• 検索結果がありません。

『語られる論理』としての教育理論の形成 ギリシャ的教育の論理

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『語られる論理』としての教育理論の形成 ギリシャ的教育の論理"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

『語られる論理』としての教育理論の形成 ギリシャ的教育の論理

佐藤 晋一*

(1991年9月13日受理)

On the Educational Theory as Spoken Logic

:Logic of Greek Education

Shinichi SAToH

(Received September 13,1991)

は じ め に

教育という営みは,その営みを成立させている・支えている何らかの可能性と必要性とを根拠と してなされるものである。全く任意に・無媒介になされるものではない。また,その可能性と必要 性とは,必ずしも個体に即自的なものとしてあるのみではない。個的レヴェルでの可能性と必要性 だけがあるのではない。教育の営みは,従って個的レヴェルにおいてのみ為されるものではない。

しかし,個的レヴェルにおける教育の営みを,各々の個が意識的に把握し,省察するということは いつでも,あらゆる場合になされることではない。より一般性をもつ,より高いレヴェルの可能性 と必要性の存在こそが,教育という営みを意識的に把握させ,省察させる要因であるといえるので

ある。

教育という営みが,全く個的レヴェルにおける営みであり,自然発生的であり,偶発的であり,

個の内的条件のみに支配されるものであり,アト・ランダムなものであり,恣意的であるというこ とがありうるとしても,そしてそのような非意図的ともいえる段階が,歴史的にみて,あったとし ても(動物の世界における営みとの対比においてそのようなことが主張されることがある),しかし,

そのような少くとも本来的に人間的なレヴェルにおける営みとは相違する・同一ではない非意識的 レヴェルにあっては,教育理論は形成されていなかったし,現に形成されているとは考えられない のである。つまり,そのようなレヴェルにおける教育理論については,事実上,何事も知りえてい ないのである。何らかの主張がなされることがあるとしても,それは仮定的なものであると言える のである。生命体には,生存を可能にする営みが本質的に内在しているという観測事実を示して,

それについて何らかの主張をすることができるとしても,果してそれが教育理論による営みである かどうかについては,何も言えないのである。生物の営みの中に,人間からみて,教育に相当する

*茨城大学教育学部学校教育講座教育学教室(〒310 茨城県水戸市文京2丁目1−1).

(2)

270       茨城大学教育学部紀要(教育科学)41号(1992)

ような事象が認められる,というのは事実であろう。けれどもそれは人間の側からみてそうなので あり,当の生物そのものにとってそれが何であるかを生物に問いただし,聞き出すことはできない のである。つまり,何であるかが,理論的に,生物の側から示されることはないのである。

従って,両者の間を単なるアナロジーでつなぐことはできないのである。両者の問には連続性が

て主張する以上,一方の方向からのデータに基づいて主張するだけではなくして,人間社会におけ る教育的営為を動物の世界に対してどのレヴェルまで,質的に対応させるのかについても十分に検 討せねばならないはずだからである。

教育という営みが単な為自然現象でないということは,そこに自然との自覚的な切断があるとい うことである。即ち,そこには自然発生的な要因ではない,意図的な要因が入り込んで来ているの であり,教育がある構造をもつ・構造に支えられているということである。この構造がどのように 理解されていたのかを示すものこそが,教育理論であると言える。構造は自覚的に把握されねばな らないものである。自覚的に把握するということは,それを対象的に把握することであり,理論化 することである。つまり,教育という営みの構造性が理解され,それが対象化され・理論化されて はじめて,一般的有効性をもつに至るのである。つまり,その構造理解そのものがコミュニケーショ ンの可能性を条件づけるものとなるのである。人はそのことによって,コミュニケーション可能な 存在として自・他を関係づけることができるのである。それによってはじめて社会性が自覚され,

獲得されるに至るのである。この関係は,「家族」,「民族」,「人類」の概念へと拡充される。

では,このような構造把握がはじめてなされた時,それはどのようなされ方においてなされたの であろうか。教育の可能性の根拠がどこに求められ,教育が必要であるという根拠はどのように意 識され,対象化されたのであろうか。小論では,教育理論が,ギリシャにおいて,<語られる論理

〉として,形成されたものであることを論じてみたい。

1.教育理論形成の前提

教育という営みは,自然発生的に生じうるものなのであろうか。たとえ,自然発生的に生じうる としても,そのような形態のまま存続しうるのであろうか。現象的には自然発生的・即自的とみえ ることがあるとしても,その現象そのものは突如として発生したものでも,無媒介的に生じうるも のでもないだろう。現象がそれ自体として発生することはないし,そういうものとして存続しつづ けることもないのである。現象はそれを媒介する・条件づける構造を通じることによってはじめて,

現象となるのである。

教育現象を現象たらしめている構造とは何であろうか。それは,人と物の関係の仕方,さらに物 を介した人と人との関係の仕方であろう。この二つの関係の仕方は,人間が直観的に把握し,意識 しうる事柄ではある。が,教育はこの二つの関係によってのみ媒介されるのではない。つまり,時 間的・空間的に身近で,ザッハリッヒ(即物的に)とらえうる関係のみによって媒介されるのでは なく,人間が自己の存在そのものを未来の時間・空間においても可能ならしめるために不可欠な何 物か,いまだこれまで経験して来た時間と空間においては見たことも,経験したことも,実現され

h

(3)

てもいない何物か,との関係においても媒介されているのである。そして,この何物かとの関係に おいてはじめて,個々のレヴェルでの対応と人間全体(当面は,個の所属する家庭であり,個に直 接の関係をもつと個の方が感ずる範囲での人々が形成する社会ということを意味するとしてよいで あろうが)の対応との間の本質的,根本的なズレが明確になり,それ故にこのズレが個にとっても 人間にとっても本質的な矛盾を含むことが明確になるのである。

このズレは,個にのみかかわる・個の判断にのみ委ねられてよいと考えられる範囲での継承・伝 達というものと,それ以外の範囲での・人間全体にかかわる範囲での継承・伝達との問のズレとと

