職業案内書に見る女子職業論 : 女性と産業の教育関係史(第6報)
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(2) 職業案内書 に見 る女子職業論. 員 )と 看護職 (看 護婦 )で あ って,そ れぞれ に職業上 の心 得 や技術 な どにつ いて記 した多数 の 出版物 が世 に 出 た。 明治 中期 にな ると,女 性 の職業 はさ らに広 が り,そ れ らを総合 した職業案 内書 が刊行 され るよ うにな った。 その嗜矢 とな ったの は,. 1895(明 治 28). 年 に民友社 か ら出版 された『 婦人 と職業』 であ る。 本稿 は, この種 の総合的 な職業案 内書 を取 り上 げ,そ の 中 にお ける女性 と 産業 の教育関係 につ いて考察 してみ る。勤労 を厭 わ ぬ 日本女性 が,ど の よ う な形 で 日本 の産業戦略 の 中 に組 み込 まれ,そ のために どの よ うな職業教育 を 受 け ることにな るかを考 えてみた い と思 う。. 女 性 職 業 の奨 励 (1)戦 前期女子職業案 内書. 1996(平 成 8)年 , 国立国会 図書館 の ロ ビーで,「 彼女 は斯 う して就職 し た」 と題 して,明 治期 5件 ,大 正期 2件 ,昭 和戦前期 6件 ,昭 和戦後期 7件. ,. 平成期 4件 の女子職業案内書 が展示 された。 これを手 がか りに して戦前期 に 刊行 され た女子職業案 内書 を調査 してみ た ところ,表 1に 示 す よ うに 23件 を確認 す ることが出来 た。備考欄 の○印 は国会図書館 の展示本 で あ り,※ 印 は複刻本 の 出 て い る もので あ る。 これを見 ると,女 子 の職業 は,大 正 期 にな って い わゆ る職業婦人 が登 場 す るよ うに な ってか ら問題 とな るので はな く,明 治 の早 い時期 か らそ の案 内書 が 出版 されて いて,明 治期 だ けで も 8件 を数 え る。 この うち,伊 賀 歌 吉 著 『 婦人職業論』 は,「 自序」 によれば,わ が国 にお ける初 めての「科学 的論評 を試 みた る著作」「根本 的 に此 の 問題 に対 す る研究」 で あ る。 その 冒頭 には. ,. 「婦人職業論 は蓋 し二 十世紀 の重要 な る問題 の一 つ に数 へ らるべ し」 と, こ の 問題 の重要 性 を指摘 して い る (⑦ 一― 以下 表 1の 番号 を も って 引用書 を 示 す ことにす る)。 この表 の中 には,大 正 0昭 和期 に 出 された東京市 および大阪市 によ る職業.
(3) 三. 好 信. 浩. 刊. 年. 著. 者. 1895(明 治 28) 民友社 (編 ) 1897( 〃 30) 林 恕哉. 福良虎雄. 出 版 社 備考 民友社 文学同志会 普及社 大学館 内外出版協会 博文館 宝文館 新公論社 0新. 婦入社 『輸出向内職 の案内』 宮城県内務部 『 婦人 も働 け― 新 しい 日本評論社 女子職業案内』 樋 口紋太 『 新時代之婦人生活手引』弘明館書店 佐瀬文哉 『 文化的婦人 の職業』 自光社出版部 坪江一二 『 適正男女職業選定知識』宝文館 東京市社会局 (編 ) 東京市役所 『 婦人 自立 の道』 主婦之友社編集局 (編 ) 『 現代婦人職業案内』 主婦之友社 増尾辰政 中央職業研究所 『 婦人 の職業』 前田 一 東洋経済出版部 『 職業婦人物語』 読売新聞社会部 (編 ) 『彼 と彼女 は斯 う して 文明社 就職 した』 新川正一 『女学校 か ら職業 へ』 交蘭社 東京市役所 (編 ) 『 婦人職業戦線 の展望』白鳳社 大阪市社会部庶務課 (編 ) 『 婦人職業 の分野 に就 大阪市社会部 いて』 庶務課 東京女子就職指導会 (編 ) 『 東京女子就職案内』 東京女子就職 指導会 日本放送出版 豊原又男 『 女子新職業読本』 協会. ○○ ○. 1903( 〃 36) 落合浪雄 1905( 〃 38) 木下祥真 1906( 〃 39) 近藤正一 1907( 〃 40) 伊賀歌吉 1908( 〃 41) 手島益雄 (編 ). 名. 『 婦人 と職業』 『 婦人職業案内』 『 女子 の職業』 『 女子職業案内』 『 女子 の新職業』 『女子職業案内』 『 婦人職業論』 『 女子 の新職業』. ○ ○. 1918(大 正 7) 宮城県内務部 (編 ) 1919( 〃 8) 木下 幹. 1924( 〃 13) 1925( 〃 14) 1926( 〃 15) 1928(昭 和 3) 1929( 〃 4) 1931( 〃 6). 1932( 1935( 1936( 1938(. ※ ○ ※○○ ○ ○ ○ ○ ※ ○ ※. ①②③④⑤⑥⑦③ ⑨⑩ ⑪⑫⑬⑭⑮⑮⑭⑬ ⑩⑩④ ⑫ ⑬. 番号. 圭日. 表 1 戦前期刊行 の女子職業案内書. 調査 に類 す る もの も含 み入 れ たが (⑭ ,⑩ ,④ ),上 記伊賀 の著書 とこれ ら 職業調査書 を除 く他 の 19冊 は,純 然 た る職業案 内書 で あ る。. (2)女 性 に対す る職業 のすすめ. 1895(明 治 28)年 に最初 の女子職業案 内書 が民友社 か ら出版 された。 民 友 社 とは,1887(明 治 20)年 に徳 富 蘇 峰 を 中心 に結 成 され た 言 論 思 想 グ ル ープであ って,『 国民之友』 な どを刊行 して きた出版機 関 で もあ る。 この 『 婦人 と職業』 は,「 吾人 は飽 まで婦人 の職業 を取 るを可 とす るものな り」 と.
(4) 134. 職業案内書 に見る女子職業論. い う立場 か ら編 まれて いて,そ の開明性 が 際立 って い る。婦人 の職業 を批判 す る当時 の意見 を取 り上 げて,駁 論 を加 え,「 職業 に従事 せ ば, 自治 も,独 立 も,権 利 も,品 格 も自由 も自 ら来 るものな り」 と主 張 して い る。 アメ リカ の女性 が多種多様 の職業 に従事 して いること もそ の主張 の 自信 とな って い る (① )。. それか ら 2年 後 の林恕哉著『婦人職業案内』 では,生 存競争 の激 しい時代 にあって,男 性 が競争場裡 に打 ち勝 つために勉めることは当然であるにせよ. ,. 女性 もまた,「 相当の職業 を撰みて,適 当の業務 に従 い,家 計 の補助 をなす」 ことは,「 殊勝 なる婦人 の心懸」 であるがゆえに, 女性 に適 した職業 をなせ と主張 した (② )。 同年刊行 の福良虎雄著『女子 の職業』 もまた,「 生存競争 の激甚 なる社会 にあ りては,女 子 に単 に男子 の庇護 のみを頼 みて生活 し得 べ きにあ らず」 と いい,ア メ リカやイギ リスでは多数 の職業分野 に女性 が進 出 してい ることと 比 べて, 日本 の後 れを指摘 した。東京市 およびその周辺部 において調査 した 結果 を もとに,「 女子 に恰好 な りと思 はる もの二 十種」 の職業 をすす めた (③ )。. 1903(明 治 36)年 に『 万朝報』 の記者落合浪雄 の著 した『 女子職業案内』 は, 女性 の経済的独立を説 く点 で注 目され る。「女子 は独立仕 なければな ら んのです。女子 は此生地なき男子 の助 けを受 けざる為 めと,同 時 に自己の権 利 を主張す る為 めに独立 をせねば な らぬ時節 に際会 した のであるので す」 「妻 が夫 に甚 しき圧抑を受 けて居 るの も,絶 体 の権利 を掌握 されて居 るの も 畢克妻 たる人 に経済的独立 を得 る事 が 出来 なか ったか らではあ ります まい ,. か」 とい う (④ )。 現代 に持 ち出 して も通用す る斬新な主張である。 大正期 に入 ると,第 1次 大戦後 の欧米諸国 における自由主義思潮 と女性 の 職業進出を受 けとめる形 で,『 都新聞』 の記者木下幹 による『婦人 も働 け』 と題す る鼓舞的 な書名 の本 が出た。 副題 には,「 新 しい女子職業案内」 とあ る。著者 の求 めに応 じて序文 を寄せた田尻稲次郎,井 上友一,藤 山雷太,森 田退蔵,服 部文四郎,原 成吉 とい った著名人 の推薦 の辞 も, この主張 を支持.
