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環境汚染のタイムカプセルによる水銀汚染史の解明

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佐竹 研一・木村 悟志

(立正大学地球環境科学部)

〒 360-0194 埼玉県熊谷市万吉 1700 e-mail:[email protected]

摘  要

自然界には、大気や水の汚染を記録している 「 環境汚染のタイムカプセル 」 と考え てよい様々な試料がある。その中には、近年著しく増加している環境汚染物質が過去 から現在に至る時系列に沿って保存されており、人類による環境汚染の歴史を解明す る上で重要な研究試料となっている。

水銀による汚染史解明に用いられている典型的な「環境汚染のタイムカプセル」と しては、湖底堆積物や湿原堆積物や氷床コアやコケ植物などがあり、このような試料 を用いて世界各地の環境汚染史の解明が進んでいる。しかし、その解明作業は試料採 取や堆積年代測定や、含まれる汚染物質の分析など、様々な技術的課題を伴っている。

そのため、よりすぐれた環境汚染のタイムカプセルが期待され、また従来の環境試料 のより新しいサンプリング手法、分析手法、そして解析手法の開発が期待されている。

本稿では、まず環境汚染史解明試料の備えるべき三つの条件について述べ、その観 点からこれらの環境汚染史解明試料のそれぞれの持つ特色と可能性、その問題点を考 察する。そして、本特集の主題である水銀による汚染の歴史について、特に湖底堆積 物や湿原堆積物、氷床コア試料を用いて明らかになった事例を紹介する。そして、大 気汚染の時系列変化の解明手法として最近登場した樹木の樹皮による水銀汚染史解明 研究、すなわち環境汚染のタイムカプセル樹木「入いりかわ皮」を用いる手法、「入皮法」の 一端を紹介し、「入皮法」の可能性と今後の展開について考察する。

キーワード:入皮、環境汚染史、水銀、タイムカプセル、モニタリング 1.はじめに

人類は過去数千年間、水銀という極めて多様な性 質を持つ元素と関わってきた。古代エジプトや古代 中国で、そして古代マヤ文明における顔料としての 硫化水銀(辰砂)の利用をはじめとして1)、水銀の金 銀を溶かす性質を利用したメッキや精錬などその歴 史は多岐にわたっている。その中で奈良時代に仏教 文化の栄えた我が国では、例えば西暦

752

年に建立 されたブロンズ製の慮る し ゃ な舎那仏の全身の金メッキに多 量の水銀が利用されたことが良く知られている。し かし、やがて、科学技術の発展の中で無機水銀や有 機水銀の大量の使用に伴い、環境中に放出・排出さ れた水銀の著しい毒性が明らかになり、各国で水銀 の利用を監視し、制限し、あるいは中止しようとい う動きが現在広がっている2),3)。しかし、その一方 で石炭の燃焼や硫化鉱物の製錬に伴う大気中への水 銀放出や、世界各地に数多く存在する零細な金銀の 採掘現場での水銀の排出や、様々な産業廃棄物の焼 却処理に伴う水銀の排出が続いている。また工業製 品の中には依然として水銀を用いざるを得ないもの があり、これがやがて廃棄物になってゆくなど、人 類が水銀との縁を切り健康被害や環境汚染を防ぐの は容易ではない4), 5)

このように人類の活動が深くかかわっている水銀 による環境汚染を、すなわち大気や水や生物や土壌 などの水銀汚染を明らかにするために、あるいは水 銀排出抑制の効果を明らかにするため、世界各国で 様々な方法でモニタリングが行われている6)-9)。例 えば、大気や水や土壌や生物の水銀汚染の現状の解 明だけでなく、過去から現在に至る水銀汚染の時系 列変化を知るためのモニタリングも行われている。

すなわち、水銀汚染をよく反映している「環境汚染 のタイムカプセル」ともいうべき湖沼や湿原などの 堆積物試料やコケ植物などの生物試料を用いて、水 銀汚染の分布や汚染の時系列変化を知るための調査 研究が行われている10)。また、併せて汚染の時系列 変化を知るための手法の開発も進められている。

本稿では、これらの「環境汚染のタイムカプセ ル」試料の可能性と限界、問題点、環境汚染史解明 試料の備えるべき条件について考察し、次に環境汚 染のタイムカプセルを用いた水銀汚染史解明研究を 紹介しつつ、地球環境の水銀汚染がどのように進行 し、あるいは汚染対策によってその汚染が改善され つつあるのかを述べる。そして日本で創始された新 しい手法による環境汚染史解明の試み、すなわち樹 木の樹皮や樹木の中に内蔵された外樹皮(入いりかわ皮)を用 いた環境汚染史解明法(入皮法)と、その最新の成果

(2)

の一端を紹介する。

2.様々な「環境汚染のタイムカプセル試料」と 汚染史解明に求められる条件

特定の汚染物質による環境汚染の時系列変化ある いは過去の汚染を内蔵する試料、すなわち環境汚染 のタイムカプセルを大別すると、堆積物試料と生物 試料に分けることが出来る。このうち堆積物試料に は、(1)湖底堆積物、(2)内湾堆積物・海底堆積物、

(3)湿原堆積物、(4)南極や北極やグリーンランドな どの氷床、(5)アルプスやロッキー山脈などの氷河 試料、(6)石灰洞内の炭酸塩堆積物などがある。

生物試料には(1)博物館などに保存されている動 植物標本(鳥類の羽試料、獣類の毛試料、コケ植物 標本など)、(2)植物試料(蘚苔類試料など)、(3)樹 木年輪、(4)貝、(5)骨や歯、(6)珊瑚(礁)などの試 料が知られている。

これらの環境試料が環境汚染のタイムカプセルと しての役割を果たすためには、いくつかの条件を満 たすことが求められる。その条件を要約すると以下 の

3

点となる11)

