ヨーロッパ保険契約法原則( PEICL )の 生成と展開
久 保 寛 展
■アブストラクト
本稿は,ヨーロッパ保険契約法原則(PEICL)を取り上げ,その生成過 程と具体的内容に関する展開部分を考察する。もともと保険契約法は,EU の各加盟国において制定されているが,一般契約法と異なり,保険契約者等 の保護のために強行法規定を設けている場合が多い。そのために,EU加盟 国における保険契約法の調整は,抵触法上の問題を含めて非常に困難になる ことが予想されるが,その予想に反して,近年ヨーロッパ保険契約法プロジ ェクト・グループによりPEICLが策定された。この成果は,いわばヨーロ ッパの保険法研究者の英知の結晶であり,その意味ではヨーロッパの各保険 契約法の考察に際してPEICLの参照は避けられない。ここにPEICLを検 討する本稿の意義がある。たしかにArmbruster教授の指摘のように,撤回 期間を定めるPEICL第2:302条は解釈上不要であるなど,問題点は残さ れているが,全体としては今後のEUの保険契約法に多大な影響を及ぼすこ とがあることを指摘して結論とする。
■キーワード
保険契約法,ヨーロッパ保険契約法原則,PEICL
111
*平成23年7月23日の日本保険学会九州支部報告による。
/平成23年9月26日原稿受領。
欧文のやり方 例Laws,.-11.,‑ “”
第1章 はじめに
ヨーロッパ共同体の創設の理念として,物品,人,サービスおよび資本の 自由移動が掲げられていることは,すでに周知のとおりである。EUでは,
これらの自由を確保しながら,単一の域内市場を設立することによって
(EU条約3条3項参照),域内に国境のない地域を作り上げ,ヨーロッパ全 域にわたる経済圏を確立することが企図されているのである。その確立のた めに,保険の分野においても域内保険市場を高める必要から,欧州委員会に よって種々の指令を通じて,いわばヨーロッパ保険契約法の確立に尽力され てきたが,当然ながらここでは各加盟国の保険契約法の調整という非常に困 難な問題に直面したのである。保険契約法は,任意規定である一般契約法と は異なり,性質上,保険契約者等の保護のために多数の強行規定を設けてお り,このことがいっそう調整を困難にさせることになった。このような抵触 法上の調整の不備が存在すれば,この不備が必然的に国境を超える保険取引,
ひいては域内保険市場の確立に不利な要因になることは想像に難くない 。 そのために,過去に各保険指令が採択されたけれども,域内保険市場の確立 には必ずしも十分ではなかったことが認識されていた 。しかし,交通や通 信技術等が発達した現代の経済社会では,保険を含む国境を超える取引は不 可欠であり,法的規制の問題の解決は域内保険市場の設立には喫緊の課題で あった。
このような課題を克服するために,保険分野における一応の成果として 2009年に出版されたのが,本稿が扱うヨーロッパ保険契約法原則(Princi- ples of European Insurance Contract Law;以下では,頭文字をとり,
1) Cf. Weber-Rey, Harmonisation of European Insurance Contract Law, in: Vogenauer/Weatherill(ed.), The Harmonisation of European Con- tract Law: Implications for European Private Laws, Business and Legal Practice,2006,p.208.
2) Cf. Basedow, The Optional Application of the Principles of European Insurance Contract Law, ERA Forum (2008) 9,p.111, 112.
PEICLとする)である 。PEICLの生成過程ならびに具体的内容について は後述するが,PEICLは,公表後,すでに保険契約法のグローバル・スタ ンダードとしての地位を占めつつあることが指摘されている 。そうであれ ば,現在のところPEICLが,前述のような課題の克服への一定の回答であ ると位置づけられよう。その意味ではPEICLの重要性は論を待たず,たし
かにPEICLの将来的な補充および変更が必要であるとはいえ ,今後は議
論の蓄積と分析に比重が置かれるものと予想される。実際に,PEICLが米 国の会議 やドイツの保険学会 でも取り上げられたことは,今後のPEICL が果たす役割に大いに期待が持てるものと思われ,ここに本稿が将来のヨー ロッパ保険契約法の鍵となるPEICLを取り上げる意義がある。
第2章 ヨーロッパ保険契約法の沿革
もともとヨーロッパ法の一般的な調整を実現する最初の企図は,ヨーロッ パ共同体の設立にさかのぼるが,その運営を定める1958年発効当時のローマ 条約によれば,単一市場の創設(1958年ローマ条約2条)に基づく主要な効 果として,商品,人,サービスおよび資本の自由な移動に生じる障害の克服 が掲げられていた(1958年ローマ条約3条c)。このうち保険の分野に関し ては,保険法に係る特別な指令によって設立の自由およびサービス提供の自 3) Project Group Restatement of European Insurance Contract Law,
Principles of European Insurance Contract Law(PEICL), 2009,sellier.
european law publishers. なお,EU各国の言語における条文規定について は,http://www.restatement.infoを参照。また本書は,すでに小塚荘一郎ほ か訳 ヨーロッパ保険契約法原則 (損害保険事業総合研究所・2011)におい て翻訳されており,本稿も本書によるところが多い。
4) 小塚荘一郎 ヨーロッパ保険契約法原則(PEICL)の公表と日本にとって の意味 損害保険研究72巻3号1頁(2010)。
5) Armbruster, Das Versicherungsrecht im Common Frame of Refer- ence, ZEuP2008,S.775, 812.