らえてもよいのである。この両者の間のズレ(矛盾)は,そのままに放置されることはできない。

両者の間は,常に矛盾すると考えなくてもよい。ある時間幅においては,またある範囲において は(つまり,家庭や個に直接的関係をもつ人々の範囲においては),相補的な関係としてもありう るだろう。生物学的には,ある期間・ある範囲にあっては,個体は他との直接的な重層性(保護で あり,養育でもある)を持たねばならないのである。自ら選択はしえない直接的・初期条件(例え ば,親であり,生まれる場所や時代であり,さらにはいわゆるく個性〉そのもの)によって即自的 な拘束をうけているといえるのである。個はそのような各々の個に固有の条件のもとでしか存在し えないのである。とは言うものの,このような条件や関係は,常に安定的・恒常的なものであると は言えないし,その条件や関係そのものの間に矛盾が生ずることがあるのである。個の側に問題が なければ人間の側にも問題がないとはいえないし,逆に人間の側に問題がなければ個の側にも問題 がないとはいえないのである。

継承と伝達が個に関しても,人間に関しても同時に必要かつ十分な形態においてなされることは,

一般にはありえないと考えてよいのではあるまいか。更に,歴史的にみても,ある段階までは継承 と伝達が個的にも人間全体としても,an sichに,半ば無意図的になされて来たとみてもよいとし たところで,しかし,それが,通時的にも共時的にも範囲を拡げてなされて来てはいないのである。

空間的な拡大は,常に対立・矛盾をはらんでいたのであり,空間的な拡大・縮小は絶えざる運動の 結果として生じたのである。他方において,時間的には単なる延長として歴史は成立していないの である。ここには時間の切断とつなぎのくりかえしがあったのである。

継承と伝達の仕方それ自体が,論理的に考えるならく次のステップ〉・時間的空間的ステップを 作り出すのであると言えよう。とは言え,すべての個そしてさまざまなレヴェルの人間集団が,こ のことをつねに意識している必要はあるまいし,事実,意識していたとはいえないのではないか。

人類の歴史は比較的浅いのである。生物の歴史の中では,ほんのわずかの時間でしかない。人類の 文化史はそれほど過去にまで遡及しえないのである。人間の活動が対象化されたものとして見た場 合の文化的痕跡すらそれほど過去にまでたどれるものではなく,結局のところ人間の身体的・骨格 的変化という,むしろ文化を対象化する根本的な生理的条件の変化という諸事実に拠る説明以外に はないのである。それとても,せいぜい1,000万年前後の過去の時点での変化とされているのであ る。明確な意識を伴わない生物学的レヴェルで個体間のく情報の継承と伝達〉があったとしても,

それはくサルからヒトへ〉の転換以後のことである。そして人類が,その生物学的レヴェルのメカ ニズムを反省的にとらえ,それ自体について考察することをせずに,ある種の文化をつくりあげた とされるのも,ごく最近のことで3万年前後の過去にすぎない。しかも,その3万年の文化史のう ちで現代の人間と確実につながると言えるのは,せいぜい5,000〜6,000年前からなのである。人

(4)

272      茨城大学教育学部紀要(教育科学)41号(1992)

問は存在はしていた。が,いかにして生存を続けていたのかはいまだ確然とはしていない。断片的 な証拠はあるにもせよ,である。しかしながら,ある時点で,ある形態をとって,人類は自己の存

●     ●     6     ●     ●     ●

在を自覚的に対象化することによって存続することを可能としたのである。

では,いつ,いかなる形態において,継承と伝達が自覚的に対象的にとらえられたのか。歴史を 継承し伝達することの可能性と必要性が自覚的に対象化されたのは,どのようにしてであるといえ るのか。それを可能とする作用はどこから生ずるのか,どこにその根拠が求められるのか。そして それを必要とする根拠は何であるのか,がどのようにして自覚的に対象化されたのか。

継承と伝達が,単に,何か既に形になっているもの,または直接伝えることができるもの,形の ある具体的なもの,直接経験可能なもの,直接的に指示しうるものに依拠して,なすことができる ということは事実であろう。が,それに尽きるのだろうか。伝達し継承する側と継承し伝達する側 とが共にそれらを共有しているという関係,共に具体的な時間・空間とを分かちあい,その中で共 通の何事かを共通に経験しうるという事実があるというのはその通りであるが,それに尽きるので あろうか。そうではあるまい。共に在るということ,時間を共有するということは,必ずしもく空 問〉を直ちに共有していることにはならないし,〈時間〉を直ちに共有していることにもならない。

つまり,多くの空間が時間を共有することがあるという場合のく時間〉とは単なる時の経過のみを 意味するものではない,いわゆる絶対的時間のみを意味しない。逆に,多くの時間が空間を共有す ることがあるという場合のく空間〉とは単なる拡がりのみを意味するものではない,いわゆる絶対 空間のみを意味しない。各々の空間を成立させている各々の時間相互の内的関連性が重要であるは ずである。各々の時間を支えている・その中にもっている各々の空間相互の内的関連性が重要であ るはずである。各々の空間を成立させている各々の時間,各々の時間を支えている各々の空間がバ ラバラに在るというだけでは,それは何の意味もないのではないか。即自的に共有している時間・

空間は,いってみれば生存のための形式的な枠なのであって,生きている個や人間,そしてくその 次の時間・空間〉に連続させられるべき時間・空間そのものにとっては,もっと別の時間・空間が

●     o     ●

必要なのである。その中で人が生き・動くことによって作られる,だからその次につなげられるべ き時間・空間というものが必要なのである。

直接に体験できる範囲の中でのみ体験できることは大切である。しかし,その直接的という意味 をどのように解したらいいのか・直接に個なり人間なりが経験できたり共有できる時間・空間は,

それが単独に,それ自体として,固有のものとして在るのだろうか。その直接に触れることのでき る範囲は,その背後により拡くより深いバック・グラウンドをもたないのだろうか。人間が感覚的 に直接に感ずることのできる範囲のみが直接的なものではないのである。直接的であるかどうかは 感覚的にのみ判別できるものではないのである。また,体験しうる事柄そのものが単独に,他と独 立して在るのでもない。体験しうるのは部分的な事象であり,事象のすべてではない。だから事象 そのものが全体として,いかなる構造を有しているのかが問題なのであろう。直接に経験しうるも ののみにもとついて事象そのものが出来してくるのではない。

存在条件は,初期条件として与えられる存在条件は,個が,人間が選択し判別しうるものではな い。存在条件は,所与の条件なのであり,個そのものの存在と切りはなすことのできないものなの である。そこでこの所与性が即自的なものと感じられることはありうるのである。しかし,このよ うな条件のもとにとどまりつづけることはできないのである。その所与性のみを唯一の存在根拠と

