1.序 論
本稿の目的は、第4期国語国定教科書『小学国語読本』の使用時期である1933(昭和8)年 4月から1941(昭和16)年3月までの小学校の国語教育論を対象に、このなかで自然愛の語り とその養成論がいかなる展開をしていったのかを、この語りと養成論に期待された教育的意図 や機能との関連で、明らかにすることである。なお本稿でいう「自然」とは山川草木など、外 的世界を構成する存在物一般を指示する用語として使用している。 自然を愛する情操、つまり自然愛の情操は、地球環境問題の深刻化する現代社会において、 教育により養成することが求められる、注目すべき感性・徳性であるといえるだろう。そして その自然愛に関して、「日本人は自然を愛する国民である」などの形で、日本人が伝統的にこ の情操に恵まれているという主張を、よく目にすることがある。その意味でこの主張は、漠然 と一般に共有された、現代日本の共通認識と捉えることができるだろう。しかしこの主張に対 して、社会学者・教育学者である斎藤正二が、日本の自然が美しく、かつ日本人は自然を愛す るという認識は、近代日本の教育のなかで積極的に唱道され、定着していったと指摘するよう『小学国語読本』使用時期の国語教育界における
自然愛の語られ方とその養成論
―日本精神と自然愛―
林
潤 平*
Discourses and Training Theory of
“Love of Nature”in the Japanese Language
Education History During the Period of Using
“Shogaku Kokugo Tokuhon”:
“Nihon-Seishin”and“Love of Nature”
(HAYASHI Junpei)
*近畿大学教職教育部非常勤講師 〔キーワード〕 自然愛、国語教育、昭和戦前期、『小学国語読 本』、生活綴方運動
に1、自然愛の情操と日本人の関係をめぐる認識の歴史性を指摘する主張も、少数ながら存在 しているのである。ただ斎藤の指摘する実際の歴史の様相を、史料に即し実証しようと試みた 研究は管見の限り存在しない。そこで筆者は、斎藤の問題提起を引き継ぎつつ、明治以降の教 育史、特に教科教育の歴史を主なフィールドとして、この自然愛に関する議論やこの情操に関 する養成論というものが、いかなる形式や構造を持ちつつ主張され、展開されていったのかを、 明らかにする研究を行ってきた2。具体的には、「自然愛」、「自然を愛さなければならない」、 「日本人は自然を愛する国民である」などの、「自然を愛する」という主張・表記が含まれる一 連の表現を、「自然愛の語り」と設定し、その語りの実際や特徴、さらにはその語られ方の構 造などから、自然愛の養成論の歴史的な変化を分析する方法で、上記の課題に答える研究を実 践してきた。養成論を形作る個々の語りのレベルに1つの分析軸を置き、その語りの特徴や語 り相互の関係などから養成論の内実を細かく検討することが可能な方途をとることで、より詳 細に養成論の構造を把握し、かつ養成論を構成する各要素の歴史的変化を、より明示的に提示 できることとなるであろう。こうした方法をとる理由は、今後も重要性を増すであろう自然愛 の情操の教育が、その歴史性を明確に把握したうえで教育方法を緻密に練り上げられてこそ、 着実な実践を実現していくことが可能であるという認識に、筆者が立つからに他ならない。 本稿は、こうした問題意識、方法的な見地から、冒頭で述べた時期の国語教育における自然 愛の語り、及びその語りから構成される自然愛の養成論の史的展開を、明らかにすることを目 指す論稿である。自然を主に扱う理科や地理などの教科と並んで国語では、第3期国語国定教 科書『尋常小学国語読本』第12巻、「我が国民性の長所短所」の課において、「自然美を愛好す るやさしい性情」3 が日本人の国民性であると、尋常小学校の教科書で初めて論じられること となり、これをきっかけにこの国民性の長所を知り良き国民となることを目指す国民化という 観点などから、自然愛の主張が数多く国語教育論のなかで論じられていくようになった歴史的 な推移を、確認することができる4。その意味で国語は、こうした国民性の議論との関連で自 然愛の語りやその養成論が多様に展開された、独自の歴史的な特徴をもっており、筆者の問題 意識からすれば、見逃すことのできない重要な分析対象と捉えられなければならないのであっ て、すでに筆者はこの『尋常小学国語読本』の使用時期(1918(大正7)年4月から1933(昭 和8)年3月までの15年間)に確認できる、国民性としての自然愛の養成が国語教育の分野で まさに説かれはじめる際の歴史の実態について、先述の観点から別稿で検討を加えておいたの であった5。そして今回特に分析の中心に据えたい第4期国定教科書『小学国語読本』もまた、
すでに木下政久が「自然を美化する編輯姿勢は、「サクラ本」を一貫している」6 と指摘するよ うに、自然の扱いに特徴をもった読本であり、自然愛がこの読本の特性から多様な形態で語ら れうるという潜在性を備えた、教科書であるのである。しかし『小学国語読本』の自然に焦点 を当てるという、管見の限りでは本稿と志向を同じくする唯一の先行研究である先の木下の論 稿においても、ほとんど読本本文の記述のみが分析の対象とされており、もとより自然愛に焦 点が当てられていない点を除いても、同時期の教科書指導書や国語教育論、さらには教育界の 動向など、『小学国語読本』の自然をめぐる問題を検討していくうえで重要な史料群に触れられ ていない限界があった。そこで本稿では、すでに先の第3期国定教科書使用時期の研究でも採 用した方法であったが、読本の記述に加え、こうした当時の社会状況との関係や教育論の詳細 を把握できる教科書指導書や国語教育論を主な分析対象に加えて、考察を行っていくこととし たい。この形式で分析を行っていくことで、『小学国語読本』のもつ自然をめぐる問題を、自 然愛という観点からではあるが、より深く、より広く理解することが可能となるであろう。そ して何より本稿が注目したいこの自然愛の語り、その養成論という観点からいえば、教育論や 指導論を考察の対象とすることで、個々の自然愛の語りの形式と、その語りが教育的意図や社 会の要求などと結び付けられ、養成論として構成、主張されていく様相という、最も注目した い点を明らかにすることができるのである。なお検討する史料のなかでも雑誌に発表された国 語教育論に関しては、語りや養成論の原型を形成するのに力をもったと想定される、全国レベ ルの教育雑誌、国語教育専門誌に掲載された論稿を、主要な検討対象とした。
2.『小学国語読本』とその指導書で展開された自然愛の語りと養成論
