20 世紀初頭フランスにおける財団法草案
――立法研究協会での審議(1) ――
野 田 龍 一 *
*文中[ ]および ...は、それぞれ、筆者による挿入部分および削除部分を示す
。目 次 はじめに
1.立法研究協会での審議過程 2.遺言による財団設立(以上:本号)
3.コンセイユ=デタの許可と親族の保護 4.設立後の財団の権利能力
5.監督委員会の構成と機能 6.財団の転換と解散 むすび
はじめに
わたくしは、さきに、19 世紀ドイツ1)およびフランス2)における遺言に よる財団設立について考察した。小稿は、そのうち、フランスに関する続編 である。
フランス民法典施行以来 19 世紀全般において、フランスでは、法律行為
* 福岡大学法学部教授
としての財団設立行為が知られていなかった。とくに、遺言による財団設立 は、法定の遺言事項ではなかった。通常おこなわれたのは、遺言者が既存の 自然人または倫理的人格(法人)に負担付き遺贈をおこない、負担として施 設を設立させることであった。この施設が、法人格を取得するには、原則と して活動実績を経て、コンセイユ=デタから公益認定を受けなければならな かった3)。隣国ドイツでは、1900 年に施行されたドイツ民法典が、総則で、
法律行為としての財団設立行為を法認した4)。ドイツ民法典を目の辺りにし て、フランスでも、法人立法がこころみられた。非営利社団と解されるアソ シアシオンについては、1901 年 7 月 1 日法が制定された5)。財団について も立法化の動きが出現した6)。1906 年から 1909 年にかけて立法研究協会で の審議を経て作成された草案7)が、その 1 つであった。
小稿は、立法研究協会草案について、つぎの諸点に注目したい。
まず、草案審議過程のあらましをたどり、その特徴をあきらかにする(第 1 章)。
この草案作成の中心人物は、「委員会の魂」と目された Saleilles8)および かれを助けた Larnaude9)であった。かれらにとっては、なぜ、財団立法が 必要とされたのか、を、Esmein10)との、法学方法論をめぐる対決をもふま えつつ、検討する(第 2 章)。
この草案は、財団のデメリットである財産非流動化に対し、対処策を予定 していた。
その 1 つが、コンセイユ=デタによる事前許可であった。また一定の特権 財団については、この事前許可は不要であるとされたが、それでも、親族に は異議申立て権が認められた。これについて、協会での審議を検討する(第 3 章)。
第 2 の対処策として、草案は、設立後の財団には、とくに贈与・遺贈によ る財産取得能力を規制した。それについては、いかなる議論があったか(第
4 章)。
第 3 の対処策として、財団を規制する機関としてあらたに設けることが予 定された監督委員会とはいかなるものであったか、その構成および機能につ いて考察する(第 5 章)。
最後に、究極的規則としての、財団の転換および解散について、草案の態 度をあきらかにする(第 6 章)。
周知のように、わが国では、明治期にフランス民法典をモデルとした旧民 法典を編纂し、ついで、パンデクテン体系に拠った現行民法典を制定した。
この過程で、旧民法典にはなかった総則規定の中に法人規定が現行民法典に は設けられた。最近、法人規定を民法典の体系から取り外し、これを一括し て特別法として規定した11)。この現代日本における立法の動きを、いかに 受けとめることができるであろうか。この問い掛けを背中に意識しつつ、20 世紀初頭のフランスに沈潜する、という迂回のこころみをしてみたい。
小稿で使用するいくつかの用語について、あらかじめ、定義をしておきた い(山口俊夫[編]『フランス法辞典』東京大学出版会 2002 年を参照した)。
① fondation とは、財団設立行為およびその行為によって設立された財団 を指す。一般的には、寄進の意味でももちいられることがあり、文意に応じ て使い分けた。
② association とは、非営利社団を指すが、原語のままアソシアシオンと 表示した。
③ patrimoine とは、特定目的のための特定財産体であるが、財産と表示 した。
④ Conseil d'État とは、フランスの伝統的な施設で、政府の諮問機関であ ると同時に、行政裁判の最上級裁判所である。これも、コンセイユ=デタと 原語のままもちいた。
⑤ autorisation とは、行政機関による許可の意味で、許可と表示した。
人名は、原語のまま欧文で表示した。地名は、カタカナで表示した。
野田龍一「十九世紀初頭ドイツにおける理論と実務−シュテーデル美術館事 件をめぐって−」『原島重義先生傘寿 市民法学の歴史的・思想的展開』
(信山社 2006年)205-241頁;同「十九世紀ドイツにおける遺言による財 団設立−裁判例に見る普通法とプロイセン法−」『大阪市立大学 法学雑 誌』第54巻第1号(2007年)54-95頁。
野田龍一「遺言による財団設立と遺言の解釈−19世紀後半フランス裁判例管 見−」『福岡大学 法学論叢』第52巻第1号(2007年)1-31頁。
野田『福岡大学 法学論叢』第52巻第1号 27-28頁参照。
付言すれば、フランスでは、1990年7月4日法が、1987年7月23日法を改正 して、相続開始時には存在しない財団の利益のために遺贈をおこなうこと を認める。ただし、公益認定を獲得することが条件とされる点に注意を要 する。公益認定をうけた財団の倫理的人格は、相続開始日に遡及する。Loi n
o90-559 du 4 juillet 1990 créant les fondations d'entreprise et modifi cant les dispositions de la loi n
o87-571 du 23 juillet 1987 sur le développement du mécénat relatives aux fondations, in: Journnal Offi ciel, Lois et Decrets 6 juillet 1990, p.7914-7916. 第3条「上記1987年7月23日の法律第87-571号第18条 のつぎに第18-2条としてつぎのように加える。第18-2条 遺贈は、相続開始 の日には存在しない財団のために、当該財団が設立手続きの後で、公益認定 を受けることを条件としておこなうことができる。...公益認定財団の法 人格は、相続開始の日に遡及する」。訳は、『外国の立法』201(平成9年5 月)84頁(調査及び立法考査局 フランス公法研究会)を参考にし、一部表 記を改めた。
この改正にさいしては、フランス民法典第906条第2項「遺言によって受 領する能力を有するためには、遺言者の死亡の時期に懐胎されていること で足りる」を、あくまでも、自然人に限定して適用し、その反対解釈とし て、遺言で設立されるべき財団は、遺言者死亡の時点においては、存在しな いから、存在しない財団への遺贈は無効としてきた破棄院の判例(具体的 には、自筆証書遺言でもって設立されるべき「François Dupré夫妻財団」
への遺贈をおこなったStephania Anna Nagy寡婦Dupréの遺言に関する1987 年7月22日破棄院民事第1部判決:Gazette du Palais, ann.1988, 1
ersem. p.137- 138.ただし、破棄院は、当該遺贈を、1969年1月9日のデクレでもって設立さ れたフランス財団Fondation du Franceへの、財団設立を負担とする、負担 付き遺贈と解釈して、法定相続人による本件遺贈無効主張をしりぞけた)と 注)
1)
2)
3)
公益認定を、遺言者死亡時に遡及させるコンセイユ=デタの判例との間にあ る矛盾を解消することが、立法理由として説明されている。Journal Offi ciel, seconde session ordinaire de 1989-1990, n
o213-Senat, p.32; n
o1368- Assemblée Nationale, p.39.
