この本は、「土壌は、物質循環の要であり、生物多様性を 育む場所である。食糧生産や木材生産、様々な資材の宝庫で もある。そして、地球の自然構成要因の一つであり、地球生 態系を支え、人類をはじめとする生命の生存基盤である。こ の貴重な土壌が、今まさに危機に瀕している。」(p.4)と いう著者の認識の下、多くの国民(特に子ども、青年)に「土 壌リテラシー」を身に付けてほしいという願い(著者の博士 論文)をまとめたものである。 なぜ土壌リテラシーなのか、「文明の進展に伴って森林伐 採が進み、農耕や牧畜の無秩序な発展によって土壌崩壊が生 じ、文明は衰退していった。」(p.1)ことなどから、土壌 の持つ多様な機能について知り、土壌劣化あるいは土壌破壊 に対する解決策を探っていくような人間に育って欲しいとい うことに尽きよう。なるほど、土壌が多様な機能、例えば水 を浄化したり、あるいは保水したり、呼吸したり、植物の生 育に必要な養分を蓄えたり、有機物を分解する作用を行って おり、何よりも食糧生産の基盤でもあり、また森林資源の生 産基盤でもあるという認識については多くの人が共有できる 点であろう。 こうした土壌リテラシーを身に付けるために、幼児や児童、 青年、そして成人に至るまでの学習プログラムを作り上げて いく過程に著者の熱意と努力を実感できる一冊である。 本書の構成は以下のようになっている。 序 章 研究の意義と方法 第1章 土壌リテラシーの概念規定と土壌教育の歴史 第2章 初等中等教育に於ける土壌教育の現状と課題 第3章 土壌リテラシーの育成に向けた土壌教育の在り方と 方策 第4章 土壌への関心を高め、理解を進める土壌教材の開発 及び土壌授業の改善 第5章 土壌リテラシーを高める土壌教育実践とその評価 第6章 土壌リテラシーを育成する教科横断型土壌教育の構 築と実践 第7章 幼稚園児および小学生、大学生、成人の土壌教育 第8章 諸機関等と学校教育との連携に基づく土壌教育の模 索と実践及び課題 終 章 本研究の成果と今後の課題 序章で展開されているのは、農業技術の進化とそれに伴う 負の側面である。「19 世紀には農業技術革新が爆発的に起こ り、20 世紀に入ると農機具が実用的に使われ、播種機や収穫 機、運搬機、耕運機などが発明されていき、大型化していっ た。また、穀物などの品種改良が進み、第二次大戦後には肥 料と農薬の使用が増していくとともに農業生産性は急速に増 大していった。・・・しかし、これらの農業技術の活用は次 第に土壌劣化を引き起こす要因となり、過耕作や過放牧など が加わって、深刻な土壌破壊・汚染が地球的規模に広がって いる。その主因は、人類の土壌への様々な不適切かつ過剰な 働きかけにあることが指摘されている。」(p.2)とし、さ らに「世界の土壌劣化・浸食の進行や耕作面積拡大の鈍化な どに加えて、気象異変などにより、食糧増産は停滞し始めて いる。」(p.2)ことを指摘している。 このような認識に立って、「土壌認識の向上及び適切な土 壌管理を支援する社会意識の醸成、土壌教育の普及啓発を強 く求め」(p.3)られていることに応えようと言うのである。 さて、わが国の状況について、「食料の約6割(食糧の約 7割)、木材の約7 割を海外に依存している。しかし、その 基盤が劣化しており、気候変動などの影響も加わって地球の 自然や食糧生産などを危うくしている。」(p.4)とし、さ らに「我が国の農林業社会から工業社会への転換や薪炭から 石炭・石油への変化により、自然あるいは農林業に関わる仕 事や生活が激減していったことや学校教育の中で土壌内容や その取扱いが減じて行ったこと」(p.4)などが土壌リテラ シーを乏しい状況にしていると指摘。以上のような認識から 著者は「土壌リテラシー」の育成が重要だと思うようになっ たのだという。ここで著者が焦点を当てているのは学校教育 及び社会教育などでの展開を中心としている点であろう。 ところで、わが国の土壌教育研究については、明治前期に 始まるお雇い外国人などの紹介があるが、具体的な土壌研究 あるいは土壌教育についての内容と方法をどのように導入、 紹介したのかという点に筆者は触れていない。わが国にはい くつかの農書が著されてきたことについては著者も触れてお り、また江戸時代末から明治にかけて、老農と言われる人た ちが土壌や耕作法、耕作物などに関する知識や技術などを記 述し、新しい農法を生み出していたことも知られている。し かし、明治政府および各府県などは、それらの伝統的な農法 とは異なり、積極的に欧米の農法を導入しようとして、お雇 い外国人を呼び寄せた。これらの農業に関わるお雇い外国人 の多くは、日本の気候・風土および作物等についての認識お よび理解が十分とは言い難く、母国の農業、耕作技術などを 紹介するに留まることが多かったとも言われている。そんな 中で、わが国の気候、風土に適した農業技術を研究し、貢献 したのはケルネルがその嚆矢だとも言われてきたが、この点 (書評)
