中原中也の温度感覚
○n the temperature sensitivity of Chuya Nakahara ︵一︶ 私はこれまで計量的方法を用いることによって中原中也の創造の秘密を 明らかにすることにつとめてきた︵こ。このことによって、中原の詩には 身体語が頻出することを確認し、また身体感覚の鋭い表現が多いことを指 摘した。すでに紹介したことがあるが、第二詩集﹃在りし日の歌﹄の中に、 このような実例がいくつかみられる。︵以下、引用された作品の傍点は吉 竹。︶ 或る男の肖像 −幻滅は鋼のいろ 髪毛の艶と、ラムプの金との夕まぐれ 庭に向つて、開け放たれた戸口から、 彼は戸外に出て行った。 - sxxx ?い こい 剃りたての、頚條も手頚も sisisisゝssssどこもかしこもそはそはと 中原中也の温度感覚 ︵吉竹︶ XXSS 寒かった。 吉竹 博 ︵人文学部人文学科人間科学コース︶ Hiroshi Yoshitake 開け放たれた戸口から 悔恨は、風と一緒に容赦なく 吹込んでゐた。 ︵後略︶ ﹁類4 ﹂と﹁手頚﹂というように具体的な身体部位を示し、それらが﹁剃 りたて﹂であるから、他の部分よりもひときわ寒いといっている。寒さの 感覚がきわめて分析的にとらえられていることに感心する。﹁そはそはと﹂ 寒いというのも面白く、落着かない感じがよくあらわれている。 秋の消息 麻は朝、人の肌に追ひ鎚り 雀らの、声も硬うはなりました 煙突の、煙は風に乱れ散り 火山灰掘れば永のある如く一 一 高知大学学術研究報告 第四十二巻 二九九三年︶ 人文科学 けざやけき願気の底に青空は 冷たく沈み、しみじみと 教会堂の石段に 日向ぼっこをしてあれば 陽光に廻る花々や 物陰に、すずろすだれる虫の音や 秋の日は、 xsss手や足に、 SSIIXXからだに暖か sssssslひえびえとして 此の日頃、広告気球は新宿のI 空に揚りて漂へり らからだに暖か﹂というのは、全体的な体感であるが、それと同時に﹁手 や足﹂は﹁ひえびえとして﹂感じられるというのである。温覚と冷覚が同 時に感じられるという一種の矛盾感覚の実例が示されている。 蜻蛉に寄す あんまり晴れてる 秋の空 赤い蜻蛉が 飛んでゐる 尉い夕陽を 浴びながら 僕は野原に 立つてゐる 遠くに工場の 煙突が 夕陽にかすんで みえてゐる 大きな溜息 一つついて 僕は誹んで 石を拾ふ その石くれの 冷たさが ssしゅちう 14xl漸く手中で ぬくもると 僕は放して 今度は草を 夕陽を浴びてる 草を抜く 抜かれた草は 土の上で ほのかほのかに 萎えてゆく 遠くに工場の 煙突は 夕陽に霞んで みえてゐる ﹁石くれの冷たさが﹂が﹁漸く手中でぬくもる﹂というように、冷覚か ら温覚への移行にある程度の時間がかかることが正確にとらえられている。 このように、中原の鋭い身体感覚は、温度感覚において著しいように思 える。 ︵二︶ 以上のような作品に注目することから私は、中原が温度感覚に敏感であ ったのではないかという仮説をたてた。これを実証するひとつの方法とし て、温度感覚を表現する言葉が中原の作品に多いことを確かめてみる。そ のために中原と同じく、昭和初期の代表的な抒情詩人と評価されている伊 東静雄・立原道造と比べてみることにする。 温度感覚を表現する言葉は、﹁アツイ﹂とか﹁サムイ﹂であるが、意味 論の研究者である国広哲弥︵2︶は、図1のように分類している。﹁体の全部﹂ についてのべる場合の言葉が﹁サムイ﹂﹁スズシイ﹂﹁アタタカイ﹂﹁暑イ﹂
