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ドイツ・ロマン主義の絵画

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  落  合  桃  子

  

 大江健三郎『取チ ェ ン ジ リ ン グ

り替え子』(2000 年)の終章は「モーリス・センダックの絵本」

と題されている。高校時代からの親友で妻・千かしの兄でもある吾ろうが突然に自 ら命を絶ち、その悲しみから逃れるかのように、主人公の古こ ぎ と義人はドイツ・ベ ルリン自由大学での 100 日間の研究滞在へと出かけた。終章は、帰国した夫の トランクの中に妻がモーリス・センダックの絵本“Outside Over There”を 見つける場面から始まる。好奇心から絵本を読み始めた千樫は、「この絵本に 書いてあるアイダという少女は、私や」と思い1、主人公のアイダに自らの人 生を重ね合わせていく。

 “Outside Over There”(1981 年)は、ユダヤ系アメリカ人の絵本作家モー リス・センダック(Maurice Sendak, 1928-2012)による絵本であり2、日本 語版は『まどのそとのそのまたむこう』(1983 年、以下『まどのそと』と略す)

という3。『かいじゅうたちのいるところ』(1963 年)、『まよなかのだいどころ』

(1970 年)とともに、センダックの三部作として知られている4。  

 福岡大学人文学部講師

1 大江健三郎『取り替え子』講談社、2000 年、288 頁。

2 Maurice Sendak, Outside Over There, [New York]: HarperCollins, 1981.

3 モーリス・センダック(脇明子訳)『まどのそとのそのまたむこう』福音館書店、1983 年。

4 同(神宮輝夫訳)『かいじゅうたちのいるところ』冨山房、1975 年(原著 1963 年);

絵本作家モーリス・センダックと

ドイツ・ロマン主義の絵画

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 ある日、母親に代わって赤ん坊の面倒を見ていたアイダが部屋の中でホルン を吹いていると、ゴブリンたちがやってきて、氷の人形を代わりに置いて赤ん 坊を連れ去った。怒ったアイダは、ママの黄色いレインコートにくるまって、

妹を取り返すべく、後ろ向きで窓の外へと飛び出した。ゴブリンたちのいる洞 窟へ入り込んだアイダは、最後に卵の殻におさまった妹を見つけ出し、小川に 沿った森の小道を歩いて帰途につく。

 この絵本について「私の書くべき小説でもっとも重要な役割の女性の、これ よりほかにありえないという『肖像』が描かれていた」と大江は書いており5、 同書を脇に置きながら『取り替え子』を執筆していくことになるが、実際にセ ンダックの本に出会ったのはベルリンではなく、アメリカ・カリフォルニア でのことであった。1999 年にカリフォルニア大学バークレー校に滞在した際、

センダックが参加したセミナーの小冊子『チェンジリングス』を読んだことを きっかけに、“Outside Over There”を含むセンダック関連書籍を購入するこ ととなった6

 しかし小説の中で主人公がベルリンから絵本を持ち帰ったという設定になっ ていてもあまり違和感がないのは、『まどのそと』の舞台が 18 世紀末から 19 世紀初頭のドイツに設定されているためでもあるだろう。表紙には、6 輪のひ まわりが咲く庭で、青いドレスを着たアイダが、ホルンを左手に持って身を屈 め、後ろに伸ばした右手で赤ん坊の手を取る姿が描かれている。センダック

同『まよなかのだいどころ』冨山房、1982 年(原著 1970 年)。

5 大江健三郎「センダックの贈り物―私が「取チ ェ ン ジ リ ン グ

り替え子」です!」『本』講談社、第 25 巻第 12 号(通号 293)、2000 年 12 月、7 頁。

6 前掲記事、6-7 頁;大江健三郎、井上ひさし、小森陽一「座談会昭和文学史ⅩⅤⅢ  大江健三郎の文学―作家前夜から最新作『取チ ェ ン ジ リ ン グ

り替え子』まで―」『すばる』集英社、2001 年 3 月号、190 頁。ちなみに大江健三郎が実際に読み、『取り替え子』中にも登場する

「Changelings」 と い う 小 冊 子 は Maurice Sendak, Herbert Schreier, Wye Allanbrook  and Stephen Greenblatt, Changelings: Children's Stories Lost and Found(Doreen B.

Townsend Center for the Humanities, Occasional Papers, 1996, 5)のことであろう。

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自身「ルンゲの絵へのオマージュ」と述べているように7、ここではフィリッ プ・オットー・ルンゲ(Philipp Otto Runge, 1777-1810)の絵画《ヒュルゼ ンベック家の子どもたち》(1805/06 年、図 1)からモチーフが引用されてい る8。表紙のみにとどまらず絵本全体を通じて、ルンゲやフリードリヒ(Caspar  David Friedrich, 1774-1840)など、19 世紀初頭のドイツで活動した、いわゆ るドイツ・ロマン主義の絵画の影響が強く見られるのである。

 『まどのそと』については、これまでにさまざまな考察がされてきたが9、セ ンダックとドイツ・ロマン主義絵画の関係については、ジェーン・ドゥーナン や脇明子氏らによって、モチーフの類似が部分的に指摘されるに留まってい る10。1970 年代から 80 年代にかけてセンダックは 19 世紀のドイツの文化に大

7 ジョナサン・コット(鈴木晶訳)「モーリス・センダック:かいじゅうたちの王様」『子 どもの本の 8 人:夜明けの笛吹きたち』晶文社、1988 年、122 頁。

8 Jörg  Traeger,  Philipp Otto Runge und sein Werk: Monographie und kritischer katalog, München: Prestel, 1975, cat. 312, pp. 378-379. 同作品については以下も参照。

イエルク・トレーガー(伊東多佳子訳)『ルンゲ《ヒュルゼンベック家の子どもたち》』

三元社、2003 年。

9 『まどのそと』を論じたセンダックのモノグラフに以下のものなどがある。セルマ・

G・レインズ(渡辺茂男訳)『センダックの世界』岩波書店、1982 年、227-235 頁 ; John  Cech, Angel and Wild Things: The Archetypal Poetics of Maurice Sendak, University  Park: The Pennsylvania State University, 1995, pp. 212-241; Tony Kushner, The Art of Maurice Sendak: 1980 to the Present, New York: Harry N. Abrams, 2003, pp. 13- 24. 『まどのそと』の書評に Walter Clemons, “Sendak's Enchanted Land; Outside Over  There. By Maurice Sendak. Harper & Row,” Newsweek, May 18 1981, p. 102 などがあ る。物語理論から本書を分析したものに Stephen Roxburgh, “A Picture Equals How  Many Words?: Narrative Theory and Picture Books for Children,” The Lion and the Unicorn 7/8(1983/1984), pp. 20-33; Michael Steig, “Reading Outside Over There,” 

Children's Literature 13(1985), pp. 139-153、アレゴリーの観点から分析したものに Geraldine DeLuca, “Exploring the Levels of Childhood: The Allegorical Sensibility of  Maurice Sendak,” Children's Literature 12(1984), pp. 3-24 が あ る。 物 語 構 造 や ド ラマトゥルギーを検討したものに Jens Thiele, “Bildideen diesseits und jenseits der  magischen Grenze: Zur Dramaturgie von Maurice Sendaks Als Papa fort war,”in: 

Maurice Sendak: Bilderbuchkünstler, ed. by Reinbert Tabbert, Bonn: Bouvier, 1987, pp. 

