ー青空科e・ことっ-てニ「よみ」と8まf可カ、
芸術系教育講座松本ミサヲ
音楽教育の重要な領域の--一つとして「よみ」、すなわち読話指導が重視され るようになったのは、さして古いことではない。 さらに、現在世界的に最も普 ・ij!!';:;、中I.:ニ・′、:・'・,'frV.IさJ.*,・章:二日・-'-/":'蝣、、-'・は、ここ・100年代に過 ぎない。さらにその五線譜が-・般民衆の教育の場に導入されるようになるため には、楽譜印刷技術の開発と改良を待たなければならなかった。 現在でも、民謡や労働歌等に見られるように、音楽の伝授方法としては、全 く禁譜に頼ることなく、日伝によって各世代に受け継がれる伝統も保持されて ・・*,'-1*J∴音釦聴いて、・。 }言、f'A三.''iifiqHl灘1-1-叩離 し、禁しむものであるとされている。 事実、禁譜が全く読めなくても音楽を享 受し、音・青空に対して鋭い感受性を備えている人は多く、時にはポピュラー 音楽の分野では、読譜力は必ずしも必須条件ではないとされている。 さらに現 在の記譜法の制約(たとえば音色は記述不可能)などの問題ともからんで、記 譜された音空、つまり楽譜を「よむ」ことを通じた、視覚的な青空理解の可否 をめぐる、さまざまの論争が惹き起こされているが、そのような議論にもかか わらず、読譜指導は依然として、全世界の音莞教師が直面する、最大の困難で あると言える0 そこで、読譜指導に関するさまざまな実践例が報告されている が、たとえば以下の例を上げることが出来る。 v S HH^ ^ ^ ふ it ' "蝣 l ー t では、このような問題があるにもかかわらず、なぜ禁譜を「よむ」ことが音 禁科教育の重点的指導事項の・-一つと考えられているのであろうか。 その理由は
-50-以下の3点に要約されるであろう。
1楽譜の中に盛り込まれた様々な情報や記号を視覚を通じてゲシュタル
ト的に把握・構成して、抽象的なパターン認識能力育成のための一助 とする。 それを基礎として音楽的体験を組織化し、聴感覚やリズムに対する自 然な反応能力を高め、それを表出する能力を育成する。 我々は文字を習得することによって、未知の書物を読み、自らの教養 を高め、自学自習の道を開くことが出来るが、それと同様、生涯教育 の一一・一環として、新しい音楽に取り組む能力を習得させる。 つまり、ここからは、読譜指導には、象徴的記号をパターン化する知的能力に 育成に始まって、生涯教育の領域にも及ぶ、極めて広範囲な目的が課されてい ることが理解されるのであるO それでは、楽譜から「よみ取り」得る情報とは何か。 まず五線譜上にある音 符の位置によってその音の高さ(音名、または階名)と、随接した音との相対 的隔たりが把握され、かくてパターンとしてのメロディのイメージが浮かんで 来る。これは空間的な認識と考えて良いであろう。 現在日本の学校教育では、 低学年の音禁の授業では変譜を使用しないで、曲のイメージをつかませること を第--の目的としている。 そこで、「 ひのまる」を例に取ると、以下の語例で 示されるように、メロディを構成する音の高さとその動きが、図式的に示され ている。 J=104-108ひのまる
esh㍗E=指IitJg. jW 「VIIM^UJコ-翫二 ㊤ 一 ど れ れ み み れ . 上LろLにあかく J5K3闇 み み そ そ ら b そ . ひのまるそめて ひのまるあげて -51一 薗(ら(9㊨でゆっくりうたいまLlう. ら ら そ そ み と. . れ ああつつくしい ああつつくしい そ そ み ど み 礼 ど にほんのはたは にほんのはたはこれによって、この曲のメロディの変化が視覚的に把握可能となる。 ら<_Hi-t. 蝣・/.. 蝣.、∴一. ::・"'"-. ''"動き'蝣'.. ・'*亡∴中"・&蝣-.:;-・r上ft!*Vr:-蝣yn か、各音符の長さ、すなわち厘時約・時間的な変化である。 そこで、異なった 長さの音符が使用された曲については、以下の「おもちゃのシンフォニー」の ように、長い音を線分で、短い音を点で表し、さらにその相対的な位置を変え ることにによって、音の高さと長さの変化を同時に視覚化するように工夫され -'(II',,1,,,JR. -おもちゃのシンフォニー舞・ 9はじめのふLをおぼえましょうO ●いろいろなおもちゃのがっきのおとがきこえてきますよ。 ここにあげた2つの例からも理解されるように、禁譜を「よみ取る」ことは、 むしろ数学でグラフを読み取るのと同じ意味を持っているのである。 現代作曲 家の中には、五線譜による表記に限界を感じて、図式的表記による記譜法を採 用している者があるが、これはむしろ、音楽の本質に復帰した態度と言えるか も知れないO い音楽における「よみ」とは、これらの基礎的要素の把捉に始まり、さらにそ こに記されたさまざまな記号等を加味しつつ、その曲、あるいはその作曲家が 意図したイメージの. r よみ取り」に到る過程である。 このようなところからし ばしば、禁譜を「よむ」行為と文章を「読む」過程が比較される。 すなわち、 たとえ個々の文字そのものには意味が無くても、いくつかの文字で構成される 単語、さらに単語を重ねたフレーズや文は何らかの意味、またはメッセージを 伝えてくれるが、これは音符の場合にもあてはまる。 個々の音符には意味が無 ぐこも、いくつかの音符のつながりによって、そこには一定のフレーズ、ある いは曲のイメージが浮かび上がって来るのである。 このようなところから、コ ダーイ、オルフを始めとする音楽教育学者は、母国語の獲得過程と読譜能力の J-J蝣( サI*吊軒は、i・・朝rLi:i. -,一言一二、はiKl-ft仕IK'SFHr:二応し'/蝣一読譜指i軒上を捉宝
-52-している。 しかし、禁譜の「よみ」には、文章の「よみ」とは以下の点で決定的に異な っている。すなわち、 1音符は相対的なものであり、例えば同じ四分音符でも、その曲の性格 とテン刺こよって、曲毎に異なった長さとなることである。 `これは強 弱についてもあてはまる。 2たとえ、先に上げた例で曲の輪郭が把握出来たとしても、音階を構成 する音に対する認識が欠けている場合には、車の曲を音楽としてイメ ージすることは不可能である。 3音禁の場合、鼻終的には、空譜を基にしてその音楽を再現することが 目的となる。 つまり、単なる「理解」の域に止まるととなく、そこ-7T イメージされたものが表現されなくてはならない。 しかし、文章の場 合でも「Lよみ」の速さは意味の理解と同じ機能を果た. し、たとえばタ イプライターを打つ場合でも、個々の文字ではなく、ある単語、また はフレーズをまとまりとして理解している方が、はるかに作業能率か 上がることが報告されているが、楽辞を基にして書聖を市境する場合 にも、これと同じことが言える。 文章の読み取りと聖譜の「よみ」との間には、さまざまな形で類似点がある ことが脚荷されているが、単なる記号としての文字、あるいは音符に対する機 械的な反応としての「よみ」ではなく、意味内容を理解してよりよき「よみ」 を目指すために、両者の間のさらに密接な関連を研究することが、今後の課題 として残されているであろう