6) 小塚・前掲注4)1‑2頁。
7) こ れ に つ い て は,Gal, Entwurf des Common Frame of Reference fur Versicherungsvertrage, VersR 2009, S.190ff.を参照。
由の確立が企図されることで,共通の域内保険市場の設立と国境を超える取 引上の障害の克服が目指された。その目標の達成のために,三次にわたる保 険指令と,自動車保険 ,アシスタンス(tourist assistance) などの補足 的な指令が採択されたが,これらの指令がその克服のための具体的措置であ ったといえる。以下では,第一次から第三次にわたる保険指令 を概観し た後,PEICLの生成過程へとつなげたい。
第1節 第一次保険指令⎜設立の自由の確立
まず,1973年の損害保険指令および1979年の生命保険指令からなる第一次 保険指令 によって,ヨーロッパ共同体域内における保険監督法を調整す るとともに,設立の自由の確立が試みられた。設立の自由は,国籍に基づく 差別的待遇を撤廃することで達成されたが,ここで は 加 盟 本 国(home Member State)と加盟主催国(host Member State )の両国の監督機関
による二重のコントロールについては維持されている。すなわち,加盟本国 の監督機関は,保険者の支払能力(solvency)に対する監督権限を有したの に対して,加盟主催国の監督機関については支払能力の監督以外の監督に対 して権限を有したのである。この権限の差異に基づき,所轄の機関による設 立の認可は加盟本国の保険者についても加盟主催国にある当該保険者の支社
8) この指令については,1972年4月24日の理事会指令(72/166/EEC, OJ L 103/1of2.5.1972),1972年12月19日 の 理 事 会 指 令(72/430/EEC, OJ L 291/162of28.12.1972)のほか,1983年12月30日の第二次理事会指令(84/5/
EEC, OJ L 8/17of11.1.1984),1990年5月14日の第三次理事会指令(90/
232/EEC, OJ L129/33of19.5.1990),2000年5月16日の指令(2000/26/EC, OJ L181/65of20.7.2000)がある。
9) 1984年12月10日の理事会指令(84/641/EEC, OJ L 339/21of27.12.1984)。
10) なお,第二次の損害および生命保険指令については,相澤吉晴 ヨーロッパ 国際保険契約法 (大学教育出版・2006)6頁以下を参照。
11) 1973年 7 月24日 の 第 一 次 損 害 保 険 指 令(73/239/EEC, OJ L 228/3of 16.8.1973)および1979年3月5日の第一次生命保険指令(79/267/EEC, OJ L 63/1of13.3.1979)である。
についても,両国によって得られなければならなかった 。
これに対して,保険契約法上の措置に対しては,ヨーロッパ保険契約法の 調整を目的として,1979年に保険契約に係る指令案 が公表された。この 指令案の主要な目的は,保険サービスを促進することであり,関係当事者に 準拠法の自由な選択を認め,かつ最終的に被保険者の利益の保護の調整を含 む一定の基本原則を策定することにあった。具体的には,関係当事者の契約 締結前の最低限の情報提供義務や契約上の義務などが取り上げられている。
ただし,加盟国は一般的に当該指令の規定とは異なる規定を採用することが できなかったが,契約当事者は,当該指令に相違しても,保険契約者等に不 利にならないことを条件に,当該指令の規定と相違することは可能であった。
この指令案は1983年7月1日の施行を予定していたが,ヨーロッパ保険契約 法の調整について若干の加盟国では政治的コンセンサスを欠如していること が欧州経済社会評議会(EESC)によって確認されたことから,結局のとこ ろ発効にはいたらなかった 。
第2節 第二次保険指令⎜サービス提供の自由
その後,保険分野におけるサービス提供の自由を具体化する目的をもって,
第二次保険指令 が1988年に欧州理事会によって採択された。採択された のは,サービスの提供が抵触法上の問題を生じるのであれば,保険者がいく つかの加盟国内の市場において商品を販売したい場合には,これらの国内法 に従って商品を設計しなければならなくなり,一般的に国境を超える保険事
12) Weber-Rey, supra note1,at214.
13) Proposal for a Council Directive on the coordination of laws, regula- tions and administrative provisions relating to insurance contracts, COM/79/355final, OJ C190/2of28.7.1979.
14) Weber-Rey, supra note1,at215‑216.
15) 1988年6月22日の第二次損害保険指令(88/357/EEC, OJ L172/1of4.7.
