<論文> JAITS
通訳者はいかにコミュニケーション摩擦に関与するか
−中国の日系企業における社内通訳者の実例分析を通じて−朱 藹琳
(神戸大学大学院博士後期課程)
The present study attempts to explain the behavior of interpreters when communication problems occur, focusing on cases involving Japanese companies in China. Semi-structured interviews were conducted with seven in-house interpreters, and twelve instances of communication problems were identified and analyzed. Following Baker(2006), the present draft argues that interpreters do not merely find themselves “caught up in” communication problems but rather actively participate in the process. Interpreters use various strategies to settle conflicts when they occur and do what they can to prevent communication problems from occurring. However, cases were identified where employees tried to shift the responsibility for the problem to the interpreters. Even in cases where the interpreter seemed to be managing the situation well, they were often actually emotionally confused or conflicted, and as a result tried to distance themselves from the situation. In this study, interpreters were found to serve as a “buffer” when communication problems occurred.
1. はじめに 企業のグローバル化の進展につれ、ビジネス分野における翻訳と通訳に関する研究 が注目されつつあり、中国では企業における通訳者/ 翻訳者がどうふるまうべきかをめ ぐって議論が展開されている。その中には、元発話/ 原文を正確に訳出することより も、それ以外の要素を重要視する観点、つまり通訳者/ 翻訳者が忠実な訳出から「逸 脱」する行為を主張する論点が見られる(許 2002, 洪 2012 など)。ビジネス文書の翻訳 に関しては、趙(2014)や李(2015)などがスコポス理論の観点から、対外宣伝の資 料や契約書のテクスト分析を用いて、翻訳者の逸脱行為を説明した。ビジネス分野に おける日中間の通訳行為に特化した研究としては李(2012)が挙げられるが、翻訳研 究と比べるとまだ少ない1。ビジネス分野以外の通訳行為については、中国における会 議通訳者の逸脱行為を詳しく記述した研究(王 2013)や、日中の通訳者の規範意識を
ZHU Ailin, “How interpreters “participate” in communication problems: A case study analysis of in-house interpreters in Japanese companies in China,” Interpreting and Translation Studies, No.20, 2020. Pages 41-65. © by the Japan Association for Interpreting and Translation Studies
扱った研究(平塚2015)があり、通訳者がコミュニケーションの調整をする行為が多 数例示されてきた。また、瀧本(2006)や椎名・平高(2006)は、オーストラリアと 日本の企業に勤務する通訳者にインタビュー調査を実施し、コミュニケーションが不 調な場合、または予想通りに進行していない場合に、通訳者が正確に訳出することか ら逸脱することを明らかにした。さらに、椎名・平高(2006)はこうしたコミュニケー ション摩擦が生じる際に、通訳者が「異文化ファシリテーター」役を果たしていると 説明し、それを全体的に肯定的に評価しているようだが、こうした逸脱行為に関して、 「規定されたルールや規範があるわけではないので、個人の裁量と、その場の状況に応 じてどのような対応をとるかを決めているようである」(ibid.: 17)と述べ、不確定性お よび介入行為に対する懸念を示した。企業でのコミュニケーション摩擦場面において、 通訳者の判断に委ねる点は通訳者の責任と倫理問題に関わるが、通訳現場の記述デー タが欠けているため、さらなる議論の展開が難しい状況である。 本稿は以上の研究背景から、中国の日系企業にフィールドを特定し、通訳者がどの ようにコミュニケーション摩擦場面に関与しているかを明らかにすることを目的とす る。中国に進出している日系企業において、日中の従業員間には様々な要因によって コミュニケーション摩擦が発生していることがすでに異文化間コミュニケーション論 の先行研究(西田 2007, 2011 など)で報告されているが、こうしたコンテクストに おいて通訳者に焦点を当てた研究は稀である。朱(2019)は、アンケート調査を用い て、日本人上司の発話にコミュニケーション摩擦になりうる要素が含まれる場合、通 訳者はそれを排除する行動を採る傾向があることを示したが、これは場面を仮定した 量的調査であり、実際の摩擦場面における複雑な要素間の関係を確認できていない。そ のため、本研究はコミュニケーション摩擦場面の実例を調査して分析し、より現場の 状況を記述できるような研究方法を採用する(第4 節にて詳述)。 第2 節の理論的枠組みでは、Baker(2006)を説明する。本稿はベイカーの主張に基 づき、コミュニケーション摩擦が起きる際、通訳者も一人の当事者として摩擦に関与 していると捉える。また、第3 節では、事例分析のバックグラウンドとなる、中国の 日系企業における通訳者およびコミュニケーションの実態を説明する。本稿の研究対 象となる通訳者は、企業の正社員として雇用され、通訳/ 翻訳以外の業務も担当してお り、社内の通訳者である(3.1 にて詳述)。第 4 節にて、摩擦時の関与、摩擦の事前回 避への関与、通訳者=摩擦の「責任者」という3 種に分けて、実例を挙げながら分析 し、第5 節で考察を行う。 本稿で使用する「摩擦」という語は、辞書による「人間に起こる不一致や不和」と いう一般的な意味を指すものとする。コミュニケーションの過程において、会話の参 加者(通訳者を含める)が口論やもめ事、または不愉快になることをすべて「コミュ ニケーション摩擦」として捉える。本稿においては、日中従業員間の摩擦や、通訳者 との間の摩擦も研究の対象とする。その中には、異なる言語や文化による摩擦もあれ ば、立場の対立による摩擦もあった(第4 節にて詳述)。
2. 理論的枠組み 本研究においては、第1 節に挙げた逸脱行為を含めた、コミュニケーション摩擦場 面における通訳者の行為を「通訳者の関与」という表現を用いて論じたい。それは、通 訳者を介するコミュニケーションの中で摩擦が生じた際、通訳者はいかに行動したと しても摩擦の状況に関与していることに変わりはないと捉えることができるためであ る。その基本的な考え方はBaker(2006)に基づくものである。
