江戸時代後期における大名の楽器収集
─ 彦根藩主・井伊直亮の場合 ─齋
藤
望
は じ め に 古代中世において、儒教の礼楽思想を背景に雅楽が重んじられたことはよく知られている。また近年では、鎌倉 から南北朝、室町時代の研究が進展を見せ、天皇や上皇、将軍が雅楽の演奏に主導的な役割を果たしていたことが 明らかになってき ︶1 ︵ た。また近世においても、江戸城内の紅葉山に楽所が設けられるなど典礼の楽としての役割を果 たし、儒者が関心を持ち、また大名の中にも傾倒する者が出たことが指摘されてい ︶2 ︵ る。 幕 末 に は、大 名 に よ る 二 つ の 大 き な 楽 器 コ レ ク シ ョ ン が 形 成 さ れ た。紀 州 徳 川 家 十 代 藩 主 徳 川 治 はる 宝 とみ ︵一 七 七 一 ∼ 一 八 五 二︶ と 彦 根 藩 井 伊 家 十 二 代 藩 主 井 伊 直 なお 亮 あき ︵一 七 九 四 ∼ 一 八 五 〇︶ に よ る 収 集 で あ る。こ れ ら は 現 在、紀 州 徳 川 家伝来品は国立歴史民俗博物館、井伊家伝来品は彦根城博物館に収蔵されてい ︶3 ︵ る。二人は自ら雅楽を演奏しており、 単 なる古美術品の収集ではなかったことが注意され、治宝の収集が儒教の君子の楽を意識してのものであったこと は、すでに指摘されているとおりであ ︶4 ︵ る。一方で直亮の収集をたどると、君子の楽としての視点からだけでは理解(齋藤) 22 で き な い も の が あ る よ う に 思 わ れ る 。 自 ら が 使 う 楽 器 に こ だ わ る の は わ か る と し て も 、 直 亮 の 収 集 は 、 数 量 に お い て そ の 範 囲 を 大 き く 越 え て い る 。 本 稿 で は 、 直 亮 収 集 の 楽 器 コ レ ク シ ョ ン を 取 り あ げ て 、 直 亮 の 楽 器 へ の こ だ わ り か ら 、 こ の 時 期 の 大 名 に よ る コ レ ク シ ョ ン 形 成 の 一 端 を 探 っ て み た い 。 一 大 名 に よ る 楽 器 の 収 集 雅 楽 の 名 器 に 対 す る 関 心 は 早 く か ら み ら れ る 。 清 少 納 言 の ﹃ 枕 草 子 ﹄ に 、 皇 室 に は 琵 琶 の 名 器 、 玄 象 や 牧 馬 に 代 表 さ れ る 累 代 の 楽 器 が 伝 え ら れ て い た こ と が み え 、 大 江 匡 房 ︵ 一 〇 四 一 ∼ 一 一 一 一 ︶ の 談 話 を 筆 録 し た ﹃ 江 談 抄 ﹄ や 、 源 顕 兼 ︵ 一 一 六 〇 ∼ 一 二 一 五 ︶ の ﹃ 古 事 談 ﹄ を は じ め と す る 説 話 集 に は 、 雅 楽 に ま つ わ る 様 々 の 名 器 伝 来 譚 が 収 録 さ れ て い る 。 楽 書 で は 、 天 福 元 年 ︵ 一 二 三 三 ︶ 成 立 の 狛 近 真 の ﹃ 教 訓 抄 ﹄ に 楽 器 の ﹁ 逸 物 ﹂ が 記 さ れ 、 嘉 暦 二 年 ︵ 一 三 二 七 ︶ の 奥 書 が あ る ﹃ 糸 竹 口 伝 ﹄ に は 、﹁ 笛 ノ 宝 物 ノ 事 ﹂ に は じ ま り 笙 、 琵 琶 、 箏 の 名 器 が 列 記 さ れ ︶5 ︵ る 。 人 び と の 楽 器 に 対 す る 並 々 な ら ぬ 関 心 が う か が わ れ る 。 江 戸 時 代 、 元 禄 三 年 ︵ 一 六 九 〇 ︶ 成 立 の 安 倍 季 尚 の ﹃ 楽 家 録 ﹄ で も ﹁ 音 楽 珍 器 ﹂ の 項 が 立 て ら れ 、 多 く の 名 器 が 取 り あ げ ら れ ︶6 ︵ た 。 旧 記 に 見 え る 名 器 は 今 世 に 伝 え る と こ ろ が な い と し 、 次 い で ﹁ 近 代 為 断 絶 之 重 器 ﹂﹁ 今 世 所 伝 之 重 器 ﹂ と 続 く 。 当 時 伝 来 し て い た 名 器 の 所 蔵 者 に 注 目 す る と 、 そ の 多 く が 雅 楽 を 伝 承 し て い た 公 家 、 地 下 の 楽 家 や 寺 社 で あ る の は 当 然 と し て も 、 少 数 な が ら 、 尾 張 徳 川 家 、 伊 勢 藤 堂 家 と い っ た 大 名 家 の 名 も あ が っ て い ︶7 ︵ る 。 江 戸 時 代 後 期 に な る と 、 楽 器 の 所 有 者 は 、 さ ら に 広 が り を 見 せ る よ う に な っ た 。 こ の 時 期 の 状 況 を 知 る 上 で 参 考 に な る の は 、 松 平 定 信 が 編 纂 し 寛 政 十 二 年 ︵ 一 八 〇 〇 ︶ 頃 成 立 か と い う ﹃ 集 古 十 種 ﹄ で あ ろ ︶8 ︵ う 。 武 器 武 具 や 古 画 と な ら ん で 楽 器 部 が 立 て ら れ た 。﹃ 楽 家 録 ﹄ と 単 純 に 比 較 す る こ と は で き な い が 、 所 蔵 者 を 見 る と 大 き な 変 化 が あ る 。 楽
家 所 蔵 が 大 幅 に 減 り 、 寺 社 所 蔵 は 変 わ ら な い が 地 域 的 な 広 が り を み せ る 。 ま た 、 大 名 で は 、 尾 張 徳 川 家 、 紀 州 徳 川 家 、 水 戸 徳 川 家 、 田 安 家 、 会 津 松 平 家 、 黒 田 家 、 姫 路 酒 井 家 が み え て い る 。 家 蔵 、 す な わ ち 定 信 所 持 の 楽 器 も 含 ま れ る 。 注 意 す べ き は 、 岡 山 商 家 河 本 又 三 郎 の よ う な 富 商 が 登 場 す る こ と で あ る 。 こ の 時 期 に 、 雅 楽 の 楽 器 に 対 す る 関 心 が 広 が っ た こ と が う か が わ れ る 。 二 直 亮 の 楽 器 収 集 直 亮 は 、 先 代 井 伊 直 中 ︵ 一 七 六 六 ∼ 一 八 三 一 ︶ の 三 男 と し て 、 寛 政 六 年 ︵ 一 七 九 四 ︶ 江 戸 に 生 ま れ た 。 文 化 二 年 ︵ 一 八 〇 五 ︶ 十 二 歳 で 世 子 、 同 九 年 十 九 歳 で 家 督 相 続 し て 彦 根 藩 主 と な り 、 天 保 六 年 ︵ 一 八 三 五 ︶ か ら 同 十 二 年 の 間 に は 大 老 職 に 就 い て い る 。 嘉 永 三 年 ︵ 一 八 五 〇 ︶ 五 十 七 歳 で 没 。 官 は 正 四 位 上 左 近 衛 権 中 将 に 至 っ ︶9 ︵ た 。 直 亮 は 伝 統 的 な 文 化 の み な ら ず 洋 学 に も 関 心 を よ せ る な ど 、 幅 広 い 分 野 に 旺 盛 な 好 奇 心 を も っ て い た 大 名 だ が 、 一 方 で ﹁ も の ﹂ に 対 す る こ だ わ り が 強 か っ た よ う に み え る 。 井 伊 家 に 伝 来 し た 刀 剣 類 の 自 筆 目 録 ﹁ 腰 物 鎗 長 刀 類 拵 書 帳 ﹂ を 作 成 ︶10 ︵ し 、 ま た 本 稿 で 取 り あ げ る 、 家 蔵 楽 器 の 自 筆 目 録 ﹃ 楽 器 類 留 ﹄ を 作 っ て い ︶11 ︵ る 。 直 亮 の 号 の ひ と つ に ﹁ 張 琴 館 ﹂ が あ る 。 こ こ で い う 琴 は 七 絃 琴 の こ と で 、 中 国 の 文 人 が 嗜 む べ き 琴 棋 書 画 を 踏 ま え て い る こ と は い う ま で も な い 。 井 伊 家 伝 来 資 料 に は 琴 書 や 琴 譜 が 含 ま れ 、 ま た 七 絃 琴 九 面 が 伝 え ら れ て い る 。 直 亮 が 琴 を 演 奏 し た か ど う か は わ か ら な い が 、 琴 に 象 徴 さ れ る 伝 統 的 な 楽 が 、 君 子 の 身 に つ け る べ き 教 養 の ひ と つ で あ る と の 認 識 が あ っ た こ と は 確 か で あ ろ う 。 直 亮 は 、 若 年 の 頃 か ら 雅 楽 に 興 味 が あ っ た ら し い 。 現 存 す る 伝 授 状 で は 、 世 子 時 代 の 文 化 六 年 ︵ 一 八 〇 九 ︶ に 篳 篥 を 家 業 と す る 京 都 方 の 楽 家 、 安 倍 季 良 ︵ 一 七 七 五 ∼ 一 八 四 九 ︶ か ら 与 え ら れ た ﹁ 五 常 楽 篳 篥 譜 ﹂ が 早 い 。 こ れ 以 降 、
