起きなかった脱魔術化 踊 共二
起きなかった脱魔術化
――メノナイトとアーミッシュの反近代史――
踊
共
二
はじめに 一六世紀のドイツに始まる宗教改革は、近代世界の形成に寄与した世界史上の画期とされている。とくに注目され てきたのは、ルター以後の幾多の改革者たちが「個人」の内面的信仰を重視したこと、そうした個人からなる「自発 的結社」としてのセクト(ゼクテ)を数多く誕生させたこと、その過程でデモクラシーの推進に貢献したこと、修道 士に代表される達人的宗教者の理想像を打ち壊して現世に生きる「職業人」としての信徒の生活に高い宗教的価値を 与 え た こ と、 そ し て 何 よ り も「 脱 魔 術 化 」( Entzauberung ) を 推 進 し て 近 代 的・ 合 理 的 な 精 神 を 育 ん だ こ と で あ る。 プロテスタント諸派はキリストの体と血への「実体変化」を伴う(とされる)カトリックのミサ聖祭(秘跡)を悪魔 的な儀式とみなして廃止し、それぞれのやり方で非魔術的な聖餐式(主の晩餐)を導入した。洗礼式からも秘跡的要武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 素 は 排 除 さ れ た。 そ の 他 の 秘 跡( 聖 餐 と 洗 礼 以 外 の 五 つ ) や 数 多 く の 宗 教 行 事、 聖 人 崇 敬 も 廃 止 な い し 縮 減 さ れ た。 それは宗教の領域における「合理化」にほかならず、政治・経済・社会における全般的な近代化の前哨戦であったと 考えられてい る )1 ( 。 この宗教改革と近代化のナラティヴを(部分的にせよ)受け入れる人は今日においても少なくないであろう。宗教 の領域で合理化が起きる一方、科学技術が宗教と魔術から解放され、国家権力が宗教を必要としなくなり、人々が超 自 然 的 な 力 で は な く 計 算 可 能 性( Berechenbarkeit ) を 最 重 要 視 す る よ う に な っ た と き に「 世 界 の 脱 魔 術 化 」 ( Entzauberung der Welt ) が 完 成 す る。 マ ッ ク ス・ ヴ ェ ー バ ー は そ う 考 え て い た )( ( 。 魔 術 と 黎 明 期 の 科 学 の 関 係 を 考 察する研究者のなかには、この歴史の進展の方向性を再確認し、魔術の無意味化を論じる者もいる。たとえばアメリ カの近世史家スティーヴン・マローンは、最終的に現代人にとって信仰は散発的・一時的な関心の対象と化し、魔術 はジョークか暇人の遊びになり、もはや(高度な)宗教と(低級な)魔術との区別さえ意味をなさなくなったと論じ てい る )( ( 。 本稿の考察対象である再洗礼派は宗教改革の「最左翼」であり、中世カトリック教会の魔術的儀式(秘跡)を徹底 的に批判し、西欧世界において長く崇拝の対象となっていた聖画像もいっさい認めなかった。彼らはミサ聖祭の聖体 拝 領 に 替 え て 聖 書 の 伝 え る 素 朴 な「 パ ン 裂 き 」( Brotbrechen ) を 導 入 し た。 幼 児 の 祝 福 と 悪 魔 祓 い を 伴 う 旧 来 の 洗 礼 式 は、 彼 ら の も と で は キ リ ス ト を 信 じ る こ と を 自 由 意 志 で 表 明 す る 個 々 の 成 人 に よ る 信 仰 の 証 言 と 位 置 づ け ら れ た。事実上それはカトリック教会で無自覚に受けた幼児洗礼を否定し、あらためて実施する「再洗礼」であった。と もあれ、これらの行事にはいっさい超自然的な要素はなかっ た )( ( 。 ところで、再洗礼主義を奉じる諸分派はスイス(チューリヒ)およびドイツに複数の起源を有し、改革路線も多様
起きなかった脱魔術化 踊 共二 であったが、トーマス・ミュンツァーの影響を受けたハンス・フートのグループやミュンスター千年王国の担い手た ちのように暴力的傾向を示すものが耳目を集めたため、カトリックからもプロテスタント正統派からも激しく迫害さ れた。一七世紀前半には死刑は執行されなくなるが、逮捕・投獄・拷問・棄教の強制・再逮捕・領外追放・ガレー船 送りなどの弾圧政策は長くつづいた。もっとも執拗に迫害を行ったのはスイスのベルン市当局であり、一八世紀前半 に諸外国から非難を浴びたほどである。今日まで生き延びている再洗礼派は、無抵抗・分離主義の路線をとったオラ ン ダ 系 の メ ノ ー 派( オ ラ ン ダ・ メ ノ ナ イ ト )、 彼 ら と 一 七 世 紀 以 降 に 連 携・ 合 流 し た ス イ ス 系 再 洗 礼 派( ス イ ス・ メ ノ ナ イ ト )、 ス イ ス 系 再 洗 礼 派 の 内 部 対 立 の 過 程 で 一 六 九 三 年 に 生 ま れ た 厳 格 派 ア ー ッ シ ュ、 モ ラ ヴ ィ ア で 勢 力 を 築 いたフッター派(ハッタライト)である。なおアーミッシュの母体は厳密にはアルザス・西南ドイツ・スイスにまた がって暮らす再洗礼派であり、彼らはスイスドイツ語を母語とする同郷者の集団であった。当時このグループにおい て は オ ラ ン ダ・ メ ノ ナ イ ト の『 ド ル ト レ ヒ ト 信 仰 告 白 』( 一 六 三 二 年 ) の 受 容 が 進 ん で い た。 た だ し 反 対 者 も 残 っ て いた。アーミッシュの名は最初の指導者のひとりヤーコプ・アマンに由来するが、彼はベルン農村部ジンメンタール 出 身 で、 ス イ ス と ア ル ザ ス の 亡 命 地 を 行 き 来 し な が ら『 ド ル ト レ ヒ ト 信 仰 告 白 』 の 求 め る 厳 し い「 破 門 」 の 実 践 に よって教会の引き締めを図った人物である。メノナイト、アーミッシュ、ハッタライトはやがて北米にも渡って独自 の発展を遂げ、現代に至る。それらの運動には多様性があり、財産共有を実践するハッタライトと私有財産を擁護す るアーミッシュとの違いは大きい。しかしながら、洗礼論・聖餐理解・教会観・国家権力観は基本的に同じであ る )( ( 。 ヴ ェ ー バ ー は『 プ ロ テ ス タ ン テ ィ ズ ム の 倫 理 と 資 本 主 義 の 精 神 』( 一 九 〇 五 年 ) の な か で ピ ュ ー リ タ ン 系 の セ ク ト だ け で な く 再 洗 礼 派 に も 注 目 し、 み ず か ら 主 体 的 に 信 じ る「 諸 個 人 の 新 し い 団 体 」( す な わ ち believers’ church ) を 形 成 し た 彼 ら は 既 存 の 教 会 の 中 世 的 な 文 化 や 生 活 様 式 を 清 算 し て 徹 底 的 な「 脱 魔 術 化 」 を 推 進 し た と 論 じ て い る。
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 ヴェーバーによれば、この世の悪を憎む再洗礼派は強い「現世回避」の傾向をもち、政治に関与せず、忠誠誓約も兵 役も忌避したが、現世の営みから切断された修道生活や隠棲を原理的に認めてはいなかったため、ピューリタンと同 じように現世の職業生活に励みつつ宗教的理想を追求する「世俗内的禁欲」に向かうほかなかっ た )( ( 。 エルンスト・トレルチもまた、個々人の自発的意志によって形成された(スイスのチューリヒに発する)セクトな い し 自 由 教 会( Freikirche/free church ) と し て の 再 洗 礼 派 共 同 体 の あ り 方 に「 近 代 性 」 を 認 め、 オ ラ ン ダ・ メ ノ ナ イトの市民的成長と経済的繁栄の歴史にも言及してい る )( ( 。ヴェーバーとトレルチの影響力は絶大であったが、二〇世 紀後半以降の実証研究が再洗礼派自由教会説や平和主義説を相対化し、個人の意志を抑圧する集団主義や暴力的・権 力 的 傾 向 の 残 存、 再 発 の 諸 相 を 明 ら か に す る な か、 い ま や 神 通 力 を 失 い つ つ あ る。 し か し な が ら、 再 洗 礼 派 と く に ヴェーバーやトレルチが注目するスイス系再洗礼派やオランダ・メノナイトが「脱魔術化」の推進者であったことを 疑い、事実を明らかにしようとする研究者は皆無に等しい。むしろ傾向はその逆である。イギリスの近世史家スチュ ア ー ト・ ク ラ ー ク は ト レ ル チ 説 を 下 敷 き に し、 国 家 教 会( キ ル ヘ ) は あ ら ゆ る「 不 純 分 子 」 を 包 摂 す る た め 悪 魔 崇 拝・魔女信仰・魔術が一般社会に与える脅威に対して敏感であったが、諸分派(セクト)は選ばれた少数の聖徒の共 同体をめざすがゆえに現世にはびこる邪悪な因習や魔術を取り締まる必要を認めなかったと述べ、再洗礼派こそ後者 の好例であると論じてい る )( ( 。 しかし本当にそうであろうか。再洗礼派はそのように首尾よく「脱魔術化」を達成したのであろうか。本稿の目的 は、現代まで存続する再洗礼派の中心勢力であるメノナイトおよびアーミッシュがどれほど魔術ないし魔術的世界観 を脱しているのかいないのか、彼らの移民先であるアメリカの現代の諸事例をまず検討し、遡ってスイス・西南ドイ ツ・フランス東部その他の亡命地における過去の歴史を再吟味し、脱魔術化論・近代化論の問題点を実証レベルで明
