• 検索結果がありません。

保險料の經濟學的性質

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "保險料の經濟學的性質"

Copied!
29
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

保險料の經濟學的性質

馬場, 克三

https://doi.org/10.15017/4151127

出版情報:經濟學研究. 6 (1), pp.95-122, 1936-03-31. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

するものは存在したい︒

保瞼料の鯉浣學的性質

所閉

衰 本 循 環 と 保 陰 料 消 費 基 金 と 保 瞼 料

保瞼と経漬|—従来の見解

ドイツ保瞼學協會が保瞼夢を﹁法律學︑経済學及び敷學並びに自然科學的智識のうち︑

歩が保瞼に役立つところのものを云ふ﹂と︑

保 瞼 分 類 論

保瞼と経清ーー従来の見解

保険料の経清恵子的性質

保陰が経滸上の一制度であることを否定

その内容と進

定義して保険學の學問的性質に闊する諭議の種子を播いて

以来︑保瞼學の科學論は未だにその跡を絶つに至らない︒然し︑保陰學を以て技術諭乃至は集合科學で

あるとするにせよ︑或は経消學の一分科であるとするにせよ︑

集合科學としての保瞼學の祖述者であるマーネスに於ても︑﹁保険とは

馬 場

1) A. Manes, Versicherungswesen, Bd. I. 19こ

o .

S.  387. 

(3)

る理由によるものであらうか︒

これは 保除學を続清學の一分科として樹立せんとする人々の間に於て

然るに︑保瞼學に於ける保瞼の経

清學的理解が︑今日︑ 保瞼料の鯉學的性質

評憤しうべき偶然なる貨幣的需要の相互的充足﹂であって︑彼が保瞼を︑

學的のものでもたく︑

正さに経溝學的のものとして理解してゐることに何等の疑ぴもたい︒他方︑保険

學の科學的性質を強調する一群の人々の間に於ても︑

なし︑保瞼學を以て鯉清學のうちに包撮さるべきものであるとするについては︑

じてゐるものでもない︒

勿論︑技術論としての保陰學に於て︑

程度まで許容しうるであらう︒然し︑

この理解の不充分たことは奇怪とするに足る︒

観を窺ふこと

4

る︒

法律學的のものでもなく︑敷

その色彩に差こそあれ︑保険を続清上の一制度と

何等の見解の相違を生

この理解の不充分たることは或る

以下︑科學的保院論者たるフュルゼと︑技術論的保瞼論の著者マーネスにつき︑それん\の保陰経惰

保瞼學の科學性を明確に主張した

初の人であるところのフュルゼーー而して今日に於ける同論者も

主要な幽に於ては彼の見解以上に出づるものではたいー│'は次のやうに云つてゐる︒﹁科學的保陰論は

経消生活が保陰経清のうちで問題となる限り︑鍔清生活の解明を遂げんとすろものである﹂と︒

正し陀然し︑彼は果して︑

経涜生活の解明のうちに保瞼を理解し得てゐるかどうか︒﹁保険と親清

﹂な

極めて不満足た朕態あると云ふことは如何た

2) F. Hulsse, Versicherungswissenschaft und Versicherungskunde. Zeitsch‑ rift  for die gesamte Versicherungswissenschaft. Bd.17.  1917. S.  47. 

` 

̀

.  h.i.r

.9,.

﹃ I ‑﹁

... 

F・&

r ̀1 .

︐ '

9t,

' ・

(4)

保瞼料の鯉意學旧性質

いま︑彼の所論を要約してみるに︑酪々︑次の如き論旨とたる︒彼はまづ︑人間の欲望充足行徴は︑

とを指摘する︒然し、1彼は云ふ—ー幽5来の「親溝欲望に釘して所得の調逹を適應せしめることは、

的消費に脅かされてゐるからである﹂︒この故に︑﹁計割的なる欲望充足行為たるものは︑

の貨幣支出のみでたく︑未来の欲笠満足を確保するために現在使用せられざる経清手段を蓄積ナること

即ち︑貯蓄をも意味するものである﹂C・然るに︑将来の不確定なる欲望に封しては︑貯裕なるものは或る

場合には不足し︑或る場合には過剰となる︒

性を除去する制度が保陰である﹂︒﹁保険の成立根握をなすものは︑純清ーー即ち︑家計の︑企業の︑ま

たは人の欲望充足のために計刺的に盤へられたる諧行為の練個の││'不安定たることである﹂と︒

るところ︑保険が今Hの経清生活に於て何故必要であるかの所以の説明にすぎない︒

瞼學の云ふところも僅かに︑二︑三の用語を置換える以外は︑

いのである︒

然し

以上がフュルゼによる保瞼の経溝學的説明の骨子である︒ 現在欲望のみでた<未来の欲望満足をも考應するに室るこそこで︑﹁経済の不安定に由来するところの︑貯蓄の不経清

然し

現在欲望のため

4で述べられてゐることは︑要す

フュルゼの理解以上に出でるものではな

か\る見解に討しては︑我々は次の如く云へば充分であらう︒ 而して︑今日の保

一般に︑親齊學に於 賄米の事件の豫測の不可能の故に︑甚だ困難である︒

蓋し︑所得の源泉たる努働と安本財疫は共に天災

それが高度となるにつれて︑計割的となり る旭大な論文に於て︑彼が述べてゐるところは︑9iTろ︑それを否定するが如くである︒

3) Htilsse Versicherung und Wirtschaft. Jahrbiicher ftir  Nationalokonomie  und Statistik.  Bd. 104.  1915. S.  311‑312. 

4) Htilsse,  S.  323.  5) Htilsse,  S.  311. 

(5)

問題を提供するだけの意義を有してゐる︒

彼は保阻の経派的意義を観察するに賞つて︑

その私経涜的効用と︑國民親齊的効果とを分つて述べて 以下︑若干の引用を敢へてしや

Co たあらゆる観黙が統一もなく牧容されてゐる︒勿論︑それらが如何に愚昧たものであるにしても︑たほ 術論的保阪學たるマーネスの所説のうちに見出す︒彼

L

ては

従来

人々が保陰と網滸に闘して述べ

我々はむしろ︑保瞼の経滸學的理解についての

支離滅裂ではあるが然し内容の農宮たる腔町を︑技

々の社會的生疫物のうちの如何たる部分に該賞するものであるか

そし

て︑

それに如何たる親洲過程を

の過程が全く私経惰的な貯蓄過程であるたら︑

た経清的貯蓄として成立することによって︑私経沢的貯蓄と云ふ性質を防去するたらば;⁝・保陰た云ふ

ことが出来る﹂と︒然し︑これ以上に続滸學的たことは何事も語られてゐない︒

通じ︑且つ何人の手によって楠成されるか︒かくの如き問題については一個の示唆すち典へられてゐな

い︒フュルゼ式保論論はその方法のみ厳であって︑その内容は全く空疎であることを我々は細った︒ か4る社會的貯蓄が年 それは保陰の領域には局したい︒然し︑この過程が特殊 然し

保険料の網浣學的性質

ては︑すべて物の効川はたゞ前提され\ば充分であると︒

フュルゼの説明に於て︑

て︑保瞼は一種の貯蓄であると云ひ︑更に︑これを通常の貯蓄と寓別して︑

つてゐる個所である︒﹁保瞼の特質は私経清上の貯蓄概念と翫別して︑ 社會的な貯苦である︑

こう云ふことが出来る︒即ち︑

網惰學的な観察と見うる唯一の勘がある︒

と云

即ち︑彼が賭博と甑別し

6) Hulsse, a.  a.  0. S.  3こ0.