(齋藤) 24 直 亮 は 季 良 と 親 し く 、 晩 年 に 到 る ま で 親 密 な 交 際 が 続 い た 。 直 亮 の 信 頼 す る 楽 家 の 一 人 で あ る 。 そ の 後 に も 琵 琶 ・ 笙 ・ 龍 笛 ・ 和 琴 ・ 箏 な ど 各 種 楽 器 の 奏 法 を 伝 授 さ れ 、 朗 詠 や 催 馬 楽 も 伝 授 さ れ て い る 。 家 臣 と 共 に 管 絃 の 会 を 開 き 、 舞 楽 も 催 し た 。 生 涯 を 通 じ て 雅 楽 に 親 し ん だ と い え よ う 。 そ の 一 方 で 楽 器 の 収 集 に 努 め た 。 現 存 す る 楽 器 本 体 の 総 数 は 二 百 六 十 四 点 に 上 る ︵﹃ 楽 器 類 留 ﹄ に 記 載 が あ っ て も 彦 根 城 博 物 館 に 収 蔵 さ れ て い な い 楽 器 、 逆 に 収 蔵 品 で も ﹃ 楽 器 類 留 ﹄ に 記 載 の な い 楽 器 も あ る ︶ 。 収 集 の 時 期 は 、 判 明 す る だ け で も 藩 主 就 任 間 も な い 文 化 十 二 年 か ら 、 没 年 の 嘉 永 三 年 に 及 ぶ 。 中 に は 直 中 か ら 受 け 継 い だ も の も あ る が 、 ほ と ん ど は 直 亮 の 収 集 に か か り 、 個 人 コ レ ク シ ョ ン の 性 格 が 強 い 。 直 亮 の 収 集 の 多 く は 、 江 戸 の 菊 岡 内 匠 、 京 都 の 神 田 大 和 介 な ど の 楽 器 商 を 通 じ ︶12 ︵ て 、 ま た は 雅 楽 の 伝 授 を 通 じ て 知 り あ っ た 楽 人 を 仲 介 し て の も の だ っ た 。 治 宝 が 従 一 位 権 大 納 言 に 至 っ た の に 比 べ れ ば 、 位 階 の 差 は 歴 然 と し て い た が 、 直 亮 は 当 然 、 治 宝 を 意 識 し て い た 。 萬 歳 丸 笙 ︵ 一 〇 一 番 =﹃ 楽 器 類 留 ﹄ の 番 号 、 直 亮 の 評 価 が 記 さ れ て い る 場 合 は こ こ に 付 記 す る 、 以 下 同 じ ︶ に つ い て 、﹃ 楽 器 類 留 ﹄ に 、 元 は ﹁ 紀 伊 殿 御 領 分 之 内 田 舎 ニ 有 之 ﹂ っ た も の で 、 則 是 ︵ 一 七 八 九 ∼ 一 八 四 五 ︶ 方 に 伝 来 し 、 次 い で 治 宝 の も と に 納 ま り 、 そ の 後 、 豊 原 家 へ 下 さ れ 、 さ ら に 多 忠 壽 ︵ 一 八 一 八 ∼ 一 八 七 三 ︶ か ら 山 井 景 典 ︵ 一 八 一 四 ∼ 一 八 六 七 ︶ の 取 次 で 直 亮 の 所 有 と な っ た と あ る ︵ 引 用 は 特 に 記 さ な い 限 り ﹃ 楽 器 類 留 ﹄ に よ る 、 以 下 同 じ ︶ 。﹁ 至 極 宜 敷 品 ﹂ と い う が 、 値 は 四 百 五 十 両 と 高 価 だ っ た 。 直 亮 は 治 宝 が 所 蔵 し た 笙 を ど う し て も 手 に 入 れ た か っ た の だ ろ う 。 ﹃ 楽 器 類 留 ﹄ に は 、 す べ て の 楽 器 で は な い が 、 制 作 年 代 や 位 付 け を 記 す 場 合 が あ る 。 極 古 管 、 古 管 、 古 時 代 、 古 物 、 中 古 、 新 管 な ど と あ り 、 厳 密 な 意 味 で の 時 代 判 定 で は な い が 、 新 し い も の よ り 古 い も の に 価 値 を 見 出 す 傾 向 が 見 て 取 れ る 。 そ れ と は 別 に 、 極 上 々 位 、 上 々 位 、 上 、 上 位 、 中 の 上 、 中 の 下 、 並 々 の 品 、 下 、 下 位 、 下 品 と 位 付 け を し 、 ﹁ 至 極 宜 敷 品 ﹂﹁ 音 色 能 く ﹂﹁ 実 ニ 能 き 品 ﹂ な ど の 感 想 を 書 き 付 け た も の も あ る 。 こ れ ら の 記 述 は 、 彼 の 楽 器 に 対 す る
価値観をよく示している。 三 名物、伝来、銘、名工 何を収集するにしても、世評の高いものを手元に置くことがコレクターの目標となることは容易に考えられる。 その最たるものが名物であろう。楽器の名物に厳密な定義があるわけではないが、この時期であれば﹃楽家録﹄な どの諸書に記載の楽器がまず考えられる。 直亮収集品には、 ﹃楽家録﹄ や ﹃集古十種﹄ などに所載のいくつかの楽器 があった。 ⑴ 鶯 丸 高 麗 笛 ︵五 六 番︶ ﹃楽 器 類 留﹄で は、 ﹃楽 家 録﹄の﹁無 銘 古 物 高 麗 笛 也、不 伝 其 名 、太 神 景 元 近 世 得 之、 世伝源義経所持之笛云々﹂ にあたり、 さらに ﹃集古十種﹄ の備前国岡山商家河本又三郎蔵の後京極摂政 所愛笛、号鶯丸だとする。源義経と後京極義経の二説があることになるが、直亮は、源義経の愛器であって後 京極義経だというのは偽事であると主張している。 安部季資 ︵一八一三∼一八六八︶ の ﹃振吟要 ︶13 ︵ 録﹄ では、 銘は 鶯丸で 源義経が本説であるとし、 ﹁ 大神景元朝臣得 此器 、 名 鶯丸 、 至 景和朝臣 伝 来之 、 而近来彦根中将 直 亮 朝 臣 得 之﹂と し て い る。季 資 は 天 王 寺 方 の 林 広 胖 の 次 男 で 安 倍 季 良 の 養 子 と な り、季 良 と 共 に 直 亮 の も とに出入りしていたから、この狛笛についてはよく知っていた。 ⑵ 宝 珠丸笙 ︵九八番、 中位︶ ﹃楽家録﹄ の ﹁宝珠丸 此笙先年為 改調 自 田舎 到 来楽所之中 、 其管銘曰、 嘉 暦第一黄鐘天於 上宮之聖跡 作 之号 宝珠丸 云々、未 知 其在所 ﹂にあたる可能性があるが、直亮は﹃楽家 録﹄の記載にふれることがない。文字に若干の異動があるが、竹管に同様の銘記があ ︶14 ︵ る。彦根藩領の竹生島弁 財 天 ︵現 在 の 滋 賀 県 長 浜 市︶ か ら 直 中 が 取 り 入 れ た と し、 ﹁色 音 さ へ 等 夫 程 に 不 宜﹂と い う の が 直 亮 の 評 価 で、
(齋藤) 26 位付けは中位と素っ気ない。 ⑶ 太 子丸笙 ︵一〇五番、 極上々位︶ ﹃楽家録﹄ の ﹁太子丸 二条家重器也、 世言 聖徳太子作 此笙 、 因名 太子 丸 云 々﹂に あ た る 可 能 性 が 高 い。承 応 年 間 ︵一 六 五 二 ∼ 一 六 五 五︶ に 二 条 光 平 が 拝 領 し 二 条 家 に 伝 え ら れ た と いう。五百五十両で入手し、極上々位と別格の評価をしている。この笙も直亮自身は﹃楽家録﹄の記載につい ては言及しないが、二条家の家司が代金請取に署名していることから伝来には信憑性がある。 ⑷ 山 伏 横 笛 ・小 天 狗 狛 笛 ︵一 六 三 番、古 管︶ ﹃楽 家 録﹄の﹁山 伏 丸 和 州 志 貴 山 宝 物 也、寺 僧 曰 此 管 声 越 于 衆 管 美也、 雖 号 錫 名笛 可 腰附 之管也、 故号 之山伏丸 云々﹂ にあたる可能性がある。 寛政四年 ︵一七九 二︶ になった ﹃寺社宝物展閲目録﹄ にも ﹁横笛一管銘山伏、 聖徳太子作﹂ ﹁高麗笛弘法大師作﹂ とあ ︶15 ︵ る。 同じく 信 貴 山 伝 来 の 白 鳥 篳 篥 ︵一 六 四 番、古 管︶ と 共 に 取 り 入 れ た 。こ こ で も 直 亮 は﹃楽 家 録﹄や﹃寺 社 宝 物 展 閲 目 録﹄の記載には言及しない。 ⑸ 松 風丸笙 ︵一六六番︶ ﹃楽家録﹄ の ﹁松風 一名小松風、 在 北山浄徳寺 、 頭画 松、 又中表記 松一字 矣、 聞説本小松三位中将惟盛之重器也、趣 于西海 時納 竹生嶋 云々﹂にあたるとの触れ込みで、内箱蓋裏に﹃楽 家録﹄の文が引いてあった。直亮は時代も位付けも書かず、感想も書き留めていない。 ⑹ 大 虎琵琶 弦楽器なので ﹃楽器類留﹄ には記載がないが、 ﹃楽家録﹄ の ﹁大虎 在 薬院 云々、 未 一覧 、 因 不 詳 之﹂ にあたる可能性がある。 施薬院全宗 ︵一五二六∼一五九九︶ が豊臣秀吉から拝領した品といい、 施薬 院から取り入れたもので、その値は二百五十両だった。 ⑺ 海 浦 笙 ︵一 五 一 番︶ ﹃集 古 十 種﹄所 載 の 一 条 家 蔵 の 海 浦 に あ た る と さ れ、直 亮 は﹁始 ︵ママ︶ 二 条 殿 之 銘 管 ニ 而、銘 管録ニ見ゆる也﹂ とする。 しかし、 ﹃集古十種﹄ の図と 比較すると、 銘 の文字の配置がやや異なり、 ﹃集古十種﹄
