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中国のプラント・技術導入政策 -- 「自力更生」をめぐる論争に関連して --

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Academic year: 2021

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(1)゜. 中国のフ ラント ・技術導入政策 ---· 「自力更生」をめぐる論争に関連して 一一. 上 I. 序. ill. 1970年代フ ラント胡入契約の状況. JI. 野. 秀. 夫. 中国のプラント・技術導入の推移 ゜. (1) 取引状況と契約内容の特徴 (2). 日中プラント取引の状況 ゜. W 中国のフ ラント・技術導入をめぐる論争 (1) プラント・技術導入と「走資派J批判運動 (2). 「自力更生」の経済政策路線. (3) 先進技術吸収能力をめぐる問題. I. 序. 中国内政の激変は, これまで中国の工業化政策と外国技術・プラントの導入 契約状況に多大な影膀を及ぽしてきた。1970年代に入ってからのプラント• 技 術の導入契約は,1972年に開始され,1973, 74年に積極化したのであったが, 1 973年秋から74年前半にかけて,すでに,批林批孔運動の 一 環としての外国技 術的入批判と自力更生路線があらわれていた。 そして1975年末から76年 前半の 激しい「走資派」批判運動,76年 1月周恩来首相死去後の部小平批判に関連し た外国技術導入への批判が繰り広げられたのである。 こうした状況下でのプラ ント・技術沌入契約は, それがすべての阻害要因であるとするのは問題である としても,1 975, 76年には,当然契約額の減少となってあらわれてきた。 中国 内政はめまぐるしく変化し,1 976年10月に起こった 「北京政変」によって「四 -17. (6597)-.

(2) 人組」が打倒され, ここに華国鋒政権が誕生する。 そして新指通部は. 「工業 は大慶に学ぶ」全国会 議(1977年 4- 5月),. 中国共産党 第11回全国代表大会. (党11全大会·1977年 8月)などをつぎつぎに開催させることによって新しい 経済政策をう ち出した。 当然. 先進的外国技術についても. 再び秋極化政策が あらわれはじめた。 これまで中国では , 急速な近代化を目指すための経済政策をめぐつて激しい 論戦が展開されてきた。 とりわけ「独立自主. ・. 自力更生」の社会主義建設路線. と. 「生産の発展. 科学技術開発のための外国の先進技術の導入」をめぐって の論争は, 中国独自の経済体系をどのように確立していくかという側面から激 しい対立を生みだした。 しかし, 自力更生と対外依存の矛盾は何も, 1970年代 に入ってから新しくあ らわれてきたものではない。 それは中国の政治状況に密 着して, 1950年代以降いくたびか展開されてきたのである。 中国において. 自力更生が強調されるようになったのは1960年以降である。 ある意味では1950年代のソ連からの技術 援助に無批判に依存していたため, ソ 連と離反したと きの弊害は きわめて大 きかったのであり, これに対する反動と しての自力更生の方針が より強く打 ち出されることになる。. つまり中国が,. 1950年代にソ辿との経済交流を行うなかでの苦い経験が, 自力更生の必要性を 改めて確認する基礎をなしているのである。 したがって中ソ離反に伴って, 目 力更生路線を 採用せざるを得なくなった中国としては. 大衆動員による労働経 験を通しての技術開発のための苦しい努力が必死につづけ られたに違いない。 しかしその成果には限界があるわけで. そのため大幅に先進国の技術を 導入す べ きだという主張と, 進度は遅くとも地道に, 自力で工業建設の方針を採るべ きだという主張との間で激しい論争が繰り返されてきた。 したがって先進諸国 からのプラント. ・. ゜. 技術 導入の推移をみると. 大型フ ラント導入が積極化した時. 期と. 中国独自の土法技術が経済建設の路線に据え られた 時期に区分され(2 つの路線がどこまで裁然とわかれ. 対立してきたかは問頗としても), かの路線が強調されてきたのである。 -18. (6598)-. いずれ.

(3) 本稿ではまず,. 中国のプラント ・ 技術導入の推移を略述したあと. とく. に1970年代前半の導入状況を検討する。 しかるのち 導入の積極化と停滞化の背 景をさぐるため ,プラント導入 ・ 技術移転と自力更生路線の関係—�自立更生 をめぐる長期にわたる指導部内の対立. ・. 論争は必ずしも明らかではないが一一. に視点をおき考察しようとするものである。 11. 中国のプラント. 中国のプラント. ・. ・. 技術導入の推移. 技術導入は4つの時期に分け ることができる。 まず, 1950. 年以降のソ連 • 東欧諸国からの導入が 第1期を形成したのち, 調整期を経た 1963年後半から1966年まで ,日本および西欧諸国からの導入に転換した。 これ が 第2期。 そして同じく日本 ,西欧が 提供 国となった1972年秋以降, 1975年ま でが第 3期。「北京政変」を経て華国鋒体制の第 4期へとつづく。 第1期は, 1950年代であり. この時期に, ソ連を主とする共産幽諸国から急 速な工業化のための主要工業 設備を導入した。 ソ連との間では ,10年 間に 291 項目の主要工業 設備を中国に建設する協定が調印された。 そのう ち約130 項目 のプロジェクト が 完成,総額で13億5,000万米ドル相当の設備が中国に引き渡さ れた。 ソ連は中国に対して,このほか ,(1)青写真や技術情報の提供,(2) 1万 人 のソ連技術者や顧問の派遣,(3)ソ辿での 1万5,000人の中国人技術者, 学生の 訓練などを含む技術援助を行った (1)。 ソ連援助による喝入 時期はとりわけ1953 -58年が 活発であり, 主として機械工業, 鋼鉄工業および電力工業に関連する プラント. ・. 技術が 中心となった。 これは当時の中国 当局が採用した重工業優先. 政策を反映するものであった。 また東欧語囚との間でも少なくとも 100 項目の ゜. 主要フ ロジェクトの建設協定が 結ばれ, このうち1959 年までに約3分の1 が 完 成した (2) 0 1958 年に中国は大躍進政策を展開したが. そこには多くの政治状況とからみ ながらも, 1950年代のソ連依存の経済路線から脱却し. エ. ・. 農業併進によるよ. り自己完結的な独自の道を模索する姿勢がみられる。 まず中ソ対立の激化とと -1 9. ( 659 9)-.

(4) もに1960年10月, ソ連は技術者1,200人をいっせいに引き上げ, ソ辿の援助に よるプロジェクトは建設途上で協力を打ち切られるものが続出する。 こうした ゜. 情勢から中国は, 日力で関係フ ロジェクトの完遂に追い込まれたのである。 ま た同時に大躍進政策が挫折し, 自然災害を乗り切った後に劉少奇な ど当時の 「実権脈」指遅部は,新規の先進技術の埒入,工業製品の輸入を急述に西側諸凪 (西欧と日本)にふりかえていった。 直側語囚への抜近は1963-66年の間であ り. これが第2期である。 この時期に中比lは, 日本および直欧諸囚(イギリス,イタリア,フランス, オランダ, ノルウェ. ー. ,咀ドイツ,フィンランドなど) から,50件以上, 2岱. 米ドル以上にのぼる完成プラント購入契約をはじめて締結した。 大半は化学肥 ゜. 料, 合成繊維など化学工業フラントおよび製鉄工業に1及Iするもので,囮側諸山 の技術指導も含まれており,対中禁輸の枠を緩めるかたち で達成され,最新技 術のモデルを中国が取得するのに役立ったといわれる (3) 。 この ことは,農業の 発展に真献する工業部門に優先順位をあたえ,戦略的負材の輸入依存度を少な くするようにし,. mt-� 財工文が農業0)盟凶によって彩密を蒙らないようにする. などのエ文化方針を採った ことにもとづくも0)であった (4) 。 こうして中囚は上 業製品の輸入,先進技術の導入に力を入れてきたのであった。 しかるに1966年 に文化大革命が発生した。 文革で外囚からのプラント. ・. 技術遅入の政策路線が. 批判され,均入はほとんど倅止された。 山内の政治的混乱もあって再び対外経 済閲係は縮小し, �I力更生路線が強調されるようになった。 第3期は1971年から1975年までであり, Cl -JJ更生が確忍されつつも対外経済 閃係が急速に拡大した時期であった。 ます1971年に囚辿へ復帰, これを契機に 中囚経済の囚際化が急辿に促進された。 1972年には米中首脳会談, 日中仕l交正 常化が実視し, これと平行して西側先進囚からのプラント. ・. 技術消入が再開さ. れたのである。 こうして1972-75年の間は非常に活発であり,業植的には これ までの化学肥料中心から新たに石油聞発および石油化学工又など石油産業に杖I 連するプラント. ・. 技術が均入され, 輸入契約額も同期間に 27億5,600万米ド)レ -20. (6600)-.

(5) (米国議会報告では26億3,200万米ドル (5) ) に達した。 この間,「紅旗」1974年1月号に魏乗奎論文(6) (後述) が発表された ことな どによって,上記のプラント導入は一 段落しはじめ,焦点はしだいに鉱山設備 (洵洋掘削を含む),輸送機械(飛行機,貨物船), 電子工業機械に移っていっ た。 しかしともかく,1975年1月に開かれた第4期全国人民代表大会において 氣速な近代化路線が再捉起された ことで,ますます対外経済関係の拡大への方 向が固まってきたのである。 だが1975年末頃から,プラント蔚入をすすめる こ とはl':1カ更生のI原則と囚内の均衡発展を危うくするとの判断が 再び強まり, 「過艮」の対外依存政策への批判が強まった。 関連して, プラント. ・. 1976年に入り「走資派」 批判に. 技術埒入政策が一 府強まるにつれ,新規の輸入成約はほ. とんど倅止されたのである。 そして第4期。 「北京政変」以後の 中国の経済政 第の転挽によって,プラント. 技術芍入政策が活発化され,今日にいたった。. ・. 注11) Joint Economic Committee Congress of the United States, People's Republic of China : An Economic Assessment, 1972. JETRO「米国 のみた中国経済」1972年,454頁。 (2) 同上害,454頁。 (3) 同上害, 461-462頁。 (41 宮下忠雄・上野秀夫「中国経済の国際的展開Jミネルヴァ害房,1975年,61頁。 (5) Hans Heymann, Jr. "Acquisition and Diffusion of Technology in China" in Joint Economic Committee Congress of the United States, China : A Reassessment of the Economy, 1975. p. 701. 16) 魏茉奎「堅持独立自主, 自力更生的方針J C「紅旗」1974年第1期)。. m (1). 1970年代プラント導入契約の状況. 取引状況と契約内容の特徴 中山の完成プラントの導入成約は1972年に再開されたが,大規模化したのは. 1973年であった。 1973年に中国が日本,米国および西欧諸国から買付けたプラ ントは,少なくとも30件, 13億4,500万米ドル以上と推定される (1) 。 これは, -21. (6601) -.