起きなかった脱魔術化 踊 共二 らかにすることにある。なお本稿ではスイス系再洗礼派(スイス・メノナイト)とアーミッシュを考察の中心に据え るが、その理由は彼らに関してはヨーロッパ時代および北米移住後の時代の両方について行政文書や内部的資料(口 承を含む)が豊富に残っており、部外者による訪問記、対話の記録、文学作品なども少なくないからである。ただし 再洗礼主義諸派には協力関係や競合関係があり、そもそもオランダ・メノナイトとスイス系再洗礼派を切り離して論 じることはできない。モラヴィアのフッター派とスイス系再洗礼派のあいだにも深い人的交流があった。そのため本 稿においては、それらの分派についても必要に応じて言及することになる。 一、現代アメリカの奇跡と魔術 (一) 『ホームスパン』から こ の 書 物 は 現 代 ア メ リ カ の メ ノ ナ イ ト と ア ー ミ ッ シ ュ の 女 性 た ち の エ ッ セ イ 集 で あ る。 編 者 は ロ リ リ ー・ ク レ イ カーというミシガン州在住の作家である。彼女の父親はスターリン時代の大粛清によってウクライナのドイツ系メノ ナイト定住地を追われてカナダに逃れた経歴の持ち主である。エッセイ執筆者には、近代文明を敬遠してランプと馬 車 を 使 い つ づ け る 保 守 派 の オ ー ル ド オ ー ダ ー ア ー ミ ッ シ ュ( Old Order Amish )、 黒 色 で 簡 素 で あ れ ば 自 家 用 車 の 所 有 と 運 転 を 許 可 す る ビ ー チ ー ア ー ミ ッ シ ュ( Beachy Amish )、 近 代 市 民 社 会 に ほ ぼ 順 応 す る メ ノ ナ イ ト が 含 ま れ て いる。この本に収録されている三七編の短い文章からは、現代に生きる再洗礼派の内面および行動の特徴がはっきり 読みとれる。聖書的信仰、家族愛、隣人愛、共同体主義、倹約・謙遜・勤勉の精神などである。くわえて「奇跡」へ の素朴な信仰も確認できる。ミズーリ州に住むメノナイト女性キャサリン・ガショーは、自宅前の道路をひとりで歩
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 いて渡ろうとする幼い娘が自動車に轢かれそうになりながら奇跡的に助かった体験を記し、聖書(詩編)を引きなが ら 「神を信じる人は天使に守られ、 助けてもらえる」 と繰り返し述べてい る )( ( 。モンタナ州のメノナイト、 ケイティー・ シュロックも「天使」を信じている。彼女の体験談によれば、子どものころ自宅に数名の強盗が入り、ベッドで眠る 彼女(と妹)のすぐそばまでやって来て顔を覗き込んだにもかかわらず不思議なことに彼らは何もせずにそのまま立 ち 去 っ た が、 そ れ は 信 仰 深 い 父 母 の 切 な る 祈 り に よ っ て「 わ た し た ち の 守 護 天 使 」( our guardian angels ) が 降 り て きて守ってくれたからに違いないとい う )(1 ( 。ビーチーアーミッシュのシェリー・ゴアは、感謝祭の日、三人の娘を連れ て 中 西 部 か ら フ ロ リ ダ 州 の ア ー ミ ッ シ ュ 定 住 地 サ ラ ソ ー タ の 実 家 に 自 動 車 で 帰 る 途 中、 エ ン ジ ン ト ラ ブ ル に 見 舞 わ れ、ジョージア州南部のあるトラック運送会社の営業所の真ん前で停車してしまった。そこにはたまたま、身なりか ら判断してメノナイトだとわかる男性がおり、次の仕事の指示があるまで待機しているところだった。それが運転手 としての最後の仕事で、その後は建設業界に転職する予定だという。彼の名前はトロイ。故障したケイティーの車に 歩み寄り、 「神があなたたちを助けるようにわたしをここに足止めさせておられたのかもしれない」と告げた。 「四時 間前からわたしも神に助けを求めて祈っていたのです」とケイティーは答えた。トロイは動かなくなった自動車を近 くの修理業者に託し、ケイティーたちを食堂に招き、さらに宿をとってあげた。トロイはサンドイッチの代金と宿代 を払ってくれた。 「妻に電話して足止めの理由は神が人助けをわたしに命じたからだと話すよ」 。そう言いながらトロ イは去っていった。ケイティーは部屋で感謝の祈りを捧げた。困ったことに所持金は四五ドルしかなかった。翌日修 理 工 場 の ガ レ ー ジ に 行 く と、 オ ー ナ ー は 言 っ た。 「 修 理 代 は と れ な い よ。 何 か 強 い 力 が 働 い て い る 感 じ な ん だ。 た だ しレッカー代はいただくよ。うちにはレッカー車はないから別の業者に頼んだんだ。代金は四五ドルだよ」と。ケイ テ ィ ー は 奇 跡 が 起 き た と 確 信 し な が ら 代 金 を 支 払 い、 娘 た ち と 車 に 乗 り 込 ん だ。 不 思 議 な こ と に ガ ソ リ ン は 満 タ ン
起きなかった脱魔術化 踊 共二 だ っ た。 そ こ に ト ロ イ が 現 れ て 元 気 に 声 を か け た。 「 万 事 う ま く い っ た ん だ ね。 と こ ろ で 今 日 ボ ス が わ た し に 次 の 仕 事 を く れ た ん だ が、 い つ も よ り た く さ ん 荷 を 積 む か ら 報 酬 は 倍 な ん だ 」 と。 二 人 に と っ て そ れ は 最 高 の 感 謝 祭 だ っ た )(( ( 。 メノナイトやアーミッシュは奇跡と天使の存在を信じている。彼らには神が具体的な意志ないし計らいをもってこ の世のすべての出来事を支配しているという信念がある。それは後述するように彼らが父祖たちから受け継いだ人格 神への深い信仰に根ざしている。たとえば幼い子どもの死にも計り知れない神の意志が働いており、人間には事実を 受け入れるしかないと彼らは考えている。オハイオ州に住むメノナイト、エルヴィーナ・ヨーダーは息子を死産した 経験を記し、次のように述べている。 神 に は 過 ち も 事 故 も あ り ま せ ん。 神 は 地 上 の あ ら ゆ る こ と を 統 べ て お ら れ ま す。 [・・・] 主 が 息 子 の 命 を 奪 っ たとは思いません。わたしたちにはわからない理由で、その命が奪われることを許されたのだと信じています。そ れ が わ た し た ち の た め に な る よ う な 神 の 計 ら い が あ る と 信 じ て い ま す。 [・・・] 神 の 主 権( God’s sovereignty ) こそわたしたちの心の平安の源なので す )(1 ( 。 (二) 『ファミリーライフ』から ペンシルヴァニア州ランカスター郡でアーミッシュと一般の人々の交流事業を運営しているブラッド・イゴウは二 〇 一 九 年、 オ ン タ リ オ( カ ナ ダ ) の オ ー ル ド オ ー ダ ー ア ー ミ ッ シ ュ 系 の 出 版 社 が 刊 行 す る 雑 誌『 フ ァ ミ リ ー ラ イ フ 』 に寄せられた投稿文を集めた本を出した。そこには、上述のエルヴィーナ・ヨーダーと同じ経験をしたオンタリオ在