[1] 汚染物質を内蔵する試料の年代が明らかであ ること。

[2] 汚染物質が試料中によく保存されており希釈 されたり、拡散していたり、あるいは移動し ていないこと。

[3] 汚染物質を内蔵する試料が後から汚染されて いないこと。

しかし、様々な環境汚染のタイムカプセルにはそ れぞれ一長一短があり、これらの三条件を完全に満 たす試料を得ることは容易ではない。特に[1]の 汚染物質を内蔵する試料の詳しい年代の測定には困 難を伴うことが多い。これは、各環境汚染のタイム カプセルにほぼ共通する問題点である。例えば、最 もよく利用されている堆積物試料の場合、層序の上 下関係から新旧の序を明らかにすることは比較的容 易に出来るが、各層の具体的な年代を明らかにする ことは易しくなく、また限界を伴っていることが多 い。

一般に堆積物試料の年代の確定には時間と共に壊 変してゆく放射性物質を用いる方法、特定の時期に 堆積した火山灰などの指標堆積物を用いる方法、季 節変化するδ18

O

の値を用いる方法など様々な年代 測定手法が用いられている(12)

このうち放射性物質の壊変に注目した方法として は、過去数百年~数千年を対象とする年代測定法 として210

Pb

法、14

C

法、137

Cs

法などが用いられてい る12)210

Pb

法は半減期

22.3

年で減衰してゆく210

Pb

の量を測定する。この場合210

Pb

の生成にはいくつ かの段階があり、まず238

U

から226

Ra

が生成し、次 に226

Ra

から222

Rn

が生成し、更に222

Rn

から半減期

の長い210

Pb

が生成する。226

Ra

から生成した222

Rn

は ガス体であるので一度大気中に拡散し、この222

Rn

が半減期

3.8

日で崩壊してより長い半減期

22.3

年の

210

Pb

を生じる。そして210

Pb

はエアロゾルとして降 水に取り込まれ、地上に降下・沈着する。そして、

大気から降下し堆積物に取り込まれた210

Pb

は減衰 してゆく。つまり、過去の堆積物の中で減衰してい った210

Pb

の量を測れば堆積年代が分かるのである。

210

Pb

法は約

100

年前程度の堆積物の年代測定に用 いられることが多い。つまりこの方法は、過去約

100

年以内の堆積物の年代測定において極めて重要 な方法である。しかし、この方法だけで産業革命以 降世界各地で急速に進んだ大量生産と大量消費に伴 う環境汚染の時系列変化を知るのは困難であり、ま た最近の試料では年単位の時系列変化を求められる 場合があり、その場合には適用が困難である。しば しば210

Pb

法と共に用いられる137

Cs

法は大気から降 下する137

Cs

が大気圏での核実験由来であり、それ が

1954

年に始まり

1963

年にピークに達したことを 利用している13)。したがって、137

Cs

に注目した堆 積年代の測定では約

60

年前を境とするその前後で の汚染の比較を行うことが多い。また、火山灰など の指標堆積物も時系列変化する堆積層の時の一点を 示すものであり、これから連続した時間の記録を得 ることは難しい。

一方14

C

法では、14

C

からの放射線量の減衰を測 定する。すなわち、大気中の窒素14

N

が宇宙線中 の中性子によって14

C

になり、ただちに14

CO

2とな って拡散し、これが植物の光合成を経て14

C-

セル ロース等の有機化合物になり、含まれる14

C

が半減

5,730

年で減衰してゆくことを利用している。

つまり、古い堆積物の中の木片の14

C

の量は現在か ら見ると減衰しているので、減衰している14

C

の量 からその堆積年代が分かるのである。この場合、

放出されるβ線の測定限界を考えると約

5

万年ま でがその適用範囲と考えられる。近年、AMS法-

Accelerator Mass Spectrometry

が開発され、微量・

短時間の測定で約

6

万年前までの測定が可能になっ たが、産業革命以降の環境汚染史を論ずるには、つ まり

200

年~

300

年前から現在に至る人間活動に伴 う汚染を論じるには、14

C

法および

AMS

法による年 代測定は極めて粗いことが分かる。ただし、14

C

法 は長期的な汚染の時系列を論じる場合の時間のもの さしとしては極めて優れており、暦年較正を踏まえ て用いられることが多い。

次に[2]の汚染物質の希釈・拡散は、年輪試料や 湖底や内湾の堆積物でよく知られている現象であ る。水の移動に伴って年輪中で汚染物質は鉛直方向 と水平方向に拡散するのである。浅い湖の堆積物の 場合には、サンプリングは容易であるが風送流に よる表層堆積物のかく乱があったり、表層の深さ約

10 cm

の範囲に生息する底生動物によるかく乱があ

(3)

るので注意が必要である。深い湖の場合(多くの場 合貧栄養湖)にはこのような問題は少ないが、湖底 堆積物の無酸素化に伴う元素の溶出、あるいは沈殿 に伴う物質移動には注意する必要がある。

[3]は特に博物館保存試料などで生じやすい。保 存料の使用や保存場所での室内汚染、あるいは標本 が多くの人々の手に触れることによる汚染などがあ るからである。また、全ての環境汚染のタイムカプ セル試料の活用に共通して、試料に含まれている 様々な汚染物質、例えば重金属、硫黄酸化物、農薬、

難分解性有機化合物、放射性物質などの汚染物質の サンプリングと分析・定量が正しく行われなければ ならないことは言うまでもない。

3.様々な「環境汚染のタイムカプセル試料」を 用いた汚染史解明

3.1 湖底堆積物試料の場合

湖沼の湖底堆積物は汚染の時系列変化を解明するた めの試料として最も広く用いられており、水銀や鉛に よる汚染史の解明研究が数多く発表されている14)-19)

湖沼には大気や流入河川から汚染物質が持ち込ま れる。持ち込まれた汚染物質が粒子状であるか粒子 に沈着している場合には、そのまま徐々に湖底に堆 積する。溶存性のイオンや分子として存在する場合 には、まず動植物プランクトンに取り込まれ、次に 動植物プランクトンの死骸と共に湖底に沈降堆積す る。あるいは、食物連鎖を経て連鎖の高次に位置す る生物の遺骸と共に湖底に沈降堆積してゆく。本来、

