A・スミス﹃国富論﹄における理論構造の
││jいわゆる﹁経済学的三位一体﹂の源流││
目 次
まえがき第一章生産に関するスミスの考察
第一節スミス経済学の一般的特徴
第二節スミスの分業論:::(以上︑第二十九巻第二号所載)
第二章分配に関するスミスの考察 第 一 節 資 本
│
│ 利 潤
H
同日
A‑
スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中)
一 考
察
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( 中 )
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富論
﹄に
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中︶
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第二節H 口
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第 三 節 土 地
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地 代
簡単な総括 労働||労賃
・・
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上︑
本号
所載
︶
第二
虫早
分 配 に 関 す る ス ミ ス の 考 察
第二早においてわれわれがみたごとく︑A・スミスは︑主著﹃国富論﹄の﹁序論および本書の構想﹂において分配
に関
して
論及
し︑
﹁この生産物またはそれで購買されたものが︑それを消費すべき者の数に対する割合の大小に応じ
て︑その国民は︑必要とするいっさいの必需品および便益品を︑十分にまたは不十分に供給されることになるであろ
う﹂
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国富
論﹄
︑﹁
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版﹂
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巻木
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庫版
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版に
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一方に富の総量をおき他方に人口の総量をおいて︑両者の比率によって一国の﹁国民﹂各個人
の得る﹁必需品および便益品﹂の多寡が決るというこのようなスミスの分配に関する考察は︑そのこと自体︑
一国
に
おける生産手段の所有関係・階級関係を無視した誤った議論である︑ということをわれわれは知ったのであるが︑次
に一国における具体的な分配の問題を論じる段になると︑スミスは自らのかかる分配に関する考察とは異なる立場に
内立胃A立つことになる︒彼の眼前の社会における現実の諸階級︑すなわち︑資本家階級︑賃銀労働者階級および土地所有者
階級が︑当然この分配の問題において考躍されざるをえなくなるのである︒現実のブルジョア社会においては︑資本
家は利潤を︑賃銀労働者は労賃を︑そして土地所有者は地代を︑それぞれかれらの収入として得ている︒そこで︑
て や
はこれらの収入はどのように決定されるのか︑ということが分配における重要な問題となるのである︒ところが︑
か
かる問題においてスミスは︑一方でこれらの収入の根拠を正しくとらえ経済学の発展に礎をおくとともに︑他方でこ
の根拠を放棄し通俗的表象をそのまま科学の中にとり入れてしまうのである︒したがって︑次に︑ヨリ掘り下げて︑
彼におけるこのような矛盾はなぜ生じることになったのかということが分配の問題における重要な考祭対象となるの
である︒これらの問題を一二つの節において︑それぞれ
﹁資
本│
│利
潤﹂
︑﹁
労働
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労賃
﹂︑
﹁土地1i地代﹂という
節題のもとに考察してみることにしよう︒
注l
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考察
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後に
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第一節資本
1 1
J利潤
十→
経済学の発展におけるスミスの偉大な功績の一つとして労働価値説の主張がある︒富の源泉を流通過程に求める重
高主義や︑それを労働しかも農業労働のみに求める重農主義に対して︑流通過程でもなく︑農業労働や工業労働といっ
た特殊な労働種類でもないH労働一般uにその源泉を求めるスミスの労働価値説は︑彼の経済学のいわば核心をなす
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国富
論﹄
にお
ける
理論
構造
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考察
(中
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一 一
一 一 一
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スミ
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論﹄
にお
ける
理論
構造
の一
考察
(中
﹀
一一 一回
と同時に︑それ以後の経済学の発展に多大な影響を与えることになった︒彼がその著作の冒頭において﹁あらゆる国
めかわかか弥働は︑その国民が年々に消費するいっさいの生活必需品および便益品を本源的に供給する骨骨(同
5 3
であって︑この必需品および便益品は︑つねにその労働の直接の生産物か︑またはその生産物で他の諸国民から購買
されたものかのいずれかである﹂(前掲音︑
一頁
︑前
掲訳
ω
︑八九頁︑傍点!!高稿)とのべていることはすでにみたところであるが︑これは︑右にみたような重商主義および重農主義に対する根本的批判を意味すると同時に︑自らの立場
を明確に示すρ宜言︒ともいうべきものということができるのである︒
第一編の第九寧﹁資財の利潤について﹂に先だっ第六辛﹁諸商品の価格の構成部分について﹂において︑スミスは
かかる立場において利潤の説明を行い︑次のごとくのべる︒
﹁資財が特定の人々の手に蓄積されるや否や︑かれらのなかのある者は︑勤勉な人々を就業させるために自然に
かれらの労働が原料の価値に付加するものによっ
ある
いは
︑
それを使用し︑かれらの所産を売ることによって︑
て利潤をあげるために︑かれらに原料や生活資料を供給するようになる︒その完製品を貨幣・労働またはその他
の財産のいずれかと交換すろばあいには︑こういう冒険に自分の資財をあえて投じるこの事業の企業家にも︑そ
の利潤として︑原料の価値や職人の賃銀を支払うにたりるものをこえるなにものかがあたえられなければならな
い︒それゆえ︑職人たちが原料に付加する価値は︑このばあい二つの部分にそれ自体を分解するのであって︑そ
の一つはかれらの賃銀を支払い︑他は雇主がまえ払いした原料と賃銀との全資財に対する利潤を支払うのである﹂
(前
掲訳
仙︑
一八
六!
