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教育課程構成 の 論理

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31

教育課程構成 の 論理

理科を中心に

理科教育研究室 高野恒雄i

       して,文化内容としての自然科学(理科の場合)の構造,§1 研究の意味      社会や生活面からの要求,学習者の実態と発達過程等が

去る昭和52年7月,小・中学校の新教育課程の内容  底の方からはたらいているわけである。このうち今回の を示す新学習指導要領が,文部省から告示された。筆者  学習指導要領では,特に学習者の立場を重視し,その発 は,今回の学習指導要領理科の改訂作業にたずさわった  達にふさわしい内容を構成し,またそれによって発達を 者の一人として,教育課程の構成に澄いてはたらく視点  促すことができるような場が構成されなければならない や内容の選択構成の根拠について,あらためて研究して  との意識が強くもたれた。

いくことの必要を感じた。      いわゆる学習の「適時性」の視点は,学習者の年令に それは,一つには,教育課程編成の作業において必要  無理がない内容であるかどうかという面,その学年でこ な指導原理が,現在の教育諸科学に誇いては,十分に開  そ養い得る内容だという場合,学習者の内発的動機を掘 発され確立されているとは言えない事情によるといえる。 り起こすに適したはたらきかけができる内容かという面 もちろん,教育課程編成の作業は,人間形成に関する価  等をふくんだ考え方であるが,その根底には子どもの発 値的視点からの考察から・極めて具体的実践的な小・中  達の論理についての吟味が必要である。この問題は,簡 学校の授業の実態を想定し・検証することまで・多面的  単に原理や法則に頼れぬことであり,実践的研究も仲々 多段階的な配慮が必要であり,どうしても内容の決定・ むずかしいことであるが,少し考察してみたい。

構成のある側面に細いてはいわゆる教育的常識ないしは

感覚によって判断しなければならない所があるわけであ  §2 教育課程構成の視点

る。       教育課程の定義として最大公約数的なものをあげてみ しかしそれにしても今後われわれが学習指導要領とい  ると,例えば山田栄氏の考え方がそれにあたる。経験的 う国の定める教育課程編成の基準と,各学校での教育課  な活動と文化遺産としての教材の二つの見方を統一する 程編成の両段階における指導原理を求めて努力して行か  方向へ向かって

なければならない責務を持っていることは否定できない   「カリキュラムというのは,教育の目的を達成するの であろう。そして・この種の研究は・教科教育学を含め  に必要な教育の内容(Educational contents)

た教育諸科学の研究者と現場の教師と教育行政担当者と  を,選択(select)し,提供(present・する教育 の期による部分をかな嚇っているように思われる・ 計画(。d。,ati。nal pl。。)である.」(1)とのべて そうすることによって教育課程は,「地域や学校の実態  いる。

及び児童・生徒の心身の発達段階と特性を十分考慮して,  山田氏の経験的な活動と文化遺産の二種の見方につい 適切な」(学習指導要領,第璋総則・)もの騰成さ て吉田昇氏のとらえ方を合わせてみると次のようである!2)

れるわけである。      「教育課程を文化遺産の蓄積という視点から解明しよ 教育課程の構成は,「何のために教えるか」(目的論)・うとするもので,パウルゼンの『知識人の教育』

「何を撚るか」(内容論),「どのよう磁えるか」 (・885−96)(3)とか,デユ、レケムのrフラン轍甜

(方鹸)の全徽かかわるが,それを左右する視点と駅』(・938年)(4)などカ・,その代表的な労作と嫉る。

(2)

32      茨城大学教育学部紀要 第27号

ヴ,ルマンのr搬学』(、882_89年)(5)にも、そう 課程のなかの淀の領域を限定し・その問題をめぐって

      多様な研究方法を駆使することによってはじめて充実しした観点からの歴史的叙述と教育内容の体系的な展開と

がみられるし,シユプラン炉のr文化科学と学校の現 た内容をもつといわ鮒ればなら軌教育課激つい

      (6)       ての概説書には啓蒙的なものが多く,個別的な研究の方代的地位』(1922年)       もこの系統に属する。これとや

      が高い水準をもっていることが少なくないのはそのためや性質を異にするが,クリークの『文化民族の陶冶構造』

もっている。」       以上の複雑さとむずかしさを持った教育課程の研究が

「教育課程観について生活や生産の必要と結びっいて, 要求されるわけである。

教育内容を分析する研究は,社会学,文化人類学,社会

科学の立場からすすめられてきた。スペンサーのr教育  §5 教育課程構成の手続き

論』(1861年)(8)は,社会学の立場から教育課程を論じ,  教育課程を構成する手続きの原理は・かなり一般的な その後の教育課程研究に広範な影響を与えた点で注目さ  姿でしか求められないが・一つの実例をあげると愛知教 れている。スペンサーは,この本の中でどんな知識がも  育大の安彦忠彦氏のあげている項目を要約して示せばつ

チとも価値があるかを論じ,     ぎのようである.(9)

(1)直接の自己保存活動       教育課程構成手続きの原理

②生活の必需物資を得ることによる間接的な自己保存   ④教材選択上の原理

活動      学習主体の内容条件に対する考慮

(3)子孫の育成と躾を意図する活動      学習対象たる知識の構造条件の反映

(4)社会的.政治的関係を保つための活動         ㊥教材構成上の原理

(5)余暇を満たし趣味や感情を満たす活動      内的統合性の保持 のそれぞれが論理的に価値の序列をつくっていることを    全面的発達可能性の追求 主張したことはよく知られている。」      ㊦教材配列上の原理

以上の二つの見方を統一する方向で教育課程を編成す    論理的……・・系統性の重視 ることは,現在に澄いては,大方の賛同を得られること   心理的 … …心理的特性に適合 であろう。      ㊥学習指導案作成上の原理