に は な い 頼 尊 の 銘 も あ る 。 樺 巻 の 位 置 が 異 な り 袍 の 蒔 絵 も 似 て い る も の の 細 部 に 違 い が あ る 。 直 亮 は 、 頼 尊 の 銘 は 偽 名 で は な い か と 疑 っ て い る 。 ⑻ 福 原 龍 笛 ︵ 一 八 三 番 、 上 ︶ 内 箱 蓋 裏 に ﹃ 集 古 十 種 ﹄ の 文 を 引 い て 、﹁ 大 和 国 法 隆 寺 蔵 平 清 盛 公 所 愛 笛 、 号 福 原 ﹂ に あ た る と す る が 、 直 亮 の 書 き ぶ り に は 、 あ ま り 感 激 し た 様 子 が な ︶16 ︵ い 。 ⑼ 大 信 貴 鳳 笙 ︵ 一 七 五 番 、 上 々 ︶ ・ 小 信 貴 鳳 笙 ︵ 一 七 六 番 ︶ ﹃ 寺 社 宝 物 展 閲 目 録 ﹄ 信 貴 山 孫 子 寺 の 項 に ﹁ 右 笙 二 管 何 も 名 管 ト 相 見 候 ﹂ と み え 、 神 田 大 和 介 か ら ﹁ 右 二 管 ハ 御 承 知 も 被 為 在 候 通 、 日 本 無 双 之 名 管 御 座 候 へ ハ 中 々 容 易 ニ 者 出 不 申 候 得 共 、 段 々 懸 合 仕 、 漸 譲 相 成 候 間 何 卒 奉 入 高 覧 度 候 間 ﹂ と 熱 心 な 売 り 込 み が あ っ た 。 当 初 の 見 積 額 は 破 格 の 八 百 両 だ っ た が 、 値 段 交 渉 の 結 果 五 百 二 十 両 に 落 ち 着 い た ら し ︶17 ︵ い 。 大 信 貴 に は 行 円 ︵ 一 一 五 九 ∼ ? ︶ 、 小 信 貴 に は 頼 尊 ︵ 一 一 八 六 ∼ ? ︶ の 銘 記 が あ る 。 二 人 は と も に 信 貴 山 の 著 名 な 笙 の 制 作 者 で 、 殊 に 頼 尊 作 は 珍 重 さ れ ︶18 ︵ た 。 直 亮 の 位 付 け は 大 信 貴 が 上 々 で あ る に 対 し て 、 小 信 貴 に は 位 付 け が な い 。 太 子 丸 笙 や 大 信 貴 鳳 笙 の 評 価 は 高 か っ た が 、 直 亮 は 、﹃ 楽 家 録 ﹄ や ﹃ 集 古 十 種 ﹄ 記 載 で あ っ て も 、 無 条 件 に 名 器 と 認 め て い た わ け で は な い 。 名 器 の 要 素 と し て 伝 来 が 重 要 で あ っ た 。 著 名 な 人 物 が 所 有 し て い た と な れ ば 、 そ れ ら の 楽 器 は 名 管 で あ る は ず だ と の 前 提 が あ る 。 こ れ ま で 見 て き た 楽 器 の ほ か に も 、 著 名 人 所 用 と い う 楽 器 が あ っ た 。 そ の い く つ か を あ げ れ ば 、 聖 徳 太 子 に 関 連 す る も の で は 、 蔦 丸 笙 ︵ 八 三 番 、 上 々 位 ︶ は 、﹁ 倭 州 い か る が ニ 有 之 什 物 ﹂ で 聖 徳 太 子 が 吹 い た 名 器 と い い 、 弘 仁 丸 笙 ︵ 一 〇 三 番 、 上 々 位 ︶ は 、 聖 徳 太 子 時 代 の 作 で さ る 宮 家 に 伝 来 し 、﹁ 其 後 城 下 之 魚 屋 七 兵 衛 方 ニ 譲 受 伝 来 之 所 、 取 上 為 重 宝 者 也 ﹂ と 強 引 に 我 が 物 と し た 。 羯 鼓 ︵ 一 一 八 番 、 上 々 ︶ も 聖 徳 太 子 御 物 と い い 、﹁ 年 暦 作 柄 宜 敷 品 ﹂ で あ っ た 。 楽 器 で は な い け れ ど も 荒 陵 東 儀 家 に 伝 来 し た 聖 徳 太 子 御 作 二 舞 面 ︵ 一 〇 七 番 ︶ も 取 り 入 れ て い る 。
(齋藤) 28 聖 徳 太 子 は 特 別 だ と し て も 、 花 鳥 丸 笛 ︵ 一 二 番 、 古 管 ︶ は 嵯 峨 天 皇 が 播 州 刀 田 山 鶴 林 寺 に 寄 附 し た も の 、 宮 城 野 笛 ︵ 一 二 九 番 、 上 ︶ は 、 後 鳥 羽 院 所 持 で 山 崎 天 皇 山 の 神 宝 と な り 六 条 家 に 伝 来 し た と い う 。 城 丸 笛 ︵ 一 八 一 番 ︶ は 源 頼 朝 が 大 山 崎 本 八 幡 宮 へ 寄 付 し た 笛 、 不 老 丸 笛 ︵ 一 二 六 番 、 上 々 ︶ は 後 醍 醐 天 皇 御 物 、 海 棠 丸 笙 ︵ 八 六 番 、 上 々 位 ︶ は 金 閣 寺 の 什 物 で 足 利 義 満 の 愛 笙 と い う 。 伝 来 に 関 心 を 持 ち な が ら も 、 位 付 け を 見 る と 個 々 の 楽 器 の 評 価 は 慎 重 で あ る 。 直 亮 は 銘 に も 関 心 を よ せ る 。 名 器 に は い ず れ も 固 有 の 銘 が あ る 。 直 中 か ら 受 け 継 い だ 楽 器 に 、 小 重 代 笛 ︵ 二 〇 番 、 古 管 ︶ が あ っ た 。 直 中 の 近 習 だ っ た 人 か ら 聞 い た 話 と し て 、 こ の 管 は 名 物 の 器 で 、 入 手 し た 後 で 先 方 か ら 御 所 へ 差 し 出 す の で 返 し て 欲 し い と 言 っ て き た が 、 直 中 は 、 彦 根 で 船 遊 び を し て い た と き に 湖 中 へ 落 と し て 知 れ な く な っ た と 答 え た と 記 し て い る 。 こ れ に よ り 表 向 き 小 重 代 を 所 持 し て い る と は 言 え な く な り 、 銘 は 空 し く 止 む こ と と な っ た 。 残 念 な 心 持 ち が 見 て 取 れ る 。 ま た 、 古 管 篳 篥 ︵ 一 三 二 番 ︶ は 銘 を 鶯 丸 と い う ら し い と し て 、﹁ 実 ニ 能 き 品 ニ 付 取 入 ﹂ た も の だ が 、 旧 銘 も あ る 様 子 だ け れ ど も ﹁ 其 銘 家 へ 残 し 、 名 管 所 持 之 躰 ニ 致 居 候 こ と と 申 事 ﹂ で 無 銘 の 管 と な っ た と い う 。 ま た 、 千 銘 神 笛 ︵ 八 九 番 、 上 々 位 ︶ に も 同 様 の 事 情 が あ っ た 。﹁ 是 ハ 無 拠 訳 合 有 之 、 外 方 ヨ リ 譲 受 、 尤 、 彼 方 家 之 重 器 、 手 放 し 難 き 品 故 、 爰 ニ 不 銘 書 乗 置 也 ﹂ と 委 細 は 書 か な い が 、 自 詠 と し て ﹁ 千 と せ と そ よ ハ れ し ふ る の 笛 竹 を 今 此 品 と 音 を や あ お か む ﹂ と 書 き 付 け る こ と か ら 銘 が 千 歳 で あ っ た こ と が わ か る 。﹃ 振 吟 要 録 ﹄ に ﹁ 千 歳 大 神 景 光 所 持 、 而 彼 子 孫 伝 来 之 処 、 近 来 彦 根 中 将 直 亮 朝 臣 得 之 、 後 献 公 物 ︶19 ︵ ﹂ と あ る 神 楽 笛 に あ た る 。 銘 に つ い て は 、 こ ん な 事 態 も 発 生 し た 。 大 山 寺 笛 ︵ 七 一 番 ︶ は 平 清 盛 の 弟 仙 英 秘 蔵 の 楽 器 だ と い う の を 取 り 入 れ た 。 と こ ろ が そ の 後 で 、 や は り 大 山 寺 と い う 古 管 笛 ︵ 九 一 番 、 上 位 ︶ が 持 ち 込 ま れ て き た 。﹁ 兼 而 所 持 の 大 山 寺 と 見 競 而 者 、 所 持 之 方 、 年 暦 余 程 古 く 有 之 、 此 度 之 品 ハ 、 中 々 七 百 年 位 ニ 及 フ 品 ニ 者 無 之 候 得 共 ﹂、 大 山 寺 は こ ち ら だ と