1988)お よ び1990年11月 8 日 の 第 二 次 生 命 保 険 指 令(90/619/EEC, OJ L 330/50of29.11.1990)である。
業を控えるからであるとされる 。相互に異なる加盟国内の保険契約法の強 行法的性質を考慮しても,これらすべての強行法規定を遵守した保険証券を 設計することはほとんど不可能である 。このような理由から,国境を超え るサービス提供の自由を実現する必要性があったのである。この第二次保険 指令では,大規模リスク(large risk)に係るサービス提供の自由の確立が 指向されたのに対して,大衆リスク(mass risk)については一般的にサー ビス提供の自由から除外された 。したがって,大衆リスクの保険者につい ては,第一次保険指令によりリスクが所在する加盟国の所轄の機関による監 督に従わなければならなかったことから,完全な自由は実現されなかったと される。これに対して,生命保険に関しては,各国の保険規制の相違を前提 にしており,完全なサービス提供の自由は限定的ではあるが,第二次生命保 険指令によって,加盟本国で認可された保険会社は所定の認可書類を加盟主 催国の監督機関に提出した日から保険の引受けを開始でき,域内の保険者が 自己の子会社もしくは支店を設置することなく,他の加盟国で生命保険を販 売する権利が認められた。しかし,サービス提供の自由をいっそう促進する 必要性から,第二次保険指令は,次の第三次保険指令によって補完されるこ とになる。
第3節 第三次保険指令⎜単一市場の完成
1992年の第三次保険指令 では,単一免許システム(ヨーロッパ・パス ポート)の導入によって域内保険市場の完成へと導かれた。この導入によっ て,加盟本国の監督機関が保険者に対する完全な監督権限を有することにな るので,そのための機関の設置が当該加盟本国の責任において行われる。単
16) Basedow, supra note2,at112.
17) Basedow, supra note2,at112.
18) Weber-Rey, supra note1,at217.
19) 1992年6月18日の第三次損害保険指令(92/49/EEC, OJ L 228/1of11.8.
1992)および1992年11月10日の第三次生命保険指令(92/96/EEC, OJ L360/
1of9.12.1992)である。
一免許によって,保険者は,たとえ他の加盟国で保険の引受けもしくは国境 を超える保険サービスの提供を企図しているとしても,EU全体において有 効な自国の監督機関による認可を利用することが可能である。その認可は特 定の保険に付与され,原則としてその部類に属するすべてのリスクが保障さ れる。また,第三次保険指令によって,生命保険と損害保険の両者に対する 監督機関による保険約款の事前の認可が廃止されたが,その代わりに保険者 に対するソルベンシー審査と会計ルールが強化されている。
第3章 PEICL の生成過程
第1節 いわゆるプロジェクト・グループの創設
このようにヨーロッパでは,域内における保険に係る国際的な諸問題のう ち,まず,単一免許システムについては第三次保険指令により保険監督法の 領域において立法的に確立されることになったが,さらに抵触法上の問題に ついては,上述の第一次および第二次保険指令等 のほか,2000年のブリ ュッセルI規則 等によっても統一もしくは調整されてきた。しかしながら,
これらの保険監督法および抵触法に基づく解決とは対照的に,従前から実体 保険契約法を調整する企図についてはこれまで失敗に終わったことが認識さ れている 。このような失敗を打開するには,域内保険市場をより推進させ
20) なお,保険契約に係る抵触法上のルールは,その後は2008年6月17日のロー マ Ⅰ 規 則(Regulation(EC)No593/2008of the european parliament and of the council of17June2008 on the law applicable to contrac-
tual obligations(Rome I),OJ L177/6of4.7.2008)7条に定められてい る。
21) Council Regulation(EC)No 44/2001of22December2000on juris- diction and the recognition and enforcement of judgments in civil and commercial matters, OJ L 12/1of16.1.2001.
