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これからの社会福祉の方向

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Academic year: 2021

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(1)これ か らの社会福祉 の方 向 The Future. of Social Welfare. 吉. 村. 公. 夫. は じめ に   わ が 国 の社 会 福 祉 が どの 方 向 に 向 か お う と して い る の か 。 これ ま で の 社 会 福 祉 の 歩 み をふ りか え り、 行 く先 を 見 定 め る。 ま た 、 そ う した 状 況 で 、 市 民 と して 何 が で き る の か に つ い て も若 干 言 及 した い 。. 1.社. 会 福祉 の 内容 と範囲.   まず 、 本 稿 で の 社 会 福 祉 の 内 容 と範 囲 につ い て 明 らか に して お く。 上 記 の 課 題 設 定 に お い て 、 「これ ま で 」 を どの 時 期 か ら設 定 す るか を 明 らか に しな い とい け な い 。 こ こで は 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 わ が 国 の 敗 戦 後 か ら辿 る こ とに す る 。 戦 前 と戦 後 の 連 続 性 を指 摘 で き る 事 柄 は あ る が 、 こ こ で は 、 戦 後 か ら変 わ っ た とい う認 識 か ら 出発 す る 。   こ こで 、 簡 単 に社 会 福 祉 を 定 義 して お く と、 「 現 代 社 会 に 生 起 す る生 活 上 の 諸 問 題 を 、 生 存 権 理 念 に も とづ い て 、 解 決 し よ う とす る 社 会 的 方 策 ・活 動 」 で あ る。 こ こ で 言 う、 社 会 的 方 策 ・活 動 に は 、 制 度 、 政 策 、施 策 が 含 ま れ た 意 味 で あ る。 社 会 的 制 度 、 政 策 、 施 策 は 、 代 表 的 、 典 型 的 に は 、 法 律 に も とづ い て い る。   上 記 の 現 代 は 、 ど うい う社 会 か とい う こ とに 関 して は 、 基 本 的 に は 資 本 制 社 会 で あ る と い う こ と。 そ して 、 そ の 資 本 制 社 会(資. 本 主 義 社 会)と. は 言 うま で も な く、 自 己 の 労 働 力 を売 っ て 、 そ. の 対 価 と して の 賃 金 を得 て 、 そ れ に よ り生 活 を維 持 す る 人 々 が 大 半 を 占 め る社 会 。 こ の 賃 金 で 生 活 を 維 持 す る 人 々 を 労 働 者 と呼 ぶ 。 労 働 力 と して 評 価 され 、職 に つ く。 職 に つ け な い 場 合 、 解 雇 され る場 合 は 、 収 入 が 得 られ な い の で 、 生 活 に 困 窮 す る 。   現 代 社 会 が 資 本 制 社 会 と言 っ て も 、 成 立 当初 と違 っ て 、 今 日で は 、 基 本 的 人 権 の 理 念 が 浸 透 し て い て 、 い き な り解 雇 され な い(労 働 基 準 法 に よ る規 制)し. 、 使 用 者 に 、 労 働 力 と して 評 価 す る. よ うに 、 求 め る国 家 介 入 が あ る(労 働 市 場 へ の 国 家 介 入)。 例 え ば 、 男 女 雇 用 機 会 均 等 法 や 障 害 者 雇 用 促 進 法 と言 っ た 法 律 が 用 意 され て い る社 会 で あ る。   この よ うに 、 基 本 的 人 権 を 踏 ま え た 、 い ろ い ろ な 社 会 的 施 策 が 今 日存 在 す る。 社 会 保 障 、 社 会 福 祉 もそ う した も の で 、 基 本 的 人 権 の 屯 で も 、 生 存 権 保 障 の施 策 で あ る。   も う少 し詳 細 に 見 て ゆ く と、 昭 和20年 代 は社 会 事 業 とい う言 葉 が 一 般 的 で 、 昭 和30年 代 に入 っ て 、 社 会 福 祉 と い う言 葉 が 使 われ る よ うに な り、 しか し、 ま だ 、 社 会 事 業 とい う言 葉 も 見 ら為 、 加 え て 、 社 会 福 祉 事 業 法 の 影 響 で 、 社 会 福 祉 事 業 と い う言 葉 も使 われ 始 め た。   社 会 事 業 と い う言 葉 は 、Social Workの 翻 訳 で 、1909(明. 治42)年. に 刊 行 され た 、 井 上 友 一 の.

(2) 『救 済 制 度 要 義 』 に 初 め て 現 れ た と言 わ れ るが 、 頻 繁 に 使 われ る よ うに な っ た の は 、 大 正 時 代 に 入 っ て か らで あ る。 社 会 事 業 の 基 本 的 事 項 を 定 め た 法 律 で あ る 社 会 事 業 法 は 、1938(昭 て い る。 社 会 的 制 度 と して の社 会 事 業 成 立 の メ ル ク マ ー ル の1つ 央 社 会 事 業 協 会 は 、1921(大. 正10)年. 少 し後 の 、1929(昭. に成 立 して い る。. 和4)年. 和13)年. に 成 立 ・公 布 され. で あ る 、組 織 化 を代 表 す る 、 中. 中 央 慈 善 協 会 か ら改称 され た 。 代 表 的 な 対 策 の 救 護 法 は 、. 内 務 省 社 会 局 の 役 人 で あ る 田 子 一 民 が 『社 会 事 業 』 を刊 行 した の が 、1922(大. 正11)年. 内 務 省 嘱 託 の 経 歴 を もつ 生 江 孝 之 が 、 『社 会 事 業 綱 要 』 を刊 行 した の が 、1933(昭. で あ り、. 和8)年. であ. る。 社 会 事 業 の理 論 的研 究 の 精 緻 さ とい う意 味 で は 、海 野 幸 徳 や 山口 正 に よ る も の で あ る。 海 野 の 『社 会 事 業 概 論 』 は1927(昭. 和2)年. の 『社 会 事 業 研 究 』 は1934(昭. 和9)年. 、『社 会 事 業 学 原 理 』 は1930(昭. 和5)年. で あ り、 山 口. に 刊 行 され て い る。. 言 葉 は 早 く、 制 度 と して の社 会 事 業 は そ の 後 成 立 を見 、 そ の理 論 的研 究 は 、 さ ら に そ の 後 と い う状 況 で あ る。 社 会 事 業 とい う言 葉 は 、 一 般 国 民 は と もか く、 戦 前 広 く使 用 され て い た 。 社 会 福 祉 とい う言 葉 は 、Social  Welfareの 翻 訳 で 、 日本 で 公 に使 わ れ 、 国 民 に 広 く認 知 され る よ うに な っ た の は 、1946(昭. 和21)年. 公 布 の 日本 国 憲 法 の 条 文 に よ る。 そ の 第25条 第2項. の条文 が. 「 国 は 、 す べ て の 生 活 部 面 に つ い て 、社 会 福 祉 、 社 会 保 障 及 び 公 衆衛 生 の 向 上 及 び 増 進 に努 め な け れ ば な らな い 」 と 定 め られ た 。 社 会 福 祉 関 係 者 に とっ て は 、 こ の25条 第2項. に加 え て 、 厚 生 省 設 置 法 第4条. の 「 厚 生省 は、社. 会 福 祉 、社 会 保 障 及 び 公 衆 衛 生 の 向 上 及 び 増 進 を 図 る こ と を任 務 と し、」 の 定 め で あ る。 この 厚 生 省 設 置 法 は1949(昭. 和24)年. に 成 立 ・公 布 され た。 ま た 、 翌1950(昭. 和25)年. に 制 定 され た 、. 「 社 会 福 祉 主 事 設 置 に 関 す る法 律 」 に 、 社 会 福 祉 とい う言 葉 が 使 われ た 。 翌1951(昭. 和26)年. に. 社 会 福 祉 事 業 法 が 成 立 ・公 布 され た。 前 年 の 主 事 に 関 す る 法 律 は 、 この 社 会 福 祉 事 業 法 に吸 収 さ れ た 。 この 社 会 福 祉 事 業 法 の法 律 的 趣 旨 は 、 戦 前 の 社 会 事 業 法 と 同 じ く、 社 会 福 祉 に 関 して の 共 通 の 基 本 的 事 項 を 定 め た もの で あ る。 こ の 時 点 で は 、1947(昭 和24)年. の 身 体 障 害 者 福 祉 法 と1950(昭. 和25)年. 和22)年. の 児 童 福 祉 法 、1949(昭. の 生 活 保 護 法 が 成 立 を み て い た。 こ の3法 に 共. 通 の 基 本 的 事 項 を 定 め た。 こ の 社 会 福 祉 事 業 法 の 立 法 策 定 の 中 心 で あ っ た 木 村 忠 二郎 は 、 法 律 の名 称 と して 、 社 会 事 業 で は 、 戦 前 の 法 律 と混 同 され る 、 か と言 っ て 、 社 会 福 祉 法 にす る ほ ど、 社 会 福 祉 とい う言 葉 が 一 般 的 に な っ て い な い こ と と,社 会 事 業 の 間 に 、 福 祉 を入 れ る こ とで 、 積 極 的 に福 祉 の 増 進 とい う 目 的 の意 味 を 含 め しめ た と言 わ れ て い る 。1)法 律 名 は 社 会 福 祉 事 業 だ が 、 中 の 条 文 に は 、社 会 福 祉 法 人 、 社 会 福 祉 施 設 や 社 会 福 祉 審 議 会 な ど、 社 会 福 祉 とい う言 葉 を冠 した 言 葉 が 出 て く る。 た だ 、 第2条. で 、 どん な 施 策 が 社 会 福 祉 か とい うこ とで 、 「 社 会 福 祉 事 業 」 とい う名 称 で 列 記 され て い. る の で 、 こ の こ とか ら、 社 会 福 祉 事 業 と い う言 葉 が 、社 会 福 祉 関係 者 の 間 で使 わ れ 出 した と言 え る。.

