─実践報告─
「生と死の日本語教育」の実践
萩原 秀樹 要 旨 本実践は、いわゆる「デス・エデュケーション」の日本語教育での継続的な試みである。 これは生をどう生き、どう終えるかというライフキャリアの視点に立つ広義のキャリア教 育の一環で、現行のキャリア教育と理念を異にする。本実践はあくまでも生を念頭に置き、 多彩なテーマの掘り下げで日本語による、より本音に近い内面の発露の場を提供する。そ して死を通して生、いのちを照射し、生の充実に資することができると考え、指導者によ る講義と各種活動から思考の活性化と深化を導き、人間的成長の一助を担うことを狙った。 実践の結果、日本語を通して内面の言語化や可視化が促され、生の有限性や死の絶対性 に思いを馳せ、生への意欲を高める可能性が示唆された。また、言語化に意味を感じる一 方でその困難さも痛感し、学習の動機付けになりうることも見出された。 こうして、本実践は日本語の単なる運用の場を超え、学習者の精神面の成長に貢献する 人間開発的な役割を持ち、日本語教育の可能性を広げうるものと考えられた。 【キーワード】 生 死 いのち ライフキャリア 内面の言語化 1.はじめに 筆者が標榜するのは、学習者の人間的成長の一助を担う言語教育としての日本語教育で ある。そこでは言語知識や言語技術の教授、伝達を本義とせず、学習者の生に視点を置き、 内面の活性化と積極的な発露、そして人間的成長をねらう。この理念に基づき、筆者は数 年来、「語り」を軸とする実践を積み重ねてきており(萩原・高井2010、萩原2012)、これ は現行の多くのシラバスがどうしても言語知識、言語技術の習得に重点を置きがちである のとは対照的な性格を有する。 ところで、日本語教育の現場では一般に上級レベルに向かうにしたがい、いわゆる現代 日本の社会事情的なテーマ、トピックに関する諸活動を行うことが多くなる。テーマ設定 によっては学習者が内面を掘り下げたり表出したりといった場面もあるだろうが、そこで 決定的に見落とされているもの、あるいは意図的に見過ごされ、欠落している大前提とい うべきものがあるのではないだろうか。 それは、私たち人間の致死率が100%だという事実である。 その結果、この厳然たる普遍的かつ客観的事実がありながら、教室場面で指導者がとか く身構え、避けたがり、いわばタブー視しがちなテーマ、トピックの一つが「死」のよう である。だが、指導者たちの思いとは裏腹に、少なからぬ学習者は死をおそれつつも死への思いを巡らせ、知りたがり、そして語りたがっているのではないか。こう痛感させられ たのは、上記の活動(萩原・高井2010、萩原2012)で、学習者が死にまつわるトピックに 熱心かつ真剣に取り組む姿を間近にし、死に強い関心を寄せていると認識した際である。 日本や韓国では自殺率の高さが社会問題化し、世界的に癌の罹患率が高いという医学的 事実がある等、学習者の多くは何らかの形で死との接触を経ている。卑近な例でいえば、 学習者が日本の都市部で生活する限り鉄道関連の人身事故を耳にしない日はなく、幼児虐 待の話題も事欠かない。構想中に3.11(東日本大震災、2011)が発生し、また勤務校(日本 語教育機関)の在籍者間での傷害事件も本実践に踏み切る契機になっている。 一方、日本では目下、文部科学省の主導のもと小学校から大学に至る各段階でキャリア 教育が推進されている。しかし、そこでのキャリアが意味するのはあくまでも就業や職業 生活としての狭義のキャリアにとどまる。現在は非正規の雇用形態が増加し、正社員扱い といえどもいわゆる雇い止めや系列企業への派遣等をはじめ、安定した雇用環境が保障さ れない時代になっている。この現実からは、従来型のキャリア教育が目指す「正社員モデ ル」の限界と矛盾が見える(児美川2013)。 また、先進国を中心に寿命が延び高齢化の進む国が少なくなく、来日留学生の多くを占 める東アジア諸国・地域のみか東南アジアの一部でもその傾向が見られる。韓国や中国等 では長期にわたり就職難が続き、高学歴に見合った就職がかなわない時代であり、留学生 の来日理由や日本語の学習目的も多様化と拡散が進む。さらに、人の発達に関する議論は 従来のパラダイムを超え、生涯発達の視点から語られるようになった(高橋・波多野 1990)。そうした中、「ライフキャリア」(宮城2006)すなわち人生をどう生き、どう終える かの視点も重視されてよいと考える。 2.目的 本実践は留学生教育ならびに日本語教育では前例の少ない「デス・エデュケーション」(い のちの教育、生と死の教育、死への準備教育などと訳される)に特化した継続的な授業の 試みである。これは上記のライフキャリアの観点に基づいた広義のキャリア教育の一環で もあり、就業や職業生活に焦点化した多くのキャリア教育と根本的な理念を異にする。 本実践は次の2点を目的とする。まず、生と死に直接かかわるダイレクトなテーマ、ト ピックを学習言語である日本語で提示し、その結果、受講生の内面に寄り添った、よりリ アルで本音に近い表現を引き出し、日本語の運用力を高める機会をもたらすこと。次に、 受講生の思考に多彩な角度から刺激を与えて活性化と深化を導き、これまでとは異なる、 あるいは得られなかった新たな認知、実りの獲得を促し、受講生の人間的成長の一助とす ることである。 こうして日本語を用いて各テーマを掘り下げ、普遍的な事実である死を通して自己なら びに他者の生、いのちを照射し、その充実に資することを狙った。