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 住 の 女 性 か ら 送 ら れ て き た 次 の よ う な 匿 名 記 事 が 載 っ て い る。 「 い っ た い な ぜ? そ う い う 疑 問 が い つ も 沸 い て き ま す。しかしわたしたちは、人生のなかで起きるすべてのことを理解できると思い込んではなりません。神が時期を定 め て お ら れ る の だ か ら、 疑 問 符 を つ け て は な ら な い の で す 」。 ま た 以 下 の よ う な 記 事 も あ る。 「 ラ マ ー ル・ リ ン・ ディーナーは五歳でこの世を去って天国に行きました。彼は選ばれた少数者のひとりです。悪を行う誘惑を一度も経 験せずに済んだのです。彼はこの世を去って天国で歌っています。ぼくたちを少しでもイエスの近くに連れて行くた め に。 両 親 と 姉 妹 た ち は 悲 し ん で い ま す が、 ぼ く は[ 弟 の ] ラ マ ー ル が 天 国 に 行 け た こ と を 喜 ん で い ま す 」。 ジ ェ イ ク・ディーナーの署名のあるこの記事にも、神の「計らい」を信じるアーミッシュの伝統的な信仰が滲んでい る )(1 ( 。 こうした信仰はすでに一六世紀の昔から、スイス再洗礼派のあいだで確認できる。たとえばベルン農村に住むある 再洗礼派の家族の記録には、一五八一年に生まれた子ヤーコプがその年のうちに死亡し、八三年に生まれた子に同じ 名前をつけ、同年に妻バーベリに先立たれ、二 人 目 の ヤ ー コ プ も 亡 く し、 翌 年 に 神 の 恵 み に よって亡き妻と同じ名前の後妻を迎え、その翌 年に娘が生まれて妻と同じバーベリという名前 をつけ、一五八七年に息子が生まれてまたヤー コプと名づけ、翌年に娘スザンナが生まれたが 神の意志でその命がとり去られ、一五九一年に は妻バーベリも死去するが、一五九三年に三番 目の妻エルスと結ばれ、翌年に娘が生まれ、神 写真 1 1( 世紀後半のペンシルヴァニアの エッシュ家の家族の記録。( 人の子 どもたちの名前と誕生日が聖書のブ ランクページに淡々と記載されてい る。没年は記されていないから、こ の時点では全員が生存していたので あろう。オハイオ州ホームズ郡のアー ミッシュ史家リロイ・ビーチー氏所 蔵。筆者撮影((01( 年)
起きなかった脱魔術化 踊 共二 を 讃 え な が ら バ ー ベ リ と 名 づ け た と 記 さ れ て い る )(1 ( 。 こ の 再 洗 礼 派 信 徒 は、 生 と 死 が 隣 り 合 わ せ の 暗 い 時 代 に お い て、 ひ た す ら に 神 の 計 ら い を 信 じ、 家 族 の 生 と 死 の 記 録 を つ け て い た の で あ る。 同 じ よ う な 手 書 き の 家 族 の 記 録( family record )は、アメリカに渡った初期のアーミッシュ移民のあいだにもみられる(写真 1)。 (三)脱会者レベッカ・ボントラーガー・グラーバーの手記から 神の意志や摂理への信仰はもちろん魔術的ではない。魔術とは特定の儀式や呪文をつうじて何らかの超自然的な存 在に呼びかけ、安全や豊作や健康(病気平癒)や幸福といった現世的物質的な利益を引きだす行為であり、神(ある いは神々)に対する崇拝や感謝を本質とする「宗教」とは区別される。ヴェーバーによれば魔術の正体は現世的な目 的 の た め の「 神 強 制 」( Gotteszwang ) で あ り、 一 方 的 な 奉 仕 や 感 謝 や 切 願 を 本 質 と す る「 神 礼 拝 」( Gottesdienst ) と は 異 な る。 前 者 に は 多 神 教 的 傾 向 が 潜 ん で い る が、 後 者 は 絶 対 的 な 唯 一 の 神 へ の 信 仰 を 前 提 と し て い る 場 合 が 多 い。ただしヴェーバーもいうように、魔術と宗教、神強制と神礼拝、さらには民間の魔術師(呪術者)と公の聖職者 ( 祭 司 ) の 境 界 は し ば し ば 曖 昧 で あ る。 カ ト リ ッ ク の ミ サ 聖 祭 は そ も そ も 魔 術 的 で あ り、 ロ ザ リ オ な ど の 信 心 具 に も 呪物の要素があ る )(1 ( 。信徒たちが教会の聖水を持ち帰り、家や納屋や家畜や畑に散布して「無病息災」を祈る行為はい わ ゆ る「 準 秘 跡 」( sacramentals ) と 位 置 づ け ら れ る が、 こ こ に も 明 ら か に 魔 術 の 要 素 が あ る )(1 ( 。 は た し て 現 代 の 再 洗 礼派は、こうした魔術の要素を一掃しているであろうか。 一九九〇年代、ミズーリ州出身のレベッカ・ボントラーガー・グラーバーは、モンタナ州のウエスト・クートネイ の オ ー ル ド オ ー ダ ー ア ー ミ ッ シ ュ 共 同 体 の ビ シ ョ ッ プ( 監 督 ) を 務 め る 夫 と も に、 教 会 の 古 い 規 則( オ ル ド ヌ ン グ ) の改革と聖書主義的信仰の再確立を試みた。しかし夫妻は守旧派によって一九九〇年代に破門されてしまう。レベッ
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 カは二〇一七年に手記を出版するが、そこにはアーミッシュの魔術に関する興味深い体験談が含まれている。彼女は 子 ど も の こ ろ、 七 歳 に な る 前、 ア イ オ ワ 州 の 祖 父 の 家 を 訪 ね た と き、 伯 母 た ち に 伝 統 的 な 民 間 医 術 で あ る パ ウ ワ ウ ( powwow ) の 力 を 授 け ら れ が、 そ の 方 法 は モ グ ラ を 両 手 に 持 っ て そ れ を 死 な せ る と い う 不 可 解 な も の で あ っ た。 そ の後レベッカは超自然的な治療を行うことができるようになり、たとえば泣く子を自分のお腹におしつけると大人し くなったり、耳の痛みを訴える人の耳に手を当てると痛みがとれたりしたという。しかしその後、レベッカは悪夢に うなされるようになり、窮地を脱するために次のように祈った。 愛する神さま、これからわたしは眠りにつきます。私のもとに天使を遣わし、わたしの心を見守るために、ベッ ドの脇に立たせてください。わたしの心が天国にいるように清くなりますように。アーメ ン )(1 ( 。 すると心は晴れ、悪夢を見ることはなくなったという。その後レベッカはアーミッシュのさまざまな旧習に批判的 になり、夫とともに外部から来た福音派の宣教師たちと意見交換を行うようになるが、そうした機会にアーミッシュ とメノナイトの世界には迷信的で邪悪な慣習が残っていると指摘され、彼女自身がもっているパウワウの力を棄てる 決意を固める。レベッカは、あの日モグラを手のなかで死なせたとき、彼女の魂のなかに入り込んだに違いない悪し き霊( demonic spirit )を追い払うために祈った。 「イエスの名においてわたしは命じます。あらゆる悪しき霊と闇の 力はわたしから出ていきなさい」と。この祈りのあとレベッカはパウワウの力を失ったが、心は喜びに満たされたと い う )(1 ( 。ところがレベッカには神秘的な力がまだ残っており、家族が一斉にひどい熱病にかかったとき、夫とともに一 心不乱に祈って癒しをもたらすことができた。そのさいレベッカはアーミッシュの守旧派が「呪い」をかけていると
起きなかった脱魔術化 踊 共二 直感してこう祈ったという。 天の父よ、わたしたちはあなたの子どもです。あなたはわたしたちのことを気にかけ、何か悪いものを与えよう と は な さ ら な い こ と を わ た し た ち は 知 っ て い ま す。 で す か ら わ た し た ち は、 イ エ ス が 十 字 架 上 で 流 し た 血 の 力 に よって悪魔にあらがい、病もろともここから去るように命じます。主よ、わたしたちはあなたから出たもの以外は い っ さ い 受 け 入 れ ま せ ん 。 イ エ ス の 名 に お い て わ た し た ち は 、 だ れ か が わ た し た ち に か け た ど の よ う な 呪 い ( curse ) も打ち破りま す )(1 ( 。 この現代アーミッシュ女性の手記は衝撃的である。二〇世紀前半以降にパウワウの風習はアーミッシュ社会の内部 でも批判され、衰退したと言われてきたからであ る )11 ( 。レベッカは明らかに宗教と魔術の境界を行き来している(そう し た 区 別 が 有 意 義 で あ れ ば、 だ が )。 特 定 の 現 世 的 な 目 的 を 達 成 す る た め の「 呪 文 」( Beschwörung/charm ) と 全 能 の 神 に 助 け を 求 め る「 祈 り 」( Gebet/prayer ) の 線 引 き は と き と し て 容 易 で は な い。 と こ ろ で パ ウ ワ ウ と は 北 米 先 住 民 の 集 会 や 呪 術 的 行 為 を 広 く 指 す 単 語 で あ り、 ド イ ツ 語 を 母 語 と す る ア ー ミ ッ シ ュ や メ ノ ナ イ ト の 移 民 た ち の「 奇 習 」 を 外 部 の 英 語 話 者 た ち が そ う 呼 ん だ こ と に 由 来 す る。 な お パ ウ ワ ウ は ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア の ド イ ツ 語 方 言( Penn -sylvania Dutch ) で ブ ラ ウ フ( brauch )、 標 準 ド イ ツ 語 で は ブ ラ ウ ヘ な い し ブ ラ ウ ヘ ラ イ( Brauche/Braucherei ) と い う )1( ( 。
