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DSpace at My University: Ⅱ 教員養成センター・ホームページ報告 2 英語教育 巻頭リレー・エッセイ(2013年2月~2014年1月)

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2. 英語教育巻頭リレー ・ エッセイ 2013 年2月

ー E hana mua a pa`a ke kahua mamua o ke a`o ana aku ia ha`i ー  夫 明美

平成 25 年に入っても厳しい寒さが続いています。 テストシーズンも近づき、 学生の間にも緊張感が漂っています。 体調に気 をつけて日頃の成果を発揮してくれることを期待する 時期でもあります。 昨年末、 芸能の分野で大輪の花を咲かせた方々の訃報が相次ぎました。 その中でも歌舞伎役者であった十八代目中村勘三 郎さん死去のニュースは特に大きく取り扱われており、 生前に氏が人々に敬愛されていた様子が印象的でした。 かく言う私も、 氏がつとめる舞台を見るために劇場に足を運んだ一人です。 古典的な演目から若手劇作家による新作歌舞伎ま で幅広い演目を披露してくれるのを、 楽しみにして いたものです。 いつ観劇しても感じ入ったのは 「彼自身が歌舞伎 ・ 舞台を、 またそれに関 わるひとりひとり」 をとても大切にして心の底から愛している様子が、 舞台上の演技から 伝わってきたことでした。 そ のエネルギーが原動力となって、 舞台に取り組むチーム全体 の士気があがり、 舞台がますます熱を帯び、 その熱が観客をも包 みこんで劇場が一体にな る雰囲気にワクワクしたものです。 2010 年に大阪城西の丸庭園に中村座という芝居小屋を 建てて 2 カ 月連続で公演を行った際は、 秋の大阪城も舞台背景に取り込み、 まるで 1 枚の 絵のようでした。 時には前衛的すぎる演目や演出で手厳しい批判を受けることもあった氏がよく口にして おられた言葉を紹介します。 教育に携 わる私たちの琴線にもふれるものがあるのではない かと思うからです。 「型があるから型破り、 型がなければ型なしよ」 というもの です。 彼自身が 「型」 を大切にし、 そこからの発展を常に目指していたことを端的に表す言葉ではな いでしょうか。 担当する教 科を通じて、 学生に付けたい力とは何か ? 教科を超えた学級運 営や学校教育を通じて学生に育成した力とは何か ? いずれも慎 重さや根気を要しますし、 地道な 「基盤づくり」 からの 「発展的学習」 は、 日頃の授業でも最も重要視されることが らではない かと思います。 今回のタイトルもハワイ語の格言より採用しています。 私が教職について間もないころ、 留学時代の恩師が授けて下さったもの で、 勘三郎氏の言葉と重なることも多いかと思いま す。

E hana mua a pa`a ke kahua mamua o ke a`o ana aku ia ha`i Build yourself a firm foundation before teaching others.

参考文献 Pukui, M. (1983). `Ōlelo No`eau. Bishop Museum Press.

3 月

ー新学期と and so on についてー  寺 秀幸

四月になるとまた新入生との付き合いが始まる。 最初の授業では、 英語で自己紹介をしてもらうことが多いがのだが、 そのとき に学生が使う英語の中にいつも気になる表現がある。 それは、 and so on である。

I like watching soccer, listening to music, and so on. I have been to Australia, Korea, and so on.

日本語に訳せばどれも自然な言い方であり、 問題はない。 私はサッカー観戦や音楽鑑賞などが好きです。 今までにオーストラリアや韓国などを訪問しました。 だが、 この and so on はおかしい。 どこか英語らしさに欠ける。 英語の and so on は、 ある範疇に属す物を列挙するときに他に も例があることを示唆するた めの道具である。 したがって、 この表現を使うときは、 どのような範疇を話題にしているかを明示する 必要がある。

I like junk food. I often eat donuts, hamburgers, and so on.

これを聞けばだれでも、 pizza や fried chicken など他の junk food の例を頭に思い浮かべることができる。 また、 たとえ範疇が 明示されていなくても、 少なくとも、 文脈的、 社会的、 文化的に何の 範疇を指しているかが推測可能である必要がある。

For breakfast, I had bacon, eggs, toast, and so on.

The travel agency offers a lot of information about transportation, reservations, and so on.

冒頭の学生の例文に違和感を覚えるのは、 そこで列挙されている項目から話し手がどのような範疇を想定しているのかが容易 に推測しがたいからである。

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I like watching soccer, listening to music, and so on. I have been to Australia, Korea, and so on.

おそらく、 ここで使われている and so on は、 日本語の 「など」 の直訳であろう。 日本語の 「など」 は and so on よりも広い用法をもつと思われる。 もちろん、 and so on と 同じように、 与えられた範疇に属すも のを例示すときの道具として使うことは可能だが、 属す範疇が不明瞭な場合でも使って構わないのだ。「私は旅行などが好きです」 は、 旅行以外に何が好きなのかさっぱりわからない文だが立派な日本語である。 もちろん、 and so on でも、 これと同じように範疇が明示されない用例は頻繁に見かけられるが、 それでも、 文脈や社会的共有 知識などから容易に推測できる場合が多いのではないだろうか。

Apple's Discussion Forums are places where users of Apple products can meet together and talk about problems and so on. (http://blogs.computerworld.com/17201/what_to_expect_from_apple_today) さらに、日本語の 「など」 は、( 多分、「そのような類に入る特別なもの」 というような意 味から転じて ) 一種の強調を表すことがある。 彼女は決してうそなどつきません そんなお金のことなど知らないわ。 転じて、 軽蔑や謙遜のニュアンスを表すこともある。 おまえなどが口出しすることではない。 私などにはもったいない話です。 英語の and so on が項目列挙の補助という比較的 「機械的な」 働きをしているのに対し、 日 本語の 「など」 は、 例示を曖昧 化したり、 反対に際立たせたりして、 話し手の 「主観的表 現」 にかかわる働きをしていると言えるかもしれない 話をもとに戻すが、 四月の授業で新入生が and so on を使ったら、 今年こそは日本語の 「など」 との違いを忘れずに説明しよ うと思う。 ついでに、 and so on をつけないで単に要素を並べるだけでもたいていは事足りることも教えよう。 I like watching soccer and listening to music.

