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<論説>「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」(6) : アメリカ資本主義と民主主義の関連をめぐる一考察

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(1)論. 説. と 「アメ リカ体制」. デモ クラシ (. 」. 「ジャクソニアン・. ) 6 (. 一一アメリカ 資本主義と民主主義の 関連をめぐる 一考察. 楠. 井. ナ. る. -片. お. 国. のの. 案系 合体. 代策 年政. 182 経0 済. I. ⅠI ー. Ⅰl ー. 主義の時代」. 国粋. ﹁ な. つ. この. た一. いる. て,っ. った背後で, 各 セク. 条で連邦政府Ⅰ議会の 権. めい. の名のもとで 呼ばれたあ の経済. 1. 宏な. 相違を考慮に 入れて,分析をこの 局面に集申 し意識的に全機構的考察を 避けた.そして地 方史に重点をお き, 「アメリカ体制」 (AMERI-. 第. 明れ邦 で ヰ通 頃 の. とはい. っても,当時の合衆国のセクシ , ン 毎の構造的. 政策体系が構築されつつあ. 条て 挙し 列と. と金融構造の 両面から検討して 来たり.. を ﹂. の合衆国における 経済的基礎過程を ,産業構造. (1901 年 -1917 年 ) 以降に属する.. 合衆国憲法は ,. 限家. われわれは,これまで 5 回に分 け , 1820 年代. SYSTEM). 朗. するほど複雑なものであ った・合衆国で 連邦 政府が,イギリスや 日本の中央政府と 同じ意味 で,強力な経済政策の担い手として 登場するよ うになったのは ,ようやく20 世紀初頭の「革新. A. 課題の意味. CAN. 敏. であ る・各州はそれぞれ 独自に憲法を 制定し, 州政府Ⅰ議会を 有し,合衆国憲法で 規定された事 柄 や ,連邦政府Ⅰ議会の 権 限として明確に 規定 されていない 事柄を,自らの 権 限として保有し , 実行して来た・ 会社設立の認可は ,本来,銀行 の設立を含めて ,州政府Ⅰ議会の 権 限内のことで. ような問題を 字みながら,国民経済の構築に向. 南北戦争以 前の合衆国経済を 特徴 づ げたあ の 箇 "汗簾 。葬" 筆. けて,あるいはそうした 動ぎに 逆 いながら,そ. 業は , 本来, 連邦政府Ⅰ議会の 仕事と L@ ぅよ. シ, ンが ,そして,また ,各産業部門が,どの. のさ. っに. 州立 た設. もめ をた. メリカ合衆国における「地方」と「国家」の 関 係は,現代に生きるわれわれ 日本人の想像を 絶. ﹂ る 催 す. ,当時のア. ﹁ 実. 改めて述べるまでもないことだが. 主現. 体像を明らかにしたいと 考えたからであ る.. く知られている・. ちを われ. ここで,章を改めて, 1820 年代の合衆国の 経済 政策の体系 ( 「アメリカ体制」の 政策意図・構造な 日 を分析する理由は ,これら基礎作業で明らかに された諸事実を ,連邦議会で争われた種々 な政 衆論争と有機的に 関連づ け ,両者を一体化して 捉えつつ, この時期のアメリカ 合衆国経済の 全. で、. ったかを,整理しておいた.. よ. ヴメソト. 9 位. あ. ったことは,. は事. れぞれに特徴的な 構造的相違を 俘 き 彫りしつつ. あ. れた運河会社や 鉄道会社は,基本的には,州政 府Ⅰ議会によって 設立されたものであ った.. 1820 年代の合衆国の 経済政策の体系を 考察す ると ぎ ,われわれは,何をさて措いてまず,連. 邦政府 幸 議会がかかる 意味でのく 1i血 ted gove,nmerl ゆ であ った事実を,はっきりと意識してお. かねばならない・. 1820 年代の「アメリカ 体制」. は,合衆国憲法で大枠をはめられたこのく limited government) の性格を,合出国憲法を拡大 解釈しながら 薄めつつ,急速に変貌しつつあ. っ.

(2) 38 (226). 横浜経営研究. 第Ⅷ 巻. た 当時の国際経済社会に 対応できる国作りを 模 索しつつ,立案された経済政策の体系であ った ところに意義があ る・ われわれは, ここで, い かなる事情が ,かか る政策体系を 必要としたかを 明らかにしかか る. 政策体系の成立・ 展開をめぐるセクシ , ン. 間 ,あるいは産業部門間の 利害対立を分析し ,. やがてジャクソン 期 以降根本的に 変更を迫られ てゆかざるを 得なかった政策転換の 背景を解明 し ,政策体系としての「アメリカ体制」と「ジ ャクソニアン・デモクラシー」のかかわりを 究 明してゆきたいと 考える・ したがって,本章の課題は次のように 構成さ れる. すなわち, 第一に ,. 「アメリカ体制」 成. 立の国内的・ 国際的条件の 究明,第二に「アメ リカ体制」の 成立をめぐる 諸利害の対立の 分 析,第三に「アメリカ体制」の経済的効果の 解 明,第四に, A. ジャクソンの 登場と「アメリ 力. 体制」否認の 歴史的意義の 追究,がこれであ. る.. 第 3 号 (1987). 訣別しかなり 長 文の情熱の籠った『報告書』を , 1828 年まで, 毎年,連邦議会に報告し続けた・ ここで 1825 年とは, イギリスで最初の 近代的 恐慌が発生した 年であ り,イギリスの産業Ⅰ 金 融 政策が決定的な 転換に踏み切る 年であ った し,合衆国では, 1819 年恐慌以来懸案になって いた強力保護関税法 ( 1824 年関税法」 ) が,やっ と制定された 翌年であ った・ また, 1828 年 かで簡潔な報告スタイルから. 「. は, テネシー州のアンドゥリュー・ジャクソン. (Andrew Jackson) 将軍が大統領に 当選し,激動 の時代が幕 明 する年であ. 州であ ったサウスカロライナ 州の著名な政治家. で,後日「連邦脱退」を 理論的に仕上げ ,「南部」 諸州の連邦脱退を 正当化する上に 大きな影響 力をもったジョン・ アボ. C . 力 ルフーン. さ. 々プル. ,. タ. リ. ップ. (John C.. c"lhoun) が, 「唾棄さるべき 関税法」と呼んで 批判したあ のアメリカ史上最高の 平均関税率を もった関税法 ( 1828 年関税法」 ) 成立の年でもあ 「. つ 六,・-. ト. 18% 年 関税法」制定の 直後から「 1828 年関税法」制定 時までの財務長官であ ったのであ る・その意味 で ,彼は,一方で「 1824 年関税法」の 合衆国貿 易に及ぼした 影響, したがって,また関税収入 に圧倒的に依存した 当時の連邦財政に 及ぼした 影響を冷静に 見定めながら ,他方, 同時に,一 層高率な関税法の 制定をも準備した「 ァメリヵ 体制」推進のチャンピオンの 一人であ ったとい したがって,. B. 政策体系としての「アメリカ. 体制」. とその成立の 必然性 (1) 政策体系としての「アメリカ 体制」 1820 年代の T 財務長官報告書 (R ゆ orts が ん %cTretary o/ 妨 e ℡㏄ 田り 0/ 庇ひれ眈e% コ. Ⅰ. ったし,当時主要綿 作. そ. サ. 助ぬ㏄ ,が申Ⅰ 托虜肋 0 穣乙gncg to t尼 Act. M ゆュ0 , 78 ㏄, VOI, 1I, W. 俺 h 田 gt0 Ⅱ. o/. 1837,. pp.16 Ⅰ 480) を注意深く読み 進むと,政策担当 者がいつ頃 から明確に「アメリカ 体制」なる経. ラッシュ財務長官は ,. 「. える. 1828 年は,その後のアメリカ史 展開の全構造. 済政策の体系を 意識し,推進しょうと動ぎ始め たかがはっきりする.端的にいって , 1825 年 12. の中でみるとき ,重大な転換の年であ った・ ジ. 月 に連邦議会に 報告されたリチャード・ラッシ. サクソン 期 以降の 1830-40 年代は, アレ ゲニ 一. ュ (Rich 、,d Rush) 財務長官の『報告書団からで. 山脈のあ なた,シシッピ河 までひろがる 広大な. あ る. 彼は,第6 代大統領 ジ,ン・クウィンシー・. 「西部」が急速に 経済的に開発され ,アメリカ 合衆国の性格が 大ぎく転換してゆく 時代であ っ. アダムズ (JohnQuincyAdams). 政権 下の財務長 官であ った・そして ,モンロ一政権下の財務長官. たからであ る, 「南西部」諸州. であ った前任者ウィリアム・ H. 奴隷制度が急速に. (、. シシッピ ,ァ. ラバマ,ルイジアナ 諸州 ) に, 綿作地 が拡がり, Ⅰ トソ ・イズ・. (WlliamH,. .. クローフォド. Crawford, 1816-1825年 ) の,あの 穏. ヤソグ. 展開して,「綿花が王者」の. 地位を不動のものにした 時代であ ったし. 「. 東.

