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沖縄県下の猪垣(一)

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沖縄県下の猪垣(ー)

矢 ケ 崎 孝 雄

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はしがき

南西諸島のうち r南島」に属する沖縄県 は,大小合せて

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の島艇からなり,琉球諸 島と称される.これらの島艇はまた沖縄諸 島・宮古諸島・八重山諸島その他にわけられ, 宮古諸島・八重山諸島は合せて先島諸島とも 云われている(1) わが国土の最南西端に位 する島興の県である点,大きな特色を示すが, 具体的にはさらに顕著な特色をもっ地域であ る.イノシシの生息にも関係深い自然環境と しては,亜熱帯気候の南国で,イノシシの食 餌のドングリを産する照葉樹林に富んで、いる. その生息に障害をなす雪はみられない.島興 として海洋性は一段と色濃く,サンゴ礁の発 達はよく,筆者にとってアメリカ民政下はじ めて機内より眺めたエメラルド色の礁湖は忘 れられない.石灰岩の台地の広いことも特色 である.また台風の通路に当たり,風水害が あり,逆に干害にも見舞われる.過去には八 重山諸島で地震や津波の被害もあり,さらに マラリアの病害も著しかった. 沖縄は明るく恵み多い自然環境であるが, また厳しい面もあり 人ぴとはその環境に対 応して特色ある文化を築き,日本の古い姿を も伝承し,沖縄学ー(2)としての研究も進んで きた.その位置と豊かな海洋性から南方や大 陸との交流も古くから盛んで,鎖国前の日本 地図では,琉球人が南方で活躍したことから 琉球ははっきりと地図に記されている点(3) 注目されよう. 猪害に関係する農業面では,稲作は地形の 関係もあってか広い展開はみられなく,畑作 が主で,甘藷や甘蕉の比重が大きく,近年は パインアップルの栽培も盛んである.いずれ もイノシシの好餌で農民は対応に苦心してき ている状況である.とくに森林に覆われた山 地の発達する地域で,傾斜面に耕地を開いて きたので,猪害防除は緊要な課題になってき た.ただし,島艇によっては猪害のない島も ある.後述のように生息するイノシシの種類 も本土とは異なるが,猪害防除にも特色のあ ることが予想される.以下に考察を進めてい ることとする.

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イノシシと自然環境

リュウキュウイノシシ 沖縄本島・西表島にイノシシの生息するこ とは朝鮮半島人の漂流記 (1479) にあるとい うが,科学的な報告の最初は松原新之助だろ うとされる(4) その報告(5)は八重山で生獲 し宮内省に献納のイノシシについてのもので, 「内地の産J とやや形状を異にするといい,

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に縮小の図版を示しである.琉球諸島よ り鹿児島県下大島までに産するイノシシは同 類とし,特色を記すが,最大のもので41kg 余で,本土産の最大のものの74kg余よりは 小さい.これは中国より入ったものとみられ, また琉球では牡猪牝豚の交尾があり,子は山 に戻ることなども述べている.沖縄の野猪の 小形な点は黒岩恒 沖縄師範学校教諭が記述 した(4) 石垣島のイノシシを松本彦七郎は スス・スクローファ Susscrofiαとし,もとは 野生で,媛小で家豚の野生化したものとした. そして本土のものは等系スス・レウコミスタ クス Susleucomystaxで南方インド方面より 侵入したものと記す(6) これに対して阿部 余四郎は石垣島産イノシシを本土と同ーとし, 家豚とよく交配したため分類学者を悩ました 由とした(4) なお このあと沖縄産イノシ シの系統には論議があり 黒田長櫨博士は奄 美大島・沖縄島・石垣島・西表島産を同一亜 干重とし, リュウキュウイノシシ Susleucomy -stax riukiuωωsと命名し落着したようであっ た が(7) さらに近年,今泉古典博士は原始 的な独立種説を提出しているという(4) これを原始的な独立種とすると,イリオモ テヤマネコやイボイモリなどとともに,生き た化石の仲間に類するだろうと高良鉄夫博士 は記している(8) この種は前述のように小 形であるが,近年の研究結果では成獣オスで 体長 90~110cm,体重 50~70kg 前後,ニホン イノシシの体長150cm,体重 150kgに比較し てはるかに

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、さい(9) 一方,南島のイノシシは貝塚時代に渡来人 が持ち込んだ家畜が野生化したのだろう(直 良 信 夫 ) と の 説 も あ っ た が , 沖 縄 港 川 の フイッシャーから人骨とともに多量のイノシ シ骨が発見され,洪積世以来生息していたこ とが知られ,上記の野生化説は通用しなく なった(10) ところで,千葉徳爾博士はリュウキュウイ ノシシを,洪積世以前の化石の知られぬこと から,人類の持ち込みの可能性を認めている が,注目されるのはクライン現象である.す なわち沖縄本島の国頭地方のイノシシより, 八重山諸島西表島産のものが著しく体形が小 さいことを述べている.そして西表島の捕獲 イノシシの概算的平均重量を表示し 20kg 以下15kgのものが多く,極めて小形猪が多 く最大でも60kgにすぎない.これには気温 など自然条件による説明がなされているとい う(叫. ところで,石垣島・西表島など八重山にお いては,後述のように畑を荒らすイノシシが, 豚小屋に入り,飼育の牝豚と交配することが ある.イノブタの生成であるが,その仔猪は 前述のように山に逃げかえるという(12) ま た西表島では離乳期のイノシシを生けどり, 豚小屋で飼育もする.オスは荒く,牢獄のよ うな小屋に入れておく (13)というが,筆者も く に が み そ ん へ ん ど な かようなオリのイノシシを国頭村辺土名でみ た(写真1).八重山の例は松原氏も記じて おり (5) 大島博士は母を捨てることから不 孝 者 の こ と を ヤ マ シ シ と い う と 書 い て い る(7) なおこの現象は西表島では現代的な ものである(14) つぎにイノシシの生息地域をみよう.大型 H甫乳類め全国的生息・被害の分布については 晴 乳 類 分 布 調 査 科 研 グ ル ー プ の 発 表 ( 15) (1979) がある.このなかで,沖縄県下のイ ノシシの生息および被害地域は,石垣島・西 表島一円と,沖縄本島の北部と分断して中部 と に 分 布 し て い る . こ の あ と 環 境 庁 の 調 15