(5) 三. 好. 信 浩. す る もの と して興味深 いが,何 よ りも注 目す べ きは,著 者 の 自序 に出 る見解 で あ る。 大正 とい う時代 が投影 されて い ると思 われ るのでその一 節 を い ささか長文 なが ら引用 してみ ると,「 婦人 が徒 らに男子 の奴隷 とな り, 家庭 の寄生虫 と な るの時代 は既 に過 ぎ去 つ て,世 界 の文化 の大勢 は,明 らか に婦人 の覚醒 を 促 す の時代 と為 りま した。婦人 の 自由,婦 人 の独立 を要求 す る欧米諸 国民 の 思潮 の響 きは,遠 く太洋 の彼方 よ り我 が国民 の脈博 に伝 は り,我 等 の心臓 の 鼓動 を して益 々高潮 せ しむ るで はあ りませんか。婦人 が職業 に携 はるの是非. ,. これ は最 早彼是 と議論 す る余地 が あ りません。実際 に於 て,今 日の如 く男子 か ら奴隷 視 され玩 弄視 されて居 る婦人 が,真 に生 活 せん と欲す るな らば,先 づ婦人 の経済 的 に独立 す る用意 と覚悟 とがな くて はな らな いので す」 とい う (⑩ )。. 1924(大 正 13)年 に 『 文化 的婦人 の職業』 とい う ソフ トなイメー ジを与 え る案 内書 が 出 た。「 時勢 に伴 応、 婦人 の覚醒」 の ゆえに,現 今 は,「 家流 の上 下 ,財 産 の有無 に関 らず適 職適業 を求 む る」風潮 が高 ま って きた ことを受 け て,著 者 と して調査研究 して きた成果 を公 刊 し,求 職婦人 の参考 に供 す るこ とを 目ざ した もので あ る。. 1926(大 正 15)年 に主婦之友社 の刊行 した 『 現代婦人職業案 内』 で は. ,. 女性 の地位 を政治上 ,社 会上 ,教 育上 において男性 と同等 の標準 に高 め るた めには,「 思想上 の独立」 を図 る必 要 があ り, そのため には「婦 人 が経済 上 に独立 を得 る」 ことが重要 であ ると しなが らも,婦 人 の天職 と背離 しな いよ うな適 当 な職業 を選 ぶ必要 が あ ると主 張 した (⑮ )。. 3)年 に増尾辰政 の著 した『婦 人 の職業』 で は,ア メ リカの職業婦人 は 800万 人 で,女 性 の従事 して いない職種 はわずか 昭和期 に入 って,1928(昭 和. 20数 種 にす ぎな い とい うよ うな例 を 引 きなが ら,女 性 に と って の職 業 の重 要性 を説 いた。 その一 節 には,「 独立解放 を要求 す る女性 に取 って は, 何 よ りも先 に職業 を持 たねばな りません。家庭 に在 る婦人 にて も,時 代 は百 の筆 笥 よ りも其婦人 の持 つ職業 を望 み ます。職業 は最 も確実 な る保険 であ り,災.
(6) 136. 職業案内書 に見る女子職業論. 難 の為 めの準備 な るの みな らず,幸 福 な るべ き日の喜悦 であ ります」 とあ る (⑮ )。. 翌 1926(昭 和 4)年 の前田一著『職業婦人物語』 は, 不況期 に入 った 日 本 において,「 台所 を飛び出 して街頭 に出た女性 ! その雄 々 しくも勇敢 な姿 を, わた くしは職業婦人 に見出す」 という著者 の考 えを もとに,「 女性 の勇 敢 な進出」 の状況 を小説風 に描 いている (① )。. 1936(昭 和. H)年 の『東京女子就職案内』 と 1938(昭 和 13)年 の. F女 子. 新職業読本』 は, ともに職業紹介所 の提供す る就職情報 である。前書 の序文 を書 いた東京府職業紹介所長豊原又男 によれば, この書 の特色 は,「 現代職 業婦人 の希望者 の勤 め口,就 職先 を明朗化 し,女 子就職上 の指導的便宜 を図 られた点 にある」 (⑫ )。 後書 はその豊原 の著作 であって,「 著者 は多年 これ 等職 を求 め らるる子女 の相談相手 となって来 た関係上,各 種職業 の内容及 び 如何 なる人が之 に適す るか等 の問題 に就 ては一 日の長 があると敢 て 自負す る もので ある」 との立場 か ら執筆 して い る (⑬ )。. (3)男 性 の職業 とのちがい. 女性 に対 して就職を奨励す る場合 に,明 治・ 大正期 の出版物 は,女 性 の精 神的・ 経済的独立を説 く点 にお いて格調 が高 い。 しか し,明 治後半期 に上昇 して くる良妻賢母 の思想 との間 に ジレンマが生 じて くる。家庭 か職業 か とい う選択 の問題 であって, ヴィク トリア朝 のイギ リスに台頭す る ドメスティッ ク・ イデオ ロギー と相似 た現象 が現 われるの。 この問題 に対す る日本人 の解決策 を職業案内書 の中 に探 ってみると,女 性 の職業 を男性 のそれ と異 なるものと見て い る点 において共通 して いる。 その 際,大 別 して 2つ の理由づ けがなされている。1つ は,男 女間 における職務 上 のちが いであ り,他 の 1つ は,男 女間 における適性上 のちが いである。 まず職務上 の ちが いについて見 れば,男 性 にとって職業 は第 1義 的 な もの であるのに対 して,女 性 にとっては,家 庭 が第 1義 的であって職業 は第 2義 的 な ものとなる。.
(7) 三 好. 信. 浩. 明治期 の 出版物 か ら引用 してみ る と,「婦 人 は家政 の任 を負 ひ育児 の責 め を有 て る ものなれ ば,内 を外 に して東奔西走職業 にのみ従 応、ことを得 ぎるが 多 し。 故 に婦人 には婦人相 当 の職業 を撰 まざ るべ か らず 」 (② ),「 私 は他 に 大 した事情 の存 じな い限 りは,矢 張婦人 は家庭 の人 とな るの を喜 び,ま た人 間 自然 の本性 に顧 る も,社 会 の発達 に顧 る も夫 れが 当然 の事 と考 へ て居 りま す」 (⑤ ),「 素 よ り婚嫁 は人生 の大要件 で あ るか ら,婚 嫁 は無 論 の事 ,女 子 と して は夫 に従 ひ夫 を助 けて一家 を形 づ くると云 遮、の は当然 の事柄 で あ る」 (⑥ )。. 大正末年 に東京市 の 出版 した『 婦人 自立 の道』 は,書 名 か らして大正 自由 主義 の主張 に立 つ もの と覚 しきや,「婦人 の職業 た る男子 の夫 れ に比 して本 迄 もな い」「婦人 の職業生活 と家庭生活 , 特 に育児 の任 質 的差異 あ るは云 応ゝ 務 との両立 が 困難 で あ り,両 者 の兼摂 が偶 々婦人 自身 の心身 を破壊す るに止 ま らず して, 次代 の国民 の運命 に も影響 を及 ぼす とい遮ゝ 事 であ る」「故 に結 婚 と同時 に退職 す るとい遮ゝ 事 は望 ま しい事 で あ るが,現 代 の経済組織 で は結 婚婦人 を家庭 か ら職業生活 に続 々 と赴 か しめて い るので あ る」 (⑭ )と , 歯 切 れの悪 い「 道 じるべ」 とな って い る。 その後 の案 内書 に も,同 じよ うな論調 が 引 き継 がれ る。例 えば,主 婦之友 社 のそ れ は,「 婦人 の天職 はよ き妻 で あ り, 良 き母 で あ ることです。 就職 は 婦人 の最後 の 目的 で はな いの です」 と言 い切 る (⑮ )。 大阪 の中央職業研究 所 の 出 したそれ は,「 婦人 の天職 は家庭 にあ りて, 良 き妻 で あ り良 き母 であ ること,従 つ て職業 は婦人 の 目的 の全部 で ない と云 応、 観念 を以 て進 まれ ん こ とを呉 々 も注意 した いので あ ります」 とい う (⑮ )。 第 2の 男女 間 にお け る適性 の ちが いにて いて も,多 くの案 内書 に共通 の論 調 が見 られ る。最初 に 出版 された民友社 の『 婦人 と職業』 の ごときは,先 に その開明的姿勢 につ いて評価 した ものの,そ の 内実 とな ると,女 性 の職業 を 限定 して いて,「婦人 に は婦人 が為 す べ く天 よ り授 け られ た る適 当 の職業 あ り」 と して い る。 そ の職業 には,「 家政 の整理 ,小 児 の保育 ,食 物 の調理. ,. 室 内 の掃 除」 な どを含 んで いて,「 閑 な る時間 あ らば進 んで職業 に従事 す べ.
