フィヒテとニックリッシュ経営学 : ドイツ理想主義の継承
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(2) て 、 実 践 理 性 の 優 位 性 を 明 らか に し、 因 果 の 必 然 を 自 由 の も と に従 属 さ せ よ う と した 。 しか し カ ン トは、 形 式 と 内 容 を き り は な す こ と に よ っ て 、 自 由 と必 然 、 人 間 と 自 然 と を き り は な す 静 的 な 二 元 論 的 な 世 界 観 に と ど ま っ て い た 。9)こ れ に 対 し、 フ ィ ヒ テ は 、 カ ン ト哲 学 の 制 限 を 克 服 して 、 カ ン トよ り は る か に 、 実 践 性 と 行 動 性 を 有 し、 人 間 の 自 由 と 自 由 な 社 会 の 激 し い 情 熱 の あ る 動 的 な 一 元 論 的 な 世 界 観 の 確 立 に 向 っ て い る 。9)一 方 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は 、 戦 争 を 戦 い 抜 く と い う 行 為 の た め 、 ドイ ツ 国 民 が 利 己 心 を 克 服 し、 義 務 感 を も っ て 、 カ ン トよ り も、 フ ィ ヒテ の よ う に 人 間 の 行 為 と そ の 実 践 に つ い て 情 熱 的 に 語 り か け て い る の で あ る。 第 三 、 後 代 へ の 影 響 。 ドイ ツ の 思 想 家 、 ハ イ ネ(Heine,Heinrich つ い て 、1834年. 1797-1856)は. 、 フ ィヒテに. の 著 書 「 ドイ ツ の 宗 教 と哲 学 と の 歴 史 の た め に 」 で 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「カ. ン トの 場 合 は 「純 粋 理 性 批 判 」10)とい う 一 冊 の 本 を よ く研 究 し さ え す れ ば よ か った 。 と こ ろ が フ ィ ヒ テ の 場 合 に は 、 著 書 だ け で な く、 人 間 そ の も の が 問 題 と な る 。 フ ィ ヒ テ と い う人 間 で は 、 思 想 と 情 操 と が 一 致 して い る 」11)と し 「ま た 思 想 家 た ち は 、 フ ィ ヒ テ の 述 べ た 思 想 に よ っ て 今 な お 鼓 舞 さ れ て い る 。 フ ィ ヒ テ の 言 葉 が 後 世 に あ た え た 影 響 は は か り し れ な い も の が あ る 」12)と し て い る 。 フ ィ ヒ テ を 評 価 す る こ と に お い て は、 急 進 的 自 由 主 義 者 ハ イ ネ や 後 世 の 新 理 想 主 義 の 潮 流 に 属 す る オ イ ケ ン(Eueken,Rudolf . 1846-1926)同. 様 、 ニ ック リ ッ シュ も そ の潮 流 の 一 人 で あ る と. い っ て よ い で あ ろ う。 本稿 で は、 ニ ック リ ッシ ュが 講 演 論 文 で取 り上 げ る こ と に な る、 フ ィ ヒテ の哲 学 思 想 と して の 基 礎論. 「人 間 の 使 命 」13)(1800年刊)と. 応用論. 「ドイ ツ 国 民 に 告 ぐ」14)(1808年 刊)を. ク リ ッ シ ュ に よ り取 り上 げ られ な か っ た 今 一 つ の 応 用 論. 、 そ して ニ ッ. 「封 鎖 的 商 業 国 家 」 論15)(1800年. 刊)を. 解 明 し、 そ の 成 果 と の 関 連 で 、 い わ ば 第 二 の 「ドイ ツ 国 民 に 告 ぐ」 と 言 う べ き、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ の 講 演 論 文 を 、 全 体 と して 相 互 関 連 づ け 、 そ の 思 想 史 的 意 味 づ け を 行 お う と す る も の で あ る 。. Ⅱナ ポ レオ ン 戦 争 と フ ィ ヒ テ. 1フ. ラ ンス 制 圧 下 の ドイ ツ. 1789年7月14日. に 勃 発 し た フ ラ ン ス 革 命 は 、 フ ラ ン ス の 大 衆 動 員 と ジ ャ コ バ ン党 員 に 導 か れ 、. 世 界 市 民 的 理 想 か ら、 封 建 制 度 の 廃 止 や 人 権 宣 言 を 行 い 、 新 た な 国 民 理 念 を 、 後 進 諸 国 東 ヨー ロ ッ パ に も た らす こ と を 、 そ の 使 命 と し て い た 。 こ れ に 対 し. 、 「旧 権 力 」 と り わ け オ ー ス ト リ ア と プ. ロ イ セ ン は、 す で に フ ラ ン ス 革 命 の 勃 発 と 同 時 に 、 こ の 「(旧)秩 序 」 の 側 に 断 固 と して 立 ち … 革 命 に 対 す る王 冠 の 団 結 と い う考 え 方1)か ら、1792年4月. に 宣 戦 布 告 を 行 っ た1)。 そ し て1793年. に イ ギ リ ス、 オ ー ス ト リ ア 、 プ ロ イ セ ン な ど に よ る第 一 次 対 仏 同 盟 が 結 成 さ れ る と、2)こ れ 以 後 、 断 続 的 で は あ る が 、 列 国 に よ る フ ラ ン ス 革 命 へ の 干 渉 戦 争 は 、3)拡 大 し て い っ た。 す な わ ち 、 フ ラ ン ス 革 命 が 、 ナ ポ レ オ ン戦 争 を 引 き 起 こ した の で あ る 。 しか し対 仏 同 盟 内 に お い て 、 そ の 一 員 で あ っ た プ ロ イ セ ン は 、 ポ ー ラ ン ド分 割 の た め 、 ラ イ ン 左 岸 の ドイ ツ 領 を 割 譲 す る 意 向 を 示 して 、1795年. に 対 仏 同 盟 か ら離 脱 し た。4)他 方 、 同 同 盟 の オ ー.
(3) ス ト リ ア と ロ シ ア の 連 合 軍 は 、 ナ ポ レオ ン軍 に1805年12月. ア ウ ス テ ル リ ッ ツ(ウ. ィ ー ン北 東 方). に お い て 完 敗 し、 オ ー ス ト リ ア は 屈 服 し、 ロ シ ア 軍 は 退 却 し た 。5)ま た 神 聖 ロ ー マ 帝 国 は 、 翌 1806年7月. 、 西 南16諸 邦 か ら成 立 して い た ラ イ ン同 盟 に 離 脱 さ れ 、 滅 亡 した 。 こ の よ う に して ナ. ポ レ オ ンの 大 陸 支 配 は 揺 る ぎ な い も の と な り 、 ヨ ー ロ ッパ 連 邦 の 統 一 を 進 め よ う と す る フ ラ ン ス の 鋒 先 は、 〔 中 立 国 〕 プ ロ イ セ ン に 向 け ら れ て 来 た 。5)ナ ポ レ オ ンの 謀 略 的 挑 戦 に 乗 っ た プ ロ イ セ ン は 、 対 仏 同 盟 と して で は な く単 独 で 、1806年9月. に 宣 戦 した が 、`)同 年10月14日. に、 イ ェ ー ナ ・. ア ウ エ ル シ ュ タ ッ ト に 敗 戦 し た 。 そ して プ ロ イ セ ン は 、 屈 辱 的 な テ ィ ル ジ ッ ト和 約 を 翌1807年7 月9日. に 結 び 、6)そ れ に よ っ て エ ル ベ 川 以 西 の プ ロ イ セ ン領 は 北 西 ドイ ツ諸 国 と共 に 、 ナ ポ レ オ. ン支 配 下 に お か れ 、 ポ ー ラ ン ド分 割 で 得 た プ ロ イ セ ン領 土 は 、 ナ ポ レオ ンに よ り ワ ル シ ャ ワ 大 公 国 に わ た っ た7)の で あ る 。 ま た フ ラ ン ス は 、 イ ギ リ ス に対 抗 す る大 陸 封 鎖(Kontinentalsperre)・ ベ ル リ ン刺 令 を1806年11月21日. 〔 か ら1813年10月 〕 に 出 し、 い く らか の 利 点 は あ っ た に も拘 らず 、. 長 期 的 に は 、 大 陸 の 経 済 生 活 を 損 な う こ と が 明 か に な っ た 。8)と は い え そ の こ と に よ り、 フ ラ ン ス の 大 陸 体 制 そ れ 自 体 を 崩 壊 さ せ る と い う も の で は な か っ た の で あ る。 こ う して 全 ドイ ツ は 、 一 貫 して フ ラ ン ス の 制 圧 下 に お か れ て い た が 、 プ ロ イ セ ン王 国 の 大 臣 ・ シ ュ タ イ ン(Stein,Heinrich 奴 制 廃 止 の 勅 令 、1808年. Friedrich. Karl. 1757-1831)は. 、1807年10月. に 土 地 所 有 の 自 由 と農. に 市 町 村 に 自 治 を も た らす 都 市 条 例9)を 施 行 す る こ と に よ り、 国 家 改 造. を 行 い 、 近 代 国 家 と して 、 更 生 す る 道 を 開 い た10)ので あ る 。 そ こ に は 二 つ の 動 因 が 結 合 さ れ て い る 。 そ れ は フ ラ ン ス 革 命 の 概 念 か ら もた ら さ れ た 、 ドイ ツ 的 自 由 の 確 立 と フ ラ ン ス支 配 に 対 す る 反 抗 と して の 民 族 主 義 、 国 民 理 念 の 確 立 と の 結 合 の 試 み で も あ っ た10)ので あ る 。. こ の ドイ ツ 的. 自 由 の 確 立 と 祖 国 の 解 放 と い う 二 つ の 目 的 を 追 求 す る こ と に よ り 、 新 し い 共 同 体 感(neues Gemeinschaftsgefuhl)が. 生 ま れ た 。 そ れ は ド イ ツ 人 の 自 国 に対 す る 関 係 を 決 定 的 に 変 え た の で. あ る 。 そ れ ま で この 関 係 に お い て 、 特 徴 的 だ っ た 身 近 な 故 郷 へ の 無 反 省 な 愛 に 代 わ っ て 、 国 家 的 営 為 と国 民 的 営 為 へ の 参 加 を 道 義 的 任 務 と 把 握 し、 新 た に 発 見 さ れ た 共 通 の 祖 国 へ の 奉 仕 の う ち に 、 す べ て の ドイ ツ 人 を 拘 束 す る 義 務(Pflicht)を. 認 識 す る 新 し い 意 識(neues. BewuBtsein)が. 生 ま れ た11)ので あ る 。 この よ う な フ ラ ン ス 制 圧 下 の ドイ ツ に お い て 、 啓 蒙 主 義 以 来 起 こ っ て い た 精 神 的 再 生 (geistige Erneuerung)を. 土 台 に した12)ドイ ツ 古 典 主 義 の 思 想 家 フ ィ ヒ テ は 、 フ ラ ン ス 革 命 を 賛. 美 す る と共 に 、 他 方 で 、 ドイ ツ に お け る 人 間 の 自 由 と 自 由 な 社 会 に 希 求 が み た さ れ ず 、 ド イ ツ の 精 神 的 自 覚 を 訴 え 、 苦 闘 の 時 を 送 って い た の で あ る。 そ の 自 由 の な い ま ま に 発 展 して き た 時 期 の 所 産 は 、 フ ィ ヒ テ の 人 間 論 と し て の 「人 間 の 使 命 」、 国 家 論 と して の 「封 鎖 的 商 業 国 家 」 論 お よ び 国 民 論 と して の 「ドイ ツ国 民 に 告 ぐ」 と し て 上 梓 さ れ 、 結 実 し た の で あ る 。. 2フ. ィ ヒテ の人 間 論 、 国家 論 、 国 民 論. フ ィ ヒ テ の 学 説 は 、 イ ェ ー ナ 大 学 時 代 の1799年. に 行 わ れ た 無 神 論 論 争(Atheistmusstreit)の. 時 期 を 境 に 、 大 き く前 後 二 期 に 分 け られ る 。13)フ ィ ヒ テ は、 前 期4)に お い て 、 カ ン トの 批 判 哲 学 、.