七頁
︑傍
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高稿
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employ it in setting to work industrious people
,
whom they wil1 supply with materials and subsistence,
in order to make a profit by the sale of their wor丸orby what their labour adds to the value of the
materials. 1n exchange the complete manufacture either for money, for labour, or for other goods, over
and above what may be sufficient to pay the price of the materials
,
and the wages of the workmen,
something must be given for the profits of the undertaker of the work who hazards his stock in this
adventure. The value which the workmen add to the materials, th巴refore,resolves itself in this case
into two parts, of which the one pays their wages, the other the profits of their employer upon the
whole stock of materials and wages which he advanced." (Cannan edition
,
p. 50.)U~吋小1)... ~く,,'tくさけりゃ¥lf{目立,r会£必~,lR垣~民主主G思曜斗:t:異トt(l-.;:>~己吋Ç\\--,~寵-w今~~t(lJベJ:二
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111
同A‑スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中)
一二
六
るブルジョア的生産の本質への接近を意味するものである︑ということができるのである︒
注2︑同じようなスミスの主張は第八章にもみられる︒そこでは次のようにのべられている︒﹁ほとんどいっさいの他の労働の生産物もまた︑同じような利潤の控除をまぬかれない︒すべての工芸および製造業においては︑大部分の職人は︑かれらの仕事のための原料と︑それが完成されるまでのあいだの賃銀と生活維持費とをまえ払いして
くれる親方を必要とする︒かれはかれらの労働の生産物の分けまえ︑すなわち︑その労働がついやされることによって原料に
付加される価値の分けまえにあずかるのであって︑この分けまえにこそかれの利潤が存するのである﹂(岩波文庫版川︑二二
二頁
)︒
このように︑利潤を剰余労働から説明することは経済学の発展におけるスミスの大きな貢献を意味するものである
が︑しかしながら︑彼はこのような主張を首尾一貫して主張するのではなく︑
たえざる論理的混乱と自己矛盾の中に
おいて行うのである︒彼は右に引用した文章にすぐ続けて次のごとくのべる︒
﹁雇主が職人たちの所産を売却することによって︑自分の資財を回収するにたりる以上のなにものかを予期でき
ないかぎり︑
かれはかれらを使用するのになんの興味ももてないはずであるし︑またかれの利潤がかれの資財の大
きさに対してある比例をたもたぬかぎり︑
かれは小資財よりもむしろ大資財を使用するのになんの興味ももてない
はずである﹂(前掲訳
ω
︑一八
七頁
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ここでは︑利潤は﹁資財の大きさ﹂によってその量が規定される︑と説明されている︒このような主張は先の引用
文においてもみられるところであって︑その最後において﹁職人が原料に付加する価値﹂
いした原料と賃銀との全資財に対する利潤を支払う﹂とのべられているのである︒ の一部分は﹁雇主がまえ払
スミ
スは
︑
一方で︑利潤は資本家
による賃銀労働者に対する不払い労働部分であるとのべる︒したがって︑利潤量はこの不払い労働部分の多寡によっ
ると説く︒利潤量は︑
自体はスミスの混乱を示すものであるということはできないであろう︒不払い労働部分が増加するということは利潤 て規定されるということになる︒それと同時に︑他方で︑彼は利潤は﹁全資財﹂の大小によってその多寡が決定され
一方では不払い労働部分から︑他方では﹁入手資財﹂から説明されるのである︒だが︑このこと
量の増大を意味するものではあるが︑
それ
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時に
︑
﹁全
資財
﹂
の増加も又利潤量の増大をもたらしうるものだから
である︒というのは︑スミスに従えば︑﹁一雇一主﹂は自らの資本を﹁原料﹂と﹁賃銀﹂とに
﹁ま
え払
い﹂
するのである
が︑もし両者の比率を一定として﹁雇主﹂の﹁まえ払い﹂すべき資本が増加するときには︑﹁原料﹂とともに﹁賃銀﹂
に﹁まえ払い﹂される部分も又増加するのであり︑労働者各個人に払われる﹁賃銀﹂が以前と問一の場合には︑
ヨリ
