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東北大学埋蔵文化財調査年報15

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(1)

東北大学埋蔵文化財調査年報15

著者

東北大学埋蔵文化財調査研究センター

雑誌名

東北大学埋蔵文化財調査年報

15

発行年

2001-03-30

URL

http://hdl.handle.net/10097/45616

(2)

ISSN 1341-6952

東北大学埋蔵文化財調査年報

15

仙台城二の丸跡第

16地

点の調査

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

2001

(3)

東北大学埋蔵文化財調査年報

15

東 北大学埋 蔵 文化 財調査研 究 セ ンター

(4)
(5)

1

仙台城二の丸跡第16地点 における瓦 と礫 による整地 `標″│ 主羊手

││

:'1幾

工ir 't涯 劃殖: . .4害夢再曙盟麟警う │・子 青葉 山遺跡E地点第6次調査で検 出された陥 し穴 (1号土坑) 一 駐 2

(6)

東北大学 は、昭和58年 か ら、文化財保護法 に したが って構 内 にある遺跡の調査 に自 らの責

任 で取 りくんで きた。埋蔵文化財調査委員会調査室、そ の後進機関である本セ ンターが、学

内の多 くの方 々の協 力 と支援 をえて、そ の実務 にあた って きた。 関係者 と調査研究員 は、こ

れ まで、そ の調査方法 の向上、調査体制 の整備、改善 に努 力 してきた。そ して、調査 の内容

では膨大 な成果 をあげて きた。

15年 間の調査 の積 み重ね によって、本学 は、現在、収納箱2000箱 を こす多数の文化財 を保

管 して いる。 これ らの出土遺物 は、整理、研究 され、本年報 を含め、これ まで に16冊 の調査

報告書 によって公 開 されて きた。そ の公 開 された資料 には、学術的 に貴重な資料が多数ふ く

まれて いる。二 の丸 出土 の志野焼 きの伝道師水差 し、西屋敷跡 の竜池か ら出土 した墨書木札、

多数 の大堀相馬焼 きの一括資料、青葉 山の理学部構 内出上 の縄 文時代早期 の貝殻文土器群 と

石器群、あるいは 旧石器群 な ど多彩 な資料 を抱 えて いる。 これ らの資料 は、それぞれ の分野

の研究者 に盛 ん に学術資料 として利用 されてお り、さ らに、各地の博物館か ら、企画展示で

の借 り出 し、出版社で の利用 とそ の活用 の頻度が確実 に増大 している。埋蔵文化財は、国民

共有 の財産 で あ り、科学 的 に体 系化 され た手続 きをへて確保 された学術資料である。 これ ら

の資料 の恒久 的な保管 と社会的活用は、本学 に課せ られた責務 といえる。

現在、施設部、埋蔵文化財調査研究セ ンター は、 この調査資料 の管理、活用 について、そ

の方法、体 制 につ いて真剣 に検 討 を進めている。そ の体制 を整 えて、本学が管理す る埋蔵文

化財 の有効 な活 用 の道 が切 り開かれ る とこを心 か ら期待 して いる。

本年報 では、平成

7年

に実施 した仙 台城二 の丸跡第 16地 点 の調査 と青葉山キ ャンパスの理

学部建設予定地 にお いて発掘 された縄文早期遺物散布地 の調査成果 をま とめた。二 の丸跡第

16地 点 の調査 では、経済学部建物 の南側 に二 の丸 中枢施設群 の遺構が高 い密度で埋没 して い

る ことが確認 されて いる。 また、青葉 山では、平成

4年

か らの一連 の調査で、早期 の縄文村

の跡 のほぼ全貌が捉 え られ る こととなった。

本年報 を刊行す る にあた って施設部 をは じめ とす る関係都 局 の担 当の方 々にご協 力 とご

支援 を頂 いた。心か らの敬意 を表す る次第で ある。

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

センター長 須

(7)

1.本

年報 は、 東北大学構 内にお いて、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターが 1997年 度 に行 った遺跡調査、 な らび に研究成果 をまとめた もので ある。

2.報

告 され る遺跡 と略号、調査期 間、 調査担 当者 は以下 の通 りで ある。 仙 台城二 の丸 跡第16次 調査地点

(NM16)

1998年

2月

9日∼3月24日 関根 達 人 青葉 山遺 跡

E地

点第

6次

調査

(AOE6)

1996年

7月

1日 ∼10月 11日 関根 達 人・ 奈 良 (旧姓菊池

)佳

子 1997年

4月

1日 ∼7月30日 関根 達 人・ 奈 良佳 子

3.調

査 ・ 整理作業 は、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターが行 った。

4,本

年報 の編集 は、須藤隆 の指導 の も とに、藤沢敦 。関根達 人・京野恵子 が担 当 した。

5.本

文 は、藤 沢敦 。関根達 人・京 野恵子・ 関敦 司 (東北大 学文学部考古学研究室

)力

分担 執筆 した。 本文執 筆 分担 は、 以下 の とお りで ある。 第

I章

:藤沢 敦 第 Ⅱ章 :関根達 人 第 Ⅲ章

1∼

3、 4(1)(2)、

6:京

野 恵子 第 Ⅲ章

4(3):関

敦 司 また、第 Ⅲ章

5に

つ いては、東 北大学大学 院理学研 究科 の大 月義徳氏 に分析 を依頼 し、原稿 をいただ いた。 英 文 要 旨につ いては、関根達 人・京 野恵子 が作成 し、 阿子 島香氏 (東北大学大 学 院文 学研 究科

)に

校 訂 して いただ いた。 6。 発 掘調査お よび整理・報告書作成 にあた っては、 以下 の方 々や 関係機 関か ら御指導 ・御協 力 を賜 った。記 し て感謝 申 し上げ る (敬称 略)。 仙 台市教育委員会・東北大学大学 院文学研 究科考古学研 究室 松 本秀 明 ,大月義徳 (東北大学大学院理学研 究科地学専攻環境地理学講 座)

7.出

土 遺物・調査記録 は、東北大学埋蔵文化財 調査研 究セ ンターで保管・管理 して いる。

(8)

1.方

位は、真北に統一 してある。 2。 図 1と 図

2は

、それぞれ国土地理院作成の、

2万

5千

分の

1地

形図 「イ山台西北部」と「仙台西南郡」、

1万

分の

1地

形図 「青葉山」 を使用 した。

3.川

内地区の仙台城二の丸跡、および北方 の武家屋敷地区にあたる地域の地形測量図は、仙台市教育委員会の 作成 による 「仙台城跡地形図」(縮尺500分の

1)を

使用 した。 4。 遺物の実測図および写真 の縮尺はそれぞれに示 した。

5,引

用 。参考文献は、第 Ⅲ章

5を

除いては、各章の末 にまとめた。 また本文 中で、東北大学埋蔵文化財調査年 報 を引用する場合は、年報 1と いう形で略記 した。

6.挿

図中のスクリー ン トー ンは、特 に指示 しないものについては、以下の通 りである。

遺構断面図

: =111

発掘調査が加者 芦野徳松 芦野 ヒデ子 天野美津枝 石 田公子 上野美子 梅沢みえ 大内松夫 大田すゑ子 太田はるよ 大塚玲子 大森芳子 菅野春枝 後藤靖子 古 山友子 佐伯晴子 佐 々木 きみ子 佐 々木陽子 佐々木好夫 佐藤ケイコ 佐藤 としゑ 佐藤 とみ子 庄司明美 菅原清一 菅原 よしの 菅野元 鈴鹿久子 鈴木 ヨシノ 高橋和子 高原要輔 竹内美江子 千葉あけみ 土屋み どり 武田由里子 田中スエ 独古史恵 新沼よ しえ 松浦智 三上剛 武藤信子 武藤初美 谷津 ミツ子 整理作業参加者 青井恭子 岩井広成 今泉八重子 遠藤正彦 大塚玲子 小山久美子 古 山友子 佐藤新子 庄司明美 白石浩子 関敦司 千葉直美 布川寛人 平井真理 森 山隆

(9)

東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター運営委員会

Q997年

) 委員長 セ ンター長

(文

学部 教授) 委 員 川内地区協議会

(文

学部 教授) 青葉山地区協議会 (薬学部 教授) 星陵地区協議会

(医

学部 教授) 片平地区協議会

(素

材工学研究所 教授) 文 学 部

助教授 東北アジア研究セ ンター 教授 文 学 部

助教授 理 学 部

教 授 工 学 部

教 授 施 設 部 長 幹事

施 設 部 企画課長 委員長 セ ンター長 (文学部 教授) 文 学 部

教 授 文 学 部

助教授 文 学 部

助教授 理 学 部

教 授 工 学 部 教 授 調査研究員 (文学部 助手) 調査研究員 (文学部 助手) 調査研究員 (文学部 助手) 施 設 部 企画課長 理 学 部 事務長

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会専 門委員会

Q997年

) 須 藤

隆 安 田 二 郎 大 内 和 雄 大 井 龍 司 島 田 昌 彦 今 泉 隆 雄 入 間 田 宣 夫 阿子 島

香 蟹 澤 聰 史 飯 渕 康 一 渡 邊 正 雄 渡 退 二 郎 須 藤 羽 下 今 泉 阿子 島 蟹 澤 飯 渕 藤 沢 関 根 奈 良 渡 遇 金 田 隆 徳 彦 隆 雄 香 聰 史 康 一 敦 人 子 郎 夫 達 佳 一 二   一

