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『伊勢参宮道中記』に見られるカ行・タ行子音の有声化について

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Academic year: 2021

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(1)Title. 『伊勢参宮道中記』に見られるカ行・タ行子音の有声化について. Author(s). 作田, 将三郎. Citation. 語学文学, 59: 58-69. Issue Date. 2020-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11536. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 『伊勢参宮道中記』に見られる カ行・タ行子音の有声化について 作 田 将三郎 1.はじめに 筆者はこれまで岩手県を対象に、近世後期の庶民層が作成した資料である「庶民 記録」や同時期の武士や庶民が記した「道中記」を利用し、作田将三郎(2009、 2013)では岩手県全域、および県東部に位置する釜石市、作田(2011 b、2017)で は県北部に位置する二戸市(旧二戸市)、作田(2012)では県中央部に位置する紫 波町で作成された資料の表記上に反映されている方言の音声的特徴のうち、カ行・ タ行子音の有声化を取り上げ、現代方言で指摘されている音環境をもとに、近世後 期の使用状況、および近世後期以降、現代に至るまでの歴史的変遷を扱ってきた。 本稿では、岩手県南部に位置する一関市のうち、旧一関市に属する地域において、 幕末期の西磐井郡赤荻村(現在の岩手県一関市赤荻、旧一関市)の庶民層である松 岡亀之輔が記した『伊勢参宮道中記』(1859~60)という道中記を利用し、比較的 多くの用例が得られたカ行・タ行子音の有声化を取り上げ、幕末期での使用状況、 近世後期や幕末期から現代に至るまでの約130年から170年間の歴史的変遷を見てい くことで、旧一関市における方言音韻史の一端を解明していきたい(注1) 。. 2. 『伊勢参宮道中記』の資料的性格について 本章では、『伊勢参宮道中記』の概略を述べたうえで、内容・位相的面での性格 と言語資料としての性格について検討していく。 まず、『伊勢参宮道中記』の概略であるが、現在、岩手県一関市博物館に所蔵さ れているが、一関古文書に親しむ会の読解講座テキストとして使用されており、40 丁からなる原本が印刷されたものとそれを読解したものが一関古文書に親しむ会編 (2019)により刊行されている。体裁としては、1頁4段からなり、1段目と3段 目には原本を印刷したものが、2段目は1段目の原本を、4段目は3段目の原本を それぞれ翻刻したものが示されている。本稿では、一関古文書に親しむ会編 (2019) の1段目と3段目にある原本が印刷されたものを利用し、 分析を進めることにする。 さて、岡陽一郎(2019)によれば、『伊勢参宮道中記』は縦10.4㎝×横21.7㎝の大 きさからなり、資料作成者の松岡亀之輔と他8名が安政6(1859)11月25日に出立 し、安政7(1860)2月24日に帰着するまでの道中記録であるが、村を代表して参 宮する代参の可能性が高く、金銭収支を含め、代参が適切に行われていたことを報 告するための旅行日誌兼金銭出納帳という性格を持つと述べられている。 -  - 58.

(3) 次に、 『伊勢参宮道中記』の内容・位相的面での性格であるが、 内容面については、 道中の名所や旧跡、宿泊地・旅篭名・旅篭代・米の相場・賽銭や船賃、飲食代や購 入品の代金などが記されている。しかし、これらのことは、作田(2011b、2012、 2017)で扱った道中記における内容と大きな違いは見られない。位相的面として、 作成者である松岡亀之輔の階層が村役人と推測されるため、幕末期の庶民層が使用 していた言語が資料に反映されていると考えられる。 最後に、言語資料としての性格について、語法として文末表現を例に文体を見て みると、 「也・なり」「候」「仕候」「阿り・有り」、および動詞の終止形といった文 語を基調としている。文法面での口語的、あるいは方言的使用は見られなかったが、 語彙面では<里芋>を意味する「ハタケイモ」を2例確認することができた。 〈21ウ、p.54・ (1)角ニ 引お登し 人参 畑いも 氷豆腐 二ノ汁(里芋の意) 上〉◆他〈22オ、p.54・下〉1例(注2) 語彙面の他に、音声面の方言的特徴が反映されていると考えられる用例も確認で きた。これについては、次章で詳しく見ていくことにするが、 『伊勢参宮道中記』 は、 幕末期における西磐井郡赤荻村(現在の岩手県一関市赤荻、旧一関市)の村役人と 思われる松岡亀之輔が普段から使用している生まれ育った土地の言葉としての音声 や語彙といった方言的特徴が表記上反映されている資料と言えそうである。. 3.音声の方言的特徴 本章では、幕末期において、現在の岩手県一関市のうち、旧一関市に属していた 地域の庶民層であった松岡亀之輔が作成した『伊勢参宮道中記』から確認できた音 声 の 方 言 的 特 徴 に つ い て、 同 地 域 の 現 代 方 言 を 扱 っ て い る 齋 藤 孝 滋(1992、 2001)、昭和後期の方言を扱っている本堂寛(1982)、および近世後期の方言を取り 上げている作田(2009、2011a)と比較しながら検討していくことにする。 そこで、近世後期から現代にかけて見られる岩手県旧一関市の音声の方言的特徴 について、現代方言の齋藤(1992、2001)で取り上げられている事象を中心に選定 したものを表1として示す。 表1を見ると、『伊勢参宮道中記』からは、「語中・尾におけるカ行・タ行子音の 有声化」の用例が多く得られており、 「語中・尾における母音のイとエが区別なく、 エに統合」、「シ・ジ・チがス・ズ・ツに統合」、「カ行には合拗音「クァ」が存在す る」といった事象も用例は少ないものの、確認することができる。 また、表1には、『伊勢参宮道中記』と同地域である旧一関市において、近世後 期に作成された庶民記録である『飢饉記』(1833~38)から用例が確認できた音声 の方言的特徴も示しておいた(注3)。 庶民記録である『飢饉記』と幕末期の『伊勢参宮道中記』を比較すると、用例数 に違いは見られるものの、「シ・ジ・チがス・ズ・ツに統合」と「語中・尾におけ -  - 59.