それでは最初に、この『小学国語読本』の本文で確認できる自然愛の語りから、検討を始め てみたい。この全12巻の読本の中に登場する自然愛の語りは、第11巻の「十和田紀行」という、 十和田湖周辺の自然美を紀行文の形で描き出した課に確認できる「十和田湖の愛すべく親しむ べき風光」7 という記述、及び第12巻「奈良」という課に含まれる「愛すべく美しき山野」8 と いう記述などの、いわば具体的な自然物、風景を「愛すべきもの」と形容する表現と、前述の 第11巻「五月の太陽」の課に確認できる、「五月の太陽は(中略)苗代の青田を愛撫し(後略)」9 という、自然物を「愛撫」する様子を示す表現の、全3点である。 これらの語りは、まさに自然を愛するべき対象と描き出している語りと捉えることができる だろう。そして「愛」は教育上望ましい感情であるがゆえに、例えばある指導書の「十和田紀行」の課の教案で、指導の要旨として「青森駅から十和田行の乗合自動車で、先づ八甲田山に 向ひ焼山を過ぎ十和田湖に至る紀行文を読ませて、大自然の美を感ぜしめ、自然を愛し、自ら の情操を高め感覚を広く豊かにさせると共に、文学的紀行文の書き方を会得させる」10 と述べ られるような養成論へ、つまりこの良き情操である自然愛を子どもに培っていこうという議論 へと、展開されていくこととなるのであった。もとより当時の国語教育界に思想・理論の面で 多大な影響力をもった垣内松三が11、『小学国語読本』の刊行に応えて出版した指導書、『小学 国語読本巻一 形象と理会』の中で、読本教材の第一の特徴を、「その一は自然の親愛である」12 と指摘し、さらに、「たとへばサクラ ガ サイタから始まつて、第一部に於てはいふまでもなく、 第二部に求ても、カヘル、カタツムリ、スズシイカゼ、メダカ、ホタル、アメ、ヒゴヒ、アサ ガホ、ホシのやうに児童に親しみのある自然の景観が素材とせられ、又表現様式に於いても親 愛の感情、調子が現はれて居る」13 というような形で、直接『小学国語読本』本文中に自然愛の 語りが登場しなくとも、読本の教材に自然愛が多分に表現されていると捉えていく認識は、す でに読本の刊行当初から提示されていた。このような国語教育界の権威の認識を汲み取り、共 有がなされていく形で、当時の『小学国語読本』指導書の中にはこうした議論、例えば「本課 指導の主眼は、この文の読み―解釈と鑑賞とを指導することにある。而して秋のおとづれを迎 える自然景物の推移の妙を楽しみ、秋のおとづれをば虫の声を中心として観取する自然観照を 生活させ、自然に親しみ自然を愛する心情と美的生活態度を養ふものである」14 などという養 成論が、読本本文の自然愛の語りの有無とは無関係に、数多く展開されていくこととなったの である。表1は本稿で検討の対象とした『小学国語読本』の指導書のリストであるが、ここま ででみた教材に自然愛を捉える語りや望ましい感情として自然愛を養成していこうという議論 は、調査を加えた全48種類(シリーズ)の指導書類のうち、34種類で確認することができた。 ただ『小学国語読本』使用時期の自然愛の語り、その養成論の歴史的特徴に注目する本稿に おいて、上記の読本本文内の記述に関連した語り、養成論以上に注目しなければならないのは、 第3期『尋常小学国語読本』に登場していた、「自然美を愛好するやさしい性情」 が日本人の 国民性であるという、序論でも確認した国民性と関連する自然愛の語り、いわば国語教育の分 野でとくに特徴的な形式であった自然愛の語りが、『小学国語読本』の本文の中から削除された 点である。すでにこれも述べておいたように、『尋常小学国語読本』本文にこの国民性と関連す る自然愛の語りが登場したことをきっかけとして、この美点を知って良き国民となっていくと いう、いわば国民化の観点などから、多様な自然愛に関する記述や養成論が、国語教育界の中
表1.調査対象とした『小学国語読本』指導書のリスト 発行年 発行所 タ イ ト ル 著者・編者 1933 厚生閣 小学国語読本の指導とその理論(全2冊) 千葉春雄 1 1933∼ 目黒書店 改正小学国語読本の実際的取扱(全8冊) 田中豊太郎 2 1933 文録社 生活化郷土化作業化小学国語読本詳説 尋一上 水上健二 3 1933∼ 明治図書 生活学習小学国語読本の指導(全12冊) 佐藤末吉 4 1933∼ 明治図書 教法精説新読本の指導精神(全12冊) (注、全12冊中第8巻のみ未見) 友納友次郎 5 1933∼ 目黒書店 新訂小学国語読本模範指導書(全11冊) 原田直茂ほか 6 1933∼ 南光社 新小学国語読本指導精説(全9冊) 浅黄俊次郎 7 1933 文学社ほか 小学国語読本巻一 形象と理会 垣内松三 8 1933 教育研究会 小学国語読本巻一 文学構造と生活学習 西原慶一 9 1933 同文社 小学国語読本巻二 解釈と実際 西原慶一 10 1933∼ 明治図書 小学国語読本解説(全12冊) 宮川菊芳 11 1933∼ 賢文社 小学国語読本指導書(全11冊) 佐藤徳市ほか 12 1933∼ 国民教育新聞社 小学国語読本編纂趣旨と取扱(全3冊) 国民教育新聞社編 13 1933∼ 明治図書 実力成長小学国語読本の教授(全12冊) (注、全12冊中第1巻のみ未見) 坂本豊 14 1933∼ 東洋図書 小学読方教育書(全4冊) 馬淵冷佑 15 1933 章華社 改正小学国語読本解説教授書(全2冊) 土屋敏雄 16 1933 宝文館 総合的作業的小学国語読本教授書 三浦喜雄ほか 17 1933∼ 明治図書 小学国語読本指導書(全11冊) 秋田喜三郎 18 1933 東京出版社 形式の解説を主としたる新国語読本指導細案 国民教育研究会編 19 1933 教育書院 教材精説日案式小学国語読本教育書 桜井美ほか 20 1933∼ 三省堂 小学国語読本新指導書(全4冊) 小林佐源治 21 1933∼ 同志同行社 小学国語読本と教壇(全12冊) 芦田恵之助 22 1934∼ 南光社 新小学国語読本指導案(全6冊) 岩瀬六郎 23 1934 高踏社 改訂小学国語読本巻一の研究 稲村玉雄 24 1934 三元社 簡明小学国語読本指導の実際 尋常科第一学年 田中武烈 25 1934∼ 文泉堂書房 小学国語読本学習指導書(全3冊) 浜松師範学校附属 小学校国語研究部 26 1934 明治図書 新読本に基く尋一国語生活の指導 加藤賢 27 1934∼ 高踏社 教材解説毎時配当読方学習指導案(全4冊) 小林佐源治 28 1934∼ 明治図書 細目兼用新読本指導日案(全3冊) 綿貫数夫 29 1935 賢文館 新国語読本の詩の鑑賞と教育 白鳥省吾 30 1936 東宛書房 小学国語読本の基本的総合研究 高田師範附属 小学校研究部 31
で論じられるようになっていたのであった。その点を考慮すると、この読本本文における記述 の変容は、国語教育における自然愛の語り、その養成論の歴史を考える際に、とりわけ重要な 変化と捉えられなければならないだろう。日本の教育史上初めて、本格的に国語教育者たちに 自然愛を論じさせることとなった直接の契機が、多大な影響力をもつ国定教科書の記述の中か ら消え去ったことを意味するからである。 しかしあわせて注意しなければならないのは、『小学国語読本』の編纂を主導した井上赳が、 この読本の特徴として「之に韻文を加へますと自然に関する教材はかなり多いのであります。 詰り自然に愛着して趣味感情を以てこれを楽しむ。これは日本の国民性の謂はゞ一つの特色で あります。