ベイカーは著書Translation and Conflicts: A Narrative Account において、「ナラティブ」
という概念に基づいて翻訳/ 通訳の倫理を議論した。著書においてベイカーは多数の事 例を挙げて、翻訳者/ 通訳者がどのような行動を取るにせよ、「自分の翻訳/ 通訳によっ て作られ拡散したナラティブの責任から逃げることはできない」(Baker 2006: 26)2と 主張した。ここでの「ナラティブ」とは、「ある時空で発生し、互いに関連する出来事」 (Jones 2019: 357)をもとにストーリー化されたものであり、「あらゆるコミュニケー ションの解釈・評価のためのコンテクスト」(Fisher 1987: 193. Baker 2006: 9 による)に なるものである。これは単に出来事を時系列で並べただけのストーリーではなく、道 徳的意味を持ち、力関係を内包して、磁場のように日々のコミュニケーションに影響 を与えているものである。 ベイカーはナラティブを4 種類に分け、それぞれの範囲の狭いものから広いものま
で、「存在論的ナラティブOntological narratives」、「公共ナラティブ Public narratives」、 「概念ナラティブ Conceptual narratives」、「メタナラティブ Meta- narratives」を挙げた。 存在論的ナラティブは、自分自身の位置づけや個人の経験について語るという個人の ストーリーである。公共ナラティブは、例えば顧客第一、愛国心のような、教育機関 や企業、国家などの社会組織によって作られて普及するストーリーである。概念ナラ ティブは、ダーウィンの自然淘汰説といった学術理論や法律などあらゆる分野の研究 者が研究対象について語るストーリーである。メタナラティブは、「工業化、啓蒙」と いった、長期にわたり、国境を越えて広く流布するストーリーである(Baker 2006: 28-44)。 こうした概念を用いて、ベイカーは、翻訳/ 通訳する過程において、翻訳者 / 通訳者 はただ翻訳/ 通訳をしただけという立場ではなく、あるナラティブを伝えて広めること に対する責任を負っていることになると主張する。特にコンフリクトの場面において、 「暴力的なコンフリクトのための知的・道徳的環境を作り出すナラティブの流布および 抵抗」(Baker 2006: 2)の過程への翻訳者 / 通訳者が果たす役割に注目している。こう した主張は、「翻訳をいい意味でのみ表現してきた通常の翻訳観」について再検討を促 し、さらに、「翻訳者を異文化間の対話を可能にする架け橋と捉える考え方では、現実 に行われている多くの翻訳行為、特に戦争とコンフリクトの状況での翻訳行為におけ る、複雑な政治的、倫理的、道徳的問題を根本的に単純化してしまうことを認識させ てくれる」(Jones 2019: 358)とする。 ベイカーは具体的に、翻訳者/ 通訳者が行う関与を説明するために、E. Goffman の
「フレーミング」(1974, 1981. Baker 2006 による)の概念を参考にしながら、「主体性を 含む積極的なストラテジーであり、そのストラテジーを通じて、人々が意識的に現実 の構築に参加するもの」(Baker 2006: 106)と再定義した。これは翻訳 / 通訳研究でよ く使われる「介入行為」と類似しており、加えて介入行為の意識的な自発性および、行 為による社会的効果が強調されたものと考えられる。ベイカーはさらにこの概念に基 づき、フレーミングの種類を4 つ(「時間と空間のフレーミング」、「テクスト素材の選 択的占有」、「ラベリングによるフレーミング」、「参与者の再位置づけ」)に分け、翻訳 者/ 通訳者がコンフリクトに関与する事例を挙げた。そのうち、通訳者の関与について 事例を取り上げたのは、「テクスト素材の選択的占有」と「参与者の再位置づけ」で あった。前者は、通訳者が元発話を変更することは、元発話のどの側面を選択するか という決定であり、それが「より大きいナラティブの作成や修正に寄与する」ことに なるとベイカーは指摘した(ibid.: 122)。後者は、パラテクストを使って翻訳者 / 通訳 者と参与者の位置づけを行ったり、テクスト/ 発話内において、指示詞や人称詞のシフ ト、または言語/ 方言や言語使用域の選択で翻訳者 / 通訳者と参与者を位置付けたりす ることを指す。こうした再位置づけによって、「参与者を特定の社会集団と結び付けた り、他の参与者と区別したりする」(ibid.: 137)と指摘した。例えば、司法通訳で被告 人に向けて通訳する時はフォーマル度を下げ、逆に、法廷の役人向けに通訳する時は フォーマル度を上げる事例が挙げられ、通訳者にとっては受容者の期待に沿った当然 の態度と思われるかもしれないが、ベイカーはこうした形式の関与により、「通訳者が 自分と法廷との関係、および、自分より社会地位が低い人との関係を同時に作り上げ ることになる」と注意を喚起した(ibid.: 137-138)。 しかしながら、ベイカーのナラティブ論は、「詳細なテクスト分析のための方法論は まだ精密さを欠き開発段階にある」と批判されている(Jones 2019: 359)。具体的な事 例分析を用いた研究にはこの概念を援用した有効性が証明されているが、ミクロレベ ルの方法論はまだ欠けていると指摘された(ibid.)。ベイカーの理論は翻訳研究の領域 においては「まだ比較的新しいもの」であり、「概念的枠組みが適用されうる実生活の コンテクストの範囲という観点から行われるべき研究はまだ多い」(ibid.: 360)とされ る。ベイカー自身も、Baker(2006)では主に政治的な場面を中心に事例を挙げたが、 翻訳者/ 通訳者の意思決定は「ビジネス会議でも診療場面でも、弱者である移民と受け 入れ国の公務員とのやり取り、または食材混合機の取扱説明書の準備でも、少なくと も、翻訳者や通訳者の媒介に頼る人々の生活の質に影響を与える可能性がある」(Baker & Maier 2011: 4)と述べ、議論をあらゆる翻訳 / 通訳場面に拡大し、応用することを促 している。 ベイカーのナラティブ論は中国においても注目を集め、それに基づいた事例分析の 研究として、グローバル新聞におけるニュース翻訳(鄭 2012)や中国の対外宣伝活動 (胡興文 2014)などが見られ、翻訳活動におけるイデオロギー操作およびナラティブの 競合を例証してきた。ビジネス商談における英中通訳者の行為について論じる研究(費
2013)も見られたが、事例が欠けており、しかも通訳者が商談を成功させるための役 割一辺倒であり、ベイカーの主張と齟齬があると考えられる。 したがって、本研究はベイカーのナラティブ論の概念に基づき、通訳者の関与に注 目して、事例分析の研究方法を用いて研究を展開する。中国の日系企業にフィールド を置き、コミュニケーション摩擦場面に焦点を当てて、通訳者の関与の形式を明らか にする。ベイカーが主張するように、通訳者は摩擦の状況に巻き込まれ、その過程に 関与している。Baker(2006)によると、「ST/ 元発話の中に作り上げられたナラティブ のイデオロギー」に対して、翻訳者/ 通訳者は「そのまま再現する」、「翻訳の仕事や特 定の場面での通訳を断る」、「イデオロギーから距離をとる」といった「基本的な倫理 的選択に直面」し、その「基本的選択」をした上で、様々なストラテジーを用いて、あ る特定の観点を「明らかにまたは秘かに強化したり、弱化したりする」といった主体 性を含む営みを通して、意識的に「現実の構築」に参加している(ibid.: 105-107)。よっ て、コミュニケーション摩擦の過程において、通訳者は超然とした傍観者でいること ができずに、様々な形式で摩擦に関与している。