『革命のペチュニアとその他の詩』
小泉 由美子
@ 1
黶E娘詩は最近ようやく脚光を浴び始め,多くの女性詩人によって書かれている。1)概して 1960年以前は,母親業と作家業は両立が不可能と考えられていたので,娘詩人は母性を抱え込 むことなく,従って母・娘詩はほとんど書かれることはなかった。英米文学史上,創作を通し ての娘の自立と母不在の伝統は表裏一体をなしていた。フェミニズム運動以降,女性詩人は自
ら母となり,母・娘,二重のアイデンティティを持ち母性について語り始めた。
今,英米文学の伝統の中で明らかに欠けているのは,母親によって書かれた母性に関する良質 の文学である。従来の男性中心の批評は,母性という究極の女性体験を扱っているというだけ で,母・娘詩が持っている独自の力を正当に評価してこなかった。しかし現代アメリカ女性詩 を解読する際に,この領域は極めて重要な意味を持つこととなる。
60年代に至り,母・娘詩はシルビア・プラスやアン・セクストン等によって書かれたが,そ れらの詩作品の中では母か娘どちらかが光あるいは影として描かれている。二人が光として同 時に輝く肯定的母娘像が登場するようになったのはごく最近のことだ。とくにアリス・ウォー カーやルシル・クリプトン等の黒人女性詩人たちによって書かれた母・娘詩は,母も娘も力強 く「姉妹愛」を謳歌する作品群だ。フロイト理論における母と娘の葛藤モデルを退けたい人々 にとって,この黒人女性詩における母・娘関係,及び母娘の相互依存,関係性を通しての成長 は格好のテーマを提供しているといえる。
アリス・ウォーカーのr喜びの秘密』の中で,主人公タシの精神分析医は白人女性と黒人女性 の母親に対する態度の違いを次のように言及する。「ニグロ女性は,けっして母親を責めないか
ら,効果的に分析するのがむずかしいのだよ」2)と。父権制社会の中で,父をめぐる母と娘の葛 藤を根拠に全てを母親の責任に転嫁するフロイトの公式は黒人の娘たちにはあてはまらない。
ウォーカーの自伝的作品rメリディアン』でも,自らの子供を他人に託し母性を否定する娘,盲 目的に神を信じる母親に批判的であったメリディアンは,二重に母を裏切ることにより,母と の絆を一度は断ち切る。否,断ち切ったつもりが,自らの依って立つ根元から自身断ち切られ てしまう。やがて北部での革命運動に疲れ「過去の何かからしっかりつかまえられているよう だと感じ」,3)メリディアンは南部に戻ってくる。ウォーカーの作品には,母性肯定に至る内面 葛藤がいかに激しいものであれ,根底には強い母性賛歌が流れている。
多くの白人系ラディカルフェミニストたちが母性を自己実現を阻む女性抑圧の場として考え るのに対して,ウォーカーは母性を制限的なものとして考えていない。4)むしろ自らの力の源と 見なし,生きとし生ける物を支え,生命を慈しむ作業を積極的に肯定していく。ウォーカーが
r人文学科論集』31,PP.93−101. ◎1998茨城大学人文学部(人文学部紀要)
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母方の創造的遺産から自己を再創造する新しいタイプの黒人女性を詩作品に結唱化しえたこと は評価に値する。
文学史上,黒人の母性は伝統の守り手,安定性を象徴する強い大地の母としてあがめられてい る。5)黒人共同体の中でも,母性は創造力の源泉として中心的役割を果たしてきた。自己信頼,
経済的,精神的自立,信頼,強さは母から娘へ継承されるべき生得の性格であり,これらの特 質はウォーカーの母性のイメージの中に強く打ち出されている。ウォーカーは決してステレオ タイプ化された黒人の「マミー」像を否定することはない。むしろそれを積極的に活用しなが ら,独自の色付けをしていく。
ウォーカーは「母の庭をさがして」というエッセイの中で,自らを母の物語りの語り手である と位置付けている。6)スミソニアン博物館に展示されている,名もない黒人女性によって織られ たキルトのように,歴史上名前が残されていない,しかし記録されなければならない母親の物 語を継承していくのが自らの使命であると彼女は考える。ウォーカーにとって,母娘の家系は 文字通り自身の三代の家系のみならず,象徴的に母娘文学の伝統をも示し,その伝統が抑圧を 乗り越える「姉妹愛」を形成するととらえる。ハロルド・ブルームの提唱した「影響をうける