(8) 138. 職業案内書 に見 る女子職業論. じ」 とい う程度 の職業 のすす めで あ って,い きお いその職業 の 内容 は女性 に 適 す る手芸 的 な ものが 中心 とな る (① )。 「婦人 には婦人相 当 の職業 を択 まざるべ か らず」 (② ),「 畢克現時 の女性 が 恰好 な る職業 を選 ぶ事 が必 要 で あ る」 (④ ),「 梅 は梅 らしく, 柳 は柳 らしく あ りて こそ 始 め て そ の天 稟 の 美 性 を完 応、す る と云 遮ゝもの で はあ るま いか」 (⑥ ),「 婦人 に最 もよ く適 した職業 は, 婦人 の性能 な り体質 な りがそれ に最. もよ く適 す る ものでな ければな りません」 (⑮ )。 言 うと ころの婦人 の適性 と は,緻 密 ,丁 寧 ,優 美 ,温 順 ,親 切 ,忍 耐力 ,注 意力 な どであ る。. (4)対 象 と しての 中産階級 女子 の職業案 内書 は,中 産階級 を対象 に措定 していた。論者 によ って ス タ ンスの差異 はあ る ものの,貧 農 出身 の繊維女 工 は,無 視 ない し軽視 して いた。 生活 に余裕 の あ る階級 の女性 は,外 で職業 に従事 す ることを軽蔑 す る風潮 が支配 的 にな りつつ あ った時代 に,あ えて就 職 をすす めたの は,他 方 にお い て 中産 階級 の 中 にその ニ ー ズが生 じつつ あ った ことを物語 って い る。「今 日 は中等社会 の婦人 も職業 とい遮ゝ 事 に意 を注 いで参 つ たよ うに思 はれ るの で あ ります」 と して,「 中等社会 に適応 す る品位 あ る職業」 を紹介 した (⑤ )。. 「元来職業婦人 は,極 く最近 までは生活 の脅威 を逃れんが為めに就職を余 儀 な くせ られた下層階級 の人 々のみで あつ たが,近 来中流階級 か ら此等 の た為 め 迄 もな く主 として生活難が中流階級 を襲ぶ、 人 々の続出 したの は,云 遮ゝ であるが,其 れは寧産業革命 の影響 と之 に伴 遮、 婦人 の 自覚 (婦 人解放運動) が与 つて力あ ると云 はねばな らぬ」 といいつつ も,未 婚女性 は結婚 とともに 退職すればよい し,既 婚女性 は職業 と趣味を一致 させればよいとい うような 悠長 な職業 のすす めとなる (⑭ )。 大正末年 の東京市 の出版物 である。 中産階級 の娘 を対象 とす る職業論 の特色 の 1つ は,結 婚 した後 の不慮 の不 「平生 よ り職業を試みて主人健在 の時 は家 幸 に備 えよという予備論 である。 政 の助勢 を為 し,若 し万一 の不幸 に遭遇 せば独立 の力 を もて家族を支 遮ゝるの 手段 なかるべか らず」 (① ),「 万一一家 に於 て天災地変等 の不幸 に際会 し ,.
(9) 三. 好. 信. 浩. 又 は俄 に父亡母没等 の悲運 に遭 遮、ことあ りとす る も,賤 しき芸 者女郎杯 の如 き苦界 に身 を沈 ま しむ るが如 き醜状 な くして,細 々なが らも安心 に一 家 を維 持 し得 らる ゝは, 手 に職 を覚 えた るの仕合 な り」 (② )と い った論調 がそれ で あ る。 も っと も, この予備論 につ いて は,時 代 が下 ると反 論 も出て くる。例 えば. ,. 「 あ るか な きか分 らな い不 時 の場合 のため に,予 め相 当 な職 業 を心 得 て 置 く が よい とい応、 考 へ 方 で は,今 更事 改 めて女 性 の職 業 な ど論 ず る必 要 はな く な って しまふ。実 に馬 鹿 ら しい無駄 骨 を折 る ことになつ て しまふ」 とい う (⑩ )。 1931(昭 和. 6)年 の『 女学校 か ら職業 へ』 と題 す る案 内書 であ る。 そ. の気 にな って職業 につ けとい う主張 とな る。 この書名 か ら分 か るよ うに,女 学校 に通 わせ ることの 出来 る階層 の女性 が 問題 とされて い る。 ほ とん どす べ ての職業案 内書 は,そ の職業 を身 につ ける ための学校教育 の紹介 をな して い る。初期 の もの は,前 稿 で見 た産 業啓蒙家 の手 島精 一 や女性教 育家 の鳩 山春子 がその創業 に参与 し,後 に学校経営 の責 任 を負 う ことにな る共立 女子職業学校 に大 きな期待 を寄 せ た (① ,② ,③ )。 その後 の案 内書 は,進 学案 内書 の役割 を兼 ね備 えて い る (④ ,⑤ ,⑥ ,③ ⑮ ,⑮ ,① ,⑩ ,⑫ ,④ )。. ,. 特 に,東 京 の女子専 門学校 ,職 業学校 ,各 種学. 校 の一 覧 を見 ると,首 都 におけ るそ の種 の女学校 の盛況 ぶ りが うかがわれ る。 逆 にいえば,職 業案 内書 の すす め る女性職業 にはそれだ け の先行投資 を必 要 とす るとい う ことにな る。 女子 の職業案 内書 において意見 の分 かれ るの は内職 の評価 で あ る。家庭 で の賃稼 ぎは古 い時代 か ら庶 民 階級 の中 で慣行化 して いただ けに,そ れを軽蔑 す る考 え は根 強 く残 って いた。 それだ けに,「 女子 に内職 を為 さ しむ る も良 策 な り」 (① )と い う主張 と, 内職 は「精 確 な意 味 で は職業 と申す ことは出 来兼 ね る」 (⑤ )と い う主張 に分 かれ る。 大正期 の『 婦人 も働 け』 は,上 編 を家庭 内職 ,中 編 を小資本 で婦人 に出来 る商売 ,下 編 を婦人 の職業 に分 け,内 職 につ いて 明確 な意 義 づ けを した。 内 職 は 「千種万態」 なが ら,「 一 般 中流以上 の家庭 に相適 しい内職 と して何 を.