所で教育課程編成作業の複雑さと研究のむずかしさに    教材解釈… ・…教材の性格・内容の吟味

ついて吉田氏はつぎのように指摘している。(2)     指導法の構成……・彊かな広がり・彫りのある奥行

「於よそ教育に関する理論として教育課程にふれない      きの尊重

ものはないといってもよい。教育哲学も,教育の本質か   この手続きに関連して後で理科の場合にふれることに

      する。ら発して教育の内容を論ずるのがつねであるし,教育心

理学も発達の概念と関連して教育課程に言及するし,教

育社会学,教育史,教育方法,教育行政など,いずれも  §4 教育課程の基底をなす学力

教育課程と無関係に論じられているのではない。そう考   現在における学力をとらえる視点は・教育内容の精選 えてくると,教育課程という分野を一応設定する意味が  に関連してとらえられることが要求される。この点で大 存在するとしても,その分野購有の研究方齢として分大の野村新氏の胡をあげてみよう.⑩

固有のものを想定することはほとんど不可能に近いとい   「第一は・現代的課題としての学力である・知識・技 うことになる。」       術の陳腐化や入間疎外現象の日常化している現代に澄い

「教育課程の研究を行なう場合に一定の方法論を予想  て・どんな力量が真に生きてはたらく力となりうるかと することは困難であるといってよい。むしろ,教育課程  いう視点である・この観点からとらえれば・一般的に言 の研究は各自がもっている問題意識をもとにして,教育 われる転移する力や学べる力量(学び方の学習)・自己

(3)

高野:教育課程構成の論理      33

指導力,統合力などが問題になろう。      いて強く重視されたものは第一と第四の学力である。つ 第二の視点は,科学や文化の担い手としての力量とい  まり学習者の側からの見方,学習者の発達を中心に考え う視点である。われわれは子どもに科学や芸術を学ぱせ, る立場をできるだけ大切にしたわけである。理科の場合 創造する力を育成しなければならない。そのためには,  について後で述べることにする。

現代の科学や芸術の成果に立って,自然や社会や人間に

っいての認識のための基礎的力の形成のために,科学や   §5 教育内容と学習内容

芸術の論理から教材を精選しなければならない。     教育課程の内容をとらえるとき,学習内容として考え 第三は何のための,誰のための学力の形成か,という  るとともに,教育内容としてつかんで行くことが大切で 精選視点である。民主主義社会における学力は,未来社  あるが,この辺のことについて小野慶太郎氏の考えは誠 会を担う主儲としての国民形成のための学力で効, に示唆臨むものである.⑪

人権としての教育という観点からとらえた学力でなけれ   「学習の内容と教育の内容は,両者が人間形成の内容 ばならない。すべての子どものもつ能力の全面発達を保  であるという意味においては同一であり,別のものでは 障する教育課程でなければならない。         ない。しかし,学習の内容が,対象として意図的に把握 第四は,子どもに内実化する学力という視点からとら 可能な領域へ限定されたものとしてみいだされたのに対 えねばならない。そのためには,子どもの生活経験やも  して,教育の内容は,このような対象的に把握可能な諸 のの見方・考え方・感じ方・追求のしかたといった子ど  領域をこえて,無意図的な場をふくんでみい出される人 もの論理,認知構造に立って,教材の精選を進めなけれ  間形成の内容である。しかも学習の内容は教育の内容に ぱならない。」      滲透し,教育の内容は学習の内容をふくみとりながら,

以上の四種の学力のうちで,今回の教育課程改訂にお  個性的な世界として形成的に表現されていくのである。」

§6 教育内容と学習内容の関係図

生活(自然,社会,

言語………)の場 教育の内容

(人間形成の内容)

@   ↑

学習の内容

←    (教材の内容)   →

(4)

教育内容と学習内容との関係を,小野氏の論に依りな  拡張し身につけていくだけでは足りないわけで,自然対 がら筆者なりに図示してみると,このようになる。学習  象の見方・考え方,行ない方が体得されて行かなければ の内容が対象として意図的に把握可能な領域へ限定され  ならないと思われる。

たものとしてみいだされるということは,実際の授業に

澄いてはまず教材の内容を意味すると考えられる。    §7 教育課程の要素としての経験 ところで,教材の内容は,それである前に素材である。  以上のような考えにもとずいて学習指導が行なわれる 内容を含み表現している素材ならば数多く存在する場合  場合は,学習者にとって学習活動がひとつの切実な経験 でも,学習者にとって把握可能なものであり,内容の典  として成立することが必要になる。そして,このような 型をなすものは少ない。素材が教材となるためには上の  経験が過去から現在へ,さらに未来へ緊密な連関を保っ 視点からの選択がなされる必要がある。そして,さらに  て発展していくことがのぞまれる。このことについてヂ 生の素材の変更を経て,いわゆる素材の教材化が行われ  ユーイはつぎのように述べている。働

て,始めて望ましい教材の内容となる。         「学習の諸目標は,未来にあり,その直接の材料は現 この学習の内容(教材の内容)が教育の内容に発展す  在の経験の中にあるという原理は,現在の経験が過去へ るためには,対象的に把握可能な諸領域をこえて無意図  のびていく度合いに応じてのみ有効に行なわれる。経験 的な場をふくんでみい出される人間形成の内容にならな  がそれが過程にかかわる広がりにしたがってのみ未来に ければならない。そして,それは学習者ひとりひとりに  むかって拡大されていくものだ。」

とっての人間形成が成就していくことのできる内容であ   ここで述べられている現在の経験と過去及び未来の経 り,その意味で個性的な世界として形成されていくもの  験との関係は,ただ滑らかに発展していくのではない。

なのであろう。       過去の経験の一面が否定されながら現在の経験の中に含 このような人間形成の場においては,例えば理科授業  まれていき,その現在の経験の一部が否定されながら未 の場合,単に自然事象についての知識や実験観察技能を 来の経験の中で生きていくことになる。

§8 経験の発展を示す図

      未 ゚      来 去       の の      現         経

簸   奮  験◎

○   叢

◎    ◎

この図は,過去,現在,未来の各経験に澄いてその内 を意味している。このような発展がなされてこそ,経験 容が次第にふくれて行くことをまず示している。また, の単なる量的発展にとどまらず,質的発展が成就するこ 過去の経験は,現在の経験を構成する際の種子の役割り とができるのである。

を果たし,現在の経験は,未来の経験の種子になること

(5)

高野:教育課程構成の論理       35

経験の発展

一一一一一一一ィ)一一一 一一A  、        一一一一一一レー一一

ミ=ゴご      ___一一一り一一一    圧縮       圧縮        拡大

___一一一一Eー一一

@   圧縮

 1@ノI\ 、  、      !___》一

、、 、 ノ!