(4) 表1 近世後期から現代にかけて見られる岩手県一関市における音声の方言的特徴の比較 現代の音声的特徴 齋藤 (1992、2001) 旧一関市 語頭のイとエは区別なく、エに統合 語中・尾のイとエは区別なく、エに統合 アイ・アエが融合として[ℇː]となる シ・ジ・チがス・ズ・ツに統合 カ行には合拗音「クァ」が存在する 語中・尾のカ行・タ行が有声化する 語中・尾において、ガ行・ザ行・ダ行・ バ行子音の前に鼻音が入る カ行子音のキが、口蓋化・摩擦化して、 共通語のキとチの中間的な発音となる ハ行子音を[Φ]で発音する 促音・撥音・長音ともに独立性が弱く、 シラビーム方言的性格を有する. 昭和後期 本堂 (1982) 旧一関市 〇 〇 〇 〇 × 〇. 幕末期 『伊勢参宮道中記』 (1859~60) 旧一関市 ― 少 ― 少 ― 多. 近世後期 作田(2009、2011a) 庶民記録1種 旧一関市 ― ― ― 少 ― 少. 〇. ―. ―. 〇. ―. ―. △. ―. ―. 〇. ―. ―. 【表の見方】 (1)平成の大合併以前から一関市だった場合には「旧一関市」、それ以後に一関市に編入した地域は「他地域」に分けて示 した。 (2)昭和後期の音声の方言的特徴が指摘されている本堂(1982)における記号として、音声の方言的特徴が見られる場合 は「〇」、音声の方言的特徴が見られない場合は「×」、条件により音声の方言的特徴が見られる場合は「△」を付した。 (3)本稿で扱う『伊勢参宮道中記』、および作田(2009、2011a)で扱った近世後期の庶民記録において確認できた音声の 方言的特徴について、用例が多くの用例が見られる場合には「多」を、1例でも用例が見られた場合には「少」、用例が 全く見られない場合には「─」を記した。 (4)現在の岩手県一関市には近世後期に作成された庶民記録が11種類存在しているが、『伊勢参宮道中記』と同じ作成地で ある「旧一関市」の資料『飢饉記』(1833~38)に見られた音声の方言的特徴を示した。. るカ行・タ行子音の有声化」の用例が共に得られている。なお、これらの事象は、 昭和後期を扱っている本堂(1982)でも使用が認められている(注4) 。 したがって、岩手県一関市のうち、旧一関市において、 「シ・ジ・チがス・ズ・ ツに統合」と「語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化」は、近世後期以降、現 代に至る約170年間、「語中・尾における母音のイとエが区別なく、エに統合」は、 幕末期以降、現代に至る約130年間、少なくとも使用され続けている音声の方言的 特徴であることが窺える。 次章では、 『伊勢参宮道中記』に見られた音声の方言的特徴のうち、比較的多くの 用例が得られた語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化を取り上げることにする。. 4. 『伊勢参宮道中記』におけるカ行・タ行子音の有声化 前章でも確認したとおり、語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化は、旧一関 市で使用されていた音声の方言的特徴の1つであり、昭和後期については本堂 (1982)が、現代方言については齋藤(1990、2001)が、それぞれ音環境の面から 指摘している。 岩手県を対象とし、近世後期の庶民層が作成した「庶民記録」や「道中記」といっ た資料を扱った作田(2009、2012、2013、2017)では、中央語を基準に考えると、 -  - 60.