福田 直
著
『土壌リテラシーを育成する土壌教育の開発』
沼口 博(大東文化大学名誉教授)
『土壌リテラシーを育成する土壌教育の開発』─ 61 ─
については記述されていない(お雇い外国人、マックス・フ ェスカはわが国の全国の土性調査を指導し、また日本の近代 農学の育成に貢献したと言われているが、在来の老農的農法 には批判的だった)。 続いて著者はわが国の学校教育の中での土壌教育の現状に 触れ、土壌教材や指導方法・分析方法、土壌教育・土壌リテ ラシー、環境教育、文化土壌、普及啓発、学習指導要領にお ける土壌の取扱い等について紹介している。各項目の末尾に は参考論文・著作等が羅列してあるが、それらに対する紹介、 解説がなく、まことに残念に思われる。各参考論文・著作等 が土壌教育に関してどのように位置づけられるのか、具体的 な評価を含めた紹介と解説があれば土壌教育の課題がさらに 明確になったのではないかと悔やまれる。 第一章:土壌リテラシーの概念規定と土壌教育の歴史では、 著者自身が土壌リテラシーの概念を科学リテラシーの定義を 参考にしながら、「自然界あるいは人間によって造られた自 然における土壌を科学的に理解し、その課題を発見し、科学 的知識を用いて解決策を導き出し、土壌保全に向けた考えや 態度、判断力を持ち、意思決定、行動ができる能力。」(p.33) と定義している。参考にした科学的リテラシーのとの違いは 意思決定と行動力となるが、この点は土壌教育の実践上の課 題とつながることを意味しており、重要な視点だと思われる。 「地球上の土壌劣化は、拡大し続けている。特に、食糧生産 と直結する耕作地の土壌劣化は深刻である。耕作地は人類と の関わりが強く、正しい働きかけが欠かせない。それには、 土壌の特性や機能をよく知る必要があり、土壌教育が重要と なる。」(p.56)として実践的な課題との関わりを重視して いる。この章のまとめでは「児童・生徒から成人の土壌リテ ラシーの育成に向けた学校教育等における土壌教育の在り方 を模索し、その実践を通して構築することである。」(p.56) と結んでいるが、著者の目的でもある食糧生産を行う耕作地 の土壌劣化に関する対応が見られないのは残念でならない。 第二章では初等中等教育における土壌教育の現状と課題に ついてまとめている。特に冒頭のアメリカにおける学習指導 要領(州ごとに異なるが)の中の土壌指導内容・項目あるい は教科書の土壌記載内容が日本とは大きく異なるとして、ア メリカと日本との違いについて、「アメリカでは土壌劣化が 進んでおり、土壌保全が極めて重要とされている。一方、日 本では深刻な土壌問題が比較的少ない。」「アメリカでは、 1930 年代に穀倉地帯の中央プレーリーで深刻な土壌侵食「ダ ストボウル」が発生し、1935 年に土壌保全法が制定された。 また、1980 年にスーパーファンド法(土壌汚染対策立法)、 1985 年に農業法(浸食防止法)が制定され、土壌保全対策が 進んでいる。一方、日本では2002 年に土壌汚染対策法が制定 されたが、両国の土壌保全に対する取組みに大きな違いがあ る。」(pp.58-59)などとして、日本とアメリカの土壌問題 に対する姿勢の大きな違いを指摘している。 しかし、わが国に深刻な土壌問題がないわけではない。著 者も触れているように、わが国では古くから水害などの自然 災害から耕地を守るための治山、治水に取り組み、江戸時代 には山林の保護・育成、新田開発や干拓などと併せて堆肥づ くりや厩肥、肥溜めなどの利用をとおして土づくりが行われ てきた。また、明治後期の足尾銅山鉱毒事件では渡良瀬川の 鉱毒による汚染や谷中村が廃村(土壌汚染)になるなどの事 件があり、戦後も水俣病や阿賀野川水銀事件や神通川下流域 で発生したイタイイタイ病など、水質汚染、土壌汚染に起因 する事件が発生し、それに対する対応策も一応は取られてき たところである。しかし、こうした事件などはわが国の学校 教育にきちんと反映されておらず、わが国の学習指導要領に 問題があると見る著者には首肯できる(この背景には、わが 国政府がきちんとした対策と対応を取ろうとしてこなかった 政府の姿勢にも責任があるように思われる)。 