新読本には早くからさういふ暗示を与へて来ましたが、巻の五六邊りの韻文から次 第に強調されて、巻の七に入つて本格的なものが現はれたといふことがいへるだらうと思ひま す」15 と述べているように、『小学国語読本』が本文に記述そのものはなくとも、読本全体で国 1936 培風館 尋常小学国語科読方教授細目 初等教育研究会編 32 1936 明治図書 新読本児童生活低学年の読方教育 佐藤末吉 33 1936∼ 岩波書店 小学国語読本総合研究 岩波書店編 34 1937 同志同行会 恵雨読方教壇 芦田恵之助 35 1937 晃文社 読方教材の類型と指導 佐藤徳市 36 1937 晃文社 創作本位新読本と綴方教育 秋田喜三郎 37 1937∼ 成美堂 読本指導と朗読法(全12冊) 東京朗読研究会 38 1938 日本文学社 国語読本新教授法 新屋敷幸繁 39 1937 児童教育研究会 小学国語読本の研究 斎藤武治 40 1938 晃文社 読本の体系的研究 秋田喜三郎 41 1938 目黒書店 新読本解疑 小学校教材研究会 42 1939 厚生閣 小学国語読本教材精神の体系的研究 白井勇 43 1939 育英書院 小学国語読本 詩の新しい味ひ方 福田玉夫 44 1939 東洋図書 小学国語読本国文学教材の新研究 岡田稔ほか 45 1939 明治図書 新読本縦の研究 秋田喜三郎 46 1940 晃文社 読本教材の文学的考察 徳田淨 47 1940 盛林堂 大人の読んだ小学国語読本 沖野岩三郎 48 注・本リストは「国語教科書・教材 研究書一覧」(井上敏夫編、1981年、『国語教育史資料 第二巻 教科 書史』、東京法令出版、所収)をもととして、その中から実際に調査を行うことが出来たもの、加 えて教材内容の指導法を実際に論じていることが確認できた指導書を抜粋して作成した。 ・発行年の「∼」の記号は、シリーズがこの年から複数年にわたって発行されたことを示す。
民性としての自然愛の側面を強調し「暗示」していく、つまり良き国民性の美質を感じ取らせ 知覚させていこうという、前読本に通底する特色を備えていたことである。この井上ら読本編 纂者の配慮を受け止める形で、『小学国語読本』指導書のなかにも、国民性と関連して自然愛 を語り、日本人の国民性として自然を愛する情操があることを知らせたり、この自然愛の国民 性を子どもたちに目覚めさせることを説いたりする養成論を、多数見出すことができる。表2 は表1で取り上げた『小学国語読本』の指導書のなかで、国民性と関連する自然愛の語り、養 成論を論じている著作とその記述を抜粋したものである。この表からは依然として『小学国語 読本』使用時期にも多くの国語教育者が、前読本の使用時期の国語教育論の延長線上に立って、 自然愛を国民性の一環として捉え、この国民性の議論との関連で自然愛を語り、養成論を展開 していた様子を確認することができる。 こうした井上の議論や表2の記述のなかに確認することができる、自然愛の情操をもつとさ れる国民性の長所を知覚させること、またはその良き国民性を子どもたちに陶冶することを企 図する養成論の背後には、前者では日本人に関する知識という、子ども自身のアイデンティ ティにも関連する情報を伝達することで、国民としての自己認識を深めていくことが目指され ている点や、後者では文字通り国民としての性格を子どもたちのなかに芽生えさせることが意 図されている点から、両者を総括すれば、子どもに国民としての自覚を持たせるという目的が 存在していると、捉えることができるであろう。『小学国語読本』とその指導書に登場した自然 愛の語り、及びその養成論を概観してみると、これまでにみた2つのパターン、つまり自然を 愛すべき対象と語り、良き情操として自然愛を養成しようとする形式と、自然愛を国民性と関 連づけて語り、国民としての自覚をもたせるために養成を説くという形式とに、分類すること ができるのである。 そして先の箇所で、この論稿では後者の形式、つまり国民性と関連づけられる自然愛の語り と養成論の議論に、より注目をしていかなければならないと論じておいたのは、満州事変以後 の戦時体制へと歩を進める教育界の中で、強まりを見せる国家主義的な傾向が、国語教育界に おいてもまた思潮を貫く全体の性格を形作ることとなり、こうした思潮との関係で、まさにこ の国民性の議論と関係をもった自然愛の語りと養成論とが、これまでの時代に確認することの できなかった新しい変容をみせていくこととなるからであった。さらにいえば『小学国語読 本』の使用時期は、後に詳述する国家主義的な思想動向が国語教育界の基調となること、加え て時代が進むにつれてその思想動向が深まりをみせていく特徴を後景にもったがゆえに、まさ
表2.『小学国語読本』指導書に登場した国民性と関連する自然愛の語り・養成論のリスト 記 述 表1の番号・タイトル・巻 読本第7巻「朝顔」の教案のなかで、「本課はそれ等の国民性に 根ざす自然愛好、自然に対する風雅心の発露として見る時、極め て意義の深い材料である。さればかゝる方面に対する生活を指導 する意義を見逃してはならない」(267268頁)という、養成上の 注意点が述べられる。 『生活学習小学国語読本 の指導』巻七(1936年刊) ① 読本第11巻「十和田紀行」の教案のなかで、「本課指標に自然美 に秀でた十和田一帯の景観を紙上に鑑賞させ、自然愛好の国民的 性情を陶冶するにある」(416頁)という養成法が述べられる。 『教法精説新読本の指導 精神』、巻十一(1938年刊) ② 読本第8巻「菊」の課の解釈を述べる箇所で、「菊は櫻や梅などゝ 共に、国民の伝統的に愛好するところである」(237頁)という自 然愛の語りが論じられ、こうした「菊に対する賞美の、伝統的な 国民感情を感得させるのである」(240頁)という点に、指導の主 眼を置いている。 『新小学国語読本指導精 説』、巻八(1936年刊) ③ 読本第6巻「小さい温床」について、「由来我が国民は、気候温 和にして、風光明媚な国土に恵まれてゐる関係上、自然愛好の念 が極めて深く」(448頁)という語りが、教材解釈の一環として述 べられている。 『小学国語読本解説』、巻 六(1935年刊) ④ 読本第6巻「福壽草」の教案で、「注意することは国民の自然愛 の性情について知らしめることである」(195頁)という注意点が 述べられる。 『小学国語読本指導書』、 巻八(1938年刊) ⑤ 読本第2巻「オ月サマ」の教案、要旨の箇所で、「又月供養にも ふれて自然愛の国民性を養ふようにつとめる」(28頁)という、 指導上の目的が述べられている。 『実力成長小学国語読本 の教授』、巻二(1933年刊) ⑥ 読本第3巻「春が来た」の教案、要旨の箇所で、「即ち五五調の 反復的表現を通して、春の来たことを認めて歓喜する情、進んで は民族精神たる自然を愛好する情操を養ふのが目的である」(43 頁)という、指導上の目的が述べられている。 『小学読方教育書』、巻三 (1934年公刊) ⑦ 読本第1巻「サイタ サイタ サクラガサイタ」の教案で、教材解 釈の一節に、「櫻花は国民全体が愛する花である」(27頁)という 語りがある。 『総合的作業的小学国語 読本教授書』(1933年公刊) ⑧ 読本第4巻「富士の山」の教案で、指導上の主眼点として、「我 が大和島根の誇りである富士、神国日本を象徴するところの富 士、その崇高秀麗なる姿を心ゆくまで観照させ讃美させて、我が 国土愛好の心を養ひ国民性啓培の一助たらしめる」(1頁)とい う点が述べられる。 『新 小 学 国 語 読 本 指 導 案』、巻四(1934年公刊) ⑨ 読本第1巻「デタ デタ ツキ ガ」の教案で、教材解釈の一節に、 「由来西洋人はさうでないけれども日本人は自然を愛する国民で ある」(32頁)という語りが登場する。 『教材解説毎時配当読方 学習指導案』、尋一(1934 年公刊) ⑩ 読本第6巻「梅」の教案で、指導上の到達点として、「自然の奥 へ奥へと憧れ入る日本的自然美の愛好心を養ひ」(199頁)という 点が取り上げられる。 『小 学 国 語 読 本 総 合 研 究』、巻六(1938年公刊) ⑪