(5) 付されることが予想されない箇所に濁点が見られること、そのほとんどがカ行・タ 行に集中していること、さらには本来、清音表記であるカ行・タ行に付された濁点 は、単なる誤点ではなく、資料作成者が普段から使用している語中・尾におけるカ 行・タ行子音の有声化が表記に反映された可能性が高いこと、などが指摘されてい る。本稿で扱う『伊勢参宮道中記』においても、作田(2009、2012、2013、2017) が指摘しているような表記上の特徴が数多く見受けられる。 そこで、本節では、『伊勢参宮道中記』に見られるカ行・タ行子音の有声化と思 われる語形を取り上げ、それらを昭和後期、および現代方言で指摘されている音環 境に当てはめ、幕末期の使用状況との比較を行うことで、岩手県一関市のうち、旧 一関市における方言音韻史の一端を考察していきたい。 さて、語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化の用例については、 作田(2009、 2012、2013、2017)で示した基準のうち、以下の観点から得られた語形を採取した。 (2)『日本国語大辞典(第2版)』を参照し、中央語史上、常に清音表記である が、庶民記録では濁点が付された語形を地域的現象として採用した。 ただ、上記の観点を基準にして採取した用例のうち、表2に示したように、同一 の語形でありながら、濁音表記と規範的な清音表記が混同しているものが見られ、 中には(3)のような一般的に行われている清音表記以外にも、 (4)は本来前の文字 に付されるべき濁点を後ろの文字に付してしまった可能性のあるものも確認できる。 (3)前後い多し筆紙ニ尽し加゛多し〈28ウ、p.61・上〉 (4)𠮷水院可゛霊方ノ陀羅尼助受申候也前後致シ筆紙ニ尽シか多゛し(筆紙に 尽し難し)〈20ウ、p.53・上〉 表2 同一語形において濁音表記と清音表記が混同している用例 濁音表記〔カ行・タ行子音の有声化〕 い多゛し(いたし) 恋しぎ(恋しき) 赤胴瓦吹ギ・白遍以瓦吹ギ・瓦婦゛ぎ. 清音表記〔規範的な表記〕 い多し(2例) 恋しき. (~葺き、5例) 名加゛銭(中銭) 筆紙ニ尽シか多゛し(筆紙に尽し難し) 古んにやぐ(こんにゃく) 行ギ(行き) なりだ(成田-地名) お以王希゛・おい王希゛(追分-地名、3例) 古ぢやぐ(御着-地名) 加古゛川(加古川-地名). 古希ら吹キ・檜皮多゛吹キ(2例) 名加銭 筆紙に尽しか多し・筆紙に尽し加゛多し(2例) 古んにやく 行き・行キ(2例) 成(ナリ)田(タ) お以王希 御ちやぐ 加古川. また、規範的な表記は見られないものの、前の文字で付した濁点を後の文字にも 付してしまった可能性のある(5)も存在する。 -  - 61.

(6) カブド. 〈10オ、 (5)次八幡宮社阿り赤胴瓦葺頼朝公 冑 面刀色々宝物有り(かぶと) p.42・下〉 これは単純な打ち誤りなのかもしれないが、本稿では先に示した(2)に加え、 以下の(6)や(7)も有声化が反映されたものと見なし、用例を採取した。 (6)同一の語形でありながら濁音表記されているものとされていないものが見 られる場合は、前者を有声化しているものとして扱う。 (7)前の文字に付した濁点を後の文字にも無意識のうちに付してしまったとい う単なる打ち誤りの可能性があるものについても有声化として扱う。. 5.音環境から見た語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化 以上のような採取基準と認定方法により得られた『伊勢参宮道中記』に見られる 語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化が反映されていると認定した用例のう ち、本章では、「地名を除くもの」と「地名」に分けて検討していくことにする。 5.1.地名を除く用例における有声化する音環境 語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化が反映されていると認定した用例のう ち、地名を除く36語(45例)を表3として示した。なお、(8)の「楚でづ」 (蘇鉄 の意)のように、同一語形に有声化の反映されている箇所が2か所ある場合には、 「楚でづ」、「楚でづ」とそれぞれ分けて処理した。また、表2で示した清音表記が 見られるものには※を付し、以降の表もこれに準じている。 (8)妙国寺楚鉄日本一也免加銭ハ三文ツヽ寺領ハ六拾石楚でづニ六拾石合テ百 弐拾石の知行有り(蘇鉄)〈24オ、p.56・下〉 表3に挙げた用例を齋藤(1990、2001)で指摘されている現代方言における音環 境にあてはめて分類したものを表4として示すことにする。 なお、「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造はすべての用例を、 それ以外の音環境については用例の一部を以下に挙げておく。 ・カ行・タ行子音が母音音節に後接する場合 (9)増社多シ其数両躰合テ百弐拾増社前後い多゛し筆紙ニ尽シ難シ(いたし) 〈6オ、p.38・下〉 (10)一 上松ゟ福江飛へ田ト行ギ 下村迠ニ 三り〈行き〉 〈25ウ~26オ、 p.58・上~下〉 ・カ行・タ行子音が広母音尾の子音音節に後接する場合 (11)夫ゟ増社八拾増社廻り数々細銭まぐ也(蒔く・撒く) 〈16オ、p.48・下〉 (12)夫ゟ宮川茶屋ニ而弁当ハ開ギ茶代拾弐銅出シ暇乞シテ出立仕候(開き) 〈16 オ、p.48・下〉 ・カ行・タ行子音が長音に後接する場合 -  - 62.