(10) 140. 職業案内書 に見る女子職業論. 選択 す べ きか,種 々 と腐心 して居 る人 々が 多 いが,帰 す ると ころ,前 に述 べ た る如 く騒 々 しい音 を立 てず,運 搬 に便利 で,余 り道具 を要 さな い,さ う し て利益 の相応 に上 る もの と云 へ ば,先 づ編物 や刺繍 ,絞 染 め,折 夷斗 ,裁 縫 細 工 品 , ミシ ン裁縫 品,バ テ ン及 テネ リフ類 , ドロ ンオー ク製作 品,麻 糸 つ. なぎ, 造花等であります」 (⑩ )と , 中流以上の女性の従事す るに応ゝさわし い内職を特定 した。. 2。. 女 性 職 業 の種 別. (1)女 性 の職業 に関す る分類 職業案 内書 に挙 げ られた女性 の職種 は,時 代 の推移 につ れて大 き く拡大 し た。最初 に出版 された『婦 人 と職業』 は,裁 縫 ,編 物 ,養 蚕 ,美 術 ,造 花. ,. 縫取 ,押 絵 ,慈 善事業 ,産 婆 ,文 学 ,教 育 ,事 務家 の 12種 であ る (① )。 そ の後 の案 内書 は,多 様化 す る職種 を分類 す る方 向 に進 んだ。 その際, 3つ の 分類方法 が と られ た。 第 1は , 女性 の適性 に基 づ く分類 で あ って, 1903(明 治. 36)年 の 『 女子. 職業案 内』 で は,「 温順親切」 な性格 の もの と して,保 拇 ,看 護婦 ,女 医. ,. 教員 な ど 6種 ,障 吊密丁寧」 な性格 の もの と して,事 務員 ,販 売員 な ど 5種. ,. 「美 的感情」 の性格 の もの と して,裁 縫 師,画 家 ,音 楽家 ,文 学家 な ど 12種. ,. 合 わせて 23種 が女性 に応ゝさわ しい と した。 第 2は , 職業 の特性 によ る分類 で あ って, 1905(明 治. 38)年 の 『 女子 の. 新職業』 は,「 技芸 的職業」 と して造花 , 写真 , 裁縫 な ど 6種 ,「 事務 的職 業」 と して事務員 ,電 話交換手 ,店 員 な ど 4種 ,「 社会 的職業」 と して学校 教員 ,保 姐 ,看 護婦 ,速 記者 な ど 7種 ,合 わせて 17種 を挙 げた。 第 3は , 職業 に要 す る能 力 を主 とす る分類 であ って,. 1926(大 正 15)年. の『 現代婦人職業案 内』 は,「 智力」 を主 とす る もの と して,教 員 ,女 医. ,. 事務員 ,ガ イ ドな ど 19種 ,「技術」 を主 とす る もの と して,看 護婦 , タイ ピ ス ト,製 糸教婦 ,製 図手 な ど 16種 ,「智力 と技術」 を主 とす る もの と して. ,.
(11) 三. 好 信. 浩. 映画女優,音 楽家 など 7種 ,「 体力」 を主 とす るもの として,車 掌,女 工な ど 9種 を挙 げた (⑫ )。 この第 3の 分類方法 は,そ の後 の出版物 に も踏襲 され,例 えば,智 的職業. ,. 技術的職業,智 的・ 技術的職業,労 力的職業 とか (⑮ ),智 能的業務,技 術 的業務,肉 体的労働業務 とか (⑩ ,⑫ )い った分類 がなされた。. 1938(昭 和 13)年 の『 女子新職業読本』 はこの分類 に即 して,表 2に 示 す 65の 職種を挙 げて, それぞれについて解説 を加えた。 第 2次 大戦中は大 きく様変わ りす るものの,そ の直前 における日本女性 の主要職業 を網羅 して いる。 表 2 女性 の主要職業. (『. 女子新職業読本』 1938年 ). 職. 種. ① 中等教員 ② 小学校教員 ③ 女医 ④ 婦人歯科医 ⑤ 女薬剤師 ⑥ 漢方薬剤師 ⑦ 託児所の保姐 ③ 伝道師 ⑨ 児童保護司 ⑩ 婦人看守 ⑪ 音楽家 ⑫ 美術家 女芸師匠 ⑭ 婦人記者 ⑮ 女流作家 ⑩ 女弁護士 ⑬ 智能 を主 とする職業 ⑬ 通信事務員 ⑬ 銀行 0会 社員 ⑩ 図書館司書 ⑩ 女店員 ④ 商店経営指導員 ⑫ マネキ ン・ ガール ⑬ 宣伝 ガール ⑭ スピーカー・ ガール ⑮ 婦人 ガイ ド ④ アナウンサー ④ 船客接待婦 ⑬ 婦人探偵 ⑩ エアー 0ガ ール ① 和服裁縫師 ② 洋服裁縫師 ③ 欧文 タイ ピス ト ④ 邦文タイピス ト ⑤ 速記者 ⑥ 簿記係・ 珠算係 ⑦ 婦人製図工 ③ ピアノ調律師 ⑨ 婦人栄養士 ⑩ 製糸教婦 ⑪ 国際電話係 ⑫ 電話交換手 ⑬ 歯科技工師 技術を主 とす る職業 ⑭ 自動車運転手 ⑮ 女流飛行士 ⑮ 助産婦 ⑬ 看護婦 ⑬ 学校衛生婦 ⑩ 美容術師 ⑩ 美粧院の開業 ④ 理髪師 ⑫ 女優 ⑬ エレベーター・ ガール ② 写真師 ⑮ 按摩鍼灸師 ④ プレッシング・ ガール ① 官業女工 ② 民業女工 ③ レンズ磨工 ④ 列車食堂 の給仕 労務を主 とす る職業 ⑤ バスの車掌 ⑥ 出札係 ⑦ 遊覧 ガイ ド ③ 派出婦 ⑨ 女給・ 給仕・ 喫茶 ガール ⑩ 女中. (2)繊 維女 工 の位置 づ け 日本 の産業革命 の最大 の特長 は 未婚 の女工を大量 に使役 して,低 賃金 で ,. 長時間労働 を させ ることによ って. ,. 収益性 を高めたことである。綿糸 の紡績.
(12) 職業案内書 に見 る女子職業論. 工 場 か ら始 ま り,絹 糸 の製糸 工 場 に及 び,そ れ に綿布 と絹布 の織物 工 場 を巻 き込 んで, 繊維女 工 の数 は盛 時 には 80万 人 を数 えた。 貧 しい農村 か ら出 て 寄宿舎 に収容 され,昼 夜業 に従事 し,健 康 を害 す る女 工 の実態 につ いて は早 くか ら各種 の報告 や告発 が な されて きた。 いわゆ る「女 工 哀史」 であ る。前 稿 で 見 た平塚 らいて うも山川菊栄 も紡績工場 を見学 して,婦 人問題 の重要性 を認識 した。 この繊維女 工 を女子 の職業 と見 なすか ど うか につ いて,職 業案 内書 は意 見 が分 かれた。全体 的 に見 るな らば,職 業案 内書 にお ける繊維女工 の取 り扱 い は極 めて軽 い。大 き く分 けると,論 者 の姿勢 は次 の 5つ に分 かれ る。 その 1は ,女 性 の職業 の 中 か ら繊維女 工 を除外 す る もの で,そ の数 は多 い (① ,③ ,④ ,⑤,⑪,①,⑩ )。. その 2は ,繊 維女工を含 み入れて も軽 く形式的 に取 り扱 ってい るもの も多 い (② ,⑮ ,⑮ ,④ )。 その際,印 刷局,造 幣局,専 売局 などの官営工場 の 女工を先 に出 し,数 の うえでは圧倒的 に多 い繊維女工に軽 く言及す る程度 の もの もある。 例 えば,「 何分多人数 を使雇す ることにて, 若 き女なれば幾 ら にて も使雇せ らる ゝ由,望 みの ものは各 々其入 らん と欲す る会社工場 に付 き て規則及 び仕事 ぶ りを聞 き合す こと必要 な り」 (② )と いった ものである。 その 3は ,繊 維女工が女子 の職業 にもた らした悪影響 を指摘 したうえで. ,. 彼女 たちに対す る偏見をな くせ と主張す るものである。 例 えば,「 近来工場 の女工 と云応、ことが興 つ たが, これ とて も職業 の上 の勢力 こそ優勢 なるもの であるが,そ の就職 の女子 の種類 は極 めて無教育 な下流社会 の女子許 りであ る。為 に女子を して職業 を求 むるの企望を起 さしむると云応、ことは愚か,寧 ろ嫌忌す るの念を増長 さした位である」 といいつつ も,「 人 の品格 と云ぶ、も の は決 して職業 の貴賤 に伴 応、ものでは無 い」 「我国 の様 に職業 に依 つて人物 に等級 を立て社会 を区別 をす ると云 遮、ことは決 して善良 な風 とは申されぬ」 と主張 した (⑥ )。 その 4は ,工 場法 によって改善 が見 られるようにな ったため,職 業 として すす めることが可能 とな ったとす るもので ある。 例 えば,「 昔 は女工 と言 応ゝ.