にこうした背景との関係で、自然愛の語りと養成論に、この時代特有の歴史的な性格が付与さ れていくこととなったのである。その際こうした自然愛の語り、養成論の展開に関して、変容 を主導する中心的な役割を担ったのが、まさにこの時期に強調され、注目されていた日本精神 論、つまり『小学国語読本』指導書のなかにも決して数は多くないが、例えば読本第4巻「富 士の山」の教案として、「此の童謡こそ、読む者の心眼にその実体を髣髴たらしめ、その美し さを、偉大さを、気高さを、想望し、情感せしめて、そこに自然観照の眼を開き、自然愛好の 情緒を助長するは素より、一面、かうした名山を持つ日本の誇を覚えつつ、秀麗なる富士の霊 峯と、卓絶する日本精神との交渉に於て、一味相通ずる神秘な生命的 楔 機を直覚せしめ、かく ママ て童心の躍動さながらに、日本精神陶冶の一助たらしむる上にも、尊い使命を帯ぶるものとし て、文学的並びに教育的価値の多大なるを信ずるものである」16 などの形で登場しはじめた思 想であった。この例では、自然愛の語りと「日本精神」の思想の両方が登場し、教育実践上に おいて関連するところがある可能性を示唆してはいるものの、両者の具体的な関係について は、必ずしも自覚的に検討がなされていない。しかし『小学国語読本』の指導書から離れてこ の時期に生産された国語教育論を広く見渡していくと、その両者の関係に言及していく新しい 議論が、国家主義の強化を象徴する形で国語教育界に登場している様相を確認することができ るのであって、先に言及した、この時期特有の新たな自然愛の語り、養成論のあり方もまた、 それらの議論のなかに見出すことができるのである。次章からはこうした日本精神論との関係 で、『小学国語読本』使用時期に新しく生み出されていった自然愛の語り、養成論のありよう、 さらにはその語りと養成論の展開過程について、より詳細に考察を進めていくこととしたい。 読本第3巻「春が来た」の教案で、「本文はこの季節の美観をと らへて自然愛の心を養ひ、国民的情操を陶冶しようとするもので ある」(1頁)という指導方針が述べられる。 『読本指導と朗読法』、巻 三(1937年公刊) ⑫ 読本の収録された俳句の教材に関する指導上の注意点として、 「我々が実際にねらふところも、自然愛好の念をとほして国民性 を陶冶することになければならぬ」(293)という点が述べられる。 『小学国語読本教材精神 の体系的研究』(1939年公 刊) ⑬ 自然文学に関する指導法を総体的に論じる箇所で、「我が国民が、 自然を愛し、生活を楽しむは、優美な国民性によるものであつて、 壮烈鬼神を泣かしむる大和心の反面には、かうした優雅な自然愛 好の心を享有してゐる」(356頁)という一節が語られている。 『新読本縦の研究』(1939 年) ⑭
3.国文学や神道の概念・思想との密接な結びつきを強めた自然愛の語りと養成論
まず本章では、『小学国語読本』使用時期の前半において、先導的に日本精神論の国語教育 への導入を検討していった、一部の国語教育者たちの議論を手掛かりとして、日本精神論と自 然愛の語り、養成論との関係について、検討を試みることとしたい。日本精神論の国語教育論 への導入は、具体的には1934(昭和9)年以降に徐々に進められていった様子を確認すること ができる。雑誌を例にその様相を紹介してみると、『教育・国語教育』誌が同年4月15日に「日 本精神の発揚と国語教育」と銘打った臨時増刊号を発行し、さらに『読方教育』誌の同年11月 発行号では、「日本精神と読方教育の諸問題」という特集が組まれ、日本精神論と読み方教育 の関係、読み方教育に日本精神論を導入していく方案について、多角的な分析が展開された。 また綴り方の分野においても、とくに『新綴方教育』という雑誌がこの時流に乗る形で、同年 から翌1935(昭和10)年にかけて、多数の日本精神関連特集を誌上で展開していた例を、指摘 することができる。これらの雑誌に論稿を寄せた国語教育者たちの手によって、先駆的に日本 精神論と国語教育との関係が検討され、同時にその中で自然愛の議論と日本精神論との関連 も、深められてくるのであった。 それでは上記のような日本精神論の国語教育論への導入を積極的に進めた国語教育者たちの 問題認識について、当時の証言に拠りながら、さらに詳細に分析を進めておこう。先述の雑誌 『新綴方教育』の主幹で、その理論的支柱であった古見一夫は、1934(昭和9)年9月に発表 した「日本精神に立つ綴方の大道」という論稿で、『新綴方教育』誌が日本精神に立脚する綴 方教育を標榜する理由について、総括的に検討を加えている。その古見は日本精神が叫ばれる こととなった時勢を、「非常時日本の声は抑々事古りたり、我が国は一度国際連盟を離脱して、 独自の立場に立つて世界の舞台に闊歩せざるを得ざるに立ち至り、近く一千九百三十五・六年 の危機に際会せんとしてゐる。一方満洲の建国を授けて帝政を布かしむるに及び、日本の学術 は世界をリードし、日本の製産品は全世界の市場に進出するに至り、今や世界の中心に立ち、 世界を指導せんとする山の如き自信を得たのである。この秋に当つて日本精神の再認識が叫ば れるに至つたのは、実に当然の帰趨と言はなければならない」17 と概括している。いわば古見 は、満州事変以後の日本をめぐる動静、つまり国際連盟の脱退に象徴される政治的な孤立化の 危機が存在する一方で、他方では日本の政治的・経済的・学術的な地位向上が達成された時勢 の影響によって、「日本精神の再認識が叫ばれる」現状が登場したと捉える認識を示していた。 そして古見はこの直後の箇所で、「これまでは、日本をして西洋文化を学んで世界のレベルにまで進ましむべき国民的自覚であつた。それには「国民精神の作興」でよかつたのである。がこ れからは、日本独特の文化に依つて、世界を導かんとするの民族的自覚を必要とするのである のだから、「日本精神の顕揚」でなければならないのである」18 と、議論をさらに展開していく。 この議論から確認できるように「日本精神の顕揚」は、「世界を導かんとするの民族的自覚を 必要とするのである」という、先の引用でも「世界を指導せん」との文言で確認できた、いわ ば満州事変以後の日本が「世界を指導せん」とする使命を実現する観点から、要求されたもの であったと捉えることができるだろう。海老原治善は、こうした先駆的な議論が登場しはじめ た1934(昭和9)年前後に、「教育界では「日本精神」に立つ教育が強調されだした」19 と述べ るとともに、その背後に「こうした教員の「思想悪化」の内憂深化と同時に、加えて33年3月 27日、日本は国際連盟からの脱退を行なった。(中略)この外患と重ね合わせたところから、 権力は、横暴なる英米を排し、アジアの平和と日本の生命線を維持するためという名目のもと に「非常時」の叫び声と、「日本精神の高揚」が唱道され出した」20 という、「権力」の動きが存 在したことを指摘している。国語教育界においてもまさにこうした「横暴なる英米を排し、ア ジアの平和」を実現する使命を志した国策の方向と、その手段としての日本精神論の教育界へ の導入の措置に寄り添う形で、日本精神論の受容が図られていたのである。そしてこの政府の 打ち出した日本の使命感をいち早く共有した一部の国語教育者たちの手によって、日本精神論 と国語教育との関係を考究し、国語教育による日本精神の「顕揚」を目指すような、多岐にわ たる論稿群が、まずこの時期に多数生み出されていくこととなった。 