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-査(16)が あ りsこ の 結 果 で は イ ノ シ シ の 生 息 情 報 の 得 られ た 地 域 は,沖 縄 本 島 の ほ ぼ 北 ・ 中 部,国 頭 郡 の 地 域 と,石 垣 島,西 表 島 の ほ ぼ 全 域 で あ る.前 述 の調 査 結 果 と比 較 す る と, 沖 縄 本 島 の 中 ・北 部 が 結 合 して あ る ほ か は ほ ぼ 一 致 して い る.一 方,沖 縄 本 島 の うち 本 部 半 島 と国頭 郡 の 南 の 隣 接 地 域,そ れ に 石 垣 島 の 東 南 端 部 は絶 滅 の地 域 と な っ て い る.こ れ 以 外 は生 息情 報 の得 られ な い地 域 の ほ か,若 干 の未 調 査 地 域 が あ る が,恐 ら くこの 地 域 に も生 息 はみ られ な い と思 わ れ る.こ の 分 布 図 か ら して,イ ノ シ シ は 沖 縄 本 島北 部,石 垣 島, 西 表 島 に限 ら れ,さ ら に近 年 は これ ら の地 域 の うち で も若 干 の生 息 域 の縮 小 傾 向 が 認 め ら れ る.た だ こ の生 息 域 は沖 縄 県 下 の 島嶼 の う ち で は 面 積 著 大 か つ 山 地 卓 越 の 島 嶼 で あ り, 小 島 や 低 平 な 島 で は 生 息 を み な い.低 平 な 島 は耕 地 化 が 進 み,林 地 が 乏 し く,イ ノ シ シ生 息 の 条 件 を欠 い て い る よ う にみ ら れ る.宮 古 島 は そ の 典 型 で 長 崎 県 下 の 壱 岐(17)の 島 と類 似 して い る とい え よ う. な お ゴ 貝 塚 か ら イ ノ シ シ の 骨 の 出土 をみ る の は,「 入 重 山 の考 古 学 」(西 村 正 衛 他)の 報 た け とみ ちよ う 告 で 竹 富 町 の波 照 間 島(下 由 原 貝 塚),ゴ西 表 島(仲 間第 一 ・第 二 貝 塚),石 垣 市 の 石 垣 島 (山 原 貝 塚)(18)で う 環 境 庁 で 未 調 査 の 波 照 間 島 以 外 現 在 も生 息 地 域 で あ る.沖 縄 本 島 で は きた なか ぐす く そん お ぎど う 中 頭 郡 北 中 城 村(荻 堂 貝 塚),そ れ に本 島 の い ぜ な そん 北 方 に位 す る伊 是 名 島 の 島尻 郡 伊 是 名 村(伊 是 名 貝 塚)(19)で,幽現 在 は と もに イ ノ シ シ の 生 息 を み な い.縄 文 時代 に は イ ノ シ シの 生 息 は 広 く,小 島 嶼 に も生 息 を み た もの と推 察 され る.な お,波 照 間 島 下 田原 貝 塚 の 豊 富 な 猪 骨 .の うち に は現 存 の 野 猪 に比 べ,や や 大 型 の も の が含 まれ て お り,そ の飼 育 が 示 唆 さ れ て い る と い う(10>.わ が 国 の最:南端 地 域 で イ ノ シ シ の飼 育 が あ った とす れば,近 畿 以 東 の 縄 文 時 代 の 動 物 飼 育 を 述 べ た加 藤 普 平 博 士 の 研 究 とあ わ せi興 味深 い 問 題 とい え よ う(20). 以 上 の生 息 地 域 にお け る イ ノ シ シ の 生 息 数, そ の濃 淡,密 度 な ど に 関 して は資 料 が 得 られ な い.千 葉博 士 は イ ノ シ シ の捕 獲 頭 数 の資 料 を用 い,そ の 信 頼 度 を検 討 しつ つ,綿 密 な 考 察 を進 め て い る(11).・そ れ に よ る と近 年 は 野 獣 害 駆 除 助 成 費 の交 付 に よ り捕 獲 数 は示 され る が,信 頼 度 は低 く,イ ノ シ シの 狩 猟 は 娯 楽 を 第 一 と して い る こ とか ら して,正 確 な 捕 獲 数 は 困 難 と さ れ,ま して そ の 生 息 実 態 の 把 握 は 困 難 な もの とい え る.な お,11∼2月 の 冬 季 に捕 獲 数 の多 い こ と は本 土 と共 通 とみ られ る. 上 述 の捕 獲 頭 数 に関 して は環 境 庁 の 『鳥 獣 関 係 統 計 』 が全 国 的 に提 供 さ れ て い る.表1 に 全 国 と沖縄 県 分 の 推 移 を示 した.あ わせ て 沖 縄 本 島 の 北 端 に位 す る国 頭 村 の 数 値 を記 し た.信 頼 度 の 問 題 もあ り,昭 和50年 度 の沖 縄 県 国頭 村 の 数 値 は理 解 に苦 しむ.し か し,全 体 の傾 向 と して,全 国 的 に は 近 年 は5∼6万 頭 台 で あ るの に対 して,沖 縄 県 は 微 増 傾 向 を 示 し,近 年 は1400頭 台 と な り,全 国 比 で も 2%台 と な り,生 息 の 減 退 は 認 め ら れ な い と い え よ う.こ の な か で,国 頭 村 の 数 値 は 昭和 51年 度 の788を 最 多 と して 減 少 傾 向 を示 し, 表1・ イノ シシの 捕 獲数 の 推 移 全 国 沖縄県

国頭村 頭 頭 % 昭和48 58,108 291 0.50 49 70,070 270 0.39 50 72,490 461 0.64 599 51 84,576 1,242 1.47 788 52 73,719 1,141 1.55 425 53 61,832. 1,370 2.22 506 54 70,716 1,238 1.75 457 55 81,517 1,111 1.36 335 56 70,985 1,124 1.58 234 57 57,466 790 1.37 397 58 60,433 1.142, 1.89 485 59 55,432 1,138 2.05 223 60 60,202 1,530 2.54 217 61 58,754 1,023 1.74 313 62 57,722 1,432 2.48 256 63 61,327 1,493 2.43 177 平成元 71,026 1,464 2.06 210 環 境庁:鳥 獣 関係 統 計,国 頭 村 役 場資 料 に よる. 一16一

