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持統期と「行幸・従駕の歌」雑考 : その動機をめぐって

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Academic year: 2021

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title 持統期と「行幸・従駕の歌」雑考 ―その動機をめぐって―

Author(s) 吉川 貫一

Citation 文林(BUNRIN),No.11:23-41

Issue Date 1977

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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ー そ の 動 機 を め ぐ っ て ー

一 ま つ り ご と き こ こ こ に 持 統 期 と い う の は 、 天 武 十 五 年 九 月 、 天 皇 崩 御 の の ち ﹁ 皇 后 臨 朝 称 制 し め し き ﹂ ( 天 武 紀 ) と 記 載 さ れ る 皇 后 鶴 野 讃 良 皇 女 の 称 制 時 代 四 年 を 経 て 、 持 統 四 年 春 正 月 即 位 さ れ て か ら 、 持 統 十 一 年 に 位 を 皇 太 子 、 軽 皇 子 に 譲 ら れ 、 そ の 後 太 上 天 皇 と し て 五 年 、 大 宝 二 年 十 二 月 の 崩 御 ま で ( 六 八 六 -七 〇 二 ) 約 十 六 年 間 の 期 間 と す る 。 萬 葉 集 中 、 天 皇 の 時 代 別 に 編 纂 さ れ 、 完 備 し た 形 態 を も つ 巻 一 、 巻 二 の 原 型 は 、 い ず れ も 持 統 期 を 含 む ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ の 標 題 下 の 歌 で 終 る 。 巻 一 に 於 て は ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ の 標 題 下 の 歌 ( 二 八 ー 七 五 ) の 次 は ﹁ 和 銅 之 年 戊 申 ﹂ ( 七 六 -七 七 ) ﹁ 和 銅 三 年 庚 戌 春 二 月 従 藤 原 宮 遷 干 寧 楽 宮 時 御 輿 停 長 屋 原 廻 望 古 郷 作 歌 ﹂ ( 七 八 -八 〇 ) ﹁ 和 銅 五 年 壬 子 夏 四 月 遣 長 田 王 干 伊 勢 斎 宮 時 山 辺 御 井 作 歌 ( 八 一 -八 三 ) と い っ た 標 示 と な り 、 最 後 は ﹁ 寧 楽 宮 ﹂ の 標 題 下 ﹁ 長 皇 子 与 志 貴 皇 子 於 佐 紀 宮 倶 宴 歌 ﹂ (八 四 ) で 終 る 。 天 皇 時 代 別 の 標 題 は ﹁ 七 六 ﹂ の 歌 以 後 は 全 く 崩 れ て い る 。 巻 二 に 於 て 相 聞 歌 は ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ 標 題 下 の 歌 で 終 っ て お り 、 挽 歌 は 同 標 題 下 、 人 麿 の 挽 歌 の 大 歌 群 が つ づ き 最 後 は ﹁ 寧 楽 宮 ﹂ の 標 題 で 終 る 。 こ の こ と に つ い て は 既 に ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ 標 題 下 の 歌 ま で が 、 巻 一 ・ 巻 二 の 原 型 で あ り 、 そ れ 以 後 の 標 題 の 歌 は 後 に 補 入 さ れ た も の で あ る こ と が 論 じ ら れ て い る と こ ろ で あ る 。 こ の よ う に 天 皇 年 代 順 に 編 纂 さ れ 、 そ れ が 持 統 期 、 そ の あ と に 暫

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く つ づ く 文 武 期 を 含 む ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ で 、 巻 一 ・ 巻 二 が 完 結 す る こ と と 、 口 本 書 紀 が 持 統 天 皇 の 御 代 で 終 っ て い る こ と と 、 単 な る 偶 然 の 一 致 と は 考 え ら れ な い も の が あ る 。 宮 廷 神 話 は 五 世 紀 前 半 か ら 六 世 紀 前 半 に か け て 、 あ る 程 度 纒 め ら れ て い た と 考 え ら れ る が 、 そ れ が 最 終 的 に 完 成 さ れ る の は 、 天 武 天 皇 の 時 代 を 経 て 持 統 期 に 当 る 。 持 統 期 は 、 高 天 原 -天 孫 皇 室 と い う 系 譜 の 神 話 の 歴 史 化 が 完 成 さ れ た 時 期 で あ る 。 持 統 天 皇 の 称 号 が 萬 葉 集 に よ れ ば コ 局 天 原 廣 野 姫 天 皇 ﹂ で あ る 。 高 天 原 と い う 名 を も つ も の は 、 持 統 天 皇 だ け で あ る と こ ろ か ら み て も 、 宮 廷 神 話 に 於 て 、 皇 統 の 発 祥 地 と 重 視 さ れ る 高 天 原 と の 結 合 が 考 え ら れ る 。 神 話 完 成 期 の 天 皇 と し て 相 応 し い 称 号 と い え る 。 ま た 続 日 本 紀 に は 、 太 上 天 皇 (持 続 ) 崩 御 に 際 し て ﹁ (大 宝 三 年 ) 十 二 月 (丁 巳 朔 ) 癸 酉 (十 七 日 ) 従 四 位 上 当 麻 真 人 智 徳 率 二 諸 王 諸 臣 一。 奉 レ 諌 二 太 上 天 皇 一 。 認 日 二大 倭 根 子 天 之 廣 野 日 女 尊 一 。 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 柿 本 ひ る あ 人 麿 の 日 並 皇 子 磧 宮 の 時 の 挽 歌 ( 二 ・ 一 六 七 ) に は ﹁ 天 照 ら す 日 女 の 命 ﹂ と い う 句 が あ る 。 ﹁ 日 ﹂ を ヒ ル と 訓 み 、 メ は 女 性 の 称 で 、 ヒ ル メ ( 昼 ・ 女 ) 即 ち 太 陽 、 ﹁ 日 女 の 命 ﹂ は 太 陽 神 即 ち 天 照 大 御 神 を 意 味 す る 。 こ れ は ﹁ 日 本 書 紀 第 一 神 代 上 ﹂ お ほ ひ る め む ら 国 産 み 神 話 の 条 の 一 書 (第 十 ) に ﹁ 是 に 、 共 に 日 の 神 を 生 み ま つ り ま す 。 大 日 霞 貴 と 号 す ﹂ と あ ろ に よ っ た も の で あ る 。 メ モ   折 口 信 夫 博 士 は ﹁ 日 婆 ﹂ は ﹁ 日 ノ 妻 ﹂ ま た は ﹁ 日 に 仕 え る 巫 女 ﹂ と す る 。 さ き の 続 紀 の ﹁ 廣 野 日 女 尊 ﹂ は 萬 葉 集 の 称 号 と ヒ メ 連 関 し て 考 え る と き 、 ﹁ 日 女 ﹂ は ヒ ル メ で な く 、 ヒ メ ( 姫 ) の 意 味 と 考 え ら れ る 。 起 源 的 に は ﹁ 日 女 ﹂ ( 姫 ) と ヒ ル メ と は 異 る も の で あ る が 、 そ こ に は ヒ ル メ の イ メ ー ジ の 重 複 が あ る の で は な い か と 考 え る 。 い ず れ に し て も 皇 祖 神 と し て の ﹁ 日 の 神 ﹂ (天 照 大 御 神 ) を 考 え る 系 譜 の 概 念 の 固 定 す る 神 話 完 成 期 な る が 故 に 考 え ら れ た 誰 号 で あ る と 思 う 。 ま た さ き に 引 い た 人 麿 の ﹁ 日 並 皇 子 尊 殖 宮 之 時 ﹂ の 挽 歌 ( 一 六 七 ) が 天 地 開 闘 の こ と か ら 詠 い 出 し ﹁ ⋮ ⋮ 天 を ぱ 知 ら し め せ と あ し 原 の み つ ほ の 国 を 天 地 の 寄 り 合 ひ の き は み 知 ら し め す 神 の み こ と と あ ま 雲 の 八 重 か き わ き て 神 く だ し い 一24一