である。﹁ツメタ子﹂﹁ヌルイ﹂ ﹁アタタカイ﹂﹁熱イ﹂は﹁体の 一部﹂についてのべる場合に使 われる。したがって、﹁アタタ カイ﹂は﹁体の全部﹂と﹁体の 一部﹂の両方に使えることにな る。 体の一部 体の全部 ツメタイ サムイ スズシイ ヌルイ アタタカイ 熱イ 暑イ 図1.温度感覚をあらわ ハす言葉の分類 I (国広. 1967) このような温度感覚をあらわす言葉の統計をとってみることにしよう。 ただし、これらの言葉は﹁あたたかい心﹂とか﹁心が冷たい﹂といったよ うに比喩的に使われることもある。したがって、比喩表現はのぞき、純粋 に身体感覚をあらわすものに限った。︵中原の詩でいうと、﹁流よ、冷たき 憂ひ秘め﹂のような例は除いてある。︶ 対象としたのは、中原中也については﹃山羊の歌﹄︵四十四篇︶と﹃在 りし日の歌﹄︵五十八篇︶の二つの自選詩集︵合計一〇二篇︶である。テ キストは角川版全集を用いた。伊東静雄については﹃わがひとに与ふる哀 歌﹄﹃夏花﹄﹃春のいそぎ﹄の合計七十二篇である。テキストは杉本秀太郎 編・伊東静雄詩集︵岩波文庫︶を用いた。立原道造については、﹃萱草に 寄す﹄﹃暁と夕の詩﹄﹃優しき歌T﹄﹃優しき歌H﹄の合計四十三篇である。 テキストは杉浦明平編・立原道造詩集︵岩波文庫︶を用いた。 温度感覚をあらわす言葉の総数が、全体の篇数のうちどの位のパーセン トをしめるかを﹁出現率﹂とする。調査の結果、中原の場合の出現率は三 十二%であるのに対して伊東は十五%、立原は九%であり、中原が温度感 覚をあらわす言薬を多用していることが確かめられた︵表∼。 さて、温度感覚をあらわす言葉は図1に示すごとくであるが、ツメタイ、 サムイ、スズシイは冷覚、ヌルイ、アタタカイ、熱イ、暑イは温覚をあら わすものと分類できる。そこで、冷覚と温覚に分けて出現頻度をとると表 2のようになった。中原は冷覚をあらわす言薬の方が温覚のそれより多い。 三 中原中也の温度感覚 ︵吉竹︶ 冷覚に敏感であったとい えよう。詩のタイトルを みても、﹁寒い夜の自我 像﹂が﹃山羊の歌﹄にあ り、﹁冷たい夜﹂という のが﹃在りし日の歌﹄に ある。伊東の場合は逆に 温覚をあらわす言葉の方 が冷覚よりも多い。﹃春 のいそぎ﹄﹃夏花﹄のよ うに、﹁春﹂や﹁夏﹂と いう言葉のはいった題名 の詩集があることもこれ と一致している。立原の 場合は、冷覚と温覚をあ らわす言葉の頻度は等し いが、もともと例数が少 ないので、温度に対する 感受性は高くなかったと いえよう。 中原の温度感覚をあら わす言葉の用例を図1に 示しか国広の図式にした がって分類してみたのが 図2である。﹁寒い﹂が 一〇例と最も多い。中原 は冷覚のうちでも特に 表1.温度感覚をあらわす言葉の出現率 出現率 中原中也(102篇) 33/102 = 32% 伊東静雄(72篇) 11/ 72 = 15% 立原道造(43籍) 4/ 43=9% 表2.冷覚と温覚をあらわす言葉の頻度 冷覚 温感 中原中也 19 14 伊東静雄 4 7 立原追追 2 2 冷たく(2) 冷たさ ひんやり ひえびえ 凍てっきて 寒い帥 寒かった 寒さ 冷覚 (19) 涼し ぬくもる
温覚
㈲
暖か(4) 暖かい(2) 温暖 なまあったかい(3) 熱い 暑い(2) 図2 中原中也の温度感覚をあらわす言葉の分類 コ ( )内は例数。\数字のないのは1例である6四 高知大学学術研究報告 第四十二巻 二九九三年︶ 人文科学 ﹁寒さ﹂に敏感であったようである。 ︵三︶ 中原は﹁寒さ﹂に敏感であったことが彼の自選詩集の語彙の統計から確 認できた。このことは未刊詩篇や書簡等によっても裏付けることができる。 未刊詩篇の中にそのものづばり﹁寒い!﹂というのがある。 寒い! sss31xisss毎日寒くてやりきれぬ。 瓦もしらけて物云はぬ。 小鳥も啼かないくせにして 犬なぞ啼きます風の中。 