(3) 1954(昭. 和27)年. に 日本 社 会 福 祉 学 会 が 結 成 され た 。 同 じ年 、 中 央 社 会 事 業 協 会 は 改 組 され 、. 中 央 社 会 福 祉 協 議 会 が 設 置 され て い る。 社 会 福 祉 の理 論 的研 究 と して は 、 竹 中 勝 男 の 『社 会 福 祉 研 究 』 が1950(昭. 和25)年. に 出 され 、. 同 じ年 に 孝 橋 正 一 著 『社 会 事 業 の 基 礎 理 論 』 が 刊 行 され た 。 そ の 後1956(昭. 和31)年. に 、岡村 重. 夫 の 『社 会 福 祉 学(総 論)』 が 出 され た 。 この 時 期 の 竹 中 、 岡 村 の 社 会 福 祉 とい う言 葉 の使 用 は か な り早 い と言 え る の で は な い か 。 社 会 福 祉 とい う言 葉 の使 用 が 一 般 化 した と言 え るの は 、1960年 代 に入 っ て か らで は な い か 。 先 の 日本 社 会 福 祉 学 会 の 機 関 誌 『社 会 福 祉 学 』 が 創 刊 され た の が 、1960(昭 徹 郎 編 著 の 『社 会 福 祉 概 論 』 が1964(昭 1964(昭. 和39)年. 和39)年. 和35)年. で あ る。 木 田. に 、 一 番 ヶ瀬 康 子 の 『社 会 福 祉 事 業 概 論 』 が. に 出 され て い る。 な お 、 一 番 ヶ瀬 康 子 は 前 年 の1963年 に 、 学 位 論 文 の 『ア メ リ. カ社 会 福 祉 発 達 史 』 を公 に して い る。 一 番 ヶ瀬 康 子 が 真 田是 と共 同編 集 した 『社 会 福 祉 論 』 が 刊 行 され た の は 、1968(昭. 和43)年. で あ る。. 1970年 代 に入 っ て か ら も、 前 出 の 孝 橋 正 一 は 、社 会 事 業 とい う言 葉 を 使 い つ づ け て い る。 孝 橋 は 、 資 本 主 義 社 会 が 続 く限 り、 学 問 的 述 語 と して は 、 社 会 事 業 で あ る と主 張 す る。2)社 会 事 業 、 社 会 福 祉 の 歴 史 研 究 者 で あ る 吉 田久 一 は 、 「 私 は 高 度 成 長 期 か ら、 社 会 事 業 を 社 会 福 祉 事 業 と名 辞 を 新 た に した い と思 う」3)と 述 べ 、 今 日ま で 、社 会 福 祉 とい う言 葉 を使 っ て い る。 吉 田久 一 は 、 そ の後 の 著 書 で 、 そ の 点 に つ い て 詳 し く説 明 して い る。 そ れ に よ る と、 高 度 成 長 下 の 生 活 に お い て 、'「 従 来 の 戦 後 貧 困 は 、 … 『多 様 化 貧 困 』 と で も 呼 ば な け れ ば 解 釈 が 不 可 能 に な っ た 」.4)第2に. 、 「60年代 の 国 民 皆 保 健 、 皆 年 金 の 達 成 、 そ して 老 人 福 祉 法 、 精 神 薄 弱 者 福. 祉 法 等 々 の 制 度 的 拡 大 を み て 、『福 祉 六 法 』 時 代 に 」 入 っ た 。5)第3に. 、「 具体 的 に は社会 福祉 政. 策 論 と方 法 論 の接 近 な い し統 合 が 要 請 され た 」 こ とか ら と。6) こ の 吉 田 の 説 明 を参 考 に 、 社 会 事 業 と社 会 福 祉 を 区 分 す る指 標 を ま とめ れ ば 、 ① 生 存 権 思 想 の 具 体 化 の 時 期 は い つ か 。 つ ま り、 国 民 の 権 利 性 の 明 確 化 は い つ の 時 期 に 達 成 され た の か 。 日本 国 憲 法 第25条 第1項. で あ る生 存 権 の 明 文 化 は 、1946年 で あ る。 だ か ら、 戦 後 か ら と言 っ て い い 。 他. 方 、 生 存 権 思 想 の 国 民 へ の 浸 透 とい う点 で 見 れ ば 、 生 存 権 を 全 面 的 に争 っ た 朝 日訴 訟 の 第1審 判 決 が 出 た1960年 の 前 後 と も言 え る。 戦 後 か 吉 田の 言 う高 度 成 長 下 か。 ② と して は 、 社 会 的 対 策 の 対 象 に着 目す る 点 で あ る。 特 定 の 人 々 、 つ ま り貧 困 階 層 を 対 象 とす る対 策 ・施 策 か ら、 国 民 へ の 拡 大 は い つ か 。 こ こ で は 、 貧 困層 を 対 象 す る施 策 は 社 会 事 業 と考 え る。 目標 或 い は 理 念 と して は 、 憲 法25条 第1項. に 「 す べ て 国 民 」 と明 記 され た 戦 後 で あ る。 実 体. と して は 、 ど うか と い う と、 戦 後 は 、 貧 困 者(正 確 に は 貧 困 に よ る 生 活 困 窮 者)を 対 象 と した 生 活 保護 法が 、児童 福祉 法や 身体 障害者 福祉 法 、特 に前者 はす べ ての児童 が 対象 で あった が 、中心 的 役 割(事 務 量 、 予 算 額 等)を 果 た して い た 。 生 活 保 護 法 に よ る 対 策 が 相 対 的 に 低 下 を 始 め る の は 、 精神 薄 弱 者 福 祉 法 、 老 人 福 祉 法 等 が 成 立 を 見 て 、 「 福 祉 六 法 体 制 」 と今 日い わ れ る1960年 代 以 降 で あ る。 ③ と して は 、 社 会 保 障 体 系 の1つ. と して 、 位 置 づ け られ た 時 期 に 注 目す る。 社 会 保 障 とい う言.

