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統計学の学問的性質への一つの歴史的接近

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統計学の学問的性質への一つの歴史的接近 二二

統計学の学問的性質への一つの歴史的接近

一  統計学は如何なる性質の学問であるか一統計学は何を対象とし如何なる内容をもって組織され、学問の体系において 如何なる地位を与えられるものであるか一・統計学の学問的性質に関しては従来より論議が絶えない。吾が国においても         この問題は幾度か論議されて来たが、最近またまた大きく論議の対象として復活するに至った、これは一つにはソヴェ ト統計学論争の影響によるが、より根本的には戦後における数理統計学の盛行に対して祉会科学的領域における統計学が 自己の本質と課題を反省し新しい展開を用意するための足固めとしてである。問題は一見して抽象的概念的な性格をもつ が、本質は必ずしもそうではない。歴史的に見てもそれは統計学の発展の過程においてしばしば自己反省を背景とし新展 開を用意するものであった。まさに問題はかかるものとしてのみ提起されねばならないのである。  たしかに問題史を省みるときこの問題が大きく提起されたのは統計学の転換期であった。十九世紀中葉、ドイツ統計学 は国情記述を清算し政治算術的方向に転換して社会統計学を形成するに当って統計学の学問的性質の問題を提起した。二 十世紀初葉のこの問題の再燃もドイツ社会統計学が形成期にもった課題を漸く果し終えた後において新しくその後の展開 を用意するためのものであった。

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 吾が国には早くよりドイツ社会統計学が輸入されその影響が学界の支配的潮流を形成した。第一次大戦後、英米の数理 統計学が輸入され普及するに及んで、両系統の統計学の混在が始まった。ドイツ社会統計学と英米の数理統計学とでは学 問的性質が著しく相異る。前者は統計調査法に重点をおく方法論を従属きせた﹁社会的実体科学﹂であったのに対して、 後者は統計解析法を主とし、応用対象として自然と社会の区別を設けぬ﹁形式科学﹂、より厳密には応用数学の一部門で        あった。両者の混在は統計学の本質への反省の動機となり、統計学の学問的性質の問題を提起させた。それは両系統の限 界を克服して社会科学の発展段階に相応する新しい展開を統計学にもたらそうとする努ヵを意味した。かくして統計調査 法と統計解析法を統一的にとらえて統計方法とし、これを内容とする研究方法論として統計学は社会科学の中に明確に位        置づけられることとなった。吾が国において統計学はいまや﹁祉会科学的に方向づけられた統計方法論﹂、﹁社会的形式科 学﹂として立現れることとなったのである。  あたかも吾が国におけるこの転換に対応するかの如くドイツにおいても杜会統計学は従来の﹁実体科学としての統計 学﹂から﹁形式科学としての統計学﹂への転換を押し進めた。  統計学の学問的性質を反省し社会科学的領域における統計方法の新しい展開を志向する吾々にとって、社会科学的領域 に自己を終始位置づけて来たドイツ社会統計学は重要である。ましてや形式科学に転化した後のドイツ社会統計学は吾々 に著しく親近なものを感じさせずにおかない。本来自然科学的領域を故郷とする数理統計学の成果の社会科学的領域への 導入には厳密な条件が必要であることを強調するとともに社会科学的領域独自の統計方法の展開を意図して統計学を﹁社       ゆ 会科学的に方向づけられた統計方法論﹂として構成しようとする近時のドイツ社会統計学者の試みは、英米の数理統計学的        成果の社会科学的領域への無批判的再入の盛行とソ同盟における統計学実体、科学説との高揚の谷間にある吾々にとっては 大きな魅力でさえある。たしかにドイツ社会統計学は多くのすぐれた学的遺産を形成して来た。しかし大きな限界をもつ      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近      二三

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続計学の学問的性質への一つの歴史的接近 二四 ことも否むことが出来ない。統計調査論の領域における寄与ば大きいものであった。しかし統計利用論の本格的展開が要        請されるに至って自ら方法を創出しえないで数理統計学的成果の受容導入によらねばならなかったのである。こうした限 界とそのよって来るところを正しくとらえた後でなければドイツ社会統計学は吾々の課題の解決には役立ないであろう。  筆者はドイツ社会統計学が形式科学化する過程をとらえ、それが如何なる条件と制約において行われたかを問題にす る。そしてこの問題を通じて祉会科学的領域における統計学の前進引後退を明かにすることによって斯学のあるべぎ姿を つかみたいと愚う。ただし本稿は問題をジージェックに限定する。ジージェックはドイツ底面統計学の実体科学的構成よ り形式科学的構成への過渡をなす︵この規定は行論のうちで論証される︶。事物の本質は生成の過程を追跡することによって正 しく認識することが出来る。筆者が形式科学化の過程をとらえ、しかもさし当り対象をジージェックに設定するのはこの 理由による。  ジージェックは既に早く一九二〇年代の初頭に社会統計学の壮大精緻な体系をつくり上げて第一次大戦後のドイツ社会統計学を代 表する地位をきずき、其后いくつかの労作によって統計学の学問的性質を論ずるこ一とによってこの地位にふさわしくドイツ社会統計 学の新しい展開を指導した。統計学の学問的性質に関するジージェックの見解を知るために先ず第一にとり上げねばならぬものは、 主著−統計学の体系書一﹃統計学綱要﹄ ︵ON§時誘匹臼ω§宙一ぎ一.︾黒二一〇巴・N>珪一りお謡.本稿行豊中の引用では.O議p争 岳。。と略記し第二版の頁数を示す︶であろう。本書は前半に第一部コ般統計方法論Lをおき、後半に第二部﹁実体統計学︵冨讐甲 は亀⑦ω♂蔚註記︶および特殊統計方法論﹂をおいている。 なお序文および各部の冒頭で統計学の学問的性質に関する重要な提言を残 している。 ﹃綱要﹄に先立つ学問論的小著作﹃社会学と統計学﹄ ︵ω。N互。σqδロ巳ω梓p美服ぎH2P︶ は統計学の学問的性質にふれ ているが、まだ自分の見解を全体的に形成確立するには至っていない。ただしこの労作は後年﹃綱要﹄等において自己の見解を確立 定式化する上に重要な基礎をなすものである。同様のことをプリブラム︵閑.]℃H一び目9bP︶との論争文﹃個体主義的および集団主義的統 計学﹄︵謬蝕く置β9。諄梓置。げ①q昌傷犀9♂犀ヰ丘巴ωoゴ①ω剛節蔚臨ぎω富け岡ω8黙認Φζo昌象ωo畔賦ゴ一〇﹂αq.Z・閃陰り砂湯劇.︶についても云うことが 出来る。﹃綱要﹄およびこれと殆んど時期を同じうして刊行された﹃統計方法論の五つの主要問題﹄︵︾5協=勉讐箕。乞ΦヨΦ画興。・㌶−

