象 とする沖合機船底曳網 、北転船、大中型せき網、サケマス流網を どの沖 合 ・遠洋漁業 に主体を置いているため、漁船 も大型船 (
1ロOt以上 )を有 し、大資本経営の会社が 集中的である
O経営体 も本地域 にあ っては
10t未満の経営階層が偏在 しているのに対 し、道東、
道北地域は中階層の比重が高いO世帯数 を見て も道漁業世帯数の
56虜を この地域が 占め、漁業依 存度が強い ことを提示 してい る
。専業化率 も道東 ・道北地域が
50〜 40多であるのに比 し、本地 域は後 志を除いて
2口車前後であるO兼業 内容 も本地城は第
2種兼業が多 く農業兼業が大部分であ る.漁業 に従事す る年令層 も、道東、道北地域は
15‑ 59才の青年層が多いの忙反 し、本地城は
4 ロー 5 9才の中年層が多 く在 っている
Oこれは刺網 ・延縄な どのある程度の技術的熟練者 を必要 とす ること、採月 ・採草を どの若年労力を必要 としをい生産性の低 さ、所得 の零細性を どの本地域 の性格か ら考え ることがで きる (第
4図 )
0‑26‑
第
2表 漁 業 世 帯 に お け る 専 業 兼 業 (昭和
45年 )単 位 :戸
i
I 世 育 数 辛 莱 兼 莱 兼 業 漁 業 外 自 営 兼 業 被 傭 兼 業 専 世帯 数 業 第
1第
2総 数 農 業 語 廟 林 業 製造 莱 卸 売 莱 そ 他 の 総 数 悪 意
1栄養
後 志
2567 75218551198i65712241065 21 ll 1占25‑
三言 「蒜 28.5% 櫓
叫 252口 5042口161245 77115071568 9 1 49 占8 121420 679 741 20.9̲石 画
414l57 5777;151 246 264 214 5 5 5. 1占 21 574 42 552 8.9Ⅴ