(5)

することはできないのである。存在条件を対自化して(あるいは自己そのものを対自化して),自 己との関係の中に据え,あるいは自己自身を所与の存在条件に何らかの形で関係づけ,そうするこ とによって自己と所与性との関連の仕方そのものを変えていかなければならない。何故なら,存在 条件のすべてが必要にして十分な形態において個にも人間にも所与的に属しているのではないので ある。存在のための基本条件は所与的なものと考えてもよいが,存続のための条件までも所与的な ものと考えることはできないのである。その所与性が外部要因によって乱されることもありうるの である。生まれ出た時の時間と空間にのみ局限されてしまえば,生きること,生きつづけること自 体が不可能ともなる。直接に経験しうる事象にのみ局限されていては,やはり生きつづけることが 不可能ともなるのである。つまり,直接に知ることの出来ない時間・空間,そして事柄が個や人間 の存在にとって,常にプラスにのみ作用するとは限らない。少くともそう断定することはできない。

従って,それらがマイナスに作用し,存在そのものを危うくするような場合には,それに対抗して 生存を全くするべく有効に対応せねばならないのである6

自己とその存在条件との関係そのものを,即自的にのみとらえるのではなくして,対象化してと らえることができなければならないのである。そして,その対象化された関係を個に固有な関係と してのみとらえるだけではなく,すべての個にとって必要にして十分な関係であるかどうかという 観点のもとでとらえなければならない。もっとも,個に固有の関係としてとらえると言っても,そ れは純粋に個の範囲を出ない,その中におさまるということはないのである。例えば,直接的な事 柄として言えば(生物学的に言えば),家族の発生のメカニズムを考えてもよかろう。少くとも,

家族においては個に固有の条件のみならず,配偶者及びその両者の間に生まれた子供,これら複数 の存在にとって必要・不可欠の条件や関係をととのえることが,生存の最低限のラインとなるので ある。ここには,もはや個のレヴェルをこえた関係そのものの拡充が生じているのであり,個はそ の中でのみ存在しうるのである。

継承・伝達は,直接的には,この家族という関係の中でなされるのであるが,ここでも家族とそ の存在条件を対象化しなければ,子供に対して何物も本質的なことがらは伝えることはできないこ とが明確に自覚されるはずである。子供に伝達すべきことは,アレコレの具体的事象であるという のであれば,事は簡単であろうが……。だから,個に固有の存在条件と考えられるもの自体が,他 に対して対象化されて伝えられなければ,他はある個とその存在条件との関係をとらえることはで きないのである。かくて,一般に継承・伝達は本質的な意味では,具体的・直接的な事物によって,

それを介してなされることではないと言える。従って継承・伝達されるのは,事物そのものではな くて,それをこえた何物かではないか。具体的な事物は,それを介して,この何物かを伝えるく媒 質〉なのであろう。具体物は,それが伝えられる当のものではないし,継承される当のものではな い。それは継承・伝達を表象し,意味をハッキリさせるという機能をもつだけではないのか。経験 や直観との対応を保証するものとしての意味をもつだけではないのか。このことは自己自身への自 己の関係の仕方を考えてみるとハッキリするのではないか。自己が自己自身に対する場合,物その ものは,必ずしも常に具体的である必要はない。何らかの具体性が保証されていればよいのである。

常に,いつでも目前の具体的な事実や現象を求めることはないのである。

従って,重要なことは継承・伝達(教育)が,個や人間の外部に在る物,具体的な何物かを介し てのみなされるということ,それに尽きるということではなく,そのようなレヴェルを超えてなさ

(6)

274       茨城大学教育学部紀要(教育科学)41号(1992)

れるということである。それ故に,継承・伝達がなされうる根拠はどこに求められねばならないか ということを,追究せねばならないのである。その根拠は,人間の外側にではなくして,人間その ものの内側に求められるべきものである。個が,人間が自己の存在そのものにかかわる法則性(存 在を可能とするだけではなく存在しつづけることを可能とする法則性)を感じとり,つかみとるこ

と,生命体そのものが実はアト・ランダムな存在ではなく,偶然性や外部的条件のみに支配される 存在ではないことを把握すること,とりわけ外部の物や人への働きかけや自己自身への作用は所与 の条件や個に固有の条件を手がかりとしつつも,決して単なる偶発的な,恣意的な作用ではないと いうこと,人間の本質的属性に立脚した作用であり,一定の法則性にもとつく作用であること,の 自覚にこそ求められるべきであろう。作用が可能であることの根源は内側にこそ求められるという

.    ことの確認にある。何物かによっての,その力を借りての作用ではなく,自己自身の活動そのもの こそが根源的なものであるという自覚に根拠は求められるのである。

このことは,主としてくロゴス〉とその作用としてとらえられた言語活動とその法則性の把握と いう形態をとっていたといえる。言語が,個自身に対しても他に対しても,有効性をもつというこ との確信として与えられたともいえるのである。あらゆる人間が発することのできる音,あらゆる 人間が聴きとることのできる音,即ち話し言葉,しかし瞬間的に発せられて消える,というよりも 元来見ることは出来ない・形はもっていない音,時間的にはすぎ去りゆく音,即ち人間の語る言葉,

をある形態においてとらえ・象徴化する手がかりとしての,また,だからそれを再生する・空間化 する手がかりとしてのForm,即ち単に音を聴きとるのみでなくそれを理解する手がかりとしての Formが求められたのである。それが,まずは絵文字・懊形文字などの形をとり,やがて音との本 質的な対応をもった文字にまで至ったのである。これが可能となったのは,まさしく音とその音を 発する際のアクションを,人は共有しているという事実の確認があったからである(言うまでもな くこのことのプレ・ステージとしては,具体的なものが形象化されうるという共通認識があったの ではあるが)。時間的にすぎゆく音やアクションそのものをあるFormにあらわすこと,即ち空間化 し視覚化すること,対象化すること,だから,継承・伝達の拡充(間接化でもある)が可能である という確認が共有されたのである。

