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「インド官僚制度に思うこと」 前駐インド大使 榎泰邦氏

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Academic year: 2021

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「インド官僚制度に思うこと」 前駐インド大使 榎 泰邦 はじめに 今回のインド在勤を通じいくつかインドを羨ましいと思うことがあった。1960 年代の高度成長時代の日 本を彷彿とさせる経済活力と横溢する将来への楽観主義もその一つであったが、ちょうど日本で官僚バッ シングが時代風潮とも言うべき時期に当っていただけに、国を支えているとの強烈な自意識とそれを可能 にする制度的枠組みを持つインド官僚制度に対しては心から羨ましく感じた。 そもそも、官僚に強大な権限が与えられるのは、絶対王政下での「国王の勅任官」を除けば、昔から植民 地統治と社会主義統制経済下と相場が決まっている。インドは、英国植民地時代とネルー政権後の社会主 義政策と双方とも経験するなかで、ICS と IAS(インド高等文官)制度を育ててきた。その意味では、イ ンド官僚制度は歴史的所産であって、経済自由化の進展とともに変革を余儀なくされる運命にあるとも考 えられる。天皇の官吏および戦後統制経済下で大きな権限を与えられた日本の官僚制度が変革を迫られた のと同じ道をいずれは歩まざるを得ないとの見方もあり得よう。 しかし、私にはそう簡単に決めつけられないのではないかとの思いがある。インドは、古代インド・マウ リア朝の名宰相カウティリアが書き残したと言われる「アルトシャストラ」(実利論/君主論)の国であ る。この国家統治論は、「国家経営の要諦は、法秩序の維持と十分な行政機構にあり」から始まる。因み に、カウティリアはチャナキャプリとも呼ばれ、現在、日本大使館も所在するニューデリーの大使館地区 の名称として残っている。5千年という長い歴史の中で数多くの王朝の興亡を経験し、16~17世紀に は明、オスマントルコとともにユーラシア大陸を三分したムガール帝国興隆の歴史を通し、また英国植民 地統治の経験から、インドには「国家統治には、優秀な官僚制度という背骨が必要不可欠である」との確 固たる政治哲学が根付いているように観察される。そうであるならば、我が国の官僚制度を考える上でも、 時代の要請に応じて変革を試みることは当然としても、インドの歴史の知恵に学ぶところもあるのではな いか。 こうした思いから、私がインド官僚制度の如何なる点に興味を持ち、また羨ましさを感じたかについて主 観を交えて書いてみることにした。従って、本稿はインド官僚制度の詳細な解説を意図したものではない。 この点は、拙著「インドの時代」(出帆新社)をご参照頂ければ幸いである。 1.社会的敬意と高い期待 インドで名刺交換をすると、肩書きの代わりに単に「IAS」と刷り込んだ名刺に出会うことが多い。IAS は Indian Administrative Service の略であり、「インド高等文官」とでも訳せばよいであろうか。この肩書 きは、時として、IFS(Indian Foreign Service、外交職)であったり、IPS(Indian Police Service、警 察職)であったりする。会社社長といってもピンからキリまであるし、政治家も次の選挙で落選するかも しれない。それに対し、IAS は、全国統一ブランドであり、かつ、一度 IAS に採用されれば、一生使用で きる肩書きとなる。その意味で、IAS はインドでもっともブランド力の高い肩書きであり、IAS ブランド に対する社会的敬意と期待には極めて高いものある。

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歴史的伝統、及び超エリート選抜制度としての IAS 制度に対する社会的信頼度、の2つであると観察して いる。