22) Helmut Heiss, Introduction, in: Principles of European Insurance Con- tract Law(PEICL),Prepared by the Project Group Restatement of European Insurance Contract Law[2009], p.xlix.なお,本章の叙述は,
主として本文献のp.xlix-liiに依拠している。
るための リステイトメント の策定に係る必要性が認識されることになり,
その結果として,1999年9月にオーストリアのインスブルック大学において,
故Fritz Reichert-Facilides教授の主催のもとで,ヨーロッパ保険契約法専 門家グループの国際会議が開催された(いわゆるプロジェクト・グルー プ )。その開催に先立って,保険法分野におけるヨーロッパの展望に関し て,1998年に開催されたスイスのバーゼルでの国際会議上で,Reichert- Facilides教授によりヨーロッパ全域に共通する基本政策や基本認識が指摘 されるとともに,当時のEC各国の保険立法の概観が発表され,域内保険市 場の適切な機能の発揮のためには,EU域内における保険契約法の強行法ル ールが統一される必要があることが提案されていた。もともと保険法分野に 従事する学者はヨーロッパの立法者に対して一つのモデルを提供しなければ ならないと確信していたことから,彼はここでヨーロッパ保険契約法リステ イトメントの策定プロジェクトの必要性を訴えたのである。このバーゼルの 会議上,当該プロジェクトは,保険立法のヨーロッパ的側面に関して同様の 講演を行ったJurgen Basedow教授によっても支持されたが,これは,ヨ ーロッパの域内市場における国境を超える保険サービスの提供の規定が,そ もそも国際保険法に係る最新のヨーロッパ法体系に欠けているのではないか という認識に基づくものであった。両教授とも,その時点までは少なくとも EU域内において域内保険市場を完成する試みは失敗であったという認識に 基づいている。
このような認識に基づき,1999年のインスブルックでの国際会議において,
プロジェクト・グループは ヨーロッパ保険契約法リステイトメント の策 定を開始する決定を下したのである。その際に当該グループは ヨーロッパ の保険法は一つでなければならない という基本的視座を有していたが,少 なくとも欧州委員会自身によって保険契約法の調整のための努力が再開され
23) このグループは, リステイトメント・グループ などのようにさまざまな 名称によって呼称されてきたが,本稿では プロジェクト・グループ と称す る。
ることを期待できる状況にはなかった。その反面,増加する多数のヨーロッ パ市民(ユーロ移動市民)が母国以外の加盟国に移動し,かつ当該加盟国に おいて生活しているという現実があり,その結果,ユーロ移動市民がヨーロ ッパ全域にわたる保険による保障について需要を高めることになったことも 事実である。このことは,ヨーロッパ保険契約法の迅速な実現を要求する重 要な事実であるが,インスブルックでの国際会議で指摘されたのは,ヨーロ ッパにおける種々の保険契約法の比較法的分析と,保険契約法のヨーロッパ 全域での共通理解にまで及ぶ一連のルールとも呼べる ヨーロッパ保険契約 法リステイトメント が,いまだ見落とされていたことである。そこで,喫 緊に前者の比較法的分析については,当該グループの設立メンバーである Basedow教授と,そのハンブルク・マックス=プランク研究所の研究チー ム(いわゆるハンブルク・チーム)によって引き継がれ,その研究成果が 2002年と2003年に3巻からなる ヨーロッパ保険契約法 として出版され た 。しかしながら,ハンブルク・チームは,保険契約法についてヨーロッ パのためのモデル法を策定したわけではないことから,後者の ヨーロッパ 保険契 約 法 リ ス テ イ ト メ ン ト の 起 草 の 課 題 に つ い て は,故Reichert- Facilides教授によって創設されかつ2003年10月23日の死去まで主催された 1999年のプロジェクト・グループにゆだねられることになったのである。
Reichert‑Facilides教授の死去の後は,会長はその時まで当該グループの副 会長を務めていたHelmut Heiss教授によって引き継がれた 。
24) Basedow/Fock (hrsg.),Europaisches Versicherungsvertragsrecht, Vol- umesⅠ&Ⅱ (2002),VolumeⅢ (2003).
25) その後, ヨーロッパ契約法 の策定に向けて,欧州委員会により,2004年 に ヨーロッパ契約法および現行EU法(acquis communautaire)の改正:
展 望(Communication of11October2004“European Contact Law and the revision of the acquis: the way forward”COM (2004) 651final.)
に係る通達が公表された。この通達は,欧州委員会がいわゆる 共通参照枠組 み を企図したものであるが,この通達では,プロジェクト・グループも携わ った保険契約法が取り上げられている(Basedow, Insurance contract law as part of an optional European Contract Act, [2003]L.M .C.L.Q. p.
第2節 PEICL の体系
プロジェクト・グループは,1999年における創設以降,これまでアメリカ のリステイトメント(Restatements of the Law)をモデルとした ヨー ロッパ保険契約法原則(PEICL) を起草してきたが,リステイトメント自 体は,従前に ヨーロッパ契約法原則(PECL) の起草の過程において,
いわゆるランドー委員会によって採用されたという実績がある。このことか ら,PEICLにおいても,リステイトメントに依拠して条文規定(Rules)が 設けられるとともに,当該条文規定の根拠ならびに所与の事例に対する適用 について説明する解説(Comments)が付され,さらに各加盟国における保 険契約法の現状(status quo)と問題の要点に関係するEU法体系(acquis communautaire)を付記した注釈(Notes)が与えられている。当該グル
ープの作業は,すべての類型の定額保険(insurance of fixed sums)なら びに賠償責任保険(indemnity insurance)に係る一般的ルールを含む,保 険契約法の総則部分に限り一応の完成をみたが,今後も引き続き改定等の作 業が行われていくことになる。
第4章 PEICL における各規定の具体的内容の展開
このようなPEICLの生成過程を基礎として,次に本章では展開部分とし てPEICLの具体的内容を確認することとし,その際には,すでにArm- bruster教授によってPEICLの各規定に対する批評がなされているので,
498, 500)。共通参照枠組みは,いわゆるヨ ー ロ ッ パ の 国 際 商 慣 習 法(lex mercatoria)として位置づけられる(Ckarke /Heiss, Towards a European Insurance Contract Law? Recent Developments in Brussels, [2006]J.B.