(13) 三 好 信. 浩. と,余 程下 つ た職業 の や うに思 はれ ま したが,今 日に於 て は立 派 な婦人職業 と して認 め られ ることにな りま した。 そ の為 め志望者 も年 々多 くな り,募 集 上 には左 まで 困難 が ない程 にな りま した。 日本 の女 工 の数 は,約 八十二 万九 千人 ばか りあ るさ うですが,そ の過半数 は矢張 り紡績 ,織 布 ,製 糸 工 場 な ど に働 く女工達 で あ ります」「 工 場 法 が 制定 されて取締 が厳重 にな りま した の で,大 体 に於 て は大 した相違 はないや うであ ります」 といい (⑫ ), あ るい は,「 大部分 は寄宿舎 に収容 されて ゐて, その 中 には娯楽 ,読 書 ,修 養 な ど に関す る設備 が あ り,明 るい生 活 がで きるや うにな りま した」 とい う (⑮ )。 ちなみ に, 日本 の工 場法 は,手 島精 一 な どによ って早 くか ら提 唱 されて い たに もかかわ らず,工 場主 の抵抗 が 強 く, よ うや く 19H(明 治 44)年 に制 定 され た4)。 その 際,最 も難題 で あ った夜業 禁止 は 15年 間 の 猶予措 置 が 講 じられたため, それが工 場 か ら姿 を消す の は 1925(大 正. 14)年 を待 たねば. な らなか った。 この 頃 にな ると,鐘 渕紡績 や郡是 製糸 な ど,工 場 内 の教育施 設 を整 え る と ころ も現 われ,女 工 の労働 状 況 に もい くらか の 改善 が 見 られ た5)。 その 5は ,繊 維女 工 の実態 を比較 的客観 的 に報告 した もので あ る。東京市 のな したア ンケ ー ト調査 (⑭ )や 実態調査 (⑩ )は そ の例 で あ る。 つ け られ た コメ ン トには,「 産業革命以来勃興 せ る近 代 工 業 は, その機械文明 の下 に 於 いて婦人 の繊細 に して緻密 な る技巧 を要求 し,か て ゝ加 へ て低廉 な る労銀 は彼女等 の進 出を容易 に し,紡 績業 ,化 学 工 業等 に於 いて は殊 にその傾 向 目 覚 しく,或 る程度 まで男性 の立 ち入 ることを得 ない牙城 を形成 した。 しか も 現今 で は,女 工 は労働 問題 に関 して重 要 な る役割 を演 じて ゐ るか らして,そ の方面 か ら見 て も此処 に特記 す る必 要 があ るで あ らう」 と記 して い る (⑩ )。. 3。. 産 業 に 関 す る新 職 業. 女子 の職業内書 に紹介 された女子 の職種 の うち,産 業 に関係す るものは. ,. 上記 の繊維女工を除 くと, ご く少数 である。表 2の 中か ら強 いて取 り出せば. ,.
(14) 職業案内書 に見 る女子職業論. 商業分野 の銀行・ 会社員 ,簿 記係・ 珠算係 ,工 業分野 の婦人製図 工 ,製 糸教 婦 ,官 業 女 工 ぐ らいで あ る。新 川 正 一 著『 女 学 校 か ら職 業 へ』 の 中 で は. ,. 「修業 を標準 と した分類」 が あ って,. H部 門 に分 け られ,「 商業」 と「生産」. の 2部 門 には表 3の よ うな職種 が例示 されて い る。 この うち,製 糸教婦 ,女 子製 図手 , タイ ピス トは,新 しい職業 と思 われ る ので,以 下 にそれ らを具体例 と して,女 性 と産業 の教育 関係 を考 えてみ るこ とにす る。. (1)製 糸 教 婦 養蚕・ 製糸 は, 日本 の伝統技術 と して主 に女性 によ って継承 されて きた。 開国後生糸 の需要 が高 ま りを見 せ る中 で, 日本 の生糸 の粗悪 さが問題 にな り 始 め ると,明 治新政府 は いち早 く, フラ ンスか ら機械 と技術者 を導入 し,西. 4)年 に創業開始 した富 岡製糸場 は その 嗜矢 であ る。 ここで養成 された女工 は,地 方 に設 け られた製糸工 場 の教 師 とな った。 その代表 的人物 が横 田英 で あ って,郷 里 の松代 に設 け られた六. 洋式 の技術伝習 を開始 した。 1871(明 治. 工 社 で,フ ラ ンス人 か ら学 ん だ技 術 を 日本 女 工 に教 え た。 そ の 間 の経 緯 は 『 富 岡 日記』 に詳 しく記 されて い る。 この後 ,富 岡製 糸場 の衰微 に伴 って,女 工 伝 習 は影 を ひそ めて いたが. ,. 1902(明 治 35)年 にな って東 京蚕糸講 習所 に よ って再 開 され る ことにな っ た。 同校 は この時期農商務省 の所轄下 にあ った が,1914(大 正. 3)年 に文部. 省 に移管 されて東京高等蚕糸学校 とな った。官立学校 と して は初 めて女子 に. 表 3 産業関係 の女性職業. (『. 女学校 か ら職業 へ』 1931年 ). 専門学校程度 の修業 を 職業的 の修業を要す るもの 職業的 の修養 を要 せざる もの 要す るもの 邦 文 タイ ピス ト,欧 文 タイ 税官史 ,事 務員 ,女 給 ピス ト,会 計簿記係 ,速 記 店員 ,案 内人 ,外 交員 ホテ ル婦人 秘書 製糸教婦 , 蚕病予 防員 , 製 各種女 工 ,坑 婦 ,農 業手 伝婦 ,蚕 女 図手 ,. 商業. 生産. ,. 女 工監督 ,工 場監督. ,.
(15) 三. 好 信 浩. 門戸 を開放 した ので あ る。初 め は製糸講習科 と し,後 に製糸教婦養成科 か ら ,. さ らに製 糸教婦科 と改称 しつつ,製 糸教婦 を養 成 した。 これが先例 とな り ,. 京都蚕業講習所 (東 京 と同時 に高等蚕糸学校 に昇格 )も ,. 1908(明 治 41). 3)年 まで の間 に女生徒 を入 れた し, また, 1910(明 治 43)年 創立 の上 田蚕糸専門学校 で も,1931(昭 和 6)年 か ら製糸教婦 養成科 年 か ら 1914(大 正. が設 け られた。 東京蚕糸講 習所 で この事業 に着手 した中心人 物 は本多岩次郎 で あ る。彼 は 養 蚕・ 製 糸 を 女 性 の 適 職 と考 え,多 くの 語 録 を残 して い る 中 に,上 掲 の. 1908(明 治 41)年 刊 『 女子 の新職業』 に収 め られた 「 女教 師 よ り割 のよ き 新職業」 があ る。 同書 は,手 島益雄 によ って編集 された もので,職 業案 内 だ けで な く著名人 の教育論 を含 み入 れて いて,そ の 1つ が この本多 の論説 で あ る。 そ の 中 で,本 多 は,「 教育 を受 けた ものが繭 か ら糸 を採 るの と,無 教育 者 が採 るの とは糸 の 目方 の 〆 高 に関係 を及 して来 ます」 「 婦人 の職業 と して は蚕糸業 が一 番適 当 で あ りま して,又 興味 が深 くあ ります」 と して, 自校 の 製糸講習科 へ の入学 をすす めた6)。 本多 の このよ うな言説 は,製 糸教婦 の役割 を重 要視 す ることに結果 した。 京都府 の綾部 に製糸 工 場 を設 けた波多野 鶴吉 も同 じよ うな考 えを持 って いて. ,. 「良 き糸 は良 き工 女 が 作 る もの な り」 とい う信 念 に基 づ いて7),製 糸女 工 の 教育組織 を整 え た。 1909(明 治 42)年 に川合信水 を招 いて, その教育 の充 実 を図 り,郡 是製糸 の女学校 (の ち誠修学院 と改称 )と して有名 とな った。大 正 末年 の学則 によれば,工 女養成科 ,師 範科 の ほか に教婦養成科 が置 かれて いた。教婦養成科 は,「郡是製糸株式会社各工 場 工 女 中 よ り選抜 した る もの. ,. 蚕業講 習所繰糸科女子部卒業生 ,蚕 糸専 門学校繰糸科女子部卒業生又 は之 と 同等 以上 の学 力技 能 を有 す る者」 を入 学 資格 と し,40名 の定員 で 6か 月 の 養成 を経 て 自社 の教婦 に育 てた8)。 職業案 内書 も,や や 間 を置 いて で はあ るが製糸教婦 を新 しい職業 と して取 り■ げ るよ うにな った。. 1926(大 正 15)年 の『 現代婦人職業案 内』 で は,障 目糸 が我国 の重要輸 出.