(6) 1960年代の導入契約総額の数倍に達する。 ドルの減価という要素を 考慮すると しても ,. 大規模な集 中的 導入であった。. その成約内容は石油化学から合成繊. 維,化学肥料 , 発電設備のほか ,貨物船 , 浚渫船. 海底掘削船, それに旅客機. 宇宙通信地上局など各種の輸送機器や通信機器類にまで及んだ。 全体的にみれ ば同年の契約内容は. 石油化学 (化学肥料を含む) プラント の年であったとい える。 1974年に中国が導入契約したプラントは 22件 , 9億8 ,600万米ドル以上であっ た。 前年に比べて件数, 契約額規校い ずれも減少した。 これは, 197 3年10月の 第4次 中東戦争勃発による石油輸出制限措置および原油価格の高騰に伴う先進 工業国での機器, 資材類の価格引き上げによって , 中国側が商談を見送るケ ー スが 多かったからである。 また中困国内での批林批孔連動の影悪もでてきた。 すなわち , 「紅旗」「人民日報」「学習与批判」などを通じて, 外国からのプラ ント・技術導入の是非をめぐって議論が展開されてきた。 なかには導入に否定 的な論調も 数多くあらわれ. これによってかな りの影署があらわれた。 成約内 ゜. 容は. 鉄鋼プラント が60%を占めて 5 億7 ,420万米ドル. ついで石油化学フ ラ ゜. ント の 3億7 00万米ド)レ, 電カフ ラント8 ,09 0万米ドル であった。. し たがって. 1974年は鉄 鋼 関係プラント の年であったといえる。 つぎに1975年の導入成約は13件. 額で 197 3年に比べて 4分の1 ,. 3億600万米ドル以上と推定される。. 契約. 197 4年に比べて 3分の1の低水準にとどまっ. た。 これは上述した1974年の停滞要因が引き続き1975年にも「後遺症」となっ て 残ったこと. 中国の貿易収支の悪化. さらにはプラント契約時におけ る延べ 払い金利の高水準. 硬直化などの背景があって,商談が足踏みしたものと考え られた (2) 。 成約内容を種目別にみると. ジェット ・ エンジン技術が 1 億 6,200 万米ドルで全体の5 3形. 次いで石油化学プラント が 9 ,000万米ドル , 石油掘削 ゜. 関係 2,300万米ド)レ,酸素フ ラント ,. ベ アリング・プラントの順であった。. 石油. 化学プラント が197 3, 74年に比べて急減したこともあって,1975 年はジェット ・エンジン技術の導入が注目された 年となった。 なお契約相手国をみるとイギ -22 (6602)-.

(7) 第1表 プラント契約状況(1972-76年) (単位: 100万ドル) • 合計の 年 . 1972 1973 1974 1975 1976 計 構成比. ·プラント別 (%) . . 鋼 24.3 19.1 574.2 12.0 19.3 648.9 22.0 鉄 炉 関 係C -)C -)ClO.O)C -) (14.1) (24.1) 素(24.3)CII.7)C -) (12.0)C -) (48.0) 高酸 圧 延 (鋳造を含む) ( ー)C 7.4)(564.2)C -)C5.2)(576.8). ヵ. 電. 石. 石. 油. 化 油. !. 学. (含合 成 繊 維 肥. ^. 原 料 原料 料. ! ! ! ! -!. 47.0. 学 化. 34.4. 213.1. 80.9. 966.7. 306.9. 5.0. 333.4. ,. 90.0 146.4 1,557.01. ) (47.0)(487.4) (31.6) (90.0)(117.9)(773.9) (一)(374.0)(164. 8) (-) (-) (538.8). 11.3 52.8. プラスチック ・合成ゴム C -)(105.3) (82.1)C -) (28.5)(215.9) に. 石. 採 精. 繊. 成. 油. 掘•生. 維 C -). 8.7 12.0 24.0 23.0 - 67.7 産 (8.7)C -) (24.0) (23.0)C -) (55.7) 製 C-) 02.0)C -)C -)C -) (12.0). 鉱 業/精錬 そ. の 他 機 械 工 業 コンビュ ー タ ー /電子工業 ll-�. - (28.4) (-) (-) (28.4). i. -I -I -I. —1125.61. 4.7. -. 125.61. --. - 176.1 25.2 214.5 (176.1) (10.0)(186.1) C -) (15.2) 05.2). 8.5. 2.3. 4.3 7.3. ! 119.1 l1,345.ol 986.o 1306.1 ! 190.912,947.1! 100.o. 出所:日中経済協会「日中経済関係調査報告書」No. 87. 1977年4月,77頁。 リスの1億6,200万米ドルを最高に, 西ドイツ, 日本,イタリ. ー. ,米国とつづ. いた。 1976年に中困が契約したプラント. ・. 技術導入は,1973-75年までのいずれの. 年よりも下回った。 11件, 1 億9,100万米ドルと推定されるが,これはこれま でのビ ー クであった1973年契約額の 6分の1以下の水準である。契約内容は石 油化学プラントが1億4,640万米ドルで全体の779,ると圧倒的な比重を占めた。 そのほかは極端に少なくペレタイジング. ・. プラント, コンビュ ー タ ー システ. -23 (6603)-.

(8) 第 2 表 各国別 プラ ン ト 契約状況 i. 名 国. l l. [. [. 年 〗. [. 1972. 日. 0 2. ギ. リ. ス. イ. タ. リ. ー. オ. ラ. ン. ダ. 合 計 (そ の 他 含 む). .. 国. イ. 335. 0. 0• • 0. 米. 378 . 0. 0 0 .6 0 4. 0 3 5 2 2 3. 3 . 8 2. 83 .o I. 197 4. 3 •6 2 1 2 8 4. 本. フ ラ ン ス ( ス イ スを含む) 西 ド イ ツ. 1973. 103 . 7 i. 7.8. 78. 4. I 119 . 1. 15. 0. (単位 : 100万 ドル). 1975 31.1. 1976. ai·. 137 . 5. 670.6 60. 0. 36 . 7. 533 . 9. 23 . 0. 6.7. 2 49 . 7 265. 7. 162 . 0 30. 0. 10. 0. 1 41 . 2 90. 0. 90. 0 1 , 3 45. 0. 96 4.6. 986 . 0. 306 . 1. 190.9. 2,9 47 . 1. 備考 : その他 に は,ス ウ ェ ー デ ン ( 4) , ベルギー (5.9), デ ン マ ー ク (21 . 5) を含む。 出所 : 日中経済協会,前掲書,No . 87. 8 1 頁 。 ゜. ム ,遠心式圧縮機製造 ラ ン セ ン ス,圧延フ ラ ン ト 付帯設価 などであった。 日本 との間に気象観測用 シ ス テ ム の先端技術,米 国 との問に石油探査 • 開 発および 地震観測用 コ ン ビ ュ ータ ー シ ス テ ム(米国の反対でCOCOM承認得られず 難航) が契約されたが, この ことは最先端技術で潜在的軍事価値の高 い麻性能の コ ン ビ ュ ータ ー が取引 の対象とされたわけで き わめて注 目 された。 さらに機械工業 などの ライ セ ン ス, ノ ウ ハ ウ 供与,決済方法に新しい延べ払い条件が採り入れ ゜. られた こと など,成約内容にいくつかの特徽がみられた。 そ れとともに外国フ ラ ン トの供 給範 囲の縮小は, 自 力更生路線が色濃く投影されたものであった (3) 。 以上各年別の契約状況をみたが,1972-76年の 5 年間にわた る 契約額をみる と,第1 表に示されるように総額2 9億4,710万米 ドルと なった。 米 ドル以上と 推定される。. 実際には30億. 種 目 別 内訳の 順位をみると, 石油化学 プラ ン ト. (52 , 8 % ) , 鉄鋼プラ ン ト (22 . 0 % ) , 電カプラ ン ト (11 , 3% ) , 機械工業 ・ 電子 工業 その他 ( 7 , 3 % ) . 鉱山関係プラ ン ト (4 . 3 % ) , 石油関係プラ ン ト (2 . 3%) であった。 また相手国別では日本 9 億6,500万米 ドル ( 32 , 7%) を筆頭に,フ -24. (6604) -.