(7) 表3 『伊勢参宮道中記』に見られる語中・尾におけるカ行・タ行子音の濁音表記一覧(地名を除く) 用例 ※赤胴瓦吹ギ・白遍以瓦吹ギ・瓦婦゛ぎ(~葺き、5例)、着ギ・着ぎ(着き、3例)、路ふ加゛・ 長路ふ可゛(廊下・長廊下、3例)、希さ可げ石(袈裟掛け石、2例)、百銅ニ而頂ギ(頂き、 〈も ナガ. らう〉の謙譲語) 、※い多゛し(いたし)、ま起゛銭(蒔銭・撒銭)、※恋しぎ(恋しき)、目の内ニ、 カブド. ダケ. 冑 、御丈、※名加゛銭(中銭)、多グ(多く)、人心悪ギ故ニ(人心悪き)、まぐ(蒔く・撒く)、. 夕飯頂ギ相休ミ(頂き、〈食べる〉の尊敬語)、開ギ(開き)、加つの古゛(数の子)、志やぐ志゛ やう(錫杖) 、※筆紙ニ尽シか多゛し(筆紙に尽し難し)、※古んにやぐ(こんにゃく)、住吉宿 サガイ. 院奥の院 境 の、楚でづ(蘇鉄) 、楚でづ(蘇鉄) 、買毛どめ(買い求め)、一トまぐ(一幕)、志 やぢ(鯱) 、※行ギ(行き)、たんさぐ物(短冊物)、加んぜ起゛おどし(岩石落とし)、加んぜ起゛ サシ. おどし(岩石落とし) 、ぬ希゛道(抜け道) 、指をぐ(差し置く) 、か多゛み(形見)、大ギサ(大 きさ) 、暫グ(暫く). 表4 音環境から見た語中・尾における カ行・タ行子音の有声化(地名を除く)カ行・タ行子音が母音音節に後接する場合 サシ. ※い多゛し(いたし) 、※行ギ(行き)、加んぜ起゛おどし(岩石落とし、)指をぐ(差し置く) カ行・タ行子音が広母音尾の子音音節に後接する場合 希さ可げ石(袈裟掛け石、2例)、百銅ニ而頂ギ(頂き、〈もらう〉の謙譲語)、ま起゛銭(蒔銭・ ナガ. カブド. ダケ. 撒銭) 、目の内ニ、冑 、御丈、まぐ(蒔く・撒く)、夕飯頂ギ相休ミ(頂き、 〈食べる〉の尊敬語)、 開ギ(開き) 、加つの古゛(数の子)、志やぐ志゛やう(錫杖)、※筆紙ニ尽シか多゛し(筆紙に尽 サガイ. し難し) 、※古んにやぐ(こんにゃく)、住吉宿院奥の院 境 の、楚でづ(蘇鉄)、楚でづ(蘇鉄)、 買毛どめ(買い求め) 、一トまぐ(一幕)、志やぢ(鯱) 、たんさぐ物(短冊物)、加んぜ起゛おど し(岩石落とし) 、か多゛み(形見)、暫グ(暫く) カ行・タ行子音が長音に後接する場合 路ふ加゛・長路ふ可゛(廊下・長廊下、3例)、多グ(多く)、大ギサ(大きさ) 「無声子音または有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造 赤胴瓦吹ギ・白遍以瓦吹ギ・瓦婦゛ぎ(瓦葺き、5例)、着ギ・着ぎ(着き、3例)、※恋しぎ(恋 しき) 、人心悪ギ故ニ(人心悪き) 「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造 ダケ. 御丈、ぬ希゛道(抜け道). 〈11ウ、p.44・上〉 (13)此所ハ山川なみニて家ハ多グ打潰レ(多く) (14)夫ゟ裏ニ廻リ三段の石垣の大ギサハ弐間余の石ニ而三段ニぎ可゛起゛畳 阿希゛高サ拾丈余り(大きさ)〈36オ、p.68・下〉 ・ 「無声子音・有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造 (15)木原ゟ舟に乗り阿王可志場ニ着ギ(着き)〈7オ、p.39・下〉◆他〈8ウ、 p.41・上〉に1例、〈14ウ、p.47・上〉に1例あり (16)奥津町ハ人心悪ギ故ニ宿取無用也(人心悪き) 〈11ウ、p.44・上〉 ・ 「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造 ダケサンヂヨウ. (17)夫ゟ初瀬観音御丈 三 丈 三寸是ハ天照皇春日ノ作名加゛銭ハ拾弐文宛(御 -  - 63.