湖底堆積物のかく乱がなければ沈降物は次々と湖底 に層を形成して堆積してゆく。つまり、汚染物質を 内蔵する堆積層をかく乱することなく採取し、これ を層別に分析すれば汚染の時系列変化が明らかとな るはずである。堆積物試料の場合には、試料のサン プリング方法に特に注意する必要がある。サンプリ ング方法によっては表層堆積物がかく乱されたり、

時系列試料が適切に採取されず汚染の時系列変化を 反映していないことがあるからである20), 21)

内湾堆積物や海底堆積物の場合には、一般に船に よるより大掛かりな堆積物のサンプリングが行われ る点が異なるが、堆積物の形成プロセス等は湖底堆 積物の場合と共通点が多い。

湖底堆積物を用いて水銀汚染史を調べた例として は、Hakansonによるスウェーデン湖沼の汚染を調べ た研究16)、スウェーデン湖沼のその後の水銀汚染史 を調べた

Munthe

らの研究17)、スウェーデン湖沼の 水銀汚染からの回復を述べた

Lindestrom

の研究18)、 グリーンランドの湖底堆積物を調べた

Richard

らの 研究15)、Engstromと

Swain

によるアメリカ中西部 湖沼堆積物とアラスカの湖沼堆積物の水銀汚染を比 較した研究14)など、多くの研究が知られており、そ のいくつかを以下に紹介する。

Hakanson

らは16)、スウェーデンに分布する深度 の異なるいくつかの典型的な湖沼を選び、湖底表面 堆積物中の水銀の分布を比較検討した。例えば、様々 な汚染源を持つ都市から供給される水銀について、

スウェーデンの中南部の古都ウプサラ市内を流れる

Fyris

川の流入する

Ekoln

湖の水銀汚染について調 べ、汚染が

1890

年頃から始まり、以後急激に増加 して

1940

1950

年頃最高に達し、その後ほぼ同じ レベルでの汚染が続いていることを明らかにした。

この研究では水銀汚染と湖水の滞留時間、水銀を吸 着し湖底に沈積してゆく有機物量の多少との関係等 についても議論されている。しかし、測定されてい る水銀量は総水銀量であり、無機水銀や有機水銀の 分別定量は行われていない。

1995

年に発表された

Munthe

らの論文17)では、

スウェーデンの典型的な二つの湖沼

Gardsjon

湖と

Harsvathen

湖の湖底堆積物中の水銀の鉛直分布が

大気からの無機水銀とメチル水銀の降下量の減少と 関連づけて述べられている。すなわち、1991年か ら

1993

年にかけてのスウェーデン南西部における 水銀排出量の減少とヨーロッパにおける石灰燃焼に 伴う硫黄の排出量の減少による水銀排出量の減少 が、この両湖の表層

5 cm

の堆積物中の水銀量の著 しい減少と対応していることが報告されている。

2001

年に発表された

Lindestrom

の論文18)では、

スウェーデンの水と大気の水銀汚染の大きな原因と なっていた塩素アルカリ工場からの水銀の排出削減 と環境改善の問題が述べられている。塩素アルカリ 工場では水銀法によって塩化ナトリウム溶液を電気 分解し、塩素とナトリウムイオンを生じさせ、ナト リウムイオンをアマルガムとして水銀に取り込んだ 後に水と反応させ、高純度の水酸化ナトリウムと塩 素とを製造する。またこの論文では、工場の廃水が 流入していた

Vanern

湖の湖底表層堆積物中の水銀 濃度の著しい減少は、1970年から

1980

年にかけて の工場からの大幅な水銀排出量の減少や、湖の集水 域で農薬として使用されていたフェニル水銀の大幅 な削減が関係していることが報告されている。

2001

年に発表された

Richard

らの研究15)では、

海岸から氷床に至るグリーンランドの

21

の湖沼の 湖底堆積物中の水銀量が調べられている。この研究 では、内径

8.4 cm

のグラビチーコアを用いて採取 された

20

35 cm

のコアサンプルを210

Pb

法で年代 測定し、17世紀初頭にはすでに水銀汚染の兆候が 見られ、19世紀の終わりには水銀汚染が明確に確 認されることが報告されている。

1997

年に発表された

Engstrom

Swain

の研究14)

では、アメリカの中西部の湖沼の湖沼堆積物とアラ スカ南東部の湖沼堆積物がピストンコアを用いて採 取され、得られた長さ約

1 m

のコアサンプル中の 水銀量が調べられている。

Engstrom

らは210

Pb

法による年代測定を手がかり

(4)

にしたその結果の中でアメリカ中西部の湖沼では地 域汚染の影響が大きく、大気からの水銀の降下・沈 着が

1960

年から

1970

年にかけて最大量に達しその 後減少していること、アラスカ南東部の湖沼ではグ ローバルな汚染の影響が大きく水銀の降下・沈着量 は少なく、中西部の湖沼で見られたような増加と減 少の傾向が見られなかったことを報告している。そ してアメリカ中西部の湖沼堆積物中の水銀量の増加 と減少の理由として、アメリカの産業界における水 銀使用量の時系列変化を示し、産業における水銀使 用量の減少、水銀除去技術の進歩、石炭から天然ガ スへの切り替え、焼却場対策の進展、高煙突化に伴 う水銀を含む廃煙の拡散などをあげている。

3.2 湿原堆積物試料の場合

湿原堆積物は寒冷地に形成されることが多く、主 にミズゴケ湿原(peat bog)を対象とした環境汚染史 解明研究が数多く行われている22)-24)

一般にコケ植物の茎葉体は極めて難分解性であ り、寒冷地に形成されることの多いミズゴケ湿原の 場合、頂端生長を示すミズゴケの年々の茎葉体は分 解されずに残り、厚い堆積物を形成する。このミズ ゴケ湿原に年々降下・沈着する大気由来の汚染物質 が時系列変化を示すのである。大気由来の降下物に はいわゆる乾性降下物としての粒子状物質やガス状 物質(ガス状水銀

