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転換期における人間性論について ; 3 : とくにドイツ・ロマン主義とランケ

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Academic year: 2021

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(1)転 換期 にお け る人 間 性 論 に つ い て. (Ⅲ. ). 一 ― と くに ドイ ツ・ ロマ ン主 義 とラ ン ケ ー ー. γ Tん θttθ ο νげ んS 一 面ι. んc 〃π πα ηNα ι πγ c α ιι. pecjα ιRcメ θ γ θ ηcc. 吉. Tγ α πsJι jο πpcrJ^ご. (IⅡ. ). πRο παπιJcJsπ απJ Rα ηんθ一 ι O Gθ γ πα. 武. 夏. 男. 前拙稿 『転換期 におけ る人 間性論 に つ い て (II)一 と くに ネオ ー ヒュー マ ニ ズム とヘ ル ダー』(甲 南女 子大学 『研 究 紀要 』 第15号 所収 )に 引 き続 き,本 稿 では18世 紀末 頃 か ら19世 紀前半 にか け ての 転換期 の ヨー ロ ッパ , と くに ドイ ツの ロマ ン主義 運動 (ROmantische Bewegung:Romantic Movement)と い わゆ る歴 史学 派. (Historische Schule:Historical school), た とえば, ノ. ヴァー リス (Novalis,1772∼ 1801)か らザ ヴ ィニ ー (F.Ko v。 ,Savigny,1779 ∼ 1861)に い た る までの ロマ ン主義 者 た ち, と りわけ歴 史的現 実主義 者 とし ての ラ ンケ (L.v.Ranke,1795∼ 1886)な どにおけ る人 間性 と歴 史把 握 の 方 法論 的原理 につ い て さ らに考 究 して行 きた い。 この場合 ,留 意す べ き こ とは. ,. この ロマ ン主義 の ヒューマ ニ ズムは そ の 内容 のゆ えに,近 代 理 1生 主義 の ヒュ ー マ ニ ズムの 流れ か ら傍 流的立場 に立 つ もの とみ られ勝 ちで あ るが,19世 紀 西欧精 神 史 , と くに ドイ ツ精 神 史 にお い ては 見落 とす ことので きない重要 な事 象 で あ る と い う こ とで あ る:)こ の ドイ ツ・ ロマ ン主義 運動 を文 学 史 的 にみ る と,こ の 運動 は古 典 主義 (Klassik)と 相並 ん で18世 紀末 頃 立 ち現 われ た も の で あ るが ,そ れ は古 典 主義 と幾 らか対立 しつつ ,ま た幾 らか それ を継承 1)Hans Joachim Schoeps;Deutsche Geistesgeschichte der Neuzeit Bde. ,. ⅡI. VOn der Aufklarung Zur Romantik, vo Hase &KOehler Verlago Mainz, 1978, S。. 93∼ 94。.

(2) 7θ. 転 換期 にお け る人 間性 論 につ い て (I11). 発展 させつつ文学 だけではな く,他 の 多 くの精神 的創造 のほ とんどあらゆる領域. ,. た とえば,哲 学 ,宗 教 ,科 学 ,医 学 は もちろん,政 治 や 経 済 ,社 会 ,歴 史 な どの領域 にお い て生 の 形成 の ため極 め て本質 的 な もの を主 張 して い たυ したが って,ロ ・ ドラ ング運動 を継承 し,発 展 させたものか,, マ ン主義運動 は シュツルム・ウ ン ト 或 い はそれ との対 立意識 の 方 が顕著 であった ものかはにわ か に断 じ難 い が,し ・ か し少 な くとも この運動 は18世 紀 啓蒙主義運動 に対 す る シュツルム・ウ ン ト ・ ドラ ン グ運 ドラ ン グ運動 の 戦 いの 継続 的発展 とい う点 で,シ ュツルム・ウ ン ト 動 は ロマ ン主義 運動 の先駆 的現 象 で あ った,と い える。なお またラ ンケ も啓 蒙 主義 的歴 史観 , と くにその 中世 暗黒時代 史観 に対 す る反逆 (Revolte)の 生涯 で あ った とさえ い われ るほ どで,彼 は ドイッの 古典 的一 ロマ ン主義文 学期 の 内容. (Lnhalt der klassisch― romantische Literaturepoche Deutschl―. ands)と も密接 な内面 的接 触 を もつ とともに,彼 の 時代 感覚 はす で に現 実 的 で具体 的 (real und kOnkret)と な つてお り, と くに解 放戦争 (Befreiungs‐. Kriege,1813∼ '15)と その戦争 か ら発展 した国民的,政 治的運動 を強 く体 験 して い た。 これ らの体 験並 びに 2つ の先行 の 諸思 想 に動 か され つつ ,ラ ンケ は歴 史的 ,政 治的思惟 を非政 治的 ,世 界的諸理 念 か ら解放 し, と くに観 念論 的 ,思 弁 的思惟 か ら現 実主義 的思惟 へ の 移行 (Ubergang Vom idealistisch‐. spekulative zum realistischen Denken)を 導 く先 駆者 として最 も力強 く 立 ち現 われ るので あ るが,そ れ らの経緯 につ い て若千考 察 した い。. 1. 西 洋近代 史 の 第 3の 峰 としてのフランス革命 (Die franzё sische Revolution:. the French Revolution)は ,そ れ まで の 前近代 的 なア ン シャ ン 0レ ジー ム. (Ancien R6gime)の 政 治社会体 制 の変 革 を求 め た政 治 闘争 として進展 し. ,. さ らに革 命戦争 (Revolutionary War),ナ ポ レオ ン戦争 (Napoleonic War), 解放 戦争 (Liberation War), 王 政 復 古 (Restoration), 7月 革命 (July. Revolution), 2月 革命 (February RevolutiOn)な ど一 連 の歴 史的事 件 との 2)Paul Kluckhohn;Das ldeengut der Deutschen Romantik, S。 9..

(3) 吉. 武. 夏. 男. 71. 関連 の もとに紆余曲折 の政治的 プ ロセス を展開 したが ,こ の複雑 な経過 の な かで ロマ ン主義運動は フ ラ ンス革命へ の熱狂 と幻滅 とを動機 として,思 想的 に も実践的 に も複雑 多様 に展開 されて い った。 しか し本来 , ドイツ・ ロマ ン主義 (Deutsche ROmantik)と い う概念ほ ど 多義的 で議論の 多い概念はな く,ま たそれだけにそれに対す る思想態度 も極 めて相対立す る解釈 を展示 して きた。 た とえば,或 はそれは現代 の女性助手 として呼び出され,現 代 の本質的理念の先駆者 と見倣され る解釈 もあれば. ,. またそれは正道 を踏 みはず した もの として, もしくは誤 った危険な方向に導 いた もの として非難 され,そ れ を克服 しようとす る解釈 もあ る。 しか しこの ような ロマ ン主義研究 (Romantikforschung)に おける解釈は,ロ マ ン主義 の亜 流 または歪曲され た註釈 を根拠 とす る誤解 の結果ではないか と思われ る。 何れ に して も,こ れ らの ロマ ン主義賛成派 とその反対派 との論争 の根底には. ,. しば しば ロマ ン主義 についての誤 った一面的な観念が横 たわって い る, とみ られ る。 したが って,ロ マ ン主義 を啓蒙思想,そ の頂点 としての革命思想 に 対す るただ単 なる 1つ の反動 (Ein Ruckschlag)と して一 面的,短 絡的 に規 定 せ ず,先 ずその形成当時 に湖 って政治社会思想史的視 点 か ら見直 しす る必 要 があろ う と思 う。 ところで,す でに上に指摘 したように,ロ マ ンテ ィク (Romantik)と いう ドイツ語 の成立は古 く,こ れが フ ラ ンス語 の Romanと いう語に由来 し,こ の 語 を形容詞 に化 した rOmantiqueが イギリスに入 り,広 く中世 の騎士小説,英 雄諄 に関係 した意味で用 い られて いた。そ してその頃物語 を意味 した rOm. an―. ticロ マ ン的は rOmantと い う名詞か ら派生 し,小 説的又 は物語風 とい う軽 い. 意味 を与 えられて いた。 この語 が 出現す るのは17世 紀半ば過 ぎの イギ リスに お いてであって,こ の用法がイギ リスか ら ドイツに渡 り,は じめは roman‐ ischと い う形であ ったが,つ いでromantischと い う形で入っったのは,結 局 17世 紀末頃であ った。当時 この romantisch(ロ マ ン的 )と い う語は冒険的. ,. 3)竹 原良文;『 社会思想史研究』創刊号 8頁 。社会思想史学会年報. 1977。.

(4) 72. 転 換 期 に お け る 人 間 性 論 に つ い て (III) 4). 非現 実 的 ,空 想的 を意味 して い た 。 そ の 後 この 語 の意味 は若千移 り変 わ るが. ,. ドイ ツ文 学世 界 では散 文 的 な現 実 の 反対 ,詩 的 ,空 想的 ,不 思議 な,驚 異す べ き,冒 険的 な文学 の傾 向 で,古 典 的 ,古 代 的 に対 して 中世 的 ,或 は キ リス ト教 的 な文芸 の傾 向 な どの 意味 に用 い られ て い た 。 この よ うな ロマ ン的 な文 学 的傾 向が転換期 の ヨー ロ ッパ 諸 国 ,イ ギ リス,フ ラ ンス, ドイ ツ な どに現 われ ,そ の 間 には活発 で,大 規模 な交 流が行 われ ,い わゆ る近 代 ロマ ン主義 の黎 明 の 光 は ,18世 紀半 ば頃か ら末頃 にか け ての イギ リスに投 じは じめ た 。 そ してそれ は単 にそれ ぞれ の 国 におけ る孤 立現 象 ではな く,全 ヨー ロ ッパ 的 な大 きい運動 とな った 。最 後 には ロマ ン主義 は ドイツにお い て最 もよ く理 解 され ,す でにヘ ル ダー (J.G.v.Herder,1744∼ 1803)に もみ られ た よ うに. 7) ,. それ は啓蒙主 義 や 主観主義 に対 す る文芸運動 として華 々 し く登場す る ととも に,広 範 な領 域 に亘 って複雑 多様 な影響 を及ぼす運動 を呼 びお こ した 。 そ こで ,ロ マ ン主義 者 た ち を若干 ヨー ロ ッパ か ら例 示 して行 くと,文 学 で は イ ギ リス の シェ リ (P.B.Shelley,1792∼ 1822),キ ー ツ (J.Keats,1795∼. 1821),バ イ ロ ン (G.G.ByrOn,1788∼ 1824), フ ラ ン ス の ラ マ ル テ ィー ヌ (Lamartine,1790∼ 1869),ユ ゴー (Hugo,1802∼ 1885),ヴ ィニ (Vigny, 1791∼ 1863), シャ トブ リア ン (Chateaubriand,1768∼ 1848),ド イツの ノヴ ァー リス (Novalis,1772∼ 1801), 1767∼. シ ュ レー ゲル兄 弟 (A.Wev.schlegel,. 1845:F.v.S chlegel,1772∼ 1829), 絵 画 では フ ラ ンスの ジェ リコ. (Gericault,1791∼ 1824), ドラ ク ロア (Delacroix,1798∼ 1863),音 楽 では フ ラ ンスのベ ル リオー ズ (BerliOz,1803∼ 1869), ドイ ツ の シ ュ ー ベ ル ト. (Schubert,1797∼ 1828),シ ューマ ン (Schumann,1810∼ 1856)な どが そ の代 表 者 と見倣 され る。 しか し もともと,ロ マ ン主義 とい う概 念は一 義 的 に 単 純 な規定 で割 り切 るこ との で きな い 多 くの 要 素 を含 ん でお り,ま たそれ ぞ 4)JoF.ア ン ジ ェ ロス著,野 中成夫・ 池部雅英 共訳 『 ドイツ・ロマ ン主義』 7頁 。 5)小 牧 健 夫 著 『 ドイツ浪漫派の人々』 17頁 。. 6)村 上 至 孝著 『イギ リス 0ロ マ ン主義 の黎明』 1頁 。 7)吉 武 夏 男 甲南女子大学 『研究紀要』 第14号 ,H5頁 。 ;.