L. p.600, 602)。
26) Lando/Beale, Principles of European Contract Law, PartsⅠandⅡ (2000). なお,その翻訳としてオーレ・ランドー╱ヒュー・ビール編(潮見佳 男=中田邦博=松岡久和監訳) ヨーロッパ契約法原則Ⅰ・Ⅱ (法律文化社・
2006)およびオーレ・ランドー╱エリック・クライフ╱アンドレ・プリュム╱
ラインハルト・ツィンマーマン編(潮見佳男=中田邦博=松岡久和監訳) ヨー ロッパ保険契約法原則Ⅲ (法律文化社・2008)がある。
当教授の見解を参考にしながら,とくに第1編の一般規定の重要部分に限り,
ドイツ法の観点を含めて考察を進めることにする 。
第1節 PEICL の適用範囲
まず,ヨーロッパにおける抵触法との十分な調和のために重要な規制を定 めるのがPEICL第1:102条1文である。これによれば,PEICLは,当事
者がPEICLに合意した場合において契約関係に適用されることになるが,
もっとも国際私法に基づく準拠法選択の制約の余地は残されている。これは,
国際私法に基づけば,EU加盟国以外の国内法が適用されると同時に,当該
国内法がPEICLの選択を許さないような場合においては,このような余地
が認められる必要が生じるからである。さらに,本条によれば,PEICLの 適用が,必ずしもEUの一加盟国以上に及ぶ必要がないが,その限りでは,
本条は,異なるEU加盟国の保険契約法から生じる域内保険市場の制約を除 去するという目的を超えるものである。契約当事者にとっては純粋な一加盟 国内での保険契約の場合であっても,当該加盟国の保険契約法とともに,
PEICLを選択する余地をも残されることになるが,その余地は,保険者に
とっては保険契約の統一的処理が容易になると評価されている。
次に評価されるのは,確定的な法規であるPEICLが部分的に合意される のではなく,その全部について合意されることによって適用される必要があ る旨を定めたことである(PEICL第1:102条2文)。PEICLにおける特定 の規定だけを選択する可能性を認めることは,PEICLの濫用的利用だけで なく,とくに法適用の安定性の側面についても危険を孕むからである。さら に,場合によっては同一の保険契約に対してさまざまな解釈上の問題が生じ ることも予想されることから,PEICLの全体的適用を定めるPEICL第 1:102条2文等の規定については合意によっても変更できない旨が定めら れ,こ れ ら の 一 定 の 規 定 が 強 行 法 的 性 質 を 有 す る こ と が 明 定 さ れ る
27) したがって,本章は,主としてArmbruster, supra note5,at777‑795を 参照している。
(PEICL第1:103条1項)。これに対して,その他の場合については,保険 契約者,被保険者もしくは保険金受取人(正当な権利者;Beneficiary)の 不利益にならない限り,契約によってPEICLと異なる定めをすることがで きる旨が定められ,いわば半強行法的ルールの規定が定められる(PEICL 第1:103条2項)。
また,PEICLの解釈上の基準について,保険分野における信義誠実,契 約関係の法的安定性,適用の統一性および保険契約者の適切な保護を促進す る必要性が掲げられ(PEICL第1:104条2文),解釈についてはEUのレ ベルで確実に認識されている枠内においてPEICLの規定の文言,文脈,目 的および比較法的背景に照らして行われる(PEICL第1:104条1文)。こ こでは,比較法的背景についても解釈基準として用いられているが,これに よって個々の加盟国の保険契約法上の規定が解釈の出発点として利用される ことが予定される。しかし,この要請は,実際上PEICLを適用する場面に おいて困難を生じうる側面があることは否定できない。
さらに,PEICLを限定するためにも補充するためにも国内法を参照する ことができないことが定められるが(PEICL第1:105条1項1文),これ は,たとえばPEICLの規定の部分的合意が許されないことを考慮すれば
(PEICL第1:102条2文参照),妥当であるかのように思われる。しかしな がら,他方では,加盟国がPEICLを選択的法規(optional instrument)と して許容したとすれば,少なくとも国内の保険契約法の発展の余地が放棄さ れる結果になる。このことから,市民やサービスの国境を超える移動に基づ く立法者による保険契約の多様な内容的形成に対して,PEICLによって事 実上広範に制約が生じうることになるのではないかという懸念が指摘される。
第2節 一般規定
保険契約,保険事故,損害保険および定額保険の基本概念に係る定義規定
(PEICL第1:201条),ならびに被保険者,保険金受取人,保険対象者など の基本概念に係る追加的定義(PEICL第1:202条)については別段問題を
生じないが,このような一連の定義のカタログを定める場合には,これらの 定義の射程範囲について争われることがある。それゆえ,一例として,定義 されなかった 保険金(insurance money) (PEICL第2:102条 5 項 参 照)の概念には何が含まれるのか,たとえばこの概念に保険者によって補償 される救助費用のような便益に基づく給付(Convenience-Leistungen)も 含まれるのかについて明確にすることが望ましい。 保険給付(insurance benefits) の概念(PEICL第7:102条)についても同様であり,この概
念は場合によっては保険金と同義であるのかどうかが問題となる。
次に,文書の言語について消費者契約不公正条項指令 5条をモデルと したルールを定めるのが,PEICL第1:203条1項である。これにより,保 険約款だけでなく,保険者から提供されるすべての文書は,平易かつ明瞭で あって,契約が交渉された言語によって記述されていなければならない(透 明性要件)。もっとも,PEICLは,保険者がこの透明性要件を遵守しない場 合に対して明文による制裁を定めない。単に保険者が提供する文書または情 報の文言に疑義があるときは,保険契約者,被保険者または保険金受取人の いずれかに最も有利な解釈が採用されるにすぎないのである(PEICL第 1:203条2項)。この効果については,ドイツ法の観点からすれば,必ずし も問題がないわけではないことが指摘される。すなわち,ドイツ民法によれ ば,約款の解釈に疑義がある場合には約款作成者の不利になるが(ドイツ民
法305c条2項参照),さらに約款の規定が約款作成者の契約相手方に不当に
不利益を与える場合は,約款の規定の効力そのものが生じない。約款規定が 平易かつ明瞭でないことから不利益を与える場合も同様である(ドイツ民法 307条1項)。また,約款がその全部あるいは一部において契約の構成部分と ならなかった場合であっても,契約のその他の部分では有効であるという法 律効果が定められる(ドイツ民法306条)。このことから,PEICLの透明性 要件に基づく法律効果に関してドイツ法と比較した場合,いまだ不十分なも
28) Council Directive93/13/EEC of5April1993on unfair terms in con- sumer contracts, OJ L 95/29of21.4.1993.