私はサッカー観戦や音楽鑑賞などが好きです。 I have visited Australia and Korea.

私はオーストラリや韓国などに行ったことがあります。

さらに、 ここまで話すのなら、 範疇とそれに含まれる項目の両方を示す表現も教えたい。

We talked about some global issues including / like / such as climate change, human rights and nuclear proliferation. She spoke French, German and some other languages.

They grow oranges, lemons, and the like in this area.

だが、ここまで考えて、いつも思いとどまってしまう。 最初の授業でこんな細かい話ばかりしていたら嫌がられるかもしれないなあ。 もっと楽しいことを話さなければ ...。

悩んだ挙句、 方針を変え、 「実は、 and so on はちょっと硬い表現なんですよね。 会話では and stuff like that とか and things like that みたいな軽い言い方もあるから覚えておこうね」 などと話してお茶を濁してしまう。 そして、 そのうち山のように仕事が増えて、 「など」 などの話をする時間はなくなり、 やがてまた次の四月を迎えてしまう。

4 月

ー教育未来図ー  中井 弘一 戦後制定された旧教育基本法 ( 昭和 22 年 3 月 31 日 ) の前文にある 「われらは、 さきに、 日本国憲法を確定し、 民主的で 文化的な国家を建設して、 世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。 この理想の実現は、 根本において教育0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の力にまつべきものである 0 0 000 00 0 0 00 0 」 ( 傍点筆者 ) は、 教員になった頃の自分を支えるものであった。 鉄筆でガリ版印刷のプリントを作り、 重いオ ープンリールのテープレコーダーを抱え、 白墨で手を真っ白にしながら板書し、 恵まれた環境とは 言えない中でも教育の 力を信じ、 熱く語りながら生徒と向き合った。 それでよかったのだろう。 40 年の時を経て時代は変わった。 当時の手塚治虫が 「鉄腕アトム」 などの漫画の世界で描いた 未来のいくつかの道具が現 実のものとなった。 科学技術の進展による情報化、 グローバリゼーシ ョンなどにより、 社会は新しい知識 ・ 情報 ・ 技術が政治 ・ 経済 ・ 文化をはじめ社会のあらゆる領 域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す知識基盤社会となった。 教育の未来はど

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うなっていくことだろう。 ・ 知識には国境がなく , グローバル化が一層進む。 ・ 知識は日進月歩であり , 競争と技術革新が絶え間なく生まれる。 ・ 知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多い。 ・ 性別や年齢を問わず参画することが促進される。 このような変化の中で、 インターネットというこれまでの社会になかったネットワークが構築 され、 受け取る情報が押し寄せるよう に増加し、 そのおびただしい量の情報を選択して即時に判 断することを現代人は迫られている。 選択の自由度が増せば増すほ ど、 判断すべきことが増え、 問題は一層複雑化する。 グローバル化し、 こうした急速に変化する知識基盤社会を生きるのに必 要 な力を、 OECD は、 学校だけでなく、 人生を通じて発達させる力として捉え、 次の 3 つのキー ・ コンピテンシーに集約している。 (DeSeCo プロジェクトの提案 (2003))

①社会 ・ 文化的、 技術的ツールを相互作用的に活用する能力 Using Tools Interactively ②社会的な異質の集団における交流能力 Interacting in Heterogeneous Groups

③自律的に行動する能力 Acting Autonomously 国立教育施策研究所 (2012) は、 学校における持続可能な発展のための教育の視点に立った学習 指導で重視する能力 ・ 態 度の例として以下の 7 項目をあげている。 ・ 批判的に考える力 ・ 未来像を予測して計画を立てる力 ・ 多面的 , 総合的に考える力 ・ コミュニケーションを行う力 ・ 他者と協力する態度 ・ つながりを尊重する態度 ・ 進んで参加する態度 など これらのことを踏まえると、 これまでの正解である事実と問題を解決する手順に関する知識を 得る traditional learning では対応 できなくなっている。 より深い概念的な理解を伴う知識が必 要となる。 変化する状況に応じて対応する思考力 ・ 判断力 ・ 表現力 を育成しなければならない。 それには、 教師による指導を中心とした知識習得 ・ 暗記中心の授業から、 生徒が自分の学習に積 極的に参加する、 生徒の学習の過程や思考のプロセス、 発想を重視した授業のパラダイム転換が求められる。 秋田 (2012) は授業の質を上げる規定因として、 どのような授業をめざすのか 「教育の方向性 としての質」、 それを支えるため どのような構造やシステムを創り出すか 「構造の質」、 教育の過 程を具体的にどのように捉えるのか 「過程の質」、 そして成果と してどのような状況であるかの 「成 果の質」 と四つの質を取り上げている。 特に 「過程の質」 は授業とリアルタイムに問われるも の になる。 これらの質保障に求められる授業の構造は、 「参加型」 「対話型」 「共有型」 「多様型」 「探 究型」 でないかと思う。 これらの要素をしっかりと捉えて授業をデザインし、 展開していかなければ、 教育の未来図は描けないであろう。 参考文献 秋田喜代美 (2012) 『学びの心理学 授業をデザインする』 放送大学叢書、 左右社 国立教育施策研究所 (2004) 「キー ・ コンピテンシーの生涯学習政策指標としての活用可能性に関する調査研究」 http://www. nier.go.jp/04_kenkyu_annai/div03-shogai-lnk1.html 国立教育施策研究所 (2012) 『学校における持続可能な発展のための教育 (ESD) に関する研究 [ 最 終報告 ]』 http://www.nier. go.jp/kaihatsu/pdf/esd_saishuu.pdf

OECD(2003) THE DEFINITION AND SELECTION OF KEY COMPETENCIES Executive Summary http://www.oecd.org/ dataoecd/47/61/35070367.pdf

5 月

ー 「大学入試に TOEFL 導入」 論に思うー  東條 加寿子 今年 4 月、 自民党の教育再生実行本部は大学入試の受験資格として TOEFL を導入することを安倍 首相に提言した。 提言 では、 「センター入試から英語をやめ、 TOEFL に一本化する。 何点を受験資 格にするかは、 それぞれの大学が求める学生の レベルに応じて設定する」 としている。 以来、 TOEFL 導入論に関して様々な論議が飛び交っている折しも、 新聞紙上で 「争論