(4) 実 践 理 性 の 優 位 の 立 場 を 徹 底 し、 そ の 哲 学 を 自 我(Ich)と. 事 行(Tathandlung)を. 中 心 概 念14)と. し て 、 知 識 を 自 我 の み に よ っ て 説 明 しよ う と し た。15)すな わ ち 物 自 体 は 、 独 立 な 存 在 で は な く、 自 我 の 対 立 と し て 自 我 の 反 立 さ せ ら れ た 非 我 に 他 な ら な い の で あ る。 こ れ に 基 づ い て フ ィ ヒ テ は 初 め 、 道 徳 や 法 律 の 基 礎 を 論 じ た が 、 宗 教 に つ い て は未 だ 説 く と こ ろ が な く、16)揚句 に そ の 主 宰 す る 「 哲 学 雑 誌 」 に 掲 載 し た フ ィ ヒ テ の 知 友 フ ォ ル ベ ル ク(Forberg)の. 懐疑論 的無 神論. 「宗 教. 概 念 の 発 展 」 の ため に 、 フ ィ ヒ テ が 無 神 論 者 の 嫌 疑 を 受 け て 、 ベ ル リ ン に 移 り、17)神 の 実 在 性 に つ いて の思 索 が 深 化 され、 後 期 第 一 の著 書. 「人 間 の 使 命 」 に お い て 、 初 め て 、 宗 教 論 を 包 括 的 に. 展 開 した の で あ る。. 1人. 間論. 「人 間 の使 命 」 は、 無 神 論 論 争 の思 想 的 帰 結 を整 理 し、 三 部 作 に よ り書 か れ 、 絶 対 的 実 在 の 自 己啓 示 の過 程 が 叙 述 され て い る。18) 第 一 編 は 「懐 疑 」 と題 し、 自然 主 義 的 実 在 論 の立 場 を 叙 述 し、 現 存 す る も の はす べ て(Alles was da ist)く ま な く限定 され て い る、19)とし、 自由 を現 実 と認 め、20)させ な い この 立 場 で は、 自然 の体 系 と 自由 の 体 系 の 二 律 背 反 を 十 分 説 く ことが 出来 な い 、21)とす る。 第 二 編 は 「知 識」 と題 し、 そ の 二 律 背 反 を 克 服 す る もの22)として 、 実 在 論 の立 場 か ら来 る制 限 を 克 服 す る た め に 、 主 観 的 観 念 論 の 立 場 を 展 開 す る が 、 結 局 、 知 識 の 体 系(System Wissens)は. 、 必 然 的 に あ らゆ る実 在 性(alle. des. Realitat)、 意 味 目 的 を持 た ぬ単 な る表 象 の 体 系 、23). とな り、 世 界 は夢 に帰 す る もの と な って くる。 そ こで 自然 主 義 的 実 在 論 と主 観 的 観 念 論 の 二 つ の立 場 を克 服 す るた め に、 新 た な る道 を求め る もの とな る。 第 三 編 は 「信 仰 」 と題 し、道 徳 的活 動 の 目的 と して、 客 観 の 実在 を信 じる こと、24)そして そ の 際 、 ニ ック リッ シュ も1915年 講 演 論 文 で 引 用 す るよ うに、25)この 〔 無限的〕 意 志(Wille)は. 、私. を 自己 自身 と結 び付 け、 そ の 同 じ 〔 無限的〕意 志 は、 私 を私 の よ うな人 々 のす べ て の 究 極 的 な 本 質 と結 び付 け、 そ して私 達 すべ て の普 遍 的 な媒 介者 で あ る、26)とい う こと を必 要 とす る の であ る。 従 って人 間 の使 命 は、 地 上 的世 界 の到 達 す べ き 目標 で な く、 地 上 的世 界 を超 越 す る所 に神 の摂 理 を信 じ、 我 が 活 動 を神 の活 動 とす る と こ ろ で あ る、27)とす る の で あ る。 フ ィ ヒテ の人 間 論 が 、 この よ うな観 念 論 に と らわ れ た もの で あ る と は いえ 、人 間 の 自律 と 自由、 人 間 の解 放 を基 礎 づ け よ うと した の は、 ドイ ツ 国民 が 、 フ ラ ンス の制 圧 下 と未成 熟 な市 民 社 会 に 埋 没 す るこ とを 回 避 し うる た め に と られ た道 に外 な らな いの で あ る。 この よ うな フ ィ ヒ テ人 間 論 の観 念 性 の う ち に も、 フ ラ ンス革 命 を絶賛 し、 専 制 や絶 対 主 義 を批 判 す るか れ の 国民 意 識 の 政 治 姿 勢 が脈 打 って い る ので あ る。 次 に これ を 受 け て フ ィ ヒテ の法 哲学 に基 づ く国家 論 は、 後 期 第二 の著 書 「封 鎖 的 商 業 国 家 」 論 に集 約 され る28)もの と な って い る。. 2国. 家論. 「封 鎖 的 商業 国家 」 論 は、均 し く人 類 全 体 の 歴 史 や国 家 民 族 の立 場 を表 面 に押 し立 て て、 論 述.
(5) し た も の で あ る 。29)この 著 書 も三 部 作 に よ り構 成 さ れ て い る。30) 第一編. 「哲 学 」 は 、 原 理 を 挙 げ て 理 性 国 家 を 説 き、 そ こ で は 、 理 性 国 家 に お け る商 業 取 引 に 関. し て 合 法 的 で あ る こ と、 真 に 人 間 ら し く地 上 に お い て 人 類 が 生 き る と い う こ と は 、 人 類 に と っ て 単 な る 叶 わ ぬ 望 み で な く、 人 類 の 権 利 と人 類 の 使 命 と の 必 須 の 要 求 で あ る 、31)と し て い る 。 そ し て こ の 事 態 を 保 証 す る に は 、 所 有 権 の 確 保 が 問 題 と な る。 だ が こ の 問 題 の 解 決 に は 、 「所 有 権 」 そ れ 自 体 に あ る の で な く、 す な わ ち 一 つ の 物 の 排 他 的 所 有 で な く、 一 定 の 自 由 な 活 動 に 関 す る 排 他 的 権 利(ein. ausschliessende. Recht. auf eine bestimmte. freie Tatigkeit)を. 行 使 す る こ と、 つ. ま り労 働 さ ら に 分 業 に よ って 達 成 さ れ る も の と な る32)ので あ る 。 フ ィ ヒ テ に よ れ ば 、 国 家 に よ る 社 会 的 分 業 の 自 覚 的 統 治 と い う形 で 、33)商業 取 引 は 支 配 さ れ る も の と な る 。 そ し て 活 動 の た め の 所 有 を 、 国 家 が か れ ら に 安 心 し て 与 う るべ き で あ り、 保 障 を 果 た す べ き で あ る 、鋤 と す れ ば 、 外 国 と の 取 引 を 制 限 し て 、 い わ ゆ る 封 鎖 的 商 業 国 家 を 形 成 し な け れ ば な ら な い もの と な る の で あ る。 第二編. 「時 代 」 は 、 理 性 国 家 を 基 準 と し、 時 代 の 現 状 を 批 判 す る 。 そ こ で 、 時 代 の 現 実 の 諸 国. に お け る 商 業 取 引 の 状 態 に つ い て み る と、 そ こ に は い わ ゆ る 差 額 貿 易 論 と して の 重 商 主 義 政 策 が 行 われ て い る。 この重 商 主 義 の ね らい は、 そ れ らの政 府 が. … 収 納 さ れ る べ き 公 課 の 維 持 な い し、. そ の 増 加 に 注 意 を は ら う こ と に よ っ て 、 他 国 に 対 す る 自 己 の 戦 闘 力(kriegerische が け て き た と い う こ と、35)であ る 。 そ し て そ の 相 争 う商 業 利 益(streitendes 戦 争 の 真 実 の 原 因 で あ る こ と が し ば し ば で あ る(戦. Macht)を心. Handelsinteresse)が. 、. 争 に は 他 の 口 実 が 与 え られ る の で あ る が)。36). と い う こ と は 、 逆 に 、 政 府 の 第 一 目 的 で あ る 、 国 民 の 平 安 の 維(Erhaltung. der innern. Ruhe)37). に 反 す る も の と な る の で あ る 。 これ を 時 代 の 現 状の 危 機 で あ る と す る の が フ ィ ヒテ の 認 識 で あ り、 こ の 認 識 は 、 貿 易 差 額 政 策 と し て の 重 商 主 義 政 策 へ の 批 判 と な り、 産 業 保 護 政 策 と し て の 重 商 主 義 政 策38)とな っ て 現 れ る の で あ る。 第三編. 「政 策 」 は 、 現 状 の 歴 史 的 事 実 を 哲 学 的 原 理 に 従 わ し め る 技 術 で あ る 。 す な わ ち 理 性 国. 家 で は 、 現 状 の 商 業 取 引 は 止 揚 さ れ ね ば な らず 、 そ の た め に か か る 重 商 主 義 政 策 に 基 づ く外 国 商 業 取 引 を 封 鎖 す る 政 策 が 論 じ ら れ る も の と な る。 こ の 商 業 国 家 封 鎖 に よ り、 第 一 に イ ギ リ ス の 世 界 市 場 か ら の 関 係 を た ち 切 り、 第 二 に 国 民 経 済 の 自立 し た 体 系 を 形 成 す る こ と が で き、 こ の 双 方 か ら、 国 民 福 祉 の 確 立 が は か ら れ る と す る の で あ る。 こ の よ う な 商 業 封 鎖 と い う国 家 政 策 に よ り、 自 給 自 足 の 国 民 経 済 と い う 、 一 つ の 完 全 な 生 産 の 体 系(ein Production)を. vollendetes. System. der. 構 成 す る 、39)とい う産 業 保 護 政 策 が 志 向 さ れ た の で あ る。. 「封 鎖 的 商 業 国 家 」 論 は 、 本 来 、 人 間 の 自 由 を 目標 と す る も の で あ り、 封 建 体 制 に 基 づ く、 重 金 主 義 や 貿 易 差 額 論 に よ る重 商 主 義 政 策 を 批 判 す る も の で あ っ た 。 しか し そ の 内 容 は 、 ス ミ ス (Smith,Adam. 1723-1790)に. よ る 産 業 資 本 の 論 理 的 展 開 を 意 味 す る も の で な く、 経 済 の 基 盤 は、. 農 民 と手 工 業 者 に お か れ 、 商 人 の 取 引 活 動 は、 国 家 に よ る規 制 が 加 え ら れ る と い う 「プ ロ イ セ ン 型 の 道 」 を 示 し て い た の で あ る。 す な わ ち 農 業 改 革 は 、 農 奴 制 廃 止 勅 令 と して 行 わ れ 、 さ ら に シ ュ タ イ ン の 後 を 継 い だ ハ ル デ ン ベ ル ク(Hardenberg,Karl. August. 1750-1822)に. よ り 、1811年. に営. 業 条 例 が 出 さ れ 、 営 業 の 自 由 が 導 入 さ れ 、 農 民 の 身 分 的 諸 関 係 が 整 理 さ れ た。40)こ の よ う に 「上 」.