本研究で対象とする企業におけるコ ミュニケーションは、ベイカーが扱う政治的なコンフリクト場面とは異なるものの、利 害関係が含まれていたり、複雑性と不確定性が多く存在したりする点が共通している。 こうした場面において、通訳者がどのように摩擦に関与しているか、またそれがどの ようなナラティブに関連するかを明らかにしていく。 3. 中国の日系企業における通訳者とコミュニケーションの実態 本節では、本研究のコミュニケーション摩擦事例の背景となる、中国の日系企業に おける通訳者とコミュニケーションの実態を説明する。主に、朱(2019)の調査結果 からまとめる3。 3.1 通訳者の実態 まず、アンケート調査によって明らかになった、中国の日系企業で勤務する通訳者 の特徴を説明する。 (1)雇用形態は正規社員採用という形式がほとんどであった。109 名の調査協力者の うち、104 名(95.41%)の通訳者は正社員として企業で勤務しており、社内通訳者で あった。 (2)通訳と翻訳のみならず、調査協力者全員が社内のほかの業務も担当している。業 務の内容は、庶務関連(50.46%)と調達や品質管理などの実務の担当者(47.71%)が 多く占めている。社内通訳者は、フリーランス通訳者とは異なり、企業との物理的距 離も心理的距離も近く、「通訳者」であると共に、社員であり何らかの実務の「担当者」 という 2 つの役割が求められることになる。こうした二重の身分も通訳者の行動に影 響を与えると考えられる。 (3)性別については、調査協力者 109 名のうち 94 名(86.23%)が女性であった。
(4)日本語および通訳 / 翻訳の学習歴については、高等教育機関で日本語を習得して おり(91.74%)、専門的な通訳 / 翻訳訓練を受けておらず(81.65%)、通訳 / 翻訳に関し ては高等教育機関での日本語教育の一環として教育を受けている(72.48%)。 (5)職歴については、勤務年数の平均は 4.1 年であり、比較的短い傾向である。 (6)勤め先である日系企業の進出形態としては、ほとんど「日本独資企業」(47.71%) または「日中の合資」(40.37%)である。出資元が日本の企業であれば、日本人従業員 が管理職を務めるため、日本式マネジメントや日本文化が浸透していると推測できる。 また、中国ではビジネス分野の通訳者の行動指針や倫理規定は見当たらない。各職 業の倫理規定と見なされる国家標準には通訳に関する記述があるが、「職業の現実を反 映していない」と批判されている(王 2013: 150)。国家標準には「翻訳服務規範」とい う名称での規定があり、第1 部分の「筆訳」(翻訳)と第 2 部分の「口訳」(通訳)か ら成り、通訳の部分に関しては2006 年 9 月 4 日に公開した最新の内容を確認できる。 そのうち第4 項である「要求」において詳しく通訳者およびコーディネーター、クラ イアントに対する要求事項を定めている。ここでは、通訳過程について定めた「4.6 通 訳服務過程控え」における「通訳の過程」の項目を確認し、下記に示す(筆者により 翻訳、強調は追加)。 4.6.1.2 通訳の過程 通訳過程において下記の行為をしなければならない。 -起点言語を正確に4 4 4目標言語に訳出すること。 -分かりやすく4 4 4 4 4 4表現すること。 -風習と職業道徳4 4 4 4を重んじること。 「職業道徳」は、同規定において「通訳者に対する要求」にも言及されたが、「職業 道徳」とは何かについては明記していない。また、王(2013)が指摘したように、通 訳者が実際に行っている追加や省略といった正確性から逸脱する行為に関して、倫理 規定には一切記載していない。したがって、倫理規定はあくまでも必要最低限のこと (正確かつ分かりやすく)を定め、それ以外のことは各職場や通訳者の個々人の判断に 拠るのではないかと考えられる。また、筆者は企業が公開した通訳者/ 翻訳者の求人情 報を20 件4確認したところ、ほとんど、日本語能力試験のN1 の取得や優れた聴解力 と作文力、日本語を流暢に話せるなどの言語能力しか要求していないことが分かった。 それ以外に「日本文化を理解する」ことが望ましいとする企業が1 社のみあった。お そらく通訳/ 翻訳に対して、企業も明瞭なイメージを持っておらず、日本語が分かれば 通訳できると認識し、正確に通訳することしか求めていないのではないか。 また、李(2012)は中国の日系企業 1 社における通訳者の行為を研究した結果、社 内通訳者は「言語仲介者、文化仲介者以外にビジネス参加者としての役割が求められ ると認識した上で、業務の遂行を促進するというビジネス参加者の役割をより重視し
ている」(ibid.: 40)と述べた。本稿の通訳者も同様に、一人の社員として、集団を維持 したり、業務の遂行を促進したりする役割を認識している可能性が考えられる。 3.2 コミュニケーションの実態 中国の日系企業において通訳者は、① 通訳者を介さないコミュニケーションと、② 通訳者を介するコミュニケーションの両方に参加している。3.1 で述べたように、通訳 者は企業で通訳/ 翻訳以外に、庶務や品質管理などの業務を行う際は①のコミュニケー ションに参加している。②のコミュニケーションは、お互いの言語が話せない日中従 業員の間で行われ、通訳者を介さなければ意思疎通が不可能である。具体的に通訳を 必要とするのは、日本人従業員は、社内における長期駐在の社長・部長級の管理職、本 社から短期派遣された技術支援者、日本の本社の従業員、および取引先やサプライヤー の日本人従業員である。一方で、中国人従業員は、社内では管理職(副社長や中間管 理職)から平社員、現場の作業員まで、それに加えて仕事に関わる他社の中国人従業 員である。企業のトップを務めるのは日本人従業員であるため、こうしたコミュニケー ションでは権力関係の差がすでに存在している。西田(2007)の調査結果において、日 本人従業員は中国人従業員に対して、「規則を守らない」や「品質・事務管理能力が低 い」、「残業を嫌がる」といった点でコミュニケーションが困難であると示されている ことから、そこには勤務の仕方や規則および品質・事務管理などのマネジメント方式 はすべて日本企業のやり方に近づけてほしいという要望が潜んでいることが示唆され る。近藤(2007)も、日本人従業員は、特にアジア系のビジネス関係者に対しては日 本の文化やビジネス慣行への理解を強要すると論じている。また、 (2011)におい て、日本人上司が中国人従業員に対して注意したり、指示したりする場面でコミュニ ケーション摩擦が生じやすいと述べ、ポジションの面で日本人従業員が優位に置かれ ることが示された。これは、中国の日系企業におけるコミュニケーションの前提とさ れ、企業内に流布されたナラティブとして捉えることができると言えよう。 また、通訳者を介するコミュニケーションは、かなり幅広い場面で行われている。会 議や商談などフォーマルな場面だけでなく、部内で上司と部下や従業員間の対話、ま た接待や食事会などインフォーマルな場面も含まれ、多種多様である。さらに、企業 内のみならず、取引先やサプライヤー、また役所などほかの組織に関わることもあり、 権力関係と利害関係に巻き込まれる複雑な場面もあることが想像できる。 さらに、こうした日中の従業員は全員、同じ企業に勤務していても、それぞれ属す る集団が1 つだけというわけではない。日本側の出資社から管理職として日本人従業 員を駐在させ、それ以外の社員は現地で採用している。こうした場合、通訳者と中国 人従業員が現地企業1 つの集団のみに属し、日本人管理職は同時に日本の本社にも属 している。さらに、日中合資企業の場合、日本側の出資社と中国側の出資社の両方か らも管理職を駐在させる。日中管理職と通訳者は同じ合資企業に属すると同時に、日 本人管理職は日本の本社、中国人管理職は中国の本社に属している。属する集団が2 つ