東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター設置規程

(平成

6年

5月17日 規 第 56号) (設置) 第 一条 東 北大 学 (以下 「本学」 とい う。

)に

、 東 北大学埋蔵文化財 調査研 究セ ンター (以下 「セ ンター」 とい う。

)を

置 く。 (目的) 第二 条 セ ンターは、本学 の施設整備 が 円滑 に行 われ るために、構 内の埋蔵文化財 に関す る調査及び研 究 を行 い、

(10)

併せ て資料 の保管及びそ の活用 を図る ことを 目的 とす る。 (職員) 第 二条 セ ンター に、セ ンター長、調査研究員及びそ の他 の職員 を置 く。

2

セ ンター長は、本学の専任の教授 をもって充て、総長が命ずる。

3

セ ンター長は、セ ンターの業務 を掌理する。

4

セ ンター長の任期は、二年 とし、再任を妨げない。

5

調査研究員は、本学の専任の教官 をもって宛て、総長が命ずる。

6

調査研究員は、セ ンターの業務 に従事する。 (運営委員会) 第四条 セ ンターに、セ ンターの組織、人事、予算その他運営に関する重要事項を審議するため、東北大学埋蔵 文化財調査研究セ ンター運営委員会 (以下 「委員会」 という。

)を

置 く。 (組織) 第五条 委員会は、委員長及び次の各号に掲げる委員をもって組織する。東北大学施設整備委員会各地区協議会の協議員 各一名発掘調査 に関連のある専門分野の教授又は助教授 若干名発掘調査地 に関連のある部局の教授又は助教授で、その都度委員長が指名するもの 四 施設部長 (委員長) 第六条 委員長は、セ ンター長をもって充てる。

2

委員長は、必要があると認めるときは、委員会の同意 を得て、委員以外の者を委員会に出席させ、議案に ついて、必要な説明をさせ、又は意見を述べさせることができる。 (専門委員会) 第七条 委員会 に、埋蔵文化財の発掘調査に関す る専門の事項を調査審議させるため、専問委員会を置 く。

2

専門委員会は、委員長及び次の各号に掲げ る専門委員をもって組織する。 一 調査研究員 二 発掘調査 に関連のある専門分野の教授又は助教授 若千名 三 施設部企画課長 四 発掘調査地 に関連のある郡局の事務部の長

3

委員長は、セ ンター長をもって充てる。 (委嘱) 第八条 第五条第一号か ら第二号までに掲げる委員並びに前条第二項第二号及び第四号に掲げる専門委員は、総 長が委嘱する。 (幹事) 第九条 委員会 に幹事を置き、施設部企画課長 をもって充てる。 (事務) 第十条 セ ンターの事務は、 当分の間、事務局施設部において処理する。 (雑則) 第十一条 この規程 に定めるもののほか、セ ンターの組織及び運営に関し必要な事項は、センター長が定める。

則 (略)

(11)

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会 似

001年 3月

現在

) 教 授

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会専門委員会

Q0043月

現在

) 委員長 セ ンター長 委 員 川 内地 区協議会協議員 青葉 山地 区協議会協議員 星 陵地 区協議会協議員 片平地 区協議会協議員 文 学研究科

教 授 文 学研究科

教 授 文 学研究科

教 授 東 北ア ジア研究セ ンター 理 学研 究科

教 授 工学研 究科

教 授 総合学術博物館 教 授 施

長 幹 事 施 設 部 企 画課長 委員長 セ ンター長 (文学研究科 委 員 文学研究科

教 授 文学研究科

教 授 文学研究科

教 授 東北アジア研究セ ンター 理学研究科

教 授 工学研究科

教 授 総合学術博物館 教 授 調査研究員 (文学研究科 調査研究員 (文学研究科 調査研究員 (文学研究科 施 設 部 企画課長 教育学研究科 事務長 (文学研究科 教授) (教育学研究科 教授) (薬学研究科 教授) (医学研究科 教授) (電気通信研究所 教授) 教授) 教 授 助手) 助手) 助手) 須 藤 菊 池 小笠原 菅 村 沢 田 今 泉 大 藤 阿子 島 入 間田 藤 巻 飯 渕 柳 田 黒 岩 佐 々木 睦 刻 郵 女 玖 輝 修 番 夫 和 一 雄 三 安 武 國 和 康 隆     一 旦 宏 康 俊 七 紀 須 藤 今 泉 大 藤 阿子 島 入間田 藤 巻 飯 渕 柳 田 藤 沢 関 根 京 野 佐 々木 佐 々木 隆 隆 雄 修 香 宣 夫 宏 和 康 一 俊 雄 敦 達 人 恵 子 紀 安 健 一

(12)

巻頭 カ ラー図版 例言 凡例 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター設置規 定 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運 営委員会委員 東北大 学埋蔵文化財調査研 究セ ンター運営委員会専 門委員会委員 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第

I章

1997年

度調査 の概要 ………1

1.は

じめ に ……… ……… … ………… … …

1 (2)青

葉 山地 区 の調査 … ……… ………… …5

2.埋

蔵 文化財調査の概要 ………

1 (3)富

沢地 区 の調査 …… ………… ……… ………6

(1)川

内地 区の調査 ………

1 3。

そ の他 のセ ンターの活動 ………・=………6 第 Ⅱ章 仙 台城二 の丸跡第 16地 点

(NM16)の

調査 … ……… … … …… …… …… ………… ……… …13

1.仙

台城二 の丸 跡 の立地 と歴史 ………

13 (3)調

査 の方法 と経過 ………15

2.調

査 経緯 ………

13 3.検

出遺構 ………15

(1)1996年

度 まで の調査 ………

13 4.出

土遺物 ………18

(2)調

査地点 の位置 ………

15 5。

ま とめ … …… … …… ………… ………… ………18 第 Ⅲ章 青葉 山遺跡

E地

点 第

6次

調査

(AOE6)・

……… ………・19

1.調

査 経緯 ………

19 4.出

土遺物 ………32

(1)青

葉 山地 区の立地 と

(1)遺

物 の 出土 状況 … ……… ………… ……32 1996年 度 までの調査 ……… ………

19 (2)縄

文 土 器 …… …… ………… ………… ………32

(2)調

査地点 の位置 ………

19 (3)石

器 … … … …… ……… …… …… …… …33

(3)調

査 の方法 と経過 ………

19 5。

青葉 山遺 跡

E地

点 に認 め られ る

2.基

本層序 ……… ……… … … ………… …21

3.検

出遺構 ………21 英文要 旨 写真 図版 埋 没 引張亀裂 につ いて ………41 6。 ま とめ … … … …… ……… …… ………… …44

(13)

1

東北大学 と周辺の遺跡 ………

2

16

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査 図

2

仙台城 と二の丸 の位置 ………

3

グ リッ ト別出土石器密度図………25 図

3

川内南地区厚生施設屋根取設 に伴 う

17

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査 立会調査地点の位置 ………

4

出土石器接合関係図 ………25 図

4

川内南地区厚生施設屋根取設 に伴 う

18

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査断面図(1)。 ……Ⅲ26 立会調査地点石敷遺構確認状況 ………

5

19

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査断面図(2)― ―…27 図

5

仙台城二の丸跡・武家屋敷跡調査地点 ………

7

20

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査断面図(3)・ ……Ⅲ28 図

6

青葉山地区調査地点 ………

9

21

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査 図

7

富沢地区調査地点 ………

11 1、

2、

3号

土坑 ………31 図

8

仙台城二の丸跡第16地点調査区の位置 ………

14

22

青葉山遺跡

E地

点 図

9

仙台城二の丸跡第16地点平面図・断面図 ……

16

6次

調査出土土器(1)………35 図

10

仙台城二の丸跡第16地点出土瓦 ………

17

23

青葉 山遺跡

E地

点 図

11

青葉山遺跡

E地

点第

6次

調査調査区の位置 …

20

6次

調査出土土器(2)………36 図

12

青葉山遺跡

E地

点第

6次

調査遺構配置図 ……

22

24

青葉 山遺跡

E地

点 図

13

青葉山遺跡

E地

点第

2次

調査及び

6次

調査出土石器(1)………37 第

6次

調査検出地すべ り痕 ………

23

25

青葉山遺跡

E地

14

青葉山遺跡

E地

点第

6次

調査

6次

調査出土石器(2)………38 グ リッ ト別出土土器密度図 ………

24

26

青葉山遺跡

E地

点 図

15

青葉山遺跡

E地

点第

6次

調査出土土器

6次

調査出土石器(3)… ………39 分布図 (縄文早期後葉以外の上器)・ ……。24

1 1995年

度調査概要表 ―………

1

6

青葉山遺跡

E地

点 表

2

仙台城二の丸跡第16地点出土瓦遺物集計表 …

17

6次

調査出土石器観察表 ………40 表

3

仙台城二の丸跡第16地点出土軒丸瓦観察表 …

17

7

青葉 山遺跡

E地

点 表

4

仙台城二の丸跡第16地点出土軒平瓦観察表 …

17

6次

調査母岩観察表 ………40 表

5

青葉山遺跡

E地

点 第

6次

調査出土土器観察表 ………40

(14)