さて、このような中で、日本の「児童・生徒の土に対する 興味・関心は低く、基本的な知識や理解が乏しいことが明ら かとなった。また、小学校や中学校、高等学校の理科教師で 大学時に土壌を学習した割合が低く、その後の教員研修会等 で土が取り上げられる機会も乏しいことから、土壌理解が進 まず、土壌を積極的に取り合上げ、指導する教師が少ないこ とが明らかとなった。」ことは確かに問題であろう。その背 景には学習指導要領の変遷が大きく関与しており、1989 年の 改定で、「小学校理科3 学年の単元「石と土」が削除され、 小学校で土を学習する機会が失われた。」(p.87)こと、そ れ以降の教科書にも問題があることを明らかにしている。土 壌に関する教科書の記述の違いがアメリカと日本で異なる背 景には農林業を取り巻く環境の違いも大きく関わっているだ けに留まらず、教科書発行の違い(検定教科書か否か)や、 文科省の土壌や環境に関する取り扱い方、教員養成のあり方 などにも問題があるように思われる。教科書の比較だけに留 まらず、指導要領の改訂の在り方や教員養成制度などにも視 点を広げて論を展開してもらえると問題の所在がさらに明確 になったのではないかと思われる。 第三章では海外との土壌教育を比較するために、海外13 ゕ国の教科書を通して、土や土壌に関する記述に関して詳し く比較検討をしている。その結果、「欧米諸国のアメリカ型 とアジア諸国の日本型に大別されることが判明した」(p.98) という。但し、教科書の国際比較は大変興味深いものではあ るが、教科書の出版事情(自由発行か検定教科書か、また、 無償配布か有償かなど)などにも考慮する必要があるように 思われる。日本の状況からいえば、アメリカの教科書のよう に分厚い教科書を作成するのは難しいことは著者も指摘して いる通りである。さらに、学習指導要領の変遷はわが国の産 業構造の変化に対応して、「「農業」や「林業」、「土」あ るいは「土壌」などの用語や記述は激減していった。」(p.139) というが、産業構造の変化という点では、他の欧米諸国でも 同様の状況が想起されるところであるが、なぜ欧米と日本の 間に違いが生まれたのか、その背景にも迫ってほしかった。 また、前述のように「小学校理科で長く取り上げられてき た「石と土」が削除され、小学校で土を学習する機会が失わ れた。」(p.139)。そのために、小学校の低学年から中学年 にかけて重要だと思われる土壌リテラシーの基礎を築くため 「産業教育学研究」第 50 巻第 1 号 2020 年 1 月
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に、文科省に「石と土」の復活などに関する要望書をまとめ て提出したことなどを紹介しているが、極めて妥当な判断だ と思われる。 第四章では土壌に興味や関心を持ち、科学的に探求しよう という教材の開発が紹介されている。土壌呼吸、土壌粒子、 土壌吸着、土壌浄化、植物遷移と土壌形成、ミニ土壌断面モ ノリス、土壌中の水の浸透に関する教材開発を著者は積極的 に行い、その教材が全国各地で活用されている状況がまとめ られている。これらの教材は土壌リテラシーの育成にとって 重要かつ基礎的な役割を果たすものと思われる。著者の努力 の多くがこれらの教材開発につぎ込まれており、その努力に は敬服する。ただ、土壌リテラシーの育成という点からすれ ば、序章で提起してある土壌劣化をどのように防ぐのかとい うことに焦点を当てた教材、化学肥料や農薬、堆肥や厩肥え 等の利用や大型農業機械などが及ぼす土壌への影響などによ って、どのような土壌の変化が生じるのかを明らかにできる 教材を提示する必要もあったのではなかろうか。但し、「簡 単で面白く、わかりやすい5感分析する定性分析的視点に基 づくこと、材料が安価で入手しやすいこと、などを重視した」 (p.167)教育現場で利用しやすい「土壌リテラシー」育成の ための教材の開発に尽力された点は大いに評価されよう。 第五章では第四章で紹介した開発教材を使って実際に授業 実践をし、そこから得られた感想やアンケート調査を分析、 評価した結果が紹介されている。今日の教育改革の流れから 考えれば、土壌リテラシーを高めるための土壌教育の在り方 として「断片化された知識や技能ではなく、人間の全体的な 能力をコンピテンシーとして定義し、それをもとに目標を設 定し、教育施策をデザインしようとする方向にある」(p.238- 239)として、「土壌教育は、理科や社会科をはじめ、多くの 教科科目との関わりの中での構築が必要である。」