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大学入試に TOEFL」 ( 朝日 新聞、 5 月 1 日朝刊 ) が繰り広げられた。 提案者は、 自民党教育再生実行本部長 ・ 衆院議員 遠 藤 敏明氏、 反対論者は、 教育学者 ・ 和歌山大学教授 江利川春雄氏である。 紙上の論点を整理すると、 提案の rationale は ・ 中 ・ 高 6 年間の英語教育は結果がでていないので、 現場を変えなければならない ・ 話せる英語を学べるようにしなければならない ・ TOEFL は聴く ・ 話す ・ 読む ・ 書く、 の全部測ることができる ・ TOEFL は 130 ヶ国で使用され、 米国留学につながるなど汎用性が高い ・ コミュニケーション重視に変わって子どもたちができるようになったか疑問である ・ 英語嫌いな子が増えている ・ 英語教育を変えることでグローバル人材を育成する目的がある ・ 海外で活躍できる日本人、 留学する若者を増やしたい ・ 現場の反対は理解しているが、 先生のためではなく生徒のために改革する ・ 企業は賛成している 一方、 反対の rationale は ・ 学校教育だけで英語が話せるようになるというのは ( そもそも ) 幻想である ・ TOEFL は会話力だけではなく、 英語圏の大学や大学院の授業についていける英語力の有無を調べ るテストである ・ TOEFL には文系理系を網羅する教養についての難易度の高い問題が含まれ、 学習指導要領に準拠していない ・ TOEFL は 1 万語水準を超す難解語を含むが、 学習指導要領が求める単語数は中高で 3 千語である ・ すでに 20 年ほど前から 「コミュニケーション重視」 の英語教育に変わっている ・ 「コミュニケーション重視」 によって英語嫌いが増えたり、 高校入学時点での英語力が下がったという 調査結果があり、 検証 が必要である ( 検証の時期にきている ) ・ 学校教育では基本的な文法や音声、 語彙などの土台づくりと言語の面白さを教えるべきである ・ 学校教育では将来、 留学 や仕事となどで英語が必要になった時に対応できる基礎をつくっておくことが目的である 論者間の世代格差や教育現場からの距離格差が大きい上、やや政策がかった一般的見解と専門的見解とではもともとかみ合っ た議論は望めない。 それでも興味深いのは、 両者が、 明示的 ・ 暗示的 に現在の 「コミュニケーション重視」 の英語教育の効果 に疑問を呈している点である。 その上で現場を 変えるべく、 世界で通用性のある TOEFL に着目して、 「逆算して」 中高の英語 教育内容を変えようと する提案。 一方、 むしろ学校教育における英語教育では基礎づくりに専念すべきであるとの原点回帰 論。 前者の提案は、 しかし、 TOEFL がもともと留学生がアメリカの大学で学ぶ際に十分な英語力を 備えているかどうかを測る試験で あることを考えただけでも、 テスト導入の妥当性に欠け、 かつ目的に 掲げた会話レベルの 「話す英語」 との間で不整合を生ん でいることは明白である。 さて、 英語教育に関わる議論にはいくつかの不可解な論点が存在すると筆者は感じている。 「話せる 英語」 「会話力」 「コミュ ニケーション重視」 「楽しく学べる英語」 「英語嫌いがなくなる英語教育」 などがそれである。 どんな場面でどんな目的で何を話 すのか。 楽しく学べば英語が身に付くのか。 なぜみん な英語を好きにならなければいけないのか。 不可解である。 日本の英語 教育は、 「英語を話すこと」 の呪縛からそろそろ解き放たれるべきである。 付け加えれば、 「楽しく学べる英語」 「英語嫌いがなく な る教育」 といった表層的な議論も止めるといい。 知識基盤社会における問題解決能力の育成に資す る英語力とはどのような ものか。 現代日本人に求められるコミュニケーション能力の問題は文化や国 語力とも大きく関わる深層的な問題であり、 本気で 英語教育改革と取り組むのであれば、 本気で国 語教育改革とも取り組まなければならない。 「学校教育では基本的な文法や音 声、 語彙などの土台づくりと言語の面白さを教えるべきである」 と する意見は、 TOEFL 導入に対する賛否を超えた現実的かつ 本質的論点である。 学校教育の限界 と使命を直視し、 幻想をとり払った堅実な意見に筆者は賛成であるが、 みなさんはどう思わ れるだろう か。

6 月

ー Quo Vadis ー  中垣 芳隆 ここ旬日、 知事時代から何かと話題を振りまく橋本市長の慰安婦に関する発言がメディアを賑わしているが、 いかなる立場で何 を狙っての発言かよくわからない。 識者のコメントも厳しいものが目につく。 ところで、 このニュースが注目を浴びる陰に隠れてはいたが、 今後の大阪教育に少なからぬ影響を及ぼす新聞記事が 2 つば