ことへの不安」7)ゆえの父と息子の闘争でも,ギルバート&グーバー称する「書くことへの不安」8)
ゆえの母と娘の葛藤パラダイムでもない,互いに生命を慈みあうものとしての母娘文学の流れ をウォーカーは追っていく。
@ ll
@この小論ではウォーカーの自伝的小説rメリディアン』を『革命のペチュニアとその他の詩』
に重ねて読むことによって,ウォーカーが母・娘詩に託した思想を明らかにする。
r革命のペチュニアとその他の詩』(1971)はrメリディアン』(1973)の散文から,主人公メリ ディアンの魂の遍歴とその啓示の瞬間を抽出したものといえる。インタビューでウォーカーは
「神経がずたずたになったどん底から自らを救い出し,ふたたび光の中に立てた瞬間に詩は生ま れる」 )と語っているが,r革命のペチュニアとその他の詩』は深い闇からすくいとられた一瞬の
ヴィジョンから成っている。
r革命のペチュニアとその他の詩』は,ウォーカーが南部に戻り,「最も誠実な世を変革する
戦いは内面から始められなければならない」 °)と認識した時点に書かれている。詩人がこの認識
に達するまでの過程が『メリディアン』には詳細に語られている。娘の母からの離反と母との
和解,そして「母の娘」としての再出発がrメリディアン』のテーマだ。ニューヨークの黒人
活動家たちの集会で,メリディアンが革命のために「殺せる」と言いきれなかった時に,彼女
はジョージア州にいる母親のことを考えていた。沈黙しメリディアンは母のこと,母が信じる
神を信じることができなかったゆえに母を失った日のことを思い出していた。南部から離れて
初めて娘は母を「人格化された黒人の母性」1 )として畏敬の念を持ってとらえることができるよ
うになる。血でぬられた革命の世界と対極に,生命をはぐくむ底辺の仕事をぐちひとつ言わず
勤しんできた母の姿が,メリディアンの心の中で,二重映しになっている。
メリディアンに「殺せる」と言わしめなかったのは,この「過去の何かからしっかりとつかま えられているのだと感じていた」力であった。もしメリディアンがこの内なる母の声を無視し て,「殺します」と答えたら,自分を育ててきた共同体,根元,民族の歴史の連続から自らを切 り離し,永遠に母の元へ戻れなくなったことだろう。「革命のために殺せるか」と問われ,メリ ディアンは殺人ではなく愛を,革命の時節には「非革命的」と言われようとも,「教会,音楽,
自分たちの共同体の文化遺産」を継承していこうと決意し,南部の大衆の中へ入って行く。破 壊的な革命から逃れて,生命を慈しむ行為に身を捧げるために集団のイデオロギーの枠組から 脱却し,個人の内面から始める真の革命を成就するために母の地へ向かう。
ウォーカーは「革命のペチュニア」の冒頭に,「疑いもなく,美は革命と結びつかない。しか し革命が美を必要とする日がいつかくる」 2)とカミュからの引用を置く。「革命」「ペチュニア」
という詩集のタイトル自体,一見不釣合いな,相矛盾するタイトルのようだ。しかし必ずいつ か革命が美を必要とする時がくるだろうという詩人の祈りと,美によって真の革命をおこそう
とする詩人の強い意志がこのタイトルにはこめられている。また真の革命は自然の美を愛する 心から生まれ,真の革命を通してのみ美は鍛えあげられるのだという相互関係のメッセージと
も読みとれる。
ウォーカーはペチュニアという花に,母の庭で咲き続けた生きた美のエッセンスをみている。
旅の途上,生きている美しさに心奪われて,「馬車を止めて!ペチュニアを取りに行かせて」13)と 叫んだ母は,12回の引っ越しの際にも必ずペチュニアを植え変えたのだった。そしてウォー カーが娘レベッカの誕生を祝し母親から送られたのもペチュニアだった。一輪の花の美しさに 感動できる力が,極限状態の中でも母の精神を生かし続ける源となったのだ。ペチュニアは
日々の生活において創造者・芸術家でありえた母の姿を映し出している。
メリディアンが苦しみの体験から到達した答えも「正しいことは決して殺さないこと。間違 っていないことというのは,必要なときには殺すこと」14)という矛盾をあえて受け入れることだ った。あらゆる二項対立を超えたところに革命のペチュニアは咲こうとしている。相互に生命 をはぐくむことにより始まる意識革命,自己実現に向け独自の光を放つ花が,黒人女性の豊か な精神性を示している。
THE NATURE OF THIS FLOWER IS To BLOOM
Rebellious. Living.