(16) 146. 職業案内書に見る女子職業論. 品であ り,絹 糸 の需要 が全 く無 くな らない以上,製 糸教婦 は不景気知 らず の 婦人職業 です。 この仕事 は,製 糸工場 な り官庁 な りに蚕業技手 となって就職 し,製 糸女工や講習生 を指導監督す るのであ ります」 とい う (⑮ )。. 1928(昭 和 3)年 刊『 婦人 の職業』 によれば,「 絹糸 は我国重要輸出品で すか ら,到 る所に絹糸工場 があ ります。 それ らの会社 に就職 して製糸女工や 講習生 を指導 し監督す るのを製糸教婦 と云ひます。中 には製糸教婦養成所 を 出で,県 庁 に就職 し県 の蚕業技手 とな り,又 は蚕業学校 の助手 となつて居 る 者 もあ ります」 とある (⑮ )。. 1931(昭 和 6)年 刊『女学校 か ら職業 へ』 は,「生糸 の本場 である我国 も 近頃 の様 に不景気 では差当 り困 るが,然 し世界 か ら絹糸 の需要 がな くなるこ とはないのであるか ら,有 利確実 な仕事 であるといへ よう。製糸工場,官 庁 の に蚕業技手 として就職 し,製 糸 の女工や蚕業講習生 を指導監督す るとい遮ゝ が其 の仕事 の主要なるもので ある」 と記 して い る (⑩ )。. 1938(昭 和 13)年 の『女子新職業読本』 も同 じような論調 である。「長野 県 の岡谷市,群 馬県 の前橋市 を始 め全国各地 には多数 の製糸工場 があるが. ,. 是等 の製糸工場 では何 れ も数百名 の女工を雇傭 し製糸 に従事 せ しめて居 る。 の は,是 等 の製糸女工の指導監督 に当るものである。 而 して製糸教婦 とい応、 尤 も中 には地方庁 に勤務 して農家 に於 ける製糸 の実地指導 に当つて居 る者 も ある」 と (⑬ )。 これ らの職業案内書 は,そ の職 に就 くための準備教育機関 について も紹介 して いて,前 2書 は東京高等蚕糸学校 を,後 2書 はそれに加えて上田蚕糸専 門学校 を挙げている。 これ ら 2校 の養成 した製糸教婦 の実数 について現在 の ところ詳 しくは分 か らない。 東京高等蚕糸学校 では, 1904(明 治 37)年 に 最初 の 4名 の卒業生 を出 して以来 1941(昭 和. 16)年 までに 656名 の卒業生. を出 し, これに短期講習 の別科修了者 を加えると, この間 の総数 は 1,009名 となる9)。 上田蚕糸専門学校 は, 1933(昭 和 8)年 に第 1回 卒業生 10名 を 10)。 出 し,以 後 10∼ 20名 程度 の卒業生 を出 した. 上田蚕糸専門学校 の昭和. H年 度 の『 一覧』 には,. 第 1回 か ら第 4回 まで.
(17) 三 好 信 浩. 147. の卒業生 49名 の就職先 を記 した名簿 が載 せ られ て い る。 それを分類 してみ ると,民 間製糸会社 28名 ,養 蚕関係 の検査場 5名 ,農 林省蚕業試験場 3名. ,. 県庁農務課 1名 ,上 田蚕 糸専 門学校 1名 ,中 華民 国官庁 1名 ,死 亡 2名 ,無 11),有 職 8名 で あ って 職者 の数 が, しか も専門職 に従事 して い る者 の数 が多 い ことが分 か る。. (2)女 子製図手 アメ リカで は,エ ンジニ アの世界 に入 るための関門 と して,数 学 ,物 理 学. ,. 化 学 ,図 学 が重 視 され て きたが,今 世 紀 に入 って 図学 の 比 重 が 低 下 した。 「 図学 はそれ ほど高度 な訓練 も受 けてお らず 賃金 も高 くない人 び とに吸収 さ れ,そ の結果 , ドラフテ ィ ングとか ドロー イ ングとか 呼 ばれ る別 の分野 と し て現 れた。 この分野 には女性 が進 出 して い った」 か らで あ る12)。 日本 で も,最 初 の エ ンジニ ア教育機 関 であ る工 学寮 (工 部大学校 )の ,例 えば 1874(明 治. 7)年 の学則 を見 ると,. 入試科 目 に図学 はな い。 7つ の専. 門学科 と も,予 科学 には図画 (測 量 図 と機 関図)が ,専 門学 に も図画が授業 科 目 と して 挙 げ られ,ロ ン ドンの 王 立 鉱 山 学 校 出身 の モ ン デ ィ. (Eo F。. Mondy)が 担 当 して いた。 しか し彼 の月給 は他 の専 門学 担 当 の教 師 よ り低 く, 日本人教 師 との交代 も他 の専 門学 よ り早 く進 んだ■)。 この図学 が女子 の職業 に変 わ るの は, 日本 で は大正 期 に入 ってか らで あ る。 女子職業案 内書 の 中 か らこれ に関係 す る記 事 を拾 い上 げてみ よ う。. 1924(大 正 13)年 の『文化 的婦人 の職業』 で は,「 女子製 図手 を採用 す る ことになつたの は頗 る最近 の ことで,漸 く六七年 に しか な りません。従 つ て 製図手 の数 も少 く,現 在 の所 で は百七八十名位 で あ ります」 と して,そ の修 業 の学校 と して東京 の 中央 工 学校 (目 白中学校 内)と 牛込実務女学校 (牛 込 市 ケ谷小学校 内)を 挙 げた。. 1926(大 正 15)年 刊『 現代婦人職業案 内』 で は,「 初 め鉄道省 で,高 女卒 業生 に試験 的 に製 図法 を教 へ て使 つ てみた ら非常 に成績 が よか つ たので,近 来 は会 社 や工 場等 で も採用す るや うにな り,婦 人製 図手 の需要 が 多 くなつ て.