(6) か らの 改革 は、 自 由主 義 的 な市 場 経 済 の道 を ひ ら くと と もに...農 業 の 資 本 主 義 化 政 策41)を打 ち 出 した。42)そして国 家 に よ る商 業 取 引規 制 政 策 は、手 工 業 と農 業 を発 展 させ 、 ドイ ツ商 取 引 学 の 衰 退43)をもた ら した の で あ る。 しか し この よ うな 国 家 に よ る 「上 」 か らの 改 革 を通 して展 開 され た 国 家 主義 的傾 向 も、 人 間 の 自 由 と幸 福 の 追 求 を 見 失 う こ とな く、 国 民 を 国 家 に吸 収 して い く も の とな り、44)その結 果 、 一 つ の方 向 と して フ ィ ヒテ は、 か れ の国 民 論 を 形 成 す る もの と な っ た の で あ る。 そ こで フ ィ ヒテ は、 フ ラ ンス制 圧 下 の ドイ ツ にお いて 、 人 間 の 自由 に基 づ く人 類 の 解 放 と ドイ ツ統 一 の実 現 の た め の手 段 と して、 ドイ ツ国民 教 育 論 を展 開 す る。. 3国. 民論. フ ィ ヒ テ は 、1807年12月13日. か ら翌 年 の3月29日. ま で 、 ベ ル リ ン大 学 の 大 講 堂 に 立 ち 、 日 曜 日. 毎 に14講 に わ た り、 一 身 上 の 危 険 を お か し な が ら、 全 ドイ ツ 国 民 に 向 け て 「 ドイ ツ 国 民 に 告 ぐ」 と 題 す る講 演 を 行 っ た 。45) フ ィ ヒ テ に よ れ ば 、 こ れ ま で の 時 代 は 、 自 由 の な い ま ま に 発 展 して き た 時 代 で 、46)こ の よ う な 世 界 に対 し、 い っ た い わ れ わ れ は 何 を な す べ き か 、47)と 問 い か け て い る 。 そ し て 新 し い 時 代 (neue. Zeit)は. 、 自 由 と分 別 を も っ て 人 類 が 発 展 して い く時 代 が 来 て お り、 こ の 新 し い 時 代 を き. り ひ らい て い く と い う 使 命 は 、 だ れ よ り も ドイ ツ人 に 課 せ られ て い る、48)と し て い る の で あ る 。 従 っ て こ の 講 演 の 目 的 に つ い て 、 フ ィ ヒ テ は 、 敗 戦 国 ドイ ツ を 考 え 、 自 己 自身 を失 って しま っ た. 〔 独立〕 を 失 い 、 自分. 〔ドイ ツ〕 国 民 に と っ て 、 新 し い 自 己 〔 独立〕 と新 し い時 代 を 創 造 す る手. 段 を 示 す こ と 、49)であ る と して い る の で あ る。 こ の 目 的 達 成 の た め に 、 第 一 講 で 三 つ の 条 件 を 付 け て い る。 一つは. 、 フ ィ ヒ テ に よ れ ば 、 も っ ぱ ら ドイ ツ 人 全 体 の た め に 、 ドイ ツ 人 全 体 に つ い て 話 す 、50). と い う こ と 、 す な わ ち そ れ は ドイ ツ 精 神(Deutschheit)と. い う ドイ ツ 人 に 共 通 な 根 本 的 特 徴 に. よ る以 外 に な い 、51)と して い る こ と で あ る 。 二 つ は 、 講 演 で 前 提 と す る ドイ ツ人 は 、 〔 敗 戦 で〕 身 に う け た 損 失 を 悲 しむ の あ ま り 、 ドイ ツ 人 と し て の 面 目 を ま っ た く忘 れ た 人 々 、 こ の 悲 し み に 自 己 満 足 して い る人 々 … … で な く、 悲 しみ を 越 え て 、 冷 静 に 考 え 、 観 察 す る こ と が で き る 人 々 、52) で あ る こ と。 三 つ は、 ド イ ツ の 現 状 に 対 す る は っ き り と し た 認 識 を 与 え た い の で 、 ドイ ツ の 現 状 を 、 自分 自 身 の 眼 で 見 よ う、53)と し、 真 実 を み る 意 志 と 勇 気 を 持 つ 人 々 、54)で あ る こ と 。 そ の た め に 、 講 演 で は、 訓 話 を 必 要 と す る 倫 理 的 観 察 で な く、 単 に 歴 史 的 観 察 が 必 要 と さ れ る 、55)と し て い る の で あ る。 こ の 目 的 達 成 の 手 段 と し て 、 何 が 求 め ら れ る の か 。 そ の 救 済 手 段(Rettungsmittel)と. は、 国. 民 を ま っ た く新 し い 自 我 に ま で 教 育 す る こ と で あ る。56)す な わ ち ドイ ツ 国 民 を 破 滅 か ら救 う 唯 一 の 手 段 と し て 、 従 来 の 教 育 制 度 の 抜 本 的 な 改 革(ganzliche Erziehungswesens)を. Veranderung. des. bisherigen. 提 案 す る 、56)と し て い る。 で は 新 し い 教 育 制 度 と は 、 何 か 。 つ ま り 新 し い. 教 育 を う け る生 徒 は 、 一 般 社 会 か ら 隔 離 さ れ て 生 活 す る こ と で 、 生 徒 自身 互 い に 共 同 生 活 を 送 る こ とで あ る. … この. 〔 共 同 〕 社 会 は 、 事 物 の 本 質 に 基 づ き 、 理 性 の 要 求 に 完 全 に 一 致 して 、 厳 密.