そして本稿の関心からとくに注目しなければならないことは、こうして生み出されるように なった日本精神と強い関連をもつ国語教育論のなかで、国語が子どもに養成すべき自然への態 度や自然との理想的な関係というものが、新たに国文学や神道の概念・思想と直接的に結び付 けて把握され、そのもとで教育が企図されるようになった点である。例えば、『新綴方教育』 誌に頻繁に寄稿していた葛西慶蔵は、綴り方が目指すべき文章とそれを生み出す自然への態度 として、「綴方科の取材対 照 は自然現象と人事現象に二別されるが、日本精神は自然現象に対し ママ ても、人事現象に対してもおのづからなるを尚ぶ。本居宣長の清明心の発動と考へられる直昆 霊によつて浄化して来たのである。国心啓培を目指す良い文は清明なる心をもつて自然をみら れたもの、清明なる心をもつて人情美を感得せられたものゝ表現にあるのである」21 と主張し ていた。また杉山忠男は、同じく『新綴方教育』誌に発表した論稿で、「古来より我国の大芸 術家と称せらるゝ者が自然に対するとき、外人の如く、人間生活の功利的立場に立つて、その
伴侶と思考したり は 或 背景として見たりしてゐない。即ち主観主義的な自然観をなさない。自マ マ 己の主観を全く殺してしまつて、自然の中に没入し解消させ自然自身に語らしめてゐる様な態 度を看取することが出来る」22 と主張していた。続けて杉山は俳句を例にとりながら、「かうし た芸術こそ、小我を殺して大我(こゝでは大我即ち自然)に融解する日本人であればこそ創作 し得るのである。ひたひたと人の魂に滲み入る「物のあはれ」とか「寂び」「しぶみ」等は日 本芸術精神の特質である」23 と述べて、日本人の芸術家の自然に対する態度を国文学の美的観 念と結合させるとともに、「従つて人生科的教材としての綴方の基底に、小我を殺し大我と融合 する生活観照の態度が構築されてゆくこそ、日本精神に立つ綴方の大道である」24 と議論を展 開していたのである。こうした議論は綴り方の分野のみならず、読み方教育論のなかにも見出 すことが可能である。吉田義則は1934(昭和9)年公刊の『弁証的日本精神への読方教育』の なかで、日本精神を涵養する読方教材として日本文学、つまり「自然に親しむ文学」25 を検討し ていた。そのなかで吉田は、たとえば「平安朝文学の美的感情の「ものゝあはれ」にも一入情 趣を感じる。即ち当時の文学者の懐裡に養はれた沈静な自然愛と人生愛、これが総括的に表現 された言葉が「あはれ」であつたのである」26 と、自然愛を「あはれ」、「ものゝあはれ」の内実 と捉える認識を示している。そして吉田はこうした性格をもつ日本文学を一括して「和魂を持 つ教材」27 のなかに分類していたのであった。 このように日本精神論が国語教育論の中に導入されることによって、国語が養成を目指すべ き自然に対する態度や自然との理想的な関係に関する新しい議論が登場してくることとなり、 さらにそのなかで自然愛もまた、「もののあはれ」や「和魂」などといった国文学や神道の具 体的な諸概念や思想と結合を強める形式で語られ、その養成が検討されることとなっていった のであった。『小学国語読本』の使用される前の時期においても、例えば自然愛の国民性を示す 根拠として、国文学の思想が述べられる事例などを紹介することができる28。ただ本章で「もの のあはれ」を例に見たような、直接具体的な国文学上の概念と同義などの形で、密接な関連を もって自然愛を捉える語りは、これ以前の国語教育論にはほとんど登場しなかったし、神道の 思想や概念に至っては、自然との関連で国語教育論のなかに登場すること自体が、本章でみた 性格をもつ国語教育論が登場するまで、ほとんど確認できないのである。明治から昭和の終わ りまでの日本人論の歴史を包括的に研究した南博は、「昭和戦前の国民性論は、日本精神・皇道 精神と呼ばれるような国家主義的なイデオロギーを、そのまま日本人固有の心理的特性とす る、非合理な神道の観念を中心に展開された」29 と、本稿が注目する時期の国民性論を評価づけ
ているが、まさにこの国民性論の動向、つまり国民性論が、「神道の観念」を中心とした「日 本精神」論へ移行したことに対応する、自然愛の語り、養成論の変容というものを、国語教育 界にも認めることができるのであった。 そしてこうした自然愛の語りと養成論の変化は、改めて先に検討を加えた、日本精神を強調 する国語教育論の代表的論客であった古見一夫の議論、及びその議論の性格との関連で理解さ れねばならない。その古見は自然愛の議論に大きな影響を与えた日本精神論を国語教育に導入 する理由を、これまでの「日本をして西洋文化を学んで世界のレベルにまで進ましむべき国民 的自覚」による「国民精神の作興」というレベルから、新たに「世界を導かんとするの民族的 自覚を必要とする」という「日本精神の顕揚」のレベルへ、国民の自覚を移行させる必要があ るとの観点から述べる議論を展開しており、さらにこの形で国語教育への日本精神導入を高唱 している議論は、満州事変以後の方針として政府が採用した、教育界への日本精神論導入の施 策と、その志向性を共有する性格をもつものなのであった。いうならば本章でみた自然愛の議 論の変容は、こうした国策の遂行を日本精神論の受容とその国語教育論への適用によって実現 しようと試みた国語教育界の動きによってもたらされたものと、把握することができるだろ う。前章で国民としての自覚を養成するという観点に触れたが、「世界を導かん」とまで論じら れるような、より強化された国民の自覚の形成を、日本精神を介して遂行しようする国語教育 論の国家主義化の進展、さらにはそれを教育界全体に求めた日本精神唱道という国策の動向 が、満州事変以後の国語教育界の周辺に現出してくる新たな時代状況との関連の中で、自然愛 の語りと養成もまた、単に「国民性」と捉えられた時期には確認できなかった新しい形態へと、 展開をみせることとなったのである。
4.生活綴方運動の文脈で生み出された自然愛の語りと養成論
さて前章で国語教育界に導入が始められたと述べた日本精神論は、1934(昭和9)年までに 実施されたプロレタリア教育運動への激しい弾圧30、加えて同時に設置が進められた各府県の 国民精神文化講習所や、転向した教員を再教育するための、その名の通り日本精神講習会の開 催などに象徴される、一連の教員を対象とした思想善導政策を介して31、教育界のなかでさら なる広がりを見せるようになっていった。実は本稿が焦点をあてる、日本精神論との関連で自 然愛の議論が新たに変容した『小学国語読本』の使用時期において、注目すべきもう1つの自 然愛の語りと養成論といえるものが、この文脈のなかで生み出されていくこととなった。その語り、養成論を確認できるのは、この時期日本精神論とともに国語教育界のなかで存在感を 放った生活綴方運動の議論、具体的にはこの運動の有力な論者であった32、村山俊太郎の国語 教育論においてである。周知のように生活綴方運動とは、昭和はじめから慢性的に継続した不 況の中で生きていた子どもたちに、この状況へたくましく立ち向う力を綴り方によって育成す ることを目指した教育運動であり33、同時に先のプロレタリア教育とも歴史的に深い関係を もっていたことが指摘される教育運動である34。