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ま せ ま つ り し 高 照 ら す 日 の 皇 子 は ⋮ ⋮ ﹂ と 詠 ん で い ろ こ と は 、 人 麿 の こ の 当 時 、 既 に 記 紀 等 の 伝 え る 天 地 開 開 神 話 、 天 孫 降 臨 神 話 が 完 成 し て い た こ と を 物 語 る も の で な く て は な ら な い 。 一 方 ﹁ 日 本 書 紀 第 二 十 八 ﹂ に 於 け る 執 拗 な ま で の 壬 申 乱 の 詳 細 な 叙 述 は 、 舎 人 親 王 等 が 天 武 天 皇 の ﹁ 王 化 の 鴻 基 ﹂ を 承 け 継 い だ も の と い え よ う 。 ﹁ 王 化 の 鴻 基 ﹂ と な る 帝 紀 ・ 本 辞 が 宮 廷 に 於 て 整 理 統 合 さ れ る に つ れ て 、 皇 権 の 確 立 と 拡 充 は 着 々 と 進 め ら れ て ゆ く 。 天 武 十 年 ( 六 八 二 ) 二 月 二 十 五 日 、 天 皇 は 皇 后 と 共 に 大 極 殿 に 出 御 あ っ て 、 諸 王 諸 臣 に ﹁ 朕 今 よ の り よ み り 更 に 律 令 を 定 め 、 法 式 を 改 め む と 欲 ふ ﹂ (天 武 紀 ) と 詔 り さ れ 、 浄 御 原 令 の 編 纂 が 開 始 さ れ 、 次 い で 持 統 三 年 ( 六 八 九 ) の り の ム み わ か ﹁ 六 月 壬 午 朔 ⋮ ⋮ 庚 成 (廿 九 日 ) 諸 司 に 令 一 部 二 十 二 巻 斑 ち 賜 ふ ﹂ (持 統 紀 ) と あ る よ う に 、 こ こ に 律 令 国 家 体 制 が 整 う こ と に な る 。 後 に 萬 葉 集 の 第 一 次 編 纂 時 に 、 天 皇 時 代 別 に 編 輯 を 試 み る に 当 っ て 、 神 話 の 歴 史 化 に 成 功 し 、 律 令 国 家 体 制 の 整 備 さ れ た 持 統 期 (文 武 期 を 含 む ) ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ の 歌 を 以 て 、 巻 一 ・ 巻 二 の 終 結 と し た こ と は 、 そ こ に 古 代 国 家 へ の 欽 慕 が あ っ た 為 で は な い か と 考 え る も の で あ る 。 そ の 巻 一 ・ 雑 歌 の ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ の 標 題 下 の 歌 は 、 ﹁ 天 皇 御 製 歌 ﹂ ( 二 八 ) ﹁ 藤 原 宮 之 役 民 作 歌 ﹂ (五 〇 ) ﹁ 従 明 日 香 宮 遷 藤 原 宮 之 後 志 貴 皇 子 御 作 歌 ﹂ (五 一 ) ﹁ 藤 原 宮 御 井 歌 ・ 短 歌 ﹂ (五 二 ・ 五 三 ) な ど 藤 原 の 皇 居 を 中 心 に し た 五 首 、 コ ニ 野 連 入 唐 時 春 日 蔵 首 老 作 歌 ﹂ ( 六 二 ) ﹁ 山 上 憶 良 在 大 唐 時 憶 本 郷 作 歌 ﹂ ( 六 三 ) な ど の 遣 唐 使 中 心 の 二 首 、 計 七 首 以 外 は 殆 ん ど が 行 幸 の 時 の 歌 、 或 は 旅 に お け る 歌 と な る 。 そ の う ち ﹁ 軽 皇 子 宿 干 安 騎 野 時 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ・ 反 歌 ﹂ ( 四 五 -四 九 ) は 厳 格 (黒 ) な 意 味 で 行 幸 の 歌 と い え な い 。 ﹁ 過 近 江 荒 都 時 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ・ 反 歌 ﹂ ( 二 九 ⊥ 二 一 ) コ 局 市 古 人 感 傷 近 江 旧 堵 作 歌 ﹂ ( 三 二 ・ 三 三 ) は 志 賀 行 幸 の 時 の 歌 と す る 説 も あ る 。 集 中 に も ﹁ 幸 志 賀 時 石 上 郷 作 歌 一 首 ﹂ ( 三 . 二 八 七 ) の 例 は あ る が 、 人 麿 、 黒 人 の 官 命 を お び た 個 人 の 旅 の 時 の 歌 と 考 え ら れ な い こ と も な い の で 、 こ れ ら を 除 き 、 明 ら か に 巻 一 に 公 的 に 行 幸 の 時 の 歌

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と 明 示 さ れ て い る 歌 、 或 ば そ れ ら に 連 関 す る 歌 を 考 察 し な が ら 、 持 統 期 の 行 幸 の 歌 と 、 そ の 意 義 に つ い て 考 え て み た い 。 巻 一 . 雑 歌 に つ い て ﹁ 藤 原 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ の 標 題 下 に 明 ら か に 行 幸 ま た は 従 駕 の 歌 と し て 明 示 さ れ て い る も の 、 お よ び そ の 中 に 明 ら か に 総 括 さ れ る も の は 次 の 通 り で あ る 。 ︹ 左 注 ︺ A ﹁ 幸 干 紀 伊 国 時 川 嶋 皇 子 御 作 歌 ﹂ 或 云 山 上 臣 憶 良 作 (三 四 ) 日 本 紀 日 朱 鳥 庚 寅 秋 九 月 天 皇 幸 紀 伊 国 也 越 勢 能 山 時 阿 閑 皇 女 御 作 歌 (三 五 ) ︹ 左 注 ︺ B ﹁ 幸 吉 野 宮 之 時 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ・ 反 歌 ﹂ (三 六 ⊥ 二 九 ) 省 略 (後 述 ) C ﹁ 幸 干 伊 勢 国 時 留 京 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ﹂ ( 四 〇 1 四 二 ) ︹ 左 注 ︺ 当 麻 真 人 麻 呂 妻 作 歌 ( 四 三 ) 石 上 大 臣 従 駕 作 歌 (四 四 ) 右 日 本 紀 日 朱 鳥 六 年 ⋮ ⋮ D ﹁ 大 宝 元 年 辛 丑 秋 九 月 太 上 天 皇 幸 干 紀 伊 国 時 歌 ﹂ ︿ 坂 門 人 足 ﹀ ( 五 四 ) ︿ 調 首 淡 海 ﹀ (五 五 ) ︿ 春 日 首 老 ﹀ ( 五 六 ) E ﹁ 二 年 壬 寅 太 上 天 皇 幸 干 参 河 国 時 歌 ﹂ ︿ 長 忌 寸 奥 麻 呂 ﹀ (五 七 ) ︿ 高 市 連 黒 人 ﹀ (五 八 ) 誉 謝 女 王 作 歌 ( 五 九 ) 長 皇 子 御 歌 (六 〇 ) 舎 人 娘 子 従 駕 作 歌 ( 六 一 ) F ﹁ 慶 雲 三 年 丙 午 幸 干 難 波 宮 時 志 貴 皇 子 御 作 歌 ( 六 四 ) 長 皇 子 御 歌 (六 五 ) G ﹁ 太 上 天 皇 幸 干 難 波 宮 時 歌 ﹂ ︿ 置 始 東 人 ﹀ ( 六 六 ) ︿ 高 安 大 嶋 ﹀ ( 六 七 ) ︿ 身 人 部 王 V (六 八 ) ︿ 清 江 娘 子 V ( 六 九 ) 一26一

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H ﹁ 太 上 天 皇 幸 干 吉 野 宮 時 高 市 連 黒 人 作 歌 ﹂ ( 七 〇 ) 1 ﹁ 大 行 天 皇 幸 干 難 波 宮 時 歌 ﹂ ︿ 忍 坂 部 乙 麻 呂 ﹀ ( 七 一 ) ︿ 式 部 卿 藤 原 宇 合 V ( 七 二 ) 長 皇 子 御 歌 ( 七 三 ) J ﹁ 大 行 天 皇 幸 干 吉 野 宮 時 歌 ﹂ ︿ 或 云 天 皇 御 製 歌 V (七 四 ) ︿ 長 屋 王 V (七 五 ) 注 く V 印 は 左 注 に し て 作 者 名 の 記 さ れ た も の を 示 す 。 以 上 の 行 幸 は い ず れ も 日 本 書 紀 ・ 続 日 本 書 紀 に 記 載 さ れ る も の で 、 A か ら E ま で は 、 だ い た い そ の 行 幸 の 年 代 順 に 並 ぶ 。 F 、 G 、 1 の 配 列 に つ い て 既 に 論 議 の あ る も の で あ る 。 F の 慶 雲 三 年 の 次 に G の 文 武 三 年 の 太 上 天 皇 の 難 波 行 幸 が あ り 、 そ れ に ー の 大 行 天 皇 (文 武 ) の 行 幸 が つ づ く と こ ろ に 問 題 が あ る 。 ﹁ 萬 葉 集 私 注 ﹂ で は 、 F 、 1 に い ず れ も 長 皇 子 の 御 歌 が あ り 、 G に は 清 江 娘 子 が 長 皇 子 に 献 ず る 歌 の あ る こ と に 注 目 し 、 さ ら に 類 聚 古 集 に は ー の 題 詞 の 下 と 、 J の ﹁ 七 四 ﹂ の 歌 の 下 と に ﹁ 慶 雲 三 年 ﹂ と 記 入 の あ る と こ ろ か ら 、 G の 題 詞 の ﹁ 太 上 天 皇 ﹂ は ﹁ 大 行 天 皇 ﹂ (文 武 ) の 誤 伝 と し て 、 F 、 G 、 I J を 慶 雲 三 年 の も と に 一 括 し よ う と す る 。 G の ﹁ 太 上 天 皇 ﹂ に つ い て は 古 葉 略 類 聚 抄 に ﹁ 太 ﹂ の 一 字 を ﹁ 大 ﹂ と す る だ け で 、 他 に ﹁ 太 上 ﹂ を ﹁ 大 行 ﹂ と す る 異 動 は 見 ら れ な い 。 類 聚 古 集 に ー の 題 詞 の 下 、 J の ﹁ 七 四 ﹂ の 歌 の 下 に ﹁ 慶 雲 三 年 ﹂ の 記 入 が あ る の は 、 藤 原 敦 隆 の 資 料 本 に あ る も の で は な く 、 お そ ら く 配 列 に 疑 問 を も つ 敦 隆 が 、 私 注 の よ う な 発 想 か ら F 、 1 、 J を 統 括 し よ う と し た も の で あ ろ う 。 そ の 疑 問 は 一 応 正 当 で あ る と 思 わ れ る が 、 そ れ に し て も 私 注 の よ う に G の ﹁ 太 上 天 皇 ﹂ を ﹁ 大 行 天 皇 ﹂ と し て ま で も 一 括 し よ う と す る こ と に は 肯 け な い 。 こ れ は 萬 葉 集 講 義 ・ 注 釈 (澤 潟 博 士 ) な