図 版

目 次

図版

1

仙台城二の丸跡第

16地

点の調査

(1)…

………

49

図版

6

青葉山遺跡

E地

点第

6次

調査

図版

2

仙台城二の丸跡

遺物出土状況・地すべ り検出状況 ………

54

16地

点 の調査

(2)・

出土瓦……Ⅲ………

50

図版

7

青葉山遺跡

E地

図版

3

青葉山遺跡

E地

6次

調査出土遺物

(1)…

………

55

6次

調査区全景・検出遺構 …Ⅲ……Ⅲ

51

図版

8

青葉山遺跡

E地

図版

4

言葉山遺跡

E地

6次

調査出土遺物

(2)―

………

56

6次

調査区検出遺

4a11)…

………

52

図版

9

青葉山遺跡

E地

図販

5

青業山遺跡

E地

6次

調査出土遺物

(3)・

‐・

,…

…・・……●

57

6次

調査区検出遺構

(2)…

………

53

(15)
(16)

I章

1997年

度調査 の概要

1.は

じめ に

東 北大学 には、仙台市 内の各キ ャンパ ス に加 えて、多 くの研究施設が ある。 これ らの各地 区構 内 には、 多 くの 埋蔵 文化財が存在 し、特 に川 内地 区は近世 の仙台城二 の丸 跡 と武家屋敷跡 にあた り、 青葉 山地 区 には旧石器 時代 か ら古代 の遺跡が存在す る (図 1・ 2)。 東北大 学構 内の埋蔵文化財 につ いては、 1983年 度 に東北大学埋蔵文化財調査委員会が組織 されて以降、そ の実 務機 関で あ る埋蔵文化財 調査室が、そ の調査 の任 にあた って きた。 1994年 度 か らは、埋蔵文化財調査委員会 を改 組 し、学 内共 同利用施設 としての埋蔵文化財 調査研 究セ ンターが設置 され、調査委員会 の事業 を引き継 いで いる。 1997年 度 にお いて も、川 内地 区 。青葉 山地 区・富沢地 区で調査 が行 われ、新 たな資料 を提供す る こととな った。 本年報 は、 これ らの調査研 究 の成果 につ いて ま とめた もので ある。

2.埋

蔵文化財調査の概要

1997年 度 は、川 内地 区・青葉 山地 区・富沢地 区 にお いて、本調査

2件

、 立 会調査

5件

の、合計

7件

の調査 を実 施 した (表1)。

(1)川

内地 区の調査 川 内地 区では、 本調査

1件

、 立会調査

2件

を実施 した (図 5)。 仙 台城二 の丸跡第 16地 点 は、経済学部仮演 習棟新営 に伴 う調査 で ある。仮演 習棟 が建設 され る場所 は、既 に削 平 され て い る と考 え られ た ことと、 プ レハ ブ建築 で あ り、基礎 の掘 削が小規模で ある ことか ら、 立会調査 で対処 す る こと と した。 附属す るガ ス管・給水管 。つ1水 管 の埋設部分 は、 掘削 の範 囲が狭 いため、 これ も立会調査で対 処す る こ とと した。 立会 調査 の結果、 本調査 が必要 な区域が 出て きた として も、調査が必要な範 囲が狭 い ことが 予想 され た ため、 そ の場合 には随時対処す る とい う方針 で望 んだ。演 習棟 本体 を含 めた、 西よ りの部分 では、既 に削平 を受 けてお り、江戸 時代 の遺構 。遺物 は残存 して いなか った。 しか し、東 よ りの排水管埋設部分 の一部 に お いて、江戸時代 の整地層が残存 してお り、 工事 で一部 削平 され る こととな ったため、そ の区域 に限 つて本調査 を実施 した。 これ につ いて は、 本年報 の第 Ⅱ章で報告す る。 立会調査 とした ものの

1件

は、川内北地区のガス管・給水管改修 に伴 う調査である。工事区域は大き く 2ヶ 所 に分かれ る。lヶ 所は、川内北地区の中で も、西よ りの区域一帯である。 この区域では、 いずれの場所 にお いて も、掘削深度 まで近代以降の盛土内に収まるか、 あるいは既 に削平 され江戸時代の層が残存 していなかった。 も う lヶ 所は体育館 の西側で、1996年度 に武家屋敷跡第

6地

(BK6)と

して調査 を行 った場所である(年報14)。 第

6地

点の調査 によって、ここでは限地表下

50cmで

、江戸時代の遺構面が良好 に残存 していることが判明 してい 表

1 1997年

度 調 査 概 要 表

Tab l Excavations on the campus in the Fiscal year 1997

調 査 の種類 調 査 地 点 (略号) 原 因 調 査 期 間 面 積 時 期 本 調 査

青葉山遺跡E地点第6次調査

(AOE6)

理学部研究実験棟 (2期)新営 4/1-7/30 と,83611i 縄文早・中・晩期

仙台城二の丸跡第16地点 (NM16。97-3) 経済学部仮演習棟新営 10/7・2/9-3/24 ぞm 近 世 立会調査 宮沢地区原子核理学研究施設 (97-1) 電気ケーブル埋設 青葉山地区薬用植物園 (97-2) 温室建て替え 川内北地区 (97-4) ガス管・給水管改修 2/20-3/4 宮沢地区職員宿舎 (97-5) 受水槽・給水管取設 川 内南地 区厚 生施 設 (97-6) 厚生施設屋根取設 3/30∼ 4/6

(17)

Sendai Castle (Tohoku Un ) riyagi Pref 1 2 3 4 5 6 7 8

Ruin of Sendai Castle Kattrauchi steles

Aobayama Site Loc B Aobayama Site Loc E Aobayama Site Loc C

Aobayama Site Loc A Aobayama Site Loc D

Ashinokuchi Site 1:仙台城跡

2:川

内古碑群

3:青

葉山遺跡B地点

4:青

葉山遺跡E地点

5:青

葉山遺跡C地点 6:青葉山遺跡A地点

7:青

葉山遺跡D地点

8:芦

ノロ遺跡

9:片

平仙台大神宮の板碑 10:郷六大 日如来の碑 ■ :葛 岡城跡 12:郷六城跡 13:郷六建武碑 14:沼田遺跡 15:郷六御殿跡 16:郷六遺跡 17:松ヶ岡遺跡 18:向山高裏遺跡 19:萩ヶ丘遺跡 20:茂ヶ崎城跡 21:ニッ沢横穴墓群 22:萩ヶ岡B遺跡 23:八木山緑町遺跡 24:ニッ沢遺跡 25:青山二丁 目遺跡 26:青山二丁 目B遺跡 27:杉土手 (鹿除土手

)28:砂

押屋敷遺跡 291砂押古墳 30:富沢遺跡 31:泉崎浦遺跡 32:金洗沢古墳 33:土手内窯跡 34:土手内遺跡 35:土手内横穴墓群 36:三神峯遺跡 37:金山窯跡 38:三神峯古墳群 39:富沢窯跡 40:裏町東遺跡 41:裏町古墳 42:原東遺跡 43:原遺跡 44:八幡遺跡 45:後田遺跡 46:町遺跡 47:神漉山遺跡 48:御堂平遺跡 49:上野山遺跡 50:北前遺跡 51:佐保山東遺跡 図

1

東 北 大 学 と 周 辺 の 遺 跡

(18)

2

仙 台 城 と二 の 丸 の 位 置

(19)

Y=+2.0

NMlo-2区

1、

―_

X=-1938

ヽ ヽ N M14弘 「 2区 ヽ 文科 系四学 部厚 生会館 ・σ′.σ

3

川 内南 地 区厚 生 施 設 屋 根 取 設 に伴 う立会 調 査 地 点 の位 置

Fig 3 LOcations of trial trenches at the south part of Ka、vauchi campus

ヽ ヽ ヽ 、 、 ・♂′ づ 法学部

1番

教室 ヽ

(

(20)