言 い 出 さ れ て は 既 に 所 持 し て い る 大 山 寺 の 銘 が 空 し く な る の を 厭 い 、 し か も 存 外 に 吹 き よ か っ た の で 取 り 入 れ た 。 同 じ 伝 来 を 称 す る 楽 器 が 持 ち 込 ま れ て く る の に 困 惑 し た の で あ ろ う 、 真 如 堂 の 鶯 丸 笙 ︵ 一 〇 六 番 、 上 ︶ で は 、 取 り 入 れ 交 渉 の 過 程 で 、﹁ 何 方 右 品 似 寄 物 有 之 候 節 者 、 私 罷 出 急 度 吟 味 可 仕 候 ﹂ と 証 文 を 書 か せ て い る 。 直 亮 は 楽 器 の 制 作 者 に も 関 心 が あ っ た 。 現 在 の ブ ラ ン ド 感 覚 に 近 い 。 龍 笛 や 篳 篥 に 作 者 の 銘 は な い が 、 笙 に は 竹 管 に 銘 記 が 記 さ れ る こ と が あ る 。 先 に 見 た よ う に 信 貴 山 の 行 円 と 頼 尊 が 名 高 い 作 者 だ っ た 。 一 々 は 記 さ な い が 、 真 偽 は 別 と し て 在 銘 の 笙 の 作 者 を 見 て い く と 、 慶 俊 、 貞 俊 、 盛 尊 、 貞 鑑 、 覚 仁 、 順 円 、 天 野 山 行 円 な ど の 名 が あ り 、 近 世 の 楽 家 で は 、 林 広 有 、 林 広 房 、 薗 広 為 、 薗 広 寿 な ど が あ が っ て い る 。 ま た 龍 笛 や 篳 篥 の 作 者 と し て 、 古 伝 竹 、 初 代 獅 子 田 、 初 代 さ し 田 、 指 田 、 向 田 、 初 代 神 田 な ど が 伝 承 作 者 と し て 記 さ れ る 。 こ の よ う に 見 て く る と 、 直 亮 に は 、 名 物 、 名 器 、 重 器 、 古 物 な ど と 称 さ れ る 世 に 知 ら れ た 楽 器 、 由 緒 正 し い 伝 来 や 銘 を 有 す る 楽 器 、 名 工 の 作 を 収 集 し よ う と す る 意 識 が あ る 一 方 で 、﹃ 楽 家 錄 ﹄﹃ 集 古 十 種 ﹄ な ど の 記 述 を 承 知 し た 上 で 、 そ れ ら を 無 条 件 に 認 め る の で は な く 、 冷 め た 目 で 個 々 の 楽 器 を 評 価 し よ う と し て い る 様 子 が う か が え る 。 こ れ ら の 情 報 は 、 取 り 入 れ に 到 る 駆 け 引 き の 中 で 主 張 さ れ る 事 柄 だ っ た 。 と て も そ の す べ て に 信 が お け る わ け で は な い 。 古 楽 器 の 中 に 偽 作 が あ る の は 当 然 考 え て お か な く て は な ら な い 。 古 い 笙 の 九 割 は 偽 物 だ と の 証 言 も あ ︶20 ︵ る 。 直 亮 は 、 自 己 の 判 断 で 評 価 を 下 そ う と し て い る と い え よ う 。 楽 器 自 体 が よ く な け れ ば 、 直 亮 の 評 価 は 低 か っ た 。 四 直 亮 の 鑑 識 眼 む し ろ 、 直 亮 が 自 慢 し た か っ た の は 、 こ う し た 世 評 と は こ と な る 観 点 か ら の 収 集 で あ っ た ら し い 。 直 亮 が 極 上 々 位 と し た 笛 に は 、 先 述 の 太 子 丸 笙 の ほ か に 、 須 磨 丸 篳 篥 ︵ 一 七 〇 番 、 極 上 々 ︶ が あ る 。 安 倍 家 の 重 器 と い い 、 季 良 自
(齋藤) 30 身 が 直 亮 に 売 り 込 ん だ 。 季 良 が い う に は 、 播 州 須 磨 寺 に あ っ た も の を 、 東 儀 兼 重 と い う 者 が 譲 り 受 け 、 山 井 景 綱 ︵ 一 七 二 八 ∼ 一 七 八 八 ︶ の 手 に 渡 り 、 樺 巻 が 傷 ん で い た の で 寛 政 元 年 ︵ 一 七 八 九 ︶ ご ろ に 巻 き 替 え た 。 そ れ 故 、 見 た と こ ろ 古 色 は み え な い 。 季 良 が 若 年 の こ ろ 山 井 よ り 譲 り 受 け た と い う 。﹁ 其 上 彼 □ 真 実 古 物 珍 器 と 申 事 、 見 人 無 之 候 、 御 家 ニ 者 、 数 々 古 物 名 器 御 所 持 被 為 在 候 得 共 、 篤 と 御 鑑 定 被 遊 候 而 、 御 名 器 之 内 へ 御 差 加 被 遊 置 候 儀 ハ 相 成 間 敷 哉 ﹂ と 直 亮 を 持 ち あ げ た 上 で 、﹁ 竹 之 性 古 色 容 易 ニ 無 之 物 ﹂ で 、﹁ 世 人 古 物 と [ ] 候 ヘ ハ 、 只 ア カ 付 ノ 管 ノ ミ ヲ 古 物 と 存 候 ﹂ と し 、 御 家 御 所 蔵 の 品 と 見 競 べ て 鑑 定 し て い た だ き た い と 訴 え て い る 。 直 亮 の 自 尊 心 を く す ぐ る 言 い よ う で あ っ た 。 こ こ で も 世 評 に よ る の で は な く 、 直 亮 自 身 が よ い と 判 断 す る 楽 器 、 こ こ で は 外 見 で は な く 音 響 的 な 機 能 に 注 目 し て 収 集 す る 姿 勢 を 見 て 取 る こ と が で き る 。 そ の 結 果 が 極 上 々 位 の 判 定 だ っ た 。 こ の よ う な 、 実 際 に 演 奏 に 用 い る 観 点 か ら 評 価 す る 姿 勢 は 、 万 代 丸 笙 ︵ 二 一 番 、 古 管 ︶ に ﹁ 即 吹 試 処 、 除 音 優 美 ニ 聞 ヘ 、 仍 而 手 入 置 ﹂、 羯 鼓 ︵ 三 六 番 、 上 位 ︶ は ﹁ 筒 も 至 極 宜 敷 、 音 色 も 能 、 秘 蔵 可 申 事 ﹂、 羯 鼓 台 ︵ 三 八 番 、 中 ノ 上 位 ︶ は ﹁ 右 、 一 躰 麁 末 之 品 な れ 共 、 古 物 ニ て 、 音 色 ハ 至 極 宜 敷 ﹂、 無 銘 古 管 笛 ︵ 五 一 番 ︶ は ﹁ 音 色 メ ク リ も 克 、 珍 ら 敷 笛 也 ﹂、 梅 薫 丸 篳 篥 ︵ 七 〇 番 ︶ は ﹁ 至 テ 古 物 、 竹 性 も 能 く 、 堅 く 、 巣 中 之 工 合 宜 敷 珍 器 也 ﹂、 古 管 高 麗 笛 ︵ 七 四 番 ︶ は ﹁ 吹 見 る に 、 至 極 吹 能 、 め く り も 能 き 故 、 取 入 に 致 す ﹂、 無 銘 手 馴 古 管 笛 ︵ 九 五 番 、 上 位 ︶ は ﹁ 至 極 音 色 宜 敷 候 ︶21 ︵ 事 ﹂、 仙 鶴 笙 ︵ 一 二 七 番 、 上 ︶ は ﹁ 音 色 能 く 、 大 音 ニ 付 取 入 ﹂ と 評 価 し て い る こ と か ら も 窺 え る 。 先 に み た 聖 徳 太 子 所 用 と い う 蔦 丸 笙 ︵ 八 三 番 、 上 々 位 ︶ は ﹁ 吹 試 ニ 、 声 音 す く れ て 聞 ゆ 故 、 今 我 為 家 蔵 ﹂ と あ り 、 聖 徳 太 子 の 伝 え も 魅 力 だ っ た ろ う が 、 決 め 手 は 音 色 だ っ た 。 直 亮 に は 、 吹 き や す く 音 色 の よ い 管 を 探 し 出 し た い と い う 欲 求 が あ り 、 む し ろ こ う し た 人 知 れ ず 伝 え ら れ て き た 名 器 を 見 出 し て い く こ と に 魅 力 を 感 じ て い た の か も し れ な い 。 極 上 々 位 の も う 一 つ の 管 、 青 葉 笛 ︵ 一 〇 〇 番 、 極 上 々 位 ︶ は 、 龍 笛 と 高 麗 笛 が セ ッ ト に な っ た 連 管 で 、 節 の 蟬 と 呼