のとして評価せざるをえない。
また,一般規定のうち,実務的に重要なのは 保険契約者,被保険者また は保険金受取人が,保険契約の締結または履行に不可欠な責務(responsi- bilities)を第三者に託したときは,当該第三者が当該責務の履行に際して 知りまたは知るべきであったことは,当該保険契約者,被保険者または保険 金受取人が知っていたものとみなす とする認識の代位(imputed knowl- edge)であるとされる(PEICL第1:206条)。ドイツの保険契約法でも,
保険契約者は日常生活や職業生活において必ずしも保険契約の締結や解消な どを自身で考慮しているわけではないので,保険契約者はこのような仕事を 従業員や家族などの第三者に任せることがあり,当該第三者の行為と認識が 保険契約者に帰責されるルールが必要になるといわれているが ,このこと
がPEICLでも想定されていると考えられる。もっとも,ここでは当該第三
者の範囲について,本人である保険契約者等の悪意が擬制されるところの代 理人だけを含むものではなく,たとえば付保家屋のそばに燃料倉庫が建設さ れる場合など,当該事実を知ったことの表示が決定的な意味を有する場合に おいて保険契約者の帰責を基礎づける補助者となる,了知の表示の代理人
(Wissenserklarungsvertreter)も含まれる。
さらに,PEICLでは,反差別的処遇に係る規制も定められる(PEICL第 1:207条)。この規制は,いわゆるジェンダー指令 や反人種差別指令 において保険契約に設けられた基準を指向するものである。性別に関して,
PEICLでは,個人の保険料および保険給付の差異が,関連する正確な保険
29) ヴァイヤース=ヴァント(藤岡康宏監訳) 保険契約法 (成文堂・2007)
160頁。
30) Council Directive2004/113/EC of13December2004implementing the principle of equal treatment between men and women in the access to and supply of goods and services, OJ L 373/37of21.12.2004.
31) Council Directive2000/43/EC of29June2000implementing the prin- ciple of equal treatment between persons irrespective of racial or eth- nic origin, OJ L180/22of19.7.2000.
数理および統計に係るデータに基づくことを保険者が証明しない限り,性別 を保険料および保険給付の算出の要素として考慮することによって個人の保 険料および保険給付に差異を設けてはならず,いかなる場合にも妊娠または 出産を個人の保険料および保険給付に差異を設けるための要素としてはなら ない(PEICL第1:207条1項)。また,人種に関しては,個人の保険料お よび保険給付を算定する場合において,国籍,人種または民族的出自による 差異の禁止を定めることで,人種による厳格な不利益処遇の禁止が定められ る(PEICL第1:207条2項)。保険者が差別的処遇の禁止に違反すれば,
相応の契約条件は,保険契約者を拘束せず,保険契約者または被保険者との 関係では効力を生じないが(PEICL第1:207条3項1文),差別的でない 条件については,当事者は契約によって拘束される(PEICL第1:207条3 項2文)。
これらの規定に違反する場合,補充的に保険契約者には解約告知権が付与 される(PEICL第1:207条4項)。しかしながら,差別的待遇に基づく契 約条件はそもそも遡及的にその効力を生じないことから(PEICL第1:207 条3項1文),解約告知権との関係が問題となるが,その整理としては,前 者の効果は差別的待遇に対する制裁の客観的効果であるのに対して,後者の 解約告知権は,保険契約者の側から自己のイニシアティブに基づき,性別で あれ,人種であれ区別なく,意図しない拘束を一方的に解消する機会を付与 する,制裁の主観的効果として理解されうることになる。ただし,PEICL は当事者間で合意された場合にのみ適用されることから,合意による契約締 結前の段階において差別待遇が契約締結の拒否を前提に行われる場合もある のではないか,もしくはたとえば女性に対する有利な料金設定のような性別 を根拠とした優遇措置がどのように正当化されるのかという問題も生じうる。
第3節 強行規定の実現
強行規定の実現を定める第3節では,まず,PEICL違反の差止めに向け られた適格団体による訴訟に関するルールが定められる(PEICL第1:301