Laurent LEVENEUR et Sabine MAZEAUD-LEVENEUR, Successions- Libéralités, Leçons de Droit Civil, tom.4-vol.2, Paris 1999, n
o.1422-2, p.612-613 および横山美夏「財産−人と信託との関係から見た信託」『NBL』No.791
(2004.8.15)19-20頁を参照。
ドイツ民法典第80条以下。ドイツ民法典の財団法規定史については別に論じ る。
高村学人『アソシアシオンへの自由 〈共和国〉の論理』(勁草書房 2007 年) 参照。
Maurice HAURIOU-Andrè HAURIOU, Précis élémentaire de droit constitutionnel 3
eéd., Paris 1933, p.271によれば、1920年までに、3つ財団草 案がでた。1つめが、立法研究協会草案であり、2つめが、1919年にでた生活 保護評議会草案(立法研究協会草案の細目を変更したうえで、Berthélemy の報告をうけ採択。Léon DUGUIT, Traité de droit constitutionnel, 3
eéd., Tom.1, Paris 1927, §47, p.520-521)であり、3つめが、1920年にでたトゥー ルーズ立法アカデミー草案である(Bulletin de l'Académie de législation fondée a Toulouse en 1851, tom.4: 1919-1920, p.22-70に登載)。
草案およびその審議過程は、Bulletin de la société d'études législatives [BSÉL], tom.5(1906)ないしtom.8(1909)にQuestion n
o14の番号付きで登 載されている。
わたくしは、この雑誌を、一橋大学国立キャンパス図書館および明治学院 大学白金台キャンパス図書館で、参看・複写することができた。両図書館 に、謝意を表したい。
l'âme de la Commission.これは1907年4月27日財団委員会におけるEsmeinの 表現。BSÉL., tom.6(1907), p.449.
Raymond Saleilles(1855-1912)につき、Dictionnaire historique des juristes français XII
e-XX
esiècle [DHJF], Paris 2007, p.694-696.
かれの、立法研究協会財団法草案への貢献につき、Léon MICHOUD, La théorie de la personnalité morale dans l'œuvre de Raymond SALEILLES, in:
L'Œuvre juridique de Raymond Saleilles, Paris 1914, p.312-337を参照。最近 では、Alfons ARAGONESES, Recht im Fin de siècle, Briefe von Raymond Saleilles an Eugen Huber(1895-1911), Frankfurt am Main 2007, S.140-141, Anm.1.; Anhang S.209-211がある。
Étienne-Ferdinand Larnaude(1853-1942). DHJF., p.466-467.
4)
5)
6)
7)
8)
9)
Jean-Paul-Hippolyte-Emmanuel [dit Adhémar] Esmein(1848-1913). DHJF., p.311-312.
一般社団法人及び一般財団法人に関する法律・公益社団法人及び公益財団法 人の認定等に関する法律(2008年12月1日施行)。これにより民法第38-84条 が削除された。
新法の特徴は、民法所定の旧来の財団法人が、公益性を要件としたのに対 して、公益性を要件としない財団形態の法人を広く認めた点にある。起草過 程では、①家産の承継を目的とする財団(家族世襲財団)の設立が可能にな り、現行の相続法秩序と抵触するおそれがあること、②公益でない目的の下 に財団が固定化するおそれ・財の効率的な活用が阻害されるおそれがあるこ と、③債権者(一般債権者・租税債権者)を害する目的などで財団が設立さ れるなど、法人格の不正利用がされるおそれがあること、が指摘された、と のことである。中田裕康「取引法における一般財団法人と目的信託」『取引 法の変容と新たな展開 川井 健先生傘寿記念論文集』(日本評論社 2007 年)115頁。
うえの②については、昨今の新聞記事でもしばしば指摘されているところ である。
国土交通省所管の公益法人、日本観光協会は、自治体から集めた金13億円 を、つかいのこしていわゆる埋蔵金としてためていた(朝日新聞 2008年4 月2日朝刊)。
国土交通省所管の50公益法人は、余剰資金にあたる内部留保を、2006年度末 時点で合計約555億円ためていた(朝日新聞 2008年4月5日朝刊)。
フランスでも、財団に対するこうした懸念は、一般に指摘されていると ころである。たとえば、Charles DEBBASCH et Pierre LANGERON, Les fondations, Que sais-je? Paris 1992, p.33: 財団のための慈恵行為についての 法律的規制は、死手財産、すなわち「死手財産のメンバー、聖俗の団体に帰 属し、かつ、そこに入った以上、もはやそこからはでない財産」に対する権 力および国家のきわめてふるい不信の名残りをとどめる。これらの死手財産 は、おもに、不動産財産(そしてたとえば芸術作品または骨董品のような一 定の動産財産)にかかわる。これらの死手財産に名宛てられるおもな非難 は、経済的目的とは別の目的のために、それらの財産が、永久的に、それら の財団に付与されることである。
無論、同時に、財団法人が、多方面にわたり、文化事業や環境保護事業な どに貢献していることもまた、公知の事実である、といわねばならない。
新法全般に対する批判として、清水 誠「再度、市民法の劣化を憂える−
二○○六年の法人制度改正について−」『民事法学への挑戦と新たな構築 鈴木禄弥先生追悼論集』(創文社 2008年)99-129頁参照。
10)
11)
1.立法研究協会での審議過程
立法研究協会において、財団法草案の審議はあらましつぎのようにおこな われた。
立法研究協会に財団委員会12)が設置された。委員長は、Esmein(かれが欠 席のときは Tanon13))であった。パリ大学法学部からは、Saleilles・Larnaude・
Esmein のほかに、Berthélemy14)・Colin15)・Piédelièvre16)・Planiol17)・Thaller18)・ Truchy19) ・Weiss20)の諸教授が、委員であった。コンセイユ=デタからは、
Grunebaum-Ballin21)・Marguerie22)・Romieu23)が、委員であった。破棄院か らは、Tanon のほかに Douarche24)が委員として名をつらねた。そのほかに、
コンセイユ=デタおよび破棄院弁護士として、Morillot25)・Sabatier26)・de Ségogne27)が委員であった。議会からは、ただ一人、元老院議員 Legrand28)
が委員であった。立法研究協会の所在地がパリであったからか、大学法学部 教授である委員は、全員がパリ大学所属であり、当時グルノープル大学に 所属していた Michoud29)やトゥールーズ大学に所属していた Hauriou30)は、
委員ではなく、書状で意見を述べるにとどまっている。行政や司法の各機関 からの委員も、すべて、パリに所在する中央官庁の官吏であって、地方から の委員はいなかった。