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 (四) 『メンノーフォーク』から 北米のメノナイトとアーミッシュを対象としたフォークロア研究者アーヴィン・ベックは二〇〇五年に『メンノー フォーク』と題する編著の第二巻を出版したが、そこにはインディアナ州エルクハート郡の看護師フィリス・ミラー が執筆した「アーミッシュのパウワウ話」と題する章が設けられている。ミラーによればパウワウには手かざし(手 当 て )、 呪 文、 聖 句 の 朗 読、 患 者 か ら 別 の モ ノ へ の 病 気 の 移 転 の 魔 術( 感 染 魔 術 ) な ど が あ り、 北 米 の ド イ ツ 系 移 民 の な か で も 際 立 っ て 保 守 的 な オ ー ル ド オ ー ダ ー ア ー ミ ッ シ ュ は 現 在 も 病 院 の 医 師 よ り 同 信 の 治 療 師 を 信 頼 し て い る。 それは一種の「代替医療」である。彼女はメノナイトだが、祖先はオールドオーダーアーミッシュであり、祖父母か らしばしばパウワウ話を聞かされたという。そして一九七七年に六人の親族からパウワウに関する本格的な聞き取り 調査を行い、具体的な治療方法の数々を知ることになった。フィリスの祖母バーバラ・ヨーダー(一八九七〜一九八 五年)によれば、娘エマ(フィリスの母親)の左手には生まれつきあざがあったが、パウワウの心得のある従姉メア リ・クレメンスのもとに連れていくと、メアリはパウワウでそのあざをきれいにとってくれた。メアリが実施したの は「 月 の パ ウ ワ ウ 」 と 呼 ば れ る も の で、 満 月 が 近 い 日 の 夜 に あ ざ を 唾 で 擦 り、 月 を 見 あ げ、 「 擦 る も の は 減 り、 見 る ものは膨れる」 ( Vas da ribesht, nembt op. Vas da sansht, nembt tsoo )と唱える所作を三回繰り返すものであった。 これは満月を前に引力を増す月にあざを移す移転の魔術であ る )11 ( 。一方、フィリスの父親ジョン・D・ミラーは、手の 甲にいぼができたとき、彼の祖父に治してもらった。方法はタマネギでいぼを擦って雨樋の下に埋め、腐ったころに いぼは消えるというものであった。いぼは本当に消えたという。これも移転の魔術である。ただしタマネギの消失と いぼの消失が同時に起きる点で共感魔術(類感魔術)でもある。ともあれジョンはパウワウの治療効果を心から信じ ており、甥っ子が鼻血を出していっこうに止まらなくなったときには、有能なパウワウ治療師ジェイク・ミラーのも
起きなかった脱魔術化 踊 共二 とに連れて行き、止血してもらった。ジェイクが聖書の言葉(エゼキエル書一六章六節)を読みあげると、鼻血はす ぐ に 出 な く な っ た と い う。 そ の 聖 書 の 言 葉 は こ う で あ る。 「 わ た し が お 前 の 傍 ら を 通 っ て、 お 前 が 自 分 の 血 の 中 で も がいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって『生 きよ』と言ったのだ」 (新共同訳) 。この聖句はペンシルヴァニアのドイツ系移民のあいだで広く止血のために使われ て き た も の で あ る )11 ( 。 フ ィ リ ス・ ミ ラ ー は、 パ ウ ワ ウ の 力 は 神 に 由 来 し、 聖 書 の 奇 跡 を 再 現 す る も の だ と 論 じ て い る。 そしてそれを信じる人にとっては代替医療になりうると述べている。この主張は彼女が勤務する病院での体験をもと に し て お り、 レ イ キ( Reiki ) の よ う な 別 種 の ハ ン ド ヒ ー リ ン グ に も 一 定 の 治 療 効 果 が あ る と い う )11 ( 。 と も あ れ パ ウ ワ ウ治療師が読みあげる聖書の言葉が「呪文」として機能していることは明らかである。またパウワウには聖書とは無 関係の魔術的要素も多分に含まれている。ペンシルヴァニアのドイツ系移民のパウワウを総合的に研究したパトリッ ク・ドンモイヤーによれば、パウワウのさまざまな施術や呪文のルーツは口承だけでなく一八世紀からドイツで広く 読 ま れ て い た『 ア ル ベ ル ト ゥ ス・ マ グ ヌ ス の 秘 法 』( Albertus Magnus bewährte und approbierte sympathetische und natürliche Aegyptische Geheimnisse für Mensch und Vieh )や『ジプシーの書』 ( Romanus-Büchlein )、 『モー セ第六書・第七書』 (
Das sechste und siebente Buch Mosis
)などの魔術手引書であっ た )11 ( 。 二、アーミッシュのロザンナ 現代アメリカのアーミッシュ家庭で広く読まれている書物に、メノナイトの学校教師ジョセフ・ウォーレン・ヨー ダ ー( 元 オ ー ル ド オ ー ダ ー ア ー ミ ッ シ ュ) が 一 九 四 〇 年 に 出 版 し た 母 親 の 伝 記『 ア ー ミ ッ シ ュ の ロ ザ ン ナ 』 が あ る。
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 ロザンナ(一八三八 〜 一八九五年)は赤ん坊のときに母を亡くし、父および兄弟姉妹とも生き別れたアイルランド移 民( カ ト リ ッ ク 教 徒 ) の 孤 児 で あ る。 彼 女 は か つ て 一 家 に 宿 を 提 供 し て く れ た 優 し い ア ー ミ ッ シ ュ 女 性 に 引 き と ら れ、多感な少女時代を過ごし、アーミッシュ男性と結婚し、生涯アーミッシュの信仰を守った。彼女のおもな生活の 場 は ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア 州 ミ フ リ ン 郡 の ビ ッ グ ヴ ァ レ ー( キ シ ャ コ キ ラ ス ヴ ァ レ ー) で あ る。 ロ ザ ン ナ の 物 語 は ア ー ミッシュやメノナイトに対するアメリカ人の誤解を解く意図で書かれており、一九世紀のオールドオーダーアーミッ シ ュ の 価 値 観 と 生 活 ぶ り を 克 明 に 伝 え て い る )11 ( 。 と り わ け 家 族 総 出 で 行 う 農 作 業、 家 畜 の 世 話、 森 や 草 原 で の 木 の 実・ ベ リ ー 類 の 収 穫 や 薬 草 摘 み、 滋 味 溢 れ る 食 事、 キ ル ト 作 り の 楽 し い 集 ま り( frolic )、 宗 派 の 違 い を 超 え た 隣 人 と の 助 け合い、厳粛な礼拝・洗礼式・晩餐式・洗足式、教役者であるビショップ、ミニスター、ディーコンの三職の役割と 選 出 方 法( す な わ ち 男 女 の 信 徒 に よ る 推 薦 投 票 と 聖 書 に 従 っ た「 く じ 引 き 」 に よ る 最 終 決 定 )、 罪 の 告 白、 破 門 ( excommunication ) と 交 際 忌 避( shunning )、 赦 し と 再 受 容、 若 者 の 歌 の 会( singing )、 デ ー ト の 作 法、 数 百 人 の 親 族が集う結婚式などである。ビッグヴァレーのアーミッシュの進歩派・中間派・保守派(すなわちレンノー派・バイ ラー派・ネブラスカ派)の分裂についても詳述しており、黒・黄・白のバギーが行き交うアーミッシュ社会の多様性 を描きだしてい る )11 ( 。しかしそれだけではない。この書物からはアーミッシュがヨーロッパの祖先たちから受け継いだ 魔術的世界が垣間見えるのである。 ロザンナは成人後に兄弟姉妹との再会を果たすのだが、フィラデルフィアに住む兄ウィリアムズ(W)が訪ねて来 た と き、 ロ ザ ン ナ( R ) は 質 問 さ れ る ま ま、 古 い 伝 統 の こ と を 詳 し く 説 明 し て い る。 以 下、 一 問 一 答 を 引 用 し て お く。