(5) 吉. 武. 夏. 男. 7θ. れ の 国 にお い て歴 史伝 統 的 な民族性 ,政 治状 況 ,そ の他 の相違 の ため可 成 り 性 格 と様 態 とを互 い に異 に して い るこ とは否定 し難 い 。 また初期 ,中 期 ,後 期 の ロマ ン主義 にお い ては思 想 的 内容 の相違 も見受 け られ るの であ る。 ここにお い て , ドイ ツ・ ロマ ン主義 につ い てみ る と,先 ず そ の 歴 史的発展 過 程 は大体 , 3つ の 時期 に分 け てみ られ うる。最初 の段 階 は 多 くは初期 ロマ ン主義 (FruhrOmantik),同 様 に また古 い ロマ ン主義 (Aitere ROmantik) とも呼 ばれ る。 この初 期 ロマ ン主義は1797年 ヴ ァッケンローダー (WackenrOder, 1733∼. ヾ 亡 (Herzensergiessun― 1青 吐露 』 1798)の 『芸術 を愛好す る一修 道 士 のノ. gen eines kunstliebenden Klosterbruders,1797)の 作 品をもってベ ル リン には じま り,そ れ は イ ェーナ (Jena)の 『ア テネー ウム』(Athenaum)と い う雑 誌 にお い て 高 揚 した 。 この雑 誌 の 第 1号 は1798年 5月. ,第 6号 と最 終号. は1800年 8月 出 され ,そ の 終末 はベ ル リン でのシュレーゲル (AeWoSchlegel, 1767∼. 1845)の 「文芸 お よび芸術 」 に 関す る講義 を もって終 わ る。 この雑 誌. は初 期 ドイ ツ・ ロマ ン主義 の 本質 的宣 言 の 書 ともい われ て い るが ,そ こには ノヴ ァー リスや シ ュ レー ゲル兄 弟 ,ヴ ァ ッケ ンロー ダー ,シ ュ ライエ ルマ ッ ヒャー (Schleiermacher,1768∼ 1834),テ ィー ク (Ludwig Tieck,1773∼. 1853)な ど, と りわけ ノヴ ァー リスが そ の代 表者 であ った。 この場合 ,シ ュ レー ゲル は詩 人 とい うよ りはむ しろ理論家 で歴 史家 であ り,ノ ヴ ァー リス で は思惟 と詩 とが密接 に結合 され て い る とともに,相 対 立 もして い たが ,前 者 に対 し後者 がす ぐれ て い た。詩 人 であ り,文 学愛好者 として の テ ィー クや 芸 術愛好者 として の ヴ ァ ッケ ンロー ダー は哲学 を殆 ん ど重要視 して い なか った 。 そ の他 の ロマ ン主義 者 は哲学 と詩 , 自然 と宗教 ,倫 理 と国家 , と くに ドイ ツ 並 びに諸 外 国 の文学 史 の 問題 を重大 関心事 として い た 。 そ して 一 面 ,ゲ ー テ. (J.W.v.Goethe,1749∼ 1832),他 面 , ドイ ツ理 想 主 義 , と くに フ ィ ヒテ (J.GoFichte,1762∼ 1814)と のつ なが りが密接 であ った 。 第 2の 時期 の ロマ ン主義 は,青 年 期 ロマ ン主義 (Jungere Romantik),時 には盛期 ロマ ン主義 (Hochromantik),. 或 は 中間期 ロマ ン主 義 (Mittlere. Romantik)と 呼 ばれ て いるが ,大 体 ,1815年 までが考 え られ る。 ホフマ ン.

(6) 74. 転換期 における人間性論について(III). (E.T.AoHOrmann,1776∼ 1822)の よ うな詩 人は そ の作 品 の 大部分 を この頃 までに作 成 してお り,第 2の 時期 の 主 な中心 地 は ハ イデ ルベ ル グ. berg)で. (Heidel―. あ ったの で,Heidelberg Romantikと 呼 ばれ てい る。そ の 主 な代 表. 者 は ゲ レス (Gё rres,1776∼ 1848),ブ レ ン ター ノ (C.MoW.BrentanO,1778 ∼ 1842),ア ル ニ ム (A.v.Arnim,1781∼ 1831), グ リム兄弟 (Bruder Grimm:. J.Grimm,1785∼ 1863:W.Grimm,1786∼ 1859),シ ュ→ 1780∼. レト(G.H.Schubert,. 1860)な どで ,彼 らは この 時 期 の ロマ ン主 義 の 機 関 紙 『隠者新 聞』. (Zeitung hr Einsiedler)に お い て協 力 し合 って い たの であ る。 そ して そ の 背景 にお い ては哲学 的関心 が現 われ ,前 景 にお い ては歴 史的関心 , と くに ドイ ツ 民族 の 過 去 とそ の文化 的業績 に向け られ て い た 。 第 3の 時期 もし くは後期 ロマ ン主義 (SpatrOmantik)は 空間的か つ 精神 的 に最初 の 2つ の 時期 の それ よ りも広 が り,時 代 的 には30年 代 まで,若 千 の現 象 では19世 紀半 ば頃 までに及ん で い る。空 間的 に た とえば ,ウ ィー ン(Wien), シュ レジェン (Schlesien),ニ ュル ンベ ル グ (Nurnberg),ミ ュンヘ ン (Mun―. chen)な ど多 くの場 所 , と くにベ ル リン (Berlin)で は青年詩 人たちの機 関 誌 『年 鑑 」(Almanach,1804∼ 1806)が あ り,モ ト=フ ケー (Friedrich de la Matte‐ FOuqu6,1777∼. 1848),シ ャ ミソ (Aov.Chamisso,1781∼ 1838),ア イ. ヒェ ン ドル フ (Eichendor任 ,1788∼ 1857)な どが その代 表者 として 活 動 して い た 。 この よ うに ドイ ツ・ ロマ ン主義 の 中心 は イ ェー ナか らハ イデ ルベ ル グ に移 り,次 い でベ ル リンに移 動 した 。 そ して そ の 精神 的発展 は哲 学 的 ,宗 教 的 ,文 学 的 な大 きい シ ンポ ジウムに よ って イ ェー ナ の ロマ ン派 を生 み 出 し. ,. 次 い で 民族論や 国家論 ,或 は政 治や 社会 に つ い ての議論 が加 わ った。 さ らに 歴 史的関心 (Historische lnteresse)が とくに歴 史学 派 の 人達 ,た とえば. ,. グ リム兄弟 ,ザ ヴ ィニ ー な ど,ま た数 多 くの 特殊 専 門学 界に活発 に影 響 を及 ぼ した。 さ らに 自然哲学 (Naturphilosophie)と ともに, 自然 研 究 (Natu‐. rforschung)が これ まで よ りも強 力 に登 場 し,そ れ に 医学 (Medizin)ヵ 功ロ わ り,詩 や 絵 画 とともに,音 楽 が重要 な役割 を演 ず るよ うに な って い った:) 8)Paul Kluckhohn' ;a.a.o.,S.9。.

(7) 吉. 武. 夏. 男. しか し1806年 以後 に な る と,18世 紀世 界主義 (CosmopOlitanism)は. 75. ,高 ま. りつ つ あ る 自覚 的 なナ シ ョナ リズム (Nationalism)に 徐 々 に そ の 席 を譲 っ て行 くの であ った 。. (2) 上 に い ささか 触 れ た よ うな ヨー ロ ッパ 史 におけ る ドイ ツの ロマ ン主義運動 と歴 史的思惟 とが ,フ ラ ンス革 命以 来 の一 連 の 歴 史的事件 との 関連 にお い て 如何 な る変化 をひ き起 こ したか ,そ してそ の 変質 の 内容 は どの よ うな もの で あ ったか ,な どに焦点 を しぼ って 若千考究 して行 きた い 。 本 来 , ドイ ツ 国 民 が ヨ ー ロ ッパ 諸 国民 に対 して, ドイ ツ 国 は ヨー ロ ッパ 史 にお い て如 何 な る歴 史的状 況 の もとにあ るか とい うこ とを,は じめ て意 識 す るに い た ったのは,漸 くフ ラ ンス革命 及 びナ ポ レオ ンの ドイ ツ侵 田 各に よ っ て 驚愕 ・覚 醒せ しめ られ てか らの こ とであ った 。す なわ ち, ドイ ツ国 が フ ラ ンス革 命 及 びナ ポ レオ ンの ドイツ支配 の運命 に襲 われ るや ,旧 来 の封建 的. ,. 絶対 主義体 制 に よる ドイ ツの 後進性 と脆 弱性 とは ,完 膚 な きまでに暴露せ し め られずにはい られなかった。 そ して近代 ミリタ リズムの 原理 を生 み 出 した とい われ る革 命戦争 を経 て ,生 粋 の ミリタ リス ト・ ナ ポ レオ ンに よ って忽 ちの 中 に征 服 され ,神 聖 ロー マ 帝 国 の 瓦解 (1806年 ),チ ル ジ ッ トの屈辱 (1807年 ) な どに よ って,フ ラ ンス 軍 の極 度 の政 治的 ,経 済的搾取 を うけ るや , ドイ ツ 国民 は マ イネ ッケの い う:)文 化 国民 (Kulturnation)と して人類文化上 の 間 題 を追求す るだけ でな く,国 家 や 国民 ,権 力 な どの政 治上 の諸 問題 に 関心 を. もたざるを得なくなった。かのフィヒテ (JoG.Fichte,1762∼ 1814)が 「ドイ ツ国民に告 ぐ」(Reden an die deutsche Natbn,1807∼ 1808)の 連続講演 を行 なっ たのは,ま さにかか る状況の もとにお いてであった。 この ように, ドイツ国 民意識 の発展は,マ イネ ッケの い う,世 界市民主義 (Weltburgertum)か ら 9)Fr,Meinecke;Weltburgertum und Nationalstaat(Friedrich Meinecke Werke Bde V), S。. 10。.