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酔馨冨島二四①浄。山。巳停Nρピ器︶に対する諸家の批評に答えた﹃私の批判者へ﹄︵冒Φぎ①昌閃色艶Φ旨一レご験ωけ﹀零﹃竃b5Fお匿. 以下引用では囚円三曹曾口と略記︶は吾々にとって特に重要である。けだしこの労作は上記二著作における著者の続計学に関する基本 的な考え方を形式的内容的の両面にわたって説明ふえんしたものであり、統計学の学問的性質について多くの頁をさき﹃綱要﹄以上 に問題の詳細な取扱いをしているからである。それから約十年の後にジージェソクはその統計学体系において主導的地位をしめる統 計方法論の課題と体系を論じた﹃一般統計方法論および特殊統計方法論﹄︵︼︶δ諺にαQ①ヨΦぎ①⊆口飢ω℃叢雲一①Go9け聾﹃oげΦζ雲ゲ。匹Φ昌− げげρUび・︷・Z鉾¢・ω戸・δ。。ゆα・︵ω舅2σqρ。。ωゆP︶一8ω■以下引用では蜜Φ静。緒三①畔ρと略記︶ を出した。これを統計調査 論に具体化した﹃統計数は如何にして成立するか﹄ ︵≦δ。・什巴ω駐瀞畠①N㊤げ♂コΦ三ω8げΦP一8刈.以下引用では芝δとする︶と同 時に統計学の学問的性質に関する重要な所論を含んでいる。 統計学の概念を論じ生前発表されすに終った﹃統計学の諸概念﹄ ︵∪一Φ <葭ω。ぼ。伽①琴口切①σq同剛諏Φ︿o昌..GQけ9暴け涛、、闇図Φ︿ロΦ留一、H口ω耳隠H巨霞暴昌。岳一望巴ω鉱ρ二ρ﹀旨①Φρ一〇し。c。.以下引用ではbd①ひq目に︷o と略記︶はそのまま統計学の学問的性質論と云うことが出来るばかりでなく、これまでの諸労作において未展開であった問題が新し くとり上げられており、これによって﹃綱要﹄等における叙述の不十分さが補われていて吾々にとって極めて有意義である。ーー大 体以上を通して筆者はジージェックがその長い生涯において統計学の学問的性質に関する自己の見解を二度体系化し定式化したと判 断する。第一期は一九二〇年代の初頭で﹃綱要﹄がその指標となる。第二期は一九三〇年代に入ってであり、遺稿がその指標とな る。両期を通じて所説に若干の変化があるが、これはこの間における、特に統計利用論に重点をおいた精力的な研究を通じて可能と なった見解の深化と解釈すべきである。  統計学の学取的性質に関するジージェックの見解を究明するに当って本稿はこれらの労作を前提とするが、そのうち特に指標的な 意味をもつ遺稿および﹃綱要﹄と後者を補完するものとして﹃私の批判者へ﹄を特に重視する。  さて遣稿の所説によれば、﹁学問としての統計学﹂︵ω翼哲鯉山ω≦弱①霧。匿3には三つの方向がある。第一に﹁統計的 結果学︵ω什薮。。瀞。冨甲αqΦぴ巳匹①冨Φ︶第二に﹁一般統計方法論︵噴出Φ山荒器。。$騎蔚。冨ζΦ臣&Φ巳①腎①︶、第三に﹁特殊統計方法 論﹂︵q・究臥亀Φω$命定鼻①寓。静。餌Φ細評話︶、以上の三者、これである︵ゆ。σQま︷9ω。罵α︶。ジージェックにおいてはこの三者 が統計学の要素的形態をなし、その総合統一において統計学が構成され体系化される。したがって、先ずこの三者につい       統計学の学問的性質への一つの歴史的接近      二五

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統計学の学問的性質への一つの歴史的接近 て個々にジージェックの見解を見ることが必要である。 轄 二六 ① 内海庫︸郎﹃弁証法と蜷川統計学﹄統計学・第 巻第一号・昭和三〇年︵蝋九五五年︶、足利末男・集団について・同誌同号、大橋隆  憲・﹃統計学日社会科学方法論説の擁護﹄・経済学研究︵北海道大学︶・第一二号・昭和三二年︵一九五七年︶、上杉正一郎・﹃経  済研究における統計の意義﹄ ・思想・第四〇︸号・昭和三ご年︵一九五七年︶ ︹﹃経済学と統計﹂ ・昭和三四年︵一九五九年︶ ・青  木書店刊・所望︶、 ﹃統計学の対象と方法﹄ ︵共同討論︶・経済評論・第四巻第八号・昭和三〇年︵一九五五年︶、拙稿﹃社会統計的  認識の問題と特質﹄・彦根論叢・第四三号・昭和三三年︵一九五八年︶。 ② 論争として重要なのは、郡・蜷川論争である。!蜷川虎三・﹃所謂﹁経済統計学に就て﹄・経済論叢・第三〇巻第五号・昭和五  年︵一九三〇年︶ ︹﹃統計学研究﹄・昭和六年︵一九三一年・岩波書店刊・所収︺、郡菊之助・﹃経済統計学の地位﹄・商業経済論  叢・第七巻上冊・昭和五年︵一九三〇年︶ ︹﹃統計学研究﹄・昭和五年︵一九三〇年︶ ・同文館刊・所牧︺ ③蜷川虎三・﹃統計学研究﹄︵前掲︶、﹃統計利用に於ける基本間題﹄・昭和七年︵一九三二年︶・岩波書店刊、有沢広己﹃統計学総  論﹄・﹃経済学全集﹄第三五巻・昭和五年︵一九三〇年︶・改造社刊、 ﹃統計学講義案﹄・昭和九年︵一九三四年︶ ・明善社刊。 ④前掲拙稿﹃社会統計的認識の問題と特質﹄・彦根論叢・第四三号・二三−八頁。 ⑥有沢広己編・﹃統計学の対象と方法・昭和ゴニ年︵一九五六年︶・日本評論新社刊。○ひω9国鋤懐ぎ目08リゴΦ日9。霞ぬ剴。ゆ。昌。窓竃  o目。。↓潤。目隠閑解bdΦ自§監禁m持説自麟宍量Zρ即一〇望●野村良樹・﹃ソヴェト統計学会議以後の統計学著作について﹄・経営研究・第  二九号・昭和三二年︵一九五七年︶、内海庫一郎﹃統計学の対象と方法に関するソヴェト学界の論争について﹄・経済評論・昭和二七  年︵一九五二年︶七月号。広田純﹃ソヴェト統計学論争﹄・統計学辞典︵増補版︶・昭和三二年︵一九五七年︶東洋経済新報社刊。 ⑥拙稿﹃フラスケムパーにおける社会統計学の構想﹄・彦根論叢・第︻四号・昭和二八年︵﹁九五三年︶。 二  ﹁統計的結果学L︵ωけ餌野蔚。ゲ①卑σq①げ巳。・♂冥Φ︹田σq①げ巳。。鼠。。ω魯の。冨h告︶ は﹁人間社会現象の集団現象に関する実証的統 計的知識の総拾﹂︵bd①σq臨︷ρOo■認9薯鉾ω.一博。。︶である。 ﹁統計的社会科学﹂︵ω翼響哲冨ω。・邑芝一。・。・窪ω。ぎε と呼ばず