(6)

然し

この附賑分の間には何等の聯絡があるものでもない︒

ころの保瞼の種たたる網惰的意義を盤理してみると︑次ぎの如き結栢となる︒

まづ私純憬的効用について︒保険事件の弱生の際に於て︑保瞼が続涜︑王個を保諌し︑

﹁保陰は何等かの不確定なる︑豚来に脅かされてゐる事件を︑確定せる比較的少額の現在費用に轄化する

ことによつて︑偶然と不安定の代りに安心と確信とを甜らすもQである﹂と︒

かれてゐる︒然し︑この説明は消費主個については認容しうるとしても︑

説明を以つて足りるものではない︒そこで彼はたほいふ︒ ゐ

る︒

保瞼料の細浣學的性質 みしてゐたい方が︑心理的た理由からして 産原債を減少せしめるが︑

駿

﹁ 保

いま︑彼が羅列的に列記してゐると

その偵樅者の利

彼はむしろ條瞼事件痰生前の意義をより多く軍要親する︒彼はいふ︒

﹁保瞼を用ひたい純螢は

. . . . .  

差賞

り︑

他方︑保院せる経営は保瞼のための費用を生産原債に含める︒そこで︑少<

とも︑純計敷的にのみいへば︑保険されない経螢は保瞼されたる経営に比してーー'続渭を妨げる偶然が

起らぬ以上はー│都合よく︒

脳聯せしめることによって︑

ねて問題を逸して了つてゐる3

瞼がたいとすれば︑極めて富裕た人々のみが大企業を螢みうるに止まる︒ 盆を談ることは勿論であるが

然し

そうはいふもの4

︑すでに最初から︑欲望事件の起らぬことを空頼

ヨリ牧盆的である﹂と︒こ\で彼は︑保院我を生旅原債と

生産過程に分析を進めるかと思はれたが`容易に︑これを心珂的説明に委

次に彼は︑保瞼の存在が企業の設立を容易にすることを指摘する︒

⁝⁝然るに︑保除の成立と共 企業主髄については︑

その生 かL る こ4でもまた︑効用が説

7) Manes, a.  a.  0. S. 57.  8) Manes, a.  a.  0. S 58J 

(7)

保阪料の繹浣學的性質

ヨリ富裕でない人々も企業に携はることが出来︑

︐ 

範固の人々が生産に隅典せしられる﹂と︒

題と示唆するものであるが︑彼に於ては︑

次に︑國民経清的意義について︒

この支彿に備へんとすることによって︑他の多くの︑保陰をして

國民続清的に有意義ならしむるところの活動が必然となる﹂と︒

まづ︑彼は︑保瞼の資本形成力をいふ︒

別問題はない︒次に︑損害の防過︑低減といふ効果が學げられてゐる︒然し︑

経費的意義ではあり得べきではないであらう︒

ことが指摘され︑最後に︑保瞼が生南的である︑

問題としてみやう︒

彼は

いふ

だから保陰は︑ ﹁保瞼は何らの具開的な生産物を創り出すものではないが︑ ︒ ●とに盛きるものではない︒むしろ な

い︒

に ︑

保瞼の活動は︑保陰を利用する蓑本の生 保陰の私経憬的な﹁長所﹂として取り上げられてゐるにすぎ

﹁保陰の活動は補償金額の支彿といふ

これは殊に生命保瞼について常にいはれる事柄であって︑格

この貼は保険そのもの4

といふことが主張されてゐる︒

いま

この最後の黙を

その限りでーー占益瞑的生森といふ意味からいつてー│間接生産性を高めるやうにする︒

産的である﹂と︒然し︑彼はかくいふのみで具憫的に説明を展開しやうとはしない︒ただ彼の次の言薬は たほその他︑保陰が被保陰者の信用猥得能力を増大する こ\では彼は次の如くいふ︒ この一文は賽本家的企業に於ける危陰負捩と資本の競喰の間 保陰が普及すればするほど國民続清の一暦︑廣い

1 0 0

1 0 0  

9) Manes, a.  a.  0. 

s .  

53.  10) Manes, a.  a.  0. S.  58.  11) Manes, a.  a.  0. S.  59. 

(8)

とを反省しておくことは無意味ではたい︒ さて︑以上︑観察した如き を想起しておかねばたらたい︒ 彼がこ3生産的といふ言葉を費用節約的と同意義に使用してゐることを推測せしめる︒

業による危除の負櫓が廣範園に亘つて毀用節約的に作用する限り︑

である︐﹁勿諭︑他方に於て︑保陰の経螢のために新たな失費が生する︒

この

黙は

こ\で立ち入って説明されてゐない︒然し︑保瞼が不必要

た危険準備と節約せしめる︑といふ事情が考へられてゐることは︑

明かである︒然し︑これ以上の詳細については︑何事も︑語られてゐない︒

﹁保瞼は企業家精岬を鼓舞する﹂︒

説明以上には出でてゐないのである︒

保険料の鯉浣學的性質

10  

保険は國民継幣にとつて一つの利益

然し

︑ これは︑保瞼が存した

一般に極めて轄少なものである﹂と︒では ヽ ノ

他の個所に於ける彼の叙述によって

所得を構造せしめる︑等々︑

Lで述べる必要はない︒要するところ︑

ュルゼに於けるよりも遥かに豊富な問題が提出されてはゐるが︑

駿

10  

マーネスに於てはフ

それらの理解はすべて︑保瞼の効用の

然し︑我々はかくの如きが︑ドイツの保陰學の最高峯であること

理解の不充分は何に基づくものであるか︒以下の研究のために︑ かれてゐる︒それらの一々については︑ 以上のほか︑ 何故に︑費用の節約が起るのか︒ い場合に勘定に入れねばならぬかも知れぬ費用に比すれば

このこ

種々た保院の利貼が説

即ち﹁専問的職

2) Manes, a.  a.  0. S. 60.  13) Manes, a.  a.  0. S.  24. 