3. 先行研究および過年度の実践 日本におけるデス・エデュケーションは、1980 年代に当時上智大学教授であったA・ デーケンによる啓発活動から始まった。その実践が多くの教育関係者を刺激し、現在に至 るまで、小学生から大学生まで、さらに成人を対象としたもの等、多彩な現場での実践報 告が重ねられている(山下2008、古田2009ほか)。 だが、海外では欧米諸国を中心にある程度展開されている一方で、アジア圏では韓国、 台湾でのわずかな報告例を除き行われていないのが現状のようである(得丸2008)。 日本語教育に目を転じると、これまで日本の社会事情的な授業の一環としては散発的に 行われている印象がある。しかし、本実践のように「生と死」を明確に打ち出したもの、 公にされたり継続的に実施されたりしたものは特に見当たらない。 そうした状況のもと、過年度筆者は本実践に先駆け勤務校において「生と死の日本語」 と題した継続的な実践(全8回)を試みた(萩原2013)。本報告はそこでの反省に立ち、よ り洗練された現場を目指すべく展開された実践のまとめである。 4.実践の内容 4.1 概要 実践の場は、受講希望者のみを集めて開講した選択授業「生と死の日本語」である。受 講生は8名で、内訳は男6名、女2名である。国籍・地域は中国、ロシア、韓国、香港、 イタリアで、日本語レベルは中上級から上級に相当する。週1回、2時間連続で全 10 回 実施し、期間は3か月にわたった。 各回では指導者による講義的な時間と、話す、聴くを基本とした活動の双方を提供し、 映像の視聴を挟みつつ、最後にゲストスピーカーを招いた。活動は日本の学校教育での実 践を参照し、独自に考案したものを加え、各回で意見交換やコメント類の提出を重ねた。 4.2 デザインの際の考慮点 今回、過年度の反省から以下を念頭に置いて全面的な見直しを行った。また授業時間数 の増加もあり、大幅かつ発展的に改変が施されている。 ① 生と死の双方に迫るバランスのとれたテーマの設定、トピックの提供を心掛け、意識 をあくまでも生への肯定的なベクトルに導くことで、死に傾きすぎないようにする。 ②全期間を通してスムースな流れが感じられるようなテーマ、トピックを配置する。 ③ 受講生が近い将来直面する可能性をもつトピック(生命倫理、生命操作)と、身近に 接した経験の推測されるトピック(自殺)を取り上げる。 ④講義よりも各種活動に力点を置き、意見交換、インターアクションの促進に努める。 なお、本実践に先立ち別クラス(上級レベル)の通常授業内でパイロット的な活動を複 数回実施し、反応を見た。本実践はそこでの反省、気づきも取り入れた。
4.3 特徴 まず、受講生と指導者は自らの死を体験していない点で完全に対等な立ち位置にある。 指導者ができるのは各種の情報、事実と活動の場の提供に過ぎず、本質的には何も教えら れないし、教えられるはずもない。いや教えてはならないとも言える。その意味で両者の 間に上下関係が存在しえない点で、通常授業とは明確に一線を画している。むしろ、テー マによっては受講生のほうが事情を深く認識している可能性もある。よって、そこでは指 導者はファシリテーターまたはコーディネーター的な役割に注力することとなる。 そして、多くの受講生がすでに見聞きしているとはいえ、おそらく実質的に生涯で初め て取り組むような各種テーマ、トピックが提示される。それらは単に情報の提供により頭 で理解するのみならず、関連したワークを経ることで実感できる。受講生はこうした機会 に、母国あるいは母語ではなく日本語の教室で接することになるのである。 活動に際しては、生と死、いのちにまつわる経験の有無や国籍、年齢等を問わず、各人 それぞれにテーマを掘り下げることが最大のポイントとなる。唯一の正答はないわけであ り、よって掘り下げの深さの程度より、一人ひとりがその人なりに、生と死、いのちに思 いを馳せることが肝要となる。正答あるいは正答のようなものは本人の裡にあり、指導者 から提示するものでは決してないし、本実践で発見されるとも限らない。また多くの場合、 活動の狙いはあえて非明示的にとどめたが、それは受講生が活動の過程で自ずと見出すも のと思われたためである。 以下、図1に本実践を「ライフキャリアシラバス」と見なし、萩原(2012)で展開する「語 り」を中心とした情意的な活動群と組み合わせた際の関係性を示した。また、図2には同 じく萩原(2012)をベースとした本実践の位置づけ、全体イメージを示す。 