飛傑とびます往還は、 地面は乾いて艶もない。 自動車の、タイヤの色も寒々と 僕を追ひ越し走りゆく。 山もいたって殺風景、 鈍色の空にあっけらかん。 部屋に寵れば僕なぞは 愚痴っぽくなるばかりです。 かう寒くてはやりきれぬ。 お行儀のよい人々が、 笑はうとなんとかまはない Nssssssxsssわめいて春を呼びませう⋮⋮ これは昭和十年二月に書かれたものであるが、昭和十一年に書かれた﹁我 が詩観﹂の中に次のような記述がある。 ︿詩的履歴書。1−−︱大正四年の初め頃だったか終頃であったか兎も角寒 い朝、その年の正月に亡くなった弟を歌ったのが抑々の最初である。 ︵中略︶ 大正十二年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校す。生れて 始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり。その秋の暮、寒い夜に丸太町橋 の古本屋で﹁ダダイスト新古の詩﹂を読む。中の数篇に感激。﹀ 大正四年は中原が八歳、大正十二年は十六歳である。これを書いたのは 二十九歳のときだが、十六歳の時はともかく、八歳のとき、はじめて詩を 書いた日の朝が寒かったと記憶しているのは、よほど寒さに敏感だったこ とをあらわすものであろう。そして、同じ昭和十一年の十二月、有名な﹁冬 の長門峡﹂が書かれた。吉田男生︵∼に基づき、この第一稿と定稿を対比 して示そう︵表3︶。 第一稿では﹁寒 稿では二回に減り る。 い寒い日なりき﹂が六回も繰り返されている。これが定 、最初と最後の連で繰り返すというスタイルになってい 詩においては言葉を繰り返すことはよくあることである。反復句︵ルフ ラン︶である。中原の場合はこれが特に多く、佐藤伸宏∼︶によれば、﹃山 羊の歌﹄・﹃在りし日の歌﹄のほぼ三分の一に相当する作品に使用されてい るとのことである。異常な多さといわねばならない。反復句の異常な多さ という点で、﹁冬の長門峡﹂の第一稿はその典型といえるものである。
1978) 「冬の長門峡」\の第↓稿と定稿の比較卜(吉田. 表3 冬の長門峡︵第一稿︶ 長門峡に、水は流れてありき。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ、酒酌みてありぬ。 われのほか客とてもなかりき、 寒い寒い日なりき。 水は恰も、魂でもあるものの如く、 流れ流れてありぬ。 寒い寒い日なりき。 やがて密柑の如き夕陽、 欄干に射してそひぬ 寒い寒い日なりき。 あへそのやうな時もありき。 、寒い寒い日なりき。 あべそのやうな時もありき。 寒い寒い日なりき。 冬の長門峡︵定積︶ 長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ。 酒酌みてありぬ。 われのほか別に、 客とてもながりけり。 水は、恰も魂あるものの如く、 流れ流れてありにけり。 やがても密柑の如き夕陽、 欄干にこぼれたり。 あχ!・ −そのやうな時もありき、 寒ヽい寒い 日なりき。 ここで、﹁繰り返し﹂の心理学的意味について考えてみたい。フロイト は﹁レオナルドーダ・ヴインチの幼年期のある思い出﹂︵5︶の中で次のよう に書いている。 ︿レオナルドの日記中に、その重要な内容によって、また文章形式上の ちょっとした誤りのゆえに、読者の注意をひくひとつの記事があゐ。一 五〇四年七月、彼はこう書いている。 五 中原中也の温度感覚 ︵吉竹︶ ﹁一五〇四年七月九日水曜日七時に、私の父、ポデスタ宮公証人セル ーピエローダ・ヴインチが死んだ、七時であった。没年八十、十人の 息子、二人の娘をあとに遺して﹂ レオナルドの父親の死に関するメモである。