(8) 76. 転 換期 に お け る人間性 論 につ い て (III). 国民 国家 (Nationalstaat)へ の 発展過程 にお い て,フ ラ ンス革 命 ,と くにナ ポ レ オ ンの侵 略 に よ っては じめ て,不 気味 に突 然 に, 日覚 め た もの であ り. ,. 爾 来 ,今 世 紀 にか け ての ドイ ツ とフ ラ ンス との 抗争 , ドイ ツの 西 欧か らの 分 化 的発展 を ひ き起 こ した 国家 意 識 ,ま た歴 史的意 識 も,不 運 に もここに そ の 端 を発 した もの とい って もいい過 ぎで は な い で あ ろ う。 この こ とに つ い て,第 2次 世 界大戦 後 の ヨー ロ ッパ 最 大 の 歴 史家 の一 人 と 目され て い た H.veス ル ビ ク (H.ve Srbik,1878,H。 10∼. )が. 「この世界震憾的なフ ランス革命は 自然法的国家並びに社会契約 を生み 出 し,そ の最高 の昂揚 を国民主権 の確立に見出した。 またこの革命は, 自由 0平 等 の原則 の勝利 (Triumph des Freiheits‐ und Gleichheitsprinzips)を もたらした。 さら にそれは諸国家世 界における旧勢力,個 々の歴史的諸国家,歴 史的社会秩序など を顛覆 させ て理性 の勝利 をもた らし,そ れは民主主義的民衆傾向の時代,諸 国民 とその輿論 の政治化 を導 き出 した。そしてそれは人間の宗教的結合 を完全に解消 し,1吾 性崇拝 (Kult des Verstandes)は 限 りなき抽 象 にか りたてられて,国 民 の うちにただ個 人の総和 だけ をみた。 さらに また暴力的な英雄ナポレオンは革命 の後継者 であるとともに,そ の克服者 とな り,フ ランス統一 国家 の形成者 となっ たが,彼 が理想的世界皇帝 でな くして,法 ,国 家,諸 国民 の暴力的執行者 となっ た とき,ま た 自己の帝国主義 が大 いなる人類的,国 民的理念を欠 くにいたった と き, 自らの人類的使命へ の確信 を喪失 して行 った。 なるほど,彼 は法の前 に平等 10) を保証 したが, 自由はその 中へ埋没 して行 った云々」 と述 べ るよ うに,革 命 の 目標 として の 人間 の 自由 ・ 平等 の 原則 とい う人類社 会 の理 想並 びに国民主権 の確 立 とい うフ ラ ンス 国民主義 理 想 の 実現 に よ って 旧来 の 封建 的 ,絶 対主義 時代 の社 会体制 の 顛覆 ,こ れ に代 わ る法 の 前 におけ る国民 の 平等性 は フ ラ ンスか ら出発 し,革 命 は 人類 的理 想 国家 とい う蜃 気楼 を魔性 の よ うに 出現 させ たが ,革 命 へ の ドイ ツ人の熱狂 は幻 滅 と敵対 関係 と に消 え失 せ て しま った 。 ドイ ツ 国民精神 におけ る両極性―革 命 へ の 熱狂 と幻 滅一 は ,先 ず 第 1に ,世 界支配者 に して世 界統 一 者 として の ナ ポ レオ ン崇拝 10)Heinrich Ritter von Srbik;Geist und Geschichte von Deutschen Human― ismus bis zur Gegenwart, Bdo I, Se168..

(9) 吉 武 夏 男. 77. と同時 に, ドイ ツ民族 及び ドイ ツ文化 の圧 迫者 として の コル シカ人ナ ポ レオ ン否認 が連続 的 に立 ち現 われ ,そ の 否認 は は げ しい憎悪 に転 化 して行 った 。 したが って , ドイ ツ 国民意識 発生 の 根源 は ,始 源 的 な 自由 へ の 熱望 の 嵐か ら 発 した もの で,そ の勃 興 は と くに ,プ ロ イセ ン国家 にお い てナ ポ レオ ンの ド イ ツ民族 の 人格 1生 侵犯 に対 して起 こった もの であ った 。 そ して それは ます ま す精神 的 ・情感 的 lζ 深化 され ,激 化 した民族 意 識 を覚 醒 せ しめ る精神財 と結 び つ い て い った 。 なお また Hevo S rbikが ドィ ッ 的運動 (Deutsche Bewegung)と. して総 括 し. て い る よ うに:1)ド イ ッ古典 主義 と ドイ ツ ・ ロマ ン主義 とは,決 して著 しい対 照 をな して い るの では な く,弁 証 法 的 な関係 にお い て相互 に交 流 し合 って い た 。 そ して初期 ロマ ン主義 者 は い わば 「 第 2の 世 代 」(Zweite Generation) として古典 主義 者 として の仕事 を継承 しうる能 力 と可能性 とを も って い たが. ,. 変 か ら1815年 後 に根 を張 った ドイ ツの一 大対 彼 らは 1792∼ 93年 の 革 命 の 急、 抗運動 の 哲学 的影響 を受 けて ,忽 ちに して これ まで とは異 なった基 本的方 向 を とって発展 した の であ る。彼 らは と くに革 命 の 急進化 を直接 の 導 火線 として. ,. 1792∼ 93年 にか け ての92年 8月 10日 の諸事 件 及び 9月 殺 数 ,共 和革命 ・ 恐怖. 政 治 ・ 革 命戦争 へ の 発展 ,さ らにナ ポ レオ ンの侵 略 ・ ドイ ツ支配 に対 す る精 神 的反撃 に よ って一 段 と強化 され るに い た った 。す なわ ち, ヨー ロ ッパ の 強 力 な逆 流 の 拠 点 として , ドイ ツの 生 活意志 は至難 な苦悩 と窮乏 ,物 質 的 ,精 神 的不 運 とい う重圧 の も とに ,新 た な生 活感情 を もって 自然法 的 独 断論 と知 性 主義 (Naturrechtliche DOgmatismus und lntellektualismus),ま. た 国家. や 社会 におけ る概 念的規 範 や 一般 法 則 の追求 (Allgemeine Regeln),さ らに 自然的共 同社会 の 原子 論化 (AtOmisieren),理 性 宗教 (VernunftreligiOn) の 構 成 な どに反抗 した の であ る。 この 意味 で ,ロ マ ン主義 は まさ し く精神 的 反革 命 (Geistige Gegenrevolution)の 性 格 をそれ 自身 にお い て 内包 して い た こ とを否定す るこ とは で きな い であ ろ う。 しか も今や ,ロ マ ン主義 時代 に お い て 啓 蒙 主 義 に 対 す る対 抗 的 傾 向 は最 高 潮 に達 した の であ る。す なわ ち. ,. 11)Heinrich Ritter von Srbik;a.a.0。 ,S.177..

(10) 78. 転換期 における人間性論 につ い て(I11). 啓蒙主義 の朗 快 直裁 な理性 を通 か に越 え た ところ の,人 間 と国家 0社 会 ・ 民 族 ・ 法 ・ 宗教 ・ 芸 術 な ど との 関係 へ の 発展 的傾 向 はす で に存 在 して い たが. ,. 今 や ,こ の傾 向 は全 く十分 に強 力 に成長 す るに い た った 。 尤 も,す でに これ よ りも早 く, ドイ ツの 思 想家 た ちは 旧制 度 の保守 的君主 制 ,権 力 国家体制 を嫌悪 し,そ れ に反抗 す る とと もに,フ ラ ンス革 命 の 力強 い感銘 の もとに ,国 家 や 国家 に対 す る国民 の 関係 を最 も興 味 あ る考 察 の対 象 としてい た。 た とえ│ム 1制罫己 70年 代 のいわゆ るシュツルム・ウン ト0ド ラング時代 の ネオー ヒューマ ニ ス トと して のヘ ルタLは 啓蒙主義 の世 界主義 (CosmopOli―. tanism)に 対 して民族主義 (Nationalism)や 歴 史主義 (Historism)ま た民 族 精神 (National Spirit)を 生み 出 した父 であ る とか ,或 は合理 主義 または 自然科 学 万能 の信 念に対す る ロマ ン主義 的 反逆 の 指導 者 であ る とか い われ な が ら12)彼 は時 々政 治的 な もの へ の 展望 をなす こ とが で きた 。 しか し国家 の 本 質 に対 す る彼 の 感覚 は ,究 極 にお い ては 自らの 人間性理 想 (Humanitatside―. al)に 発 す る もの であ り,結 局 また この点 にお い てその制 約 を見 出 した の で ・ ラ ン グ運動 の 中か ら高 ま った世 ぁ った:3)こ の ため ,シ ュツルム 0ウ ン ト・ ド 界的 な人間性理 想 は ,国 民 の政 治生 活 とい う現 実 問題 か ら遊 離 し,政 治的世 界 に対 す る感覚 を弱 め る結果 を生 んだの であ る。 この 時代 のヘ ル ダーが政 治 的理 想 の世 界 を建 設せ んが ため には ,当 時 の ロマ ン主義 者 た ちの よ うに,若 き世 代 で なけれ ば な らなか った 。 この 意味 にお い て,ヘ ル ダー の 頃 には,歴 史におけ る国 家 お よび国民 の理 念 とそ の現 実 的解 決 を促 進 す る強 力 な刺戟 と い うものは 欠け て い た ともい え るの であ る。 しか るに,ロ マ ン主義者 の 眼 は ネオー ヒュー マ ニ ス トの 関心 の 薄 い領 域 へ 鋭 く注がれ ,そ れ に 1つ の ロマ ン的色彩 を与 え た 。す なわ ち,ロ マ ン主義 者 た ちは国家 を国民 の 機械 的集 合 と解 す こ とを否定 し,遠 き過 去 にその根 源 を もつ 1つ の 共 同体 と考 え たの であ る。 た とえば , ノヴ ァー リスは しば しば 国 家 に つ い て , また個 人 の 国家 に対 す る関係 に つ い て深 く考 えた。 ノヴ ァー リ. 12)吉 武夏 男 ;甲 南女子大学 『研究紀要』 第14号 ,H4頁 。 13)FroMeinecke;Weltburgertum und Nationalstaat,S.39。.