(3) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 (6) (楠井 敏朗 ). (227)@ 39. 部 」諸州の産業化に 伴って,没落した 農民を主 とした内部移民が 急速に進み, 「北西部」諸州 が 新たな性格のものに 生れ変り,合衆国の中で. 財務長官の最大にして 最小の任務が 合衆国財 政の安定であ ることは,今日も当時も変りな. 急速に発言力を 強めていた時代でもあ った. フ. て, 大きく外交と 防衛の二つの 事項に権 限を限. レダリ 、 .ソク・ジャクソン・ターナーが,その著. 定 されていた・ 連邦政府Ⅰ議会は ,合衆国を構. F. アメリ. 成する各州の 共通にして共同の 目的であ るこの. 一. 二つの事項を 遂行するために ,合衆国憲法第 1. 850 , T んe Na クそ幻れⅠ れイ 7ts S ぬよの ぬ, 辺ぱん a れ. 条 第 8 節に明記された 18 項目の事項を 遂行する. Jackson Tu nner, て. Ⅰ. 1830-1850 年コ (Frederick. ヵ 合衆国. い .当時,連邦政府 亡 議会は,合出国憲法によっ. T わe. ひれ 招援 S サク Ⅰ. CroUe. ぬ 沖つオぴc お0 れ め且ヮ印ソ. れ. 古. ㏄,. 7830. , New. York. よ. う. 大枠をはめられていた・ 租税,関税,間接. 1935, rep. ed., New York l965) の中で見事 に画き出した ,あのアメリカ社会が 形を整え始. 税,. めていた時代であ ったのであ る.. きる権 限 ( 同 第. したがって,激動の時代がすぐ間近かに 訪れ たことを予感してかどうか. 消費税賦課徴集の 権 限. ( 同第. Ⅰ. 項 ), あ るい. はまた「合出国の 信用において 国債」を発行で 2. 項 ) は,そのためのものであ っ. ナL. ,. , 18 羽 年の ラッシュ. 財務長官本来の 任務たる合衆国財政の 安定と. 長官の F 報告書』は,格別の 熱っぱい語り 口で 論述され, 自分たちが推進した 政策体系として. 目的は,かかる二つの事項遂行に 必要な財 政 収入が,十分に 確保され,合理的に支出され. の 「アメリカ体制」の 成果を誇示するものとな. ているか否かに 大きく依存していたといってよ. つ. 5. い ・高率関税政策の 連邦財政に及ぼした 影響を. 7@@@. そこで,われわれは,. まず 手 初めに,本章で. の 考察をより実りの 多いものにするため , で,. い. ここ. ラッシュ財務長官の 政策提言のポイントを. 要約し政策担当者の 側で「アメリカ 体制」が どのように意識されていたかを 整理することか ら 出発したい. 考察する際にも , このことが基準におかれて 然. るべきだと考えてよかろ. 5.. ところで, ラ 、ンュ 長官が最終責任をもって. 連邦議会に報告した 1825 年の連邦財政は , 第 1 表のごとき構成をとっていた ". 第 f 表から明らかなよ に , 1825 年の連邦 財 う. 1825. 第 1表. 年の連邦財政. (歳入 ). (歳出 ). 関税収入 公有地売却金 第 ・二合衆国銀行配当. 金 ; 内国消費税, 直 接税 ,臨時収入の延. $20,098,713@ Ⅰ, 216,090. 45ct 56. 482.134@ 69. 滞分 徴集. 1815 年 7 月 1 日以前 に 発生した軍役また は 軍需品に対する 陸 軍 省からの戻り 収入. 前年からの繰越. 43,919. 32. $2,748,544@ 89@ 5,692,831 19 Ⅰ. 3,049,083. 86. 2,095.344. 78 43. $5,201,650. Ⅰ. $1,946,597@ 13 828,787,455. (出典 ) Repo れ on. 外交 費 ,民政費 陸軍費 海軍費 国債 費 次年への繰越. Ⅰ. 5c. $28,787,455@. も. the Finances, December,. 15@. 1826, in R ゆ orts oⅠⅠ ん c S ㏄ 托拓ひ 0Ⅰ 妨 e Tr托轍 ㌃ノ 1837. pp.353 円 54.. 0/ 妨ヒレ ited States, Vol. 1I, Washington, D,C..

(4) 40@ (228). 横浜経営研究. 政 支出は, 見 紛. 第 Ⅷ 巻 第 3 号 (1987). ことなく,外交費を含む民政 費と ,防衛費,国債 費 に充当されている・ここ で 国債 費 とは, 1812-15年の第二対英戦争の 際 に発行された 巨額な国債償還のために , 1817 年 に制定された「減債基金法」 (AnlActtopIovide う. fo the redemption of the pubhc debt App oved, March , 3 , 1817 , 3@Statutes@at@Large,@3793)@ @@L て. 口. 着実に増加している 点に注目しておか ねば なら ない. て. で約 0 8% ・. に減少しているものの 6)). 改修費は , 逆に増大して ,実に8450 , 3%. ㏄に. 達し全体の 7.9%. ,この連邦財政. にまでなっていることのに. も留意しなければならない. この t828 年の数字はもちろん「 18羽年関税. 法」の効果が 現われる以前のものであ る. しか し , 両 表を比較するかぎり , 1824 年関税法」. どこにあ ったか・. 第一は,歳入の約 75% を占めた関税収入が ,. 「. ほ ,法案審議過程で反対派によって 危惧された ような関税収入の 激減をもたらさなかっただけ. たんに財政目的だけで 徴収されたのではなく ,. 国内製造業の 保護をはっきりと 目的に掲げて 徴 収 されたものであ ったこと 87.. ではない・逆に 財政余剰金を 積み増しし,第 1. 第二は,民政費 ( 外交費を含む ) にせ よ ,陸軍 費 にせ よ ,その項目のもとに計上された経費の 中に,かなり多額の河川改修費,道路建設費が 含まれていたこと. 次に,民政費に 占める道路建設費は ,. 陸軍費に占める 河川改修費と 道路建設費,港湾. に 対して,当時,激しい 批判が連邦議会の 内外 で 展開された理由は ,. ・. 8 29,029.82. たがって計上されたもので ,いわば過去の防衛 費の性格をもつものであ る・ 第 1 表だけみる限り ,憲法違反の各はどこか らも生じない・にもかかわらず. てみよう. われわれは,第 2 表から,まず第一に,関税 収入が歳入の 実に 94% 弱にまで増大しているこ と,前年からの繰越 額 が急増し,財政余剰金が. ,民政費のうち,道路建設費. 国に見られるよ. う. に,第二対英戦争 期 以来,いや. 建国以来の,累積した国債償還を円滑に 進める. 上に役立ち, 注 u) に示しているよ に,近年 中に全額償還の 目途をさえ確実なものにした. う. は 総額 651,519.83 で約 1.9% を占めたし, 陸. このかぎりで「 18 幼年関税法」は ,財政収入の. 軍費 中 ,河川改修費,道路建設費は ,総額 8 129,921.77 で約 4.4% を占めていたこと ,), そして,この河川改修費や 道路建設費こそ ,民 政費あ るいは軍事費を 名目にした連邦政府に ょ 6 国内開発費ではないかと ,憲法違反の嫌疑を. 面で大成功であ ったといえる・「アメリカ 体制」. 欧州諸国の経済が 大きく沈滞した 事実を考慮に. 懐かれたこと ,. 入れる 時 ,まったく驚異的なことであった.. これであ る・. これを第 2 表の 1828 年の連邦財政. " と 比較し. 第 2 表 18%. の中心政策であ った保護貿易政策は ,財政安定 にも成功をもたらしたのであ. る・. このことは, 1825 年恐慌で,イギリスその他. ,シュ長官は,このような状況を眼前に 見て ,. 年の連邦財政. (歳入 ). 関税収入 公有地売却金. 臨時収入 前年からの繰越. (歳出 ). $23,205.523@ Ⅰ, 018,308. 75. 外交 費 ・民政費 陸 軍 費. 455, ㏄ 0. 00. 海. 110,631. 22. $6,668,286. 10. $31,457,749@. 71". 64@. ラ. 軍. 費. $3,676,052@ 64@ 5,719,956 06. 3,925,867. 13. 国 債 費. 12,163,438@ 07. 次年への繰越. $5,972,435 $31,457,749@. 81 71ct. (出典 ) Repo れ on the Finances, December, 1829, in R ゆo Ⅰ ts o/ the S ㏄ 托ぬアノ 0/ T 化 ㏄ ひひ 0/ 妨せひ nizg み Sfo 柁 J, Vol. [1I, Washin 麒 on, D.C. 1837, pp.5-6. サん. %.

(5) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 (6 M楠井 敏朗 ). (229) 41. Ⅰ. 第1 図. 1791-18% 年 の 合 棄国公債残高,関税収入 (単位百万ドル ). 120. 110. 合衆国公債残高. 100. 90 80. 70 60 "0. つ. 40. 関税収入. 30. 玉几 Ⅰ. Ⅰ. @l Ⅰ t. 00. Ⅰ. ⅩもⅠ. 10 --. ⅠⅠ. く. ⅩⅠ / ⅡⅠ. ノⅠ. ⅠⅠ. フ. /. --. 1791 年 1795 年. 1800 年. 1805 年. 1810 年. 1815 年. 1820 年. 1825 年. 1830 年. 1835 年. ,独立戦争 (1775-85年 ) の経費 135,193mf) ドル,大陸会議等による 紙幣発行 (1776-8N 司 359,547(f) ド ル , フランスよりの 借款 (177 品 83 年 ) 7,963( 千 ) ドル 酩 ルイジアナ購入 (1803 年 ) 15, の 0( 千 ) ドル " 。" 第二対英戦争 (1812-15年 ) の戦費 ikRk 批 フロリダ購入 (1821 年 ) 5, ㏄Ⅸ 千 ) ドル of Commerce, (出典 ) Hunt,s MleerCh姥 ts, Mlaogazine, Vol. 11, 1840 , p.350. および U. S. Depa 珪ment Bureau of the Census, Hi storicaZ Sfatistics o/the United Siates, Coloniaf Tii 笏 es to 7970 , 「. Washington, D.C. 1975, p,l118. 1826 年 12 月,彼にとって 2 回目の『報告書 ヨで. 市民社会を痛めっけ , あ るいはまた,政府の正規. 次のように述べている・. な 諸業務に患いを 招く諸結果も ,まったくもたら. 法律によって 要求された財政に 関する年次報告 書を連邦議会に 提出するに際し ,本年度につい. て,財政が満足な状態にあ ると申し上げえますこ とは,財務長官の 仕合せに感ずるところであ りさ す . 諸 他の国々が,そして,合衆国が広く交易関係 を保っております 国々のあ るものが,完全に力を 要ってしまったわけでほあ りませんが,多くの 産 業部門で,とてもひどい 被害をあ まねく被って ,発 展を阻げられている 状態にあ ります折に,合衆国 は ,かかる悲惨な出来事を国内でまったく 経験せ ず , 諸 他の地域で重要な 影. を 及ぼしております. されてはおりません.政府への 支払 は ,民衆に公 的 負担の重さを 感じさせることもなく ,期日まで にきちんと完納されております.税収は……異常 なほど豊富で ,財政支出の全項目を賄ってもなお 十分であ. ることを約束しております.. この 価. 値あ る繁栄は,立派な法律によって 育成された産 業 全体と,まさしく 連邦政府の運営費節減の 賜物 であ ります. この法律は,土地生産物に 対する国 内需要を拡大し ,外国からの需要不足を償 う たす けをしておりますし ,農業労働の生産物の輸出に 加えて,新たに工業製品の輸出をも 促すことで, 外国貿易に新しいチャンネルを 開拓する傾向をも っております 8). (割線……柄井 ). 金銭上の災難のはねかえりをほんの 僅かばかり 受 けた以外には ,すべての災厄を免れております・ 相互に大きな 取引関係を保っている 商業諸国の, 金銭上の諸利害を 一つに結びつけております 複雑 な関係に注目いたしますとき ,海外からの反作用. る経済政策の 体系. は,予期したよりは小 t くしか感じられませんし ,. それでは一体どんなものであ. 彼は, ここで,合衆国の政策運営の見事さを 自画自賛しているのであ る・彼が誇らしげに 語 「アメリカ体制」とは ,. ったのか.以下各.