ぶ 部 分 に 小 枝 を 残 し た 特 殊 な 形 を し て い る 。 こ こ で は 、 実 用 と は ま た 異 な る 価 値 観 が 示 さ れ る 。 竹 生 島 弁 財 天 に 伝 来 し た も の で 、﹁ 我 多 年 懇 望 ニ 付 、 此 度 住 持 ニ 申 試 て 譲 受 所 也 、 永 く 可 為 秘 蔵 者 也 ﹂ と 記 す よ う に 何 と し て も 手 に 入 れ た か っ た ら し い 。 弘 化 二 年 ︵ 一 八 四 五 ︶ 四 月 に は 、 直 亮 の 手 許 に あ っ た よ う で 、 彦 根 へ や っ て き た 安 倍 季 良 に 見 せ た と こ ろ ﹁ 格 別 之 賞 ニ 而 、 青 葉 ニ 而 者 有 間 敷 、 さ え た ニ 可 有 抔 と 申 聞 る ﹂ と い う 判 断 だ っ た 。﹁ さ え た ﹂ は 小 枝 の こ と で 、 蟬 に 小 枝 を 残 し た 笛 を 小 枝 と 称 し て い た ら し い 。 青 葉 も 小 枝 も よ く 知 ら れ た 銘 だ っ た 。﹃ 楽 家 録 ﹄ に は 敦 盛 所 持 の ︵ マ マ ︶ 左 枝 ・ 青 葉 が 見 え 、 青 葉 は 播 磨 須 磨 寺 に 在 り と あ ︶22 ︵ る 。 こ こ で 注 目 し た い の は 、 能 の ﹁ 敦 盛 ﹂ に 、﹁ 小 枝 0 0 蟬 折 さ ま ざ ま に 、 笛 の 名 は 多 け れ ど も 、 草 刈 り の 吹 く 笛 な ら ば こ れ も 名 は 、 青 葉 の 笛 0 0 0 0 と 思 し め せ ﹂ ︵ 傍 点 筆 者 ︶ と あ る こ と で あ る 。 直 亮 と 季 良 が 小 枝 か 青 葉 か と 論 じ て い る の は 、 楽 書 の 記 述 を 前 提 に 、﹁ 敦 盛 ﹂ の 章 句 が 念 頭 に あ る よ う に 思 う 。 竹 生 島 の 笛 は 、 も ち ろ ん 須 磨 寺 の 笛 と は 異 な る が 、 小 枝 と 見 な す こ と も 可 能 な 特 殊 な 形 状 の 笛 を 所 持 し た い と の 願 望 は 、 能 の 素 養 に 基 づ く 文 学 的 な 興 味 に 基 づ く よ う に 思 わ れ る 。 五 月 に 献 上 さ せ 、 八 月 に は 、 竹 生 島 の 常 行 院 を 呼 び 寄 せ て 、 代 わ り の 笙 や 龍 笛 を 奉 納 し た 。 享 保 十 九 年 ︵ 一 七 三 四 ︶ に な っ た 寒 川 辰 清 の ﹃ 近 江 国 輿 地 志 ︶23 ︵ 略 ﹄ に は 、 竹 生 島 大 神 宮 寺 の 什 物 と し て ﹁ 源 義 経 の 扇 の 絵 、 小 枝 笛 、 平 敦 盛 所 持 な り 、 静 が 鼓 ﹂ と 見 え 、 小 枝 笛 は 敦 盛 所 持 と し て い る 。 に も か か わ ら ず 青 葉 笛 を 我 が 物 と し た 直 亮 は 、 早 速 ﹁ 銘 ヲ 改 メ 義 経 丸 ト ス ﹂ と 変 え て し ま っ た 。 静 所 持 と い う 鼓 胴 が あ る か ら に は 笛 は 義 経 所 持 で な く て は な ら な い と 考 え た の だ ろ う ︶24 ︵ か 。﹃ 教 訓 抄 ﹄ や ﹃ 糸 竹 口 伝 ﹄ に 記 さ れ た 名 物 楽 器 は す で に 伝 世 し て い な か っ た 。﹃ 楽 家 録 ﹄ 記 載 の 重 器 も 直 亮 か ら 見 る と 全 幅 の 信 を お け る も の で は な か っ た 。 こ の 命 名 に 、 直 亮 自 ら が 名 器 を 作 り 出 し て い く の だ と い う 意 志 を 見 る の は 考 え す ぎ だ ろ う か 。 こ の よ う な 通 常 と は 異 な る 変 わ っ た 笛 は 、 ほ か に も 見 る こ と が で き る 。 小 枝 が 残 さ れ た 笛 に は 青 葉 笛 の ほ か に 呉 竹 笛 ︵ 一 七 二 番 、 古 管 、 小 枝 付 ︶ が あ り 、 作 り が 変 わ っ た も の で は 、 皮 肌 の は ま つ と 笛 ︵ 四 四 番 ︶ 、 竹 皮 の ま ま 樺 巻 し
(齋藤) 32 た 無 銘 古 管 笛 ︵ 五 三 番 ︶ 、 あ こ め 巻 の 斑 鳩 丸 ︵ 八 七 番 、 上 位 ︶ 、 赤 色 平 樺 巻 の 神 楽 笛 ︵ 一 八 七 番 、 古 管 ︶ な ど を 集 め て い ︶25 ︵ る 。 構 造 の 変 わ っ た も の と し て は 、 四 つ の パ ー ツ に 分 か れ た 四 継 の 笛 ︵ 七 九 番 ・ 八 〇 番 ︶ が あ る 。 ま た 材 質 の 変 わ っ た 笛 に は 、 鉄 製 の 国 屋 寿 笛 ︵ 一 三 一 番 、 極 上 ︶ を 筆 頭 に 、 鉄 刀 木 之 笛 ︵ 八 一 番 、 下 位 ︶ 、 紫 檀 の 笛 ︵ 番 外 ︶ や 、 象 の 龍 笛 ︵ 番 外 ︶ と 篳 篥 ︵ 番 外 ︶ 、 陶 器 篳 篥 ︵ 一 四 四 番 、 中 ︶ 、 蠟 石 製 の 梅 花 笛 ︵ 一 六 五 番 ︶ な ど が あ る 。 国 屋 寿 笛 は 、 後 鳥 羽 院 作 と い う 。 後 鳥 羽 院 は 刀 剣 を 好 み 、 番 鍛 冶 に 作 刀 さ せ た と の 伝 承 が あ る こ と か ら 、 鉄 で 笛 も 作 っ た と 考 え た の か も し れ な い 。 そ の 由 緒 と 材 質 の 珍 し さ の 評 価 が 極 上 だ と い う こ と だ ろ う 。 楽 器 と い う 実 用 の 道 具 の 機 能 は ひ と ま ず 措 い て 、 博 物 趣 味 に も 通 ず る あ ら ゆ る 種 類 の 楽 器 を 集 め よ う と い う 意 識 が み え る 。 五 写 し と 古 竹 、 収 納 、 贈 答 直 亮 の 関 心 は 名 管 や 古 管 、 珍 奇 な 管 に 向 け ら れ た だ け で は な い 。 日 本 美 術 へ の 視 点 の ひ と つ に 、 オ リ ジ ナ ル に 対 す る 写 し の 問 題 が あ る 。 楽 器 も 例 外 で は な い 。 初 雁 笙 ︵ 一 九 番 ︶ は 、 竹 管 に ﹁ 享 保 壬 子 、 仍 多 武 峯 二 帯 寸 法 、 用 天 正 年 中 古 竹 製 之 ﹂﹁ 正 四 位 下 大 隅 守 太 秦 広 房 作 之 ﹂ の 銘 記 が 記 さ れ て い る 。 享 保 十 七 年 ︵ 一 七 三 二 ︶ に 林 広 房 ︵ 一 六 六 九 ∼ 一 七 四 七 ︶ が 作 っ た こ と が わ か る 。 林 家 は 太 秦 姓 を 名 乗 る 天 王 寺 方 の 楽 家 で 、 笙 を 家 業 と し て い た 。 多 武 峯 の 二 帯 と い う 銘 の 笙 の 寸 法 に よ り 、 天 正 年 中 ︵ 一 五 七 三 ∼ 一 五 九 二 ︶ 産 の 古 竹 で 作 っ た と い う 。 多 武 峯 は 奈 良 県 桜 井 市 の 談 山 神 社 の こ と で 、 二 帯 は 現 在 も 同 社 に 所 蔵 さ れ て い る 。 天 福 元 年 ︵ 一 二 三 三 ︶ に 行 円 が 作 っ た こ と が 明 ら か で 、 竹 管 を 束 ね る 帯 は 通 常 は 竹 を 模 し た 一 重 だ が 、 二 帯 で は 二 重 に な っ て お り 、 銘 も そ こ か ら つ け ら れ た 。﹃ 楽 家 録 ﹄ に ﹁ 二 帯 、 在 和 州 高 市 郡 多 武 峯 ﹂ と あ る こ と か ら も 、 名 器 と し て 著 名 だ っ た こ と が 知 ら れ る 。 一 般 的 に 写 し に は 、 一 見 し た と こ ろ で は 本 歌 と 区 別 が つ か な い よ う な 精 巧 な 写 し か ら 、 本 歌 の 意 を く ん で 作 ら れ