(4) 葉 、 考 え 方 は 戦 前 の 米 国 、 戦 中 の 英 国 に 出 て き て い る。 社 会 保 障 の 考 え 方 に つ い て議 論 され 、 制 度 化 され た の は 、 日本 の 場 合 、 戦 後 で あ る。 社 会 保 障 制 度 審 議 会 第1回 総 会 が 開 催 され た の は 、 1949(昭. 和24)年. で(前. 年 、社 会 保 障 制 度 審 議 会 設 置 法 公 布)、 翌1950年 に 、 社 会 保 障 制 度 に 関. す る 勧 告 を出 した 。 社 会 保 障 制 度 の 最 後 の1つ 和45)年. と言 わ れ る児 童 手 当 法 が 成 立 した の は 、1971(昭. で あ る。 だ か ら、 この 時 期 と考 え る こ と もで き る が 、 社 会保 障 制 度 の 中 で基 幹 的 な 制 度. で あ る 、 国 民 皆 保 険 、 皆 年 金 制 度 が 発 足 した1960年 代 と押 さ え て い い の で は な い か 。 上 記 の 点 か ら、 社 会 福 祉 は 、1960年 代 か ら、 言 葉 と実 体 が合 っ た 時 代 が 始 ま った と考 え る。 2)社. 会福 祉の範 囲. こ こで の 社 会 福 祉 を 構 成 す る もの は何 か 、 ど こ ま で を社 会 福 祉 と設 定 す る か 、 つ ま り社 会 福 祉 の 分 野 と言 わ れ る も の で あ る。 こ こ で は 、 対 象 の 性 格 か ら分 野 を整 理 した 、 一 番 ヶ瀬 康 子 に よ る 分 野 、 岡 村 重 夫 の 分 野 と社 会 的 施 策 が 基 本 的 に は 、 法 律 を 根 拠 に して い る こ とか ら以 下 の よ うに 構 成 す る。7) a)公. 的 扶 助:根 拠 法 は1950(昭. 和25)年. の 生 活 保 護 法 で 、 生 活 困 窮 者(貧. 困 者 、 低 所 得 者). へ の現 金 給 付 や 現 物 給 付 で あ る。 そ の 制 度 の原 則 に は 、最 低 生 活 保 障 や 無 差 別 平 等 が 明 示 さ れ て い る。 生 活 保 護 法 第1条. に 国 家 責 任 が 明 記 され て い る。 「こ の 法 律 は 、 日本 国 憲 法 第 二 十 五 条 に. 規 定 す る理 念 に基 き、 国 が 生 活 に 困 窮 す るす べ て の 国 民 に 対 し、 そ の 困 窮 の 程 度 に 応 じ、 必 要 な保 護 を行 い 、 そ の最 低 限 度 の 生 活 を保 障 す る と と も に 、 そ の 自立 を助 長 す る こ とを 目的 とす る」 と。 公 的 扶 助 とい う言 葉 は 現 在 、 学 問 的 用 語 で 、 そ の 内 容 に 相 当 す る社 会 的 制 度 は 国 に よ っ て 違 う。 例 え ば 、 英 国 で は 、 所 得 補 助(income  support)と い わ れ る制 度 で あ る。 b)児. 童 福 祉:根 拠 法 は 、1947(昭. べ て の 児 童 で あ る 。 第2条. 和22)年. の 児 童 福 祉 法 で あ る。 前 述 した よ うに 、対 象 は す. に お い て 、 国 の 責 任 を 明 記 して い る。 「国 及 び 地 方 公 共 団 体 は 、. 児 童 の 保 護 者 と と もに 、 児 童 を 心 身 と も に健 や か に 育 成 す る 責 任 を 負 う」 と。 c)障. 害 者 福 祉:現. 在 は こ う言 うが 、 戦 後 当 初 は 、 法 律 と して は 、 身 体 障 害 者 福 祉 法(1949. 年)し か な か っ た 。 そ の た め 、 身 体 障 害 者 福 祉 と言 わ れ て い た 。 そ の 後 、1960(昭. 和35)年. に 精 神 薄 弱 者 福 祉 法 が 成 立 。 現 在 、知 的 障 害 者 福 祉 法 に 改 称 され て い る。 そ して 、1995(平 成7)年. に 精 神 保 健 福 祉 法 が 成 立 して 、 文 字 どお り、 障 害 者 福 祉 に 。. 日本 で は 、 障 害 者 を 、身 体,知 的 、 精 神 の3つ い る。 た だ し、 近 年 、 厚 生 省 の 担 当 部 局 は 、1つ. に分 け て 、3つ の 法 律 で そ れ ぞ れ 対 応 して に再 編 され て い る。 米 国 で は 、 「 障害 を も. っ た ア メ リカ 人 法 」 と い う法 律 で 一括 して 対 応 す る こ とに な っ て い る 。 わ が 国 が 、3つ. に分. け て 来 た 理 由 は 、 戦 後 児 童 福 祉 法 が 制 定 され 、 対 象 、 対 人 別 に 法 律 を 作 る道 を拓 い た こ と と、 身 体 障 害 者 た ち の 立 法 に 向 け て の 運 動 が 大 き か っ た こ とに よ る。 各 立 法 の 国 の 責 任 の 条 文 を記 す と 、身 体 障 害 者 福 祉 法 で は 、 第3条. に 、 「国及 び 地 方 公 共. 団 体 は 、 身 体 障 害者 に対 す る 更 生 の 援 助 と更 生 の た め に 必 要 な 保 護 の 実 施 に 努 め な けれ ば な.

(5) ら な い 。」 精 神 薄 弱 者 福 祉 法 で は 、 第2条. に、 「 国及 び地 方公 共団 体は 、精神 薄弱 者 の福祉 に. つ い て 国 民 の 理 解 を 深 め る と と も に 、 精 神 薄 弱 者 に 対 す る更 生 の 援 助 と必 要 な 保 護 の 実 施 に つ と め な けれ ば な らな い 」。 精 神 保 健 福 祉 法(正 す る 法 律)で. は 、 第2条. 確 に は、精神 保 健 及び 精神 障 害者 福祉 に 関. に 、 「国 及 び 地 方 公 共 団 体 は 、 … 精 神 障 害 者 の 医 療 及 び 保 護 並 び に. 保 健 及 び 福 祉 に 関 す る 施 策 を総 合 的 に 実 施 す る こ とに よ っ て 精 神 障 害 者 が 社 会 復 帰 を し 、 自 立 と社 会 経 済 活 動 へ の 参 加 を す る こ とが で き る よ うに 努 力 す る と と も に 、 …精 神 障 害 者 の 発 生 の 予 防 そ の 他 国 民 の 精 神 保 健 の 向 上 の た め の 施 策 を 講 じな けれ ば な らな い 」。 こ の1995年 の 精 神 保 健 福 祉 法 と他 の2法. と違 うと こ ろ は 、 前 者 の 後 段 に は 、 従 来 どお り、. 「 ね ば な らな い 」 規 定 だ が 、 前 段 は 、 「 努 力 す る 」 とい う規 定 に な っ て い る こ と と 、 「自立 」 とい う言 葉 が か か げ られ て い る こ とで あ る。 d)老. 人 福 祉:当. 初 の 根 拠 法 は 、1963(昭. 和38)年. の 老 人 福 祉 法 で あ る。 そ の 後 、 高 齢 者 の 病. 院へ の 「 社 会 的 入 院 」 問題 の 解 消 と高 齢 者 医療 費 無 償 制 度 を廃 止 して 、 医 療 費 負 担 の 再 編 を 目的 と して 、1982(昭. 和57)年. に 老 人 保 健 法 が つ く られ 、 高 齢 者 の 保 健 と 医 療 は 、 これ に よ. る こ とに な っ た。 この1982年 の 老 人 保 健 法 で は 、 第2条. に 、 「国 民 は 、 自助 と連 帯 の 精 神 に 基 づ き 、 自 ら加. 齢 に伴 っ て 生 ず る心 身 の 変 化 を 自覚 して 常 に 健 康 の保 持 増 進 に 努 め る と と も に 、 老 人 の 医 療 に 要 す る 費 用 を公 平 に負 担 す る もの とす る 」 と明 示 され て い る。 こ の よ うな 「 国 民の 義務 」 と言 え る 規 定 形 式 は 、 老 人 福 祉 法 と 同 じ形 式 を踏 襲 した もの と推 察 され る。 老 人 福 祉 法 で は 、 第3条. に、「 老 人 は 、 老 齢 に 伴 っ て 生 ず る 心 身 の 変 化 を 自覚 して 、 常 に 心 身 の 健 康 を 保 持 し、. そ の 知 識 と経 験 を社 会 に役 立 た せ る よ うに 努 め る も の とす る」 と あ る 。 この2つ. の条 文の 比. 較 か ら は 、 形 式 だ け で な く 、 内 容 に つ い て も、 高 齢 者 で あ る こ とで 、 類 似 した も の に して あ る こ と が うか が わ れ る。 そ して 、 老 人 保 健 法 の 際 立 っ た と こ ろ は 、 「自助 と連 帯 の 精 神 」 と い う言 葉 と 「 費 用 を公 平 に負 担 す る 」 とい う言 葉 で あ る。 自助 と連 帯 の精 神 は 、 社 会 保 険 と して の 医 療 保 険 、 年 金 保 険 や 失 業 保 険 の 先 駆 的 形 態 が 、 労働 者 の 相 互 扶 助 組 織 で あ る友 愛 組 合 で あ っ た こ と、 労 働 者 は 自助 を 求 め られ た が 、 自助 だ け で は 困 難 に 立 ち 向 か え な い こ とか ら、 相 互 扶 助 、 つ ま り連 帯 の 精 神 か ら、 労 働 者 た ち が 助 け合 い を 始 め 、 そ の 組 織 を 土 台 と して 、 今 日の社 会 保 険 の 共 済組 合 が で き て き て い る こ とか ら理 解 は 可 能 で あ る。20世 紀 始 め の 英 国 や 現 在 の ドイ ツ で は 。 健 康 保 険 法 や 国 民 健 康 保 険 法 に は な い 条 文 と して 、 「自助 と連 帯 の 精 神 」 を あ え て 明 記 した。 2つ め に は 、 「費 用 を公 平 に 負 担 す る」 と い う言 葉 を 、 こ れ も あ え て 明 記 した 。 こ の 老 人 の 医 療 に要 す る 費 用 を 公 平 に負 担 す る こ と は 、 困難 で あ る。 あ る い は 無 理 な 要 求 と言 え る 。 病 弱 な 老 人 と元 気 で健 康 な 老 人 と で は 相 違 が あ る し、 公 的 年 金 の 受 給 者 の 間 で も 大 き な 隔 た りが あ る。 だ か ら 、 これ は 、 医 療 を受 給 して い る 老 人 へ の 「 警 告 」 で あ り、 医 療 を あ ま り必 要 と して い な く、 医 療 費 を 過 重 に 負 担 して い る と感 じて い る老 人 へ の 「 尉 撫 」 で あ り、 老 人 で は な い 、 医 療 保 険 料 を徴 収 され て い る 国 民 へ の 「 ポ ー ズ」 で あ る。.