(9)

ことが出来る︒

た性質をもたねばならぬ︒而して︑

ペきである﹂︒﹁保険は何らかの新たなるもの︑獨自のもの︑

全く獨立せるものとして︑他の謡科學の傍らに存在するもの︑

して見られうるものである﹂と︒

つて︑技術的研究と詞一の森を歩む結果とならねばならたい︒

等共通り闊心となりうるにすぎないのである︒然し︑保瞼の研究は経溝の中に於て果されねばならたい︒

だからこそ︑保陰の効川の説明のみが彼 かくの如き︑観勘は︑保険の研究を保陰の中に於てのみ果すことであ

ぞれらから峻別されたろ祉會的網織物と それが成立つてゐるところの諸部分からは

この特殊性はこの研究のために碑保されたる︑特別の立脚黙と見る

即ち︑彼はかく云ふ 経清學の一分科として樹立せんとする努力そのものが︑ 保険料の親済學的性質

第一に指摘すべきは研究方法の誤りである︒

的なものに向けられてゐるとする以上︑このことは止むを得たいであらう︒然し︑その観黙が保玲機構の

その前提たる純渭との交渉についての統一的た狸解を妨げてゐ

他方では︑続滸睾の一分科としての保険學の獨立を︑主張するものに於ては︑そ

の獨立性を強調するのあまり︑一般紐渭現象のうちより保陰に闘する事賓を抽出し去り︑

し︑恰かも﹁保陰現象﹂と云ふ獨自の研究封象が存在するが如き錯覺に陥つてゐる︒

げると云ふ逆説的結果を生するに至ってゐる︒

ために︑保陰學を 却つて保瞼を経滸現象として理解することを妨

このことは︑フュルゼの次の言葉によって充分窺ぴ細る

﹁保瞼學の研究領域はその研究討象の特殊性の故に︑極めて特殊 これを孤立化 ることは否定されたい︒ 内部にのみ局限せられるといふことが︑

勿論︑技術論的保険學に於ては︑その研究の主力が技術

1 0  

1 0  

14) Hi.ilsse,  a.  a.  0. Zeitschrift.  S. 43.  49. 

.~

. . .

. .  

︐ 

 

よ上•

~,·,' ,·,'·

(10)

第二に指摘さるべきは︑従来の見解に於ては︑後に述べる如く︑

経溝過程の内部に於て保陰を理解せしめることを妨げてゐる︒

さて︑我々は本稿で科學論に立ち入る意繭を有しない︒

而して︑そのためには︑必中しも方法諭は必要ではない︒

院分類の不充分については︑若干の攻究を必要とする︒ 然し︑従来の見解の不徹底の他の原因たる保

ある︒従つて︑保陰圏開の組織方法や経螢主個の公私の別による分類︑

でなければならないのであるが︑

保険料の細浣學的性質

こヽでは専ら︑保陰そのもの\性質による分類が問題とたる︒

最も賓質的意義をもっところの分類は保瞼法に於ける分類である︒

例へばドイツ保陰法に於ては︑損害保険と人保除︑また我商法に於ては︑

ェーレンベルクの指摘せるごとく︑

賓質的には︑何れにしても異るところがたい︒この寓別に於ける標準

なされてゐる︒この諏別は正確には まづ︑最も索朴的であるが然し 云ふが如き甑別は問題とはしたい︒

保 険 分 類 論

を甑別し得たいでゐると云ふことである︒

1 0 1

︱ ︱  

0

1

︱ ︱  

定額保険と損害保院の二窟別 損害保瞼と生命保陰の諏別が 乃至は祉會政策的目的の有無と

保瞼を経惰學的に理解するがためには︑保陰は如何に分類されて居るべきか︒これがこ\での観黙で

だから︑我々は次に保険分類論をとりあげる︒ こ\では保陰の経済學的理解が目的である︒ そこでは本質的でたい保陰分類のみが行はれて居り︑ために

保陰に於て甑別さるべき請稲の形態

1) V. Ehrenberg, Versicherungsrecht. Ed. 1. S.  13. 

(11)

僅かに残された親憫學的親黙をも衷失して︑完全に れてゐる容個の種類を中心として分類を表示したことのため︑彼の分類は一般に︑保陰部門別乃至は保 及び彼が︑危陰に脅かさ

保肱料の細炉學的性質

は︑保瞼者の武任限度を示すところの保険金額の大いさが原則として︑

法に於ける観黙は︑

あって︑旅掌り︑

次に︑右の保険法に於ける分類に封立するものとしては︑

ーは保陰はすべて損害保瞼である︑

物保肱︵物財の破壊損偽の保瞼︶

命保瞼︵人間の偽害︑老炭︑死亡は閥聯する損害の保険︶ 直接︑保除の目的物たるもの4

と云ふ黙による3である︒この分類方

保険の膝史的な︑同時にまた本質的な疲展を含括してゐると云ふ意味で︑

と云ふ見解より出疲して︑

︵二︶財庄債値損失保瞼︵貸倒︑相場損失︑

る︵一︶より︵三︶に至る項目はそれ人\︑

保陰︑慣値移轄保瞼︑憤値保存保瞼︑ 最も古くはワグナーの分類がある︒ワグナ

︶ 保陰を次の如く分類した︒即ち

益難等の保陰︶

︵四︶珂保瞼︑これである︒

︵三

︶生

この分類に於け

3 ‑

後にマーネスによって言及されてゐるところの︑債値柿填

と云ふ多かれ少なかれ経料學的た分類に封應するものである︒

し︑ワグナーが保険の稲類を以て︑すべて損害保瞼の一部門と看倣したこと︑

瞼客閤別による分類と解され︑

分類は保瞼の技術的基礎から浮き上がると同時に︑ 爾後り分類論は全く︑か4る意味の分類の精密統一化に向けられ︑保瞼

︵ 一 ︶

我々の問題にとつては役立たない︒ へられてゐるが如く無意味たものではたい︒然し本来︑技術的な観貼に基づくものであることは事賓で 一般に考

債格によって決定されるか︑或は契約者間の協定に依存するか

‑ 0

1 0

2) A. Wagner, Schonbergs Handbuc'.~ der Politischen Oekonomie. Tei! 2.  S. 795. 

3) Manes, a.  a.  0. S.  15. 