図1 本実践の位置づけと他の活動の関係性 図2 活動全体の流れ・テーマ 4.4 各回の活動 表1に各回の活動の概要を示す。 第1回は授業紹介であり、教師によるプレゼンテーション的な意味合いもある。まず授 業のイメージをつかむためのワーク、アンケートを行い、受講生は自身の死に思いを巡ら すことで、指導者は受講生の想像力の多様性、広がりを見ることができる。ワーク「現在 地」では自分がいま、人生において時間的にどこに位置するかを記入し、各自の内面の意 識の可視化と言語化を促す。そののち、受講生自身が今後の受講を継続するか、可否を判 本実践: ライフキャリアシラバス 萩原(2012):情意的な活動 生と死、いのち本実践: 連携・並行 融合 連携・並行 現行の(知識・技術中心になりがちな)シラバス 自己と他者 (狭義の)キャリア:仕事 ← 「語り」中心の情意的活動(萩原2012) → 春 夏 秋 冬
断する。単に「生と死」という言葉に惹かれて興味半分に参加した者は以降の受講を見送 り、参加は真剣に取り組む意欲のある者に絞られることになった。 第2回に受講生が確定し、本格的な授業へと進む。ワーク「ゲインライン・ロスライン」 では、受講生各人がこれまで失ったもの(こと、人)と得たもの(こと、人)を挙げ、ペア トークによって視点の広がりを導いた。 表1 各回の活動内容 テ ー マ 内 容 第1回 (オリエンテーション) 「生と死への第一歩」 ワーク 「『生』と『死』のイメージ」 「人生での現在位置」アンケート 「死を考えてみよう」 第2回 「得たもの・失ったもの」 ワーク 「ゲインライン・ロスライン」 第3回 「死ヘのアプローチ」 ワーク 「臨死体験」 絵本読み聞かせ 『100万回生きたねこ』 (佐野洋子) 第4回 「いのちのつながり」 ワーク 「3億分の1」 「10世代前」 講 義 「人体成分表」 第5回 「死に向けて生きる」 映画視聴 「エンディングノート」(2011) 第6回 「事故・災害から学ぶ生」 映像視聴その他 ① 「日航機墜落事故」と犠牲者の遺書 ② 「東日本大震災」 ワーク 「今、したいこと」 「したいことを始めるには」 第7回 「過去から現在、そして未来へ」 ワーク 「ライフヒストリー曼荼羅図」 第8回 「生命操作を考える」 ワーク 「私のほしい子ども」 講 義 「デザイナーベビー」 第9回 「自殺/自死に触れる」 ワーク/アンケート 「自殺のイメージ、自他の体験、自殺 企図者への向き合い方」 講義・資料 「自殺の現状、社会構造的問題としての自殺」 第10回 「悲しみを生きる力に」 犯罪被害者遺族の語り 「悲しみを生きる力に」 絵本読み聞かせ 『スーホの白い馬』 (モンゴル民話) 全体・個別セッション 終了後 対受講生インタビュー 全6名 第3回のワーク「臨死体験」で受講生は各自の人生観や価値観、死生観等、ふだん明確 に意識しにくい、あるいは意識下に押し留めている感情や概念に気づき、揺り動かされ、 自ら掘り起こして言語化する。その後、いのちがテーマの著名な絵本作品の読み聞かせを 行った。 第4回では作業的なワークの連続により、身体を通していのちとそのつながり、価値に 触れる機会を提供した。続く第5回では、癌に罹患し余命を宣告された男性の終末期を追 ったドキュメンタリー映画の視聴に集中した。 第6回は日航機墜落事故(1995)の映像と乗客の遺書、続いて東日本大震災(2011)の映 像を用い、いのちの有限性と災害の突発性をあらためて認識したうえで、各自がやり残し てきたこと、まだ実行に踏み切れていないことを明確化し、言語化した。
一転して、第7回は自らの生を俯瞰する。そこでは三田地(2012)のワークシートをア レンジして、過去から現在までの自分に関わったトピックを網羅的に記述する活動を経て、 過去と現在、そして未来へのつながりの可視化と意識づけを行った。 続く第8回は現代社会の課題である生命倫理にまつわるトピックを扱った。その中から、 受講生の将来の結婚、出産を想定し、両親の希望に合わせた赤ん坊の出産の可能性が取り 沙汰されている「デザイナーベビー」を取り上げた。各自が望む子どもの特徴を書き出し たのち、指導者による資料の解説を経て、意見交換、ワークシート記入等を行った。 第9回では、世界各国の喫緊の課題の一つである自殺/自死を取り上げた。前半は指導 者の手になる冊子の解説を中心に進め、日本および世界各国の自殺のデータや予防法等を 紹介したうえで、後半は各自が見聞きした経験その他について意見交換を導いた。 最終回(第10回)はゲストスピーカーを迎え、犯罪被害者遺族による語りと絵本の読み 聞かせののち、クラス全体および個別のセッションを行い、実践全体のまとめとした。 4.5 展開例 ここでは第3回と第7回を例に、実際の流れを説明する。 ◆第3回「臨死体験」 ① メモ用紙を 12 枚ずつ渡し、受講生はそこに大切な人物を3人、大切な活動を3つ、 目に見える大切なものを3つ、目に見えない大切なものを3つ記入する。 ② 部屋の照明を落とし、指導者が創作した日記(20代の社会人が癌の告知を受け余命を 告げられたのち、闘病生活を経て亡くなる直前までつけていたと仮定)を読み上げる。 ③指示に合わせ、受講生は日記の途中に手元の用紙から2枚ないし3枚ずつ破り棄てる。 ④指導者が最後の日の日記を読み終えたのち、受講生は最後に残った1枚を破り棄てる。 ⑤静かな音楽を流し、間を置く。受講生は黙って各自の内面に向き合う。 ⑥ 照明を元に戻し、受講生は用紙にコメントを記入する。あえて意見交換はせず、記入 を終えた者から休憩に入る。 ⑦提出物に指導者がコメントをつけて次回の授業時に返却し、シェアする。 注)用紙を破り棄てるのは、そこで「何ものかを喪失する」ことを意味する。 ◆第7回「ライフヒストリー曼荼羅図」(図3) これは事前に別クラスでパイロット的に実施し、その反応に基づき筆者が手を加えた。 その結果、下記のカテゴリーごとに記入しやすくなったと考えている。 ① 自分のこれまでの人生をイメージする、4重に描かれた楕円を大きく4象限に区切り、 右上から時計回りにそれぞれの年齢域において関わった人(領域2)もの/こと(領域 3)、当時の考え方や頭の中(領域4)を時系列的に単語レベルで羅列していく。 ②最後に、最も内側の中央部(領域1)に人生を通してのキーワードを書く。 ③ペアを組んで自分の書いた内容を説明しあい、適宜簡単な問いも投げかけあう。 ④相手の話に刺激を受け追加したい点があれば加える。
⑤別のペアを組み、あらためて説明しあう。 ⑥感じたこと、気づいたことを分かち合う。 ⑦コメントを書いて提出する。 図3 ライフヒストリー曼荼羅図 5.結果 指導者には過年度の実績があるので、当初からある程度の手応えが得られる自信はあっ た。それでもやはり授業前は常に不安と迷いを抱えつつ、確信を持てないまま教室現場に 臨んでいたが、結果的に各回で良好な反応が得られた。各種コメントと以下に紹介する終 了後のインタビューからは、本実践の効果や意味、可能性がうかがえるデータが収集され た。だが、押しなべて肯定的な評価がなされたのは、希望者による選択授業であるとはい え、驚きであった。また、全期間にわたり数値的なデータは収集していない。 前提として、多くの受講生のコメントに共通したのは次の3点である。 ① 日本語教育でこうしたテーマ、トピックを取り上げることに驚いた。語学学校ではな く、(いい意味で、一般の)学校のようだ。 ②難しいテーマもあったが、ふだん考えないことを考える機会になり、よかった。 ③ 一連のテーマは母国の学校教育ではほとんど体験していないし、考える場面もない。 自分でもそうした機会はあまりない。 なお、以下のインタビューデータには過年度(萩原2013)のものも含まれている。 5.1 言語的側面 「他の授業より日本語の難易度が高く、感想が出しにくい」「その場では言葉が出なくて も、(次に)話すときに役立つ」「すぐには反応できないが、あとであらためて(日本語また は母語で)考えていた」といった、日本語力の不足に伴う意見表出の難しさに言及するも のが複数あった。その一方で、「表現は比較的やさしかった」というものや、「書く時は話 す時ほど恥ずかしくない」とのコメントもあるなど、言語化の困難にぶつかりながらもそ れを試みる様子と、その逆の姿勢の両方がうかがえた。さらに、指導者が紹介しないにも かかわらず「親の役割」「退職」「老後」「年金」「最期」等の語彙がごく自然に現れた。 ◆ コメント1:(授業では)考えさせられて、話すときにためになると思う。(中略)(母 国ではそういう場面がなかったが)チャンスがあるから、日本語で言えてしまった。 ◆ コメント2:書くのだったら書きやすいけど、もっと自分の気持ちを伝える力がない と思った。ずっと深い気持ちだから、自分が英語でやってればに比べると不足なんで、 こういうことでも話にはならないくらい言いたいことがあって、はっきり言えないの はつらかった。(中略)書く気持ちは伝えられるけど、日本語で書くが一番弱い。 1 2 3 4
◆ コメント3:授業ですぐに言うのは難しい。授業が終わったら家でもっと(母語と日 本語で)考えて、自分のことも考える。 ◆ コメント4:私には話すのが大変だった。書くことは話すことほど難しくない。 5.2 授業全般について 「授業のポイントは言語ではない」「言語だけど、言語以上のものを考えさせられた」の ように、非明示的な狙いを的確に指摘したもののほか、「うまく言えないけれど、先生の 狙いはわかった」といったものを含め、肯定的な声が多数寄せられた。 ◆ コメント5:つらい活動だからこそ、いろいろ自分にも、これよく気づいたなと思っ て……。(中略)死って考えると結構マイナスなイメージがあるじゃないですか。そ れでも、死ってマイナスの意味じゃなくて、生きているうちに何ができるとか、やり たいことをこれから絶対やるっていうような気分になって、(中略)すごくやる気が 出てきた。 ◆ コメント6:自分自身についての力を持つようになると思った。どんどん挑戦して(授 業の)こういったことをもっと正直に向き合ったり、正面に向き合うとすると、自分 が今何をやってるとか何をするべきこととか、よく判断できるようになっちゃう。(中 略)両親はなんで(今)やっていることをそうやってるか、そういう順番にしてるか、 ちょっとわかってきた。(中略)いつでも実は人生はすぐなくなるかもしれないとい うことは、怖いと同時にその恐れを手に入れてから、すごい力になってくる。若いう ちに(授業でした)死の現実を聞かされていたら、今までしてきたことは違う。 ◆ コメント7:人間として生きているから、この世界に何も持たずに来ました。だから、 さよならのときも同じ(何も持たないでいなくなる)だと思います。この世の中に存 在しなくなっても、したことは残ります。(中略)生と死はこわくありません。毎日 発生していることですから。だから、もっと深く人間として理解した方がいいと思い ます。 ◆ コメント8:(私は)人生が大変で早く死にたいと思ったけど、この授業受けてから、 まだ死ねないと思った。もし本当に死んだら後悔する。やりたいことがいっぱいある。 ◆ コメント9:(この授業を)受けなかった人に受けてもらったらいいと思う。
自らを見つめ直し、生き直す力、きっかけになったようすもうかがえ、死にまつわるテ ーマ、トピックから生の充実へと向かうベクトルを獲得しているようにも見られる。 5.3 「自殺」へのコメント 第8回で取り上げた自殺に強い印象を持ち、意義を見出す者も少なくない。一方で、情 報の不備、不正確さを指摘する声もあった。 ◆ コメント10:国(香港)で自殺で死んだ友達を思い出しました。大人になってから大 切なテーマです。 ◆ コメント11:1回の授業では足りない。もっと知りたい。 ◆ コメント12:私の国(中国)の自殺について、日本の情報は違います。国のネットで 調べたほうがいいです。 5.4 犯罪被害者遺族の語りへのコメント 強く印象に残った活動として、最終回に招いた犯罪被害者遺族の語りを挙げる者も多い。 ◆ コメント 13:複雑な気持ちで整理するのが難しかったです。感情が働いて、論理性 が働きませんでした。 遺族に手渡されたメッセージには次のようなものがある。 ◇ メッセージ1:過去は過去ですけど、過去がなければ今の私はないはずです。過去の ない方は何もない方だと思います。どんな過去があってもかまいません。変わってく のは今です。傷が深ければ深いほど強くなる。筋肉も同じです。たくさん運動すると 筋肉の組織が切れて、新しい組織がもっと強くなって力が入って、太くなります。 ◇ メッセージ2:悲しい話を聞くと自分の悲しみを思い出して、いろんな気持ちを感じ て、心がからっぽになってしまいました。(中略)AちゃんとBくん(ともに被害者) は今はうれしいと思います。ずっと忘れない人がいるから。 ◇ メッセージ3:考えが変わりました。今も辛いことがいっぱいあるので、がっかりし てあきらめたいです。でも、辛いことにあうのは私だけじゃないと気がつきました。 好きな人は亡くなっても、思い出があります。自分が生きられるように、亡くなった 人の代わりに気力を作る。それが今日もらった考えです。
5.5 その他 その他、印象に残ったものにワーク「臨死体験」を挙げる者も少なくない。 ◆ コメント14:あの活動(「臨死体験」)で最後の紙を破ったとき、自分の心を破った気 がした。(中略)この授業はすごい。一番楽しいというか、悲しいとか、いろんな気 持ちがある。授業が終わってからすごい疲れました。頭も心も使ったから。 また、日航機墜落事故とその犠牲者による遺書については次のようなコメントもあった。 ◆ コメント15:国(ロシア)では飛行機事故が多いから、特に書きませんでした。 6.考察、仮説 以下に、本実践から導かれた考察および仮説を提示する。 6.1 日本語教育としての意義 本実践は従来の意味、パラダイムにおける日本語教育ではない。だが、批判を承知で言 えば、死という究極かつ最大のテーマを置き去りにするならば、日本語教育は「教育」の 名を冠するに値するのかとも考える。つまり、本実践は「日本語」(習得の)教育ではなく、 人間的成長への一助たる、日本語(による)「教育」とみなせる。日本語はそのためのいち 手段にすぎない。 死は繊細かつ面倒なテーマであり、本実践は日本語教育の役割を肥大化させ、死を扱う こと自体おこがましいとの指摘もある。それ以前に、一部指導者には人生というトピック をためらい、避ける風潮、時に羞恥を感じる傾向があり、反対に過大評価したり大仰にと らえたりするケースも見られる。 だが、学習者の思いは逆であり、むしろ素朴である。本実践が死を通して学習者に生、 人生への新しい認識を導き、自らの内部に新たな文化、価値観を見出す契機となるなら、 それは山西(2013)のいうエンパワーメントとしての日本語教育の理念に通じる。