(9) ランス (22 . 79,_ぶ ) ,西 ド イ ツ (18 , 196 ), イ ギリス (9 . Q形),米 国 ( 8 . 4 �る ) , イ タ リ ア (4 . 7% ) の順位であった。. (2). 日 中 プ ラ ン ト 取引 の状況. 日 中 国交 回復以前に実現した n 本の対中プラン ト 輸出は,1963年 8 月, 5 年 問の延べ払いで恣可 さ れた倉敷 レ ー ヨ ンの ビ ニ ロン ・ プラント ( 日 産30 トン, 72億 円 ) ただ一 件であ っ た。 それが復交後, 中 国 は 日 本の先進技術やプラン ト ・ 機械設備類の禅入に 一 段と拍車をか け はじ め , 1972年12月,東 洋 エ ンジニ ア ゜. リ ングなどが成約した エ チ レン製造フ ラン ト を皮切 り に,化学肥料,石油化学, 化合繊お よび同原料製造, コ ンビ ュ ータ ー. ・. シ ス テ ム などが続 き ,1976年まで. 9 倍6 , 500万米 ドル に の ぽった。 国 交 正 常 化以後の わ が 国のプラン ト 輸 出の奔流の努いは,単に件数,規校な どの撒的な面での拡大ばか り に あ る のではない。 全体的にはやは り エ チ レンを ゜. 柚 に . 中間 原料や誘 禅品の製造工程まで含めて,石油 化学工業の各種フ ラン ト が整然と系統的に広 が り つつあ る ことが特徴的であ る 。1972年後半から約 2 年 間にわたっ て 中 国 が 買いつけた各種の大型プロジ ェク ト は,1975-76年にかけ て 引 き渡 さ れ る 契約が 多く, 実 際 に は若干ずれたけれども,第 5 次 5 カ 年計両 期に全面的な採業 に 入ってい る 。中 国 側 が,とく に 短 期 間のうち に石油化学関 連プラントを急増 さ せた理由としては,中国が石油生面に自信をつ けた こと, 合繊生産増加の意図,工業 用 に 使 用 さ れ る 紙に柏えて,合成プロ セ ス で生産し う る 樹脂製品を使用 す る 必ti�などがあ る ことはいうまでもない。 船舶関係の技術祁入につ い て は, r l� n;1 は1972年に貨物船 ( 日立造船,14,300 重量 トン 2 隻,50億 円,1972年 9 月 ) ,海 洋掘削船 ( 日 本 海洋掘削,「ふ じ」号 お よ び作業船 ・ 祁品を含む,26倍1 , 500万 円,1972年 9 月),浚渫船 ( 函館 ド ッ ク,浚渫船 6 隻および泥運搬船 8 隻,40億 円,1972年11月 ) などの成約があっ た。 1973年には浚渫船 ( 日 本 鋼竹, 自 航 式バケ ッ ト型 8 隻, 140億 円 ) の 成約 があった。 さ らに,黄海から南 巾 国海にいた る 広大な大陸棚探査 ( 石油,天然 -25. (6605) -.

(10) --. 契. 約. プ ラ ン ト 名 ( プ ロ セ ス ・ オ ー ナ ー). 者. 業 / 住 友曲事/伊藤忠/ 日揮 産 貿易. Kraus-Maffei. (西 ド イ ツ). 三菱 商事 / 東工物 産. 日 揮 / 日 本合成 ゴ ム /. - ··. 帝人 / 日 商岩井. Uhde. (西 ド イ ツ). B ASF. (西 ド イ ツ). Nuovo Pignone (イ タ リ 日 鉄 /朝 貿易 新 安 産業 / 腸 極 東貿 易 / 東宅 洋エ ン ジ ニア リ ン グ. ー. ). Control Data Corp . ( 米 国) 日. 立製 作所/ 極東 商 会. 東 洋 エ ン ジ ニ ア リ ン グ/ 光 和精鉱/三 元筑波 ガ ス ) の ため,. 第3表 1 9 7 6 年 の. パ ラ キ シ ン, ベ ン ゼ ン (UOP) ボ リ エ ス テ ル繊維. パラ キ シ レ ン 64 ,000 ト ン/年 (ナ フ サ 150,000 ト ン /年使 用). 88 , 000 ト ン /年 ーー.. '.一·- — -.一 80 , 000 ト ン /年. 合 成 ゴBR ) ). 合成 ゴ ム ( S ム 日本. (. 設 備 能 力. ポ リ エ ス テ ル重合. -•. エ タ ノ ー )レ (Veba-Chemie). 100 , 000 ト ン / 年. 2 ー エ チ )レ ・ ヘ キ サ ノ ー )レ. 遠心式圧縮機 の ラ イ セ ンスと ノ ウハウ ° 圧延 フ フ ン ト 付帯 設備一 . ホ ッ ト スカーフ R K 脱硫集 塵 , 試験分析 ァ ー.. 石油探 査 • 開発 お よ び地震 餞察用 コ ン ビ ュ ー タ ー ・ シ ステム. 気象観測用 コ ン ビ ュ ー タ ー ・ システム ペ レ ク イ ジ ング. 80, 000 ト ン /年. 50,000 ト ン /年. -―- -· Cyber 172型 2セッ ト · -·HITACニ MI70, I セ ッ ト - Ml60, 2セ ツ ト 300 , 000 ト ン/年. 出 所 : 日 中経済協会, 前掲. 中 国 機械進 出 口 公 司 が 三菱 グ ル ー プ に 対 し 大陸海洋 掘 削 装 置. ( 水 深200 m ま で 可能, 約60億 円 ) な ど の 輸 入 を き め た 。 結局船舶類 の 対 中 輸 出 成約 は ,. 復交直後 か ら 1973 年末 ま で 大小,. た 。 成 約 高 の 60形以 上 は , 浚渫船, 占 め ら れ て い た ( 4) 。. ク レ. ー. 新造 と も 120隻 ,. 700億 円 に の ほ っ. ン 船 な ど 港 湾能力 向 上用 の 作業船で. さ て 1975 年 の わ が 国 の 対 中 プ ラ ン ト 輸 出 契 約 は 5 件,. 3 , 1 10万米 ド ルで あ り .. 1 972 -74年 の 各年 に 比 べ て急 滅 し た 。 1972年-74年の プ ラ ン ト 契約 は 日 本 と 中 国 と の 貿 易 関 係 の 急 速 な 拡 大 に 大 き な 役 割 を 果 た し て き た が, 1975 年 は そ れ に -26. (6606) -.

(11) プ ラ ン ト 契 約 状 況 契 約 金 額 ( ) は米 ド )レ換算 翡 襦窟ト ル) -. .. ----·. 19. -. - -�---. 約120億円 (4 , 060万 ド )v). .. 670万 ド )レ .. .. 43億6 ,000万 円 (1 , 410万 ド ル ). 1 976年 1 月. '. 1976年 2 月. ---. 1976年 2 月. 1 976年 2 月 1976年 3 月 (発 表). 1976年 6月 9 日. 1 976年 6-12月. 1 976年10月 .. 書, No. 87. 76頁。. 『. 1 976年10月. 1 976年 11月 10日. 1. ,_. ---. 天津 (1978年末) (1 978年) .. ー. 武漢 (1980年春). (1979年 3 月 ) ( 1 980年春). 円建円払い 円建円払 い. 円建円 払い. ド イ ツ マ )レ ク建 ド イ ツ マ ル ク払い. 決 済方法 1. '. I. 延べ払 い 延ぺ払 い. 延べ払 い 契約時10劣 直還時20%. ド イ ツ マ )レ ク建 ド イ ツ , -·マ一)レ - ク -払 い 円建円払い ド ル建 ド )レ払い. 円建円払い. 円建円払い. ー. ―. I. I 現 視. i 現. 一金. 合計約 1 5 億 円 (520万 ド ル). 1. 喜悶『. 決済通貨. 金. 2, 500�3 , 000 万 ド イ ツ ・ マ )レ ク ( こ こ で は 1 , 080 万 ド- -ル と しー . た) - .一 6 ,000万 ド イ ツ ・ マルク (2 , 590万 . . ド--ル) n. p. (1,- 000万 ド ル). 25億円 (850万 ド ル). -. --. 約80億円 (2 , 710万 ド ル) �. ... 建 設 地 ( 完成 予定時). 契約時期. 金. 延べ払い. 比 べ て 極端に 停滞 し た の で あ る 。. 1976年 の 日 中 プ ラ ン ト 取 引 契約 は 6 件 1 億3 , 750万米 ド ルで あ っ た 。 中 国 の. 先進国 か ら の 成約 が 1 億9 , 090万米 ド ルで あ っ た か ら ,. 日 本が72% を 占 め た こ. と に な る 。 1973, 74年の 半分 に 達 し な か っ た と は い え , 前 年 の 3 , 1 10万米 ド ル. ( 外国 全 体 の 導入額 は 3 億610万米 ド ル ) に 比 べ れ ば 5 倍 以 上 の 成約 と な っ た 。. し か し 年度別 の 数値 と は 異 な っ て 成 約 内 容 の 実 情 を み る と , 1976 年 は , 本来な. ら 1975 年以前の 商談案件で あ っ た 点 を考慮 に 入 れ な く て は な ら な い。 全 体 的 に. み れ ば1975, 76年 の 契約額推移 は 低 調で あ っ た と い わ ざ る を え な い 。 な お 1976 -27. (6607) -.