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かり。 一つは、 来春の教員採用試験の志願者数が昨年度より更に減少したとある。 昨年も特徴的なところでは、 中学理科で倍率が 2 倍を切り、「水準に達する人 材が確保できなかった」 と追加募集せざるを得ず、かてて加えて合格者のうち 12% もの辞退者があっ たところ。 府教委の担当者は昨年に引き続き歯止めのかからない志願者数の減少について、 おきまりの 「何が原因かよくわからない。」 とコメントし、 今年は応募年 齢の上限を引き上げるなどして対応し、 学校のニーズに応えるとしている。 未来からの留学生ともいえる子ども達を預かる学校には、 士気が高く、 使命感のある教員が継続して安定的に供給されなけれ ば、 システムそのものが停滞することは自明のことである。 学校の教育行政へのニーズは極めて簡単明瞭。 自校の教育活動の 活性化に寄与する資質能力の高い新採教員の着任に他ならない。 部外者からみても、 現在の学校は従前以上にチームワークが求められている。 それにもかかわらず、 教員同士の同僚性を二 の次にするのではないかと懸念さ れる厳しい教員評価などが盛り込まれた条例の施行、 全国平均より低位に置かれる給与水準と いう現状が、 優れた資質を持つ教員志望者をして他府県に志願させているのではないかと思われる。 志願者数減少の根本的な原因を冷静に究明し、 手遅れにならぬうちにしかるべき対応措置の講じられることを願うや切。 今一つは大阪府 ・ 市の民間からの校長公募の記事。 2000 年の施行規則改正の趣旨を受けて 「企業的なマネジメントを学校 で実践した場合に学校改善が生じ るかどうか」 をテーマとして各自治体で施策化されているが、 全国的にみて民間人からの校 長任用はここ 5 年間をみても合計 80 人台で推移しほとんど増減 はないという状況にある。 今年の大阪市市民の方へとする市の HP には、「今回の募集では、初めて外部枠を設定し、校長採用予定人員の半数にあたる、 小 ・ 中学校 34 名、 高等学校 1 名を必ず民間等から採用します。」 とある。 教育行政基本条例に基づき実施され、 昨年度は、 教頭等から 52 人、 民間から 11 人が採用されたとある。 当たり前のことで あるが、 学校関係者であれ民間人であれ、 同じ土俵で競わせてこそ優秀な人材を確保でき、 昨年の採用者数は公正な選考結 果として首肯できるところである。 ところが、 どうしたことか本年度は民間枠が設けられるという。 ひょっとすると底流には民間は優、 学校は劣という思考があるのではと勘ぐりたくもなる。 ふと、 孔子とその高弟、 子貢との応答に由来する故事が頭をよぎる。 子貢が 同門の 2 人を比較して、 いずれが賢明かと孔子 に問うたときに 「一方の A は 度が過ぎる、他方の B はやや不足気味だ。」子貢が重ねて、それは A の方が優れているということか、 と問うと、 「過ぎたるは、 なお及ばざるが如し」 と応 じたという。

7 月

ー 「聞く」 と 「聴く」 ー  夫 明美 この原稿を書いている 6 月中旬は、 大学 4 年生と短大 2 年生が各実習校で先 生方のご指導を受けながら教育実習に奮闘し ている時期です。 短大の 「事前事 後指導」 の授業内で、 例年実習前に受講生と議論することをご紹介したいと思います。 また、 本内容は 2012 年 12 月のホームページ巻頭言のエッセイ 「聞く 力」 と連動しています。 教育実習の主目的の一つに 「生徒に対する理解を深める」 ということがあげ られると思います。 そこで、 「生徒を理解しようと する姿勢が相手や周りに伝わ るには ?」という問いかけを行います。ポピュラーなこたえは「生徒 ( 子ども ) と同じ目線にたってコミュ ニケーションを行う」 というものです。 そこを踏み 込んで 「生徒 ( 子ども ) と同じ目線にたつってどういうこと ?」、 と質問を重ねて アイデアをつめていきます。 そうすると、 「まず、 生徒の行動や学習姿勢を注 意深く ・ 静かに観察する」 という最初の答えに比 べると具体性をもったアイデ アが出ます。 「見守る」 や 「観察する」 に関連した語、 「相手の気持ちを推測す る ・ 理解しようとす る」 という表現が学生側から出ることがポイントです。 その後、 私からも非常にポピュラーな 「漢字の成り立ちの差異による 『聴き方の違い』」 を提示します。 大半の学生は、 過去 に書物や先生方のお話を通して 接したことがあるようですが、 以下にご紹介します。 「聞く」 は門構えの中に、 耳という音声を認 識する器官が入っています。 一方、 「聴く」 には、 耳以外にも、 目と心という字が入っています。 相手の様子や状 況を観察する ための目、 相手の心情や彼 ・ 彼女らの置かれている環境を想像 ・ 理解するための心が入っています。 「聞く」 よりも自分のもつ 五官と心をフルに 使用する様子がうかがえると思います。 この様子が相手に通じたとき、 「自分は 受容された」 という気持ちが芽 生えるのだと思います。 今回は 「耳」 という語が入ったハワイの格言をご紹介します。 上記した漢字 のアナロジーとは少々趣が異なりますが、 心静か に集中する重要性を説いている点では共通点があるように思います。

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Nānā ka maka; ho‛olohe ka pepeiao; pa ‘a ka waha.

Observe with the eyes, listen with the ears, shut the mouth. = Thus how one learns. 参考文献

Pukui, M.K. (1983). ‛Ōlelo No‛eau. Bishop Museum Press. Honolulu, Hawai‛i.