Hg

0もその中に含まれる)、いわ ゆる湿性沈着物(雨や雪に含まれる

Hg

2+などのイオ ン性物質)が含まれるが、ミズゴケ湿原を形成する ミズゴケ(Sphagnum

sp.)の茎葉体は陽イオンとの交

換吸着力が強く、水銀イオンは乾性降下物と共にミ ズゴケの茎葉体に保持されやすいと考えられる。

湿原堆積物を用いた水銀汚染史の解明例として は、以下の三つの例をあげておきたい。一つは、

過去数百年間かく乱されていないことの確認され ているデンマークのミズゴケ湿原から、1978年と

1979

年に得られたコア試料を用いた研究である22)。 この論文では、コアの中の水銀量が産業革命以降、

過去

100

年~

200

年の間次第に増加し、これがヨー ロッパにおける水銀の消費量の増加と連動している こと、またその間に間欠的に見られる沈着量の増加 はデンマークに近いアイスランドの火山の爆発など 火山活動によっていることが報告されている。

二つめの解明例は、世界有数の大水銀鉱山のある ことで知られるスペインの湿原堆積物を用いた研究 である23)。この論文では、14

C

法を用いて年代を確 定した過去

4,000

年にわたるミズゴケ湿原への水銀 の降下沈着を解析し、気候が寒冷であった時期に水 銀蓄積量が増加し、湿暖であった時期に水銀蓄積量 が減少すること、並びに人為起源の水銀汚染はス ペインにおける水銀の採掘が始まった時期に近い約

2,500

年前から増加し始め、スペインをイスラムが

支配していた時期(8~

11

世紀)から急増すると述 べている。

三つめの解明例は、南半球のチリの湿原堆積物を 調査した

Biester

らの研究である24)。選ばれた場所 は人為影響のほとんどない場所であるにもかかわら ず、過去

100

年の間の水銀量が数倍増加しており、

この増加は北半球からの水銀の移流拡散に伴う水銀 蓄積と考察された。この研究では湿原堆積物の中で 水銀量は増加したが、他の汚染物質である鉛の増加 はそれほどでもないことが示されており、水銀が大 気を経由して容易に拡散し、地球全体に汚染が広が ってゆくことを示すものとして興味深い。

ミズゴケ湿原のコアサンプルを用いて環境汚染史 を解明する場合、注意しなければならない点はミズ ゴケ湿原内を移動する水の流れである。雪解け水の 流入、そして湿原内での移流拡散と共に汚染物質が 移動してゆく可能性があるからである。ミズゴケ湿 原など湿原堆積物のサンプリングには、通常数メー トルの長さを持つコアチューブが用いられる。

3.3 氷床および氷河コア試料の場合

近年地球環境の汚染が進行し、汚染源を中心とす る地域から大気経由でより広範に、そして地球全体 へと広がるにつれ、南極や北極、あるいはグリーン ランドの氷床も汚染されるようになった。例えば氷 床コアの場合には、そのサンプリングに多大な労力 と技術と費用と時間を要し、また採取試料に含まれ る汚染物質の量が微量であるため、その量を知るに は極めて高度の分析技術を要するにもかかわらず、

地球環境の汚染を物語る環境汚染のタイムカプセル として注目され、多くの国際共同研究が行われ、

数多くの研究成果が発表されている25)。その中で

1940

年代以降、南極大陸およびグリーンランドで 急速に進行した鉛汚染を明らかにした、室蘭工業大 学室住教授の生駆的研究は著名である26), 27)

氷床コアサンプルの場合、しばしばブリザード等 によって表層に堆積した雪が移動し、あるいは拡散 しあるいは運びこまれる、あるいは表層の雪が夏期 に融解するなど、地域の気候条件を反映して、堆積 層の年代を定めることに困難を伴うことが多い。し かし、氷層の中で季節変化を示す諸現象や年変化を 示す諸現象あるいは火山灰など特定の時期を示す諸 現象などを利用して堆積物の堆積年代の特定が行わ れている28)

南極や北極の氷床コア試料が長期的でグローバル な地球環境の汚染の歴史を反映しているのに対し、

アルプスやロッキー山脈の氷河から得られるコア試 料はヨーロッパや北米などといったより地域的な汚 染の歴史を反映している点が注目される。

氷河を対象として水銀汚染史を解明した研究は多 いが、ここではその例としてアメリカロッキー山脈 の氷河を対象とした研究例をあげる。

アメリカワイオミング州のロッキー山脈の氷河に ついては

Schuster

らが25)

97

のアイスコア試料を対 象とし、1720年から

1993

年にわたる北アメリカの

(5)

水銀汚染史を人為起源、火山起源、バックグランド 起源の水銀にわけて検証した。そして過去

270

年 間の寄与を人為起源

52%、火山起源 6%、バック

グランドを

42%とし、そのうち人為起源の水銀は 1840

年前の値と

1980

年代の値を比較して約

20

倍 になっていること、ならびに過去

10

年間は大気か らの水銀の降下・沈着量の減少に対応してアイスコ ア中の水銀量も減少していることを報告している。

3.4 博物館等に保存されている動植物標本試料の 場合

博物館に保存されている数多くの動植物標本が環 境汚染史の解明にしばしば利用されている29)-31)。博 物館等に保存されている野鳥の標本試料は、スェー デンにおける水銀汚染史解明のきっかけとなったこ とで有名である。Bergらは29)スウェーデン国内の 博物館に保存されている過去

100

年にわたるフク ロウやワシやハヤブサ等生態系の食物連鎖の頂点に 存在する肉食猛禽類の羽の中の水銀量を調べたとこ ろ、例えば

1829

年から

1933

年にかけてのワシミ ミズク(Eagle owl, Budo budo)の羽中の水銀濃度は約

2,500 ng/g

であったものが、1952年から

1965

年に かけて数万

ng

に増加していることをつきとめた。

1950

年頃を境にした羽中の水銀量の著しい増加は

1940

年頃から始まった種子消毒剤としてのアルキ ル水銀の大量使用と連動していたことから、水銀系 の農薬使用による生態系の著しい水銀汚染が明らか となったのである。鳥類の羽は極めて保存性がよく、