79-91 がある。日本語文献には渡辺茂男「センダックの幼児体験(下)」『文学』第 50 巻第 5 号、1982 年、46-64 頁;脇明子「ゴブリンたちのいるところ」『プシケー』思索社、

9 号、1990 年、42-61 頁などがある。

10 Jane  Doonan,“‘Outside  Over  There’:  A  Journey  in  Style  Part  One,” Signal:

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きな関心を寄せており、ヴィルヘルム・グリムによる原作による『ミリー』(1988 年)においてもドイツ・ロマン派絵画の様式やモチーフが取り入れられてい る11。フリードリヒやルンゲなどの影響が、センダックの画業のある一時期を 特徴づけているにもかかわらず、センダックとドイツ・ロマン派絵画について は、これまで充分に論じられてこなかった。

 そこで本稿では、『まどのそと』を取り上げ、同書に見られるドイツ・ロマ ン主義絵画のモチーフを指摘した上で、1970 年代のアメリカにおけるルンゲ やフリードリヒの受容に着目することで、同書におけるドイツ・ロマン派絵画 の意味を考察する。最後に『ミリー』に触れ、センダック作品におけるドイツ・

ロマン主義絵画様式の終焉を彼の画業に位置づける。

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 『かいじゅうたちのいるところ』のマックスは、夢の中で船に乗ってかいじゅ うたちの国に行き、自分の部屋へと戻ってくる。『まよなかのだいどころ』の ミッキーは、夢の中で目を覚ましてパン屋さんの台所に降りていき、彼らのた めに天の川(ミルキー ・ ウェイ)までミルクを取りに行った後、ふたたびベッ ドに舞い降りてくる。現実と夢という「こちら」と「むこう」が問題となって いると言える。

 『まどのそと』のアイダは、連れ去られた妹を助けるために、「こちら」から 窓の外、そして「そのまたむこう」へと飛び出し、ふたたび家に帰ってくる。

Approaches to Children's Books 50(May 1986), pp. 92-103; Eadem, “‘Outside Over  There’: A Journey in Style Part Two,” Signal: Approaches to Children's Books 51

(September 1986), pp. 172-187; 脇明子「不気味さの問題」『児童文学世界』(特集セン ダックを「読む」)中教出版、1991 年、37 - 50 頁。ジェーン・ドゥーナン(正置友子、

灰島かり、川端有子訳)『絵本の絵を読む』(玉川大学出版部、2013 年)でも『まどのそ と』をはじめとするセンダックの絵本に言及されている。

11 ヴィルヘルム・グリム作、モーリス・センダック絵(ラルフ・マンハイム英訳、神

宮輝夫訳)『ミリー:天使にであった女の子のお話』ほるぷ出版、1988 年(原著 1988 年)。

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同書では「こちら」と「むこう」、「そのまたむこう」がドイツ・ロマン主義の 画家たちが好んで描いたモチーフによって効果的に表されている。以下、物語 に沿って具体的にモチーフを指摘していく。

2 − 1 白い柵

 見開きの扉絵には、ひまわりの咲く庭で、白い柵の前に、赤ん坊を抱いて不 安げにこちらを見つめる青い服のアイダが描かれている。背景には、海に浮か ぶ一艘の船が見えている。表紙と同じく、ルンゲ《ヒュルゼンベック家の子ど もたち》(図 1)を想起させる。白い木柵によって「こちら」と「向こう」が 区別されている。しかしすでに画面の左右から、灰色の衣にくるまったゴブリ ンたちが近づいており、外の世界の恐怖が少女たちの近くに忍び寄っている。

この少女のおびえたような目つきがそれを物語っている。この扉絵はこれから 始まる物語の展開を示唆している。

2 − 2 舟・船、後ろ姿の人物

 物語は「パパは 海へ おでかけ」という一文から始まる。1-2 頁の見開 きの場面では、画面右側に、赤ん坊を抱いたアイダと母親が後ろ姿で立ってい る。左側では小舟に乗った 2 人のゴブリンたちが後ろ姿で描かれている。彼ら の視線の先には、海を航行する船が見えている。左手の対岸には岩山が聳え 立っている。

 この場面についてはフリードリヒ作品からモチーフが引用されていることが 脇明子氏によって指摘されている12。たとえば岩山の形はフリードリヒ《ヴァッ ツマン》(1824-25 年)に描かれた山頂と類似しており、海上の大きな帆船は

《帆船》(1815 年頃)と同形である13。母親の赤いドレスや帽子の形などは《海

12 脇、前掲論文、1991 年、39-40 頁。

13 Helmut Börsch-Supan and Karl Wilhelm Jähnig, Caspar David Friedrich: Gemälde:

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辺の婦人》(1818 年頃)に横たわる女性のものと似ている14

 注目すべきは、こうしたアイダやゴブリンたちのいる海辺の場面が、当初は 表紙として構想されていたことである。1979 年の年記のある鉛筆デッサンで は、画面上部の「OUTSIDE OVER THERE」「MAURICE SENDAK」の文字 の下、画面左に妹を抱くアイダが、右には舟に乗った 2 人のゴブリンたちが描 かれており、背景の海に一隻の帆船が見えている15。最終的には前述のとおり、

ひまわりや白い柵のある場面が表紙となったが、元々は表紙のデザインに、後 ろ姿の人物や船といった、フリードリヒ作品に見られるモチーフが描かれてい た。このデッサンを展開させてセンダックは 1-2 頁を描いたのだろう。小舟 に乗る 2 人のゴブリンたちのモチーフは左右反転されて使用されている。