8月

ー (勉強会 「英語の教え方教室」 と 「学び続ける教師」 ー  中井 弘一 中央教育審議会特別部会が「教職生活の全体を通じた資質能力の向上方策」の答申 (2012 年 8 月 ) で最も強調したのは、「学 び続ける教師像」という理念であった。「新しい学びの構築」と表現される学校の役割と子どもたちの学びの変化がその背景にある。 その 「第 2 章 教師に対する揺るぎない信頼を確立する - 教師の質の向上 -」 において、 あるべ き教師像が明示された。 優れ た教師の条件として以下の三つの要素に大きく集約し記載してい る。 ①教職に対する強い情熱 教師の仕事に対する使命感や誇り、 子どもに対する愛情や責任感などである。 また、 教師は、 変化の著しい社会や学校、 子 どもたちに適切に対応するため、 常に学び続ける向上心を持つことも大切である。 ②教育の専門家としての確かな力量 「教師は授業で勝負する」 と言われるように、 この力量が 「教育のプロ」 のプロたる所以で ある。 この力量は、 具体的には、 子ども理解力、 児童 ・ 生徒指導力、 集団指導の力、 学級作り の力、 学習指導 ・ 授業作りの力、 教材解釈の力などからなるも のと言える。 ③総合的な人間力 教師には、 子どもたちの人格形成に関わる者として、 豊かな人間性や社会性、 常識と教養、 礼儀作法をはじめ対人関係能力、 コミュニケーション能力などの人格的資質を備えていることが求められる。 また、 教師は、 他の教師や事務職員、 栄養職員など、 教職員全体と同僚として協力していくことが大切である。 急激で予測不能な社会の変化に対応するには、 既存の知の伝達を越えた新しい学びを提供することが確かに必要で、 教師 自身も研鑽に励まなければならない。 ここに述べられていること に対しては全く異論はない。 ただ、 答申や施策上の文言が非の 打ち所がない論で展開されても、 学校現場の教員の心にどれほど届いていることであろうか。 後藤正幸公益社団法人信濃教育会会長 ( 『教育展望』 巻頭言 2013 年 6 月 ) が 「学び続ける」 と 「学ばせられ続ける」 とは 異なると述べているように、 法律や制度、 仕組みで改革を進めても 改善されることではないように思われる。 「学び続ける」 姿勢 には、 謙虚な気持ちが必要である。 自らを省みるリフレクティブなマインドが必要である。 そこには教師が真摯に自分を見つめ、 そのうえで自発的に向上したいと思う心が求められる。 求道心に終わりはない。 教師自らが自 主的、 主体的に学ぼうとする姿勢 を持たない限り、 どんな法律も制度も期待される効果を発揮することはないであろう。 学校を取り巻く環境も変化し、 生徒への対応など日々の業務に追われている教師に、 リフレクティブになる余裕がないのかもし れない。 もどかしさを抱えながらも日々を過ごしている現場の先生に、 制度や法律ではなく、 元気を与えるもっと身近なものが必 要である。 その特効薬 は簡単に見つかるものではないが、 他の教師や先輩の教師の懸命な姿に感動すること、 それが 特効薬 の一つではないだろうか。 心に響いた感動は自己のエネルギーを高める。 本学では休業中を除いて、月に一度の勉強会「英語の教え方教室」を開催している。 これは まったくボランティアの集いである。 会費を徴収することもない。 組織として体制が組まれているものでもない。 日々の授業を改善したい、 何かを得たいと思う先生が 寄り集まって、 こんなことをこう考えてやっているけどどうであろうか、 それには何が大切であろうかなどを話し合っている。 発表し ても謝礼もない。 他の授業研究会と異なり、 一つ一つの指導内容に充分な 時間を取り、 背後にある原理や考え方を整理しようと している。 単に実践報告を聞いても、 自分の力にならない。 自分の中に内在化させるには、 その根拠や原理をしっかりとつかむ 必要がある。 それによって自分で道筋をつけて、 自分なりの工夫した指導を行うことができるのだ。 本学の勉強会には、 そうした学び続ける姿勢を有する先生が参加している。 その求める姿勢 がそれぞれの先生の精神的な支 柱となっていると思う。 そして、 そのような先生から学ぶ学校 の生徒は幸せなことだと思う。 学び続ける先生がひたむきに自分た ちに向き合ってくれている のだから。 微力ではあるが、 現場の先生のその姿勢を支援する活動を続けていきたいと思う。

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9 月

ー教育再生実行会議に対する学会からの提言 : 「京都アピール ( 仮称 )」 の意義ー   東條 加寿子

2013 年 9 月 1 日、 京都大学で開催されていた大学英語教育学会 (JACET) 最終日のシンポジウムで、 本年 4 月の政府教育 再生実行会議で提案された大学入試制度 ( 英語 ) の改革案、 いわゆる 「大 学入試に TOEFL を」、 に対して、 4 学会 ( 大学英 語教育学会 :JACET、 全国英語教育学会 :JASELE、 外国語教育メディア学会 :LET、 および全国語学教育学会 :JALT) から提 言を行うことが発表された。 「京都アピール (9 月 1 日時点での仮称 )」 として、 今後正式にプレスリリースされる予定である。 こ の提言は、 学会が負う社会的責任に鑑み、 大学入試に TOEFL を導入することの非正当性を主張し、 それに代わる実行プラン をロードマップを定めて提案するというものである。 これまで、 国の言語教育政 策から一定の距離を保って中立性を守ってきた学 会が、 日本の英語教育政策の混乱と混迷を目の 当たりにして、 社会的行動に訴えることに踏み切った格好である。 上記のアピール ( 案 ) が提案された今回の大学英語教育学会では会期を通していくつかのキーワード があった。 「グローバル 人材」 「英語教育の再生」 「社会貢献」 「言語教育系の連携」 「関係諸分野の 連携」 がそれらである。 以下は、 3 日間のさまざ まな議論の中で、 筆者が特に考えさせられたフレーズである。 敢えてコンテクストを提供せず断片的に記述し、 読者一人一人の 中に共感や違和感を呼び覚まし、 英語教育の在り方をともに探る brainstorming の機会としたい。 ・ 「教育再生」 ということは、 現状で教育はうまくいっていないということか ・ 新書 『英語教育、 迫りくる破綻』 ・ 堅固な基礎力をつけることが学校教育の目的である ・ 政策 ( 「英語が使える日本人の育成のための行動計画」 2003 年 ) に対する検証と反省はあったか ・ コミュニケーションの呪縛から脱却すべきである ・ 言語学習においては体系だったものが必要という観点が欠落している ・ 企業が自ら人材育成をする余裕がなくなり、 大学や学校にそれを期待するようになった ・ 社会のニーズから逆算して ( 大学から小学校までの ) 学校教育の目標を定めるのは本末転倒である ・ 日本の英語教育で 「アメリカ人」 をつくる必要はない ・ 目指すは multilingualism ではなく plurilingualism ・ ヨーロッパでは仕事や教育に外国語が必要となってくるが、 日本でも英語が必要な部分で使ってい くという考え方をすべき ・ やはり、 ディスカッションとディベートは重要 ・ 3 言語× 3 視座 ( 日本語 : 日本の立場、 専攻言語 : 多様な地域、 英語 : 地球的課題 ) ・ 「英語教育」 ではなく 「外国語教育」 となっている原点に立ち返り、 英語教育ではなく言語教育の観 点から考えることで展 望が開ける ・ 自分とは異なる他者とのかかわりを涵養することが教育の目的。 英語教育はその点で貢献できる ・ 文学作品を読むという行為は、 作者と読者の間のコミュニケーション ・ 文学は、 他者への共感という人間間のつながりの根幹 部を育む。 ・ 教育工学は、 「教育における問題解決を支援するためのシステム」 である。 疑問や問題が生じたと きには、 教育の本質に立 ち返ること ・ 「教えたからと言ってみんながわかるとは限らない」 それが教育 ・ 電流の計算をせよと言われて、 今日の聴衆の何割ができるのか ・ 英語がスキルに矮小化されてしまっている ・ 稚内の学校で英語を教えていたら、 「ここでは英語を使う必要性は皆無」 と生徒の親にいわれた ・韓国では、 マスコミ、 学会、 ビジネス界、 官僚間のコミュニケーションが円滑になされている。 これが 迅速な変化のメカニズム。 英語教育政策然り ・ 学会は教育政策の圧力団体にならなければいけないのではないか ( なってもいいのだろうか ) さて、 冒頭で述べた 「京都アピール ( 仮称 )」 は、 今回、 大学入試 ( 英語 ) 改革案に限定した提言であり、 そのほかの 「英 語は英語で」 や小学校英語の教科化についての提言はなされない。 まずは大学入試 に焦点を絞って、学会から社会へのアピー ルの具体的第一歩が記される。 今後の 「地殻変動」 を注 視したい。