た 写 し ま で 精 粗 に よ り 段 階 が あ る 。 初 雁 笙 の 場 合 は 、﹁ 帯 、 六 節 、 銀 ﹂ と あ る だ け だ か ら 、 特 徴 で あ る 二 重 の 帯 を 写 し た 形 跡 は な ︶26 ︵ い 。 ま た 、 二 帯 笙 の 匏 が 、 黒 漆 塗 菊 文 蒔 絵 な の に 対 し ︶27 ︵ て 、 初 雁 笙 で は 黒 漆 塗 月 に 雁 蒔 絵 と な る 。 写 し て い る の は 竹 管 の 寸 法 だ け で あ っ て 、 形 状 を そ っ く り に 写 す と い う 徹 底 性 は な い 。 初 雁 笙 と 同 様 に 古 竹 で 名 管 を 写 し た 例 に 、 小 薄 之 写 篳 篥 ︵ 一 四 番 ︶ が あ り 、﹁ 右 管 、 安 倍 加 賀 守 家 伝 来 の 古 竹 ヲ 以 、 安 倍 家 蔵 ノ 小 薄 ヲ 写 さ せ 、 到 来 の 品 也 ﹂ と あ る 。 安 倍 加 賀 守 は 安 倍 季 良 の こ と で 、 小 薄 は 安 倍 家 重 代 の 著 名 な 篳 篥 だ っ た 。 小 薄 之 写 篳 篥 を 見 る と 、 外 観 は ご く 新 し く 見 え る 。 古 色 を つ け る こ と も し な い の で 、 見 分 け が つ か な い と い う 意 味 で の 写 し で は な い 。 関 心 は あ く ま で 寸 法 に あ っ た よ う だ 。 た だ 寸 法 を 写 す だ け な ら ば 、 材 を 吟 味 す る こ と は 当 然 と し て も 古 竹 を 使 う 必 要 は な い よ う に 思 う が 、 初 雁 笙 で は 百 年 以 上 前 に 産 し た 古 竹 を 使 っ た と い う 。 竹 材 に つ い て 、 平 安 時 代 末 期 以 降 の 成 立 か と い う ﹃ 懐 竹 抄 ﹄ に 、 藤 原 忠 実 の 説 と し て 、 古 ︵ 胡 ︶ 竹 、 甘 竹 、 若 竹 、 黄 竹 の 四 種 を あ げ 音 色 の 特 色 を 記 し て い ︶28 ︵ る 。 竹 の 種 類 に よ り 音 色 に 違 い が あ る と の 指 摘 で あ る 。 ま た 、﹃ 楽 家 録 ﹄ に は 、 中 国 産 の 竹 が よ い の だ け れ ど も 手 に 入 ら な い か ら 日 本 産 の 寒 い 地 方 の 竹 を 使 い 、 そ れ も 古 い 竹 が よ い と い う 。 こ う し て み る と 、 初 雁 笙 や 小 薄 之 写 篳 篥 を 作 る の に 古 竹 を 使 っ た の は 、 第 一 義 に は 良 い 音 色 を 求 め て と い う こ と が 理 解 さ れ る 。 写 し で は な い が 、 古 竹 を 使 っ た 例 に 、 無 銘 狛 笛 ︵ 一 八 番 、 新 管 ︶ が 、 ﹁ 右 、 南 都 元 興 寺 門 前 小 屋 普 請 之 時 、 屋 根 裏 之 竹 ヲ 以 新 調 ス ル 、 年 数 ︵ 3 字 分 ア キ ︶ ニ 及 ブ 由 ﹂ と あ り 、 元 興 寺 門 前 の 小 屋 に 特 別 の 意 味 が あ る の か は わ か ら な い が 、 材 の 古 さ を 言 お う と し て い る こ と は 確 か だ ろ う 。 こ の ほ か に も 、﹁ 古 き 竹 ヲ 以 作 ル 品 ﹂ ︵ 神 楽 笛 、 二 三 番 、 新 管 ︶ 、﹁ 管 者 古 き 竹 ニ て 作 り た る 物 と 見 ゆ る ﹂ ︵ 篳 篥 、 一 二 八 、 中 下 ︶ 、﹁ 年 古 き 竹 ニ て 作 ﹂ ︵ 神 楽 笛 、 一 七 番 ︶ と み え て い て 、 古 竹 が 笛 を 作 る 材 と し て 尊 重 さ れ た こ と が わ か る 。 よ い 音 色 を 求 め て 名 管 の 寸 法 を 写 し 、 古 竹 を 用 い た の だ ろ う 。
(齋藤) 34 材 自 体 の 由 緒 に 意 味 が あ る も の も あ る 。 山 下 篳 篥 ︵ 一 三 番 ︶ は 、 京 都 ・ 高 台 寺 の 茶 室 、 時 雨 亭 の 垂 木 に 使 わ れ て い た 竹 で 作 っ た 篳 篥 で 、 篳 篥 を 家 業 と し て い た 天 王 寺 方 の 楽 家 、 東 儀 家 が 所 蔵 す る ﹁ ひ ぐ ら し ﹂ と い う 銘 の 篳 篥 を 写 し た と い ︶29 ︵ う 。 本 歌 の 銘 ﹁ 蜩 ﹂ と 竹 材 の 時 雨 亭 か ら 発 想 し て 、 山 下 と 名 付 け た 。 山 下 の 銘 を 介 し て 、 蜩 、 時 雨 、 時 雨 亭 、 高 台 寺 と 連 な っ て 、 連 想 が 連 想 を 呼 ぶ 。 た だ 単 に 東 儀 家 の 蜩 篳 篥 を 写 し た と い う だ け で は な く 、 時 雨 亭 の 垂 木 竹 を 使 う こ と で 、 イ メ ー ジ が 広 が り を み せ る 。 直 亮 は 、 こ ん な 文 学 的 な 趣 向 を 楽 し ん で い る 風 も あ る 。 こ だ わ り は 、 楽 器 本 体 ば か り で は な い 。 そ れ を 納 め る 袋 に 趣 向 を 凝 ら し た 裂 を 使 い 、 さ ら に 、 笛 筒 や 箱 に 唐 木 を 使 っ た り 、 蒔 絵 、 あ る い は 螺 鈿 を 駆 使 し て 、 銘 に ふ さ わ し い デ ザ イ ン を 施 し 、 ま た 銘 を 金 粉 字 形 で 記 し た り す る 。 篳 篥 を 納 め る 管 筥 を 家 と 呼 ん で い る 。 閉 じ た 扇 の 形 で 、 上 面 が 下 端 の 要 を 軸 に 水 平 に 開 く よ う に な っ て い る 。 篳 篥 馴 管 ︵ 一 二 四 番 、 中 ノ 上 ︶ の 家 は 、 表 面 を き れ い に 仕 上 げ て 素 地 に 波 に 飛 ぶ 千 鳥 を 描 き 、 要 に は 波 丸 の 貝 片 を 嵌 め 込 む 。 と こ ろ が 底 面 を 見 る と 、 虫 食 い 状 に な っ て お り 、 特 別 な 材 で あ る こ と が わ か る 。 外 箱 蓋 裏 に 、﹁ 天 保 年 始 、 依 勅 命 、 南 都 東 大 寺 三 庫 修 造 之 時 得 撤 脚 椽 、 天 保 八 年 丁 酉 孟 春 造 此 管 匣 ﹂ の 墨 書 が あ ︶30 ︵ る 。 東 大 寺 三 庫 と は 正 倉 院 の こ と で 、 こ れ を 修 理 し た と き に 撤 去 し た 垂 木 材 で 、 天 保 八 年 ︵ 一 八 三 七 ︶ に 作 っ た 。 素 地 と す る の は 、 こ の 材 の 由 緒 を 考 え て の こ と だ ろ う 。 正 倉 院 ば か り で は な い 。 小 篠 篳 篥 ︵ 一 二 一 番 、 上 ︶ は 、 家 の 蓋 裏 に ﹁ 三 笠 山 神 櫟 、 年 月 乞 権 預 主 水 正 中 臣 延 栄 朝 臣 、 為 管 笥 者 也 、 寛 □ 辰 秋 近 光 造 ﹂ の 朱 漆 銘 が あ っ て 、 奈 良 ・ 春 日 大 社 の 神 体 山 で あ る 三 笠 山 の 櫟 の 木 で 作 っ た こ と が わ か る 。 近 光 は 南 都 楽 所 の 楽 人 、 窪 近 光 ︵ 一 六 八 九 ∼ 一 七 五 二 ︶ で 、 篳 篥 を 家 業 と し て い た 。 近 光 の 生 存 中 、 辰 年 で 年 号 に ﹁ 寛 ﹂ が つ く の は 、 寛 延 元 年 ︵ 一 七 四 八 ︶ が あ る 。 春 日 大 社 の 神 事 に 供 奉 す る 南 都 の 楽 人 と し て 、 家 蔵 の 篳 篥 の 家 の 材 と し て 御 笠 山 の 神 木 が 好 ま し く 思 わ れ た の だ ろ う 。 先 に ふ れ た 、 後 鳥 羽 天 皇 所 持 、 山 崎 天 王 山 の 神 宝 で 六 条 家 に 譲 ら れ た と い う 宮 城 野 笛 ︵ 一 二 九 番 、 上 ︶ の 笛 筒 は 、 賀 茂 山 の 桂 木 で 新 作 し て 龍 胆 車 の
