ペスタロッチーの道徳教育の「方法(メトーデ)」 : 『シュタンツだより』における「三段階論」の検討
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(2) 甲南 女子大学研究紀要第 42号 ^人 間科学編 (2006年 3月. 脱神話化研究 の先鋒 エ ルカースはこれ に異 を となえ. ). される。 」 (S。 129)― が展開 されて い る. (小. 野寺 2003. て,道 徳的 自律 を文字通 り個人の主体的 ・ 自己準拠的. 年 ,22-31頁. な決断つ まり自己創造 の事柄 と捉 え,自 己創造 たる道. 下,本 性矛盾 と略す)と は 『探究』の 主題 つ ま り 著者 ペ ス タロ ッチ ー によつて設定 された 目標 で あ る. 徳的 自律. (道 徳性 )が 教育 による他律的な成果 として. )。. 「人 間本性 にあ る と思 わ れ る 矛 盾」. (以. のスキャンダルとして暴露す る (Oelkers,s.35∬ 。 )。. が,概 念 としては,自 然法論 の 自然 ・社会状態 シェー マ を吸収 ・変形す る 『探究』 の三状態論 (自 然 ・社会. 『探究』 をめ ぐる この ような新旧二 つ の解釈 ,と りわ. ・道徳的状態)の 「入れ子」構造 か ら了解 され る。. 論 じられるパ ラ ドックス を『探究』由来の近代教育学. けエ ルカースによるスキャングル批半Jか ら浮上するの. 「入れ子」 とはすなわち,① 人類発展 の三 つ の段 階. は,『 探究』人間学 と「方法」開発 との連続性 をめ ぐ. ② 人類発展の第二の位相. ,. (社 会状態 )で 繰 り返 される. る議論 である。道徳的 自律 を文字通 り自己創造 と捉 え. 個体発展 の三つの段階,③ 個体発展 の第二の位相 を生. れば,エ ルカースの場 合,『 探究』 と『シユ タ ンツだ. きる人間. より』以降の「方法」開発 を扱 うテ クス ト群 との思想 的 0理 論的連続 は否定 されなければならないわけであ. い う (SW 12,S.68,124∬ 。 ),① を外枠 に ,126,163∬ 。 して,② ③ の レベ ルが順次組み込 まれる構造である。. る。. 本性矛盾 は「入れ子」 の最 も内側③ の,本 能 0悟 性 ・. もっと も,「 シュプランガー的」通説へ の挑戦 はエ ルカースに始 まった ことではない。実 は早 くもクラフ P′ srα ′ θ キーがその詳細な『シュタンツだより』解釈 “ zz′. (社 会的人間)内 部 の共時的な三つの過程 と. 良心 と言 い換 えられる三つの過程 (S.94,123)に お ける自我 の往復運動 である。 す なわ ち社 会 的 人 間 は「社 会状 態 の 形 成 力」 (S。. θ′ r rκ αθ ソ Jη θ bθ r sθ J′ θA4∫ ′ α′ r ,7t S′ αs 770Jr ι 夕 ψrι ′ “ “ Vκ ′ψ j,1971"の 中で,『 探究』 との連続性 を否定 してい る (Klaki,S.39)。 明示 こそ していないが,あ. 94)た る悟性 を自我 とし,言 語 を用 いて意味づ ける世. るいはエ ルカースはペ スタロッチー神話 を解体する自 らの所論 の 中 に,「 クラフキー的」挑戦 を組み込 んで. れば,こ の逆向 きの内部ベ ク トルの間で繰 り返 される 自我 の 浮 遊 ・動 揺 の 運 動 が 本 性 矛 盾 で あ る (S.. い るのか も知れない。結論的 にい えば,彼 らの非連続. 129)。. ない し断絶 の議論 は 『探究』解釈 の誤 りである。 もっ. 内的 (論 理的)連 関,さ らに言えば本性矛盾 とい う主. と言えばシュプラ ンガーの 『探究』解釈 に対す る反発 で しかない。問題 はその ような議論 か ら生ずるペ スタ. 題 に関わる上の二つの命題 をめ ぐる連関であ る。. ロ ッチーの「方法」 に対す る理解 の離齢 である。私 は. 世界 を表象す る三重 に異 なる見方 にお い て解明 され. かつ てエル カースの場合 につい て考察 した. 野寺. る。 」)は ,本 性矛盾の因果関係 について言明 される。. ュ タン. 本性矛盾 は「三重 に異なる見方」 つ まり世界表象の遠. rθ. 2004年 ,1∼ 3頁 )。 小論 ではクラフキーの. r′. (小. Fシ. ツだより』解釈 に見 られるその ような問題点 を明 らか. 界 を生 きるけれ ども,彼 の内部 では 自我が本能 と良心 の二極 の 間を行 きつ戻 りつ を繰 り返す。『探究』 によ. 『探究』 は全 体 として,こ の本性矛盾 をめ ぐる. まず命題①. (「. 人間本性 にある と思 われる矛盾 は. ,. 近法 に立 つ社会的形成 gesellshattlichc Ausbildung(S.. にする。. 108,129)の 結果 として解明 されるわけである。 ここ. 以下 ,ま ず① 『探究』 の教育概念 を概括 し,② クラ フキーの 『シュタンツだより』解釈 ,と りわけ「道徳. で,社 会的形成すなわち人間の社会化なる概念 をさし あた り,「 社会的存在 としての人 間の形成 ・発達 を促. 教育 の三つの段階」 の解釈 の概要 を述べ る。そ うした. し,社 会へ の適応 ・同化 を促 す人間社会 に固有 な過. 上で,③ クラフキーの解釈 に見 られる「方法」理解 の. 程 ,不 可 欠 な作 用」 (『 現 代 社 会 学 辞 典』有 信 堂. 離齢 な い し歪 みの具体 的 なポ イ ン ト及び,そ れが どの. 1984)と 捉 えるとき,ど うしてその ような固有 で不可. ように して生 じたか につい て明 らか にす る。. 欠なものが本性矛盾 とい う転帰 をとるのか。 『探究』 では動物的 0社 会的 ・道徳的の「真理 と権. 1。. 『探究』 の教育概念. ,. 利」 とい う遠近法的表象につい て言 われる。「真理 と 権利」 とい う概念 は三状態論② の個体発展 の三つの段. 『探究』 では二 つの命題 一 ① 「人間本性 にある と. 階 にかかわる,世 界解釈 と世界支配の権利 をめ ぐる概. 思 われる矛盾 は,世 界 を表象す る三重 に異なる見方に. 念装置 であ り,本 能 ・悟性 ・良心 とい う三 つ の段 階 の. おいて解明 される。 」 (SW 12,S.66,129),② 「人間. それぞれ の 自我 を視点 とす る世界解釈 が真理 と して主. 本性 にあると思われる矛盾 を解消する手段 は,宗 教 の. 張 され ,そ の結 果 と して世 界 の万物 を操作 ・支配す る. 本質が もとづ く情調 と同一の情調 によつてのみ見 いだ. 要求 が 権利 と して正 当化 され る場 合 の遠近法 的表象が.