(11) 吉. 武. 夏. 79. 男. スの国家 とは,市 民 が公共社会 (Gemeinwesen)に 主体的に関与 し,市 民的 生 7舌 と政′ 台白 虫 勺■ i舌 とが意識白 目Iに 同 勺に本 合す る とい う関係に基づ くべ きもの であった。彼 はフ リー ドリッヒ大王の君主政体 の機械的国家 (Maschinen‐ hafte Staat der friederizianischen Monarchie)に. 反発 した点にお いて も. 国民国家的な考 えを抱 いていた。 しか しまた彼は フ ランス革命 に感激 した 1 人である といわれ うるが,彼 は国家 を実際 1つ の 緊密 な個性. (Individualitat). として, しか も完全 な規範 国家 (Normalstaat)を 欲す る人々の合理 主義的 意味にお いてでな く,歴 史的意味における1つ の個性 (Individualitat im ges― chichtlichen Sinne)と して眺 めたのであった。 しか しそれが如何 なる形式 をとるべ きであるか とい う点は,彼 には重要 な事柄 でなか ったが,彼 は君主 国 と共和国 とを総合 したような国家 を望 んでいたのである。その場合 , とく に彼に とって, ドイツ国民 とは専 ら文化国民 (Kulturnation)を 目指 し,そ れに ロマ ン的な色彩 をつ け加 えたが,そ の究極 の 目的は人類全体 にあった。 彼は1799年 の 『キリス ト教即 ヨーロッパ』(Die Christenheit oder EurOpa)に 関 す る注 目すべ き論文 にお い て,中 世 の キ リス ト教的 ヨー ロ ッパ文化 を輝か し く描写 し,宗 教改革お よびそれに続 く精神的 ・政治的発展に濃 い暗影 を投 じ て い るが, しか し今や ヨーロ ッパ のすば らしい新時代 のために夜が明けは じ め,こ の カ トリック教的 中世 の美 しい時代 (Die schOne Zeit des christ― kathOlischen Mittelalters)が 若返 って新 しい形態にお いて,再 び復活す る であろ う, と確信 して いた。彼 は近代 の国家世 界の分裂 (Zerrissenheit der neueren Staatenwelt)に 対 して,こ の時代 の「普遍的キ リス ト教的結合」(All‐ gemeine christlicher Verein)を. 対 立せ しめ,世俗 的な ものに優位 を与 えた宗. 教改革 (Reformation)を この分裂 の責任 者 であるとした。そ して近代 の強 大 な権力国家 (Machtstaat)の 出現,そ の拡張 と自決衝動 など,要 す るに政 治 の世俗化 は,彼 には堕落 (Abfa11)で あ り,纂 奪 (UsurpatiOn)で あるよ うに思われた。 この ように, ノヴ ァー リスは時代 の動乱 の 中に確 乎 たる根拠 を見出さんがため,彼 は国民国家 の地盤 を手探 りしていたが,そ れは近代的 世俗 国家 の地盤 ではな く,キ リスト 教的な ロマ ン的世 界主義 に支配 された国家.

(12) 転換期 における人間性論について(III). 8θ. であ った 。 また ノヴ ァー リスは プ ロ デ ス タ ン テ ィ ズムや 啓蒙主義 を極 め て嫌 悪 して い た とは い え,そ れ らが獲得 した最上 の もの ,す なわ ち内面 的 ・ 精神 的 自由 (innere geistige Freiheit)を 決 して放 棄 しよ う とは しなか った 。 彼 は個性 的 自由 (individuelle Freiheit)と 世 界的統 一. (Un市 ersale. Ein―. 14). heit)と の調 和 を夢 見 て い たの であ った 。 この ノヴ ァー リス と同 じロマ ン主義者 フ リー ドリッヒ 0シ ュ レー ゲル もま た,青 年 時代 では,フ ラ ンス革 命 に対す る彼 の 関係 は決 して絶対 的 な嫌 悪 を 示 さなか った 。 彼 は政 治思 想家 として フ ラ ンスの 自由 に 感 激 し,『 共和主義 の 概念に関す る試論,1798』 (Versuch uber den Begriff des Republikanismus,1798) を書 き,そ こにお い て ,「 世 界共和 国」(Weltrepublik)を 夢 み , 自然法 的 ,民 主主義 的 な世 界主義 に熱 中 して い た 。今 や また彼 は ノヴ ァー リスが 主 張 した よ うな,あ の 宗教 的 ・ 教会 的 な,ロ マ ン的普 遍主義 に沈潜 してい るので ある。 そ の 後 の シ ュ レー ゲルは,1808年 自ら妻 とともに カ トリ ック教 に 改宗 し,オ ー ス トリアに移 って カー ル 大 公 の 書 記官 とな り,オ ー ス トリア との 関係 を も つ よ うに な った 。 彼 は,1810年 ごろ最盛期 を迎 えて い たナ ポ レ オ ン帝 国 に反 「真 の帝国」(wahre Kaisertum)を 提 起 し,利 己的 な支配欲 と生 命 の な い 対 して. ,. 死せ る機構 (Mechanismus)と 魂 のない中央集権制(sedOSen Zentralismus)と を基礎 としたナポレオンの普 遍的体 系 (Universalsystem)に 反 対 して,宗 教 的・ 倫理 的理 念 を基礎 とした普 遍 的体 系 を持 ち出 した。 そ の 際 ,そ れは神聖 同盟 (heilige Allianz)お よび王 政復 古 時代 (Restaurationszeit)の 精 神 的 根 源 と. 前 提 とをます ます 明 らか に して い つた。 そ して カ トリック教徒 とな った ロマ ン主義 者 シ ュ レー ゲルは,す でに共 通 の封建 的 ,身 分 的 な制 度形態 (standische. Verfassungsform)を. ,す べ て の 国民 の 間 の. 1つ の紐帯 として形成 しなければ な. らぬ と考 え てお り,そ して 彼 はや が て容 易 に諸国民間の なお一 層前進 した普遍的 紐 帯 を教権割l度 (Hierarchie)の うちに見 出 し,か つ これ を賛 美す るよ うにな っ こうして今 や 国民主義 (Nationalism)と 普遍主義 (Un市 ersalismus) たの であ る。 とが 最 も美 しい調 和 の うちにあ るこ とを,確 信 した の であ った 。. 14)Fr.Meinecke;a.a。. 0。 ,S.68。.

(13) 吉. 武. 夏. 男. 81. しか し この解 決 は諸 国家 ,諸 国民 の真 の政治的 自律 (pOlitsche Autonomie) を犠 牲 に して のみ 可能 であ った 。 か くして ,こ れ らの ロマ ン的一普 遍主義 的 歴 史観 (Romantisch一 universalistische Geschichtsaurassung)に. おい て. は ,近 代政 治的 な考 え方 を欠 い て い た とみ るこ とが で きる。 フ ラ ンスの世 界 支配 に対 す る ロマ ン主義 者達 の 戦 い とは,か か る性 質 の もの であ った 。 そ こ で, ドイ ツ・ ロマ ン主義 の思 想構 造 におけ る主 な特徴 を要 約す る と,「 主観 的 陶酔 」,或 い は 「情感 と宗教心 重視 」,ま た 「歴 史 と伝 統 の 擁護 」,「 中世 的 な る ものの 賛 美」 な どの 要素 を含 ん でお り,な お そ の 上 啓蒙主義 の 普 遍主義 ・ 世 界主義 に対 しては個性 主義 ・ ナ シ ョナ リズム を追求 した。 と くに ドイ ツ 。 ロマ ン主義 に包含 され て い た 本質 的要 素 として の 非 合 理 主 義 (Irrational―. ismus)は 啓 蒙 主 義 の理 1生 以上 の もの ,合 理 に尽す こ との で きな い非合理 を 内に含み ,啓 蒙主義 の理 性 の よ うに,た だ合理 的 な ものの相対 的進 歩 の 思 想 に甘 ん じるの では な く, 自己 の精神 の 内面深 く絶対 的 な もの を把握す るこ と を求 め た 。 換 言す る と,絶 対 的 な ものへ の理 想主義 がか え って,そ の過 去 の 歴 史的時代 にそれ ぞれ絶 対 的 な もの をみ るこ とよ りして,新 しい歴 史意 識. ,. い わゆ る歴 史主義 (Historismus)を 培 った よ うに 考 え られ るの であ る。 そ の場合 ,フ ラ ンス革 命 をめ ぐって の世 界観 的理 論 闘争 にお い て ,ロ マ ン主義 者 の現 実 の政 治 に対 す る思 想態度 には 2つ の 極端 な傾 向が み られ た。 そ の 1 つ は革 命 へ の 熱 狂か ら幻 減 へ の転化 を動 機 として ,反 動体制 を支持す る もの であ り,た とえば , ノヴ ァー リスや シ ュ レー グル に もみ られ た よ うに,ロ マ ン主義 は崩壊期 の封建 的 ,身 分 的 な制 度形 態や教 権制度 ,ま た キ リス ト教 的 旧教 の 中世 な どを,少 な くとも「美 しく輝 く時代」 また 「真 の帝国」 として美 的手段 に よ って復 活 しよ うとした り,革 命 後 の神聖 同盟や 王政復 古時代 の精 神 的根 源 と前提 とを形 成す る とい う反革命 的性 格 を内 に含 ん で い た。 もう 1つ の傾 向は1807年 の シユ タインーハ ルデ ンベ ル グ (Stein― Hardenberg) の 自由主義 改革 にみ られ るよ うに,革 命 の世 界主義 的 イデオ ロギー とこれ に対 す る夢 想的 反動理論 との 2つ の イデオ ロギー の侵 害 か ら ドイツの祖 国 を守 り ,. 歴 史的,社 会 的現実 に即 して個性 的 自由 と民族 の 自由・独 立 お よび民族 自決権.