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に﹁統計的結果学﹂と呼ぶのは、独立の社会科学としての存在権利に対する諸家の異論にかんがみ﹁ひかえめな種々なる 解釈をゆるす名称﹂をとるのが適切と考えられるからに外ならない︵ゆ紹隷︷ρもり.認㎝︶。従来の統計的結果学は﹁学者に より学問的目的のためにとらえられた国民の生活関係の学問的叙述であり、 しかもそれのみよりなる﹂ ︵bd①αqま略ρG。■㎝        悼。。︶。叙述に当り﹁統計実務﹂︵の叶簿け一ω梓一ロ自Oゲ① ℃吐9◎姪一④︶の結果を利用するけれども、学者による・学問的目的のための・精製加工 を媒介しなければならなかった。たしかに統計実務の中心をなす官庁統計は立法および行政のために成立したものである         からである。この様に統計的結果学と統計実務とは従来原理的に対立するものであった。ところでこの対立は統計実務の 科学的改良によって消滅した。ここに科学的改良とは一ω統計実務が学問的に有意義な結果の獲得を課題の中に入れ、 この努力を強めること、回統計方法論の指示に出来るだけ忠実となること、である︵ゆ茜Hに︷ρGQ.9ω恥芝冨ω二誤一。。︶。 ﹁これは一方では吾々の眼前に進行する歴史的過程であり、他方では要請である﹂︵薯昼ω二悼ひ︶。﹁いまや統計的結果学は 統計実務に対する限界づけを根本的に変えることによってこれをより広い基礎の上にすえねばならぬ﹂ ︵切・α・まhρω.詔 。︶。 かくして統.計実務に対する関係の如何によって統計的結果学にぱ狭義のそれ一と広義のそれとの区別が生ずる。 ﹁広義の結果学﹂は﹁官庁統計︵およびその他の統計実務︶の科学的に有意義な結果をも含めて一iたとい学者によって特別 の科学的加工が行われなくとも・一すべての科学的に有意義な統計的結果の総体である﹂︵切①σq村坤h協Φ■ ω曾 α卜⊃O︶。  ﹁広義の統計的結果学﹂は明かに﹁実体科学としての統計学﹂を志向する。ただしこの志向は﹁実体科学として統計        学﹂の﹁原型﹂ロマイヤー統計学におけるように対象的特殊性︵﹁社会的集国現象﹂︶と方法的特殊性︵﹁悉皆大量観察﹂︶に       基礎をおくのではなく、認識目標︵11認識結果︶の特殊性による。所説は云っているi﹁固有の一般的認識目標と結果 の特有性が独自の社会科学としての統計学のための論証である﹂と︵しd①σq議︷ρψ♂ご≦箆ω二ω一︶。統計学だけが社会的 集団現象を対象とする訳ではなく、他の社会科学もこれを研究する。統計学は第一に﹁社会的集団をその大ぎさと構造に      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近      二七

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     続計学の学問的性質への一つの歴史的接近       二八 したがって、また相互関係において数的に特徴づける。特にこの場合一般的︵恒常的︶原因の結果を表現するL︵bdΦσq議困p ♂一⋮芝すω.δ一︶Q第二に社会的個別科学が社会的集団現象を或は経済学的に或は入口学的に等々とらえるのに対して統 計学はあらゆる方向より統一的に研究する︵bd①管ゑρQり.αω二芝すG。。一ω一1悼︶。i﹁実体科学としての統計学﹂の認識目 標によるこの基礎づけはマイヤーの対象的視角と方法的視角による二元的基礎づけに対して一元的な性質をもっている。  ところで統計的結果と呼ばれるものは、ジージェックにおいては、事実の単なる確是から規則性および法則までを含む。 統計的結果学はしたがって、事実の単なる確定の集積に終らないで規則性および法則にまで進まねばならぬ。この観点に おいてジージェックはチュプロフ︵︸目。。跨巷δ≦︶がリッケルト︵麦藁Φ5的科学分類原理にしたがって統計学を個別化        的科学︵。三。δαqぎげ︶とするのに反対した。また実際に、統計的結果学を材料の単なる複合に終らせないで独立の社会科 学たらしめるものが規則性および法則の研究による統計的結果の綜合であることが指摘され、これを内容とする﹁統計的 結果学﹂の﹁一般的部分﹂の形成の必要が主張されている。しかし他方において﹁事実の単なる確定も科学的意識を有する し﹂これと規則性および法則の研究との間には厳格な境界がなく︵∩甲同目隠餌村一ωωりω・ゆ悼一︶、規則性および法則も記述的性格し      かもたぬ。広義の統計的結果学は、かくして、﹁記述的﹂より﹁説明的﹂へ自己を高めるよりはむしろ逆に﹁説明的﹂よ り﹁記述的﹂へと自己を低める方向にある。ドイツ社会統計学が一現実には事実の単なる確定の彪大な集積に終ったと しても一規則性および法則の追求を志向して成立したことを想起するとぎ、大きな後退を意味しないであろうか。  統計的結果学の広義化、統計実務の結果の総括はこの嫌な﹁説明的﹂より﹁記述的﹂ への方向、1事実の単なる確 定への傾斜1において認識目標を前﹁面的におし出して行われた。統計的結果学のこの基礎づけは、統計方法論による統         計実務の科学的改良の裏付けと相まって、年来の困難な問題一統計方法は如何なる理由によって社会的集団現象の学問 11﹁実体科学としての統計学﹂の方法となり得るか、また統計実務は如何なる根拠によって社会的集団現象の学問に材料