この共有化は,更に深い意味を発見させるに至る。つまり,直接的に感覚でとらえることのでき ないもの,体験・認識の具体的対象とならないもの,直接的には継承・伝達しえないものが,対象 化され・何らかの形態において表現されることによって,共通性・一般性をもちうること,一般に 体験され・経験され・継承され伝達されうるものに姿を変えること,他への変換が可能であること を意味するようになったのである。個の,人間の内的な欲求・衝動が対象化されうること,そして それが他者への有効な媒介的作用をなしうることの自覚は,必然的にそのために必要なFormに関 する関心をひき起こした。つまり,そのためにどのようなFormを形成するか,それらのFormがい かに関連しうるか,そして,それらのFormやFormの関連が人間の内面をいかに表現しうるのか,

自己対象化はそれらのFormのどのような組み合わせによってなされうるのか,どのような組み合 わせが対象化の諸相をいかに反映しうるのか,への関心をひき起こした。この関心は,とりわけ言 語行動へ集中されて具体化されたのである。

生存を可能とするだけではなく,それを続けるための条件をより深く,より正確に知ることがす べての個にとって必要・不可欠の要件である。それは,個に直接的な関連のあることについて充分

(7)

に知るということだけで尽きるものではない。個々の範囲における必要性の算術総和に尽きるもの でもない。このような,直接に指し示すことはできないが,人間にとって必要・不可欠の条件を概 念的にとらえることができるということ,そして,継承し伝えることができるということの自覚は,

きわめて重要なことであった。このことは,本来の意味での人間の存在それ自身を支えるく社会性

〉の自覚でもあったのである。つまりコミュニケーションの有効性の自覚であったのである。アレ コレの具体的なものではなく,またそれによるコミュニケーションではなく,意味を相互に伝え合       ●     ●A      ・   o   ・

チことが出来るのだということ,意味を担うことのできるものの一般性によって意味の一般性が担

       ・     ・       ●     ●     ●

墲黷驍アと,アレコレの具体物に限定されずに意味を担えるものが意味の一般性を担えるのである ということ,の確認こそは社会性の確認でもあったのである。また,かくしてはじめて,コミュニ ケーションが特定の条件を止揚して成立することが明瞭になったのである )。

ところで,この意味を伝えることのできるものである言語は,まず,人間そのものに即自的な,

人間と不可分の・切りはなしえない結びつきにおいて,即ち人間そのものの内側にある発話・発語 のメカニズムとしてとらえられたのである。何よりも言葉は発せられることによってはじめて言葉 となると考えられたのである。発せられる言葉こそが言葉であり,それが最も重要なことであると

●     ●     ●     ■

いう意識の成立が,はじめにあったのである。語られることがらと語るということとが一体である

.     ●     ●     ●

という意識が成立したのであった(語られることがらと語ること(発せられた言葉)とが論理的に 区別されうるという意識は,未だ成立していないのである)。従って,〈発せられる言葉〉がく語 られたことがら〉を内包するものとしてはじめに在る,のである。いわばくはじめに発せられるロ ゴスありき〉なのである。しかし,いうならば静力学的な形態においてではあるが,つまり,発せ られる言葉の背後に力の源がある=言葉を発する人間がく動かす力〉として控えているという形態 においてではあるが,上にのべた意識の成立が,教育理論(継承・伝達の理論を含む〉の形成の可 能性と必要性を確実なものとするための,きわめて重要なステップであったのである。ギリシャに おいて(ギリシャ以外のところでは,教育理論の成立が確かには知られていないのである),この 第一のステップが,どのようにして踏み出されたのか,をみてゆこう。

2.『語られる論理』としての教育理論の形成

o     ●     ●       ●     ●     ●

古代ギリシャは「一つの古典的な教育,まとまりのあるはっきりした一つの教育システムしか知        ●

轤ネかった」のであるが,その「明確な形」・「固有の型」,つまり「自分の型」が自覚されるの はプラトン,イソクラテス以降のギリシャにおいてである。自らの社会の内部において営まれてい る教育に,固有の型が存在することが明確に意識されるまでには「明らかに時間的なズレ」があっ たのである。それは,教育というのは「ある社会が自分たちの文明生活を特徴づけ(支え)る価値 や技術を,若い世代に伝授するテクニックの集成」であり,教育はこの意味で「二次的,従属的な 現象であり(個及び人間社会の一次的な生活レヴェルを基礎とする文明生活の)要約ないし凝縮」2)

だからである。つまり,二次的・従属的な伝達形態ではあるが,固有の論理に支えられる型が可能 であり必要であるという自覚がなされることが前提となるからである。一次的レヴェルでの生活・

生存が可能となり,それが各々に固有の形式をとって続けられるという事象はギリシャ以外のとこ

(8)

ろでもみられる。にも拘らずギリシャにおいて,B. G 4Cに固有の型をもった伝授・伝達がく要約・

凝縮〉として意識され,対象化されたのはいかにしてなのであろうか。伝授・伝達の現象形態(例 えば,いわゆるギリシャの教育組織・形態,教育内客論・カリキュラム論,教育方法論など)につ いての言及にくらべて,要約・凝縮を支えた中心的な論理が何であるのか,その論理的根拠がどこ に求められるのか,についての検討は十分であろうか(要約・凝縮が自然発生的にはなされえない からこそく時間的なズレ〉が生じたはずなのである。従って,論理的な根拠が対象化されなければ,

そのズレは更に拡大していたとも言えるのである)。

そこで,この点に関する検討を,(1)〈語られる対象〉としての子供(πατζ),(2)<語られるステー

パイース

ジ〉としての学校(スコーレー),(3)〈語られるマテリアル〉としてのエンキュクリオス・パイデ イア(εγκ鯉λ oζπα δεεα),(4)〈語り・聴く論理〉としてのディアレクティケー,の4点から おこない,ギリシャに固有の教育の論理(つまり,教育理論形成の第一歩としての論理形態)が,

〈語られる論理〉であったことを示したい。

2.1.〈語られる対象〉としての子供

伝達されるはずの対象である子供に関する観念は,明確なものだったのだろうか。子供(パイー ス)は親に対する子供・子孫,成人に対する子供・少年・少女・若者を指し,奴隷・召使の意味も もつ。より広く,動物をも含めての親に対する子供という場合はテクノン(τSrCVOV)として区別 されている。身体的な事柄ではなくて精神的な事柄に着目して子供と言う場合はネーピオス

(りηπωぐ)である。それは,まだ口のきけない・愚かな・(話す)力のない・未成年の,という 意味であり,動物の子供やヒナを指す場合もある。ネーピオスは厄ωり(ピオン,肥大な・肥えた・