(6) 42@ (230). 横浜経営研究. 第Ⅷ巻. 年 の下財務長官報告団を 中心に検討してゆくこ とにしたい.. 第 3 号 (1987) 民政 俺 ,陸軍*,. 第 3 表 迫 神政府の外交角・ 海軍 丑. (単位. a.. 国億ド 還の推進と連邦政府の 経常支出師 減 政策. 1820 年代に進められた 国債償還政策 は , 元 来,モンロ一政権下のクローフォド 財務長官に よって 1816 年の『財務長官報告書刀で 提案さ れ。', 先にも触れたよ に, 1817 年 3 月 3 日別 定 め 「減債基金法」によって 実行に移されたも のであ った,0). それは,第一に, 1817 年以降,毎年財政収入 より 1,0㏄ 五 ドルを減債基金に 繰り入れて,国 う. 債の元本および 利息を支払う 基金とすること ,. 第二に,ある年に償還すべ. き 額を超えて国庫に. 1812 年. 1,791. 1813 1814 1815. 2,338. 一が ,大統領の認可を得て,国債を市場価格で 市場から買上げ ,償還期限を待たずに早期に 鉛 却 すること,第三に, 新たに国債の 発行がなさ. れなかった時には ,累積国債の全額を以上の 方 法によって W4 年間で償還すること ,などを定め たものであ った.. この法律が「健全財政主義」に. 裏 づ げられた. 政策であ り,同年実現を見た , 後でみる第二合. 衆国銀行の設立とともに ,連邦政府の財政再建 に対する並々ならぬ 意欲を窺い知らせる 政策で あ ったことがわかる.. 3,959. 19,802 20,510 14,079. 7,313 2,707. 2,359. 6,529. 3, ㏄ 7. 7 706. 3,344 2,958 3,828 3,753. 6, 佃 7. ボ. 3,109 2%858 3,810. 1819 1820*. 3 045. 6,195 9,196. 2,529. 7,943. 1821. 2,242. 5,162. 3,319. 1822 1823 824 1825 1826 1827 1828. 1,968. 5,635. 2,224. 2,022 7,155", 2,749. 5,258 5,270 5,693 6,243 5,677 5,720. 2,504 2,905 3,049 4,219. 1816. ホ. 1817* 1818. や. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. 剰余金が生じた 時には,減債基金 コ、 ッシ,ナ. 2,079. Ⅰ. Ⅰ, 833. 1,0㎝ドル ). 2,6 ㎝ 2,713 3,676*. 水ホ. 4,268. 3,926. Ⅱ当該財政年度第 1 一 3 四半期の実数 )+( 第 4. 四半期の推計額 ) 冊 フロリダ購入のための 支出, 84.891,369 を 含 む. " 。" チエ サピーク. ニ. オハイオ運河会社への. 出資金. 810 ,㏄0 を含む. (出典 ) R ゆ arts o/ 妨 e@Crreta りダ theTrreasu ワ 0/ 妨 e ぴ穏ited States, Vol. 1I, pp.l5,74, 89,111,145-6,169.199-2 ㏄,217,313,331-2, 46%466.. 第 1 図から明らかな よう に, クローフォド 在. 任 8 ヵ年間の元本償還額は ,約 39,674,0㏄ドル (32% 減 ) であ り, ラッシュ在任 4 ヵ年の償還額 は約 25,359,0㏄ドル (30% 減 ) で, ラッシュ時代. 目されよ ・民政費や陸軍費のなかに ,先にも 見たような,かなりの 河川改修費,道路建設 費,港湾改修費が含まれていたことを 考え合わ. の償還ぺ. せれば,節減の度合は明白であ る.. ー. スがいかに早かったかがわかる・. 国. う. ったと評価されてよ かろう・加えて ,低利債への借換えが 1822 年以 来実行されて ,財政負担が著しく緩和されたこ. 策が徹底した 一つの事例として , M.. とにも注目しておきたい ",.. 局 (l皿 d o 伍 ce) の状態に注目しておぎたい・. 債 償還政策が一応成功であ. 連邦政府の経常支出節減政策については. , 各. 『報告書団から 作成された第 3 表が参考になろ う .. 1820 年代における 比較的落ち着いた 動ぎが 注. ここで は, 1820 年代に連邦政府の 経費削減政 ロ アバウ. (Rourbough)の指摘している 当時の公有地管理 彼. によると公有地管理局の 新規設立は,連邦議会 によって 1823-31 年のあ いだは低く抑止されて. いたし同管理局の 職員給与も,測量等の必要 業務に差し支えるほど 抑圧されたほか ,その活.

(7) 「アメリカ. 体帝Ⅲと「ジャクソニアン・デモクラシー」. 動 費も著しく制限されていたⅢ.. (6) (柄 井敏朗 ). (231)@43. 法 」および「 1828 年関税法」制定をめぐって 連 邦 議会内覚で問題になったことは. b. 強力な製造業保護政策. ,. この関税を. 撤廃すべきか 否かの問題ではなかった・. 徴収 原. まず基本的な 事実を確認しておこう.. 理 をめぐる二つの 政策路線の対立であ ったとい. 連邦政府は,建国以来,合衆国憲法の 定める. えよう. ところにより ,その主要任務であ る「覚交」と 「防衛」の遂行に 必要な財源の 大部分を関税収 入 に依存して来た (第 1 表,第2 表,第4 表参照 ). Ⅰ. <@l 関税収入 1792 年 l 3 44 3 94. 年. 1. (. 1800 805 1810 1815 1816. Ⅰ. 1817. 関. ). 5,588(91) 9,081(84) 12,936(94) 8,58 刮 91) 7,28 刮 46) 36,307(76). 税. Ⅰ. Ⅰ. 1821. 13,004(89) 1804 年 3 月 27 日. 1822. 17,590(86). 1823. 19.088(92) 18m3 年 7 月 29 日. Ⅰ. 824. Ⅰ. 7,878(92). 1825. 20,09 ㎝ 92). 1826 1827 1828 1829 1830. 23.34 Ⅱ 92). 19,712(85) 23,206(94) 22.68 八 91). 1812 年 7 月 1 日 1816 年 2 月 5 日 1816 ギ4 月 27 日 18m8 年 4 月 20 日 1819 年 3 月 3 日 1824 年 5 月 22 日 1828 年 5 月 19 日 828 年 5 月 24 日 1830 年 5 月 20 日 1830 年三 5 月 29 日. 1831. 21.922(88) 24,224(85). 1832. 28,465(93). 1833. 29,033(85) 1832年 7 月 13日. 1834. 16,215(46). Ⅰ. 832 年 7 月Ⅰ4 日 1533 年 3 月 2 日. その他 l 総計. 有卸 地金. 17 ㏄ 年. 1790 年 8 月 10 日 一 投 法 1791 年 3 月 3 日 一 般 法 1792 年 5 月 2 日 1794 年 6 月 5 日 特 別 法 1794 年 6 月 7 日 一 般 法 795 年Ⅰ 月 29 日 1798 年 3 月 3 日 1798 年 7 月 8 日 特 別 法 18(W0 年 5 月 13 日 1804 年 3 月 26 日. 1820. (1792 イ 834 年 ) (単位 1,000 ドル括弧内数字は %). ml 築. 法. 1789 年 7月 4 日一投法. 1819. 5,006(83). 内国 日. 連邦歳入の内訳. 26,283(79) 17,17 引 76) 20,284(82). 1818. とするもので ,そのために,関税率を低率に. 抑え,輸入 (商品種類と 量 ) を増進し これに ょ って関税収入を 増やし連邦財政を 安定させよ. 820 年代, とくに「 1824 年関税 第4表. 1795. ぅ. 丁. 一. 般 法 別. 法. 一. 投. 一. 投 法 男Ⅰ 法. 時. 法. 25 18. 697@(@ 7). 月 ドル. 1,28 駅 8) 5,125@ 1,718(@ 4) 2,678@ 1,991(@ 6) 955@ 2,607(12) 239@ 3,274(13). 1820 4 月 24日 左手. 1.25 ドル. 1833 年 3 月 2 日. 特 別 法 妥協関税法. (出典 ) U.S.. 793@ 9,384 3,768 15,729 47,678. 4,138. 33,099. 3,454. 21,585. 4,090. 24,603. 2,769. Ⅰ. 7,88. 4,573. 1,500. Ⅰ. 2,575. 20 , 232. 917 ( 4). 1,418. 20,541. 984@(@5). 1,468. 19,381. 26@ 1,216(@ 6). 1,716. 21,84. 22. Ⅰ, 394( 6). 1,898. 25,260. 20@ 1,496(@ 7). 3,234. 22,966. 17@ 1.018(@ 4) 15@ 1,517(@ 6) 2 2J329( 9). Ⅰ, 541. 24,764. 2,131. 24,828. 2,910. 24,844. 3,211(11). 4,295. 28,527. 3,389. 31,866. Ⅰ. 4,858(14). │. 4,913. 33,948 21,792. Ⅰ. サ. 七. on,. D.C. . 1858,. pp.279-281. Ⅰ. Ⅰ. 5,573. Depa れment of Commerce, Bureau of the Census, HiistoTical Stafisfics o/ he tte援 S 拓地 s, CoZo れ肋Z Ti 櫛 g to 7970,Washington,D .C. 1976, p.l106; 穴ゆ 0 ⅠⅠ 0/ 古庇でチピ ㏄ め dr ノ 0/ 古ん e fnnga Ⅰ タぴ てノ 0 れⅠん e S 古色 te o/ ん e F れ 4%ce メor tん l6 Ye は Ⅰ K れピこ れ 9 よぴれ e 30, J857,. Washing. 丁. 34. 4@. さ去. 606@ 13,561. 35. 3 3,968(12) 史生. 6,115 10 , Mg. 6,246. 106@ 1.634(@9) 69 1,213( 8). 7. 一. 日. 4,678. 12@ 2,623(@8). Ⅰ. 958. 年. 7. 3,670. 188@. 月ド. 809 22 540( 4) 1796. 68@ 1,804(@ 9). 特. 18@. ル%. 5. ・. ところで,. 第一は,明確に関税を財政収入源に 限定しょ. に二毛れ.