財団委員会は、1907 年 1 月 12 日から 1908 年 3 月 28 日まで計 11 回開催 された31)。毎回の委員会は、おおむね、土曜日、午後 4 時ないし 4 時 30 分 の開会である。閉会時刻については、記録がないものもある。記録がある分 については、午後 6 時ないし 6 時 30 分である。
毎回の委員会への出席者は、議長および書記 Donnedieu de Vabres32)を 含めても、もっとも多い時で 9 名、もっとも少ない時で 4 名であった33)。 出席委員少数のために実質的な審議がおこなわれなかったことも、2 度あっ た34)。皆勤者は、皆無であった35)。中心となったはずの Saleilles 自身、病
気を理由に、たびたび欠席している36)。
委員会では、冒頭、Saleilles が、準備報告書を提出した37)。これは、フラ ンス・ドイツ・イングランドにおける財団に関する法状況を比較考察したも のであった。
この準備報告書を承けて、委員会は、財団に関する立法、とくに、遺言に よる財団設立を認める立法の可否を審議・採決した38)。これを可とした委 員会は、Saleilles に、財団法草案審議に関して論点となるべき事項を書き出 すことを託した39)。
委員会は、Saleilles が提出した論点事項にもとづいて審議をおこなった。
フランス国内のみならず、スイス40)・ドイツ41)からも意見を収集した。委 員会では、いくつかの重要事項については、採決がおこなわれた42)。委員 会の議事録は、逐一発言を記録したものではなく、書記が、発言者の発言を 要約したものである。
この審議を経て、Saleilles および Larnaude が、草案各条を起草した43)。 条文化された草案は、立法研究協会総会での審議にかけられた。
総会での審議は、1908 年 12 月 17 日から 1909 年 3 月 25 日まで、計 5 回 おこなわれた44)。会議は、おおむね午後 4 時 50 分に開会され、午後 6 時 30 分ないし 50 分に閉会されている。
総会での議長は、立法研究協会会長 Colson45)であった。
総会における出席者の全容は、あきらかでない。総会では、すでに見た財 団委員会の各委員46)のほかに、名誉会長 Baudouin47)および Barboux48)、評 議員 Lefas49)・Capitant50)・Feuilloley51)、正会員 Duguit52)、賛助会員 Morel d'Arleux53)・Le Marois54)・Escarra55)・Boissard56)が、 発 言 し た。 ま た、
Millerand57)・Lemire58)・Bérenger59) ・Taudière60)・Rau61)・Lagrésille62) の 非会員が、ゲストとして、総会に招請され、発言している。かれらは、国会 議員・聖職者・破棄院判事などであった。
総会での発言は、発言者ごとに、逐一記録されている。発言が感嘆詞など まで記録されている。総会の議事録は、審議の雰囲気を生々しく伝える。そ の反面、議論が飛んで、趣旨を理解しがたい発言もある。
総会では、Saleilles が、財団の設立と能力に関する第 1 部全 8 条および 監督委員会と財団の監督および解散などに関する草案第 2 部全 9 条のそれ ぞれについて、書面で趣旨説明をおこなった63)。実際の会議では、病身の Saleilles に代わって、Larnaude が、第 1 部および第 2 部について、それぞ れ口頭で趣旨説明をおこなった64)。第 1 部の趣旨説明の後で、財団全般に かかわる総論的な議論がおこなわれた65)。そのうえで、草案の各条につい て審議がおこなわれた66)。総会では、採決はおこなわれなかった67)。 総会には、Saleilles 自身のも含め、立法研究協会内外から、意見書が寄せ られた68)。
総 会 で の 審 議 の 途 中、 財 団 法 草 案 は、1909 年 3 月 17 日、 ふ た た び 財 団委員会での審議に付された。委員長は Colson、出席委員は、Romieu・
Larnaude・Colin であった。Saleilles は、病気のために欠席した。ここで、
立法研究協会の財団法最終草案が作成された69)。立法研究協会における財 団法草案は、この最終草案をもって終わっている70)。
全体として見れば、立法研究協会草案における審議の特徴は、つぎの諸点 にある。
第一に、草案起草のイニシアチヴが、もっぱら Saleilles および Larnaude によってとられた。いずれも、ドイツ民法ないしドイツ行政法に造詣が 深くかつフランス民法典の改正の必要性を強調している人々71)であった。
Saleilles が、親交のあったスイスの Huber やドイツの Gierke および Crome に進んで書状で照会をし、かれらの返信を委員会や総会で積極的に活用して いることが注目に値する。その背景には、「進んでいるドイツ民法典・スイス 民法典」−「遅れているフランス民法典」という意識があったのではないか。
第二に、財団委員会にせよ、総会にせよ、当時のフランスにおける当代随 一の錚々たる法律家を構成員としていた。すでに指摘したように、パリ大 学法学部教授の集団が、圧倒的であった。他大学には、法人論に造詣の深い Michoud や Hauriou がいたにもかかわらず、かれらは、委員として、ある いはゲストとしてすら参加しなかった。
第三に、すくなくとも財団委員会に関するかぎり、実際に出席し、議論に 参加した法律家の数がきわめて少ない。また、財団委員会においても、総会 においても、毎回、欠席者がきわめて多い。Saleilles や Larnaude のイニシ アチヴにもかかわらず、当時のフランス法学界全体としては、とくに実務法 律家の財団に関する関心は、比較的低かったのではあるまいか72)。
最後に、Esmein が、同じパリ大学法学部教授で、しかも財団委員会の委 員長を引き受けながら、のちに見るであろうように、財団立法に強硬に反対 した。Esmein こそは、フランス法の伝統の擁護者を自認する者であった73)。
注)
12)
13)
14)
15)
16)
17)
18)
財団委員会の委員名簿は、SaleillesによるRapport préliminaire sur le Projet relatif aux Fondations, in: BSÉL., tom.7(1908), p.357, n.1に見える。
Célestint-Louis Tanon(1839-?). La grande excyclopédie inventaire raisonné, tom.30, p.916.当時の肩書きは、破棄院民事部長。Tanonは、委員会 に10回出席した。欠席したのは、1908年3月14日の1回である。
Henry Berthélemy(1857-1943). DHJF., p.78-79. Berthélemyは、委員会には 1回も出席していない。
Ambroise Colin(1862-1929). DHJF., p.195-196. Colinは、委員会には、1907 年2月9日に1回出席したにとどまった。
Jacques Piédelièvre(生没年不詳). かれは、委員会には1回も出席しなかっ た。
Marcel-Fernand Planiol (1853-1931). DHJF., p.629-630. Planiolは、委員会 には1回も出席しなかった。
Edmond-Eugène Thaller(1851-1918). DHJF., p.735. Thallerの委員会出席
は、1907年3月9日1回のみである。
19)