起きなかった脱魔術化 踊 共二 (W)雑誌で読んだのだけどアーミッシュは魔女の呪いの術( hexing )を信じているの? ( R ) ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア・ ジ ャ ー マ ン を 話 す 人 た ち の 一 部 に そ う い う こ と が あ る と し て も、 わ た し た ち は 興 味 あ り ません。魔女だと疑われたアーミッシュの老女もいたけれど、それは大昔の話。 (W)納屋に何かのサインやシンボルを描いて魔除けにするの? ( R ) い い え、 し ま せ ん。 わ た し た ち の 教 会 は サ イ ン や シ ン ボ ル を 許 し て い な い か ら。 シ ド ニ ー 郡 や バ ー ク ス 郡 で は魔女の呪いを信じている人たちがいると聞くけれど、ここにはひとりもいません。 (W)適齢期の娘がいる家の農場のゲートは青いペンキで塗られているって本当? (R)いえ。そんなことしません。若い男女の結婚のことについてそんなふうに知らせるようなことはしません。 (W)アーミッシュは痛みをとったり血を止めたりするパウワウを信じているの? ( R ) そ れ は 本 当 の こ と。 か な り の 人 が 痛 み の 改 善 や 止 血 だ け で な く 化 膿 性 の 炎 症( rot Lafe ) や 幼 児 の 消 耗 症 ( take-off )、丹毒( wildfire )、結膜炎( püscht Bloder )を治療できます。 (W)どんなふうに? ( R ) や り 方 は い ろ い ろ だ け ど、 す べ て 聖 書 に も と づ い て い ま す。 す べ て 父 の 名 に お い て 行 わ れ ま す。 わ た し 自 身 もパウワウを習っているところで、止血や痛み止めの施術はもうできるわ よ )11 ( 。 ここにあげられている病気は、北米とくに中西部のドイツ系移民の世界で広くパウワウ治療の対象となっていたも のであり、衛生面・栄養面で問題のある生活環境が背景にある。一九世紀の移民たちは開拓時代の習慣を保ち、近代 的な病院の整備以前から活動していた民間治療師に病気を診てもらっていた。多くの治療師は人も家畜も治した。病
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 院が誕生してもそれは都市部にしかないため、田園に暮らす人たちは交通の便や金銭的な問題もあって前近代的な方 法に頼りつづけていた。パウワウ治療は一般に農家の副業であり、代金をとらなかった。それは聖書にもとづく信仰 治療であり、癒しの力は神に由来するから、金銭を要求すると効き目がないと考えられていた。ただし患者が自発的 に少額の謝礼(寄付)を置いていくことは可能であっ た )11 ( 。 ロザンナはやがて、医師が見放した幼児の消耗症の治療もできるようになる。結膜炎も丹毒も治せた。なおロザン ナの一家は進歩的であり、町の開業医(ハドソン医師)の往診も受け入れていた。ハドソンは最初パウワウを疑った が、現実に多くの人が癒されるのを目の当たりにし、やがて敬意を払うようになる。ハドソンはロザンナに向かって こ う 言 っ た。 「 こ れ は 一 種 の 信 仰 治 療 な い し メ ン タ ル ヒ ー リ ン グ だ ろ う。 正 直 に 言 え ば わ た し は そ れ を 理 解 で き て い ない。しかし衰弱死しそうだったあなたのお子さんをマティー・ハルツラー[治療師]がパウワウで元気にしたのだ から、わたしは賛同するよ。いつの日かわたしたちがパウワウをよりよく理解し、たくさんの丸薬や粉薬の代わりに 用いることになるかもしれない」 と )11 ( 。ハドソン医師は「代替医療」としてのパウワウの可能性を認めたのである。 ロザンナの物語(実話)は、前章で検討したレベッカ・ボントラーガー・グラーバーの手記やフィリス・ミラーの 調査報告と重ね合わせれば、きわめて示唆に富んでいる。アーミッシュは宗教と魔術の混じり合う世界で暮らしてき た の で あ る。 『 ア ー ミ ッ シ ュ の ロ ザ ン ナ 』 に は 心 霊 現 象 な い し 怪 奇 現 象 へ の 言 及 も あ る。 ロ ザ ン ナ の 姉 マ ー ガ レ ッ ト が訪ねてきたとき、親戚のエリ・ヨーダーが彼女に都会の話を聞かせてもらう代わりにビッグヴァレーの亡霊伝説を 次々に披露する場面がある。エリによれば、ロザンナの家から遠くないベルヴィルの村外れにクーチャーズホロウと いう窪地があり、そこには「首なし犬」がいて通行人の馬に飛び乗ってくる。セブンマウンテンズの山中には泥棒の 亡霊がおり、夜な夜な現れて「盗んだ金をどこに置けばいいの」と何度も聞く。小麦の運搬業者が通りかかって「あ
起きなかった脱魔術化 踊 共二 んた馬鹿だね。盗った場所に戻せばいいのさ」と告げた。そうすると亡霊は二度と現れなくなったとい う )1( ( 。著者ジョ セ フ・ ヨ ー ダ ー は エ リ の「 空 想 」 を か ら か っ て い る が、 ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア の ド イ ツ 系 移 民 の あ い だ に 伝 わ る 類 話 の 数 々 を 思 え ば、 こ れ は エ リ 個 人 の 問 題 で は な い。 そ れ は ア ー ミ ッ シ ュ や メ ノ ナ イ ト を 含 む ド イ ツ 系 移 民 の 文 化 に 関 わっている(ドイツ語圏スイスからの移民も、もちろんそのなかに含まれる) 。 ペンシルヴァニア州レバノン郡には「首なし騎士」の伝説や夜中に徘徊する「フリルのキャップをつけた女」の亡 霊 譚 が あ る。 ま た、 境 界 石 を 密 か に 動 か し て 自 分 の 土 地 を 広 げ た 悪 人 が 死 後 に 呪 わ れ、 重 い 石 を 担 い だ 亡 霊 と な り、 「 ど こ に 置 け ば い い の 」 と つ ぶ や き な が ら 歩 き 回 る が、 通 り す が り の 男 に「 あ ん た 馬 鹿 だ ね。 も と の 場 所 に 置 け ば い い の さ 」 と 言 わ れ、 そ の 通 り に す る と 呪 い が 解 け て も う 現 れ な く な っ た と の 伝 説 も あ る )11 ( 。「 首 な し 騎 士 」 は 小 説 家 ワ シ ン ト ン・ ア ー ヴ ィ ン グ の ス リ ー ピ ー ホ ロ ウ 伝 説 を 思 わ せ る が、 こ れ は ド イ ツ 各 地 に 古 く か ら 伝 わ る も の で も あ る )11 ( 。 境界石泥棒については西南ドイツに類似の伝説があ る )11 ( 。西南ドイツは北米移民の多い地域である。スイスのベルン州 に も「 勝 手 に 境 界 石 を 動 か す 泥 棒 は 死 後 に 燃 え る 人( brennende Männer ) に な る 」 と の 言 い 伝 え が あ る。 「 燃 え る 人」とは亡霊のことであ る )11 ( 。ベルン州はスイス系再洗礼派が現代まで生き残った場所であり、メノナイトやアーミッ シ ュ の 北 米 移 民 の 出 発 地 で も あ っ た。 な お 泥 棒 の 亡 霊 譚 は「 呪 い の 解 除 」 を 主 眼 と す る 場 合 も あ る が、 生 前 の 罪 の 「償い」に力点があるケースもみられるため、中世カトリック時代の教訓的亡霊譚に由来する可能性もあ る )11 ( 。 なおランカスター郡の地方史家ユージン・ムーアは二〇一一年に『アーミッシュの民話』と題する書籍を刊行した が、そこにはレバノン郡に伝わる次のような物語が収録されている。働き者の鍛冶屋ジョンはある日、空腹の旅人に 食事をふるまったが、それはじつは使徒ペテロで、地上のようすを見守り、善人がいたら願いを叶えてあげる旅をし ているのだという。ペテロはジョンの願いを聞こうとするが、ジョンは欲しいものは何もないと答える。しかし強い