即ち「関 係性の中を生きる存在である人間が、そうした関係を広く意識してより受容的協働的創造 的に関わっていくことを通し、生の力を手にする」パラダイムである。それは、例えば上 記の犯罪被害者遺族の語りへの共感の姿勢を見れば言うまでもない。これは同じく山西 (2005)の説く豊かな人間関係を築くための人間学的アプローチにも通じるだろう。 6.2 死、いのちへの関心の高さ ほぼ全員が活動に集中し、時に涙を見せる者もいるなど多様な反応が期間を通じて見ら れ、あらためて死への関心の高さが明らかになった。また、母国での活動の体験者がほと んどおらず、避けたいテーマもなかったことから、実践をためらうことはないと感じた。 こうしてみると、指導者は学習者の可能性や意欲に蓋をしていまいかとの疑念が生じる。
指導者には学習者が明瞭に意識化、言語化できていないものを掘り起こし、教室現場に反 映させる工夫が求められるのではないだろうか。確かに死は繊細なテーマであるが、それ をアンタッチャブルな(不可触の)まま置き去りにしてよいとは思えない。個人差はあるが、 ある程度の距離をとりつつも総じて死への関心は高いとみなしてよい。死に関心を持ちつ つも遠ざけたいという、相反したいわば「怖いもの見たさ」的なスタンスもあると考えら れるのである。 また、第7回で取り上げたデザイナーベビーには積極的な反応が見られた。全般に男子 学生からは表面的な関心といった印象を受けた一方、女子学生からは逆であり、妊娠、出 産を身近なテーマに捉えていることをうかがわせた。各国で少子化が進む中で出産は切実 で現実的なトピックであり、生物として本能的かつ本質的な課題でもあることを裏づけて もいるようだ。ましてや若年層が大半を占める教育機関であれば、出産やそれにまつわる 科学技術の情報がある程度提供されることは不可欠であるし、母国での情報提供が少ない 現実もあるという。 さらに、本報告では特に触れなかったが、実践に先立ちホスピスにおける最後の食事、 そして出生前診断をテーマに情報提供と意見交換を行ったが、ともに高い関心を示した。 このように知的刺激を与えて知的関心を呼び起こし、知的好奇心を満たしうると言える。 こうして、生と死、いのちにまつわる経験の有無や国籍、年齢等を問わず、各テーマ、 トピックを掘り下げる。唯一の正答はなく、同時に一人ひとりなりの掘り下げの深さがあ ればよく、結果としてそれぞれが思いをめぐらせる時間になる。 6.3 メンタル面の効果 希望者による受講のためか、一様に意欲的で能動的な姿勢で取り組み、ワークが受講生 の心理にマイナス作用を及ぼしたとは考えにくい。自殺に関する講義で過去の自殺企図を 生々しく語った受講生やゲストスピーカーの語りに涙し、内面に抱えた苦しみを吐露した 者もいたが、直後は晴れやかな顔で肯定的なコメントを残していた。これらから、本実践 は苦しみを乗り越えた(乗り越えようとしている)者が自らを客観視する場にもなり、結 果的にメンタル面に概ねプラスに作用し、一種カタルシス的な意味合いも持っていると考 えられるが、今回は具体的な記述が得られていない。しかし、何より深い思いを拙い日本 語、未熟な表現であっても言語化できることの意義が大きいであろう。 また、受講生の意識の表層をなぞっているだけではないかとの疑念には、こう答えたい。 なるほど建て前的な内容に終始し、上っ面な内容のコメントもある。しかし、それまで 意識してこなかった漠然とした思いが意識にのぼり、片言の日本語ででも表明された瞬間、 それは本人なりの思考となる。よって、それが真に深層から発した思いかどうかを問うこ とに必ずしも重きはおかず、思い自体に優劣や軽重はつけられないと考えたい。 6.4 学習言語を用いる効用 受講生には内面の表出を拒まない者が大半で、むしろ意欲的と思える場面が頻出した。
これは単に希望者のみが参加する授業だからであろうか。だが、萩原・高井(2010)、萩 原(2012)を考え合わせると、本質的に学習者には内面を語ろうとの意欲が内在している 可能性が推測され、加えて学習言語である日本語の効用も考えられた。すなわち、異言語 を通してこそ自らを知る機会となり、新たな発想、思考回路が生まれ、思いの率直な表明 がしやすくなるというものである。逆説的だが、母語ではなく異言語、学習言語によって 内面の言語化と可視化が容易に促される場面が少なくないと考えられる。 本実践では、意識下の言語化していない(未 言語)部分へと掘り下げ、次に掘り起こして言 語化する作業が繰り返されると想像され(図 4)、そこに学習言語ならではの役割があると 見なされる。受講生は母語話者のもつ表現の自 然さ、豊かさ、饒舌さをもたない。日本語は学 習言語ゆえに遠慮や照れ、婉曲表現といったス キルが介在する余地がないからこそ、それと引 き換えに母語では口に出しにくく表現しがたい 内容の表出への抵抗感、ハードルが低くなる。