(6) た だ 、 「自助 と連 帯 の 精 神 」 と 「 費 用 を 公 平 に負 担 す る 」 こ と が 結 び つ く と、 これ は 受 益 者 負 担 論 で あ り、 新 しい社 会 思 想 の 登 場 で あ る。 さ らに 、1997(平. 成9)年. に 介 護 保 険 法 が 成 立 し、2000(平. 成12)年4月. これ に よ り、介 護 保 険 の適 用 対 象 の 高 齢 者 と対 象 外 の 高 齢 者 に2分. よ り施 行 され た 。. され る こ と に な っ た 。 適. 用 対 象 者 の 費 用 調 達 が 介 護 保 険 法 か 生 活 保 護 法 の 介 護 扶 助 で 、 対 象 外 の 人 は 自費 か 市 町 村 に よ っ て は 、 一 部 負 担 して も らえ る こ と も あ る とい う事 態 に な っ た。 e)母. 子 福 祉:根. 拠 法 は1964(昭. 和39)年. の 母 子 福 祉 法 で 、 現 在 、 そ の 後 改 正 され た 母 子 及 び. 寡 婦 福 祉 法 で あ る。 f)婦. 人 福 祉:根. 拠 法 は 、1956(昭. 和31)年. の 売 春 防 止 法 で あ る。. 現 在 、婦 人 福 祉 とい う言 葉 は あ ま り使 わ れ な くな っ た 。 売 春 が 正 面 か ら大 き く と りあ げ ら れ な く な っ た か らか。 一 部研 究 者 か ら 、女 性 福 祉 に して 、配 偶 者 や 恋 人 か ら暴 力 を 受 け て い る女 性 の 救 済 、 保 護 の た め の 法 律 を つ く る べ き 、 そ れ に と もな い 、 婦 人 相 談 所 、 婦 人 保 護 施 設 を 再 編 す る べ き と提 案 され た が 、 再 編 す る こ とな く、 配 偶 者 か ら の暴 力 の 防 止 及 び 被 害 者 の 保 護 に 関 す る法 律(DV防. 止 法)が 議 員 立 法 で つ く られ た 。 そ して 、 施 行 に 際 して 、 従 来. の 売 春 防 止 法 の 行 政 機 関 で あ る、 婦 人 相 談 所 、婦 人 保 護 施 設 が 従 来 の婦 人 保 護 に加 え て 、 虐 待 の 被 害 女 性 に 対 応 す る よ うに位 置 づ け られ た。 3)関. 連 分野 といわれ る領域. g)医. 療福祉 −. 医 療 を受 け て い る患 者 を援 助 す る。 治 療 費 、 家 族 関 係 等 。. 精 神 疾 患 の 患 者 の 社 会 復 帰 に 関 して は 、 精 神 障 害 者 と して 、精 神 保 健 福 祉 法 が 対 応(障 害 者 福 祉 の領 域 に な る)す る。 病 院 で の 援 助 に 関 して 、 社 会 復 帰 に 関す る援 助 。 保 健 所 の 精 神 保 健 福 祉 相 談 員 の 資 格 と して 、 精 神 保 健 福 祉 士 法 が 、1997(平 h)教. 育 福 祉―. 成9)年. に 成 立 した 。. 教 育 を受 け て い る 生 徒 の援 助 。 職 種 と して 、 ス クー ル ・ソー シ ャル ワー カ ー 、. 米 国 で は 普 及 して い る が 、 日本 で は 未 定着 。 近 年 、 文 部 省 の 主 導 で ス ク ー ル ・カ ウン セ ラ ー の 導 入 が 図 られ て き て い る。 文 部 省 は 、 戦 後 、 米 国 の ス クー ル ・ナ ー ス を 、 養 護 教 諭(保 健 室 の 先 生)と. して 導 入 して き た 。 そ して 、 これ ま で の ス クー ル ・ナ ー ス の 仕 事 、 身 分 等 に つ. い て 総 括 す る こ と も な く、 新 し くス ク ー ル ・カ ウ ンセ ラー を 導 入 して き て い る。. 、. 戦 前 の 社 会 事 業 、 社 会 教 育 との 関 係 や 、子 ど もの 問 題 を 生 活 時 間 で 区 分 す る と、 学 校 と学 校 外(家 庭 、 遊 び 、 施 設 等)に. 分 け られ る。 そ こで 、 学 校 外 で の 生 活 時 間 に 存 在 す る施 策 と. して 、 学 童 保 育 、 少 年 非 行 へ の 対 応 等 も教 育 福 祉 と して 論 じ られ て い る。 i)司 4)関. 法福祉一. 保 護観 察官 や家庭 裁判 所調 査官 の仕事 、保護 司の仕事 等。. 連 す る社会 的施策. 前 述 した よ うに 、 今 日、 社 会 福 祉 は 社 会 保 障 制 度 体 系 を 構 成 す る1つ. と考 え られ て い る 。 こ の. 場 合 の 社 会 保 障 体 系 を 構 成 す る社 会 的 施 策 と して は 、 所 得 保 障 、 医 療 保 障 、 社 会 福 祉 で あ る 。 (イ)所 得 保 障 に は 、 年 金 保 険 、 失 業 保 険 、 社 会 手 当(児 童 手 当等)、 公 的 扶 助(生 含 ま れ る。(ロ)医. 活 保 護)が. 療 保 障 に は 、 医 療 保 険 、 老 人 保 健 、 公 費 負 担 医療(「 社 会 防衛 医療 」、 難 病 医.

(7) 療)、 医療 ・保 健 サ ー ビス(公 衆 衛 生)が 含 め られ る。(ハ)社. 会 福 祉(本. 稿 で 用 い て て る も の)。. 社 会 保 障 イ コ ー ル 所 得 保 障 と考 え る 場 合 が あ る が 、 これ は 英 国 や 米 国 で よ く使 わ れ る。 日本 で は 狭 義 の 社 会 保 障 と分 類 され て い る。 英 国 で は 、 上 記 の 広 義 の 社 会 保 障 を 、 社 会 サ ー ビ シ ィ ズ(Social  Services)と 言 い 、 そ の 中 に は 、 教 育 、 住 宅 政 策 、雇 用 も含 め る。 英 国 は 医 療 ・保 健 サ ー ビ ス だ け で あ る。 米 国 で は 、 児 童 手 当 制 度 は な く、 医 療 保 険 は65歳 以 上 の 高 齢 者 を対 象 と した もの しか な い 。65 歳 未 満 の 人 々 の うち 、 豊 か な 人 は 、 私 企 業 の営 む 、 医 療 保 険(私 保 険)に 加 入 す る。 この 私 保 険 に未 加 入 者 は 、 医 師 へ の 医 療 費 の 支 払 い は 、現 金 で 行 う。(い の ち は 金 次 第) 英 国 の ウ ィ リア ム ・べ ヴ ァ リ ッ ジ(William. Beveridge)は. 、 委 員 長 と して 、 政 府 の 設 置 した. 「 社 会 保 険 及 び 関 連 諸 サ ー ビス に 関す る 関係 各 省 委 員 会 」 の 報 告 を 提 出 した. 。1942年 の そ の 報 告. 書 は 、 所 得 保 障 を め ざす 社 会 保 険 制 度 に 関す る提 案 で あ っ た が 、 文 書 に 、 こ の 世 に 、5つ 巨 人 が い る と して 、 貧 窮(貧. の悪 の. 困)、 疾 病 、 無 知 、 不 潔 、 失 業 を あ げ 、 自分 が 提 案 す る社 会 保 険 は 、. この 貧 窮 へ の 攻 撃 を意 図 した も の と述 べ る。 しか し、 自分 の 提 案 す る 社 会 保 険 が うま く行 くに は 、 3つ の 前 提 と され る政 策 を 必 要 とす る。1つ. は 、児 童 手 当 、2つ は 、 リハ ビ リテ ー シ ョン を含 ん. だ包 括 的 な 保 健 制 度 、3つ は 、 雇 用維 持 政 策 で あ る と。 実 は 、 英 国 で は1911年 に 国 民 保 険 法 と して 、 失 業 保 険 と健 康 保 険 制 度(医. 療 保 険)が つ く られ. て い た 。 ま た 、1908年 に は 、 無 拠 出 老 齢 年 金 法 もつ く られ て い た 。(年 金 とい う名 称 だ が 、 無 拠 出 な の で 、 現 在 の 考 え方 で は 、 扶 助 で あ る)。 ベ ヴ ァ リ ッジ の この 構想 は 、 労 働 党 政 権 に よ って 、1945年 か ら次 々 と立 法 化 され て い っ た 。 こ の 構 想 が 体 系 的 だ っ た こ とは 、 そ の 後 、 「 揺 りか ご か ら墓 場 ま で 」 と表 現 され た し、 彼 を 、 「 社会 保 障 の 父 」、 「 福 祉 国 家 建 設 の 父 」 と言 わ しめ た 。 彼 は 社 会 保 障 体 系 の1つ の モ デ ル を提 示 した 。 1948(昭. 和23)年. の影 響 は1950(昭. に設 置 され た 、 日本 の社 会 保 障 制 度 審 議 会 は 、彼 の構 想 を 参 考 に した 。8)そ. 和25)年10月. に 出 され た 「 社 会 保 障 制 度 に 関 す る勧 告 」 の 中 に も 読 み 取 れ る. 。. た だ 、 医 療 制 度 に つ い て は 、 英 国 と違 っ て 医療 保 険 で 対 応 す る構 想 で あ っ た 。 そ の後 、 社 会 保 障 制 度 審 議 会 は 、1995(平. 成7)年7月. に 、 社 会 保 障 制 度 に 関 して2度. 目の 勧 告 を 行 っ た 。. こ こで、そ の勧 告 「 社 会 保 障 制 度 の 再 構 築 」 に つ い て 少 し検 討 して み る。 勧 告 文 書 の 第1章 社 会 保 障 の 基 本 的 考 え 方 、 第1節 社 会 保 障 の 理 念 と原 則 、1社 会 保 障 の理 念 の と こ ろ で 、 「 社 会保 障 制 度 は 、 み ん な の た め に み ん な で つ く り、 み ん な で 支 え て い く も の と して 、 二 十 一 世 紀 の 社 会 連 帯 の あ か し と しな けれ ば な らな い 」 。 また、 「 国 民 は 自 ら の努 力 に よ っ て 自 らの 生 活 を維 持 す る 責 任 を負 う と い う原 則 が 民 主 社 会 の 基 底 に あ る こ とは い うま で も な い 」 と。 第2節 社 会 保 障 を 巡 る 問題 、2社 会 保 障 の 財 源 の と こ ろ で 、 社 会 保 障 の 「 増 大 す る 負 担 に つ い て は 、 自立 と連 帯 の 精 神 に の っ と り、 国 民 の だ れ もが 応 分 の負 担 を して い く こ とが 必 要 で あ る 」 と。 こ の 文 章 に あ らわ れ て い る考 え 方 は 、 先 に 述 べ た 老 人 保 健 法 で 表 わ され た 考 え 方 と同 じ と言 え る。 先 に 引 い た 、 ベ ヴ ァ リ ッジ の5つ の 悪 の 巨 人 へ の 攻 撃 策 と前 述 の 社 会 保 障 制 度 を 構 成 す る社 会.