以上になり、それぞれの集団の方針や判断によって利害や目標が食い違うおそれがあ るため、摩擦が生じる可能性が高い。 4. コミュニケーション摩擦の事例分析 本節にて、コミュニケーション摩擦の実例を分析する。商業機密の保護を考慮し、企 業内での観察調査がほぼ不可能であるため、通訳者にインタビューをすることで摩擦 の実例を収集する。2017 年 8 月から 2019 年 6 月までの間に 7 名の通訳者に対して半構 造化インタビュー調査を行い、事例のデータをまとめた。インタビュー調査では主に4 つの質問内容、1)学歴・職歴、職場の組織体制などの背景、2)通訳する時のコミュ ニケーション摩擦についての経験、3)2)以外に「文面通りに通訳する」ことを超え る行為についての経験、4)自分が考える中国の日系企業における通訳者のあるべき姿 について語ってもらった。調査協力者のプロフィールは以下に示す。 表1:インタビュー調査協力者のプロフィール(調査時点) 年齢 性別 通訳 経験年数 通訳/ 翻訳以外の 担当業務 調査 実施日 実施方式 P1 30 代後半 女性 13 年 総務管理(課長)2017/8/11 対面 P2 30 代前半 女性 9 年 品質管理 2017/8/9 (一回目) 2019/3/20 (二回目) 対面 P3 20 代前半 女性 3 年 秘書、総務 2017/8/13 対面 P4 20 代後半 女性 1 年 マーケティング 2017/8/9 対面 P5 30 代後半 男性 16 年 技術(課長) 2019/4/10 ビデオ通話 P6 20 代後半 女性 3 年 秘書 2019/4/20 ビデオ通話 P7 30 代前半 女性 9 年 品質管理 2019/6/3 ビデオ通話 調査協力者は全員中国人の社内通訳者であった。また、インタビュー調査を通じて、 7 名は全員、専門的な通訳訓練を受けておらず、大学の日本語学科卒業後に日系企業に 入社し、通訳者として仕事をはじめたという点で共通していることが分かった。結果 的に、3.1 で述べた傾向と一致していた。また、7 名は異なる企業に勤務している。 研究方法は、ケース・スタディとする。質的なケース・スタディは、「記述と説明」 に焦点を当て、「文脈の中」において「ある現象に特徴的な、重要な要因間の相互作用」 を示すための方法であり、ある特定の状況に限定する「特定主義的」、出来事を記述す る「記述的」、研究対象の現象の再考を促す「発見的」な方法である(メリアム 2004: 41-42)。したがって、質的なケース・スタディは、ある現象を理解するうえで「複雑な 社会的単位を調査する手段を提供」し、「現場の知識基盤を豊かにする重要な役割を
担っている」(ibid.: 60-61)ため、本研究の目的に見合った研究方法である。 以下に、通訳者の関与の形式について、事例を挙げながら説明する。1 つの事例にお いて、通訳者の行動が複数の場合、中心であると思われる行動を拾い上げ、下線を引 いて示す。すべてのカテゴリーは、事例から抽出して分類した5。事例の説明において、 「【CS+ 番号】」は事例の通し番号であり、続きの内容は調査協力者の語り、末尾の括弧 内の「P+ 番号」は当該事例を語った調査協力者を示す。インタビュー調査は標準中国 語と広東語6で行ったため、調査協力者の語りは筆者が翻訳したものである。事例を呈 示する際、理解を助けるための補足説明が必要な場合は括弧内に示す。事例において 個人名と企業名を特定されないよう、アルファベットや「○○さん」といった記号に 置き換えた。事例の下に一行をあけ、当該調査協力者の全体の語りから把握した情報 に基づいた文脈の説明を加えながら分析を行う。必要に応じて、当該事例と関連する 語りを補足する場合、「【CS+ 番号 -a】」で示す。各事例において、社内通訳者には社員 と通訳者の2 つの身分が融合した行動が見られた。 4.1 摩擦時の関与 まず、目の前ですでにコミュニケーション摩擦が起きている状況で、通訳者が関与 する実例を挙げる。日中従業員の間に摩擦が起きると、通訳者は否応なくその衝撃を 受けると同時に、摩擦という現実の構築に関与する。具体的に、会話の双方が口論に なったり、片方が怒ったり不愉快になったりする状況で、通訳者は発話内または発話 外における様々な形式で摩擦の状況に関与している。 4.1.1 発話内の関与 発話内の関与は、話し手(日中の従業員)の発話それ自体への介入である。発話者 の発話を再構築する行動として表れ、具体的には、「和らげ・削除」、「三人称の使用」 という形式が見られた。 (1)和らげ・削除 目の前で口論が起こっている状況において、通訳者が訳出する際、暴言や荒い言葉 遣いを和らげたり削除したりする。発話内容をあからさまに変更することができない と判断する場合、通訳者は細かなところで関与して、摩擦を抑えようとしている。こ のような摩擦の中では、企業内/ 企業間の利害関係、人間関係に関わる複雑な状況の下 で、通訳者の関与は役立つこともあれば、徒労に終わることもある。 【CS 1】 サプライヤーの選定をめぐり二人の副社長の間で激烈な口論になった。日本人副社 長は中国人副社長の意見にまったく賛同できず、「賄賂でも受けているのか」という表 現まで出たが、そのまま通訳した。1 ヶ所だけ、日本人副社長が机を叩いて「おまえ○
○○」と暴言を発した時、「您(中国語の二人称の敬称)」に変えて、暴言を訳出しな かった。[中略]当時は、会社でこんな状況を見たことがなかったので驚いた。会社の リーダーがこんな発言をするのはよくないと思って、なるべく抑えたいが、通訳者と して自分の考え方を入れてはだめなので、こんな細かいところで「美化」するしかな かった。(P3) この事例は、日本人と中国人の副社長がサプライヤー選定の会議で議論をした中で 起きたコミュニケーション摩擦事例である。当時まだ経歴の浅いP3 は、ほかに日本語 と中国語が分かる社員が会議に同席している(CS11 参照)ため発言を編集しがたい状 況に置かれ、緊張している中、日本人副社長が暴言を発した。P3 は、暴言は会社のリー ダーの発言として不適切だと思って「なるべく抑えたい」という感情と、「自分の考え 方を入れてはだめ」という認識とが葛藤したあげく、「おまえ」を敬称の「您」に変え て、暴言を訳出しなかった。つまり、元発話に潜んだ、相手に対する軽蔑のナラティ ブを弱体化して、日中の従業員の間の緊張関係を緩和することを図っている。しかし、 サプライヤー選定という利害関係が深く関わる会議で、つまり3.2 節で示した集団関係 の対立において、通訳者の関与で摩擦の状況を左右できるわけではない。この事例は ここで終わらず、通訳者への責任の転嫁という新たな摩擦が起きた。この点について は後述する(4.3 参照)。 【CS 2】 X 社(P4 の現在の勤め先)は中国に進出したばかりで、業界ではまだ知名度がそれ ほど高くなく弱い立場で、色々代理店に頼ることがある。したがって、(日本人)社長 が代理店に対して、(代理店に誤りがあった時)、「頭がおかしいんじゃない」とか、「足 し算もできないの」とかよく言っているが、和らげて、「你们思维是不是有些混乱啊 (日本語:ちょっと考え方が混乱していませんか)」とか、「你们这里是不是错了呢? (日本語:ここ間違っているのではないか)」、こんな感じで通訳する。B 社(P4 のかつ ての勤め先、業界でトップレベルの企業)にいた時はそのまま通訳していた。大局を 考えないといけない。(P4) この事例は日系企業と中国の民営企業である代理店とのコミュニケーション摩擦で ある。P4 が属する会社の業界では、代理店は仲介的な役割を務め、一般的にメーカー である日系企業にとっては下請け企業のような関係であるという考えが流布している ため、日本人社長はこうした認識を持って、代理店の誤りに対して侮辱するような言 葉遣いになる。こうした言葉は、中国人従業員に「過剰に受け取られることがある」 ( 2011: 69)。そこで P4 は、自社が「弱い立場」にあると認識しているため、代理店 と仲良くしないといけないと判断し、和らげて訳出した。興味深いことに、P4 は、同 じ状況であっても、かつての勤め先である業界で地位の高いB 社ではそのまま訳出し