(3) 小 野寺律夫 三ペ ス タロ ッチ ーの道徳教育 の「方法」. 一対 の概念 として名辞化 したものである (SW 12,S.66. 権利」 はこの場合,前 述 の遠近法 の三重に分かれる第. しか るに この 遠 近 法 に よれ ば,社 会 的 人 間 が. 三の道徳的な表象であ って,こ れは高貴化 で形成 され. 「完成 の不可能 な形成 の 地点 で 自 らを完 成 した と信. る情調 によって感受 される。「真理 と権利 を感受 しや. じ,こ の社会的形成 の地点 に停滞す る」 (S.129)な. す い情調」 の「情調」 とは,共 感 の感情 (好 意)と 自. ら,社 会的な「真理 と権利」 の世界が実在 であ り,あ. 己保存 の感情 (我 欲 )と の調和 ・均衡状態 をい う。共. るいは実在 と言 わない まで も生 きられる世界が一つの. 感 とい う我欲 か ら自由な感 情 (S.100)一 自 らの利害. 完結す る世界 として相互主観的 に信憑 され,道 徳的な. を離 れて他者 を眺める態度様式 に固有な情動 一が主軸. 「真理 と権利」 が諸多 の真理 の一 つ と相対化 されて可. となる調和 であ り,「 友好的で善良 な好意的気分」 (S,. 能である。それ故 ,ニ ーチェと重 なるいわゆる遠近法. 101),「 平和 で善良な好意的情調」 (S.162),「 道徳性. 主義が 「動物的自然 の最 も内部 の感情 を社 会的権利や. が私 の本性 に可能 となる情調」 (S.H8),「 道徳的高. 社会的秩序 のために変調 ・毀損す る人為」 (S.93)す なわち社会化 の存在 ・認識論的前提 であ り,社 会化 は. 貴化 の基礎 とな らなければな らない情調」 (S.H9) 等 と称 される. 遠近法主義 に立つ この ような錯覚 の操作 ,錯 覚 による. 受 しやす い情調」 は命題②. 毀損お よび毀損地点 での停滞 として完結す る。そ して. れる矛盾 を解消す る手段 は,宗 教 の本質が もとづ く情. ここに析出される社会化 の毀損 と停滞 とい う二つの契. 」)に い う 調 と同一の情調 によってのみ見 いだされる。. ff。. )。. 機が,本 性矛盾 を引 き起 こす と考 えられる。. (以 下 ,共 感的情調 )。. 「真理 と権利 を感. (「 人間本性 にある と思 わ. 「同一の情調」 として,こ の情調 によってのみ理性宗. すなわち,毀 損 は人間 を代替可能な部品 に仕 上げる. 教 の本質たる良心が本性矛盾 の解消手段 として感受 さ. 物化特殊化 ,こ れが生 じなければ本性矛盾 は生 じな. れるわけである。. い。 しか しそれは本能. 良心 はここではもはや,先 の三状態論③ にい う社会 的人間の逆向 きの内部ベ ク トルの一方 の極 ではない。. (動 物的自然 )の 快感原貝 Jを. 逆. 手 にとる計略である限 り,そ の無制限の 自由の一時的 しない。本能 は物化特殊化 の現実原則 を不快 システム. ② の個体発展 とい う垂直軸 に見立てられるその第三の 段階の 自我 (自 己)の 当体 である。「私 自身 にお い て. と感知す るや,む しろ中和 されない 自己保存 の感情 の. 私 自身 を裁 き罰 し赦す」評価機能 のみ ならず,遠 近法. 過乗1な ベ ク トル として解発 され,自 我 (悟 性)を 支配 する (S。 95 ff)。 自我 の本能的衝動へ の屈服 ,本 能 と. 主義 を脱 して実在 につ ながる当体 として,自 己立法機. 良心 の間の 自我 の往復運動 は悟性的 自我 自らが意味づ ける社会的権利へ の不誠実 を決定づ けられるわけであ. 「人 間本性 にあると思われる矛盾の解消は道徳性 によ. 留保 を可能 にするにす ぎず,本 能の変容 としては徹底. 能 を担 う (S.39,42,130)。 『探究』 の道徳性すなわち ってのみ可能である。 」 (S.159)と 言明される道徳性. る。 これがすなわち,本 性矛盾 の本質 としての「人間. は,こ のように して立法機能 を担 う良心 による自律. の誤 ちの内面的同一性」 (S.62∬ )で あ り,構 造 とし. 共感的情調 で感受 される良心の法則へ の 自己準拠的 な 一致 をい う。『探究』 は道徳性 の形成 を「道徳的 (内. ての 自我 の往復運動 の収東す る形 である。 停滞 とい う契機 も必要条件 としての原因であ る。停. 的)」 高貴化 と呼 び. ,. (S.H9),共 感的情調 の形成 を目. 滞 は社会的形成 の地点での硬直惰性化 であ り,毀 損 し. 指す 「社会的」高貴化 か ら区別 す る。 しか るに『探. て も自ら完成態 と信 じ停滞す ることがなければ本性矛. 究』 の「教育学的」関心 は後者 の共感的情調 の形成 に. 盾 は生 じない。そ もそ も種 として硬直惰性化が生 じな. あ り,道 徳性 の形成 は「 自己 自身の作品」 として文字. ければイ 固人の社会化 はあ りえない。停滞 は社会化 に先. 通 り,個 人の主体的,自 己準拠的な決断の事柄 であ り. ん じて人類 の文明社会化 の事柄 でなければならない。. (S。. 本性矛盾 はこうして,社 会化 の二 つの契機 の結果 とし. で,教 育学的テ クノロジーに結 びつかない。命題② を. て解明 される。命題① をめ ぐる連関は,本 性矛盾 とい. め ぐる論理的連関のあ らましである。. 106,157),そ れ故 ,他 律 的な教育介入 か ら自由. う社会化 のこのような転帰 ,社 会化 とい う近代社会 を. 以上 ,二 つの命題 か ら『探究』 の主題 をめ ぐる論理. 築 きあげる教育の次元の このようなパ ラ ドックス を易J. 的連関の概要 を追 って見 た。 これか ら明 らかになるの. 扶す るための論理的連関である。. は,教 育概念 の二つの次元 ―社会化 と高貴化 ,及 び高. Vcrcdlungと い う教育 の次元が論 じられ る。高貴化 と. 「道徳的」高貴化 と「社 会的」高 貴化 の二 つ の分節 ― 貴化 である。エ ルカースは道徳的 自律 (道 徳性 )が 他. は「真理 と権利 を感受 しやす い情調」 (S.155,158). 律的な教育 の成果 として論 じられるパ ラ ドックス をペ. の形成 ・発達 を促す作用お よび過程 をい う。「真理 と. ス タロ ッチー由来 の近代教育学 のスキャンダル として. 命題② では,本 性矛盾 を解消す る教育意識,高 貴化.
(4) 甲南女子 大学研究紀 要 第 42号. 人間科学編 (2006年 3月. ). 暴 く。 しか しこれ は今 や ,教 育概 念 の二 つの次元 及 び. る本格的 な試 みであ る。 もっ とも,全 体 的連 関 の理解. 分節 の 認識 に欠 け る結 果 ,共 感 的情 調 とい う『探 究』. はテ クス ト自体 が 「 さまざまな問題領域が 無秩序 の 印. の鍵概念 を析 出 で きなか った こ とに よる誤 りであ る。. 象 を与 える形 で相前後す る思 考 内容」 (Klaki 1971,S。. 共 感 的情 調 の 形 成 が 人 の 手 に よる他 律 的 な教 育 で あ. 42)の ため 困難 を きわめ る仕事 で あ った。 しか しテ ク. り,道 徳性 の形成 は教育 で 変更 で きな い 良心 の 自己決. ス トの 重要性 か ら して ,い ず れ誰 かが試 み なければな. 定 の事柄 で あ る とい う,高 貴化 の二つの 分節 が見 落 と. らな い仕事 で あ り,そ れが クラフキ ー で あ ったわ け で. され るばか りか ,他 律 的 な教育が専 ら毀損 と して の 社. あ る。. クラフキーは「無秩序 の印象 を与 える思考内容」 に. 会化 の 意味 で 用 い られ る教 育概 念 の 混 乱 の 結 果 で あ. ついて,① 時間的順序 で並べ られる個 々の実践的経験. る。. シュタンスの施設では早速,「 真理 と権利 を感受 し. の報告 とこれ らを秩序づ ける体系的な理論 との二つの. やすい好意的情調」「真理 と権利 に対す る確 かな敏感. パースペ クテ イブが,同 時 に しか も互 い に入 り交 じっ. さ」 (SW 13,S.23f。 )の 形成が道徳教育の 目標 とな る。子 どもたちの 日々の欲求の充足,施 設 の「家族. て叙述 されてい ること,加 えて,② 実践 を秩序づ ける 理論 なるもの も実は こまごました実践内容 を友人 に報. 的」関係の編成,身 辺の 日常の直観や経験及びこれに. 告す る中では じめて展開されるもので,決 して実践 を. もとづ く道徳的な見解の教授による共感的情調の形成. 導 く定理 としてあ らか じめ熟考 されるものではなか っ. として,『 探究』の「社会的」高貴化 の構想 は実践 に 移される (s.14f。 ,19f。 )。 クラフキー もエルカースと. たことを挙げてい る (S.52)。 しかるに時間的な順序. と もに,『 探 究』 と『シ ュ タ ン ツ だ よ り』以 降 の 「方法」開発 との非連続 を主張す る。彼 の場合 も共感 的情調 とい う『探究』の鍵概念を析出することはでき なかった。もっとも彼 は『シュタンツだより』の中で 頻出す る「道徳的情調」 とい う概念に照準 を合 わせ る。 しかしこの概念については『探究』の共感的情調. で並べ られる報告 の文脈 を突破 し,「 三段 階論」 とい う理論的定式が析出で きるためには,① 如上 の実践的 経験 の報告及 び体系的理論 とい う二つのパースペ クテ (時 称 の転換 により前者 の過去お の よび完了形 流れか ら,後 者 の現在形へ の飛躍 に着 目 して二 つ を区別す る),② 理論か ら実践 とい うペ ス タ. ィブを明確 に区別 し. ロ ッチーの アプローチ とは逆 の道 をたどる。そ うした. に重なる概念 として同定することはできなかった。二 つの概念が重なる分だけ,ク ラフキーの 『シュタンツ. 方法的操作 で散在す る体系的理論 の端緒が洗 い 出 さ. だより』解釈が歪まざるを得ない理由である。. の理論的連関が析 出 されるわけである (S.40,52)。. れ,テ クス トの 中にいわば隠れてい る道徳教育 の方法 そ して この連関を大枠にして,実 践的経験 のこまごま. 2。. クラフキーの. Fシ. ュタンツだより』解釈. した報告が一つの まとまりとして整序 され提示 された の が,「 手 紙 の 構 成 表 Gliederung des Briefes」 る。それは 4つ の部分. (1)道 徳教 育 の方法 の定式化. であ. (I.出 発 の状況, Ⅱ。シュ タ. 『 シ ュ タ ン ツだ よ り』 で は道徳教 育 の 方法 の 考 察 が. ンスの教育現実 とその教育的経験 か ら生 まれた道徳教. 中心 と して展 開 され る。 テ クス トにはやが てペ ス タ ロ. 育 の理論 ,Ⅲ .シ ュ タンスにおける教授 ,Ⅳ .回 顧 と. ッチ ー の 中心課題 となる 「直観教授」 の端緒 が言 語教. 自己批判 ,誤 解 と承認 )か ら成 り,そ れぞれの内容項. 育 の 素描 を通 して披 涯 されて い るが ,分 量的 には最後. 目は階層的 に 1.2.3.… ,a)b)c)‥ ・とい う形 で 並べ られ,テ クス トの該当頁 ・行が付 される (S.42. の数 ペ ー ジの記述 に とどまる。 クラフキ ーの解釈 が道 徳教育 に焦点 づ け られて も当然 であ り,注 目され るの はペ ス タロ ッチ ー の 道徳教 育 の 方法 の 定式化 を試 み これ を「三 段 階論. Dreistufentheorie」. ,. と して析 出 した. ff。. )。. クラフキーのこの試 みはシュプラ ンガー による 『探 究』 の構成表 と比較 で きる。 もっとも書物 のボ リュー. こ とで あ る。本 章 で は この「 三 段 階論」 を中心 と し. ム も内容の難解 さも『探究』が圧倒す るけれ ども,も. て ,ク ラフキ ー に よる 『 シュ タ ンツだ よ り』解釈 の概. ともと「大 見 出 し」「小 見 出 し」が 付 され る『探 究』. 要 をた どってみた い 。. テクス トの場合,そ の構成表 は基本的 には この括 りに. 彼 は何 よ りもまず ,テ クス トの 局部 的 ・ ミク ロ的 な. 準拠 して作成 されてい る。その意味 ではクラフキーの. 連 関 の析 出 で はな く,全 体 と して 一つの まとま り,テ. 仕事 の方が困難 であ ったろ う。管見 によればこの種 の. クス トの 体系 的 な構 成 を明 らか に しよ う とす る。「 さ. 試 みはシュ プラ ンガー とクラフキ ー に しか見 られ な. わ り」 の部分 の「つ まみ食 い 的」解釈 とは一 線 を画す. い。 クラフキーはおそ らくシュプラ ンガーの仕事 を意.