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ひが しそ ん 近 年 は200頭 程 度 で あ る.な お 隣 接 の 東 村 は おお ぎ み そん 近 年90頭 台,大 宜 味 村70頭 台(各 役 場 経 済 課 資 料)で あ る こ と を併 せ 考 察 す る と,沖 縄 本 島 北 半 部 で の イ ノ シ シ捕 獲 数 は,沖 縄 県 内 で 比 重 を低 く して い る と い え よ う.こ の こ と は 逆 に 石 垣 島 ・西 表 島 の 八 重 山 諸 島 の 比 重 が 増 しダ 生 息 の濃 密化 の 傾 向 に あ る も の とみ られ る.こ れ に 関 連 す る諸 要 因 は 以 下 に追 々考 察 して い く積 りで あ る. 自然 環 境 亜 熱 帯 海 洋 性 の 気 候 の沖 縄 県 は,植 生 帯 と して は 亜 熱 帯 降 雨 林 域 と され(21),各 島 嶼 の 広 さ地 形 に対 応 し,植 生 は分 化,独 立 して い る.な お,夏 季 の 乾 燥,台 風 な どの 影 響 もあ る.さ ら に地 質構 造 が 複 雑 で,母 岩 の相 違 で 植 生 は 異 な る とい わ れ る.イ ノシ シ生 息 の 地 域 を主 に植 生 をみ る と,沖 縄 本 島 の 北 部,石 垣 島 ・西 表 島 の生 息 域 は,非 石 灰 岩 を母 岩 と す る地 域 で,シ イ 型 の イ タ ジ イ(ス ダ ジ イ) 林 が ほ と ん どの 面 積 を 占 め,あ と オ キ ナ ワ ウ ラ ガ シ林 もあ る.ス ダ ジ イ林 は 亜 熱 帯 降雨 林 を代 表 す る常 緑 樹 林 で あ る.ド ン グ リの実 を 結 ぶ こ とか ら,イ ノ シ シ の生 息 に は最 も好 適 な地 域 とい え る.な お リュ ウ キ ュ ウマ ツ群 落 も広 い 面 積 を 占 め る. 国土 地 理 院 の1/20万 土 地 利 用 図 を読 む と, 沖 縄 本 島 北 部 に広 葉 樹 林 が 広 く,海 岸 部 と中 部 に針 葉 樹林 が 分 布 し,南 部 に 都 市 域 お よび 農 地 が展 開 す る.ゴ石 垣 島 で は 北 半 部 に広 葉 樹 林 が広 が り,南 半 部 ・海 岸 部 に農 地 が 展 開 し, 針 葉 樹 林 は比 較 的 狭 い.西 表 島 で は ほ ぼ全 域 が 広 葉 樹 林 で,針 葉 樹林 ・農 地 は海 岸 沿 い に 僅 か にみ られ る程 度 で あ る.こ の 広 葉 樹 林 は 常 緑 の 照 葉 樹 林 で,主 体 は イ タ ジ イ林 で あ る. と くに西 表 島 は豊 か な 自然 林 相 を示 して い る とみ られ る. やんばる 沖縄 本 島北 部 は 山原 と称 され,シ イ林 の 豊 か な展 延 は筆 者 も親 し く観 察 し,圧 倒 され た. リ ュ ウ キ ュ ウ マ ツ は 陽樹 で,日 当 た りの よ い 草 地 に 芽 生 え る が,日 影 に は シ イ ノ キ が 育 ち, 陽 樹 は や が て シ イ林 へ と交 代 して い く.イ タ ジ イ は そ の 主 体 を な し,多 くの 野 生 動 物 の 生 息 の 場 を提 供 す る(22).イ ノ シ シ に は ドン グ リの 好 餌 を与 え,そ の 実 の 豊 か な 年 は イ ノ シ シ の 耕 地 侵 入 は少 な く,不 出来 の 年 に は イ ノ シ シの 侵 出 を警 戒 して,対 策 を立 て る と国 頭 村 で 農 婦 か ら聞 き取 った.な お,こ の イ タジ イ 林 に は ハ ブ ・ケ ナ ガ ネ ズ ミ ・ トゲ ネ ズ ミ ・・ ミ ミズ の ほ か,各 種 の サ ワ ガニ,下 流 に は ベ ンケ イ ガ ニ,オ カ ガ ニ が お り,渓 流 に は多 種 の カ エ ル が 生 息 して,イ ノ シ シ の食 餌 を提 供 して い る.イ ノ シ シ は さ ら に根 茎 類 な ど の植 物 も餌 とす る もの で,そ の 生 息 に適 し た豊 か な 自然 に 恵 まれ て い る とい え よ う.さ ら に イ ノ シ シ に と って 沖 縄 に は 天 敵 の な い こ と も繁 殖 に有 利 な 条件(11)と い え る. 猪 害 上 述 の森 林 地 域 に は イ ノ シ シが 棲 み,隣 接 の 耕 地 を 人 問 が 利 用 し,両 者 が 住 み分 け て生 存 す る 限 りにお い て は,両 者 間 に 問題 は な か ろ う.し か し,人 間 とイ ノ シ シの 問 に は縄 文 時代 か ら関係 が あ り,狩 猟 の 対 象 と して イ ノ シ シ は重 要 な もの で あ っ た(20).ま た 採 集 経 済 面 で も,人 問 は ドング リそ の 他 を採 集 した が,そ れ らの う ち に は イ ノ シ シの 食 餌:とな る もの も多 く,両 者 が 競 合 す る場 合 もあ った で あ ろ う.人 間 が 農 耕 を発 展 させ る に伴 い,森 林 を開 拓 して 焼 畑 な どの 耕 地 を 開 い た が,こ れ は イ ノ シ シ の 生 息 域 を縮 小 させ る 結 果 と な っ た こ と は当 然 で あ る.一 方,耕 作 物 に は イ ノ冫 シ の 好 餌 に な る もの が 多 く,イ ノ シ シ は主 と して 食 餌 と して の 適 期 の 夜 間,耕 地 に 入 り,作 物 を食 い 荒 ら し,農 民 の1年 間 の苦 労 を無 に もさせ,多 大 の 被 害 を与 え る.農 民 は狩 猟 手 段 に よ っ て イ ノ シ シ を捕 獲 す る ほ か, 障 壁 を 築 い て イ ノ シ シ の 耕 地 へ の侵 入 を 防 ぎ, あ る い は敏 感 な イ ノシ シが 嫌 う音 ・臭 な どを 利 用 して 防 除 を行 った.近 世 以 降 は鉄 砲 を利 一17一

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用 し,オ ド シ を 主 に 広 く普 及 を み た.噛た だ し, 沖 縄 で は 後 述 の よ う に 鉄 砲 の 利 用 は 進 ま な か っ た 点 大 き な 特 色 で あ る.猪 垣 に よ る 防 除 策 は 建 設,維 持 管 理 に 多 大 の 負 担 を 要 す る も の で あ っ た が,し か し 最 も 効 果 的 な 手 段 で あ っ た.沖 縄 は そ の 発 達 の 目 覚 し い 地 域 で あ る が,あ と で 精 し く み よ う. と こ ろ で,近 年 の 沖 縄 に お け る 猪 害 は ど ん な も の か,ま ず 農 林 水 産 省 の 資 料 に よ り(23) そ の 実 態 を み る こ と に し よ う.表2は 獣 害 総 計 と猪 害 と の 金 額 を示 し た も の で あ る が,全 国 の 獣 害 約18億 円 の う ち,猪 害 の 占 め る 比 率 は91.7%と 高 く,そ の 恐 ろ し さ が 知 ち れ る. そ の う ち 沖 縄 県 の 額 は4,439.5万 円 で 全 国 比 は2.7%と 低 い も の の,沖 縄 県 の 獣 害 は す べ て イ ノ シ シ が 占 め て い る 点 が 注 目 さ れ よ う. ち な み に 被 害 の 著 し い 県 を み る と,鹿 児 島 (23,703.3万 円),兵 庫(17,749.2万 円),島 根(16,553.2万 円),京 都(14,077.4万 円), 高 知(1,386.5万 円)で,あ と1億 円 以 上 は 大 分 ・広 島 の 両 県 で,西 日本 に 卓 越 す る こ と が 知 ら れ る.西 南 日 本 の う ち で,沖 縄 県 の 猪 害 が 僅 少 な の は 面 積 も 関 係 し よ う が,さ ら に 多 島 地 域 で,低 平 な 地 形 の 島 の 開 発 が 著 し く 表2農 作物の獣害 と猪害 獣害計 猪 害 沖 縄 県 全 国 千 円 44,395 1,822,850 千 円 44,395 1,672,056 農 林 省 農 蚕 園芸 局 植 物 防 疫 課:昭 和50年 度 イ ノ シ シ等 獣 類 に よ る農 作 物 に対 す る被 害 調 査 概 要(昭 和 51年12月)に よ る. 進 み,イ ノ シ シ の生 息:域が 限 られ て い る こ と も 関係 して い る よ う に思 わ れ る.そ の被 害 作 物 は 沖縄 で はパ イ ン ア ップ ル と さ と う きび で あ る(表3).さ と う き び が と く に被 害 は 大 き く,国 頭 地 方 に集 中 して い るの も特 色 で あ る.と くに沖 縄 本 島 西 岸 の 国 頭 村 ・大 宜 味 村 な こご と 名 護 市 に集 中 して い る ほ か は,石 垣 市 の パ イ ン ア ップ ルが 注 目 され る.そ の 被 害 時期 は パ イ ン ア ップ ル が6-9月,さ と う きび が7 -3月 で あ る .ド ング リが落果 し,イ ノシシ が 採 食 す る時 期 は1∼3月 で あ る(名 護 市 役 所 島 袋 正 敏 氏 談)こ と を思 え ば,こ れ ら は そ の他 の 時 期 で,重 要 な食 餌 と な る もの とみ ら れ る.と くに これ ら作 物 が 美 味 で,か つ か た ま って 採 食 で き る こ と は イ ノ シ シ に と って 極 め て 好 適 な もの で,ね らわ れ るの は 当 然 と い え る.な お,イ ノ シ シ の好 む 甘 藷 が 対 象 物 と な って い な い の は,そ の栽 培 が 近 年 減 少 して い る こ とに よ る もの と思 う. で は イ ノ シ シの 被 害 防止 対 策 等 は ど うで あ ろ うか.沖 縄 県 が 講 じて い る対 策 は,開 拓 地 整 備 事 業 の な か で,防 災 施 設(猪 垣 施 設)を 設 置 す る こ とや,有 害 鳥 獣 駆 除 事 業 の 推 進 で あ る.市 町村 は捕 獲 奨 励 の た め,イ ノ シ シ1 頭 当 た り1,500円 ∼2,000円 を補 助 し,イ ノ シ シ の ア ゴ骨 を買 い 上 げ る.こ の数 量 が 集 積 さ ・ れ て 鳥 獣 統 計 に な る の で あ るが,信 頼 度 の 低 い こ とは上 述 の とお りで あ る.た だ し,一 応 の 目安 と して は利 用 価 値 は認 め て よい と思 う. な お,被 害 に直 結 す る 生 産 者 は猪 垣,し か け わ な の設 置,狩 猟 な ど を挙 げ て お り,作 物 生 産 の 安 定 を図 る た め対 策 の 強 化 を必 要 と して 表3沖 縄 にお ける作 物別 猪 害状況 作 物 被 害 面 積 被害量 被 害 金 額 主要被害発生地 被 害発 生 時 期, パ イ ンア ップル ha 310 t 2,960 千 円 9,361 大 宜 味 村 ・名 護市 ・石 垣市 な ど 6-9月 さ と う き ・び 1,020 21,760 35,034 国頭 村 ・大 宜 味村 ・名 護市 7-3月 計 1,330 24,720 44,395 表2と 同一 資 料 に よ る. 一18一