太った・豊かな・富んだ)の否定を示す。同時にεπ・ζ(エーボス,言葉・陳述・話・歌)の否定 でもある。

また,アテレース(飢ελウ〜未完成なもの・満たされないもの・不完全なもの・斥熟なもの)

も子供を示す語である。これもテーロス(τελ・〜成就・達成・実現・完成・成熟)に至らない者 という意味である。エクゴノス(εκγ・り・ζ)は,子孫・息子・娘・産物・作品・利息という意味 と共に,何かに由来するところのく子供〉・何かから派生してくるところの〈子供〉を意味する。

このように,子供の観念は,大人・親あるいは子供が属するところのものとの関係においてつかま れていて,いまだ大人・親にまで成っていない者という意味をもっているのである。特に重要なの は,子供は,いまだものを言うこと・考えることができない状態にあるということを示している点 である。子供は,大人・成人・成熟した者の反対概念として,あるいは従属変数的存在としてとら えられていると言えよう。

ところで,パイデイア(πα δε〜α)という語は,教育・教養という意味だけではなく,幼少時代,

集合的に言う場合の若者達という意味ももっているのである。つまり,パイディアー(πα δ依 幼少であること・子供っぽいこと・子供らしさ)と通じるのである。パイディア(πα δ のは,

子供の遊び・遊戯・児戯を示し,一般に遊び・娯楽となる。「遊びと教養との,即ちパイディアと パイデイアとの関係の問題は,ギリシャにあっては同一の語源から生じていたのである。両者は根 源的には子供(パイース)の為すこと(Tun)に結びついていたのである。プラトンがはじめてそ

(9)

れを明確にしたのである(S,43)。」プラトンは「青少年においては遊びつつ学ぶことが有効であ るとし,パイディアをパイデイアに役に立つものにしようとした(S.44)」3)のである。『ポリティ コス』で,プラトンは幼児たちに遊戯(パイゼイン,παεζε り)をおこなわせることにより,こ の「遊戯を試金石として用いて,吟味を終えたうえで」,「この最初の試験の合格者となった子供た ち」を教育者に委ねるのだと言っている(308D)4)。子供はこの意味で,いまだマンタノウ

(μαりθ伽ω,学ぶ・覚える・聞き知る・聞き知るために尋ねる)の状態に至らない者である。ア リスティッボスは「ソクラテスのもとに行ったのは学ぶ(パイデイアー)のためで,ディオニュシ オスのもとには遊ぶ(パイディアー)ためだ」というようなジョークをとばしている。そして,「す ぐれた子供の学ぶべきことは何かと質問されたら,『成人したあかつきに,彼らに有用であるべき

   5}

アと』」だと答えている。マルーも「パイデイアは,子ども(パイース)という語を含む」こと,

パイデイアには「子どもに(つまり子どもを成人にするために)ふさわしい扱い(p.266)」,つま り「パイデイアは,子ども向けの技術,子どもがはやく大人になるように支度し,準備してやる

    6)

ip.120)」という意味があると指摘している。子供がくふさわしい扱い〉をうけた状態を示す語 がパイデウマ(παZδεひμα)で,それは,育てられた者・育て子・教えられた者・教える内容・教 えられる内容(教科),をも意味する。このことに関連しては,プラトンがミュートス(説話・話・

物語・伝説・童話・作り話・諺・神話つまり語られることがら)が,「遊戯(パイディア)にさい して使われるような話」7)であると言っていることが注目されるだろう。パイデイアは,かくして 教育の結果として子供の身についた事柄・身につけた事柄という意味をあらわすようになったので

ある。

スパルタにおいては,パイドノミアはパイドノモス(子供の教育を監督する役人)の職業をあら わす。アテネにおけるパイダゴーゴスは,パイダゴーギア(子供の訓練・訓育・教育・面倒をみる こと)を行うく教師〉である。つまり,パイスをアゴーゲー(好ωγη)する(つれて行く・つれて 来る・導く・指示・教導・訓練する)のである。子供の教育をする事・教育を監督する人・矯正す る人・懲戒する人,はパイドウテースである。子供を教育するという話はパイデウシス,パイデイ オウとがあるが,前者は教える・教授・教育・訓練・教養・教育の手段や場をも意味するし,後者 は教える・教育するという意味の他に,訓練する・躾ける・懲らす・矯正するという意味も有して いる。これに対して,子供を育てるという場合は,パイドトロフユーである。養育はパイドトロフィ ア,パイドトロフォスであり,パイドトロフェー,パイドイリギアは母親を意味する。母をあらわ す語にはメーテールがあるが,これは産みの親・祖国・故郷の意味をもつ。尚,父をあらわす語に はパーテールがある。この語は年長者への敬称でもあり,その複数形は祖先・両親・植民者に対す る母市の住民を意味する。〈父〉と子とは,作り出すものと作り出されるものという因果の関係に おいてとらえられていて,〈子を養い・教育する父〉というとらえ方ではない。〈父〉に対しての 子供は,子孫・後商という意味での存在なのである。これは,母と子の関係と父と子の関係のとら え方が異なることを示している。このことは,ギリシャの教育の構造を理解するうえに大きな意味 をもつといえる。母はく教育〉ではなく,養育との関係においてとらえられている。教育はく原因 としての父〉と子供との関係においてとらえられていて,〈家庭における父〉と子との関係におい てとらえられているのではない。父はいわゆる父親というよりもまず,男・夫・成人・人間(アネー ル,伽ηρ)であり,そういう父をまねることが子供に求められるのであり,それが教育なのである。

(10)

278       茨城大学教育学部紀要(教育科学)41号(1992)

このアネールの与格が,〈人間の〉(帥δρoμεoζ)という意味で使われる。そしてアンドロパイ ス(伽δρ・πα ζ)はく大人のような心意気の少年〉の意味をもつのである。

子供のとらえ方は,ローマにおいても同じような事情にあった。そこでは,子供はinfans, in一 fant, infantilisなどの語であらわされるが,いずれも,いまだものが言えない・話すまでに至って いない・無言の・黙っている・片言の・訥弁の・話すことが遅滞している・話題の乏しいこと,を 意味する。これは,fans(fantis),即ちfor(話す・言う)の否定を意味する。

プラトン自体が,子供をアマテース(妙αθηζ・無知・無思慮な者・欺かれやすい者)と呼んで いる。「知恵の行かない子供たち(『ソピステス』234B)」8},「子供同様に思慮の足らない者(rゴ       9)