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ど の 説 く よ う に 、 F 以 前 の も の は 資 料 本 に 年 代 が 記 さ れ 、 G 以 後 の も の は 年 代 が 記 さ れ て い な か っ た 。 編 纂 者 が 、 前 者 を 先 に 掲 げ 後 者 は 疑 問 の 存 す る ま ま に そ の あ と へ 一 括 し て 載 せ た も の と 見 る べ き で あ ろ う 。 以 上 の こ と か ら G は 文 武 三 年 の 難 波 行 幸 の 際 の 歌 と 考 え 、 H は 大 宝 元 年 吉 野 離 宮 行 幸 の 歌 と す る 。 F 、 1 、 J は 慶 雲 三 年 の 行 幸 と 見 倣 さ れ る の で 、 持 統 期 を や や 下 る 文 武 期 の 歌 と し て こ の 小 論 の 対 象 外 と す ろ 。 従 っ て 萬 葉 集 の 上 か ら 見 て 持 統 期 の 行 幸 は 、 紀 伊 行 幸 が A D の 二 回 、 吉 野 行 幸 が B H の 二 回 、 伊 勢 行 幸 が C 、 参 河 行 幸 が E 、 難 波 行 幸 が G の 各 一 回 と な る の で あ る 。 つ ま り 五 地 方 の 行 幸 が 七 つ の 標 示 下 に 纒 め ら れ て い る こ と に な る 。 そ し て こ れ ら は 、 書 紀 ・ 続 日 本 紀 に 記 録 さ れ る 持 統 期 の 大 き な 行 幸 を 網 羅 し て い る こ と に な る 。 以 上 五 地 方 へ の 行 幸 の 動 機 目 的 に つ い て は 史 書 に は 何 の 記 述 も な く 、 そ れ を 考 え る こ と は 全 く 憶 測 の 域 を 出 な い の で あ る が 、 関 連 す る 歌 を 勘 え な が ら 、 そ の 考 察 を 試 み る 。 先 ず 紀 伊 行 幸 に つ い て 、 前 掲 の 萬 葉 集 A の 場 合 は 、 左 注 に 示 さ れ る よ う に 、 持 統 紀 四 年 ﹁ 九 月 乙 亥 朔 ⋮ ⋮ 丁 亥 (± 二 日 ) か へ り ヱ ぽ 天 皇 紀 伊 に 幸 す 。 ⋮ ⋮ 戊 戌 (廿 四 日 ) 天 皇 紀 伊 よ り 至 し ま す 。﹂ (持 統 紀 ) と あ る 時 の も の で あ る 。 D ﹁ 大 宝 元 年 辛 丑 、 秋 九 月 太 上 天 幸 皇 紀 伊 国 時 歌 ﹂ は 、 続 日 本 紀 ﹁ 大 宝 元 年 九 月 ( 庚 午 朔 ) ⋮ ⋮ 丁 亥 (十 八 日 ) 天 皇 幸 二 紀 伊 国 一 。 冬 十 月 (庚 子 朔 ) 丁 未 ( 八 日 ) 車 駕 至 二 武 漏 温 泉 一 。 ⋮ ⋮ 戊 午 ( 十 九 日 ) 車 駕 自 二 紀 伊 一 至 。 ﹂ と あ る 時 の も の で あ ろ 。 続 紀 に は ﹁ 天 皇 ﹂ と あ っ て 太 上 天 皇 と 記 さ れ て い な い が 、 日 本 紀 略 に は ﹁ 天 皇 ﹂ の 上 に ﹁ 太 上 ﹂ の 二 字 が 補 わ れ て い る 。 ま た 大 宝 二 年 太 上 天 皇 (持 統 ) 崩 御 ま で 文 武 天 皇 と の 共 同 政 治 体 で あ っ た こ と を 思 え ば ﹁ 天 皇 ﹂ と い う 記 録 の 中 に ﹁ 太 上 天 皇 ﹂ も 含 む 意 味 も あ っ た と 考 え ら れ る 。 現 に 萬 葉 集 巻 九 に 拾 遺 的 に 記 録 さ れ た ﹁ 大 宝 元 年 辛 丑 冬 十 月 太 上 大 行 天 皇 幸 紀 伊 国 時 歌 十 三 首 ﹂ ( = ハ 六 七 1 一 六 七 九 ) と い う 題 詞 す ら あ る 。 た だ 巻 一 の 場 合 は ﹁ 秋 九 月 ﹂ で あ る の に 、 巻 九 の 場 合 は ﹁ 冬 十 月 ﹂ で あ る 。 さ き の 続 紀 に ﹁ 幸 紀 伊 国 ﹂ ﹁ 車 駕 至 武 漏 温 泉 ﹂ と あ る の は 二 度 の 行 幸 で な く 、 そ の 記 述 の 体 か ら み て 、 先 ず 九 月 十 八 日 に 紀 伊 国 一一28一

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(武 ) に 行 幸 に な り 、 行 宮 に で も 御 滞 在 に な り 、 目 的 地 の 牟 漏 温 泉 に 到 着 さ れ た の が 十 月 八 日 で あ る と 解 す べ き で あ ろ う 。 出 発 の 月 に 重 点 を お く か 、 目 的 地 到 着 の 月 に 重 き を お く か に よ う 相 違 で あ ろ う 。 こ の 巻 九 の 大 宝 元 年 紀 伊 行 幸 の 時 の 十 三 首 の 前 に ﹁ 闊 本 宮 御 宇 天 皇 幸 紀 伊 国 時 歌 二 首 ﹂ ( 一 六 六 五 -一 六 六 六 ) が あ る 。 ・岡 本 宮 に つ い て は 巻 四 相 聞 に ﹁ 歯 本 天 皇 御 製 一 首 井 短 歌 ﹂ ( 四 八 五 -四 八 七 ) の 左 注 に ﹁ 高 市 山岡 本 宮 後 山岡 本 宮 二 代 二 帝 各 有 レ 異 焉 但 称 二 山岡 本 天 皇 一未 レ 審 二 其 指 一 ﹂ と あ り 箭 明 天 皇 か 斉 明 天 皇 か 分 明 で な い も の が あ る 。 こ の 巻 四 の ﹁ 商 本 天 皇 ﹂ 御 製 の 歌 は 歌 意 か ら 女 性 の 歌 と 察 せ ら れ る の で 斉 明 天 皇 の 御 歌 と す べ き で あ る 。 寄 明 天 皇 の 紀 伊 行 幸 の こ と は 書 紀 に も 見 え な い 。 そ う す る と 巻 九 の ﹁ 山岡 本 宮 御 宇 天 皇 幸 紀 伊 国 時 歌 二 首 ﹂ は 斉 明 天 皇 の と き の も の と 推 定 さ れ る 。 そ し て こ の 二 首 の 一 首 目 ひ り こ 妹 が た め 吾 玉 拾 ふ 沖 辺 な る 玉 寄 せ も ち 来 沖 つ 泊 浪 (九 . = ハ 六 五 ) と 次 の 持 統 期 の 大 宝 元 年 紀 伊 行 幸 の 十 三 首 の 一 首 目 こ 妹 が た め 我 玉 求 む 沖 辺 な る 白 玉 寄 せ 来 沖 つ 白 浪 (九 . = ハ 六 七 ) と は 少 異 歌 と も い え る 類 歌 を な し て い る 。 斉 明 紀 に よ れ ば 、 斉 明 四 年 十 月 十 五 日 か ら 翌 五 年 正 月 三 日 ま で 紀 伊 の 紀 温 湯 (牟 婁 温 泉 ) に 行 幸 が な さ れ て い る 。 大 宝 元 年 は そ の 時 か ら 四 十 三 年 を 経 過 し て い る が 、 斉 明 期 の 紀 伊 行 幸 の 歌 が 伝 承 さ れ る ま ま に 、 語 句 に 異 動 を 生 じ て 大 宝 元 年 紀 伊 行 幸 の 際 の 歌 と し て 定 着 し た も の で は な い か と 思 う 。 即 ち 斉 明 期 の 紀 伊 行 幸 と 、 持 統 期 の 大 宝 元 年 の 紀 伊 行 幸 と の 間 に 精 神 的 紐 帯 を 感 じ る の で あ る 。 さ ら に 巻 二 の 挽 歌 は ﹁ 後 岡 本 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ 即 ち 斉 明 天 皇 の 御 代 か ら は じ ま り 、 ﹁ 有 間 皇 子 自 傷 結 松 枝 歌 二 首 ﹂ ( 一 四 一 . 一 四 二 ) が あ り 、 そ れ に つ づ い て ﹁ 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 見 結 松 哀 咽 歌 二 首 ﹂ ( 一 四 三 . ︼ 四 四 ) ﹁ 山 上 臣 憶 良 追 和 歌 一 首 ﹂ ( 一 四 五 ) ﹁大 宝 元 年 辛 丑 辛 紀 伊 時 見 結 松 歌 一 首 ﹂ 聾 輔 厭 麻 呂 ( 西 六 ) と つ づ く . 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 は 伝 未 詳 で あ る が 、 さ き