(p.239) という結論を導き出している。こうした方向性は正しいもの と思われる。しかし、どうすればそれが解決できるのか、難 しい課題でもある。また、「自然界においては、植物(生産 者)が作った有機物を消費者(動物:植(草?)食動物→肉 食動物)が食べ、植物及び動物が死ぬと土壌動物や土壌微生 物によって無機物にまで分解され、それが再び植物に吸収さ れる、というダイナミックな物質循環が生じている。しかし、 中学生あるいは高校生はこのようなダイナミックな物質循環 を理解し切れていない。」(p.236)という課題に対して、ど のような対策が考えられるのかを探ることも求められている のではなかろうか。いずれにしろ著者が開発した教材を使っ た授業実践を通して子どもたちが土壌の不思議に迫っていく 様子は大変興味深いものである。 第六章では、上記第五章の結論に沿う形で教科横断的な土 壌教育の実践が展開されている。中学校あるいは高等学校で 実際に実践された授業が紹介されている。学校全体で取り組 むために教科担当者会議を設け、校長を通して全校教職員へ の説明と共通理解と認識を図った。こうした基礎の上に従来 型授業よりも教科横断的な授業のほうが、土壌への関心・理 解が高まるという結果をもたらしたという。確かにこうした 授業を編成するためには校長などの学校管理職者の理解と教 師集団の共通した意識が必要となってこよう。こうした認識 を校内の教職員でどのように作り上げていくのかが課題であ ろう。そもそも今日のわが国の公立学校で、こうした授業が 展開できるようにするためには、学校ごとに教育課程を編成 できる柔軟性が求められよう。いくつかの公立学校で試行が 続けられているが、なかなか全国的に展開されるまでには至 っていない。こうした教育実践が展開できる学校を作り上げ るには何が必要なのか、具体的な提案があれば今後の発展に 繋がるのではないかと思われた。 第七章では幼少期から成人に至るまで、土壌教育を欠かさ ずに実践することが必要になってくるという。「特に、幼少 期は自然に対する生涯の土台を築く大切な時期であり、様々 な自然体験を5感を使って積極的に実践し、土に対する感性 を身に付けて欲しい時期である。」「産業発展に伴う高度経 済成長を実現した一方で、農山村地帯の里山里地の崩壊や文 化・伝統の継承の喪失など、失ったものも多い。」(p.323) と言う。こうした状況を変えていくためにも著者が提案して いるように様々な自然との触れ合いや体験、観察、実験、そ してグループ討議や意見交換、発表等が益々必要とされてい ることは明らかであろう。「土壌リテラシーの育成には、土 壌教育の実践が関心・理解を高め、「態度」・「技能」がア ップし、「評価能力」・「参加」につながることが必要であ り、最も重要な参加や行動に反映されていくことが目標であ ったが、十分には達成されなかった。この点が、環境教育の 抱える課題であるとともに、土壌リテラシー育成にも欠かせ ない目標である。」(p.325)とする著者の見解は至極妥当な ものである。著者が提示した「土壌リテラシー」の中に解決 への十分な手がかりが含まれていなかったとすれば大きな問 題ではなかろうか。 第八章では「大学や学会、国や地方の行政機関、都道府県・ 市町村総合教育センター・教育研究所、生涯学習機関・施設 (博物館・動物園・植物園・水族館・公民館・図書館・野外 活動センター・ビジターセンター・少年自然の家等)、研究 所・試験場、民間企業、試験研究機関等の外部諸機関と学校 との連携に基づく土壌教育を開発し、その実践を通して、大 きな成果が得られた。」(pp.368-369)という。諸機関との 連携に基づく土壌教育実践は子どもたちにとっても、また成 人にとっても大きな意味を持っているという。確かに諸機関 との連携は必要であろうが、本来の目標である「土壌リテラ シー」が土壌劣化への対応に生かされなかったとすれば、「土 壌リテラシー」の内容そのものの再検討が必要となるのでは なかろうか。 終章ではこの研究の成果と課題をまとめている。主な成果 として「①土壌教育の歴史的解明、②学習指導要領の変遷に よる土壌の取扱いの変化の背景の解明、③諸外国と日本の土 壌教育比較、④定性的視点に立った土壌教材の開発・実践、 ⑤教科横断型土壌教育の開発・実践、⑥生涯学習的視点に立 った土壌教育の開発・実践、⑦諸機関と学校との連携に基づ く土壌教育の開発・実践などである。」(p.372-373)として 『土壌リテラシーを育成する土壌教育の開発』