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い る.サ トウ キ ビ畑 の 山 寄 りの周 囲 は波 形 ト タ ン の猪 垣(写 真2)を 設 置 して い るの を筆 者 は観 察 した が,現 在 は これ が 効 果 的 で 普 及 して い る よ う に見 受 け られ た. と こ ろで,鳥 獣 に よ る全 国 的 農 作 物 被 害 の うち で,イ ノ シ シ害 を上 回 る もの は被 害 面 積 で 獣 類 で は ネ ズ ミ,鳥 類 で は ス ズ メ ・カ ラ ス ・カ モ ・ヒ ヨ ドリ ・ハ トな どで あ り,鳥 類 の 方 が 被 害 面 積 は合 計 で約4倍 で あ る(24). 地 域 的 な分 析 は で き な い が,沖 縄 に多 い果 樹 類 で は 鳥 害 は少 な い よ うに も考 察 さ れ る.

猪害防除

防 除 と捕 獲 近 年 にお け る猪 害 の 実 態 と防 除 手 段 な ど は あ ら ま し上 述 の通 りで あ る が,過 去 に お い て は ど うで あ っ た か.諸 資 材 や 手段,そ れ に資 金 な どの 乏 しい 時代 に,ど う対 応 した か,そ の辛 苦 の 程 もあ わせ 考 察 した い.ま た,本 土 に お け る対 応 策 と比 較 して み た 沖 縄 県 域 の特 色 も明 らか に した い. 猪 害 対 策 を大 き く防 除 と捕 獲 に2大 別 す る. 防 除 の 手段 に は石 垣 ・土 手 ・堀,木 柵,電 気 柵,ト タ ン柵 な どの猪 垣 と,音 ・臭 に よ る も の,そ の他 小 屋 ・か か し,猪 番 な ど と,威 力 お ど し に 富 む 威 鉄 砲 とが あ る.捕 獲 と して は槍 ・ 落 し 穴,ワ ナ な ど と 鉄 砲 が 効 力 を 発 揮 す る(25). 沖 縄 県 に お い て は 上 記 の うち,猪 垣 と槍 と が 最 重 要 な 手 段 と考 察 さ れ る.以 下 に具 体 的 に説 明 し よ う. 猪 垣 沖 縄 県 で は 一 般 に 猪 垣 を イ ガ キ ・イ ン ガ キ(26),イ ノ ガ キ,イ ヌ ガ キ(東 村 教 育 委 員 会 に て 聞 取 り)と 称 し て い る.な お,こ の ほ か ハ キ(国 頭 村 謝 敷)(27),大 垣(国 頭(28)・ 大 宜 味 村(29)),カ チ バ(宜 野 座 村(30))な ど の 呼 称 も あ る.国 頭 地 方 で は ヤ マ シ シ ガ キ(26),八 重 山 で は シ イ(31),石 垣 島 で は フ ッ パ ラ イ シ(32)と も呼 ば れ る.猪 垣 の 多 くは 石 で 築 か れ,こ れ に は周 囲 で得 られ る石 の ほ か, ・サ ン ゴ礁 の石 を海 岸 か ら拾 い 上 げ て 積 む こ と もあ る(30).石 垣 島 で は 屋 敷 を 囲 む塀 にサ ン ゴ の 石 を積 婆上 げ た の を見 学 し,ハ ブが 入 る こ と も聞 い たが,猪 垣 に もこ れ が 利 用 さ れ た. 土 手(写 真4)の 例 は宜 野 座 村 で 案 内 して も ら い 実 見 したが,そ の 頂 上 部 に は 竹 な どを密 生 させ るの が 特 徴 的 で あ る.石 垣 や 土 手 の ほ か に 木 の 柵 を設 置 す る こ と もあ った が,イ ノ シ シ の侵 入 を防 ぐた め に は猪 垣 は 隙 間 な く設 置 す る こ と と,飛 び越 え を 防 い だ り,地 面 を 掘 り侵 入 す るの を 防 ぐ要 も あ り,厳 重 に設 置 す る必 要 が あ っ た.石 垣 島 の川 平 で はオ モ ト 竹 を とが らせ イ ノ シ シ の 跳 び込 む 方 向 に立 て た(グ イ と い う)(33).垣 の 高 さ は4∼7 尺(34)(約1.2∼2.1m(26))で,長 崎 県 西 彼 杵 半 島 の事 例 と同 一 で あ り,沖 縄 の イ ノシ シが 小 形 と い っ て も,猪 垣 の 高 さ に は 影 響 は な か っ た よ うで あ る. 猪 垣 は耕 地 と森 林 との境 に設 置 さ れ,人 間 と イ ノ シ シ の 生 活 空 間 を境 す る もの で あ る. 沖 縄 本 島 の 場 合,イ ノ シ シの 生 息 す る森 林 が 北 部 に広 く,平 地 の 耕 地 は著 し く狭 く,耕 地 を 山地 斜 面 に まで 開 い て きた.開 拓 は近 世 に し あけ ぢ お い て王 府 の 許 可 の も と私 有 地 の 「仕 明 地 」 を 開 か せ(35),明 治 以 降 は 零 細 士 族 を帰 農 さ せ て耕 地 を開 き,屋 取 集 落 が 沖 縄 本 島各 地 に 成 立 し た(36).し た が っ て 猪 垣 は 山 腹 を 横 切 っ て設 置 され て い た.猪 垣 は 防 壁 の効 果 を. 大 き くす る よ う,垣 の外 側 す な わ ち 山寄 りに 堀(溝)が 掘 られ て い た.名 護 市 都 市 計 画 課 の 宮 里 至 氏 に よれ ば,地 点 に よ り若 干 異 な る も の の,一 般 的 に は 堀 は深 さ30∼50cmで, 垣 の高 さは2Mく らい に な り,堅 固 な もの と な る.な お,石 垣 は 内側 す な わ ち畑 の側 に若 干 傾 け て 造 られ,頂 上 部 に は45∼60cmの 平 た い テ ー ブ ル サ ン ゴ の石 を海 か ら運 び乗 せ て 頑 丈 に した. 猪 垣 が 山 道 と交 叉 す る 地 点 に は カ キ ンジ ョ 一19一