多くの労働者が新たに雇われることになり︑かくして︑この増大した労働者によヲて行われる不払い労働の資本家に
よる
取得
は︑
その他の条件を不安と前提するならば︑以前よりもヨリ多いものとなるからである︒したがって︑不払
い労働部分による利潤の説明と﹁資財の大きさ﹂による利潤の説明とは︑右にみたような諸前提を考慮に入れるなら
ば︑そのこと自体スミスの混乱を意味するものではないということになるであろう︒ところが︑スミスがここで﹁資
財の大きさ﹂を論じていることは︑右にみたような考察にもとづくものではまったくないということが︑すぐ続く彼
の説明によってたちどころに明︑りかになってくる︒利潤と﹁監督し指揮する労働の賃銀﹂とは異なるものであるとい
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スミ
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国富
論﹄
にお
ける
理論
構造
の一
考察
(中
﹀
一二
七
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スミ
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論﹄
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ける
理論
構造
の一
考察
(中
)
注3うことを主張するために︑彼は︑数字による例解によって︑次のような説明を試みるのである︒
一二
八
スミスによる利潤の
とらえ方を知る上で重要と思われる文章なので︑関連箇所をすべて引用することにしよう︒
﹁利潤は︑使用される資財の価値によって全部的に規定され︑この資財の大きさに比例して大ともなり小ともな
るのである︒たとえば︑ある特定の地方における製造業の資財のふつうの年々の利潤が一割とし︑そこに二つの異
なる製造業があって︑そのおのおのに二十人の職人が各年額十五ポンドの率で使用されている︑
つま
り︑
おのおの
の製造場では年額三百ポンドだけ経費がかかる︑と仮定しよう︒さらに︑前者の製造場で年々に仕上げられる粗悪
な原料はわずか七百ポンドしかかからないのに︑後者の製造場でそうされる比較的良質の原料は七千ポンドもかか
る︑と仮定しておこう︒このばあい︑年々に使用される資本合唱止と)は︑前者ではわずか一千ポンドにしかなら
ないにもかかわらず︑後者で使用されるそれは七千三百ポンドになるであろう︒それゆえ︑一割という率では︑前
者の企業家はわずか約一百ポンドの年利潤しか予期しないのに︑後者の企業家は約七百三十ポンドを予期するであ
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前掲
訳
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スミスが利潤は﹁資財の大きさ﹂によってその決るという時︑彼は明らかに︑利潤は不払い労働
部分の量によって決るという彼自身の以前の命題を放棄しているのである︒スミスの例でいうならば次のようになる
であろう︒その際︑この一一つの﹁異なる製造菜﹂で働く一一十人の﹁職人﹂はその労働の熟練および強度において社会
的平均的な質のものであること︑および︑彼らの労働時間もこの﹁異なる製造業﹂においでほぼ同一であること︑
台、
かることが前提されねばならないQ
さら
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一労働日のうち︑彼らすべてが自らの労働力の価値の再生産のために半
労働日を使い︑資本家の利潤のために残りの半労働日を使う︑
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一労
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半分は支払い
労働部分であり︑半分は不払い労働部分である︑ということである︒この二つの﹁異なる製造業﹂においては︑どち
らも一一十人の﹁職人﹂が各人年賃銀として十五一ポンドを支払われるのであるから︑これらの﹁製造業﹂はどちらも年
賃銀として総額三百ポンドを支出せねばならない︒さて︑スミスの一方の主張に従えば︑年度の終りには二十人によ
る労働の成果としてどちらの﹁製造業﹂もそれぞれ六百ポンドの価値生産物を得ているであろう︒三百ポンドは労働
力の価値として︑すなわち︑支払い労働部分の価値として︑他の三百ポンドはこの労働力の価値以上の価値として︑
A‑スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中)
一二
九
A‑スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中)
。
すなわち︑不払い労働部分の価値として︒利潤は賃銀労働者に対する不払い労働部分の価値であるから︑ニつの﹁製
造業﹂のどちらにも︑使用される﹁原料﹂の多少にかかわらず︑同一額三百ポンドの利潤がもた︑りされるはずであ
る︒すなわち︑﹁原料と賃援との全資財﹂に一千ポンドしか要費しなかった﹁製造業﹂
にも
︑
それに七千三百ポンド
を要費した﹁製造業﹂にも︑それぞれ等しく三百ポンドの利潤がもたらされなければならないのである︒ところが彼
は︑引用文で知られるごとく︑このような主張は行わず︑この二つの﹁製造業﹂で用い︑りれる﹁全資財﹂の多寡に応
じ て
一方は一千ポンドに対する一割として百ポンドが︑他方は七千三百ポンドに対する一割として七百三十ポンド
が︑それぞれもたりされると主張するのである︒したがって︑彼が﹁全資財﹂の多寡に応じたこのような利潤量の規