20)
21)
22)
23)
24)
25)
26)
27)
28)
29)
30)
31)
Henri Truchy(1864-?)か。かれには、Thèse doctoral: Droit français: des fondations, Paris 1888(未見)がある。Truchyは、1907年2月9日および2月 23日の2回、委員会に出席した。
Charles-André Weiss(1858-1928). DHJF., p.780-781. Weissが委員会に出席 したのは、1907年4月27日および11月23日の2回である。
Paul-Frédéric-Jean Grunebaum-Ballin(1871-1969). Dictionnaire de biographie française [DBF], tom.16, col.1382-1383. Grunebaum-Ballinは、1907 年2月9日・2月23日・3月9日の3回出席した。かれには、Henri Lévy-Ullmann との共著 Essai sur les fondations par testament, in: Revue trimestrielle de droit civil, tom.3, ann.1904, p.253-283があり、この論文は、立法研究協会でも 再三引用された。
René Pierre Marguerie(1847-?). Index biographique français [IBF], 2
e.éd., München 1998, tom.5, p.2238. Marguerieは、委員会には1回も出席しなかっ た。
Jean Romieu(1858-1953). DHJF., p.676-677. Romieuは、委員会には8回出席 した。欠席したのは、1907年1月12日・4月27日および1908年3月14日の3回で ある。
Aristide Douarche(1850-1916). DBF., tom.11, col.636-637.当時の肩書きは、
破棄院判事。Douarcheが出席したのは、1907年2月9日・2月23日・1908年2 月1日の3回である。
Jean Baptiste Léon Morillot(1838-?). IBF., tom.6, p.2431. Morillotは、委員 会には1回も出席しなかった。
Joseph Sabatier(1870-?)か。IBF., tom.7, p.2916. Sabatierは、委員会には1回 も出席しなかった。
Georges de Ségogneか。IBF., tom.7, p.2993. 生没年不詳。de Ségogneは、
1907年2月23日・3月9日・4月27日・11月23日・1908年3月14日の5回委員会に 出席した。
Louis Désiré Legrand(1842-?), IBF., tom.5, p.2041.かれが委員会に出席した のは、1907年2月9日の1回のみだった。
Léon Michoud(1855-1916). DHJF., p.564-565.財団の積極的許可ではなく、消 極的許可拒絶の提案。:Michoud, Notes sur le Projet relatif aux Fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.172-178.
Maurice Hauriou(1856-1929). DHJF., p.396-398.かれは、財団設立につい て厳格な許可主義を採用するならば、設立後の統制は不要だとの意見を書 き送った。:Lettre de M.Hauriou à M.R.Saleilles sur le Projet relatif aux Fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.82.
財団委員会は、1907年1月12日・2月9日・2月23日・3月9日・4月27日・11月
23日・12月7日・1908年2月1日・2月15日・3月14日・3月28日に開催された。
32)
33)
34)
35)
36)
37)
38)
39)
40)
41)
42)
その議事録は、BSÉL., tom.6(1907), p.77; p.234-235; p.235-237; p.319-322;
p.449-452; p.637-639; p.639; BSÉL., tom.7(1908), p.195-198; p.199-201; p.201- 202; BSÉL., tom.8(1909), p.81-82に登載されている。
Saleillesは、その書記としての労に感謝している。Rapport préliminaire sur le Projet relatif aux Fondations, in: BSÉL., tom.7(1908), p.357,n.1.
出席者数の推移は、つぎのとおりであった。1907年1月12日:6名;2月9日:
9名;2月23日:9名;3月9日:8名;4月27日:6名;11月23日:8名;12月7 日:5名;1908年2月1日:6名;2月15日:5名;3月14日:4名;3月28日:5 名。このような少人数の参加者だけで草案なるものは審議されてゆくのであ ろうか、と驚く。
1907年12月7日および1908年3月14日の会議では、実質的審議が、出席者少数 を理由として延期された。
最多出席者は、Esmein・Larnaude・Tanonの10回である。
Saleillesは、はじめの4回連続して出席したが、1907年4月27日以後は、同年 11月23日に出席した(計5回出席)のみで、12月7日から3月28日までの委員 会をすべて欠席した。Saleillesの6回にわたる欠席のうち3回につき、体調不 良が欠席理由である。
Rapport préliminaire, in: BSÉL., tom.5(1906), p.467-493.
1907年2月9日委員会。BSÉL., tom.6(1907), p.234および同年2月23日の委員 会。BSÉL., tom.6(1907), p.235-236.
この論点事項一覧が、Questionnaire préparé par M.Saleilles conformément au mandat qui lui avait été donné en vue de l'ordre du jour de la prochaine séance de la Commission des fondations, in: BSÉL., tom.6(1907), p.237-238 である。
私的財団設立がパンデクテン法学の抽象から生まれたのではなく、スイス において実務で実体のあるものであることにつき:1907年1月21日および 22日付のHuberの返信:BSÉL., tom.6(1907), p.67-70(1907年1月14日付の Saleillesの往信は、ARAGONESES, Recht im Fin de siècle, S.140-142)。ス イスにおける財団に関する監督官庁につき1908年1月10日付けのHuberの返 信:BSÉL., tom.7(1908), p.191-192. (1908年1月8日付のSaleillesの往信は、
ARAGONESES, Recht im Fin de siècle, S.144-145にある)。
ドイツにおける私的財団設立の実態に関する、1907年1月29日付のGierke の返信:BSÉL., tom.6(1907), p.70-76.ドイツにおける監督官庁に関する、
Cromeの1908年3月4日付の返信:BSÉL., tom.7(1908), p.192-193.