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10 月

ー学校 5 日制の下での土曜授業推進の一考察ー   中垣 芳隆 2002 年に 「ゆとり」 をキーワードに学校、 家庭、 地域の三者が連携し、 役割分担しながら 社会全体で子どもを育てるという基 本理念の下で完全学校週 5 日制が実施されて 10 年余りが経過した。 この間周知のごとく PISA の学習到達度調査の結果等を受 けた学力低下の問題が提起され、 学習指導要領が改訂され授業時数や教育内容の充実が図られた。 このことに関わる 2008 年の中央教育審議会答申においては、 改訂にいたった児童・生徒の抱える諸課題の記述と併せて、 「地 域と連携したり外部人材などを活用して、 総合的な学習の時間の一環として課題解決型の学習や探求活動、 体験活動などを行 う場合には土曜日を活用することが考えられる」 と述べられている。 有名大学への進学を旗印とする高等学校では、 2002 年当時から土曜講座などの冠をかぶせ土曜日の活用を図っているが、 義務教育諸学校の状況については、 今年 4 月の毎日新聞に、 「土 曜授業 12 都道府県で今年度予定」 の見出しと下記の記事 が掲載されている。 文部科学省が公立学校の 「週 6 日制」 復活を検討する中、 今年度、 土曜授業を予定する公立小中学校がある自治体は 12 都府県に上る。 教える内容を増やした新学習指導要領の実施に 伴い、 授業時間の確保などが狙いと見られる。 実施する授業内容は、 平日の通常授業とは異なり、 外部講師を招いた授業や学力向上のための補充学習のような位置づけ が目立つ。 こうした時間は、 新学習指導要領の実施に伴い、 年間の授業時数を 70~35 時間増やしたことで平日に確保するのが 困難になってきたことが背景。 ( 下線部筆者 ) また、 大阪市教委の HP には、 「大阪市では、 各小 ・ 中学校が学校の特色や実態に応じて、 土 曜日等の休日を効果的に活 用し、 家庭や地域との連携のもと各学校での開かれた教育活動の充実を図ることができるようにするため、 「土曜授業」 を実施し ます。」 とある。 こうした地方の動きを受け、 本年 3 月に文部科学省において 「土曜授業に関する検討チーム」 が設けられ、 各教育委員会か らヒアリングを実施、 本年秋を目途に一定の成果を出すことを 目指すとして、 先日、 その 「中間まとめ」 が公表された。 その中では、 土曜授業の実施に当たり留意すべきこととして、 地域と連携した体験活動や、 豊富な知識 ・ 経験を持つ社会人 等の外部人材の協力を得た取り組みなど、 土曜日に実施することのメリットをいかしながら、 道徳や総合的な学習の時間、 特別 活動などの授業を行うなどといった工夫が期待されるとある。 また、 土曜授業の制度設計として、 ①全国一律で土曜授業を制度化する場合 ( 隔週等で実施する場合も含む ) と ②設置者の判断で土曜授業を実施する場合 ( 〃 ) の、 二通りが示されており、 設置者の判断で実施する場合の説明として ・ 施行規則に定める 「特別の必要が或る場合」 の基準が明確でないことが、 各設置 者に実施を躊躇させているとの指摘が ある。 ・ 施行規則改正し、 設置者の主体的な判断で土曜日に授業を実施することが可能であ る旨を明確化することにより、 土曜授 業の実施を促進し、 子ども達の学習活動の充実 を図ることが考えられる。 このように、 国 ・ 地方教育行政における土曜授業の推進に対する前傾姿勢が顕著となってい る一方で、 現実に授業を実施 する教員、 学校の負担に対する言及が、 全国一律で制度化する場合に 「教職員の勤務態勢についても、 法令改正などを検討 する必要」 の一文のみしか見あ たらないことに懸念を抱かざるを得ない。 振り返れば、 学校週 5 日制も、 もともとはアメリカの対日貿易赤字が拡大した 1980 年代に 欧米諸国から日本人の労働時間の 長さが非難され、 教員の週休 2 日も政府の時短政策の一環 として実施されたことも周知のことである。 しかしながら、 民間の調査によれば、 完全週 5 日制が実現した 2002 年以降、 教員の平日の 勤務時間は、 小学校教員の退 勤時刻は 1998 年から 2010 年にかけて 55 分、 中学校教員のそれは 1 時間以上も在校時間が増え、 平均の勤務時間は 12 時 間を超えている。 また、 学校を取り巻く環境が複雑、 多忙となり、 教職員の病気休職や精神疾患が毎年増加 し、 ほとんどすべての教育委員会 が教員のメンタルヘルスが児童生徒に影響を与えると懸念 している。 こうした状況の下で、 平日の業務は軽減されないままに、 新たな教育ニーズが次々と土曜 日に付加される可能性が高いので はないか。 もしそうだとしたら、 学校現場はより疲弊する し、 子ども達の負担も増えることが懸念される。 本年 4 月の中央教育審議会が答申した 「教育振興基本計画」 では、 教育に対する公的支出 の GDP 比が我が国において

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は 3 ・ 6% であるものを将来的には OECD の平均の 5 ・ 4% を参考に教育 投資を増額する方向が明記された。 教育は未来に対す る投資でもある。 子どもの多様な体験 を保証し、 保護者や地域住民を巻き込んだ充実した土曜日の取り組みを実現するために は、 教員や教育活動を支援するコーディネーターなどの増員が求められる。 単に制度を変更する だけでなく、 そこに本腰を入れ て投資を行えるのか、 そのことが土曜授業の成否を左右する と考える。