またこれらの標本は採取年月日や採取場所が明記さ れているので、水銀や鉛などによる環境汚染の歴史 や汚染の地域分布を研究するのには都合の良い試料 である。

また

Berg

らの29)研究に関連した研究として、

Borg

らの30)研究もあげておきたい。Borgらは30)

スウェーデンの野生動物、野外で死んだ野鳥や食物 連鎖の中でこの野鳥を摂食する動物などについて計

1,500

検体について体内に含まれる水銀量を測定

し、特に種子消毒剤(アルキル水銀)の影響が大きい ことを報告している。スウェーデンではこれらの研 究が背景となって

1966

年にアルキル水銀系の種子 消毒剤の使用が禁止となったのである。

獣類の毛試料も鳥類の羽と同様の目的で使用され ることがある。Eatonと

Farant

31)、極域で食物 連鎖の頂点に位置しアザラシ等を摂食している北極 グマの毛に注目し、博物館に保存されている北極グ マの毛と実際に極域で採取した北極グマの毛に含ま れる水銀を分析し、その量にはかなりの差<

0.5

44.3 ppm

があること、また北極グマの毛の高濃度

の水銀が産業由来のものではないことを報告してい る。

博物館の保存試料ではないが、有機水銀による環 境汚染によって引き起こされた水俣病で有名な熊本 県で、水俣の猫と熊本市の猫の毛に含まれる水銀濃

度の比較を行ったところ、水俣の猫の毛の水銀濃度 が著しく高い値を示したことなどは、獣類の毛試料 が水銀による環境汚染の歴史や広がりを知る上で役 立つことを示す例である。

ただし博物館に保存されている鳥類試料の場合、

ヒ素の酸化物や塩化第一水銀などの薬剤が保存性を よくするため用いられたことがあり、この点は注意 すべきである31)。また博物館標本試料で留意すべき 点は、多くの場合集められている標本は貴重であ り、分析に際してその標本試料が失われてしまう破 壊分析については試料の提供が躊躇されることがあ ること、ならびにその標本試料が多くの人々によっ て観察され、あるいは標本室の室内空気に触れて、

標本となった後に汚染されている可能性があること である。また標本の数が少なく、汚染調査をしたい 地域の標本が必ずしも存在するとは限らないことも ある。

3.5 植物試料(蘚苔類試料)

植物の中には環境汚染の歴史や広がりを示す上で 役立っている重要な研究試料がある。それはコケ植 物(蘚苔類)や地衣類試料である。水生や陸生のコケ 植物は水銀や銅や鉛などの重金属類をよく蓄積する ことが知られており32), 33)、またコケ植物の乾燥試料 は鳥類の羽と同様保存性が良く、コケ植物を用いた 大気汚染のモニタリングや渓流河川水の水質汚染の モニタリングが、例えばヒ素やカドミウムやクロム や水銀汚染の時系列変化の調査が行われている34)-37)。 これらの研究の中で、例えば

Steinnes

らは37)

スウェーデンに広く分布する陸生コケ植物のイワ ダレゴケ(Hylocomium splendes)に注目し、このコケ 植物をスウェーデン国内の

500

箇所から

1985

年、

1990

年、1995年に採取し、茎葉体に含まれている 水銀の時系列変化を調べた。また、モニタリングさ れている大気からの湿性降下物中の水銀濃度と比較 しながら考察を行った。数多いコケ植物の中で、イ ワダレゴケを選んだ理由は、この植物の生長が特徴 的であるからである。すなわち、新芽が前年の茎の 中間から出て斜上して数

cm

成長し、また次の年の 新芽が前年生長した茎の中間から出て数

cm

生長す るので、このコケ植物による一年一年の汚染物質の 蓄積が明瞭であり、汚染の時系列変化を調べるのに 極めて都合がよいからである。

調査の結果、コケ植物中の水銀濃度は南北に長い スウェーデンの南と北で大差がなく、また水銀濃度 は

1985

年から

2000

年にかけて少し減少しているだ けで、南と北で一桁異なる湿性降下物中の水銀濃度 と大きな差を示した。Steinnesらは37)その理由とし て、コケ植物が湿性降下物中に溶存している水銀イ オン(Hg2+)だけでなく乾性降下物に含まれている 原子状水銀(Hg0)も合わせて蓄積していることをあ げ、コケ植物が大気から沈着する水銀のモニタリン グに適していると述べている。

(6)

このような、コケ植物を用いた大気汚染のモ ニタリングは水銀を含む

10

の重金属のモニタリ ングとしてヨーロッパ圏で広く展開・発展し、

2005/2006

年のモニタリングではヨーロッパ圏内の

32

カ国と

7,000

地点を含むようになる。

Harmens

らは34), 35)、このモニタリングネットワ ークによって得られた膨大なデータをまとめ次々と 発表している。その中でカドミウムと鉛と水銀につ いてまとめた結果によると、ヨーロッパ圏内では

1990

年と

2000

年の比較の中で、コケ植物中(陸生 のタチハイゴケPleurozium schreberi

,

イワダレゴケな ど)の重金属の中でカドミウムは

42%、鉛は 57%と

その量が著しい減少を示し、このうち鉛については

1980

年から

2000

年にかけての有鉛ガソリンの使用 中止と連動していると考えた。またロシアやウクラ イナから得られた試料中の鉛量は減少していないの で、これは有鉛ガソリンを依然として使い続けてい ることと関連しているのではないかとしている。水 銀については、ヨーロッパ各国で人間活動に伴う水 銀の排出が

1990

年から

2000

年にかけ半減したにも 関わらず、コケ植物中の水銀量は、減少傾向を示し たスウェーデンを除いて、オーストリアやイタリア では減少傾向は見られず、フランスやリトアニアや スロバキアでは増加傾向が見られることを報告して いる。そして

Harmens

らは、コケ植物中の重金属 の量の変動に関わる諸要因、例えば気候条件の違い、

地理的条件の違い、環境条件の違い、サンプリング や用いた分析手法の違いなどに言及した後、コケ植 物を用いるモニタリングの長所と課題などを考察し ている。

3.6 樹木年輪試料の場合

樹木は寒帯、亜寒帯、温帯、亜熱帯、熱帯の世界 各地に分布し、その樹齢は数百年、数千年に達する ものも少なくない。そして、特に亜寒帯や温帯に分 布する樹木の場合には春夏秋冬の季節変化に対応し て形成される樹木の年輪が明瞭で、この年輪に蓄積 している汚染物質の量が汚染の時系列変化に対応す るのではないかと、古くから多くの研究者に注目さ れてきた。そして、数多くの研究が行われてきた。