定を主張する時︑不払い労働部分の量による利潤量の規定は︑
明らかに放棄されているということができるのであ
。
ヲ。
口
さて︑このようにスミスは利潤量の説明において︑まったく矛盾するニつの主張を掲げ︑さらにこの二つの主張を
一つのパラグラフの中で叙述し︑しかも白らのこの矛盾にまったく気づいていないという素朴さなのであるが︑それ
では︑彼がこのような論理的混乱に陥ったのははたしてどのような要因にもとづくものであろうか︒この点を考察し
てみることにしよう︒
さしあたり考えられうることは︑スミスによる剰余価値と利潤との直接的同一視であり︑換言すれば︑両者の発展
関係の理解の欠如ということである︒彼は︑地代が労働者の生産物の一部であること︑利子が利潤の一部でありその
材調も又労働者によって作り出された生産物の一部であること︑このことを認識している︒つまり︑地代・利子およ
び利潤はいずれも労働者の支払い労働部分を超える剰余労働部分であり不払い労働部分であること︑このことを彼は
知っているのであり︑したがって︑事実上剰余価値をとらえているのである︒このように︑ブルジョア社会における
地代・利子・利潤といった分配諸形態をすべて労働者の労働しかも剰余労働に帰せしめ︑かくしてそれらの諸形態を
剰余価値という﹁一般的範曙﹂(﹃学説史﹄︑第二六巻︑第一分冊︑五三頁︑大月版︑六六頁)において事実上つかんでいるこ
と︑このことは経済学の発展における彼スミスの功績ともいいうるものである︒とはいえ︑彼は︑その経済学の展開
において︑この﹁一般的範曙﹂としてつかまえられたもの︑つまり剰余価値をなんら掘り下げて研究しょ⁝っとはせず︑
注4これを彼の経済学の中における一つの独立した範曙としてとり扱おうとはしていないのである︒それのみではなく︑
彼はこの剰余価値を直接に利潤と同一視してしまう︒剰余価値においては︑ブルジョア的生産の本質がもっとも明瞭
に示されているのであり︑支払い労働と不払い労働との関係が手にとるように明白である︒すなわち︑剰余価値は︑
それを生み出す賃銀労働者との直接的関係を一示すものであり︑この関係においては︑剰余価値がこの賃銀労働者の不
払い労働部分であること︑それは資本家がなんら等価なしに無償で労働者から手に入れたものであること︑つまり労
働者の搾取の結果マあること︑これらのことが明瞭に示されるのである︒それ故︑剰余価値においては︑その源泉が
だれの目にも明らかになり︑賃銀労働者と資本家との非和解的な利害の対立がすきとおるようにみえるのである︒と
ころが︑利潤においては趣が異なる︒ブルジョア社会においては︑それが工業に用いられようと︑
あるいは農業に用いられようと︑必ず一定額の利潤をすなわち平均利潤を生み出す︒
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とによってはじめて資本は資本として社会的に認められることになるのである︒
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かかる観念において
は︑利潤がいかにして生み出されるかということの本質的関係ははるか後方に退いてしまい︑この源泉はわからない
ものとなってしまう︒ところが︑現実には︑一定額の資本は必ず一定額の利潤をもたらす︒そこで︑かかる現実的関
速にのみ目を奪われた通俗的頭脳は︑資本がそれ自身利潤を生むという独特の性質をもつものだという表象にとびっ
き︑ここに精神的拠所をみい出すのである︒こうなってくると︑剰余価値の担握によって明らかにされた事実︑すな
わち︑労働がしかも剰余労働が剰余価値のしたがって利潤の源泉であるという事実は︑完全に隠蔽されてしまい︑資
本
利 潤
という表象に象徴きれるような没概念的観念ができあがるのである︒(とはいえ︑
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たる表象に較べて︑はるかにブルジョア的生産の木質をうかがいうるものであるJ
し
たがって又こうなると︑剰余価値のところで明らかにされた搾取の関係はみえなくなり︑資本それ自身は利潤を生み
出すというように︑利潤は完全にその合理的根拠をみい出すことになるのである︒スミスが﹁利潤は︑使用される資
財の価値によって全部的に規定され︑この資財の大きさに比例して大ともなり小ともなるLという時は︑彼はまった
くこのような利潤の立場に立って議論をしているということができる︒なぜなら︑現実に資本が生み出すものは︑剰
余価値ではなくて︑利潤なのであり(それ故︑利潤ば直接に資本との関連を示すものである)︑
それ
は︑
前述のとう
り︑どのような産業に用いられようと︑又賃銀労働者と生産手段とにどのような比率において投下されようと︑
一定
額の資本として必ず一定額の利潤u平均利潤を生むものであり︑ヨリ大きな資本はヨリ大きな利潤を︑ヨリ小さな資
本は湿り小さな利潤を︑生み出すものだからである︒したがって︑こうなるともう利潤は︑概念的にのみならず量的
ドいも剰余価値とほまったく異なろ大きさのものと々ってしまうのである︒剰余価値はブルジョア的生産の本質を示す
概念であり︑利潤はブルジョア的生産の現象を一示す概念である︒スミスのすぐれた科学的本能は︑この本質をえぐり
だした︒と同時に︑彼は︑この現象をも認識している︒だが︑たんに両者をそれぞれ無関係に知っているというので
は︑科学的認識としては決定的に不十分なものであるといわねばならない︒重要なことは︑この両者がどのような内
的関連において結びコいているか︑
ある
いは
︑
かの本質的関係が何故に又いかにしてかかる現象をとるかを明らかに
することである︒そして︑そのことは又︑この現象がいかにかの本質的関係を腎蔽しているかを暴露することをも意