こうした性格を持つゆえに『小学国語読本』 の使用時期において、官憲からの監視や統制の対象となり35、遂には後に詳述する激しい弾圧 を被ることとなるという、いささか前章の国語教育論とは問題意識と志向性を異にしたこの生 活綴方運動のなかに、注目すべき日本精神との関連をもった自然愛の語り、養成論の存在を見 出すことができるのであった。 まずは村山俊太郎の議論にみられた、自然愛の語りの様相を確認しておこう。その語り、養 成論が登場するのは、村山が1936(昭和11)年2月に『生活童詩の理論と実践』という著作の 形で公刊した、児童生活詩論においてである。この書のなかで村山は、「最近の文化の上に現は れてゐる日本主義、日本精神、民族主義、復古主義等々の一群の主張は一面から見ればこの「純 撲 」を憧憬する精神であるとも言へるだらう。(中略)私は現代精神の中に甦らせるべき日本 ママ 民族的な生活感情としての純撲性を観て、生活詩建設への肉附けとしたい」36 として、「日本精 神」、とくに「純撲性」という性格を「生活詩建設」に生かす文脈から、自然愛に言及する議 論を出発させていく。この議論は具体的に『万葉集』を評する作業をもって展開されていき、 そのなかで村山は、「次に作品内容としての純撲さはその自然観に現はれる。これを一口にい へば強き生活的実感を伴ふものであつた。最も素朴な畏怖的自然観から親愛としての自然観に 至るまで、上代人は季に対して敏感であつた。『季』に対する『われ』の表出は、強い生活実 感から出で、春秋の来るを喜び、やがて春秋に対する愛となり、更に花紅葉に対する親しみの 感情となり、文学精神の基調をなしてゐた」37 と、先にも登場した「純撲さ」と関連づけて自然 愛に言及、さらにいえば「純撲さ」の「現はれ」として自然愛を位置づけ、語りを展開してい た。こうして自然愛がその具体化された形態と位置づけられる、いわば自然愛の源泉とも捉え られる「純撲さ」というものを、ここでより具体的に把握しておけば、この「純撲さ」とは村 山の『万葉集』解釈から導出された、「「純一にして真実であり、素撲で飾り気のない野性的強 靭さ」をもつ生活態度」38 のことを指し、同時に「われらが日本精神といひ復古精神といひ、民 族精神といふも結局はかうした『純撲』の如き生活精神を現世代に再生させる事である」39 とも
主張される、まさに村山が日本精神論を介して子どもに養成を実現したい性質、精神なので あった。いうならばここで自然愛は、日本精神としての「純撲さ」という議論と密接に関連づ けられて語られ、その養成が主張されていると、捉えることができるであろう。 さてここまでの議論で自然愛は、村山が『万葉集』から捉えた「文学精神の基調」と接合さ れる形、つまり国文学の概念や思想と自然愛が結びつけられるという、前章でみたものと同じ 発想の方式でもって、語られている事実を確認することができる。しかし両者の間には、例え ば村山が日本精神として、自然愛と関連させながら前面に押し出す「純撲さ」の主張の中に、 先の引用にある「生活感情」や「生活態度」、「生活精神」などといった、とりわけ「生活」を 重視し強調する視点がみられる点など、微妙な相違を同時に指摘することもできる。そしてこ の相違は、村山がこの著作で展開した養成論の全体をさらに詳しくみていくことで、より具体 的に把握していくことが可能となっていくのである。以下でその村山の自然愛の語りの特徴、 自然愛の養成論の構造全体について、詳細に検討を進めていこう。 まず注目しなければならないのは、自然愛がその「現はれ」であると捉えられた「純撲さ」、 「純撲性」の性質について、村山が「1.作者の態度の純撲性―現実的・真実的。2 .作品内 容の純撲性―自然・生活を貫く愛情。3 .表現的純撲性―単純的、非修飾的」40 という形 で、「純撲性」を3つの要素から成るものと構造化して捉える方向へ、考察を具体的に深めて いっている点である。ここで「自然」を貫く「愛情」、つまり自然愛も、「作品内容の純撲性」 として作品という具体的なレベルで捉えられる形へ、さらにはこの自然愛が、そもそもは「作 者の態度の純撲性」、いわばこの作者の態度が作品に「現はれ」るものであるという形へ、議 論が整理されていることを確認することができる。先の引用で「作品内容としての純撲さ」と して捉えられていた自然愛は、具体的にはこのような作者の態度からもたらされるものとし て、把握されていたのである。そしてこの箇所でとりわけ注意しなければならないことは、最 終的には自然愛の情操へと表出されていくこの「作者の態度の純撲性」が、「現実的・真実的」 という性格を備えている点である。村山はこの著作の中で「現実性について」という一節を設 けており、その箇所で「作者の現実に対する角度―眼は、一切の非現実的要素、神秘的要素、 観念的要素、夢幻的要素、曖昧朦朧的要素等を否定する。そして歴史の進行と、社会の現実か ら作者自身のゐる生活台の現実性―生活性の認識しようとする。私たちの求める詩に於ける現 実性もこの立場にたち具体的に把握表現されたところの生活的現実性のことである」41 という 見解を主張しているのであった。先に「純撲性」の一要素に位置づけられた「現実的」という
性格も、村山が「私たちの求める詩に於ける現実性」としてこの「生活的現実性」を位置づけ ている以上、この「生活的現実性」、つまり、「一切の非現実的要素」や「曖昧朦朧的要素等を 否定」して、「歴史の進行と、社会の現実」から「具体的に把握表現され」ていくものという 主張との関連で捉えられなくてはならないであろう。いわば村山が児童詩の教育、つまりは国 語教育論のなかで育むことを目指した自然愛の情操は、こうした「生活的現実性」の主張との 関連で、具体的にはこのような形で現実を捉えていく態度から生み出されていくものとして、 語られることとなっていたのである。 さらにこれと合わせて考えておかなくてはならないのが、村山がこの著作で主張する自然に 関する教育の議論、つまり「遊びとしての自然、観念化された自然、芸術的感覚至上的な自然、 花鳥風月趣味としての自然等々は生活詩の立場から排撃されなければならない。殊に現代自然 科学的な『眼』によれば、ふるい形而上学的な自然観を排し、新しい自然観に立つて自然と人 間との関係を認識し、更に社会科学的な『眼』は社会との関係に於いて自然のもつ社会的機能 を再認識する。かうした立場にこそ自然に対する新しい教育的営みとしての題材的視野が拓け てくる」42 という、児童詩を通じて子どもに養成したいと村山が考えていた、自然の認識方法の 主張である。ここで村山が「観念化された自然」などに対置して提示している望ましき自然認 識の方法は、「ふるい形而上学的な自然観を排」すると主張していたり、「社会科学的な『眼』」 でもって「社会との関係」を重視したりする点で、「神秘的要素、観念的要素、夢幻的要素」 などを否定し、「社会の現実から作者自身のゐる生活台の現実性」を認識しようとしていた先 の「現実性」の議論と、親和的な関係にあると捉えることができる。つまり村山は、先の「現 実性」に関する議論と同様の志向性にたつ、諸「科学」の視点を重視した自然の認識方法を、 子どもたちに養成しようと考えていたのである。そうなると「自然」というキーワードを共有 する自然愛もまた、科学性を重視した村山のこうした教育論との関係で把握されなければなら ないだろう。そしてここまで検討を進めてくると、前章でみた国文学や神道の概念、思想と深 い関係をもっていた議論と、これまでに確認をしてきた村山の議論との間に横たわった相違 が、具体的に把握できるようになってくる。つまり両者ともに、日本精神という過去の概念や 思想を参照している点、さらにはその地点から自然愛を唱えている点で共通の地平にたつもの の、村山はその日本精神に「純撲性」という独自の意味を読み込むことで、具体的には「生活 的現実性」や科学的な自然認識の視点など、前章の議論のなかには見られなかった主張の内容 を、含みこませていたのである。このように村山俊太郎は、独特の日本精神解釈を媒介とする