(8) 丈)〈10ウ、p.43・上〉 (18)夫ゟぬ希゛道阿り(抜け道)〈31オ、p.63・下〉 これらの音環境のうち、「カ行・タ行子音が母音音節に後接する場合」、「カ行・ タ行子音が広母音尾の子音音節に後接する場合」、「無声子音または有声子音+狭母 音+カ行・タ行子音+狭母音」構造、 「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」 構造については、齋藤(1990、2001)において現代方言でも有声化することが指摘 されている。このことから、少なくとも幕末期以降、現代に至るまでの約140年間、 有声化しやすい音環境であると言えそうである。 作田(2009、2013)では現在の岩手県に存在する庶民記録に見られる語中・尾にお けるカ行・タ行子音の有声化を取り上げているが、 『伊勢参宮道中記』と同じ旧一関市 で作成された『飢饉記』 (1833~1838)から、 (19)に示した「無声子音または有声子 音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造の用例が確認されている(注5) 。 (19)蝉にくづわせミと申出不申(くつわぜみ) 【『飢饉記』 、 一関市(旧一関市) 、 作成者-不明、身分-村役人、天保4(1833)】 したがって、少なくとも約160年この音構造で有声化が起きていることになる。 ところで、「カ行・タ行子音が長音に後接する場合」であるが、昭和後期の本堂 (1982)では報告されていないものの、現代方言の齋藤(1990)では有声化が見ら れる場合もあること、この音環境で有声化現象が見られないものは、「言語外的要 因としての「語の史的性質」」(p.61)が関係しており、 「 「昔は使われなかった」語 であることは、無声子音を保持する要因ということができよう」(p.64)と指摘さ れている。ただ、用例(13)から(14)を見ると、旧一関市に属していた地域では、 幕末以前から使用されていた語形であったことが予想される。 そのため、 齋藤 (1990) で指摘されているような条件には合致せず、『伊勢参宮道中記』が作成された幕末 期において、 「カ行・タ行子音が長音に後接する場合」という音環境でも有声化し た可能性が高いと解釈できそうである。 5.2.地名における有声化する音環境 『伊勢参宮道中記』には途中立ち寄った地名が数多く記されているが、 そのうち、 語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化が反映されていると思われる用例64語 (73例)を表5として示し、それらを齋藤(1990、2001)が指摘している音環境に あてはめて分類したものを表6として示した。 以下に、 「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造はすべての用例を、 それ以外の音環境については用例の一部を挙げておく。 ・カ行・タ行子音が母音音節に後接する場合 (20)一 塩釜ゟ 以満いぢへ 弐り半(今市)〈2オ、p.34・下〉 (21)一 鞠子ゟ 於可゛遍゛へ 弐り(岡部)〈12オ、p.44・下〉 -  - 64.