1907年1月12日の会議では、財団立法には理由あることが全会一致で確認さ
れた。BSÉL., tom.6(1907), p.77.;同年2月23日の会議では、遺言による財
団設立の原則が、投票でもって採択された。BSÉL., tom.6(1907), p.236.;
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1907年4月27日の会議では、スポーツ財団を、原則として法上当然に許可さ れる財団の一範疇とはしないことが、投票により、賛成3反対2でもって決定 された。BSÉL., tom.6(1907), p.450.
この草案各条は、BSÉL., tom.7(1908), p.417-421にある。
5回の議事録は、BSÉL., tom.7(1908), p.25-74; tom.8(1909), p.93-123; tom.8
(1909), p.124-159; tom.8(1909), p.237-266; tom.8(1909), p.285-341に登載 されている。
総会は、おおむね、木曜日に開催されている。各回総会の開催日および審 議時間は、つぎのとおりである。第1回:1908年12月17日:開会午後4時45 分−閉会6時34分;第2回:1909年1月14日:開会午後4時50分−閉会6時間40 分;第3回:1909年1月28日:開会午後4時50分−閉会6時45分;第4回:1909 年2月25日:開会午後4時50分−閉会6時25分;第5回:1909年3月25日:開会 午後4時50分−閉会6時50分。
発言の分量としては、起草者であったSaleillesおよびLarnaudeの発言が、
趣旨説明を含め、圧倒的な分量に及んでいる。
総会の議事録を通読したかぎりにおいては、総会は、立法作業委員会とい うよりも、研究会的な雰囲気、というのが印象である。総会における各発言 者が、フランス語で、どの程度の速度で発言したかは、不明。だがしかし、
毎回につき、2時間弱の会議で、議事録で約30頁ないし50頁というのは、相 当な密度で議論が戦わされたことを、想像させるであろう。
Clément Colson(1853-1939). Grand dictionnaire encyclopédique Larousse, tom.3, Paris 1982, p.2399.当時の肩書きは、コンセイユ=デタ評定官。BSÉL., tom.7(1908)協会会員名簿。
さ き に 見 た 財 団 委 員 会 の 委 員 で 、 総 会 で の 発 言 を 確 認 で き る の は 、 Saleilles・ Larnaude・Esmein・Tanon・Berthélemy・Colin・Piédeliévre・
Grunnebaum-Ballin・ Romieuである。
Manuel-Achille Baudouin(1846-1917). DHJF., p.53. Baudouinは、1904年か ら1905 年にかけて破棄院付検事長であった。BSÉL., tom.8(1909)協会会員 名簿。なお、かれは、財団法草案にもおおきな影響を及ぼした1897年8月5日 セーヌ民事裁判所判決Gazette du Palais ann.1897.2.p.456 seqq.(Edmond de Goncourtの遺言事件)の裁判官であり、また同様に重要な判決例となった 1902年5月12日の破棄院判決(Grauleによる施療院事業およびそのための民 事組合設立を負担とする負担付包括遺贈事件)において結論的申立てをおこ なった破棄院付検事長であった。D.P.1902.1.425.とくにp.426-430.
Henri-Martin Barboux(1834-1910). DHJF., p.36. Barbouxは、1880年から
1882年にかけてパリ控訴院弁護士会会長であった。1907年にフランス=アカ
デミーの会員に選出された。BSÉL., tom.8(1909)協会会員名簿。
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Alexandre Lefas(1871-1950)か。IBF., tom.5, p.2021.Lefasは、イール=エ
=ヴィレーヌ県選出の国民議会議員であった。BSÉL., tom.8(1909)協会会 員名簿。
Henri-Lucien Capitant(1865-1937). DHJF., p.158-159. Capitantは、1909年に パリ大学の教授資格者となった。
Guillaume Germain Feuilloley(1846-?). IBF., tom.3, p.1284. Feuilloleyは、
破棄院付きの法院検事avocat généralであった。BSÉL., tom.8(1909)協会 会員名簿。
Léon Duguit(1859-1928). DHJF., p.271-273. Duguitは、当時ボルドー大学 法学部教授であった。BSÉL., tom.8(1909)協会会員名簿。かれは、立法研 究協会の総会には、第4回目(1909年2月25日)においてのみ出席し、その 会議の中で「わたくしは来るのが遅すぎた」と述懐している。BSÉL., tom.8
(1909), p.256. なお、Duguit, Traité de droit constitutionnel, 3
eéd. tom.1, Paris 1927, p.520では、立法研究協会での財団法草案審議を、「長い、興味 ぶかい議論」と評している。
Albert Morel d'Arleux(1860-?). IBF., tom.6, p.2427. Morel d'Arleuxは、当 時、名誉公証人notaire honoraireであった。BSÉL., tom.8(1909)協会会員 名簿。
Le Maroisについては、生没年不詳。かれは、当時、コンセイユ=デタおよ び破棄院の弁護士であった。BSÉL., tom.8(1909)協会会員名簿。
Jean Escarra(1885-1955). DBF., tom.12, col.1418-1419. Escarraは、Saleilles の指導のもとに、Les fondations en Angleterreなる学位論文を1907年にパ リ大学法学部に提出し、法学博士号を取得した。後年、かれは、中国法の専 門家となっている。
Adéodat Boissard(1870-1938). かれは、Marius Goninとともに、1904 年にSemaines Sociales de Lyon を設立した。Aimé SAVARD, Deux co- fondateurs: Marius Gonin et Adéodat Boissard, in: Semaines Sociales de France-Lettre 34(avril 2004).当時の肩書きは、リール大学法学部教授で あった。BSÉL., tom.7(1908)協会会員名簿。
Alexandre Millerand(1859-1943). Grand Larousse encyclopédique en dix volumes, tom.7, Paris, p.363. Millerandは、1909年から1910年にかけて、公共 事業長官であった。
Jules Auguste Lemire(1853-1928). Lemireは、フランスのカトリック聖職 者。左派に属する確信的民主主義者。1914年には、アズブルック市長をつと めた。Grand Larousse encyclopédique, tom.6, p.674.総会では、自らを、「い くぶんは社会主義者である」と呼んでいる。BSÉL., tom.8(1909), p.112.
René Bérenger(1830-1915). DHJF., p.70-71. Bérengerは、当時元老院議員
であった。BSÉL., tom.8(1909), p.101.
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Henry Taudière(1860-1914). IBF., tom.7, p.3082.国民議会議員。Taudière は、Gabriel Dufour, Traité général de droit administratif appliqué, Paris 1870-1901を補訂している。
Charles Gaston Rau(1844-?). IBF., tom.6, p.2763.かれは、破棄院の名誉判事 であった。
Pierre Marie Georges Lagrésille(1859-?)か。 IBF., tom.4, p.1878.