(12) 第4表. .. - ----. プラ ン ト別. 鉄. 鋼. 高. 石. 鉱. 関. 1972. 油. ( -) (. 係. (12. 3) (. 素. 学. (晶贔 伽屑) 料 肥 プラスチッ ク ・ 合 成 ゴ ム 合 成 繊 維 油. 採 掘 •生. 精. 山 ・精 そ. C. 力. 化. 錬 計. の. 産. 製. 他. 1973. 12.3. 庄 延 (含 鋳 造). 頑 屯. 石. · -- -年-----. 炉. 酸. 日 本の対中 国 プ ラ ン ト 契約高 (単位 : 100万 ド ル). I I. -) (. 15.0. 47. 0. 1 974. 282. 0. ー). (. ー) (282 . 0). (. ー) (. ー). ー) ( 63 . 0. 53 . 0. 315.0. c,1 . oJ (142 . 0) ( 31 . 6 ) C. (. (. ( 8 . 7) ( (. -) (. 83 . 0. 335 . 6. -) C 1 4 . 5) ( 1 4 . 1). ( 1 2 . 0) C. (. 19.3. � 1-. ー) ( 24 . 3). -) ( 5 . 2 ) (287 . 2). 5.0. 109 . 7. 83 . 0. 524 . 7. -) ( 81 . 2) (301 . 8). (. -) (. ー) C 84 . 0). ー) ( 16 . 7). C. -) (. ー) ( 16 . 7). -) (. ー) ( 8 . 7). ―) C 89 . 0) ( 8.7. 12.0. 1976. -). -) ( 84 . 0) C -) (. 1975. ー) (. ー) (. 378 . 0. 出 所 : 日 中経済協会, 前掲書, No. 87, 87頁 n. 4. 7) ー) ー). 335 . 0. ( -) ( 28 . 5) (122 . 2). ( C. -) (. 14 . 1. 31. 1. 8.7. ー) ( 8.5. 137. 5. -). 22 . 6. 964 . 6. 年 の 石油 化学閃 係 の 合 成 ゴ ム , ポ リ エ ス テ ル軍合 と い う 契約 内 容 か ら 予 測 で き. る こ と は , 今後, 合 成樹 脂 , 合成繊維 の 工業 化 の 方 向 が 指 向 さ れ よ う 。 ま た ペ レ タ イ ジ ング. ・. プ ラ ン ト ( 硫 酸製造後 の 硫化 鉱 の 燃 え 残 り を ペ レ ッ ト に し て 欽. 鋼 の 原 料 に す る と と も に 焼鉱 中 の 非鉄金属 を 回 収す る も の ) の 成 約 な ど か ら み て , 中 国 が石油化学以外で は , 金属 , 鉱業 関 係 の プ ラ ン ト を導入す る 方 向 に も あ る こ と を示 し て い る 。. こ の こ と は わ が 国 の 外 囚 へ の プ ラ ン ト 輸 出 が 毎年 急 増 し て い る の に 比べて. ( 1973年, 19億3 , 500万米 ド )レ , 1974年, 24億6 , 300万米 ド )レ , 1975年 , 41億2 , 600 -28. (6608) -.

(13) 企. 業. 欝靡胃 [ 納. □. 年 月 1912 · 12 ·. 東洋 エ ン ジ ニ ア リ ン グ 三井高圧化学 東工物産 I. エ チ レ ン ・ プタ ジ ェ ン ・ プラ ン ト 1 エ チ レ ン年産30万 ト ン , プ タ ジ ェ ' ン年産4 . 5 ト ン. -!. | 29 (6609). 1973 · 2. ア ク リ ロ ニ ト リ )レ ・ プ ラ ン ト ア ク リ ロ ニ ト ル年産 5 万 ト ン ア セ ト ニ ト リ ル年産1 ,000 ト ン 」打製 青酸年産 5 , 000 ト ン, 廃水処理付. 1973 · 3. ー. エ チ レ ン 法 ボ バー )レ ・ プ ラ ン ト 酢酸 ビ ニ ー ル 日 産200 ト ン, PVA ( ボバー ル) 日 産100 ト ン. � ― ―. 高圧法 ポ リ エ チ レ ン ・ プ ラ ン ト 年産 18万 ト ン. ―. 高圧法 ボ リ エ チ レ ン ・ プ ラ ン ト 年産 6 万 ト ン. 年. ン レ シ. B TX プ ラ ン ト ベ ンゼ ン, ト ルエ ン, 産10万 ト ン. キ. ポ リ エ ス テ ル重合プ ラ ン ト 年産2 . 5万 ト ン. j ―. ア ン モ ニ ア ・ 尿索 プ ラ ン ト ア ン モ ニ ア 日 産1 ,000 ト ン , 尿索 日 産1 , 600 ト ン, 廃水処理付. 旭化成 クラレ = 井高圧化学 雨洋 エ ン ジ ニ ア リ ン グ. I. i. 1973 · 3 1973 · 4. 期. 年 -. I. エチ レ ン ・ プラ ン ト 三菱油化 年産12万 ト ン, 分解油水添脱硫付 , 三菱重工 業. ー. I. I : I I. i. -. 月. I. 契約 金額. I. 143億円. 1---. I. 90億円. -. I I. 69億円. I. l lO億円. 1973 · 5. 住友化学工業 日 本揮 発油. 1973 · 5. I -. I. 1973 . 7. -. 住友化学工業 石川 島播磨重工業. I. 1973 . 9. I. -. 備. 元建て 5 年間延べ払い. I. 80億 円. 東レ. 三菱 油化 日 立製作所. ・•. 考. 概 要. 日 本の対中国プラ ン ト 輸出成約状況 (1972-1975年). 名. ン. 卜. — フ. プ. 第5表. 元建て 5 年間延ぺ払い 元建て 5 年「蜀延べ払い. i. 1. -. 元建て 5 年I閉延べ払い 元建て 5 年間延べ払い. 130低円. 元建て 5 年間延べ払い. I. 14億円. 元建て現金払い. I. ss 億円. 元建て 5 年間延べ払い. 120億 円. 元建て 5 年間延べ払い. ..

(14) プ. ラ. ン. ト. 概 要. ア ン モ ニ ア ・ 尿素 ゜ ラ ン ト f\(\(\ L •; 素日 ア ン モ ニ ア 日 ;#付11フ V 1· -' , 尿 帯 , \N 設備 付 産1 ,600 ト ン , 牢. '1. ° ポ リ プ ロ ヒ レ ン 製造プ ラ ン ト ° ポ リ プ ロ ヒ レ ン 年産 8 万 ト ン ゜. —. 30. ポ リ プ ロ 重合用 触媒成分 ラ ン ト フ 三塩化 チ タ ン 年産220万 ト ン. (6 6 10 ) -. エ チ レ ン 法 ポ バー )レ ・ プ ラ ン ト 酢酸 ビ ニ ー )レ原 料 に よ る PVA 日 産150 ト ン. !. ポ リ エ ス テ ル繊 プラ ン ト 短 長紡繊 日 産40 ト ン , ポ リ エ ス テ ル維 繊 ポ リ エステル 日産8 ト ンの 設備 設備 , 仮撚 機な 伸 属 設備 喜 付糸 ど紡 両. 酸 化エ チ レ ン ・ プ ラ ン ト ラン ト エ チ レ ン グ リ コ ー )レ ・ プ 酸 化 エ チ レ ン 年産 5 万 ト ン , エ チ レ ン グ リ コ ー ル年産 6 万 ト ン. 業. 約 調. 名. 契 印 年 月. 三井高 圧 化学 東洋 エ ン ジ ニ ア リ ン グ. ゜. ラ ン ト 電 火力 出 発 各2フ5万 KW 2 基 力. 企. 1 1. 1. ;. 日 立製作所 三井石油 化学 三井造船. !胃. ニ チタ事 邦忠 # 商 ウム. I. I. クラレ 西 日 本貿易. I 元建て 5 年間延べ払い. 1973 · 9. -. 190億 円. l. 1973 · 10 I I. -. 70億円. I 元建て現金払い 北京郊外. .. 1. 1974 · 1. i 20 カ 月 後. :. ↑. 1976 · 4. 日 曹油 化 日 曹エ ン ジ ニア リ ン グ. 1974 · 2. !. 1976. I. I I. I. 14 億 円 54億 4 , 500万円 50億円. 1. I. I. I. I I. 1976. ,';. 鋼. ,. 考. 1 10億円. 帝 日 商岩 井. 鉄鋼圧 延プ ラ ン ト トス ト リ プ 熱間圧延 設 紫 ミ ル) 年産 300万 トッ ン アミル 8万 ト ジミ俯 !ll 錫ゼ メ ンキ * 年産.6 . 珪 ッノ板応 新 日 本製 鉄 設備 年( 産 IO万 ト ン • 国 ッ. 備. 契 約 金額. -. 1974 · 1. 人. 期. 1973 · 9. I 1974. I. 納. 1974 · 6. 1977. I. 冗 - 建て 5 年間延べ払い. 苓建て 5 年間延べ払い 直慶 — 杭 JC州 建 て 5 年間延べ払し ヽ. —. —. 48億円. 冗建て元払し ヽ. 647億円. 円建て 円払い. I 5年 漢間延べ払い 情 う ち報技 術 料 l 47 億 円 ) 武. I.

(15) I|. フ. 。. ラ. c , ,, 項 よ り つ. ン. づく. ト. 概 要. 備 年 産カ )1 5万 ト , 連 続 鋳 、メ 土訊 逗 叔 ッ キ設 備 年産銅1 60 ト ン . ソ碓 素 鋼 製 び 鋼 技 お 術 製 ( 造 よ 焼 ) 鉄鋼 フ゜ ラ ン ト 帯設 備 ,付排 環 等設, ス ラ 理施 処資 温匙炉,備 工亭水 循 プ 保水 用 材. | 31. ボ リ ビニ ー ルア )レ コ ー ル 年 産 4 万5 , 000 ト ン. ・. プラ ン ト. (66 11). ベ ア リ ン グ製 造プ ラ ン ト ー ラ ーベア リ 精度 ロ 作機 械用 車 高両 工 ン グ, 鉄道 用 ベア リ ン グ. ー. ベ ア リ ン グ製造プ ラ ン ト 年 産約25万個. 超大型酸 素 発生 3 万5 , 000面/h. 卜. I. ガ ス ・ タ ー ビ ン発電 2 基 X 2 万5 , 000K\V. I 自 動車, 建設機 械用 摩擦材 製造ノ ウ ハ ウ. I. 企. 業. 名. 契 印 年 月. 新 日 本製 鉄. 1. 974 · 9. クラレ. 1. 974 · 1 0. 光洋 精 工. 新 日 本通 商 日綿 本精 工 日 実業. 日 立製 作所 冨士電機, 住友精密, 安宅産業 三菱セ メ ン ト 建 材 三菱商事. 納. 約 調. 1975 • 2 1975 • 2. 95 億 円. 1 975 · 7 1 54低 船積み開始 4 , 200万 円. I. 備 円 て 円 払い 贔 間延 べ 払い. 備考 : 1 976 年以降の成約状況は第 3 表参照。 出 所 : 宮下 • 上野, 前掲書, 276-277頁 お よ び そ の 後 の新聞報 道 に よ る 集計。. 1 976 · 春 船積み. 12億. 1. 1 億. 976 · 7. 船積み. 春. 5. 円. い 元建 て元払 5 年 間延 べ払 い 重慶. 陽 て 円払 い 円建 洛. 円. 円 建 て現金払 い. 36 億 円. 円 建 て現金払 い. 約. 1. 億. 円. 考. 建. 1 976 28 億 円 春 船積据み· 1了 (報 て 円払い う ち 技術 % 付 完 年後 料 5 情〗 円 建. 975 · 1 1. 1975 · 1 2. 契約 金額 I. 1. 1975 · 4 1. 期. 円 建 て現金払い. I.