先ず、英国植民地官僚制度(ICS、Indian Civil Service)であるが、ここでは制度そのものの解説は省く (ご興味のある方には、講談社選書、本田毅彦著「インド植民地官僚~大英帝国の超エリートたち」をお 奨めする)。インド亜大陸のほぼ全域を統治した例は、歴史上、アショカ大王のマウリア朝、ムガール帝 国そして大英帝国の3度しかない。英国は、現在のビルマ、パキスタンを含む広大なインド亜大陸を、1 千人の官僚群と1万の陸軍で統治した。インド副王を勤め、後に外相になったカーゾン卿は、「我々は、 インドを支配する限り常に世界最大の強国たりうる。もし、インドを失えば、残った植民地は何の価値も なくなり、英国はたちどころに三流の小国に転落する。」と述べた。このインドを統治するために、英国 は優秀で野心に溢れる人材を投入した。そして、人材選抜のために用意されたのが、ICS 制度であった。 ICS 制度の導入は 1855 年であるが、英国本国で有力者推薦による情実人事がまかり通っていた時代に、 一切の情実人事を排し、試験結果によってのみ選抜した。試験合格者は、採用後 10 年、30 歳前半で県知 事として地方行政の一切を委ねられ、更には州総督への道も開かれていた。給与面でも恵まれ、インド政 庁の局長レベルで、現在価で年収 2~3 千万円を支給され、25 年間勤務すれば 700 万円相当の年金が保証 されていた。当初は、英国人に受験資格が限定されていたが(合格者の 80%がオックスフォードないしケ ンブリッジ大学出身)、次第にインド人にも開放され、インド独立前夜にはインド人が ICS 構成の半分を 占めるにまで至っていた。 1947 年の独立後、新政府として如何なる官僚制度を設計するかが重要課題となった。種々の経緯を経て、 新政府は、基本的に ICS 制度を継承しつつ IAS 制度として発足することに決定した。但し、ICS と異なり、 (イ)IAS 文官は中央政府と地方政府の双方に奉仕する「二重任務」とする、(ロ)そのため、採用後、IAS 文官には退官まで一貫して担当する州を特定し、中央政府と担当州勤務とを往復させる、(ハ)中央政府と 地方政府による制度の共同管理体制を敷き、中央が一元的人事権を有する一方で、地方は給与などの経費 を負担する、等の制度設計を行った。「二重任務」という形で、変革は行われたが、インド官僚制度には ICS 以来の1世紀半に亘る歴史の裏付けがあり、この伝統が現在の IAS 制度に対する評価を支えている。 次に、超エリート選抜メカニズムとしての IAS 制度に対する信頼度がある。伝統だけでは、風化するだけ である。制度として機能しているとの実績の裏付けが必要である。インド高等文官に採用されるためには、 高等文官試験(CSE、Civil Service Examination)という共通試験に合格する必要がある。CSE 試験合格 者は、毎年、概ね 400~500 人であり、1 番からビリまで成績順位が発表される。2006 年度はこの試験に 38 万人が応募した(実際の受験者数は 20 万人)。CSE 合格後に用意されているのは、税関、国税庁、国 鉄採用など 28 職種に細分化されている。このうち、中央省庁幹部用に用意されているのが IAS で、これ に外務 IFS、警察 IPS を加えた3職種が御三家としてもっとも権威があり、上位合格者のみが採用される。 毎年、IAS が 90 人前後、IFS と IPS が各 10 名前後、御三家合わせて 110 名前後と狭き門である。即ち、 御三家に限れば、受験申し込み者総数 38 万人から 100 名余のみが採用される訳で、実に競争率 4 千倍近 い厳しい選抜となる。因みに、我が国の国家公務員第一種試験の場合は、概ね 14 倍前後の競争率になって いる(2010 年度は、申込者総数 26,888 人に対し、合格者数 1,314 名と 20 倍の競争率)。