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垣 ビ ビ @ 厳重で徹底していた.この垣を越える道路に は上述のように木の扉が設けられ,これを ピーピー垣と呼んだ.これは扉の開閉にピー ビーと音を立てることによる由,宮城区長よ り伺った.この垣は荷車の通る地点

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か所あり)では両開きの扉が設けられていた. なお,奥では猪垣を越えた山中に開墾もした が,その場合もイノガキを造った.これは木 を半分に割ったものをぎっしりと地中に打込 んで柵とした.柵の高さは 1.2mほどであっ た.かような例も上記額田町で実見したが, なかなか堅固なもので,イノシシの侵入の恐 しさが知られた. なお,猪垣に沿っては落し穴が設けられで もいたが,これはあとで述べることとする. 猪垣は石垣・木垣・土手ともに補修が必要 で,大宜味郷の場合「両年ニー遭」は樹木 6 図1 国頭村奥集落の猪垣とビービー垣 『奥のあゆみ』と宮城光輝区長の教示によ可作成。 - 20-ウ・カチンジョウ(垣門(37)) といわれる木 柵ょうの扉が設けられた.出入する人はこの 扉を開けて交通した(図1).かような扉は 愛知県額田町で筆者は実見したが,同様な形 で頑丈に造ちれていた.このほかの地点での 出入には丸太に段々を刻んだ梯子(国頭村奥 ではフイグチという)ょうの木を猪垣に立て かけて出入し,使わぬ時にははずしておいた. 猪垣が谷川を越える場合には,国頭村奥の 宮城安輝区長の話では 梯子のような柵を横 にして,川に渡し,イノシシの通れぬ幅に柵 をした.長崎県西彼杵半島では石積みにスキ マを設けていた(38) ともに水が抜け,イノ シシは通れぬ工夫がされていた.奥の集落は 耕地の周囲の山腹を囲繰する形で猪垣が設け られていた(図1(39)). これは典型的な囲繰 型猪垣(40)で,かつ後述のように維持管理も

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万余株をもって垣を改修した(34) これは長 崎県対馬(31)の場合,木垣は2年しかもたな かった点とも共通で,湿潤な暖国としてはや むをえない点である.また台風など洪水によ り猪垣が流出することもあった(42) 万里の長城のように続く猪垣は地形,材料 その他の条件により,多様の猪垣が隙間なく 設けられた.大宜味村の宮城弘企画係長によ れば,国頭地方の猪垣は延長31km,一集落 で 2kmも造る.高さ 1.5mで,石灰岩など を用い,石材のない地域では土手を築き,上 部に竹を植えた.垣の前面には溝や落し穴を 設けた.また,自然条件を利用し,ガケの地 点ではこれを利用した.猪垣設置地域を教示 して貰ったが,山腹にあるものの,なお未確 認の地域があるとのことであった. 大宜味村では出入の扉をハキンジョウ(上 記のカキンジョウか)といい「垣の内」の意 味という.扉を締め忘れることもあり,いざ こざの元になったので これはあまり使わな かった.一般には梯子をかけ利用した.梯子 は普段もかけておいたが イノシシはこれを 越えることはできない.梯子は2つを用意し たというが,これは垣を上下するものと,溝 を渡るものと思われる. 土手の猪垣は宜野座村に一部が残っており, 同村教育委員会の方に案内して貰い見学でき たことは幸であった.低い土手は60-70cm の高さであったが

2m

余のところもあり, いずれも竹が上部に密生されている.この地 域は平地が卓越し,国頭マージといわれるや せた土壌(43)で,海岸からも離れ,石材に恵 まれぬことから土手になったものといえよう. 沖縄県下では後述のように猪垣が完備して おり,猪害防除はこれにより徹底していたよ うに思われる.近年は耕作域が縮小して林地 化した場合が多く 山腹の猪垣は林の中に残 されることになった.その調査は一般には進 んでいないようである.しかし,イノシシに よる農作物被害はなくなったわけではなく, その防除策としては波形トタン・金網・漁網 を利用した猪垣が耕地と林地の境にみられる (国頭村役場見川国広氏談).電気柵の利用も あろうが, トタンの方が卓越しているようで あり, 1/2の補助金も出ている.大分県の臼 杵石仏付近の水田にもこの設置があったが, 現在の猪垣としては安価・簡便なトタン垣が 極めて有効のように思われる. 音・臭 宜野座村で見学したうちに,サトウキピ畑 を守るカカシがあり,古い衣類が畑の周辺に 散乱していた(写真 3).サトウキピの収穫 後で,役目を果したソメの姿をみたわけであ るが,なお樹木にくくりつけられたものもあ り,イノシシの侵入のほどが想像できた.ま た奥の山畑でも用いられていた.カカシには 人間の尿をかけたりし,また海からとったウ ニの殻や,夜は石油ランプをつけておいたり もした. しかし, 2-3日で慣れ,効果はあ がらなかった(30) し や 立 ぐ す く また,大宜味村謝名城ではアクタという サシコのような着物にサメの油をしめして, 屋敷の畑地にさげた.サメの油はきつい臭い を出し,イノシシを近づけなかった(上江洲 均氏談).石垣島の川平では,イノシシの内 臓を包む脂肪やナマの血を布につけて吊した. 石垣島や西表島では前述の石垣や鉄条網の 柵でイノシシの侵入を防ぐほか,カカシと鳴 子を古くから利用した.音と臭によりイノシ シの侵入を防いだものである.かような手段 による防除の例はあまり聞かないが,国頭村 においてはワラを燃やしたり,火縄(ピーナ ワ)をいぶすことなどもした(45) なお,地 形の関係もあるとも思うが,谷川に設置する ソーズの音で防ぐ方法はないようである.ま た,鳴子など音を立て防ぐためのシシ番小屋 の設置も事例がなさそうである.これは猪垣 の設置に力を注ぎ,つぎに述べる槍により防 いだことの反映とも思われる.なお,雨の多 -E 4 つ ω