(8) 的 施 策 と は 、 見 ら れ る よ う に 、 相 違 が あ る。 ベ ヴ ァ リ ッ ジ は5つ. の 攻 撃 策 を 含 め て 、Soclal. Policyと 表 現 して い る。 日本 で は 、 英 国 の こ のSocial  Policyと 米 国 のSocial  Scurltyを 、 戦 前 か らの 社 会 政 策 研 究 を踏 ま え て 、 社 会 保 障 制 度 と して 、 整 序 、 編 制 した もの と言 え る。9) 大 河 内 一 男 、 孝 橋 正 一 を 中 心 と して 、社 会 事 業 は社 会 政 策 との 関係 か ら 、 そ の 本 質 が 性 格 づ け られ て き た。10)その点 か らす る と、 こ こで も 、 社 会 政 策 に お け る 変 化 を 跡 づ け 、 今 日の 社 会 福 祉 を論 じな い とい け な い が 、 そ の 課 題 は 別 の機 会 に す る こ とに して 、 本 稿 で は 、 現 代 社 会 と社 会 福 祉 の 関 係 や 社 会 福 祉 そ の もの の 変 化 を検 討 す る。. 2.社. 会 福 祉 は ど こへ 向 か お う と して い る の か. 戦 後 の 時 代 、 前 出 の 児 童 福 祉 法 、 生 活 保 護 法 、 身 体 障 害 者 福 祉 法 の3つ. の 法 律 が 中心 だ つ た の. で、 「 福 祉 三 法 体 制 」 と呼 ば れ る 。 これ ら の 法 律 が 行 政 を 通 じて 実 施 さ れ る。 そ の 行 政 の構 造 を 定 め た の が 、1951(昭. 和26)年. の 社 会 福 祉 事 業 法 で あ る。. は じめ に 、児 童 福 祉 法 とそ の 行 政 で と られ て き た の は 、 措 置 制 度 とい わ れ る も の で あ る。 ま た 、 1970年 代 ま で 、 施 策 の 中 心 は 、 施 設 入 所 だ っ た 。 措 置 制 度 を 、 児 童 福 祉 の 施 設 入 所 で 見 て ゆ く と、 要 保 護 児 童 の 発 見 、 調 査 ・判 定 、 入 所 決 定 (行政 処 分)と い う過 程 を取 る。 これ らを 行 うの が 、 児 童 相 談 所 と い う行 政 機 関(都 道 府 県 、 政 令 都 市 の)で. あ る。 子 ど もが 入 所 す る と こ ろ が(つ. ま り保 護 され 、 生 活 す る と こ ろ)、 児 童 福 祉. 施 設 で あ る。 こ の児 童 福 祉 施 設 が 大 部 分 公 立(都 道 府 県 、 市 町 村 の)で. あ っ た ら、 な ん ら問題 は. な か っ た。 しか し、 戦 前 、 社 会 事 業 とい っ た 時 代 か ら、 養 老 院 、孤 児 院 とい っ た 収 容 施 設 は 、 大 部 分 は 、 民 間 の 篤 志 家 が 自分 の財 産 を 投 じて 作 り、 運 営 して き た。 戦 後 、 日本 国 憲 法 、 占領 軍 の 指 示 、 前 出 の 社 会 福 祉 事 業 法 で 、 公 私 分 離 の 原 則 が うた われ 、 公 私 は それ ぞ れ の 部 分 に つ い て は 、 そ れ ぞ れ の 責 任 と創 意 や 自主性 を 多 い に 発 揮 しな さい 。 お 互 い に 安 易 に寄 り掛 か ら な い よ うに と指 示 さ れた。 児 童 福 祉 施 設 の 設 置 、運 営 は 、 公 的 責 任(国. と地 方 自治 体)と. され た が 、積 極 的 に 新 し く公 立. 施 設 をつ く る とい う方 向 に 向 か わ ず 、 民 間 の 施 設 を利 用 す る こ とに した。 そ の 場 合 、 社 会 福 祉 法 人 とい う公 益 法 人 を 新 し くつ く り、 社 会 福 祉 法 人 が運 営 す る社 会 福 祉 施 設 が 登 場 した 。 法 人 の 許 認 可 が され 、 次 に 、 社 会 福 祉 施 設 と して の 許 認 可 が 、 国 と都 道 府 県 に よ っ て な され た 。 児 童 福 祉 施 設 へ の 入 所 が 決 定 され た子 ど も が 、 社 会 福 祉 法 人 の 児 童 福 祉 施 設 に 入 所 す る場 合 、 そ の 子 の そ の 施 設 で の 生 活 費 と そ の 子 の 世 話 を す る職 員 の 人 件 費 を 「 措 置 費 」 と して 、 施 設 に 支 給 す る とい うや り方 が 取 られ た。 公 立施 設 で は な い が 、 公 的 に許 認 可 され た 施 設 で あ る こ と と、 国 、 都 道 府 県 が 「 措 置 費」 とし て 、公 費 を 出 して い るの で 、 公 的 責 任 を果 た して い る と され た 。 1960年 代 に 入 っ て の 、精 神 薄 弱 者 福 祉 法 、 老 人 福 祉 法 、母 子 福 祉 法 が加 わ り、70年 代 、80年 代 ま で、 「 福 祉 六 法 体 制 」 と 呼 ば れ た。 身 体 障 害 者 福 祉 法 、 精 神 薄 弱 者 福 祉 法 、 老 人 福 祉 法 も施 策.