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      、駕 を提供し得るかtに一つの解決の基礎を与えるものである。  しかし同時に統計実務への依拠は﹁実体科学としての統計学﹂の運命に関して新しい問題を準備せずにはおかなかっ た。ドイツにおける国家的統一の立おくれによる官庁統計の整備不十分に対処して、民族的規模における統一的数量的社 会像を形成することを社会的課題として生れた﹁実体科学としての統計学﹂が、官庁統計の整備充実にともなって解消す べきことは当然であった。ジージェックにおける統計的結果学の広義化は、この解消を防ぎ再生させようとするものであ る。果してこのことは可能であったであろうか。広義の統計的結果学は統計実務そのものであり、統計的結果学の広義化 は実は﹂実体科学としての統計学しの統計実務への解消でしがなかったのである。ジージェックの統計的結果学は官庁統 計の整備にともなう﹁実体科学としての統計学﹂の解消の保守的観念への反映と云うべきであるか一。  では他方において﹁実体科学として統計学﹂が社会的個別科学の実証化に応じて解体される側面はジージェックにおい て如何に受けとめられたであろうか。 ﹁実体科学としての統計学﹂を広義の統計的結果学として構想する限りにおいては それはさほど大きく影響しなかったが、その構想を現実化するに当っては強く制約したのである。所説によれば、祉会的 個別科学の分化に照応して統計学は分裂し個別科学に吸牧される傾向がつよいし、また現実に成立している統計的結果 は統計の個別部門の結果の単なる複合であって学問的統一を欠く。学問的統一のためには、前述の二般的部分L− ﹁統計的に証明された一般的な面会的発展傾向および諸種の社会現象間の因果関係の特殊な導出による統計の全個別部門 の総合﹂一を形成しなければなちぬ。しかし今日ではただ繭芽が存在するだけである。かくして、 ﹁統計学の現状から すると、統計的結果学が独立の統計的社会科学であるかどうかの問題の判定は現実には困難である﹂︵bd①σq二一ρω。巳駅 芝βω・δp︶。一統計的結果学が﹁独立の社会科学﹂として存在する権利の主張はここに断念されるのである。その代りに 大学教科として統計的結果学が現れる。﹃綱要﹄は教科としての統計的結果学を主張する︵Q。る旨︶。﹁実体科学としての統      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       二九

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,      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       三〇 計学Lは、ジージェックにおいて、この方向からも換骨奪胎されているのである。以上要するに、ジージ。ックは、 ﹁実 体科学としての統計学﹂に関する限りその擁護者であった。しかも﹁実体科学としての統計学﹂の分解に対して目を蔽う ことが出来なかった。 ﹁統計的結果学の広義化﹂によって、 ﹁実体科学としての統計学﹂を再生しようと試みた。しかし この試みは斯学の換.骨奪胎であり、 ﹁実体科学としての統計学﹂の解消を意味するに過ぎなかったのである。  ①ジージェックは﹁統計実務﹂︵の漉け一国。。o冨勺差油ω︶を㌔統計方法の実際の使用しとし、。。δo島ω↓冨。ゲ①国¢口曾とも云い−かえている。   所説によると、統計実務は、﹁統計方法そのもの﹂・﹁学問としての統計学﹂と共にω畠叶一ω賦犀の一範購をなす。﹁太初に行いありき﹂   −1統計実務は﹁学問としての統計学﹂とくに統計方法論より古い。 なおジーシェックは統計実務をきαqΦ零音響ω審蜂ω叶節或は   O冨犀怠の。げのOD富島。。詠閃とは呼ばぬことを注意している︵切①σqユ臣Pω.αロド︶。  ②O・ζ⇔貿・ω聾韓節二巳Ω①ω巴﹃昏昧叶巴Φぼρ固︸日げ8お口ω。ず①ω富誘鼠F悼︾亀ピお蚕ω.⊆。ご大橋隆憲訳﹃統計学の本質と方   法﹄・昭和一八年︵一九四三年︶ ・小島書店刊・七九−八○頁。  ③目ω。冨ゴ○建p臣ΦαQ§σq鎚Φ同ω蜜蔚瓜犀二8ρω二刈。。◎  ④ζ亀がPPO‘ω.2.大橋訳・前掲書・八O一一頁。  ⑤簿日の畠q箕。ミ︸ω聾韓障髄﹃芝㎞。。ωΦ塁三界∬︾溝﹃州.Qo§巴ヨFωo臥巴や8ゆ負一89いひ亀塗亀これに対するジージェック   の批判はN冒oF竃ΦぼΦ昌囚葺涛Φ屋一p.POこω.悼=.  ⑥N冒①﹃ぎ象く箆舞=豊。。。冨¢巳囚。二①葬ヨω静。げ①望践ω口Fω鼻聾冨。冨ζ8象ω。ぼ罵∬お臼αq■2●閏●=o蚕ω.望lP  ⑦蜷川虎三﹃統計利用に於ける基本問題﹄前掲・一四〇−二頁。高岡周夫﹃マイヤーの実質的統計学﹄・経済論集︵北海学園大   学︶・第二号・.昭和二九年︵一九五四年︶・二一七頁以下。 ’      、 ミ  統計方法論︵ωけP叶一〇ゆδ一ωOげ① 竃①ユPO貸ゆ昌一Φげ同①︶は、﹁統計方法そのものおよびこの方法が学問および実務の種々なる領域におけ る実際の応用にあたってとる諸種の形態を研究し、併せて正しい統計方法の規則を立てる﹂ことを課題とする。さて、統計