文章形式上のちょっとした 誤りというのは、日記の記入﹁七時﹂が、二度も繰り返されていること である。︵中略︶ こういう繰り返しをわれわれは無意識の執拗さと呼んでいる。これは 情動的な強調を暗示するための絶好の手段である。たとえば、ダンテの ﹃天国篇﹄において聖ヘテロが、彼にふさわしくない地上における彼の 代理者に向かって発したあの憤怒の言葉を想起していただき尤い。 地にありて、わが王座を奪う者、 一SSS3 31XSSわが王座を、わが王座を。 わが王座を、わが王座を。神の子の 御前にかしこむこの吾の。渠こそ わが墓を血と悪臭の溝とすなれ。﹀ 繰り返しが﹁無意識の執拗さ﹂であり、﹁情動的な強調﹂を暗示するも のとフロイトは解釈している。ところで、前の方の例にでている﹁七時﹂ という死亡時刻は、死の記録の中で最も重要でない部分である。これを繰 り返すことで、父に対する情愛のなさがうかがい知れるとフロイトはいう のである。したがって、どういう言葉が繰り返されているかをよく調べる 必要があるのであるが、通常は本人にとって重要な言葉が繰り返されると 考えるのが自然であろう。後の方の例の﹁わが王座﹂は、まさにこれに当 たる。﹁冬の長門峡﹂における﹁寒い寒い日なりき﹂もそうであろう。 ﹁繰り返し﹂については、以上のような精神分析的解釈のほかに、これ を﹁固執﹂(perseveration︶と解釈することもできる。精神分裂病者は前
六 高知大学学術研究報告 第四十二巻 二九九三年︶ 人文科学 にのべた言葉を繰り返す固執傾向がある。中原中也は性格類型としては分 裂気質に属すると診断されている︵。︶。オーストリアの心理学者ミッテン エッカしこはヽ循環気質の詩人︵例えばゴットフリートーケラ古より も分裂気質の詩人二例えばヘルダーリン︶の方が、同じ言葉を短かい間隔 で繰り返す程度が大であることを実証しか。中原の詩にみられる反復句の 異常な多さも、分裂気質者に親和的な固執傾向のあらわれと解釈できるか もしれない。 さて、冬の長門峡の料亭で酒を酌むという寒々とした光景の中で、びと つだけ暖かさを感じさせるのが﹁密柑のごとき夕陽﹂という巧みな比喩で ある。中原の自選詩集には﹁密柑の色﹂という表現が二ヵ所ある。 冬の雨の夜 冬の黒い夜をこめて どしゃぶりの雨が降ってゐた。 ︵中略︶ わが母上の帯締めも 雨水に流れ、潰れてしまひ、 人の情けのかずかずも 竟に密柑の色のみだった? 羊の歌 m 九才の子供がありました 女の子供でありました ︵中略︶ 私を信頼しきって、安心しきって かの女の心は1 柑の色に そのやさしさは氾濫するなく、かといって 鹿のやうに縮かむこともありませんでした 私はすべての用件を忘れ この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味しました。 何か過去の懐かしいものを﹁みかんの色﹂に例えているようである。 ﹁冬の長門峡﹂では﹁寒い寒い日なりき﹂の繰り返しにこめられた冬の日 の身体感覚の記憶が、﹁密柑のごとき夕陽﹂という唯一の暖かさを連想さ せる視覚の記憶と連合することによって、なつかしいものとして想起され ている・鮎川信夫︵8︶は、﹁やがても密柑の如き夕陽、/欄干にこぼれたり﹂ という表現を絶讃しているが、そのすばらしさを私なりに分析してみると このようになる。 ︵四︶ 中原は﹁寒さ﹂のみならず﹁冷たさ﹂についても敏感であった。すなわ ち、﹁体の全部﹂についての冷覚だけでなく、﹁体の一部﹂についての冷覚 にも敏感であった。これは、最初に紹介した﹁蜻蛉に寄す﹂の中の﹁その 石くれの 冷たさが/漸く手中で ぬくもると﹂に例示したごとくである。 ところで、未刊詩篇にある﹁曇った秋﹂の中に、これと同じように、石こ ろの冷たさを表現したものがある。 曇った秋 猫が鳴いてゐた、みんなが寝静まると、