(9) の 中心 は 、70年 代 ま で は 、施 設 収 容 で あ っ た。 仕 組 み は 上 記 と同 じ。70年 代 に 、 障 害 者 や 老 人 の い る家 庭 に 、 家 庭 奉 仕 員 派 遣 事 業 が 導 入 され 、 市 町 村 が 実 施 す る こ と に な っ た 。 市 町 村 の 一 部 は 自 ら実 施 主 体 に な っ た が 、 一 部 の 市 町 村 は 自 ら実 施 せ ず 、 市 町 村 の 社 会 福 祉 協 議 会 に事 業 を 委 託 す る形 態 が 取 られ た。 全 国 的 に は 、 社 会 福 祉 協 議 会 に 委 託 す る の が 大 勢 に な っ た 。 これ が 在 宅 福 祉 の 最 初 の 形 で あ る。 家 庭 奉 仕 員 は そ の 後 ホ ー ム ヘ ル パ ー と言 わ れ る よ うに な つ た 。 ち な み に 、 名 古 屋 市 で は 、 全 国 的 に は 、 市 町 村 が 社 会 福 祉 協 議 会 に ヘ ル パ ー 派 遣 事 業 を 委 託 す る と い う趨 勢 の 中 で 、 ヘ ル パ ー を 市 職 員 と して 採 用 す る とい うや り方 を 取 っ た 。 介 護 保 険 法 施 行 を 前 に 、 社 会 福 祉 協 議 会 へ の 委 託 に 踏 み 出 した 。 短 期 間 で の 二 転 で あ る。 直 前 ま で 、 各 区 に 社 会 福 祉 協 議 会 を 設 立 して こ な か っ た とい う遅 れ が あ っ た 。 1973(昭. 和48)年. 秋 の い わ ゆ る石 油 危 機 を契 機 と して 、 資 本 主 義 経 済 は 新 しい 変 化 を 見 せ 始 め 、. そ れ を 反 映 す る 形 で 、 政 治 が 変 化 した 。 英 国 で の1979年 の サ ッチ ャー 政 権 の 誕 生 、 米 国 で の レー ガ ン 政 権 の 登 場 、 サ ー チ ャー リズ ム 、 レー ガ ノ ミ ッ ク ス と表 現 され る 、 経 済 運 営 、 政 治 信 条 、 つ ま り、 新 自 由 主 義 と い わ れ る 思 想 。 経 済 に つ い て は 、 市 場 に 任 せ る とい う考 え 。Prlvatisationと い う、 考 え、 政 策 手 法 。 「 民 営 化 」 と訳 され た り、 「 民 間 化 」、 「 私 企 業 化 」、 「 私 営 化 」 と い う訳 に。 意 味 的 に は 、 当 時 日本 で 主 張 され た 、 「民 間 活 力 の 導 入 」(民 活)に Deregulation(規 制 緩 和)と. も該 当 す る。 ま た 、. い う政 策 手 法.11)新 自 由 主 義 と呼 ぶ よ りも 、 市 場 中心 主 義 と名 づ け た. 方 が 適 切 か も しれ な い 。 日本 で は 、 中 曽根 政 権 が 提 唱 し実 施 した。 石 油 危 機 後 、 経 済 の 低 成 長 の た め 、 税 収 の 減 少,そ. こか ら 「 福 祉 見 直 し」 が 唱 え られ 、 時 同 じ. く して 、 「日本 型 福 祉 」 が 叫 ばれ た 。 低 成 長 で 税 収 の 減 少 か ら、 パ イ(ケ. ー キ)が 小 さ く な っ た. の で 、 社 会 福 祉 の 取 り分 も小 さ くす る(パ イ の 論 理)。 しか し、 こ のパ イ(ケ. ー キ)の 論 理 に は 、. 切 れ 目の入 れ 方 の 変 更 は 前 提 と され て い な い 。 小 さ くな っ て も 大 き く切 る。 大 き く切 っ て き た と こ ろ を 小 さ く して 、 社 会 福 祉 の 取 り分 を 大 き くす る とい っ た こ とは 。 日本 型 福 祉 の 中 心 は 家 族 で あ る。 同 じ く 、地 域 福 祉 や 在 宅 福 祉 が 強 く 主 張 され 、 一 部 に は 「 安 上 が り福 祉 」 と非 難 され た 。 社 会 福 祉 施 設 を新 設 せ ず 、 家 族 の 中 に と ど め て 置 く 、 あ る い は 家 族 の も と に 戻 す とい うふ うに 理 解 され た 。 在 宅 福 祉 は 、 ノー マ ラ イ ゼ ン ー シ ョン の理 念(当. 初 は障. 害 を も つ 人 に つ い て 、 現 在 で は 、 福 祉 の 利 用 者 も普 通 の 生 活 が で き る よ うに)、 か ら望 ま しい も の と考 え られ るが 、 ま た 、 同 じ く、 社 会 福 祉 に お け る利 用 者 負 担 あ るい は 受 益 者 負 担 に つ い て の 論 議 が 起 き 、 各 施 策 に導 入 され た 。 前 述 した 老 人 保 健 法 は こ の 時 期 で 、 こ の 考 え 方 を 条 文 で 表 わ した。 この 受 益 者 負 担 論 を支 え る の に使 わ れ た の は 、 公 共 経 済 学 で あ る。 公 共 財 に 国 の 費 用 を使 うべ き で あ る。 社 会 福 祉 は公 共 財 で は な い 。 社 会 福 祉 は 公 共 財 で は な い の で 、 そ の 利 用 者 は 費 用 を 負 担 す べ き で あ る と。 公 共 経 済 学 で の公 共 財 の 典 型 例 は 、 灯 台 で あ る。 しか し、深 く掘 り下 げれ ば 、 灯 台 も 、 船 舶 購 入 者 、 所 有 者 へ の 課 税 や 入 港 料 とい っ た 形 で 、 費 用 負 担 を 課 す こ と が で き る の で あ る。 す べ て の 受 益 者 を 完 全 に捕 捉 で き な い が 。 行 き 着 く と こ ろ は 、 誰 が そ れ を 公 共 財 と見 な す か で あ る。 主 権.

(10) 者 国 民 に、 そ れ に つ い て の で き る 限 りの 情 報 を 開 示 し、 判 断 を 求 め るべ き な の で あ る。 国の 「 財 政 逼 迫 」 の も と、 国 の 補 助 金 の見 直 しが 論 議 され 、 社 会 福 祉 の 補 助 金 の 見 直 しが 実 行 され た。 厚 生省 が 措 置 制 度 に つ い て 言 及 した の は 、1988(昭. 和63)年. の 厚 生 省 政 策 ビジ ョン研 究 会 名 で. 出 され た 、 『変 革 期 に お け る厚 生 行 政 の 新 た な 展 開 の た め の 提 言 』 に お い て で あ る。1993(平 5)年2月. に厚 生 省 に設 置 され た保 育 問題 検 討 会 が 、 翌94年1月. 置 制 度 の 見 直 し と存 続 の2つ. 成. に報 告 書 を 提 出。 こ の 中 で 、 措. の 意 見 が 並 記 され た 。 措 置 制 度 の 欠 点 と して 指 摘 され た の は 、 「 選. 択 の 自 由」 が な い と い うこ と。 「 選 択 の 自 由 」 と い う言 葉 は 、 新 自 由 主 義 の 主 唱 者 の ひ と りで あ る ミル トン ・フ リー ドマ ン(Milton  Friedman)の. 著 書 の タ イ トル で も あ る。 『選 択 の 自 由』(Free. to Choose,1979)正2) 見 直 し と存 続 の 並 記 だ っ た に も か か わ らず 、1997(平. 成9)年. 児 童 福 祉 法 が 改 正 され 、 保 育 所. 入 所 が 、 従 来 の 措 置 制 度 か ら利 用 契 約 制 に移 項 す る こ とに な っ た(98年4月. か ら施 行)。 た だ 、. 措 置 制 度 の 時代 か ら、 少 人 数 な が ら 自 由 契 約 児 とい う言 い 方 で 、 利 用 者 へ 保 育 サ ー ビス を販 売 し て い た。 同 じ く、97年 に介 護 保 険 法 が 成 立(2000年4月. か ら施 行)す. る。13)介護 支 援 専 門 員 が ケ. ア ・プ ラ ン を策 定 し、 そ の ケ ア(サ ー ビス)の 提 供 事 業 者 の 中 か ら 、 利 用 者 が 事 業 者 を 選 ぶ こ と に。 2000(平 成9年)に. 成12)年6月. 社 会 福 祉 事 業 法 が 改 正 され て 、 社 会 福 祉 法 が 成 立 。 厚 生 省 は1997年(平. 、 中 央 社 会 福 祉 審 議 会 に 、 社 会 福 祉 構 造 改 革 分 科 会 を設 置 。 「社 会 福 祉 基 礎 構造 改. 革 」 と い う言 葉 が 主 唱 され は じめ る 。14)保育 所 入 所 を 措 置 制 度 か らは ず し、 高 齢 者 の 介 護 に 関 し て も、 措 置 制 度 か ら介 護 保 険 方 式 に 変 え た の で 、 措 置 制 度 の 構 造 を定 め これ ま で 規 定 して き た 社 会 福 祉 事 業 法 とに齟齬 が 出 現 し、 そ れ を解 消 し な け れ ば な ら な か っ た。 新 しい 社 会 福 祉 法 は 、 契 約 制 度 とい う構 造 を 打 ち建 て るた め の も の で あ る。 社 会 福 祉 法 第6条. に あ る 、 国 の 責 務 の 条 文 は 、 「国 及 び 地 方 公 共 団 体 は 、 社 会 福 祉 を 目的 とす. る事 業 を経 営 す る者 と協 力 して 、 社 会 福 祉 を 目的 とす る 事 業 の 広 範 か つ 計 画 的 な 実 施 が 図 られ る よ う、 福 祉 サ ー ビ ス を提 供 す る体 制 の 確 保 に 関 す る施 策 、 福 祉 サ ー ビス の適 切 な 利 用 の 推 進 に 関 す る 施 策 そ の他 の 必 要 な 各 般 の 措 置 を講 じな け れ ば な らな い 」 と され た 。 これ ま で の 福 祉 サ ー ビ ス を 提 供 す る とい う想 定 か ら、 実 体 は と もか く 、提 供 す る 「 体 制 の確 保 」 に 関 して の 施 策 と 、 大 幅 に 後 退 した規 定 で あ る。 社 会 福 祉 事 業 法 第4条. の 「… 第 一 種 社 会 福 祉 事 業 は 、 国 、 地 方 公 共 団. 体 又 は社 会 福 祉 法 人 が 経 営 す る こ と を原 則 とす る 」 は そ の ま ま 残 り、 第60条 に な っ た が 、 体 制 の 確 保 に 関 して の 施 策 が 、 国 と地 方 公 共 団 体 の 責 務 と され た こ とで 、 実 体 と して は 、 ま す ま す 、 公 立 公 営 施 設 を設 置 し な い 方 向 に 行 く こ とが 予 想 され る。 反 面 、 一 層 社 会 福 祉 法 人 の役 割 が 大 き く な る。 しか し、 措 置 制 度 に よ る福 祉 サ ー ビス 提 供 は 少 な くな り、 契 約 制 度 に よ る利 用 が 多 くな る と予 想 され る の で 、 措 置 費 に よ る公 的 費 用 補 助 は 少 な くな り、 社 会 福 祉 法 人 は 財 源 確 保 に 走 ら ざ る を え な くな る。 並 行 して 経 費 節 減 に も 向 か わ ざ る を えな くな る。 明 らか に 、 当初 の 国 、 地 方 公 共 団 体 の 設 立 した 社 会 福 祉 施 設 で の 福 祉 サ ー ビス の 提 供 か ら、 規.