(16) 万米 ド )レ , 1976年, 65億8, 300万米ドル), 1975, 76年の 中 困 向 け 成約額が急 鍼 し て い る こ と で明 ら か に 示される。ち なみ に 対 中 プ ラン ト 輸 出 契約額がわが囚 プ ラン ト 輸 出 全体の 中で占め る比重 を みれば . 1973年19, 5 %, 1974年13. 6 96 . 1975年Q. 6 % , 1976年2 . 0彩である。こ の 背景に は , 数年米の中国 国 内での 外 g;J 技術. ・. プ ラン ト 等入をめ ぐ る批判問題, 第 5 次 5 カ 年計画の策定と 実 施 の 遅. れ, 大地迄 日 中 間 の 貿枯不均 衡 の 累 栢など の 要因があっ た こ と を見逃 す こ と はでき ない。 1977年 4 月 , わが国経団辿 訪 中 代表 団 と 中 山側首脳 と の 間で 「 日 中 長期 貿 易 取決め」 を締結 す る こ と で合意し た のであるが, こ の 内容はプ ラン ト 取引 の 発 展 の つ ぎ の 段階 と して の 新し い意味を も って い た。そ こ での合意事項では 中 国 側が希望す る 輸入技術. ・. プ ラン ト と して , 石 油採掘, 石炭採掘 • 選炭, 輸送,. 港 湾, 冶 金, 石油化学 ( 肥 料 を 含 む ) , 発電など の プ ラント ,. パテン ト , ノ ウ. ハ ウ な ど の 項 目 が明示されて いたが, わが固 と 中 国 と の 技術 ・ プ ロ ジ ェ ク ト協 力 は , そ の 実現へ 向 って 大 き く 前進し た と い え よ う 。 注 (1) 1972-76年の導入契約額は, 日 中経済協会 「 日 中経済関係凋査報告督」 資料に負 っ た。 ま た こ こ で い う プ ラ ント と は, 「生産, 流通, 通信, 計算設備, 施設の こ と で, 船舶や航空機な ど は 含ま ず, 単体機械 と 区別す る 意味で契約金額が 300万 ドル以上 と し, 技術取引 は こ れ以下の場合も すべて 含めて」 い る (日 中経済協会, 「 日 中経済関係調査報告書」 No. 87, 1977年4月, 73頁。お よ び同上響 No. 64, 1976年3月, 71頁)。 (2) 日 中経済協会, 同上督, No. 64. 77-78頁。 (3) 日 中経済協会, 同上書, No. 87. 82-84頁。 (4) 宮下忠雄 • 上野秀夫, 前掲書, 225-231頁参照。. W (1). 中国のプラ ン ト. ・. 技術導入 を め ぐ る 論争. プ ラ ン ト ・ 技術導入 と 「走資派」 批判運動. 1972 年 か ら 秘 極的 に おしすすめ ら れて き た 西 側 諸 函 か ら の プ ラン ト. ・. 技術均. 入政策が, 1973年を ビー ク に , 以後毎年減少し, 1976 年には新 規 の 輸入成約は -32 (6612) -.

(17) わ ずか11 件にな り 停滞したのである。 このことは, 1 975年末から1976年前 半 ま で続いた「四人組」 による「走資派」批判運動によって, 中 国経済の国際化の なかでの資源輸 出 . プ ラント 導入の貿易政策が激しく 批判されたことが原因と された 。 だが, その貿易政策を「対外依存政策」として批判して きた「四 人組」 と そのグル ー プが. 「北京政変」 によって 逆に打倒され. 華国鋒政権が生ま れ たことで, つぎには新しい対外経済政策, すなわち 導入を積極化する政策がう ち 出されたのである。 華国鋒指導部は, 貿易政策. 外 国 プ ラント ・ 技術導入が停滞したのは, 「 四 人組による誤った路線の介入」 であったと説明した 。 すなわち「四 人組」が生 産増強や 自 力更生. 外 国からの先進技術の導入などにいいがか りをつけ経済発 展をこと ごと く 妨害したというのである。 たしかに,「四人組」 と そのグル ー プによる過度の外国への依存をいましめ る主張は, 中 国の対外経済関係をい く らか消 極的にしたことは ま ちがいないで あ ろ う。 しかし. 停滞要因 のす べ て が,「誤った路線の介入」 であるという説明は 必ずしも 説得力のあるものでは ないだ ろ う。 プ ラント 技術導入はともか く , 中 国の対外貿易全体をみた ばあい に, 「対外 貿易への過度の依存という部小平の批判が 繰 り広 げ られているが, 中国側の貿 易担 当 者は何人かの外国人に対して 中 国の対外 貿易に大 きな変化が ないことを再確認した。 確かに最近の動 きを みても, 引きつ づ き 貿易の伸 びを 促すような政策がと られてい ることは明らか」 (1) であ り, 実 際に対外貿易は地 域によっては伸張しているからである。 イ ギ リ ス, フ ラン スなどの西欧諸国や ソ連 ・ 東欧との貿易は伸びていた。 全体として みれば. 日中 間の貿易不振がき わだった だけである。 1972 -76年ま での中 国のプラント • 技術導入総額をみると, 197 3年を ピ ー ク に年 々 減少しているのであるが. そのう ち 日 本からの導入をみると, 1975年に 激減して いる。 1976年は 1億3, 750万米 ド ルと再び上昇して いるのであるが. これは上述したように. 年度別 数値と異な り, 成約内容の実 情が1975年以前の 商談案件である点を考慮しなければな らないので. 全体的には低調であった 。 -33. (661 3)-.

(18) し か も 加 えて, 部小平が 「 天安 門 事 件の策謀」により 失 脚 し, 「 走資 派」 批判が 激 しく展開 さ れた時期には, た し かに 日 本 への発注は止まっている。 し たがっ て「四 人組」の影響が及んで きた こ とは 間違いなかろ う。 というのは 一 例と し て, 北京石油化学 コ ン ビ ナ ー ト ( 北京石油化工総工廠) で 日 本 の 先進技術 ( 東 洋エンジ ニ ア リ ングを中心 に し た生産能力 30万 ト ンのエ チ レン. ・. プラン ト ) を. 導入 し ているため, 「外国技術 盲信批判」 を掲 げた 「 四 人組」の標 的となって いたという事実である (2) 。 批判の論 点は , エ チ レン プ ラ ン ト を 「外国技術崇拝 の売 国 的産物と し て, かり に うまく稼動すれ ば 中国を誤った方 向 に 導 き, 調子 よく動く ほ どますます売 国的になる」 という ものであった。. 「 走 資 派」批判が. 展開さ れている時期で , これを テ コ に同 コ ン ビ ナ ー ト を攻撃目 標 に 選んだとい われる。 し か し 全体的にみれ ば , 以上 述べ たような貿易, プ ラ ン ト , 技術状況 から , すべてが 「誤まった路線の介入」が原因 し て停滞 し た も の ではなかった といえよう。 それでは停滞 原因は何であったか。 それは, プ ラ ン ト. ・. 技術の輸入需要が拡. 大すると. こ の支払 決 済 に あてられる外貨取得のために, 将来大幅 に 増大する 可能性を も つ資 源 輸出に 対 し て, 中国当 局の一部で 一種の危惧の念が抱かれて いたという こ と である。 つまり そのような危惧は 「 四 人組」ばかり ではなかっ たという こ とである。 西側諸 国からの巨大 • 最新鋭プ ラ ン ト の , 大量の , 集 中 的な 輸入の事実 に は,. 一. 種の「強引さ 」 も あった。 それが量 的に も 質 的に も .. 中国が目指す社会主義の建 設 にと っ て問題であった。 その意味では方海論文を はじ めと し て, 後 述する諸論文が指摘する 一種の 「予防措置」的な資 源 輸出 批 判があらわれた こ と も 理解で きよう。 「四人組」失脚後においても . 「中国は外 国から資 本を羽入 し て国内資源を開発 し たり , 外国との合弁 事業を行ったり , 借款を受け入れる こ とは 決 し てない」 (3) こ とが強調 さ れている。 こ れはかつて 李強中国対外貿易部長が , (1)外国資 本を導入 し あるいは外国と共同 し て, 自 国 あるいは外国の資 源を開発 し ない , (2)外国と連合経営を行わない , ( 3)地 に 頭を すりつけて外国の借款を求めない , (4)必要 な 設備は 輸入するが, その支払い方 -34 (6614) -.