(12)

からである︒煎役がその邸宅を火災保瞼に附すること4

第 六 巻

1 0

1 0

それが生査交換過程に於て占むる地位でたければたらぬ か4る分類の鋏勘は 種類であるか︒ マーネスは保瞼分類について砂竺いてこんたことを云った︒﹁保険の分類に於て次のやうた困難がある︒即

ち︑保瞼種類の範園は結了してゐるわけではたいので日々に新しい保陰種類が生じ︑

と云ふ困難がある﹂と︒こめる袋がほころびる︑

瞼學の到逹し得てゐるものヽ集大成である︒いま︑

﹁財貨の毀損︑損害︑喪失を原因とする欲望事件が問題であるか︑

ゐる︒従って︑

れな

い︑

と云ふことである︒

つてはならたい︒

而し

て︑

険保料の細浣界的性質 叉は︑人の毀損︑損害︑

とする欲望事件が問題であるかに従つて︑保陰を二つの大いたる群に分つ︒

群は人保険である﹂と︒ 最初の群は財貨保陰で後の 銀末化し無内容となって了った︒

その各々の内部で更に︑危陰の種類に従って︑

マーネスの分類の観黙は︑保瞼の目的物が人であるか物であるか︑

即ち︑火災であるか運送事故であるか︑

この種Q

分類を以てしては︑経溝過程の内部へ突き進む如何たる手懸りも典へら 蓋し︑保瞼が生序

1 1 交換過程と闘聯する直接︑具開的な結び目は︑保瞼の

目的物の箪たる外形的存在様式ではたくして︑ マーネスによると保瞼は次の如く分たれる︒

而し

て︑

その鎖末さを恩ふべきである︒然し︑

即ち これが今日の保 ために開系を押し

喪失を原因

詳細た排列がなされて

その危瞼が如何なる

と云ふ全く外見的な様式に置かれてゐる︒いま

彼の工場を保瞼することは同性質のものであ

而して︑保防の目的物の占むる続溝的地位の相違は︑やがて︑保瞼に釘して支彿はる

か4る親獣なき分類として︑我々はマーネスのそれをもつ︒

4) A. Manes, Versicherungswesen, Bd. 1.  1924.  S.  9.  5) Manes, a.  a. 0. 1920.  S.  12. 

(13)

つて︑賃銀によって︑或は企業利潤によって支彿れるか否かに従つて︑保院を分類すべし︑と云ふので

はない︒寧ら︑これらの所得が社會的生・庄と流通との中に於て有する地位に潮つて︑換言すれば︑保除料 その源泉による翫別に基づくものでなくてはならたい︒然し︑かく云ったからとて︑保険料が利子によ 涜學的見地から︑その性質を慨別されうるとすれば︑それはこの保陰料がそこから支彿はれるところの 凡そ︑保陰料が経 そこで︑我々は保陰料なるものを中心とし 従って︑保陰がこの組織の中に入り込む索線は

して支彿はるべき危陰負控費の鱗局闘係にも存しなければたらぬこと︑たる︒

人の雌係する廂業部門を以てするが如きものであって︑経滸學的理解

さて︑年々の社貪的生森物が如何にして生究され︑如何にして流通せしめられるか︑

潤學の問題であるとするたら︑我々の課題は︑か4る生庄と流通の過程のうちに︑

にして織込まれてゐるかを叫かにすることでたければならない︒

ふまでもなく︑憤格機構を通じて粗織立てられてゐる︒

保瞼の憤格たるところの保瞼料に仔しなければならない︒

マーネス式分

ところで︑祉會的生在と流通とは︑云

て︑即ち︑保陰料の性質に従つて︑保陰を分類することを最も続費學的であると考へる︒

保険料の性質と云ふのは俣陰抜術的我団1に於けるそれを云ふのであってはたらない︒

勿論

︑ こ し で

保陰たるものが如何

と云ふことが耗 のためには何ら役立つものではない︑と云ふことにたる︒ 類は︑恰かも網寮階級を示すに︑

かく

して

︑ べき牲用の負捻者の相逮でもなければならないから︑やがてまた︑保険と経演との結び目は︑保陰に釘

第 六 巻

1 0

1 0

(14)

ある

と云ふのである︒かくて︑我々の観獣では︑保険を消牧形態と在本形態に分つことが最も合目的と

たる︒或はこれを︑酒井氏の言葉に従つて︑家計保陰及び企業俣陰とたすことも出来る︒主

‑ a  

或は偶然的事件に闊聯

も︑前者に於ては︑持ち越された貯蓄尤本︵例へば住宅︶の維持であるにせよ

する箪たる川費の準備であるにせよ︑

で︑如何なる理由から消費基金の一部の退載が行はれるかはーー'従来の保陰學者の見解とは酎蹄的に臭

つて

1我々の問題とするところではない︒後者︑即ち企業保瞼については︑

ゞあれ︑流姐過程に闘してゞあれ︑企業賽本に於ける偶然的減損を合目的に負推する︑

れらの寓別が如何なる意義を有するかは次の節が明かにするであらう︒

従来の保険學が保瞼の親済學的理解に一歩を進めることをたし得たかったのは︑

をなさす︑却つて種々たる保瞼の共通慨念を求むることによって問題を解決しやうと試みてゐた︒

て、.その結果は、無内容な規定に満足すること~ならねばたらたかったのである。

4

で試

みた

分類

と略

々等

しい

試み

とし

ては

媒開

にし

て︑

洒井

氏の

一例を知るのみである︒但し︑同氏の践貼

保阪料の紐浣學的性質 と消費形態とを顧別することを得なかったからに外たらない︒

第 六 巻

1 0

第 一 撃

‑ 0

七 而し 彼等は二つの異った存在を諏別すること 全く︑この賽

本形態

題であるのは云ふまでもたい︒

而し

て︑

このための負橡たる保陰料は賽本循環の内部で虐皿される︒こ と云ふことが間 それが生査過程に闘して 泊費過程に入り込んだ所得の蓄蔵と云ふことが問題とたる︒こ4 の源泉たる所得部分が咲本としての咲格で循環するか︑

いづれにして 消喪碁金として循環するかに従って分つべきで

(15)

すると

祉會的生森物の如何たる部分か︑と云ふ そこで

は︑保瞼の効用と云ふ衷付けをもつてゐる︒﹁私は家計保険と企業保瞼との顧別か認めることが必要だと︑王脹 したい︒この私の分類の標準は︑保瞼によつて安定をかちうるところの鯉沢生活の態様に基ついてゐる︒附費 生話の安定が保即せられる楊合が︑私の所謂︑家計保険であり︑膝利生活の安定が