(7) に 定め られ た 憲 章(Verfassung)を. も つ 、57)もの と な り、 そ こ に 新 し い 教 育 が 達 成 さ れ る 、 と す. る の で あ る 。 そ こ で 新 し い 教 育 が 目 標 に す る道 徳 性 の 根 源 は 、 自 制 と克 己 、 そ れ に 諸 々 の 利 己 的 衝 動(selbstsuchtig の 宗 教 心(wahre. Triebe)を Religion)を. 全 体 と い う概 念 の 下 に 従 属 さ せ る こ と で あ る 。58)そ して ほ ん と う 育 て あ げ る た め の 教 育 こ そ は 、 新 し い 教 育 の 最 後 の 仕 事 で あ る 、59). と して い る 。 さ ら に フ ィ ヒ テ は、 新 しい 教 育 で は 、 ドイ ツ民 族 の 特 質 と して 、 生 き た 言 語 を 有 して い る こ と 、60) ドイ ツ 民 族 は 祖 国 愛 を 有 す る こ と、61)思惟 の 世 界 こ そ が 唯 一 の 真 の 世 界 で あ り 、 こ れ に 対 し て 、 感 覚 的 な 世 界 は ま っ た く と る に た り な い 世 界 で あ る こ と 、62)を認 識 す る 必 要 が あ る と す る 。 ま た 学 校 制 度 で の 新 し い 教 育 の 内 容 と し て 、 三 点 挙 げ て い る 。 第 一 は 、 男 女 共 学 で あ る こ と 、63)第 二 は 、 学 習 と 労 働 が 統 一 さ れ る こ と 、64)第 三 は 、 自 給 自 足 と い う 経 済 教 育(wirtschaftliche Erziehung)65)を. 必 要 とす る こ とで あ る。. こ の よ う に し て フ ィ ヒ テ に よ れ ば 、 従 来 の 教 育 の 改 革 に よ り、 感 覚 的 に の み 悟 性 の 開 発 をめ ざ す 啓 蒙 思 想66)でな く、 人 間 を つ く り上 げ 、 生 徒 の 人 格 の 一 部 と す る新 し い 教 育 に よ り、 ド イ ツ 人 を 一 つ の 全 体 に ま で 統 一 し よ う と し た67)ので あ る。 さ て 、 フ ィ ヒ テ 講 演 が 終 わ っ た5年. 後 に 、 プ ロ イ セ ン は 、 解 放 戦 争 に 勝 利 し た が 、 そ の 約100. 年 後 に 、 第 一 次 大 戦 が 勃 発 し た 。 こ の ドイ ツ存 亡 の 危 機 に あ っ て 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は 、 講 演 に お い て 、 あ た か も フ ィ ヒ テ が い う よ う に 、 ドイ ツ人 の 新 し い 転 換 の 道 を 求 め て 、 ド イ ツ 国 家 の た め に 、 ドイ ツ 国 民 の 在 り方 を ドイ ツ人 に 問 い か け る の で あ る 。. Ⅲ 第 一 次 大 戦 と ニ ッ ク リ ッ シ ュ. 1第. 一 次 大 戦 前 と ドイ ツ. 1813年10月. プ ロ イ セ ン、 オ ー ス ト リ ア、 ロ シ ア 同 盟 軍 は 、 ラ イ プ ツ ィ ヒ の 会 戦 で 、 ナ ポ レ オ ン. 軍 に 大 勝 した 。 そ の 後 、 プ ロ イ セ ン は 、1834年. 関 税 同 盟 成 立 後 、 産 業 革 命 期 に 入 り、1862年. 自由. 貿 易 政 策 を 取 る も の と な り、 農 業 資 本 主 義 か ら産 業 資 本 主 義 へ と転 換 し て 行 っ た の で あ る 。 そ の 後 、1871年1月. にプ ロ イ セ ンが 、 フ ラ ンス に 戦 勝 し た こ と に よ り、 対 外 的 に は 、 ドイ ツ 、. オ ー ス ト リ ア 、 フ ラ ンス 、 イ ギ リ ス、 ロ シ ア の ヨ ー ロ ッ パ 五 大 列 強 国 は 、 新 た な 外 交 方 策 を 模 索 せ ざ る を え な くな っ た 。1)ま ず ドイ ツ は 、 東 方 で 利 害 対 立 し て い た ロ シ ア と オ ー ス ト リ ア の 両 国 に接 近 し、1872年. に 三 帝 同 盟(Dreikaiserbundnis)の. 実 現 に 成功 した の で あ る。 これ は神 聖 同. 盟 の 再 版 で 、 ヨ ー ロ ッパ の 三 大 君 主 国 が 団 結 し、 フ ラ ン ス 共 和 主 義 に対 抗 しよ う とす る もの で あ っ た 。 しか し ロ シ ア と オ ー ス ト リ ア の 対 立 は 解 消 さ れ ず 、 そ の 後 の1878年 の ベ ル リ ン 会 議(Berliner (Bismarck,. Otto. Furst. von. Kongress)で. 夏 〔6月3日. 三 帝 同 盟 は 一 時 解 消 し た2)の で 、. 1815-1898)は 、1879年10月7日. 一7月13日. 〕. ビ ス マ ル ク. に、 ドイ ツ と オ ー ス ト リア の 二 国 同. 盟 を 締 結 した 。3)そ の 後 、 ドイ ツ は 、 ア ジ ア と オ リエ ン トで の ロ シ ア と イ ギ リ ス の 対 立 を 利 用 し て 、1881年6月18日. に三 帝 同 盟 を 復 活 させ た ので あ る。 さ らにベ ル リン会議 の後 、 チ ュニ ジア を.
(8) め ぐ っ て 、 フ ラ ン ス と イ タ リ ア が 対 立 す る こ と と な り、1882年5月20日 イ タ リ ア と の 三 国 同 盟(Dreibund)を. ドイ ツ と オ ー ス ト リア は、. 締 結 し た 。4)そ の 際 、 オ ー ス ト リア と イ タ リア の 対 立 は 、. 棚 上 げ と な っ た だ け で あ る。5)と こ ろ で ドイ ツ は 、 イ ギ リス と 領 土 境 界 調 整 の た め 、1890年7月 1日 ヘ ル ゴ ラ ン ト ・ザ ン ジ バ ル 条 約 を 結 ん だ が 、 こ の 独 英 関 係 を 見 た ロ シ ア は、1894年1月. にフ. ラ ン ス と 同 盟 を 締 結 し た の で あ る 。 他 方 、 イ ギ リ ス は 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム ニ 世(Wilhelm Ⅱ 1859-1941)と し、1898年. テ ィ ル ピ ッ ツ(Tirpiz,Alfred 、1899年. 、1901年. von. 1849-1930)に. よ る艦 隊 政 策 を 進 め る ドイ ツ に対. と 同 盟 交 渉 を す る も失 敗 し 、1902年1月30日. た 。6)次 い で イ ギ リ ス は 、1904年4月8日. に 日英 同 盟 を締 結 し. に フ ラ ン ス と、 さ ら に1907年8月31日. に ロ シ ア と協 商. を 結 び 、 こ こ に三 国 協 商 が 成 立 し た 。 こ の 結 果 、 ドイ ツ は 、 国 際 的 孤 立 を 深 め て 行 く17)こと と な っ た の で あ る。7) 一方. 、 オ ー ス ト リア は 、1908年10月5日. 併 し た ため. セ ル ビ ア 人 の 多 い ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ二 州 を 合. 〔 セ ル ビ アで 〕 反 懊 運 動 が は じ ま っ て い た 。8)そ. し て1914年6月28日. 、 サ ラエボ事件. が つ い に発 生 し、 オ ー ス ト リア は 、 こ の 事 件 を き っ か け に し て 、 ロ シ ア の 前 哨 セ ル ビ ア を 、 政 治 勢 力 と し て の 地 位 か ら追 い 落 と そ う と して 、9)1914年7月28日. オ ー ス ト リア ・ハ ン ガ リ ー は 、 セ. ル ビ ア に 対 し て 、 宣 戦 を 布 告 、 こ こ に 大 戦 が 勃 発 し た 。 ドイ ツ は 、 こ の 危 機 に 際 し、 最 後 の 同 盟 者 を 失 う こ と を 恐 れ て 、 オ ー ス ト リ ア を 全 面 的 に 支 持 す る と確 約 し た10)ので あ る 。 し か し ドイ ツ と オ ー ス ト リア の 同 盟 国 だ っ た イ タ リ ア は 、 さ し あ た り 中 立 に と ど ま っ た の で あ る 。11)こ の よ う に し て1907年. 以 降 に現 れ た二 つ の 同盟 陣 営 は、 〔 第 一 次 〕 大 戦 へ と突 入12)した の で あ る 。. ドイ ツ参 謀 本 部 は 、 す で に 大 戦 前 か ら、 対 露 仏 二 面 作 戦 を 想 定 し、 ドイ ツ ・オ ー ス ト リア の 中 央 同 盟 は、 西 部 戦 線 、 東 部 戦 線 で 同 時 に 戦 う と い う 「シ ュ リ ー フ ェ ン(Schlieffen)計. 画」 を策. 定 して い た 。 こ の 計 画 で は 、 西 部 戦 線 に ドイ ツ軍 の 主 力 を お き 、 ま ず フ ラ ン ス軍 を 撃 破 した の ち、 全 軍 を あ げ て 東 部 戦 線 に 投 入 し 、 ロ シ ア 軍 を 破 る と い う 構 想 で あ っ た 。13)そ (Operationen. im Sudosten)で. して 南 東 戦 線. の 作 戦 は 、 完 全 に オ ー ス ト リア に 任 せ る と い う も の で あ っ た 。14). しか し開 戦 と 同 時 に 、 ドイ ツ の 戦 略 的 計 算 に 反 し て 、 フ ラ ン ス に 出 動 を 要 請 さ れ た 強 力 な ロ シ ア 軍 が 、 〔ル ー マニ アが 中 立 の た め 〕南 へ 西 へ と 押 し 寄 せ た 。15)また 西 部 戦 線 で も、 当 初 の 構 想 で は 、 中 立 国 ベ ル ギ ー を 通 過 して 、 フ ラ ンス 軍 の 背 面 を 突 く と い う 作 戦 で あ っ た が 、 〔イ タ リア が 中 立 の た め 〕 フ ラ ン ス 軍 の 反 撃 〔1914年9月5日. 一12日 〕 に合 い、 ドイ ツ軍 は マ ル ヌ 河 で くい 止め ら れ 、. 破 れ は し な か った が 、 勝 利 も え ぬ ま ま に 、 い ず れ の 戦 線 で も 膠 着 状 態 と な っ た16)ので あ る 。 戦 争 は 、 早 く も長 期 戦 の 様 相 を 見 せ は じめ た 。 二 つ の 同 盟 陣 営 は、 こ の よ う な 膠 着 状 態 を 打 開 しよ う と して 画 策 し た が 、 そ の 一 環 と して 、 三 国 協 商 は、 南 東 戦線 で次 の よ うな変 化 を起 した。 す な わ ち三 国 同盟 の一 員 で あ っ た イ タ リア は、 〔 領 土 的 野 心 と して〕 従 来 よ り テ ィ ロ ル と ト リエ ス テ の 併 合 を め ざ して い た 。 そ し て そ の た め に は 、 同 盟 の 一 員 と して 行 動 す る こ と が 義 務 づ け られ て い た が 、 開 戦 時 の1914年7月 て い た の で あ る。 しか し イ タ リア 政 府 は 、 そ の9ヶ月 一 つ の 条 約 を 取 り結 ん だ. 後 の1915年4月26日. に は中立 を 宣 言 し. に、三 国協 商 との 問 で. 。 こ の ロ ン ド ン条 約 に お い て イ タ リア は 、 戦 勝 の あ か つ き に は 南 テ ィ ロ.