隣の空地で、そこの暗がりで、 まことに緊密でゆったりと細い声で、 ゆったりと細い声で闇の中で鳴いてゐた。 あのやうにゆったりと今宵一夜を 鳴いて明きうといふのであれば さぞや緊密な心を抱いて 猫は生存してゐるのであらう⋮⋮ あのやうに悲しげに憧れに充ちて 今宵ああして鳴いてゐるのであれば なんだか私の生きてゐるといふことも まんざら無意味ではなささうに思へる⋮⋮ 猫は空地の雑草の蔭で、 s3ssliss多分は石ころを足に感じ その冷たさを足に感じ、 霧の降る夜を鳴いてゐたI 最終連は猫の冷覚に感情移入している。﹁曇った秋﹂の﹁霧の降る夜﹂ の寒々とした様子が﹁石ころを足に感じ/その冷たさを足に感じ﹂によっ て真にせまってくるのである。ちなみに、河上徹太郎∼はこの詩を評し て﹁これは詩人の死の丁度二年前の作で、必ずしも傑作ではないが、心境 の歴然たるものがあり、⋮⋮暗い影が独語するような蕭然たる詩である﹂ とのべている。 この詩は昭和十年に書かれたものであるが同年一月二十三日付の安原喜 弘宛書簡に次のような記述がある。 七 中原中也の温度感覚 ︵吉竹︶ SSNSSゝSゝISISSIゝゝXSS ︿毎冬東京で暮してゐて、子供の時はひどく寒さを感じたものだったと 思ってゐましたが、今度十二年目の冬をこちらで送ってゐます。やっぱ り矩燧の中にばかりゐます。ホンヤクすれば辞書の表紙が冷たいのでど うも不可ません。﹀ ﹁辞書の表紙が冷たい﹂というのは、相当過敏な冷覚である。﹁蜻蛉に 寄す﹂や﹁曇った秋﹂の﹁冷たさ﹂の表現は、このような中原の体質の産 物といえるかもしれない。そしてこれは、中原のいっているように子供の 時からだった。次は十二歳のときに書かれた﹁初冬の北庭﹂という作文の 中にある表現である。 ︿午前の十時頃、自分は北庭に作文の材料をあつめに出た。 日はてってゐない。たゞ白雲が綿のやうにプアプアだゞよふて居た。 そのすきまからはチョイノy青雲がのぞきこんでいた。 亀山のつき出たところの木のすきまから白い陽のもれてくるのはつめ たい空気を一層つめたくするやうに思はれた。 風とては別にないが折々やさしくつめたい風がふいてきてくちびるを つめたくした。︵後略︶﹀ ﹃つめたい﹄の執拗な繰り返しである。フロイトならずとも、ここに中 原の冷覚の異常なまでの過敏さとそれへのこだわりを読みとることに異論 はないだろう。さらに、﹁白い陽﹂という視覚像が﹁つめたさ﹂という身 体感覚を強めるような印象を与えるという共感覚の現象がえがかれている のも興味深い。
八 高知大学学術研究報告 第四十二巻 二九九三年︶ 人文科学 ︵五︶’ 以上のように、中原の詩にあらわれた温度感覚をあらわす言葉の数量的 分析を手がかりとし、彼の鋭敏な冷覚の存在があきらかになった。そして、 これが少年時代までさかのぼることが確かめられた。このような知見は詩 を精読するだけでは仲々得られないものであろう。フロイト説を紹介した 部分でのべたように、繰り返して出現する言語表現は作者の無意識の世界 を垣間見る手がかりを与えてくれる。ところが、この繰り返しの表現をみ つけることは作品を繰り返し読むことだけではむつかしいのである。よほ どの達人でない限り、統計をとってみることでしか手がかりがつかめない のである。波多野完治︵10︶は次のようにのべている。 ︿テキストをよみぬくことは、いはば﹁意識的、合理的﹂方法である。 これでわかることは多い。