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い こ と は臭 や 火 の 利 用 を不 可 能 に して い る た め か と もみ られ るが,な お検 討 を要 す る 点 で あ る. 落 し穴 完 備 され た 猪 垣 は猪 害 防 除 策 と して は 完 璧 とい え よ うが,石 垣 の設 置 に は多 大 の 労 力 と 資 金 ・資材 な ど を要 す る もの で,か つ 常 に維 持 ・管 理 が 必 要 で あ る.し か し,こ れ は イ ノ シ シ と人 間 の 世 界 一 耕 地一 を 限 る もの で,両 者 の共 生 を認 め る もの と して,意 義 深 く思 わ れ る.こ れ に対 して,イ ノ シ シ を捕 獲 して 猪 .害 を 防 ぐ積 極 的 な手 段 が あ る.縄 文 時 代 の狩 猟 の伝 統 を一 面 で継 ぐも の とい え よ うが,具 体 的 に は落 し穴 ・槍 な ど とさ らに 鉄 砲 の利 用 お ど し が あ る.近 世 に お い て,沖 縄 で は 威 を含 め た鉄 砲 の 利 用 が イ ノ シ シ に対 して は用 い られ な か っ た よ うで,こ の 点 は沖 縄 にお け る猪 害 防 除 の 一 大 特 色 と考 え て い る.以 下 に これ ら の 点 を み よ う. 縄 文 時 代 か ら用 い られ た 落 し穴 は,イ ノ シ シ の 捕 獲 と して は消 極 的 で あ るが,か な り有 き り が お か 効 利 用 さ れ た こ と は,横 浜 市 霧 ケ 丘 遺 跡 の 落 し穴 群(46)に よ っ て も知 られ よ う.落 し穴 が 猪 垣 に あ わせ 設 置 さ れ た こ と は長 崎 県 卞 の 事 例(47)が あ り,猪 垣 の 外 側(山 側)や 内 側 (畑 側)に 設 置 さ れ た こ と は前 記 の 額 田 町 で も実 見 した.内 側 の もの は耕 地 に ま ぎれ 込 ん だ イ ノ シ シ を捕 獲 す る もの で あ る.国 頭 村 奥 で は 内側 に も落 し穴 が 設 け られ て い た(宮 城 安 輝 氏 談). 落 し穴 を ア ナ ブ イ ・ア メヤ マ と もい い,直 径60cm,深 さ約3mで,『 直 径 を 大 き くす る と イ ノ シ シ は逃 げ 出 した(48).本 土 に 比 べ 直 径 は小 さ い よ うに 思 わ れ る.山 中 の ウ ジ(イ ノ シ シの 通 路)に も設 け た。 ウ ジの もの に は 穴 の底 に竹 槍 を立 て た が,猪 垣 にそ う もの は ア ラヂ バ ル とい い,個 人 ・集 団 で 設 置 し,底 に は何 も設 け な か っ た.こ れ は人 が 近 づ くこ とが 多 い た め で あ っ た.落 ち た イ ノ シ シ は槍 で 突 い た.ま た 猪 垣 の 中 へ 侵 入 した イ ノ シ シ は イ ン ビ キ が 犬 を つ か っ て 追 い 捕 え た(49). この 槍 を ヤ マ シ シ ヤ ー イ(銛)と い い,イ ン ビ キ(イ ン ピチ)と は 犬 を使 っ て イ ノ シ シ を と る こ と を い っ た(48).落 し穴 と槍 と は セ ッ トに な って,イ ノ シ シ を捕 獲 した わ け で あ る. 国頭 村 比 地 の集 落 な ど に伝 わ る ウ ン ジ ャ ミ 祭 は後 述 の よ う に 狩 猟 の 祭 と され,久 志 村 の 「島 始 神 の オ モ ロ」 に は つ ぎ の よ うに あ る(50). す な わ ち 「か や うが ま(猪 の 陥穴)う え こめ て(追 い こ め て)い りこ ろす(射 り殺 し)さ し ころ ち(刺 し殺 し)お ふ な ア び(大 鍋)お た け て(煮 て)わ か ち(沸 か し)し ょい もい (首 里 森)ま だ ま もい(真 玉 森)お しゃ げ て (の王 様 に差 上 げ る)」 と狩 猟 の 手 順 を 示 す. こ の 方 式 はず っ と継 承 され て き た もの で あ る. と こ ろ で,猪 垣 を飛 び越 えて イ ノ シ シ が 侵 入 す る こ と もあ り,農 民 は 苦 労 した.昭 和16 年 度,県 は猪 捕 獲 柵 を考 案 し,県 下40か 所 に 補 助 費 を 与 え て 設 置 した と こ ろ,1年 で415 頭 を捕 獲 した.翌 年 度 は さ ら に大 々 的 に普 及 を 図 っ た(51).そ の 形 態 は確 認 して い な い が, 額 田 町 で筆 者 が 見 学 した も の は新 設 で あ っ た が,木 柵 で 厳 重 に 囲 まれ た もの で,中 に餌 を お くこ とが 必 要 で あ る.し か し沖 縄 で は近 年 こ の設 置 を きか な い. 槍 ・ワ ナ 槍 は イ ノ シ シ捕 獲 の 最 重 要 な 手 段 で あ った. 大 宜 味 村 で はヤ マ シ シヤ イ とい い(52),猟 犬 を つ か っ た イ ン ピチ(犬 曳)の 方 法 に よ った. 犬 は6-7頭 で 勇 敢 な もの を訓 練 して使 っ た. イ ノ シ シ を仕 留 め る の に は槍 の ほか 刀 も使 っ た.槍 は銃 に か わ っ て い くが,近 世 に銃 の 普 及 しなか っ た 点 は後 述 す る. なお,ワ ナ をか け る こ と も盛 んで よ くイ ノ シ シ を と った が,人 が これ にか か り死 ぬ こ と も あ っ た(宮 里 至 氏 談).東 村 ・大 宜 味 村 ・ 国 頭 村 ・名 護 市 で も用 い られ て い た.高 良 博 士 は 山 の ギ ャ ン グ とイ ノ シ シ を称 して い るが, 一22一

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石垣島ではイノシシはウムザと呼ばれ,その 防禦に石垣・鉄条網の柵,カカシ・鳴子など が設けられたことを記している.イノシシは 慣れると出没が巧妙になり,石垣を乗り越え もした.さらに前肢2本が欠けたイノシシを 猟師がとったというが,これはワナに

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度か かったもので,アゴと後肢で歩いていたとい うことで,根性の強い動物と記している(53) ワナの機能はイノシシにとっては完全とはい えないものとみられる. なお沖縄ではサギヤーイという三又の槍を イノシシの通り道の上から落し仕留める方法 があった(54) その通路には生芋を

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つ程き れいに洗い,人間の臭のつかぬよう箸でっか みおく.人はこの槍をもって芋の真上にある 大木に登って待つ.最初の芋は用心深くイノ シシは食べるが 3番目の芋はなれて油断し て い る 時 槍 を 突 き 落 し て 仕 留 め る の で あ る(48) この方法は県下でも古くから広く用 いられたものである. 鉄砲 前述のようにイノシシの捕獲に沖縄では鉄 砲の利用の事例を見聞していない.上江洲均 氏からも近世には鉄砲を用いなかった由伺っ た.これは本土と比較しでも,顕著な相違と 考えている.その事情などは追って考察する 積りであるが,種子島より南にあり,国際的 交流が活発であった沖縄の地理的な位置や条 件などを考えても 大きな特色といえよう. 鉄砲の猟への利用は明治以降で,ほぼ猪害の みられた全域に普及していた.その効果は著 しいので,槍にかわって利用が進められたと みられる. 沖縄県において,明治

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以前は 「銃猟規則を施行せず」ということで,県下 の狩猟免状下付人員は同

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,同

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と増加した(55) 明治

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年に笹森儀 助が西表島を巡検した折,猟犬と槍でイノシ シを捕り,もてなして呉れた(56)由で,なお 鉄砲の普及は西表島にはみられなかったと思 われる.また,当時耕地の周囲には必ず石垣 をめぐらしであることも記している.当初は 恩納村では火縄銃・槍を併用し,猟犬を連れ て猟した(37) 大正中頃には村田銃と槍とが 宜野座村では使われ,銃で撃ったあと槍で仕 留めた.臭覚の良いイノシシは銃や人肉の臭 に敏感であり,風下から接近することが必要 であった(48) 天気が良いと匂いが残り,イ ノシシが近よらないので,雨あがりがイノシ シ猟にはよい(国頭村教育委員会大嶺進一課 長談).銃は追々普及していったものであろ

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なお,沖縄では据銃(シカキヤマ)が設置 された.これはイノシシの通路ウジに設置し, ヒキガネに結ぴつけた糸にイノシシがふれる と