 舟・船はこれまでのセンダック作品にも登場してきた。たとえば『ケニーの まど』(1956 年)で主人公が夢の中で馬に乗って辿り着いた海辺には、白い船 が待っていた16。『かいじゅうたちのいるところ』でもマックスは舟に乗って、

かいじゅうたちのいる陸地に辿り着く。『まどのそと』において船は船乗りで ある父親の象徴でもあり、はるかかなたの「むこう」を表すモチーフにもなっ ている。ゴブリンたちもまた舟に乗っている。その舟は岸辺にあって、まだ出 発していない。13 頁では赤ん坊を連れ出すゴブリンたちのそばに舟が描かれ ることになる。

 人物が後ろ姿で描かれていることも見逃してはならない。1-2 頁ではアイ ダと母親、2 人のゴブリンたちが後ろ姿で海を見つめている。アイダの腕に抱 かれた妹だけが観者のほうを向いている。後ろ姿の人物をフリードリヒは好ん

Druckgraphik und bildmäßige Zeichnungen, München: Prestel, 1973, pp. 397-8, no. 

330; p. 332, no. 217.

14 Ibid., p. 347, no. 245.

15 Exh. cat., Sendak in Asia, Tokyo et al.: Maruzen, 1996, no. 20; Exh. cat., Maurice Sendak: A Celebration of the Artist and His Work,  New  York:  The  Society  of  Illustrators, 2013, p. 56. 

16 モーリス・センダック(神宮輝夫訳)『ケニーのまど』冨山房.1975 年(原著 1956 年)。

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で描いていた(図 2)17。こうしたモチーフによって前景と後景、すなわち「こ ちら」と「むこう」の対比が強調されることになる。

2−3 あずまやの中の母親

 3-4 頁の見開きの場面では、蔦で覆われたあずまやの中に、母親が左向き で腰掛けている。赤いドレスを着て、ひとり物思いに沈んでいる。その隣には 泣きわめく妹の子守をするアイダの姿が描かれている。庭にはジャーマンシェ パードが横たわっている。画面左には、梯子を持った 2 人のゴブリンたちが描 かれており、次ページ以降の展開を予感させる。

 この母親の姿については、ミルトンの詩『快活の人』『沈思の人』のためのウィ リアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)の挿絵の一枚《晩年のミルト ン》からの影響がドゥーナンによって指摘されているが18、本稿ではルンゲ《ナ イチンゲールの授業》(1804/05 年、図 3)の女性像との類似に注目する19。ル ンゲの油彩画では、若い女性の姿をしたナイチンゲールが左向きで木の幹に腰 掛け、右足をやや高く上げている。ゆるやかに流れる衣の表現なども含め、母 親の姿とよく似ている。

 あずまやは 19 世紀前半のドイツ絵画にしばしば登場するモチーフであるが、

男女のカップルが描かれるのが一般的であった。たとえばフリードリヒ《あず まや》(1818 年、図 4)には、蔦のからまったあずまやの中に後ろ姿の男女が 描かれている20。それに対してセンダックの挿絵では、あずまやに母親がひと りで描かれている。船乗りの父親は海に出て家にいないからである。あずまや

17 フリードリヒ作品における後ろ姿のモチーフについては以下に詳しい。Akane  Sugiyama: Wanderer unter dem Regenbogen: Die Rückenfi gur Caspar David Friedrichs. 

Berlin: Freie Universität Berlin, Diss., 2007.

18 Doonan, op. cit.(part One), p. 97.

19 Traeger, op. cit., pp. 369-370, no. 301.

20 Börsch-Supan and Jähnig, op. cit., p. 351, no. 253.

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の中の母親のモチーフは、物語の終わりに再び登場する。アイダが妹とともに 家に帰ってくると、母親はあずまやから身を乗り出してアイダを迎え、あずま やの中で共に父親からの手紙を読む。アイダは父親の代わりとなって、母親と 妹と共に暮らしていく。

2−4 室内描写、窓

 6 頁から 12 頁までは室内の場面が続く。アイダが部屋でホルンを吹いてい ると、窓からゴブリンたちがやってきて、赤ん坊を連れ去った。代わりに残さ れた氷の人形をアイダが抱くと、氷が溶け出した。妹がゴブリンたちに誘拐さ れたことに気付いたアイダは母の黄色いレインコートを着て、窓の外へと飛び 出していく。画面左の窓からは、母親のあずまやに絡みついていたのと同じ蔦 草からひまわりとバラの花が咲き、室内へと侵入してくる。1 輪だけだったひ まわりは、場面が展開するにつれ、4 輪、6 輪、9 輪と数を増し、さらに部屋 の奥へ入り込んでくる。

 アイダがホルンを吹いている部屋には窓が描かれている。この窓につい ては、フリードリヒのセピア画《画家のアトリエからの眺め、右の窓から》

(1805/06 年頃、BS132)の窓と同形(左右反転)であることが脇氏によって指 摘されているが21、フリードリヒの友人であった画家ケルスティング(Georg  Friedrich Kersting, 1785-1847)のアトリエ画や室内画との類似も無視するこ とができない。ケルスティング《アトリエのフリードリヒ》(1811 年、図 5)

の窓は、アイダの部屋のものとよく似ているし、《刺繍する女性》(1812 年、

図 6)には、絵本の室内と同じく、緑色の壁や薄手の白カーテン、壁に掛けら れた肖像画、床板などが描かれている22

21 脇、前掲論文、1991 年、40 頁。

22 Hannelore Gärtner, Georg Friedrich Kersting, Leipzig: E. A. Seemann, 1988, p. 48,  pl. 32: p. 54, pl. 38.

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 窓のモチーフはこれまでのセンダックの作品にも描かれてきた。『ケニーの まど』では、ケニーのいる室内と、外界あるいは夢の世界との境界となってい た。『かいじゅうたちのいるところ』でも、マックスの部屋には窓があり、そ こから輝く月が見えている。ティーレによれば、センダックの作品において窓 は現実と空想の境界、あるいは外の世界の入り口となっているという23。  ドイツ・ロマン主義の画家たちは窓のモチーフを好んで描いた。とりわけ窓 辺の人物は人気のあった主題であり、静かに仕事に没頭したり、物思いにふ けったりする人物が登場した24。シュモルによれば、窓は果されない希望、旅 や脱出への願望を表しており、窓辺に描かれるのは、たいてい孤独な人間で あった25。窓に向かってひとりホルンを吹くアイダも孤独であり、本当は妹の お守りから逃げ出したかったに違いない。