(8) 44@ (232) ぅ. 横浜経営研究. 第Ⅷ巻. とする考え方,第二は,関税のもたらす効果. を ・財政収入の. 安定的確保以覚の 別の目的一一 外国工業製品の 国内販売価格を ,生産性の劣る国内製 品の価格に近づけ ,国内製造業が対外競争力をもっ よ う になるまでのあ い た ,これを保護しょうとする 目的. 一一にまで拡張し 財政収入の安定と 国内製造 業の保護を,同時に実現しょうとする 考え方で あ. る,後者の場合には,輸入数量は当然抑えら. れるが,このことで 生じる税収減は ,関税率の引 上げによってカバーされ. ぅ. ると考えられた・. 両者の対立を 決定づげたものは ,いずれかの 政策に憤くことによってもたらされる. ,将来の. 合衆国の産業構造の 根本的な相違であ った・将. 来の合衆国に 対するヴィジ ,ンの相違が,現在 の 貿易政策の相違を 決定づげたといった 方が理 解し易いかも 知れない・. CfTTCで 詳細に検討する. 後に節を改めて. コ. ょ. うに,世界市場商品たる 綿花,タバコ等を生産 する,黒人奴隷制に立脚した「南部」のプラン. 第 3 号. (1987). ,いままでのもの. 新しい世界史的生産力段階を. とはまったく 違ったものとして 驚異の眼をもっ て 受 げとめようとする 正しい認識と ,その諸成 果を積極的に 受け入れなければ 危 いとする国民 的危機感が,底流に大きく横たわっていたこと は 否定出来ない・ しかも,われわれにとって 大切なことほ ,その. 議論が,すぐれて国家の安全保障と 結びつげら れて提唱されていたことであ る・すなわち ,連邦 政府Ⅰ議会の 財政運営は,基本的に「覚交」と「防 衛」に方向づけられている・この. っても否定されえない・. 事実は誰人によ. 輸入を増進し ,これにか. 栄え,関税収入が 増大することは ,たしかに財政運営資金の調達 かわる貿易や 海運・造船業が. という目的には 適っている・ 平和な時はそれで. ,このことで,国内の産業構造 が外国経済依存型に 歪められた 上 ,戦争でも勃 も結構だ・しかし. 発して見よ・. 民衆の必要としているいろいろな. テーシ, ン 経営者と,貿易商人や海運・造船業. 工業製品を海覚に 依存し , 加えて,国産原料あ る いは穀物の市場を 他国に大きく 負っているこの. 者,あるいはまた輸出向げにも 編製品の生産を. 国の安全保障はどうなってしまうというのか・. 開始したニューインバランドの. 壊滅的であ る・「覚交」と「防衛」こそが. 大製造業者は ,. 立ち,建国以来自らの努力によっ て 獲得して来た 既得権 益を,維持し拡張しよ 5 と望んだのに 対し,ラッシュ財務長官が,連邦 議会の同調者のバックアップのもとで ,意識的. 第一の立場に. 脚っ. 二統 第の. 策そ 政こ た業. と製. こ 推進しょう. コし吐坦. Ⅴ. 連邦政. れば,採用 す ぺき第一の政策は ,国家の安全保障を達成す. 府言議会の基本的役割だというのであ. るのに必要な 物質的基盤を 国内に形成すること. だ.真の安全保障とは,対外閉鎖時の戦時中に も,一国内で必要とされるものを ,すべて,自律 的に生産し平和時にも ,他国の景気変動や投. するもので, てまた繁栄の 基礎であ るという自覚に 基づき,. 機の影響から 自らを守り ぅる 体制を整えること. 合衆国経済を 製造業を中心に 編成替えしなけれ. だ .いまや,貿易,海運・ 造船業が国家の. ばならないというものであ. に 据えらるべきではない・. った・. ここで「製造業こそ 連邦の統Ⅰしたがって た 繁栄の基礎」だとする. ま. 考え方ほ,後段 CTB. 装された製造業が 力 体系の中心に. 基礎 新しい機械技術で 武. ,かかる自給的な国民的生産. 置かるべきであ. る・そ. う. すれば,. ,この中心的産. (2Dコで 検討される よう に,ヘンリー・クレイ. 工業原料の生産も 食糧の生産も. (H 。n 甲 Clay) の「アメリカ 体制」擁護論の 中に. 業を基軸として 再編成されることになるし ,. 明確に認識された. 次の考え方,すなわち,機械. 技術のもたらす 生産力がいまや「自然的労働」. さっており,これが一国産業. こ. の生産力体系に 見合った新しい 貿易システムも. 展開する・そして ,「覚交」と「防衛」に必要. の編成 力 になっているという 考え方に立脚する. とされる財政貸金も 賄われ ぅる ・一一 要約,このような論旨こそ,この時期の製造. ものであ った・イギリス 産業革命のもたらした. 業保護論者の 主張の大要であ った・以下,. の力を圧倒して L. ラッ.

(9) (6) (楠井 敏朗 ). 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 第 2図. 1815-1920 年の輸出入総額 BILLIONS@. MILLIONS 600. OF. DOLLARS /. 200. llⅠi. l¥. Ⅰ ,,,。、,,. 20. 10. 1800. 1810. OF@ DOLLARS. 8.0 6.0. 400. 100 80 60 40. (233)@ 45. 1820. 1830. (. 4.0 ヘ. リ. EXPORTS. 4. l/. 2.0. /. @ア. 1.0 Ⅰ. 2. 1840. 1850. 1860. .'. , "巨 /,、@V,, ∼. 8. 6 り. Ⅱ. -./. /"-. Ⅹ @@. 1860. 1870. 1880. 1890. 1900. 1910. 1920. (出典 ) Peterson & Gray, Econo 附ゐ D 籠は 0タnz 、 クサげ古梶研ピ 化ん S 倣柁 s, pp.161, 297. シュ財務長官の『報告書』に 沿いながら,その さわりのところを 若干引用し補足しておくこ. 第二は,関税によって保護された製造業のも たらす国民的利益の 確認であ る・. とにしょう. 1825 年の『報告書 ] でラッシュ長官は ,会衆 国の工業製品の 輸出が 2 年前に比較して 圧倒的. 第一は,財務長官による「1824 年関税法」の 輸入貿易,海運業,財政収入に 及ばしたプラス. に増大した事実に 注目した上で , 「アメリカ 体. の 効果の確認であ る. これは財政運営担当者と. 制 」で構想されている ,国内諸利害調和に関す. しての当然の 関心事であ ったし. る .次の大切な指摘を行なった. メリカ体制」推進者としての ,. 同時に ,. 「. ア. 自分たちの試み. る 実験に対する ょき 成果の期待Ⅰ願望であ る. 彼の提出した 最初の 報告書 であ る 1825 年 の 『報告書 コでは , 1826 年の歳出入の 見通しを 論じながら, 1825 年を通じて輸出入が 大幅に伸 ア. コ. この事実は……国内産業のうちでもこの 最重要 部門の進歩に 対して満足すべき 保証を与えるもの です.国内製造業の 全面的な奨励および 成功と , いだには,一つの その国の富,国力,幸福とのあ. びたことにのことは ,第2 図からも確認はれ ぅる ),. 緊密な関連があ ると信じられますから , このこと. 「財政収入がその 額において圧倒的部分を 外国 貿易から引き 出していること」を 指摘した 上,. はこの国の諸資力における 新時代の到来を 告げる. この外国貿易が「本年一年を 通じ,活気と拡大 の 性格を帯びた」「国内の 事業活動と緊密な 関. し, 仝はじめて,めざましい 基礎形成の入口に 立 ったよ. 係」を保って 好況を呈した 事実を明らかにし. 力強く支持することがなかったなら. た Ⅳ・そして,関税収入の減退を催れて 保護関. は,. 税法の成立に 反対した諸利害に 反撃を加えた. 彼は また, この外国貿易の 繁栄が,圧倒的に アメリカ船によって 推進された事実にも 言及. しそれを「わが 海運業の繁栄状態の 際立った 証拠」だと論じため ,. ものと考えられてよいことかも 知れません.. う. も. に見えますこのとき , この国の製造業を. ぼ ,合衆国. この国において 絶対に欠くことの 出来ない 次. の 諸利益から得ている 一切のものを 看過してしま ぅ. ことになるのではないかと 考えられます.第一. は 農業です.・…‥第二は ,外国貿易です.・…‥第 三は ,. 豊富な土地です.・…‥第四は ,民衆の勤. 労 ,企業欲 ,節倹です・ 第五 は ,排他的権利や独 占を抑止し , 全ての個人の , もっとも精力に 充ち. そして,次のようにい ・「双年の関税法の 結 果 ,いままでのところ,この国の外国貿易総量. た 努力を競争分野に 誘い入れる,他国に 類例を見 ない平等な法律です.そして 最後に, この国の国. は 減少しなかった」 , 。 ) と. 内生産物と労働に 対して,政府の手によって苛酷. う.