11 月

ーことばは生きている 2 ー  夫 明美 2013 年の夏も大変暑さが厳しいものでした。 その残暑が厳しさを残す 9 月半ばに、 筆者はハワイ語イマージョン教育を行う機 関 Ka `Umeke Ka`eo、 において授業見学と教員への インタビューの機会を得ました。 以前のニュースレターに 「ことばは生きている」 と題し たイマージョン教育校見学の短いレポー トを記しましたが、 今回は、 別の教育機関に個人 的にアポイントメントを申請して訪問してきました。 一番印象的であったのは、 施設が所有するフィッシュポンドを適切に保護 ・ 管理すると いう大きな目的の下に、 小中学生によ る学外授業 ( 理科 ) を見学させていただいた時のことです。 約 10 人の小中学生がペアごとに施設内の小さな池をあてられ、 そ の池の水質調査 や生物の活動状態をつぶさに観察して報告するという内容でしたが、 担当教員 ( ハワイ語 で kumu といいます ) が 「自分たちが任された場所をきちんと観察して報告することが、 他のペアへの責任を果たすことになります。 それが、 クラス全 体にたいして責任を果たす ことになります。 そして、 それがこの施設全体、 コミュニティ、 私たちの後輩、 ひいては、 次世代への 責任を果たしていくことになります」 というものでした。 責任をハワイ語では kuleana といい、 それまでに見聞きしたことのある単語ではありま したが、 私の貧弱な脳内辞書では字義 通りの英訳 responsibility にとどまっていたことに気 づかされる瞬間でした。 自分の行いの結果が、 here & now で直示的に現れ ること、 それに対する 「責任」 という程度であったということでしょうか。 Kumu のお言葉にはそのよう な直示的なものをはるかに 超える含蓄がありました。 ことばに携わるものとして、 日々の授業では 「ことばには背景があるからね」、 と学生に強調している自 分の理解も非常に表層的であったことを恥じるとともに、 このような体感型の授業 (noho papa=to dwell in one place for generations といわれてます ) を通じて文脈まるごとで 「意味」 について新しく知 ることができた貴重な経験でした。

参考文献

Pukui, M. and Elbert, S. (1986). Hawaiian Dictionary. University of Hawaii Press.

12 月

ー授業のイノベーション : TED Talks の教えー Start with Why ー  中井 弘一

TED とは、 Technology Entertainment Design の略で視覚的 ・ 聴覚的な要素がかなり入ったプレゼンのスピーチフォーラムであ る。 この世界的に有名なフォーラムでは、 Ideas worth spreading (拡散するにふさわしいアイデア) というテーマをもとに、 スピー カーが規定された短い時間 (5~ 18 分) で質の高いプレゼンテーションを行っている。 これらは動画共有サイト YouTube でほぼ すべて公開されている。 また、 NHK の E テレで毎週月曜日夜 11 : 00-11 − 25 に Super Presentation として放映されている。

この TED Talks のプレゼンテーション術についてジェレミー ・ ドノバンがまとめた十戒の一つに、 "Start with Why" がある。 聴 衆が最も集中して聴いているのはスピーチがはじまって最初の 10 秒から 20 秒間で、 そこをピークとして聴衆の関心は減じる。 し たがって、 インパクトのある質問で聴衆の心をつかみたいなら、 「なぜ (WHY)」 や 「どうすれば (HOW)」 からはじまる質問が効果 的であるとしている。 "People do not buy what you do but they buy why you do it." である。 「なぜ」 ではじまる質問は、 聴衆の 注意を引くという意味では効果的である。 また、 着実に成功をもたらす手法は個人にまつわるパーソナル ・ ストーリーを語ることで あるとしている。 これらのポイントとして、 第 1 のポイント  あなたのパーソナル ・ ストーリーは、 純粋にあなた自身に関するものでないといけない。 あなた自身のストーリーを語り、 あな た自身の意見を述べる 第 2 のポイント  あなたのパーソナル ・ ストーリーがスピーチのコア ・ メッセージと直接関係していること。 第 3 のポイント

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ストーリーは聴き手の感情をゆさぶるもの、 五感に訴えるもの、 そして会話をふんだんに盛りこんだものであることが大切である。 つまり、 ストーリーは聴き手があなたと一緒にその内容を追体験できるほど具体的であること。 をあげている。

一般的に良いスピーチに求められる要素に 5 つの "i" がある。 ① Intelligible (わかりやすい) ② Informative (情報に富んだ) ③ Interesting (面白い) ④ Interactive (相互的) ⑤ Impressive (印象的) と言われる。 これらはすべて聴衆にとっての要素であり、 スピーカーのためのものではない。 つまり、 スピーチは聴衆を主体にしたトークを組み立てなければならないということである。 さて、これらのことは、授業にもすべて当てはまるものであろう。授業の主体は生徒 ・ 学生である。したがって、生徒・学生にとって、 「分かりやすく」 「情報に富んでいて」 「面白く」 「相互のやりとりがあって」 「印象的」 な授業をデザインすることが何よりも大切である。 そうした授業を構成するには、 まず TED Talks のプレゼン術にあるように、 授業の最初のつかみが大切である。 「導入」 として 、 本時の目標や授業内容を述べるだけでは 、 生徒や学生の心はつかめない。 目標とする教材内容をなぜ学ぶのか 、 学ぶことで 何ができるようになるのか、 どのようにやるのかなどを聞かせなくてはならない。 先生個人の経験談を交えながら話すと更に生徒 の関心は高まるであろう。 また、 「展開」 においても、 生徒が得るべき知識として訳や文法の解説などによる knowing what に終始してはいけないだろう。 なぜそのような表現になるのか、 なぜそのようなことになるのか knowing why、 どのようにしてそうなるのかなどの knowing how の知 識を得られるようにすることが大切であろう。それも interactive に対話型で授業を進めることで効果のある授業になるのではないか。 そのためには教員は教材の読み込みを、 入念に発想力を持って行っておく必要がある。 そうでなければ、 生徒 ・ 学生が抱く と思われる疑問に言及して納得感を持たせることはできないだろう。 授業にはイノベーション (innovation) が必要である。 ただ、 イノベーションは 「(技術) 革新、 新しいアイデア」 という意味合 いで捉えられがちであるが、 インベンション (invention) のように新しいこと発見したり生み出したりすることではなく、 これまでの組 み合わせの工夫でもよい。 これまで実践してきたことでうまく行ったものを大切に、why を大切に、授業を考えてみてはどうだろうか。 参考 : TED オフィシャルサイト : http://www.ted.com/ ジェレミー ・ ドノバン (著) 中西真雄美 ( 訳 )2013、 『TED トーク世界最高のプレゼン術』、 新潮社