 9 頁から 12 頁にかけて、ゴブリンたちが赤ん坊を連れ去った窓の中では、

一枚の絵のごとく、船のある風景が展開される。アイダが赤ん坊を抱きしめて いる 9 頁では、1-2 頁に登場したものと同じ帆船が海を航行している。赤ん 坊がゴブリンたちに連れ去られたことに気付く 10 頁では、空に稲妻が走り、

荒波の中、船が難破する。赤ん坊を助けに行くことを決意する 11 頁には、暗 い海辺と空が描かれており、フリードリヒ《海辺の修道士》(1808-1810 年、

図 7)を想起させる。黄色いレインコートを着たアイダが描かれた 12 頁では、

雲行きが怪しくなり、波も荒くなっている。窓の描写がアイダの心情に対応す るかのようである。この窓からアイダは窓の外へ飛び出していくのである。

23 Thiele, op. cit., p. 86.

24 ドイツ・ロマン派絵画の窓のモチーフの意味については、以下の文献を参照のこ

と。Lorenz Eitner, “The Open Window and the Storm-Tossed Boat: An Essay in the  Iconography of Romanticism,”Art Bulletin 37(December 1955), pp. 281-290; J. A. 

Schmoll gen. Eisenwerth, “Fensterbilder: Motivketten in der europäischen Malerei,” in: 

Beiträge zur Motivkunde des 19. Jahrhunderts, ed. by Ludwig Grote, München: Prestel,  1970, pp. 13-165.

25 J. A. Schmoll gen. Eisenwerth, op. cit., p. 68.

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2−5 洞窟

 13-14 頁では、赤ん坊を連れたゴブリンたちが橋を渡る中、窓の外へと飛 び出したアイダが、ふわふわと空を飛んでいく。洞窟を通り過ぎてしまったと ころ、父親の歌を聴いて、くるりとまわってホルンを吹き、真夜中のゴブリン たちの洞窟へと入り込む。17-18 頁の見開きの場面では、絵本の中のすべて の人物が登場する。黄色いレインコートを着たアイダがホルンを手に空を漂っ ている。画面下部には、父親と同僚の船乗り、洞窟に座る妹、2 人のゴブリン たち、あずまやの中の母親、羊と羊飼いが描かれている。

 『かいじゅうたちのいるところ』ではマックスが、かいじゅうたちを踊らせ る場面があるが、『まどのそと』ではアイダがホルンを吹いてゴブリンたちを 踊らせる。19-20 頁の見開きの場面では、アイダとゴブリンたちが画面右に 向かって一列に進んでいく。この挿絵は、ルンゲの師であったゲルト・ハルド ルフ(父)(Gerdt Hardorff , 1769-1864)《子どもの凱旋行列》(1808 年、図 8)

と類似している26。ここには幼子たちが画面右に向かって一列に進む様子が描 かれており、一番先頭の童子は、アイダと同じように角笛を吹きながら行列を 導いている。

 洞窟のモチーフは、地質学や鉱物学への関心から洞窟探険が盛んとなった 18 世紀以降、絵画の主題として頻繁に取り上げられるようになった。洞窟は 死を想起させる場所でもあり、冥府や墓所として描かれることもあった27。  センダックは『まどのそと』の制作と並行して『魔笛』(フランク・カサロ指揮、

ヒューストン・グランド・オペラ、1980 年)の舞台装置と衣装に取り組んで いた28。舞台セットのための水彩下絵の一枚については、フリードリヒ《古き

26 Exh. cat., Runge in seiner Zeit, Hamburg: Hamburger Kunsthalle, 1977-78, p. 156,  pl. 4; p. 341.

27 18 世紀から 19 世紀前半の絵画における洞窟のモチーフについては以下に詳しい。

Sabine Röder, Höhlenfaszination in der Kunst um 1800: Ein Beitrag zur Ikonographie von Klassizismus und Romantik in Deutschland, Diss., Freie Universität Berlin, 1988.

28 『魔笛』のための舞台装置や衣装については Kushner, op. cit., pp. 79-96 を参照。

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英雄の墓碑》(1812 年、図 9)との類似を指摘できる29。画面中央に小さく洞穴 を描き、左右に墓石や記念碑などを配置する構図を、センダックはフリードリ ヒの作品から借用している。画面左に描かれた石棺は、《古き英雄の墓碑》画 面右の石棺から取られたものであろう。

 洞窟の中でアイダは果敢にホルンを吹いてゴブリンたちを追い出し、卵の殻 に収まった妹を発見する。妹を取り返したアイダについて、センダックはホロ フェルネスの首を持つユディトやアマゾネスの女王ペンテシレイアにたとえて

「偉大な勝利を手にしている」と述べている30。アイダは妹を抱えて森を通って 家へ戻り、母親と再会して一緒に父親の手紙を読む。

3

 『まどのそと』の舞台設定について「モーツァルトの時代、それも彼の死を 含む 18 世紀の最後の 10 年に置きました」31とセンダックは述べている。グリ ム童話集『ねずの木』(1973 年)所収の「ゴブリンたち」が、『まどのそと』

の「原典」であるといい、いくつかのモチーフ―赤ん坊が中に入っている卵の 殻や、アイダが吹き鳴らす音楽―はそこに由来しているという32。モーツァル トのオペラ『魔笛』(1791 年初演)はセンダックにとって「まさに『窓の外の

・・・・・・』そのもの」であった33。アイダがホルンを吹いているのはマーラーの 歌曲『少年の魔法の角笛』を意識してのことであったという34。なお誘拐とい うテーマに関しては、1932年に起きた飛行士チャールズ・リンドバーグ(Charles 

29 Börsch-Supan and Jähnig, op. cit., pp. 325-326, no. 205.

30 コット、前掲書、129-130 頁。

31 モーリス・センダック(脇明子、島多代訳)『センダックの絵本論』岩波書店、227 頁。

32 L・シーガル、 M・センダック選 、モーリス・センダック画(矢川澄子訳)『ねず の木 : そのまわりにもグリムのお話いろいろ』福音館書店、1986 年;コット、前掲書、

119 頁。

33 同書、134 頁。

34 同書、123 頁。

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Augustus Lindbergh, 1902-1974)長男誘拐殺人事件が幼いセンダックの心に 大きな特別な刻印を残していたという35