しかし、樹木年輪を用いる水銀汚染のモニタリング は必ずしも成功しておらず、また他の鉛やカドミウ ム等による汚染の時系列変化の解明も、いくつかの 例外を除いて必ずしも成功していない38), 39)。それは 主に以下に述べる理由によっていると考えられ、注 意を要する。

その第一は、樹木の年輪は一年一年正確に形成さ れてゆくが、その特定の年輪の場所に存在する汚染 物質はその年輪の示す年に蓄積したものではないと いう点である。図 1に示すように、環境汚染物質の 樹木への蓄積経路は根から吸収されて蓄積する場合 が主である。その場合、汚染物質はまず土壌表面に、

大気からの乾性降下物あるいは湿性降下物に含まれ

て沈着する。そして汚染物質は土壌中を水分の流れ と共に移動して根に至り吸収され、年輪に至る。そ の際、汚染物質が水溶性の場合と難溶性の場合とで は土壌中を移動する速度に大きな差が生じ、その差 は数時間から十数年以上に達する。つまり汚染物質 の移動の難易によって時差が生じるのである。例え ば、水銀の場合には

Hg

0あるいは

Hg

2の形で大気 から土壌に沈着した水銀は、その後生物的化学的諸 条件によりその化学形態が変化するとしてもその多 くは土壌に吸着されやすく40)、土壌中の移動は遅く なると考えられる。さらに、この水銀が土壌中で発 生する硫化水素と反応して硫化水銀となった場合に は、その溶解度積は

3

×

10

54と極めて難溶性であ り土壌中を移動することはないのである。したがっ て、汚染物質が水分と共に移動して年輪にまで到達 したとしても、年輪中に存在する汚染物質はその年 輪が形成された年のものではなく、数十年単位での 汚染の時系列変化を問題にする場合は別にして、年 輪を指標にして年単位での汚染の時系列変化を考え る際には問題となる。

第二の理由は汚染物質の移流拡散である。土壌中 から水分の移動に伴って年輪に到達し、そこに蓄積 する汚染物質は鉛直方向にも水平方向にも移動拡散 してゆき、本来汚染の存在しなかった年輪部分にも 汚染物質が蓄積してゆくのである。また、一度年輪 に沈着した汚染物質がさらに、他の部位に移動する ことも報告されている。

以上のような理由で、年輪を環境汚染のタイムカ プセルとして用いることは最近疑問視されるように なってきたが、全てのケースで問題となるわけでは なく、例えば、原子力発電所の事故や原・水爆実験 によって大気が14

CO

2で汚染された場合には、これ は樹木の光合成によって14

C-

グルコースとなり、さ らにこれが年輪を構成する14

C-

セルロースとなり、

放射能による環境汚染史を解明する上で重要視され ている。

図 1 樹木樹皮および年輪への汚染物質の蓄積.

(7)

3.7 貝試料の場合

淡水域あるいは汽水域や海岸に分布する貝は分布 水域の水質を反映して成長し、大きくなってゆく。

二枚貝の場合、その殻の成長速度は夏と冬で異なり、

貝殻に時系列に添った層状の構造を観察すると一年 一年の成長が明らかである。しかし、淡水産の多く の貝の寿命が約

10

年と短く長期のモニタリングに 適さないのに対し、ヨーロッパに広く分布する真珠 層を持つ淡水産の二枚貝Margaritifera margaritifera は約

100

年の寿命をもち、この貝の年輪に着目し て過去環境の解析を行うことがある41)。スェーデ ンの湖沼に分布するこの二枚貝を対象として

PIXE

(Proton induced X-ray emission)と

INAA

(中性子放 射化分析)を用いて分析し、過去

100

200

年にわ たる湖沼の酸性化に伴うイオウ含量の変化や重金属 含量の時系列変化を明らかにした研究はその一例で ある。この研究では水銀の分析も行われたが、幸か 不幸かその量は定量限界以下ではあった。しかし貝 殻は比較的安定に存在する生物試料であり、また博 物館に保存された標本も多く、蓄積された汚染物質 の保存性はよいと考えられる。貝試料を用いた沿岸 海域のモニタリングでは、世界各地の汽水域あるい は海岸に分布するムラサキイガイがよく用いられ る。これは“Mussel Watch”と呼ばれるが、この 場合は貝殻ではなく身の部分が用いられることが多 い。

3.8 骨・歯試料の場合

遺跡や墳墓から発掘された人骨や歯、あるいは昔の 人が食した動物の骨や歯、現在の人間や動物から採取 された歯に含まれる汚染物質の分析を、環境と人体の 汚染を調べる目的で多くの研究で行っている42)-44)。遺 跡や墳墓から得られた骨試料で注意すべき点は、埋 葬された後に土壌や土壌水に含まれている汚染物質 によって汚染を受けた試料がかなりある点である。

特に歯試料の場合、胎児が母親の胎内にいるときか ら歯の成長が始まるので、形成初期の歯には母親の 汚染が反映、生後形成された歯には生後の汚染が反 映されている等の点が注目されている45)

4.環境汚染のタイムカプセル「入皮」の発見 環境汚染のタイムカプセルとして様々な堆積物試 料や生物試料が用いられている。しかし、環境汚染 のタイムカプセルとしての重要な三条件を全て満た す環境試料を得ることは容易ではない。

その中で各地の大気汚染を反映している樹木樹皮 に注目した環境モニタリング研究の新たな展開とし て、針葉樹、広葉樹を問わず樹木の中に内蔵されて いる「入いりかわ皮」が環境汚染史解明の可能性を秘めて いることが最近注目されている。「入皮」はまさに