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単治宝イノシシに当たるもので(57)ある. し かし,据銃で人が撃たれることもあった.昭 よみたんそん 和10年 7月読谷村喜名の山村で,山林へ芋取 りにいった老農がこれに撃たれ絶命したこと が新聞に報道された(58) ところで,縄文時代の狩猟では弓矢の利用 が著しかったことが知られる(59) しかし, 近世においてイノシシの捕獲にこの方法は用 いられなかったようで,本土においても沖縄 においても事例を聞いていない.現在,三信 し ろ み 遠の山地(60)や宮崎県東女良の銀鏡神社(西 都市)(61) (62)において,祭りの行事にこれを 伺える.沖縄県では国頭村の多くの集落で旧 歴 7月 に 行 わ れ る 海 神 祭(63)(64) シ ヌ グ 祭(65)は弓矢を用いる猪狩を女神人が行う点 で,上記の神事と共通する面が多い.弓矢に よる捕獲は近世には消え,専ら槍によったと みられる.ただ,猟犬は欠かせなく,鉄砲の 利用の場合にも,継承されてきている.これ は弓矢利用の発展した形態ともいえよう. ブタとイノシシ 沖縄への仏教伝来は 1265~1274 の聞に本土 から伝わったとされるが,固有信仰の強い民 q δ ワ山

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衆 へ は 入 ら な か っ た(66).イ ノ シ シ の 防 除 に 専 念 し て き た 沖 縄 県 人 は,こ う し て 仏 教 の 影 響 が な い こ と も あ っ て か,豚 肉 を よ く食 し, そ の 料 理 法 も す ぐれ,近 年 こ れ が 長 寿 県 と も 関 係 が あ る よ う に い わ れ て い る.猪 ・豚 の 交 配 や,猪 は 豚 の 野 性 化 と も い わ れ る が,西 表 島 で は メ ス ブ タ を 山 に 放 ち,仔 豚 を 里 へ つ れ て 来 さ せ,牧 場 で 飼 育 し,福 岡 市 へ 出 荷 し た 人 が あ っ た(沖 縄 県 立 博 物 館 千 木 良 芳 範 学 芸 員 談).豚 と 猪 と の 関 係 は 濃 厚 で あ っ た よ う で あ る.ち な み に,香 港 か ら猪 の 注 文 が あ り, 送 っ た と こ ろ,文 句 が あ り,香 港 で は 豚 を 猪 と い う こ と が 明 ら か に な っ た と い う.中 国 の 古 代 禽 獣 俑 を み て も,豚 は 猪 と 称 さ れ て お ヒり(67) ,イ ノ シ シ は 野 猪 と 記 し(68),区 別 さ れ て い た の で あ る. 明 治37年 か ら 豚 疫,豚 コ レ ラ の 大 流 行 の あ っ た こ とが 注 目 さ れ る.豚 疫 に は 免 疫 性 が あ り,牡 豚 は 牝 豚 よ り感 染 が 少 く,感 染 は1 :9の 比 と も い わ れ,明 治37年 に は そ の 蔓 延 が 報 じ ら れ て い る(69).明 治41年,沖 縄 県 下 7.月11日 ∼20日 の10日 間 に 病 豚13,993頭,斃 死8,717頭,撲 殺3,253頭,全 治149頭 と 報 じ ら れ,そ の 病 勢 の 激 し さ が 知 ら れ た.翌 年 に は お さ ま っ た よ う で あ る が,そ の 流 行 地 域 は 沖 縄 本 島 一 円 に 及 ん で い た よ う で あ る(70). な お 大 正2年 に も ま た 流 行 を み た(71). 本 土 に お い て 豚 コ レ ラ の 流 行 に よ り,イ ノ シ シ 数 の 減 少 の こ と が い わ れ も し て い る(72). こ の 傾 向 か らす れ ば,沖 縄 本 島 に お い て も イ ノ シ シ に も こ の 病 気 が 広 が り,イ ノ シ シ 数 の 減 少 が 推 測 さ れ る.そ れ は 猪 害 の 発 生 を 少 く し た も の と も思 う が,こ の 点 に つ い て の 資 料 は 得 て い な い.(未 完) (付 記) 沖 縄 県 下 の 調 査 は 平 成2年3月 に 実 施 し た. 現 地 で は 本 文 中 に 芳 名 を 記 し た 方 々 の ほ か, 多 く の 方 々 に 懇 切 な 教 示 を い た だ い た こ と を 深 く感 謝 す る も の で あ る.な お 本 研 究 に は 科 学 研 究 費 や 文 教 大 学 の 研 究 費 な ど を 利 用 し た. 文 献 (1)青 野 寿 郎 ・尾 留 川 正 平:日 本 地 誌,21,大 分 県 ・宮 崎 県 ・鹿 児 島 県 ・沖 縄 県,二 宮 書 店, 1975,539-543. (2)谷 川 健 一 他:座 談 会 柳 田 国 男 と 沖 縄,季 刊 柳 田 国 男 研 究,第7号,1974,4-5. (3)中 村 拓:鎖 国 前 に 南 蛮 人 の 作 れ る 日 本 地 図,1 東 洋 文 庫,1936,16-21. (4)沖 縄 県 教 育 委 員 会:沖 縄 県 史,第5巻,各 論 編, 4,文 化1,沖 縄 県 教 育 委 員 会,1975,949-952. (5)松 原 新 之 助:琉 球 ノ 猪 二 就 テ,動 物 学 雑 誌,1 -4 ,1889,93-96. (6)松 本 彦 七 郎:日 本 産 猪 の 由 来,現 代 の 科 学,3 -2 .,1915,1-10. (7)大 島 広:八 重 山 の 動 物(6),植 物 及 動 物,3-6, 1935,1152-1153. (8)西 銘 康 展:沖 縄 資 料 集 成,自 然 ・歴 史 ・文 化 ・ 風 土,Green-life,1975,42-47. (9)池 原 貞 雄 他:陸 の 脊 椎 動 物,新 星 図 書 出 版, 1984,65頁. (lo)国 分 直 一:海 上 の 道 一 倭 と 倭 的 世 界 の 模 索 一, 福 武 書 店,ユ986,198、90. (11)千 葉 徳 爾:沖 縄 ・八 重 山 諸 島 の イ ノ シ シ と そ の 狩 饗 勘 愛 知 大 学 文 学 論 叢44,1970,129-153. (iz)岡 贇 充:猪 ・狩 猟 及 び 猪 狩 の 作 法 に つ い て,奄 美 の 文 化,法 政 大 学 出 版 局,1976,334-335. (13)高 良 鉄 夫:琉 球 の 自 然 と 風 物,琉 球 文 教 図 書 株 式 会 社,1969,37頁. αのShunjoTakahashiandClementA.Tisdell:The FeraisandNearFeralAnimalsofIriomote Island:一Pigs,GoatsandCattle一,Geographical ReviewofJapan,65(Ser.B)一1,1992,66-72. ㈹ 哺 乳 類 分 布 調 査 科 研 グ ル ー プ:カ モ シ カ ・シ カ ・ヒ グ マ ・ツ キ ノ ワ グ マ ・ニ ホ ン ザ ル ・イ ノ シ シ の 全 国 的 生 息 分 布 な ら び に 被 害 分 布,生 物 科 学,31-2;1979,96-112. ⑯ 環 境 庁 自 然 保 護 局 企 画 調 整 課:第2回 自 然 環 境 保 全 基 礎 調 査,沖 縄 県 動 植 物 分 布 図,1981. 働 矢 ケ 崎 孝 雄:長 崎 県 下 の 猪 垣 口,文 教 大 学 教 育 学 部 紀 要,25.,1991,26-27. (la)滝 口 広:沖 縄 八 重 山,校 倉 書 房,1960,101-158. (ls)桑 高 英 彦 他:沖 縄 文 化 財 百 科,2,史 跡 名 勝, 那 覇 出 版 社,1988,21・35頁. (20)加 藤 晋 平:縄 文 人 の 動 物 飼 育 一 と く に イ ノ シ シ の 問 題 に つ い て 一,歴 史 公 論,6-5,1980, 45-50. ⑳ 文 化 庁:植 生 図 ・主 要 動 植 物 地 図,47,沖 縄, 沖 縄 県 植 生 図 解 説,1976,5-7,10-!1. 一24一