Saleillesによる草案第1部に関する趣旨説明書:Rapport préliminaire sur le Projet relatif aux Fondations, in: BSÉL., tom.7(1908), p.357-417.同第2部に 関する趣旨説明書:Rappot sur la partie administrative du Projet sur les Fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.188-234.
草案第1部に関するLarnaudeの口頭での説明:Rapport verbal [sur la première partie], séance du Jeudi 17. Décembre 1908, in: BSÉL., tom.8
(1909), p.27-63.草案第2部に関するLarnaudeの口頭での説明:Rapport verbal [sur la seconde partie], séance du Jeudi 25 Mars 1909, in: BSÉL., tom.8(1909), p.285-311.
Saleillesは、病気のため準備不能だったのか。もっとも、Saleillesは、総会 には、5回すべてに出席し、かつ積極的に発言してはいる。
1908年12月17日の総会BSÉL., tom.8(1909), p.25-74および1909年1月14日の 総会BSÉL., tom.8(1909), p.93-123. Saleilles-Larnaude対Esmeinの応酬が、注 目に値する。
第1部については、1909年1月28日および2月25日の総会BSÉL., tom.8(1909), p.124-159およびp.237-266で、第2部 については、1909年3月25日の総会 BSÉL., tom.8(1909), p.311-341で、各条を審議した。
総会では採決をしないことについては、立法研究協会規約第24条第3項に規 定あり。この規約は、BSÉL各号の冒頭に登載されている。財団法草案審 議においては、議長が、1909年2月25日の総会で、この旨、コメントしてい る。BSÉL., tom.8(1909), p.241.
既述のMichoudおよびHauriouの意見書のほかに、以下の意見書が残されて いる。:
Saleillesの意見書:公益認定から区別される直接的私的財団設立の立法的承 認に関するNote sur les Fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.161-172.;財 団の不法行為責任に関するAnnexe au Rapport prélimiere et Procès-verbal de la séance du 28 mars 1908, in: BSÉL. tom.8(1909), p.75-80.
Escarraの意見書:草案第4条が一定の特権財団設立についてイングランドを モデルに特別扱いすることに対する批判:Note sur l'article 4 du Projet sur les Fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.184-188.
Demogueの意見書:財団の永久化=死手財産化への対策としての期限付
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き財団の提案:Demogue, Note sur les Fondations temporaires, in: BSÉL., tom.8(1909), p.267-271.
Percerouの意見書:財団の不法行為責任に関して:Lettre de M. Percerou à M. Saleilles, in: BSÉL., tom.8(1909), p.179-183.
L e g r a n d の 意 見 書 : 財 団 へ の 遺 贈 を 行 政 が 減 殺 す る こ と に つ き : Emile Legrand, Lettre à M. le Président sur la question de la réduction administrative en matière de legs à des fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.370-371.
Nouveau texte du projet de loi sur les Fondations, in: BSÉL., tom.8(1909), p.443-446.
この立法研究協会草案については、たとえば、Marcel PLANIOL & Georges RIPERT, Traité pratique de droit civil français, tom.5, Paris 1933, n
o915, p.972, n.(1)は、フランスにおいては、ゲルマン的な諸立法の諸規定の意味 で、立法の方途によって、諸々の財団を規律しようとしたが、不首尾だっ た、と立法研究協会草案を評している。
その後の1987年7月23日法およびそれを改正する1990年7月4日法までの比 較法制史的な概観は、LEVENEUR, Successions-Libéralités, n
o1415, p.608-609 にある。
Saleillesは、ドイツ民法典法人規定の紹介をおこなった。財団法規定につい ては、R.SALEILLES, Les personnes juridiques dans le Code civil allemand
(3
eArticle), II.-des fondations, in: Revue du droit public et de la science politique, tom.16, Paris 1901, reptint.ed. Vaduz 1982, p.212-264.また、
Larnaudeには、Paul Labandの著書のフランス語訳Droit public de l'Empire allemand, Paris 1900-1904がある。
1909年1月14日総会での元弁護士会長Barbouxの発言。BSÉL., tom.8(1909), p.102.
Larnaude-Saleilles対Esmeinの対立が法学方法論にも及ぶことについては、
後述。
2.遺言による財団設立
立法研究協会での財団法草案は、直接的財団設立、とくに、遺言者が、そ の遺言でもって、1 つの法律行為として、財団を、直接的に、負担付き遺贈 によらずして設立することを可能としようとした。現況のどこが不十分なの か、立法はなぜ必要なのか。
1)Saleilles の委員会準備報告書
Saleilles は、委員会準備報告書において、フランスの原理を、ドイツ・イ ングランドのそれと比較したうえで、委員会に、いずれの原理をよしとする か、と問題提起をした。
(1)フランス
フランス民法典には、財団についての規定がない。フランスにあって、あ る者が、自己の財産を特定の目的のために出損しようとすれば、①負担付き 贈与または遺贈をするか、または、②公益施設を設立するほかはない。これ らの手続きのそれぞれには欠陥がある。
①負担付き贈与または遺贈の欠陥
財団設立者は、通常、死後に財団を設立することを意欲する。負担付き遺 贈でもって財団を設立するについては、つぎの諸困難がある。第一に、財団 に名宛てられた財産は、遺言者の死亡後、いったんは、受遺者の財産となる。
これを、受遺者のもともとの固有財産から分離するのは困難である。第二に、