 こうしたモーツァルトやグリム兄弟の時代を描き出すために、センダックは ドイツ・ロマン主義絵画の様式を取り入れることになった。センダックは次 のように述べている。「この本における本当のトリックは、18 世紀の様式がき わめて今日的な感情と結びついていることだ。心理的には、今でしかないの だ36。」『まどのそと』の様式に込められた同時代的な意味を、私たちはどのよ うに考えればよいのであろうか。

 ここではまず、セルマ・G.  レインズ『センダックの世界』をはじめとする モノグラフやインタビュー記事を元に、センダックの経歴を素描しておこう37。  センダックは 1928 年 6 月 10 日、ニューヨークのブルックリンにポーランド 系のユダヤ人であった父フィリップと母サラの間の 3 人目の子どもとして生ま れた。高校卒業後、ウィンドウ・ディスプレイの製作助手などの仕事をしなが ら、アート・スチューデンツ・リーグの夜間部に通った。この頃より絵本の挿 絵を描くようになり、ルース・クラウス(Ruth Krauss, 1911-1993)『あなは ほるもの おっこちるとこ』の挿絵(1952 年)によって、イラストレーター として独立した38。『ケニーのまど』で初めて絵と文章の両方を手掛けて以降、

イラストレーターの仕事と並行しながら絵本の制作を続けた。1963 年の『か

35 センダック(脇明子、島多代訳)、前掲書、228-229 頁。

36 “The Playful Art of Maurice Sendak,” The New York Times, October 12, 1980,  Sunday, Section 6, p. 44.

37 レインズ、前掲書。その他、以下のモノグラフやインタビュー記事を参考にした。ナッ ト・ヘントフ「かいじゅうたちにかこまれて」シーラ・イーゴフ他編(猪熊葉子、清水 真砂子、渡辺茂男訳)『オンリー・コネクトⅢ』岩波書店、1980 年(原著 1966 年)92-

130頁; “A Conversation between Maurice Sendak and Virginia Haviland, Questions to  an Artist, Who is Also an Author,” The Quarterly Journal of the Library of Congress 28(1971), pp. 262-280;コット、前掲書、77-136 頁;センダック(脇明子、島多代訳)

前掲書;Kushner, op. cit..

38 ルース・クラウス作、モーリス・センダック絵(渡辺茂男訳)『あなはほるものおっ こちるとこ ちいちゃいこどもたちのせつめい』岩波書店、1979 年(原著 1952 年)。

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いじゅうたちのいるところ』で絵本作家として知られるようになり、1970 年 に『まよなかのだいどころ』が出版された。ウィリアム・ブレイク(William  Blake, 1757-1827) や ラ ン ド ル フ・ コ ー ル デ コ ッ ト(Randolph Caldecott,  1846-1886)、アーサー・ヒューズ(Arthur Hughes, 1823-1915)、ヴィルヘ ルム・ブッシュ(Wilhelm Busch、1832-1908)といった多くの絵本作家・挿 絵画家の作品を研究し、初版本や原画の収集なども行っていたという。

 センダックがドイツに関心を持つようになるのは、1970 年代に入ってから のことであった。グリム童話集『ねずの木』(1973 年)のイラストレーション のために、1971 年の 5 月に初めてドイツを旅行している。チューリヒからミュ ンヘンに入り、グリム美術館のあるカッセルやハンブルクを訪れた。ミュンヘ ンのアルテ・ピナコテークで見たデューラー(Albrecht Dürer, 1471-1528)

やアルトドルファー(Albrecht Altdorfer, c.1480-1538)の作品が、センダッ クの関心をグリムへ引き寄せることになったという39

 『まどのそと』の構想を練り始めるのは 1975 年頃のことであった40。センダッ クは絵本を作る際、物語から着手する。この時も文章を仕上げた後、1976 年 12 月にデッサンに取り組み始めた。最初は映画『O 侯爵夫人』(エリック・ロ メール監督、1976 年)やウィリアム・ブレイクによるミルトン『快ラ ー レ グ ロ活な人』、

『沈イル・ペンセロツソ思の人』挿絵などから色のヒントを得ていたが、しだいにルンゲに注目す

るようになった41。『まどのそと』の挿絵は 1979 年 7 月に完成し、絵本は 1981 年に出版された。センダックはモーツァルト『魔笛』の他、ホフマン『くるみ わり人形』の舞台装置と衣装を担当しており、センダックの挿絵による本も出 版されている42

39 レインズ、前掲書、195 頁。

40 Kushner, op. cit., p. 14-15.

41 コット、前掲書、122-123 頁。

42 E・T・A・ホフマン作、モーリス・センダック絵(渡辺茂男訳)『くるみわり人形』

ほるぷ出版、1985 年(原著 1984 年)。

(14)

 ドイツ・ロマン派絵画との関係で注目すべきは、ちょうどセンダックが絵本 を制作していた 1970 年代にフリードリヒやルンゲが欧米で再評価されるよう になったことである。ドイツ・ロマン派の画家たちの多くは没後忘れ去られ ていたが、19 世紀末に再発見され、1970 年代になって一般に広く知られるよ うになる。フリードリヒの回顧展は 1972 年にロンドンで、1974 年にはドレス デンとハンブルクで開催されている43。1977 年にはハンブルクでルンゲの展覧 会もハンブルクで行われている44。センダックがドイツ人の友人から送っても らったというルンゲの図録はこの展覧会のものであっただろう45。話題になっ ている絵画に敏感に反応し、自らの作品に取り入れようとしたセンダックの姿 が浮かび上がってくる。なお日本でも 1978 年に『フリードリッヒとその周辺』

展が東京と京都で開かれている46

 アメリカでも 1970 年代に 19 世紀ドイツ絵画が広く知られるようになった。

1970 年には英語による初のルンゲ研究書とされるルドルフ・ビザンツ『ドイ ツ・ロマン主義とフィリップ・オットー・ルンゲ(German Romanticism and Philipp Otto Runge)』が出版された47。同年から翌 1971 年にかけて「19 世紀 ドイツ絵画(German Painting of the 19th Century)」展がイェール大学美術 ギャラリーやシカゴ美術館等で開催され、フリードリヒの油彩画 6 点とルン ゲの油彩画 2 点などドイツ・ロマン主義絵画が出品されている48。1972 年には

「19 世紀のドイツ巨匠の素描(German Master Drawings of the Nineteenth 

43 Exh. cat., Caspar David Friedrich 1774-1840. Romantic Landscape Painting in Dresden, London: Tate Gallery, 1972; Exh. cat., Caspar David Friedrich und sein Kreis,  Dresden: Gemäldegalerie Neue Meister, 1974; Exh. cat., Caspar David Friedrich 1774-

1840, Hamburg: Hamburger Kunsthalle, 1974.