泣Mアス』464D)」,「思慮のぞなわらない子供(『ゴルギアス』497E)」,「無知のために何も恐 れない子供たち(『ラケス』197B)」1°)などと表現している。アマテースは,愚かな・無学の・粗 野な・〜を知らない・〜の経験のない,という意味も有しており,これはマンタノウ(μαりθ伽ω・

覚える・聞き知る・訊ねる)の否定をあらわすのである。<まだ知らない(アマティス・αμαθ ぐ)

〉は,アテーマ(μαθημα・聞き知ること・学んだこと)を否定することばである。これらの話が,

アパイデイア(απα δε乏α)やアパイデウシス(απα δεひσκ)という語が意味する無知とは異な る状態としての無知をあらわしていることは注目すべきであろう。つまり子供はくいまだ聞き知る ことのない者・語ることのない者〉なのである。それに対して,アパイデイアの状態にある子供に ついて,プラトンは次のように言う。「子供というものはすべての獣のなかで最も手に負えないも のです。(なぜなら)まだ訓練されていないすこぶる豊かな知性の泉を持っているだけに,彼は悪 賢くて油断のならない,獣のなかでいちばん始末に負えないもの(『法律』808D・E)」になって

しまう。つまり「子供は正しい教育と恵まれた素質とを得てこそ,最も温和な動物になるのであっ て,もし不十分な,あるいは立派でない育てられ方をすると,大地の生み出すものの中で,最も狸 猛なものになるのです(『法律』766A)。」

とは言え,現実的には「人間の種族はつぎつぎと子供を残して(種族としての)同一性を永遠に 保ちながら,出産によって不死にあずかっている(『法律』271C)」のである。プラトンが目にし ていたように,出産による子供の出現は現実としてあったのだが,その子供のとらえ方は必ずしも 十分ではない。プラトンは,子供は種族の同一性・連続性を保つ契機である限り「両親のものであ るよりも国家のものである(『法律』804D)」11)と言う。そして,生まれつき,既に存在している 社会・ポリスを担うためのく豊かな知性の源泉としての恵まれた素質を得ている〉子供(そうでな い子供もいるが)が存在するという事実に立脚してのみ,種族の存続が可能なのだと言う。このこ とはプラトンの,だから当時の教育論を考えるうえで重視されるべき点である。イェーガーは指摘 している。プラトンは「婦人と子供の共同態を,国家に直接に奉仕している統治者たちの階層に結 びつけようとしている(S.320)」が,その共同態は,良き血筋のものを選ぶという「血統の選択原 理(S.320)」によって選びぬかれているものでなければならない。それに対して「働くものたち(と その子供)の共同態が(S.321)」12}に国家に関与することは否定されている,と。

以上のように,子供一般に関しては,経験的なとらえ方にとどまっているといえる。まだ語るこ とのない子供が,いかにして語る者になるかという点への関心は十分ではない。子供は,既に語り・

考えることができるようになっている大人との比較においてとらえられている。子供そのものをと らえる視点は,まだないと言える。「古代人たちは,教育を人間の究極目的としてあれほど心をく

(11)

だいたのに,その第一段階の子供にはほとんど関知しなかった。この人たちにとって,この段階は,

まだ完全な意味でのパイデイアの一部ではなかった。」「子供そのものには関心をもたなかった」13)

のである。医学的にも「乳児期の医学は,まったく無視されていた」としないまでも,「本当に深 くは乳児期の医学に関心を払ってはいなかった」14}のである。ヒポクラテスはくどんな子供が育て るのに適しているか〉に関心をよせているし15),エペソスのソラノスは,育児法を「育てられるに 値する新生児とはどんな子供かを決める技術」16}であるとしている。「初生児が育児に適している かいないか。これは常に先決問題であった。父は養育不適の小児を棄てることを許されたのである。

故に,初生児の発育並に健康状態が仔細に検査せられた」17〕のである。アリエスは「古代社会は,

●     ●

子供そのものに即しつつ子供をはっきりと表象していないし,少年に関してはなおのことそうで    18)

?チた」 と指摘しており,「十七世紀には無視され,十八世紀に発見された子供は,十九世紀に         19)

ヘ専制君主となる」 という周知のテーゼをうち出している。また,子供が美術作品などのモチー フとして描かれたり,文学的作品のテーマとして描かれることもなかった。子供に対する古代人の 態度は「近代人には殆ど理解できないもの」2°}であると言えよう。

子供そのものには関心を有していないのに,プラトンに代表されるようにく年令段階〉について は教育論との関連でこまかな区分が設けられている。とは言え,7才までは一括してパイディオン と呼ばれ,この間の区分はない。7才以降については,少年,青年(14才〜21才)の区別がある。

7才までの子供は婦人(母)のもとで養育されるのであり,教育の対象ではない。だから,子供そ のもののく成長・発達〉ではなく,伝えられる存在・やがて大人となる存在としての・後継者とな る子供と大人との関係が,ここでは重要なのである。いわば子供はく要請された存在〉である。7 才頃になると伝達の可能性・大人との基本的コミュニケーション(主としてオーラル・コミュニ ケーション)が明瞭になるという経験的事実に立脚して,〈それ故に>7才以降の子供がく伝えら れるべき対象〉であるとされるのである。〈話す一聞く〉という伝達形態を中心とした年長者と年 少者の結びつきは,親と子のそれよりも「はるかに強い結びつき」2 )なのである。そして,これこ そがく教育的関係〉の実体なのである。

2.2.〈語られるステージ〉としての学校

伝達する側とされる側を媒介する場は,どこに,どのような形態として存在していたのだろうか。

家庭は養育の場ではあったものの「教育の場となることはなかった(p.44)」のだが,教育が「学 校によって担当されるということもなかった(p.45)。」教育に「固有の施設は長い間欠如していた」

ので,教育は年長者と年少者とのく人間関係〉の中でなされていた。「教師(年長者)が弟子(年 少者)を選び,彼を自分のそばに呼びよせて,他と区別し,弟子はその教師に結びつくという教育 だけ」があった。この「招き(vocation)は,教師が教育に適していると判断した青年に対して行う,

上からの呼びかけで」あり,「学問のコミュニケーションは,それにふさわしい者に限られるべき もの(p.46)」であった。この意味では「子供が育つ社会環境,つまり家族や家内奴隷やまわりの 人たちこそが決定的要因であった(p.269)」22}のである。