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方法論は二つの方向をとる。一つは、﹁すべての統計的研究方法に共通するもの﹂を規定する一般統計方法論︵臣αq①日9幕 。・ ッ幾ω牙。冨ζΦ爵亀逐一Φ冨①︶と、 ﹁統計の個々の部門の方法的特殊性を研究する﹂特殊統計方法論︵。・隔N邑δ段銭段。。。プΦ ζo曄。締巳Φ年の︶、これである︵buΦαq蔽帖ρω.認ごρ§農ω。・あ.ひlc。︶。        ゆ  先ず一般統計方法論から始めよう。筆者は既に別宴で一般統計方法論の課題と方法に関するジージェックの所説を問題        にした。詳細はこれを参照されたい。一般統計方法論は個々の応用領域における統計方法の特殊的実体的問題を捨象し、 すべての応用領域に通用しすべての応用対象に妥当する統計方法の原則的な方法構造を研究する。一般統計方法論はかく して一般的形式的性格をもつ︵ζΦ爵&①巳Φ迂ρψひお︶。 しかしこの一般的形式的性格は統計実務の雑多な方法的過程の形 式的共通性を観念的に規定するところに成立するのではない。志向するものは、現実の統計実務の雑多性をつらぬく本源 的な統一性一﹁方法の本質﹂iであり、﹁方法は目標に向けて定められた手続である﹂︵竃。跨。号巳Φ冨ρω・ひま︶と云 う意識において、前提された一定形式の認識に合目的的に導く構造をもった手続的装置  これに適合する形式の認識が 求められるときには常に有効に働き、しかも個々の場合における実体的性質に順応させることが出来る  が問題にな         る。この装置の構造と操作法の規定が一般統計方法論の課題となった。  この見地の基礎をなすものは、社会的実践的部面と学問領域における統計の応用の発展である。立法および行政におけ る統計の使用が拡大されるとともに企業において統計が用いられ出した。多くの杜会的個別科学に統計方法が浸透した。 自然科学的部面、特に生物学・気象学等において統計方法の応用が発展した。ジージェックはこの様な事態を極めて敏活 に一般統計方法論に反映させたのである。一般統計方法論はいまや自立させられる。  ジージェックは先ず一般統計方法論を﹁実体科学としての統計学﹂の枠より解放する。所説によると一一般統計方法 論と統計的結果の関係は非常にゆるいものである。前者は後者の必要から生じたものではなく、また後者との関係におい      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       ゴコ 9

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     統計学の学問的性質への一つの歴史的接近      三二 て発達したものでもない。この関係は今後も変りがないであろう︵bd①びQ中隔ρω愚鷲︶。解放された一般統計方法論はいまや 立法。行政および経営における統計実務に関与するとともに二会学童科学に関係してその方法論的補助学となる。この勢 は自然研究にまでおよぶ筈である。かくてジージェックは社会および自然を通じての統計方法の学として一般統計方法論 を成立させ6のであろうか。そうはさせなかったのである。  ジージェックの志向する一般統計方法論は﹁社会科学的に方向づけられた一般統計方法論﹂︵○讐巳旨。・︺Q。・ごbd①αq臨隔暁ρ ω愚ω㎝︶である。一般統計方法論の社会科学的領域へのこの限定は如何なる理由によるか。問題はすでにマイヤー等の時 代にもあった。しかし当時リューメリン︵ρ男工BΦぎ弘。。ヨー。。o︶によって謹かに指摘されただけで現実化しなかったこの        問題はジージェックにおいては切迫した意味をもって来るのである。所説によると、自然科学的領域における統計方法と 杜会科学的領域における統計方法とは、同一の原理によるけれども、社会科学的領域における統計家の関心は自然科学的 領域における統計方法の使用者の関心とは著しく相異る。例えば人口の調査の最もよい方法、行政官庁の記録の第二義統 計的利用、官庁統計制度等は社会科学的統計において大きな一般的な意義をもつものであるが、自然科学的領域における 統計方法の使用者には殆ど意味をもたぬ﹂。 かくしてジージェックは﹁特殊な関心圏による分化が正当である﹂として社        会科学的領域に限定して一般統計方法論を構成するのである。社会科学的領域に一般統計方法論の構成を特に限定する理 由は、この領域における統計方法の応用に附随する技術的特殊問題による便宜的なものと見なければならぬ。問題の解決 はこれで十分であろうか。  一般統計方法論が、統計方法をそのあらゆる応用領域および応用事例の実体的問題を捨象して一般的にとり上げるのに 対して、特殊統計方法論はージージェックの所説によるトと一統計方法の個々の応用領域の方法的特殊性を対象とす る。一般統計方法論が形式的下棚をもつのに対して、特殊統計方法論は、一定の集団とこれに関する実体的問題にしたが

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って実体的目標を設定し、これを実現するための特殊な方法を研究する。それゆえに特殊統計方法論は特殊的実体的性格 ︵。。も亀亀2§鎚ヨ器同芭一費9母欝§︶をもつ︵ζΦ夢。号巳Φ年ρω幽ひ宝一㎝︶ ,  特殊統計方法論は︷般統計方法論に対して競争的関係にあるのではない。特殊統計方法論に対して一般統計方法論のすべての定理 が既知のもの、既に与えられたものとして妥当する。更にそれだけではなく、一般統計方法論は特殊統計方法論の問題の取扱いに統 ︸的な基礎と基準を与える。特殊統計方法論は、かくして一般統計方法論の原則および範疇の応用であり、一般統計方法論を総論と すれば特殊統計方法論は各論に当る︵O讐昌黛酌ωpω﹂<︶。 またこの関係において特殊統計方法論は統計の各個別部門の特殊方法論 を綜合した統一的体系を構成することが出来る。      ’  特殊統計方法論の存在の必要をジージェックは実際の統計的研究を場としで論証している。所説によると一実際の統計的研究で は、研究目標の規定は社会科学から、方法の確定は一般統計方法論から出発する。しかし社会科学と一般統計方法論とを合一させて 共通の活動にすること、また如何に合一して共通的活動とするかは特殊統計方法論固有の仕事であると︵竃Φ夢。伽Φ巳。訂ρψひ。。O︶。  ジージェックは特殊統計方法論と統計的結果学との間にただゆるい関係しか認めない。特殊統計方法論は統計の各個の部門に対す る研究目標の精査分類を行うときに続計利用者が如何なる知識を統計に求めるかを配慮する。その際続計的結果学の需要をとりあげ るけれども、この需要は個別的社会科学の需要の↓種の総括に過ぎぬ。しかも特殊置酒方法論は統計的結果学に材料を提供する最適 の方法を規定するためにのみ存在するのではない一1これがジージェックの所論である︵切①αqまhpω﹄と︶。では特殊統計方法論は 何のために存在するか。所説によると、それが緊密な関係をもつのは何よりも統計実務である。官庁漁業の発達と特殊統計方法論の 展開とは不可分の関係にある︵じご①轡q匡氏ρω.㎝巽︶。 ①拙稿コ般統計方法論の課題と方法﹄彦根論叢・第四八U四九号・昭和三三年︵一九五八年︶・一三五一四九頁。杉栄﹃理論統計  学研究﹄・昭和十五年︵一九四〇年︶・立命館出版部門・二九三−三一八頁。 ② 前掲拙稿・一三頁−四九頁。