(19) 式は. 取 引 双方の 当 事者 が国際貿易中の慣行にしたが っ て協議によ っ て確定さ れ る . の 4 点を強調 (4) した こととか わ る も のではな い。 「走資 派」 批判の時期におけ る. 「 四人組の 誤 っ た路線の介入」 「 四 人組の罪. 行」はと も かくとして,数 多くの対外経済政策批判論文が出 る こと自体, プ ラ ント迎入を中 心とした工業化路線. 生産力 の形成をめ ぐ っ て,中国 内部で激し い葛藤がつづ いていた ことを予 知させ る も のであ っ た。 そ こで 「走資派 」 批判 運動の時期におけ る この批判論文に依拠して. 中国の 「 自 力 更生」の経済路線 を考えてみたい。. (2) 「自 力更生」 の経済政策路線 「走資 派」批判.. 天安 門広場事件. 部小平失 脚によ っ て露呈された中国の亀. 裂はきわめて深い も のであ っ たが. そ こには,1970年代の中国経済の国際化の なかで. 巨大なプ ラント. ・. 技術の導入によ る ド ラ ス テ ィ ッ クな装置産業化が,. 農業基盤の中国型工業化モデルを大きく動揺させた ことに起 因す る ,中国近代 化のために不可避的な状況が現出されていたのであ る 。装 置 産業は. 石油化学 から合成繊維. 化学肥料. 発電設備. 鉄鋼熱延 • 冷 延な ど 各種部門にわたり, そ の い ずれ も が自動制 御 装 置を 内蔵した先端技術であ る が,中 国はそのための 膨大な国家投資を進めて い っ た。すなわち . 石 油を中 心として港湾 . 鉄適から ゜. 鉄鋼. 化学,機械の各業種にわた る 大型工業フ ロ ジ ェクトヘの重点傾斜投資と. そ れに 適合させた地方工業の新増設であ る 。 こ う した展開は. 石油開発 · 輸出 によ る 外貨獲得政策を主軸に行われた のであ っ たが. 一方において. この政策 は 自 力 更生型の農業裕積の範 囲を逸脱し. 外国依存政策を推進す る も のであ る との批判を呼 びお こす ことにな る 。 その批判の代表的な も のが,『紅旗 J 1976年 4 月号に掲載された 「洋 奴 哲学 を批 'j'lj す る 」と い う 方海署名 の「実務派 」攻撃の論文であ っ た。方海論文は,当 時 「 走資 派」の対外経済政策を「洋奴折学」 と批判,「独 立 自 主 · 自力 更生」 の社会 主義経済路線と対立す る も のとしてい る 。 そして「走資 派 」は 「生産の発展. 科. -35. (6615) -.

(20) 学技術開発の希望を外国に託し」 , 人民大衆の 実綾と創造力を 無視し. 本来国 内 需要のある商品, 資 源を無制限に 輸出し 輸入拡大をはかることによって独立 の経済体系の確立を危くしたとして次のよ う に述べている。 「もし 立脚 点を [] 力更生におかず. 何でも 輸入に頼り, 輸入のためには, 経済発展の主要な立脚 点を 国 内 市場におくとい う 社会主義の原則さえも 捨て去り, 無原則に 輸出を 輸 入に置 き換えるな ら ,. 次のよ う な状況がもた らされるのは必至 である。 つま. り, 自 分で生産で き るものを無制限に 輸出し. 他国の先進 的なものを 買い. �l 分は立ち遅れたものをつくり, 果ては鉱産資源の採掘権まで他 国に譲り渡すこ とになる。 それはわが国を帝 国主義国のダン ビング商品の市場. 原 料基地. 修 理 ・ 組立職場. 投資の場に変えてしまう ことになるではないか。 ど う して工業 化の速度などありえよ う か。 ど う して社会主義経済を独立 自 主的に発展させる ことなどで きよ う か(5)。」 こ う した対外貿易 ・外国技術導入についての「実務 派」批判は. そのほか 「光 明日報」(1976年 4月21日)の金風論文 「郎小平の鼓 吹する洋 奴哲学を 徹底的に 批判する」, 「紅旗J 1 976年 2月 号の北京大学. 消華大学大批判組論文 「科学技 術界の右傾巻 き返し風に反坪する」 , 上海の前衛政治文芸 誌 「学習与批判」 (6) 1 976年 4月 号に掲載の 「. コ. 工業の発展を速め ることについての若干の問題、 批. 判」 などに繰り返し展開された。 とくに最後の論文は. 中国の急速な近代化 実 現のために, 1 975年に部小平が中心にな つて作 定した総綱的文献の 1 つである 「工業の発展を迷めることについての若干の問題」ーー 「工業20 条」と略称―― を,. 一. 部労働 者の理論中核学習班が集 団討論を行って瞥 き上げたもので, 部小. 平批判のなかでももっともよく 「整理」 されたものであった (7)。 すなわち次の よ う に述べている。 「悔い改めよ う としない 走資派部小平の意に沿って 作 られ た 「工業20条」 は. 工業戦線での資 本主義復 活を策する一 本の黒い旗である。 それは唯生産力論や 階級闘争消滅論を熱っぽく吹聴し, われわれ労働 者によっ て完膚な きまでに批判された物質 的刺激. 利潤優先, 中央の完全支配, 専 門化 による工業支配. 外 国崇拝哲学を持 ち出した。 それは プ ロ レ タ リ ア独裁に反対 -36. ( 661 6)-.

(21) し, 労働 者階級を 信頼せず ,独 立自主 · 自力更生. ・. 中央 と 地方 の相互尊重. そ. して 「鞍鋼憲法」に反対するも の である。 この 「工業2 0条」は郎小半 の 反革 命 的修正主義路線の 産物である。」 さ らに 先進技術の導入につ い て同論文は , 「 E 沢東主席は 「自力更生 を 主 と し, 外 I乱の援 助 を獲得するこ と を補助 と する』 と われわれに教えてい る。 外国から 一 定 の 先進技術を導入するこ と は 必要 で あ る。 しかしわれわれの 立 脚 点は自力更生に置かなけれ ばならな い 。 経 済発展を 他に依存してい る国家は自 己 の 連 命 を掌握で きな い 。 わが国は社会主義I国であ り, 独立した経 済体系 を持つには, 独 自 の 工業発展の 道 を 歩 む よ り他はな い 。 無 数の事実が証明する よ う に. わが国 の 人 民は科学技術面 で世界の 進んだ レ ベ ルに追 い つ き追 い 越す能力を堅持してい る。 にもかかわらず.. r 工業2 0条』. は. 外国の技術が 「逝かに効率が高 い 」 と 声裔に吹聴し ,瀕りに外国 の 良 いも の を 『早急に」 , 「虚心に 」 「迅速に」学 ぶ べ きだ と 強調する。 と こ ろ がみるがよ い 。 われわれは 明 らかに 「 数ガト ン 級 の 船舶 を 建造する力を持ってい るJ し ,船舶 建造撻はますます増え , 質も 向 上してい るのにかれ らは金 を無駄づかいして, 外国資本家から 「老 旧 船舶 」 を輸入してい る。 われわれは 明 らかに, 二重内部 水冷 式蒸気 タ. ー. ビン発電機プラント の先進的 設備 を, と っ くに試作成 功してい. るのに, かれ らはまだソ連から1 9 40-50 年代の陳腐な発電プラント を受け入れ よ う と する。 かれらはいつまでも 外 国の方に 眼 を 向 け, 外 国の方に手を伸 ばし. 外国の先進国に 「先進技術」を追 い 求める。」 そして 「走 資 派部小平は, 外 国資 本家から 「先進技術j と 設備 を 恵んでも ら う ためには. 何 と わが国の貴重な資 源を抵当にするこ と も辞 さ ない と い う 。 これは全く平身低頭して権益 を売り 渡 す国辱的なも の であって. われわれ労働 者は怒りに胸も張り裂けんばかり であ る。」 以上,. 一. 部引 用した 「学習与批判J 誌の批判は. その論文題名の示す 「工業. 2 0条」 のなかのプラント ・技術遅入に 関する 次のよ う な, 条 項に対する反論で あ っ た。 「学習 と 独創 を 結合する と い う 方針を 堅持するこ と が必要 である。 虚 心 担憶に 一 切の先進的優秀な外国のものを学 び , 計画的かつ重 点的に外国の先. -37. (6617) -.

(22) 進技術を 導入し, これを 消 化して国民経済の発展 テ ン ポ を 高めなければならな い。 われわれは独立自主. ・. 自力更生を堅持し. 洋 奴哲学 , 牛歩主義に反対しな. ければならないが. 自らお ごりたかぶ り , 堅 く 門をとざし. 外国の良 いものを 学ぶ ことを拒否してはな らない。」 とこ ろ で さ らに, 1 976年夏には部小平と部小平批判に名 を借りたきわめて具 体的な 「実務派」攻撃の論文がつぎつぎにでてく る。 そのい く つかを次にとり あ げてみよう。 「郵小平は.. 一. 面的に大型で.. 近代的なものを強調し. 独立 自 主. ・. 自 力更生. に反対し, 外国崇拝哲学と牛歩主義を さ かんにおしすすめ た 。 外国を崇拝し. 盲信し , 買 弁 プ )レジ ョ ア階級の奴隷のつ らを さ ら け出し, わが国の社会主義建 設を破壊し た 。 」(8) 「郡小平は経済建設をすすめ, 「四つの現代化」を行うには. 中国 人 では だめであり ,. ‘. ‘. 外国の技術を 導入して、. め, 労働生産性を高め る、 以外にないと考えてい た。. 工業の技術改辿をはや そこ で部小平は · 大政. 策 、 なるものを 打 ち出し. 外国と ` 長期契約を結び、 , 外国の資 本家に 新. 最良の設備 、 を 提供 さ せ , わが国 で生産する鉱産物で. 渭. ‘. 最. 償還、 すれ ばよい. ‘. と主 張した。 これは掛値なしの外国崇 拝 , 投降 . 売 国の 大政策、 である」(9) 。 「独立自主. ・. 自力更生の方針に 導かれ , わが国の社会主義革命と 社会主義建設. の必要にもとづき, 平等互恵の原則にのっ とり, ある種の外国 の技術や 設備を 導入することは. 全 く 必要なこと である。 しかしぜ っ た いに 『 四つの現代化」 実現の希望をこれに託してはな らない。 もし部小平が主脹したように, 自力更 生を主とせ ず. も っ ぱ ら外国の技術の導入や . 外国の設計のひき写しゃ, 外国 の技能の踏襲や , 外国の設備の猿真似に 依存するな らば. いつまでも外国人の あとを ノ ロ ノ ロとつ いて行くだけであり. しかもわが国の技術的発展から国民 経済全般までが外国独 占 資 本に牛耳 られてしまう。. ……. ソ連修正主義の ぐプラ ゜. ウ ダ》 は, ソ連の資 源を 抵 当 にして海外の 資金や 経験を 吸収し. そ れで建設フ. ロジ ェ クトの製品の一 部を将来借款の償遠にあてれ ば よ い . と宣伝し た 。 部 小平の. ‘. 大政策、 はソ連修正主義の手口と同じしろ もの で あ る。 そ の -38. (6618)-. 准. 政.