学校を「意味する言葉はすべてスコーレー(σκ・λη)あるいはディアトリベー(δεατρεβ〃)で

  23}

?驕v が,スコーレーはくある事柄から解放されること・しないでいること・なすべきことを

(12)

280       茨城大学教育学部紀要(教育科学)41号(1992)

さっさとやってしまうこと〉を意味し,単なるく閑暇〉ではない。ギリシャ市民がポリスの中で義 務を果たすことから解放された時間を指すのである。スコラゾー(σκoλaζ切はく一をする時間(ヒ マ)がある〉ことであり,スコラゾー・エルゴーン(σz・λaζωεργωり)は,〈仕事を休む〉こと である。だから,スコーレーはく暇な時間に行われること〉,<特に学問的な討論・集会・論議を 指す〉ようになり,討論のための時間も意味し,やがて学校(討論の場)を意味することとなる。

ディアトリベーもく談話する・交際する・議論する・あることにたずさわる〉という意味でのく時 をすごすごと〉なのである。「スコーレーという言葉は,〈閑暇〉という意味からく哲学的問答〉

1    という中間のステージ(the intermediate stage of philosophical discussion )を経て,〈学校〉へ        24)

ニ転化(p.241)」したのである。「心を働かせること(p.242)」 がスコーレーである。

「四世紀のギリシャ都市国家の市民たちの日常生活においては,使いうる余暇(Muβe)のほと んどすべての時間が精神的陶治と身体・健康管理にふりむけられていた。」そうせねばならなかっ たのである。余暇は,子供が学校に行く時間というより,大人がもてる時間の大部分を使って自己 教育と心・身の自己管理に必要なこと丈パイデイア)を為したのである。むろん,すべてがこのよ うな時間をもてたのではない。「ギリシャの都市国家は,その民主的な形態にあってすら社会的な 意味ではアリストクラシーであった。」25}スコーレーをもちえたのは奴隷ではなくて市民の,しか

もその一部の階層だった。

では,どこで談話のスコーレーをすごしたのか。一般にはパライストラ(παλαεστρα)あるい はギムナシオンにおいてであるという。ギムナシオンは「まとまった建築的一単位というよりは,

まず広々とした運動場」であり,「肉体とともに精神の鍛練のセンターでアゴラ(広場)やストア(桂 廊)のように,自然に一般の社会生活の中心になった」ところである。やがてギムナシオンの「内 部や周辺にそれぞれの用途の建物,ストア,浴場,更衣室,倉庫,教室,講義室が出来た」らしく,

パライストラは「その一部であり,重要な部分」26)であった。語義的にもパライストラは,πaλη(パ レー,レスリングのこと)と,εστoρεω(イストレー,訊ねる・問いただす・聞き知る・聞き知っ たことを伝える)の合成語である。更に,アカデメイアというのは,ギムナシオンをもつ「一種の 公園(450m×300mぐらいの壁で囲まれている)」であり,「プラトンはおそらくこの公共体育場       27)

ノ隣接したところに地所を求め,私邸を設け,これらの施設をすべて取り込み利用する形で」,

,     〈学園〉を創設したようである。

いわゆる体育は「模範演技と実技練習だけによって学ばれたのではない。さまざまな運動を意識        28}

Iにとらえ,それを分析的に考え抜かねば」ならず,それは「講義の形で伝え」 られたのでもあ る。体育は「概念一方法論的なMusterdialektik」,即ち「対話によって論じられること(die dialektischen Gymnasien」29)でもある。「古代の健康法は,一般的・公共的なことがらではなく」,

主として「個々人の考え方・必要性,そして資力に応じたレヴェルで」なされ,「当然のこととし て体育に結びつけられていた。」「体育は,ギリシャの一般の人々の日常生活の中で重要な位置を占 めているだけでなく,長い間にわたって健康にすごすすごし方にも支えられており,身体とその訓 練の持続的コントロール」が目的であった。「故に体育(K6rperpflege)について専門的知識をもっ た助言者としての体育家は,医者の先達であった。」3°》いわゆる体育は養生法(Diet)と健康法

(Hygine)から成るもので,そのための施設がく学校〉であった。

ところで,アテネが民主制に移行し「いよいよ数を増す子どもを相手どる教育」の必要が生ずる

(13)

と「集団的な教育がどうしても必要」となり,「学校という制度を,この社会的必然が誕生させ

(p.55)」ることとなった。「教育はもはや個々人の自発性におされることはなくなり(p.126)」,

何らかの公的形態をとらざるをえなくなった。教育の対象とされる子供の範囲が拡大すると,自然 発生的な教育形態では,あるいはく私的な形態〉では不十分となったのである。とは言え,狭義の 学校らしい学校,「読み書きの学校の存在は,それを予想させる筆記の一般的慣用をはじめ,間接 的な推測によってしか想定できない(p.58)」し,ソフィストでさえ制度的に言う学校は開かなかっ た。一般に初等教育機関の確かな存在は知られていない。教育機構は「都市単位のものだった」の ではあるが「どの都市でも教育が無条件に一機構となっていたとみるのはそもそもまちがいである

(p.128)。」「都市の経済的構造が依然としてきわめて弱体であり,全体的にきわめて古い段階にと どまっていた」のであり,「都市には直接に公教育の任に当たるだけの必要な財源もなければ,必        31)

vな管理機構もなかった(p.137)」 のである。都市が教育全般にわたっての責任を負うことはで きなかった。あったのは18才以降の壮丁団に対する機関であり,壮丁団附属のギムナシオンがレー

トルギアに拠って創設・維持されていた。レートルギアとは市民が自己負担により公の行事の費用 を弁ずることであり,市民には何種類かのレートルギアが求められている。比較的明らかになって いるイソクラテスの学校でさえ「どこに置かれ,どのような施設から成り立っていたかなどについ       32)

トは,確実なことは何も知られていない」 のである。

ポ リ ス  アーンドラ  ディダスカイ

ギリシャではく都市が人を教育する(Hoλεぐαりδραδ δ如κεε)〉(シモニデス)ものであっ たといえる。「都市は教師であり,生きることの先達であり,すべてにまさる権能をもった教育者 であった。」というのは,都市は人間の制作活動が対象化された「人格であり,道徳的に働きかけ るもの」であり,「固有のエートスとそれ自身の鋳型をもつ(p.65)」のである。都市は,この意味 でく語る人〉〈教育する人〉である。都市は「市民自身のalter ego,最もすぐれた,より高い自己 として」,「断固として精神的服従を強いる声の調子と,理性に訴えて説得する口調で(p.57)」33)市