(5) 小野寺律夫 :ペ ス タ ロ ッチ ーの道徳教育 の「方法」. 識 してい る。『探究』 と『シユタンッだ よ り』 の連続. み出されるものではあ りません。それは子 どもの多. 性 を説 くシユプラ ンガーの解釈 を覆す ためには,同 じ. 面 的 な世話 allseitige Besorgung des Kindesに よっ. 手続 きを踏む必要があ ったのか もしれない。 クラフキ ーの解釈 は構成表 に したが つて進 め られ. て,お よびこの多面的 な世話 によつて子 どもの中 に. る。 Ⅱの「シュ タンスの教育現実 とその教育的経験 か. 喚起 される感情 と力 によつて生み出されます。言葉 は事柄その ものを与えて くれません。事柄 について. ら生 まれた道徳教育の理論」 が分量的にも内容的にも. の明瞭な理解力 ,意 識 を与 えるだけです。 」 (S.8/. 中心 である。Ⅲの「シュタンスにおける教授」 は申 し. 長田訳 55頁 /括 弧内 は引用者). 訳程度 しか言及 されず,Ⅳ の「回顧 と自己批判 ,誤 解 と承認」 にいたつては一言 も述べ られてい ない。 Iの 「出発 の状況」 ではシュタ ンスの実践 の外 的前提 や子. (D)「 そ の よ う に して,私 は どんな徳 で も言葉 (第. 三の視点)に 先行 して徳 の感情. (第. 一の視 点). どもたちの状態な どの記述が と り上げ られるが,ク ラ フキー によれば このペ スタロッチーの記述 は「呼 びか. を活気づ けた。なぜ なら何 を話 してい るか 自分 で分 か らないことについて,子 どもと話 し合 うのは悪 い. け」 であ り,こ れに対す る「答 え」 として提示 される. と思 つたか らです。 これ らの感情 に私はさらに克己. ものこそ道徳教育の「三段階論」 である。以下,こ の. の訓練. (第 二の視点)を 結 びつ け,こ. れ らの感情 が. 「三段 階論」 の解釈 につ い て要約 して い くが,そ の. 生活 に置 いて直接応用 し,又 ,態 度 として振 る舞 え. 際,彼 の解釈 はテクス トの と くに次 の 4つ のパ ラグラ. るように した。 」 (S.16f。 /長 田訳 72頁 参照/括 弧. フに依拠 してい る。. 内 はクラフキー ;Klafki 1971,S.53). (A)「 私のこのようなや り方 は次の原則から出て. 以下 ,ク ラフキーの言 う三つの段階 を順次追 ってい. きた。まず,あ なたの子 どもたちを寛大 ならしめな. くが,こ こではその解釈 の誤 りを予告 してお きたい。 元 を尋 ねれば 『探究』 と切 り離 された形 の解釈 の当然. さ い Suche deine Kinder zuerst weitherzig zu ma― chen。. そ して彼 らの 日々の欲 求 を充足 させ る こ とに. の結果 であ つたが,そ れについては 3。 で後述す る。. よって ,愛 と善行 を彼 らの感情 や経験 や行 為 の 身近 な もの ,彼 らの内面 に据 えて確 実 な もの とす る よ う. (2)「 三段階論」 の展開. に努 め な さい。 しか る後 ,こ の好意 を彼 らの仲 間 の. 1)第 一段階. 間 で確 実 か つ広 く実行 で きる よ う多 くの技 能 を習 慣. クラフキーは三つ の段階 を時間的順序 と捉 え,「 第. づ け な さ い。最 後 にそ して結 局 ,善 悪 の 危 険 な記. 一 段 階」 につ い て は,〈 多面 的 な世話. 号 ,す なわち言 葉 が来 ます。 これ らの言葉 は 日々の. sorgung― 寛大 にす る こ と Weitherzigmachen一 信 頼 を. 家庭 的 な出来事 や境遇 に結 びつ けな さい 。そ して言 葉 の根拠 は徹底 して ,あ なた の子 どもの 内部 や周 囲. 目ざます こと Weckung des Ve■ rauens〉 とい うダッシ ュで結 ばれるキー ・ワー ドでその概 要 を示 して い る. で起 こる ことを子 どもに明瞭 に理 解 させ ,彼 らの生. (Klafki 197 1,S.53 ff。. 活 や境遇 に関 わ る正 しく道徳 的 な見解 を彼 らと共 に. はこの段階の課題 として,① 「純粋 な感情 による道徳 的情調 の喚起」 ない し「子 どもたちを寛大 にす る こ. 生 み 出す 点 にあ る こ とに注 意 しな さ い 。 」 (SW 13,. S.14f./長 田訳 67-68頁 参照 ). )。. Allseitige Bc―. それに よればペス タロ ッチー. と」,② 「教 育 共 同体 Erzichungsgemeinsca■ の 建 設」 の二つ をとり上げるが,ま ず前者 (課 題① )は 「子 ど. drei Gesichtspunkteに 立 ってい ます。す なわ ち,純. もたちの 日々の欲求 を充足 させ る こと」 で達成 され るD。 前掲 パ ラグラフ (A)で は実際そ の通 り述 べ ら. 粋 な感情 に よる道徳 的情調 sittliche Gemutsstimmung. れてい るわけであるが,こ こでクラフキーは「欲求 の. の 喚起 ,克 己お よび正 しい こと善 なる ことについて. ツ テし,そ れは身体的欲求 のみを指す 充足」 について敷イ. の努力 に よる道徳 的訓練 ,そ して最後 に,子 どもの. わけではない し,身 体的欲求の除去や満足. 生 活 や境遇がすで に立 つ 法 や道徳 の 関係 の熟慮及 び. 汲 み尽 くされ もしない。 もしその ようなものであれば どう して,子 どもたちの内部 に道徳的情調 を醸成 ・喚. (B)「 道徳 的基礎 陶冶 の 範 囲 は一 般 に三 つ の視 点. 比較 に よる道徳 的 な見解 の 産出 一 とい う三 つ の視 点 で あ る。」 (S.19/長 田訳 78頁 参照 ) (C)「 こ う した (善 へ の )意 志 は言葉 に よって生. (満 腹 )で. 起 し,寛 大 にすることがで きるのか,は たまたどうし て愛 と善行 とい う世界へ の開放性 を子 どもたちの内面 に据 えて確実 なものにす ることがで きるのか と,そ の.