(14) 82. 転換期 におけ る人間性論 につ い て(III)   つ  さ. 解体 された廃墟 の上 に,個 別的存在 と民族 の普遍的生活力 との間 に破壊. も. えてい た。 その場合,ド イ ツ0ロ マ ン主義 は,ナ ポ レオ ンの侵略・支配 に よ. 備   て  れ. をかち とろ う とす る国民 自由主義運動 を促進す るとい う革新的 な性格 を. た関連 を再建 しうる力 を探 し求 め た。 この ことにつ いて,マ イネッケが 「 決定点は,人 々が今や い た る ところで,古 典 派 の 陣営 にお い て も,ロ マ ン派 の 陣営 にお い て も (im klassischen wie im romantischen Lager)ス トア的, キ リ ス ト教 的 な,そ して また啓 蒙主義 に よ って再 び俗化 され た自然法 (Naturrechts) の古 い伝統 と袂 を分 つ こ とであ った。 これは なるほ ど,個 人 の理性 (Vernunft des. lndividuums)を 出発点 としては い たが,こ の理 1生 はあ らゆ る個 人にお い て同一 で あ る と見倣 し, したが って,そ の要求や 命令 を も普 遍的に妥 当す る もの とした の であ る。最善 の 国家 とい う理 想 (Das ldeal des besten Staates)は それに 由来 し この最善 の 国家 が普遍的 な道徳律 に絶対 的に服従す べ きであ る との要求 はそこに. ,. 発源 して い た 。 ところが, ドイ ツにお い ては,人 々 は理 1生 とそ の諸 理想や命令 の 普遍妥 当性 お よび同一 性 (Gleichheit)か ら離 脱 し,そ して生 の一切 の諸 力 の 個 性 的 多様性 (Die individuelle Mannigfaltigheit)お. よび それ らの生活力 の 各 々の. ものの うちにあ る特殊 な個性 的理性 (besOndere individuelle Vernunft)が. 支配 し. 15). てい ることを,理 解 しは じめ たのである云 々」. とい うように ,当 時 の ドイツでは ,最 早や 等 しい ものの 永劫 の繰 り返 し(Ewige. Wiederkehr des Gleichen)で はな く,独 特 ,無 比 な る もの の 永劫 の 新 生 (Ewige Neugeburt des Eigenartig‐ unvergleichlichen)が 考 え られ るこ ととな った 。 この 各個 性 に対 す る新 たな感覚 (Individualitatssinn)と その 多 元的 な展 開 とは ,マ イネ ッケが ヘ ル ダー ,ゲ ー テ,浪 漫主義 者 の うちに見 出 固体は筆舌 に尽 くし難 し」(Individuum est ineffable)(Goe‐ した ところの もの で ,「 イ the tO Lavater,1780)と い う新 たな思 想 原理 は火. (Feuer)の よ うな もの で. あ った 。す なわ ち,こ の 火は最初 は,屡 々最 も軽 い最 も燃 え易 い物 質 ,い わ ば 自らの個 人生 活 ,芸 術 ・文学 の世 界 を真先 きに ,次 い で最 も重 い物 質 に も. ,. と りわけ ,国 家 に まで燃 えつ い たの であ る。 15)Fro Meineche;Die ldee der Staatsrason in der neueren Geschichte (Friedrich Meinecke Werke Bd。. 1),S。 424。.

(15) 吉. 武. 夏. 男. 83. 以上 の ように,い わゆる ドイツ 0ロ マ ン主義者は,彼 らが最初 に閉 じこ も って いた学問 0芸 術 の領域か ら出て,国 家,政 治,社 会,国 民 にひそやかな 関心 をもつ にいたったのであるが,こ の ロマ ン主義者 たちの準備 した道 を歩 みなが ら,そ れ を越 えた ものが いわゆる歴史学派で,そ れは重大 な政治 に対 し深 い基礎付け と価値付 け を'行 ない,殊 にラ ンケ にお いて,政 治はよ り明瞭 さ と透明 さをもち,よ りよき歴史的,経 験的基礎付け と学問的形成 とを構築 す るに至 るので あ った。. (3) これ まで も屡 々指摘 した よ うに ,歴 史 と伝 統 ,ナ シ ョナ リズム ,個 性 主義 な どを重視 した ロマ ン主義 は先 ず ,法 学 ・ 経 済学 お よびそ の 歴 史学 派 の 形成 に も影響 を及ぼ した 。 い わゆ る歴 史学 派 (Historische Schule:Historical. school:EcOle historique)は ,大 体 ,19世 紀 の ヨー ロ ッパ , と くに ドイ ツ にお い て顕著 に生 成発展 した もの で,ド イ ツ歴 史学 派 (Die deutsch histori―. sche Schule)の 成立 は,解 放 戦争. (Befreiungs― kriege,1813∼ '15)前 後 か. ら1848年 の革 命前後 に い た る復 古 の 時代 (Restaurationszeit)を 背景 として い た 。 それ は カ ン ト学 派 ,シ ェ リン グ学 派 ,ロ マ ン派 , と りわけ ,ヘ ー ゲル 学 派 と相並 ん でそ の体 系 を完成 し,当 時 の 精神 科学 界におけ る 1つ の 有 力 な 学 的勢 力 として重 きをな して い た 。後 述す る よ うに,こ の 歴 史学 派に共通 の 核心 的思惟 方法 は,一 般 に歴 史主義 (Historismus:Historism:Historicisme) とい う名 で呼 ばれ て い る思潮 を もって特 徴 付 け られ る。 そ れ は ク ロ ー チ ェ. (B.Croce,1866∼ 1952)の い うように,18世 紀の「哲学の世紀」に対 して 19世 紀をして「歴史の世紀」たらしめ, ドイツ史学 を頂点 とするヨー ロ ッパ. 近代史学 を創造する原動力 となるものであった:6)ぃ ぅまでもな く,歴 史主義 の本質は,単 に精神科学的また歴史的方法 (Geisteswissenscha■ liche und geschichtliche Methode)に 止 るものではな く,そ れ以上 の意味 をもつ 1つ 16)B.Croce;Zur Theorie und Geschichte der Historiographie,S.236..

(16) 84. 転換期における人間性論 について(III). の世 界観 ,人 生観 (Welt― und Lebensaurassung)と して影響 力 を も って い た 。す なわ ち,そ れ は18世 紀 70∼ 80年 代 の シ ュツル ム ・ ウ ン ト・ ドラ ン グ運 動 お よび転換期 の ロマ ン主義 一理 想主義 (ROmantik― Idealismus),ヒ ュー マ ニ スム ス (Humanismus), 自由主義 (Liberalismus),個 性 主義 (Individual―. ismus),国 民主義 (Nationalismus)な どの沃 土 の上 に力強 く育 て上 げ られ,19 17). 世 紀 ヨー ロ ッパ世 界 を支配 す る思潮 の重要 な一 面 を展示 す る もの で あ った。 この こ とにつ い て, マ イネ ッケ は「歴 史主義 の発生 こそ,几 そ西欧 の思惟 が体験 18). した最大 の精神革命 の 1つ であった云 々」 と述 べ るよ うに,歴 史主義 の 成立 こ そが ,西 欧精神 史 におけ る革 命 の 1つ を成 し遂 げ たの で あ った。 そ もそ も,歴 史学 派 の 名称 は ,歴 史法学 派(Die histOrische Rechtsschule) の 主 な代 表 と見倣 さる うるザ ヴ ィニ ー (F.K.v.Savigny,1779∼ 1861)に 発 源 して い る, とみ られ る。新 法典 制定可 否 の 論争 が 行 なわれ た とき,ハ イデ ルベ ル グの 法律学 者 テ ィボー (AoF.J.Thibaut,1772∼ 1840)が 1814年 「 ドイ ツ国一般 民法 の必要について」(Ueber die Notwendigkeit eines allgemeinen bむ ger lichen Rechts fur DeutscHand,Heiderberg,1814)と. ‐. い う冊子 を公 に して. ,. 自然法論 の立 場 か らす る法典 制定論 を主 張 した。 これ に対 し,ザ ヴ ィニ ー は 「立法並びに法学に関す る現代 の任務について」 (Vom Beruf unserer Zeit fur Gestzgebung und Rechtswissenschaft,Heiderberg,1814)と. い う晋 卜子を公 に し. ,. テ ィボー の 主 張 を反駁 す る ともに, 自 己 の 理 論 の 綱 領 を宣 明す るに い た っ た 。 そ してザ ヴ ィニ ー は 自己 の理 論 に よる法学研 究 の 発達 を促 進す るため 「活 発 な学 派」 を成立 せ しめ るべ き企 図 を明 らか に した。す なわ ち,1814年 ザ ヴ ィニ ー はかか る学 派 を計画 的 に設立 して,そ の 機 関 雑 誌 「 歴 史 法 学 雑 誌 」. (Zeitschrift hr geschichtliche Rechtswissenschaft,1815∼. 1850)を 翌. 年 か ら発刊 し,そ の 創刊 の辞 「本誌 の 目的について」(Ueber den Zweck dieser Zeitschrift)に お い て も自己 の立 場 を宣 明 した。 そ こにお い て,ザ ヴ ィニ ー. 17)吉 武 夏 男著 『マ イ ネ ッケ史学 の研 究』387頁 。 18)Fro Meinecke;Die Entstehung des HistOrismus(Friedrich Meinecke Werke Bde Ⅲ ),S.. l..

(17) 吉. 武. 夏. 85. 男. は歴史的観点 の全精神科学へ の適用 を十分 に意識 して,「 い わゆ る歴 史学 派 (Geschichtliche Schule)と 非歴史学派 (Ungeschichtliche Schule)」. と. を対 立 させ ,非 歴史学派におけ る法史研究 の不 当な軽視 に反対 して, 自己の 創設 した学派 を明 らかに歴史学派 と呼ぶに いたったのである:9)こ の創刊 の辞 は,「 任務」(Vom Beruf)の 要約 と見倣 され るべ きものであるが,こ の「任務」 は,従 来支配的であ った法 の合理主義的解釈 に対立す る所 の歴史的性格 に関 す る理論 であったのみ ならず,ロ ー タッカー の説 くように:0)「 個別的妥当性 を越えて歴史学派 とい う強力な有機体 (Machtige organismus der histor‐. ische Schule)に 根底 を提供 しうるような明瞭 で確 固たる世界観がその 中に 表明されて い る」歴史学派の綱領書 (PrOgramm― Schri乱 )と もい われ るも のであ った。 このザ ヴ ィニーの主張に基づ いて創立 された法律学におけ る歴 史学派は,ア イヒホル ン (K.F.Eichhorn,1781∼ 1854),プ フタ(GoF.Puchta, 1798∼. 1846)等 によって厳密 に体系付け られ,そ れは 自然法 に対す る批判克. 服 を引 き受け,合 理主義的 自然法学説 の主観的原理 に対立 して,法 を左右す る客観的権威 を確立 しようとした。その各種 の業績 は,特 殊 な法学 の領域 を 越 えて一般思想界に も重大な影響 を与 え, とくに経済学 ・歴史学 ・言語学 な どの新 たな研 究方向のために もその先駆 たる意義 をもつ にいたったのである。 なお経済歴史学派 (Die historische S chule der Nationalё konomie)は. ,. 歴史法学者 ザヴ ィニー,ア イ ヒホル ン等 の影響 を受け て,そ の「歴史的方法」 を経済学 に適用 した もので,そ れは歴史法学派 の挿木 として約30年 遅れて成 立 した:1)こ の経済歴史学派は,ス ミス (A.Smith,1723∼ '90)や マルサス (T. Ro Malthus,1766∼ 1834), リカー ド (D.Richardo,1772∼ 1823)な どを代表 19) F.K.v.Savigny;Ueber den Zweck dieser Zeitschrift,zefog.R。. ,Bd。. 1。. ,1815,S。 1-17。. 20)E.ROthacker;Einleitung in die Geisteswissenschaft,S.45。 『経済学説全集』 第 5巻 所収参 照 。 21)白 杉庄 一 郎著 「歴史派経済学」 『経済思想史』第2巻 所収参 照 。 大 河内一 男著 「歴史派経済学 に於ける歴史的方法」 出 口勇蔵著 「経済学 と歴史意識」参照。 『経済史要』 所収参照。 宮下孝吉著 「経済史学 の 成立」 『経済学大辞典』 第 3巻 所収参照。 「歴 史学 派」.