こうして直截で飾りのない表出が促され、 かえってシンプルに表現される可能性が浮上する。それは、通常取り上げないテーマが提 供される一種の仮想空間に、異言語学習の際のアイデンティティの変容が重なった結果と も言えそうだ。 自分を語ることが自分を構成するという社会構成主義の考え方に基づけば、内面の言語 化による明確化の過程で受講生の自己像が再構成され、書き換えられ、やがて発達や成長 につながるのではないだろうか。 6.5 日本語学校と教室環境の効用 日本語学校とその教室環境が肯定的に作用している可能性も見逃せない。日本語学校で は建物内部の限定された空間において、学習者同士や指導者は日々授業を通して交わるほ か、他の場面でも接触する機会が比較的多い。それが時に短所となる一方で、中長期的に 継続することでつかず離れずの微妙な距離感を保ちつつ、相互を許容し寛容な姿勢で認め 合う関係性が構築されやすいのかもしれない。そして、学習目的、国籍、来日目的や年齢、 社会経験等の履歴や属性、背景等の多様なメンバーが集う日本語学校の効用も考えられる。 個別性と重層性が相互に程よい距離感をもたらし、受容的で安定した場が醸成されていた ように感じる。 そこでは、可能な限り筆者も受講生とともにワークに参加することを心がけた。なぜな ら、指導者が自らを振り返り、適宜開示することで教室内の良好な雰囲気の醸成に寄与す ると考えたためである。 これらの諸要因が重層的に組み合わされた結果、家族のような極めて緊密な関係の中で はかえって表出しがたい内容が、教室内では比較的容易に提示されたとも想像される。 言語 未言語 意識の深層 <掘り下げる> →→ <掘り起こす> 明 確 化 言 語 化 図4 言語化のプロセス(萩原2013)
6.6 指導者の学び 筆者が得たものは、準備段階における知見の広がりはもとより、個々の受講生の内面や 個別性、豊かさへの新鮮な気づきがあり、通常授業で得られるそれをしのぐ。 さらに筆者自らに対する発見がもたらされた。即ち、ワークに参加した際の内面の開示 や受講生へのインタビューを通して、意識下に押し込めていたもの、看過してきたものに 直面し、たじろぐことがあった。例えば第3回のワーク「死の疑似体験」では、素材とな る日記文の作成過程で自らの生に思いを致すこととなり、完成に苦慮した。インタビュー 内容からは一度ならず刺激を受けるなど、毎回自らが更新される体験を重ね、今後の教育 実践に影響があると想像される。 そのほかに、沈黙、そして待つことの重要性の気づきを挙げたい。活動後はしばらく教 室全体を沈黙が覆う場面がしばしば訪れた。言葉にならず、日本語表現が困難でもあった のだろうが、そこには受講生の内面のダイナミックな動き、波動が感じられた。実際、即 座には表出しにくい言葉や「未言語」に満ちた密度の濃い沈黙だったようで、コメント用 紙に一斉にペンを走らせた。こうした貴重な場の提供と共有に意義を見出したい。 7.まとめ、今後に向けて 7.1 まとめ 本実践は「デス・エデュケーション」の日本語教育による試みであったが、完成には程 遠い。それでも人間開発の一助としての役割を持ち、日本語教育の可能性を広げうると考 えられる。受講生は各テーマ、トピックを経ていのちの有限性や一回性、死の不可避性、 絶対性に思いを馳せ、何らかの生の力を得て、生の意欲を高めているようすがうかがえた。 その結果、当初の狙いである、死を通して生を映し出し、生の充実にわずかでも寄与する 機会になりえたといえそうである。同時に、各国の死生観を学び合い、いのちにまつわる 各国の社会状況から導かれる興味深い事実からは、異文化間言語教育としての意義も認め られる。 本実践の日本語面ならびに精神面での効果は、数字的にも短期的にも期待していない。 だが、思いを表現できずに戸惑う受講生もいる一方で、不十分ながら日本語を駆使しよう との姿勢が随所にうかがえたことは、テーマの力によるところも大きいと言える。 もちろん今回見られたのは一過性の精神的高揚に過ぎず、内面に定着しないのかもしれ ない。しかし、正答のない死というテーマに人生の大切な時期に能動的に触れられるのは、 学習言語を介在させる利点だろう。受講生は内面の言語化の困難さや想像力の限界を痛感 するも、死を直視することこそが自他の生、いのちの尊重につながるのではないだろうか。 こうして、一連の活動は精神面の成長の一助として貢献しうると考えられる。 トピックが総花的、散発的で深まりがないとの批判もあるが、あえて総花的でもよいと 考える。それは、本来学習者一般に展開されてよい未開拓のテーマ、トピックが多いこと と、基本的に浅く、広くの姿勢でよいと考えるためである。まず基本情報を提供し、共通 認識を築いた後、大学等の高等教育機関に委ねるのが現実的だろう。