44 Exh. cat., Runge in seiner Zeit, op. cit..

45 Clemons, op. cit., p. 102.

46 『フリードリッヒとその周辺』東京国立近代美術館、京都国立博物館、1978 年。

47 Rudolf M. Bisanz, German Romanticism and Philipp Otto Runge, DeKalb: Northern  Illinois University Press, 1970.

48 Exh. cat., German Painting of the 19th Century, New Haven: Yale University Art  Gallery, 1970.

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Century)」展がハーヴァ―ド大学ブッシュ・ライジンガー美術館で開催され、

メトロポリタン美術館等を巡回した。この展覧会ではフリードリヒとルンゲの 素描がそれぞれ 5 点ずつ出品されている49

 アメリカにおけるドイツ・ロマン派絵画の受容を考える上でとりわけ重要な のは、ドゥーナンも言及しているとおり50、1975 年に出版されたロバート・ロー ゼンブラムの『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』である51。センダックも同 書を『まどのそと』の制作中に読んで刺激を受けたという。「ルンゲには前か ら心酔していたんだが、ローゼンブラムの言葉で納得したよ」とセンダックは 述べている52。同書では、フランス美術を中心に様式の発展史として語られて きた従来の西洋近代美術史に対し、ドイツやイギリスのロマン主義絵画にはじ まり、ゴッホやドイツ表現主義、マーク・ロスコなどアメリカ現代美術へとつ ながる新たな流れが描き出された。ここで重視されたのは、様式ではなく、い わば感情的な類似であった。このように考えるとき、先に引用した「今日的な 感情」について考えるための手がかりを、同書の中に見出すことができるので はないか。ちなみにローゼンブラムは後に『Romantic Child』(1988 年)でセ ンダックの『まどのそと』と『ミリー』にも触れることになる53

 第 2 章で見たように、『まどのそと』ではドイツ・ロマン派絵画に見られる モチーフによって「こちら」と「むこう」が描き出されている。ローゼンブラ ムもまた、ロマン主義美術の特徴として、有限と無限、小宇宙と大宇宙という

「両極性」を挙げている。

49 Exh. cat., German Master Drawings of the Nineteenth Century, Cambridge: Busch- Reisinger Museum, Harvard University, 1972.

50 Doonan, op. cit.(Part One), p. 93.

51 ロバート・ローゼンブラム(神林恒道、出川哲郎訳)『近代絵画と北方ロマン主義の 伝統』岩崎美術社、1988 年(原著 1975 年)。

52 コット、前掲書、122 頁。

53 Robert Rosenblum, The Romantic Child: From Runge to Sendak, London: Thames  and Hudson, 1988, pp. 53-56.

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有限と無限、小宇宙と大宇宙の間のロマン主義の美術におけるこうした両 極性は、(中略)世界に拮抗する個について絶えず心を悩ましていたその 時代の意識の1つの反映と見なされよう54

 ロマン主義の画家たちは、限られた存在と無限に広がる世界、小宇宙と大宇 宙といった対比を描いた。宗教が力を失った時代に、人間はいかにして世界と 向き合うことができるのか。そこでは近代を生きる人間の孤独が問題となる。

『まどのそと』の主人公アイダもまた、窓の外に広がる世界に対峙しようとす る「世界に拮抗する個」であったのではないか。第 2 章で指摘したように、11 頁でアイダがゴブリンたちから妹を取り戻そうと立ち上がる室内の窓には、窓 にフリードリヒ《海辺の修道士》を思わせる画面が描かれている。このフリー ドリヒの作品についてローゼンブラムは次のように書いている。

だがフリードリヒの絵には、近代社会に生きる者たちが見て分かり合え る、ある種の宗教的体験と思いがけず通じ合うものがある。それは、個々 人が宇宙の圧倒的な無限な広大さと向かい合い、対決を迫られるような場 合に体験されるものである55

 一方で、世界や宇宙の広大さに対峙することは、自分自身の内へと沈潜して いくことでもあった。センダックは次のように述べている。

ちょっと言い過ぎかもしれないが、ある意味ではあの本は、鏡に映った世 界に似ている。『窓の外の ・・・・・・』という題だが、これを鏡に映すと、『家

54 ローゼンブラム、前掲書、87 頁。

55 同書、22 頁。

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の中のそのまた内側』とでもなるだろう56

 このフリードリヒの作品に描かれた僧侶も、目前に広がる広大な空を見上げ ると同時に、自分の内面へと沈思している。アイダもまた窓の外に出ていくこ とで、自分を取り巻く家庭の状況や自分自身の気持ちに目を向けていくことに なる。ゴブリンたちと戦ったアイダは、妹を取り返して勝利を手にするが、そ れはアイダの内面にも起こっていた。センダックは書いている。

『窓の外の ・・・・・・』でぼくが連想したものは、きみの言うこととちょうど 反対だ。ぼくにとって〈dissolution〉とは恐れや憂鬱、妄想、強迫観念、

神経症を根絶し、克服すること―これらを乗り越え、本当にそれを消滅さ せるには、自分自身がやるしかないんだ。そして自分の忍耐力と努力で、

人は強迫観念がうち破れる57

 ロマン主義の画家たちは、有限と無限、小宇宙と大宇宙といった懸隔のはざ まで、広大な世界に立ち向かう孤独な人間を描き出したが、センダックの主人 公も、まさにそうした人間だったのではないか。センダックはアイダをモー ツァルト『魔笛』のパミーナの姿にも重ねていた。パミーナのようにアイダも また、恐怖の淵から帰還したことで、以前より勇敢で強い女性となるのであ る。夜の洞窟を出て、卵の殻に収まった妹を発見したアイダは、妹を抱きかか えながら森を通って家へと向かう。森の中には腕を伸ばした木が立ちはだかっ ているのだが、ゴブリンたちと戦うことで強くなったアイダは、無事に家に辿 りつき、引き続き母親や妹とともに暮らしていくのである。

56 コット、前掲書,124-125 頁。

57 同書、128-129 頁。

(18)