(18) 86. 転換期における人間性論について(III). 者 とす る古典 経 済学 に対す る批 判 者 として, ドイ ツの現 実 に触 発 され ,形 成 され て い った 。 そ め端 初 は フ リー ドリヒ・ リス ト (Friedrich List,1789∼. 1846)の 1841年 の 『政治経済学の国民的体系』(Das nationale System der poli‐ tischen Oekonomie,1841)に 発す る,と され る:2)こ の書は,本 来西欧的な古典. 経済学, とくにス ミスの経済学 , 自由貿易論 に対 し, ドイツの国益 へ の関心 の産物 であるとされ るが,こ の先駆者 の段階にお いてはその歴史的立場 は ま 「歴史的方法」 だ方法論的基礎付け を十分に与 えられてい なか った。 いわゆる は ロ ッシャー (W.Roscher,1807∼ '94)に いたって一 応 の確 立 をみたのであ る。 ロ ッシャーは 「この方法は,ザ ヴィニー=ア イヒホルンの方法(Die. Savigny‐. Eichhornsche Mothode)が 法律学に対 して獲得 したと同様の ものを獲得 しようと 欲するものである」とい うように,彼 がこの「歴史的方法」 を経済学 の方法 と して提示す るに至 るのは,1843年 の『歴史的方法による国家経済学講義綱要』 (Grundriss zu Vorlesungen uber staatswirtschaft nach geschichtlicher Methode,. 1843)に おいてであった。彼はこの 「歴史的方法」を経済学の領域 に適用 し ,. 近代国民経済の発展法則を示そうとした。さらにヒルデブラント(B.Hildebrand, 24)(Die Nationalё. 1812∼ '78)の 1848年 の『現在並びに将来の国民経済学論』. kono‐. mie der Gegenwart und Zukunft,1848), クニース (K.Knies,1821∼ '98)の. 22)大 河内一男著『ス ミス とリス ト』参照。 23)ウ ェーバー著・松井秀親訳 「ロ ッシャー とクニース」 I 「ロ ッシャー の歴史的方法」 『社会科学ゼ ミナー ノ ズ2)』 所収参照。 I「 一男著 ウ ィルヘ ルム・ ロ ッシャー」参 照。 大河内 前掲書 白杉庄一郎著 前掲書 I「 ロ ッシャー」参 照。 シュモ ラー著・今野国雄訳 「ロ ッシャー論 」 F社 会主義 と歴史学派』. 「経済思想発展史 H」 所収参照。. 24)大 河内一男著 白杉庄一郎著. 前掲書 H「 ヒルデ ブ ラン ト」参 照。 前掲書 H「 ヒルデブ ラン ト」参 照。.

(19) 吉 武 夏 男. 87. 25)(Die politische OkonOmie vom Stand‐. 『歴史的方法の立場からの政治経済学』. punkt der geschichtlichen Methode,1853)な どがあげられ,こ れ ら歴史学派の. 経済論は,諸 国民 の経済的発展 を歴史的 に究 明 し,出 来得れば その歴史的発 展 の法則性 を実証的に発見す るこ とによって,そ の発展 を促進す る経済政策 論 として形成 しようとす るものであ った。其後 1883∼ 84年 ,こ の「歴史的方 法」 をめ ぐって, ドイツ国民経済歴史学派 の巨頭G.シ ュモ ラー (Gustav. Schmoller,1838∼ 1917)と オース トリア学派C。 メンガー (Carl Menger, 1840∼ 1921)と の間の「方法論争」 は,経 済学史上 よ く知 られて い る ところ 26). である。 この ようにみ ると,歴 史学派 の源流は歴 史法学派 に発 し, 1つ の学派 を形 成 し,理 論的体系 の 下に,実 践的に も政治,経 済,社 会生活上 に大 きい影響 を与 えた とい う点では, とくに ドイツにお いて顕著であ った。 もちろん,歴 史学派は ドイツ を中心 として形成 された ものだ とい え,必 ず しも ドイツの特 バ ーク(E.Burke,1729 産物 とは いい難 く,た とえば,イ ギ リスのエ ドモン ド。 ∼'97)は ,新 しい歴 史的精神 の覚醒 と関係 をもって いたが,そ れは 1つ の学 派 を形成す るに いたらず, 1つ の孤立的現象 として見倣 されて い る。 この場 合,考 慮 され るべ きこ とは,た だ一般 的条件 として先進資本主義 国イギ リス ウェー バ ー著 0松 井秀親訳 『社会科学 ゼ ミナー ノ 「 ロ ッシャー とクニ ー ス」 ズ10』 所収参照。 大河 内一 男著. 前掲書 H「 カー ル・ クニ ー ス」参 照 。. 白杉庄 一 郎著. 前掲書 Ⅲ「 クニ ー ス」参 照 。. "I」. ntersuchungen uber the Methode der Sozialwissenschaften und der poli‐. tischen Okononlie. insbesondere,. vOn Dr.Car Menger, Leipzig,. Verlage. vOn Duncker & Humboldt, 1883. "Zur MethOdologie der Staats― und Socialwissenschaften:' vOn Gustav Schmoner,in'uahrbuch fur Gesetzgebung,Verwaltung und Volkswirtschaft im Deutschen Reichi'Jahrgang.7。. 1883。. "Die lrrthumer des Historismus in der Deutschen Nationa1 0konOmier' vOn Dr.Carl Menger, Wien,1884。.

(20) 88. 転 換期 にお け る人間性 論 につ い て (III). の政 治的 ,経 済的 ,社 会的発展 に対 して, ドイ ツの よ うに資本主 義 的 発展 の 遅 れ た 後進 国 では ,そ の 先進性 と後進性 との矛 盾 か ら,こ れ まで の 支配 的 な 思 想的支柱 とな って い た西欧 的 な 自然法学 ・ 啓蒙 史学 ・ 古典 経 済学 に対 す る 懐 疑 ・批判 ・ 反発 とい う形 を とって歴 史的方法 ・ 歴 史研 究 の上 に歴 史学 派が 必 然的 に形 成 され て い った とい うこ とであ る。 なお且 つ ,フ ラ ンス革 命 の 急 進化 とナ ポ レ オ ンの ヨー ロ ッパ 支配 を契機 として,そ れ らは一段 と深 く批判 され る よ うに な った, とみ られ うるの であ る。 た とえば ,ザ ヴ ィニ ー の 民族 精神 の 概 念 を 1例 に とれば:7)そ の 概 念 の うちには ,第 1に. ,ナ ポ レオ ン的支. 配 に反抗 す る国民 的傾 向,第 2に ,フ ラ ンス革 命 の うちに抽 象的啓蒙 主義 の 君臨 をみ る保 守 的傾 向 ,第 3に ,専 制主義 の 法律独裁 に対 抗す る民族 的 , 自 由的傾 向が含 まれ てお り, と くに強制 的 なナ ポ レ オ ン法典 の 拒絶 が まさ し く 中心 課 題 であ った, と考 え うる よ うな もの であ る。 ここにお い て,法 史家ザ ヴ ィニ ー と歴 史家 ラ ンケ とをみ る と,そ の 取 扱 う 史料や 専 門的研 究分 野 ,ま た精神生 活上 の 個 人的 ア クセ ン トにお い て相 異 な るものが あったが , 両者 の根 本思 想 は合理 主 義 に対 する共通 の 反抗 (Gemeins‐. chaftliche FrOnt gegen den Rationalismus)か ら出発 したザ ヴ ィニ ー にお い ては 民族 (Volk)お よび民族精神 (Volksgeist)と 呼 ばれ て い る ものが. ,. (Leben),理 念 (Idee),精 神 (Geist),原 理 (Prinzip), 個体 として 国家 (Staat als lnd市 iduum),我 らの うちに存 す る祖 国 (Vater― ラ ンケ におけ る生命. land in uns)な どに該 当す るとみ られ る:8)そ こで,次 に歴 史的 であ る と同 時 に政 治的 な思 想家 として の ラ ンケの 歴 史的思 想 の特徴 について若千考察 したい 。. (4) 近代 ドイ ツ史学 は,歴 史法学 派 と全 く類似 した発展 を とげたの であ るが. ,. E.Rothacker;Savigny,Grimm,Ranke. Ein Beitrag zur Frage nach dem Zusammenhang der HistOrische Schule,H.Z.,128,S.428。. Gov.Be10w;Die deutsche Geschichtschereibung, S。 24..

