HEART’s Up To Date
海外留学の実際
第
5
回
循環器内科医・心臓外科医の
数年間のつもりで来たアメリカへの留学も五里霧 中のまま,₁₀ 年が経ちました.いまだに英語には苦 労していますし,いまだにアメリカのいい加減な部 分や食事にも慣れません.一方で,日本に帰るたび に,日本人の礼儀正しさ,真面目さに感銘を受け, 食事の美味しさに感動します.日本に帰りたいとは 思うけれども,帰国しにくくなってしまったという のが現状です. 申し遅れましたが,オレゴン州の一般病院で循環 器内科,不整脈(Electrophysiology(EP):電気生理 学)の専門医として勤務する河田 宏と申します.私 は日本で内科,循環器,不整脈のトレーニングを行っ てから,アメリカに渡りました.幸にも不幸にも, 二つの国で臨床トレーニングを行った経験を通して 私が感じたことを率直にお伝えしたいと思います. レジデントから始めるか,フェローから 始めるか 臨床留学において,循環器内科と心臓血管外科で はパターンが異なります.留学する循環器内科医の 多くは,日本で循環器内科のトレーニングを経ずに, 卒後早い段階でアメリカの内科レジデンシーに入 り,循環器フェローシップに進みます.ですから, 医学生の頃から USMLE の勉強をしていたという ような優秀な方が多いです.アメリカでは循環器内 科の人気が高く,内科のレジデンシーを行わず,循 環器フェローシップから始めることは非常に難しい です(ほとんど聞いたことがありません).循環器 フェローシップは外国人には特に狭き門となってお り,内科レジデンシーを修了したレジデントのうち, アメリカ人(アメリカの医学部卒業)のマッチ率が ₉₀%なのに対して,海外の医学部卒業の外国人の マッチ率は ₅₄%とかなりの差があります. 一方,日本から留学してくる心臓外科医の多くは 日本でのトレーニングを修了した後,フェローとし てアメリカに来ます.心臓外科も競争率が高いので すが,肉体的に大変ですので,QOL を重視するアメ リカ人に敬遠される傾向があります.さらに,日本 から来る腕が良いフェローを長年にわたって頼りに しているプログラムもあり,フェローシップから始 めることが可能です. 私の場合は,日本で内科,循環器内科,不整脈の トレーニングを ₇ 年修了した後に渡米し,さらにア メリカで ₈ 年のトレーニングを繰り返し,計 ₁₅ 年も のトレーニングを行う羽目になりました.私の知る 限り,世界広しと言えど,これ以上の長いトレーニ ングを行った医師は聞いたことがありません.アメ リカで研修医からやり直し始めた頃,日本の先生方 に,「研修医からやり直すんか?よく頑張るなー」と 憐れまれたものです. 留学のきっかけは留年 元々,帰国子女でもなく,英語は話せませんでし た.医学部在学中もサッカーとバイトに明け暮れ, 決して真面目な学生ではありませんでした.さらに 医学部 ₁ 年目で躓きます.ドイツ語たった一科目だ けで早々と留年が決まってしまったのです.当時は ショックを通り越し,私を落としたドイツ語教師に ただ怒りを覚えていましたが,この留年が今の留学 につながっているといっても過言ではありません. (ピースヘルス セークリッドハートメディカルセンター, オレゴン州循環器内科 電気生理学・不整脈部門)連載
河田 宏