H

椋とせられるところの作

瞼がいはゆる^止薬保瞼である︒﹂

資 本 循 環 と 保 険 料

保瞼分類の正しい方法を會得した我々は︑今や保除の経派學的分折を試みる個所に到逹した︒

はまづ︑分類の数ふるところに従って︑企業保険を取上げることししやう︒

いま︑年々の社會的生産が鋸年︑同じ規模で螢まれてゐるとしやう︒

たいものとする︒

ことになる︒

しつくされるJ

従つ

て︑

この社會での︑祉會的年生産物の割宛は次の如くになる︒即ち︑まづ同定表

本及び原料等の消耗部分が償はれ︑努働者の生活資料が供典され︑

残る問題は︑我々3保瞼にとつて残されてゐるものは果して︑ たほ残るところの部分は︑

付資本家及び企業家の所得として配賦され︑結局︑生産物は残るところなく消費しつくされる︒

とこるで︑我々は今︑蓄杭なき社會を構想してゐるのであるから︑この就會では︑

この社會の生産物はまた︑次のやうにも分ちうる︒ 地主︑貸

所得は全部︑消費

即ち個人的消費に入りこむ 即ち︑何筈の蓄積も行はれてゐ

10

E

こ\で

‑ 0 マ 八

6)洒 井 正 三 郎 応 保 険 網 苔 抒 ヽ 昭 和 六 年 、 20

(16)

物理的魁滅と何等`異るところたきが如くに思はれる︒

では

‑ 0

‑ 0

九 この部分は果して︑商品の慣値に入り込 部分と︑機械︑原料等の消耗資本の阿牧部分として残る部分との二部分これである︒負瘤されるか︑或は個人的消費に入りこむ部分によって負掠されねばならないか︑或は練じて︑蓄精なき社會に於ては負掠の餘地なきか︑その何れであるか︑

まづ︑同定賽本阿牧分について考察しゃう︒

的な計算の複雑さを問題外とすれば︑ 問題は︑保陰は同定査本同牧分によって

と云ふことにたる︒

商晶憤値に入り込むことによつて阿牧される部分は年々の消耗部分のみである︒然し

必ずしも簡箪ではたい︒勿論︑続螢技術

この消耗部分は︑箪純に︑

分によって現はされるであらう︒然し︑その場合に於てもなほ︑物理的磨滅の外に︑意味の上の磨滅︑即

ち経清的磨滅が考へられねばならぬから︑事柄は必中しも簡箪ではない︒

問題にするのは︑天災共の他偶然的事件の故に生する同定賽本の損傷が︑

ところで︑意味の上の崩滅は︑同一種の同定査本の更新憤値

或はその耐久年限以内に技術の愛化が生じて経清債値を喪失した場合にせよ︑

何れの場合に於ても︑事賓上︑

保険料の鯉浣學的性質 同定姿本の残存債値を康用に的せしめるものである︒従って形の上では が低落した場合にせよ されうるや否やを見んがためなのである︒ 同定咲本の胴滅一般と同一親 いま︑我々が︑か4る磨滅を

同定査本の機能的耐久年限による可除

この消耗部分が如何なる大いさのものでなければならぬかは るものであるが︑ 周知の如く︑同定賽本は一括して生査行程内に投じられ 上︑機械︑原料等の諸部分を固定資本を以て代表せしめると

そこ

で︑

いま便宜

(17)

使用の放棄を︑安本の破拭を︑意味するからである︒従つて︑天災其の他による損布は︑経洲的刷減と 災による益然率的灼滅も︑等しく

何故

たら

続沢的刷滅も天

その

保阪料の細浣格的性質

﹁経派的壽命が︑技術的壽命に比して甚だしく短かい︑と云ふ可能性は︑

高が幾分︑高められると云ふことによって勘定に入れられる﹂と︒もし︑この言期が続濶學的に見て︑正

使川ではないにも拘らす︑

な厨

滅も

たほ

従つ

て︑

天災共の他による損傷部分についても云ぴうることに

たるであらう︒何故なら︑保阻と云ふ慕業の成立を可能たらしめてゐるほど︑

﹁確からしさ﹂をもつものであるとすれば︑従つてまた︑偶然的損害が固定衰本の存在に作ふ不可避の損

偽であるたら︑この損害は正さしく固定や︿本の刷滅と同一観されうべきものではないか︑と云ふ主張が成

たゞそれが通常の刷滅と異なるところは︑それが固定査本の正常な使用そのもの

シュミットに倣つて.経渭的な崩滅が同定表本の正常な

廂品慎値を構成するものとすれば︑天災其の他による担告の益然李的

阿様の樅利を主張されなければならなくたるであらう︒然し︑経螢學者`

は正しくはない︒たとへ︑安本家的計罪に於てかくの如きものが費用として計上されるとしても︑

ことは︑経涜學的に見て︑商品憤値形成的と同義に考へられてはたらたい︒ シュミットの言葉

過去の努働たる資本の使川を意味せすして︑むしろ︑その一部分の からは起らないと云ふ島のみである︒ 立ちうるからである︒ 偶然的損害の痰生可能は しいとするたら︑我々は阿じことを固定姿本の ゐ

る︒

ともかくも︑平均銅却 み︑従つて固定資本回牧分として補償されるものであるかどうか︒糾螢學者のシュミットはかう云つて

︱ 1

0

︱ ‑

0  

!) F.  Schmidt, Kalkulation und Preispolitik.  1920.  S.  43. 

(18)

通じて行はれるか︒ 生産と云ふ前提の撤去をも意味する︒これである︒

第 六 巻

. ▲  

"'; 

劾i

では︑それは如何たる機構を その形成が企業

それは社會的生産に闘典する何入かの手によって行はれるも 柚償されねばたらぬことを明かにした︒然し︑蓄積部分と雖

さて︑我々は今や︑祉會的年生商物︑を固定資本及び原糾阿牧分︑ 共に︑固定衰本の磨滅分として商品債値の一部分を構成するものではなく︑牧分として年生産物より牧得せられるものでもたい︒費に入りこむ部分によって︑負控されるとすることは︑ 従つてまた︑同定査本の同

では︑保陰的貨猿は個人的消費に入りこむ部分によって補償せられねばたらないか︒

か\る事賓から︑我々は次の如き結論をうる︒即ち︑哨費を一定

とする限り︑保陰的負櫓は一定庶の過刺生産を前提としなければ考へうべきものではたい︑と云ふこと

即ち︑社會は資本の同牧分と線個人的消費分の外に︑たぽ保瞼基金としての蓄柄分を持た

なければならないことしたる︒保陰が社會的貯蓄であると一本はれる所以である︒

解し︑保院的負揃は最後のものによつて︑

も漠然と形成され︑存在するものはない︒

のである︒而して︑ 線個人的泊費分及び苓積分とに分

その蓄稜分が如何たる経路から入り来るにせよ︑今日の制度では︑

家の手によって行はれねばならぬことは説明するまでもないことである︒

保桧料の繹浣學的性質 すでに消費の制限を窯味し︑従って︑蓄積たき 然し︑個人的泊

(19)