(21) 89. 吉 武 夏 男. こ とに ニ ー ブ ー ル (B.G.Niebuhr,1776∼ 1831)は 史料 批 判 (Quellen― Kritik) を も って ヨー ロ ッパ 近 代 史学 の 新 時 代 を画 し,歴 史 を独 立 の 科 学 (Wissens―. chaft)に まで高 め た 。 ニ ー ブ ー ル の 主 著 『ロー マ 史』(Rё mische Geschichte,3. Bde.18H∼ 12)は ,史 料 の 文 献 学 的批 判 に よ って ロ ー マ 太 古 史 を覆 う神 話. ,. 伝 説 の 雲 を払 拭 し よ う と した もの で ,近 代 の批 判 的 歴 史 の 起 点 とな る もの で あ った 。 ラ ンケ は ニ ー ブ ー ル の 方 法 を継 承 して ,大 半 の ヨー ロ ッパ 諸 国 の 文. 書館 の 史料 を渉猟 し,利 用す るこ とに よ って近代 史 の批 判 的研 究 の上 に 画期 的進 歩 を もた ら し,近 代 史学 の 父 として の栄 を担 うこ とに な った 。 この 意味 にお い て ,一 般 に19世 紀 史学 史は ニ ー ブー ル の批 判 的方法 の 樹 立 か ら出発 し. ,. ラ ンケが それ を継承 し,史 料 の文献学 的批 判 と客観 的歴 史叙述 とを確 立す る こ とに よ って一 応 ,完 成 され た, とい って差 支 え が な い であ ろ う。 しか もそ の場 合 ,ニ ー ブー ルか ら正 し く学 び とった ラ ンケの 史料批判 の 根底 には彼独 自の個性 的 な根 本特 質 が 横 たわ ってお り,そ の 方 法 は 自己独 自な もの に 高 め られ た もの であ った 。す なわ ち,こ れ まで もしば しば指摘 した よ うに,シ ュ ツルム ・ ウ ン ト・ ドラ ン グ時代 のヘ ル ダーや ゲー テ,フ ンボル ト (K.W.v.. Humboldt,1767∼ 1835)な どに よ って 発見獲得 され た新 た な人間生 活 原理や 考 え方 として個性 の 原理 (Indi宙 dualitatsprinzip)を 歴 史的生 に適 用 した も のが ,ほ か な らぬ この ラ ンケ であ った とい うこ とであ る。 彼 に よれば ,個 々 の 人間 は もちろん ,歴 史的諸 国家 ,諸 民族 ,社 会 ,宗 教 ,文 化 な どの 集 団的 人格 ,否 ,世 界史す ら個体 として把握 され て い た 。 と くに ラ ンケ は国 家 の個 性 的把握 と世 界的 =ヨ ー ロ ッパ 的視 点 とを結合 した 。 そ して彼 は「一体,自 分 の考 えは ます ますかたまり,世 界史的 とより外に歴史の書 き方はない とい う考えは ます ます確め られた。われわれ の歴史のすべ ては世 界史をつ くり出す に役立つだけ である。個体 はその一般的関係にお いて知 るほか方法はない云々」 とい う。 しか しこの よ うな歴 史的 な考 え方 は,当 時 にお い ては18世 紀啓蒙 史学 に対す る反 逆 を意 味 してお り,そ の 反逆 は ,91オ の 永 き生涯 に亘 るラ ンケの 歴 史研 究 を 貫 く根 本 原則 ともい うべ き もの であ った 。 啓蒙 史学 は普 遍 的 人間性 ,或 は人 29) L.vo Ranke;1835,Feb。 18 an Ritter,So W。 ,Leb。. 270。.

(22) 9θ. 転換期 における人間性論 について(III). 間共通不 変 の理性 とい う思 想 を理論 的前提 とし,こ れ らの 人間 の 本性や理性 は各時 代 や 民族 ,文 化 ,階 級 の個性 的独 自性 と多様性 , またそ の 変化 ,発 展 とか らは るか に超越 して,無 時 間的 に 永遠不 変 な もの と見倣 して い た 。 そ し て それ は進 歩 と完成 ,汎 人類 的理 念,文 明 の理 念,中 世 暗黒 史観 を中心 とし て展 開 し,そ の 歴 史叙述 の 基本 的特徴 は啓 蒙主義 的 立 場 か ら歴 史 を道徳 的 政 治的実例 集 (Eine mOralische und politische Beispielsammlung)と. ,. 見倣 し. ,. 民衆 を教 訓せ ん とす る典 型的 な実 用 主義 的歴 史叙述 とい うところにあ った 。 か く,啓 蒙 史学 は時 と処 とを越 え て人 間本性 の 同質 (Gleichartigkeit)と 不 変性 (Stabilitat)に 対す る確 信 に基づ い て,人 間 的 事 物 の 単 一 性 と同 質性 (Einheit und Gleichよ rtigkeit)と を歴史の本質とし,歴 史とは幾度となく. 繰返される歴史的範例集 (Historische Beispiele)で あるように見倣 してい た 。 これ に対 して, ラ ンケ は そ の処 女作 『ロマ ン風 ゲルマ ン風諸 民族 の歴史』 (Geschichte der rё manischen und germanischen Vё. lker,1824)の 冒頭 にお い. て 「ひ とは歴史に,過 去 を裁 き,未 来に役立た しめ るために同時代 入を教 えるとい う任務 を与えてい るが,現 在 この試みはかか る高 い役 目を引き受けるものでな く ,. それが本来如何であ ったか を単 に示す とい うこ とだけ (bloss zeigen,wie es eigentlich gewesen.)が 私 の意図す るところである云々」 とい う謙虚 な言葉 は. ,. か え って歴 史学 の新 しい 出発 を示す福 音書 の よ うに み な され た 。 ラ ンケ に と って,歴 史は啓蒙 史学 にみ られ た よ うな,道 徳政 治 の教 材 で も,ま た召使 い で もな く,人 生 の 範例 で もな く,未 来 に対 す る予 見 ,予 測や現 在 の 利害 とは 関係 な しに,た だ 本 来 それが あ ったが ままの 姿 にお い て現 実 的 に認識探 究 さ れ るべ き もの であ った 。 ここか らラ ンケの敬 虔 な即 物主義 (heilige sachlich―. keit),事 実 に対す る没我 的 なっ したが って客観 的 な事 実 へ の 献 身 (Hingabe. an die Sache)が 生 れ たの であ る。確 か に,ラ ンケ は常 にただ 「 それ は本 来 ど うであ ったか 」 を示 さん と欲 し,数 世 紀 の 強大 な力 を浮 び上 らす ため には 「私はいわば私 自身を消 し去 って,た だ事実 をして語 らしめ る云 々」 と い う彼 の 言葉 の よ うに ,彼 自身 の 自己 を好 ん で拭 き消 したほ どであ った:0). ,.

(23) 吉 武 夏 男. 91. しか もラ ンケ は歴 史事 実認識 は 常 に,最 も厳密 に批判 ,考 証 され た最善 の 史料 お よび遺物 か ら獲得 さるべ き とし,歴 史研 究 は史料 の文献学 的批判研 究 の 基礎 の上 に立脚す べ き こ とを強調 した。 か くして,ニ ー ブー ル ,ラ ンケ 以 来 の 歴 史学 は,史 料 批 判 に よる確 実 な事 実 に基 づ く実証 的 な近代 科学 の 1つ として発達 す る よ うに な った 。 しか しここに い うラ ンケの 実証 1生 は,18世 紀 フ ラ ンス 啓蒙合理 主義 ,そ して そ の一 種 の 昂揚 (Steigerung)と して の19世 紀 フ ラ ンス実証 主義 (Positivismus)と は本 質 的 に全 く相 異 な ってお り,そ れ に同感す る もの で なか った こ とは い うまで もな い 。 それ はむ しろ最 奥 の 形 而上 学 的根 拠 と結 び つ い て い たの であ る。す なわ ち,ラ ン ケは 当時 の ロマ ン ヾ 己 主義 の 影響 を受 け て 中世 文化 へ の 愛情 をよび起 こされ たが ,そ の′ 1青 的賛美 に共 鳴す るこ とは な く,ま た思 弁 的哲学 の 意 味 にお い て で な く,ル ター 的 プ ロ テス タ ン テ ィ ズム とキ リス ト教 的 ヒュー マ ニ ズム ,古 典 的 ,ロ マ ン主義 的 教養 か ら発展 した根源 的 で 自主 的 な宗教 的心 構 え とい うべ き もの に発源 して い た 。 も とも と,先 祖 代 々敬 虔 な新 教牧 師 の 家 に生 れ た ラ ンケの 宗教 観 は. ,. 18世 紀 啓蒙 史学 の進 歩思 想 との対 決 にお い て全 く自由に表現 され ,と くに『近 世史の諸時代 について』(Uber tte Epochen der neueren Geschchte,1854)の 序 論 にお い て 「人間の生活 (Leben der Menschheit)が 時代 を追 って向上す ると ころに進歩があるのであ り,そ れゆえ何れの時代 もその前の時代を完全 に凌駕す る ものであ り,し たがって,ま た最終 の時代 が常にす ぐれたものであ り,先 行す る時 代 は後続す る時代 の運搬者にす ぎない ものである」 と考 え よ うとす るな らば ,そ れ は 「神 の不正」(Ungerechtigkeit der Gottheit)と. い うこ とにな るであ ろ う. ,. と彼 は い うの であ る。 そ こで この啓 蒙主義 的見解 とは反対 に,ラ ンケ は 各時 代 は 直接神 に通 ず る とい う思 想 を も って対 抗 した 。す なわ ち,彼 は 「すべ て の各時代 は神 に直結す るものであ り (Jede Epoche ist unmittelbar zu Gott),あ らゆる時代 の価値は時代 より発生す るものに基づ くのではな く,自 己の存在その も のの うちにある (in ihrem eigenen selbst)」. と。 いいか え る と,各 時代 は過程. で な くて本質 であ り,そ の 原理 は それ 自らの 中 に内在す る もの であ って,外 31)Love Ranke;Geschichte und Pohtik,Alfred Krё ner Verlag,Leipzig,S.141。.