蒔 絵 と し 、 袋 は 賀 茂 明 神 の 神 宝 の 裂 で あ る と い う 。﹁ り ん と う 車 の 蒔 絵 ハ 源 家 之 印 ニ 御 坐 候 由 、 葵 桂 之 取 合 セ ニ 御 座 候 ﹂ と あ る の は 、 六 条 家 が 村 上 源 氏 久 我 流 の 堂 上 家 で あ っ た こ と に よ り 、 葵 桂 は 葵 祭 で 使 う 飾 の こ と を 言 っ て い る 。 後 鳥 羽 院 所 持 と 伝 え る 由 緒 正 し き 名 管 を 納 め る た め に 用 意 さ れ た の が 、 賀 茂 山 の 桂 と 賀 茂 明 神 の 神 宝 の 裂 だ っ た 。 楽 器 は そ の 価 値 に ふ さ わ し い 入 れ 物 を 用 意 し て 荘 厳 す る こ と が 重 要 だ っ た 。 こ こ で は 楽 器 本 体 も さ る こ と な が ら 、 家 や 袋 の 由 緒 に も 関 心 が 向 っ て い る 。 最 後 に 、 直 亮 自 ら の 収 集 と い う わ け で は な い が 、 無 銘 の 篳 篥 ︵ 番 外 ︶ に は 、 ま た 別 の 意 味 が あ る 。 篳 篥 自 体 は 江 戸 時 代 後 期 の 制 作 と 見 ら れ 、 と り た て て い う こ と は な い 。 注 目 す べ き は 木 地 拭 漆 塗 り の 家 で あ る 。 外 箱 蓋 表 に 、﹁ 此 内 新 管 入 / 御 篳 篥 外 箱 三 条 家 よ り 到 来 ﹂ の 墨 書 が あ り 、 さ ら に 貼 紙 に は 、﹁ 篳 篥 / 家 紫 震 殿 [ ]/ 桜 樹 之 古 枝 造 之 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 三 条 家 か ら 井 伊 家 に 送 ら れ た こ と 、 家 の 材 料 が 、 御 所 の 紫 宸 殿 の 南 に 植 え ら れ た 左 近 の 桜 の 古 枝 で あ る こ と が わ か る 。 作 品 を 見 て い る だ け で は わ か ら な い が 、 サ ク ラ 材 の 来 歴 に こ だ わ り が あ る 。 そ れ だ け で は な い 。 要 の 金 具 を 枝 橘 と す る こ と が ポ イ ン ト で あ ろ う 。 こ こ に 左 近 の 桜 と セ ッ ト に な る 右 近 の 橘 が あ ら わ さ れ て い る 。 橘 に 井 伊 家 の 家 紋 ︵ 彦 根 橘 ︶ が 意 識 さ れ て い る こ と は い う ま で も な い 。 そ し て 、 井 伊 家 当 主 の 多 く が 左 近 衛 中 将 を 極 官 と す る こ と か ら 、 そ の 職 掌 が 意 識 さ れ る と い う 仕 組 み で は な か ろ う か 。 幕 末 の 政 治 情 勢 を 念 頭 に 置 く と 、 こ の 篳 篥 が 、 い つ 三 条 家 か ら 井 伊 家 に 贈 ら れ た の か が 問 題 と な る 。﹃ 楽 器 類 留 ﹄ に 比 定 で き る も の が な い こ と か ら 直 亮 以 降 の 世 代 で あ っ た 可 能 性 も あ る が 、 直 亮 が 枝 橘 文 を 好 ん だ こ と や 、 篳 篥 を 贈 る 相 手 と し て ふ さ わ し い 人 物 を 考 え れ ば 、 直 亮 に 贈 ら れ た 可 能 性 が 高 い 。 想 像 を 逞 し く す れ ば 、 三 条 実 万 が 嘉 永 元 年 ︵ 一 八 四 八 ︶ 武 家 伝 奏 と な っ て お り 、 こ れ を 契 機 と 想 像 す る こ と も で き る 。 い ず れ に し ろ 、 こ う し た 取 り 合 わ せ に 意 味 が 込 め ら れ て い る こ と は 確 か で 、 深 読 み に な ら な い 程 度 に 贈 答 の 意 図 に も 留 意 し て お く 必 要 が あ ろ う 。
(齋藤) 36 む す び 治 宝 に し ろ 直 亮 に し ろ、彼 ら は 幼 い 頃 か ら 儒 教 の 教 育 を 受 け て い る こ と か ら、 ﹁君 子 の 楽﹂と し て の 音 楽 の 在 り 方に対する認識は、 生来のものであったといってよい。 なぜ彼らは楽器を収集するのか。 ﹃楽家録﹄ では ﹁君子徳備 即器亦自得 之、 而有 其妙備 ﹂ とする。 徳ある君子の所に名器が集まるとの考えである。 ならば現実に、 徳ある者 に 名 器 が 自 ず か ら 集 ま っ て 来 る か と 言 え ば、そ れ は あ り 得 な か っ た。 ﹃楽 器 類 留﹄に 代 価 が 記 さ れ る こ と に 如 実 に 示 さ れ て い る。つ ま る と こ ろ 入 手 で き る か ど う か は、個 人 の 意 志 で 使 え る 財 源 が あ る か ど う か だ っ た。萬 歳 丸 笙 ︵一〇一番︶ の値は四百五十両だった。 しかし直亮は、 すぐに全額を支払ったわけではない。 まず三百両を内金とし て支払い、 残りは後日ということになった。 直亮から山井景典への書状に、 ﹁何分高価之品ニ而、 此方役人共江申出 候 ニ も、甚 当 惑 御 察 給 り 度 候 次 第 故、存 意 ニ 不 任、此 度 右 之 金 子 指 出 し 候 、武 器 と 違 ひ 遊 用 而 巳 之 品 強 而 申 出 候 ハヽ、役人江対し迷惑之次第、無拠三包指出し候事候﹂と言い訳している。武器と違い遊用のみの品というところ に、直亮の意識の一端があらわれている。 直亮は、教養としては﹁君子の楽﹂を踏まえ、当時の緊迫した世相を充分に理解した上で、それでもなお自らの 興味の趣くままに、従来の評価にとらわれず自己の価値観、美意識を第一として財力をつぎ込み、情熱をもってあ らゆる楽器を収集しようとした。確かに収集したのは伝統的な雅楽の楽器だったが、古物趣味というだけでは捉え きれない直亮の視点がある。 彼の収集対象は楽器にのみとどまっていたわけではない。刀剣や絵画、茶道具、洋学関係など多方面に及ぶ。さ らには絵師や能役者を召し抱え、湖東焼という藩窯を興し、自らの歌集を編むなど、その興味はとどまるところを
知らない。当時も現在も直亮の評価はけっして高くはない。気まぐれな大名のわがままと言ってしまえばそれまで だが、結果として近代美術コレクターの先駆けともいいうる生き方を押し通したところに直亮のおもしろさがある。 ︵ 1 ︶ 例えば、 豊 永聡美 ﹃中世の天皇と音楽﹄ ︵吉川弘文館、 二〇〇六年︶ 、 三島暁子 ﹃天皇・将軍・地下楽人の室町音楽史﹄ ︵思 文閣出版、二〇一二年︶など。 ︵ 2 ︶ 遠 藤 徹 ﹁徳 川 治 宝 の 時 代 の 音 楽 に つ い て の 一 試 論﹂ ︵国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 編﹃楽 器 は 語 る — 紀 州 藩 主 徳 川 治 宝 と 君 子 の 楽 — ﹄所収、国立歴史民俗博物館、二〇一二年︶ 。 ︵ 3 ︶ 紀州徳川家伝来品は、国立歴史民俗博物館編﹃紀州徳川家伝来楽器コレクション﹄ ︵﹃ 国立歴史民俗博物館資料図録﹄三、 国立歴史民俗博物館、二〇〇三年︶に詳細な報告があり、同館のデータベースでも公開されている。治宝の収集については、 日高薫 ﹁紀州徳川家伝来楽器コレクションの概 要とその価値﹂ ︵ 前掲 ︵ 2 ︶﹃楽器は語る — 紀州藩主徳川治宝と君子の楽 — ﹄ 所収︶ 。井伊家伝来品の主要作品は、彦根城博物館編﹃日本の楽器 — 織りなす音・雅びの世界 — ﹄︵彦根市教育委員会、一九 九六年︶ に図版が掲載されている。 直亮の収集については、 齋藤望 ﹁彦根藩井伊家伝来の雅楽器﹂ ︵独立行政法人文化財研究 所 東 京 文 化 財 研 究 所 編﹃第 二 十 五 回 国 際 研 究 集 会 報 告 書 日 本 の 楽 器 — 新 し い 楽 器 学 へ 向 け て — ﹄︵独 立 行 政 法 人 文 化 財 研 究所東京文化財研究所、二〇〇三年︶ 。 ︵ 4 ︶ 前掲︵ 2 ︶﹃ 楽器は語る — 紀州藩主徳川治宝と君子の楽 — ﹄。 ︵ 5 ︶ ﹃枕 草 子 ﹄﹃江 談 抄﹄ ﹃古 事 談﹄は﹃新 日 本 古 典 文 学 大 系﹄ ︵岩 波 書 店︶ 、﹃教 訓 抄﹄は﹃日 本 思 想 大 系﹄ ︵岩 波 書 店︶に 収 録。 ﹃糸竹口伝﹄は、飯島一彦﹁井伊家旧蔵・後崇光院筆﹃糸竹口伝﹄ ﹂︵ ﹃梁塵 研究と資料﹄一四、一九八六年︶ 。 ︵ 6 ︶ ﹃楽家録﹄ ︵﹃ 日本古典全集﹄ 、日本古典全集刊行会、一九三五年︶ 。 ︵ 7 ︶ このほかに熊沢次郎八伯継、則ち岡山藩池田家に使えた儒者、熊沢蕃山︵一六一九∼一六九一︶が横笛﹁木枯﹂を所持し て いたことが知られる。儒者が名器を所蔵することが興味深い。 ︵ 8 ︶ 国立国会図書館デジタルコレクションで画像を閲覧することができる。 ︵ 9 ︶ 朝尾直弘他編﹃譜代大名井伊家の儀礼﹄ ︵﹃ 彦根城博物館叢書﹄五、彦根城博物館、二〇〇四年︶ 。