拡大

この図は,上に述べた経験のつながりを圧縮と拡大の  新教育課程小学校理科5年の水溶液教材「濃さと重さ」

過程としてとらえたものである。つまり,前の経験は次  を中心として考えてみたい・学習指導要領に示されてい の経騨抑て種子の役割を果たすことはすでに述べてる内容は,つぎの鋤である.⑮

あるが,それは,前の経験がそのまま種子になるのでは  B(1)固体が水に溶ける量を調べ・水溶液の濃さとの関 なく,圧縮されたものとして種子の役割りを果たすこと 係を理解させる。

になる。      ア 物は,水に溶けてもその重さは変わらないこと。

前の経験が圧縮されて次の経験の種子になるというこ   イ 濃さの違う同体積の水溶液は,重さに違いがあ とは,前の経験の最も本質的なものが整理されて,次の    ること。

経験にはたらきかけやすい状態になって入り込んで行く   ウ 物が水に溶ける量には限度があること。

わけである。       工 水溶液の水が蒸発すると溶けていた物が水と分 このようにして,前の経験が種子として含まれた次の    かれて出てくること。

経験が構成されるとき,種子が芽を出し伸びて行くよう  この内容の指導は,先行学習である2年と4年の内容 に新らしい経験の中に拡大していく。        から発展するものであり,また,6年の学習への発展を

このような圧縮と経験の過程を踏んだ発展であってこ 予定して計画するものである。この関係を内容の発展と そ,学習者にとって本当の力になることができるのであ それに伴う自然事象の見方・考え方,まとめて言えぱ事 る。      象のとらえ方の発展系列とを合わせて示すとつぎのよう

§9 経験の発展の実例       になる。

2・4年      5年         6年 内    容 ・見えなくなる  ・無くならない   ・気体 も溶け る

一一一戟@     →・重さの保存とはたらき

・広 が る  ・溶ける限度    の変化(てこなど)

事象のとらえ ・溶ける様子を  ・重さで水溶液   ・重さで自然の事物 方(見方・        一一一レ(事物)の水溶一

考え方)  とらえる     (現象)をとら    現象をとらえる える

↓  ↓

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(6)

まず内容の発展系列からみて行くと,先行学習内容で  のである。

ある2,4年の学習対象を示す学習指導要領の記述はつ   将来理科系の専門家になる者の場合は,かなりの歩留 ぎのようである。       まりを持って知識,技能が残るかもしれないが,一般の

2年       子どもにとっては大半は忘却の彼方に去るものといわな

(3)物を水に溶かし,溶ける様子を見たり,溶かし方  ければならない。学んだことを忘れてしまった後に尚残 を工夫したりさせながら,物と水の変わる様子及び水の  っているものがあるとすれば,それこそ真に身につけた 温かさによつて溶ける速さに違いがあることに気付かせ  学習事項であると言われるが,理科の場合,それは何で る。      あるだろうか。それは,「見方・考え方・行ない方」で

4年       あると考える。

B(D物が水に溶けるときの様子を調べ,水の温度に   一つの学習内容の中で,はたらかせた見方・考え方が よる溶け方の違いを理解させる。       他の内容の時に生きてはたらくことがのぞまれる。これ ア 物が水に溶けると,物は水の中に広がってい  が真の意味での転移であろう。そのためには,これまで くこと。       の自然事象に対する見方・考え方がある行き詰まりの中 イ 水の温度を上げると 溶ける量が増し,その  で変容して修正された新しい見方・考え方に発展してい

水溶液の温度を下げると,溶けていた物が水と  くことが重要である。

分かれて出てくることがあること。       このような見方・考え方・行ない方は一たん主体的に この両学年の内容で「水溶」現象の核心にふれる内容  はたらかせた場合・容易に忘却するものではない・深い は,物が「見えなくなる」ことと,溶けた物が「広がる」 ところで身につくものである。それは・人間形成として ことの二つといってよいであろう。この二つをつかんで  の理科教育を成り立たせることである。単に知識や技能 いく時の自然事象のとらえ方としての特徴は,ひと口で  がふくれあがるだけでは人間形成という深いものが進行 言えば「溶ける様子をとらえる」という構えになる。っ  しているとはいえないであろう。もっと精神全体が傾斜 まり,この段階では,対象をあまり分析的に徹底してと  し躍動する学習の中で身につけるものが必要である。そ らえるのではなく,事象を全体的にとらえていくのが自  れは,学習対象である自然事象の中に入り込んで行って 然である。その点で,溶ける「様子」を観察し把握する  直観し思索し実験してみる過程の中で身につくものであ 構えになるのである。       る。ある場合には,自然事象に対し,仮説を持って対決 5年の本内容においては,先行学習での「見えなくな  する事が必要になる。このような過程を通して身につけ る」から,見えなくても「無くならない」ことをおさえ, るものは,ひと口にいって事象のとらえ方である。見方

「広がる」が「溶ける限度」があることを確かめる。   ・考え方・行ない方がそれである・

事象のとらえ方からいうと,これまでの「溶ける様子」  さて5年から6年へと水溶液の学習が進むと・内容と をとらえるやり方から,一段と分析的になり,「重さで  事象のとらえ方はどのように発展するだろうか・まず学 水溶液(事物),水溶(現象)をとらえる」構えに発展  習指導要領の示すところを見よう・

するのである。       6年

このように学習の発展は,単に内容の発展にとどまら   B(D 水に溶けている物を調べ・水溶液の性質を理解 ず,事象のとらえ方の発展が重要である。       させる。