(24) 92. 転換期 における人間性論について(Ⅲ. ). 部 か ら与 え られ る もの では な い 。 す べ ての 時代 は次 の 時代 に よ って正 当化 さ れ るの では な い 。 そ こで,ラ ンケ は各時 代 は そ の まま個性 として全 く自由 に 考 察 し,時 代 それ 自体 の うちに独 自の価値 を認 め よ うとした の であ る。 した が って ,彼 は最 後 の 時代 が 最 も優 れ た時代 で,現 在 を最 高 の規 準 として過 去 の 時代 をす べ て裁 断す るよ うな進 歩思 想 に反 対 した の であ る。す なわ ち,彼 は 「神 の前では人類 のあらゆる世 代 は同等の資格 で現われる。しか して歴 史家 もま 32)と. た事件 をその ようにみなければならない云々」. ぃ ぅ。 この よ うな観点か ら. ,. ラ ンケ は 各時代 ,各 文化 の特殊 な個性 を とらえ よ うとした 。 そ して彼 は歴 史 を進 歩思 想 の 図式主義 か ら解放 し,そ の善 悪 ,美 醜 ,好 悪 ,利 害 を越 えて. ,. 歴 史事 実 の 真実 (Wahrheit)に 迫 り,そ の 厳密 な客観 的叙述 を最 高 の 原理 と した の であ る。 もとよ り,ラ ンケ もまた人類 史 の 観 念的核 心 として,ま す ます 高 ま って行 く潜勢 力 の一 般 的上昇 を前提 として い たか ,こ れ らの 潜勢 力は彼 に とって個 性 的 性 質 の もの であ り, したが って,普 遍的 な もの を時 に応 じ新 し くか つ 個 性 的 に 変 形 し,決 して直線的 に して予 測可能 な進 歩や 向上 の 線 (geradlinige,. berechenbar FOrtschritts― und Aufstiegslinie)に な ら され 得 る もの で な か った 。 ラ ンケ に よれば ,各 時代 は それ ぞれ一定 の傾 向 (Tendenz)を もっ てお り,或 る時代 には 1つ の傾 向がす ぐれ ,次 の 時代 には他 の傾 向がす ぐれ て い る。 それ ゆ え, 1つ の 時代 が そ のす べ ての分 野 にお い て他 の 時代 を凌 駕 す るこ とはあ り得 な い こ とで ,一 般 的進 歩 とい うこ とは考 え られ な い こ とで あ る。 もし何 らか の 意味 で,進 歩 とい うこ とが考 え られ る とす れば ,そ れ は 或 る時代 はあ る傾 向 にお い て凌 駕 し,他 の 時代 は それ とは違 った傾 向 にお い て凌 駕す る とい うこ と以 外 には な い とい うの であ った 。 この よ うに ,ラ ンケ は歴 史 を非理 1生 か ら理性 へ ,野 蛮 か ら文 明 へ の一 方 向 的 ,直 線 的前進 の過 程 として把 え た啓 蒙主義 とは勿論 ,ヘ ー ゲルの汎 論理 主 義 とも袂 を分 つ に至 ったの も正 に この点 にあ った 。す なわ ち,ラ ンケ に よれ ば ,あ らゆ る人間 は,ヘ ー ゲルの世 界精神 の学 説 にお い ては ,理 念に充 た さ.

(25) 吉. 夏. 武. 男. 9θ. れ た単 な る影像 もし くは幻影 であ るにす ぎず ,相 次 い で来 る人類 の諸 時期 や 諸 時代 は ,そ れ に よって い わば陪 臣 の 格 に下 げ られ (Mediatisierung),そ れ だけ では意 味 を持 た な くな って しま うであ ろ う, とい うにあ った 。 この啓 蒙 合理 主義 的進 歩思 想 とヘ ー ゲルの 先験 的世 界精神 の学 説 に対 して ,ラ ンケ は 人間 の具 体 的 な事 物 を個 別 的 に認識す る とともに ,全 体 的連 関 として とらえ よ う として い た 。す なわ ち,ラ ンケ は. ,. 「古 くか らの私 の意図は,世 界史の物語 (Mar der weltgeschichte)を 見つけ出 し,わ れわれ人類の もろもろの出来事や発展 の歩み をその本来的な内容 として. ,. またその 中心且つ 本質 として考察す ることであった。 そ して 人間 とい う被造物 (Geschё pfes)は 粗野に して激情的,暴 力的であ り, しか も善良高貴に して柔和. ,. この汚れた, しか も純潔な人間のあらゆる現実 の生活 の営 み と苦1当 とをその発生 にお いて, またその姿態 にお いて把握す ること,す なわち,人 間の発展 の歩み ,. 世 界史の理 念を把握す ることが私に とって最大 の魅力であ った。 もちろん,こ れ 33) らこそが現に生起 した最 も美 しい且つ最 も注 目すべ き歴史である云 々」 といい,彼 は永 き生涯 に亘 って世 界史 を考 え,探 究 し,叙 述 した の であ った 。 こ こにお い て,当 代 の 哲学 者達 の 歴 史哲学 に対 して, ラ ンケ は「歴史家 の主 な主眼点は第 1に ,あ る一定の時代 にお いて人間 (Menschen)力 漱口何 に考え,如 何 に生活 したのであるかにおかれなければならない。第 2に ,個 々の時代相互 の間に 横 たわる相違 (unterschied)を 認識 し,そ の前後関係 の 内面的必然性 (innere NOt‐ wendigkeit)を 考察 しなければな らない。その場合,或 る種 の進歩 (Fortschritt) が認め られることは争 えないが,進 歩は 1つ の直線 (gerade Linie)を なして進む のでは な く,む しろ河川 (StrOm)が その固有な進路 を進む ようなものであると主 張 したいの である云々」 とい うの であ る。 この 意 味 で,ラ ンケ は歴 史におけ る 個性 的生 命 の 考 察 と同時 に,世 界史的関連 の 把握 とを基軸 とした一 種 の宗教 的 な タイプ (religibse Typus)の 歴 史観 を打 立 て たの であ る。 と くに ラ ン ケの い う発展 (Entwicklung)と は,常 に 自発 的 (Spontaneitat)で 33)L.ve Ranke;In dem Vorrede zur"Weltgeschichtei'1880。 34)L.v.Ranke;Geschichte und Politik,Alfred Krё ner Verlag,S.142.. ,予 見.

(26) 94. 転換期 におけ る人間性論 につ い て(III). も予測 をも許 されない,思 い も寄 らない (ungeahnte,unberechenbar)と い う考 えが強調 されてい る。すなわち,ラ ンケにおけ る発展 の思想は,個 体 がそ の 自発性 にお いて 自ら変化す るこ とにお いて考 えられ,そ の変化 は予見 も予 測 をも許 されない変化,如 何 なる点か らもコースの予 め決め られてい ない変 化 とい う点に最 も大 きい特徴 をもってい る。 この ように,彼 はそれぞれの時 代的背景 の もとに,具 体的な個 々の 人間的事物 に愛着 をいだ き,そ の個体性 の探究 と同時に,個 々の事物 に即 して発展的に普遍 を把握すべ きことを主張 した。その場合 ,事 物 を個 々に孤立 してではな く,そ の大 い なる関連にお い て発展的に考察す る とい うのが 彼 の普遍的考察法 であった。 ラ ンケが いかな る対 象 を取扱 って も世 界史の立場 に立つ こ とを忘れなか ったの も,こ の よう な普遍的考察法 を志 していたか らであ った。 この意味で,彼 は個別史家 であ る と同時に,世 界史家 であった とい うこ とがで きよう。 さらに,彼 は いかな るもの も各 自固有 の原理に したが って絶対的な存在権 の あることを認め,世 上 の理 論が とか く陥 り勝 ちな普遍化的考察 の誤謬 を指摘す るとともに,個 性 化的考察 を基調 として いたことである。そ して個性的な もの,個 性的な もの を形成す る力,か か る力の特殊的な個性的発展,総 じて個性 の原理 (Indi宙 ― dualitatsprinzip)は よい意味 での歴史主義 の,ま たランケの歴史叙述 の 根本. 思想であ った。 しか もそれは とくに, 自発的な固有 の生活法則を有す る個性 的生活体 としての国家 に関す る学説 (Die Lehre von den Staaten als in―. dividuellen Lebewesen mit eigentumlichen Lebensgesetzen)に おいて 頂 点 に達 した:5)ラ ンケが そ の 著 『政治問答』(Pol■ isches Gesprach,1836)に 於 い て国 家 を 「個性 をもった存在 で相似 の点 をもってはい るものの ,相 互に根本的に 独立 した もので,そ れは人間精神 の独創的産物 (originale Schё pfungen des Men‐ schengeistes,一 敢 えて神の思想 (Gedanken Gottes)と い うべ きもの」 な ど と述. べ る よ うに:6)彼 は国 家 個性 (Staatsind市 idualitat)を 中心 的支柱 とした政 治. 35)Fr◆ Meinecke;Die Entstehung des HistOrismus(Friedrich Meinecke Werke Bd.Π I),S.590.. 36)L.v.Ranke;Geschichte und Pohtik,Alfred Krё ner Verlag,S。. 99..

(27) 吉 武 夏 男. 95. 史の うちに歴史叙述 の核心 を見出 したのである。 ラ ンケによれば,国 家 は 自 己自らの 内に原理 をもつ個体 であ り,高 次な一般的原理か ら演繹 され るもの ではない。(von keinem hё heren Prinzip ableiten)そ れは全 く予測す るこ との できない独 創的な姿で忽然 として眼前に現われ る現実的であるとともに 精神的な実在 (Das Real=Geistige,welches in ungeahnter Originalitat. dir plbtzlich vor den Augen steht)で ある。 い いか えると,現 実 の国家 は単 に理想で もな く,ま た単 なる権力で もない。単 なる精神 で もな く,単 な る実力で もない。現実 の国家は常に精神的 =実 力的である。 また彼によれば. ,. 国家 の憲法制度は形式的には模倣 され うるが,そ の実体 は模倣 され得 ない。 国家は個体 として,あ らゆる比較可能 な類似性や またあ らゆる高 き生 の連関 に もかかわ らず,一 切 の他 の諸国家か ら内面的に分 たれて い るもの であった。 とい うのは,国 家体制や政治 の 中に現実的に刻 印され た 1個 の 固有な精神的 原理がひそんでい るか らである。 この ように,ラ ンケは国家 の原理 をその 内 的生命 の意味にお いて解 し,普 通 の論理的思惟手段 によっては容易 に定義 し 難 い或 るもの (Etwas)を 述べ ようとしたの である。 しか もこの 原理 ,個 性. ,. 精神は国家 の過去 と現在 とを結び,未 来 を生命あ らしめ るものである とした の である。 この ような国家 の個性化的考察は,ラ ンケ的意味における歴史主 義 の基本的概念 としての個性 の思想 の特徴 と考 えられ,こ れこそがヘ ル ダー. ,. ゲーテの歴 史思想 とラ ンケの歴史主義 とを決定的に区別す るもの であった. ,. といい うるであろ う。 さらに またラ ンケの『政治問答』 の なかにみ られ る現 実的な もの と精神的なる もの (Das Real=Geistige)と を同一視 しようとす る要求 (Identitatsbedurfnis)は ,権 力その ものの 中に精神的な実体 が現 出 して い るとみ,政 治的権力の暗 い原本的事実面 を被覆 し,マ イネ ッケのい う 38々. 「覆われ た二元論 」 verhullte Dualismus)の 上に彼独 自の楽観主義的歴史 哲学 を形成 して いたのであ り,そ れは19世 紀前半 の ロマ ン主義 ,理 想主義的 37)L.v.Ranke;a.a.0.,S。. 94。. 38)Fr.Meinecke;Die ldee der Staatsrason(Friedrich MeineckelWerke Bd. I), S。. 503。.

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