本実践はあくまでも思考の掘り下げのきっかけを提供したにすぎない。まかれた種がゆ くゆく芽を出すことを期待し、事実その萌芽もうかがえたように思う。実りは静かにもた らされ、育まれていく。それは最終的には学習者自身が今後の人生の各場面で学び取って いくべき課題なのである。 本実践は役に立つ、即効性のある学びではないが、ひいては生命界の一部、いのちある 「生きもの」の人間という視点を手にし、人間としての知性を磨くことにつながるとも言 うる。社会的変動が絶えず、先の見えない不透明な時代にあって、学習者が生きる上での 軸や価値観を探り、見つめる行為には意義があるだろう。さらに、世界各国からの既婚者 も含めた多様な背景の学習者が集う場として、日本語教育機関では必要性の高い授業と言 えそうである。 7.2 反省点 まず指導者としてテーマの掘り下げ不足がある。終始手探りで直前まで試行錯誤を繰り 返した結果、意見交換が不十分で浅いレベルにとどまり、全体の流れがスムースではなか ったことは否めない。情報提供も中途半端に終わったうらみが残り、表出されたデータの 背景にあるコンテクストの分析も十分とは言い難い。例えば、6-3にあるメンタル面の変 化や気づきを日本語でどう表現したかを追う姿勢に欠けていた。 次に、一定の汎用性を確保し広範な学習者に実践できる手法を考えたい。それにはトピ ックの絞り込みが考えられるが、一方で提示できなかったものは、代理母、精子/卵子提 供、安楽死、死刑制度、再生医療(iPS細胞等)、あるいは葬儀や遺書、死後の世界観、ペ ットロス等、多様である。死を生物的な死にとどめず広義の喪失と捉え直した場合、さら なる死が想定できる。 なお、沈黙を尊重し、待つ姿勢の必要性を次のコメントが指摘している。 ◆ コメント 16:表現するとき、他の人の話を聴いてよく考えて正確なイメージを伝え ようとしても難しい。ゆっくり考える時間がほしい。 7.3 指導者として 興味本位の実践は危険であり、受講生と同じ地平に立ち、時に指導者が内面、本音を開 示する覚悟が求められる。その意味で指導者の言語教育観を問う実践である。 その際、指導者は東日本大震災ならびに福島第一原発の事故(2011)の経験、知見を伝 えることも可能である。それこそ日本語教師が果たせる役割であり、自身がそれらにどう 向き合っているかが問われる。 本実践の理念に共鳴し、協働する指導者を増やす努力も欠かせない。だが授業の現実的 制約もあり容易ではなく、二の足を踏む者もいるだろう。
7.4 今後の発展性 本実践ならびに過年度の実践を経て、新たな構想が生まれている。表裏一体の生と死に 関わるトピックは多彩で、また生は性につながる(図5)。性はやはり指導者が避けがち なテーマだが、学習者には必須である。さらに、メンタルヘルスを志向した授業の必要性 も確信している。 学習者を取り巻くいのちのトピックに誠実かつ謙虚な姿勢で向き合うことで、本実践は 大きな可能性の広がりを予感させる。その際は、彼ら/彼女らを学習者である以前に一人 の人間として見つめねばならない。 学習者の生の質の向上と充実に果たすべき指導者 の役割は大きい。このような豊かな潜在力をもつ本 実践の継続的、発展的展開に今後も努め、同時に、 これまで蓄積してきた「語り」を中心とした活動の 見直しを図りたい。 図5 表裏一体の生と死、そして性 参考文献 (1)児美川孝一郎(2013) 『キャリア教育のウソ』筑摩書房 (2)高橋恵子・波多野誼余夫(1990) 『生涯発達の心理学』岩波書店 (3)得丸定子(2008) 『「いのちの教育」をひもとく ─日本と世界─』現代図書 (4) 萩原秀樹・高井貞美(2010) 「学習者の生(ライフ)と未来に視点をおいた日本語活動 『2010年度日本語教育学会実践研究フォーラム予稿集』、80-83 (5) 萩原秀樹(2012) 「学習者のライフに視点をおいた日本語活動 ─『ライフキャリアシ ラバス』と『情意シラバス』の可能性─」『言語教育研究』2号 桜美林大学大学院言 語教育研究所、95-103 (6)萩原秀樹(2013) 「生と死の日本語 ─死を通して生を考える、いのちの日本語教育─ 『2013年度日本語教育学会実践研究フォーラムWEB版報告』 (7)古田晴彦(2009) 『デス・エデュケーション展開ノート』清水書院 (8)三田地真実(2013) 「ライフヒストリー曼荼羅図」星瑳大学公開講座配布資料 (9)宮城まり子(2006) 「人生90年時代のライフキャリアデザイン」『クォータリー生活福 祉研究』58号 明治安田生活福祉研究所、17-33 (10)山下文夫(2008) 『生と死の授業 「いのち」の体験授業』解放出版社 (11)山西優二(2010) 「参加型学習とは何か ─豊かな人間関係の構築に向けて─」『やって 生 性 死 恋愛 妊娠 加齢 病 結婚 出産 障害 災害 事件 事故 広義の「生」∼ライフキャリア
みよう 参加型学習』スリーエーネットワーク
(12)山西優二(2013) 「エンパワーメントの視点から見た日本語教育 ─多文化共生に向け て─」 『日本語教育』155号、5-19