ていたという。このような元発話は、日系企業の方が中国の代理店より強い立場であ るというナラティブが前提となった発言であるが、通訳者がこうした対照的な関与の 仕方をしたのは、自社の置かれた取引環境を見極めた上で、ナラティブを変更するか 維持するかを判断していると言える。 (2)三人称の使用 通訳者は通訳の過程において一人称を使うことが通例であるが、Baker(2013)によ り、通訳する際に三人称に転換することは、通訳している内容から距離を取るストラ テジーとして採用されている。コンテクストによって、元発話に潜んだナラティブに 対する距離感や反感などのニュアンスを伝えることもありうる。以下の事例において、 通訳者は三人称を用いて訳出することによって、摩擦の状況に距離を取っていること が示唆される。Baker(2013)で挙げられた事例は、三人称に転換するのみであり、訳 出の内容は元発話とほぼ一致しているが、下記の3 事例には、三人称を使うのみなら ず、状況説明や元発話の目的の明示、さらに事実と異なる内容を付け加えるといった 一歩踏み込んだ行動が見られた。事例に表したように、こうした関与によって、通訳 者は訳出の際に自分の感情を挟みいれたことが明らかになった。 【CS 3】 (発話者が)どんなに怒っても、どんな文句を言っても、私は「他现在生气了(彼は いま怒っている)」と訳すだけ。言い過ぎたと思って、もめ事も見たくないし、仲が悪 い状況も見たくないからだ。[中略]火に油を注ぐことだし、今後の仕事と利益にも影 響するし、和を以て貴しとなす、でしょう。[中略]観点の違い、また利益と立場の違 いで摩擦がよく起きている。主に(日本人)社長と(中国人)副社長(の間の摩擦)が 多い。[中略]しかし私の認識では、(通訳者の役割が)「伝声管」であるものの、いつ も摩擦が悪化する前に雰囲気を緩和しようとしている。プロではないと思う。(P6) この語りにおいて、P6 は日中の管理職間の摩擦に頻繁に遭遇していることが分かっ た。それも3.2 で示したように、日本人社長と中国人副社長の所属集団が異なるため、 観点の違いや利益と立場の違いによる摩擦である。こうした状況で、P6 は、「和を以て 貴しとなす」という自分の考え方と、通訳者の「伝声管」の役割観が葛藤しているが、 日本人社長の怒った言葉から距離を取って、「彼はいま怒っている」と状況を伝えてい る。P6 はこういう行動について「プロではない」と思っているものの、自分の感情を 優先しているようだ。こうした行動によって、P6 は摩擦の状況から離れ、第三者の立 場でいようとしていることが示唆される。 【CS 4】 製品の大量不良(製造過程で不良品が大量に生産された問題)が起きて、日本人上
司と中国人担当者と一緒に残業して対応していた。上司はいらいらしている状態だと 感じた。そして、担当者に対して「ノギスを持ってきて」と指示して、私は具体的な 目的を知らずに(「ノギス」を)そのまま「卡尺」に通訳した。ただしノギスといって もいくつか種類があって、デジタルとかもっと精密なマイクロノギスもあるが、「ノギ ス」だけ聞いて何も考えずに訳したため、担当者も(たぶん何も考えずに)手動のノ ギスを持ってきた。そこで上司は突然「なんでこんなものを持ってきたの?」と怒り 出して、「他要的不是这把(彼がほしいのはこれではない)」と訳したが、上司は明ら かに怒っている顔をしていたため、担当者も意味不明と思ってイラッとした。これで 二人とも怒った。私は通訳者として(原因が)分かっている。その後、私は担当者に 謝った。[中略]通訳者が調整できないこともあるが、調整できることもあるだろう。 (P2) 本事例において、日本人上司の怒りの言葉「なんでこんなものを持ってきたの?」に 対して、通訳者は発話の意図を汲み取り、三人称を使って伝えた。P2 は、1 つ前の発 言「ノギスを持ってきて」の訳出で、日本人上司のあいまいな指示に対して深く考え ずに中国語の対応する単語で直訳したことが、摩擦の原因になったと反省している。し たがって、この場面の訳出は、自分の「ミス」を少しでも補おうとしたものだ。三人 称を用いて婉曲な言い方に変えたことも、日本人上司の責め言葉を中国人担当者に直 接にぶつけないようにするためであろう。摩擦の後に、中国人担当者に謝った行動も その理由だと思われる。 ここで、P2 はなぜ中国人担当者のみに謝ったのか。それは、日本人上司のあいまい な指示を当然のように受け入れて、それを明示化することも通訳者の責任範囲である とP2 が思っているためであろう。通訳者にそこまでの行動が求められるかに関しては さらなる議論が必要であるが、あいまいな指示による摩擦において通訳者がどのよう に関与するかによって、結果は異なってくるであろう。 【CS 5】 他部署と会議の時、中国人担当者が居眠りをした。会議が終わって、他部署の人が 退室した後、日本人上司はその担当者に注意したくて、紙を丸めて担当者に投げた。そ こで担当者は怒り出し、席から立って「为什么往我身上扔纸?(なんで私に紙を投げ たの)」と大きな声で言った。(驚いて)すぐに通訳できなかったが、上司は悟って「会 議の時に寝ていたでしょう」と言った。通訳したら、担当者は「我没有睡觉(私は寝 ていない)」とウソを言った。これはよくないと思って、担当者に、「你刚才是不是打 盹儿了一下啊,他就正好看到了,坐在你的对面嘛(さっきちょっと居眠りしたでしょ う。彼はたまたま見ていたよ、向かい側に座っているから)」と説明した。しかし担当 者はずっと寝ていないと言い張っていた。(そこで私は)上司に、「彼はちょっと眠かっ たようでしたが、寝てはいなくて、会議の内容も聞いていたと話しています」と説明
した。幸い、それ以上誰も怒らなかった。しかし本当は私も担当者が寝ていたところ を見た。[中略]もめ事にならないようにしたかった。上司も担当者も不適切な点があ ると思う。(P7) 本事例はまさに (2011)が述べたように、日本人上司の注意の仕方によって中国 人従業員が過剰反応してしまう実例である。ここでは、日本人上司の「紙を丸めて投 げた」という非言語的な注意の仕方に関わる。そこで通訳者は、場面をおさめるスト ラテジーとして三人称を用いて「訳出」をした。しかし、この「訳出」は、中国人担 当者の発話からかなり逸脱しており、通訳者が作り出した「言い訳」を加えたもので ある。P7 は目の前の「不適切な状況」の外に自分を位置付けて、中国人担当者がこれ 以上不利な状況に陥らないように守ることができた。それは、「もめ事にならないよう にしたかった」と述べたように、通訳者だけでなく企業の一員として、日本人上司と 中国人従業員の良好な人間関係を維持しようと努めたものだと言ってもよいであろ う。 本事例では、通訳者の関与によって摩擦の悪化を阻止できたようだが、単に偶然う まくいっただけかもしれない。これはリスクを伴う関与であるとも言える。 4.1.2 発話外の関与 発話外の関与は、元発話にない内容を加えるなど、コンテクストに頼る関与の形式 とする。具体的には、「背景知識の補完」という形式が見られた。 以下の事例において、発話者は言葉ではなく、ジェスチャーを用いて意味を表して いる。しかしこういうジェスチャーは文化背景に根差しているため、それに対する知 識が足りない場合、誤解が生じて摩擦が起こりうる。その際、通訳者が異文化のジェ スチャーを言語化することによって、摩擦が解消される可能性が十分に考えられる。以 下の事例は通訳者の関与が摩擦をなくす鍵となった一例であった。 【CS 6】 初めての通訳はD 市(当時風俗業が盛んな町)にある N 社だった。エンジニア支援 の日本人(男性)が、現地の従業員に小指を立てるジェスチャーをした。中国人の従 業員は「あなたたちは最低だ」と軽蔑されたと思ってイラッとした。私はその状況を たまたま見て、従業員に説明して誤解を解いた。[中略]私は中国側のN 社に雇われた から、誤解を解消する責任があると思う。(P4) 小指を立てるジェスチャーについて、日本では女性のことを意味するが、中国では 「軽蔑や小者」といったことを指す。本事例において、P4 はこうした文化の差異を知っ た上で、D 市にいるというコンテクストと合わせて、中国人従業員に説明して誤解を 解いた。P4 は、通訳者には「誤解を解消する責任がある」と述べたように、自発的に