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いる。しかし著者のまとめでは、わが国の土壌劣化をどう捉 え、それに対してどう対応すればいいのかという視点が欠落 しており、そのために、著者が提起する「土壌リテラシー」 は土壌劣化への現実的対応を見いだせないものに終わってい る様に思われる。 わが国が温暖なモンスーン気候帯に位置しているために、 豊かな降雨量や温暖な気候、そして何よりも古くから治水や 土づくりなどの対策等により土壌保全がある程度保たれ、急 激な土壌劣化が見られないようにも思われるが、台風や地震 などの自然災害に悩まされ続けてきた国土であることも確か である。また、明治以降の急速な近代化は各地に様々な公害 を引き起こし、足尾などでは未だに鉱毒の中和と山林の再生 が百年にも亘って続けられてきているところである。こうし たわが国の土壌汚染や劣化、破壊などに目を向け、それらが なぜ学校教育現場に反映されなかったのか、また全国的に普 及していかなかった原因はどこにあるのかという視点から捉 えなおす必要もあるのではないかと思われる。 したがって、「将来保育士あるいは教師を志望している幼 児教育学系及び教員養成系の大学・短期大学の学生に対する 土壌教育実践では、土壌への関心・理解は高まったものの将 来の教育活動の中での土壌の取扱いに対する意欲や考えが必 ずしも十分ではないことが分かった。そのため、土壌リテラ シー教育や土壌保全に向けた参加、行動への発展・転化に必 ずしも反映されていないことが明らかとなり、大きな課題で あると考えている。成人では保全の考えや態度、行動が不足 しており、生涯学習の観点からの土壌教育の不断の積み重ね が必要であることが判明した。」(p.380)という結論に至っ た要因について再度、詳しく分析してみる必要があるものと 思われる。 今後の課題として①学習指導要領における土あるいは土壌 の取扱い、②教科横断型授業の構築、③他機関との連携づく りの簡素化、④開発教材の取扱い、⑤生涯学習的視点を挙げ ている。 著者の土壌リテラシーの育成のための教材開発や海外との 比較研究などはそれなりに評価できるものである。ただ土壌 を対象にする場合、どのような視点から土壌を捉えるかによ ってリテラシーの内容が変わってくる。著者が序章で展開し ている食糧生産や森林資源の生産基盤としての土壌保全、あ るいは開発という視点から見るならば、土壌劣化や破壊の原 因を明らかにして、それらの原因を取り除くために何が必要 とされているかということも「土壌リテラシー」の中に入ら ざるを得ないのではなかろうか。こうした視点から見ると著 者が提起している「土壌リテラシー」で十分なのだろうかと 思われる。 著者が「土壌は、物質循環の要であり、生物多様性を育む 場所である。食糧生産や木材生産、様々な資材の宝庫でもあ る。そして、地球の自然構成要因の一つであり、地球生態系 を支え、人類をはじめとする生命の生存基盤である。この貴 重な土壌が、今まさに危機に瀕している。」(p.4)という課 題に応えるための「土壌リテラシー」を定立するとするなら ば、序説にもあるように、土壌の危機が農業の近代化および、 近代産業の活動の結果生じてきており、それに対する解決策 を与えるような「土壌リテラシー」でなくてはならないので はなかろうか。 確かに著者が開発した各種の実験や観察法は誰にでも扱い やすく優れたものと思われるが、土壌問題の解決(土壌の劣 化や流出、汚染、破壊など)のためのリテラシーなのかとい う点では、著者の提起する「土壌リテラシー」をわが国の土 壌問題の解決にもつながる「土壌リテラシー」とは何かとい う豊かな内容に組み替えていくことが求められているのでは ないかと思われる。 *なお、p.15 の「水俣病(長崎と新潟)」は熊本と新潟の 間違いと思われるし、p.24 の「20 世紀初めには、外国から土 壌研究者が招聘された」は19 世紀末の誤りだと思われる。多 くのお雇い外国人は明治30 年代の終わりころまでには日本 人研究者や学者に入れ替わることになる。さらに送り仮名や 誤字が多数あるのが気になった。校正ミスであろうか? また、著者が所属する日本土壌肥料学会ではわが国の土壌 劣化について詳しく分析した報告書もあるようで、それらを 参考に「土壌リテラシー」を提起出来なかったのだろうかと いう点も悔やまれる。 (風間書房、2019 年2月刊) 「産業教育学研究」第 50 巻第 1 号 2020 年 1 月