言いかえるならば,理科を学んで得るものは,自然や    ア 水溶液には,気体が溶けているものがあるこ 自然科学についての知識を理解して憶えるにとどまるも     と・

のではないことはもちろん,観察実験で体験した技能を    イ 水溶液には,酸性,アルカリ性及び中性のも 加えてもそれだけではない。知識や技能の体得を越えた     のがあること。

それ以上のものが身につかないのでは,はなはだものた りない教育効果である。時間が経過すれば,憶えた知識 の大半は忘れ去り,体験した技能も知ぼつかなくなるも

(7)

高野:教育課程構成の論理       37

ウ 水溶液には,金属を溶かすものがあること。   思考活動としての自己をみいだし・『外』なる方向へ実 6年での発展は,内容に澄いては,「気体も溶ける」  証的事物とかかわる身体的活動としての自己をみいだす。

という水溶液概念の拡張であり,「重さの保存」である。 そして事物や知識が存在しているように自己もまた存在 事象のとらえ方では,5年で体得し鍾さで水溶液をと しているのだという思いこみのうちへ転落していく・」

うえる仕方をさらに自然の事物現象一般に広げてはたら

かせることを意味する。       §11教育の場における問題意識を このように内容と事象のとらえ方を一体として発展さ     示す関係図

せて行く系列を考えていくことが,教育課程編成を人間

形成の視点で統一していくはたらきを持ったものに成功         主体的な世界 させるもとであろう。       個性的な世界 創造的な世界

§10 教育課程の系統と問題意識

これまでに教育課程編成の実質的内容である学習の内

容(教材の内容)を教育の内容(人間形成の内容)たら       問

      )     識にするには,子どもの強い問題意識が学習全体を通して

はたらいていくことが不可決である。

問題意識なくして・内発的な動機を持って主体的に学      相互作用の場 習対象と取り組むことは期待できない。したがって,教

育課程の系統は,その中に問題意識の一貫した流れが存 在していなくてはならない。

ここで小野氏の考えをみてみよう。㈲         前節において考察したことと小野氏の考えをまとめて

「問題意識は,たんに対象につきまとって,相互作用  図示してみた。

的な形成の場を俳徊するはたらきではない。対象と自己  問題意識のはたらく場である自己と対象の相互作用の の相互作用的な場を貫通(durchdringen)してそ 場は,理科に澄いては,子どもと自然の相互作用の場で こから主体的な世界をひらくはたらきである。教育の内  ある。図に示した子どもと自然との間の矢印の往復に相 容は,たんに対象としての教材の内容ではなく,これを 当する活発な活動は,問題意識がその底を流れていない こえてこれを自己のうちにつつむ主体的世界の内容であ 限り,到底あり得ない。子どもが自然に疑問を感じ,は る。だから問題意識のはたらく過程を忘却して,教育の たらきかけ,逆にそれに対する自然の反応を扱みとる過 内容をたんに外側からとらえようとすると,その内容は  程で次第に自然事象のしくみをとらえていくのは,問題 硬直し,固定化された知識や教材の羅列にすぎなくなる。 意識から出発し,問題意識に導かれて進むのでない限り

このように問題意識は,場をきりひらくはたらきであ  有効ではない。

り,場を否定的に超越してそこに世界を開示する力であ   このような問題意識の流れに乗って追求し,問題解決 るが,それが対象的方向へ限定されていく場合は・逆に に向かうところに創造的世界が開けていく。それはまた,

場をとざすはたらきとしてみいだされる。問題意識は・ 子どもにとって切実な主体的世界であり,ひとりひとり 自己を対象として定立することによって問題の対象も限 の個性によって切り開かれた世界でもある。

定し,自己と問題対象との区別を固定化する。このよう  教育課程の系統は,問題意識の系統でもあるという押 にして場が対象として固定化されていく過程に澄いて・ え方が必要なわけである。

問題意識は『内』なる方向へ既成の知識体系とかかわる

(8)

§12 問題意識のはたらき         たせて,授業過程の中で登場させることが必要である。

      このように強く強調された手がかりとして重さでとらえ前節でのべたように教育課程編成が具体的な授業場面

       るという新しい構えが,切実な必要感を持って受け止めまで見通しながら行われる場合には,どうしても問題意

       ていかれなければならない。識のはたらきを根底において考えて行かなければならな

ここで小野氏の考えをあげてみよう.ω   の背景をなし・新し噂象のとらえ方秘然性を持って

       立ちあらわれなくてはならない。学習者がいったん気づ「一っの知識,一つの技能が本当に学習者のモノにな

       いた手がかりが十分に適用され,運用されることによっっていく度合いは,それがどれほど彼の問題意識のうち

鰺透して,この龍を再轍するはたらきと勧得るて,ますます強力如然を調べる手カミかり婿っていく・

      以上の過程は,問題意識にもとずく内容と事象のとらかによってきまるものである。この問題意識の根源的な

       え方の発展であり変容である。場所に目標と内容を統一し連続せしめる場所が存在して

いるのである。」       §15新教育課程における理科目標の構造

「展開計画のうちに求められる連続性は,たんなる教

      新学習指導要領に定められた理科目標はつぎの通りで材や活動の論理的なあるいは意味的なつながりではなく,       ある。⑮問題場のつながりを映すものでなければならない(『内』

      小学校を『外』とし『外』を『内』としながら非連続に規定さ

れ燵続性で鮒ればならない。)学習の場のつな拗  「観察・実馳ど樋して・自然を調べる能力と態度

       を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を図を教材や経験的活動のつながりのうちに求めようとする

       り,自然を愛する豊かな心情を培う。」と,カリキュラムの展開計画はモノとしての連続の次元

      中学校へ転落し,逆に学習の場を塞ぎたてて,個性的な世界の

連続する過程をうみだすことができなくなる.」qの  「観察゜実馳どを乱て・自然を調べる能力と甑

       を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を深「いかなる知識の体系化も,これを支え統一する核と

      め,自然と人間とのかかわりについて認識させる。」しての問題意識の充実なくしては,空しい概念をつかみ

      以上の小・中学校の理科目標を分節して関係的に表現かさねるにひとしいのである。知識は入間の力そのもの

       するとつぎのようになる。となってはたらくということが第一義的な根本問題であ

る。そのことが不十分である場合に,『それはなぜか』      ・自然を調べる能力と態度 と反省されていく過程で系統への問いに結びつけられな      見る,考える・試す・