人生万事塞翁が馬とはこのことです.留年と言って も,₁ 年の半年は休学で,半年は週 ₁ 回の授業に行 くだけでした(ちなみにこのドイツ語が人生におい て役立ったことは一度もありません).時間がありま したから,英語ができればかっこいいなと思い,英 会話の勉強を始めることにしました.思いもよらず, その英語が役に立ち,医学部 ₆ 年生の春にハワイ大 学に臨床実習に行くことができました.幸運にも, 藤谷茂樹先生(聖マリアンナ医科大学 救急医学 教授)や岸本暢將先生(杏林大学 リウマチ科 准教 授)の下で学ばせて頂き,臨床留学という選択肢を意 識するようになりました.ところが,在学中は国家 試験の勉強すら大変で USMLE の勉強をする余裕 などありませんでした. 東京 初期研修と循環器内科の後期研修 臨床留学を意識していたので,研修は臨床留学に 力を入れていることで有名な千葉の病院に行こうと 考えていましたが,最終的には“花の都 大東京”に 惹かれ,東京タワーに近い東京都済生会中央病院で 研修医を開始しました.臨床研修必修化前でしたか ら,一部の科はブラック企業のようで忙しいを通り 過ぎて,忙しすぎたかもしれない毎日ではありまし た.その甲斐もあって,内科診療の基礎を学ぶこと ができました.そのまま,後期研修は済生会に残り, 宇井進先生,中川晋先生の下で冠動脈インターベン ションや循環器集中治療など,循環器診療の基礎を 勉強することができました.その後も忙しさを理由 に,USMLE の勉強がはかどらず,結局かなりの低 得点でパスしました.一般に卒後 ₅ 年以上となると, アメリカのレジデンシーのポジションを得るのは難 しくなり,私もこの時点でレジデントから始めるの はほぼ絶望的でした.臨床留学の経験がある先生か らも,異口同音に「無理だからやめたほうがいい」と 常識的なアドバイスを受けました. 大阪 国循での不整脈修練医とバイト生活 ここは現実を見据えて,臨床留学できない場合も 考え,とりあえず臨床留学と日本での循環器医とし てのキャリアの“二兎”を追うことにしました.済生 会にいらっしゃった三田村秀雄先生の影響もあり, 不整脈を専門に決め,より専門的な施設に行くこと にしました.残念ながら,医局と関連がない施設で 不整脈の修練ができる病院は限られていました.幸 いにも,国立循環器病センター(国循)の不整脈専門 修練医として採用して頂き,鎌倉史郎先生や清水渉 先生をはじめとする日本を代表する先生方から,臨 床研究や手技を学ぶことができました.₂ 年間の専 門修練医修了後はとりあえず留学しようと決めてお りましたので,貯金が必要でした.国循の専門修練 医の給料は手取り ₃₀ 万円ぐらいでしたので,臨床・ 研究をしていないときはひたすら大阪の野戦病院で バイトを続けていました.臨床,研究,バイトの繰 り返しで,またもや忙しすぎたかもしれない毎日で したが,自分と近い世代のやる気に満ち溢れたレジ デントや専門修練医と過ごした日々は,最高に楽し く,私の一生の宝です. 無給から始まった留学生活 いざ,留学しようにも,医局にも所属していない 私が留学先を探すのは簡単ではありませんでした. 困っていたところ,前述の藤谷先生がカリフォルニ ア大学サンディエゴ校 University of California, San Diego(UCSD)で不整脈フェローをされていた齋藤 雄司先生(次回,このシリーズを担当されます)を紹 介してくださいました.齋藤先生が UCSD の Greg-ory Feld 教授に話を通してくださり,無給でもいい なら受け入れるという返事を頂きました.“虎穴に は入らずんば虎子を得ず”との思いでとりあえず ₂₀₁₀ 年 ₇ 月から UCSD に留学することにしまし た.UCSD はこれまでも日本人を採用しているの で,臨床フェローをやらせてもらえるのではとの目 論見もあり,UCSD にお世話になることにしまし た.留学先を探すときは給料も大切ですが,本当に 行きたいところなら無給で行く覚悟も必要かもしれ ません.