(9) ル と ト リ エ ス テ さ ら に ダ ル マ ニ ア 地 方 が 与 え られ る こ と を 前 提 と して 、1915年5月24日. に、 オー. ス ト リ ア と の 戦 争 に 突 入 した の で あ る。17)これ に 対 し、 ドイ ツ ・オ ー ス ト リ ア 同 盟 は 、 あ か ら さ ま に イ タ リ ア の 「裏 切 り」 を の の し っ た 。17)一方 、 イ タ リ ア 国 内 の 世 論 は 、 大 戦 勃 発 以 来 、 中 立 維 持 か 、 英 仏 側 に 立 っ て の 参 戦 か で ま っ ぷ た つ に 割 れ て い た 。18)この よ う な 国 内 外 の 事 態 に 対 し、 イ タ リ ア 政 府 、 サ ラ ン ド ラ(Salanndra,Antonio . 1853-1931)首. 相 は 、1915年6月2日. 、 ロー マ. の 議 事 堂 に 歓 呼 の 声 を あ げ る 聴 衆 に 向 か っ て 宣 言 した 。 「我 々 の 戦 争 は 、 〔 三 国 協 商 と の条 約 を 守 る と い う〕 神 聖 な る 戦 い で あ る!」19)と 。 そ こ で 翌 月 の7月3日. 、 ドイ ツ 国 民 の 一 人 、 ニ ッ ク リ ッ. シ ュ 学 長 は 、 イ タ リア 人 の サ ラ ン ドラ首 相 は 、 〔 条約 を 守 る とい う〕 神 聖 な る 利 己 心(Egoismus) を か れ らの 旗 標 と して い る 、20)と し、 利 己 心 が 人 類 に と り い か な る意 味 を 有 す る か に つ い て 、 マ ンハ イ ム 商 科 大 学 開 学 年 次 式 典 に 参 席 した ドイ ツ 国 民 に 対 し、 講 演 を 行 っ た の で あ る。. 2ニ. ッ ク リ ッ シ ュ の 講 演 ・利 己 心 と 義 務 感. 講 演 と い う 概 念 に つ い て 、 ドイ ツ 近 代 哲 学 者 の 一 人 で もあ る オ イ ケ ン は、1925年. に フィヒテの. 「ドイ ツ 国 民 に 告 ぐ」 の た め に 書 い た 解 説 の は じ め に 「お よ そ 講 演 と名 の つ く も の は 、 そ の と き ど き の 瞬 間 的 な 状 況 に しば られ て 生 ま れ て く る も の 」21)であ る と して い る。 しか も 講 演 は 、 そ の 「瞬 間 的 な 状 況 に し ば ら れ て 生 ま れ て 」 き た と い う、 ま さ に そ の 理 由 に よ っ て 、 永 続 的 な 価 値 を も っ て い る 、22)とさ れ て い る の で あ る。 確 か に フ ィ ヒ テ の 講 演 を しば っ た 瞬 間 的 な 状 況 は 、 フ ラ ン ス 革 命 と フ ラ ンス 制 圧 化 の ド イ ツ の 危 機 で あ っ た 。 こ れ に対 し、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ の 講 演 を し ば っ た 瞬 間 的 状 況 は、 第 一 次 大 戦 の 勃 発 と イ タ リ ア の 参 戦 だ っ た の で あ る。 しか も イ タ リ ア の 参 戦 と サ ラ ン ドラ 首 相 の 演 説 を 受 け て 行 わ れ た こ の 講 演 に お い て 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は、 大 戦 中 敵 対 す る 三 国 協 商 の フ ラ ン ス、 ロ シ ア お よ び イ ギ リ ス を 取 り 上 げ ず 、 一 ケ月 前 ま で 同 盟 国 だ っ た イ タ リ ア 人 と そ の 政 府 の 名 の み を 挙 げ て 非 難 して い る 。 こ の 限 りで 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ の 講 演 も 、 特 殊 的 な 歴 史 的 状 況 に しば ら れ て い る こ と に よ り 、 永 続 的 価 値 を 付 与 さ れ る と 考 え られ る と い っ て よ い で あ ろ う。 そ こ で 、 講 演 の 瞬 間 的 状 況 を 全 体 に 相 互 関 連 づ け て 理 解 す る23)ため に も、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ 講 演 録. 「利 己 心 と 義 務 感 」 の 全 容 を 以 下 に 示 そ う と す る も の で あ る 。 こ の 講 演 は 、 四 つ の 部 分 よ り構 成 さ れ て い る 。 そ れ は 、1戦. び4商. 1戦. 争 、2利. 己 心 、3義. 務 感 お よ. 科 大 学 教 育 で あ る。. 争. ニ ック リ ッシ ュ に よれ ば 、 この講 演 は、1915年7月3日. 、 マ ンハ イ ム商 科 大 学 開 学 年 次 式 典 で. の祝 賀 講 演 で あ る。 この 講 演 に は、 次 の三 つ の特 徴 が 認 め られ る。 第 一 に、 大 学 活 動 を集 約 し、 全体 と して相 互 関 連 づ け、 大 学 を活 性 化 させ る た め の もの で あ る こ と。 第 二 に、 文 部 省 、 マ ンハ イム市 民 に対 す るマ ンハ イ ム商 科 大 学 との関 係 づ けを育 成 す るため の機 会 とす る もので あ る こ と。24) ....第三 に、 途 方 もな い世 界 史 的 出来 事 〔 第 一次 世界大戦〕 か ら感 銘 を 受 けつ つ あ る とい う こ と.
(10) で あ る 。......と は い っ て も、 私 達. 〔ドイ ツ国民 〕 が 目 標 と す る平 和 は、 今 だ 達 成 さ れ て い な い の. で 、 こ の 大 学 の 祝 賀 会 は 、 平 和 の 前 祝 い と は な ら な い 。...そ. れ で 、 商 科 大 学 も、 全 面 的 に. 争 を 〕 戦 い 抜 く と い う暫 定 的 意 味 が 、 さ ら に こ の 式 典 に 加 わ る 、25)とす る 。...そ. 〔 戦. の た め に、 私. 達 は、 〔 戦 争 を 〕 戦 い 抜 こ う と す る力 を 何 処 か ら手 に入 れ る か 、 こ れ が 重 要 で あ る、25)と 問 題 提 起 す る の で あ る。 ま ず 戦 争 に つ い て 、 〔ドイ ツに 新 た に〕 攻 撃 して く る敵 、 イ タ リ ア 人 の 首 相 〔 三 国 協 商 との 条 約 を 守 るた め に〕 神 聖 で あ る と語 っ た 利 己 心. 〔サ ラ ン ド ラ〕 は 、. 〔 領土的 野心 〕 を旗 標 と して い る。 し. か し利 己 心 は 、 イ タ リ ア 人 を 国 民 的 目 標 へ 導 く か 、 ま だ 立 証 さ れ て い な い 、 と し、 そ れ で は 何 が 、 私達. 〔ドイ ツ国 民 〕 を す で に ほ と ん ど12ケ 月 間 戦 い 抜 か せ 、 最 後 ま で 、 確 実 に 抵 抗 力 を 有 し、 勝. 利 を え る よ う に 導 くの か 、25)と して い る 。 そ れ は、 利 己 心 な の か、 利 己 心 と は、 何 で あ る のか、 利 己心 は. 〔 サ ラ ン ドラ首 相 が い う よ うに は. た して 〕 神 聖 で あ り う る の か 、 と し、 こ の こ と を 確 定 す る の は 今 日 、 困 難 で は な い 、 と す る 。 そ れ は時 代 の. 〔 戦 争 と い う世 界 史 的 〕 出 来 事 が 、 私 達. よ り詳 し く も た ら し、 私 達 神. 〔ドイ ツ 国民 〕 に 人 間(人. 類)の. 普 遍 的 問題 を. 〔ドイ ツ 国民 〕 の 判 断 を 鋭 く し た か ら26)であ る。 … … そ して カ ン トの 精. 〔 良 心 〕 は 、 時 代 の 司 祭 と して 未 来 の 道 を 示 す 予 言 者 と し て 、 私 達. 〔ドイツ 国民 〕 の 中 に 存 在 し. て い る 、27)と して い る の で あ る 。. 2利. 己心. 第 二 に利 己 心 と は、 何 で あ るの か 。 … …人 間 の行 為 は、 〔 本来〕 肉 体 的 現 存 在 、 感 性 的 自 我 と 人 間 の 義 務 意 識(PflichtbewuBtsein)と 着(傾. 向性 Neigung)と. い う二 つ の 源 泉 か ら 流 出 す る 。 そ の う ち 感 性 的 自我 の 愛. 欲 望 の 育 成 へ の 個 人 の 活 動 は、 利 己 心 で あ る。 … … 利 己 心 の 最 も 完 全 な. 目 標 は 、 感 性 的 な 欲 求 の 充 足(Befriedigung. der sinnlichen. Bedurfnisse)に. お け る 調 和 と して. の 幸 福 で あ る 。......し か し こ の 至 福 の 絶 頂 に お い て さ え 、 利 己 心 は 、 そ の 本 質 に お い て 、 自 我 を 越 え て 行 か な い 。27)利己 心 は、 全 体 で な く、 自 我 の み を 認 め る 。28)従 っ て 自 我 を 一 因 と す る 利 己 心 は 、 よ り重 要 な 全 体 に 対 し て 、 直 接 的 な 関 係 を 少 し も 有 し な い 、29)とす る 。......そ れ ゆ え 利 己 主 義 者 固 有 の絶 望 的 な破 綻 は、 不 自 然 な 結 末 と して 、 利 己 主 義 者 の た め に. 〔 他 人 の〕 犠 牲 を 伴. う、30)とす る の で あ る。 従 っ て 利 己 心 と い う 泉 か ら、 ドイ ツ 国 民 は 戦 争 を 戦 い 抜 く 力 を 汲 み 出 す こと はで きな い。. 3義. 務感. 利 己 心 に対 立 して、 義 務 感 の活 動 が 位 置 付 け られ る。 … 義 務 は、 道 徳 的法 則 〔 当為 〕 と意 志 との 一 致 か ら生 じ る もの で あ る。 従 って 義 務 の 概 念 に は、 利 己 心 の 余 地 は、 少 し も な い の で あ る。31) で は義務 感 とは何 か。 義 務 の最 深 の本 質 は、 全体 に対 す る個 人 の 最 も純粋 な 関係 を理 解 し、 表 現 す る こ とか ら、 明 白 と な る。 〔 す なわち〕 個 人 は、 個人 の活 動 を全 体 か ら受 取 り、 個 人 の活 動 を.