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 ていえば、疲れて帰宅して自分のロッキングチェアに腰かけようとしたときにだれかがすわっているとくつろげない ので、わたしのチェアにすわったらわたしが許すまで立ち上がれなくなってしまうようにし、だれもそこにすわりた が ら な い よ う に し て い た だ き た い と 希 望 す る。 ジ ョ ン の さ さ や か な 夢 は 叶 う が、 そ れ は 予 想 も し な い 効 果 を 発 揮 す る。ある日、見知らぬ男が来訪し、話があるというので、ジョンは室内のロッキングチェアに腰かけて待っていてく れと告げる。男はじつは悪魔の使いだったが、ペテロの奇跡でチェアから立ち上がれなくなり、悪事を働くことがで きなくなった。ジョンが「去れ」と命じると、男は一目散に逃げ去っ た )11 ( 。一見すると他愛もない笑い話だが、その背 後には聖書的信仰と結びついた魔術的観念がある。ペテロの「天国の鍵」の権能(マタイ福音書一六章九節)を与え られた人には何かを(だれかを)繋いだり解いたりする力があるから、悪魔の使いであろうが盗賊であろうが、相手 を 動 け な く し た り 去 ら せ た り で き る の で あ る。 こ れ は「 泥 棒 退 治 の 呪 文 」( Diebsegen ) と 呼 ば れ て い る 魔 術 で あ る。 それはヨーロッパのドイツ語圏に広くみられ、ペンシルヴァニアのドイツ系移民もその継承者である。たとえば一九 世 紀 ア メ リ カ の 魔 術 書 の ベ ス ト セ ラ ー、 ヨ ハ ン・ ゲ オ ル ク・ ホ ー マ ン の『 失 わ れ た 旧 友 』( 一 八 二 〇 年 ) に は 次 の よ うな呪文が載っている。 おおペテロよ、ペテロ。神から権能を授かった方よ。わたしがキリストの教えによって繋ぐものは繋がれるだろ う。 泥 棒 が 男 で も 女 で も、 大 き か ろ う と 小 さ か ろ う と、 若 か ろ う と 老 い て い よ う と、 神 に よ っ て 動 け な く さ せ ら れ、わたしがこの目で見てこの舌で許可を与えるまで、先に進むことも後戻りすることもできなくな る )11 ( 。 アロイス・リュートルフが一九世紀後半に中央スイスの五州で行った伝説・習俗に関する調査の記録にも、聖母と
起きなかった脱魔術化 踊 共二 ペテロに祈れば泥棒は「ペテロの鍵の力と神ご自身の手で動けなくなる」という記事があ る )11 ( 。ここであらためて注意 を向けたいのは、前章で引用した『ホームスパン』に出てくる強盗の話である。この逸話はアーミッシュとメノナイ トの文化的背景を顧慮すれば「泥棒退治の呪文」のヴァリアントとも解釈できる。父母の切なる祈りによって泥棒は 悪事を働くことができず、おとなしく去っていったのである。無意識が生んだ古い「泥棒退治の呪文」との類似であ るとしても、その類似は注目に価する。ロザンナが生きた一九世紀と 『 ホ ー ム ス パ ン 』 が 編 ま れ た 二 一 世 紀 を 同 列 に 論 じ る こ と は で き な い が、少なくとも古い伝統を継承する保守派のアーミッシュやメノナイ トにあっては、一〇〇年を超える歳月が過ぎても、同じ信仰理解やコ スモロジーが受け継がれていると判断できよう。彼らにとっては、奇 跡と神秘、魔術と信仰治療は過去の遺物ではないのである。 三、ヨーロッパの故郷――北米移民時代 (一)ヨーロッパからアメリカへ メノナイトやアーミッシュの北米移民は一七世紀末以降に始まって 一八世紀半ばにピークに達し、独立戦争のころに低調になる。最初の メノナイト移民(一三家族)を乗せた船、コンコード号がフィラデル フ ィ ア の 港 に 着 い た の は 一 六 八 三 年、 ア ー ミ ッ シ ュ の 集 団( 一 一 家 写真 ( オハイオ州ホームズ郡の最古のファーム。1( 世紀初頭にペンシ ルヴァニアから移住したアーミッシュが最初に住んだ場所。筆 者撮影((01( 年)
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 族)の乗船したチャーミング・ナンシー号が同じ場所に入港したのは一七三七年である。メノナイトはペンシルヴァ ニ ア の 首 都 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア の 外 れ、 ジ ャ ー マ ン タ ウ ン に 住 み、 そ の 北 部 に も 移 り 住 ん だ。 ア ー ミ ッ シ ュ も 北 上 し、 現 在 の バ ー ク ス 郡 や レ バ ノ ン 郡、 ラ ン カ ス タ ー 郡 な ど に 入 植 す る。 ア ー ミ ッ シ ュ の 歴 史 家 リ ロ イ・ ビ ー チ ー に よ れ ば、一七二三年から一七七五年にかけて移民したおよそ三万人のドイツ人(一五歳以上)のうちメノナイトは約三〇 〇〇人、アーミッシュは約五〇〇人であっ た )11 ( 。一九世紀前半以降は、ナポレオン時代の混乱とその後のヨーロッパ諸 国の軍備増強・徴兵制の導入を背景として無抵抗主義(兵役忌避)の立場をとるアーミッシュの脱出がつづき、アメ リカに三〇〇〇人以上が到来した。彼らはやがてペンシルヴァニア州だけでなくオハイオ州やインディアナ州、イリ ノ イ 州、 ア イ オ ワ 州、 ニ ュ ー ヨ ー ク 州、 そ し て カ ナ ダ に も 住 む よ う に な る( 写 真 ()。 な お メ ノ ナ イ ト の 移 民 史 に つ いて補足すれば、ロシア居留者たちが一八七〇年代以降、やはり徴兵を恐れて大挙してやってくる。その数は一万八 〇〇〇人とされ る )1( ( 。 メ ノ ナ イ ト と ア ー ミ ッ シ ュ は、 彼 ら の 信 仰 の 源 で あ る ド イ ツ 語 聖 書、 一 五 六 四 年 初 版 の 讃 美 歌 集『 ア ウ ス ブ ン ト 』 ( Ausbund )、 一 七 〇 八 年 初 版 の 祈 り の 書『 キ リ ス ト 信 徒 の 務 め 』( Ernsthafte Christenpflicht ) な ど を 北 米 の 地 に 持 ち 込 み、 一 六 六 〇 年 初 版 の 歴 史 書『 殉 教 者 の 鏡 』( Märtyrerspiegel ) の ド イ ツ 語 版 を ア メ リ カ の 印 刷 所 で 出 版 さ せ る などしてドイツ語の活字文化の定着に努め、それとともに話し言葉としてのドイツ語方言(プファルツ地方の都市マ ン ハ イ ム 周 辺 の ド イ ツ 語 に 近 い ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア ダ ッ チ や ス イ ス の ベ ル ン ド イ ツ 語 )、 装 飾 性 の 高 い 手 書 き 文 字( フ ラ ク ト ゥ ア と 呼 ば れ る ゴ シ ッ ク 体 ) を も た ら し、 故 国 の 農 耕 牧 畜 技 術 や 農 事 暦( 生 活 暦 )、 動 植 物 の 知 識、 食 文 化、 服飾文化、建築文化、織物、工芸の伝統を新開拓地に根づかせ、口承の神話・伝説・格言、民間医術・呪文・護符そ して魔術を伝え た )11 ( 。
起きなかった脱魔術化 踊 共二 (二)アブラカダブラの呪文──モンベリアールの再洗礼派 アーミッシュのロザンナが生きた時代、ヨーロッパの再洗礼派はどのような魔術を使っていたのであろう。ほとん ど顧みられていない問題であるから本格的な研究はないが、断片的な史料は残っている。その手がかりは、たとえば 一八九四年にブザンソンの司祭コンスタン・トゥルニエが書いた『モンベリアール地方のカトリシズムとプロテスタ ンティズム』に見つかる。現在のスイス国境に近いフランス東部のモンベリアールには、地方領主の経済的考慮によ る宗教的寛容政策ゆえに一八世紀前半以降スイス系の再洗礼派(メノナイトとアーミッシュ)が住みついていた。こ の地から旅立った北米移民も多い。彼らはスイスドイツ語の話者であるが、モンベリアールの地には彼らの言葉が通 じる住民もいた。トゥルニエは軽蔑の念をこめて次のように記している。 今 日 も な お モ ン ベ リ ア ー ル の 再 洗 礼 派 は 人 間 お よ び 家 畜 を 治 療 す る の に ア ブ ラ カ ダ ブ ラ の 呪 文( pratiques abra -cadabrantes ) を 用 い る。 八 年 前 に 彼 ら の ひ と り が、 足 首 を 捻 挫 し た 人 を 治 療 し た や り 方 は そ う で あ っ た。 一 一 時 か ら 真 夜 中 の あ い だ に 彼 は 患 者 の も と に や っ て 来 て 魔 術 書 ( un grimoire ) を 広 げ 、 カ バ ラ 風 の 呪 文 ( quelques for -mules cabalistiques ) を 唱 え、 と き ど き 手 を か ざ し て 患 者 の 足 に 触 れ、 十 字 を 切 っ た。 そ し て 低 い 声 で 呪 文 を 唱 え た。炉端とベッドを行き来しておよそ半時間、治療を行った。二回にわたって同じことをしないと効かないとのこ とだったが、料金は五〇フランになるというので、けっきょく彼は二度目の往診を頼まれなかっ た )11 ( 。 トゥルニエの記述は荒唐無稽に思えるかもしれないが、北米のドイツ系移民の習俗を知る者にとっては真に迫る臨 場感がある。たとえばホーマンの『失われた旧友』には、解熱の呪文としてアブラカダブラの変型であるAbaxa