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過去の試験例題を見ると、足切りの一次試験では「ランゲルハンス島の所在地いかん」(答;「膵臓」)、 と言った奇問の類があるかと思うと、「プロゴルファーのビジェイ・シンの出身国は?」(答;フィジー) などの一般常識までまことに幅広い。但し、本試験で実際に点差がつく論文試験では、受験者の思考能力 と論理構成力が評価の対象となる。例えば、数年前の例では「最近の SAARC 首脳会議については、何の 成果も生まなかったとの評価がある一方で、画期的な成果を挙げたとの評価もある。それぞれの評価につ いて解説せよ。」が出題された。そうかと思うと、「インド/パキスタン分割は不可避であったと考える か。また、本問題に対するマハトマ・ガンディー、ネルーおよびマウラナ・アザドの立場について論ぜよ。」 との出題もあった。 最終関門の面接試験では、高等文官としての適正が評価される。加えて、30 歳未満との年齢制限が課され、 かつ受験回数も 4 回までと制限されているので、苦節 10 年型の受験生が入り込む余地は無い。結果とし て、優秀な頭脳と幅広い常識、バランスのとれた判断力を有する人材が選抜されることになる。また、採 用後も若くして州政府で要職につき、リーダーシップと調整力が厳しく問われることとなる。一定年齢ま では、中央と地方とをほぼ均等に往復するが、ふるいにかけられる中で、中央政府での出世組と地方政府 滞留組とに分かれてくる。 2.政・官間での明確な役割分担 インドは世界最大の民主主義国家、とはよく引用される言葉である。歴代米国大統領の訪印では必ずこ の言葉がスピーチに入る。独立以来、一度もクーデタ騒ぎがなく、選挙による民主的手続きを経て政権交 代が行われてきた。2004 年総選挙で、よもやの大敗北を喫した BJP 党のバジパイ党首は、「BJP は負け たが、インド民主主義は大勝利した。」との名言を吐いて下野した。従って、「政治」が政策決定に責任 を持つとの原則が確立している。そもそもインドの独立達成そのものが「政治」の勝利であり、独立後の 「国のかたち」を決したのも「ネルー政治」であった。実際、言葉達者との特性もあるが、自らの識見と 力量でダボス会議や国際会議で中心的役割を果たす政治家リーダーも少なくない。 その一方で、行政の執行は官僚に全面的に委ねるとの原則が確たるものとなっている。もとより、政治 家と官僚との接点は明確に線を引けるものではなく、実際の政・官の関係は現場に身をおく者にしか分か らない。しかし、大使としてインド政府と接する限りにおいて、インドの官僚は実に自信に溢れ、かつ明 確な責任意識をもって職務を遂行していることが看取された。任国によっては閣僚クラスと直接やり取り しないと相手国の判断を確認できない場合も多い。インドにおいては、儀礼上の理由から閣僚を表敬する ことはあっても、こと実務に関する限り次官、局長レベルの高官との遣り取りで全てことが足りた。2004 年 5 月総選挙を経て、BJP からコングレス党へと政権交代する前日、懇意にしていた首相経済顧問(財務 次官経験者)を訪問し、これまでの協力に感謝するとともに新政権への対応ぶりにつきアドバイスを求め たことがある。経済顧問は、政権は変わっても自分の席に座るものは、同じ思考方法と論理(the same language)で与えられた課題に答えを出すので何ら心配するには及ばない、と述べていた。首相経済顧問 ポストは歴代、原則、財務次官が就任している(但し、経済政策通のマンモハン・シン首相は経済顧問を 任命せず)。政権は代わっても、官僚として担うべき責務は、官僚としての論理で淡々と遂行していく、 との気概を感じ取った次第である。