また︑保瞼の成立が全く恣意的なもの︑任意なる節約行為に依存するものと化せしめられてゐることに

右の引用文について︑念の箆め附加するなら︑こ

4では経惰準備としての俣瞼のみでなく貯蓄もが考 保殿の経溝學的研究を試みられた我が園の小島昌太郎博士は︑

﹁計劃的に準備財産を作成すると云ふことは︑

に振向けるについて節約をたすことである︒元来︑ 保瞼を以て準備財産であるとされ︑そ

そのほか通常は相到的に必要と認められてゐるものも含まれてゐる︒詳し

その私経溝所腑員の精神上肉腔上の健康を維持するために要する費用ばかりでな

く︑通常はこれらの外に︑尚ほ謡種の慾望を充たすことを前提として必要とたるべき費用も含まれてゐ

る︒この後の部分は多少これを節約しても︑

へられてゐる︑と云ふことである︒

然し

その生産事業に影轡を及ぽすこともたければ︑またその生

活に危害を及ぼすものでもない︒故に私練惰は相封的必要額の範園内に於ては任意にその支出を節約す ることが出来るものであり︑またこれを節減すれば︑それだけ牧支餘網が生すること

4たるのである﹂

と ︒

いづれにせよ︑右の見解に於ては︑準備財産の形成︑従って

斐0はない︒然し︑我々はかくの如き方法でこの問題を解決してはたらない︒ヴァルドハイムは次のやう に要する費用︑及ぴ︑ <云へば︑哨通に支出必要額と見倣されてゐるもの4

中に

は︑

その私経済の生産事業を逐行するがため る必要のものばかりでなく︑ 私経齊の支出必要額といふもの4

中 に は 紐 野 的 な

の形成過程を次の如くに一云はれてゐるJ

保殿料の鯉浣學的性質

その所得を支出

2)小島畠太郎博士.綜合保疫駆、昭和十4氏 74‑75頁

(20)

に云つてゐる︒

行為の一作用と考へしめた黙に於て︑

為に委ねしめることは問題の放棄である︒また︑小島博士が補足的に附加されてゐるやうに︑

と云ふことを強調することによって︑

ばならぬ︒

我々はまづ︑ヂョン・スチュアート・ミルの資本の報償についての一文の引用から初めやう︒

のやうに云つてゐる︒﹁用途を異にせる資本の報信は︑⁝⁝資本のある稲の用途を他の用途に比してョ

l J 好ましいものとし︑又はヨリ煉悪すべきものたらしめる事情によりて︑

の相異のうちで最も大きいものは危陰の相異によつて惹起されるそれである︒

彼及び彼の財産が絶へす曝されてゐるところの特殊の危瞼に封するところの償ぴをたすため︑

も可成り大なるものでたくてはたらない﹂と︒

のである︒彼ぱ又︑別な個所ではかうも云つてゐる︒﹁我々はある︵安本の︶用途に於て他に於けるより

も︑常に高い利潤李を必要ならしめる諸原因の存することを見た︾特別の危険︑努苦︑不快に封して償

保険料の網浣學的性質

即ち︑彼は危陰負掠費が利潤の中に隠されることを示す

平均より

然し︑企業保陰に闘する限り︑保陰の基礎を任窓の節約行

相異るものである︒

. . . . . .  

然しこ

爆葵製造業者の利潤は︑

= 

: 

彼は次

よって保陰が成立せしめられる所以を︑即ち︑債格機構を通じてそれが成立する所以を明かにしたけれ

保殿を必然化し得るものでもたい︒我々はむしら︑見えざる手に

保険には任意の節約に依存する部分がある︒ ﹁純所得からの貯蓄と云ふ概念は多くの著作者をして

豫算生活

~ヽ

保瞼機能を箪に貯蓄と云ふ経洛

保瞼の國民続滸的認識にとつて不吉なものであった﹂と

3

勿諭

3) H. Waldheim,  Die  Stellung  der  Versicherung  in  der  systematischen  Volkswirtschaftslehre.  Zeitschrift flir  die gesamte  Versicherungswissen‑ schaften. Bd. 26.  1926.  S.  231. 

4) 

J .  

S.  Mill, Principles of Political Economy. edit. by Ashley, 1926. p. 409. 

(21)

据するよりも︑逝かに大きな負挽部分がその購買が危除産業の生産物の睛買に限定されてゐる者によ その生産に危険の含まれてゐたい商品を専ら牌買すろ者が負 また消費財の睛買に費された 次いで 危瞼たき産業に れを消費者に負揖せしめやうとしたウイレットの議論が︑次のやうた奇妙た蹄結にたらねばならたかつ も明かにした︒然し︑こ\で注意すべきは︑保陰基金の形成が商品債格の腕貴を通じて行はれる

保瞼料の鯉浣學的性質

指摘せる通りである︒

も云ふまでもたい︒ このことは荊品を︑その生面に必要な努働の提に債する以上の債伯で販喪する

址と同じだけの比李で他の生産物と交換されるとしたら︑

而し

て︑

彼はま

た ︑

もしも爆薬が︑それを生産するに初めから終りまで必要であった苓働

何人も火薬工場を建設しはすまい﹂と︒

この特別利潤が危陰負控費として保瞼基金の桔成に入るものであること

正裳

にも

特別利潤を得なければならないことは正さに︑ミルの

この特別利潤が廂品債格の膀賀によつて可能とされることを

ふことは︑それが消費者の負稽に於て行はれることを意味するものであってはたちないことであろ︒

たのは鴬然のことである︒即ち︑彼は云ふ︒

﹁もしも危瞼産業に於て生産された商品の債格が静態的水準より高いものとすれば︑

於て生産された他の商品の債格はその静態水準上・り低くたければたらない﹂︒これは正しい︒

﹁危院の負指はすぺての消費者によつて平等に負婚されるものでもたく︑

金額に比例して配分されるものでもない︒ 危険なる用途に於ける資本が平均利潤以上に︑ こ

と によってのみ到逹されうる︒ ひがたければならない︒

と云

~

5) 

J .  

S. Mill, ibid. p. 462. 

6) A. H. Willet, Ecenomic Theory of Risk and Insurance.  1901. p. 57‑58 

(22)

典へられても完全に危陰負婚を果しうるものではない︒

第 六 巻

︱︱

ー一

かくして︑保陰基金の社會的必要最低額を測定

従つて︑個々の衰本家が孤立してゐる限り︑たとへ特別利澗は

﹁儲かる見込みは自然貿被られ﹂競争はこの特別利潤を一定 スミスが夙に指摘したやうに︑

従つてまた︑保瞼基金は線個としての利潤の中から支辮され

つて負披されるものである︒

消費者がもし彼の賭買を静態水準以下の債格の商品にのみ限ることが出来

たら︑消費者は危陰のお蔭で純利得をさへ賓現することが出来る﹂と︒

こみ︑石炭の債格はまた︑

のみの購買者であり︑

ことによって.