(6) ^大 学研究紀要第 42号 甲南女 ∫. 合意 を吟味す る。 クラフキー によれば健全な家族 の「多面的 な世話」. 人間科学編 (2006年 3月. ). 練」,お よびパ ラグラ フ (A)の 「好意 を仲 間 の 間で 確実 かつ広 く実行で きる技能 の習慣づ け」 を論拠 とし. は満足 (満 腹)や 欲求の除去 の形 で現 れる。ペ スタロ. て析出される。 この段階 は第一段階の能動的な共働行. ッチ ー に とつて決定的 なのは子 どもに対す る愛 であ. 為 を受ける形で,そ のための行為能力 を訓練するペ ス. り,愛 にもとづ く「多面的 な世話」 こそ課題① に結 び. タ ロ ッチ ーの 方法 の「実践 的段 階」 で あ る とい う. つ き,道 徳的情調 の醸成 ・喚起 につ なが る。「欲求 の. )。 具体的 には①道徳的行為その もの (Klaki,S.56∬ 。. 充足」 自体が子 どもの寛大 さを導 くわけではない。 ク. の訓練 ,② 道徳的行為のための技能の訓練が含 まれる. ラフキーは身体的なもの と道徳的なもの との二元論 を. が, クラフキーはまず① の訓練 について,前 掲 パ ラグ. 読 み とるわけで,「 多面的 な世話」 は内戦 で家 を焼 か. ラフ (B)の 中の「道徳的訓練」 なる もの を①-1「 克. れ,親 を失 い浮浪す る「世話す る もののい な い Ver_. 己による道徳訓練」,① -2「 正 しいこ と善 なる ことに. 子 どもの状態 の対立概 念 として強調 され. ついての努力 による道徳的訓練」 の二つ に分解 して理. wahrlosung」. る。そ して この「多面的 な世話」 が 「母 の眼」「父 の 力」 を備えるペ スタロッチーの献身的な世話 として作. 解 してい る。. 動す るとき,子 どもたち個 々の中にペス タロ ッチー に. とについての努力 による道徳的訓練」 は「道徳的にき. 対す る信頼が 目ざめるとい うわけである。. び しい場面 Ernstshuationen」. それによれば,後 者①-2の 「正 しい こと善 なる こ の訓練 で あ る。第 二段. これが く多面的な世話 ―寛大 にすること―信頼 を目. 階の訓練 の核心 として,そ のポ イン トは動機 に求め ら. ざます こと〉とい う第一段階の概要の大 きな流れであ. れる。ペ ス タロ ッチーの場合,道 徳的行為 を自ら決定. る。 しか しクラフキー はこれに加 えて,「 教育共同体 の建設」 とい う課題 (課 題② )を とり上げる。 これ ま. する動機意識 は道徳的にきび しい場面 で経験的 に獲得 されるのであ って,理 論的 ・合理的に伝達 されない。. での流れはペ ス タロ ッチ ー に とって道半 ば とい うの. クラフキーによれば,こ の ような獲得図式 は啓蒙哲学. が,ク ラフキーの見解である。 とい うの も寛大 さ,す. や汎愛派や敬虔主義 の倫理学説 と対立するペ ス タロ ッ. なわち子 どもたちの世界に対す る開放性 は 自分 に対す る信頼 で終 らず,施 設の メンバー全体 に開かれ,子 ど. チーの創見である。道徳的にきび しい場面 で子 どもに 教育者が呼びかける。呼びかけに応 じて子 どもは 自ら. もたちがいわば「兄弟姉妹関係」 を獲得 しては じめて. 行為 を決定す る。教育者へ の信頼 の上で行 われるその. 実現 で きるとペ スタロ ッチ ーは考 えてい るか らだ とい. ような動機意識 の訓練が 「正 しいこ と善なることにつ. う。 もっとも「教育共同体」 とい う言葉は『シュ タン. いての努力 による道徳的訓練」 である。. ツだよ り』 には見 られない。「子 どもたちを…兄弟姉. ちなみにクラフキーはその ようなきび しい場面 の訓. 妹 に し,施 設 を大 きな家庭 の素朴な精神 の うちに和 ら. 練 として,Fシ ュ タンツだよ り』 か ら二 つ の例 を挙 げ. げ,そ してそのような諸関係 の基礎 にお いて…」 (SW. る。その一つは,先 生. 13,S.14)と い うテクス トの一節 の「その ような諸関. い るとい う自惚れか ら仲間を暴力 で脅 した子 どもが 自. 係」 の観念が名辞化 されている。 クラフキー によれば. らその仲間の子 に許 しを請 い に向か う場面 , もう一つ. それは内的お よび外的な共同体秩序 であ り,こ の秩序 の構築 はペ ス タロ ッチ ーの場合,「 正 しい道徳的 な情. は,火 事 で焼 け出 された近 くの村 の子 ども 20人 を施 設に迎 え入れる場面である。前者ではペ スタロッチー. 調」 の喚起 ・醸成に より達成 されるとい う。. の平手打 ちの処罰が呼 びかけ とな り,子 どもが 自 ら決. ところで,こ の課題② にい う道徳的情調 は「多面的 な世話」 で喚起 ・醸成 される「情調」 ではない。子 ど. 定 して謝罪に向か う。後者で は 自分 たちの小 さな共同 体 を越える同胞性 の行為,自 分 たちの分け前 を犠牲 に. (ペ. スタロッチー)に 愛 されて. もたちが教育共同体の建設 に能動的 に関わる中で,互. して,他 の集団を迎 え入れる ことを自ら決意する例で. いの交流や助 け合いやい たわ りなどの相互行為 で醸成. ある。新たに 20人 を受 け入れるか ど うか 間 うペ ス タ. される感情である。 ここでは子 どもたちの共働行為 と. ロ ッチーの呼 びかけは,や や もすれば子 どもたちのみ. 同胞的な道徳的情調 の醸成 とは入 り組 んではた らく。. ならずペ ス タロ ッチ ー も小 さな集 団利益 に絡め取 る挫. したが ってこの過程 ははや くも道徳教育の第二の段階. 折 の冒険の前 に立たせかねない。 クラフキーは 自ら決. とされる実践的行為 の段階 に重なるわけである。. 意 して謝罪 に向 か う先 の子 どもの主体的決定 につい. 2)第 二段階. て,「『探究』 の言葉 で言えば,子 どもは道徳的にきび. 第二の段階 は前掲 パ ラグラフ (B)の 「克己お よび. しい場面 にお いて「 自己 自身 の作 品」 に到達す る。 」. 正 しいこ と善なることについての努力 による道徳的訓. (S.58)と 捉 えて い るが,こ の解釈 の 当否 は別 に し.
(7) 小野寺律夫 :ペ スタロッチーの道徳教育の「方法」. て,挫 折 の冒険 とい うきび しい場面 で他集団を迎 え入. 徳 的行為 を支 える もの と捉 え,道 徳 的命題 を介 してそ. れることを自ら決意する子 どもたちに も同様 な ことが. の よ うな堅 固な志操 を導 く点 で ,道 徳 的行為 に対す る. 言えるであろ う。. 反省 の奉仕 的機能 を指摘 す る。. 前者①-1の 「克己 による道徳訓練」 は 自己規律 の. もちろ ん クラ フキ ー は 又 ,Fシ ュ タ ンツだ よ り』 の. 形式的訓練 で あ り,前 掲 パ ラグラフ (D)に そ くして. 次 の よ うな言表 ―「わた したちの 素 質 と境 遇 の 全 体 を. の)感 情 が生 活 に置 い て直接. 包括 す る大 きな命題 が純粋 の心理学す なわ ち素朴 さや. 応用 し,又 ,態 度 として振 る舞 える」技能 の訓練 であ. 愛 や穏 やか な力 と一 緒 に人 間 の魂 の 中に据 え られ るな. る。 もっともクラフキーによれば,授 業時 の静粛な態. らば,人 間 をその本性 の故 に,真 理 と正 義 を感受 しや. 度や正 しい姿勢 などそのような形式的訓練 は単 なる持. す い好意 的 な情調 に導 き,そ の情調 にお い ては この大. 続的な意志 の緊張 だけを目指 してい るわけではない。 「明 るさや安 らぎ,及 び高貴 なる もの 0善 なる もの に. きな真理 に属す る何 百 とい う下位 の命題 はた とえ言葉. 言 えば,「 これ らの. (徳. で 表現 で きな くとも 自ず か ら注意 をひ き,人 間 の認識. 開かれた心の用意」 (sW 13,S.17/Klafki 197 1,S.59) こそがペ ス タロ ッチーの場合,そ の第一義的な目的で. 能 力 に しっか り と根 づ く。 」 (aoa.o./長 田訳 86頁 参. ある。 とい って もそれは道徳教育の核心的部分 ではな. を包括 す る大 きな命題」 の実践 的機能 に言及す る。 し. い とい うのが クラフキーの見解 であるが, しか しその. か るにこの包 括 的命題す なわ ち道徳 的命題 は反省 で獲. よ うな「開かれた心 の用意」が ペ ス タ ロ ッチーの場. 得 され るので ,そ の よ うな機能 も反省 の実践 的価値 に. 合,道 徳的情調 (徳 の感情)の 概念 と重なるのであれ. 属す るわ け であ る。. ば,む しろ克己による訓練 は道徳教育 の核心 に関わっ ` てい る。「開かれたノ の用意」 とパ ラグラフ (D)の 亡 「これ らの. (徳. の)感 情 に克己 の訓練 を結 びつ け…」. 照 )一 か ら,そ の よ うな下位 命 題 を認 識 させ る 「全 体. 「反省」 の段 階 につ い ての クラ フキ ーの 解 釈 の ポ イ ン トは 「言葉」 で あ る。彼 は パ ラグ ラ フ. (A)の 「最. 後 にそ して結局 ,善 悪 の危険 な記 号 ,す なわち言葉 が. 己の訓練 によ り, さらにまた徳の感情が醸成 ・喚起 さ. 来ます。 」 という「言葉」に関わる①「最後」,② 「危 険」 とぃう規定のうち,前 者 によって「反省の段階」 を道徳教育の「最後の段階」 と捉えている。