Against the Elemental Cnlsh.
ASong of Color
Blooming
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For Deserving Eyes.
Blooming Glorious玉y For its Self
RεVO1配加ηαアy Pe 槻∫α.h5)
人種差別によって酷使された男たちを底辺から支える女たち,打ち砕かれることを拒絶し続 けた女性たちは,「厳しい自然の猛威に屈せずに」,「真に革命的に,生き」た。ウォーカーの母 親も日々の労働からくたくたになって帰り,毎日50種類以上もの植物を育て,限られた資源を・
最大限に活用し日常の美を追求することを止めなかった。そこにウォーカーは母の伝統をみた のだった。いかなる厳しい環境におかれても,庭作りやキルト作りなどの創造的行為によって 神に近づく,人間としての尊厳を保ち,生きた証を残そうとする母の伝統を。
ウォーカーはr喜びの秘密』の中で,抑圧された自由を奪われた黒人女性に宿る「生き生きと した創造的エネルギー」の秘密は「抵抗」(resistance)16)1こあるとの答えを与えている。人種差別,
性差別といった二重のくびきを無化するほどに強い,打ち砕かれることを拒絶する力にこそ,生 き生きとした精神が培われると。しかしウォーカーが語る「抵抗」には,従来の男性版二項対 立の図式は脱構築されている。ウォーカーにとって「抵抗」とは,与えられた環境の中で持て
るエネルギーを最大限に活かしていこうとする,個人の生きる意志を意味している。
従ってr革命のペチュニアとその他の詩』は,システム批判が前面にでるのではなく,自らを 厳しく律してゆこうとする姿勢で貫かれている。自分を取り囲む厳しい状況をあるがまま受け 入れ,その中で最善を尽くす厳粛さが感じられる。「何も期待せず,驚きの中に,つつましく生
きよう」 7)というメッセージの中には,他者に同情を求めない毅然とした詩人のスタンスがうか がわれる。
ウォーカーは60年代人種差別社会のシステムを変革しようと南部にやって来た仲間たちが,
友情,革命に対する情熱,愛情を見失い,不信,憎しみと不寛容の集団に変化してしまったの を目撃した。公民権運動の権利追求の怒号の中で,すみに追いやられていった心の優しさ,自 然を愛する心,信頼を,革命の時節にこそ大切にしていこうとするウォーカーの決意がこの詩 集には表明されている。
メリディアンが観念に取り愚かれた人々から離れ南部に戻っていくのも,イズムではなく,た だひたすら明日に向け「今」を生き抜く母の姿に手がかりを見たからであろう。彼女を敬度な 気持ちにさせるのは,教会での説教ではなく,安らかな気持ちにさせてくれる音楽と,何色に
も変容するステンドグラスだった。つまり「一本の木に,まさに理想的に朝日があたる瞬間」18)
に見とれたり,教会の音楽に心ひかれたりする小さな日常の美に感動する力こそ人間を根底か ら支える大きな力となりうるという母の伝統に対する信念が,血の革命を否定させたのだろう。
ウォーカーが下した結論は,文学の敗北宣言と聞こえなくもないが,実際は60年代の男性中
心の「革命」を女性の視点から再定義したものといえよう。そこにおいては生命を支える女性
の仕事が「変革への手段」として新たに再評価されている。ウォーカーは最も尊敬すべき黒人 革命家としてサミー・ルーを挙げる。横暴な夫を殺し,命懸けて自己の尊厳のため戦い抜き電 気椅子送りになる途上「私の紫のペチュニアに水をやるのをわすれないでちょうだい」19)と子 供たちに言い残していった黒人女性。ウォーカーはサミー・ルーをたたえる詩を「革命のペチ ユニア」の冒頭にかかげ,インタビューの中でも60年代の男性革命家と同列に並べ,等しく「革 命的」であったと言及している。2°)黒人女性たちの革命は多くの革命家の血が流された後都会 ではなく南部の日々の暮らしの中で静かに進行中であった。
ウォーカーにとって文学は人を武装させるためにあるのではなく,武装解除のためにあり,最 終的に人々の怒りを静め,傷をいやすためにある。従って文学はシステムを直接的に変革する 力とはなりえない。その自らの限界も「誰の良い子にもなるな」という詩では痛みを持って認
識されている。
Be Nobody s Darling ノb〃配伽∫Lε3∫εr
Be nobody s darling