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こうしたインド官僚の確固たる職務権限を担保しているのが、憲法による公務員の地位保障である。即 ち、インド憲法第 309 条~第 312 条で、高等文官の地位につき、(イ)大統領によって任命される、(ロ) 大統領の意思に反しない限りその職を保持し、任命権者たる大統領以外から罷免または解任されることが ない、(ハ)問責の理由を告げられ、その問責に関して弁明する機会が与えられた調査の後でなければ、罷 免、解任または降任されることはない、等々が規定されている。平易に言えば、刑事訴追によって有罪と なる等特別の事情による場合を除き、ひとたび高等文官として採用された以上、罷免、解任、降任される ことはない、ということである。即ち、大統領でない限り、首相、閣僚、州首席大臣といえども、高等文 官を解任できない。インド大統領は原則として政治的権限は行使しない立場にあるから、インド高等文官 は、身分保持に関する限り政治からは完全に独立していることを意味する。 ここで、インド官僚制度が少数精鋭主義を取り、一人一人の高等文官の職務権限が広いことに付言して おきたい。中央省庁幹部候補生数につき、日印を比較すれば、わが国の国家公務員第一種試験合格者数が 毎年 1,500 人前後(2010 年度は 1,314 人に減少)であるのに対し、インドの IAS、IFS、IPS 御三家採 用数は 100 名余である。圧倒的に少ない官僚数で国家行政を支えているわけである。インド政府各省庁の 規模につき、単純に公務員数だけで捉えると間違えを犯すこととなる。例えば、インド外務省であるが、 職員数 3,340 人と、わが外務省の 20 年前の規模に相当する。しかし、この大部分は、お茶くみ、案内係、 秘書であり、実務に携わる外交旅券保持者に限れば、本省、在外合わせ約 1,000 人でしかない。本省に限 れば、全体 1,400 人のうち、外務省プロパー250 人、他省庁出向者 150 人の僅か 400 人となる。こうし た少数精鋭で全インド外交を支えているので一人当たりの責任と権限がそれだけ大きくなる。インド外務 省の対日外交ラインとなると、東アジア局長、北東アジア課長、日本担当の 3 人しかいないので、偶々こ の 3 人のいずれもが不在となると、訓令の執行すらできなくなる。外務省以外の省庁では、概して全職員 数に占める高等文官数のシェアは更に低くなる。大部屋主義をとるわが国の行政は、どうしてもグループ で職務と責任を分担するとの意識が勝る。これに対し、インドの高等文官は一人一人がそれぞれの職責を 担い、国家行政に全責任を負うとの意識が強い。 3.十分な経済的保障(手厚い年金) インド公務員の給与水準は、公務員給与審議会という独立機関の諮問によって閣議決定されるが、2009 年、同審議会は高等文官給与を概ね 3 倍に引き上げる勧告を提出した。さすがに、国民の間でも関心の的 となったが、政府は、同年 3 月勧告をそのまま受け入れる閣議決定を下した。これにより、例えば、各省 次官クラスの給与は月額 2.6~3 万ルピーから 8~9 万ルピーへと引き上げられた(1 ルピーは約 2 円)。 本来、インド官僚制度の設計にあったては、高等文官が安心して公務に専念できるように、身分保障と ともに安定した経済的保障を確保するとの原則が前提になっていた。しかるに、経済的保障の方は、予算 措置を伴うだけにそう簡単には運ばない。民間経済の発展が停滞していた 1980 年代までは、経済界の給 与水準も低く相対的に高等文官給与も見劣りしなかったが、90 年代に入り自由化政策の下で経済発展が急 速に進むと IT 企業などを中心にして民間給与水準が大幅に引き上げられていく。特に、2000 年以降はこ の傾向が著しく、高給による優秀な人材の引き抜きが活発化してきた。しかるに、財政緊縮下で給与改善 が遅れていたことから、当時、高等文官の給与水準は低く抑えられたままで、局長レベルで月額 2 万ルピ