4

 『まどのそと~』から 7 年後の 1988 年、『ミリー』が出版された。ヴィルヘ ルム・グリムが 1816 年にミリーという少女に宛てた手紙と共に送った物語に、

センダックによる挿絵が描かれている58。センダックは「この少女はアイダの 妹である」と述べており59、同書は『まどのそと~』の続編と位置付けられる。

 村のはずれの小さな家に、母親とひとりの娘が幸せに暮らしていた。しか し、戦火が迫ってきたため、母親は娘をひとりで森の奥へと行かせなければな らなかった。少女が不気味な森の中を、目に見えない守護天使に導かれながら 進んでいくと、聖ヨセフの家に辿り着いた。そこで 3 日間を過ごし、自分に そっくりの少女にも出会う。その後、バラの花を持って家に帰ると、迎えてく れた母親はおばあさんになっていた。森の中での 3 日間は、実は 30 年だった。

その夜、2 人は楽しく語り合って眠りにつくが、翌朝になっても目覚めること はなかった。

 ヴィルヘルム・グリムの時代を描き出すために、センダックは同書におい てもドイツ・ロマン主義絵画の様式やモチーフを取り入れている。表紙では 円形の枠の中に母親とミリーが描かれている。枠の外側はナラの葉で囲かれ、

画面の左右下部には百合の花が咲いている。百合のつぼみから、小鳥を手に した天使が姿を現している。ソンハイムは枠や天使といったモチーフがルン ゲ《ナイチンゲールのレッスン》(1804-05 年)からの借用であると指摘す る60。しかし表紙は《ナイチンゲールのレッスン》のための習作(1802 年、図 10)により類似している61。天使は 2 人しか登場せず、ナラの葉の一枚一枚が

58 1974 年にその手紙と物語がミリーの子孫によって売りに出され、今日はカッセルの グリム美術館に収められている。再発見された「ミリー」の手稿の来歴等については以 下に詳しい。Edwin McDowell, “A Fairy Tale by Grimm Comes to Light,” The New York Times, September 28, 1983, Wednesday, Section A, p. 1.

59 William Goldstein, “‘Jacket Is Overture’: The musical achievement of Maurice  Sendak's ‘Dear Mili’,” Publishers Weekly, May 20, 1988, p. 49.

60 Amy Sonheim, Maurice Sendak, New York: Twayne, 1992, p. 123ff .

61 Traeger, op. cit., p. 331, no. 238.

(19)

より大きく描かれている。この習作は 1972 年の「19 世紀のドイツ巨匠の素 描(German Master Drawings of the Nineteenth Century)」展にも出品され ていた62。その他 12 頁に登場するバラの木のモチーフについては、ルンゲ《エ ジプト逃避途上の休息》(1805/1806 年)との類似がソンハイムによって指摘 されている63。森や野原の描写などは、グリム童話の挿絵でも知られるビー ダーマイヤー期に活躍したドイツの画家ルードヴィヒ・リヒター(Ludwig  Richter, 1803-1884、図 11)やモーリッツ・フォン・シュヴィント(Moritz  von Schwind, 1804-1871)の絵を想起させる。

 一方、同書の制作にあたってセンダックはゴッホを強く意識していたよう だ。1986-87 年にオペラ上演のためにアムステルダムに滞在した際、ゴッホ 美術館を訪れている64。赤いバラを持って家に帰る女の子をおばあさんになっ た母親が迎える最後の場面では、夕日が山の向こうに沈み、廃墟や果実のなっ た木が描かれており、一日の時と四季の循環が閉じられようとしている。人間 の生命もまた、終わりを迎えようとしている。これはローゼンブラムの本にも 引用されているゴッホの言葉を想起させる。「・・・ ぼくは死や埋葬といったも のが、ちょうど秋の葉が散るようにいかに単純であたりまえのことかを表現し たかったのだ65。」その夜、少女は母親と共に永遠の眠りにつくのである。

 さらに同書では、ナチスによるユダヤ人の迫害を想起させるモチーフが描き 込まれている。同書とホロコーストの関係についてはボズミジアンの研究に詳 しいが、たとえば 9-10 頁の見開きの場面で、ユダヤ人の捕虜たちが渡る橋の 後ろには、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の門が描かれている66。はじ

62 Exh. cat., German Master Drawings of the Nineteenth Century, op. cit.

63 Sonheim, op.cit., p. 124.

64 Goldstein, op. cit., p. 50.

65 ローゼンブラム、前掲書、104 頁。

66 Hamida Bosmijian, “Memory and Desire in the Landscapes of Sendak's Dear Mili,” 

The Lion and the Unicorn 19(2), 1995, pp. 186-210, here pp. 199-200.

(20)

めの束見本には、彼らを導くナチの将校まで描かれていたという67。また 23-24 頁の見開きの場面で、画面左に描かれているのは、フランスはリヨン近郊の村 イジューで楽しく暮らしていたユダヤ人の子ども達と彼らの家である68。この イメージは『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された写真が元になっている と言うが69、おそらくセンダックはナチスの将校クラウス・バルビーに関する 1987 年 8 月 2 日付の新聞記事を読んだのだろう70。絵本には子どもたちを指揮 するモーツァルトの姿も描き込まれている。

 センダックは『ミリー』に取り組む直前に訪れたアムステルダムで、ゴッホ 美術館とともにアンネ・フランクの家を訪れていた71。しかし、最初からホロ コーストを意識していたわけではないようで、同書の制作がちょうど半分まで 来た時、テレビで映画『ショア』を見て、自分が広い意味でホロコーストに関 する本を制作していることに気づいたという72。ヴィルヘルム・グリムがミリー という少女に手紙を送ったのは 1816 年であり、この戦争はナポレオン戦争か、

あるいは三十年戦争であっただろう73。しかしセンダックにとっての戦争は第 二次世界大戦であり、具体的にはホロコーストの恐怖を意味にしていた。1928 年生まれのセンダックは、アンネ・フランクやとリヨンの村で捕らえられた子 ども達と同じ世代で、同じユダヤ人であった。彼らは向こう側(ヨーロッパ)

に住んでいた。センダックはこちら側(アメリカ)に住んでいた。それだけの 違いだったのだ74。同書の制作中には不思議な一致が起こっていたという。ミ

67 Cech, op. cit., p. 239.

68 Bosmijian, op. cit., p. 203.

69 Goldstein, op. cit., p. 49.

70 Ted Morgan, “Voices from the Barbie Trial,” The New York Times, August 2,  1987, Sunday, Section 6, p. 20. 1944 年 4 月 6 日にイジューでナチス親衛隊の将校バルビー の命令によって 4 歳から 17 歳までの子どもたち 44 名らが拘束された。彼らの大部分は アウシュヴィッツの絶滅収容所で殺害された。