条)。これにより,適格団体は,PEICLが適用される場合には,管轄権を有 する国内裁判所その他の機関に対して,PEICLの違反を禁止しまたはその 差止めを命ずる命令を求めることができる(PEICL第1:301条1項)。こ の規定は,EUの差止訴訟に関する指令 をモデルとするが,差止訴訟指令 はもともと消費者利益の保護に限定されることから,適格団体は通常は消費 者利益の保護の役割を果たすものである。PEICLは,消費者契約とは異な る保険契約について合意されるが,本条によって適格団体の任務が拡大され る結果として,保険契約者の保護が強化されることになる。
第4節 保険契約の開始時期および期間
⑴申込者の契約締結前の告知義務 保険者は,契約の締結および内容に 係る決定に際して,主として顧客から提供される情報に頼らざるをえないこ とから,PEICL自体が,申込者である顧客に対して保険者への告知義務を 定めたこと(PEICL第2:101条)は評価されている。この告知義務には,
契約の申込者や付保される被保険者に知れているような事情だけでなく,こ れらの者が知ることができた事情も含まれるが,その場合,当該事情は,原 則として保険者が明確かつ正確な照会を行ったものに限られる。この告知義 務に違反する場合について,PEICLは,まず,保険契約者が詐欺的な意図
(悪意による欺 )のもとで契約を締結した場合には,保険者は2ヶ月以内 に取り消すことができることを定める(PEICL第2:104条)。それ以外の 場合については,保険者には相当な(合理的な)契約の変更を要求する可能 性が認められており(PEICL第2:102条1項),保険契約者が1ヶ月以内 にこれに異議を唱えない場合には将来に向かってその変更の効果が認められ る。他方,保険者は,保険契約者の告知義務違反が有責的に行われた場合あ るいは当該保険者が,保険契約者の告知義務に基づく情報を知っておれば契
32) Directive98/27/EC of the European Parliament and of the Council of19May1998on injunctions for the protection of consumersʼinter- ests, OJ L 166/51of11.6.1998.
約を締結しなかったことの証明に成功した場合に限り,契約を終了すること ができる(PEICL第2:102条3項)。保険者が保険契約を締結するかどう かを決定する場合において,告知されるべき情報が当該契約の締結を判断す る上で重要かどうかは 合理的な保険者(reasonable insurer) という客 観的な基準に基づく(PEICL第2:103条b参照)。しかしこの基準に対し て必ずしも疑義がないわけではない。とりわけ情報が告知義務の例外に該当 するかどうかについて,具体的な保険者の意思と合理的な保険者の意思との 間で判断上の齟齬が生じる可能性があるからである。
⑵保険者の契約締結前の義務 保険者は,契約の締結に際して情報提供 義務を負う。そのために,まず,保険者は申込者に対して保険約款を交付す るとともに,契約当事者,被保険者,保険代理人等の名称および住所など一 連の情報に係る書面を提供しなければならない(PEICL第2:201条)。こ の場合,情報提供の時点に関して,情報が可能な限り(if possible)適時に 提供されることにより,申込者が契約の締結の可否を検討できる状況に置か れる必要があることが定められる(PEICL第2:201条2項)。
また,保険者は,保障の不一致(inconsistencies in the cover)がある 場合には,その前に申込者に教示する義務を負う(PEICL第2:202条1 項)。すなわち,契約の締結に際して,保険者は申込者に対して,とくに当 該申込者が独立の仲立人から助言を受けたかどうかという事実を含めて,契 約締結の事情および方法を斟酌して,引き受けようとする保障と,保険者が 知りもしくは知ることができた申込者の要望との間に一致しない点があれば,
それを教示しなければならないのである。ここでは,とりわけ独立の保険仲 立人が申込者に助言したかどうかも斟酌されることに注目されるが,申込者 が専門家である独立の保険仲立人に依頼する場合において,保険者がこのこ とを斟酌して教示する必要性は明らかではない。むしろ,保険契約者との契 約が保険仲立人により媒介されたときは,保険者の助言義務等を定める規定 は適用されないとするドイツ法上の処理(ドイツ保険契約法6条6項参照)
が妥当であろう。独立の保険仲立人が存在するにもかかわらず,保険者が重
複して教示すれば,その分コストを増加させるからである。
⑶契約の締結 PEICL第2:301条は, 保険契約は,書面によって締 結しまたは証明することを要しないものとし,様式について他のいかなる要 件にも服さない。契約は,口頭の証言を含むいかなる手段によっても証明す ることができる と定め,保険契約の様式の自由を定める。しかし通常は,
保険契約は証明の理由から書面によって締結されるので,この規定はあまり 実際上の意義を有しない。
申込みの撤回に関して,PEICLは,申込みの発信者のもとに保険者の承 諾の意思表示が到達する時までの間の撤回期間を定める(PEICL第2:302 条)。これに補足して,保険者の承諾の意思表示もしくは保険者によって送 付される書類の到達後,2週間以内における無条件の撤回権(クーリング・