がら吟味されていくこと賊るのである・」ω

@  隼舗謝額

(謹欝擦翻畿燃舞沓麓発直雛験⊥.事物聯つ_理解

点においては,子どもの意識は,物が水に溶けると,見 (観察・実験など)    ・自然を愛する:豊かな心徹」う えなくなってしまう,だから溶けた物が無くなってしま      ・自然と人間とのかかわり

       についての認識   銅うか,無くなりはしないまでも少し減ってしまうのでは

ないだろうかという感じをもとにしている。あるいはま た,溶けた物の姿は見えなくなっても無くなりはしない

@       今度の理科教育課程改訂において,小・中・高全体を一貫と考える場合でも証拠は何もない。このような状態にお       する基礎的な主題は,「直接経験の重視」といってよい。

いて,上のあいまいな感じや考えを何んとかはっきりさ       これまでも,直接経験が必要なことは,いろいろなかた せるためには,必要な手段とその背景をなす事象のとら       ちでいわれてきたが,それを今度はより本格的なものと え方をつかんでいく必要にせまられる。       するわけである。そのために,内容の精選をし,ゆとり

ここで,水溶液の重さを測るという方法を必然性を持      と充実をねらっていくことにもなるわけである。

(9)

高野:教育課程構成の論理      39

経験ということは,たいへん深い意味をもっている。   だから,どんなに深い経験でも,そこに凝固しますと,

この意味をまちがえて軽い受けとめ方をすると,かって  これはもう体験になってしまうのです。これは一種の経 批判された「はい回る経験主義」とか「理論なき単なる 験の過去化というふうに呼ぶことができましょう。過去 経験主義」とかの批判を生むことになる。理科の学習を  化してしまっては,経験は,未来へ向かって開かれてい 子どもにとって経験として成り立たせることがたいせっ  るという意味がなくなってしまうと思うのです。」

なのである。子ども自身にとって経験として成りたたせ   このような経験と体験との区別にもとついて,ほんと るためには,ただ単に,何かの動作がなされたというだ  うの経験というものはどんなものであるかということに けでは足りないのであって,子ども自身の内側から発す  ついて,さらに次のような言葉で述べている。

る動機が存在し(内発的動機ということばが該当するか   「絶えず,そこに新しい出来事が起こり,それを絶え もしれない),一貫する意識や関心,特に問題意識をも ず虚心担懐に認めて,自分のなかにその成果が蓄積され って一連の行動をし,考える,そしてその過程をとおし  ていく。そこに『経験』というものがあるので,経験と て,あるものをつかみとる,そういうことが必要である。 いうのは,あくまで未来に向かって開かれる。すべてが 哲学者の森有正氏は,経験の出発点は,「内面的促し」 未来あるいは将来へ向かって開かれていく。というのは,

にあることをあげている。この内面的促しがどこから出  つまりまったく新しいものを絶えず受け入れる用意がで てくるかということが,まず,大きな問題になる。これ  きているということです。それが経験ということのほん は,ひとつの轍がなげかけられ,それカ・その子ども自とうの深臆味だと思賊す.」⑯

身のなかにそれまでに形成されているある体制にはたら   このような森氏の考えた『経験』のあり方は,理科学 きかけよびさまして,ひとつの経験に対する欲求が生れ  習を経験として成り立たせるという点に澄いて,根本的 てくるといえよう。      な反省と示唆をあたえているように思われる。

教師によってぶっつけられた自然事象に対する澄どう  子どもたちは子どもたちなりに,過去の経験になって きの気持ち,教師の問いかけによって自分自身が問いを  いる・そうゆう部分がかなりあるはずである。しかし,

もつばあい,なんらかのあいまいさをもった事象を前に  いま学ぼうとしていることがらについては,そこでな して感ずる明確化の欲求などがそれであり,それが生ま  される諸活動によって構成される経験に幕いて,「新し れるためには,子ども自身に,すでに蓄積された経験に  いものを絶えず受け入れる用意」ができていることがた よるひとつの方向性や内容の関連などが結びついて,具  いせつである。

体的な経験への方向づけが生れてくるといえる。      したがって,活動をと澄してつかみとった情報によっ 興味のあることに森氏は,経験と体験ということばを て,自分の考えを変えていくという,弾力的に開かれた 区別して使っている。森氏のいうところをみてみよう。㈹ 態度があくまで必要になる。と同時に,自分の考えを簡

「人間はだれも,『経験』をはなれては存在しない。  単に・断片的な情報によって,ひらりひらりと変えてい 人間はすべて『経験を持っている』わけですが,ある人  くような軽卒さもこまる。このような理想的な経験のあ にとって,その経験のなかにある一部分が,特に貴重な  り方を・そのまま理科学習に澄いて要求するのは・ある ものとして固定し,その後のその人のすべての行動を支  いは高度に過ぎるともいえるかもしれないが,子どもは 配するようになってくる。すなわち経験のなかのあるも 子どもなりに・これに近づいていくということが,結局 のが過去的なものになったままで,現在にはたらきかけて は・深みのある経験になり・それゆえにこそ・充実した くる。そのようなとき,私は体験というのです。    喜びのある理科学習になるもとになるわけである。

それに対して経験の内容が,絶えず新しいものによっ   このような経験を成り立たせてこそ・目標にある「自 てこわされて,新しいものとして成立し直していくのが  然を調べる能力と態度」が存分にはたらき・豊かに身に 経験です。経験ということは,根本的に,未来へ向って  ついていくものといえよう。このような姿をとるときは・

人間の存在がはたらいていく。一方,体験ということは, 「自然を調べる」といっても,単に道具や装置を動かす 経験が,過去のさる一つの特定の時点に凝固したように 技能の発動だけではない。そのような技能を多数組み合 なってしまうことです。      わせ運用し・自然を明らかにするために,総合的な追求