注5味するものである︒スミスは︑この両者の相違と関連を正しく把握しえず︑直接に両者を同一視してしまい︑そのた
めに︑先にみたような論理的混乱に陥ってしまったわけである︒
注4︑これに対して︑この剰余価値の概念をその経済学の最も基本的な範鳴としてすえ︑これによってブルジョア的生産の本質
を解剖したのがマルクスである︒彼はエンゲルスへの一八六七年八月二四日付の手紙で︑﹁僕の本のなかの最良の点﹂として︑﹁労働の二重性﹂とともに︑﹁剰余価値を利潤や利子や地代などというその特殊な諸形態から独立に取り扱っているという
こと
﹂を
あげ
てい
るこ
とは
︑周
知の
とこ
ろで
ある
︒
注5︑マルクスの周知の命題がここで思い出されねばならぬ︒いわく﹁もし事物の現象形態と本質とが直接的に一致するなら
ば︑およそ科学は余計なものであろう﹂Q
資本
論﹄
︑第
三巻
︑ィ
ンス
ティ
テュ
lト
版︑
八七
O頁︑長谷部訳︑青木書底版川︑
一一
五二
頁︑
以下
﹃資
本論
﹄か
らの
引用
はす
べて
この
版に
よる
)と
︒
ところが︑このような両者の直接的な同一視は︑当然関連する他の問題にも影響を及ぼすことになる︒たとえば︑
ブルジョア的生産の発展の必然的結果たる利潤率の低下現象についてのスミスの説明をみてみることにしよう︒
﹁資財の利潤の上昇および下落は︑労働の賃銀の上昇および下落と同一の諸原因に︑つまり社会の宮が増加状態
にあるかまたは減衰状態にあるかに依存するが︑これらの原因は︑前者と後者とにいちじるしく異なる影響をおよ
A‑スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中)
一 一
一 一 一
一
A‑
スミ
ス﹃
国富
論﹄
にお
ける
理論
構造
の一
考察
ハ中
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一三
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資財の増加は︑賃銀をひきあげるけれども︑利潤をひきさげる傾向がある︒多くの富んだ商人
の資財が同一事業にふりむけられているばあいには︑かれら相互の競争は自然にその利潤をひきさげる傾向をも
ち︑また同一社会で営まれるあらゆるさまざまの事業の資財が同じように増加するばあいには︑同一の競争がすべ
ての事業で同一の効果を生じるにちがいないのである﹂ハ岩波文庫版川︑二六六頁︑ただし
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するものであるQ事業のあらゆる部門で使用される大資財と︑富んだ多数の競争者とは︑一般に前者における利潤
率を後者におけるそれ以下にひきさげる︒しかしながら︑労働の賃銀は︑一般に大都会のほうがいなかの村よりも
高い︒裕福な都会では︑使用すべき大資財をもっている人々は︑しばしば白分たちが飲するだけの数の職人を獲得
でき
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か︑
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できるだけ多数を獲得しようとたがいにせりあうのであって︑それが労働の賃銀をひきあげ︑資財
Gi'æ寝込)わ的判去のG~ノキii;N:' ð二4子会G~製匪幸子R千ノ~;_)'~_)~~て\JG<(々-w忠臣トテ0斗;ê!心的出-'-\)G出;;Iri('R~
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11
4‑111
回yIt generally requires a greater stock to carry on any sort of trade in a great town than in a country
village. The great stocks employ巴din every branch of trade, and the number of rich competitors, gene‑
rally reduce the rate of profit in the former below what it isin the latter. But the wages of labour are
generally higher in a great town than in a country vi11age. In a thriving town the people who have great
stocks to employ
,
frequent1y cannot get the number of workmen they want,
and therefore bid against oneanother in order to get as many as they can
,
which raises the wages of labour,
and lowers the profits ofstock. In the remote parts of the country there is frequently not stock sufficient to employ all the people
,
who therefore bid against one another in order to get employment
,
which lowers the wages of labour,
and raises the profits of stock." (ibid.