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幽 沖 縄 県 立 博 物 館 友 の 会:ヤ ン バ ル の 自然,1988, 1-28。 ㈱ 農 林 省 農 蚕 園 芸 局 植 物 防 疫 課:昭 和50年 度 イ ノ シ シ 等 獣 類 に よ る 農 作 物 に 対 す る 被 害 調 査 概 要, 1976. 図 農 林 水 産 省 農 蚕 園 芸 局 植 物 防 疫 課:鳥 獣 害 に よ る 農 作 物 被 害 調 査 概 要,植 物 防 疫,43-2, 1989,33-36. ㈲ 矢 ケ 崎 孝 雄:猪 垣(し しが き)の 分 布 に つ い て, 文 教 大 学 教 育 学 部 紀 要,23,1989,11-22. ㈲ 沖 縄 大 百 科 事 典 刊 行 事 務 局:沖 縄 大 百 科 事 典, 上,沖 縄 タ イ ム ス 社,1983,150頁. ㈲ 津 波 高 志 他:沖 縄 国 頭 の 村 落(上),新 星 図 書 出 版,1982,57頁. ㈱ 奥 の あ ゆ み 刊 行 委 員 会:字 誌 奥 の あ ゆ み,国 頭 村 奥 区 事 務 所,1986,142頁. ㈲ 大 宜 味 村 史 編 集 委 員 会:大 宜 味 村 史,通 史 編, 大 宜 味 村,1979,59頁. ¢① 宜 野 座 村 誌 編 集 委 員 会:宜 野 座 村 誌,第 三 巻, 宜 野 座 村 役 場,1989,225頁. ⑳ 宮 城 文:八 重 山 生 活 誌,沖 縄 タ イ ム ス 社,1982, 220頁. 圃 野 本 寛 一:焼 畑 民 俗 文 化,雄 山 閣 出 版 株 式 会 社, 1984,572頁. ㈱ 同 上 岡,175頁. 爾 桑 江 克 英:球 陽,三 一 書 房,1971,258頁. 岡 前 掲(1)547-550. 岡 田 里 友 哲:沖 縄 に お け る 屋 取 集 落 の 研 究 第1 報 琉 球 大 学 文 理 学 部 紀 要,5,1960,207-253. 同 第2報,同 紀 要 社 会 編,8,1964,133-178. 劭 仲 松 弥 秀:恩 納 村 誌,恩 納 村 長,1980,128-129. 岡 矢 ケ 崎 孝 雄:長 崎 県 下 の 猪 垣 の,文 教 大 学 教 育 学 部 紀 要,24,1990,21-22. ㈲ 前 掲 圏,396-397. ㈲ 前 掲(17),39-40. ㈲ 前 掲(10,29頁. 働 国 頭 村 役 所:国 頭 村 史,国 頭 村 役 所,1967,168 頁. ㈹ 木 崎 甲 子 郎 ・ 目 崎 茂 和:琉 球 の 風 水 土,築 地 書 食官,1984,ユ02-104. (4e前 掲 働,164頁. ㈲ 島 袋 源 七:琉 球 に 於 け る猪 の 話,民 族,3-1, 1927,119頁. おと ㈲ 今 村 啓 爾:神 奈 川 県 霧 ケ 丘 遺 跡 《陷 し穴 を め ぐって》,採 訪 縄 文 の 遺跡 東 日本 編,有 斐 閣, 1985,326-332. ㈲ 吉 福 清 和:長 崎 県 に お け る猪 垣 の分 布 と構 造 に つ い て,長 崎 西 校 紀 要,6,1981,24-26. ㈹ 前 掲(30),222-225. (49)前 掲(32),579-582. (50)稲 村 賢 敷:沖 縄 の 古 代 部 落 マ キ ヨ の 研 究,至 言 社,1977,382-385. (51)名 護 市 史 編 さ ん 委 員 会:名 護 市 史,資 料 編,3, 戦 後 新 聞 集 成,2,名 護 市 役 所,1985,278頁. (52)上 江 洲 均:沖 縄 の 民 具,慶 友 社,1980,228頁. (53)高 良 鉄 夫:琉 球 の 自 然 と風 物,琉 球 文 教 図 書 出 版 株 式 会 社,1969,36-40. 岡 上 江 洲 均 他:琉 球 諸 島 の 民 具,未 来 社,1983, 81-85. (55)沖 縄 市 郷 土 博 物 館:沖 縄 市 史,第 七 巻,資 料 編, 6上,沖 縄 市 教 育 委 員 会,1990,450-451. (56)笹 森 儀i助:南 島 探 験,日 本 庶 民 生 活 史 料 集 成, 第 一 巻,三 一 書 房,1974,500頁. (57)前 掲 ㈲,121-122. (58)読 谷 村 史 編 集 委 員 会:読 谷 村 史,第 二 巻,資 料 編1,戦 前 新 聞 集 成,下,読 谷 村 役 場,251頁. (59)直 良 信 夫:古 代 日 本 の 漁 猟 生 活,葦 牙 書 房, 1946,134-135. ㈹ 前 掲(32),464-497. ㈹ 谷 口 治 達:西 日本 民 俗 博 物 誌(下),西 日 本 新 聞 彳土,1988,66一 一68. ㈹ 文 化 庁 文 化 財 保 護 部:狩 猟 伝 承,皿,新 潟 県 ・ 宮 崎 県,国 土 地 理 協 会,1988,274-275.冒 (63)宮 本 演 彦:沖 縄 国 頭 村 比 地 の 海 神 祭,沖 縄 文 化 叢 書,第 三 巻,民 俗 編,豆,平 凡 社,1971,233 -239 . ㈹ 宮 本 演 彦:沖 縄 国 頭 の シ ヌ グ 祭,同 上,240-248. (65)前 掲(50),352-387. ㈹ 宮 城 栄 昌:沖 縄 の 歴 史,日 本 放 送 出 版 協 会, 1969,42頁. 勧 天 理 ギ ャ ラ リ ー:シ ル ク ロ ー ドの 動 物,申 国 古 代 禽 獣 俑,1981,No46-59. (s8)諸 橋 轍 次:大 漢 和 辞 典,巻 十(修 訂 版),大 修 館 書 店,1985,654頁. (ss)嘉 手 納 町 史 編 纂 委 員 会:嘉 手 納 町 史,資 料 編, 1,新 聞 資 料(明 治 大 正 期),嘉 手 納 町 役 場, 1983,109頁. ㈹ 同 上,193,216頁. ㈲ 中 城 村 史 編 集 委 員 会:中 城 村 史,別 巻,1,新 聞 集 成 編,中 城 村 役 場,1989,245頁. ㈱ 河 野 齢 蔵:鉢 伏 連 峰 西 麓 の 猪 土 手,史 蹟 名 勝 天 然 記 念 物 調 査 報 告,第16輯,長 野 県,1935,204 頁. 一25一

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1 ま [ 写 真1リ ュ ウ キ ュ ウ イ ノ シ シ (国頭 村 辺 土 名) 写真3サ トウキ ビ畑 に散 乱す る古衣 の カ カ シ (宜野座 村福 山付近) 写 真2サ トウキ ビ畑 の波形 トタ ンの猪 垣 (国頭 村奥) 写真4土 手 に竹 を植 えた猪 垣 (宜野座村 松 田)

参照

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