(10) 46@ (234). 第 Ⅷ巻. び 及. 中一口. 線. る. め ︶. を高同様.. ルカ 下. コ. とは. ). 刑政 楠. これに続く『報告書. (. (割線……柄井. 的. です 瑚 .. 柴内 繁コ. な 税金取立てがなされないことから 生じる諸利点. 第 3 号 (1987). が井. 横浜経営研究. もし,この国の 主要輸出農産物のあ るものに対. の次の因果分析は ,. 「アメリカ体制」がどのような 形で経済発展を. して,わが国製造業からの 需要がなかったとした. 喚び起こすかを 簡潔に示した 論述として注目さ. ら,ヨーロッパにおけるこの時期の価格低落 (1825. れよう・われわれは ,. 年恐慌の結果もたらされた. ここに,関税によって保. 護された新しい 型の製造業を 中心に編成された 生産力の国民的体系が 見事に構想されているの. を見出す.一一 製造業の繁栄に 伴って生じる「新興の 資本家 階級の勃興」, 「有用な知識や 科学の…… 普及」, 「国内製造業が 多様化し完成に 達するに つ れて 増大する……購買力」,この 購買力を基礎に「無 限に拡大する. 消費」,「富の創造と拡散」,「流通. 手段増発に対する 要求」,「国内への 貴金属の流 入」.. これこそ,内需型経済発展の典型的な発展構 図であ る・そして,この構想は,「無数の 製造業 の発達によって ,われわれは,国家の大黒柱た る農業が不動の 地位を確立するのを 見るだろ う」ことを裏 づけ,農工の利害一致を強調し. 反対論を牽制する 一方,「これらを 完全に確立 イソ タ. するためには. - ナル・イソ. フ ル - サ メ ソト. ,この国の国内開発事業が付. コ. は,わが国の農業者. 階級にとって ,いまとは 別様に感じられたことで あ ろう,海外で起こった類似の 出来事は,この前 の場合には L1819 年恐慌等の影響に 言及している ものと思われる ,この国でも,今回とは比較に ならぬくらい 広範かつ恐ろしい 形で,金銭上の損 失を惹 き 起こした・ ( しかし,いまや わが国土の 内部で,手工業の 数は増大した.彼らの 活動場面 も 拡がった・このことほ ,農業者階級に対して, コ. コ. 彼らがかつて 唯一の頼りとしていた. 外国市場へ・の. 排他的依存を ,緩和させる 傾向をもった. ( しか し 製造業の利益は ,ここで終るものでなかっ た・国内の手工業者の 間でみられた 競争の結果, 多くの製品が ,いままでよりもはるかに 安くな り,ずっと豊かになり ,比較にならぬほど 上質 となった・もっぱら 海外から手に 入れていた場合 に比べてそうなのであ る.人々の職業が 多様化し たことで,新しい 目的の労働が 生み出され,この コ. ことが,また , この国の一般民衆の 繁栄を増進し. 加さるべきだ」として ,内陸開発の必要性と,. た,この結果外国貿易は 減退することはなかった し, ,他方,工業労働における 新しい国内諾. 地域間分業の 利点をも強調した 埼. 資源が展開しつつあ った.後者がより 十分に展開. ・. ここで,われわれは,上記の基本的主張を 補足 する次の種々の 論評を, 1826 年および 1827 年の 『報告書凹から ,抜書きしておいた方が よ い・. されれば,前者もその 活動範囲を一層拡げ ,一層 裕福になることは ,. 自信をもって 予想される '9). 製造業が広範囲にわ たって成功をおさ の た場合に,はじめて 相当な価 値をもちうるものであ る.合衆国において ,製造 業以外のいかなるものも ,労働に対して,必要と きれる目的の 多様性と,必要とされる 規則正しく て 十分な需要を 提供するものはな い .製造業以外 の い かなるものも ,商品品目を適切に増加させ 多 様化させうるものはな い ,0). 莫大な量の国内取引は・. かくて ( 関税法の制定によって コ 外国製品独占 の不安は去った.したがって ,国内競争が,すぐ. ,最終的には諸価格を引き 下げる. にではなくとも. だろうことも 確実となった.・…‥労働は. 富の基礎. であ る.そして労働の 多様化された 形態での存在 と ,その全面的な 活動は,それに比例してより 高. 度に,富の一層普遍的な 生産を促し, ( 全国に そ れをまき散らす.・…‥農業者,手工業者,商人が コ. お互に支え合. う. のは,まさにこの 時であ る・各人. とも自分の仕事と 利益を拡大しっ っ あ る. そし て ,その間,国家 バナ , は ,その成果を刈 ィ. り取り,財政. 第三は,関税によって保護される製造業の ,. 国家の安全保障に 及ぼす効果の 確認であ る. ステイ. 製造業の保護が. ト. ,国家の富,安全保障,国力.

(11) 「アメリカ と 緊密な関連を. ( 保護 コの. 勧告は,それが国家の富,安 全保障,国力とかかわりをもつことを 十分に考慮 に 入れた時に,同様に 意味をもつ.一国の 軍隊の. 永久存続によってもたらされる 農産物価格への 影 響は,製造業階級が農業者階級に 対して与える 恩 恵の程度とは 比較にならないくらい 小さい.両者 の比較ほここで 終る. また終った方がよい. 蓋 し ,軍隊は消費以外のことは 何もしないが ,製造. 業者は消費する. 他に生産もする・そして. ,農業者か. ら受けとるもの ( 農産物 コと 同じくらい必要な 品 物を農業者に 提供する.製造業は,その複雑な仕 事を行な う ために役立っている 種々の知識によっ て ,国家の物質的力 はい う に及ばず,知的な 力を も増進している.・…‥わが 国の人口が限られてお り,労賃が高いという 理由で,製造業に反対が行 ヰニナソ. なわれていた 時代は過去のものとなった.連邦 内 の至るところで ,現在,人口は , どんな手作業に. 対しても,絶対数の点でも,密度の点でも,十分 な程度に達している.他方,この種の労働に 諸発 明を応用することで ,科学はその費用を圧縮して. (235)@47. 読者は,国家の富,安全保障,国力の意味. 有するものとの 認識は , 1827 年. 下報告書 山 のなかに明確に 語られている. 製造業. (6) (楠井 敏朗 ). 体帝Ⅰ」と「ジャクソニアン・デモクラシー」. が, 17-8 世紀の重商主義時代のものから 大 ぎく 変化しているのを 見るだろう・それは ,すぐれ て経済力にかかわるものと 理解されている.貨 幣的富を国家の. 富と考え,それが,海賊まがい. の略奪行為や 貿易によって 獲得され蓄積されう るものとは,. もはや考えられていないのであ. る・製造業が 関税によって 保護さるべきだと 考 えられたのは ,製造業こそ,勤労によって生み 出されるこのような 新しい 富. アダム・ ス、. ス によって古典的に 仕上げられた 新しい国富概. 念. を作り出し増大させるもっとも 有効な. 手段だと明確に 意識されたからであ った. かくて,国防の意味,安全保障の 意味も転換し て 来る・「国防」とはもはや 海賊まがいの 略奪 行為から自国を 防衛することではない.それは ,. 経済力を増進し 自国内で生産できる 一切のも のを自国で生産し ,海外の景気変動の影響から 自国を守ることなのであ る・かくて,本来,内政 費や防衛費に 充てられるべ き 予算のなかから 国 内開発事業費が 捻出されて来ることになった. 国家の安全保障は. ,こうして,経済力の 自立と. が ,その規模の大きさ,その出来栄えの熟達度の 点. 同義語におかれた・. まさしく 19 世紀的防衛概俳. で ,世界のどこか他のところで 達成された類似の. というべきであ ろう.. 来た.連邦内のある一つの 州亡 ニューヨーク 州. コ. 事業と比べてみても 遜色のない公共事業を ,近年. ここで主要輸入品について ,「1824 年関税法」. 完成したようであ るが,その州を 国土の一部に 右. および「 18% 年関税法」で 設定された関税率を. するこの国が ,製造業を営む資力に事欠いている. 纏めておきたい. とほ,その規模がどんなに 大きいものであ って も ,すぐには信じられない.・…。 ョ 一ロ,パ 諸国. のなかで,最も 裕かで強力であ るばかりか,最も 自由で, しかも文明開花の 進んだ国が,他の生産. 諸階級に対比して ,製造業の比重が最も高い国で. 表参照 ), 第 5 表だ け 見るかぎり, 1824 年関税法」お (第 5. 「. よび「 1828 年関税法」制定の 最大の眼目は ,毛 織物および原毛に 対して加えられた 保護強化で あ ったよ. う. に見える.. 供し,これらの国の生存条件を 高めた繁栄の 賜物 であ る・かかる見解は ,一部の例外を別にして, 一般的成果に 立脚する.同様に,農業人口が不当. だが,「1824 年関税法」および「 1828 年関税 法 」の真の意図は 別のところにあ った.それ は,関税品目を増し, ( 同種品目でも 品質によって 関税率を変えるきめこまかな 措置を含む ), 関税率 を引上げることで ,外国品の閉め出しを狙った 点にあ った・反対派が 非難した「輸入禁止法」. に 優勢な国々は , 最も貧しい国であ り,その住民. の 性格そのものであ る・それは, まさしくラッ. が最も困窮状態にあ ることも,諸事実の 証明する ところであ る 211, (割線……及び C コ内楠井 , ). シュ長官のい. あ ったことは, いろいろの事実の 示すところであ る . これらの国の 成功は,よき習慣に合った 勤労. の賜物であ り, これらの国に 生活上の安らぎを 提. あ った.. う. 安全保障の確立のための 政策で.