,
p. 91.)娘
1
!悪路-F~昨「賦龍8~寵斗やニドJ!18てふヰヰヤニN:')J811やQわ<~時斗竺'~駆除Q思1ι~-@:!10ニヤQま~~単宕~題-i:j漏~:灸J1ドペ♂~\Jニ的。いよこq二今0'~弐~\mト遣制制
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国富
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理論
構造
の一
考察
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﹀
一 二 一 六
社会で営まれるあらゆるさまざまの事業﹂の問題としているということがわかる︒したがって︑利潤率は︑個々別々
さまざまな資本種類聞の競争の結果形成される一般的利潤率の問題として考察されているのであの利潤率ではなく︑
だが︑このようなスミスによる利潤率の低下の説明は︑果して当をえたものであろうか?すでにのべたように︑ る
﹁資
財﹂
n資本は︑それがどのような産業種起に投じられようと︑又それがどのような内部構成(日資本の有機的構
成﹀をとろうと︑一定額の資本として必ず一定額の利潤u平均利潤をもたらす︒
つま
り︑
一定額の資本は︑そのうち
の賃銀に支払われる部分の比率いかんにかかわらず︑必ず子たる一定額の利潤をもたらすのである︒したがって︑利
潤率u一般的利潤率は︑賃銀とは直接にはまったく無関係に決定されるものであり︑又との低下傾向も賃銀部分の比
率とは直接関係なく低下する傾向をもたぎるをえないものである︒それ故︑賃銀が増加するから利潤率が低下すると
とうてい受け入れられない議論一であるといわねばならない︒
一 V
ば︑それは周知のように投下総資本に対する剰余価値の比率︑すなわちm
一十をあらわすものであるから︑V部分つ一 円 し
まり可変資本部分
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賃銀部分﹀が増大することによって利潤率が低下するということは勿論ありうることである︒ いうスミスの主張は︑
とは
いえ
︑
たんに利潤率といえ
だが︑今ここでの対象たる利潤率は︑右にみたように﹁同一社会で営まれるあらゆるさまざまの事業﹂の聞の競争の
結果もた︑りされる一般的利潤率である︒したがって︑この一般的利潤率の傾向的低落の説明において︑これを賃銀の
増加から説明するということはまったく誤ったことであるといわねばならないのである︒
Av‑‑AX晶 ︑
+fAM スミスが賃銀の増加が利潤率をひきさげる傾向をもっというとき︑この利潤率を剰余価値率ととらえるなら
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彼はまったく正しい︒剰余価値率は︑これもやはり周知のごとく︑可変資本部分に対する剰余価値の比率であ
り︑すなわちm一
V
であらわされる︒したがって︑いま労働日を一定としさらにその他の条件を不変と前提するなら ば︑可変資本部分
( n
賃銀部分)の増大は︑直接に剰余価値率の低下をもたらし︑
さらに剰余価値量の減少を結果す
るものである︒つまり︑賃銀の増加が剰余価値率および剰余価値量の減少をもたらすのである︒スミスが﹁労働の賃
銀﹂の増加が﹁資財の利潤﹂をひきさげるというとき︑彼は右にみたような賃銀と剰余価値との関連を念頭において いたのだということが想像できよう︒とはいえ︑彼は剰余価値を直接に利潤と同一視してしまう︒ぞれ故︑プルジヨ ア的生産の発展の必然的帰結たる利潤率の傾向的低落というすぐれて現実的な問題の解明のさいに︑彼は直接にこれ
注 6 を賃銀と剰余価値という本質的関連から説明するという論理的な混乱に陥ることになってしまうのである︒利潤と剰 余価値とを直接に同一視してしまうというスミスの誤謬は︑
注7ぇ︑混乱を拡大することになるのである︒ 必然的結果として︑
このような他の問題にも影響を与
注6︑スミスは他の箇所においても利潤率低下の説明を与えている︒たとえば︑第二編第四章﹁利子付きで貸付けられる資財について﹂においては次のようにのべている︒