(9) 表5 『伊勢参宮道中記』に見られる語中・尾におけるカ行・タ行子音の濁音表記一覧(地名) 用例 た可゛志ミ(高清水) 、な可゛そね(中曽根)、以満いぢ(今市)、王多゛り(亘理)、お多゛可゛(小 高) 、とミお可゛(富岡) 、加美お可゛(上岡) 、いしまぢ(石町)、いしざ可゛(石坂)、川具゛ 者さん(筑波山) 、い多゛古(潮来、2例)、※なりだ(成田)、さ具゛ら(佐倉)、きやうどく(行 徳) 、加王さ起゛(川崎)、加まぐら(鎌倉)、飛ら津可゛(平塚)、者古゛根(箱根)、於可゛遍゛ (岡部) 、い志うぢ(石打)、満津さ可゛・満川さ可゛(松坂)、お者゛多゛(小畑、2例)、多゛可゛ 多(高田) 、※お以王希゛・おい王希゛(追分、3例)、加美いぢ(上市)、左可゛いや(堺屋)、 者なさ可゛(花坂) 、志んたぢ(新立) 、加以津可゛(海塚) 、多可゛いし(高石)、御ちやぐ・古 ぢやぐ(御着、2例) 、い可゛留可゛(怒賀)、阿古゛ふ(赤穂)、か多゛可美(片上)、お可゛山・ お可゛やま(岡山、2例)、※古ぢやぐ(御着)、※加古゛川(加古川)、おふ具゛本゛(大久保)、 阿可゛し(明石) 、い具゛た(生田) 、阿具゛多゛川・阿具゛多゛(芥川、2例)、阿具゛多゛川・ 阿具゛多゛(芥川、2例) 、恵ぢ川(越知川) 、 阿可゛さ可゛(赤坂)、阿可゛さ可゛(赤坂)、保 そぐて(細久手) 、おふぐて(大久手) 、な可゛津川(中津川)、婦ぐ嶋(福嶋、現在の長野県木 曽郡木曽福島町) 、お可゛多(岡田)、さ可゛本(坂本、2例)、まづ恵多(松枝)、阿んな可゛(安 中) 、い多゛者゛な(板鼻)、多可゛さ起(高崎)、婦可゛沢(深沢)、多可゛宇ぢ(高内)、多可゛ 宇ぢ(高内) 、大王ぐ(大和久)、多可゛ぐら(高倉)、尓本んまづ(二本松)、王可゛ミや(若宮)、 婦ぐ嶋(福嶋、現在の福島県福島市)、古具゛婦゛ん(国分). 表6 音環境から見た語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化(地名) カ行・タ行子音が母音音節に後接する場合 以満いぢ(今市) 、とミお可゛(富岡) 、加美お可゛(上岡) 、い多゛古(潮来、2例) 、於可゛遍゛(岡 部) 、い志うぢ(石打) 、加美いぢ(上市) 、い可゛留可゛(怒賀) 、阿古゛ふ(赤穂) 、お可゛山・ お可゛やま(岡山、2例) 、阿可゛し(明石) 、い具゛た(生田) 、阿具゛多゛川・阿具゛多゛(芥川、 2例) 、恵ぢ川(越知川) 、 阿可゛さ可゛(赤坂) 、お可゛多(岡田) 、い多゛者゛な(板鼻) 、多可゛ 宇ぢ(高内) カ行・タ行子音が広母音尾の子音音節に後接する場合 た可゛志ミ(高清水) 、な可゛そね(中曽根) 、王多゛り(亘理) 、お多゛可゛(小高) 、いしまぢ(石 町) 、いしざ可゛(石坂) 、さ具゛ら(佐倉) 、加王さ起゛(川崎) 、加まぐら(鎌倉) 、者古゛根(箱 根) 、 満津さ可゛・満川さ可゛(松坂) 、 お者゛多゛(小畑、 2例) 、 多゛可゛多(高田) 、 ※お以王希゛・ おい王希゛(追分、3例) 、左可゛いや(堺屋) 、者なさ可゛(花坂) 、志んたぢ(新立) 、多可゛い し(高石) 、御ちやぐ・古ぢやぐ(御着、2例) 、か多゛可美(片上) 、※古ぢやぐ(御着) 、※加古゛ 川(加古川) 、阿可゛さ可゛(赤坂) 、保そぐて(細久手) 、な可゛津川(中津川) 、さ可゛本(坂本、 2例) 、まづ恵多(松枝) 、阿んな可゛(安中) 、多可゛さ起(高崎) 、多可゛宇ぢ(高内) 、大王ぐ(大 和久) 、多可゛ぐら(高倉) 、尓本んまづ(二本松) 、王可゛ミや(若宮) 、古具゛婦゛ん(国分) カ行・タ行子音が長音に後接する場合 きやうどく(行徳) 、おふ具゛本゛(大久保) 、おふぐて(大久手) 「無声子音または有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造 川具゛者さん(筑波山) 、婦ぐ嶋(福嶋、現在の長野県木曽郡木曽福島町) 、婦ぐ嶋(福島、現在の 福島県福島市) 「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造 飛ら津可゛(平塚) 、婦可゛沢(深沢) 「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造 ※なりだ(成田) 、加以津可゛(海塚) 、阿具゛多゛川・阿具゛多゛(芥川、2例). -  - 65.