(12) 7 8 19. 号. 3. cw. 0 2. b. 0 O O 2. 五 Ⅰ. 入. 拾 頁. 年. 2 3 8 1. 年. 8 2 8. 五Ⅰ. 年. 4 2. 18. 6. 年. 8 1. 1.1. 年. 8. 12. Ⅰ上. 年. 4 0 8. ⅠⅠ. 1794 年. 1790 年. ド. リ. コ. 5. 7@ 1/2. さ. ら. さ. 綿 布. 5 5. 7@ 1/2 7 1/2. ラ ン ネ、 ル. 5. 7 1/2. ャ. 5. 7@ 1/2 7@ 1/2 7 1/2 7 1/2 7@ 1/2 7 1/2. 染. 12@ 1/2 12@ 1/2 12@ 1/2 12@ 1/2. 15. 27@1/2. 15 15 15. 27 1/2 27 /2 27 /2. 15. 27 1/2 27 1/2. 勿. 27@1/2. Ⅰ. 27 1/2. エ. Ⅰ. 25 75 37 37 92 60 37 37. 57359235. ャ. 5. 12@ 1/2 12@ 1/2. 勉. キ. 5. %. 27 1/2 27@ 1/2. % 125 75. 37@ 1/2 25. 1.1. 5. 5. ンャツ地 (A) 、ンャツ地 (B ) 、. % 15 15 15 15. 48420742. 格子縞織物. シ一 ツ地 (B ). % 12@ 1/2 12@ 1/2. 1.1. 佛. 7@ 1/2 7 1/2 7 1/2 7@ 1/2 7@ 1/2. 16337533. % 5. 井上. 品. シーツ 地 (A). 捺. 挙税. 経. 1) 編 製. 究 研 営. 5. 表. 第. 1789 年. (従価税品目. 沃構土. 6 3 2. 48. 白. 口. ロ口. 1㏄. 72 43 25. 2) 毛 織 物. 5. ミ. 5 5. (従量税品目 ). Ⅰ0. 皿. 巧. 27@1/2 27@ 1/2 27@ 1/2 27@ 1/2 27@ 1/2. 5) コーヒー. 10.@Oct. 6) 銑. 5.〕et ,. (. ・. ・. 3.04 ct. 31.70 ct. 5.0 ct. 50. 鉄 (cwt.当り ). 8) 鋳. 9) 10). 5ct. 鉄 (c帝 .当り. 釘 鋼. 7. (重量ポンド当り. 3.05. 3.08 ct. 34.00 ct. 5.O ct.. ct. 5.O ct. 162@1/2@ct .. cぇ .. 11). 麻 (cwt.当 力 毛 (重量ポンド ). 2 ㏄ ct. 150@ct. hammered@. 75 ct. ct. 4 Ⅰ. c. 羽 年 。"""". ct. 33.52. 150…t. /2 ct 工. (cwt.当冗. 12). エ. 50 50 50 50. 外国 船. 50 ct. 7) 棒. 100 ct. 110…t. ・. 5 1/2ct. 100@ct │@ 110@ct 5 ㏄.. 億. 00 ct. ・. 175…t. 150…t. 06 解. 35@ 1/2. 45. l. 鉄 (cwt.当り ). Ⅰ. 60. 18. 国内船. 44.2ct. 150 90 50 90 50. 1824 年 ****. 1815 年 "" 1819 年神 ". 3) 砂 糖 (重量ポンド 当刀 4) 茶 (. 3333333 ///////. ャ (C ) カシミヤ (D ). シ. カ. 15 15 15 15. ㌍㌍. 5. お. 5. Ⅰ5. 1.1ⅠⅠⅠⅠー1ⅠⅠⅠ. 地. カシミヤ (A ) カシミヤ (B ). 甘皮. 10 10 10 10 1O. 銘銘銘. シ. ⅠⅠⅠⅠ. ラ. %. 粗. 5555555 2222222. フ. 20% 一 22% (従価税 ). ・. 100@ct. 丁. アニメ. ア了ノ. Ⅰ. イブ. ・. ・. ・. 5ct. ・. 100ct. 175…t. 4ct. *Huu.mt,s ぴ Meercchanfs,Mtadgaz劫 e, VoI. 111, 1840. p.260. ""R ゆ 。れ s 可" 肪 e sSゐ化切 り ダ妨e TrⅠ 挺轍り @ 地色ひれ iteオ及乙 es, Vol 11, 1837. p.46.6M, ㏄・ 但し,砂糖, 茶 ,コーヒー, 鋼は 1814 年のもの. ***Zbi ・, 1I, p.180. ****fbみ嫉オ ・, 1I, pp.452,455; N@les, Ⅰ,ee た り Register,, XXVI, 1824, pp.377,405. *****Re タor お oⅠ tAg パec だけ侮 0/ 古ん g T 化 dsM 0/ さんせ レ 化 べ拓zcs, Vol. 11I, pp.l9-22. セナ. ・. 90@ct. ・. ・.

(13) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」. (6) (柄 井敏朗 ). (237). 49. 関税品目の増大は ,例えば従量税を課せられ た品目のうち ,㈹酒精, (2)ブドゥ 酒 , (3)砂糖, (4)茶 ,糖蜜, コーヒⅠ (5) 食塩を除く, (6)「そ. その後約 30 年経過した 1854 年, 日本との間で 締結される日米和親条約の 素地は,こうして ,既 にこの時期,準備されつつあ った.われわれにと. の他」の項目に 含まれる品目が , 1814 年には 39 品目、,,, 1819 年には 38 品目 狗 ( ただし ここで. って大切なことは ,. このことに尽きるものでは. は ,同種品目でも積分げが進んでいることに 注. ない・上記の 保護政策が明確な 目的意識をもっ て ,貿易構造の変革をも意図していることであ. 意 ), 1826 年には 59 品目 補 , 1828 年にほ 69 品目. る・ こうしてみて 来ると, 「アメリカ体制」は ,. と増大していることからも 明らかであ る. これ. 決して閉鎖的なシステムどころではなかった.. は, もともと製造業の 保護政策として 意図され. 従来の貿易構造. た 関税政策が,次第に保護さるべ き 産業部門の. 工業製 R" を 輸入するという 貿易構造 を 180 度転 換させようと 意図した貿易政策でもあ ったので. 範囲を広げ,国内で生産されている ,あるいは 将来生産され ぅる 可能性をもった 一切の品目を 保護の対象に 加えていったこととかかわる.そ れは, もはや財政収入の 維持を目的としたたん なる財政政策ではない・その 枠を打ち砕 き ,機 械技術で武装された 新しい型の製造業 ( したが って「幼稚産業」と 見られた土着の 農村工業で はない ) を基軸にして ,. ドラスティ, クに 産業. 構造の国民的再編成をほかろうとした 政策であ ったというべきであ ろう.. 通商産業. なお関連して 注目すべきは 次の事実であ る.. 原料・食糧を 海外に輸出し ,. あ る. c. 国内開発政策. 繰り返し触れられて 来たよさに,河川および 港湾改修,運河開室,道路建設などの形で進め られた国内開発事業計画は ,経済政策体系とし ての「アメリカ 体制」のなかで ,製造業保護政 策を最終的に 成功せしめるべき ,まさに連邦政 府の積極的な 投資計画として 位置づげられてい た・ ところが, この ょう な事業 は ,本来, 州政. それは,従量税を賦課されている 茶の輸入関税. 府 ミ 議会の事業として 進めらるべきものであ. についてであ る・ これについてラッシュ 長官. たことは,合衆国憲法の趣旨からいって 当然の. ほ, 1827 年の『報告書』のなかで 大略次のよう. ことであ った・Ⅰ 820 年代の一大壮挙ともい うべ. に述べている.. きエリー運河の 開 堅 工事完成 (1825 年 ) は, ニュ. っ. ーヨーク州によって 推進されたものであ り, こ. 茶 の使用は殆ど 生活必需品の 列に入れてもよい ほど合衆国中限なく 行き渡っております ,この事 実に加えて,輸入額を 減じ,国内で生産高を増加 させねばならない 競争品も国内にはまったく 見当 りません・このような. 事 清を考慮いたします 時,. 茶 に加えられている 関税は,あまりにも高いと 見 られても決して 言い過ぎではあ りません.この 関. 税を徐々に減ずることは ,茶に対する 消費を一層 増加さすことになり ,結局は,財政収入を ,悪化 させるよりは ,むしろ,増大させる 可能性をもっ ております・この 傾向は,中国向けのわが 国の貿 易を増大さすことになりましょうし , 綿 製品,そ. の他,わが国国産品が (正貨を別に致しまして ), ますますそのチャンネルに 入ってゆくことを 刺激 することになりましょう 鵜 ,. (. ) 向原文.. の憲法の趣旨に 沿った典型的な 事業計画であ. っ. たといえ よ う. 国内開発事業計画が 州政府 耳 議会の発議に よ. る場合は,資金をどのようにして 調達するかを めぐる大問題を 除けば,少なくとも憲法論議を 呼ぶことはない・しかし. 連邦政府 二 議会がこ. れを発議する 場合には,事情は全く異なってい た・それは,高率関税保護貿易政策の推進以上 に,憲法解釈上の間 題 を意 き 起こしたのであ る・「防衛」と「覚交」を 超える事業とみられ たからであ った・この時期進められた 連邦政府 言議会に よ る国内開発事業計画の 多くが,民政 費あ るいは陸軍費の 名目の下で行なわれた 理由 は,かかる憲法論議を出来うる限り 回避したい.

(14) 50@ (238). 第 Ⅷ 巻 第 3 号 (1987). 横浜経営研究. と 考えた連邦議会の. 知恵であ った.合衆国憲法 で認められている 川除商業に関する 事項,ある いは軍事目的にかかわる 事項として,かかる 河川改修,道路建設が必要だというのが , 表向 ぎの言訳であ った・そして ,かかる事業は, 例. ヵ ンバーランド. ,かかる手続を経て着工された. 国道建設計画は ものであ った 勒. ・. ところが,ラッシュ 長官は,その 報告書 のなかで,可能なかぎり,かかる制約を取り除 こ 5 と,正当化のための論理構成を行なったの であ った・すなわち ,州政府耳 議会の承認がな くとも,連邦政府芸 議会の意思で ,生産物輸送 の目的で行なわれる 開発事業計画を 実行できる 口. 体制を整えようとしたのであ. 1827 年の『報告書. コ. コ. う. .. この出資義務は 履行されました ,この事業は連 都議会がこれまで ,首都( ワシントン, D.C コと 協力して強力に 援助を与えて 来た同質事業とは 区 別 t れた一大事業で ,今回新たに投資が計画され. 交易は,その商業上および 金融上の恩典を , 位 地. 方へおし広げ ,その恩典の多くを,連邦議会の. 特. 別かつ排他的配慮 下 にあ る地区に集中させること になりましょう ,w), (C コ内楠井 ). る・. では次のように 云. う. さ定見 則のの陸 か. かの大規模な 国道建設計画. う. り 二 内 ・と あが と現金. 政府言議会の 承認を必要とするものであ った.. に云. 強に相当した 28)- 一 に 触れ , 次のよ. いれ たな こ れ しに の阿堵 て 通 さ こ 運. えば要塞の建設の 場合と同様に ,原則として州. の 0.3%. ・. ・. どんなに賢明に 実行され,あるい ほ 期待された. 連邦政府の意図したこのような. 国内開発事業. 大規模な国内開発事業計画も ,製造業に活動を 与 えるものでなければ ,その目的も ,価値も,多く. 計画が,やがてジャクソン期に根本的に 批判さ. を失ってしまうでしょう ,これらの諸計画が 効果 をもつように 意図されている ,運送上の便宜の増 大も ,その基礎として,国内生産物をあ ちこちへ 動かす必要性を 前提にしています・かかる 輸送. 検討される・. が,製造業労働の 生産物の増加によってどれほど 増大するか,明白なことです・この 事業計画が進 展 するとともに ,製造業労働のための 新しい諸資 源が期待されるかも 知れません…… ").. ここでははっきりと 工業製品の輸送が 国内開 発事業計画の 最大の目的に 据えられており , 軍 隊の輸送との 関連が絶ち切られている・ また, 18% 年 0 % 報告書 では・さらに 進ん で,同年5 月 24 日に連邦議会で 成立した「連邦 団. 政府の チヱサ ピーク = オハイオ運河会社への 資 (1 万株,. 18 羽 年. Ⅰ. 月. 出. 万ドル ) 計画法」一一 これは, Ⅰ日から 9 月 30 日までの合衆国の 1. 歳出のうち,民政費 ( 外交費を含む. ). 総額. 82,999,512.23 の中に含まれているもので , そ. れ,否定されることになることは,章を改めて. d. 公有地政策 1820 年代の公有地政策は , 1819 年恐慌による 土地投機の崩壊の 後始末から始まった・ 第 3 図 から明らかなよ 5 に , 1820 年代の公有地払下げ が , 1810 年代および 1830 年代前半と様変りし. て,低調であ り,しかも落ち着いた動ぎを 示し たのも, 1819 年恐慌後の連邦政府の 政策と大ぎ くかかわっていた・こうした 方向を大きく 確定 したものは,第一は, 1%0 年 4 月に制定された. (L 皿 d Law, 1820) であ り,第二は, 1821 年に制定された「債務者救済法」 (ReIief Act, 1821) であ った・ 1820 年「土地法」は ,次の点で重要な意義を 「土地法」. もっていた・. 第一は,公有地の売却に際して ,. 建国 期 に定められた 公有地払下げの 基本法一一. 1796 年の「公有地法」. (PublicLandAct of 1796).