た。 今 回 の調査 にお いて も、江戸時代 の遺構 面 が良好 に遺存 して いる ことが確認で きたため、既存給水管 に ル ー トが重 な る部分 では、給水管掘方 に埋設 し、既 存 管 か ら離れ る部分では、遺構 面 を破壊 しな い深 さに埋 設す るよ うに して対処 した。 川 内南地 区厚 生施設 の屋根取設 に伴 う調査 は、食堂 な どが ある厚 生施設 の入 り口に、屋根 を設置す る工事 に伴 う調査 で ある。屋根 を支 え る柱 を立て る位 置 に、 柱基礎 とな る コ ンク リー ト枡 を設置す るため、約

lm

四方掘 削す る とい うもので あった(図 3)。 この場所 は、 二 の丸 の中で も中心 的な建物が連 な る区域 にあた る。 また、 1974年 の厚 生会館建築 の際 に、仙台市教育委員 会 が実施 した小規 模 な調査 にお いて も、石組溝 が検 出 され て い る (未報 告)。 今 回 の工 事 に伴 う掘 削 は小規 模で あ ったが、重要 な遺構 が検 出され る可能性 が高 い もの と考 え、慎重 に対応す る こととした。そ の結果、 柱 12本 の うちの2ヶ所 で は

(4区

5区

)、 アス フ ァル トの 下 に

30cm程

の厚 さの砕 石 が あ り、

5cm程

の 近 代 の土層 をは さんで、そ の下か ら平坦 な割石が並 べ られ た状態 で発見 され た (図 4)。 石 敷 の直 上 には、焼 土 図

4

川内南地区厚生施設屋根取設に伴 う 立会調査地点石敷遺構確認状況 と灰 のブ ロ ックが部分 的 に認 め られ た。 この焼土 と灰

Fig 4 Views of trial trenches at the

は、明治15年 (1882年

)の

火災 に伴 うもの と考 え られ、

uth part oF Kawauchi campus

そ うで あれば 石敷 は江戸期 に遡 る可能性 が ある。 そ のため、石敷 を破壊 しな いよ うに、基礎 の掘 削深 さが現地表 か ら

60cmの

予 定 で あ った の を、現 地表 か ら

40cmに

な るよ う、 基礎 の工法 を変更す る ことで対 処す る こととし、 これ以 上の調査 は行 って いな い。

12)青

葉 山地 区の調査 青葉 山地 区で は、 本調査

1作

、 立会調査

1件

を実施 した (図6)。 本 調査 を実施 したのは、理学部研 禿実験棟

(2期

)新

営 に伴 う、 青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査 で ある。 この理 学部研 究 実験棟 は、

3期

に分 けて工事 を行 う計画で、今 回は、そ の

2期

工事 区域 の調査で ある。調査地点 は、1994 年度 に実施 した 青葉 山遺跡

E地

点第

3次

調査 区 (年報

12)の

西側 に、1995年 度 に実施 した第

4次

調査 区 (年報13) の南側 に隣接す る場所で ある。第3・

4次

調査 で は、縄 文時代 早期後 葉 の貝殻条痕文土器や石器 が大量 に出土 した 他、 同時 期 の竪穴住居 な どが検 出されて いる。 今 回の調査 で も、縄文時代 早期 の遺物が 出土 した ほか、縄文時代 中期・ 晩期 の遺物 も出土 した。 この調査 は、本来 は1996年 度事業 として、 1996年 7月 か ら調査 を開始 した。 しか し、 富沢地 区の理学部附属原子核理学研 究施設 の実験棟新営 に伴 う、芦 ノロ遺弥第

4次

調査 (年報

14)を

急 遠実 施す る惑 要 が出て きたため、調査途 中で 中断 し、本年度 に事業 を繰 り越 して いた もので ある。 これ につ いて は、 本年 報 の第 Ⅲ章 で報 告す る。 立 会調査 を行 った のは、薬学部薬用植物 園 の温室建 て替 え に伴 う調査 で ある。既存 の温室 を取 り壊 し、 同 じ場 所 に建 て替 える もので、既存温室基礎で一部 は削平 されて いる と考 え られ た。 また新築 され る温 室 の基礎 の掘削 範 囲 も狭 く、かつ浅 いため立会調査 とした。既存温室建築時 に、盛土 によって平坦 に造成 されてお り、本来 の地

く 隼

4区石敷確認状況 (南か ら) 5区石敷確認状況 (南か ら)

(21)

形 は北 西側が高 く、 南東側 へ緩やか に傾斜 して いた ことが判 明 した。 この北西側では、一部火 山灰 層 を削平す る こととな ったが、遺構 ,遺物 は発見 され なか った◇ 僧

)富

沢地 区の調査 富 沢地 区で は、 立会 調査

2件

を実施 した (図 7)。 富 沢地 区 には、 理 学部附属原子核理学研究施設 と職 員宿舎 が置かれて いる。原子核理学研究施設で の調査 が1 件、職 員宿 舎 で の調 査 が

1件

で ある。 原 子 核 理 学研 究施設電気 ケー ブル埋設 は、 1996年 度 に調査 を実施 した実験棟

(TM4・

年報

14)で

使 用 す る電 源用 のケー ブル を、 変電 所 か ら埋 設す るため の工事 で あ る。 可能 な限 り既 設管 の掘 方 内 にケー ブル を埋設 す るよ うに した。それ以外 の新 た に掘削 され る部分 も、 約

30cmの

表上 の下 は、 近代 の盛 土 か地 山が露 出 し、 遺構・遺 物 は発見 され なか った。 職 員宿 舎 の受水槽 ・給水管取設 に伴 う調査 は、職員宿舎 の給水施設が老朽化 したため、給水設備 を新 た に設置 す る ことに伴 う調査 で ある。職 員宿舎 の区域 は、 これ まで に も何度 か立会調査 を行 って きたが、 ほ とん どの場所 で既 に削平 されて いる と考 え られ るため、立会調査 とした。宿舎入 口付近 では、現地表下約

30cmの

と ころで、厚 さ

10cm程

度 の 旧地 表 が残 存 して い る こ とを確 認 で きたが、 遺構 ・遺 物 は発 見 され なか った。 これ 以外 の部 分 で は、 旧表土 は確 認で きず、現表土 のす ぐ下で地 山が露 出す る。 この ことか ら、調査地点 は本来北側 に向か って低 くな る地 形で、 入 り口周辺 では盛土 の下 に旧表土 が残 つて いるが、それ よ り南側 は削平 を受 けて いる ことが明 ら か とな った。

3.そ

の他 のセ ンターの活動

1996年 度末 に刊行 した調査年報

8に

お いて、仙台城二 の丸跡第

9地

点 の報 告 を行 い、翌 1997年 度 末刊 行 の調査 年報

9に

お いて、二 の丸跡第 10地 点 の報告 を行 う こととな った。 この時点で、遺物が ま とまって 出土 して いる仙 台城 二 の丸 跡 の調査 は、 全 て報 告 した こと とな り、 調査 と報 告 が一旦 の区切 りとな った。 そ こで、 調査 年報

9に

お いて、それ までの仙 台城二 の丸 跡 の調査成果 をま とめて、多方面か らの検 討 を加 える こととした。それ に先だ っ て、 この二 の丸跡 の考古学 的調査成果 の ま とめ を、日本考古学協会 にお いて研究発表す る こととした。 日時・題 目・発表 者 な どは下 記 の通 りで あ る。 1997年 5月 25日 日本考古学協会第63回 総会 於 :立正 大学 発 表題 目:「仙 台城 二 の丸 跡 の考古 学 的調査 成 果 」 発表 者 :関根 達 人 セ ンター業務 に関わ る資料調査等 としては、以下 の とお りで、 それぞれ担 当す る調査研究員が 出張 した。 1997年 6月 21・ 22日 日本文化財科学会第 14回 大会 於 :天理大学 藤 沢 敦 1997年 6月 23日 奈 良県立橿原考古学研 究所・元興寺文化財研 究所 藤 沢敦 1998年 3月11・ 12日 会津若松市教育委員会・会津本郷焼資料館 関根 達 人・ 奈 良佳 子 当セ ンター保管 の資料 の貸 出 として は、次 の

2件

で あつた。 貸 出 先 :仙台市博 物館 平 成

9年

度 企 画展 「発 掘 され た仙 台城 一本丸 ・ 二 の丸 ・三 の丸 ―」 貸 出資料 :二の丸跡第

5地

点 。第

9地

点 出土遺 物 200点 ・ 同写 真

4点

貸 出期 間:1997年12月 19日∼ 1998年 4月25日

(22)

題 1997年 度までの発掘調査地点 隅 1997年 度の立会調査地点 7・ 3

(23)

□ 1997年度 までの発掘調査地点 田 カ ツテ イング 1997年 度 の 立会調査

け沙 禦型肺

一蜘ウト中

中一い︻︶

6

青 葉 山地 区調 査 地 点

Fig 6 LOcations Of excavations at AObayama campus

川 内 山 屋 取

Om

(24)

田塞Ⅷ国鰯麟

ツ 令

7

富 沢 地 区 調 査 地 点

Fig 7 Locations of excavations at Tomiza、

(25)