いざ,UCSD に来てはみたものの,研究のデータ ベースもなく,勝手に臨床研究を行う毎日でした. しかも,目当てにしていた奨学金も取得に失敗して しまいます.サンディエゴという場所はアメリカで も住みたい街 No. ₁ に挙げられるようなところで, 本来ならば,楽しい生活になるはずでした.しかし ながら,妻と二人の子供を連れたうえでの無給留学 というのは精神的に辛く,この頃にいい思い出はあ まりありません.低所得者の子供に与えられるミル クやフルーツのクーポンを支給されるほどでした. 貯めてきた ₁₀₀₀ 万円近い貯金もあっという間にな くなり,半年もすると精神的にも限界を感じていま した.プログラムにも ECFMG を持っているので臨 床フェローになって,手技をさせてもらいたいとも 伝えましたが,残念ながら,ポジションが埋まって いると言われてしまいました.ただ,腐らずにカン ファレンスには出て,不整脈を理解しているという ことだけはアピールするようにしていました.他の プログラムへのインタビューも受け,最悪,帰国も 考えていた ₄ 月頃,突然,「₇ 月からのポジションに 空きが出たから,フェローとして採用したい」と言わ れました.なんと,EP フェローを始める予定だっ た循環器フェローがインターベンションに進路を変 えたのです.まさに,“晴天の霹靂”でした.₃ カ月 前に EP フェローのポジションが空くということ は,この前にも後にも UCSD では聞いたことがあり ませんので,本当に幸運でした. 私のように,循環器のサブスペシャリティーとな る不整脈やインターベンションのフェローシップか ら始めることは循環器フェローシップから始めるよ りは現実的です.フェローシップだけ経験したいと いう方には一つの選択肢となるでしょう.ただし, 受け入れてくれる施設は限られており,多くの場合, ECFMG を取得していなければなりません. EP フェローの生活 EP フェローのトレーニングはアブレーションや ペースメーカー,除細動器など心臓デバイスの手技, コンサルト,外来,そして研究からなります.EP フェローが始まって間もないころは英語がわからな くてよく困りました.それでミスや問題が起きると, クビになりかねないので,謝りながらなんとか業務 をこなしていました.不得意な英語を,ナイスガイ を演じることでカバーする作戦です.幸い,日本で 不整脈を学んでいたため,知識や技術のほうは困る ことがなく,指導医やスタッフにも信頼されていま した. 外来やコンサルトは循環器フェローの間にも経験 しているので,EP フェローはより手技に集中でき ます(外来やコンサルトを嫌がるフェローがほとん どです).研究への力の入れ方はフェローによってか なり異なります.また,日本のように博士号をとる とか,医局にいる限り,研究をしなければなれない ということはありません.研究にやる気がないフェ ローはそれを明言し,研究を全く行いません.彼ら から言わせると「市中病院に行って研究を続けるわ けでもないのに,なぜ研究をしなければならないの か」となります.フェローシップの一番の目的は“一 人前の臨床ができる EP 専門医になること”ですし, 合理的な考えなのかもしれません.勿論,臨床研究 に力を入れて,大学に残ろうと頑張っているフェ ローもたくさんいます.ただ,フェローシップはそ れなりに忙しいので,日本のように基礎研究をしな がら EP フェローを続けるというのは非常に難しい と思います.また,フェローシップ卒業後,基礎研 究を続けながら,EP 専門医として働くというのも 容易ではありません. 循環器フェローや EP フェローの給料は住む場所 にもよりますが,₆︲₇ 万ドル程度です.妻と子供が いると,その所得ではサンディエゴでは低所得者と みなされました.当時は夏休みに日本の病院に出稼 ぎバイトに行かせて頂き,何とか生き延びていまし た. EP フェロー修了後の進路 いざ,フェローを始め ₁ 年も経つと,次の進路を