(15) 「アメリカ体制」と「. (6) (楠井 敏朗 ). ジ ヤクソニアン・デモクラシー」. 181 ㌃ 37 年の公有地売却状況. 第3図. 16 百万. (単位 ) 百万 ェ. @ @ 13 (1818 8(1819 ) 1 百万ドル 有㍉. 力. Ⅰ. l. Ⅰ. ドん. 25百万ドル10 万 (単位 ). (1835 ) (1836 @. 百万ドル 年. 年. 年. ⅠⅠ @llⅠ. Ⅰ. @. (1837 年). ll. @iP@H@@@JfetS@I. 5. ドル. 7 百万ドル. ⅠⅠⅠ. Ⅰ. 51. (239). - 5. ・. ⅠⅠ. 一. 10. ⅠⅠⅠ. /ⅠⅩⅩ ト 1. Ⅰ. - 3. ⅠⅠ. - 2. l ⅠⅠ. 5. //. む. Ⅹく. 卜@ ち卜 @ Ⅰ/ Ⅰ /. @@. Ⅰ. 1815 年 (出典 ) B.H.. 4. 1820 年. 1825 年. 1830 年. Hi 比 ard, A Histo ひが さ穣 P 妨琳ぬ初月。レセ s, New. で 認められていた「代金分割線 延払 制度」. ム Ⅰ. 1835 年. York l924, pp.l00, 103.. め ,完納までの猶予を与えたことであ った "). (Credit System) を廃止したことであ る・第二. この ょ 5 な 二つの基本政策のもとで , 1820 年. は,払下げの最低単位を 80 ヱ 一ヵ 一へ 引下げた. 代に公有地がどのような 形で払下げられたか. ことであ る,第三は ,払下げらるべき公有地. は ,第6 表の示す通りであ. ェ. る・. この時期,. 「. 北. ェ 一ヵ一当りの 公定価格を , 1796 年の「公有地. 西部」を中心に 払下げが行なわれたことが 知ら. 法 」で定められた 2 ドルから 1.25 ドル ヘ 引下げ. れよ. たことであ る 30). したがって,. か. この法律の制定. う. .. とくに,ズーリ 州の動ぎに注目された ヰ. 画の公有地の 払下げが可能となった・ 1821 年の「債務者救済法」は , 「代金分割線 延払 制度」を利用して 公有地の払下げを 受 け月 がら,恐悦によって代金支払不能に 陥った者を 救済するために 制定されたものであ る・その 麹 旨は, 一つほ,従来,連邦政府によって 没収さ れ ,高処分に付されていた完納出来なかった 者 の 土地に対して , 既 支払 分 については,支払額 に 比例して,相応分の面積に対する 所有権 を認 め よ というものであ った.いま一つは,末弘 分を含めて既得権 のすべてを放棄したくないと う. ,救済措置を講じ,その債務 ,長期(10年 ) 無利息の分割払を 認. サッシ. ユ. .. 「代金分割 線延払 制度」が廃止され ,現 金. によって 100 ドルの現金を 用意すれば,一定区. 即時払制度へ システム 転換したことは. , 1820 年代初めの. 不景気な時代に ,したがって,銀行からの資金 借. 入れが容易でなかった 時代に,公有地払下げの 沈滞を招いたことは 当然であ った (第 3 図参照 ). しかし この時期の公有地政策が , 1819 年恐慌 前に 段 盛を極めた土地投機を 急速に鎮静化させ たことの意義は 大きい・ このことほ,財政再建 を進め,製造業を中心とした産業振興策をはか る. 連邦政府には 好都合に作用した・かくて , 1820. 年代 は ,南北戦争双のいかなる時代にまして 経 済の安定成長を 保証した時代となったのであ. 望む者に対しても. る .第2 図に示されたよらに ,外国貿易も,. 残高について. の時期最も落ちついた 動きを示した・. こ. 余裕資金.

(16) 52 (240). 横浜経営研究. 第Ⅷ巻. は ,一方で,製造業を 中心とした国内産業に. 投 資され,ニューインバランドの木綿工業を中心 に展開する産業革命をいやが 上にも盛上げるこ とになったし 他方,財務省への関税支払いに 吸収されて,建国以来累積した財政赤字を解消 させる基盤を 作り上げた. われわれは,同時に, 「債務救済法」が , 1810 年代に公有地の 払下げを受けた 人々に既得権 を 保証したこと ,. このことで,起こり ぅ べき混乱. が 最小限に食いとめられたこと. ,その結果,こ. れらの人々に 対して,次の時代のための 発展の 足がかりが与えられたことに 留意しておぎた い. しかし,この公有地政策は , 先に見た連邦政. 第 3 号. (1987). 了した後,合衆国では州法銀行が激増する 時代 となった. 181 年 1 月には 59 行に過ぎなかった 州法銀行は , 1815 年 1 月に 208 行, 1816 年 1 月 には 246 行, 1820 年 1 月には 308 行となった 33). 州法銀行の激増は ,その安直な貸出政策に ょっ ェ. て , 1810 年代後半に,商品投機,土地投機を 中 心にした投機熱を 煽り立てることになり , 1819. 年,合衆国で最初の,きわめて 深刻な恐慌を 導き 出すことになった 鱗 .第二対英戦争は812 Ⅰ 815 年 ) 後のこのような 投機 熱 と財政混乱を 解決す る目的で ,はげしい憲法論議の 後,連邦議会 は, 1816 年第二合衆国銀行設立案を 成立させ, マディソン大統領の 裁可を得た (An A 。t to in. corporate@ the@ Subscribers@ to@ the@ Bank@. UnitedStates,Approved,Aprill0,. of@ the 1816, 3Statutes. 府の推し進めようとする 国内開発政策と 結びつ いた 時 ,あるいは, また,景気の回復,景気の 盛り上がりに 伴って銀行による 資金貸出が順調. at Large, 266).. になり始めた 時 ,それ自体の中に安定成長政策 を 解体させる要因を 字むものとなった・ ジャク. 連邦議会の認可を 経て設立された , 当時唯一の ナシ ,ナル・,, ンク であ った.同時に最盛期に全. ソン期に入ると ,. 国 23. このことがまさに 現実の問題. となるのであ る. e. 金融政策 この時期の金融政策を 考える 際 ,とくに政策. 体系としての「アメリカ 体制」を論じる 場合, われわれは第二合衆国銀行によって. 担われた金. 融政策を見過ごすわげにはゆかない・その 歴史 的 位置づげについては ,かって詳細に論じたこ とがあ る均しその重要なファンクションにつ いては, 本章の後段 CnID. 「アメリカ体制」の. 経済的効 知 で取扱われる 予定であ るので, こ こでは,後段の分析を十全ならしめるに 必要な 限りの事実を ,簡単に整理しておくに 留めよ. ,第一合衆国銀行と同様,. カ所に支店を 有し,川除業務に携 る 銀行で あ った・この点で , 州の境界内に 業務活動を限定 され,その殆どが支店を有さなかった 州法銀行. と決定的に相違していた.同行は,資本金35 百 五 ドル (350 , 0㎝株コ うちⅤ 5 に相当する 7 百万 ドル (70, 000 株 コは ,合衆国政府が出資,残り4/5 に 相当する 28 百万ドル C280 , 0 ㎝椀は諸個人, ま たは 法 人 が出資して設立され た⑤. 第 表 および第 2 表に見られた 配当金収 入 (455,000 ドル ) は,この出資に対して支払われ た配当金 (配当率 6.5%) のことであ る・合衆国政 府は, この出資のために 5% 債 7 百万ドルを発 ・. カソ パヰ一ズ.オア. Ⅰ 一. ボレイシ 亘ソズ. Ⅰ. 行して資金を 調達した. この 5% 債は,本論文 に , 1825-29 年の R. ラッ. 注 H) に示されたよ. う. 、ンュ 財務長官時代にも 償還されないまま 残って. う .. アレグザンダー・ ハ,ルトンの構想 ( 「国立銀 行に関する報告書」 ) に沿って. 第二合衆国銀行は. 1791 年に設立された. いた.. ところで財政再建と 投機抑制を目的に 設立さ. 第一合衆国銀行が ,連邦議会によって,合衆国. れた第二合衆国銀行は ,設立当初,機構的に 未. 憲法違反の嫌疑,特定階級への便宜供与,外国. 整備であ った 上 ,杜撰な経営と相 俊 って,十分な. 人株主の多さ 等の理由で特許更新を. 否決され,. 20 年の特許期限の 終了とともに ,その役割を終. 成果を挙げ得ないまま. ,それ自体が投機の渦に. 巻き込まれて , 1819 年恐悦を作り 出す上で一役.