貸 出 先 :東 北放送テ レビ 特別番組 『仙台城艮櫓復元』 貸出資料 :仙 台城二の丸跡第

5地

点調査状況写真 当セ ンターの業務 に関わって、あるいは調査研究員の専門領域 に関わる事項で、外部か ら派遣等 の依頼があつ たものは、次の とお りであった。 担 当者 :藤 沢敦 1997年 8月 7日 福島県教育委員会 福島県埋蔵文化財技術者講習会講師 於 :矢 吹町文化セ ンター 1997年10月25日 岩手県胆沢町教育委員会 角塚古墳発掘検討委員会 於 :胆 沢町文化創造セ ンター 当セ ンターの調査研究員による科学研究費等 の採択は、次のとお りであった。 藤沢敦 科学研究費補助金 基盤研究

(BXl)「

東北・九州地域 における古墳文化の受容 と変容 に 関す る比較研究」(分担・代表者鹿児島大学上村俊雄) 関根達人 科学研究費補助金 奨励研究(A)「 東北地方近世窯業生産 に関す る基礎的研究」(代表)

引用・参考文献〉

東北大 学埋蔵文化財 調査研 究セ ンター

1997『

東北大学埋蔵文化財 調査 年報8』 東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター

1998『

東北大学埋蔵文化財調査年報9』 東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター

1999『

東北大学埋蔵文化財 調査 年報12』 東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター

2000『

東北大学埋蔵文化財 調査年報13』 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

2001『

東北大学埋蔵文化財調査年報14』

(26)

第 Ⅱ章

仙台城二 の丸跡第

16地

(NM16)の

調査

1.仙

台城二の丸跡 の立地 と歴史

東 北 大 学 の川 内地 区は、「残飯沢」 と通称 され る沢 とそ の脇 を東 西 に走 る道路 (市道 川 内 一青葉 山線

)に

よ っ て、川 内南地 区 と北地 区 に分かれて いる。川 内南地 区は仙台城二 の丸 が置 かれた場所 で あ り、北地 区は武家屋敷 が存在 した区域 に相 当す る。 仙 台城 は、仙台市街地 の西方、広 頑川 を渡 った通称 青葉 山の東端 に位置 して いる (図

1)北

と東 を広 瀬川 に、 南 を竜 の 口渓谷 によって 囲 まれて いる。本丸 は標 高115∼

140mの

急 崖 上 に立地 してお り、 北側 の二 の丸、 北東側 の三 の丸 も、それぞれ標 高61∼ 78m、

40mの

河 岸段丘 上 に位 置す る (図 2)。 仙 台城 は、慶長

5年

(1600年)、 仙 台藩初 代 藩主伊達政宗 によって、本丸 の造営が 開始 され る。川 内地 区の後 に 二 の丸 が造営 され る区域 には、伊達政宗 の四男 で ある伊達宗泰 の屋敷 が置かれて いた。元和

6年

(1620年

)に

は、 この伊達宗泰 の屋敷 の北側 に、 政宗 の長女五郎八姫 の居館 「西屋敷」 が造 られ る。 寛 永 15年 (1638年)、 二代藩主伊達忠宗 は、もとの伊達宗泰 の屋敷地 にお いて、二 の丸 の造営 を始 め る。二 の丸 完成後、仙台藩 の政治 。諸儀 式 のほ とん どは ここに移 され、藩主 の居館 ともな る。 17世 紀末か ら18世 紀初頭 の元 禄年 間 には、四代 藩主伊達綱村 によって二 の丸 は大改造 され、も との 「西屋敷」の敷地 を取 り込 んで拡 張 され る。 そ の後 い く度か の災害や火災 を被 るが、そ の都度再建 され、幕末 まで仙台城 の中枢 として機 能 して い く。 版 籍奉 還 の行 われ た明治

2年

(1869年

)に

は二 の丸 に勤政庁 が置かれ、 明治

4年

(1871年

)の

廃 藩置県 後 は、 仙 台城 が 明治政府 ・兵部省 の管轄下 に移 り、東北鎮台 (後に仙台鎮 台

)が

置 かれ る。 この頃 に本丸 の建物 群 は取 り壊 され るが、二 の丸建物群 は残 って いる。 しか し明治15年 (1882年

)の

火災で、二 の丸建物群 の ほ とん どが焼 失す る。 明治21年 (1888年

)に

は仙 台鎮台廃 止、仙台第二師団が設置 され、敗戦 まで続 くこととな る。 も との二 の丸 にあたる区域 には第二 師団司令部 が、北側 の武家屋敷 にあた る区域 には歩兵隊や軸重隊な どが置 かれて いた。 戦後 は米軍 の駐 留地 とな り、 昭和32年 (1957年

)に

米軍 よ り返還 され て後、 東 北大学 が移 転 し現在 に至 るので あ る。

2.調

査経緯

(1)1996年

まで の調査 東 北大学 が川 内地 区に移転 してか らしば らくの間は、米軍 の建物 が使 われて いたが、 昭和35年 (1960年

)の

記 念講堂建設以降、 随時施設整備 が進行す る こととな る。特 に、昭和40年 代後 半 に、多 くの施設 が建設 され た。 こ の移転 に伴 う一連 の施設整備 に伴 っては、埋蔵文化財 の調査 はほ とん ど行われず、 1974年 の文 系

4学

部厚 生会館 建築 に伴 って、仙台市教育委員会 によって一部が調査 され ただ けであ った。 また、1978年 には、川 内北地 区のプー ル脇 の排水管埋設 の際 に、石組 の井戸 が発見 され、東北大学文学部考古学研 究室 によって臨時 の調査がな され た が、 そ の経過 上、 小規模 な調査 に留 ま らざ るを得 なか った。 1988年 に東北大学埋蔵文化財調査委員会が設置 され、 学 内の埋蔵文化財調査 に組織 的・継続 的 に対応す る体 制 が整 って以降は、委員会 と、そ の下 に実務機 関 として設置 され た埋蔵文化財調査室が調査 にあた る こととな った。 1994年 度 か らは、埋蔵文化財調査研究セ ンターが設置 され、調査委員会 の事業 を引き継 いで いる。埋蔵文化財調 査研究セ ンター とそ の前身 の調査委員会 が行 った、仙台城二 の丸 跡お よび二 の丸 北方武家屋敷跡 の調査 は、 1996 年度 まで に18地 点 を数 える に至 って いる。 これ らの調査成果 につ いては、『東北大学埋蔵文化財 調査年報』

1∼

14 にお いて報告 して きた ところで ある。 この間 の調査 によって、二 の丸地 区で は、検 出遺構 と絵 図 との対 比が、 か な り高 い精度 で行 えるよ うにな って

(27)

文 学 部 3 番 教 室 文 教 育 半 部 大 路 工 室 経 済 学 部 第 3 締 強 室 ! ヽ A ■ ぃ 、 、

鬱 君

│:;│え│卜

川 内 大 橋 通

\く垂遼ぜ士豊

Om

8

仙台城二の丸跡第16地点調査区の位置 Fig 8 Location Of N卜116

(28)

きて い る。 また、膨 大な各種 の遺物 が 出土 してお り、 陶磁 器類な どにつ いては、そ の変遷 の大要が 明 らか とな っ て い る。 これ らにつ いては、年報

9に

お いて ま とめて検 討 されて いるので、参 照 され たい。 磁

)調

査 地点 の位置 今 回、 川 内南地 区にお いて、経済学部仮演 習棟 新設 に ともな い調査 を行 った地点 は、仙 台城二 の丸 中奥 の南西 隅周 辺 に相 当 し、調査地点 のす くヾ西側 には青葉 山の 山裾 が迫 って いる (図 8)。 演 習棟 の建物 の本体 は仮 設 の た め、 基礎 工事 の掘削深度 は浅 いが、本体 か ら東 にのび る排水管 の部分 につ いて は、勾配 の関係 上、 工事 の際 にあ る程度 の深 さまで掘 削せ ざるを得な い ことか ら、排水管 区で江戸 時代 の遺構 面が発見 され る ことが予想 され た。 以 前 に行 った絵 図 との対 比 に拠れば、調査地点 の うち排水管 区は、御座之 間 と御寝所 には さまれ た場所 に相 当 す る と考 え られ た (年報9)。 御 座 之 間は、藩主 の表 の居 間で ある と同時 に年 中恒例 の祝儀 の場で もあ り、御 寝所 や 小広 間、 書院、客之間、遠侍 とともに、創立期以来、 二 の丸殿舎構成 の骨格 をなす施設で ある。 僧

)調

査 の方法 と経過 建 物 本体 区 に関 して は、 1997年10月 7日に、

0.5m× 0.5m×

深 さ

0.5mの

坪 掘 りを

2箇

所 で行 った。 そ の結果 、 現地 表下

0.5mま

で は近代以降 の盛土で あ り、仮設建物 の建設 によ り江戸時代 の遺構 面が破壊 され る危険性 はな い ことが確 認で きた。 したが って建物本体 区では本調査 を行 わず、念 のため、 掘削工事 の施 工時 に、 立 ち会 うこと と した。 排 水管 区 に関 して は、 工事 による掘 削が江戸 時代 の遺構 面 まで及ぶ可能性 が十分予想 された。 しか し、現地 は そ の 当時道路 として利用 されてお り、 この部分 の発掘調査 を行 うにはアス フ ァル トやそ の下 の砕石 を除去す る必 要 が あ る こ とか ら、 工事 の 日程 にあわせ て調査 計画 を立てた。 つF水管 区で は、 1988年 3月 3日 に、 経済学部研 究棟 の正 面玄 関前付近 と、 同研究棟 南東隅付近 の