(齋藤) 38 ︵ 10︶ 母 利 美 和 ﹁ 資 料 翻 刻 腰 物 鎗 長 刀 類 拵 書 帳 ﹂ 一 ∼ 三 ︵﹃ 彦 根 城 博 物 館 研 究 紀 要 ﹄ 三 ∼ 五 、 一 九 九 二 年 ∼ 一 九 九 四 年 ︶。 ︵ 11︶ 齋 藤 望 ・ 渡 辺 恒 一 ﹁ 資 料 翻 刻 楽 器 類 留 ﹂ 上 ・ 下 ︵﹃ 彦 根 城 博 物 館 研 究 紀 要 ﹄ 七 ・ 一 〇 、 一 九 九 六 年 ・ 一 九 九 九 年 ︶。﹁ 楽 器 類 留 ﹂ に は 主 に 管 楽 器 を 収 録 す る 。 他 に 弦 楽 器 を 記 載 し た 別 目 録 が あ る が ︵ 彦 根 城 博 物 館 の 髙 木 文 恵 氏 の ご 教 示 に よ る ︶ 未 公 刊 で あ る 。 記 載 の 形 式 は 、 通 し 番 号 、 位 付 け 、 名 称 、 数 量 、 本 体 の 法 量 ・ 銘 記 ・ 品 質 や 、 袋 や 箱 な ど 付 属 品 の 品 質 ・ 形 状 、 そ し て 伝 来 ・ 取 り 入 れ に い た る 経 緯 ・ 作 品 の 鑑 定 な ど に 関 す る 書 状 や 譲 状 の 抜 書 な ど か ら な る 。 な お 、 前 記 ﹃ 紀 要 ﹄ 一 〇 号 に 附 し た ﹁﹁ 楽 器 類 留 ﹂ 所 載 楽 器 一 覧 ﹂ で ﹁ 先 代 ﹂ を 直 興 と 記 載 し た が 、 直 中 の 誤 り で あ る の で 訂 正 す る 。 ︵ 12︶ 江 戸 時 代 の 楽 器 師 に つ い て は 、 畦 地 慶 司 ﹁ 近 世 京 都 の 楽 器 職 人 と 楽 器 商 の 系 譜 — 地 誌 類 に よ る — ﹂︵ ﹃ 東 洋 音 楽 研 究 ﹄ 六 三 、 一 九 九 八 年 ︶、 岩 淵 令 治 ﹁ 楽 器 師 神 田 大 和 掾 — ﹁ 伝 統 ﹂ を 売 る 男 — ﹂︵ 前 掲 ︵ 2 ︶﹃ 楽 器 は 語 る — 紀 州 藩 主 徳 川 治 宝 と 君 子 の 楽 — ﹄︶ 。 ︵ 13︶ ﹃ 振 吟 要 録 ﹄ は ﹃ 古 事 類 苑 ﹄ に よ っ た 。 ︵ 14︶ 彦 根 城 博 物 館 所 蔵 楽 器 の 在 銘 資 料 に つ い て は 、 齋 藤 望 ﹁ 井 伊 家 伝 来 楽 器 の 在 銘 資 料 ﹂ 上 ∼ 下 ︵﹃ 彦 根 城 博 物 館 研 究 紀 要 ﹄ 一 ・ 一 三 ・ 二 〇 、 一 九 八 八 年 ・ 二 〇 〇 二 年 ・ 二 〇 〇 九 年 ︶。 ︵ 15︶ ﹃ 寺 社 宝 物 展 閲 目 録 ﹄︵ ﹃ 続 々 群 書 類 従 ﹄︶ 。 ︵ 16︶ 楽 器 の 流 通 、 収 集 の 観 点 か ら 海 浦 笙 、 福 原 龍 笛 に 言 及 し た も の に 、 高 坂 麻 子 ﹁ 和 楽 器 の 装 飾 に つ い て ∼ 彦 根 藩 ・ 井 伊 家 伝 来 楽 器 を 中 心 に ∼ ﹂︵ ﹃ 奈 良 大 学 大 学 院 研 究 年 報 ﹄ 八 、 二 〇 〇 三 年 ︶ が あ る 。 ︵ 17︶ 前 掲 ︵ 12︶ 岩 淵 論 文 。 ︵ 18︶ 行 円 、 頼 尊 に つ い て は 、 齋 藤 望 ﹁ 信 貴 山 の 笙 制 作 者 ﹂︵ ﹃ 日 本 美 術 工 芸 ﹄ 六 〇 八 、 一 九 八 九 年 ︶。 ︵ 19︶ こ の 神 楽 笛 は 後 に 井 伊 直 憲 か ら 御 所 に 献 上 さ れ 、 現 在 、 三 の 丸 尚 蔵 館 に 収 蔵 さ れ て い る 。 研 究 代 表 者 高 桑 い づ み ﹃ 古 楽 器 の 形 態 と 音 色 に 関 す る 総 合 研 究 ﹄︵ 平 成 13∼ 15年 度 科 学 研 究 費 補 助 金 基 盤 研 究 ︵ c ︶︵ 2 ︶ 研 究 成 果 報 告 書 、 課 題 番 号 一 三 六 一 〇 〇 六 四 、 二 〇 〇 三 年 ︶。 ︵ 20︶ 多 忠 龍 ﹁﹁ 鳳 笙 名 作 人 名 録 ﹂ そ の ほ か ﹂︵ 多 忠 龍 ﹃ 雅 楽 ﹄、 六 興 商 会 出 版 部 、 一 九 四 二 年 ︶。 宮 崎 ま ゆ み ﹁ 名 箏 ﹁ 山 下 水 ﹂ 考 ﹂ ︵﹃ 宮 崎 大 学 教 育 文 化 学 部 紀 要 芸 術 ・ 保 健 体 育 ・ 家 政 ・ 技 術 ﹄ 六 、 二 〇 〇 二 年 ︶、 前 掲 ︵ 12︶ 岩 淵 論 文 が 示 唆 す る よ う に 、 古 楽 器 に は 売 り 込 み を 目 的 と し て 、 贋 作 や 偽 銘 、 収 納 箱 を 適 宜 組 み 合 わ せ る な ど し て 商 品 を 作 り 出 し て し ま う 可 能 性 を 考 え て お く 必 要 が あ る 。 ︵ 21︶ 手 馴 管 と は 、 初 代 神 田 作 篳 篥 ︵ 六 五 番 ︶ に ﹁ 不 手 馴 今 日 ニ 到 ル 所 、 甚 珍 ら 敷 品 な り ﹂ と あ る こ と か ら 判 断 す る と 、 使 い こ
んだ管という意味であろう。 ︵ 22︶ 須磨寺の青葉については、磯水絵﹃説話と横笛 — 平安京の管絃と楽人 — ﹄︵勉誠出版、二〇一六年︶ 。 ︵ 23︶ ﹃近江国輿地志略﹄ ︵大日本地誌大系刊行会、一九一五年︶ 。 ︵ 24︶ ﹃彦根市史﹄ 上冊 ︵彦根市役所、 一九六〇年︶ では、 竹生島文書 ︵﹃東浅井郡志﹄ 、 滋賀県東浅井郡教育会、 一九二七年︶ に より、竹生島の連管は、彦根寺僧の重恵相伝の漢竹製の笛で、銘を時雨丸、高音丸といい、弟子の宗恵により奉納されたも ので、その後、義経所持の青葉の笛との所伝が加えられ、静御前所持という鼓胴と共に参詣者に拝観させていたのだろうと し、佐和山城主であった磯野員昌が取り寄せて織田信長に見せたことを指摘している。この連管は観音開きの小型厨子に収 められており、いかにも宝物拝観の装置にふさわしい。なお現在の目で見るとこの連管はとても義経や敦盛の時代にると は思われない。鼓胴も銘記から永享 二年︵一四三〇︶に源左京大夫持信が奉納したことが明らかで、静と結びつく根拠はな い ︵灰 野 昭 郎﹁雷 雲 蒔 絵 鼓 胴﹂ 、﹃学 叢﹄五、一 九 八 三 年︶ 。鼓 胴 は 現 在、 MIHO MUSEUM の 所 蔵 と な っ て い る。ち な み に、 ﹃振吟要録﹄ には、 ﹁竹生島神宝横笛 ︹号 小枝 ︺、 副 件横笛 、 有 高麗笛 ﹂︵ ︹ ︺ は割書︶ とあって、 直亮が手に入れた笛 とは別に、竹生島に小枝があるとする。弘化三年に安倍季資は彦根で青葉笛を見ているから、青葉笛と小枝は別のものと判 断したのかも知れない。 ︵ 25︶ このような樺巻を施さない笛は中世以前の古製を伝えている可能性がある。高桑いづみ・野川美穂子﹁調査報告・各地に 伝承された横笛﹂ ︵﹃芸能の科学﹄三二、二〇〇五年︶ 。 ︵ 26︶ 井伊家伝来の笙の帯は、近代になって盗難にあっており、初雁笙の帯が本来二重になっていたかどうかはわからない。し かし﹃楽器類留﹄の記載から、通常の帯だった可能性が高い。 ︵ 27︶ 元禄十四年︵一七〇一︶の包裂墨書によれば、現在の袍は、近衛基熈の援助を受けて笙を修理した際に御物太子丸の袍を 賜ったものであるという。 ︵ 28︶ ﹃懐竹抄﹄ ︵﹃群書類従﹄ ︶。 ︵ 29︶ 銘を詠んだ和歌詠草が付属する。真乗なる人物の経歴は明らかでない。 高台寺の時雨の亭にもちひたる、たるき竹もて、東儀か家に伝はれる、ひくらしといへるひちりきを、うつし作らせて、銘 を 需められけれは、山陰となつけて、よみておくり侍る 真乗 またきよりしくれの雨のきこゆるは山した陰の日くらしの声 ︵ 30︶ この箱は現在、沢辺篳篥︵三番、古管︶の箱になっている。箱蓋覆紙に﹁篳篥二管入/古木貝尽筒/木地波水鳥筒﹂の墨
(齋藤) 40 書 が あ る 。 古 木 貝 尽 は 沢 辺 篳 篥 、 木 地 波 に 水 鳥 は 篳 篥 馴 管 を さ す と 考 え ら れ る の で 、 本 来 は 篳 篥 馴 管 の 箱 で あ っ た こ と が わ か る 。 ︵ 大 谷 大 学 教 授 日 本 美 術 史 ︶ ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ コ レ ク シ ョ ン 、 名 物 、 雅 楽