(10)

活動をすることができてくるのである。         遊び,すなわち学習というのは,そのままいつでもい また,自然の「事物現象についての理解」も単に自然 えるとは限らないことである。しかし,遊びのよさを十 についての知識を受動的に受けとり,一応の理解をする 分に生かしながら,しかも目的を目指して追求する活動 だけでははなはだ不十分になる。前述したような直接経  というものが考えられるのである。このような遊びのよ 験の深い意味あいの中で,自然事象の共通性に気づき, さを生かした経験が,低学年理科において,最も大切な 次第に概念形成がなされ,規則性が発見される過程に澄 性格を生かしたものになってくるのではないかと思われ いてつかまれる理解が重要である。      る。

中学校の「自然と人間とのかかわりについての認識」も  人間をとらえる言葉に,ホモ・サピェンス(理性人)

上の直接経験を土台として次第に視野を広くし,総合的 とか,ホモ・ファーベル(工作人)という言葉があるが,

にとらえてくる時,自然観の形成ともいうべき思考のは 同時に,ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)がある。

たらきがあらわれ,自然と人間の関係が互いに環境の位置  人間は,ある意味では遊んでいる時に最も人間らしい を占めるということを認識していくことがねらいである。 存在になってくる。遊びの中には,実に生き生きとした 小学校の「自然を愛する豊かな心情」も豊かな直接経 幸せのもとが含まれているようである。ホイジンガーや 験の中でこそ次第に養われてくるものである。およそ心 カイヨワの「遊びの哲学」⑰⑯においても,遊びの持っ 情の発現は,対象に対して見る,触れる,世話をする, ている人生における積極的な意味合いが強調されている 育てる等の活動が回数多く長期にわたって行われる時に,が,大人でもそのように深い意味合いを持っている遊び 徐々に強まって行くものである。とりわけ,出発点にお は ,子どもにとっては,さらに大きな比重を持ったもの

いて自然対象に対する驚きがある時,それが深ければ深 になるはずである。

いほど,接することに対象に対する愛着の念が生まれ,  キルパトリック(Kilpatrick)の言葉に学習とは そこから心情としての自然への愛が育って行くものであ Whole−hearted Purposeful aetivity

る。このことも広い意味での直接経験の豊かさによるも  (全心をこめて行う目的的活動)であるというのがある のといえよう。      が,遊びこそ,全身をこめて没頭し,熱中する姿があら

§14 子どもの発達と経験のあり方     われるわけである,したがって,この遊びの良さを生か

       した目的的活動としての理科学習ということが,低学年始めにも述べたように今回の教育課程改訂において,

      においては,非常に大切になると思われる。この点では,最大の視点としたものは,子どもの発達に即するという

      前述した人間性:豊かな理科教育という性格と,かなり重ことである。それは,ある内容とそれに関する経験が学

      なってくるのであり,感性と理性がともにはたらく,生習する子どもの発達水準からして無理がないかどうか,

      き生きとした理科学習が展開されることが期待されるのその学年段階に最もふさわしい活動が盛り込まれている

      である。かどうか,真の発達を促す有効な刺激を含んでいるかど

       この感性と理性がともにはたらく学習という点で,最うかといった吟味をすることが大切なわけである。

       近注目させられるのは,アメリカのブラウン(Brown)理科において最も発達の視点が問題になったのが,小

      を中心とする主張である。すなわち,「合流教育」学校低学年である。

@      (Confluent Education)㈲である。何が合流する 低学年理科については,これまで批判として,とかく

      かというと,一つの流れは考えるということを中心とし理屈っぼくなりすぎるとか,現象から論理へ飛躍の程度

      た知的な活動のつながりであり,もう一つは感情,情緒が過ぎるとかいわれてきた。その意味では,低学年理科

      とよばれるものの起伏である。この二つの流れが分離しこそ,上に述べた直接経験を中心にしていかなければな

らないのであるが,ここに,一つの基本的な視点をプラ て流れることなく,合流して一つの流れになった時・子 スしたい.それは「遊びのよさ」である.遊びは,本来 どもの活動は鄭生き生きしたものになるのである・

      このような合流教育の考え方は,低学年に澄いて最も無目的なものであるが,そのよさを生かして,活動全体

      適合するものであり,それを基礎に更に高学年におよんとして目的的活動になるように工夫することが,大切で

(11)

高野:教育課程構成の論理       41

理科においても・この考え方は十分に生かされなけれ  界の中に投げ込まれているのである。このことは,オー ぱならないだろう。ここで感晴の側面は・自然への親し  トメーション化された工場の勤労者,あるいは核物理実 みや興味,感動や驚き・美しさへの心情的な傾斜などを 験室の技術員にとっても,緑の革命に駆りたてられてい 含むといえよう。これらは・いずれも理科学習への強い  るインドの農民にとっても,等しくあてはまることであ 動機づけとなるし,また学習を持続させる意志のもとに  る。

なる。      現代文明においては,人間はある一定の科学的方法を,

ESS理科が「熱中法」と呼ばれていることも,この 単に適用するだけではなく,これを理解する能力を持っ 事情と共通する。光にあげたキルパトリックの言葉がぴ  ことによって,はじめて生産に参加することができるの ったりする学習の展開を期待しているわけである・熱中 である。そればかりか,人間がその身を置いているこの の大切なことはいうまでもないが・それが自然事象への 宇宙を適切に認識し理解することのできるのは,科学的 興味から湧いてくるなら・最もよい状態である。    知識への鍵であるこの科学的方法を身につけているその

このようにして・低学年に澄いて・感性と理性がいっ 程度までなのである。

しょになった統合の経験を積むと・これが基礎となって・ 科学的思考と言語を自由に駆使することは,思考や表 理科に対する真の意欲的学習が展開されていくことにな 現の他の手段を自由に駆使するのと同様に,普通の人間