Be an outcast.
Take the contradictions
Of your life
And wrap around
You like a shawl,
To parry stones
To keep you warm
Watch the people succumb To madness
With ample cheer;
Let them look askance at you And you askance reply・
Be an outcast;
Be pleased to walk alone
(Uncool)
Or line the crowded
River bedsWith other impetuous
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Fools.
Make a merry gathering On the bank
Wbere thousands perished
For brave hurt words
They said.
Be nobody s darling;
Be an outcast.
Qualified to live Among your dead.2且)
メリディアンは自らの役目を,血を流すことをすすんで行う者たちのあとから歩くことだと 悟る。「わたしは未来に属していないということ。わたしはいつも取り残されて,新しい大通り のそばで,昔の音楽を聴く」22)との苦汁にみちた現実認識を超えて,そういう歌こそは究極的に は人びとをつなぐ民族の歌だとメリディアンは肯定できるようになる。そういう歌がなくなっ たら,人びとは苦しみ,魂を失うことになってしまう。だから孤立無援のメリディアンたちは,
いつか川岸に集まり「勇敢な他者を傷つける言葉のために/倒れた者たちのために」民族の歌 を歌うのだ。
ウォーカーはr革命のペチュニアとその他の詩』を総称して「革命家たちと恋人たちの詩」23)
であると述べている。詩人にとっては革命と愛はもはや矛盾したコンセプトではない。しかし それは60年代の公民権運動を闘い抜いて初めて実感したことであろう。特に愛と美が生きにく かった時代にあえて「愛が時代おくれと言われる間/時代おくれに生きよう」24)と自らの政治的 立場を明確にした点にこの詩集の意義はある。「革命の火の中から花びらをひろいだそう」25)と,
火の粉をふり払いながら叫ぶ詩人の姿は,花びらが無残にも散らされた後だからこそ鮮明に映 る。詩集のいたる所に花々と花びらのイメージがちりばめられているが,ペチュニアという個 人的に深く関わる一輪の具体的花を通して,ウォーカーは未来への展望をみようとする。サ
ミー・ルーの紫のペチュニア,母の庭に咲き乱れた色とりどりのペチュニア,娘レベッカの誕 生という個々のイメージが集約され,最終的には黒人女性の内なる革命をこの花は体現している。
@ 川
@母親から日常の美を愛する心を受け継いで,「母の庭を捜して」いた娘は,母親の魂に導かれ
ながら,とうとう自分の庭を見つけたのだった。娘レベッカの誕生を機に,自ら母と娘の二つ
のアイデンティティを獲得し,ウォーカーの詩作品は奥深く,重層構造を持つこととなる。三
代の女性を詩作品に描くことは,過去,現在,未来の時間軸を詩人が瞬時に行き来しうる可能 性を秘めている。ウォーカーは母となりえた心情を次のように記録している。
Rebecca has made me a mother. Because of her I ve reunited with banished bits of my own life;to know again the daughter and the mother I was, and to feel pity and empathy f・・b・th;t・apP・eci・t・the admi・abl・d・ught・・c・u・ag・th・t・th・ugh・elf−d・nyi・g・nd 狽?E・ef・・e p・i・f・1,・till・p・i・g・丘・m・v・li・nt・・lid・・ity with th・m・th・・wh・・i・thi・
翌盾窒撃пC always has too much to do and too few to help her.1 ve also discovered the world is full of mothers who ve done their best and still hurt their daughters:that we have daughters everywhere.26)