(11) 全 体 に負 っ て い る。 〔 従 って〕 個 人 は 、 全 体 の 一 員 な の で あ る 。 し か も総 体 に 対 す る 個 人 の こ の 関 係 は、 義 務 概 念 に 含 ま れ る、31)とす る の で あ る。 ニ ッ ク リ ッ シ ュ に よ れ ば 、 義 務 概 念 に は、 意 志 が 重 要 で あ る と し て 、 カ ン ト と フ ィ ヒ テ の 義 務 概 念 を 取 り上 げ て い る。31)カ ン トの 言 明 で は、 〔 「実践 理 性 批 判 」 の結 語 か らの もの で〕 義 務 を 伴 う 意 志 の 自 由 と は 、 「悟 性 の み の 考 え う る 事 物 の 秩 序(Ordnung と こ ろ の 「人 間 の 現 存 在. der Dinge)に. 人 間 を 結 び つ け る」. 〔 人 格 性 〕」32)を重 視 す る こ と で あ る 。 フ ィ ヒ テ の 言 明 で は 、 〔 「人 間 の 使. 命 」 第三 巻 信 仰 の部 、 第 四章 宗教 的世 界 観 か らの もの で、 既 述 の よ うに〕 義 務 と 意 志 に つ い て. 〔 義 務 と一. 致 す る無 限 的〕 意 志 は 、 私 を 自 己 自 身 と 結 び 付 け 、 そ の 同 じ 〔 無 限 的 〕 意 志 は、 私 を 私 の よ うな 人 々 の す べ て の 究 極 的 な 本 質 と結 び つ け 、 私 達 の す べ て の 普 遍 的 な 媒 介 者 で あ る 、33) と説 明 して い る。 こ の こ と か ら義 務 の 本 質 は、 人 間 が 、 義 務 感 に よ り、 自 ら活 動 す る点 に あ り、 人 間 が 自 らの 犠 牲 の 行 為(Tat . der Opferung)を. 犠 牲(Selbstaufopferung)を. 、 また. 〔 犠 牲 の〕 遂 行 が 義 務 感 を 必 要 とす る と こ ろ で は 、 自 己. 、 起 さ せ る と こ ろ の も の で あ る 。34)この よ う に し て 、 国 家 は 、 義 務. を 意 識 し て 、 義 務 の 本 質 か ら 日 々 新 た に 生 み 出 さ れ る土 台(Grundlage)に. 支 え られ て い る。35)…. 純 粋 に 義 務 的 な 人 間 の 行 動 は、 完 全 な る国 家 を 無 難 な 場 所 に 移 す も の で あ る 。......そ こ で 、 義 務 的 な 行 動 と利 己 心 の 関 係 が 、 問 題 と な る 。 こ こ で イ タ リア 政 府 の. 〔 三 国 協商 との 条 約 を 守 る と 〕. い う 「神 聖 」 な る利 己 心36)が問 題 と な り、 。....戦争 と危 機 の こ の 重 大 な 時 代 で さ え も 、 私 達. 〔ド. イ ツ 国民 〕 に も、 利 己 的 な 活 動 の 多 数 の 事 例 が 、 挙 げ ら れ る 、37)とす る 。 し か し ニ ッ ク リ ッ シ ュ に よ れ ば 、 そ れ に も か か わ らず 、 義 務 の 意 識 は 、 ドイ ツ 諸 国 民 に 深 淵 に 生 き て い る の で あ る。...私. 達. 〔ドイ ツ国民 〕 は 、 そ の よ う な. 〔 義 務 〕 意 識 か ら、 そ こ に あ る. 〔 戦. 争 の〕 勝 利 に 至 る 〔 平 和 の〕 目 標 ま で 、 抵 抗 し、 常 に 新 し い 力 を 汲 み 取 る の で あ る 。 そ れ ゆ え 私 達. 〔ドイ ツ国民 〕 は 、 生 存 す る 〔ドイ ツ〕 国 民 に 、 関 わ り の あ る 限 り、 フ ィ ヒ テ の ドイ ッ 国 民 に 告. ぐ、 と い う講 演 に 見 ら れ る楽 天 観(Optimismus)を. 4商. 実 現 す る 、38)とす る の で あ る 。. 科大学教育. 第 四 に商 科 大 学 は、 この. 〔 戦 争 とい う〕 事 態 に 対 し て 、 ど の よ う な. か 。......米 英 同 様 、 商 科 大 学 も、 利 潤 追 求 す る(Profitmachen)こ. 〔 新 しい教 育 〕 態 度 を 取 る の. と を 講 義 す る の か 。鋤 ニ ッ ク. リッ シ ュに よれ ば、 〔 戦 前 に〕 商 科 大 学 に と り 、 独 自性 を 示 す 私 経 済 学 に 対 し て 、 攻 撃 が 向 け ら れ た こ と を 回 想 し、 こ れ ら の 攻 撃 は 、 〔 今 日、 商 科 大 学 の利 己心 と義 務 感 の 〕 関 係 の 議 論 に 際 し て 避 け ら れ え な い 、40)とす る の で あ る。 攻 撃 の 指 導 者 ブ レ ン タ ー ノ(Brentano,Lujo 〔 エ ー レ ンベ ル ヒ(Ehrenberg,Richard り に 、 企 業 の 成 果(Erfolg . 1844-1931)は. 、 〔 戦前 の〕 私 経 済 学 や経 営 科 学 の. 1857-1921)41)に 代 表 され る〕 研 究 者 達 が 、 全 体. des Unternehmens)〔. 〔 福 祉〕 の代. 利 益〕 を 、 経 済 的 考 察 の 出 発 点 と 目 標 点 と し た. こ と、42)そ して 真 理 へ の 無 前 提 的 な 研 究 の 代 わ り に 、 利 害 代 理 人 を 置 い た 、 と 非 難 し た 。 こ の 非 難 は、 商 科 大 学 の攻 撃 さ れ た 人 々 は 、 或 る人 々 の 集 団 の 利 己 的 な 努 力 の 代 弁 者 、 企 業 者 (Unternehmer)で. あ る こ と 、 そ して か れ ら の 教 育 と研 究 論 文 は、 こ の. 〔 企業者〕集 団 の利 己 心 の.
(12) 意 見 の 開 陳 に 進 ん で 手 段 を 提 供 し よ う と す る 、 と い う主 張 な の で あ る 。43) しか し ニ ッ ク リ ッ シ ュ に よ れ ば 、 私 達. 〔 商 科 大 学〕 は 、 〔 今 日 の〕 教 育 と研 究 に お い て 、 企 業 者. で な く、 む し ろ 企 業 を 重 視 す る 、43) と す る 。 … … 経 営 科 学 者 に と り、 企 業 は 、 企 業 者 が 労 働 者 や 職 員 を 支 配 す る 搾 取 の 手 段 で な く、 む し ろ 組 織 化 さ れ 、 組 織 に よ り活 力 あ る 統 一 に 集 約 さ れ る べ き 諸 力 の 共 同 体(Gemeinschaft . von Kraften)で. あ る。 … …企 業 者 は、 企 業 の一 つ の機 関 に過 ぎ. な い の で あ る。44)そこ で 〔 今 日の〕 私 経 済 学 者 も、 〔 企 業 の 〕 研 究 に 際 し、 ま ず 第 一 に 人 間 を 見 、 全 体 に 対 す る個 人 と人 間 集 団 の 関 係 を 見 る 。 そ し て 私 経 済 学 者 の 最 高 に して 特 別 の 課 題 は 、 全 体 を 概 観 し、 調 査 し、 叙 述 す る こ と で あ る 。 … … こ の よ う な 共 同 体 の 考 察 に よ り 、 私 達 、 私 経 済 学 者 も、 義 務 の 教 官 と な る の で あ る 。44)…. 私達. 〔 私経 済 学 者 〕 は 、 こ の. 〔 義務 の〕 意 識 を. 大 学 の 教 育 と活 動 に お い て 、 さ ら に育 成 し た い の で あ る 。 こ の よ う に して 私 達 私達. 〔ドイ ツ国民 〕 が 、 …. 〔商 科 〕. 〔 私経済学者〕 は、. 〔 戦 争 を〕 戦 い 抜 く こ と が で き る と い う こ と を 、 〔 商科 〕 大 学 の 私 達 も. 確 信 す る も の で あ る 、45)とす る の で あ る。 こ の 講 演 に お い て 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は、 フ ィ ヒ テ 「ドイ ツ 国 民 に 告 ぐ」 に倣 っ て 、 第 一 次 大 戦 中 の ドイ ツ 国 の 危 機 を 、 ドイ ツ 国 民 の 祖 国 愛 と 義 務 感 に 訴 え よ う と した の で あ る。. Ⅳ結. ニ ッ ク リ ッ シ ュ講 演 論 文 は 、 フ ィ ヒ テ の 思 想 に 関 連 して 、 い か に 相 互 に 関 連 付 け られ る べ き か 。 講 演 に 見 ら れ る 最 も重 要 な 概 念 、 義 務 感 、 義 務 の 意 識 に つ い て 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ に よ れば 、 ドイ ツ 国 民 は 、 義 務 の 意 識 か ら、 戦 争 の 勝 利 に 至 る 目 標 ま で 抵 抗 し、 常 に 新 しい 力 を 汲 み 取 る の で あ る 、 と し、 そ れ ゆ え 私 達 ド イ ツ 国 民 は...フ. ィ ヒ テ の ドイ ツ 国 民 に 告 ぐ、 と い う講 演 に み ら れ る. 楽 天 観 を 実 現 す る 、1)と し て い た の で あ る 。 こ こ に 示 め さ れ て い る 楽 天 観 と は 、 現 世 を 最 善 と み る観 点 、 世 界 の 最 善 観 、 ま た 個 人 の 道 徳 的 努 力 に よ っ て し だ い に 最 善 に 至 る と み る 改 善 観 を い い 、 ラ イ プ ニ ッ ツ(Leibniz,Gottfried Wilhelm Freiherr von 1646-1716)な. ど に よ り正 当 化 さ れ た2)も の で あ る 。 ラ イ プ ニ ッ ツ の い う最. 善 の 世 界 観 は 、 単 な る 世 界 の 傍 観 的 な 見 方 で は な く、 む し ろ 世 界 の 内 に 理 性 的 な 実 体 と し て 生 き る 人 間 が 、 そ こ で 自 己 を い か に 生 か し て ゆ くか 、 そ し て そ れ と共 に 世 界 を ど の よ う に 開 い て ゆ く か 、 と い う主 体 的 な 覚 悟 の 表 明 の 一 つ に 成 立 し て い た の で あ る。3)従 っ て ラ イ プ ニ ッ ツ の い う 最 善 と は 、 カ ン トの い う よ う に 全 体 が 最 善 で あ る た め に は 部 分 も最 善 で あ る 、4)と い う も の で は な い。 そ れ は 却 っ て 最 善 の 既 弱 化 と し て 低 視 さ れ る。 む し ろ 悪 と混 わ り、 苦 悩 を 伴 い 、 屈 折 を 強 い られ な が ら、 な お そ れ を 越 え て 、 全 体 、 つ ま り善 悪 の 二 系 列 の 葛 藤 と か混淆 を 業 火 の 試 練 と して 突 破 し た 先 端 に あ る の が 、 ラ イ プ ニ ッ ツ の 考 え た 最 善 な の で あ る 。5) そ れ で は 、 カ ン トか ら離 れ た 後 期 フ ィ ヒ テ の ドイ ツ国 民 に 告 ぐ に 見 ら れ る 楽 天 観 は 、 具 体 的 に ど う の よ うで あ っ た の か 、 さ ら に ニ ッ ク リ ッ シ ュ が フ ィ ヒ テ に 倣 っ て 実 現 し よ う と す る楽 天 観 は、 個 別 に どの よ うで あ った の か。 考 察 に際 して、 こ こで は見 逃 され や す い両 者 の類 似 点 の う ち に、.