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考えなければなりません.フェローから始めても, ものすごく優秀であれば,その施設に指導医として 残るということも可能ですが,残念ながら,そこま での能力はありませんでした.基本的にはアメリカ で内科のレジデンシーを修了しない限り,循環器や EP の専門医も取れません.ですから,採用された としても,施設限定の医師免許となるため,その後 の選択肢が限られてきます.具体的には,不満があっ ても施設を変えられない,給料の交渉がしにくいと いうことがあげられます.ですから,長期にアメリ カに残るのであれば,レジデンシーから始めたほう が自由が利きます.私には EP フェロー修了後,帰 国かレジデンシーからやり直すかのどちらかの選択 肢しかありませんでした.結局,アメリカの仕事と 生活のバランスに惹かれ,アメリカに残ることに挑 戦してみることに決めました.というのも,この時 点で卒後 ₁₀ 年近く経過していたため,内科レジデン シーのポジションは取るのは至難の業でした.失う ものはありませんから,₃₀︲₄₀ 施設に応募してみま したが,結局インタビューに呼ばれたのは ₁ つだけ でした.幸いに,EP フェローでの臨床経験を評価 して頂き,縁もゆかりもないオハイオ州シンシナ ティーの施設に運よくマッチすることができまし た.内科のレジデンシー修了後は,再びカリフォル ニア州に戻り,カリフォルニア大学アーバイン校 University of California, Irvine(UCI)で ₃ 年間の循 環器フェローを修了しました. J ビザの問題 多くの日本人は J ビザというビザで臨床留学を始 めています.J ビザの大きな問題点は,トレーニン グの間しか滞在できないということです.ですから, レジデンシーやフェローを修了すると ₂ 年間の帰国 が義務付けられています.いくつか抜け道があるの ですが,その一つが J ウェイバー(waiver)と言われ る方法です.ウェイバーとは制限の免除という意味 ですが,具体的には,₂ 年間帰国する代わりに,医 師が不足している地域(underserved area)で ₃ 年間 働くことを意味します.内科,家庭医,小児科医な どのプライマリーケアの医師ならば,大都市でも J ウェイバーが可能です.しかしながら,循環器内科 となると本当に住みたくないようなところに行く羽 目になります.個人的な意見ですが,広いアメリカ, 西海岸や東海岸,一部の大都市を除くほとんどの場 所は日本人が住みたくないようなところばかりで す.私もアカデミア(大学病院)に残りたかったので すが,そうなると,南部や中西部に選択肢が限られ てしまいます.レジデンシーで中西部のオハイオ州 を経験していたこともあり,家族との生活を考える とあまり日本から遠い州には行くことは避けたいと 思いました.限られた選択肢の中で,最も日本に近 く,ウェイバーができるオレゴンを選びました.オ レゴン州と聞くと私より年配の方は,たいてい,「オ レゴンから愛」というドラマを連想されます.オレゴ ンは森と海に囲まれた自然がいっぱいの州です. 指導医としての仕事探し アメリカには医局というものは勿論ありません. 医局がなければ,医師の給料は需要と供給のバラン スで決まります.ニューヨーク New York やロスア ンゼルス Los Angeles などの都市に住みたい医師 は多いので給料が下がります.逆に中西部や南部の 州など人気のない街では給料が上がります.また, 臨床に専念できる一般病院のほうが,給料が良い傾 向にあります.全米全体では循環器は売り手市場で すが,カリフォルニア州などでは職を探すのは簡単 ではありません.多くの場合,ポジションは口コミ やリクルーターを使って探します.大学などのアカ デミアでは,フェローがそのまま残ったり,口コミ で決まることがほとんどだと思います. アテンディングドクター(指導医)としての 生活 “トレーニングを修了した医師”のことをアメリカ ではアテンディングと言います.指導医とも訳され ますが,フェローがいないプライベート病院では指導はしませんので,指導医と言う訳は適切ではあり ません.日本と違い,アメリカではフェローとアテ ンディングの間には天と地ほどの明確な違いがあり ます.フェロー(卒後 ₄ 年目から ₈ 年目)の間の給料 は ₅︲₇ 万ドル程度ですが,カリフォルニア州や大都 市でこの給料で家族を養うのは非常に厳しいです. また,フェロー単独では治療の意思決定や手技はで きません.アメリカでは,フェローシップの期間が 決まっており,それが終われば,一人でやっていく 実力があろうがなかろうが,一人前とみなされます. 