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の 巻 九 の 紀 伊 行 幸 十 三 首 中 に 風 無 し の 浜 の 白 浪 徒 ら に こ こ に 寄 せ 来 る 見 る 人 無 し に ま に 寄 せ 来 も ( エ ハ 七 三 ) 右 一 首 山 上 臣 憶 良 類 聚 歌 林 日 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 応 詔 作 此 歌 と あ り 、 類 聚 歌 林 に よ れ ば 大 宝 元 年 紀 伊 行 幸 の 際 の 応 詔 歌 が 記 録 さ れ て い る こ と に な る 。 意 吉 麻 呂 は 三 河 行 幸 、 難 波 行 幸 に も 従 駕 の 歌 が あ る こ と か ら み て も 、 持 統 期 に 活 躍 し た 歌 人 で あ る こ と が 推 定 さ れ る 。 巻 二 の 挽 歌 に お い て 、 人 麻 呂 歌 集 に 記 録 さ れ 、 大 宝 元 年 紀 伊 行 幸 の 際 の 結 松 の 前 に 載 せ ら れ た 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 の 歌 ( 一 四 三 ・ 一 四 四 ) も 、 お そ ら く 大 宝 元 年 行 幸 の 際 の 作 歌 で あ ろ う 。 有 間 皇 子 の 事 変 (斉 明 四 年 ) か ら 四 十 三 年 を 経 過 し た そ の 時 の 歌 が ﹁ 結 松 ﹂ を 紐 帯 と し て 時 代 の 枠 を 超 え て 斉 明 天 皇 の 時 代 に 記 載 さ れ て い る こ と に な る 。 た ム の み ね こ れ よ り さ き 斉 明 天 皇 は ﹁ 後 飛 鳥 岡 本 宮 ﹂ を 建 て て す ぐ ﹁ 田 身 嶺 に 、 冠 ら し む る に 周 れ る 垣 を 以 て す 。 復 、 嶺 の 上 の 両 た か ど の た ふ た つ き の み や あ ま っ み ゃ い つ の 槻 の 樹 の 辺 に 、 観 を 起 つ 。 号 け て 両 槻 宮 と す ﹂ (斉 明 紀 二 年 ) 即 ち 両 槻 宮 を 多 武 峯 に 建 て ら れ た 。 両 槻 宮 は 天 宮 と も 日 わ れ 、 道 教 の 寺 院 と も 見 ら れ る も の で あ る 。 こ こ に 持 統 女 帝 は ﹁ 十 年 三 月 三 日 二 槻 宮 に 幸 し ﹂ (持 統 紀 ) た の で あ る 。 互 に 女 帝 と し て 巫 女 的 性 格 の 共 通 点 、 ま た は 持 統 帝 に と っ て 、 祖 母 に 当 る 斉 明 天 皇 へ の 思 慕 も あ っ た に ち が い な い 。 紀 伊 の 牟 婁 の 温 泉 は 有 間 皇 子 が 発 見 さ れ 、 斉 明 天 皇 が 好 ん で 行 幸 し た と こ ろ で あ る 。 そ こ へ 持 統 期 に は 天 皇 と し て 、 太 上 天 皇 と し て 二 回 の 行 幸 が な さ れ て い る 。 し か も 斉 明 期 に お け る 有 間 皇 子 の 事 変 は 持 統 初 期 に お け る 大 津 皇 子 の 事 変 に 匹 敵 す る も の で あ っ た 。 持 統 期 に お け る 第 一 回 の 紀 伊 行 幸 (持 統 四 年 ) よ り も 、 第 二 回 の 大 宝 元 年 の 行 幸 の 折 に ﹁ 結 松 ﹂ の 歌 が あ る 事 情 は よ く 分 ら な い が 、 四 十 三 年 経 っ て も そ の 時 代 の 人 た ち の 関 心 事 で あ っ た こ と を 示 す も の で 、 有 間 皇 子 の 鎮 魂 の 歌 で あ る と 考 え る 。 持 統 期 に 於 け る 紀 伊 行 幸 は 斉 明 天 皇 と の 繋 り に そ の 動 機 が あ っ た と 考 え た い の で あ る 。 一30一

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吉 野 行 幸 は そ の 度 数 は 驚 く ば か り の も の で あ る 。 持 統 紀 、 続 日 本 紀 に よ っ て そ れ を み る と 次 の 通 り で あ る 。 O 中 は そ の 度 数 。 持 統 三 年 ② 四 年 ㈲ 五 年 樹 六 年 圖 七 年 ㈲ 八 年 個 九 年 同 十 年 個 十 一 年 ω 大 宝 元 年 ② 大 宝 二 年 口﹂ 持 統 年 代 に 三 十 一 回 、 大 宝 年 代 に 三 回 、 計 三 十 四 回 と な る 。 萬 葉 集 に 於 て 、 公 的 行 幸 の 標 記 を も つ も の は 、 B の ﹁ 幸 干 吉 野 宮 之 時 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ﹂ ( 三 六 ⊥ 二 七 ・ 三 八 -三 九 ) 長 歌 二 首 、 反 歌 二 首 の ﹁ 国 ぼ め の 歌 ﹂ お よ び ﹁ 宮 廷 讃 歌 ﹂ 。 H の ﹁ 太 上 天 皇 幸 干 吉 野 宮 時 高 市 連 黒 人 作 歌 ﹂ (七 〇 ) で あ る 。 B に は 右 日 本 紀 日 。 三 年 己 丑 正 月 天 皇 幸 吉 野 宮 。 八 月 幸 吉 野 宮 。 四 年 庚 寅 二 月 幸 吉 野 宮 。 五 月 幸 吉 野 宮 。 五 年 辛 卯 正 月 幸 吉 野 宮 。 四 月 幸 吉 野 宮 者 。 未 詳 知 何 月 従 駕 作 歌 。 右 の 如 き 左 注 が あ る 。 こ の 注 は 日 本 書 紀 の 記 事 を 書 き 抜 い た も の で あ る が 、 四 年 八 月 、 十 月 、 十 二 月 の 記 事 が 略 さ れ て お り 、 五 年 七 月 以 降 の 記 事 が 省 略 さ れ て い る 。 注 者 は 比 較 的 初 期 の 行 幸 に 絞 っ て い る が 、 当 時 そ れ だ け の 典 拠 が あ っ た の で あ ろ う 。 H の 太 上 天 皇 時 代 の 高 市 黒 人 の 歌 の 場 合 は 、 続 日 本 紀 に よ れ ば 大 宝 元 年 二 月 二 十 日 か ら 二 十 七 日 ま で の 行 幸 、 六 月 二 十 九 日 か ら 秋 七 月 十 日 ま で の 行 幸 と 大 宝 二 年 秋 七 月 十 一 日 の 行 幸 ( こ の 行 幸 に は 還 幸 の 記 事 が な い ) と 計 三 回 の 記 事 が 見 え る 。 そ の 何 れ か の 場 合 で な け れ ば な ら な い が 、 黒 人 の 大 和 に は 鳴 き て か 来 ら む 呼 子 鳥 き さ の 中 山 呼 び ぞ 越 ゆ な る ( 一 . 七 〇 ) の 歌 の 内 容 か ら 考 え て 、 類 聚 古 集 に 於 て も ﹁ 春 部 ・ 喚 子 鳥 ﹂ に 分 類 さ れ て い ろ こ と か ら も 明 ら か な ご と く 、 大 宝 元 年 二 月 の 行 幸 で な け れ ば な ら な い 。 巻 九 の 人 麿 歌 集 中 の