③前掲拙稿・一四六頁。      

、 ④ρ田口旨Φ=戸N霞↓冨。は①偶霞ωけβ。冴江ぎ”&露二巳︾践墨“①=。。謡⋮QQ侍蝕。。鉱犀”6っ。ぎ巳①おω国国民99ユΦ目勺。=蔚9露  OΦ犀。づ。生す一﹀島H蕊。。P拙稿﹃リューメリンにおける統計学の構造と性格﹄・彦根論叢・第二〇号・昭和二九年︵一九五二年︶ 統計学の学問的性質への一つの歴史的接近 三三

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    続計学の学問的性質への一つの歴史的接近      三四     、  ・八:九頁。ζ錯が鱒即○こGo﹄ド前掲訳書・八一頁。マイヤーについてはコ形式的意味における統計︵統計方法︶﹂の規定参照。 ⑤Nに。搾五罪ロ曾悪筆節①昌一︾=σq.ω什.︾暮こ点しd息二雨露Pなお所説によると﹁一般統計方法論は或段階においては自然および社  会を含む統計方法を対象とする科学方法論であったが、をの後、 ﹁分化﹂が生じ、今日では社会的諸個別科学の方法論的補助学なら  びに実際的目的のための社会の統計的研究の手段を提示す‘る万法論的科学となったL ︵9.POこQQ●pOいO窪昌匹ほωω.のひ一刈い  bdo瞼ユ龍Pωひ深i伊︶。 四  以上において問題にした統計的結果学、一般統計方法論および特殊統計方法論の三者は根本的に相異った方向をとる。 これらは結合して一つの統一的な学問を構成することが出来るであろうか。遺稿はこの問題に解答を与えている。  統一的な統計的総体科学を形成しようとするすき、先づ第一に試みられることは統.計的結果学を主体とし、これに統計         方法論を加える構成である。この場合統計方法論は、学問的に価値のある統計的結果獲得のために出来るだけよい手毅を 形成すると云う課題を与えられる。しかし統計的結果学の学問的独立性には異論があるし、両方法論は学問的な統計的研 究のためにのみあるわけでなく、あらゆる統計的研究の手続、特に行政および経営のための凡ゆる統計的研究のための手 続をとり扱う。一般統計方法論は自然科学的領域における統計方法の応用をも志向する傾向がある。かくしてジージェッ クは三方向が研究領域の限定において﹁似合いの仲闇﹂でないとし、この理由により統一的な学問を形成することが出来 ぬと断定する︵ゆ①αq睦hpω’㎝お︶。統計学はジージェックにおいてもはや一つの統一的な学問として現れないのである。  しかし統計学の統一の断念は、上記の所説によっても明かなように、いわゆる﹁学問としての統計学﹂の三つの方向を ともに活かしてゆこうとするところがら生ずる。問題は統計方法論が自立性の獲得と自己運動の開始により従来の体系的 統一をうち破ったことをみとめながら、他方において﹁実体科学としての統計学﹂“統計的結果学の存在を維持しようと

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するところにある。後者を切りすてることによって続︺を反復することが出来ないのであろうか。ジージェック自身も一 般統計方法論と特殊統計方法論とは、統計方法論として特殊な統一を形成することを指摘しているし、また常にこの統一 を志向しつづけた。しかし統計方法論だけで統計学を形成することは統計学を﹁形式科学としての統計学﹂に帰着させる こととなるであろう。ジージェックは問題をこの方向に解決することをしなかった。ジージェックの途は学問としての統 一の欠如をそのままにしておいて別個に﹁教科としての統計学﹂︵︼︶⇔ωい“ωけ月島一Φ昌ーロコ傷Hじ①げ目粘⇔Oげ ωけ血染ら自証犀ご︶を形成すること であったのである。  所説は云う一1学問としての統計学の分裂状態は、吾々をして経済学および社会科学の学生の大学統計教育の目的のために一つの 特殊な教科を構成する必要を生ぜしめる。11所説によれば、行政、経営および社会科学的研究のために統計知識の必要は増大して おり、これに応ずるために計画的組織的な教育が不可欠的となっている。しかもこの教育は統一的な教科の形成なしに有効に行うこ とが出来ぬ。教科の構成と限界は教育目的から定めらるべきであって、内容としては経済学・社会政策および経営に必要なものがも         られるべきである。具体的には統計学の三つの方向が、基礎として採用されねばならぬ。この場合、考慮されるべきものは人間社会 生活の統計的研究に限られる。かくしていま一つ統計学のより広い概念が成立する︵bゴ㊦讐肇ρω.騒ω︶。  ﹃教科としての統計学しの内容構成を遺稿は次のように規定七ている︵しdΦαq濠臨ρω.望ω1み︶。 これは﹃成立﹄におけるそれと変 りがない︵芝凶ρω.一⊆、ω︶。  ﹁第↓部・一般統計方法論﹂  ﹁第二部・応用統計学または実際統計学﹂ ︵磐σqΦ場碧舞①ω叶簿一ω鈴吋。住①同づ屋犀口。。o﹃Φω$島の部犀︶  第二部は、人口統計論、経済統計論︵国民経済統計論の意味における︶、 経営経済統計論、道徳統計論、教育統計論、政治統計論 ︵後の三者はしばしば文化統計論にまとめられる︶に章別される。章別された個々の部門においては、特殊統計方法論と統計的結        ③ 果とか取扱われる。  この言成は、たしかにジージ.一ソクも云うように﹁教育目的からする明快な輪郭と論理的な編成をもつ統↓﹂を示す。それはそれ       ④ として、この構成を見るに、従前のコ実体科学としての統計学しの構成とは著しく相異なっている。統計的結果学はもはや全体を容    統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       三五