しかし、作者自信さえ意識していないことで 解明されなくてはならぬことも、文学の世界には多いのだ。この点で﹁数 量的方法﹂は、作者の無意識の世界へ入りこむ一つの手段である。﹀ 数量的方法は、いわば﹁発見のための方法﹂なのである。しかし、やみ くもに語彙の統計をとっても無駄である。ある仮説にもとづいてどのよう な語彙を対象として選ぶかを決めなければならない。本稿では、この対象 として、温度感覚をあらわす言葉を取り出したわけである。このような手 続きによって、今までにない角度から作品の鑑賞ができることを示そうと したのである。例えば﹁冬の長門峡﹂は、現在形の表現がまったくないこ とから、従来、時間意識との関連がもっぱら論じられてきた︵11︶。しかし、 ﹁寒い寒い﹂の繰り返しを中原の敏感な冷覚との関連においてとらえるこ とにより、この作品について新たな見方ができるのである。そして、この ような視角は、中原の他のいくつかの作品についても適用可能であると私 は考える。 さて、温度と湿度は密接な関係にある。例えば、外気温か物理的に同じ であっても、湿度が高いときは低いときに比べて、体に感じる温度︵実効 温度︶は高くなる。温度に敏感であった中原は湿度にも敏感であったと考 えられる。﹃在りし日の歌﹄の巻末にある﹁蛙声﹂の次のような一説は﹁湿 潤﹂と﹁乾燥﹂の対比が表現されているように思える。 よし此の地方が湿潤に過ぎるとしても、 疲れたる我等が心のためには、 柱は猶、余りに乾いたものと感はれ S S S S 頭 は 重 く SSXSSS肩は凝るのだ。 過度に乾燥した状態が頭重、肩凝りといった身体の不調の原因であるよ うに読みとれる。このことは、未刊詩篇にある﹁雨の降るのに﹂の一節か らも傍証できる。 雨ヽ のヽ 降ヽ ISX るのに 肩 SSSが凝る てもまあいやみな 風景よ ﹁雨の降るのに/肩が凝る﹂というのは、今まで雨のときには肩が凝ら なかったのに、今回に限って肩が凝るのは不思議だというニュアンスであ る。中原は湿潤な状態を好んでいたようである。 このような解釈はあまりに字義的にすぎるという批判があるかもしれな い。低次元でものをいっているといわれるかもしれない。詩は字義的にで はなく象徴的に解釈すべきだという意見はもちろん正当であると思うが、、
そのためには字義的な解釈をふまえておく必要があろう。高い次元の話を する前に、まず低い次元の身体感覚といった側面をおさえておく必要があ るというのが私の年来の主張であり、本橋はその一貫として書かれた。 注 T︶吉竹博﹁中原中也の身体意識﹂、高知大学学術研究報告、第三十七巻︵人文 科学︶ 一九八八 ︵2︶国広哲弥﹃構造的意味論﹄、三省堂、一九六七 ︵3︶吉田男生﹃評伝中原中也﹄、東京書籍、一九七八 ︵4︶佐藤伸宏﹁晩年の中原中也−その詩的世界とフランス象徴主義−﹂︵日本 文学研究新集・中原中也、有精堂、一九九二、所収︶ ︵5︶フロイト、高橋義孝・池田紘一訳﹁レオナルドーダーヴインチの幼年期の ある思い出﹂︵フロイト選集第七巻﹃芸術論﹄、日本教文社、一九七〇、所収︶ ︵6︶福島章﹁中原中也の精神病理・、素描﹂︵﹃現代のエスプリ・作家の病跡﹄、至 文堂、一九七一、所収︶ ︵7︶ローラ。ヘル、官本忠雄訳﹃性格学入門﹄、みすず書房、一丸六六による。 ︵8︶鮎川信夫﹁中原中也論﹂︵﹃現代詩読本・中原中也﹄、思潮社、一九八三、所 収︶ ︵9︶河上徹太郎﹃日本のアウトサイダー﹄、中公文庫、一九七八 ︵10︶波多野完治﹃文章診断学﹄、至文堂、一九六八 ︵U分銅惇作﹃中原中也﹄、講談社現代新書、一九七四 平成五年︵一九九三︶九 月 平成五年︵一九九三︶十二月一 九 中原中也の温度感覚 ︵吉竹︶ 二 日受理 一十七日発行