「自分自身が娘であると同時に母親であることをふたたび知ること」により,自身の母と母と しての自分,両者に哀れみと共感をい抱けるようになり,母と和解し三代の女1生同志の連帯が 可能となった。
この変化は「許し」という作品に最も顕著に表われている。「許し」には,未来への展望を開 きうる可能性,つまり「自己変革のみならず,自・他共に許す能力」27)を得ることにより,新た な展開,黒人女性三世代の歴史の流れを垣間見ることができる。
FORGIVENESS
each time I order her to go for a ruler and f且ce her small
gnlbby outstretched palm
ifeel before hitting it the sting in my own and「become my mother
preparing to chastise me
on a gloomy Saturday afternoonlong ago. and glaring down into my own sad and grieving face i forgive myself
for whatever crime i may
have done. as i wish i could always forgive myself
then as now.28)
まずこの詩では,手のひらを打たれる娘の痛みを自身の痛みと感じた,詩人の内なる娘が目覚
める。と同時に,生まれて初めて人種性差別社会で生き残るための術を授けるために娘を打
一
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たざるをえない母としての痛みを体験する。そこで詩人は娘に許しを求める存在であると同時 に,母を許す娘としても存在する。母が全てを耐え忍んできたからこそ彼らすべてが今ここに 存在することができたことを,一瞬のうちに母・娘詩人は了解する。黒人として母になること が常に意味する恐ろしさを,母も娘も限られた可能性しか与えられないことを身をもって両者
とも知り尽くしているからこそ,「許し」はおとずれたのであろう。
人種性差別社会に生きざるをえない娘に生き残りの術を授ける黒人の母たちは強く献身的 ではあるが,娘に対し情感のこもった優しさに欠けるきらいがあると言われている。29)メリディ アンの母も娘との間に距離があり,冷たい印象を受ける。黒人の女にとって,日々の糧を自力 で稼げる娘に育てあげるのが急務であり,しばしば娘を精神的にサポートすることが犠牲にな りがちだ。しかし母と娘を隔てる障壁は,ウォーカーの「許し」という作品の中で,娘が歴史 の継続性を継承することを通して,一挙に埋められた感がある。
自ら母となることなしには,ウォーカーの多くの作品はこれほどの深みを持って書かれえな かったであろう。r母の庭をさがして』は「私の傷をもう一つの世界が見えると表現してくれ
た」3°)娘レベッカに捧げられている。
rrカラーパープル』を書く」というエッセイの中でも娘レベッカを精霊として登場させ,い かに娘が創造の源泉となりえたかを語る。3 )生きとし生けるものは全て平等に神聖であり,美し いという,紫という色にこめられたウォーカーの主張は,娘レベッカの誕生を通し実感された ものであろう。
レベッカの誕生により「自らの人生の消された断片を再統合」することが可能となり,自身娘 であると同時に母親であるという立場から,ウォーカーは歴史から消されている黒人の女性史 を詩的空間に刻む。ウォーカーの作品にしばしば描かれる大木が根元から切り倒され根っこが 残り,そこから若芽が生えてくるというイメージは,娘が「革命」という名のもとに黒人の女 たちの民族の歴史から自らを切り離しはしたが,ふたたび自分を育ててくれた共同体に戻り,そ こから「母の娘」として再出発する道を示している。様々な葛藤を経て,最終的には自身の母 親と勇敢にも連帯しえた娘は,過去,現在,未来の継続性を通し,母と娘の歌そして民族の歌 をうたい続ける。
注
1)Ly・Li£・hi・(・d・)・乃・8」・姻… 撫海・…4伽8乃 ・・P−.(N・w Y・・k・HBJ 1992).