2箇

所 の試掘 を行 った。そ の結果、後者では現地表下約

40cmで

、瓦 を含 む青灰色 の整地層 に達す る ことが判 明 した。研 究棟 の 正面玄関 よ り東側 に関 して は、後 日改めて本調査 を実施す る こととし、

2箇

所 の試掘坑 は一旦埋 め戻 した。 本 調査 は、 1998年 3月 16日か ら24日 まで の間行 い、 実働7日間 を要 した。

3.検

出遺構

排水 管 区は、 経済学部研 究棟 の正面玄 関付 近 を境 に、 それ よ り西側 の建物 本体 区 に近 い部分 と、東半部 とで大 き く様相 が異な る。 西半部 では、建物本体 区同様、表土

(1層

)、 近代 の整地 層

(2層

)の

直下 に地 山の砂礫 層が 現 れ た。 一方、東半部 では、地表下約

50cmに

、地 山に由来す る比較 的均質 な砂質 シル ト層

(3層

)が

あ り、そ の 上下で多量 の瓦 と礫、砂 を敷 いた面が検 出された (図 9、 図版1・ 2)。 これ らは整地 のた めの一連 の地業 と考 え られ る。今 回の調査 区は狭 いため、

3層

上面で柱穴や 明確 に礎石 と断定 で きる ものは発見 され なか ったが、本来 は、

3層

上面 に建物が存在 して いた可能性 が高 い。下 の瓦・礫敷面以下 には地 山 に由来す る と考 え られ る盛土

(4層

) が厚 く堆積 して いる。調査 は

4層

の途 中で止めてお り

4層

自体 の厚 さは不 明であ るが、少な くとも

50cmは

超 え る。 瓦や木 羽 を含 む

4層

は、水分 も多 く、しま りも悪 い。

4層

3層

を一 連 の もの として捉 え、下部盛土で あ る

4層

だ けで は十 分な強度 が得 られなか ったため、そ の上 に地業 に適 した

3層

をは さむ形で瓦 と礫 によ る整地 を行 った と 理解す る ことがで きる◇ なお、3。

4層

の分布 して いな い排水管 区西側 の地 山面で、遺構 のプ ラン と思われ る もの を

1基

確 認 した。 これ につ いて は、 工事 によ り破 壊 され る危 険性 がな く掘 り下げ を行 って いな いため、性格や年 代 は不 明で あ る。

(29)

61rn 砂層

Sギ守

NM16-A

(孝

三甲

│;i`洗

04) 掬 ゎθ

NM16-B

==→ _I:ユ `!脱 189)

峰淵

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き ` イ 9'79d 基本 層 注 記

iぢ

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4層

暫誓

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頑歪

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居法

物・

木羽

少量

含む

9

仙 台 城 二 の 丸 跡 第 16地 点 平 面 図 ・ 断 面 図

Fig 9 Plan and crOss section at NM16

ヨ ンク リ ー ト 管 地 山面 確 認 の遺 構

(30)

T4

>(草

■ ./

T5 10cm 図

10

仙 台 城 二 の 丸跡 第 16地 点 出土 瓦

Fig 10 Roof tiles from Nrvl16

2

仙 台 城 二 の 丸 跡 第 16地 点 出土 瓦 集 計 表

Tab 2 Corrected dist bution of rOof tiles at NA/116

・ヽ \ 一

6 区・層・遺構 平瓦 1類 平瓦2類 丸 瓦類 桟 瓦 類 板塀瓦 軒平瓦 軒丸瓦類 面戸瓦 輪 違 い その他の瓦 不 明瓦 2層 ∼3層 上 面 44( 505) 68( 405) 1(003) 2(02) 1(008) 1(019) 23(012) 3層 上面 244(3357) 135(1791) 100(1492) 1(01) 1(048) 1(035) 2(013) 8(424) 142(188) 4層上面 164(2495) 68(1025) 59( 965) 1(028) 1(008) 5(35) 2(033) 39(103) 合

計 452(6357) 271(3221) 175(2591) 2(013) 4(10) 1(008) 7(393) 3(052) 2(013) 8(424) 204(227) 表

3

仙台城二の丸跡第16地点出土軒丸瓦類観察表

Tab 3 Notes on round eaves tiles at NK/116

登録 番 号 出 上 場 所 瓦当文様 瓦当直径徳lll 瓦当内径(call 周縁幅(cm) 備 考 図 図 版 Tl 4層上面 九曜文 125 2 T2 4層上面 九曜文 2 T3 4層上面 九「詈文 170 2 T4 4層上面 三引両文 2 T5 2層∼3層上面 巴 支 2 登録番号 出土場所 瓦 当文様 瓦 当形状 瓦 当垂 長 にml 頭幅(cm) 備 考 図 図 版 T6 4層上面 細桔榎

2+

不 明 2 表

4

仙 台城 二 の 丸 跡 第 16地 点 出土 軒 平 瓦 類 観 察 表

(31)

4.出

土遺物

3層

をは さんでそ の上下か ら多量 の瓦が 出土 してお り、それぞ れ、

3層

上面、

4層

上面で遺物 の取 り上げ を行 っ た。 前述 したよ うに、 これ らの瓦 は礫 と混 じ り合 った状態で 出土 してお り、礫 と同 じよ うに整地 に利用 され た可 能性 が高 い。軒平瓦、軒丸 瓦、平瓦、丸瓦、桟 瓦、板 塀瓦、面戸 瓦、輸違 いな どの種類が認 め られ る (表 2)。 な お、 瓦 の分類基準や名称 に関 しては、 これ まで の仙台城二 の丸跡 出土瓦 の分析 を踏襲 してお り、 詳細 は年報

9を

参 照 され た い。 出上 した瓦 のなか には軒桟 瓦 はな く、桟 瓦 と言 え る もの もご く少量で ある。 軒 平瓦 は、瓦 当部 の中心飾 りに 「細桔梗

2類

」を用 い る ものが、

4層

上面で

1点

出土 して いる (図

10-T6、

図 版3)。 仙 台城 にお け る これ まで の 出土事例 か ら、縣田桔梗

2類

」 には 「唐草

3類

」 が組 み合 う ことが知 られて い る (年報9)。 仙 台城 三 の丸 跡 (イ山台市教育委員会

1985)で

は、 この タイプの軒平瓦が三 の丸造営以前 の段 階か ら 存在 す る こ とが確認 されてお り、 17世 紀 前葉 には 出現 して いた ことが確実で ある。 軒 丸 瓦 は、

4層

上面か ら九曜文

3点

(図

10-Tl∼

3、 図版2)、 三 引両文

1点

(図

10-T4、

図版2)、 瓦 当文 様 不 明

1点

の計

5点

3層

上面か ら瓦 当文様不 明

1点

2層

3層

上面か ら巴文

1点

(図

10-T5、

図版

2)の

合 計

7点

が 出土 して いる。 この うち

4層

上面か ら出土 した

3点

の九曜文軒丸 瓦 は、瓦 当の直径、 内径、周縁 幅 とも 大 き さが全 て一致 してお り、同竜で はな い ものの同 じ規格 で製作 された もの と言 える (表3)。 仙 台城 の軒丸瓦 に いつ頃か ら九曜文が使 われだ したか につ いては明 らか にな って いな い◇ しか しこれ まで の調査成果か ら、二 の丸 の造営が契機 とな り、 九曜文 を含 む藩主伊達家 の家紋 が仙 台城 の瓦 に使われ るよ うにな った との推 定 を行 って い る (年報9)。

陶磁器は、4層 上面で磁器が

2点

、3層 上面より上の層で磁器が

3点

出土 しているが、いずれも細片のため図示

したものはない。4層 上面出土の磁器は

18世

紀中葉以降のものである。

5。

まとめ

今回の調査の結果、西の山際近 く、既 に地 山面 まで削平 を受けて しまっている部分 と、東側 の江戸時代の遺構 面が残っている部分 との境 を推定する材料が得 られた。東側の江戸時代の遺構面が残っている部分では、現地表 か ら約

50cm下

に、多量の瓦 と礫 を敷いた整地面が存在す る。 この整地は、出土 した瓦や磁器か らみて、18世紀後 半か ら幕末に行われた可能性が高い。 また、整地 に使われた瓦には桟瓦類はほとん ど含 まれてお らず、 出土 した 九曜文軒丸瓦には規格性が認め られる ことか ら、本瓦葺 き建物の解体 にともない不要 となった瓦 を一括 して再利 用 した との推定が可能である。今回の調査地点は、絵図 との対比か ら二の丸殿舎の中枢 とも言 うべき御寝所・御 座之間付近 に当たってお り、そのような場所では、不要 となった瓦を用 いた丁寧な整地が行われている ことが判 明 した。今回実際に調査 した瓦敷きは、面積 にして僅か