る。この方向は,言葉を変えると,人間らしい学習のあ に不可欠のものとなっているのである。

り方を示すものであり,「豊かな人間性」を養う理科教

育にもなってくるのである。 このことは知識を集積するというよりも,むしろ 以上は小学校低学年理科のあり方に触れたものである 科学的方法の基本的な把握という意味に理解されな が,ここで述べた子どもの発達の重要性はどの段階の教 ければならない。

育課程の編成に澄いても,最大限に尊重していくことが 教育用語を使っていえば,科学が,実質的には,パー 重要視されているのである・       ソナリテイのあらゆる部分を訓練するにも,またその要

       求に応えるにも,決定的な要因であるということを,わ§15 理科学力の構造

れわれはまた十分には理解していないのである。科学は 理科の持つべき性格については・すでに直接経験のあ 『学問の断片』と,すべて自分の伝統的態度や行動を持 り方を中心にして述べたが・理科学力をその視点でとら 続しがちな個人の身につけられるべき知的手段との塊り え直してみることが必要である・この時は・中心的な考 ではない。」

えの柱として大切にしなければならないことは・人間形  また,人間形成におけるゆがみとりわけ専門的に分割 成としての理科教育のあり方である・§9でふれたよう された人間の危険を意識して第4節「完全な人間(the に・単に自然事象についての知識や観察・実験の技能を Complete man)を目指して」において次のような主 体得するだけでなく・直接経験の中で自然の調べ方を身 張が見られる。

につけ,自然事象に対する見方・考え方・行ない方を発   「教育の作用のし方,若・者たちへの教育の提供のし方,

展させて行くことがねらわれなければならない。    青年に一与える訓練,何びとも避けることのできないマス このような,総合的なとらえ方に一つの激励を与えて コミの情報,これらの一切がパーソナリティの分裂をも くれるのが,1972年に国際連合教育科学文化機関(ユ  たらしている。訓練する目的で,人間の諸側面の一つで ネスコ)から発表されたLearning to be−The  ある知的認知の側面は,勝手に細切れに分断されてしま world of education taday and tomo「「ow   っており,一方では他の側面は,忘れられているが,

(いわゆるフ。一ル報告書)⑳である.第6章「到達す無視されてしまっていて,未発達の状態に押しとどめる べき目標,第1節科学的ヒューマニズを目指して」の中 か,さもなければ無秩序に伸びるにまかせられてきてい に次のような表現が見られる・      る。科学的研究とか高度の専門化が必要という口実の下

「人間の世界の中身は変わってきた。好むと好まざる に,多くの青年たちの十分な一般的人間形成は不具にさ とにかかわらず,個々人は科学の中に深くしみ込んだ世 れてしまっている。ある種の高度に細分化された仕事,

(12)

あるいはそうでなければ馬鹿らしくなるような仕事の訓   このいきの長い学習の指導を考えないと,自然の調べ 練が,他のより人間的な資質を殿損しながら,技術的な  方は進んでいかない。なお,短時間での評価はむずかし 才能向上の重要性の過大評価をもたらしている.」⑳  いとはい嫉がら,その方灘ついては溺究の要があ

「もし個々人が,自己自身のためにもまた仲間のため  る。

にも,その本来発達すべき方向に向かって伸びるべきで   次に,内層の「科学的な見方・考え方」は,これは あるならば,教育において,とくに学校において,パー  理科における人間形成という最も中軸をなすものに結び

ソナリティの多面性の尊重が本質的なこととなる。パー  ついている。たとえば,「見方」にしても澄なじものを ソナリティのすべての構成要素の調和のとれた発達に欠  見てもその見方は人により千差万別である。人はものを

くことのできない複合的態度は,個々人の教育の過程に 見る時,それぞれの持っている認識の枠組みとでもいえ 帥て轍され,形成されなけれ融らないのである即るようなものをと批て見ている・

このような均衡のとれた,しかも深みのある入間形成   この認識の枠組みは,生まれてこのかたのその人によ をねらう時,各教科においてそれに対応する学力の構造  る経験の蓄積,その経験の量と深さによって違ったもの を考えて教育課程編成の軸としなければならない。   になってくるし,またそれまでに獲得してきた知識内容 筆者の考えている理科学力は,つぎのようなものであ  によって見方は変わってくる。このことは,考え方にも る。      行ない方にもいえることである。

理科学力の構造       この面での発達は,最も深いところで進むものであり,

一自然事象に関する知識・技能 長期の視点で養っていかなければならないものであり,

なお,他教科・領域との関連のもとに考えていく必要の

自然の調べ方

あることでもある。

自然の見方・考え方     もし,以上のような学力のとらえ方をしようとするな らば,基本的な知識や技能を体得するだけにとどまらず,

自然の調べ方が身につき,更にはものの見方,考え方,

行ない方が質的に発達していく,そのようなことを保証        するような内容構成でなければならないということがい ワず,外層の「基本的な知識・技能」については,一

      える。ここで私達は,特に理科に澄いてどのような「活つの単元ないしは題材の学習において,また,一時間一

      動」を生徒にさせるべきか,生徒にどんな「経験」をし時間の学習において,身についたということが認められ

      てもらわなければならないかが,前の図の中層澄よび内るものである。もっとも端的に,その学習ができたかど

      層の学力に対応する考えとして,重要なポイントとなるうかが確認できるものである。それだけに,学習の目標

      ことを認めざるをえない。としては,比較的定めやすいしねらいやすいものである。

      以上のような理科の学力観を軸として教育課程を編成それに対して,中層の「自然の調べ方」は,なまの

      すべきであると考えるわけであるが,最後に各学校の各自然の事物・現象から情報をくみあげ,その情報のなか

      教師が教育課程を構成する場合の姿勢として謙虚な態度に潜んでいる一定のきまりや傾向をさぐり出し,また,

      で複雑な事態に対する配慮を必要とする理由を小野氏の一定の加工をして自然を変化させて新しいことをつかみ

@       言葉⑳に耳を傾けよう。とる,そういった自然の調べ方を指している。

      「教育の内容はつねに学習者の具体的な生き方にかかこのような自然の調べ方は,一時間一時間の授業の中

      わりながら開示されてくるものである。環境はそれがモで養われていくものではあるが,一時間学習したからこ

      ノ(知識や技能をふくむ)としていかに豊かであっても,れだけ調べ方が進歩したと簡単に評価できるとはいえな

      ただちにそれが教育内容となることは保証されていない。い。ちょうど一本の木が成長する時,一日ごとにその成

      豊かなモノによって直ちに豊かな世界が開示されると保長の過程を意識して認めることはできないが,数か月あ

証されているわけではないのである。モノとしての環境 るいは一年たつ時に,確かに大きくなったと認めること

ができるようなたぐいのものである。

(13)