これにつ. れるとい う,道 徳的情調 が 中心 として定位 されるペ ス. いては又,パ ラグラフ (D)の 「私はどんな徳でも言. タロ ッチ ーの言説 を銘記す る必要があ ろ う。. 葉 に先 行 して徳 の 感 情 を活気 づ け た 。 なぜ な ら何 を話. とい う言表 とを合 わせ読 むとき,こ こでは,あ らか じ め醸成 ・喚起 される徳の感情 に結 びついて行 われる克. なお,第 二段階の② の「道徳的行為 のための技能訓. して い るか 自分 で 分 か らな い こ とに つ い て ,子 ど も と. 練」 はパ ラグラフ (A)に 言 う「好意 を仲 間の 間で確. 話 し合 うの は悪 い と思 ったか らです。 」 とい う記述. 実かつ広 く実行 で きる」技能の訓練 である。 クラフキ ー は台所仕事や掃 除や洗濯 な ど家庭的技 能 を取 り上. や,パ ラグラフ (C)の 「言葉 は事柄その もの を与 え て くれません。事柄 についての明瞭な理解力,意 識 を. げ,そ れ らの訓練 は外面的な仕事 に尽 きない,分 担 し た り手伝 った りす ることで得 られる誇 りや喜び といっ. 与 えるだけです。 」 とい う言表 も持 ち出 される。 クラ フキーが反省 とい う言葉 による省察 ・熟考 を時間的順. た道徳的意義が見 いだされるとい う。 もっともこれに. 序 と了解 し,時 間的 に最後 の段階 と見 る理 由であ る。. つい て彼 の コメ ン トは少 な く,『 シュタ ンッだ よ り』 では具体的な例 はあ まり明 らかではない と述べ る。. 3)第 三段階 第三の段階 はクラフキー によれば「反省. 一方,如 上② の「危険」 とい う規定 か ら,ク ラフキ ーは知識 のひろが りに関 わる言葉 の危 うさに目を向け る。それによればペ スタロッチーの道徳教育 で重 要な. Re■ exion」. の段階,こ れまでに獲得 される道徳的情調や道徳的経 験 (動 機意識や技能)に ついて省察 ・熟考す る段階で ある。 ここでは子 どもは先行 の経験 の中 に含 まれる一. のは,「 高次 の 自己の覚醒」 である。 しかるに言葉 に よる知識が子 どもの個人的な可能性や将来 にわたる客 観的な諸関係 (生 活圏)を 越 え不釣 り合 い に拡大する. 般的なものを省察 し,こ れを言葉や概念 の形 でわが も. な らば,子 どもを混乱 に陥 れ,「 高次 の 自己 の覚醒」 ない し「 自己 と自己自身 との一致」 を妨げ る。上記パ. のにする よう指導 される。体験の直接性 か ら距離 をお. ラグラフ (A)か らの引用 はその ような言葉 の危 うさ. く道 徳 的 な 命 題 の 獲 得 で あ る (Klaki 1971,S.62 ところでペ ス タロ ッチ ー によれば これ らの命題 )。. に警鐘 を鳴 らす言表 である。 とすれば ここで「最後 の. ff。. は「賢明な志操や決意 には不可欠 で あ る」 (sw 13,S。 23)。 しかるにクラフキ ー はこれ らの表操 や 決意 を道. 段階」 なるものは,必 ず しも時間的順序 とはか ぎらな い。言葉 による反省 の範囲 を子 どもの経験 のひろが り に限定すべ しとい うその ような言表 に立てば,そ れは.
(8) 甲南 女子大学研 究紀 要第 42号. 論理 的順序 で もあ り,ク ラフキ ー もそ の ような言葉 の 危 うさを危惧 す るか ぎ り,そ の ような順 序 を暗黙 裏 に 認 めて い るわけであ る。 もっ とも彼 の解釈 で は ,こ の 間 の事情 は必 ず しも詳 かで はな い。 に もかか わ らず 「最後 にそ して結 局」 と い う文言 は ,明 示的 には専 ら時 間的順序 で理 解 されて. ^. 人間科学編 (2006年 3月. ). 化」を『探究』の終点 と取 り違えることによるフイク ションであろう。『探究』 と切 り離された形の解釈の 離齢がこれである。以下このような歪みについて,① 「多面的な世話」の概念,② 教育共同体 という課題 ③三段階論の時間性, という三つの点から明らかにし ,. てみたい。. い る。す なわ ち,道 徳 につい て語 る言葉 は先行 の 道徳 的経験 の 反省 と して ,道 徳教育 の最後 の プ ロセ ス に位 置 づ け られ る。 の み な らず そ の 文 言 に続 く「 しか る 後」 もそ の よ うな順序 で 了解 され る とき,ペ ス タロ ッ. (1)「 多面的 な世話」 か,「 欲求 の充足」か. 大 さ)を 醸成 ・ 喚起す る。「欲求 の充足」 自体が醸成 ・喚起す るわけ 「多面的 な世話」 が道徳的情調. (寛. て ,言 葉先行 の啓蒙 主義 や ヘ ルバ ル ト主義 と対照 的 な. ではない。 これは「三段階論」 の第一の段階 について の クラフキーの解釈 である。パ ラグラフ (A)の 「子. ア イデ ア と見 な され るわけであ る。. どもたちの 日々の欲求 を充足 させ ることによって,愛. チ ー の道徳教育 の 方法 は三 つ の段 階 の 時 間的順序 と し. なお ,ク ラ フキーの解釈 で は先 の道徳的命題 に関 わ. と善行 を…彼 らの内面 に据 えて確実 な もの とす る…」. つて ,下 位命題 の認識 とい う反省 の 実践 的機能 が 指摘. とい う言表か らそ の よ うに解釈 して しまうわけであ. され るだけで ,そ の パ ラグラフ中の 「わた した ちの 素 質 と境遇 の 全体 を包括 す る大 きな命題 が・¨真理 と正 義. る。 しか しこの箇所 をまともに読むか ぎり,身 体的欲. を感 受 しや す い 好 意 的 な情 調 に 導 き,… 」 とい う. 求 の充足が愛 と善行 の内面化 として,道 徳的情調 を醸 成 ・喚起す るわけではない とペ ス タロ ッチ ーが語 って. 「真理 と正 義 を感受 しやす い好 意 的 な情 調」 を導 く反. い るようには思 えない。実 はすでにペ スタロッチーは. 省 の 機能 には 目が 向 け られ て い な い 。「三 段 階論」 を. 『探究』 の 国家論 にお い て,パ ラグラフ (A)で 展 開. 時 間的順序 と予断す るこ とで 陥 る単純 な ミス と言 って. される欲求の充足 と道徳的情調 との関連 を定式化 して. よい。. い る。すなわち彼 は他 の 自然権論者 と同様 ,人 間の 自. ,. 然. メ トーデ. 3。. クラフキーの「方法」理解 の問題点. (本 性 )か. 欲求. (「. との非連続 を前提 としてい る。彼がその証拠 として挙 げるのは 『探究』 の疑 わ しい教育概念 ,す なわちその. 未開の動物的人間 における 自己保存 の衝動」). そ の一 部 が なお私 の 胸 中 で働 く動物 的好 意」)の 二つ の原理 で人類 の社会状態へ の移行 を説明 す るが,そ の際,〈 欲求 ・快 ・共感 〉図式 ともい う と共感. 以上のクラフキーの解釈 は 『探究』 の 人間学的構想. ら社会形成の原理 を発見 し,自 己保存 の. (「. ,. 人間学 に由来する「錯覚 (欺 日 前)の 教育」が 『シュタ. 自己保存 の欲求の 「爽やかで容易な」充足 に伴 う「快 適 さ」 か ら,共 感が生 じるとい う共感生起 メカニズム. ンツだよ り』では言及されてい ないか らとい うもので. を組み立て,社 会状態 へ の移行 は本能. (前. 社会的能. ら「法 と政府」,「 財産 と取得 と職業」へ のシフ. ある (Kla■ i1971,S.39)。 しか しこの論拠 はすで に 1.で 示 された 『探究』 の教育概念 によって反証 され. 力)か. る。『探究』 ではこの疑 わ しさの意識 を始点 として. 意 )で 自己保存 の感情 (我 欲 )を 中和 し,万 人闘争 の. 錯覚 (欺 肺 )に よる操作 とい う「社会化」 を超 える教 育 の次元 ,高 貴化 とい う教育概念が構想 されるか らで. 不幸 を緩和す る企てであるとした (SW 12,S.35,68. ,. トで快適 さを確保 し,こ こに生起す る共感 の感情 (好. ∬。 ,S.76f。 ,99. ff。. ,124)。. 『探 究』 に よれ ば 身体 的欲 求 の 充足 が共 感 とい う道. ある。「高貴化」 は「真理 と権利 を感受 しやす い情調」 の形成 ・発達 を目指す作用お よび過程 であ り,そ こで. 徳的情調 を醸成 ・喚起す る。 身体 的 なる ものか らの道. 目指 される「共感的情調」 とい う概念 は 『シュ タンツ. 徳 的情調 の二 元論 的峻別 はペ ス タ ロ ッチー とは無縁 で. だ よ り』で は「道 徳 的 情 調」,「 寛 大 さ」,「 徳 の 感 情」,「 明 るさや安 らぎ,及 び高貴なるもの C善 なるも. あ る。 なるほ ど多面 的 な世話 が道 徳的情調 を醸成 ・喚 起 す る とい う愛 の テ ーゼ は俗耳 に入 りやす い。 しか し. ヽ の用意」,「 真理 と正義 を感受 しやす い のに開かれたノ 亡. 「多面 的 な世話 」 を 「欲 求 の 充 足」 に代 えて持 ち出す. 好意的な情調」等 とい う名辞 で繰 り返 される。それば. な らば,『 探究』 のみ な らず 『シュタンツだ よ り』 に. か りか クラフキー 自ら,「 共感的情調」 と重 なる これ. も照 らして も誤 った理解である。 とい うの も「多面的. らの概念 を「三段階論」 の第一の段階の鍵概念 と位置. な世話」 なる語が引用 されるパ ラグラフ (C)(「 この (善 へ の)意 志 は言葉 によつて生み出 され る ものでは. づ けるならば,言 うところの非連続 なるものは「社会.