財団設立を負担とする負担付き遺贈にあっては、受遺者は、実際には、たん なるトンネルにすぎず、最終的な受益者は、設立されるべき財団である。こ れは、フランス民法典第 896 条第 2 項74)が禁止する仲介遺贈にほかならない。
②公益施設設立の欠陥
第一に、公益施設の設立は、集団の福利についての配慮を行政に集中する
ことを意味する。財産を社会集団に役立てようという個人のイニシアチヴは、
行政メカニズムを経由してしか実現できない。第二に、公益施設であるため には、コンセイユ=デタによる公益認定を要する。コンセイユ=デタによる 公益認定は、施設の活動実績を前提とするから、時間がかかる。
負担付き遺贈の方途に拠らないで、公益施設としてではなく、遺言で直接 的に財団を設立することは、不可能であった。遺言者が、遺言でもって財団 を設立し設立されるべき財団に、自己の財産を遺贈することは、フランスで は、ありえない。相続開始の時点では、遺贈を受けるべき財団はいまだ設立 されておらず、権利能力をもたないからである75)。
(2)ドイツ・スイス
ドイツ民法典およびスイス民法典によれば、遺言者は、その遺言で直接的 に財団を設立することができる。財団設立行為は、法認された一法律行為(単 独行為)である。この法律行為としての財団設立行為が、唯一、法人として の財団を生み出す。さらに、ドイツ民法典は、国家による許可を求める。こ の許可は、財団を設立するために創設的なものではなく確認的なものである にすぎない。スイス民法典では、国家の許可ではなく、登録が、財団設立の 要件であるにとどまる。
以上のことがらは、つぎの 3 つの点についてフランスとの相違を引き起こ す。第一に、財団が許可されると、財団の法人格、すなわち、財団の権利能 力は、財団設立行為に遡及し、遺言による財団設立の場合には、相続開始時 に遡及する。第二に、国家=行政による許可は、財団設立時に限定される。
第三に、国家による許可は公益認定とはことなる76)。 (3)イングランド
フランスとドイツ・スイスとの中間に位置付けられるのが、イングランド である。イングランドでは、財団一般ではなく、チャリティー財団 charities のみが権利能力をもつ。
イングランドでは、法律があらかじめチャリティー財団について、一括し て、しかも、事前に一定の諸範疇を定めている。財団設立を意欲する者の財 団が、法認の諸範疇のうちのどれか 1 つにあてはまるならば、当該財団は、
チャリティー財団として活動できる77)。
Saleilles は、委員会に対し、問題提起をおこなった。委員会は、フランス・
ドイツ・スイス・イングランドのいずれの体制から出発するべきか。
2)財団委員会での議論 (1)財団立法の必要性
1907 年 1 月 12 日に、Saleilles が、うえに見たフランス・ドイツ・スイス・
イングランドの比較的考察についての結論を説明したうえで、フランスの立 法は、財団設立を意欲する者、とくに、遺言者の私的なイニシアチブを可能 にする点で不十分だと説いた。そのうえで、議長の発議により、財団立法に ついては理由があるか否か、が採決された。採決の結果、委員会出席者全員 の一致で、財団立法には理由ありとなった78)。
(2)Saleilles の譲歩
1907 年 2 月 9 日の委員会では、遺言による財団設立の可否について、
本来ならば審議がおこなわれるはずであった。賛成派の中心人物である Larnaude および反対派の中心人物である Esmein が欠席していた。遺言に よる財団設立立法の可否は、次回に持ち越された79)。
1907 年 2 月 23 日の委員会で、Saleilles が、遺言による財団設立を法認す る見返りとして、①行政の許可をすべての財団に課し、かつ、②許可された 財団には、1901 年 7 月 1 日法の届け出られたアソシアシオンの権利能力の みを認め、設立後において、贈与・遺贈を受領することを禁止する、という 譲歩をおこなった。また、Saleilles は、遺言による財団設立を認め、許可を 相続開始時に遡及させることが、現にコンセイユ=デタがおこなっている公
益認定を相続開始時に遡及させることに等しい、と説いた80)。 (3)Esmein の反対
Saleilles の譲歩にもかかわらず、Esmein が、遺言による財団設立に真っ 向から反対した。その理由は、①歴史的理由・②理論的理由・③実務秩序の 理由の 3 点に及んだ81)。
①歴史的理由。フランスは、久しく、財団なしで生活できた。
②理論的理由。遺言による財団設立は、相続開始時にはいまだ存在しない 人格のための恵与を含む。なるほど、コンセイユ=デタは、公益認定について、
判例でもって、認定を相続開始時に遡及させる。しかし、この判例は、法の 原則に違反する。
③実務秩序の理由。遺言による財団設立は、もっとも危険である。死に瀕 している者は財産を奪われることを懸念しない。
(4)Esmein の提案
Esmein は、1749 年の王令82)が是認したシステムを提案した。それは、
①遺言でもって財団を新規に設立するのは禁止される、②既存の施設のため におこなわれる寄進は認められる、というものであった83)。
(5)Saleilles および Romieu による Esmein への反論
Saleiles および Romieu は、Esmein に対して反論した。Esmein の提案は、
現在の法状況をむしろ制限するものである。①コンセイユ=デタは、公益認 定を相続開始時まで遡及させることによって、事実上遺言による主たる(既 存の施設に付随するのではない原初的な)財団設立を承認する。また、②既 存の施設のためにおこなわれる財団設立は、フランス民法典が認める、既存 の倫理的人格への負担付き遺贈にほかならない84)。
(6)Esmein の応答と譲歩
Esmein は、Saleilles および Romieu に対して、立法が判例よりもよりいっ そう制限的であるのはかまわない、と応答した。それに加えて、つぎの 2 つ
の譲歩をおこなった。①届け出られたアソシアシオンのための付随的財団を 承認すること、および、②重大な危険を呈しない純粋に慈善的である財団に かぎり遺言による設立を認めること、であった85)。
(7)Saleilles の威嚇
Saleilles は、Esmein に対し、遺言による財団設立が草案から削除される ならば、自らが提案した 2 つの譲歩、すべての財団についての許可主義およ び設立後の財団の届け出られたアソシアシオンと等しい権利能力制限を撤回 すると威嚇した86)。
(8)Larnaude・Grunebaum-Ballin・Truchy による Esmein 批判
Larnaude は、遺言による財団設立を擁護しつつ、これを否とする Esmein を、攻撃した。その攻撃は、法学方法論にまで及ぶものである。
Larnaude の批判は、これをつぎの 5 点にまとめることができる。①コン セイユ=デタの近時の判例によれば、財団が有益であることが看取されるこ とができる。②遺言による財団設立にあっては、受益者が相続開始時には存 在しないというが、これは、「胎児は、生まれたものと見られる」という準 則を拡大することでもって対応できる。③法諸原理 les principes juridiques が、社会の諸々の必要性 nécessités sociales に適合させられなければならな い。④遺言による財団設立を認めたときに侵害されるのではないか、と懸念 される親族の利益は、遺留分についての準則によって十分に保護されている。