(23) 策、 の実質はわれわれの天然資 源と 国家主権を売 渡し, 形を変えた対外借款を すること である。 部小平はその ‘ 大政策、 に は 3 大. `. 利 点 、 がある。 第1 に 輸. 出 , 第2に 技術, 改造の促 進 , 第 3 に 労働力の吸収を可能にする , と臆面もな く 吹聴した。. これらの ` 利 点 、 とは 一 体なんなのか。. それは, 外 国の独 占資. 本 家 に 資金と 設備を提供させ, わが国が労働力を供 給して, 帝 国主義がわが国 の 天然資源を略奪し , わが 国 人 民 の 血と汗をしぽりとるのに都合のよい扉 を 大 きく 開 く こ と である 。 」(10) 中国の 「走資 派」批判 , 技術革新運動に 触れた中国 報道をみると , 「洋奴哲学」「牛歩主義」という 2つの用語が頻繁 にあ らわれる。 「 洋奴哲学」は , 外 国の技術な らなんでも崇拝し盲 目 的に 追 随することを意味 し, 「牛歩主義」 はその尻を追いながら 技術開発を ノ ロ ノ ロ進めていくことを 意味している。 この2つの考え方は , 走資 派批判運動の時期に, とも に 技術革 新運動の最大の阻害要 因として 厳しく批判されたのである。 も っ とも , 前記の方海論文をそのまま読めば , 従来の中国の対外経済政策, 姿努と何 ら 変りないことがわかる。 た と えば , 比較的視点を明確にしているも のに, 1974年 1 月号 「紅旗 J の魏乗奎論文があるが, そこでは, 「われわれが 独立自主 ・ 自力更生の方針を堅持して いるのは, 外 国の先進 的経験を学ぶ こと を排斥しているのではない。 … …われわれはすべての国の良い経験は学ば ねば な らない。 適度に 外 国の先進技術と設備を 導入することは必要 である。 しかし 外 国のものに 心酔することはできない。 これは. `. 洋為中用. “. という原則を堅持. することである」 (11) とい っ ている。 中国では, 外 国技術 導入は自力による経 済開発の補助手段という原則を守ろ うとする意識がきわめ て強い。 しかし西側 諸 国のす ぐ れた経験をとり入れて中国の具体的な状況 に 適用した 「外 国のもの を中因のため に 使う」 姿勢も強調するのである。 方海論文も 「われわれは自力 更生を主張するが, よい経験と悪い経験を 含めて 外国の経験を学習, 研 究する ことを否 定していないし , 一部の確実に 有益な外国の技術, 設備の導入 にも反 対しない」と対外経済関係そのものを否定してはいない。 「われわれと, あの党 内の悔い改めとうとしない走資 派とのあいだの分 岐は, 決して 『 四つの現代化」 -39. (66 19)-.

(24) が必要か必要 でないかとい う こ とにあるのではなく, どのよ う な逍を歩み. ど のよ う な路線を実行するかとい う こ とにあ り, 究極において社会主義建設の基 点を ど こ におくかとい う こ とになる」 とも述 べている。 したがっ て国民経済の現代化を進 め る こ とがよ いかわるいかとい う よ う な問 題ではなく, それを どのよ う な路線で 進 め るか , とい う 問題であ っ た よ う に考 え られ る。 いいかえれば. こ こ では 「専家治廠」(技術専門家に よ る工場管理) に反対し, 大衆の積極的能動性, 創 造性に依拠し た 大衆路線を貫く こ とが, 科学技術の発展に資す る も の であるとい う 立場であ り, こ のこ とが同時に , 「外国の設備や技術の迷信」 に う ち 勝つ こ とであるとい う のである。 こ の中国の 科学技術政策の姿蟄は, 文革以来一 貫した主張である こ とに変わ りない。 と こ ろ で方海論文が, 従来の対外貿易政策とそれ ほ ど 変 らないとい っ ても · 華国鋒体制下の論調でも っ とも明快に否定されたのは, 同論文であ っ た こ とは 事実である。 1976年11 月 10日 の 「光明日 報」 に掲載された 「石炭工業部大批判 組」 論文 「 四人組はかけ値なしの洋奴一味」 は, 「平等互恵の原則と 正常な国 際貿易交流を通 じ て」 とい う 前 提 0)もとに, 「外国の一部先進的 技術を 導入す る こ とは社会主義革命と社会主義建設にと っ て必要な こ とである」 と主張し, また 1976年11 月 16日 の 「人民 日 報 」 に掲載された 「 軽工業部大批判組」 論文 「 自 力更生 ・ 外 国の物を 中国に役立てる」 も 「世界の科学思想史. 技術発展史 を開いても , ある 国, ある民族がすべての科学技術の発明権を現在まで 独 占し 続けてきたとい う 例はない。 先進的技術の導入を. ‘. 洋 奴哲学、. 渭牛歩主義、 だ. とみなすのは, 実 際は 「 門戸を閉 じ て自 分だけに頼る」 こ とを主張する こ とで ある」 と 論 じ た 。 い ずれにしても華指 導部が革命一 本や りの方 I句を改めて生産も貿易も重視す る現実的路線をとる方針がますます現れてきたといえるだろ う 。 外国の先進技 術, 設備の輸入を 「洋奴哲学」 と批判した こ とが罪状にされたのは , 自力更生 だけでなく外国の技術設備の導入 よ りも 一 層積極的にはかるとい う こ とに 間違 いなかろ う 。 北京政変後の中国が, 「専」 よ り 「紅」 の優先とい う 軌道を修正,. -40 (6620) -.

(25) 外因 と の経 済関 係を緊密化する開 発戦略を再認識し , い う なれば )月 路線の上台 だった「専も紅も」 に 拍Jってカギを再び切 り 替えてきた。 こ う した政変 と 経 済 政策の転換の相関性をみるならば , 「四 人組」の失脚は.. 経済政策の軌道修止. の大きな転機になったのである。 新指消部が新し い政策を う ち出してい るなか で , 従来の原則 的立場である 自 力 更生の方針はどのよ う に 堅 持 さ れるのか。 む ろ ん華体制は屯沢東路線の継承を慎重に う たいあげてい る こ と か ら , 自 力 更生 の方針はど こ までも重視 さ れる こ と はまちがいない。 それは , 前掲の方海批判 論文をはじめ各 論 調に 明 らかに さ れてい るか ら である。 「われわれが 自 )J 更生 を強調し , 主 た る方針を 自 己の力 と い う 基 点の上に 懺 く のは , 決して門戸を閉 じて自分だ け に 頼 るのではな く , 外 国のよい 経験 , 先進的科学技術を学び , み な 吸収してわれわれに役立てる こ と であ り . こ れによってカ スを捨て去 り , 枠 を取 り , われわれ 自 身のものを研究 , 開発し , 独立した , 完備した近代的な工 業体系を う ち 建て , プロ レ タ リ ア階級独裁の物質的基礎を強化する こ と なので ある」 (前掲. 「人民 日 報 J 「 托工業部大批判組」 論文) 。 「「独立 自 主 .. 自力更. 生」の方針を堅持する こ と は 決して 『外国のよい 経験を真剣に学ぶ J こ と を排 斥するものではな い 。. ……. 広範な炭鉱労働 者 ・ 職員は , 毛主席の教 え に 従 っ. て , 盲信を打破し , 思想を解放し , 外国を崇拝せず , 外国に こ びす. 外 国 設 備 に対して 「 1 に使用' 2に批判 .. 3に改造'. 4 に 創造』 と い う 原則を堅持し ,. それをわが国の社会主義建設 によ り よ く 奉仕 さ せ て い る」 ( 前掲 『光 明 日 報 J 「石炭工業部大批判組」論文) 。 従来の独立 自 主 ・ 自 力 更生の方針は. い さ さ かも軽視 さ れては いな い。 中出 が外国のプラント • 技術を導入するばあい , 盲目 的に その技術 に 依存するので はな < ' あくまで中国の利用 目 的のために 批判 と 改良 と を加えて利用する態度 を堅持する姿勢である。 また付屈 設備. 据え付け工事 , 電力供給などはできる か ぎ り 自 国のものを充当 活用し. 末端の設備部品に い た るまで 外 国に たよる こ と はやめなければならない。 それは中国水準からみて. 確実に非能率なや り 方 であるけれども. 技術発展に対する 時 間的な緩急は問題ではない。 あ く まで 自. -41. (6621) -.

(26) 己の独 自の工業化の道 を志 向しよ う とすれば, 当 然 こ う した開 発方 式でいか ざ るを えない ことになる。 中国は 自らの発展速度にあわせてい か ね ば, 自 己の体 制のととのわない う ち に国 際経済の波のなかに巻き こまれ 自 己の ペ ー スを崩し てしま う こと を極度に警戒している。 中国 自身の発 展状況に 応 じた テンポは遅 く ても 着 実な近代化の道 を 歩むべ く 合 理的に. かつ慎軍におしすすめていく こ とにな ろ う 。. (3). 先進技術吸収能力 を め ぐ る 問 題 これまでに述べてきたよ う に, 華国鋒指導部は外国技術・ プ ラントの導入 を. 積 極化しは じ めている。 と こ ろ が 「走資 派」批判の時期における 「 四 人組の罪 行」とい う ものはともか く として, さ き に あ げた魏乗奎, 方海論文が出る こ と 自 体, プ ラント導入 を中心とした工業化路線 • 生産力の形成をめ ぐ っ て, 中 国内部で激しい葛藤がつづいていた ことを予 知させるものであった。 葛藤とは 何か。 それは導入国の技術体系の問題に関 連していると考 えられる。. 一. 国が先. 進工業国からの技術導入 を 考 え る ば あ い, 必ずといってよいほ どつきまと う 問題は, 短期間に急 テ ンボ で輪入された技術と国内技術とのバ ランスの問題, 導入国の技術吸収能力の問題あるいは導入国の支払能力の問題である。 支払能 カ の問題については, 中国のばあい貿易赤字の累 積に対して積 極的に諸種の対 応措置―輸入抑制策, 外貨取入れ対策, 輸出増大策による貿易収支の均衡化 の達成および その他の措置ーー を講 じ てきた。 と こ ろ が技術吸収能力の問題はさま ざまな矛 盾 を 生 み やすい。 中国の技術や 工業についての立場は, 資本主義諸国の それとは根本的に異なるものであり, 資本主義社会で発 展した西洋技術体系とはまった く 別の次元の新しい技術体系 を 生 み 出していた。 したがって 中 国の政策 当 局者が外 囚技術 吸収の問題に逢着 するとき, 蔚入をめ ぐ って そ こに必ず政策論争が起きてくる ことになる。 高度 の テクノクラ ー ト シ ス テ ム を要請される先端技術の受け入れに対して, 中国が 国内の現状に 悩 み を抱いた ことは察知できよ う 。 資本主義諸 国との根本的な相. -42. (6622) -.