(9) 小野寺律夫 :ペ スタロッチーの道徳教育の「方法」. あ りません。それは子 どもの多面的 な世話 によって. の兄弟姉妹関係 は所与 の関係 と見なされていることが. お よびこの多面的 な世話 によって子 どもの 中に喚起 さ. 分か る。. ,. れる感情 と力 によって生み出されます。言葉は事柄そ. 「子 どもたちについ ては一緒 に暮 らす ことか ら生 ま. の ものを与 えて くれません。事柄 についての明瞭な理. れる最初 の感情 によって,彼 らの能力 の最初 の発展 に. 解カタ意識 を与 えるだけです。 」)を 吟味す るならば. おいて兄弟姉妹 に し,施 設については大 きな家庭 の素. ここでは言語中心 の人為的教育に対する批判が問題で. 朴 な精神 に包んで和 らげる。そ してこのような関係や. あ り,そ れに先立つパ ラグラフ中の「子 どもをと りま. その ように して生 まれる気分 をもとに,正 しく道徳的. く自然や,子 どもの 日常 の欲求や,常 に活発な子 ども. な感情 をあまね く活気づ ける。 これが今 の何 よりもま. の活動 そ の もの を陶 冶 の手段 として利用す る」 (SW. ず ,私 の本質的な見解 です。. ,. 13,S。. 7)と い う子 ども中心 ・生活 中心 の 自然的教育. のテーゼ を受けてい るか らである。 とす れ ば,「 子 ど もの 多 面 的 な世 話. 」 (SW 13, 私 はかな り運良 くこの 目的を達 しました。. S.14/長 田訳 67頁 参照/傍 点 は引用者. ). を「子 どもを世話す る」 と読 ん. ここに見 られるのは兄弟姉妹的家族関係 が手段 とし て働 き,「 正 しく道徳的な感情」 を醸成 ・喚起す る と. で よい ものか どうか。 19世 紀末以 来 の新教育運動 に. い う図式 である。パ ラグラフ中の 「この 目的」が道徳. 先駆す る子 ども中心 ・生活中心 とい うそのパ ラグラフ. 的情調 の醸成 を指示す るのは明 らかである。ではどう. の思想史的文脈か ら見て,「 子 どもが 世話す る」 と読. してクラフキーの場合 ,共 同体 の建設が 目的 となって. む方 が整 合的 で ある。 この点 につい ては文法 的 に も. しまうのか。思 うに このパ ラグラフの直前 の文脈 の読. Besorgungの 動詞 besOrgenに は 自動詞 の用法があ り. み と り方がその ような読 み方 となった。すなわちそ こ. また他動詞 であ って も自動詞的用法が可能 である こと. では,施 設の経営 や教授 ・学習活動 の混乱が問題 とな. を考 え合 わせ るな らば,「 多面的 な世話」 なる語 は子. り,こ れを秩序づ けるためには子 どもたちの内面 に働 きかける必要がある。道徳的情調 を醸成 ・喚起す るこ. sorgung des Kindes」. allseitige Bc―. ,. どもが 自分 のため,あ るいは他者 のために何事 か果 た す とい う意味 で解す ることがで きる。家族 (父 母)が 「子 どもを世話する」 と読 むクラフキーの解釈が揺 ら いで しまう理由である。. とが必要で,外 的強制や規則 ・規程 の説教 は「捨 てお かれた子 どもたち」 の気分 か らして逆効果 である一そ の ような話 の展開か ら共同体秩序 の構築,教 育共同体. (2)「 教育共同体」―手段 か,目 的か. の建設 とい うコンセプ トが導出 されてい るようだ。 しか しこの文脈 はすでに見 た 『探究』 の二つの教育. クラフキーは第一の段階 の解釈 にお い て,「 教育共. 概念 に関 わってい る。「外面的な秩序 や真面 目さを強. 同体 の建設」 とい う課題 を導出 し,道 徳的情調 の醸成 ・喚起 と関連づ けてい る。「情調」 とい って もそれは. 制 し,規 則 ・規程 を説教す ることよって子 どもたちの. 「多面的 な世話」 による ものではな く,共 同体建設 の. た。 」 (S.13f。 )と い う施設の秩序化 に言及 される文脈. ために協働す る中で醸成 される子 どもたちの「兄弟姉. か ら明 らか になるの は,外 的秩序 を強制す る「社会. 妹関係」的感情 であ り,共 同体 の建設 と情調 の醸成 ・. 化」 なるもの を超 える次元 ,「 高貴化」 とい う道徳的. 喚起 とは共時的な事象 である。 もっとも目的 となるの. 情調 の醸成 を目ざす教育 の必然性 で あ る。「高貴化」. は教育共同体 の建設 であ り,道 徳的情調 の醸成 ・喚起. が この文脈 の論点 であることは,道 徳教育 の「方法」. はそのための手段 である。 しか しここでは逆 の可能性. の記述 が この文脈 に直接続 くことか らも明 らかであ. が考 えられないであ ろ うか。共時的すなわち同時 に起. る。. こる ものであ るか ぎり,道 徳的情調 の醸成 ・喚起 が 目 的で,共 同体 の建設が手段 である ことは大 い にあ りう. 『探究』 によれば社会状態へ 移行 した人間は共感喪 失態 である。 しか しこれは人間のペ ルソナ としてのパ. ることで,そ のように考 えられるか ぎリクラフキーの. ブ リックな側面であ り,パ ー ソナルでプライベー トな. 解釈 ははか らず も「鶏が先か卵 が先か」 とい った不毛. 基底 にはなお,共 感 の感情が 「私的徳」,「 私 たちが喪. な議論 に陥 る。 しか しなが らここで,教 育共同体すな わち兄弟姉妹関係が施設 の所与 の関係 として前提 され. 失 した無邪気 の愛 らしい亡霊」 (SW 12,S.81)と して 残存す る。『探究』 の高貴化 の コンセプ トはパ ー ソナ. てい るならば,共 同体建設 は課題 で も目的で もあ りえ. ルで プライベー トな側面 ,す なわちそのような残基感. ない。実際 ,ク ラフキーが直接論拠 とす る次 の ような パ ラグラフか らはペ ス タロ ッチーの場合 ,子 どもたち. 情 で結 ばれる「血の絆」,「 身近 なすべ ての人々の好意. 内面 を高貴化 す る こ とは… ほ とん ど不 可 能 で あ っ. 的関係」 (S.119)│こ 照準 が合 わ される。 シュタンス.