﹁ある国で資本が増加すると︑それを使用することによって獲得しうる利潤は必然に減少する︒その国内で︑ある新しい資
本の有利な使用方法を発見することはし︑たいにますます悶難になる︒その結果として︑さまざまの資本のあいだに競争がおこり︑一つの資本の所有者は︑もう一つの資本の所有者が従事している仕事をもわが手におさめてしまおうと努力するようにな
る︒ところが︑たいていのばあい︑かれは︑いっそう合理的な条件で取引するという手段に訴える以外︑他の人をこの仕事から押しのけたいと望んでも全然できない︒かれは︑自分がとりあつかっているものを多少とも安価に売るばかりではなく︑わ
れを売るためにも︑ばあいによっては比較的高価に買わなければならない︒(参考までに︑わたくしが傍点を付したこの部分
は竹内謙二氏によってこう訳出されている︒﹁また︑この売るものを仕入れるためには︑時には他者よりもいくらか高く買わねばならぬ︒﹂東京大学出版会︑中︑四四O頁
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高橋)生産的労働に対する需要は︑それを維持するために予定されていろ基金
A‑
スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察︿中)
一三
七
A・スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中V
一三
人
の増加によって︑日に日にますます増大する︒労働者たちはたやすく仕事をみいだしはするけれども︑資本の所有者たちは使
用すべき労働者を獲得することが困難になる︒かれらの競争は労働の賃銀をひきあげ︑資財の利潤をひきさげる︒とにかく︑
資本の使用によって獲得しうる利潤が︑こういうふうにしていわば両端から減少される:::﹂(前掲書︑三一二五頁︑前掲訳川︑
三八
O
頁 )︒
みられるとうり︑ここでは先にみた賃銀と利潤との対立関係からの利潤率の低下という説明とともに︑他の要因も加えられ
てこの低下が説明されている︒すなわち︑資本家間の競争の結果︑資本家は﹁彼の商う品物を他者よりもいくらか安く売らね
ばならぬのみならず︑また︑この売るものを仕入れるためには︑時には他者よりもいくらか高く買わねばならぬ﹂(この訳は
すべて竹内氏のものである﹀から︑結局資本家にとってはH収入︒が減りH支出uが増える結果﹁利潤﹂が減少するというの
である︒ブルジョア的生産においては︑資本家間の競争は一時的・例外的なものではありえず︑恒常的・一般的なものであ
る︒したがって︑﹁一つの資本の所有者﹂が他の資本家を駆逐しようとして行う安売りは︑けっして一時的なものであること
はできない︒たえず別の競争者の安売りが﹁一つの資本の所有者﹂の利益をおびやかすのである︒ぞれ故︑かれは競争に生き
残るためにたえず自らの商品を安く売らねばならない︒ところが︑商品を安く売り競争にうち勝つためには︑なにはともあれ
ヨリ優秀な機械あるいは道具を導入し廉価な生産物を大量に生み出さねばならない︒したがって︑機械あるいは道具といった
﹁資財の増加﹂が競争の結果もたらされることになる︒さらに又︑﹁売るものを仕入れるため﹂に﹁高く買わねばならぬ﹂と
いうこと︑換言すれば︑高い原材料等の購入も同様に﹁資財の増加﹂をもたらすことになるのである︒生産手段のかかる増大
は当然その価値且一旦の増大も結果するものであって︑かくしてかかる可変資本に比しての不変資本の漸次的増大が多かれ少なか
れ社会のすべての生産部面に拡大してゆくならば︑(剰余価値率を一定と前提して︑)利潤率l一般的利潤率は傾向的に低落せ
ざるをえないであろう︒したがって︑スミスがここで利潤率の低下する要因として︑資本家が﹁彼の商う品物を他者よりもい
くらか安く売らねばならぬのみならず︑また︑この売るものを仕入れるためには︑時には他者よりもいくらか高く買わねばな
らぬ﹂からであると説明するとき︑右にみたごとき点を考慮に入れてみてみるならば︑彼はこの低下の要因の正しい把握に接