異文化間の誤解を解消する行動をした。 4.2 摩擦の事前回避への関与 他方、通訳者は、摩擦が起こらないよう様々な場面で関与をしている。こうした場 合、4.1 で扱った事例のように、すでに生じている摩擦に巻き込まれるという事態とは 異なり、通訳者は主動的に摩擦を阻止しようとしている。特に、文化の差異による摩 擦は、通訳者の関与によって事前に回避できた事例があった。また、1 つの企業で長期 にわたり働く社内通訳者は、自分自身の経験に基づいて、摩擦の発生を予知して避け ている。これは、通訳者が一人の社員として、「その企業に固有の文化やコミュニケー ション・パターンを体得」した「暗黙のノウハウ」(渋谷 2012: 170)に依拠するもので ある。こうした知識やノウハウは何らかのナラティブに関連し、通訳者の関与でその ナラティブの拡大につながる。 4.2.1 発話内の関与 通訳者は、自分自身の経験に基づいて、相手に受け入れやすい話し方の「基準」を 定めている。こうした「基準」に沿って訳出をして、摩擦が起こらないように努める。 以下の事例では、通訳者は長期にわたって同一の企業で働いて、その企業の「コミュ ニケーション・パターン」、つまり特定の相手に受容される話し方に合わせて発話の再 構築を行っている。 【CS 7】 (中国人)担当者が報告する時は内容をまとめて通訳している。先に結論を言う習慣 を持っていない人がいて、過程についてたくさん話してから結論を言う。しかし特に 会議の場合、時間が決められているし、効率と効果も重視されるし、内容をシンプル にして重点を強調しながら通訳する。そうしないと絶対怒られる。あとは話し言葉を もっとフォーマルに変える。(P2) 通訳者のP2 は、自分自身の経験によって、良い会議とは「効率と効果が重視される」 ことであると想定し、さらにそれに向けて、「シンプル」および「重点の強調」、「フォー マルな言い方」という会議での話し方を自分のノウハウとして築いた。こうした通訳 者自身が定めた話し方の基準に反する場合に摩擦が起こると想定するため、中国人担 当者の発話を再構築している。それに対して、部内の日常報告では、異なる対応に切 り替えるという。 【CS 7 -a】 しかし部内での日常報告はそうしない。隠す必要はないと思う。担当者がどういう 人なのか、上司に知ってもらう必要があると思うから。大福帳(中国語:流水帳。談
話を主要なものと副次的なものに区別せずただ羅列して記述したものの比喩表現)を 述べるなら大福帳のまま。そしたら上司が教育するかもしれない。真実性を再現すべ きだ。(P2) 部内の日常報告では、中国人担当者の発話を再構築せずに、「真実性を再現」してい る。P2 は所属の部署を 1 つのまとまりとして見なし、部の「ウチとソト」を区別した 対応をしている。それによって、通訳者自身は、中国人の担当者の弱みを隠すかある いはそのまま晒すか、担当者の味方をするかただの伝達者であるかという位置づけの 変化を示した。 4.2.2 発話外の関与 摩擦の事前回避における発話外の関与としては、元発話にない情報を付け加えたり、 通訳者の判断を入れたりする形式が見られた。どちらにしても、異文化の知識や業務 に関する「暗黙のノウハウ」が必要となる関与である。 (1)背景知識の補完 通訳者は、異文化または業務による背景知識を補完し、発話者の意図をより効果的 に伝えることで、摩擦の事前回避のために関与している。通訳者の異文化に対する予 備知識に依存する関与では、偏った先入観やステレオタイプにつながりうると考えら れる一方で、摩擦の回避には効果的であるのではないかと思われる。 【CS 8】 社長(日本人)と人事部長(中国人)は残業管理について議論をしていた。社長は、 仕事が終わっていないから残業することを当たり前のように思っているため、残業時 間の申請には緩くてすぐにサインしてしまう。しかし人事部長は、ただ残業代のため に残業している人がいるから緩くしてはいけないと考えている。そこで人事部長に日 系企業の残業の文化を説明し、社長に人事部長の考え方を説明した。これは二人の最 終的なコンセンサスに役立つと思う。[中略]本当は無意味な残業もあり、それは悪い 言い方をすれば「残業代を騙し取る」ことだ。(P1) この事例において、残業に対する管理の仕方について日中の管理職が異なる意見を 持っており、そこで通訳者は、日中双方にお互いの考え方を理解してもらうよう説明 を行った。そのことは「二人の最終的なコンセンサス」に役立ったが、課長として勤 めるP1 は、語りの最後に「悪い言い方をすれば『残業代を騙し取る』ことだ」と述べ たように、おそらく人事部長の意見に賛同しており、残業には厳しい管理が必要だと 考えているようだ。
【CS 9】 担当者は理系の男子だから、はっきり言わないと理解できないケースが多い。経験 を積んで、上司の考え方が大体分かるようになったから、通訳を終えた後にも(中国 人)担当者に(上司の指示の意図、やってほしいことなどを)説明している。(担当者 が)間違った理解で進めてしまって上司に怒られることを避けたい。(P7) CS 9 は社内通訳者が積み重ねた「暗黙のノウハウ」に依拠した関与である。P7 は中 国人担当者が日本人上司に怒られることを避けるため、発話者である日本人上司に確 認せずに、自分自身の経験に基づいて推測した内容を聞き手の中国人担当者に伝える 形式で関与している。これは長年の経験を積んで、ある程度信頼された上で行える行 動であろう。企業で優勢に置かれる日本式文化に近づけるという中国人担当者を助力 する行動から、通訳者の立ち位置が示唆される。 (2)意思決定に関わる判断 摩擦を回避すると同時に、通訳者は日中双方の意思決定の過程に関与している事例 が見られた。物事を決める際、発話を忠実に訳出しても合意や問題解決にたどり着か ず、摩擦になりうると判断した場合、通訳者は自分の意見を混じえながら訳出し、意 思決定の過程にさえ関与している。 【CS 10】 ある田舎の町で工場を作るプロジェクトがあって、日本人上司と担当することに なった。村の役所と交渉する時は通訳をしていた。しかし村の役所と意見がなかなか まとまらず、交渉はうまくいかなかった。地元のやり方がおかしいと思うところが多 かったが、こういう時にはいくらグローバルの大企業といっても妥協するしかない。そ れで、日本人上司にも分かってもらえるように説明を挟みながら通訳をしていた。[中 略]変圧器の使用で村の役所は3 万元を要求した。しかも領収書を出さないと言って いる。(P5) 課長を務めるP5 は、日本人上司とともにプロジェクトの責任者として村の役所と交 渉をする過程で、相手の「やり方がおかしい」と思っている。P5 が所属する企業は大 都市にあり、法整備が整っているため、町の変圧器を使用するには関係書類を提出し て審査が通れば使えるが、同じやり方が村の役所の場合には通用しないようである。こ うした事情を日本人上司に分かってもらうのは困難であろう。そこでP5 は妥協するし かないと判断し、村の役所の理不尽な要求をそのまま日本人上司に伝達するだけでは 摩擦が起こりうると予想したため、まず自国内の文化/ 習慣の差異を自ら処理し、何ら かの判断をしてから関与している。それができたのは、P5 が課長であり、大きなプロ ジェクトを担当できる強い立場にいるからであろう。