「環境汚染のタイムカプセル」であり、過去数百年 の、例えば英国で始まった産業革命当時から現在に

至る世界各地の環境汚染史解明に極めて有効な研究 試料であることが明らかとなっている。

4.1 「入皮」の環境汚染のタイムカプセルとしての 重要性

「入皮(bark pocket)」とは、樹木の内部に年輪に はさまれて存在する樹皮のことである。

樹木は樹木の成長している地域の風(大気)に常に 触れているので、大気に含まれている汚染物質は樹 木の外樹皮の表面に沈着・蓄積する。つまり、同じ 樹種の樹木の外樹皮を比較すると、大気汚染の進ん でいる地域とバックグラウンド地域では沈着した汚 染物質の量が異なるのである。そこで、外樹皮の汚 染を指標とする「現在の大気汚染」に関する環境モ ニタリングはこれまで世界各国で行われてきた46)-48)。 そこで、もともと外樹皮であった入皮に注目すると、

入皮となった外樹皮には過去の大気中の汚染物質が 沈着しているので、入皮に蓄積した汚染物質を調べ れば過去の大気汚染が明らかとなるのである。ここ で大切な点は、入皮は年輪によって外界から遮断さ れているので蓄積した汚染物質は移動せず、後から 汚染されるということもないという点である。そし てもう一つ非常に大切な点は、入皮が年輪という時 計に挟まれている点である。入皮をはさんでいる年 輪の数は入皮が大気と接していた年数を示し、また 最外部から入皮までの年数は、入皮が形成された年 を明確に示しているのである。環境汚染のタイムカ プセルにとって年代の確定は極めて重要であり、年 輪という時計付の入皮は、この条件を十分満足して いると考えられる。つまり入皮は、先に述べた環境 汚染のタイムカプセルとして備えるべき基本的三条 件を満たしていると考えることが出来るのである。

4.2 「入皮」とその形成機構

本来樹木の一番外側にあって樹木を物理的、化学 的、生物的傷害から守っている樹皮がなぜ樹木の内 側に年輪にはさまれて存在しているのだろうか。

「入皮」は一見不思議な存在であるが、それには必 然性があり、「入皮」の形成機構は主として以下に 述べる四つの機構によっている(図 2a,b,c,d)。

その一つは、樹木の受けた傷の修復過程で生じ るものである。図 2aに示すように、まず何らかの 理由で樹木の樹幹の一部が損傷を受けると、樹皮

(一番外側にある外樹皮やその内側にある内樹皮)

や形成層やその内側に存在する木質部の一部が剥ぎ 取られた状態になる。この傷は樹木の生長に伴い、

傷の周囲から樹皮と木質部によって次第に覆われて くる(傷の周囲にある形成層によって内樹皮および 木質部が形成され、更に外樹皮は内樹皮から形成さ れる)。最初に受けた傷の大きさにもよるが、傷は 数年から数十年かけて修復され、傷口は完全にふさ がれた状態になる。樹木はその後も生長を続け、や がて傷口の周囲にあった形成層は合体し、傷の周囲 で形成されてきた年輪(木質部)は合体して一つの連

(8)

続した年輪として年々その数を増してゆく。そして 樹木の傷を塞いだ樹皮は樹木内部の年輪と年輪との 間に内蔵され、「入皮」となるのである。図 3は樹 木の傷の修復過程で生じた入皮と入皮を利用した環 境汚染史解明の仕組みを模式図として示したもので ある。

「入皮」の形成機構の二つめは、幹と幹、あるい は枝と枝の合体に伴う形成である。図 2bに示すよ うに、元の部分が同じ幹と幹あるいは枝と枝が年々 生長すると、元に近い部分から次第に合体し、そこ に連続した入皮が年々形成されてゆく。この場合、

幹と幹、枝と枝の角度が鋭角の場合に入皮が形成さ れやすい。

入皮の三つめの形成機構は、図 2cに示すように、

枯れ枝部分あるいは枝打ちされた部分が樹木の生長 に伴って、包含されてゆく過程で形成されるもので ある。この形成場所は一般に節ふしとして知られる場所 であり、節の周囲にある樹皮が入皮である。例えば、

広く全国各地の道路沿いに植栽されている街路樹杉

やヒノキの植林地の場合には枝打ちが行われること が多く、枝打ちの傷は樹木の生長に伴って樹木内部 に包含され、そこに入皮が生じる。図 4a,bは枝 打ち部分が樹木の生長に伴って次第に包み込まれ、

入皮が形成されてゆく過程を示したもので(この状 態を樹木の外側から見ると猫の目のように見える)、

入皮形成に至る過程にあり、猫の目のように見える 外樹皮を私達は未成入皮(bark pocket-to be)と呼ん でいる。

入皮の四つめの形成機構は巨樹巨木に比較的多く 見られる。図 2dに示すように、樹木が樹齢を経て くると幹の水平横断面の円周上の形成層を構成する 細胞の分裂による年輪と内樹皮の形成は一様ではな く、樹木の若いときには樹幹の年輪はその横断面が ほぼ円形をしているのに対し、樹齢を経てくると横 断面が凸凹に富むものになる。この樹幹の凸凹部分 の生長に伴って、樹皮は凹部と凸部の間にはさまれ るように連続的に形成され入皮となってゆくのであ る。そして、樹木の幹や枝の合体や幹の凸凹が原因 で入皮が継続して生じている場合には、入皮に密着 している年輪の計数によって入皮が生じたその年が 明らかとなるのである。

5.樹木外樹皮および入皮による水銀汚染の モニタリング

人類は大量の無機水銀および有機水銀を利用し環 境を汚染してきた。特に水銀の場合、その汚染は大 気を経由して広がるので樹木樹皮に水銀は沈着し、

またその汚染史は世界の樹木の入皮に記録されてい るはずである。

5.1 「入皮法」による水銀汚染史解明

「入皮法」による水銀汚染史の研究成果として論 文発表されたものはまだないので、ここでは異なる 地域を対象として行われた二つの研究例(未発表)を 挙げる。

図 2 典型的な入皮の形成機構(タイプ 1:傷の修復,

タイプ 2:枝・幹の合体,タイプ 3:枝の取り 込み,タイプ 4:幹の凸凹部の接合).