アナグカスティケー  デュナミス

民たちに,〈強いてそうさせる力(伽αγκαστ 切δ加αμ ζ)〉をもったステージ・学校なので

ある。

2.3.〈語られるマテリアル〉としてのエンキュクリオス・パイデイア

プラトンは『国家』において,なるほど年令段階とカリキュラムの順序・配列とを対応させた教 育課程論・随年教法的教育課程論34)を展開している。しかし,そのカリキュラムが「現実の学園

o     ・     ■     ●

における教育とある程度対応するものであったとみること」はできるとしても,「そのまま正式な

●     ・     ■     ●

カリキュラムであったと考えることはほとんど不可能で」あり,「実施されたという証拠はなにも ない」35)のである。即ち「六才ナ才ナとその教育的な写しである学校の教育課程の知識との懸隔」

を埋める「固有の教育が問題になることはなかった(p.86)」のであり,「この教育課程は,実際に はきわめて稀にそして不完全にしか実現されないようなひとつの理念を示したものにすぎない

(p.473)」と言えるだろう。初等学校の存在も確たるものではなく,教師の存在も明瞭なものであ ると言えず「子供の独自の心理や欲求や要求などの問題なぞにはほとんどとりあわなかった

(p.179)」のであり,「子供を子供らしく伸ばすことは目標とならなかった(p.265)」36)にも拘らず,

詳細なカリキュラム論が展開されたのは何故だろうか。

(14)

282       茨城大学教育学部紀要(教育科学)41号(1992)

プラトンは独自のパイデイア論に拠って教育課程論を展開している。彼以前にあっても「体育と 音楽によって構成されていた古代ギリシャのパイデイアは,人間の身体と心の形成という二重の課 題を,自然な仕方で解決すること」であったが,それを「革命的に更新(S.284)」したのがプラト ンである。「彼はその新しい哲学的陶治論を,それ以前のパイデイアの上にうちたてた。」このこと は「第一にギリシャ文化の形式的・内容的発展の継続性と有機的な統一性を確かなものとし,伝統 との全くの断絶を防ぎ,第二に古いパイデイアと若いギリシャの後継者を発展的に結びつけること によって彼独自の哲学(詩と音楽の力とのゆるぎない結びつきという形において説かれている)に 歴史的意義を与えた(S.285)」37)のである。彼以前にあっては,単に「日々の習わしを守り,つつ ましく生きる(S.1)」態度を養うことがパイデイア(音楽と体育)の目的であったが,彼はく何が 善くて,何が正しいか〉・〈正しくふるまうこと〉が人間のノルムでありLebensidea1であるとす る。この「パイデイアの形面上学(S.11)」は「心の中にオイリュトミーとハーモニーを産み出す こと(S.1)」をイデーとして掲げる。パイデイアは「善のイデー,あらゆる基準の中の基準

●     ●

(Maβe)の認識」そのものである。「魂の中でおきるメタモルフォーゼにとって最も重要なのは,

認識によって魂を救い出す作用としてのパイデイア(S.18)」である。だから彼は〈第七書簡〉で「誰 でもが自由にすることができるパイデイアによる結びつき(Gemeinschaft der freien Paideia)

    38)

iS.285)」 こそが,人間の共同態であるとする。パイデイアの具体的な内実は,目的論的規範と しての心の徳(従順さ・自制心・勇敢さ・正義感)と身体の徳(健康・力・美)によって構成され       39)

驕Bこの徳の実現が音楽と体育を中心とするカリキュラム論において具体化されるのである。こ こでも,その学習計画は「学ぼうとする内容をア・プリオリに分析した結果にもとついて立てら れ」4°)ているのである。イエーガーは,プラトンの言う「音楽・文芸と体育とを最もうまく混ぜ合       41)

墲ケて,最も適宜な仕方でこれを魂に差し向ける人,最も完全な意味でよき調和を達成した人」

      42)

フイデーを,「健康な人間のイデー」 と特徴づけ,その健康な人間の形成を目的とするカリキュ ラム(これが,やがてく国家〉そのものの形成のカリキュラムへと発展させられてゆく)の哲学的 設定がr国家』においてなされたとする。それがエンキュクリオス・パイデイアである。イエーガー は,故に,それをく人間とその共同態に関する医学・パイデイアとしての医学〉にかかわるカリキュ ラムである,とも言ケ。

エンキュクリオスとは,キュクリオス(κoκλω〜円形の),キュクロス(κoκλo〜円いもの・

叙事詩や物語などの圏),キュクロオ(κ鵬λ⑩取り巻く・取り囲む)等から派生した語で,εり

(εγ)(〜の中に・〜に囲まれて・ある状態の中に〉がついて,<ぐるりと動かす・輪を描いて動か す・取り巻く〉の意味となり,そこからく丸い・定期的な・毎年の・通常の・日常の・一般的な・

全般的な〉となる・アリスティッボスはエンキュクリオン パイデウマトオン(εγκ0κλεωレ πα δεりμτωレ)という使い方をしている。(これを,マルーはエンキュクリア・マテマータ

(ごγκoκλ αμαθηματα)と読んでいる。ちなみに,ロエブ・クラシカルライブラリーの Diogenes Laertius では the ordinary curriculum と訳されている。日本語訳にはく一般的な教       43)

{〉・〈普通教育〉がある)。また,ウィトルウィウスはエンキュクリオス・パイデイアについ て具体的に語っている。「encyclios disdplinaeは,実に,一個の人体のようにその(多くの)肢体 から構成されて」いて,「学問は互に内容の連絡交流をもっている(p.7)」のだから,「建築家は多

くの学問と種々の教養(文章の学・描画・幾何学・歴史・哲学・音楽・医術・法律・天文学など)

参照

関連したドキュメント

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

教育・保育における合理的配慮

 

あれば、その逸脱に対しては N400 が惹起され、 ELAN や P600 は惹起しないと 考えられる。もし、シカの認可処理に統語的処理と意味的処理の両方が関わっ

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

  支払の完了していない株式についての配当はその買手にとって非課税とされるべ きである。