2)紬ceW・1k・・,P・∬・∬肋8疏・5・c・・∫σ」の(N・wY・・k・P・・k・tB・・k・1992),P.19.
3)Alice W・lk・・,吻観伽(N・w Y・・k・P・・k・t B・・k・1976), P.27.
4)M・Ri・k・P・1・t・i・k・ Diversi・y i・W・m・n ・Lib・・a・i・n ld・・1・gy・H・w・B1・ck・nd・Whi・・G,。叩。f・he 1960s Viewed Motherhood, 5 8η521(1996), pp.679−706.
5)P・t・i・i・Hil1 C・11i… Th・Meani・g・f M・th・・h・・d i・Black C・lt・・e Black M・th,卜D、。ght,, R,1。ti。n.
ships, 5α884(2/1987), pp,3−10.
6)Alice W・1k・・, 1・Sea・ch・f O・・M・th・・ ・G・・d・n,・・血ε・・κぬ、ガ伽撫乃。。、・σ。.4。。,伽嬬, P.。。。
(New York:HBJ,1983), pp.231−243.
7)Harold Bloom,]防ε.4πx∫のqμ姻μεπcε,(New York:Oxford University Press1937), pp.11,26.
8)7ぬεル盛α4wo刑απ癖漉ε.4 距α研b1παπ〃協θrαη4所81腕ηθ茜8θη〃レCεπ魏τy L∫∫θアαζy加αg加傭oη(New Haven and London:Yale University Press 1979), pp.45−92.
9) From an Interview,,,血5eαrcみ{ガ0配r Mo漉εr5 σαr4θη:〃b7π伽醜Pro3ε, p.249.
10)Alice Walker,漉r別麗εβαかEvθり痂η8〃珍」㎞ow」Eαr漉加g Poε切31965−1990 Co即 ε陀(The Women s
Press 1992), p.153.
11) 、M8ア諺∫απ, pp.96−97.
12)R8voZ戚oπατy Pe伽π∫α3&α舵r Poθ配3(New York:HBJ 1971), p.28.
13) From an Interview, 加5ωrchρf Oμア、Mo漉εr∫ Gαア48η:〃b1παη醜Pro5θ, p.268.
14) 、Mεr諺 αη, p.200.
15) R8voJ配距oηαリノP8如πごα3&0孟んεr Poε〃25, P・70・
16) 、Po3583∫加9此θ5εc7(3∫6ゾJqy, P.281・
17) Rθvo1那∫ごoηαリアP8魏π如5(隻0〃昭アPoε〃3∫, P・30・
18) ル頭ε7 4∫αη,p.39.
19) Rεvo如ガoηα1y Pθ魏η α∫&0孟hθr Poε〃23, P・29・
20) From an Interview, 1カ58αrcぬげ0館r Mo疏8r5,σα74εη:躍b配απご3∫、Pro58, p.267.
21) Rεvo1㍑距oπαり2 Pθ如π∫α56と0〃2εr Poε〃2∫, P・31・
22) ル陀r∫4如η,p.201.
23) H診7、B με」Bo4ンEvεリノ〃2fη9〃セ」ヒηow Eαr漉∫πg poθ〃251965−1990 Co〃甲」ε∫ε, P・154・
24) Rεvo1配琵oπαり2 Pε血6η如5&0〃3θr・Poθ〃15, P・68・
25)Ibid.
26).Alice Walker,加卿加g晩LovθC伽βε5ねvθ4(New York:Random House 1997), p.77.