(17) 「アメリカ. 第. 6. 体帝U」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 (6) (楠井 敏朗 ) 表. 『財務長官報告言. 05800345. Ⅰ 上. 1828 年. 5 2. 1172. ﹁Ⅰ. 60310. Ⅰ. 2. 0. 165.7 8.5 37.0 28.0 14.2 15. 28.3 2.3 Ⅰ. 32.3 250.9 67.5 153.4 10 5 ・. 18.4. 一一 2 328. 54. Ⅰ. 一0524. 36.4 30.0. 337 no 53. Ⅰ n@4. Ⅱ. 土工. 26.8. 20.3. Ⅰ. 1. 70 6 , ・. 00% 52. 15.3. .. .. 75.2. Ⅰ. 4包. 一 -. 74,0. ・. 471.5 324.4. 33.0. 27.0. 22.8. 鯛. 4 3.7. 33.3. 5.4. ,s. Cahaba. 318.1@. 52. 一 9%. Stephen. 795.9@. エ. 05486. 1. 63347. 駆. Ⅰ 工 965 91. 8. 工 ZL 色 Ⅰ 一. 261.3. 8 Ⅰ 3914640. 193.7@. ・. 38. 一Ⅰ 6 一. 0 6. 21. ・. 84779. 0 8. 11.2. 3.4. %r. ㏄l 出山一皿 t0. 5. Ⅰ. 8. 62.2 52.6 86.9 5.9 13.4. 9335639. 91742. 0. 3.7 60.5 1.3. Ⅰ. 3. ⅠⅠ・. 。. 30. 12.3 60.7 % え L 杖色牡 Ⅱ 一. 33622. 嗣よ 比的臥一 L 一. 69.2. 38.7 7.9. 18.0 19.7 16.4. 55.3. 58.7 5.2 10.7 86.6. 8ワ. 21.O. ㎝ 几 ℡Ⅱは一一、. 14,7 15.8 149.3 73.2. Ⅰ. 輯 2 % ℡ ℡ け 皿 Z 礼一 ⅠⅠ. 6 一 440. 9. 23.0 23.0. 164.9. 41.9. 24.2 29. 1 30 ・Ⅰ 16.2 27.9 2.4 27.2. 402. ⅡⅠ. 70. I.I. 1.1. 96. 1.1. 蛇 一一一. 253.0. 17.6. 7.4. 工. 9.7. 19.0. Ⅰ. 264.5. 2㏄円. 166.8. Ⅰ. 15. 8.9. :1825年・ 1826 年 l1827年. 1824 年. 0. 1. 6. 1. 10.4 15.2 13.0 5.0 5.9 3.5 60.9. 2. 9. 17 1.1. エ. 1% Ⅱ. Ⅰ㎝ 一. 5. 2. ・. 一一一㎝一一㏄. n. Louis. Cape@ Grrardeau Lexington Jackson St. ・. 85.2. J. roe. .Ⅹ .. Ⅱ. エ. Ⅰ. 6. Ⅱ お印. ee. イ ・. 5.0. 98. H. イ Palmyra F Ⅰ ank. ⅠⅠ. 42 12. 0066017. 1.l. 仏ニ 鯛. オ. 270.1 118.9 60.4 90.8 一. ミズーリⅢ 、 l. St. にあ らわれた公有地払下げ 状況 (単位 1000 ェ 一ヵコ端数四捨五入 ). コ. l1820年 i1821年・ 1822年 l1823年. 公有地管理局. (241)@53. 6.0. Huntsville Tuscaloosa. Sparta. アーカンソー 桂川. Lawrence@ County Arkansas Batesville. 0.6. 23.2 22.6. O.6. 0 6. Ⅰ・. 5. 3.0. 7.8 1 13.3. 4,1. 3. Ⅰ. 2.2. Ⅰ. 9. ・. 19% 03. 0 8 0 7 ・. Little@Rocke. ㏄. ・. ルイジアナ州. ふ朗. 1.9. Ouachita Opelousas. New@ Orleans. 0 3 ・. ミシシッピ 列 、 l. Jackson@ Court house. Washington. 1.2 4.1 2.3 1.8. 23.8. Ⅰ. 0.1. 4.2. ・. 23. 8. Ⅳlount Salus. 10. ・. 4.2. 1. -. t0 6 ・. ⅠⅠ・. 4. 0 3. 0一 Ⅰ. ・. 8. 60.66.46. 一 川. ・. 3. 一. Augusta. ㏄・. 0. 6. 55.1. フロリダ 准州. Tallahassee. 。 1,4品・5 @ 780.2. 一 ". 十一一ロ. @ 793.0. i. 652.3 @ 750.0. 140.6. 1 893.5 @ 847.9 @ 926.5 @ 945.7. (出典 ) 人くク0 Ⅰおが 坊 e Sgc Ⅰ 6 切りがⅠ ん e T Ⅰ ea5 ぴ りげ古んピひれ ifeピ 3% ク tcs, Vol. 1I, Washin 國 on. 1837.@ pp. ・. 191.@230-231.@ 258-259.@ 290-291.@ 328-329.@ 369-369.@ 414-415,457-458;@Vol , Ill,. WⅤ ashing [On 1837. pp.24 一 25. Ⅰ. 35.2.

(18) 54 (242) 買. う. 横浜経営研究. ことになった 拙. ・. 第 Ⅷ 巻 第 3 号 (1987). 1820 年の経済政策におい. 居取締役会の 相対的独自の 執行権 ). を廃しこ. を補完する重要な 役割を担い始めたのは ,やっ. れら支店をフィラデルフィア 本店の執行命令に 直属させ (支店取締役会再編成 ), 全体を A.D.. と 1823 年,ニコラス・ ビ ドル (Ni 。h 。I、sHddl 。). チャンドラ ロ. が第三代総裁に 就任して以降のことであ る.. 管理機構に整備した ,。,. て, 同行が連邦政府の 打ち出した上記の 諸政策. 1823 年という年は ,合衆国では「1824 年関税 法」の制定される 前年のことであ ったが,それ までスペイン ,. ポルトガル両国の 植民地であ っ. た中南米で , 多くの国々が 独立を承認された 年. でもあ り,イギリス 資本がこの新興国向けに 流 れ 始め, 1825 年恐慌直前に 絶頂に達するイギリ スの新しい産業循環が ,その緒についた年でも あ った.合衆国でも ,. このイギリスの 景気の立. ち直りに刺激された 形で,この年から長い不況 からの回復の 兆しが見え始めてくる. 経済政策体系としての「アメリカ 体制」と深 くかかわるこコラス・. ビ ドルの金融政策は ,要. 約すれば・次のよらなものであ った. まず,連邦政府との 関係では,①公金の預託 機関であ ること,②連邦議会の要請にしたがっ て連邦政府へ 貸付をなすこと ,③合衆国公債の 所有者に対して 元利の支払をなすこと 等,「政. J 「・のい. うよう に,中央集権的. ・. これは,次の観点に照らして 意義をもった・ ①国庫金の出納・ 保管・移転の 円滑化・②州法 銀行に対する 有効な規制の 達成.例えば租税支 払あ るいは商取引の 過程で受げとった 州法銀行 券を ,発行銀行に 皇示して,正貨免 換を請求 し, 州法銀行の発行Ⅰ貸出活動をチェックする 上七大切であ った・③支店網を 通じた,手形割 引および内国為替取引推進による 社会的資金の 国民的循環機構の 整備・④均等貨幣価値を 有し た 銀行券の豊富な 流通, とくに「ブランチ ,ド ラプト」 (brmch. dr ㎡ t)の発行であ る。。 '. 第二 仁 ,第二合衆国銀行全体の資本金の回復 をはかり,各支店に対して,この資本金を,当該 支店の業務状態に 応じて一定額だ け 割当てる 方. 針を採用し,支店活動に一定の枠をはめた・こ れによって, ジョー ンズ時代の支店放任ともい. える杜撰な経営は 著しく改善された 田が,同時 に次のこと,すなわち,①「東部」の大支店の. その代償として ,①その銀行券 (合衆国銀行券 ). 取引を拡張し. 國,と 聚め貨 4 口 け ,ガ Ⅲ旺法 バ. 府の銀行」たる 役割を担っており 37), 同時に , あ らゆる支払に 通用する. ,②「南部」や「西部」で見られ. た長期信用証書を 担保とした貸出,および抵当. れ , ②毎年 2 百万ドルを 限 度 として合衆国公債を 売却出来, さらに大切な. 貸付を禁止し③内国為替取引を. ことは,③第二合衆国銀行存続期間中,同行に. 全を期したのであ った "',. 類似する銀行の 設立が留保された 等の特権 を受 げとった⑧.. 第三に,かかる支店政策に支えられて ,社会 的資金の国民的循環を 調整する重要な 地位を獲 得した.. ビ. ドルの政策において 特に重要であ ったの. は ・州法銀行との 関係であ. る・. 全支店に拡張 ④第二合衆国銀行券の 流通と正貨 完換 に万. し,. ビ. ドルの支店政策はフィラデル 本店に管理体. ドルは「政府の 銀行」たる上記の 特権 を利 用して,当時,その 数を増しつつあ った州法銀. 制を集中することであ ったが,第二代総裁, L.. 行に対して,以下にみるような 規制政策を加え ,. これを行政面にのみ 限定し営業面では ,合衆. ビ. チ ークズ (Cheves) の政策と根本的に 異なり,. 国経済の拠点であ る,ニューヨーク と ニュー オ 合衆国の社会的資金を ,アメリカ産業革命と, ルリーンズの 地位を重視し ,両地の支店の機能 それに伴 国内取引や国内開発政策に 適合的な 水路に向けて 方向 づ げたのであ った・ を全開させる 政策をとった. 彼は,第一に,支店網を強化し ,同時に,初代 ニューヨークは ,当時,国内,国際両面で 重 総裁 W. ジョー ンズ時代の支店分権 化傾向 ( 支 要な流通拠点になりつつあ ったが, とくに 1825 う.

参照

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