2014 年 1 月

ー量的世界の中の質的存在ー  東條 加寿子 新年を迎えた。 新な気持ちでよい年にしたいものである。 さて、 2014 年は英語教育界にとっては激動の年になるだろう。 小学校での外国語活動開始時期の前倒し、 小学校高学年で の英語の教科化、 大学入試改革等々、 政策的判断が求められる大きな課題が目白押しである。 その背景に、 2018 年問題 (少 子化) やグローバル化、 情報化が渦巻いていることは言うまでもない。 「本はたくさん読むな。」 この随想を、 旧年中に目にしたこの一節から始めたいと思う。 新年なのでタイトルも思い切り大上段に 構えた。 「本はたくさん読むな。」 100 年近く前の新渡戸稲造の言葉を、 哲学者 適菜収が新聞コラムの中で紹介している (産経 新聞、 2013 年 12 月 13 日 「賢者に学ぶ」)。 「黒いインキで書いてあるものを読むだけならば誰でもできる芸当である。 スタディということになるといろいろ批判を下さな ければならない。 これがよい、 これが悪いと判断しなければならない。・ ・ ・  これがなかなかやれない。・ ・ ・ だから、 諸 君が読書するには遅くてもいいから、 一日に何ページでもいいから、 『この本にはこうあるけれども、 どうか』 というようにじっ と考えてもらいたい」 (新渡戸稲造 「読書と人生」) この一節を読んで、 即座に想起するのは、 今や危険水域に達したとも思える情報社会の進展である。 適菜は、 情報化社会で は 「あらゆる情報が容易に手に入る」 ようになったが、 ネット上でいとも簡単に得ることができる情報は 「自分の意見、 世界観を 補完してくれる」 に過ぎないと述べている。 大学でプロジェクト型の英語教育に取り組んでいると、 思い当たる節がある。 テーマ を決め、 調べて、 英語で発表することを学生に求める中で、 教員は情報収集を目的化してしまってはいないか。 学生は、 自分 の意見を代弁している情報に遭遇することに満足し、他人の世界観を自分の世界観と錯覚してしまってはいないか。 大事なことは、 情報の集積や最先端の情報にアクセスすることではなく、 情報の価値を見抜くこと。 新渡戸のいう 「考え方の芯」 を鍛えて、 価 値判断ができる人間になることである。 新渡戸は、 量ではなく質を問えと言っているのだろう。

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英語教育にも量と質のせめぎ合いはあろう。 例えば、 語学習得のためにはクリティカル ・ マスを超えなければならないと言われ ている。 クリティカル・マス (critical mass) は量子力学でいう臨界質量のことであるが、ここでは、「ある域に達するために必要な量」 とでも言えばいいだろう。 ちなみに、 語学習得のクリティカル ・ マスは一説には 2000 時間である。 一日 12 時間勉強し続けるとし て 6 か月の語学留学に匹敵、 週 4 時間程度の学習では約 15 年、 年 35 時間程度なら数十年かけても満たない。 このように見て みると、 学校教育の中で量的充足を実現することはかなり困難である。 学校が、新渡戸の言う” スタディ” の場であるのなら、量的なものをばかりを追い求めたり、量的なもの量に甘んじてはいけない。 量的なものの限界を知って質的なものへの転換を図る必要があろう。 量的世界の中の質的存在。 教育がその質的存在になるとよい。 ************************** 3. 書籍紹介 

2月

節分の翌日は立春である。 1 月 14 日付けの朝日新聞の天声人語の冒頭部にこうあった。 「年を重ねると、 月日の流れがどんどん速くなる。 楽しい時が駆け足なのは常としても、 退屈な時間まで大股 である。 物の本によれば 「心の時計」 のせいらしい。 子どもには未知の行事や出来事が次々と訪れ、 心の 時は細かく刻まれる。 だから時間がゆっくり進むように感じる。 大人になると胸躍るイベントが減り、 加齢で代 謝も鈍り、 心の時計は緩慢になる。 つまり実際の時の流れを速く感じる、 という。」

節分日が来ると、 “This day is the end of winter.” と時の巡りの速さを感じる。 そんなとき、 今年も精いっぱ い生きるとしよう。 人生は心の時計に刻まれるから。 まっすぐ、自分の身体にあるエネルギーを信じて、と思う。 本には、 著書の何年もの思いや研究が一冊につまっている。 一冊に込められたた時を感じながら、 はたまた、 小説に描かれた 時と空間に身を置いたりしながら、 本を楽しみたいと思う。 『ことばの発達の謎を解く』 ( ちくまプリマー新書 ) 今井 むつみ ( 著 )、 239 ページ、 筑摩書房 (2013/1/9) ¥ 903  単語も文法も知らない赤ちゃんが、 なぜ母語を使いこなせるようになるのか。 「子どものことばの発達の過程 をたどることは、 ことばを 「使う」 ためにことばの意味について何を知らなければならないのかを 、 私たちに教 えてくれます。 それはとりもなおさず、 私たちが外国を学ぶときに、 一つ一つの単語について何を知らなけれ ばならないかを教えてくれる、 ということです。」 と 「はじめに」 にある。 昔、 クラッシェンの input hypothesis が発表されたあと自分の子どもがどのように言葉を覚えるかを研究していた学者がいたが、 言語知識を無の状 態からどう獲得していくのかそのプロセスを知ることは意味がある。 外国語の、 母語に置き換えて暗記した単語の意味と子どもが 母語で習得した意味はどのように違うのか、 それを知ることは外国語学習に役に立つはずである。 第 1 章 アラミルクガホシイノネ――単語の発見 第 2 章 ヘレン ・ ケラーの water 事件――ことばの世界の扉を開ける 第 3 章 歯で唇をフム――動詞の意味の推測 第 4 章 血圧がヤスイ――モノの性質、 色、 位置関係の名前の学習 第 5 章 ことばの発達の謎を解く――発見、 創造、 修正 第 6 章 言語が思考をつくる

参照

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