71 Goldstein, op. cit., p. 50.

72 Loc. cit..

73 Donald Haase, “Children, War, and the Imaginative Space of Fairy Tales,” The Lion and the Unicorn 24(2000), p. 364.

74 Mervyn Rothstein, “From the Very Busy Sendak, A Book of a Rare Grimm Tale,” 

(21)

リーが天国へ旅たつ場面を書いたのはちょうど復活祭の日曜日であり、セン ダックはクリスマスの日に表紙を描き、本書を完成させた75。こうしてアイダ の妹であるミリーの物語は終わりを迎えた。

 以上、本稿では、センダックとドイツ・ロマン主義の絵画について考察し てきた。『まどのそと』では、舟・船や後ろ姿の人物、窓、室内描写、洞窟と いったドイツ・ロマン主義絵画に見られるモチーフによって、「こちら」と

「むこう」、そして「そのまたむこう」が表現されている。当初の表紙デザイン にはフリードリヒの作品を思わせる後ろ姿の人物や舟のモチーフが描かれてい たことも指摘した。センダックは 1970 年代になってドイツに関心を持つよう になるが、ちょうどこの時期にフリードリヒやルンゲらが欧米で再評価されて いた。センダックも影響を受けたというローゼンブラム『近代絵画と北方ロマ ン主義の伝統』では、ロマン主義美術の特徴として、有限と無限、小宇宙と大 宇宙という「両極性」が挙げられている。フリードリヒ《海辺の修道士》に描 かれた僧侶のように、アイダもまた、窓の外に広がる世界に対峙しようとする 一人の人間であったと言えよう。アイダの物語は『ミリー』へ続いていくが、

ここでもまたドイツ・ロマン主義絵画の様式が部分的に取り入れられることと なる。

 その後、センダックの関心は、より現実的な政治や社会の問題へと向かって いく。主人公も、ひとりぼっちの少女から、複数の少年たち(『わたしたちも ジャックもガイもみんなホームレス』)や兄妹(『ブルンデイバール』)へと変 化していく76。こうしてドイツ・ロマン派絵画の様式は影を潜め、センダック はまた新たな様式を開拓していくことになる。

The New York Times, October, 19, 1988, Wednesday, Section C, p. 19. 

75 Goldstein, op. cit., p. 50.

76 モーリス・センダック(神宮輝夫訳)『わたしたちもジャックもガイもみんなホーム レス:ふたつでひとつのマザーグースえほん』冨山房、1996 年(原著 1993 年);トニー・

クシュナー作、モーリス・センダック絵(さくまゆみこ訳)『ブルンディバール』徳間書店、

2009 年(原著 2003 年)。

(22)

図版出典

図 1-5, 7, 9-11:筆者撮影

図 6:Hannelore Gärtner, Georg Friedrich Kersting, Leipzig: E. A. Seemann, 1988, p. 

54, pl. 38.

図 8:Exh. cat., Runge in seiner Zeit, Hamburg: Hamburger Kunsthalle, 1977-78, p. 

156, pl. 4.

(23)

図 1 ルンゲ《ヒュルゼンベック家の子ど もたち》1805/06 年、油彩・キャンバス、

131.5 x 143.5 cm、ハンブルク美術館

図 2 フリードリヒ《月を眺め る男と女》(部分)1824 年頃、

油 彩・ キ ャ ン バ ス、34 x 44  cm、ベルリン旧国立美術館

図 3 ルンゲ《ナイチンゲールのレッ ス ン( 第 2 バ ー ジ ョ ン )》1804/05 年、油彩・キャンバス、104.7 x 85.5  cm、ハンブルク美術館

図 5 ケルスティング《アトリエの カスパー・ダーフィト・フリード リヒ》1811 年、54 x 42 cm、ハ ンブルク美術館

図 6 ケルスティング《刺繍する 女性(第 1 バージョン)》1812 年、

47.2 x 37.5 cm、ヴァイマール城 美術館

図 4 フ リ ー ド リ ヒ《 あ ず ま や 》 1818 年 頃、 油 彩・ キ ャ ン バ ス、

30 x 22 cm、ミュンヘン、ノイエ・

ピナコテーク

(24)

図 7 フ リ ー ド リ ヒ《 海 辺 の 修 道 士 》 1808-10 年、油彩・キャンバス、110 x  171.5 cm、ベルリン旧国立美術館

図 8 ゲルト・ハルドルフ(父)《子ども の凱旋行列》1808 年、ペン・鉛筆・紙、

ハンブルク美術館

図 9 フリードリヒ《古き英雄の墓碑》

1812 年、 油 彩・ キ ャ ン バ ス、49.5 x  70.5 cm、ハンブルク美術館

図 10 ルンゲ《ナイチンゲールのレッスン》

のための習作、1802 年、ペン・鉛筆・紙、

52.2 x 47.4 cm、ハンブルク美術館

図 11 ル ー ト ヴ ィ ヒ・ リ ヒ タ ー《 夕 べ の 祈 り 》 1842 年、油彩・キャンバス、70 x 105cm、ライ プツィヒ造形美術館

図 1 ルンゲ《ヒュルゼンベック家の子ど もたち》1805/06 年、油彩・キャンバス、 131.5 x 143.5 cm、ハンブルク美術館 図 2 フリードリヒ《月を眺め る男と女》(部分)1824 年頃、 油 彩・ キ ャ ン バ ス、34 x 44  cm、ベルリン旧国立美術館 図 3 ルンゲ《ナイチンゲールのレッ ス ン( 第 2 バ ー ジ ョ ン )》1804/05 年、油彩・キャンバス、104.7 x 85.5  cm、ハンブルク美術館 図 5 ケルスティング《アトリエの カスパー・ダーフィト
図 7 フ リ ー ド リ ヒ《 海 辺 の 修 道 士 》 1808-10 年、油彩・キャンバス、110 x  171.5 cm、ベルリン旧国立美術館 図 8 ゲルト・ハルドルフ(父)《子ども の凱旋行列》1808 年、ペン・鉛筆・紙、 ハンブルク美術館 図 9 フリードリヒ《古き英雄の墓碑》 1812 年、 油 彩・ キ ャ ン バ ス、49.5 x  70.5 cm、ハンブルク美術館 図 10 ルンゲ《ナイチンゲールのレッスン》 のための習作、1802 年、ペン・鉛筆・紙、 52.2 x 47.4 c

参照

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