ことで、自然愛に特徴的な意味を付与するとともに、同時代の他の論者とはいささか内実を異 にした、科学性や現実性を重視する自然愛の養成論を、提唱していたのであった。 それでは村山は、なぜこのような自然愛の語り、養成論を生み出し、主張することとなった のであろうか。まず指摘できるのは、これまでに確認した「現実性」、さらに自然に関する教 育の議論は、プロレタリア教育理論の影響が濃厚だった村山初期の国語教育論に、その発想の 源泉を見出すことができることである。1932(昭和7)年3月2日、非合法の教育労働組合を 結成した理由で検挙、休職を命じられた村山は43、その休職期間中の同年4月に発表した論稿 で、「自然観察―自然科学的に、社会生活との聯関に於て、特に農村と自然との相関関係に於て 実験させ、観察させ、認識させる」44 という、自然を「自然科学的」、かつ「社会生活との聯関」 のもとで捉える「自然観察」のありようを、採用すべき教育の方法として取り上げていた。ま た同じく休職期間中の1933(昭和8)年8月には「児童詩に於ける「現実」の吟味」という論 稿を発表し、そのなかの一節で、「この場合に於ける現実性とは、一切の非現実的要素、神秘 的要素、観念的要素、夢幻的要素、曖昧朦朧的要素といつたものへの反逆を意味する。そして われわれの求める現実性とは、飽迄も具体的に把握されたところの、唯物弁証的に把握せられ たところの、従つて絶えず動き、絶えず変化しつゝある現実を意味する」45 と述べて、前章の主 張を「唯物弁証」論と関連づけて論じていた。 村山のこうしたプロレタリア教育、史的唯物論の素養は、同時に先に注目しておいた、日本 精神を「純撲性」という観点から解釈し、自然愛に独特の意味合いをもたらした語りをも生み 出す源泉ともなっていた。村山はある論評のなかで、前章で確認した『新綴方教育』誌に対し て、「「新綴教」の販売政策的「日本精神綴方」は最近最もくだらぬイズムである事をそれ自身 に於いて自証して来た」46 と批判的な立場を表明するとともに、同時に同じ論評で、「われわれ は国民性の把握、日本精神の認識に於いて国民の本質を単なる種族的要素の中に求めたり、国 民性を不動的な固定的な本質と規定してゐるのは不完全である。その本質を歴史的に、動的に 把握して正しい国民教育の建設に奉仕すべきであると信ずる」47 という、自らの「国民性」、「日 本精神」に対する考え方を披歴していた。この「歴史」性や「動的」な部分を重視する「日本 精神」に関する発想の方式に、「絶えず動き、絶えず変化しつゝある現実」を捉えようとした、 先の「唯物弁証」論の影響を認めなくてはならないだろう。 こうした思想の遍歴や特徴をもつ村山が、その素養と発想を先に見たような自然愛を含む形 で、日本精神論として具体的に提示していく重要な契機となったのは、当時村山が心血を注い
で理論の考究と実践活動に勤しんでいた生活綴方運動の展開、さらにいえばその運動の深まり であったと考えられる。というのは、1934(昭和9)年から「北方性」、「北方的」のスローガ ンを掲げたいわゆる北方性教育運動、つまり混迷を深める東北地方の生産・経済状況の現実を 出発点に、苦境の生活に処する意欲、知性の育成を試みた新しい運動の形態が、生活綴方のな かで積極的に展開されるようになっており、この運動の指導的役割を果たしたとも評される村 山が48、1936(昭和11)年に公表された「読み方教育の北方的実践」という国語教育論におい て、「われわれが万葉集を愛する所以も素朴奔放なる言語によつて飽くまでも自己の生活現実 性と、芸術性と実践性が分離せずに一つの焦点に統一されてゐる現実性が、われわれの生活文 学と感動を一にするものがあるために外ならない」49 として、先の日本精神解釈の際に適用さ れていた『万葉集』に関する所見を、披歴していたからである。前年の1935(昭和10)年の12 月20日に書きあげられた50、この国語教育論のような北方性教育の観点から執筆された論稿が 生み出されるなかで、こうした「われわれの生活文学と感動を一にするものがある」という 「現実性」を万葉集にみるような、先の日本精神に連なる見解が、村山の議論において前面に 出ることとなるのであった。村山が「読方教育の北方的現実の課題は、先づ何よりも高踏的な ものでなく生活との密着性に於いて現実の諸問題を足元から照し出し、暗くもの哀しげな北方 児童に健康な意欲性に満ちた国語文化を持たせるべく工作実践陣を展開しなければならな い」51 と態度を表明した、北方性教育運動の「生活との密着性」、「現実の諸問題」へのこだわ り、加えてそのこだわりをより強固なものとするであろう、「暗くもの哀しげな北方児童」と の現実における交わりこそが、まさに村山に先の現実性や科学性を内実に備えた日本精神に関 する議論を唱えさせた、大きな契機であったのである。 そして村山がこうした自然愛の語りや養成論を生み出す源泉となった、その教育論構成上の アイデアや問題意識というものは、生活綴方運動に参加する教員たちの中で、広く共有されて いると捉えられるものであった。生活綴方運動は本章の冒頭で確認した、子どもを取り巻く現 実と生活状況を注視し、その現状への対応を教育で目指していくという性格に加えて、「調べる (た)綴方」の隆盛に象徴される、生活・現実への対応の手段として科学的視点を有力な武器 と考えていたことが、運動の特徴として指摘されている52。またここで生活綴方運動に参加し た人たちの直接の証言を詳細に紹介する余裕はないが、一例を挙げると例えば細部新一郎が、 1935(昭和10)年の12月に発表した論稿で、「国民性十論が「草木を愛し自然を喜ぶ」といふ 一項を設けて「日本人の厭世は人事社会がうるさいのである。人事社会から遠ざかつて花鳥風
月に近づけばそれでいやな思はなくなるのである」といつてゐる。吾々は果してかゝる人事社 会から遠ざかる術を、その思想を、教育的に是認することが出来るかどうか」53 と述べるような 見解を、生活綴方運動に与する教員たちは共有していたのであった。ここに登場する『国民性 十論』とは、国文学者芳賀矢一が1907(明治40)年に公刊した、当時の日本人論に多大な影響 力を及ぼした著作であり、そのなかで芳賀が上記引用のような形式をもって、具体的には国文 学の作品にみられる自然への親密な態度などを根拠として、自然愛の性格を国民性の1つに定 位していたことは、すでに別稿で論じておいた通りである54。この芳賀の「花鳥風月」を重ん じた自然との関係を説く主張に、それが「人事社会から遠ざかる術」や「思想」であるという 観点から批判を加える細部の主張には、いわば村山が現実性を強調し、あくまで生活や社会と の関連で自然を認識させようとしたと議論と共通する問題意識を、読み取ることができるので あり、事実この立場から「児童詩に於ても、非生活的な作品の検討が度々行はれ、花鳥風月的 詩は全く影をひそめた」55 という教育実践を、生活綴方運動はこの時期にも着々と推進してい たのであった。 