5∬

足 らずであるが、130kgを こす瓦が出上 した。今後、 今回の調査地点周辺で掘削工事が行われる際には、慎重な対応が必要である。

引用・ 参考文献〉

仙 台市教育委 員会

1985『

仙台城三 の丸跡』 仙 台市文化財調査報告書第76集 東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター

1998『

東北大学埋蔵文化財調査年報』9

(32)

第 Ⅲ章

青葉 山遺跡

E地

点第

6次

調査

(AOE6)

1.調

査 経 緯

(1)青

葉 山地 区の立地 と1996年 度 までの調査 東 北大学 の理学部 。工学部・薬学部 が所在す る青葉 山地 区は、標 高145∼

155mの

、 青葉 山段丘 の Ⅲ面 に位 置す る。 青葉 山段丘 は、高位 よ り

I∼

Ⅳ面 に分 け られてお り、各面 を覆 う火 山灰層 の関係 か ら、

I・

Ⅱ面 とⅢ・Ⅳ面 は形成時期 の異 な る段丘 とされ る (大月義徳1987)。 す なわ ち、 よ り低位 の Ⅲ・Ⅳ面 には、愛 島軽石層 よ り上位 の 指標 テ フ ラのみが見 られ る。 青葉 山地 区で は、 旧石 器時代 をは じめ とす る遺物 が発掘・採集 された青棄 山遺跡

A∼

E地

点 が知 られ て いる。 東 北大学構 内 には、

B地

点 と

E地

点 が存 在 す る。

B地

点 は本調査 区の北東 に位置 し、 1984年 に

2箇

所 の発 掘 調査 が行 なわれ、旧石器時代 の文化層が発見 され た (年報2)。

E地

点 で は これ まで

5次

にわた る調査 が行 なわれて い る。 1984年 の理学部化 学機器分析セ ンター新営 に伴 う第

1次

調査 で は、 旧石 器時代 の陥 し穴状遺構 が検 出 され た (年報2)。 1993年 の青葉 山地 区基 幹整備 に伴 う第

2次

調査 で縄 文 時代 早期 ∼平安 時代 の遺物 が発見 され (年報 11)、 これ によ り

E地

点 の範 囲が大 き く広 が って いる ことが 明 らか とな った。 翌1994年 に行 なわれ た理学部 自然史 標 本館 の新 営 に伴 う第

3次

調査 で は、縄 文 時代 早期後葉 の住居跡

2棟

と、4000点近 い貝 殻条痕文土器 ・石器 が 出 土 し、 土 器 の詳細 な検 討 によ り、 これ まで東北地方で は空 白で あった 当該期 の土器型式 につ いて 「青葉 山

E式

」 を提唱 した (年報12)。 1995年 の理 学部研 究実験棟新 営

(1期

)に

伴 う第

4次

調査 で は、陥 し穴 状 の土坑 が検 出 さ れ、 青葉 山

E式

土器 の分布 のほか、縄文時代 晩期 の上器 の集 中地点 も確 認 されて いる。 1996年 の青葉 山基幹整備 受水槽 ・ ポ ンプ室 新営 に伴 う第

5次

調査 で は、 縄文時代 早期 の遺物 のほか、 下層か ら中期・後期 旧石器時代 の石 器 が層位 的 に確 認 され た (年報14)。 似

)調

査 地点 の位置 調査 地点 は理 学部地学 系学科 教室 の南 に東 西 に走 る道路 と宮城 教育大学方面への道路 に挟 まれ た部分 の東端近 くに位置す る。調査 区南東側 には地すべ り痕が検 出された第

2次

調査 区が あ り、 東側 には現在 自然史標本館 が建 て られて いる第

3次

調査 区が位置す る。 また、 北東側 は理学部研 究実験棟新営

(1期

)に

伴 う第

4次

調 査 区 に隣 接 して いる。本遺跡は、広 頑川 の開析 した河岸段丘 の うち、最 も古 い青葉 山段丘 のなかで低 い方か ら

2番

目の面(Ⅲ 面

)に

位 置 す る。 遺 跡 の南東 には、川 内 山屋敷 へ 向か って開 く沢 に谷頭が存在 し、遺跡 はそ の沢 に面す る緩 斜面 に立地 して いる。 俗

)調

査 の方法 と経過 調査地 点 は青葉 山遺跡

E地

点 の範 囲内で、以前 に調査 した東側 の第3次 調査 では、先述 のよ うに縄文時代 早期 の 遺物 ・遺構 が検 出 されて いる。 北隣す る第

4次

調 査 で は、 縄文時代 早期 のほか、縄文 時代晩期 の遺物 も出土 して いる。 また、本調査地点 の南西 に位 置す る第

5次

調査 で は縄 文時代 の遺物包含層 の下 の火 山灰層 か ら、後期 旧石 器 と中期 旧石 器が層位 的 に検 出されて いる。 そ のため縄文時代 の遺物包含 層 に関 して は全面調査 し、下層 の火 山 灰 層 に関 しては、 旧石器 時代 の遺構 。遺物 の有無 を確 認す るため、 部分的 に試掘調査 を行 なった。 重機 によ って 1層を取 り除 いた後、

2層

以下 を手掘 り調査 した。工事 とのかね あ いや 排土 置 き場 の都 合等 か ら表 土 の除去 は数回 に分 けて行 な って いる。 グ リッ ドは第

4次

調査 か ら連続す る形で設定 した。

2層

上面 。

2層

お よび 遺構 内の遺物 を取 り上げ る際 にはすべ て 出土位置 と標 高 を記録 した。

2層

を掘 り下げ なが ら遺構 の確 認 を行 った が、遺構 はすべて

3層

上面で確認 して いる。

3層

上面 を検 出 した段階で地表面 の標 高 を記録 した。 図12に 示 した標

(33)

ζ

' ′

, 図

11

青 葉 山遺 跡

E地

点 第6次調 査 調 査 区 の 位 置

(34)

高は、

3層

上面のものである。層序 と旧石器時代の遺構・遺物 の存在 を確認するために、図18に示すように

3層

以 下については、調査面積 の約

1割

を目安 に深掘試掘調査 を行なった。

3層

上面や深掘試掘区の断面な どで、地すべ りによる地層のずれが検出された沙。遺構平面図。断面図、遺物の出土位置等は基本的に20分の

1で

実測 を行なっ た。 調査は1996年 7月 1日か ら開始 した。

BB∼ BP-10∼

13区、および

AR∼ BF-14∼

19区の調査 を終了 した 時点で、9月30日に急速、富沢地区の原子核理学研究施設実験棟新営 に伴 う、芦 ノロ遺跡第

4次

調査 (年報

14)を

行な うことが決 ま り、本調査は10月

H日

で一旦 中断 した。翌1997年の調査は 4月10日 よ り再開 し、7月 30日ですべ ての調査が終了 した。 いずれの深掘調査 において も、 旧石器時代の遺構・遺物は確認 されていない。 注

)地

すべ り痕 については、東北大学大学院理学研究科助教授松本秀明氏、 同flD手大月義徳氏 に来跡いただき、 ご教授 いただいた。詳細 については、本章

5で

触れる◇

2.基

本層序

基本層序は

1層

∼12層に分けられた (図18∼20)。

1層

は大学 による盛土や埋設管埋土 とそれ以下の旧表土 を一 括 している。 旧表土面か らは戦前の第二師団工兵隊が野戦演習に使 つた と考 え られる聖壕や、開拓農家で飼われ ていた と考 え られ るヤギの墓坑な どが見つかっている。

1層

∼12層までの層序は、基本的に青葉山遺跡第5次調査の層序 と同 じであるが、細別 には多少の差異がある。

2層

は遺物包含層で、場所 によっては暗褐色の

2a層

と、漸移層の

2b層

に細別できた。層厚は平均 して20∼

30cm

であるが、大学の造成 に伴って削平 されている部分 も存在する。

2層

には縄文時代早期や中期、晩期 の遺物が含 ま れる。

3層

以下は ローム層である。

5層

上面 には川崎スコ リア (2.6∼3.2万年前 :板 垣 ほか

1980)の

ブ ロックが確 認 された。

6層

6a層

6b層

に細分 された。

6b層

は愛島軽石層起源の軽石・岩片を含んでいる。

7層

は場所 に よ り、

7層

上部 と下部の

2層

に細分 された。

7層

下部では、上部 に比べ、愛 島軽石層起源の岩片が大粒で多 く含 ま れる。

8層

は愛島軽石層 (6.4∼8万年前 :年 報

2)で

ある。

AQ・

AR-19区

深掘調査区では、

8層

以下の層が存 在せず、

7c層

直下が礫層 となっている。9層 は、場所 によ り

9a層

9b層

に細分 された。

9b層

9a層

よ り赤 味が強い土色 をしている。

9層

上面、

8層

との境 にはマ ンガ ンの沈着が見 られる。10層は、

10a層

10b層

10c

層の3層に細別 された。

10c層

は、

10a層

に比べ、砂が多 く混ざ り、全体 に黒味を帯びている。 また

10b層

10c

層の境には酸化鉄、マ ンガ ンの集積部分が認め られた。■層は16枚に細別 され、下の礫層起源 の風化礫 を多 く含 む層 もある。12層は基盤の段丘礫層である。 また、調査区南西辺∼南辺 にかけて検 出された地すべ り痕 に対応 し、断面で も層位 のずれや地割れ、空隙、崩 落土な どが確認された。 これ らは、