(10) ・カ行・タ行子音が広母音尾の子音音節に後接する場合 (22)一 小田原ゟ 者古゛根へ 四り(箱根)〈11オ、p.43・下〉 (23)一 大豆崎ゟ 加古゛川へ 弐り(加古川) 〈28オ、p.60・下〉 ・カ行・タ行子音が長音に後接する場合 (24)一 舩橋ゟ きやうどくへ弐り(行徳)〈8ウ、p.41・上〉 (25)一 西谷ゟ おふ具゛本゛へ 壱り(大久保) 〈28オ、p.60・下〉 ・ 「無声子音・有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」構造 (26)一 湯袋ゟ 川具゛者さんへ弐り(筑波山) 〈6オ、p.38・下〉 (27)一 根子町ゟ 婦ぐ嶋へ 壱り半(福島)〈38ウ、p.71・上〉 ・ 「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造 (28)一 藤澤ゟ 飛ら津可゛へ三り半(平塚)〈11オ、p.43・下〉 (29)一 室沢ゟ 婦可゛沢へ 弐リ半(深沢)〈35オ、p.67・下〉 ・ 「有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造 (30)一 滑川ゟ なりだへ 壱り(成田)〈8オ、p.40・下〉 (31)一 新立ゟ 加以津可゛へ 弐り半(海塚) 〈23ウ、p.56・上〉 旧一関市の現代方言を扱っている齋藤(1990)では、被調査者である高年層男性 が調査地域にある「相川」という地名を[ɛːɡa]、岩手県内にある「盛岡」 「宮古」と いう地名を[morïoɡa] [mïjaɡo]のように有声化させて発音しているのに対し、「東 海道」 「東京」 「高知」といった地名に有声化が見られないことから、 有声化しない、 つまり無声子音を保持する漢語や地名は「「共通語と同形の非日常語」という枠組 みで一貫して説明できる」 (p.65)と述べている。また、齋藤(1990、2001)によ れば、現代方言において、 「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音+広母音」 構造では、 「狭母音」が無声化するため、後接するカ行・タ行子音が有声化しないというのが 一般的であると指摘されている。しかしながら、 『伊勢参宮道中記』 からは、 用例 (28) (29)の2語(2例)確認できた。 ところで、地名ではないものの、作田(2009、2013)では現在の岩手県宮古市(県 東部)で作成された近世後期の庶民記録である『長沢村災異記』 (1809~1869)や『天 保四年巳正月より覚扣』(1833~1836)、現在の岩手県釜石市(県東部)で作成され た三浦命助が幕末期に記した『獄中記』(1859~61)という資料において、この音 環境で有声化している用例が存在していることが確認されている(注6) 。 これらの事例から、少なくとも近世後期、あるいは幕末期の岩手県宮古市や釜石 市といった県東部地域から旧一関市といった県南部地域においては、母音の無声化 がまだ現代方言ほど活発ではなかったため、「無声子音+狭母音+カ行・タ行子音 +広母音」構造という音環境で有声化することがありえたのではないだろうか。あ るいは、他地域の地名については聞き慣れていないため、普段使用している言い方 で発音したり読んだりしたものが、表記上反映されたと見ることもできそうである。 -  - 66.

(11) 何れにせよ、近世後期から幕末期におけるこれらの地域では、現代方言における 音環境よりも広い音環境で有声化が行われていた可能性が高いと解釈しておきたい。. 6.まとめ 以上、現在の岩手県一関市のうち、旧一関市に存在する幕末期の庶民層が作成し た『伊勢参宮道中記』の表記に反映された音声の方言的特徴である語中・尾におけ るカ行・タ行子音の有声化について、現代方言で指摘されている音環境との比較か ら、幕末期の使用状況と近世後期や幕末期から現代に至るまでの変遷を見てきた。 考察の結果を示すと表7のようになり、そこから以下のことが明らかになった。 表7 音環境から見た近世後期以降の岩手県一関市(旧一関市)のカ行・タ行子音の有声化現象 平成期・高年層. 昭和後期. 幕末期. 近世後期. 齋藤 (1990、2001). 本堂 (1982). 『伊勢参宮道中記』 (1859~60). 作田 (2009、2011b) 庶民記録1種. 旧一関市. 旧一関市. 母音音節に後接する場合. 〇. 広母音尾の子音音節に後接 する場合. 旧一関市. 旧一関市. 地名除く. 地名. 〇. ○. 〇. ―. 〇. 〇. ○. 〇. ―. 長音に後接する場合. △. ×. 〇. 〇. ―. 促音に後接する場合. ×. ×. ―. ―. 撥音に後接する場合. △. ×. ―. ―. 無声(有声)子音+狭母音 +カ行・タ行子音+狭母音. 〇. 〇. 〇. 〇. 〇. 有声子音+狭母音 +カ行・タ行子音+広母音. 〇. ―. 〇. 〇. ―. 無声子音+狭母音 +カ行・タ行子音+広母音. ×. ×. ―. 〇. ―. (32)地名を除いたもので有声化する音環境として、 「母音音節に後接する場合」 、 「広母音尾の子音音節に後接する場合」、「長音に後接する場合」 、 「有声子音 +狭母音+カ行・タ行子音+広母音」構造が、幕末期以降、現代に至るまで の約140年間、 「無声子音または有声子音+狭母音+カ行・タ行子音+狭母音」 構造が近世後期以降、現代に至るまでの約170年間使用されている。 (33)地名では、「地名を除いたもの」で示した音環境以外に、「無声子音+狭 母音+カ行・タ行子音+広母音」構造における有声化が確認できた。ただ、 現代方言において、この音環境では「狭母音」が無声化するため、後接する カ行・タ行子音は有声化しないが、幕末期では有声化が確認できたことから、 現代方言よりも広い音環境で有声化が起きていたと考えられる。 -  - 67.