高橋陽一は日本精神論の発想形式に「古典研究、歴史研究を国民統合に役立てようという構 造自体が矛盾をもたらす」56 こと、具体的には学者が「深く古典や歴史を誠実に研究しようとす る学問の成果が、そのまま政府の期待する結論にはならないのである」57 という矛盾が存在し たことを指摘している。この矛盾か否かの当否は別として、ここまでで村山を例に詳しく確認 した国語教育論と自然愛の語り、養成論には、前章でみた日本精神論を用いて「国民統合」を 目指した政府の国策とは、必ずしも志向性を同じくしない性格、つまり日本精神を唱える直接 の目的が、子どもたちに目の前の苦しい生活状況を打破できる力をつけさせる点にあった特徴 を、見出すことが可能であろう。生活綴方運動は村山の議論にも一端が見られたように、国家 を否定する理論的性格が濃厚なプロレタリア教育と影響関係をもち、その点で前述の国家から の圧力を受けた運動であったのとともに、これまた村山の議論にも一端がみられた、「わたくし たち、あるいは、わたくしに、天皇制打倒だの、資本制の破壊だの、社会主義建設だのと口に する教育をした経験はない、日本精神による教育などといういいかたに不満と反感をもった が、日本というものに対する愛のこころをけなしたりしたことはなかった。東北というところ を愛し、そこに住むおとなや子どもを愛していくことが、全日本を愛する心にもなると、かた くなに信じ続けていたのだった」58 と国分一太郎が述べる心性、つまり「日本精神」の「教育」 に「不満」や「反感」を持ちつつも、否定まではしない考えを、同時に併せ持つ運動であった。
こうした子どもの現実や生活の実態に寄り添い、科学などを武器にこの現状の打破を第一に目 指した生活綴方運動が、その理論考究と教育実践とを北方性教育運動へまで高める活動を、よ り多くの国語教育者が日本精神論を口にしていく必要性に迫られる時勢、いわば日本精神論に よる国民統合を、教員統制などを通じて強く期待されていく政策が進行し59、実際に圧力が生 活綴方運動にも及ぶなかでも、粘り強く継続していたがゆえに、前章でみた議論とはいささか その志向性と内実を異にする、いうならば国策と距離をもつ日本精神と関連した自然愛の議論 が、『小学国語読本』の使用時期に生み出されることとなったのである。
5.「皇民錬成」のイデオロギーとしての自然愛の語り、養成論へ
さて前章で生活綴方運動を例に詳細に見たような、生活や子どもの実態などを重視する国語 教育論上の主張や考え方というものは、何もこの運動に限らずとも、『小学国語読本』使用時 期において広く共有された立場であったといえる。飛田多喜雄が指摘するように、すでに大正 末期から社会、生活を重視する立場が登場し、この時期には徐々に日常生活における言語活動 の向上を重視する言語活動主義へとその主張が展開されていく様相を、国語教育論の歴史の中 に確認することができるのである60。事実『小学国語読本』指導書における自然に関する教育 の議論においても、こうした子ども自身の経験や生活と、自然との関係を重視する考え、さら にそれと自然愛を結びつけるような議論が、広く展開されていたのであった。一例を挙げれば 佐藤末吉が、この読本の「自然愛好を主とする教材」61 を文字通り「生活教材」62 と捉え、「生活 文の指導は、生活環境に対する注意を深くさせ、その生活環境に従つて文章を解釈せしめるこ と」63 と述べるような、子どもの生活環境に従いつつ文章中の自然愛を感じとらせる養成法を 提案していた。『小学国語読本』自体が井上赳のいう「児童本位」64 を推し進めた「心理主義」65 という特徴、つまり「主観に終始して、殆ど客観の境地に立ち得ないことも亦、理知以前の児 童の心理に著しい特色をなるものである」66 という観点から、自然を扱う教材や読本の文章の 自然描写に、「静的自然を著しく動的に而かも著しく主観的に表現し、殆ど自然を擬人化してゐ る特色」67 を備えることとなった教科書であったために、こうした子どもの主観性、つまり子ど もの生活の実態や経験に着目した自然に関する教育論が、多分に生産されることとなったので ある。このような『小学国語読本』自体の特徴やそこから帰結する指導書の性格にも一端を確 認できるように、生活や子どもの実態を重視する見解は、国家主義に並ぶこの時期の国語教育 界における有力な思想の動向として、多くの国語教育者に共有されていたのであった。ここで重要なことは、『小学国語読本』が使用され始めた頃においては、このような国語教 育論上の立場から、例えば高等師範学校附属小学校訓導(以下、高師附小訓導)たちの議論に 象徴されるように、日本精神を国語教育で養成することに対して、当然異論はなく、方針に賛 意を示すものの、その実効性について一定の留保を表明するものが多数いたという事実であ る。例えば東京高師附小訓導の田中武烈は、1934(昭和9)年7月に発表した論稿で、この当 時読み方教育の研究が目的観の考察に集中していた状況を、「国語目的観の再検討や、日本的精 神の涵養等がその主題となつてゐることなど と この一反映である」ママ 68 として、日本精神論との 関係で捉える分析を行っていた。そして田中はこの「日本的精神」などが「主題」となってい た国語教育論に対し、「この傾向はともすると論理的な色彩傾向をもつた実際指導が生じ易い のである」69 と欠点を指摘するとともに、こうした「最近の読み方実際界には特にこの方面に関 して実際家の注意を喚起する必要があるのではないかと推量されるのである」70 という観点か ら、「吾々の読み方指導が心意発達のなほ幼稚な児童を対象とするのであるから、或は又読み 方指導そのものが一面児童の精神発達の助長に資するにあるとする点から、実際指導の企画運 用については常に心理的側面を重視しなければならないといふこと」71、つまり子どもの実態で ある「心理的側面」を注視する必要性を、改めて訴えかけていた。またすでに大正の後期にお いて、生命主義という観点から綴り方における「生活」の価値に注目していた広島高師附小訓 導の田上新吉は72、同年6月に発表した論稿のなかで日本精神が流行する時勢に賛意を示しつ つも、同時に「特に綴方教育に於ける日本精神の顕現といふことはかなりむづかしいことであ る」73 と、率直な感想も述べていた。本稿の3で国語教育への日本精神論の導入を積極的に推 進した人たちを「一部」、「先駆的」などと論じておいたのは、日本精神を国語教育で具現化し ていくことに対する、生活や子どもの実態という観点から寄せられたこのような方法論上の批 判や疑義というものが、『小学国語読本』が使用され始めたばかりの時期においては、権威あ る高師附小訓導の口から、表明されていたからであった74。 しかし『小学国語読本』使用時期の晩年に至ると、前章の冒頭でも言及した、生活綴方運動 への弾圧が本格化する時勢が、国語教育界に到来することとなる。この生活綴方運動の弾圧 が、1939(昭和14)年末検挙のエスペランティスト斎藤秀一の蔵書のなかに村山俊太郎の『生 活童詩の理論と実践』が発見され、その村山が翌年2月に検挙されたことに始まるという事実 は75、本稿の関心から見て重要な意味をもつといえる。それはこの事実が、前章でみた日本精 神を柔軟に解釈し、生活綴方運動の科学性重視などの方法論、さらに独自の問題意識と合わせ