(27) 迩は, とりあ え ず 「洋法」 と 「土法」 とい う 言葉で説明する こ とができよ う 。 中 囚で は 外 [ 且 の 先進技術を 洋法といい, 中 山の伝統に根 ざした在来の土着技術 を土法とよんでいるが, 土法はいわ ば 自 力 更生の方法論である。 土法は外国の 盲 目 的な模 倣ではな く , 技術 に取り組むさいの主観能動性の発揮であ り , そ う した在来の方法 から 出 発し て , 新しい現地資 源 利 用 型の方法を生み だし,一 部 の 分 野で は , 中 川 の 風土に立 脚した独 自 の技術体 系 ができあがったのである。 一般にわが国で中111土法とい う 言槃が広がってきたのは, 1 958年の大躍進の 眈 期 に ,中 山で土法裔炉が盛んに つ く られ( タ タ ラ 吹きの数 トン程度の超 ミ ニ 型 炉で, 大躍進時 代に70万基の炉がつ く られ , 年間700万 トンもの土法鉄が生産). やがて そ れが失敗したといわれた時期からであった。 土法高炉が失敗し,. ドラ. ス テ ィ ッ クな形での工業化が失敗したために,大躍進は挫折したけれども , 労働 者 ・ 農民のあらゆる知 識 や新しい工夫が執拗に経験の 中へもどされ , 経験の 中か ら探 り だされよ う とした こ とは, そ こに 自 力更生原則とか政治思想性重視の徹 底した 浸透ぶりをみる こ とができた。 全 中国的な規模で熱狂的にとり組まれた 自 力 更生のための経験の蓄積が, 中国工業化の飛躍台になった点もみのがせな い。 大躍進時期に 出 発し, 調 整期に生きの こった技術が 自 立の基礎になり, 以 後の生産技術の骨格 となってきたのである。 したがって土法技術 を基礎に製造 された各種の機械が. 地方経済の 中で果す役割はきわめて 大きいものであった。 し かし 一 方において . それは, これまでの 中 国が, 生産技術の経済合 理性, 経済効 率の側面を軽視または無視したものになっていないか とい う 問題がある。 中 岡哲 郎氏は, そ の点の矛盾について次のよ う に疑問を投げかけている。 「( 中 国の工場を みると)そ こに見られる断乎たる 自 力更生, 土法による建設, 労働 こ そ がすべてをつ く る, とい う 原則につらぬ かれた光景に感動させられると同 時 に , それが 「生産技術」 として 何 かを欠いているのではないかとい う 不安に と ら えられる。 … … ! J:鳴にみ ら れる思想性優位の 原則は, 他方の極で,生産技 術 の経済合理性の側面をた え ず み とおしていく危険をはらんでいないか。 逆に い え ば そ の不安は, この思想性優位の原則がある 日 突然経済合理性の必要にめ. -43. (6623) -.

(28) ざ め た 時,一転して 土法も何 も か もか な ぐり す て てし まわない だ ろ う か と い う 」 (1 2) 不 安でも ある。 土法工場は, 中 国 農民 の主体性 · 連塔性 を 登場させ る新生事物 の 1 つでは あ っ たが, 社会主義建設 に と って その限 界性も指摘されて き た。しか し 現場 の農 民 や 労 働者 の伝統的な生産技術 ある い は エ夫された 経験的な技術 に よ って . 中 国 の巨 大な生産活 動が支 え ら れて い るこ と も事実であり. し たがっ て土法 と 洋 法 と は や はり 中 国経済 の発展段階 に 応 じ て 効 果的 に 組合 わ さり, 変化させ て い くも のであろ う 。い い か えれば, 土法 に 基礎 を お き ながら も, 「洋法 の土法化」 を 目 指すものである と い え よ う 。こ のよ う に土法は,遅れて い る 具体的条件 の なかで, あり あわ せ の簡 単な技術 だが, 農民 ・ 労働者が自 ら の生産 の実践0)な か か ら 生 まれた か けがい のない技法なのであった。と すれば土法 と 洋法 の調整 が中 国 の社会主義建設 に と って 重要な意味をもつこ と になる。 と こ ろ でこれに 関 連して 中 国が. 外国か ら の高度 の先端技術 を 吸収 す る ば あ い , それを め ぐ って別 の問題が生ず る。現代 の巨 大技術がもつ特徴 0) 一つは, その技術 を採用 す るこ と に よ って, それに 関 連 す る 技術 か ら 需要構造 に い た る まで体系的, 画ー的 に 規定されてし ま う こ と である。技術 問 題 に 関 す る 知 識 に 乏し い けれど も , 石 油化学 につい て い え ば. その原料 の供給関 係 を通 じ て 石 油 精 製工業 の粕製方式を規定し , 誘芍 品 を 通 じ て,生産技術 の分解条件 に合わ せ た 消費市場が形成されて い く 。技術 の画 一性が, その技術 を媒介 にして, 原料か ら 市場構造 まで画ー化す る。同 じ 技術 を導入 すれば 中 囚もや はり技術 の規定性 に あて はめ ら れるこ と になる (1 3)。「 外国 の技術体系 は 帝 国 主義が他 国 の経済を 支配す る手段である。外国 の資本家 は 設備, 技術 を 輸 出 す る チ ャ ンスを 利 用 し て さ ま ざ まな方法 に より, 外国で生産された 原料, 資 材, 部 品 等 を か な ら ず 使 用 す るこ と を義務づ け, それに よ って 他 国 の経 済 を 長期 に わ た って操作す る と い う 目 的 を 達成す る」 (14) と 批判しても, 最新 鋭 のプラ ン ト. ・. 技術 の導入 を考. え る ば あい に は, 中 国 と い え ども 「 技術 の体系化」 を ま ぬがれるこ と はでき な いであろ う 。そこ に は , 西側先進諸国が開発した 技術体系 と 管理体制 を とり入. -44 (6624) -.

(29) れよう とする ,階級性を越える次元での態勢づくりが出てくる こ とは止 むを得 ないものとなるであ ろ う 。 さ ら に こ れに 関連して問題なのは, 外 国からの導入技術や 自 主 開発技術を生 産力に発揮させるための企業管理体制の手直し ,再建へ と進まざるをえないと い う こ と である。 たしかに ,文革によっ て企業長 絶対制と独立採算制に 煎点を おいた管理方式が打破され, 労働 者の参加する企業管 理制度 に 改編された意義 は大 きい。 しかし1 970年代初期に 企菜管理体制は再編成され , 制 度 ・ 規則の改廃 がなされた。 だがそれは ,文革発動期の1 960年代 半 ば 頃の技術とか生産力を前 提 に して再編されたものであ っ た。 したが っ て「大型化 や自動化を軸とする巨 大企業の登場に 対しては , 間尺 に 合わない。 ト ラ ッ ク と鉄 道を含 む 陸送 ,河川 や沿岸の水上輸送,対外的な遠洋航路などを総括する形での大規模な イ ン フ ラ スト ラ ク チ ャ. ー. とか ,膨大な レ イ アウト を軸とする内 陸 や 臨海のコン ビ ナ ー ト. 類の建 設と操業は, 当 然のよ う に 新し い マ ネ ー ジ メ ントシ ス テ ム を要 請してい る。」(15) 新しい技術 設備 や ノ ウ ハ ウ , プロジ ェ ク ト を軌迅 に 乗せていくための 管理 シ ス テ ム 革新が急務とされたのである。 上述してき たよう に 中国の工業化 政策とか技術への対処は ,先進資 本 主 義で 発展してき た西洋技術体系とは根 本 的 に 異なる中国独自のものであり ,それは 別の次元の技術体系を生みだしてき た。 しかし1 970年前半 ,とく に 1 972-75年 の急速な装置産業化の波 (プラント • 技術導入は ,石油化学から合成線維 ,化 学肥料 ,発電設備 ,鉄 鋼 熱延 · 冷延 などのそのい ずれもが 自 動制御 装置を内蔵 した装 隠産業)のなかで , ひと た び西側諮 国の最新鋭技術の効果的で生産性の 高い総合 的な 巨大プラント に 接した ばあい , そ こ には 「脱階級性」 的な側面か らの対処の仕方がでてくる こ とは 当 然な こ とだ ろ う 。 こ う した対処の仕方は , とくに 1 970年代前 半 に 大量のプラント. ・. 技術を 買 いつ け た中国が, 1 970年代後. 半からの建設 本格化 段階で, 大型プロジ ェ ク ト の工程而 で 実 際 に 経験した所産 なのである。 巨大装置産業のプラント 建設が進め ば 進 む ほど, 西側諸国が開発 した技術体系と マ ネ ー ジ メ ント シ ステ ムを 「脱階級性 」 的な側面か ら ま す ま - 45. (6625)-.

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