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 C a t a b a x が 登 場 す る( 図 1)。 十 字 を 切 る 所 作 も 頻 出 す る )11 ( 。 ま た カ バ ラ 風 の 呪 文 は『 モ ー セ 第 六・ 第 七 書 』 を 思 わ せ る )11 ( 。 た だ し 十 字 や ア ブ ラ カ ダ ブ ラ は 前 述 の『 ア ル ベ ル ト ゥ ス・ マ グ ヌ ス の 秘 法 』 に 出 て く る か ら、 モ ン ベ リ アールの再洗礼派治療師はこれを用いていた可能性もあ る )11 ( 。なおこの治療師が炉端とベッドを行き来したのは、患部 から熱をとり去って火中に投じる魔術を実行していたからだと推測できる。ペンシルヴァニア州スクールキル郡の治 療師ソフィア・バイラー(一八七〇 〜 一九五四年)は患者の熱や痛みを赤い毛糸に移し、これを台所で燃やして消失 させる魔術を使ってい た )11 ( 。ところでモンベリアールの治療師は定額の「料金」をとろうとしたようだが、これが事実 であれば北米の信仰治療とは異なっている。 ところでトゥルニエの報告書に最初に注目したのはフランスの宗教社会学者ジャン・セギである。それは一八世紀 以降の再洗礼派の職業的成功(とりわけ酪農における模範的生産 者としての名声)について明らかにする研究において医療分野に 論及したさいのことである。セギによれば、こうした魔術的医療 は地元の因習と同じであって再洗礼派の特性とはいえず、しかも 一八五〇年以前にはそうした種類の魔術的行為の記録は見つから ない。セギはこう論じたうえで、北米に渡らずにフランス東部の 農村に定住したスイス系再洗礼派が一九世紀半ばになってから地 元の魔術的慣習を採り入れたのではないかと推測している。ペン シ ル ヴ ァ 州 ミ フ リ ン 郡 ビ ッ グ ヴ ァ レ ー の オ ー ル ド オ ー ダ ー ア ー 図 1 ホーマン『失われた旧友』(1((( 年版) の解熱の呪文 ※出典については註((()を見よ。
起きなかった脱魔術化 踊 共二 ミッシュの家庭に生まれ、のちにメノナイトに転じたアーミッシュ研究者ジョン・ホステットラーも、セギと同じ立 場をとってい る )11 ( 。なおモンベリアールの民俗研究家シャルル・ロワは、一九世紀末に上梓した著作のなかで、再洗礼 派 に つ い て は 前 世 紀 か ら 魔 術 を 使 っ て い た と の 噂 が あ る が、 「 彼 ら が 魔 術 的 な 医 術 や ま じ な い の 材 料 に 関 し て 何 か 新 しいことを始めたとは思えない」と論じてい る )11 ( 。再洗礼派と魔術との「出会い」はいつごろだったのか、さらに時代 を遡らなければ、詳しいことはわからない。 (三)クロプフェンシュタインの『再洗礼派農事暦』 モンベリアールの近く、ベルフォールのメノナイト農民ジャック・クロプフェンシュタインとその息子たちは『再 洗礼派農事暦』と呼ばれる生活暦を作っていたが、一八一二年からは印刷物として刊行し、仲間たちに頒けた。そこ にはカレンダー・星座・月齢・天文現象、農業上の助言のほか、医術・獣医術の記事も掲載されている。しかし魔術 的 な 内 容 は 含 ま れ て い な い。 一 八 三 七 年 版 に は ヘ ル ニ ア、 腸 チ フ ス、 動 物 の 鼓 脹 症 な ど の 治 療 法 が 紹 介 さ れ て い る。 さらには歴史や時事的記事もあり、北米移民のこと、アメリカの宗教の多様性のことなどにも言及がある。それは農 事暦(生活暦)であると同時に読者を啓蒙する教訓的な読本でもあっ た )11 ( 。ここからは再洗礼派の──少なくともその 一派の──「進歩的」な一面が垣間見える。ところでセギによれば、一八世紀末以降フランス東部に住むスイス系再 洗礼派農民は地元の農民より三倍から四倍の農産物を収穫し、通常の二倍の小作料を支払うことができた。またアル ザスのサント・マリー・オ・ミーヌ(マルキルヒ)の再洗礼派は相当量の農産物を現地の市場で販売しており、マッ ク ス・ ヴ ェ ー バ ー の い う「 資 本 主 義 の 精 神 」 を 体 現 す る よ う な 人 々 で あ っ た )1( ( 。 な お サ ン ト・ マ リ ー・ オ・ ミ ー ヌ は アーミッシュの初期の指導者ヤーコプ・アマンが一七世紀末に居を構え、スイス・アルザス・西南ドイツを旅してス
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 イス系再洗礼派の道徳的な引き締めを試みた根拠地である。すでに述べたようにアマンは道徳面で妥協を許さない人 物 で あ り、 厳 し い「 破 門 」 の 実 施 を 特 徴 と す る オ ラ ン ダ・ メ ノ ナ イ ト の『 ド ル ト レ ヒ ト 信 仰 告 白 』( 一 六 三 二 年 ) の 精神を重視する厳格主義者であっ た )11 ( 。 一八一三年、プロテスタント神学者シャルル・フェルディナン・モレルが書いたジュラ地方(バーゼル司教領)の 歴 史 書 に は 同 地 に 住 む 再 洗 礼 派 に つ い て の 記 述 が あ り、 そ こ に は 再 洗 礼 派 の 治 療 師 の こ と も 出 て く る。 「 ム テ ィ エ・ グ ラ ン ヴ ァ ル に は 再 洗 礼 派 の 治 療 師 が お り、 行 列 が で き る ほ ど 患 者 が や っ て 来 る。 患 者 の 尿 を み て( à l’inspection des urines ) 病 名 を 診 断 す る と い う 驚 く べ き 秘 密 も さ る こ と な が ら、 こ の 地 域 で 採 れ る 薬 草 を 使 っ て 安 上 が り に 治 療 を行うから好まれているのだ」と。モレルは再洗礼派の治療師の誠実な態度を評価している。魔術的医療を非難する 言葉はみえない。尿の色や臭いの検査には魔術性はなかったと考えらえ る )11 ( 。一九世紀前半までは、セギやホステット ラーが推測するように、再洗礼派は魔術とは無縁だったのであろうか。われわれは一八世紀以前に遡って事実を確か めねばならない。 ところで、再洗礼派の農事暦(生活暦)の伝統はアメリカに移った人たちのあいだでも受け継がれ、現在に至って いる。オハイオ州バルティックのオールドオーダーアーミッシュのレーバー書店が一九三〇年から発行している生活 暦は、カレンダー・星座・月齢・天文現象、聖書の教え、教訓的逸話、アメリカとカナダのアーミッシュ教役者の一 覧などを掲載しているが、興味深いことに裏表紙の内側には一二星座と人間の身体の部位の関係図、瀉血と吸玉治療 ( Aderlassen und Schröpfe )の要領、血液の色による健康診断の手引きが載っており、きれいな赤色なら健康、黒み がかっていれば便秘、黄色味を帯びていれば肝臓病、緑がかっていれば心臓病といった解説がみえる。さらには木材 を伐採する時期としては欠け行く月が牡羊座か乙女座か山羊座に位置する時間帯が最適であるといった助言も記され
起きなかった脱魔術化 踊 共二 てい る )11 ( 。古い民間医術および星辰と地上世界の「共感」の思想 は 健 在 な の で あ る( 図 ()。 そ れ ら は 魔 術 的 世 界 観 の 表 出 に ほ かならない。クロプフェンシュタインのものより古い印象さえ 受ける。アーミッシュの保守性が表れていることに疑問の余地 はない。ただし保守的であることと魔術的であることは区別し なければならない。ともあれ、再洗礼派の魔術的な思想と実践 はいつの時代に遡るのであろう。 (四) 『神の小さい庭』──罪と病、祈りと神癒 一七〇〇年代つまり一八世紀の再洗礼派の魔 術や医術が具体的にわかる行政文書や年代記は ほとんどない。しかし彼らが用いていた祈りの 書の内容からかなり多くのことがわかる。それ は 一 七 八 七 年 に ド イ ツ の ナ ッ サ ウ で 編 ま れ た 『 魂 の 小 さ い 庭 』( Geistliches Lustgärtlein ) と い う 書 物 で あ る( 図 ()。 ほ ぼ 同 じ 内 容 の も の が 一 七 二 七 年 に バ ー ゼ ル で も 出 版 さ れ て い る )11 ( 。 ル ー ツ は 中 世 後 期 に あ る と さ れ る が、 近 世 に 図 ( オハイオ州のアーミッシュ生活暦から ※出典については註((()を見よ。 図 ( 『魂の小さい庭』(1((( 年版) ※出典については註((()を見よ。