潤を押下げる︑ ダイナマイトの憤格は石炭の債格に入り

あらゆる消費財の債格に入りこむから︒

または安全産業の生産物のみの睛買者であることはできたい︒だから︑消費者は

結局︑危陰負撞については︑

従つて︑消費名は危陰産業の生産物

何ものも負換したければ何ものを利得もしたいのである︒

我々はかう考へなくてはならない︒資本が火婆製造業から引上げられて他の特別危陰なき部門に向ふ

前者では供給債格を高めて特別利澗を供給し︑後者では供給債格を低下せしめて平均利

と云ふ風に︒

従つて︑特別危瞼なき部門から危瞼部門へと︑前者の利潤の一部分が流出

して︑査本報酬間の均衡を保つのである︒

る︑と云ふことになる︒

ところで︑個々の危陰企業が牧得する特別利澗の大いさは︑個々の企業が箪獨

で危瞼負捩を完全になしうるほど大なるものではあり得べきではない︒

﹁損する見込は屈々見くびられる﹂から︑

の限界内に止まらしめる作用とも持つ︒

保阪料の鯉浣學的性質 然しウイレットのこの空想は賞現不可能である︒何故なら

7) Willet, ibid. p. 53. 

8) アダム・スミス、國富恥竹内諒二氏諏、上巻、昭和十年• 298‑2?9頁。

(23)

然し

︑ 我々は前項の特別危瞼

3説明の場合に︑箪純に︑これを廂業部門間の利潤の移動によって説切した︐

辮されること

4た

るか

特別危瞼のみを問題として︑ の性質を明かにした︒

さて

保猿料 繹浣學的性質

し︑最も合理的にこれを各個別表本に分稽せしめるところの保陰會祉なるものが︑

こヽで

されたる特別利潤を以て完全なる保陰基金を構薬せしめるところの唯一の社合的制度として現はれるこ

4

たる

以上の説明を以て︑我々は︑火築製造業の如き特別たる危除の下にある専業に於ける保陰碁金 ︒

然し︑火災︑運送事故其他の天災的偶然的損害は必ら中しも︑特別の危瞼として

特定の産業部門にのみ硯はれるものではない︒それは将通危陰

とし

て︑

中︑蓋然率を以て︑附着するところのものである︒

のものが利潤の蓄積部分である︑ 夜

本設備︑商品一般にも︑必ら

ウイレットにせよハーデイにせよ︑従来の危陰論は

︐ 

ヽ ,

咽通危陰は措いて顧みないでゐる︒然し︑かヽる遥日通危陰に対しても︑保

陰基金は構成されてゐなければならないことは説くまでもないことである︒ではこの基金は何虚から支

この説明は未だ究極まで堀下げられたものではなかった︒何故なら︑

と云ふことの精極的説明が輿へられてゐたかったからである︒

果される並"通危陰についての説明は︑同時に前記の不足を補ふものである︒ かくして︑個々の企業の特別利潤は今や︑保険料に轄化される︒

この移動しゆく利澗部分ッて

個々の企業の︑制限

9) C 0. Hidy, R‑is!,  and Riskbearing. 1924.参照。

(24)

作瞼料の細況學的性質

ところで︑最初に明かにしたやうに︑

駿

.  . 

1

偶然的危陰による損害は間題とたる究本財の泊純を意味するも

つて

だから

潤が哨通危瞼部門から

従つ

て︑

さて︑姿本財の遥口通危瞼と雖も︑衰本の釣却分に含められるも3ではたいことは︑

この部分は賃銀︑利子︑地代等の︑企業家によって支彿はるしところ

の代憤に轄嫁されるか乃至は企業利潤の負指するところとならたければたらない︒

理由も存したい︒ 利子等の債格決定原理を雙更せしめる何守の

作業の危瞼や貸付壺本の抒倒危除が賃銀や利子の高さに髪更を典へるとしても︑

る︑と云ふ過程を通じてゞある︒

勿論

理論的な分栃を試みてゐるこヽでは︑

全個として憤値通りに賣られることを前提として居るべきである︒

その

嫁されるとすれば︑それは専ら`生産物債格の膝貴によって︑消費基金としてのそれらの所得に韓線され

かくの如ぎ事賞は︑現賓の過程では起るかも知れない︒然し︑

か\る仕方で問題を解決してはならたい︒我々は常に︑生痒物が

特別危瞼部門へ流入することによって全閥の均衡が條たれることを示した︒従

その場合にも︑生陀物は︑全閤としては︑憤伯通りに賣られてゐることにたるのである︒

我々は普通危限

0場合に於ても︑生産物を憤伯以上に賣らしめ︑その負控を箪純に消費者に負はしめる

ことによつて問題を阿避することは許されない︒ ことはこ\での問題とは別個の事柄である︒

さきの砕別危除の負控の場合は︑利

従つて︑もし︑賃銀︑地代︑利子等が宵涌危陰負換分を轄

料等に脳する宵通危院

3存在と云ふ事買が︑賃銀︑地代︑ ろによって明かである︒

然し︑同定究本︑原 最初に述べたとこ

(25)

かくして我々は︑次の如き結論を得る︒

たゞ特別危瞼の存在は表木間の競手の結果として 即ち︑普通危院のための保陰基金は平均利潤の一部たる蓄稼 たい︒従つて︑費用化されたる表本的支出たる保陰料もまた︑か4ろ苓稜分によって支辮されるもので

衰本的

支出は企業利潤の蓄積分によつて支出されねばなら 費用に轄化される︒ 保殷料の鯉浣的性學質

のではたくして︑反釘に消費の放棄を意味するものであり︑それは表本の喪失である︒そこで︑いま仮り

に︑何等の保瞼基金も典へられてゐたいとすれば︑

て負婚したければならないこにたるのは云ふまでもない︒

決して損盆的支出がなされるのではたいのである︒経螢學者のハクイヤ

ーはかう云つてゐ召﹁偶然的担失が生じた場合︑貨幣支出は我川増加とならないで︑利澗減少︑或は財

産減少である。·…•偶然的損失がこのために準備された額よりも大であった場合には、財森減少が生す

るのである︒﹂と︒勿論︑資本家的計算制度の下に於ては︑豫見しうべぎ妾本的支出は長期間に配賦して

なくてはならない︒ 而して保険料たるものは正さに︑

である︒然るに︑樅績的なる企業に於ては︑

分を以て靡成されるものである︑と云ふことこれである︒

これを要するに、企業保瞼に於ける保陰料は、•それが特別危瞼に闘するにせよ、遥"苅危陰に闘するに

せよ︑すべて利潤よりの控除分をたすものである︒ かとる費用化されたる安本的支出に外たらないの 的支出がなされるのであって 即ち︑こ4では経螢學者の一云ふところの資本 企業家はか\る安本喪失をその咬本自罷の費用に於

︱一八

︱︱八

10) E.  Hatheyer, Vom Wesen der Kosten.  1931.  S.  17. 