(11) 制 ・監 督 の 立 場 に 、公 的 責 任 が 後 退 した 。 受 益 者 負 担 論 が 展 開 され た 時 、 年 金 制 度 が 成 熟 して 、 年 金 か ら費 用 が 支 払 え る よ うに な っ て き た と主 張 され た。 今 回 編 制 され た 契 約 制 度 に も 、 そ の こ とは 背 景 と して あ る。 ま た 、 社 会 保 障 、 社 会 福 祉 は 、 国(地 方 自治 体 を含 め て公 的 に)が 供 給 す る も の で は な く、 国 民 が そ れ に 該 当 す る も の を 買 う時 代 だ とい う こ と に な る。 趨 勢 は 自助 の時 代 で あ る。 わ が 国 の 社 会 福 祉 が 、 モ デ ル と して の 北 欧 型 の 道 を 歩 む 可 能 性 もあ っ た 岐 路 か ら、 一 見 モ デ ル と して の 米 国 型 へ 進 む こ とに 舵 を 切 っ た と も言 え る か も しれ な い 。 しか し、 米 国 は 医 療 保 険 や 年 金 保 険 の よ うに 、 福 祉 サ ー ビ ス を 市 場 で 購 入 す る とい う傾 向 が あ る が 、 他 方 で 、 慈 善 事 業 団 体 や NPOに. よ る福 祉 サ ー ビス の 提 供 と い う体 制 が 確 立 して お り、 そ の 歴 史 と ノ ウハ ウ も蓄 積 され て. き て い る。 児 童 虐 待 な どの 特 別 な 問題(ニ. ー ド)は 、 公 的 に対 応 され 、 一 般 的 な ニ ー ドに 関 して は 、 需 要. 者 が 市 場 で 買 う とい う行 動 に 強 調 が 置 か れ る。 そ う した 特 定 集 団 だ け を対 象 とす る施 策 に つ い て 、 国 は 責 任 を負 う。 費 用 も負 担 す る(も ち ろ ん これ ま で 同 様 、 全 額 で は あ り得 な い が)。 そ の 特 定 集 団 に 入 らな い 人 は 、 市 場 で購 入 す る。 そ うい う時 代 に 向 か い つ つ あ る。 こ の 夏 、 通 称 ホ ー ム レス対 策 法 案(ホ ー ム レス の 自立 の 支 援 等 に 関 す る 特 別 措 置 法)が 議 員 立 法 で 成 立 を 見 た 。 国 と地 方 公 共 団 体 の 責 務 を 明 示 した こ とは 、 評 価 で き る と の コ メ ン トが 新 聞 紙 上 に 載 っ た が 、 現 行 の 生 活 保 護 法 は 法 文 上 ど こ に も、 い わ ゆ る ホ ー ム レス は 対 象 外 と は 明 記 され て い な い。 法 の 趣 旨か らは 対 象 で あ る の に 、 法 運 用 の 過 程 で排 除 して き た だ け で あ る。 生 活 保 護 法 に は 、 生 活 困 窮 者 に対 して最 低 生 活 の 保 障 を す る こ とが 、 国 の 責 任 と は っ き り と明 記 して あ る。 生活 保護 法 を、 「 セ ー フ テ ィネ ッ ト」 と言 う人 も い るが 、 それ を用 い れ ば 、 「 ネ ッ ト」 が 二 重 に 張 られ て い る訳 で は な く 、2つ の 「 ネ ッ ト」 が 並 行 して 張 られ て い る、 あ る い は 張 る こ とに な る。 ホ ー ム レス と言 わ れ る人 た ち の 「 ネ ッ ト」 とそ うで な い 人 た ち の 「 ネ ッ ト」 に。 生 活 保 護 法 の 無 差 別 平 等 の原 則 を踏 み に じ り、 生 活 困 窮 者 を 差 別 して2分 す る こ と を導 入 した と言 え る。 「 救済 に 値 す る ホ ー ム レス 」 と 「 救 済 に 価 しな い ホ ー ム レス 」 に 。19世 紀 の 終 わ り頃 、 英 国 の 慈 善 組 織 協 会(C.O.S)が. 、 唱 え 、 実 行 して い た 、 「 救 済 に値 す る貧 民(the deserving  poor)」 と 「 救 済 に価. しな い 貧 民(the undeserving poor)」 とい う分 類 と処 遇 の 「 新 しい バ ー ジ ョン 」 と言 え る。 特 定 集 団 だ け を対 象 とす る社 会 的 施 策 とい う点 か らす る と、 社 会 福 祉(Social 会 事 業(Social. Work)へ. Welfare)か. の 後 退 と 見 る の か 、 社 会 福 祉 か ら 「新 しい 社 会 福 祉(Social. ら社. Well-being. Policy)」 へ の 移 項 と認 識 す る の か 、 も っ と詳 細 な 議 論 が 必 要 だ が 、 社 会 福 祉 が 新 しい 段 階 ・形 態 に入 っ た と言 え る の で は な い だ ろ うか 。15). 3.あ. た ら し い 自助 の 時 代 に. 資 本 制 社 会(資 本 主 義)成 立 当 初 の 英 国 で は 、 労 働 者 で あ る こ とか ら 自助 が 要 請 され た が 、 比 較 的 豊 か な 労 働 者 は 、相 互 扶 助 組 織(友. 愛 組 合)作. 医療 保 険 の組 合 に 、 ま た 、 友 愛 組 合 は 事 後 救 済(失. っ て 、 助 け 合 お う と した 。 友 愛 組 合 が 、 後 に 、 業 手 当 、 疾 病 手 当 、 遺 族 手 当 等)が. 中心 だ っ.