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ー(約 4 万円)前後、次官クラスで 3 万ルピー(約 6 万円)でしかなかった。高等文官には、公務員宿舎 提供、専用車の提供など給与以外の特典が与えられてはいるが、20 年の職歴を経て漸く局長職に就いて、 IT 企業の初任給と同じレベルと言うのでは志気にも影響してくる。現に、優秀な人材が官から民に流れ、 以前ほど優れた人材が IAS に集まらなくなるとの傾向が出てきていた。今回の措置は、かかる傾向への危 機感の表れであり、また、高等文官制度を護るとの政府の強い意志の表明であろう。 確かに、必要ならば一挙に 3 倍もの給与引き上げ措置を採るとのインド政府決定は、特筆に値する。し かし、考えようによっては、わが国の人事院勧告と同様の制度があれば、毎年調整すべきであった給与水 準見直しを、過去手が付けられなかったために一挙に調整を図っただけとも言いうる。むしろ、私が率直 に羨ましいと思うのは、高等文官に対する手厚い年金制度である。現役時代には年金制度には関心を寄せ る時間的余裕もなかったが、いざ、退官してみると、現役最終給与の5分の1程度という年金額の低さに 唖然とし、せめて現役時代給与の半額は欲しいと思うのは私だけではなかろう。 インド高等文官が退官後、60 歳から受領する年金額は「現役最終ポスト給与額の 50%」となっている。 ご注意頂きたいのは、現役最終給与ではなく「現役最終ポスト給与」となっていることである。この心は、 退官後、最終ポスト給与が引き上げられれば、年金もそれにスライドして引き上げられる、との点にある。 今回のように現役の給与が 3 倍に引き上げられれば、年金も自動的に 3 倍に引き上げられる。引き下げも 同様ではあるが、高度成長期のインドで給与引き下げは考えられない。日本からみれば、50%という水準 は羨ましい限りであるが、国際的にみれば、何ら驚くには値しない。ブラジルの高等文官は、最終給与の 100%の年金が保証されているし、フランスの ENA 出身官僚も 75%前後が保障されていると聞いたこと がある。 現役時代給与の 50%が保障されれば、多くの場合、退官後、無理して職を求める必要もなかろう。実際、 インドでは天下りという慣行はない。もとより、需要・供給の関係で、人材を求める要請に応じ民間に新 たな活躍の場を求めるケースも多いが、これはあくまでも個別的現象であり、官側が組織的に OB を民間 に押し込むものではない。それでは、多くの退官者はどうして時間を過ごしているのであろうか。インド の平均寿命が 63 歳と低いのは、農村での高い幼児死亡率を算入するからであって、都市の富裕層の寿命は 長い。菜食主義者で、毎日ヨガで体調を整えていれば、長生きをしようと言うものである。首都デリーに は、60 歳での退官後も、気力、知力、体力が十分な元局長、元次官がうじゃうじゃしている。多くは、シ ンクタンク入りしたり、仲間内で勉強会を組織しては、大学教授、ジャーナリスト等とともに巨大な知的 コミュニティーを形成している。特に、外務省出身者や軍将官退役者に多い。かくして、ニューデリーは 世界でも有数の知的交流の場となっており、特に、外交、安保関係のセミナー、シンポジウムとなると論 客が次から次へと繰り出してくる。こうした知的コミュニティーは、政府に対する提言とりまとめ等を通 じ天下のご意見番をもって任じるとともに、重要な人材プールを形成し、政権交代があるたびに、首相顧 問や計画委員会委員など新政権のブレーンとして人材を提供している。 終わりに 独立直後から 1970 年代、80 年代と基本的にインドは統制経済体制下に置かれ、企業の設立、事業範囲 の拡大、必要物資の輸入、原料の確保、輸出、等々経済活動の殆ど全てに政府の許認可を必要としていた。

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当然、許認可を司る官僚が絶大なる権限を行使し、こうした体制は License Raj(許認可統治)と称され ていた。1991 年から導入した経済自由化が進展するとともに、許認可行政の範囲は次から次へと縮小され てきた。わが国官僚制度と同じ道を、20 年ほどのタイムラグで辿りつつあるとも考えられる。 しかし、変革期を辿りつつも、この国では優秀な官僚制度の維持が国家統治に不可欠との基本思想が広 く共有されていると考えられる。イラク戦争後の米国による占領政策の失敗は、軍とバース党という2つ の統治機構を完全に除去したため国家統治の骨格が崩壊してしまったことにある、というのが定説である。 インドの場合には、IAS に代表される官僚制度と文民統制の徹底した軍の存在、この2つが国家の背骨を 形成している。民主主義体制下、総選挙によって政権という頭の部分が入れ替わっても、背骨が支えてい るから国家の形が維持され、脊髄を通る神経系統が正常に機能する。 戦後 60 年を経て、わが国の国のかたちにつき大いに論じ、疲労を起こしている諸制度に改革を加えるこ とは確かに必要である。しかし、国家が国家として存続していく以上、どうしても護るべき枠組みと背骨 という中枢器官への人材確保は不可欠である。政治判断を司るべき頭脳部分が十分機能を果たさず、加え て背骨部分に骨粗鬆症状況が進行し、脊髄損傷が生じているのであれば、植物人間化が不可避となる。わ が国も、優秀な官僚制度の維持は国家統治に不可欠である、との原点に立ち戻って新たな制度設計に取り 組む必要があるのではないか。

参照

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