(12) (34)以上のことから、『伊勢参宮道中記』は現在の岩手県一関市のなかでも旧 一関市で幕末期に使用されていた語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化 を知るための有益な地方語文献資料であると言える。 本稿では、現在の岩手県一関市の中でも旧一関市を取り上げたが、作田(2009、 2013)には旧一関市の隣接地域であり、現在一関市に属する旧大東町で作成された 近世後期の庶民記録である『佐藤家文書』 (1833~1836)に、 語中・尾におけるカ行・ タ行子音の有声化が12語(23例)あることが示されている(注7) 。両資料に見ら れる語中・尾におけるカ行・タ行子音の有声化について、音環境の面から比較する ことで、現在の岩手県一関市、あるいは岩手県南部地域を対象とした近世後期や幕 末期における有声化の使用状況がより詳しく把握できるという期待が持てる。これ については、今後の課題としたい。. 注 1.現在の岩手県一関市は、平成17(2005)年に旧一関市、西磐井郡花泉町、東磐 井郡大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村が合併し、平成23(2011)年に東 磐井郡藤沢町を編入合併して設置されている。 2.用例の後の示した〈21ウ、p.54・上〉は、用例の所在が原本では〈21丁のウラ〉 、 刊行された一関古文書に親しむ会編(2019)ではp.54の上段であることを示して いる。また、同一語形が複数ある場合には、◆で示した後に用例の所在と用例数 を記した。以降、『伊勢参宮道中記』の用例を示す場合はこの示し方に準じる。 3.この資料は作田(2009、2013)で扱った岩手県の庶民記録のうち資料番号100 に相当するものである。作成者は不明であるが、作成者の身分は村役人である。 本稿では作田(2009、2013)と同様に、高橋梵仙(1977) 『近世社会経済史料集成』 5に所収されている翻刻資料を使用した。 4.本堂(1982)は、北奥方言に属する中北部地域の盛岡市と南奥方言に属する南 部地域の旧一関市の音韻体系を挙げているが、「/k/・/t/・/c/の有声化」につい ては両者の違いが示されていないため、両地域共通の傾向と捉えることができる。 5.『獄中記』の資料的価値については川本栄一郎(1972)に詳しいので、こちら を参照されたい。なお、作田(2009、2013)では、川本(1972)が使用した原本 と同資料を翻刻した森嘉兵衛(1962)を比較した結果、表記上、両者に相違が見 られなかったため、森(1962)の翻刻資料はカ行子音の有声化を原本に忠実に翻 刻していると判断し、両者を併せて使用したうえで用例を採取している。 6.作田(2009、2013)において、『長沢村災異記』は資料番号22、 『天保四年巳正 月より覚扣』は資料番号25として示されている。 7.当時の村役人を務めていた佐藤家所蔵の文書である。作田 (2009、2013) では、 大東町編(1982)『大東町史』上所収の翻刻資料を使用して、用例を採取した。 -  - 68.

(13) 文献 岡陽一郎(2019) 「磐井の古文書第7集史料解題4.伊勢参宮道中記」一関市古文 書に親しむ会編『磐井の古文書』7 一関市古文書に親しむ会 一関市古文書に親しむ会編(2019)『磐井の古文書』7 一関市古文書に親しむ会 川本栄一郎(1972)「幕末の『獄中記』に見られるズーズー弁とガ行鼻濁音」 『国語 学』91 齋藤孝滋(1990) 「岩手方言における語中子音有声化現象─音環境・語彙的事情・ 世代の観点から─」『国語学研究』30 齋藤孝滋(1992)「岩手県一関市舞川方言の音韻」『日本文化研究所研究報告』別巻 29〈東北文化研究室紀要通巻33〉 齋藤孝滋(2001) 「Ⅱ 県内各地の方言」平山輝夫編著『日本のことばシリーズ3 岩手県のことば』明治書院 作田将三郎(2009)『庶民記録による東北地方語史研究』平成20年度東北大学大学 院文学研究科博士学位請求論文 作田将三郎(2011a)「庶民記録から見た「シ・ジ・チ」と「ス・ズ・ツ」の混同」 『語学文学』49 作田将三郎(2011b)「近世中期における盛岡藩下級武士の音声方言の特徴につい て─岩手県二戸市立図書館所蔵『伊勢参宮道中記全』を例に─」『旭川国文』 24 作田将三郎(2012)「近世後期における八戸藩領紫波郡上土舘村の音声の方言的特 徴について─『道中記覚』に見られる表記を手がかりとして─」『旭川国文』 25 作田将三郎(2013) 「庶民記録から見たカ行・タ行子音の有声化─岩手県を例に─」 『語学文学』51 作田将三郎(2017)「道中記と庶民記録による近世中期以降の方言音韻史─岩手県 二戸市におけるカ行・タ行子音の有声化現象を例に─」 『日本語学』36-9 大東町編(1982)『大東町史』上 大東町 高橋梵仙(1977)『近世社会経済史料集成』5 大東文化大学東洋研究所 本堂 寛(1982) 「8 岩手県の方言」飯豊毅一ほか編『講座方言学4 北海道東 北地方の方言』国書刊行会 森嘉兵衛(1962)『南部藩百姓一揆の指導者 三浦命助伝』平凡社. -  - 69.

(14)

参照

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