(13) そ れ ぞ れ の 基 本 的 性 格 を 見 て み よ う。 フ ィ ヒ テ は 、 フ ラ ン ス に 制 圧 さ れ た ドイ ツ を 悪 い 状 態 で あ る と し、 フ ラ ン ス と ドイ ツ を 次 の よ う に 見 て い る 。 フ ィ ヒ テ に よ れ ば 、 現 在 我 々 が 交 渉 し て い る外 国 お そ れ と 希 望(Furch Nationalruhm)な. und Hoffnung)を. 〔フ ラ ンス〕 の 国 民 的 統 一 は 、. 別 と す れ ば 、 名 誉 と 国 民 的 名 声(Ehreund . und. ど と い う動 機 に 基 づ い て い る 。 しか し こ の よ う な 名 誉 と 国 民 的 名 声 な ど は 、. 空 虚 な 幻 影 に 過 ぎ な い 。6)も し も ドイ ツ と い う国 家 が … … ドイ ツ 人 自 身 の 支 配 を 離 れ て 、〔こ の よ う な〕 外 国 の 支 配 下 に 立 つ よ う な こ と が あ る と す る な ら、 以 後 も そ の 決 定 に 当 っ て 、 力 を 発 揮 す る の は 、 ドイ ツ 人 の 精 神 で な く、 支 配 者 た る 外 国 の 利 害 そ の も の で あ る 、7)と して い た の で あ る。 一方. 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は 、 第 一 次 大 戦 中 に 新 た に ドイ ツ に 敵 対 す る に 至 っ た イ タ リア を 危 機 的. 存 在 と 見 な し、 そ の イ タ リ ア と ドイ ツ の 悪 い 状 態 を 次 の よ う に 見 て い た 。 イ タ リア が 戦 争 を 戦 い 抜 く力 を ど こ か ら手 に 入 れ る の か に つ い て 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ に よ れ ば 、 イ タ リア 政 府 は 、 神 聖 な る 利 己 心 に 依 存 す る 。8)利 己 心 は 、 しか も全 体 に 対 して 、 紛 糾 的 、 解 体 的 、 破 壊 的 な 効 果 を 与 え、 … 国 家 に お い て も 同 様 の 効 果 を 与 え る、9)利 己 心 が イ タ リ ア 人 を 国 民 的 目 標 へ 導 く は ず で あ る 、10)とす る の で あ る 。 フ ィ ヒ テ に 倣 っ て 言 い 換 え れ ば 、 ドイ ツ が 敗 戦 し て イ タ リ ア 政 府 を 含 む 連 合 軍 の 支 配 下 に 立 つ と す れ ば 、 ドイ ツ の 未 来 は な い と い う こ と に な る の で あ る 。 次 に ドイ ツ に 対 す る 最 善 観 、 楽 天 観 を フ ィ ヒ テ は 、 次 の よ う に 見 て い る 。 フ ィ ヒ テ に よ れ ば 、 外国. 〔フ ラ ンス〕 と の 合 併 に よ って お こ る で あ ろ う国 民 的 崩 壊 を 防 ぎ、 ど の よ う な も の に も 依 存. し な い 完 全 な 独 自 な 自 己 の 回 復 が 可 能 だ と す る な ら、 そ れ は た だ ドイ ツ 精 神 と い う ドイ ツ 人 に 共 通 な 根 本 的 特 徴 に よ る 以 外 に な い 。11)この よ う な 精 神 的 な 眼 を も っ た 人 間 に ま で 自 分 自 身 を 作 上 げ て い く こ と 、 こ れ が 自 国 の 独 立 を 失 っ た......国民 に 残 さ れ て い る確 実 に し て 唯 一 つ の 手 段 で あ る 、 と 。 そ れ は 、 従 来 の … … 国 民 を ま っ た く新 し い 生 命 に ま で 教 育 す る と い う 国 民 教 育 (Erziehung . der Nation)で. あ る。12)すな わ ち 従 来 の 教 育 が 利 己 心 に 従 っ て 来 た こ と、13) 決 して 人. 間 を 作 上 げ る た め の 教 育 技 術 で な か っ た こ と 、14)この よ う な 従 来 の 教 育 制 度 の 抜 本 的 な 改 革 、 こ れ こ そ が ドイ ツ 国 民 を 破 滅 か ら救 う唯 一 つ の 手 段 と して15)フ ィ ヒ テ が 提 案 し よ う と し た も の で あ る。 他 方 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は 、 楽 天 観 を 次 の よ う に 見 て い る 。 ニ ッ ク リ ッ シ ュ に よ れ ば 、 〔ドイ ツ〕 諸国民へ の. 〔 戦 争 の 〕 破 滅 の 脅 威 に は 、 途 方 も な い 犠 牲 に 対 す る 持 続 的 な 義 務(fortdauernde. Verpflichtung)が. 存 在 す る の で あ る。16)そ して そ こ に あ る 〔 戦 争 の〕 勝 利 に 至 る 〔 平 和 の〕 目 標 ま. で 、 抵 抗 し、 常 に 新 し い 力 を 私 達 この よ う に して私 達. 〔ドイ ツ国 民〕 は 、 義 務 の 意 識 か ら汲 み 取 る の で あ る、17)とす る。. 〔 商科 大 学 の〕 私 経 済 学 者 も義 務 の 教 官 と な る 。 た と え. 〔 戦 前 に〕 商 科 大 学 で. 独 自 性 を 示 す 私 経 済 学 に 対 し て 攻 撃 が 向 け ら れ た18)に せ よ、 〔 商科大学での〕私 経 済 学 者 の最 高 の 課 題 は 、 全 体 を 観 察 し、 調 査 し、 叙 述 す る19)こと で あ る 。 こ の よ う な 従 来 の 商 科 大 学 教 育 の 抜 本 的 な 改 革 こ そ が 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ の 提 案 な の で あ る 。 そ し て こ の 商 科 大 学 共 々 、 ドイ ツ 国 民 が 義 務 の 意 識 に 基 づ く こ と に よ り 、 ド イ ツ 国 民 に 相 応 し い 未 来 へ の 栄 光 と 輝 く 希 望 も存 在 し て い る 、20)とす る の で あ る 。.