4.3 通訳者=摩擦の「責任者」 本節においては、前述(4.1、4.2)と異なり、通訳者が摩擦の「責任者」にされた事 例を説明する。本研究の調査では、企業という組織の中で、日中の従業員間のコミュ ニケーションにおける摩擦を解消する一方法として、通訳者への責任転嫁が見られた。 鳥飼(2004: 96)は、政府レベルでの外交交渉で民間通訳者を雇う理由として「誤解を 通訳者の『誤訳』に基づくものとして説明しやすい」と指摘した。政府や外交のみな らず、「ごく一般的な交渉でも見られること」であり、通訳者の問題にすれば「なんと なく納得してしまう」と述べ、物事を収める手段として使われるようだ。本研究にお いては新人通訳者が責任転嫁されたという類似の現象が見られた。以下の2 事例の中 で、コミュニケーション摩擦の「責任者」とされた通訳者は、抵抗および妥協という 正反対の形式で関与している。 (1)通訳者の抵抗 【CS 11】 [CS 1 に続く語り]やっと会議が終わった後、会社に「○○(P3)さんの通訳が悪い から喧嘩になったのではないか」という声が上げられ、かなりショックを受けた。社 長室のサイドテーブルで打ち合わせをしたから、私の上司も、もう一人日本語が分か る同僚も私の通訳を聞いていて、2 人とも「○○(P3)さんは間違っていない」と言っ てくれた。おそらく副社長たちのメンツを守るために私のせいにしたのだと思う。[中 略]その後、これはA 部の日本人部長 B さんが流したうわさだと知り、とてもショッ クだった。B さんも会議の最初の一時間ほどに参加していた。[中略]考えれば考える ほど本当に腹が立ってきて、通訳者のプライドを守らないといけない、毎回通訳者の せいにするなんてありえないと思って、B さんに反論をした。[中略]B さんはたぶん このような何気なく言った言葉で私をこんなに傷つけるとは思ってもみなかったか ら、驚いたようだった。話しているうちに私は感情が抑えられなくなって泣いてしまっ て、B さんはたぶんメンツが立たないと思って「もう泣かないでください。確認するか ら」と言った。しかしこのことは放置されてそのままになった。(P3) P3 の語りによると、新人通訳者に責任を転嫁するのは、社内における副社長同士の 口論に関する議論を収めるための手段であろう。「毎回通訳者のせいにするなんてあり えない」とあるように、おそらくP3 は何回か同様な状況に遭遇し、ついに怒りが爆発 したようである。しかし日本人部長は、自分よりはるかにポジションが低い通訳者の 反論に対しては驚くだけであり、結果的にそのまま放置であった。通訳者はこの出来 事を深く覚えており、インタビュー調査で詳しく語ることができたことから、傷つい たのは確かなようだ。P3 は、「通訳者のプライド」を守るために、摩擦の「責任者」に されるという一種の暴力に抵抗する姿勢を見せた。
(2)通訳者の妥協 【CS 12】 仕事を始めた最初の頃で、(日中従業員の)二人は議論がどうしてもまとまらず不快 になり、(二人の発話を)そのまま通訳していたのに、通訳が悪いと言われた。[中略] その後、(元発話を変更することがだめであると認識したため)、(発話者が)怒ってい てもなんでも、内容を変えずそのまま訳出することに決めた。自分の通訳の能力を鍛 えるためもあった。あまり変えると、サボっているんじゃないかとか思われるし、会 議の効果が悪かったら通訳者が悪いと言われるかもしれないからだ。[中略]なるべく 分かりやすくするようにしたり、日本人(従業員)の話し方を真似したりして、能力 を磨いている。(P5) 「仕事を始めた最初の頃」という語りから、CS11 と同様に、こうした責任転嫁は新 人通訳者が遭遇しうる問題である可能性が示唆される。しかしP3 と異なり、P5 は「自 分の通訳の能力を鍛えるため」とポジティブに考え、反論せずに、介入すれば批判さ れると思うようになり、そのまま伝えることにした。ここでP5 が言う「通訳の能力」 は、いかに自然な日本語に近づけることができるかという言語の能力に関わるものだ と思われ、正確に通訳するということである。P5 がこのように思えるのは、自分自身 の中に、通訳者という身分と、社員(課長)という身分との間に明確に境界線を引い たからであると考えられる。 5. 考察 前節にて、コミュニケーション摩擦の実例を挙げて、通訳者による様々な関与の形 式を説明した。全体的に、本稿の研究対象である社内通訳者は、社員と通訳者の2 つ の身分を持ち、その2 つの身分が互いに影響し合っているようだ。筆者はインタビュー 調査の際に、通訳する時のコミュニケーション摩擦の経験について質問したが、調査 協力者が語った事例の中に、通訳者だけではなく、一人の社員(担当者/ 課長)として の行動も見られた。つまり、本人は通訳者としての経験であると意識しているものの、 実際は社員と通訳者両方の身分がすでに混じり合って、渾然一体になっている可能性 が考えられる。本節では、前節の事例分析を踏まえ、Baker(2006)に基づいて考察を 行う。 まず、目の前ですでに摩擦が起きている状況に臨む際、通訳者は、和らげ・削除、三 人称使用といった発話を再構築する形式を用いて、発話に表された、聞き手に対する 怒りや軽蔑・不信感を抑制したり、距離を取ったりしていることを例示してきた。 「和らげ・削除」(CS1, 2)という関与について、摩擦の最中という状況に置かれる通 訳者は、元発話を細かに変更する程度の関与は比較的に低リスクではないかと判断し たようだ。この関与の形式はBaker(2006)が言う「選択的占有」であり、2 事例とも、 日本人従業員の元発話に潜んだ、中国人従業員に対する軽蔑や不信感を抑制しようと
しており、通訳者は摩擦を緩和するように努める。同時に、元発話には、日本人従業 員/ 日系企業が優位にあり、中国人従業員 / 中国の代理店の社員に対して暴言を発して も良いという認識が潜んでおり、通訳者はそのナラティブを弱体化している。またCS2 は、P4 が自社と代理店との強弱関係を踏まえて行動を変えた事例であり、二社間の位 置づけが訳出に影響することが見て取れる。 「三人称の使用」(CS3, 4, 5)で訳出する行動は、通訳者が元発話と距離を取り、摩擦 の状況から離れようとしていることを示唆するものである。3 事例はともに、それぞれ 中国人従業員の何らかの行動に対して不満を表した日本人管理職の発話だが、通訳者 は距離感を示した上で、自分自身の感情を伝えながら摩擦を解消するように関与した。 いずれにしても、Baker(2006)が言う「参与者の再位置づけ」に関連する関与である。 CS3 で P6 は日中の管理職の利害関係による摩擦において、渦中にいる二人と異なる立 場(摩擦を抑える立場)に自分自身を位置づけようとする。CS4 において、P2 は、日 本人従業員が怒り出した原因は、自分があいまいな指示を明示化しなかったことだと 認識しているため、いったん発話から距離を置いて、怒りの言葉の真意を伝えること で、中国人担当者を不利な状況から助け出そうとしている。同時に、P2 は日本人上司 の指示があいまいであることを当然のように受け入れて、それを明示化することも通 訳者の責任範囲であると思っている。社内で優勢である日本式文化に近づけるように 中国人の担当者の手助けをすると同時に、日本人従業員の優位性を示すさらに大きい ナラティブを維持することになった。CS5 も同様に中国人担当者がそれ以上不利な状 況に陥らないように守った事例である。それと同時に、P7 は日中従業員の不適切な行 動に起因する摩擦の状況の外に自分を位置付けて、秘かに不満を表している。 