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幸 芳 野 離 宮 時 歌 二 首 瀧 の 上 の 三 船 の 山 ゆ 秋 津 辺 に 来 鳴 き 度 る は 誰 喚 子 鳥 ( 一 七 一 三 ) 落 ち 激 ち 流 る る 水 の 岩 に 触 れ 淀 め る 淀 に 月 の 影 見 ゆ ( 一 七 一 四 ) な ど も 歌 の 内 容 か ら み て 大 宝 元 年 二 月 の 行 幸 の 折 の も の と 考 え ら れ る 。 そ れ に 対 し て 巻 二 の 相 聞 の 幸 干 吉 野 宮 時 弓 削 皇 子 贈 与 額 田 王 歌 一 首 古 へ に 恋 ふ る 鳥 か も 弓 絃 葉 の み 井 の 上 よ り 鳴 き わ た り 行 く ( 一 = ) 額 田 王 奉 納 和 歌 一 首 古 へ に 恋 ふ ら む 鳥 は ほ と と ぎ す け だ し や 鳴 き し 吾 が 恋 ふ る 如 ( = 二 ) 従 吉 野 折 取 蕪 生 松 祠 遣 時 額 田 王 奉 入 歌 一 首 み 吉 野 の 玉 松 が 枝 は は し き か も 君 が み 言 を 持 ち て 通 は く ( = 三 ) 弓 削 皇 子 は 文 武 三 年 ﹁ 秋 七 月 (癸 丑 朔 ) ⋮ ⋮ 癸 酉 (廿 一 日 ) 浄 広 武 弓 削 皇 子 亮 ﹂ (続 紀 ) と あ り 、 額 田 王 は 天 智 の 御 代 に 既 に 四 十 路 に 達 し て い た と 思 わ れ ろ の で 、 持 統 の 御 代 の は じ め に は 、 は や 六 十 才 に 近 い 年 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 こ の 歌 以 後 に は 作 品 も 見 え な い 。 こ れ ら の こ と を 勘 え 、 さ ら に 時 鳥 の 鳴 く 頃 の 行 幸 と い え ば 代 匠 記 に ﹁ (持 統 ) 四 年 五 月 、 五 年 四 月 此 の 両 度 の 内 の 御 供 に て 詠 ま せ た ま ふ な る ぺ し ﹂ と あ る の が 至 当 で あ る 。 即 ち こ れ ら の 歌 は B の 場 合 と 同 様 持 統 初 期 の 頃 の 行 幸 の 作 で あ る 。 こ の 他 巻 九 の 人 麻 呂 歌 集 中 の 歌 ﹁ 元 仁 歌 三 首 ﹂ ( 一 七 二 〇 ー 一 七 二 二 ) ﹁ 絹 歌 一 首 ﹂ ( 一 七 二 三 ) ﹁ 嶋 足 歌 一 首 ﹂ ( 一 七 二 四 ) ﹁ 麿 歌 一 首 ﹂ ( 一 七 二 五 ) な ど い ず れ も 内 容 は 吉 野 の 歌 で あ り 、 土 屋 文 明 ﹁ 萬 葉 集 年 表 ﹂ で は 大 宝 元 年 の 行 幸 の も の と さ れ て い る 。 一32一

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さ て こ れ ら の 吉 野 行 幸 の 目 的 動 機 に つ い て は 、 既 に 幾 多 の 論 説 が あ り 、 そ れ ら を 分 析 整 理 し た も の に ﹁ 講 座 日 本 文 学 の 争 点 1 ・ 上 代 篇 ﹂ 中 の ﹁ 持 統 帝 吉 野 行 幸 の 動 機 ﹂ ( 遠 藤 宏 ) が あ る 。 そ れ に よ る と 日 吉 野 の 景 勝 を 賞 し 宴 楽 に 興 ず る と い う 遊 覧 を 目 的 と す る 。 口 離 宮 推 定 地 宮 滝 付 近 の 丹 生 川 上 社 に 風 雨 の 順 調 を 祈 願 す る た め 。 倒 み そ ぎ を す る た め 。 吉 野 は み そ ぎ に 必 要 な 清 ら か な 水 の あ る 、 み そ ぎ の 霊 場 で あ る 。 ㈲ 持 統 帝 に と り 、 夫 天 武 帝 と の 思 い 出 の 地 吉 野 へ 懐 旧 の 情 も だ し が た く 。 壬 申 乱 を 勝 ち と っ た 天 武 帝 が 雌 伏 し 、 挙 兵 し た 地 が 吉 野 で 、 持 統 帝 も 行 動 を 共 に し た 。 国 人 間 性 の 回 復 蘇 生 因 天 武 以 来 の 聖 地 で 皇 室 ・ 国 家 の 安 寧 を 祈 る 。 囮 其 の 他 。 地 方 へ の 巡 狩 。 神 仙 思 想 。 以 上 の 七 項 目 に 分 類 し 、 な お ﹁ こ れ ら を 単 独 に 主 張 す る も の は ほ と ん ど な い 。 主 動 機 ・ 副 動 機 と い う 重 点 の 差 を つ け る と い う 方 法 で 動 機 の 複 層 性 を 大 部 分 が 認 め て い る ﹂ と い っ て い る の は 当 然 の こ と で あ る 。 一 回 の 行 幸 の う ち に 複 層 性 も 考 え 得 る が 、 持 統 帝 自 身 に 、 巫 女 的 女 王 (第 一 段 階 ) 過 渡 期 (第 二 段 階 ) 律 令 制 女 帝 (第 三 段 階 ) と 三 時 期 の 段 階 を 考 え る 場 合 、 年 代 的 に も 目 的 動 機 は 自 ら 異 な る も の が 生 じ て く る 筈 で あ る 。 も と も と 吉 野 の 地 は 天 武 以 前 か ら 皇 室 と は 関 係 の 深 い も の で あ っ た 。 雄 略 紀 に は 四 年 八 月 に 、 天 皇 吉 野 の 宮 に 幸 し た 際 の ﹁ 蜻 蛉 野 ﹂ の 地 名 起 源 伝 説 を 伝 え て い る 。 斉 明 紀 二 年 、 両 槻 宮 を 建 て た あ と ﹁ ま た 吉 野 宮 を 作 り き ﹂ の 記 事 も あ る 。 壬 申 乱 の 初 発 、 天 武 紀 元 年 六 月 廿 二 日 に 村 国 連 男 依 、 和 現 部 臣 君 手 、 身 毛 君 広 に 詔 し て ﹁ 汝 等 三 人 、 急 に 美 濃 国 に 牲 り て 、

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ぽ か リ ニ と の の み お ニ 安 八 磨 郡 の 湯 沐 令 、 多 臣 品 に 告 げ て 機 要 を 宣 ひ 示 し て 、 先 づ 当 郡 の 兵 を 発 せ L と あ る 。 湯 沐 は 中 宮 、 東 宮 に 支 給 さ れ る 食 封 の 一 種 で 、 湯 沐 令 (ゆ の う な が し ) は 湯 沐 邑 を 支 配 し 課 税 の 収 入 を 行 う 役 人 で あ る 。 美 濃 国 の 湯 沐 は 東 宮 大 海 人 皇 子 の 軍 注 2 事 的 、 経 済 的 な 基 盤 で あ っ た 。 こ れ か ら 察 し て 、 憶 測 で は あ る が 吉 野 の 地 に も 湯 沐 邑 が あ っ た の で は な い か と 考 え る 。 大 海 人 皇 子 が 出 家 し て 吉 野 に 逃 げ 隠 れ 棲 ん だ の も そ の た め で は な か ろ う か 。 ま た 持 統 初 期 の 行 幸 も そ の た め で あ っ た と 考 え ら れ ぬ こ と も な い 。 し か し 萬 葉 集 の 歌 か ら 考 察 す る 限 り で は 、 直 接 の 動 機 は や は り 天 武 天 皇 と の 繋 り で あ る 。 持 統 第 一 段 階 に 於 て は 天 武 天 皇 の 御 製 よ き 人 の よ し と よ く 見 て よ し と 云 ひ し よ し の よ く 見 よ よ き 入 よ く 見 ( 一 , 二 七 ) 注 3 の ﹁ 見 る こ と の た ま ふ り ﹂ の 延 長 の 上 に 立 つ 行 幸 も あ っ た ろ う 。 北 山 茂 夫 氏 の い う ﹁ 天 武 天 皇 の 死 に よ っ て 生 じ た 巨 大 な 空 隙 、 そ れ に つ づ く 大 津 皇 子 の 事 変 、 さ ら に 草 壁 皇 子 の 天 折 に よ る 宮 廷 の 動 揺 、 皇 嗣 を め ぐ る 政 情 の 不 安 は 、 相 重 な り つ つ 深 刻 な 様 相 を 呈 し て い た 。 ⋮ ⋮ 他 方 で 、 撰 善 言 司 を 設 け 、 亡 夫 の 遺 業 で あ る 新 令 二 十 二 巻 を 諸 司 に 班 賜 し た 。 天 武 の 路 ま   線 の う え に 政 治 は 動 き だ し た の で あ る ﹂ こ の 時 点 に 於 け る も の が 、 持 統 第 二 段 階 か ら 第 三 段 階 に 亘 る と 考 え ら れ る 時 期 の ﹁ 幸 干 吉 野 宮 之 時 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ( 三 八 . 三 九 ) の 宮 廷 讃 歌 、 現 人 神 の 思 想 に 貫 か れ て い ろ 歌 で あ る 。 そ の 前 の ﹁ 三 六 . 三 七 ﹂ の 歌 を 含 め て 応 詔 歌 で あ る こ と に 間 違 い は な い 。 こ こ に 於 て は 、 そ の 行 幸 は 政 治 的 意 図 が 主 動 機 で あ っ た と い え よ う 。 そ の 反 面 、 さ き に 挙 げ た 持 統 初 期 の も の と 考 え ら れ る 弓 削 皇 子 と 額 田 王 の 相 聞 歌 も 見 ら れ る 。 即 ち 個 人 詠 の 歌 も 存 在 す る 。 か か る 点 か ら み れ ば 、 巡 狩 を か ね た 遊 覧 の 目 的 も 考 え ら れ る 。 大 宝 元 年 の 吉 野 行 幸 の 際 の 歌 に な る と 、 人 麿 の よ う な 意 欲 的 な 皇 室 礼 讃 の 歌 は 影 を ひ そ め 高 市 黒 人 の 確 か な 自 然 観 照 の 歌 、 さ ら に は 巻 九 に 見 ら れ る 人 麻 呂 歌 集 の 採 録 歌 が 殖 え て く る の で あ る 。 行 幸 ・ 従 駕 の 歌 人 層 の 拡 が り は あ る が 、 そ の 行 幸 の 動 機 目 的 は 曖 昧 に な ら ざ る を 得 な い 。 一34一