図 3 樹木樹皮への汚染物質の沈着と入皮法による 環境汚染史解明のしくみ.

図 4 樹木の枝打ち後の未成入皮および入皮の形成 過程(メタセコイア(a),ケヤキ(b)).

(9)

その一つは室生寺の杉を対象とした研究である。

1998

9

月、大型の台風が室生寺の杉を直撃し、

有名な五重塔に周囲の一本の杉が倒れかかった。

室生寺の協力を得てこの杉の横断面をとってみる と、その中には約

70

年前と

140

年前に形成された入 皮が存在していた。この入皮に含まれる水銀量と、

現在(1998年当時)の樹皮に含まれる水銀量の比較 を中央大学古田研究室の協力を得て、レーザーアブ レーション法(レーザーアブレーションと

ICP-MS

を組み合わせ元素の相対濃度や平面分布を知る分析 方法)で測定した。その結果、140年前の水銀濃度を

1

とすると

70

年前の濃度も

1、そして 1998

年のそ れは約

3

を示し、奈良県の山中にあって森に囲まれ 比較的汚染の少ないと考えられている室生寺におい

ても、戦前と戦後とでは大気汚染度の異なることが 示された。

もう一つは屋久島での研究例である。屋久島は直 径約

25 km

標高

1,935 m

の宮ノ浦岳の屹立する孤島 であり、鹿児島市から南に約

140 km、上海から東

に約

800 km

の位置にある。屋久島は古くから杉の

巨木が多数存在することで有名であり、「入皮法」

による環境汚染史解明のため得られた試料も、樹 齢約

207

年の杉の樹幹である。この試料は

1999

に標高約

1,500 m

の位置から伐採された杉の切り株

に残されていた、約

100

年前から現在に至る連続し た入皮が形成されていたタイプ

4

の入皮試料である

図 5a,b)。

冷原子吸光法による水銀分析装置によって得ら れた分析結果は、図 6a~fに示すように、1999年 の外樹皮表層で

469 ng/g

図 6a)、19~

20

年前の 入皮で

593 ng/g(

図 6b)、36~

40

年前で

385 ng/g

図 6c)、49~

51

年前で

149 ng/g(

図 6d)、63~

71

年前で

126 ng/g(

図 6e)、90~

99

年前で

41.2 ng/g

図 6f)を示した。この中で、まず図 6aは外樹皮の 外側から内樹皮、木質部に至る水平方向の水銀の分 布を示している。図 6aに示すように、水銀濃度は 外樹皮が大気に接している部分で最も高く内部に入 るにしたがって指数関数的に減少し、外樹皮と内樹 皮の境界(外樹皮側)で最少値に達し、内樹皮で再び その濃度は一度増加し、木質部ではその濃度は再び 減少する。外樹皮内における水銀濃度の指数関数的 減少は、外樹皮表面に沈着した水銀が雨による濡れ などに伴って内部に浸透することを示していると考 えられる。また内樹皮における水銀濃度の増加は、

図 5 屋久島の樹齢 207 年の杉から採取された 入皮(a)およびこの入皮の模式図(b).

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 0

100 200 300 400 500 600

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 0

100 200 300 400 500 600

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 0

100 200 300 400 500 600

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 0

100 200 300 400 500 600

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 0

100 200 300 400 500 600

0 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 22 24 0

100 200 300 400 500 600

図 6 屋久島から採取された杉の外樹皮(X0),内樹皮(X1),入皮,木質部(X2)に含まれる水銀の濃度.

1999 年(a),19 ~ 20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).年(a),19 ~ 20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).a),19 ~ 20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).),19 ~ 20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).19 ~ 20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).~ 20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).20 年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).年�(b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).b),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).),36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).36 ~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).~ 40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).40 年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).年�(c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).c),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).),49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).49 ~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).~ 51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).51 年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).年�(d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).d),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).),63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).63 ~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).~ 71 年�(e),90 から 99 年�(f).71 年�(e),90 から 99 年�(f).年�(e),90 から 99 年�(f).e),90 から 99 年�(f).),90 から 99 年�(f).90 から 99 年�(f).から 99 年�(f).99 年�(f).年�(f).f).).

(10)

葉の気孔から取り込まれたガス状水銀が光合成産物 の転流後の蓄積場所でもある内樹皮に何らかの形で 共に転流し、蓄積する結果ではないかと推察される。

さらに、内樹皮から木質部には光合成産物やその代 謝産物が転流してゆくので、木質部の水銀はこの内 樹皮から転流したものではないかと推察される。続 いて図 6bは、左右にある外樹皮が

X

0点で接してい る場合の入皮となった外樹皮、内樹皮、木質部の水 銀濃度を示している。図 6a~fに示すように、X0点 の水銀濃度は

19

20

年前で最も高く

90

99

年前 ではその

10

分の

1

以下の値を示し、近年汚染が進 行していることを示唆している。この水銀汚染の汚 染源として中国大陸からの長距離越境大気汚染や、

小規模ながら石炭火力発電所のある屋久島の島内汚 染や桜島の火山の影響などが考えられる。しかし、

どの汚染源の寄与が大きいのかなどについてはまだ 明らかではなく、今後の研究に委ねられている。

5.2 「入皮法」の今後の展開

1993

年に始まった「入皮法」を用いる環境汚染 史解明研究はようやく

15

年をむかえ、その間日本 や英国における鉛汚染史解明研究49)-56)、日本(足尾)

における銅鉱石製錬に伴うヒ素汚染史解明研究57)、 中国における難分解性有機化合物による汚染解明研 究58)などで成果を得てきた。「入皮法」は高価なサ ンプリング装置を必要とせず、汚染地域にある樹木 の外樹皮と樹木内に含まれる入皮を利用し、環境モ ニタリングの行われていなかった過去から現在に至 る汚染の検証を行う新しい方法である。しかし、こ の方法は新しい分まだ南北アメリカ大陸で研究例が ないなどその応用例も極めて限られており、今度世 界各地での環境汚染史解明に役立つことが期待され る。

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