例えば,循環器フェローは ₃ 年,EP フェローは ₂ 年 と決められています.₂ 年間で不整脈の手技が上手 になる人もいれば,そうでない人も当然出てきます. 実際身近で観察して,「このフェローは卒業して大 丈夫か?」と思うようなフェローも中にはいます.彼 らもフェローシップ修了後は独立するわけです.同 じ病院に同僚の EP 専門医がいても,それぞれが独 立した仕事をしているため,指導や手伝ってもらう ことは簡単ではありません.実際,就職後,手技が 上手でない,スタッフとうまくやっていけないなど の問題で辞めざるを得なくなるということはよくあ ります.病院としても,トレーニングを修了した一 人前の医師には一人で手技をしてもらわないと困り ます.だからこそ,採用の際に専門医を持っている かどうかを重視するわけです.このようにアテン ディングは責任重大ですが,その分給料はフェロー から一気に上がります.ただ,医学部の授業料が高 いアメリカでは,多くの循環器医は専門医になる頃 には ₂₀ 万から ₃₀ 万ドルの医学部の授業料の借金を かかえており,給料が高いのは当然だと思っている ようです.医師や看護師の給料が高い分,患者の支 払いが高くなるのは当然です.私もアメリカで患者 として病院に行くのは極力避けています. 多くのアテンディング医師の給料は出来高制で す.医師の一つ一つの手技や外来に RVU(Relative Value Unit)という単価が決められています.これ は,その手技などに必要な医師の知識やスキルを元 に決められています.例えば,ペースメーカーの植 込みなら ₉ 単位,心房細動のアブレーションなら ₃₀ 単位といった具合です.単純に言うと,手技を多く 行い,患者を沢山診れば,給料は上がります.ただ, 新しい病院に就職して最初の数年はどれくらいの手 技ができるか,また,患者がどれだけ来るか予測が つきません.ですから,最初の数年は固定給で始ま り,その後出来高制に移行するというパターンが多 いです.出来高制の問題点としては,売り上げのた めに,不必要な検査や手技をオーダーする医師が出 現するといったことがあげられます. 日本とアメリカのトレーニングの違い 医局に入らずんば… 日本で不整脈を体系的に学ぶには,臨床・研究の 双方が活発な施設で数年間修練を行う必要がありま す.この条件に合うようなほとんどの施設は医局関 連だと考えられます.実際,私が循環器内科の修練 を修了後に不整脈が学べる施設を探した際,医局に 関連せず,高いレベルで臨床・研究を行える施設は あまりありませんでした.留学のタイミングを自分 で決めていたため,医局に関連しない施設でなけれ ばなりませんでした. 最近の若い医師は初期研修終了後,市中病院で循 環器内科の研修を続けることが多いと思います.不 整脈などの専門性の高いことを学びたければ,₅︲₆ 年目の段階で医局に入らざるを得なくなるパターン が多いのではと思います.医局に入れば,医局内の 色々な施設の異なる先生から指導を受けることがで きます.また,研究の機会もあり,学会での地位の 向上の助けにもなるでしょう.ただ,日本の医局は 入ることに比べると,出るのはなかなか難しいです. また,医局に入ると自分のタイミングで留学したり することも難しいでしょう.医局に入ることは医師 の人生において大きな決断ですので,医局と修練施 設がもう少し切り離されていてもいいのではないか と感じます.一方,アメリカには医局というものが ありませんから,上司とそりが合わなかったり,よ り良い条件があれば,他の施設に移動するのは当然
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のことです. 徒弟制度 vs. フェローシップ 日本でのトレーニングは良くも悪くも徒弟制度に 支えられていると思います.トレーニングの年数が 決まっていない分,一人前になるまで医局全体で医 師を育てていくという良い側面があると思います. 一方で,トレーニング中に経験できる症例数は学年 が近い同僚の数などにも左右され,読めない部分が あります.私が国循にいた頃,専門修練医 ₂ 年目に なった際に専門修練医が ₂ 人から ₅ 人に増えたこと がありました.そうなると経験できる症例数は当然 減ります.