⑤遺言による財団設立を認めれば、個人が、財団設立でもって一般的利益を 満足させるために国家と競合することを許され、もって、国家の負担を軽く することができるが、このことが必要なのは、あきらかである87)。
委員会の多数が、Larnaude と同意見であった88)。
Grunebaum-Ballin は、こう考えた。近代の諸々の思想(世俗化・親族の 理念の減退・連帯の理念の進歩)が、かつてないほどに、財団を必要として いる89)。
Truchy は、こう主張した。遺言による財団設立を認めるならば、私的所有 権のますますおおきな部分が、公益に属する事業に付与されることになる90)。 最後に、Larnaude は、こう説いた。個人らが、一定の事業にその活動を 捧げる。かれらは、その死亡後においても、この事業が、かれらの与えた特 定の方向を辿ることを希望する。その場合には、これらの個人の意思は尊重 されるべきである91)。
票決がおこなわれた。遺言による財団設立の原理が採択された92)。
3)Saleilles の書面による総会準備報告書
委員会での審議を経て、Saleilles は、総会のために、書面で、逐条解説を 含む準備報告書を作成した。冒頭で、Saleilles は、遺言による財団設立の立 法による法認の必要性を力説した。
(1)直接的財団設立の定義
Saleilles によれば、委員会は、最近の外国の立法例にならって、直接的財 団設立の原理を採用した。直接的財団設立とは、設立者の設立意思により、
財産の拠出という事実のみでおこなわれる財団設立であって、これでもって 財団は法人格をもつ93)。
(2)フランスの現況
なぜ、直接的財団設立を法認することが、フランスでは必要であるのか。
そもそも、富者が、その財産の一部を、社会的・集団的利益のある事業に捧 げるには、いかなる方途があるのか。Saleilles によれば、フランスの現況と してはつぎの方途がある。
①コンセイユ=デタによる公益認定を受ける方途がある。この方途は時間 がかかり、場合によっては、財団設立者が、認定前に死亡することすらあり うる。コンセイユ=デタによる公益認定は、一定期間の活動実績を経てはじ めて受けることができるからである。
② 1901 年 7 月 1 日法にもとづくアソシアシオンの設立という方途がある。
設立後のアソシアシオンは、原則として有償名義でしか財産を取得できず、
無償名義では、最高 500 フランを限度としてしか取得できない。また、アソ シアシオンへの贈与・遺贈は、原則として認められない。財団の本質は、資 産の設定および集団的利益のある事業への基金の拠出にあるから、アソシア シオンでもって財団を代替することはできない。
③負担付き贈与・遺贈の方途がある。とくに、実際にあるのは、負担付き 遺贈である。この方途でもって財団を設立するのは、受遺者が、存命中に財 団を設立し、かつ、公益認定を受けなければならない。受遺者が懈怠すれば、
財団は設立されないままになる。また当該財団が法人格をもち、設立者の拠 出した財産を受け取ることができるためには、当該財団への法人格の付与を、
相続開始時に遡及させねばならないが、これは、相続開始時には存在しない 受益者への恵与として無効とされる可能性がある。
Saleilles によれば、フランスで財団が少ないのは、国家法の不十分さに起 因した94)。
(3)直接的財団設立立法の必要性
では、なぜ、フランスで、とくに、遺言による直接的財団設立を法律でもっ て認めることが必要なのか。Saleilles は、さきの財団委員会で、Esmein と の間にかわされた議論を、ふまえて、この点についてつぎのように説いた。
第一に、財団一般の意義について、である。なるほど、Turgot の時代、
すなわち、18 世紀半ばのフランスにあっては、財団といえば、宗教的財団 がもっぱらであった。この宗教的財団の財産は、ほとんど不動産から成っ た。宗教的財団は、不動産財産を、いわゆる死手財産として、非流動化した。
Turgot が批判したのは、まさにこの財団であった95)。だがしかし、19 世紀 の 100 年間において、財団は、すっかり「世俗化」した。死手財産を阻止する ためには、1901 年 7 月 1 日法にならって財団の権利能力を制限すればよい96)。
また、そもそも、現在では、財団財産を構成するのは、多くの場合不動産で はなく動産である。
第二に、財団をアソシアシオンでもって代替することはできない。病院・
診療所・養老院の設立のように、特定人にではなく、公衆一般に名宛てられ た事業にあっては、アソシアシオンではなく、財団のみが正規の唯一の方途 である。
第三に、市民は、遠縁の親族ではなく、市民仲間のために、その財産を提 供したいと考える。そこにあるのは、公共精神なるもの un esprit civique で あり、所有権の社会化の一形態である。これは、絶対的に促進されなければ ならない。なぜなら、このような財産の提供には、財産の提供という個人の 意思の尊重と提供される財産は公共にためにもちいられなければならないと いう所有権にともなう義務とが調和されているからである。これを促進する ための方途が、国家による公益認定とは別個の私的財団の法認である。
第四に、このような私的財団の遺言による直接的設立は、フランスの現在 の法律のもとでは、不可能であり、あたらしい立法でもってこれを認めるほ かはない97)。
(4)直接的財団設立のシステム
以上見たように、Saleilles によれば、18 世紀後半− 19 世初頭フランスの
「古典的伝統」は変革されるべきである。すなわち、個人の意思の尊重と国 家の中央集権的かつ独占的教義の放棄とが実現されるべきである。この観点 にたって、遺言による直接的財団の設立を規定するべきである。この規定に ついて懸念される、財産の非流動化に対しては、行政のコントロールが、対 処するべきである。すなわち、行政は、一方では、財団設立者の意思が、死 後も尊重されることを監視し、また同時に、他方では、財団設後に発生する 諸々の変化から発生する変更(転換・合併・解散など)を承認する。また、
財団の設立それ自体についても、親族の利益保護や公序良俗違反なきことを
要件とする確認的行為として、行政による許可が必須とされる。この許可は、
従来の公益認定とは無関係である98)。
4)草案条文
Saleilles は、遺言による直接的財団設立をフランスにおいて、はじめて認 めるために条文を起草した99)。
第 1 条「財団は、生存者間行為によってまたは遺言によって設立されるこ とができる。
財団は、それが、1901 年 7 月 1 日法の第 5 条100)にもとづいて公示された 時に、民事的能力をもつことができる。
財団にこうして付与された能力は、財団が生存者間で設立されるときは、
財団設立行為の日に始まり、または財団が遺言によって設立されるときは、
相続開始の日に始まる」。
第 2 条「生存者間での財団設立は、公正証書によっておこなわれる。この 公正証書は、2 名の公証人が共同して、または、1 名の公証人が、2 名の証 人の立会いで受け取る。それについては、公正証書原本が保存されるが、違 反すれば、行為は無効となる。
財団設立は、遺言による処分の方途によってもまたおこなわれることがで きる。遺言による処分が、財団の対象、基本財産および組織を規定する。
遺言者が、こちらをよしとするときには、1 名または複数名の遺言執行者 に、財団を実現することを負担として課することができる。この場合には、
財団は、本条第 1 項が規定する形式をそなえなければならない。この最後の 場合においては、財団に付与された財産は、これを遺言者が財団に遺贈した ものとして考えられる。財団は、この付与された財産に関しては、相続開始 の日から存在しかつ財産を受け取る能力をもったと推定される」。