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伊 勢 行 幸 に つ い て は 持 統 紀 六 年 ﹁ 三 月 丙 寅 朔 、 戊 辰 (三 日 ) 浄 広 騨 廣 瀬 王 、 直 広 参 当 麻 真 人 智 徳 、 直 広 扉 紀 朝 臣 弓 張 等 と ま り の つ か さ か ぷ り さ さ な り は ひ を 留 守 官 と し き 。 こ こ に 中 納 言 三 輪 朝 臣 高 市 麻 呂 そ の 冠 位 を 脱 ぎ て 朝 に 撃 げ 、 重 ね て 諌 め て ﹁ 農 作 の 節 、 車 駕 い ま だ 動 く べ か ら ず ﹂ と 日 し き 。 辛 未 (六 日 ) 天 皇 諌 に 従 ひ た ま は ず 遂 に 伊 勢 に 幸 し き ﹂ と あ り 、 天 皇 行 幸 に 際 し て 皇 居 に 留 り 守 る 官 が 任 命 さ れ て い る 。 人 麿 も そ の 留 守 官 の 一 人 と し て 、 萬 葉 集 に 於 け る C の 場 合 の ﹁ 幸 干 伊 勢 国 時 留 京 柿 本 朝 臣 人 麻 呂 作 歌 ﹂ と し て 三 首 の 歌 が 記 録 さ れ る 。 そ の 他 行 幸 供 奉 の 官 人 の 妻 と し て ﹁ 当 麻 真 人 麻 呂 妻 歌 ﹂ 吾 が 背 子 は い つ く 行 く ら む 奥 つ 物 名 張 の 山 を け ふ か 越 ゆ ら む ( 四 三 ) そ の 他 巻 四 ﹁ 碁 檀 越 牲 伊 勢 国 時 留 妻 作 歌 一 首 ﹂ 神 風 の 伊 勢 の 浜 荻 折 り 伏 せ て 旅 寝 や す ら む 荒 き 濱 辺 に (五 〇 〇 ) な ど 留 守 に と ど ま る 者 の 歌 の あ る の が 特 色 で あ る 。 C の 標 示 下 、 従 駕 の 歌 と し て は ﹁ 石 上 大 臣 従 駕 作 歌 ﹂ 吾 妹 子 を い ざ み の 山 を 高 み か も 大 和 の 見 え ぬ 国 遠 み か も ( 四 四 ) の 歌 が 一 首 あ る だ け で あ る 。 こ の 歌 の 次 に 、 左 注 に は 朱 鳥 六 年 (持 統 六 年 ) の 書 紀 の 記 事 が 引 か れ て い る 。 う ち つ く に こ の か に せ や ま 大 化 二 年 の 改 新 の 詔 第 二 条 に ﹁ 凡 そ 畿 内 は 、 東 は 名 墾 の 横 河 よ り 以 来 、 南 は 紀 伊 の 兄 山 よ り 以 来 、 西 は 赤 石 の 櫛 渕 よ り 以 来 、 北 は 近 江 の 狭 狭 波 の 合 坂 山 よ り 以 来 を 畿 内 と す ﹂ (孝 徳 紀 ) と い う 規 定 が あ っ た 。 伊 勢 は 畿 外 に 属 し 、 当 時 と し て 名 張 の 山 を 越 え る こ と は 大 旅 行 で あ っ た に ち が い な い 。 留 守 を ま も ろ 者 と し て は 、 そ こ に 不 安 と 孤 愁 が あ っ た に ち が い な い 。 そ の よ う な 心 情 が 留 守 役 の 官 人 、 あ ろ い は 妻 た ち の 歌 と し て 多 く 記 録 さ れ た も の で あ ろ う 。 そ の よ う な 畿 外 の 行 幸 、 高 市 麻 呂 の 諌 言 を 斥 け て ま で も 敢 行 し た 行 幸 は 何 の た め で あ っ た か 。 そ れ は 天 武 天 皇 以 来 、 伊 勢 神 宮 と 皇 室 の 繋 り で あ ろ う 。 壬 申 乱 に 際 し て 大 海 人 皇 子 が 美 濃 国 に 脱 出 さ れ る 途 次 ﹁ 六 月 辛

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た よ せ に わ が 酉 朔 ⋮ ⋮ 丙 成 (廿 六 日 ) 旦 に 、 朝 明 郡 の   太 川 の 辺 に し て 、 天 照 太 神 を 望 拝 み た ま ふ 。 ﹂ (天 武 紀 元 年 ) と あ る よ う に 、 そ の 勝 利 を 伊 勢 神 宮 に 祈 願 し 、 勝 利 を 得 て 以 来 、 伊 勢 神 宮 は 皇 室 の 神 と な っ た の で あ る 。 そ れ ま で 伊 勢 神 宮 は ﹁ 日 の 神 ﹂ を 祭 る 伊 勢 の 地 方 神 で 、 皇 室 の 東 国 発 展 に 伴 な い 雄 略 頃 か ら 皇 室 と 関 係 を 有 す る に い た っ た が 、 壬 申 乱 後 、 宮 廷 神 話 の 固 定 す 注 5 る 頃 、 天 照 大 神 は 太 陽 神 で あ る と と も に 皇 祖 神 と い う 二 重 性 格 を も つ よ う に な っ た の で あ る 。 天 武 紀 二 年 ﹁ 夏 四 月 丙 辰 に て ま た 朔 、 己 巳 ( 十 四 日 ) 大 来 皇 女 を 天 照 太 神 宮 に 遣 待 さ む と し て 、 泊 瀬 の 斎 宮 に 居 ら し む ﹂ 天 武 紀 三 年 ﹁ 冬 十 月 丁 丑 朔 、 乙 酉 ま う ( 九 日 ) 大 来 皇 女 泊 瀬 斎 宮 よ り 伊 勢 神 宮 に 向 う で た ま ふ ﹂ と あ り 、 伊 勢 斎 宮 は こ の 時 代 以 後 恒 例 化 し た も の で 、 こ れ は 壬 注 6 申 乱 に お け る 伊 勢 神 宮 の 協 力 に 対 す る 報 奏 の 意 を も つ も の と い わ れ る 。 壬 申 乱 の 発 端 、 吉 野 を 脱 出 し て 美 濃 に 向 う 大 海 人 皇 に 随 行 し た 鶴 野 讃 良 皇 女 は 巫 女 的 な 性 格 も 多 分 に 持 っ て い た ろ う 。 持 統 期 に 入 っ て 持 統 六 年 伊 勢 行 幸 の 頃 に は 女 帝 と し て 確 固 た る 地 位 を 占 め て い た 。 伊 勢 信 仰 、 天 照 大 御 神 の 祭 祀 を 朝 廷 が 掌 握 す る こ と は 持 統 女 帝 の 大 き な 課 題 で あ っ た は ず で あ る 。 こ の 意 味 か ら い っ て 、 伊 勢 行 幸 は 大 き な 意 義 を 持 つ も の で あ る 。 三 河 行 幸 は 伊 勢 行 幸 か ら 十 年 後 、 大 宝 二 年 に 行 わ れ て い る 。 行 幸 に 先 立 っ て 大 宝 二 年 秋 七 月 十 八 日 に は ﹁ 遣 下 二 使 於 伊 賀 伊 勢 美 濃 尾 張 三 河 国 一 営 噌 造 行 宮 上﹂ (続 日 本 紀 ) 巡 行 の 五 ケ 国 に 行 宮 を 営 造 せ し め 、 い よ い よ 出 発 に 際 し て 、 十 月 三 日 に は 叫 ﹁ 鎮 祭 諸 神 。 為 レ 将 レ 幸 二 参 河 国 一 也 ﹂ (同 ) 伊 勢 神 宮 を 含 め 各 国 の 諸 神 の 鎮 魂 の 祭 を 行 な わ し め 、 十 日 に は 参 河 国 に 出 発 さ れ る の で あ る が 、 そ の 途 次 十 四 日 に は ﹁ 頒 コ 下 律 令 天 下 諸 国 一﹂ ( 同 ) 律 令 を 天 下 に 頒 ち 下 し て い る 。 以 上 の よ う な 記 事 か ら み て も 三 河 行 幸 は 伊 勢 神 宮 の 奉 斎 を 兼 ね て 、 沿 道 各 地 の 巡 狩 と 皇 威 顕 示 の 政 治 的 意 義 か ら の も の で あ ろ う と 考 え る 。 還 幸 の 途 次 は ﹁ 十 一 月 甲 子 朔 、 丙 子 (十 三 日 ) 行 至 尾 張 国 。 庚 辰 (十 七 日 ) 行 至 美 濃 国 。 乙 酉 (廿 二 日 ) 行 至 伊 勢 国 。 丁 亥 (廿 四 日 ) 至 伊 賀 国 。 戊 子 (廿 五 日 ) 車 駕 至 自 参 河 ﹂ (同 ) と あ る よ う に 実 に 四 十 数 日 に 亘 る 大 旅 行 で あ っ た 。 大 旅 行 で あ っ た 一36一