オフ)も定められる(PEICL第2:303条)。両者の規制によって,申込者 には,当該申込者の契約締結の意思表示の到達後も,任意に契約の拘束力の 発生を妨げる可能性が付与されることになる。しかし,前者の規定(PEICL 第2:302条)は,無条件の撤回権に係るPEICL第2:303条1項の存在か らすでに不必要な規制であって,その存在の根拠については説得力を有する ものではない。保険契約者,被保険者または保険金受取人に対して重大な不 利益をもたらす不当な条項はそもそもこれらの者を拘束しないのは当然であ る(PEICL第2:304条1項)。
⑷契約の期間 PEICLは,契約の期間について原則として1年という 厳格な基準を設けている(PEICL第2:601条1項1文)。この契約期間の 上限について各加盟国をみれば,たしかにフランスのように多数の加盟国で は1年であるが,ドイツのようにその期間を3年に限定する場合やスペイン のように10年を定める加盟国もあり,さらにイギリスのように法定期間を定 めない加盟国も存在する。このようにPEICLが多くの加盟国と同様に比較 的短期の上限期間を定めたのは,保険による保障の内容を変更した場合に保 険契約者の利益を適合させる必要があり,また保険契約者が短期間のうちに 保険者を交代させる可能性もあるからである。保険者にとっても新たな市場
参入が比較的早く可能になる。その反面,たとえ契約期間の延長が可能であ るとしても(PEICL第2:602条,第2:601条1項),1年の期間を固定す ることは,契約当事者による契約期間の確定に対する私的自治への介入とい う側面を否定できない。
⑸保険者の契約締結後の情報提供義務 PEICLは,契約期間中におけ る保険者の契約締結後の情報提供義務を定める。これにより,保険者は,保 険契約者に対して,遅滞なく名称および住所の変更,および法形式(legal form)の変更に係る情報を提供しなければならない(PEICL 第2:701条)。
もっとも,契約の履行に関わるすべての事項や新たな約款の使用については,
保険契約者の請求に応じて追加情報も提供しなければならない(PEICL第 2:702条)。
第5章 結語⎜全体の要約⎜
PEICLは,選択的法規として第28番目の保険契約法として成立し,保険 契約の締結に際して契約当事者に対して一つの選択肢が提供されることにな った。このことは,たとえば国際物品売買条約(CISG)では,契約当事者 に対して当該条約を自己の契約に適用しない旨の合意が可能であるとするオ プトアウト方式が採用されているのに対して,PEICLは,選択的法規とし て契約当事者の任意によって選択が可能であるとするオプトイン方式に基づ いて作成されたことからも明らかである。選択的法規としてのPEICLが契 約当事者によって選択されるという意味では,現在のところ,EUにおける 第28番目の保険契約法としてふさわしい一応の体裁が整えられた基本ルール が提示されたといえるのではなかろうか。生成過程でみたように,紆余曲折 を経ながらも,各加盟国の代表者からなるプロジェクト・グループ所属の保 険分野の各研究者が,英知を結晶させて一応の完成をみたPEICLは,EU レベルでの保険契約に係る重要な基本ルールとして,EUで果たす役割およ び影響は少なくなく,今後の発展が非常に期待される領域であると思われる。
もっとも,第4章で検討したように,公表されたPEICLに対して批評す
る見解がすでに唱えられているだけでなく,PEICLが各加盟国の保険契約 法と 競合可能な 選択肢にすぎないという野心的目標に直面すれば,さま ざまな補充や変更が必要であることも否定できない 。たしかにPEICLは,
実際に2008年10月21日開催のドイツ保険学会でも取り上げられており,研究 者だけでなく,経済界 からもおおむね賛同を得ているが,実際の運用に 関してはいまだ未知数であると思われるからである。今後の展開に合わせて
PEICLも修正されることになろうが,学界ならびに実務での運用にもとく
に注目される。
本稿は,現時点で公表されたPEICLを基礎にその生成過程と発展を中心 に検討してきたが,生命保険の部分など,将来公表されるであろうPEICL の他の部分については,今後の検討課題としたい。
(筆者は福岡大学法学部教授)
33) Armbruster, supra note5,at812.
34) Gal, supra note7,at192によれば,ドイツ保険協会の法務部長である Bernhard Gause氏は,ドイツの保険経済界も保険法の分野においてヨーロッ パの法体系の調整を欠くことに障害を感じていることから,その限りでは同氏
がPEICLの制定を歓迎した旨を報告している。実際,Gause氏は,ポルトガ
ル出身の欧州委員会のある委員が,自動車賠償責任保険についてブリュッセル への転居後に,高額の保険料で新たなベルギーの保険を締結しなければならな かったことについて憤慨したことも併せて報告している。