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 なってルター派の聖職者が編集しなおしたと考えられている。ただしその内容は宗派色が薄く、再洗礼派の信仰にも 合致すると考えられたため、メノナイトやアーミッシュの愛読書のひとつになって現在もアメリカで印刷されつづけ てい る )11 ( 。 本書は信仰生活上の助言なども含んでいるから建徳書の性格をもっているが、大部分が祈りから成っている。朝夕 の祈り、食前食後の祈り、時節や状況に応じた祈りの模範例の数々が収録されているのである。そのなかでも注目さ れるのは、たとえば雷、雹、火事、疫病、飢饉、戦災などを免れるための祈りや旅(外出)を前にした祈り、安全に 帰還できたときの感謝の祈り、病床にあるときや死を間近にしたときの祈りなどである。最後のものは自分のための 祈りと他者(病人)のための祈りに分けられる。外出前の祈りはこうである。 主イエスよ。肉体をとって地上に来られ、わたしたちのために数多くの困難な旅をなさった方よ。今わたしも旅 立とうとしており、前途にどのような危険が待ちかまえているかを知りません。ですからわたしはあなたに切に祈 り ま す。 あ な た の 力 と 慰 め に 満 ち た 臨 在 に よ っ て わ た し の 旅 の 同 行 者( Reisegefährte ) に な っ て く だ さ い。 そ し て 天 使 た ち( die heiligen Engel ) を 遣 わ し、 わ た し が 安 全 に 旅 を つ づ け、 す べ き こ と を 首 尾 よ く 達 成 し( das
Meine fruchtbar verrichte
)、そしてわが家に元気に戻って家族に再会できますよう に )11 ( 。 この祈りの目的は現世的利益であり、祈る人の意識次第で宗教と魔術あるいはヴェーバーのいう「神礼拝」と「神 強 制 」 の 境 界 を ま た ぐ 可 能 性 を は ら ん で い る。 そ れ は 神 の 同 行、 天 使 の 守 り を 求 め る 呪 文 の 機 能 を も ち う る の で あ る。 と こ ろ で ペ ン シ ル ヴ ァ ニ ア の ド イ ツ 系 移 民 に は 前 述 の フ ラ ク ト ゥ ア で 記 し た「 家 の 祝 福 」( Haussegen/house
起きなかった脱魔術化 踊 共二 blessing ) を 壁 に 貼 る 習 慣 が あ っ た。 旅 の 安 全 と 残 さ れ た 家 族 の 無 事 を 願 っ て の こ と で あ る。 た と え ば イ ン デ ィ ア ナ 州エルクハート郡のメノナイトの印刷所で一八九〇年に製作されたものには次のように記されている。 イ エ ス よ。 わ が 家 を 離 れ ず つ ね に 住 み た ま え / 恵 み を も っ て 住 み た ま え / わ た し は こ れ か ら 家 を 空 け ま す / あ あ、 大 い な る 祝 福 の 主 よ / 祝 福 を も っ て わ が 家 に 来 て く だ さ り / 喜 び と 平 和 と 幸 福 と 健 康( Freud’, Friede, Glück und Heil ) を わ が 家 に も た ら し て く だ さ い / ヨ ブ や ア ブ ラ ハ ム が あ な た の 祝 福 を 受 け た よ う に / わ た し も 守 っ て く ださい/あなたの祝福をもっ て )11 ( 。 これは「家長」が旅に出るときに家族の無事と自分自身の旅の安全を祈る定型的な表現であり、ドイツ系移民たち はこれを一種の護符として壁に貼るか聖書や宗教書に挟んだ。ここに魔術的要素があることは明らかである。いっそ う魔術的な別の定型句を用いた「家の祝福」もある。以下は一八〇〇年ごろペンシルヴァニア州ランカスター郡の所 有 者 不 明 の『 殉 教 者 の 鏡 』( メ ノ ナ イ ト や ア ー ミ ッ シ ュ が 最 重 要 視 す る 前 述 の 歴 史 書 ) に 挟 ま れ て い た も の の 一 節 で ある。その始まりの文言は次のとおりである。 神 の 御 名 に よ っ て わ た し は 外 出 し ま す / あ あ 神 よ、 こ の 家 全 体 を 統 べ た ま え / そ の 主 婦( Hausfrau ) と わ た し の子どもたちをあなたに託します/わたしの心と口と手を悪徳と恥辱から守りたまえ/わたしがすべきことを首尾 よく達成し(
mein Sach wohl richte aus
)、そして喜んで帰宅することができますよう
に
)11
(
武蔵大学人文学会雑誌 第 51 巻第 2・3・4 号 前述の『魂の小さい庭』の祈りとの類似性は明らかであろう。なお「家の祝福」には文字だけのものもあるが、一 対の天使(旅人とその家族の守護者) 、ゴシキヒワ(幸運のシンボル) 、チューリップ(貞操・希望・信仰の象徴)な どをあしらった色彩豊かなものもあ る )11 ( 。しかし「家の祝福」は美しいだけではない。上にあげたものには次のような 恐ろしい言葉がつづくのである。 わ た し の 家 で 呪 い( Fluch ) を か け る な / す ぐ に ド ア か ら 外 に 出 て い け / さ も な い と 天 の 神 が わ た し も お ま え も 同時に罰するであろ う )1( ( 。 こ れ は 邪 悪 な 魔 術 師 や 魔 女 が 家 長 の 不 在 時 に 家 に 来 て 家 族 に 危 害 を 加 え な い よ う に す る 予 防 的 魔 術 の 一 種 で あ る。 「家の祝福」は「魔除け」なのである。魔術的内容を含んだ印刷物や手書きの紙片には、 「家の祝福」以外に「天国か ら の 手 紙 」( Himmelsbrief ) や「 新 年 の 祈 り 」( Neu-Jahr Wunsch ) や「 火 事 除 け 」( Feuer-Segen ) な ど が あ る )11 ( 。 な お「 わ た し も お ま え も 同 時 に 罰 す る 」( strafffen mich und dich zugleich ) の 意 味 は わ か り に く い が、 悪 人( 邪 悪 な 存 在 ) を 招 き 入 れ た 家 と そ の 家 族( な い し 共 同 体 ) は そ の 悪 人 も ろ と も 罰 せ ら れ る と い う 神 罰 思 想 の 表 れ で あ ろ う か。罪と神罰については後述するので、別の事例の分析に移ろう。前述の『魂の小さい庭』には、健康の増進と体力 の回復のための湯治ないし水治療に関する次のような興味深い祈りが収録されている。 全能の主よ。あなたは山や谷に人間に益をもたらすあらゆる種類の草や根や樹液を生じさせ、大地や石や岩から 冷たい水、温かい水、酸い水、甘い水を湧きださせ、弱くなって衰えた体力の回復やかけがえのない健康の維持に
起きなかった脱魔術化 踊 共二 役だつようにしてくださいます。ですからわたしたちはあなたを讃えて感謝を捧げます。これからわたしは水治療 ( Wasserkur ) に よ っ て 健 康 の 維 持 と 回 復 を 試 み ま す。 し か し わ た し は、 そ の 水 も 含 め て あ ら ゆ る も の が あ な た の 祝福なしには役にたたないことを知っています。ですからわたしはあなたに祈ります。あなたは苦い水を甘くして 無数の人間や家畜の渇きを癒す方で す )11 ( 。 この祈りからは、薬効のある草木や湧き水や鉱泉は神の賜物であり医療は神の力の発現であるという確信が読みと れる。この信念は前近代のキリスト教世界において広く共有されていた。宗教改革者ルターも同じであり、彼は医術 を「神により啓示されたもの」と呼んでい る )11 ( 。次に病気と「罪」の関係に触れた祈りを検討しよう。 神はわたしたちを苦しめて虚栄を棄てさせ、改心を促す手段としてわたしたちに病をもたらす。病気になったら すぐにこう言うのだ。わたしは自分の罪責ゆえに罰せられているのだと。わたしは主に対して罪を犯したから主の 怒りを受けているのだと。主よ、あなたに対して罪を犯したわたしの魂を恵みによって清めたまえと。どのような 罪を犯したからどのような病に陥ったか、あなたはよく考えねばならない。主なる神に対し、悔い改めの心をもっ て あ な た の 罪 を 告 白 し、 イ エ ス・ キ リ ス ト の 御 名 に よ っ て 赦 し を 求 め な さ い。 そ し て 良 い 薬( Arzneymittel ) を 用い、それがあなたの健康に役だつよう、祝福を与えてくださるように神に願いなさ い )11 ( 。 この祈りからは、病とは人間の具体的な罪に対する神罰であるという観念が読みとれる。さらにそこには、罪の告 白と悔い改めが治療の前提であって薬が効くには神の祝福が必要であるとの確信も示されている。自然界のどのよう