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割 に は 萬 葉 集 に 残 る 歌 は す く な い 。 公 的 行 幸 の 標 示 を も つ も の は E の ﹁ 二 年 壬 寅 太 上 天 皇 幸 干 参 河 国 時 歌 ﹂ に 包 括 さ れ る 五 首 だ け で あ る 。 こ の 他 土 屋 文 明 ﹁ 萬 葉 集 年 表 ﹂ で は コ 局 市 黒 人 藷 旅 歌 八 首 ﹂ ( 二 七 〇 1 二 七 七 ) を ﹁ 作 中 の 地 名 等 よ り 推 す に 此 年 三 河 行 幸 の 時 の 作 か ﹂ と し 、 さ ら に は 巻 九 の コ 局 市 歌 一 首 ﹂ ( 一 七 一 八 ) ﹁ 小 弁 歌 一 首 ﹂ ( 一 七 三 四 ) ー い ず れ も 琵 琶 湖 西 岸 、 高 島 安 曇 の 地 を 詠 ん だ も の ー こ の 二 首 も 一 応 大 宝 二 年 三 河 行 幸 の 歌 と 考 え よ う と す る 。 し か し 緒 旅 八 首 の 歌 の 中 で 、 四 極 山 の 歌 (二 七 二 ) に お い て 、 四 極 山 を 三 河 幡 豆 郡 磯 泊 郷 と す る 決 定 線 は な く 、 文 献 的 に は む し ろ 、 摂 津 国 磯 歯 津 ﹂ の 方 が 有 力 で あ り 、 枚 の 湖 の 歌 ( 二 七 四 ) 高 嶋 勝 野 原 の 歌 ( 二 七 五 ) 、 さ き の 一 七 一 八 ・ 一 七 三 四 な ど を 含 め 、 湖 西 地 方 は 、 大 和 京 か ら 北 国 へ の 通 路 で あ っ た こ と な ど か ら 考 え て 、 八 首 全 部 が こ の 三 河 行 幸 の 時 の 作 と は 考 え ら れ な い 。 ま た 巻 十 三 ﹁ 三 二 三 四 ﹂ の 長 歌 ば 伊 勢 の ﹁ 国 ぼ め ﹂ か ら は じ ま り ﹁ 春 山 の し な ひ 栄 え て 秋 山 の 色 な つ か し き も も し き の 大 宮 人 は 天 地 日 月 と 共 に 萬 代 に も が ﹂ と 大 宮 人 た ち の 宮 仕 の 讃 美 に 終 る 。 そ の 反 歌 山 辺 の 五 十 師 の 御 井 は お の つ か ら 成 れ る 錦 を 張 れ る 山 か も ( 三 二 三 五 ) に つ い て ﹁ 玉 か つ ま ﹂ 国 は ﹁ 錦 を は れ る と は 、 か の 行 幸 は 、 六 年 の 三 月 な れ ば 、 桜 桃 な ど の 花 を い へ る か 、 又 は 大 宝 二 年 十 月 に も 、 同 じ 天 皇 、 参 河 国 に 行 幸 有 し か ば 、 其 時 に て も あ ら む か 、 も し 然 ら ば 行 宮 は 、 参 河 へ の 道 次 の 行 宮 に て 、 錦 は 紅 葉 な る べ し 。 と に か く 長 歌 の や う 、 女 房 た ち の 宮 つ か へ の さ ま を よ め り と 聞 ゆ れ ば 、 必 ず 持 統 天 皇 な る べ し ﹂ と い う 。 ヘ ヘ へ 錦 と い え ば も み ち と す る の が 常 識 で あ る が 、 巻 六 コ 〇 五 三 ﹂ の 長 歌 に は ﹁ ⋮ ⋮ 鴬 の 来 鳴 く 春 べ は 岩 ほ に は 山 下 光 り 錦 な す 花 咲 き を を り ⋮ ⋮ ﹂ と 、 ニ シ キ ナ ス は 花 の 修 飾 を な し て い る 。 と こ ろ が 、 さ き の コ 三 = 二 四 ﹂ の 長 歌 で は ﹁ 春 山 の ﹂ ﹁ 秋 山 の ﹂ と い っ て 春 秋 の 大 宮 人 を 詠 ん で い る 。 そ こ か ら 勘 案 す れ ば コ 一= 一 三 五 L の 反 歌 の ﹁ 成 れ る 錦 を 張 れ る 山 か も ﹂ は 注 釈 (澤 濾 博 士 ) の い う ﹁ 花 も み ち の 美 し さ を 錦 に た と へ た と 見 て よ い で あ ら う ﹂ と い う 解 釈 に 落 着 く べ き

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で あ ろ う 。 そ う す る と コ ニ ニ 三 四 ・ 三 二 三 五 L の 長 歌 ・ 反 歌 は 両 度 の 行 幸 の 何 れ の 折 の も の か 判 定 し 難 い も の と な る 。 と に か く 三 河 か ら 各 地 を 巡 行 さ れ 十 一 月 二 十 五 日 還 行 さ れ て 約 一 ヵ 月 後 十 二 月 廿 二 日 に 太 上 天 皇 は 崩 御 に な る 。 こ の 三 河 行 幸 は 持 統 期 最 後 を 飾 ろ 大 行 幸 で あ っ た と こ ろ に 印 象 ぶ か い も の が あ る 。 持 統 期 に お け る 難 波 行 幸 は 文 武 三 年 ﹁ 春 正 月 (丁 巳 朔 ) 癸 未 (廿 七 日 ) ・・ ⋮ ・是 日 。 幸 難 波 宮 。 二 月 (丙 辰 朔 ) 丁 未 (廿 二 日 ) 車 駕 至 自 難 波 宮 ﹂ の 一 回 で あ る 。 萬 葉 集 に は G の 公 的 標 示 ﹁ 太 上 天 皇 幸 干 難 波 宮 時 歌 ﹂ と し て 四 首 の 歌 を 記 録 す る 。 さ ら に 巻 三 に は 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 応 詔 歌 一 首 大 宮 の 内 ま で 聞 ゆ 網 引 す と 網 子 と と の ふ る 海 人 の 呼 び 声 ( 二 一二 八 ) 信 頼 度 の 高 い 歌 が 残 る 。 槻 落 葉 に ﹁ 文 武 三 年 正 月 幸 難 波 宮 と あ る も こ の 宮 な ろ べ け れ ば 、 さ る を り つ か ふ ま つ り て よ め る な る べ し ﹂ と あ っ て 諸 注 そ の 説 に 従 っ て い る 。 た だ 応 詔 歌 と い う 公 的 の 場 の 歌 な ら ば 巻 一 の ﹁ 太 上 天 皇 幸 干 難 波 宮 時 歌 ﹂ の 題 詞 の も と に 統 括 さ る べ き で は な い か と 思 う の で あ る が 、 こ れ は さ き の 大 宝 元 年 紀 伊 行 幸 の 際 の 意 吉 麻 呂 の 応 詔 歌 も 巻 九 に 拾 遺 的 に 採 録 さ れ た も の で あ っ た 。 そ の 場 合 と 同 じ く 巻 一 と 巻 三 と は 全 く 別 の 資 料 本 に よ っ た も の と 考 え ざ る を 得 な い 。 こ の 他 巻 三 の コ 局 市 黒 人 歌 二 首 ﹂ ( 二 七 九 ・ 二 八 〇 ) ﹁ 黒 人 妻 歌 ﹂ ( 二 八 一 ) こ れ ら の 歌 を 土 屋 文 明 ﹁ 萬 葉 集 年 表 ﹂ で は ﹁ 黒 人 は 大 宝 二 年 三 河 行 幸 に も 供 奉 し て 歌 あ り 、 こ れ も 難 波 行 幸 供 奉 の 作 か ﹂ と す る が 、 歌 の 内 容 は 難 波 か ら 隔 る 地 で 、 現 在 で い え ば 、 西 宮 市 、 神 戸 市 に あ た る 地 の 歌 で あ る 。 下 級 官 吏 で あ っ た 黒 人 が 公 務 を 帯 び た 個 人 の 旅 の 際 の も の と 思 わ れ る の で 、 強 い て 難 波 行 幸 供 奉 の 際 の 作 と す る 必 要 は な い 。 難 波 宮 に つ い て は 萬 葉 集 巻 二 ﹁ 難 波 高 津 宮 御 宇 天 皇 代 ﹂ 即 ち 仁 徳 天 皇 の 高 津 宮 が あ る 。 孝 徳 紀 大 化 元 年 ﹁ 冬 十 二 月 乙 未 一38一