(12) た の で 、 事 前 救 済 に 力 点 を 置 く組 合 が 出 現 し た(現 者 協 同 組 合(消. 費 者 生 活 協 同 組 合:生. 協)に. 在 、 労 働 組 合 と 呼 ば れ る も の)。 ま た 、 消 費. 分 化 した 。. こ こ か ら 、 そ し て 、 今 の 日本 で 起 っ て い る 現 実 か ら学 べ る こ と は 、 市 民 に よ る 新 し い 、 そ して 、 さ ま ざ ま な 相 互 扶 助 組 織 を 作 っ て 、 そ れ を 利 用 し て 生 活 を し て 行 く こ と。 消 費 者 契 約 法 、 情 報 公 開 法 、 情 報 公 開 条 例 等 、 使 え る も の を 最 大 限 に 使 っ て 、 賢 く 生 き て い く.16) 税 金 に を 払 っ て い る の だ 。 そ ん な 施 策 な ら税 金 を 払 い た く な い 、 あ な た の 政 党 に は 投 票 し な い 。 他 方 で、社 会福祉や. 「社 会 福 祉 も ど き 」(私 企 業 が 販 売 す る 商 品 と し て の. て 、 買 っ て の 経 験 を 市 民 が 共 有 す る 。 情 報 の 共 有 、IT時. 「社 会 福 祉 」)を 利 用 し. 代 と言 わ れ る の に 乗 っ て 。 そ して 、 社. 会 的 施 策 、 制 度 を 市 民 が 作 っ て 行 く 、 よ り よ い も の に 作 り変 え て 行 く と い う こ と が 求 め ら れ る。. (註) 1)木. 村 忠 二 郎 著 『社 会 福 祉 事 業 法 の 解 説 』、 時 事 通 信 社 、1951年 、p.7。 社 会 福 祉 事 業 とい う言 葉 は 、 永 井 亨 が1923(大. 正12)年. の 『社 会 政 策 網 領 』 の 中で 使 用 して い る。 吉 田. 久 一 著 『日本 社 会 福 祉 理 論 史 』、 勁 草 書 房 、1995年 、p.91。 2)孝. 橋 正 一 著 『現 代 資本 主 義 と社 会 事 業 』、 ミネ ル ヴ ァ書 房 、1997年 、pp.2∼11。. 3)吉. 田 久 一 編 著 『戦 後 社 会 福 祉 の展 開 』、 ドメ ス 出版 、1976年 、p.86。 同 著 『社 会 事 業 理 論 の 歴 史 』、 一 粒. 社 、1974年 。 4)吉. 田久 一 著 『日本 社 会 福 祉 理 論 史 』、勁 草 書 房 、1995年 、P.174。. 5)同. 書 、pp.180∼1。. 6)同. 書。. 7)一. 番 ヶ瀬 康 子 著 『社 会 福 祉 事 業 概 論 』、 誠 信 書 房 、1964年 、pp.114∼7。. 岡村 重 夫 著 『全 訂. 社 会福祉. 学(総 論)』、柴 田書 店 、1968年 。 分 野 を ど う構 成 す るか に つ い て 、詳 細 な議 論 を展 開 しな け れ ば な ら な い が 、 本 稿 の テ ー マ は そ れ で は な い の で 、 便 宜 的 な 分 野 の構 成 で 以 下 展 開 した。 一 番 ヶ瀬 康 子 の分 野 の 構 成 に つ い て は 、拙 著 「 社 会 福 祉 理 論 の性 格 に 関 して の 考 察 」(『名 古屋 市 立 大 学 人 文 社 会 学 部 研 究 紀 要 』 第12 号 、2002年3.月. 刊 所 収)参. 照。 岡村 重 夫 の分 野 の構 成 につ い ては 、拙著. (『同 朋 福 祉 』 通 巻26号 、1998年3月 8)言. 刊 所 収)参. 「岡 村 理 論 に つ い て の 一 考 察 」. 照。. うま で もな く、 社 会 保 障 制 度 審 議 会 が 日本 の 社 会 保 障 制 度 の形 成 、 展 開 に 果 た した 役 割 は 、 詳 細 な 歴. 史 的 検 証 が必 要 で あ る。 社 会 保 障 制 度 審 議 会 は 、2001(平. 成13)年1.月. か らの 省 庁 再 編 に よ っ て 、 社 会 保. 障 審 議 会 に と っ て か わ られ た 。 大 き く 変 わ っ た の は 、 内 閣 総 理 大 臣 の 諮 問機 関 か ら厚 生 労 働 大 臣 の諮 問 機 関 に な っ た こ と、 そ して 、 さ らに 特 徴 的 な こ とは 、 首相 へ の勧 告 権 限 が な く な っ た こ とで あ る 。 こ こか ら 推 察 され る こ とは 、 「国 民 に とっ て 、社 会 保 障 制 度 は 重 要 で は な い」 との 再 編 した側 の 認 識 で あ る。 9)今. 日、 ベ ヴ ァ リッ ジ の5つ の 悪 の 巨 人 とそ の 攻 撃 策 、 そ の 体 系 の 検 討 は た い へ ん 重 要 と考 え て い る。. 10)拙. 稿、前掲。. 11)拙 著. 「 イ ギ リス 社 会 福 祉 研 究 ノ ー ト(4)」(『. 同 朋 大 学 論 叢 』 第53・54合 併 号 、1986年3月. 刊 行 所 収). 参 照。 12)フ. リー ドマ ン の 考 え 方 の 骨 格 は 、1962年 刊 行 の 『資 本 主 義 と 自 由』 に展 開 され て い る。 同 時 代 の批 判 と. して は 、Titmuss,  RM,Cholce. and 「TheWelfare State' in"Commitment to Welfare",1968,pp.138∼152.三. 浦 文夫. 監 訳 『社 会 福 祉 と社 会 保 障 』 東 大 出版 会 、1971年 。 フ リー ドマ ン の 考 え につ い て の 簡 単 な 案 内 は 、Barry, Norman, 'Friedman' in Vic George & Robrt Modern. Page(ed.),. Thinkers of Welfare, 1995.. 13)筆 者 に は 、 こ の介 護 保 険 法 の 導 入 が 、 政 権 交 代 が あ り得 る こ と と高 齢 者 へ の 対 策 に継 続 的 に 充 分 予 算 を 確 保 で き な い とい う見 通 しを も っ た 一 部 の厚 生 官 僚 た ち の 、 切 羽 詰 ま っ た(そ. の 意 味 で は 拙 速 な)、 制 度.

(13) と して の 見 通 しや 精 緻 さ を 欠 い た 、 に わ か づ く りの 案 と しか 思 え な い 。 当初 の 「高 齢 者 保 健 福 祉 十 ヵ年 戦 略(ゴ ー ル ドプ ラ ン)」 との つ な が り、 整 合性 が ま るで 見 え な か っ た 故 に。 14)こ. の 「基 礎 構造 改 革 」 を 中 心 に な っ て進 め て きた の は 、 当 時 の 炭 谷 茂 社 会 局 長 で あ る。 将 来 彼 が この 取. 組 み の 回 顧 を表 わ す とす れ ば 、 黒 木 利 克 に な ら っ て 、『日本 社 会 福 祉 現 代 化 論 』 と い う タ イ トル を つ け る か も しれ な い 。 黒 木利 克 著 『日本 社 会 事 業 現 代 化 論 』1958年 刊 行 。 15)あ. る 面 、 孝 橋 正 一 の 言 う、 資 本 主 義 社 会 で あ る 限 り社 会 事 業 で あ る とい う指 摘 は 妥 当す る と言 え るか も. い れ な い 。 し か し、 孝 橋 の 社 会 事 業 の 捉 え 方 に つ い て は 、 「こ の 種 の 理 論 は 、 一 般 に 、 先 進 資 本 主 義 国 に お い て 、 十 九 世 紀 末 か ら二 十 世 紀 初 頭 に 発 展 した 社 会 改 良 諸 施 策 の 一 定 の 部 分 を 分 析 の 素 材 と しつ つ 構 築 され て い る。 しか しな が ら 、 か か る理 論 も 、 そ れ が ひ とた び 成 立 す るや 、 あ た か もそ れ に よ つ て 異 な っ た 展 開 の 段 階 に あ る資 本 主 義 社 会 の 社 会 福 祉 的 諸 施 策 を 一 様 に 解 明 し うる と主 張 す る か の ご と くで あ る 。 す な わ ち 、 そ う した 理 論 は 、 資 本 主 義 の 異 な っ た 展 開 の 段 階 に お い て 出現 し、 そ れ ぞ れ に性 格 と内 容 を 異 に す る諸 施 策 の す べ て を 、 一 時 的 ・普 遍 的 に 解 明 しよ うとす る も の だ と い っ て よ い 。 だ が 、 い わ ゆ る 社 会 改 良 の 時 代 に 出 現 し、 あ る い は 変 容 した 、 特 殊 に 歴 史 的 な 施 策 を理 論 構 成 の 素 材 と した 枠 組 に よ っ て 、 そ れ 以 前 と以 後 に お け る施 策 の あ りよ うを過 不 足 な く解 明 し うる で あ ろ うか 」 と い う指 摘 は 、 的 を 射 た もの で 、 肝 に 命 じな け れ ば な ら な い 。 右 田 紀 久 恵 、 高 澤 武 司 、 古 川 孝 順 編 『社 会 福 祉 の 歴 史-政 策 と 運 動 の 展 開 -』 、 有 斐 閣 、1977年 所 収 の 「序 章  社 会 福 祉 政 策 の形 成 と展 開-史 的 分析 の 視 点 と方 法-」pp.3∼4。 16)行 政 手 続 法 の 制 定 過 程 で 、 社 会 福 祉 は 適 用 除 外 と され 、 法 の 適 用 除 外 条 項 に す ら含 め られ な か っ た が 、 行 政 手 続 法 の適 用 を 求 め て行 く こ と も取 り組 ま れ な くて は な らな い。. 参 考 文 献 ・資 料 1  孝 橋 正 一 著 『現 代 資 本 主 義 と社 会 事 業』、 ミネ ル ヴ ァ書 房 、1977年 。 2  真 田是 、 一 番 ヶ瀬 康 子 編 『社 会 福 祉 論 』、有 斐 閣 、1968年 。 3  右 田紀 久 恵 、 高 澤 武 司 、 古 川 孝 順 編 『社 会 福 祉 の 歴 史-政 4  古川 孝 順 著 『社 会 福 祉 基 礎 構 造 改 革-そ. 策 と運 動 の 展 開 −』、 有 斐 閣 、1977年 。. の 課 題 と展 望-』 、誠 信 書 房 、1998年 。. 5  吉 田 久 一 著 『日本 社 会 福 祉 理 論 史 』、 勁 草 書 房 、1995年 。 6  宮 田 和 明 著 『現 代 日本 社 会 福 祉 政 策 論 』、 ミネ ル ヴ ァ 書 房 、1996年 。 7  池 田敬 正 、 土 井 洋 一 編 著 『日本 社 会 福 祉 綜 合 年 表 』、 法 律 文 化 社 、2000年 。 8  厚 生 省 社 会 ・援 護 局 企 画 課 監 修 『社 会 福 祉 基 礎 構 造 改 革 の 実 現 に 向 け て − 中 央 社 会 福 祉 審 議 会 社 会 福 祉 構造改 革分科会. 中間 ま とめ ・資 料 集 −』、 中央 法 規 出版 、1997年 。. 9  社 会 福 祉 研 究 会 編 『わ か りや す い社 会 福 祉 法 』、 中央 法 規 出 版 、2001年 。. (付 記 、 本 稿 は2001年 大 学 主 催 の 公 開講 座 で の原 稿 に加 筆 した の で あ る。).

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