2b層

以下の層 に見 られ、

2a層

には及んでいない◇崩落土は、本来

2b∼

7 層に相 当する部分が混在 していると考 え られ、場所や レベル に応 じて土質の違いが認め られる。

3.検

出 遺 構 検 出された遺構は土坑

3基

、ピ ッ ト14基である (図21、 図版

3∼

5)。 また、人工的な遺構ではないが、地すべ り痕 も検 出されている。 【

1号

土坑】

BL・

BK-14区

3層

上面で検 出された。平面は長方形で、長軸方向は

N-49°

Wで

ある。長軸126cm、 短軸62cm、 深 さ

74cmを

測 る。底面 中央 には円形のピ ッ ト(直径18cm、 深 さ

38cm)が

1基

認め られ る。埋土は3 層に分け られる。 出土遺物はな く、時期は特定できないが、平面形・規模 と底面のピ ッ トの存在か ら、陥 し穴 と 考え られる。

(35)

]]

BS IBR

BP IBO

MIBLIB

BJ

BI_生

BH I BGI

BA IAT

AS I AR

1552 554 木 跡 6 青 葉 山 遺 跡

E地

点 第 6次 調 査 遺 構 配 置 図

12 Plans of archaeological features at AOE6

0 10m l i l 十 , │

22 1

即F

判れ!

︰・

ョ劇¶却里4 ︲

⋮祠碧旦 2

│ユ

ー 争

(36)

BN IBM I BL

BKI B」

I BI

Fig.13 Thelandshde at AOE2 and AOE6

13

青 葉 山 遺 跡

E地

点 第 2次 調 査 及 び第 6次 調 査検 出 地す べ り痕

(37)

+B SttB R+B QttB PttB O+BN+BM+BL+BK+BJ+BI+BH+BG+BF+BE+BD+Bc+BB+BA+A TttA S+AR+AQ+

1 1

+ 9 十 10 十 11 + 12 + ︲8 十 ︲4 + ︲5 + ︲6 + ︲7 + ・8 十 19 + 20 キ 2︲ + 22 + 23 + 24 ■ 25 十 9 十 Ю + 11 十 12 + ︲3 + ︲4 + ︲5 + ︲6 十 ︲7 + ︲8 + ︲9 十 20 + 2︲ 十 22 + 23 十 24 ■ 25 十 + + + + + . A A = く r ︲ L 下 ︱   十     + 十 十 十 十 ■ + 十 十 + 十 十 ■ + + 十       十       十 十       十 十 + + + キ 十 十 十 十 ■ + 2 十 十 十 十 十 十 + + + + ++++++++++++++++++十 層出土縄文早期後葉土器出土点数 (255点) + 十 + + 十 + 図

14

青 葉 山遺 跡

E地

点 第6次調 査 グ リッ ト別 出土 土 器 密度 図

Fig 14 Density of Pottery at AOE6 + +

日早期中葉 。早期末莱 X中 期中葉 ▲中期末菜 ・ 晩 期 図

15

青 葉 山遺 跡

E地

点 第6次調 査 出土 土 器 分 布 図 (縄文 早 期 後 葉 以 外 の 上 器)

Fig 15 Distribution of Pottery at AOE6

嶼     +     ヽ   + R B ■ + 十 十 + 十 S B + + 十 + 十 十 + 十 + + + + +

十B PttB OttB NttB MttB L+B Ktt B Jtt B二 十B HttB GIB F+BE+BDキ

Bc+BB+BA+AT+A SttA R+AQ叶

十 十 十 +十 十 +十 十 十 ■

+++十

+十 十 +十 十 +十 十 十 十 + + + 〕

- 10m

24

(38)

+B SttB R+B QttB P+BO■

BN+BM+BL+B KttB J+B IttB H+BG+BF+BE+BD+B CttB BIB A+ATキ

A SttA R+AQ+ ユ 十 十 + + + + + + + + 9 十 10 ■ 1︲ + 12 十 13 + ︲4 ・ ︲5 + ︲6 + ︲7 + ︲8 十 19 ・ 20 十 2︲ + 22 + 23 + 24 ■ 25 + 9 + 10 十 11 + ︲2 ■ ︲3 + ︲4 十 15 + ︲6 + ︲7 + ︲8 + ︲9 + 20 + 2︲ + 22 十 23 + 24 + 25 十 十 十 十 ■ 十 +       十 . l A R I︲ Ц ト ー ー 井 1 1   +       + + + + 十 + + + 十 十 ■ 十       十 十       十 + キ ■ キ 十     ■     十 +       十 + 鞘 峠 十 十 + 十 十 十 ■ + + 十 + ■ + 十 ■ 十 ++ 2層出土石器点数 (87点) + + + 十 + 十 ■ + 10m 図

16

青 葉 山遺 跡

E地

点 第6次調 査 グ リッ ト別 出土 石 器 密 度 図 Fig 16 Density OF Stoneimplements at AOE6

+B SttB R+BQ+BP+BO■

BN+B III B L+BK+BJ+BI+BH+BG+B FttB E+BD+BC+BB+BA+AT+A SIA RttA Q+

+ 十 ■ + 十 十 + 十 ++十 十 ++++

O母

1

+++・

母岩

2 +

・ 母岩

3 +

+ + + + 十 + + + 図

17

青 葉 山遺 跡

E地

点 第6次調 査 出土 石 器 接 合 関係 図

Fig 17 DistributiOn of refited StOne implements at AOE6

(39)

δ 15■ 04

BDT I

A生 15610m ― 155.Om

-1弘

Om ィ 5153.OIn

図 亀

:烹

ど 戦

中〕

(40)

BK BJ BI BG B 3一 マ一4巧 ― ― ― -157 0rn ― ― ― -1560m ―― ― -15501n 3号 土坑 埋 ± 1 3号 土 坑 埋 ± 2

BP

埋 土 埋 ± 2ノ 4 埋 ± 5 風 倒 木 跡 7 崩 落 土 崩 落 土 7上 部 67上

46 17下 部 撹膏

L 5

19

青 葉 山 遺 跡

E地

点 第 6次 調 査 断 面 図 12)

Fig,19 Cross setion oF exavation at AOE6(2)

BS 2号 土 坑 ︲

C D C′

1540m

-1530m

67許 7下 7上 部 7T D′ 1560m 7上 部 7下 部 ―― ― -155 0rn 9b19h 10c ]﹃ 二 :5■

Om

-1560m

――― -155,Om 2b

(41)

]∞ マ ン ガ ン

2b

沈 着 層 E′

1550m

― ― ―

-1540m

-1530m

M

う民

ヲ沈

11(腐 れ礫 層 )

ン ガ ン 沈 着 層 10`10iOb!

´

10を F′ 1570m

-1560m

―――

-1550m

-1540m

愛 島 パ ミ ス直 下 の マ ン ガ ン層 I 3 54 6 崩 落 ± 13/ 崩 落 ± 23

落±

24'‖

T

愛 島 パ ミ ス直 下 川 崎 ス コリ ア 3 G′ 1560m

-1550m

10と 10b

Law居

Om

古亀

Ha・

bと ll・ Oの 漸 移 層

___15&Om

J2写

鴨 ¶ 落 暮 警 王 亀 畜

IW'留

87堅

H′ 1520m

-1510m

-1500m

I′

1570m

-1560m

-1550m

L′

1570m

K′ 1560m 3 155,Om

1540m

・L一   紫一 2b ―― ― -1560m 図

20

青葉 山 遠 跡 E地 点 第 6次 調 査断 面 図 俗 )

Fig 20 CrOss setion oF exavation at AOE6(3)

52b ' 礫 層 崩 落 ■ 2

崩落

旨笹

ミ考

漢遭

7上 崩 落 ± 22 川崎 ス コリ ア マ ンガ ン層

図    目    次 図 1  東北大学 と周辺の遺跡 ………………………… 2   図 16  青葉 山遺跡 E地 点第 6次 調査 図 2  仙台城 と二の丸 の位置 ………………………… 3       グ リッ ト別出土石器密度図………………… 25 図 3  川内南地区厚生施設屋根取設 に伴 う         図 17  青葉 山遺跡 E地 点第 6次 調査 立会調査地点の位置 ………………………… 4       出土石器接合関係図 ………………………… 25 図 4  川内南地区厚生施設屋
図 2  仙 台 城 と二 の 丸 の 位 置 Fig 2 Distribution of Sendai Castle
図 11  青 葉 山遺 跡 E地 点 第 6次 調 査 調 査 区 の 位 置
図 亀
+4

参照

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