高野:教育課程構成の論理       43

の貧しさが逆に:豊かな世界内容を開く場合もありうるの         文    献

である。       (1)山田栄:現代教育課程入門,P。32(1974),協同出版。

教育の内容は,自然的世界のうちにふくまれていると  (2)吉田昇:教育課程,教育学研究入門,P.177,東大 しても,機械によって物を生産する場合のように算定す       出版。

ることは不可能である。どの文化財をどのような順序で,(3)Paulsen,Friedrich:Geschichte d。s 何時間学習すれば,どのような技術や知識を習得するこ       glehrten Unterrichts auf den

とができるかは,およそ想定し予測することができると       deutschen Schulen und

しても,肝心かなめの人間そのものがこれによってどの       Universi硲ten vom Ausgang des ように形成されていくかは全く予測することができない。      Mittelalters bis zur Gegenwart,

それは自然をこえて自然にかえる場所にひらかれる個性       2Bde・,Veit&Comp,1885−96,

的な世界のできごとであり,このできごとの中から開示        3Aufl.,(1919>.

される内容が教育内容の根本をなすものであって,これ  (4)Durkheim,Emile:L Evolution P6dagogi一 はモノのようにとらえることはできないのである。われ        que en France,2co1., Alcan,

われは,ただ学習者の問題意識を介して,この意識の奥       (1938),小関訳,フランス教育思想史上・

底に,この教育の内容の本質をかいまみることをゆるさ       下,普遍社,(1966).

れているにすぎなし(のである。」      (5)Willmann,Otto:Didaktik als Bildungslehre nach ihren

§16 結び      Bcziehungen zur Sozialforschung 教育課程編成の作業に澄ける指導原理は,現在の教育       und zur Geschichte der Bildung,

諸科学に知いては,確たるものは求め難い事情の背景を       Fried. Bieweg&Sohn,5Aufl・,

考えながら,教育課程構成の論理について基礎的考察を        1923.

      ●  ● チえてみた。       (6) Spranger,Eduard:Der gegenwartige

(1)教育課程構成の視点,それに基ずく構成の手続き       Stand der Geisteswissenschaften の基底となる学力の性格,教育内容と学習内容の吟味を       und die Schule, Teubner,1922・

行なった。      (7)Krieck,Ernst:Bildungssysteme der

       ・  ●

i2)現在においては教育課程の要素としての経験の発       Kulturvolker, Quelle&Meyer,

展系列を特に重視して押える必要を感じ,理科の事例に       1927.

よって発展する経験の本質的内容をとらえてみた。   (8) Spencer,Herbart:On Education,

(3)経験と内容の発展系列において・学習者と学習対        ApPelton,1861.

象の相互作用的な場を貫く問題意識の発展,再構成の重  (9>安彦忠彦:教育課程構成論ノート,日本教育方法学 要さを,理科の事例を伴わせて強調した・       会編,教育課程再編の原則,P55(1976),

(4)今回の新教育課程に澄ける小・中学校理科目標の        明治図書。

文脈をとらえ,特に直接経験の意味とあり方を論じた。  ⑩ 野村新:教育内容精選の論理,日本教育方法学会編・

(5)これからの学力構造のあり方を理科の場合につい        同上書,P88(1976),明治図書。

てとらえ,特に人間形成としての理科教育を重視しなが  ⑪ 小野慶太郎:教育内容の探究(1),P.5(1975),

ら,三 構造を提案した・      成瀬書房。

⑫  J.Dewey :Democracy and Education,

㈱ 本研究の内容の一部は,日本理科教育学会全国大        p.121.

会(於千葉大学・1977年9月30日)に発表してあ為   ⑬小野慶太郎:上掲書,P.40

ω 小野慶太郎:上掲書,p.130, p.170,p.190.

(14)

㈲ 文部省:小学校学習指導要領(1977),大蔵省印刷局。 qg G.1. Brown:Human Teaching for 中学校学習指導要領(1977),大蔵省印刷局。      Human Learning,New York, The

㈲ 森有正:生きることと考えること,p.96(1970),       Viking Press.(1971),金子・藤田・

講談社。      榎原・宮崎訳:人間性を培う教育一向流教

⑰ Johan Huizinga:Homo L,udens,(1938),       育への入門書一,日本文化科学社(1975)・

高橋英夫訳:ホモ・ルーデンス(1973),  ⑳ UN日SCO:Learning to be−The world 中央公論社。      of education today and

⑬ Roger Caillois:Les jeux et les         tomorrow(1972),平塚益徳他訳:未来 hommes(Le masque et le       の学習(1975),P.176,第一法規出版。

vertige),(1958),多田道太郎,塚崎幹  ⑳ 小野慶太郎:上掲書,P.205。

夫訳:遊びと人間,(1973),講談社。

Logic of Curriculum Planning

Tsuneo Takano

(Faculty of Education, Ibaraki University)

Abstract

For the study of the principle and the way of curriculum making, the viewpoint as to the characteristic of curriculum,

the procedure of curriculum planning, the series of direct and indirect experiences in the learning were investigated.

Especially, the now of the problem−solving mind in the development of experience was considered.

Also, the goal of science education of the primary and secondary schoo1, indicated by the Ministry of Education of Japan were considered and the three layer structure as to th6 competence of science was analyzed. Then, the impor一        / 狽≠獅モ?@of the science education fヒom the standpoint of the humanistic長)rmation through the various direct experience was pointed.

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