(14) か っ て フ ラ ン ス 制 圧 下 の ドイ ツ に あ っ て 、 フ ィ ヒ テ は、 ドイ ツ精 神 に 基 づ く新 し い 国 民 教 育 を 手 段 と して 、 ラ イ プ ニ ッ ツ の い う 楽 天 観 を 実 現 しよ う と して い た の に 倣 っ て 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ は、 第 一 次 大 戦 中 、 イ タ リ ア が 敵 側 に 回 る と い う苦 難 に あ っ て 、 義 務 観 に 基 づ く商 科 大 学 の 研 究 と 教 育 の 改 革 を 手 段 と して 、 フ ィ ヒテ の い う楽 天 観 と して の 理 想注 義 を 継 承 し、 実 現 し よ う した と い っ て よ い で あ ろ う。. 注. 1序 1)私. 経 済 学 論 争 の 研究 に つ い て は、 例 えば 次 の文 献 参 照 した。 岡 本 人 志. 1977年. 、 第1部. 私 経 済 学 と 私 経 済 学 論 争 、34-39、58-61、75-76、100-103ペ. 学 の 生 成 」 森 山 書 店 、1978年. 、 第10章. 、 第2章. 第4節. ー ジ 、 第8章. 私 経 済 学 論 争 の 展 開 、279-308ペ. schaftslehre. des. Handels(und Weg. der. 鈴 木 辰 治 訳 、 ニ ッ ク リ ッ シ ュ 「組 織. Betriebslehre,Stuttgart. Jahresfeier der. Jg.,Heft. 5.Leipzig. Pflichtgefuhl der. Aufl.,der. Grundlegung,Stuttgart. August. kaufmannischen. vom am. Mannheim. gehalten. von. H.Nicklisch,Mannheim,. 1915.(abgek.Rede).und. gehalten. 森 哲 彦 訳 、 ニ ッ ク リ ッ シs利. Rektor. 3.Juli. uber. 己心 と義 務 感. das. Festansprache uber. Professor. Dr.Nicklisch. 1915.Sonderdruck. Studienjahr. aus. bei. dem. 感 、 大 橋 昭 一 編 著 、渡 辺 朗 監 訳. Jahresbrecht. 「研 究 紀 要 」(名 古 屋 市 立 女 子 短 期 大 学)第59集. Methodenproblem. Untersuchung,C.E.Poeschel. in. der. 。. Einzelwirtschaftslehre,Eine. Verlag,Stuttgart. 1933.S.195.2. dogmen-. Aufl.,1954.(第. 古 林 喜 楽 監 修 、 大 橋 昭 一 ・奥 田 幸 助 訳 、 シ ェ ー ン プ ル ー ク 「経 営 経 済 学 」 有 斐 閣 、1970年 田 幸 男 、 十 八 世 紀 ドイ ツ の 思 想. 店 、1970年. 、205ペ. 「世 界 歴 史. 岩 波 講 座17、. 近 代4近. 、174ペ. 二 版) ー ジ。. 代 世 界 の 展 開Ⅱ 」 所 収 、 岩 波 書. ー ジ。. 8)Kant,Immanuel,Kritik . der praktischen . von Ernst Cassierer,IV . Vernunft,1788.in,Kants . Bd.,1922.(abgek.praktische . カ ン ト全 集 、 第 七 巻 、 理 想 社 、1965年 9)椎. 、1996年3. 利 己 主 義 と義 務. 「ニ ッ ク リ ッ シ ュ の 経 営 学 」 所 収 、 同 文 舘 、1996年8月. 6)Schonpflug,Fritz,Das. der. 1914/15.(abgek.Festansprache).. 月 。 最 新 訳 が 以 下 の よ う に 刊 行 さ れ て い る 。 渡 辺 朗 訳 、 ハ イ ン リ ッ ヒ ・ニ ッ ク リ ッ シ ュ. 7)望. 1920.. 。. allgemeine. Pflichtgefuhl. Handels-Hochschlule. Handels-Hochschule. kritische. Privatwirt-. 1912. einer. 向 上 へ の 道 」 未 来 社 、1975年. Egoismus und. Egoismus und. als. 1922.. 5)Nicklisch,Rede uber in,ZfHH.,8. Industrie),IBd.,Leipzig. Betriebslehre,5. ー ジ。 森. 経 営 学 史 の研 究 方 法 と. Betriebswitrschaftslehre. aufwarts!Organisation.Versuch. 4)Nicklisch,Wirtschaftliche. 、 第1章. 「ド イ ツ. ー ジ。. 2)Nicklisch,Heinrich,Allgemeine kaufmannische. 3)Nicklisch,Der. 「経 営 経 済. ー ジ。 中 村常 次 郎. 私 経 済 学 の 性 格 を め ぐ る 論 争 、93-113ペ. 「経 営 学 史 序 説 一 ニ ッ ク リ ッ シ ュ 私 経 済 学 論 一 」 千 倉 書 房 、1993年. 課 題 、8-10ペ. ー ジ。 岡 田 昌 也. 私 経 済 学 論 争 の 展 開(1)(2)、323-420ペ. 経 営 経 済 学 」 東 京 大 学 出 版 会 、1982年 哲彦. 「経 営 経 済 学 の 形 成 」 森 山 書 店 、. ヒ テ 」 所 収 、 明 治 図 書 、1970年. 、208ペ. 作守文訳. 「実 践 理 性 批 判 」. 。. 名 萬 吉 、 解 説 ・フ ィ ヒ テ の 生 涯 と 国 民 教 育 思 想 、 同 訳. ウ 村 に 生 ま れ 、1780年. Werke,Herausgegeben. Vernunft).深. 「世 界 教 育 学 選 集56ド. ー ジ。 フ ィ ヒ テ の 生 涯 で は、1762年5月19日. イ ツ国 民 教 育 論. フ ィ. ザ クセ ンの ラ ンメナ. に イ ェ ー ナ 大 学 神 学 部 に 入 学 、 後 に ラ イ プ ッ ィ ヒ大 学 に 転 学 し、 法 律 、 言 語 学 、 哲. 学 を 修 め 、 カ ン トを 知 る 。1794年. 、 イ ェ ー ナ 大 学 助 教 授 、1805年. 大 学 教 授 、 初 代 哲 学 部 長 、 さ ら に 学 長 に 就 任 し、1814年1月29日. エ ア ラ ン ゲ ン大 学 教 授 、1810年 チ フ ス に て52才. ベル リン. で ベ ル リ ンに 没 す る。.
(15) Vgl., . Fischer, . Leipzig . K., . Fichte, . 1887.5.761-771. . 5.122.Sp.1-5.125. 10)Kant, . der . reinen . 佑 訳. Heinrich, . Herausgegeben . Zur . 「ハ イ ネ . Biographie, . Gottlieb, . S.170.同. 上 訳 、164ペ. 13)Fichte, . Johann . Gottlieb, . Herausgegeben . von . in, NdB., . 6 . Bd.,. Berlin . 1961.. Die . lmmanuel . Reden . an . Immanuel . Hermann . die . ・五. von . 。. in Deutschland,1834. insel . 、158ペ. Ernst. ・ 六 巻 、 理 想 社 、1973年. in, Sammlung . des . Fichte, Ⅱ. deutschen . 17, Berlin . 1965. S.. ー ジ 。. Berlin . Immanuel . Bd., . in, Fichte . Ein . kunftig . zu . Hermann . Berlin . in, . Werke, . Reden)。. Fichte,Ⅲ . 。 Herausgegeben . Entwurf . als . Politik,1800. . Bd., . 「フ ィ ヒ テ 封 鎖 商 業 国 家 論 」 弘 文 堂 、 新 装 版 、1967年. Berlin . Werke,. von. 椎 名 萬 吉 、 前 掲 訳 。. philosophischer . liefernden . Fichte . 1971.(abgek.Menschen).量. 中 央 公 論 社 、1974年. 1971,(abgek. . Handelsstaat, einer . Menschen,1800. . 世 界 の 名 著 続9」. Nation,1808. . Bd,, . geschlossene Probe . Herausgegeben . Philosophic . Harich, . Bestimmung . シ ェ リ ン ク . Fichte, Ⅶ. von . Religion und . Hermann . 14)Fichte, . Herausgegeben . Werke, . ー ジ 。. 「フ ィ ヒ テ . Reichslehre und . der . von Wolfgang . 義 治 訳 、 人 間 の 使 命. Der . in, Karats . ド イ ツ 古 典 哲 学 の 本 質 」 岩 波 文 庫 、1951年. 12)Ebenda, . 出 ロ 勇 蔵 訳. deutsche . Johann . 「純 粋 理 性 批 判 」 カ ン ト全 集 、 第 四. Geschichte . von eingeleitet . 東 勉 訳. 15)Fichte, . Allgemeine Fichte . Vernunft,1781. . Cassierer,ⅢBd.,1922.原. 165.伊. Gottlieb, Hermann, . Sp.2. Kritik . 11)Heine, . Johann . u. Zeltner, . in, . 1971.(abgek. . Anhang . Fichte . zur Werke,. Handelsstaat).. 。. II ナ ポ レ オ ン戦 争 と フ ィ ヒ テ. 1)Raff,Diether, Deutsche Geschichte-Vom . Max . Hueber . Verlag, . Alten Reich . Munchen . 1987. S.60.(abgek. . zur Zweiten Republik, 2 . Deutsche . Geschichte).松. 清 水 正 義 訳. 「ドイ ツ 近 現 代 史 」 シ ュ プ ラ ン ガ ー ・フ ェ ア ラ ー ク 東 京 株 式 会 社 、1990年. 2)Ebenda, . S.61.同. 3)木. 上 訳 、39下. 谷 勤 ・望 田 幸 男 編. 男 、 第 一 章 第 一 節 4)Raff, 5)大. 本 彰 ・芝 野 由 和 、39上. ・. ペ ー ジ。. ペ ー ジ。. 「ドイ ツ 近 代 史 一18世 紀 か ら現 代 ま で 一 」 所 収 、 ミネ ル ヴ ァ書 房 、1992年. 「上 」 か ら の 改 革 、33ペ. ebenda,5.62.前. 橋 武夫. Aufl.,. 掲 訳 、40上. 、 望 田幸. ー ジ。. ペ ー ジ。. 「ク ラ ウ ゼ ウ イ ッ ツ 兵 法 一 ナ ポ レ オ ン に 勝 っ た 名 参 謀 の 戦 略 」 マ ネ ジ メ ン ト社 、1980年. 、55ペ ー. ジ。 6)木. 谷 勤 ・望 田 幸 男 編 、 前 掲 書 、34ペ. 7)Raff, . ebenda, . S.64.前. 8)Ebenda, . S.64.前. 9)Ebenda, . S.67-68.前. 10)望. 掲 訳 、43上. 11)Raff, . ペ ー ジ。. ペ ー ジ。. 掲 訳 、44下. 田 幸 男 ・三 宅 正 樹 編. 治 一 、 第 一 章3 . ー ジ。. 掲 訳 、42下. 一46上 ペ ー ジ 。. 「概 説 ドイ ツ 史 一 現 代 ドイ ツ の 歴 史 的 理 解 一 」 所 収 、 有 斐 閣 選 書 、1982年. フ ラ ン ス 革 命 後 の 国 際 政 治 と ドイ ツ 、42ペ. ebenda, . S.65.前. 掲 訳 、43下. ペ ー ジ。. 12)Ebenda, . S.66.前. 13)桑. 「哲 学 史剳 記 」 小 山 書 店 、1943年. 14)フ. 木 厳翼. 掲 訳 、44上. ペ ー ジ。. 「あ ら ゆ る 啓 示 の 批 判 の 試 み 」。Einiege . ー ジ参 照 。. Vorlehsungen uber . einer Kritik aller Offenbarung,1792. die Bestimmung . 「学 者 の 使 命 学 徒 の 使 命 」 岩 波 文 庫 、1942年. Wissenschaftslehre,1794.木 15)望. 、94ペ. ィ ヒ テ 、 前 期 の 主 た る 作 品 は 、 次 の も の で あ る 。Versuch . 宮 崎 洋 三 郎 訳. 、 中山. ー ジ。. 村素 衛訳. des Gelehrten,1794.. 。Grundlage . 「全 知 識 学 の 基 礎 」 上 下 巻 、 岩 波 文 庫 、1949年. 田 幸 男 、 前 掲 稿 、 十 八 世 紀 ドイ ツ の 思 想 、205ペ. ー ジ。. der gesamten 。.
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