近していたということができるであろう︒とはいえ︑彼においては︑﹁資財の増加﹂は︑不変資本の漸次的増大を意味せず︑た
んに賃銀の増加としてつかまえられているにす︑ぎず(だが︑スミスにおいて﹁資財の増加﹂がたんに賃銀の増加のみを意味す
るものでないこと無論である︒たとえば︑第八章においては︑﹁資財の増加﹂が﹁最善の機械の労働者への供給﹂としてもつか
まえられている︹前掲書︑八八買︑前掲訳川︑二六四
l
五頁余/照︺︒)︑又︑賃銀の増加が利潤率の低下をおこすという混乱した表象と右にみた説明とが並置されているのであり︑なるほど彼は︑この現象を司認識し︑これを説明しようと試み︑しかも正
しい説明に接近したとはいうものの︑その接近もさまざまの混乱と欠陥とを伴ったものであるといわねばならないのである0
マルクスはこの点を次のようにのべている︒
﹁この法則ハ利潤率の傾向的低落の法則
l l
高橋)はこれまでの展開によれば簡単に見えるが︑この法則の発見は︑後段に
見るであろうように︑従来のどの経済学によっても殆んど成功しなかった︒従来の全経済学は現象を認め︑矛盾した諸々の試
みによって解釈しようと苦心した︒ところでこの法則は資本制的生産にとって甚だ重要なものであって︑アダム・スミス以来
の会経済学ではこの神秘の解決が中心問題をなし︑A‑スミス以来の相異なる学派閥の区別はその解決の試みの相違にある︑
ということができる︒しかるに他面︑従来の経済学は不変資本と可変資本との区別を捜しまわったがはっきり定式化できなか
ったこと︑また︑剰余価値を利潤から引離して叙述せず︑利潤一般をその相異なる相互自立的な諸成分すなわち産業利潤・商
業利潤・利子・地代と区別して純粋には叙述しなかったこと︑また︑資本の有機的構成の相違したがってまた一般的利潤率の
形成を根本的には分析しなかったこと︑││そうしたことを考えてみれば︑従来の経済学がこの謎の解決に成功しなかったこ
とも謎ではなくなる﹂合資本論﹃第三巻︑二回
O
一l
一貝
︑長
谷部
訳︑
青木
室百
底版
刷︑
三一
四頁
﹀︒
注7︑このようなスミスの混乱した主張を知るにつけて︑われわれは︑科学的経済学が剰余価値を利潤・地代等から峻別し一つ
の独立した範曙としてその体系の基本にすえたことの巨大な意義を知ることができるのである︒これこそ︑スミスは勿論のこ
とそれ以降の経済学者のだれ一人としてなしえなかったことであり︑したがってマルクス以前のだれ一人としてブルジョア的
生産の本質を適確に把握しえなかったのである︒
この
よ︑
つに
︑ スミスは剰余価値と利潤とを直接に同一視したことにより︑利潤の量的規定において二つの相反する
主張を並置することになり︑
さらに︑利潤率の傾向的低落を説明するさいにも︑混乱した主張・矛盾した議論を展開 することになってしまうのである︒
A・スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察(中﹀
二ニ
九
A・スミス﹃国富論﹄における理論構造の一考察︿中)
一回
O
(三司
さて︑次にわれわれは︑﹁資財の利潤﹂と﹁監督し指揮する労働の賃銀﹂とはまったく異なるものであるとするスミ
スの主張を検討してみることにしよう︒彼は︑先にわれわれが引用した文章(本稿一二八頁参照)の直前においてこうの
べている︒ハ先の文章も以下引用の二つの文章も向じパラグラフの中におさめられているものである︒理解の便宜上先の引用文中
の最初の文章を重複して掲載しておくことにしよう︒)
﹁資財の利潤というものは︑特定部類の労働︑つまり監督し指揮する労働の賃銀に対する別名にすきない︑と考
える人があるかも知れないQけれども︑利潤は︑労働の賃銀とはまったく異なるものであり︑それとは全然異なる
諸原理によって規定されているのであって︑監督し指揮するというこの想像上の労働の量や辛苦または創意とはな
んの比例をもたもたないものである︒利潤は︑使用される資財の価値によって全部的に規定され︑この資財の大き
さに比例して大ともなり小ともなるのである﹂(岩波文庫版川︑
一八
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