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   統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       三六 れる枠でではなく、コ応用統計学しの一構成要素にすぎぬーーただし統計方法論に作用してこれを分断し特殊統計方法論と統一を形 成するだけの力を残しているーーのに対して、一般統計方法論は体系的地位を高めている。特殊続航方法論は一般統計方法論の特殊 化であり、統計的結果は応用結果である。︿﹂般統計方法論iI特殊統計方法論1i統計的結果学﹀の関係において︸般統計方法論 の主導性が確立されている︵前に記した、統計的結果学の吸引分断と云う制約があるが︶ 教科としての統計学とその構成はジージエックの統計学観の結晶と養うべきであろう。 ③ マイヤーは学問的統計学の構成を次の如く記している一i﹁統計科学の全領域は理論の部と実用の部とに分かたれる﹂。コ理論の部  は主として、統計学の知識領域を限定し、その一般的基礎を規定し、その方法と技術とを説明せんとするものである。さらには、統  計と公的行政との関係に関する研究、ならびに統計史および学史についての考察もまたこれに属する⋮⋮⋮。L﹁統計科学の実用の部  は、社会生活の集団的観察の領城における実質的な科学的業績の全体をも包含するものである。﹂﹁実際統計学﹂、これであって、その  ﹁体系は人口統計論︵民勢学︶、道徳統計論、教育統計論、経済統計論、政治統計論の五部から成る。﹂ ︵oQ$静江犀βづ山ΩΦu。9尻。﹃p節甲  一①ぼρ押↓げΦO冨叶駐。げ①ω蜜瓜ω氏ぎP︾象︸■ω■8刈大橋訳・前掲書・四九二一三頁︶。 ② 個々についてみるに、第一に経済学的・社会科学的研究のための方法に限定して一般統計方法論を、第二に特殊統計方法論として、  単に学問的研究のためだけでなく行政および経営にとって重要な問題の解明に役立つ方法をーー。第三に、統計的結果に関しては、  学問的に重要な結果が考慮されねぼならぬが、更にーーたとい学問的に意義がなくとも一i立法、行政および経営上の問題の理解の  ために必要なすべての結果も配慮されねばならぬ。 ︵じdΦαqま剛ρQり望ω︶。 ③ジージェソクは﹃私の批判者へ﹄において統計学の理想的構成をコ、一般統計方法論、二、実体統計学の一般的部分︵今日では  ま.だこれがない︶、三、特殊的部分すなわち個別部門の方法と結果﹂としている︵ζΦご①国旨岸興炉鋤.艶○こω■巴O︶。 五 統計学の学問的性質についてジージェックの所論の特徴は何処にあるのであろうか。 ’ 先づ第一にあげねばならぬことは、 ﹁実体科学としての続計学﹂への執着である。この執着は広義の統計納結果学の、王

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張となって現れたαところで広義の統計的結果学は、 ユ実体科学としての統計学しの旧形態11、狭義の統計的結果学しの 解体を救う役割をもたされたのであるが、実はそれの換骨奪胎であり解消でしがなかったのである。  第ごに﹁形式科学としての統計学﹂への志向である。統計方法論、特に一般統計方法論に高い地位をあたえると共にそ れを﹁実体科学としての統計学﹂への従属より解放して自立的運動を許した。  第三にジージェックの統計学にはこの様に二つの契機が矛盾的に併存する。それぞれの自立性によって統計学の全体的 統一は断念されている。  ﹁実体科学としての統計学﹂と﹁形式科学としての統計学﹂の二契機の矛盾的併存状態は、煙る学者をしてジージェッ        クを実体科学論者として評価させ、或る学者をして反対に方法論者として評価さぜる原因となった。論者は矛盾的に併存 する二契機の一方だけを一面的にとらえているぎらいがある。綜合的にとらえるならば、ジージェックは実体科学論者で もあれば方法論者でもあると云うべぎであろう。ただしこのことを前提してジージェックを方法論者とするのであれば、 筆老はこれを承認しよう。まさにジージェックにおいては形式科学的契機が優位をしめているのである。しかしより適切 には﹁実体科学としての統計学﹂より﹁形式科学としての統計学﹂への過渡を形成すると云うべぎであろう。両契機の矛 盾的併存、形式科学的契機の優位はこの過渡的性質を代弁するものである。  ﹁実体科学としての統計学﹂は社会過程の量的側面の研究を独立の社会科学として行おうとするものである。この場合 研究の方法ないし手段として統計方法がとられるところがら、また統計方法の適用対象が集団現象であるところがら、統 計方法によって得られる人間社会の集団現象に関する知識の総体が統計学を構成すると主張される。現実には諸種の形態 があるが、ここでは詳細に立入らない。ジージェックは、既に述べた様に、認識目標に視点をすえて、杜会的集団現象を 数的に全面的にとらえるものとした。iところでジージェックにおいて﹁実体科学としての統計学﹂が清算をさまたげ      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近      三七 a

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     統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       三八 られたのは何によるのであろうか。  一般に量は質を前提する。質と密接につながっているばかりでなく、質によって存在を可能にされており、量の増減変 化の原因および起動力は量の中になく質の中に存在する。かくして量的把握は質的把握を前提してなされねばならないの であって、事物の科学的規定は質的把握において可能となり量的駅亭は副次的従属的な意義しか持たぬ。ところで量的把 握の適用は、質が簡単であればあるほど広範であるが、質が複雑となればなるほど制約されて来る。社会的過程は自然現 象に比して質的に複雑であり、質と量の関係は緊密であるから、量的把握の適用には大きな制約が加わって来る。従って 量的把握11統計方法は社会科学的領域では独立的完結的な研究方法を構成しえないのである。量的把握が質的把握に従属 する限り、量的把握U統計の結果は質的把握の結果に従属させつつ、社会的個別科学に帰属せしめねばならぬ。統計的結果の 総括によって一つの科学を形成しようとする試みは、量的把握の質的把握への従属、および独立的完結的な研究方法構成 の不可能性を無視するものである。このことの正しい認識は、対象口社会的過程における質および量の存在形態および相 互蘭係の正しい把握によって、換言すれば対象を基準として量的把握”統計をとらえることによって始めて可能となる。 ジージェックは認識目標を規定するに当って対象から出発しなかった。社会的集団現象の数的把握と云う場合、数的把握 が如何にして集団現象から由来するかを究明しなかった。認識目標の規定の際における対象からのまさにこの距離が量的 把握の限定された意義を正しく認識させずこれを過大視させて﹁実体科学としての統計学﹂の主張に導いたのである。 ﹁実体科学としての統計学﹂は一見対象の重視の様に見えるけれども実は逆に対象の軽視の上に成立するのである。  ﹁形式科学としての統計学﹂の見解は、統計方法論として統計学を構想し、統計方法によって得られる結果はそれぞれ の社会的個別科学に帰属するものとする。この見地の成立は明かに黒具科学的個別部門において統計方法の応用が進んだ こと、したがって、統計方法が一部門に局限されないで多くの部門においてその部門の性質に闘係なく研疵手段として存