(10) 甲南女子大学研究紀要第 42号. 人間科学編 (2006年 3月. ). の兄弟姉妹的な家族的関係 はこの ような「血の絆」 に. は さらに克己 の 訓練 を結 びつ け,こ れ らの感情 が生 活. 擬 されるもの として設定 されるわけである。それ故. に置 い て直接応用 し,又 ,態 度 と して振 る舞 える よ う. ,. 教育共同体 とい うコンセプ トが持 ち出されるならばそ. に した。 」 とあ る。文頭 の「 そ の よ うに して ,… 」 が. の ような所与 の前提 として理解 されねばならない。共. 道徳 的見解 (命 題 )を 産出 させ る第 三の段 階 の プ ロセ. 同体 の建設 と道徳的情調 の醸成 ・喚起 を共時的 と見 る. ス を指 し,又 ,「 言葉 Rede」 が徳 につ い ての 意 見 ・主. 理解は,所 与 の ものが 同時 に目的であるとい うテクス. 張 で あ る道徳的見解 を指す るな らば,そ こには 第 三の. ト解釈 の曖味 さない し拡大解釈 を表 してお り,そ れは とりもなお さず,『 探究』 と切 り離 された形 の解釈 の. 段 階 に もかか わ らず道徳 的見解 に先 ん じて ,「 徳 の 感. 歪み と言 ってよい。. 喚起 の 過程 が 組 み込 まれて い る。「子 どもた ち の 身辺. 情」 とい う第 一段 階 で 目ざされ る道徳 的情調 の醸成 ・. の 日常 の 直観 と経 験 に もとづ く」 言葉 Wё tterで 徳 の (3)「 三段階論」―通時的段階か,共 時的視点 か. 感情 に訴 え. 最後 にいわゆる「三段階論」 は通時的に継起す る段. とい うわけで あ る。. (S。. 19f。. ),徳 の 言葉 Redeを 産 出 させ る. 階 と理解 してよいのか どうか。段階 を成すけれ ども論. ここには,第 三の段 階 か ら第一 段 階 に進 む逆 方向 の. 理的順序であ り,時 間的 には共時的な三つの視点なの. 展 開 が 見 られ る。加 えて ,パ ラ グラ フ (D)に 見 られ. ではないか。 この点 に対す る疑間 はすでに 2.の. る徳 の感情 に克己訓練 が結 びつ く形 で ,第 三段 階 か ら. (2). で示唆 しておいた。一部重複す る点 もあるけれ どもク ラフキーの「通時的」解釈が どの ようにして解体す る. 第 一段 階へ と進 む逆 の展 開 の 間 に第二 の段 階 を挟 み込. か掘 り下げてみたい。. とは全 く相 い れ な い。 クラ フキ ー が パ ラ グ ラ フ (D). 「三段階論」 が論拠 とす るパ ラグラフ. (A)(B)を. む議 論 な どは時 間的 な逆転 と して ,「 通 時 的」 的解 釈 お い て ,(第 三 の 視 点 )(第 一 の 視 点 )(第 二 の 視 点 ). 見 る と,三 つ の段 階 は (A)で は「… まず zuerst・ …し ・最後 にそ して結 局 Endlた h und zuletzt か る後 dann・ ・. 照 ),に もかか わ らず 時 間的順 序 を明示 し,自 分 の 解. …」 とい う副詞. )で 結 ばれる段階,順 序 として展 開 してい る。 しかるにパ ラグラフ (B)で は視点 Ge―. 釈 の立 場 を守 る必 要 があ ったか らであ ろ う。 もっ とも. して,「 道徳的基礎陶冶 の範囲 は一般 に. 認 して い た。 あ るいは上 記引用 の文頭 の「 そ の よ うに. 三つの視点 に立 ってい ます。 」 と規定 されるわけであ. して ,… 」 の 内容が道徳的見解 (命 題 )の 産出 で はな. る。実 は「段階 Stuた 」 とい う言葉 は 『シユ タンツだ より』 では使 われてい ない。パ ラグラフ (A)の 副詞. く,教 育共 同体 の コ ンセ プ トに絡 め取 られ る こ とで そ. sichtspunkteと. (句. とい う形 で わ ざ わ ざ注 を付 す の は (小 論 171頁 参. そ の よ うにす る合理 的 な根拠 があ る とクラフキ ー は 自. の よ うに考 えたのか も しれ な い。. )で 結 ばれる順序 にクラフキーが段階 とい う言葉. ペ ス タロ ッチ ーの道徳教育 の「三段階論」 は共時的. をあててい るにす ぎない。そればか りか段階なるもの. な三つの視点 である。その ようなものを「段階」 で表. が必ず しも時間的順序 に限 らないこ とは,皮 肉な こと. すのは適切 ではないか もしれないが,三 つの視点 の論. にクラフキー 自身 によつて立証 される。克己. 理的順序 とい う意味 でなら,「 三段 階論」 とい う言葉. (句. (自. 己規. 律 )の 訓練 の第一義的な目的 は「明 るさや安 らぎ,及 ヽ の用意」 に び高貴 なるもの ・善なるものに開かれた′ 亡. を用 い て も支障 はない。一 体 ,『 シュ タ ンツだ よ り』 によれば第一の段階の課題 は道徳的情調 の醸成 ・喚起 であ り,第 二段階の克己の訓練 の 目的 も道徳的情調 の. あ る とい う彼 の前述 した解釈が それであ る。す なわ 、 亡 ち,第 二段階の克己訓練 で 目指 されるその ような「′. 活性 化 ,さ らに第三 の段 階 の 道徳的命題 (見 解 )の 機. の用意」 が第一段階で醸成 0喚 起 される道徳的情調 の. 能 も「真理 と正 義 を感受 しやす い好意 的 な情調」 の導. 概念 と重なるとき,三 つの段階 は時間的順序 ではあ り. 出 に求 め られ るわ け で ,三 つ の段 階 とも道 徳的情調 が. えないわけである。. ヽと して定位 されて い る。加 えて 第 三の段 階 を覗 い 亡 中″. クラフキ ーの「通時的」解釈 の矛盾 はパ ラ グラフ. てみれば ,獲 得 され る道徳的命題 (見 解 )に よつて道. (D)か らも分かる。それには「言葉 Wё ierに よる正 しい道徳的な見解 の 産出」 (SW 13,S.14f。 )に つい. 徳 的情調が醸成 され なが らも,そ の よ うに して醸成 さ. て,「 そ の よ うに して,私 は どんな徳 で も言葉 Rede. され る とい う循環 の繰 り返 しが垣 間見 られ る。 これ は. に先行 して徳の感情 を活気づ けた。なぜ なら何 を話 し. 第 二の段 階 につい て も同 じであ る。要す るにペ ス タ ロ. てい るか自分で分か らないことについて,子 どもと話. ッチ ー の場 合 ,道 徳教育 の ミク ロ・マ ク ロの あ らゆる. し合うのは悪 い と思 ったか らです。 これ らの感情 に私. 過程 で 循環が生 じて い るのであ って ,こ の よ うな ダイ. れ る「情調」 の上 で ,再 び道徳 的命題 (見 解 )が 獲得.
(11) 小野寺律夫 :ペ スタロッチーの道徳教育 の「方法」. ナ ミックスを直線的 ・一方向的な通時性 の概念で捉 え. 者 クラフキー も認め ざるを得 ないわけで,正 鵠 を射 る. ることはで きない。ペ スタロッチーの「三段階論」 は 一定 の論理的順序 の もとにある共時的な三つの視点 で. か否 かは別 として,小 論 の解釈 は結果 として彼 に代 わ つて,「 日本語版 へ の序」 との矛盾 を修 正す る とい う. 捉 えられる循環的な過程 と言 わなければならない。. 形 をとることになった。. わ. ケ﹂. お. なお もう一 つ,「 日本語版へ の序」 で クラフキ ー は 「1975年 の改訂版へ の序」 の補足 だ と言 つたが,そ れ はどの ような意味 であ ったか。後者 を初版 の序 と比べ. 道徳的情調 をめ ぐって生 ず る『シュ タ ンッだ よ り』. てみると興味深 い。すなわち初版 ではシュタンスの経. 解釈 の離齢 ,『 探究』 と切 り離 される形で歪 むその よ. 験 を報告す るテクス トの主題が 「道徳教育 の本質お よ. うなクラフキーの解釈 について明 らかに してみた。彼 によれば 『シュタンツだよ り』 は本質的 にそれ 自体 か. び方法 についての原理的な反省」,「 ペ スタロ ッチーの. ら解釈 される必 要がある。それはペ ス タロ ッチ ーの教 育学理論全体 の一つの発展段階 としては現 れない し ,. その二年前 『探究』 で展開 された哲学的人間学 の実践 的応用 とも解 されない (Klallki 197 1,S.39)。 これは クラ フキ ー に よる 『シ ュ タ ンツ だ よ り』解 釈 の 書 “Pι s′ αJθ zzj. ′′ れ S′α刀∫ηzJ′ ttbι r sι Jれ ι24れ s′ α′. 協 ′Jθ れ ソθtt J。. 節 で ある. V KJψ. J"の. 初 版. ιj4ι r f4′. (1971年 )の. θψ rι …. 「 序 」 の 一. ところが この立場 は第 6版 (1992年 )の. 道 徳 教 育 の 思 想」 と把 握 され る の に 対 し (Klaki 1971,S.40),「 1975年 の改訂版へ の序」 では主題 は子 どもたちの共同性 ,コ ミュニケー シ ョン,相 互作用 を め ぐる社会的教育 の領域 に拡大 され,道 徳的 ・社会的 教育 の方法 にス ライ ドしてい る (Klaki 1975,S.39)。 