(26)

点は存しない︒然し

消費続清に於ける保瞼︑即ち︑家計保院については︑事柄は簡箪であって`網清學的には多く述べる

普通危除部門の生産物の債格を低め︑特別危瞼部門の生産物の債格を高める作用をもつ︒

もたほ︑企業保瞼基金が利澗部分によって構成されると云ふ原則に焚りはたいことは︑

ないこと\する︒

然し

これはすでに︑保険睾者の説いてゐるところであるから︑

消 費 基 金 と 保 瞼 料

近代の保陰學の的興は家計保険の一であるところの生命保除の凄まじい寝展を背

景とするものである︒従って︑我々も︑

保瞼料の紐浣學的性質

も明にする必要がある︒

家計保瞼について一言なしでは︑

家計保陰の前提たるものは所得の節約である︒

ものである以上︑家計保院の輪廓なるものは︑

然し︑それで

すでに見た通り

こ4では述べ

この文章を結ぶことは出来な

家計保険基金負揖が泊費基金より支彿はれねばならぬことは特に設明を要したいであらう︒

企業保瞼と同じ厳密さを以て規定しうるものではたい︒

企業保院に於ては︑偶然的損害の症然的な大いさが保院基金の大いさを規定し︑従って︑その分換部分 而して︑所得の節約なるものが一般に︑極めて任意的の である︒我々はなぽ︑保陰會社の存在が保険基金作成の上に︑

従つ

て︑

如何に合理的な効果をもつものなるかを

(27)

則的には`年々の保瞼基金の蓄蔽額は年々の損害額と相等しく︑ こ\では︑保除的機構が用ひられるのである︒ 質を等しくするものである︒

これに反し︑家計貯蓄保除では︑ は ︑ の蓄租形態たる家屋︑動廂咎の偶然的担害に討抗する保除であり︑

その性 すると︑家計財府保瞼については

他は箪純なる貯蓄の一形態たる保瞼

は貯蓄的なるある大いさが典へられ 保殿料の紐浣學的性質

たる保陰料の大いさもこれによって規定された︒家計保院では必中しも︑

い︒家計保除に於ける保陰基金の大いさを決定するものは家計所得の大いさである︒

るとなる︒この保院は︑ この貯苦豫定額を保陰機構を用ひて分控する︑

る︒従つて︑企業保院とは反封に︑保除料負捻能力が保陰基金の大いさを決定する︒

尤も家計保院に於ては︑性質と異にせる二つの形態を鹿別しておかねばたらたい︒

である

︒前者と家計財

庄保瞼とし︑後者を家計貯蓄保瞼と名付やう︒

いま述べたことは全部的には賞てはまらない︒即ち︑家計財沌保除では︑

成果たるところの動症︑不動府の維持のための保伶基金形成が間題であるから︑

一面︑所得の大いさによって規定されつL

も ︑

︱つは︑泊費甚金

すでに形成されたる貯葉の一

その俣院基金の大いさ

たほ損害額の盆然的な大いさの直接︑規定するとこ

その保陰料が消費基金から支彿はれることを除けば︑企業保陰と概ね`

専ら︑新たたる貯苦の形成が問題とたる︒たゞ一般の貯蓄と異つて

然し︑軍要なことは介業保院及び家計財陀保陰では︑原

保瞼碁金は偶然的担字の生ぜしめたる と云ふことにな 即ち︑この保院で

然し

か\ることは起らた

第 六 巻

0

第 一 毅

0

(28)

空間を充填するにすぎないのに反し︑家計貯蓄保肱に於ては常に︑

へられてゆくことである︒この︷息味に於て︑家計貯蓄保瞼たる生命保陰は損害保瞼とは大いに性質を異

従米︑保瞼學に於ける保瞼本質論争の難点は損害保陰︵我々の企業保陰と家計財

陀似瞼がこれに彫す

る︶と生命保瞼︵我々の家計貯苓保除︶との附者を統一的に吟明することにあった︒

ーは保瞼はすべて損官保陰であると強精し︑また以後の墨者も︑或は偶寝的欲望充足︑

或は経清生活確保等の如き抽象的共逍概念を構成して以て、二つの、性質を異にせるー—'技術的機構の

み等しいところの│ー保瞼を統一的に説明しやうと苦慮した︒

に堕すること\たつて了った︒然しこれら一切の混鋭は︑

異にせるものを︑ に

する

節 六 巻

第 一 輩

この

ため

或は所得形成︑

し︑偏俯を一般的なるものよりの偏俯として取扱ふことを知らたいことから生じたものである︒

か4るものとして取扱ふことこそ︑異ったものを統一的に理解する所以である︒

て︑生命保瞼と損害俣険が如何なる点で異るものであるかはすでに我々の見たところである︒

生命保瞼に闘聯しては︑我々はなほ︑保除の金融的機能を諭すべきである︒

多くの人々によって論ぜられてゐるから︑蛇足を加ふるを要しまい︒

然し

︑ たゞ︑従来︑看過されてゐる一事

賓︑即ち︑損害保瞼に於ては保瞼基金は祉會的蓄積の純増加を意味したいのに反し︑

保瞼料の籾浣學的性質

ワ グ ナ

この問題はすでに

生命保陰に於ては 而し 性質を 損害保除と索計貯蓄保陰の辛

別を距常に理解

然し

その結果は盆々︑無内容たる諒明 ︒

︑︑

0 0

︑畜

ヽ 新たなる貯蓄増加が社會的蓄積に加

(29)

正さに純増加を意味する︑と云ふことを指摘しておきたい︒

保瞼料の鯉浣學的性質

~

参照

関連したドキュメント

ƒ ƒ (2) (2) 内在的性質< 内在的性質< KCN KCN である>は、他の である>は、他の

[r]

61歳一一70St,71歳一80歳,81歳一90歳ノ年齢別 ノ8組二分チ,更二男女別二分類シ限局性緻密

In related research, Lii and Rosenblatt (L&R) (1974) set different conditions from BKS to apply a cubic function for histogram smoothing and derived asymptotic

In related research, Lii and Rosenblatt (L&R) (1974) set different conditions from BKS to apply a cubic function for histogram smoothing and derived asymptotic

Leonard: Elicitation of honest preferences for the assignment of individuals to positions, Journal of Political Economy 91 (1983)

French case system has a case called tonic in addition to nominative, accusative and dative, and all French nominal SFs appear in tonic forms, regardless of what case their

We have seen the place of NyAya among branches of science according to the fourteen-fold division, which Jayanta introduces with the intention of showing a Veda-oriented map