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立しうること、すなわち統計方法の自立性を条件とする。しかしここに云う自立性は相対的なものでしかない。統計方法 は対象との関係においてのみ成立する。方法的構造およびその展開は対象によって基本的に規定されているのである。こ の意味において自立性は矛盾にみちたものである。このことをジージェックは必ずしも充分かつ正しくとらえていたとは 云々ない。それは統計方法を単なる﹁手穀﹂と見たことによく現れている。既に見たように、ジージェックにおいては、 方法は目標に向けて定められた手順であった。目標が方法を規定するのであって、方法を規定するものは基本的には対象 ではなかったのである。尤も目標は意識に反映された一内在化された∼対象であるから目標を重視することは対象を 重視することであるかも知れぬ。しかし意識に反眼される過程において対象は既に抽象化され加工変形されている。目標 を重視することは内在化によって対象を切りすてることを意味する。  さて目標1一﹁内在化された対象﹂から出発することによって一般統計方法論は肖る程度の成果をあげた。別稿で指摘し      たように、ジージェックは統計方法の論理的構造の規定に大ぎな進歩をもたらした。﹁四基本概念の理論﹂︵↓げ8旨く8 ≦臼①馨ω。冨筐Φ巳魯切①σqH峯9︶は調査単位、調査標識、群および表示を論理的範躊として確立した。統計調査論を新しく編 成してゆたかな内容を与えるとともに、統計利用論の新しい展開を開始した。内在化された対象からの出発はたしかに統 計方法の論理訴構造を規定するのに当って困難を少くし可成の成果をもたらす途であった。しかし成果には限界があっ        たのである。これに就ての詳細な論証は別稿にまたねばならぬが、要点を指摘すると、先づ第一に、統計方法に必然性を あたえることが出来なかった。合目標性をもつ結果の獲得のための方法的指示を与えることは出来たが、客観性をもつ結 果の獲得のための方法的指示を与えることは出来なかった。第ごに、目標定立の過程を方法化することが出来ぬだけでな く、この過程を方法より除外した。方法の貧困化と云うべきである。総じて統計方法は立法、行政、経営および科学の要 求する統計的結果を無批判的に前提し、これを適確に提供する装置となり、統計学はこの装置の構造の設計と操作法に転      統計学の学問的性質への一つの歴史的接近       三九

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     続計学の学問的性質への一つの歴史的接近       、   四〇 化したのである。  第三に対象から見て必然性のない目標規定や過大抽象された目標規定が用意され、これにもとづい て装置の構造が規定される可能性も存在するのである。自然科学的領域における統計方法と社会科学的領域における統計 方法との既述の原理的同一も、要するに、過大抽象された目標規定より導き出された。数理統計学的成果の過剰導入の危 険も存在する。  以上にあげた諸欠陥はジージェックの統計学の基本的な限界を構成する。しかも吾々はこれらの諸欠陥がジージェック 以後のドイツ社会統計学において或は現実化し或は拡大して斯学の基本的な限界と欠陥を構成するのを見る。  ところで、ジージェックにおける上述の諸欠陥は克服することが出来ぬものであろうか。欠陥は﹁形式科学としての統 計学﹂そのものから来る不可避のものであろうか。しかし吾々は結論を急いではならぬ。問題はむしろ内在化による対象 の切捨から由来する。したがってジージェックの方法論函立場の枠内では克服は望むべくもないけれども、他に克服の途 は存在するのである。それは内在化されることによって切捨てられた対象を復活することである。目標重視を対象重視に 切りかえることである。方法に対する対象の規定性を尊重することである。しかしこのことは﹁実体科学としての統計 学﹂に復帰することとはならないであろうか。決してそうでない。 ﹁実体科学としての統計学﹂はたしかに統計方法を対 象に従属させたが、この従属は外的従属でしかなく、対象と方法との間に必然的関係を打ちたてることが出来なかった。 社会科学的認識における統計方決の意義︵限定的・非独立的意義  前述︶を正しくとらえ、しかして統計方法における 対象と方法との必然的関係を打ち立てるには﹁形式科学としての統計学﹂より外にない。しかも斯学の構成は、対象の重 視、その規定性の尊重によって、したがって、先ず対象を本質的にとらえ、これにおいて質と量の関係、量の構造と運動 形式を正しくとらえ、これを方法化する方向においてなされねばならぬ。統計学においても方法はまさに﹁対象の魂しな のである。

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 ヅージェックは統計学を形式科学に方向づけることによって正しい途を歩んだ。しかしこの過程に癒いて多大なる欠陥 を背負いこんだ。ジージェックにおける統計学の学問的性質の問題は﹁社会科学的領域における統計学﹂のあるべき姿に ついて多くのことを教えてくれるのである。 ①例えばウィンクラー︵ぐぐ一.ノ<一昌犀一〇H︶はジージェックを実体科学論者とする︵≦言匡①議bO①ω鷺①畠自αq︿opN齢①器切欲。ぴΦがNΦ︷学  ωo耳■︷・<o貯ω毛●蒋ωo臥巴やZ.国命ゆ臨こ一露ド︶ のに対して、ゾィテマン︵ω①葺Φ三舞昌︶は方法論者としている︵ω2冨ヨp⇔P  N冨①犀qp旧位9。。・ぐ弔①ωΦ昌島霞ω冨島ωユ劉∪Φ箕﹁ωρN①コ霞毘巳・区︸σq.層お魅・︶ 吾が国においても学者の判断は栢異なっている。⋮蜷川  博士は実体科学論者とされる︵前掲・﹃統計学硯究﹄・二四頁︶のに対して、岡崎博士は﹁統計学をもって方法学であると云う見解  を堅持した﹂とされる︵﹃統計学辞典﹄・増補版・昭和三二年︵一九五七年︶・東洋経済新報社・八四一頁︹伝記︺︶。 ②拙稿﹃ジージェックの四基本概念の理論について﹄・彦根論叢・第三四号・昭和=二年︵一九五六年︶。 ③ 前掲拙稿の外に﹃一般統計方法論の課題と方法﹄・彦根論叢・第四八日四九号・︵前掲y・昭和三三年︵一九五八年︶ 一四七・八  頁。 ﹃ジージェック統計数獲得方法論分析序説﹄彦根論叢・第三七号・昭和三二年︵一九五七年︶二〇1三六頁、 ﹃ジージェンク統  計数獲得方法論分析﹄・彦根論叢・第四〇号・昭和三二年︵一九五七年︶・二一i三八頁、 ﹃統計比較論﹄・彦根論叢・第五二号・  昭和三四年︵一九五九年︶、一九一三九頁。 ◎ 穐 続計学の学問的性質への一つの歴史的接近、 四一

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