一方で、発話外の関与(CS6)において、通訳者がジェスチャーの文化差異を説明す ることで、日中の従業員間の誤解を解消した。本事例では通訳者の関与によって円満 に収まったが、場合によって、日本文化に対するある特定の側面が強化されるおそれ が考えられる。この点については後述する。 摩擦時の関与(4.1)においては、CS6 のみが異文化間のギャップによる摩擦であり、 その他の事例は、異文化より企業間/ 企業内の利害関係や人間の怒りに由来するもので ある。こうした摩擦は、通訳者が関与しても容易に収まるものではない。また、本カ テゴリーにおいてCS6 以外の事例は、中国人の従業員による不適切だと考えられる行 動に対して、日本人従業員が発した怒りの言葉の通訳に偏っている。調査の偶然性に 関わるものの、日本人従業員を社内で優位な立場に位置付けている可能性が再び示唆 された。 次に、摩擦の事前回避のために通訳者は、自分自身の異文化知識や「暗黙のノウハ ウ」に基づいて、発話の再構築や背景知識の補完、さらに意思決定に関わる判断といっ た形で関与している。 発話の再構築(CS7)について、Baker(2006)が「参与者の再位置づけ」について 述べたように、訳出する際、どのような「言語使用域」を選択するかで、「参与者を特
定の社会集団に結び付けたり他の参与者と区別したりする」(Baker 2006:137)ことが可 能である。CS7 において P2 は、想定された受容者(日本人管理職)の期待に基づいて 発話を再構築しており、言い換えれば、通訳者は日本人管理職の「言語使用域」(フォー マル度がより高く、インパクトのある話し方)を選択し、社内において優勢に置かれ る日本人従業員の集団と自分自身を結び付けている。これは自分自身をより優れた位 置に据えるというよりも、こうした位置づけによって、中国人従業員の発言を日本式 マネジメントにおいて受容されやすい形式に近づけるように手助けし、日中間の摩擦 を事前に回避して会議の効果を最大化することを目指しているのではないか。こうい う位置づけは、背景知識の補完におけるCS9 も同様である。日本人上司の明瞭でない 指示に対して、P7 が明確化して中国人担当者に伝えることも、日本式マネジメントに 引き寄せるためである。この2 事例は、企業内の力関係を表したナラティブを維持す ることによって、摩擦の回避に有効であると考えられる。 それに対して、背景知識の補完におけるCS8 では、残業に関する考え方を日中の管 理職に伝えることによって、互いの理解を深めるための関与であり、日中双方を同じ 位置に調整し、よりバランスが取れたコミュニケーションを目指していることが示さ れた。なお、意思決定に関わる判断におけるCS10 では、P5 が中国側の事情を優先し て、日本人従業員を現地に適応させるよう努めた。この2 事例も「参与者の再位置づ け」に関連するものであり、通訳者が訳出の過程にあからさまに自分の声を入れるの は、Baker(2006)が挙げたパラテクストの追加と共通点がある。日中のどちらの背景 知識を補完するか、意思決定においてどちらの意見を受け入れるか、通訳者がその選 択によって、どちら側のナラティブを優先するかということが反映される。CS8 にお いて、P1 は日中両者に残業に関する考え方を説明したが、「残業代を騙し取る」という 語りから、中国人の人事部長の意見に賛同するようだ。CS10 においても、P5 は村の役 所のやり方を認めてはいないが、当該コンテクストにおいて自社と役所との力関係と 位置関係を見極めて、役所に賛同を示した。勿論、この2 事例とも、最終的に企業の 利益中心という目的を満たすための行動でもあると考えられる。 摩擦の事前回避への関与(4.2)における事例は、異文化間のギャップに関わる摩擦 が著しい。通訳者が異文化の背景知識や話し方のギャップを埋める関与は、摩擦の回 避に有効であると認識されているようだ。こうした関与が可能となるには、通訳者に 豊富な経験、およびより強い立場が求められる。また、文化の差異に関する説明は、 Baker(2006)が言うある特定のナラティブの拡散に関わる。ある事項を説明すると同 時に、伝わり方や受容者の知識に基づいた理解によって、聞き手が有するステレオタ イプを喚起する恐れがあり、結果的に日中の文化に関わる何らかのナラティブを強化 してしまうことがありえるであろう。例えばCS6 では日本の性文化、CS8 では日本人 の仕事人間・中国人の騙し取る傾向、CS10 では中国に規則がないといった側面が強調 され、さらに両者のコミュニケーションにおける力関係に影響を及ぼす可能性が考え られる。
さらに、通訳者=摩擦の「責任者」において、組織内で摩擦を解消する方法として 通訳者に責任を転嫁する際、通訳者の抵抗と妥協が見られた。中国の日系企業におい て社内通訳者は一体どのような存在なのか、ということをナラティブとして捉えると、 こうしたナラティブがまさにベイカーが言う暴力の環境づくりに関連する。社内通訳 者であっても、ただ言葉を転換する機械のような地位の低い存在だと見なされるか、日 中間のコミュニケーションをサポートする能動的な役割と見なされるか、その見方に よって、責任が転嫁されるか否かが大きく変わる。勿論、これは組織によって異なり、 その集団における日中従業員の考え方にも影響されるものである。ただし、通訳者を 含めた集団または社会のメンバーが、こうした環境を作り上げることに関与する。例 えばCS12 において P5 は妥協し、自分の職場において通訳者に対する見方(ナラティ ブ)に挑戦をせずに、その環境維持に協力したことになる。それに対して、CS11 にお いてP3 が抵抗したことは、そのまま放置されたものの、その職場におけるナラティブ に反対を示したことで、環境の変更へと行動を起こしたと見ることができる。通訳者 がいかに自分自身を位置付けるかによって、通訳者の行動、通訳者の勤務環境、さら に日中従業員の行動が変わる可能性があると思われるが、この点についてはこれ以上 立ち入らない。 また、本稿における社内通訳者には、内心の葛藤が見られた。それは、組織の中の 一員として、集団の利益を優先するか、または通訳者の役割を優先するかという2 つ の役割間の葛藤として表れた。これは、通訳者が自分自身を参与者の一人としてどう 再位置づけするかに関連するものであり、社員あるいは通訳者として位置付けるかが、 通訳過程における意思決定ひいては価値判断に影響を与える。特にCS11 において P3 はこうした葛藤を経た結果、社員より通訳者としての位置づけを優先し、通訳者のプ ライドを守るために弁解をしたが、これは企業内における通訳者に関するナラティブ そのものに影響を及ぼす行為であると思われる。全体的に、通訳者は通訳者と社員の 両方に自らを位置付けており、多様な行動パターンで2 つの役割を呈示しようとして いる。また、CS1 と CS3 で見られたように、通訳者は元発話を正確に訳出するだけで いいのか、またはコンテクストによって変更してもいいのか、という通訳者の役割内 の葛藤も確認できた。 以上のコミュニケーション摩擦事例において、通訳者が日中従業員の摩擦に直面す る際には様々な形式で関与していることが明らかになった。通訳者の付加価値として、 摩擦を回避する役割である「異文化ファシリテーター」が提唱され(椎名・平高 2006)、 本研究にも通訳者が確かにこうした役割を果たしたと言える事例が見受けられたもの の、必ずしも断言はできない。むしろ「異文化ファシリテーター」の役割を果たす際、 Baker(2006)が言う通訳者の責任に関わる問題をさらに検討する必要があると考えら れる。異文化ファシリテーター役の前提は、両文化がある程度対等な関係に置かれる ことであると思われるが、中国の日系企業においては、資金や利害関係など諸要素に