『シュタンツだ よ り』 はその ように して,単 に歴 史的 に興味あ る記録 ではな く,今 日で も意味あるテクス ト として理解 される必要があるとい うわけである。 もっ ともこのようなスライ ドは解釈 の変更ではな く,初 版 で論 じられた一 つ の議論 ,「 兄弟姉妹 関係」的な教育. 日本語訳 (森 川直訳 ,1997年 )に 寄 せ られた「日本 語版へ の序 (1995年 )」 では大 きな変更が加えられて. 共同体 の建設に照準 を合 わせるものであった。共同体. い る。. 建設 に関わる中で互 い に交流 し助け合 う共同性 の能力. そ れ に よれ ば ,時 代 を越 え て現 代 に まで影 響 を及 ぼ. が子 どもたちに育 まれたとするならば,シ ュ タ ンス に. す 基 本 的 に新 しい 問題 設 定 を導 い た 人 々 が 「 古 典 的 人. 物」 と称 されるならば,ペ ス タロ ッチーが その ような. おける教育 は現代 にも生 きて働 く社会的教育 のモデル になるとい うわけである。 しか し教育共同体 とい うコ. 人物であ り,彼 によって新 たに設定 された問題の一つ. ンセ プ トはシュタンスにおける教育 の所与 の手段 であ. として,子 どもや青年 の道徳的自己責任 をその社会的 つ なが りの 中で喚起す る課題が挙 げ られ る。 しか る. って も,目 的 となるわ けではない ことはす で に述 べ. に,こ の よ うな道徳 的 ・社会的教育 の課題 はす で に 『探究』 で「 自然 の作 品」や「社会 の作 品」 で あ りな が らも「 自己自身の作品」 になる可能性 として定式化 されてお り,Fシ ュ タ ンツだ より』 の構想 はそれ を統 合 した もの とされる. (ク. ラフキー著 ・森川訳 『ペスタ. た。所与 の ものが 目的で もあるとい うクラフキーの拡 大解釈 でそのような現代的意味 が導 かれるわけである が, これをどの ように考えるかテクス ト解釈 としてき わめて難 しい問題 であ る。 『シュ タンツだよ り』が照準 を合わせ るのは教育共 同体 の建設 で はな く,道 徳 的情調 の醸成 ・喚起 であ る。『探究』 に よれ ば この醸成 0喚 起 され る「1青 調」. ロ ッチーのシュタンツだよ り (改 訂版 )』 4-7頁 )。 「 日本語版 へ の序」 で クラフキー は,こ れは「1975. の上で,個 人 の主体的決断 と して道徳性 が可 能 とな. 年 の改訂版へ の序」 の補足 であるか ら最初 に後者 を読. る。『シュ タ ンツだよ り』 の道徳教育 の方法 は他律 的. んで欲 しい 旨 の 注 を付 して い る。 しか し 1975年 版. な教育介入であるか ぎり,個 人の主体的決断 に介入 し. 3版 )の 序 では,改 訂版 といつて も編集 に手 が加. ない。道徳的情調 の醸成 ・喚起 を専 らとす るのであ. え られ た だ け と 明 記 さ れ て い る (Klaki 1975,S.. る。なお 「情調」 は共時的な三つの視点 で捉 えられる. したがって『探究』 に対す る立場 の変更 は「日 本語版への序」でのみ見 られることで,本 文の解釈 と. 循環的な過程 で醸成 されるとき,当 然それは螺旋的 な. の矛盾 は甚 だ分か りにくい ところである。「 日本語版 への序」で示される『探究』 との連続性の立場で解釈. ては「情調」形成 に照準 される道徳教育論 の現代的意. (第. 39)。. されるなら知 らず,『 探究』 と切 り離 される解釈 は歪 まざるをえない。 このことは「 日本語版への序」の著. 醸成 ・発展 を遂げる ことが考 えられる。 この点 につい 味 とともに,今 後 さらに詳かにしなければならない課 題である。.
(12) ^大 学研 究紀 要第 42号 甲南女 ∫. 24. ^. 人間科 学 編 (2006年 3月. ). rハイ 15ε 力 Oclkers,J。 , Wli`々 α′2グ ι. )王. g`″. 2′. 1)パ ラグラフ (A)中 の「 まず,あ なたの子 どもたちを 寛大 な ら しめな さい。そ して彼 らの 日々の欲求 を満足 させ ることによつて,愛 と善行 を彼 らの感情や経験 や 行為 の 身近 な もの,彼 らの 内面に据 えて確実 な もの と す ることに努め な さい。 」 (傍 点 は引用者 )を 読 むか ぎ. ラグラ フ (A)に 先立 つ コンテ クス トか ら見て,「 子 ど もたちを寛 大にす る」 のは 子 どもたちの所 与の 関係 と して の「兄弟姉 妹 関 係」的 関係 で あ る 照. (本. 文 21頁 参. )c. 2)『 探 究』 の哲 学 的 人間学 との 非 連続 を説 く ´方 で ,ク ラ フキー は 自 ら意 を決 して仲 間 の ところ に謝 罪 に向 か った子 ど もの 行 為 につ い て,『 探 究』 の 「 自己 自身 の 作 品」 の 実 現 を見 て とる (本 文 18頁 参 照 )。 とす れ ば 解. `777P`S′. α′ θzzJs. `jグ. gピ g′ ′ 7 Sair7`lイ. θrθ /2rピ ″.Bad Hcilbrunn 1987.S.27-40.. rれ 4g“ れど θrグ ′ 1“ 4g,Wiα た `一 `た ““ ′ .In:Oelkers,J./Osterwalder,F。 (Hg。 ), ィ bJi`た ′ α. 力θグ Osterwalder,F.,D′ ιルレ′ ′ ″θ′ セお 力 7′. `・. り,「 子 どもたちの 日々の欲求 の充足」で達成 されるの は「子 どもたちの寛大 さ」 で はな い。 クラ フキーは 文 中の「そ して」 を必 ず しも正 しく読 んで は い な い。パ. ッ レ ιハ グ. `rzθ. `′. 夕 s`j″ 〃α れPα グα― イ ′g`′ ?"α ′ り山ε ρrsrttε たグ`r777θ グ ι ゆ だε力ι `“ jg′ κ ― r′ θこ θ 陸 g gθ giた 。In:Grund― Stoll,J。 (Hg。 ),P′ s趨 ′ zis Eん. `Sι. P′ srα ノ θ疋 ,一 ミ. j、 'j′. jθ ′ WCihehΥ イ ′ 7グ Rθ [`ρ ′ ノBasel 1995. U冷ゥ lご ′ 7・. j72 L`b`刀 。Hcidelberg 77ご Sθ “ ・ 1957.(ジ ルバ ー K/前 原 寿 訳 『ペ ス タ ロ ッチ ー 』 岩 波. ′ Silber,K。 ,Pcstalozzi.D`rJビ θ lsc力. 書 店 , 1981年 ) Spranger,Ed.,Pι. srα. ′ θttis. Dθ. ゅ ″η .Hddelberg 1959。 `″ “. 『教育 の思考形式』明治図書 ,1962年 isf力 Stein,A.,P`srα ′ θて こ′ご7グ グj`KQ″ ′. ). r′. `Pttj′. θs9ρ 力j`.Darinstadt. 1969. jε ttι SW=P`srα ′ θこ こj,ノ.〃 。 ,Sa777′ ′. lタ セ浸. `,hrsg.von A.Bu―. 釈 の 当否 は 別 と して ,彼 は 初版 (1971年 )か ら必 ず し も『探 究』 との 非 連 続 とい う立 場 で 一 貫 して い る わ け. chnau, Ed.Spranger, Ho Stettbacher.Berlin/Zurich 1927 11。. で はな い c. /長 田新訳 『隠者の夕暮 ・シユタンツだよ り. j″ わ θこ Klafki,W。 ,P`sr′ ′ こ. `rs`j″ `A′. 7∫. r,77 ′ α′. ル2-. Srα 72S″ 7j′ `li77`″. 。 Weihcim/Berlin/Basel 1971, θ″ W.κ ′ル′ た″r`rα θ″ ν 1975,1992(森 川直訳 『ペ ス タロ ッチ ーの シュ タンツだ r′. `モ. よ り (改 訂版 )』 東信 堂 ,2004年. ). Liedtke,M.,カ カα″〃θ ルた力Pθ srα ′ θttjo Hamburg 1968(リ ー 。 トケ M/長 尾十 三二 ・福 田弘訳 『ペ ス タ ロ ッチ 』 理 想 社 ,1985年. ). ,. 12.Bd。 ,13.Bd。 (虎 竹正之訳 『探究』玉川大学 ,1969年 (改 版第. 1. 刷 岩波書店,1993年 小野寺律夫 「ペ ス タロ ッチ ーの『探 究』 にお ける教育 の 二つの次元 一『探究』 の新 たな批 判 をふ まえて 一」教育 )』. 引用 文 献. (虎. 竹 正之訳 「ペ ス タロ ッチの 『探 究』一そ の 分析」『ペ ス タ ロ ッチ 全 集 第 6巻 』 玉 川 大学 ,1969年 /吉 本 均 訳. ). 哲学研究 88号 ,2003年 ,18∼ 35頁 。 小野寺律夫 「ペ ス タロ ッチ ーの 『メ トー デ主 義』 につい て一オス ター ヴ アル ダーの『探 究』解釈 の 問題 点 ―」 甲南女子 大学研究紀要 (人 間科学編)41号 ,2004年 1∼. 9頁 。. ,.
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