また,アブレーションに比べるとデバイ スのトレーニングはあまりできませんでした.この ようにトレーニングのルールが明確に決まっていな いと,自分がどれだけの症例を経験できるかは行っ てみるまでわかりませんし,施設やタイミングに よっても大きな違いが生じてきます. 一方,アメリカのトレーニングは不整脈なら ₂ 年 と最初から決まっています.その ₂ 年間で経験でき る症例数は,日本よりも豊富だと思います.フェロー シップの間に最低でも ₁₆₀ 例のアブレーションと ₁₀₀ 例のデバイスの植込みを行う必要があります. アメリカで就職活動をする場合,不整脈専門医,も しくは専門医取得見込みであることが大前提となり ます.ABIM(米国内科専門医委員会)が専門医を与 えることでその医師の臨床能力をある程度保証して いるとも言い換えられます.ABIM が「これぐらい は経験しないと,₂ 年間で一人前にはなれない」と考 えたうえで,必要な症例数を決めているのだと思い ます.専門医の有無は訴訟になった際にも不利にな るため,専門医がないと就職は難しくなります.ち なみに日本の不整脈学会の専門医に必要な症例数は アブレーション ₂₀ 例,デバイス ₁₀ 例です.どう考 えてもこの数が不整脈の臨床を行うのに十分だとは 思えませんが,日本の不整脈専門医には外科や基礎 の先生も含まれますし,専門医=手技を含めた不整 脈内科臨床を一人で行えることを意味しない,もし くは専門医を持っているかどうかが就職の際に重要 視されないからこういう数になっているのではない でしょうか. 留学後の進路 日本の循環器診療のレベルは,アメリカと同じぐ らい高いレベルにあります.そのため,アメリカで 臨床留学したからと言って,それだけで重宝される ことはないと思います.また,日本では,最先端の アブレーションをやっている病院は大学病院もしく は医局の関連施設に限られてきます.これまで,医 局人として生きてこなかった私のようなものが医局 での生活を一からスタートするというのはハードル が高いようにも感じられました.やはり,アメリカ に残ることにした一番の理由は,仕事とプライベー トのバランスや待遇面でした.アメリカでは医師の 社会的地位は高く,医師は医師だけにしかできない 仕事に集中でき,また,家族との時間も確保できま す. 日本人としてアメリカで研修するということ 研修医の頃,ほぼ毎日病院に寝泊まりしていたこ とがありました.患者さんに何かあったらすぐに行 けるようにするためです.今ではこういった働き方 は,“時代おくれ”なのだと思います.ただ,私に限っ て言えば,こんな時代があったから,“自分の患者と いう意識”が身につけられた気がします.それに慣れ てしまっているせいか,気になる患者がいると他の 医師に任せることがいまだにできないこともありま す. アメリカデビューは遅れましたが,日本での医師 生活を始めたおかげで,和を重んじ,謙虚で,勤勉 で,自分の仕事に責任を持つという日本人としての 当たり前の姿勢を身に着けることができました.ア メリカに来たからこそ,これが日本人の長所だと痛 感することができました.おそらく,こういった姿 勢があったからこそ,英語がうまくなくてもアメリ カで生き残ることができたと思います.日米の専門医教育には違いがあり,どちらがいい かは一概には言えません.ただ,異なる二つの国で 医師としてのトレーニングをできたことは本当に幸 せだったと思います.若い先生も,進路に迷うこと があると思います.時には上司や周囲の人から自分 の意志と反対のアドバイスを受けることがあるかも しれません.そういったアドバイスに耳を傾けるこ とは必要ですが,必ずしも従う必要はないと思いま す.臨床なり,留学なり,研究なり,大切なのは自 分が何をやりたいかだと思います.自分で進路を決 めて行けば,後悔することも少ないのではないで しょうか.もう一つ,数年後のビジョンを見据えて 準備をすることも大切です.いつ,チャンスが来る かわからないので,チャンスが来た時には準備がで きていなければなりません.最後になりますが,こ の寄稿が少しでも若い先生方の役に立つことを切に 願っています. 次回は,私をアメリカに導いてくださった齋藤雄 司先生にお願いしております.見ず知らずの私を無 償で助けてくれた人生の大恩人です.