(18) 148. 職業案内書 に見 る女子職業論. きま した。頭脳 が緻密 で,機 械 ,建 築設計等 に趣 味 の あ る婦人 にはよ い職業 で あ ります」 と して,資 格 は高等女学校卒業者 は半年 ,高 等小学校卒業者 は. 1年 程度 の修業 が必要 だ と して い る。学校 と して は,前 書 と同 じく,私 立 中 央 工 学校女子製 図科 ,東 京市 立牛込実務女学校製 図部 を挙 げた (⑮ )。. 1928(昭 和 3)年 刊『婦人 の職業』 も,そ の将来 の需要 が高 まる ことを予 想 して いて,学 校 と して は上記 2校 の ほか に大 阪 の私立 製 図学 館 を加 え た (⑮ )。. 1931(昭 和 6)年 の『 女学校 か ら職業 へ』 で は,「 兎 に角現在 で は堂 々男 子 を凌 ぐ立派 な製 図手 が多 く出 て ゐ るとい遮、ことは,狭 い女性職業界 へ の福 音 で あ らう。恐 らく今後 ,定 規 と烏 口を持 つ た若 い女性 が街 に流 れだす こと で あ らう」 と期待 を寄 せた (⑩ )。. 1936(昭 和. H)年 の『 東京女子 就職案 内』 で も,「 製 図 工・ 図案 工 は婦人. 特有 の手先 の器用 さを利用 した新 しい職業分野 で,専 門的 な智識 と緻密 な頭 脳 と根気 とを必要 と致 します」 とい い,学 校卒業後 の 1年 か ら半年 ぐらいの 修業 が必 要 で あ ると して い る (⑫ )。. 1938(昭 和 13)年 の 『 女子新職業読本』 で も, 同 じよ うな説 明 をな し ,. そ の修業 のための学校 と して,中 央 工学校女子製 図科 ,昭 和機械技術 工 員養 成所 ,東 京 工 業技術学校製 図科 ,発 明学校機械科 ,大 阪製 図学校 ,帝 都 工 業 技術学校 を挙 げた (⑬ )。 これ らの学校 は いずれ も各種学校 であ る。例 えば,中 央 工 学校 は,文 部省 の 「各種学校 台帳」 によれば, 1909(明 治. 42)年 に設置認可 され,男 子 の. 機械科 ,電 気科 ,土 木科 に加 えて,1918(大 正. 7)年 に女子製 図科 を設 置 し. て い る。各種学校 は女子 へ の門戸 開放 を比 較 的容易 に進 めて い る。 日本 の女 子 の技術教育 に果 た した各種学校 の役割 は非常 に大 きい と思 われ るが,そ れ が あま りに多数 で あ り,ま た多様 で あ るため, この製図手 の養成 な ど個 々の 職種別 の考察 を必要 と して い る。 ちなみ に, 日本 で は工 業学校 は女子 に門戸 を閉 ざ した。 1894(明 治 27) 年 の「徒弟学校規程」 で,技 芸 を教 え る女子 の職業学校 を徒弟学校 の一 種 と.
(19) 三. 見 な し, 1899(明 治. 好. 信 浩. 32)年 の 「 工 業学校規程」 で は女子 の徒弟学校 を工 業. 学校 の一 種 と見 な し, 1921(大 正. 10)年 の 「職業学校規程」 でそれを職業. 学校 と称 す ることに した。 しか し,裁 縫・ 手芸 へ と傾斜 した職業学校 に対 し て,工 業分野 に近 い技術 の教育 は,各 種学校 がその穴埋 めの役割 を果 た した の であ る。. (3)タ イ ビス ト. 経 済 界 ,特 に商業 界 にお け る女 子 の職 業 に変 化 を来 した 1つ の事 件 は. ,. 1874年 に アメ リカで タイ プ ライ タ ーが発 明 され た ことで あ る。男性 が企 業 において働 きなが ら身 につ けて いた知識 や技能 が,学 校 で教 え られ る女子 の 職業 に変 わ るか らで あ る。 それ は女性 の職場進 出 を促す とい うプ ラスの面 と. ,. 管理 的 な仕事 は男性 が担 当 し,そ の下 で女性 が事務 的 な仕事 をす るとい う新 しい男女 の職業分割 とい うマ イナ スの面 を持 って いたM)。 アメ リカの タイ ピス トの情報 が 日本 に もた らされた の は,か な り早 い。少 な くとも, 1877(明 治. 10)年 の文部省 の『 教育雑誌』 には, アメ リカの女. 性 の職業 の 1つ と して,「 揺字」 が挙 げ られ,そ れ には「 タイプセ ッチ ング」 とい う遮ゝり仮名 が つ け られて い た15)。 日本 にいつ ごろか らタイ ピス トが現 われ るか は確認 出来 ないけれ ど も,前 述 した嘉悦孝子 (第 2報 )の 日本女子商業学 校 で は, 1904(明 治 37)年 の 夏期講 習会 で タイ プ ライ ター使用法 を教 えていた。 同校 の実践 は新聞 に も紹 介 され,例 えば,1908(明 治 41)年 の『 中外商業新聞』 には,「 日本女子商 業学校 にて は今 回 タイプ ライ ター教授並 びに英語速記科教授 を開始 し,我 が 女学界 に一 新紀元 を画 した り」 と報 じられてい る16)。 女 子 の商業 学 校 で タイ プ ライ タ ー を教 え る ことは世 界 的趨勢 とな った。. 1915(大 正 4)年 に東京女子高等 師範学校 の ま とめた報告書 の中 に も, ドイ ツ ミュ ンヘ ンの市立女子商業学校 で は速 記術 と並 んで タイ プ ライ ター術 が教 え られて いた し,ス イスチ ュー リッ ヒの高等女学校 商業科 にお ける 17の 科 目の 中 に タイプ ライ ターが含 まれて いた。 日本 で も,「 女子 の タイ ピス トは.
(20) 職業案内書 に見 る女子職業論. 150. 近来俄 かに増加 し女子 の志望者 が非常 に多 くなる傾向 あり。女子 の新職業 と 「 タイ ピス トを志望 して修業す るものは ミッシ ョン 称す るも可 なるが如 し」 スクールや高等女学校 の出身者 に多 し」 「中流 の家庭 に生れたるものが家事 上一身上 の都合 のために就職 せ るもの多数 を 占む」 と,実 態調査 の結果 を報 告 した 。 1つ. 大正期 に入 ると, タイ ピス トはオフィスの花 として もてはやされた。女子 職業案内書 には例外 な しにその紹介 がなされて いる。. 1919(大 正 8)年 の『 新時代 の婦人生活手引』 では,「 タイ ピス トといへ ば,外 国 では主 に婦人 の仕事 となつて ゐますが,我 国ではまだ語学 の素養 の ある婦人が少 ないので,今 日のところではそれほどで もありません。 けれど も需要 は益 々多 くなつて,可 な りあや しい腕 の もので も, タイ ピス トと云ヘ ば羽 が生 へて飛 ぶや うに売れて行 くのです」 といい,神 田の正則 タイ ピス ト 学校 を信用 のある学校 としてすす めている。青山女学院,立 教女学校,横 浜 フェ リス女学校 の卒業生 が好成績 を収 めているのは,そ の英語 の学力 にある とも記 している (⑪ )。. 1924(大 正 13)年 の『 文化的婦人 の職業』 では,「 全国に於 ては二万人 の 婦人 が此の仕事 に従事 して居 る」 として,そ の増加 の一 因 に邦文 タイ ピス ト の登場を挙げている。養成所 はタイ ピス ト学校 のほか,基 督教女子青年会 や ミッションスクールな どもあるとしている (⑫ )。. 1926(大 正 15)年 の『 現代婦人職業案内』 では,「 極 く新 しい婦人 の職業 として タイ ピス トの名 は一般 に知 られ,そ の需要 も日一 日と増加 して,現 在 ではどんな会社 にで も一人や二人 の婦人 タイ ピス トを使用 しないところはな いほどで,現 在全国 に約六千余人 の婦人 タイ ピス トがを ります」 として,東 京,京 都,大 阪,神 戸 の 14校 の養成機関 を挙 げた (⑮ )。 昭和期 の女子職業案内書 では,最 早婦人 の職業 として タイ ピス トを欠かす わけにはいかな くなった。 どの案内書 にもその紹介 が出 るが,煩 雑 にわたる ので,以 下 には 2件 だけ取 り上 げてみる。. 1932(昭 和 7)年 に東京市 の刊行 した『婦人職業戦線 の展望』 では,「 タ.