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朔 、 癸 卯 (九 日 ) 天 皇 都 を 護 長 柄 豊 碕 に 遷 す L と あ る ・ 山 根 徳 太 郎 氏 の 調 査 に よ れ 欝 高 津 宮 の 遺 跡 は ま だ 実 証 さ れ て い な い が 、 長 柄 豊 碕 宮 は 第 一 期 、 白 難 三 年 に 完 成 し た も の で あ り 、 第 二 期 は 天 武 天 皇 の 時 に 改 造 さ れ 、 朱 鳥 元 年 正 月 に 焼 失 、 第 三 期 は そ の 後 再 興 さ れ た 難 波 宮 、 第 四 期 は 神 亀 三 年 か ら 天 平 六 年 ま で に 改 造 さ れ 延 暦 十 二 年 に 廃 止 さ れ た 難 波 宮 と 推 定 さ れ て い る 。 こ れ に よ れ ば 天 武 紀 朱 鳥 元 年 ﹁ 春 正 月 壬 寅 朔 ⋮ ⋮ 乙 卯 (十 四 日 ) 酉 の 時 に 難 波 の 大 蔵 省 に 失 火 し て 、 宮 や 室 悉 に 焚 け ぬ ﹂ と あ る 、 第 三 期 以 後 の 宮 で あ る 。 こ れ ら の 難 波 宮 は 、 さ き の 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 の 応 詔 歌 、 あ る い は 天 平 の 歌 人 田 辺 福 麻 呂 の あ り 通 ふ 難 波 の 宮 は 海 近 み 漁 人 少 女 ら が 乗 れ る 船 見 ゆ ( 六 ・ 一 〇 六 三 ) 潮 干 れ ば 葦 べ に 騒 ぐ あ し 田 鶴 の 妻 呼 ぶ 声 は 宮 も と ど ろ に ( 六 ・ 一 〇 六 四 ) な ど の 歌 に よ っ て 、 海 に 近 か っ た こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 ま た に ひ む つ ろ み 一 方 推 古 紀 十 六 年 四 月 ﹁ 唐 の 客 の 為 に 、 更 新 し き 館 を 難 波 の 高 麗 の 上 に 造 る ﹂ 同 年 六 月 十 五 日 ﹁ 客 等 難 波 津 に 泊 れ り 。 ま ぺ 是 の 日 に 、 飾 船 三 十 艘 を 以 て 、 客 等 を 江 口 に 迎 へ て 、 新 し き 舘 に 安 置 ら し む ﹂ と 高 麗 館 の 増 築 、 そ こ に 唐 の 客 を 迎 え る 記 事 が 見 え る 。 其 の 後 も 飾 明 紀 四 年 十 月 、 皇 極 紀 二 年 六 月 に も 外 国 使 節 が 難 波 津 に 泊 る 記 事 が 見 え る 。 ま た 萬 葉 集 巻 五 ・ 山 上 憶 良 の ﹁ 好 去 好 来 歌 ﹂ ( 八 九 四 ) の 反 歌 難 波 津 に 御 船 泊 て ぬ と 聞 え 来 ば 紐 解 き 放 け て 立 走 り せ む ( 八 九 六 ) な ど か ら み て 、 難 波 津 は 外 国 使 節 や 遣 唐 使 の 発 着 す る と こ ろ と し て 、 国 際 的 に も 重 要 な 地 位 を 占 め て い た 。 持 統 紀 に は 難 波 津 の 記 事 は な い が 、 譲 位 後 太 上 天 皇 と し て 、 そ の 地 の 重 要 性 を 勘 え 、 巡 狩 の 意 味 で の 行 幸 で あ っ た と 考 え る 。 そ の 七 年 後 慶 雲 三 年 九 月 に は 文 武 天 皇 の 難 波 行 幸 が あ る の で あ る 。

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持 統 女 帝 自 身 の 歌 は 多 い と は い え な い 。 巻 二 ﹁ 天 皇 崩 之 時 作 歌 一 首 ・ 反 歌 ﹂ ( 一 五 九 ・ = ハ ○ ) ﹁ 天 皇 崩 之 後 八 年 九 月 九 日 奉 為 御 斎 会 之 夜 夢 裏 習 賜 御 歌 一 首 ﹂ ( 一 六 二 ) 以 上 の 二 首 の 長 歌 と 一 首 の 短 歌 。 巻 一 ﹁ 天 皇 御 製 歌 -春 過 ぎ て ー ﹂ ( 二 八 ) 巻 三 ﹁ 天 皇 賜 志 斐 類 御 歌 一 首 ﹂ ( 二 三 六 ) 以 上 の 長 、 短 歌 計 五 首 に す ぎ な い 。 持 統 期 の 萬 葉 集 に 於 け る 位 置 は 屡 々 の 行 幸 に 際 し て 作 歌 の 機 運 を 高 め 、 歌 の 興 隆 を 齎 し た こ と に あ る 。 以 上 述 べ て き た 五 地 方 の 行 幸 従 駕 の 歌 で 公 式 行 幸 の 標 示 の 題 詞 の も と に 包 括 さ れ る 歌 人 た ち を み て も 、 川 嶋 皇 子 、 阿 閑 皇 女 、 碁 謝 女 王 、 長 皇 子 た ち の 皇 族 を 除 い て 、 人 麿 、 黒 人 、 意 吉 麿 な ど の 活 躍 が 目 立 ち 、 其 の 他 は 記 録 さ れ た 歌 の 少 い 下 級 官 人 と 推 定 さ れ る 人 た ち で あ る 。 難 波 行 幸 に は 清 江 娘 子 と い う 庶 民 階 級 の 者 の 歌 も と ど め て い る 。 そ の 他 巻 九 に 拾 遣 的 に 記 録 を と ど め る 大 宝 元 年 の 紀 伊 行 幸 の 時 の 歌 十 三 首 は 、 左 注 に よ る 意 吉 麿 の 歌 の 他 は 、 名 さ え 記 録 さ れ ぬ 無 名 の 人 た ち の 歌 で あ る 。 巻 七 の ﹁ 古 集 中 出 ﹂ の ﹁ 芳 野 作 ﹂ ﹁ 山 背 作 ﹂ ﹁ 摂 津 作 ﹂ ﹁ 瑞 旅 作 ﹂ の 作 者 未 詳 の 大 歌 群 の 中 に も 或 は 行 幸 従 駕 の 際 に 触 発 さ れ た 官 人 た ち の 歌 が 交 じ る か も し れ な い 。 持 統 天 皇 は 女 帝 な る が 故 に 漢 詩 よ り も 歌 を 愛 さ れ た 。 儀 礼 的 な 応 詔 に は 、 歌 を 作 る 機 会 も 殖 え た こ と で あ ろ う 。 官 人 た ち の 自 然 嘱 目 の 歌 、 旅 愁 の 歌 な ど 個 性 的 感 情 表 出 の 機 運 が 熟 し て 来 た こ と は 確 か で あ る 。 こ の よ う に し て 歌 人 層 は 拡 大 さ れ る こ と に な ろ 。 た だ に 形 の 上 の 拡 大 に と ど ま ら ず 、 そ こ に は 感 情 の 深 層 化 、 人 間 の 深 奥 か ら 流 出 す る 感 情 の 吐 露 も 見 ら れ る の で あ る 。 三 河 行 幸 の 流 ら ふ る 妻 吹 く 風 の 寒 き 夜 に 吾 が 背 の 君 は ひ と り か 寝 ら む ( 五 九 ) -碁 謝 女 王 宵 に あ ひ て 朝 お も 無 み 名 張 に か け 長 き 妹 が い ほ り せ り け む ( 六 〇 ) 長 皇 子 旅 に あ る 者 、 留 守 を ま も る 者 の 寂 蓼 感 や 沈 痛 な 歎 き を 感 得 す る こ と が で き る 。 こ の よ う な 時 代 的 要 求 に 応 じ て 出 現 し た も の が 、 人 麿 で あ り 黒 人 で あ っ た 。 萬 葉 第 二 期 に 歌 の 開 化 と 深 層 化 を 齎 し た と 一40一

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い う 点 で 、 持 統 期 の 行 幸 を 評 価 し た い 。 注 注 注 注 注 注 注 75543且1 日 本 古 拠 丈 学 大 系 ﹁ 日 本 誉 紀 上 ﹂ 神 代 上 八 七 頁 臨 注 因 同 天 武 祀 三 八 六 頁 順 注 因 ﹁ 持 続 天 皇 は な ぜ 吉 野 へ 行 ウ た か ﹂ 大 澱 厳 比 古 (国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 ・ 昭 和 四 十 四 年 四 月 母 ) ﹁ 吉 野 宮 讃 歌 を 酌 ぐ る 諸 間 煙 に つ い て ﹂ 北 山 茂 夫 凸文 学 ・ 昭 租 五 十 年 四 月 号 ) 日 本 古 典 交 学 穴 系 ﹁ 巨 本 構 紀 上 ﹂ 繍 注 樹 十 直 木 孝 次 郎 同 天 武 紐 四 = ↓頁 頭 注 岡 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹁ 日 本 宿 絶 下 ﹂ 描 注 圃 十 三 ( 五 一 一 二 二 一Q )

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