(21) 三. 好. 信. 浩. イ ピス トは,智 能 的 の婦人職業 と して最 も普遍 的 な事務員 といお、ものの 中 に 含 まるべ きもの で あ る。 けれ ど もそ の業務 の性質 が一 定 の機械 を持 つ て ゐて 特殊 な技術 を要 す る もので あ るか らして, 自 ら他 とは区別 して観 るべ き必 要 が あ る。 また社会 的 に言 つ て も, タイ ピス トとい遮、ものが婦人 の職業 と して は斬新 に して,智 能 的 な もの と して はあ る意 味 の代表 的 な もの とされ て ゐ る」 と して,女 性 の技術 的職業 の 中 で脚光 を浴 び る もので あ ることを認 めて い る。 東京 の タイ ピス ト1,045人 の ア ンケ ー ト調査 によれば, そ の学歴 は. ,. 小学校卒業 191人 , 中等学校卒業 787人 , 大学・ 専門学校卒業 67人 であ っ て,「 その多 くの者 が タイ ピス ト学校 を 出 て ゐ る」 とい う (⑩ )。. 1938(昭 和 13)年 の『 女子新職業読本』 によれば,「 タイ ピス トは, タイ プ ライ ターが初 めて我 が国 に伝 はつ た 当時 は,多 くは男子 で,実 にその 9割 を 占めて居 た さ うで あ るが,大 正 の末期 か ら女 子 の タイ ピス トと して立 つ者 が 漸 く多 くな り,現 在 で は殆 ん ど女 子 に限 られ た職業 の如 き観 を呈 して居 る」 とあ り,初 め は男子 の職業 であ った ことが分 か る。英文 と和文 に分 けて その養成所 を掲示 して い る (④ )。 (英 文. )桜 井女子英学塾 ,. 津 田英学塾 , 高 田女塾 ,. YMCAタ. イ ピス ト学. 校 (以 上東京 ),燈 影女子英学 院 (大 阪 ),YWCA京 都女子学院 (京 都 ) (和 文. )日 本 タイ ピス ト学校 ,駿 河台女学 院,昭 和職業女学校 ,東 洋 タイ. ピス ト協会養成部 ,大 谷 タイ ピス ト養成所 ,青 山 タイ ピス ト学院 (以 上東 京 ), 日本 タイ ピス ト女学校 , 東洋 タイ ピス ト協会養成学 院 , 大阪 タイ ピ ス ト女学校 (以 上大 阪),京 都 タイ ピス ト女学校 (京 都 ),婦 人 タイ ピス ト 協会 (横 浜 ),名 古屋基督教女子青年館 ,邦 文 タイ ピス ト養成所 (以 上名 古屋 ),神 戸 タイ ピス ト養成所 (神 戸 ) そ こで 問題 とす べ きことが あ る。戦前期 の 日本 には多数 の女子商業学校 が 設立 され た ことにつ いて は前述 した (第 3報 )。. そ の 中 には, 嘉悦 の 日本女. 子商業学校 のよ うに タイプ ライテ ィ ングを教 えた学校 も数多 くあ った はずで あ る。例 えば,神 戸 において独 自性 の あ る商業教育 をな した神港女子商業学 校 の場合 ,. 1926(大 正 15)年 に各種学校神港女子商科学校 と して開校 した.
(22) 152. 職業案内書 に見 る女子職業論. 当初 か ら,本 科 と専科 に分 けてそ の うち の専科 は邦文 タイプ ライ ター科 と英 文 タイプ ライ ター科 か ら成 って いた。 1929(昭 和. 4)年 に「 商業学校規程」. に準拠 す る神港女子商業学校 に昇格後 の学科課程 の 中 に も, タイプ ライテ ィ ングが含 まれて いた18)。 この よ うに商業学校 にお いて タイプ ライテ ィ ングの教育 がな されて いたに もかかわ らず,学 校卒業後 さ らに半年 ない し 1年 間 の修業 を積 む必 要 が あ っ た。 ただ し,英 文 の場合 に,桜 井女子英学 塾 ,津 田英学塾 が挙 ってい るの は. ,. 英語 の実践 的学 力 が評価 されたた めであろ う。卒業 と同時 に タイ ピス トとな れたか ど うか はは っ き りしない。 そ の他 の養成所 は各種学校 で あ ると思 われ るが,正 規 に各種学校 と して認可 された もので あ るか ど うか も, これだ けで は分 か らな い。. お わ りに 戦前期 に刊行 された女子 の職業案 内書 を手 がか りに して,女 性 と産業 の教 育関係 につ いて概観 してみた。 そ こで 冒頭 に挙 げた山川菊栄 の『 女 は働 いて ゐ る』 に もう 1度 注 目 してみ よ う。 山川 はそ の 中 で, 日本 にお け る女子 の工 業教育 のお くれ,女 子 に対 す る科学教育 の お くれ,そ して何 よ りも重要 な ことと して,女 子 に対 す る大 学 開放 の お くれを指摘 した。 この書 の 出版 された時期 ,教 育審議会 において は. ,. これ ら 3つ の問題 に対 して新 しい方針 を打 ち出 して いた ことを山川 は歓迎 し た。戦局 が悪 化 し,山 川 の期待 は戦後 の教育改革 に引 き継 がれ ることにな る けれ ど も, 日本 にお ける女性 と産業 の教育 関係 を考 え る際 に,山 川 の慧 眼 は 注 目に値 す る。 高等 の専門的職業 に就 こ うと思 えば,高 等 の専門的教育 を受 ける必要 が あ る。女性解放 は大学 開放 と連動 す る。 ところが,戦 前期 の大学 は女子 に対 し て, 例外的 な入学 しか許 さなか った。 同書 にお いて 山川 の挙 げた 1939(昭 和. 14)年 の数字 で は,. 北海道 と東北 の帝 国大学 , 東京 と広 島 の文理科大学.
(23) 三 好 信 浩. に 27名 ,明 治大学 ,同 志社大学 ,早 稲 田大学 な ど 6校 の私立大学 に 49名 の 女子 が在籍 す るにす ぎず, しか も官立大学 の 12名 を除 けばす べ て法文系 で あ った19)。 産業界 にお ける女子 の職業訓練 に若干 な りと も寄与 した の は,私 人 の経営 す る各種学校 ない しそれ に類 す る養成所 で あ った とい う ことは,女 子 の職業 進 出 と職業上 の地位 を大 き く制約 す る最大 の要 因 であ った といえ よ う。. )王. 1)山 川菊栄『 女 は働 いてゐる』育生社,1940年 ,91頁 。 2)拙 著『 女性 と産業 の教育関係史』東信堂,2000年 。 3)パ ーヴィス著・ 香川せつ子訳『 ヴィク トリア時代 の女性 と教育』 ミネルヴァ 書房,1999年 。. 4)拙 著『手島精一 と日本工業教育発達史』風間書房,1999年,165∼ 168頁 。 5)協 調会編刊『 本邦産業福利施設概要』 1926年 その他。 6)手 島益雄編『 女子 の新職業』新公論社・ 新婦人社,1908年 ,42∼ 44頁 。 7)波 多野鶴吉「製糸業経営 の根本的要素」 1916年 波多野翁講演集』第 1巻 (『. 1920年 ),174頁 。. 8)工 政会編刊『 工業教育 の研究』 1926年 ,132∼. 137頁 。. 9)『 東京高等蚕糸学校五十年史』 1942年 ,326頁 後付 の別表。 10)『 上田蚕糸専門学校一覧』昭和 14年 度,206∼ 208頁 。. H)同 上,昭 和 H年 度,210∼. 212頁 。 12)ロ スチ ャイル ド編・ 綿貫礼子 ほか訳『女性 vsテ クノ ロジー』 新評論, 1989 年,241頁 。. 13)拙 著『 日本工業教育成立史 の研究』風間書房,1979年,269頁 。 14)大 沢真知子『 経済変化 と女子労働―一 日米 の比較研究』 日本経済評論社. ,. 1993年 ,H∼ 12頁 。 15)「 婦女教訓及営業篇」文部省『 教育雑誌』第 49号 ,1877年 10月. ,20頁 。. 16)嘉 悦学園編刊『 嘉悦学園 のあゆみ―一九十周年を迎えて』 1993年 ,86∼. 87. 頁。. 17)東 京女子高等師範学校編刊『 女子教育研究調査報告集』 1915年 ,189頁 。 18)「 文部省文書――設置・ 廃止 (位 置変更・ 改称)に 関す る許認可文書」 「神港. 女子商業学校」 (国 立公文書館蔵)。. 19)山 川菊栄上掲書,101∼ 102頁 。. ,.
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